客がぞろぞろとテントを出ていくのをしばらく待って、セルーネ達も出口にやってきた。
「公爵様、いかがでございましたでしょう。今年の若手は逸材が揃っております。良い時間をお過ごしになられたのであれば嬉しいのですが。」
切符切りが話しかけてきた。
「面白かったよ。いい話になっていたじゃないか。あの若者と侍女のシーンはうちのメイド達の間でも評判なんだ。あのシーン目当ての客が多かったんじゃないか?」
「はい。あのシーンを演じている役者は何人かいるのですが、いずれも脚本担当と同じく若手の中では有望株でございます。」
「また見に来ることが出来そうなら来てみるよ。ま、当てにしないでいてくれるといいけどな。」
「はい、お時間がございましたらぜひおいでくださいませ。」
外に出た頃には、このテントから出ていった客達がバザールの店に流れたらしく、そちらは人でごった返している。確かこの近隣にあるほかのテントの入れ替え時間はもう少し先だ。その時間になるともっと人が増える。セルーネはローランドを伺った。芝居小屋のテントに入る前よりも、彼を包む『気』の流れはとても穏やかだ。芝居のおかげかティールのおかげかはわからないが、これならば今日帰ったら穏やかに話が出来るだろう。
「バザールを見るのはあとにしたほうがいいかな。別な小屋に行ってみるか。ティール、お前達はどこか回る予定の小屋があるのか?」
「ああ、もう一つ回る予定なんだが、お前らはいいのか?」
「やっと時間を見つけて出てきたからな。ここの芝居のほかは何にも予定を立てていないんだよ。お前達のお勧めでもあるならそっちを見に行こうかと思うんだが。」
「それじゃ一緒に行きましょうよ。西側のほうに軽業の一座が小屋をかけているんですけど、すごい評判なんですって。」
キャスリーンが言って、4人で西側に移動した。その後演劇学校のテントの周囲では、ほかの小屋から出てきた人達で身動きも出来ない状況になったようだ。
次に入った軽業一座の小屋は、演劇学校のテント小屋よりも遙かに天井が高い。その遙か高い場所で繰り広げられる、綱渡りや宙返りなど、はらはらさせられたが素晴らしい演し物ばかりだった。
「いやぁ、評判通りだな。」
「すごいわよねぇ。どきどきしっぱなしだったけど、楽しかったわ。」
ティールとキャスリーンは期待通りの演し物だったと興奮を隠せない様子だ。
「あ、そうだ、おいローランド、先月の収支報告が出来たんだが、あとで見に来てくれないか?」
ティールが思いだしたように言った。やはりその時期だったらしい。
「ああ、いつでもいいが、どうする?」
「ねえティール、それならこれからうちに来てもらったら?そろそろお茶の時間だから小屋も全部閉まるわよね。バザールも見に行きたいけど、今の時間帯だと多分商品を見るどころじゃないと思うわ。うちでちょっとしたティータイムってのはどう?」
「ああそうだな。どうだ2人とも、少しうちで休んでいかないか?」
「お前達がいいならお邪魔しようかな。ローランド、どうする?」
「それじゃお言葉に甘えるか。」
この時間だと、ちょうど芝居小屋などの休憩時間になり、ほぼ一斉に小屋の入り口が閉まる。お茶の時間は王国全体に普及しているので、興行中の小屋でも例外ではない。その間人々の流れはバザールに向かう。セルーネとローランドはティールとキャスリーンの招待で彼らの家にやってきた。ここは住宅地区の中でも東寄りで、南門から町の中に入ってそれほど歩かずに来られる場所だ。
「それじゃまず仕事の方を片付けちまおう。ローランド、ちょっと2階に来てくれ。」
ティールはローランドと一緒に2階へと上がっていった。
「それじゃセルーネさん、私達はお茶の用意をしましょうか。」
「そうだな。そう言えばさっき新作クッキーがあるとか言ってなかったか?レシピを教えてくれると嬉しいな。」
芝居小屋に行く途中、キャスリーンが最近新しいクッキーを作ったという話をしていた。
「ええ、もちろん。それじゃ一緒に作りませんか?」
「時間はかからないのか?」
「ええ、簡単にできます。」
セルーネはキャスリーンと一緒に、台所でクッキー作りを始めた。
「ほい、これだ。先月はかなり売り上げが伸びたぞ。」
2階の一室はティールの仕事部屋になっている。その部屋にローランドを案内して、ティールは机の上にあった封筒をローランドに渡した。
封筒の中身を出して目を通していたローランドは驚いた。思ったより売り上げが伸びている。
「すごいな・・・。需要はまだまだあるって事か・・・。」
「ああ、そうだな。需要があるのはありがたいが、このままの調子で売り上げが伸びるって事は、依頼も増えて忙しくなるって事だ。人員の増強は必要だが、今の建物だと限界がある。その辺りをもう一度考えなくちゃならないと思ってな。」
「そうだなあ・・・。広い建物を見つけて移転するか、支店を出すかってところか・・・。」
「選択肢としてはそんなところだろうな。ただ支店を出すとなると、それを任せられる人材が必要になる。そこは難しいかもな。」
しっかりとした人物に任せないと、万に一つも調査結果が金に左右されるようなことになってはならない。ローランドは少しの間考えていたが・・・。
「よし、それじゃ今のところはどっちもありって事で進めてみよう。広い建物が見つかるようなら、移転を視野に入れる、それが難しいようなら同程度の建物で、もう一つ支店として開業する。」
「そうだな。今から一つの方針に絞らなくてもいいか。」
「どっちがいいのかもまだ決められないからな。ティール、祭りの騒ぎが一段落してからでかまわないから、少しずつ人の募集をしてくれないか。今の建物では確かにそろそろ限界かもしれないが、そう簡単にいい物件が見つかるとも思えないし、いい人材がすぐに見つかるかどうかもわからない。建物は私の方で探してみよう。もちろんお前も何か噂を聞いたら教えてくれ。」
「よし、それじゃこの報告書はお前に渡す分だから、詳しく見てどのくらいの予算を投入出来るか考えてくれ。せっかく儲かってるんだから、従業員にも還元したいしな。」
「そうだな。急いで事を進めてもいいことはない。しばらくは人のやりくりが大変だろうが、よろしく頼むよ。」
「ああ、了解だ。さてと・・・。」
ティールは椅子に座り直し、ローランドを見た。
「肚は括れたか?」
ローランドはさっき会った時よりは大分穏やかな笑顔でうなずいた。
「まずはセルーネと話してみるよ。かっこ悪いところを見せたくなくて、父に言われたことや、自分の情けなさを隠してばかりいた。そういうところも含めてな。」
「なるほど、それはいい考えだ。俺としてもお前に愛想を尽かしたくはないしな。」
「私としても、お前に愛想を尽かされたくはない。」
「よし、意見が一致したところで、そろそろお茶の用意が出来たところかな。」
ティールが扉を開けて1階を伺った。香ばしい香りが漂ってくる。
「お、キャスリーンのクッキーか。お茶菓子としてちょっとつまむにはちょうどいいな。」
「お茶の用意が出来たわよ!」
ちょうどキャスリーンの声がした。
「いい匂いだな。あれ、セルーネも一緒に作ったのか?」
台所からお茶の用意を持って出てきたセルーネはエプロンを着けている。
「簡単に出来るという話だったから、作り方を教えてもらったんだ。帰ったらクリスティーナと一緒に作ってみるよ。」
「クリスティーナはお菓子作りが好きですよね。前にクッキーやケーキのレシピを教えてくれってせがまれたことがありましたよね。」
セルーネは以前から子供達を連れてティールの家に遊びに来ていた。キャスリーンには2人とも良く懐いているが、特にクリスティーナはキャスリーンの作るお菓子がとても気に入ったらしい。
「ああ、うちのシェフ達の作るものはプロの味だが、やっぱり女の子は自分でお菓子を作れるようになりたいものらしいからな。」
「そう言えばリデラが言ってたけど、学校での女の子達の話題は、お菓子作りとボーイフレンドのことなんですって。」
「平和な話だな。まあそれはいいことだ。」
モンスターに怯えることもない。聖戦が来るなどという噂も流れていない。今のこの国は実に平和だ。平和でないとすれば、リデラの名前とボーイフレンドという言葉に、ティールが忌々しげに舌打ちしたことくらいだろうか。リデラは20歳だ。学校の話は大分前のことだ。もう結婚してもおかしくない年なのだが、男親というものはなかなか割り切ることが出来ないものらしい。
「でもうらやましいです。私のいた村は小さい頃から武器を持たされて、身を守るための訓練をしてましたからね。学校はあったけど、男の子も女の子も、話題はどれだけ自分の武器を使えるようになったか、なんてことばかりでしたよ。」
キャスリーンは今の舌打ちを聞かなかったことにしたらしい。
「そう言えばポーラも同じようなことを言っていたことがあったなあ。」
「南大陸の端っこの方は、今でも昔とそんなに変わらないんですよ。あっちの方のモンスターは、北大陸ほどおとなしくなったわけではないから、油断すれば大変なことになりますからね。」
だがキャスリーンの口調には、それほど切羽詰まったような様子はない。つまり大変なことにならないように対処出来ていると言うことなのだろう。こんな話をしながらお茶を飲めるのも、今が平和だからだ。外は祭りの喧噪でうるさいくらいだが、家の中では誰もが安全にのんびり出来る。
「ふふふふ・・・あはははは!」
突然ローランドが笑い出した。
「どうしたんだ?」
セルーネはきょとんとしている。
「い、いや・・・失礼した・・・。さっきリデラの話が出てから、ティールの奴がずーっとブツブツ言ってるんだ。リデラに男なんてまだ早いとか、俺は認めんとか・・・。」
そう言ってローランドはまた笑い出してしまった。
「ローランド、人のことを笑えるか?あなただってクリスティーナのこととなると、すぐに子供扱いしようとするじゃないか。」
今朝だってユーリクとクリスティーナを子供扱いしようとしていた。
「そうだそうだ!俺のことを笑える立場か!娘がいればいずれほかの男に取られちまうんだぞ!」
ティールが言いながら口をへの字に曲げている。
「それは仕方ないさ・・・。クリスティーナはもう15だ。貴族の娘としてはもうとっくに嫁いでいてもおかしくないくらいだからな。」
「それでも今はまだいいよ。子供達を学校に通わせる貴族が増えたことで、18くらいで嫁いでも何も言われなくなったからな。昔は10歳になれば縁談が来て、13くらいでみんな嫁いでいったものだからな。」
子供が学校に通うという習慣が貴族達の間に浸透する前は、みんな家庭教師を呼んでいた。ベルスタイン公爵家では全員が家庭教師について勉強をしていた。セルーネだって、10歳になった頃には縁談が山のように来ていた。末娘だから外に嫁いでも問題はない。しかも公爵家の支援を当てに出来るとなれば、ぜひうちにという貴族達はたくさんいたものだ。当時既にセルーネは剣を習い始めて5年近く過ぎていたが、ほかの貴族達にとってはただの貴族の娘の気まぐれ、お遊びでしかなかった。
『嫁げば落ち着きますよ。』
セルーネが剣の稽古をしている近くで、聞こえよがしにそう言う声は何度も聞いた。だがもっと酷いのもあった。
『これはまた困ったことですな。うちに来てくれれば立派な淑女にして差し上げますよ。』
まるで公爵家の教育が悪いと言わんばかりの言いぐさに、さすがにセルーネの父は不快な顔をしてその貴族を追い出した。
だがあの当時セルーネは剣の道に手応えを感じていた。10歳ではまだ自分の道を決められるほどではなかったが、そう簡単に嫁いでたまるものかと、意地のようなものも心に芽生えていたと思う。
* * *
「15を過ぎても手元に置いておけるのは、ありがたいよ。おかげでいろいろと話が出来る。」
ローランドがしみじみと言った。先日、ユーリクとクリスティーナがそれぞれ剣術指南に弟子入りして剣の道を極めたいと言い出した時、ローランドは子供達と正面から向き合って話をすることが出来た。
「そうですよね。ティール、あなたもちゃんとリデラと向き合って話をしてよね。」
ティールはむすっとしたままキャスリーンを見ていたが・・・
「ま、あいつがちゃんと男を紹介するって言うなら話を聞いてやってもいいよ・・・。」
「その聞いてやってもいいと言う言い方が気になるわね。頭ごなしに怒鳴ったりしないでよ。」
「ああもう!わかったよ!」
キャスリーンが『してやったり』と言わんばかりにニッと笑った。
「さてと、そろそろバザールでも見に行きません?小屋の入り口が開く頃だから、バザールは空いてると思うわ。」
「よし、バザールに行くぞ!」
ティールが勢いよく立ち上がった。今の話を忘れたいとでも言いたげだ。
外に出る前に、キャスリーンがクッキーの残りをかわいらしい紙袋に入れてくれた。
「セルーネさん、これよかったらどうぞ。クリスティーナとユーリクに、作る前の味見って事で。」
「ありがたくいただくよ。一緒に作るにしても今日明日ってわけに行くかどうかわからないからな。」
「セルーネさん忙しいですもんねぇ。」
外に出て、また自然とセルーネがキャスリーンと、ローランドがティールと並んで歩くことになった。
(その忙しさを多少なりとも緩和出来る立場にあるのは私だけだというのに・・・。いったい私は今まで何をしていたんだろう・・・。)
カルディナ家を守るためのほんの少しの間のつもりで決めた、『自分が領地運営に関わらない』ことを、今まで引きずってしまうとは自分でも思わなかった・・・。
セルーネをほかの男に渡したくない、その一心で結婚を申込んだはいいが、自分はそれ以外のことを何も考えていなかったのだろうか・・・。
(セルーネの勉強を手伝っている間、ベルスタイン家の領地に関する資料は大量に見たし、どれほどの規模なのかはわかっていたつもりだ。あれだけの規模の家を背負っていくセルーネを支えていこうと誓っていたはずなのに、全く情けない話だ・・・。)
今からでもきちんとセルーネと話し合わなければならない。遅きに失したのは間違いないが、それでも自分に出来ることをしていかなければ。セルーネの両親はまだまだ元気だが、いずれは年を取るし、いつまで経っても先代に頼ってばかりと言うわけにはいかないのだ。
(今は祭りを楽しむか。バザールでいいものがあれば、セルーネにプレゼントでもしたいところだが・・・。)
4人でやってきたのはバザールの中でもスカーフやアクセサリーなどを売っている店が多い場所だ。
「いらっしゃい!美しいアクセサリーはいかがかね!?」
年配の女性が声を上げている店の前でふと足を止める。セルーネの目の端に、とても祭りのバザールで売っているものとは思えない美しい細工物のアクセサリーが映ったからだ。
「これはまた・・・素晴らしい細工物だな・・・。」
「うちのアクセサリーはみんな一流の細工師が手がけた一点ものだよ。石も本物、さあ、手にとってよくご覧あれ。」
店主はにこにこと愛想がいい。手にとってそのまま逃げてしまったりする心配はしていないのだろうか。
(お、後ろに座っている男は腕が立ちそうだな。)
店主の後ろに屈強な男が座っている。これだけの品物を並べて売っているのだから、用心棒はいるのだろう。
「しかしいいものばかりだな。」
どの品物をとっても、バザールで売られているものにしては素晴らしい出来だ。
「店主、随分いいものばかり並んでいるが、その割に値段は控えめだな。これで元が取れるのか?」
話しかけたセルーネに、店主は『おや?』と言った顔をした。この町に来れば必ずと言っていいほど、この国一番の家柄を誇る公爵家の当主の噂は聞くだろう。おそらくセルーネが誰なのかはわかったと見えるが、特に何も言わず『いらっしゃい』と笑顔で言った。
「ははは、心配してくれるとはありがたいね。祭りでは必ず値切られるけど、けっこう儲けは出るんだよ。何と言ってもこの細工はみんな無名の細工師の作ったものだからね。今のところは売り出し中というところさ。でも腕は一流だよ。そこは信用してくれていいよ。」
店主はセルーネ達よりは10歳くらい上だろうか。商品が並べられた店先のランプの明かりで影になっていて、顔はそんなによく見えない。年配と言っても、セルーネ達が『おばあさん』と呼ぶほど年を取っているわけではなさそうだ。
「そんなことを言われると、値切りにくくなっちまうなあ。」
ティールが笑った。その横で、キャスリーンはもうあれこれと品定めを始めている。
「こっちもいいわね・・・。ああ、これも素敵・・・。うーん・・・迷う〜〜〜。」
「そんなにいっぱいは買えないぞ。これから金が出て行くって言うのに・・・。確かネックレスがほしいとか前に言ってたよな。ネックレス1つは買ってやるから、好きなのを選んでくれ。後は俺に任せろ。」
「ははは、こちらの旦那は値切る気満々だね。」
「そりゃそうだ。祭りの店で買う物は値切るのが決まりのようなもんだからな。どれを買うか決まったら、交渉させてもらうぜ。」
「ああいいとも。駆け引きと行こうじゃないか。」
店主が笑顔でうなずいた。
「セルーネ、気に入ったものはあるか?」
ローランドがセルーネの肩越しに店先を覗き込んだ。
「うーん・・・どれもいいものだからなあ・・・。1つに絞るのは難しいが・・・。」
セルーネは普段はシャツにズボン、出掛けるときにはジャケットを着ているので、アクセサリーはほとんど身につけない。だが家で催す舞踏会などではドレスを着るので、そのドレスに合わせてアクセサリーも用意してあるのだが、最近作った青いドレスに合うアクセサリーが見つからなくていたところだ。
「あのドレスか・・・。そうだなあ・・・。同系色にするか、反対色にして際立たせるか、それによって選ぶアクセサリーの色が変わってくるんじゃないか?」
セルーネが手持ちのアクセサリーとドレスを交互に見ながら、長いこと頭を悩ませていることをローランドも知っている。
「うーん・・・どっちにするか、だな・・・。」
セルーネが持っているドレスは、だいたいが単色のドレスに同系色のレースなどの飾りを付けたものだ。だから全体としては単色のオーソドックスなドレスという印象が強い。
「そうだなあ・・・。反対色にしてみようかな。あのデザインは特にスカートのオーガンジーに細かいビーズが縫い付けられていて目立つから、どうしても目線が下に行ってしまうってジーナが言ってたんだ。アクセサリーを際立たせて、目線を上に持っていくのがいいのかな。」
ジーナとは、今この国のファッション界をリードするトップデザイナー、マダム・ジーナのことだ。
「おや、こちらのおかみさんはドレスをお持ちなんだね?どんな色だい?だいたいの色合いがわかれば合いそうなものを一緒に選んであげるよ。」
「そうだな・・・。」
セルーネは一番新しいドレスの色と装飾を説明した。実を言うとドレスはそんなに好きじゃない。だから剣士団にいた頃はまず着る機会などなかったし、着る気もなかった。だがドレスをいつでも着ることが出来るように、髪を伸ばし、肌の手入れをちゃんとすること、化粧も身だしなみ程度にはきちんとすることというのは、亡くなった姉アルテミナとの約束だ。だから爵位を継いだ時、ドレスもちゃんと着ようと決めたのだ。そしてその約束を子供の頃からずっと守っていたおかげで、今でもセルーネはドレスを着た時にあらわになる肩にも背中にも、シミひとつない。
公爵家の当主としては、セルーネが持っているドレスの数はかなり少ない方だ。着回しをするので同じドレスを何度も着る。だから一着ごとに合うアクセサリーや靴などの小物類はいくつか取りそろえてあるのだ。ところが最近作った青いドレスは、生地の色合いに惹かれて作ったために、出来上がってみたらなかなか合うアクセサリーも小物もなくて困っていたのだ。
「そうだねぇ・・・同系色ならこの辺り、反対色ならこんなところかね。」
店先に並べられた商品の他に、店主は肩から提げていた袋からいくつかのアクセサリーを取りだして並べて見せてくれた。
(センスがいいな・・・。)
同系色はアクセサリーがドレスに埋没してしまうかと思ったが、店主の選んだ商品ならばそんなことにはならない色合いだ。そして反対色のほうも、目立ち過ぎず、だがしっかりと目線を引きつけてくれそうなものだ。
「これは迷うな・・・。どれも素晴らしいものばかりだ。」
ローランドと相談しながらあれこれと選んでいる間に、キャスリーンは欲しいものを決めたらしい。
「うーん・・・。こっちの指輪も素敵だけど、やっぱりネックレスにするわ。これ、決めた!」
キャスリーンがティールに商品を手渡した。
「これだな。よし、これをいくらにしてくれるか、だな。」
「はいよ、やっと決まったんだね。そうだねえ・・・それじゃ・・・。」
ティールと店主の間で値段の交渉が始まったらしい。
「さてと、どうしようかな。しかしこうしてみると、同系色も反対色もどっちもいいなあ。」
セルーネも悩んでいた。
「ここの店の店主はセンスがいいな。あなたから聞いたドレスの色合いのイメージだけでここまで合うものを選び出すとは。」
ローランドが感心したように言った。
「あなたもそう思うか。しかしこれだけの細工物を作るのに今まで無名とはな。」
城下町で店を構えていれば、こんな素晴らしいアクセサリーはすぐに評判になるはずだ。おそらく拠点は南大陸の方なのだろう。小さな村で細々と作っているのかもしれない。
「よし、どちらも捨てがたいが、今回は初志貫徹と言うことで反対色にしよう。」
「それじゃこれは私がプレゼントするよ。」
セルーネが選んだアクセサリーをローランドが手に取った。
「いいのか?ここの品物の中ではけっこうな値段だぞ?」
「ははは、たまにはいいだろう。それじゃ私も交渉させてもらうかな。」
「う〜〜〜ん・・・。」
ティールが唸っている。どうやら交渉で提示された値段で手を打つかもう少し粘るか、そこで悩んでいるらしい。
「店主、それじゃ彼が悩んでいる間に私と交渉してくれないか。」
「おや、こちらも買う物が決まったんだね。どれどれ・・・」
店主はローランドが持っているアクセサリーの値札を覗き込み、
「そうだね、それじゃ・・・。」
ローランドと店主の交渉が始まった。セルーネは楽しそうに交渉をするローランドを見ながら、やっぱり今日はここに来て良かったなと思った。家に帰れば今朝の話の続きをしなければならない。でも何となくだが、今朝よりは前向きな言葉が聞けそうな、そんな気がしている。
「・・・この値段でどうだい?こちらの旦那も大分粘るねぇ。」
店主が言って、ローランドが少し思案しているようだったが・・・。
「そうだな。この辺りが落とし処だろう。それで買おう。」
「よし、俺もこの値段で手を打つぞ。店主、これで頼むよ。」
「はいはい。毎度ありがとうございます。」
店主はそれぞれティールとローランドに商品を渡し、代金を受け取った。
「しかしこんな目利きのご夫婦に会えるとはねぇ。以前会ったお客さんもすごい目利きのご夫婦だったんだが、もうひと組の旦那さんだけが全然わからないお人でね。」
「ほぉ、まあこれだけの品物を並べてるんだから、目利きなら当然足を止めるだろうな。」
「しかしまさかそのわからない旦那さんに変な値切られ方をされたとか?」
「生活が大変だから負けてくれとは言われたけどね。しかもガーネットをルビーと言われて、私も少しため息が出てしまったよ。」
4人がほぼ同時に吹き出した。
「随分とまた正直なというか・・・。」
「しかしどうやったらガーネットとルビーを間違えられるんだ・・・。」
セルーネの脳裏には、そんなとんちんかんなことを言い出しそうな人物に1人だけ心当たりがある。その客が彼だとすれば、赤いものは全部ルビー、くらいの認識しかなかったのだろう。
(ウィローはなかなかの目利きだからな。ウィローがこの店の品物に目をとめたとしたら、それはわかる気がするが・・・。)
もちろん確証はない。だが実はその時、ティールも同じことを考えていた。
(まさかその客ってのはクロービスの奴じゃあるまいな・・・。)
宝石の目利きというものはある程度いいものを見たり、特徴を調べたりして勉強しないと難しいものだ。クロービスがそんな勉強をしたとは思えないし、する機会もなかったんじゃないかと思う。
「おかみさんの方はかなりの目利きだったんだけどねぇ。そういや一緒にいた立派な旦那と別嬪のおかみさんはどちらも目利きだったねぇ。うちとしては渾身の出来だったアクアマリンのネックレスを買ってくれたっけ。」
「・・・・・・・・・・・。」
つい最近、セルーネがアクアマリンのネックレスを見たのは、国王フロリアの首に掛かっているところだ。かなりの美しい細工物だと思った記憶はある。だが国王の身につけているものを公の場で問うようなことは出来ないので、いずれお茶でも飲む機会があれば、どこで誂えたのかを聞いてみようかと思っていた。
(フロリア様の体調がすぐれないと聞いたあと、ご機嫌伺いに行ったところ、見違えるように元気になったフロリア様を見た。ネックレスを見たのはその時だ。)
気分転換に祭りに連れ出したのがクロービスとウィローだとして、その「立派な旦那」は誰だ?
「へぇ、そのネックレスはぜひ見てみたかったな。」
さりげなく話の続きを促してみた。
「あいにくと同じものはないんだよ。そういやその旦那は、ハース鉱山で採掘をしたときに石の見分け方を教わったって言ってたねぇ。鉱夫じゃないみたいだけど。」
店主は首をかしげている。
(・・・なるほどな、そういうことか。)
一緒にいたのがオシニスだと言うことは、セルーネもティールも気づいた。鉱夫ではないのにハース鉱山で採掘したのは、当時ハース鉱山の調査に派遣された王国剣士達だ。その指揮を執ったのはオシニスだし、当時の王国剣士で今「立派な旦那」と言われるほどになっているのはたくさんいるかも知れないが、クロービスと一緒に祭り見物をするほど親しいとなると、オシニスしかいないだろう。そして彼ならばフロリアの護衛としても十分だ。
「いろんな客がいるもんだな。」
「まったくだよ。」
店主が笑った。
その時!
並んで立っていたセルーネとキャスリーンの間からさっと手が伸びて店先のアクセサリーをわしづかみにした。
「待て!」
セルーネは咄嗟にその手を掴み、「ティール!」そう叫んでその手を引っ張った。セルーネに掴まれた泥棒の手からアクセサリーが地面に落ちた。
「任せろ!」
ティールがそう言った瞬間、今度はキャスリーンとティールの間から別の手が伸びてまたアクセサリーを掴んだ。
「こいつが本物か!?」
ティールがその腕を掴み、叫んだ。その手もやはり掴んだアクセサリーを地面に落とした。
「キャスリーン、ローランド、地面に落ちたアクセサリーを全部拾ってくれ!」
セルーネが叫ぶ。
「おい用心棒のあんた!次が来たらふん捕まえてくれ!」
ティールが叫んだ。
「はい!」
自分の出る幕がないほど素早いセルーネとティールの連携にすっかり驚いていた用心棒の男は、さっと店の前に飛び出し、予想通り飛び出してきた人物を捕まえた。その間にキャスリーンとローランドが落ちたアクセサリーを全て拾ったおかげで、何一つ被害がなく済んだ。その頃には店の周囲に野次馬が集まって、何事かと興味津々で覗き込んでいる。
「・・・全員子供か・・・。」
セルーネとティールが捕まえた手の持ち主、用心棒の男が捕まえた人物、全員10歳前後の子供達だった。
「なるほど、どうやら後ろに親玉がいるようだな。」
アクセサリーなんて子供が盗んだところで金に換えられるはずがない。子供達に盗みをさせて、それを換金して私腹を肥やす泥棒の親玉がどこかにいると言うことだ。作戦としては、まず1人が店の品物を掴んで逃げようとする。もしも捕まったらその騒ぎに乗じてもう1人が別な品物を掴んで逃げる。それでもうまく行かない場合を考えて、最初の子供と次の子供が掴んだ品物は、捕まった場合すぐに地面に落とす。そして3人目が地面に落ちた品物を拾って人混みに紛れると言うことらしい。
「さて、この子供達をどうするかだな・・・。」
子供達は怯えて、泣きながら震えている。
「誰か王国剣士が来てくれれば引き渡せるんだがな。」
「お・・・王国剣士!?」
「俺達死刑になるのか?」
「捕まったら殺されるって・・・。」
「そんなわけないだろう。そんないい加減な話を吹き込んだのは、お前達の親玉だな?」
王国剣士は恐ろしい存在だと思い込ませることで、子供達は王国剣士に近づかなくなる。
「まったく、ろくなことを言わないな。お前達、王国剣士は優しいぞ。怖くなるのは、お前達の親玉のように嘘をついて子供に罪を犯させるようなバカどもに対してだ。」
そんな話をしているところに、野次馬をかき分けて王国剣士が駆けつけた。
「どうしました!?」
「お、ちょうど良かった。窃盗未遂だ。この子供達を連れて行ってくれるか?」
「あれ、セルーネ卿じゃないですか。窃盗未遂ですか。それじゃ俺達が連れていきますよ。」
「何があってもこの子供達を家に帰すな。帰せば殴られて下手すりゃ捨てられる。必ず保護して、親が来たとしても絶対に帰さないようにしてくれ。それと、被害に遭ったのはこの店だが、盗られたものは何もない。店主、それでいいな?」
セルーネは店の中に振り向いて、店主に尋ねた。
「もちろんだよ。王国剣士の兄さん達、こちらのお客さん達のおかげで被害はなく済んだんだ。だからその子供達にも、怒ったりしないでおくれよ。」
セルーネは『捨てられる』と言ったが、こんな場合、下手をすれば『殺される』事もある。だがその言葉を、今捕まっている子供達に聞かせたくはない。
「もちろんです。この子供達も被害者ですからね、怒ったりしませんよ。それにこんなことを子供にさせるなんて、誰が来ようと絶対に帰したりしません。安心してください。」
2人の剣士は腕を掴まれたままの子供達に近づいた。3人とも怯えてガタガタと震えている。
「そんなに怯えなくていいよ。俺達はお前達を殴ったりしないぜ。話を聞かせてもらったら、ちゃんと安全なところに連れて行ってやるよ。」
2人はしゃがみ込み、子供達の頭をなでた。
「か・・・帰らなくていいの・・・?」
「でも・・・追いかけてこられたら・・・。」
「また殴られるよ・・・。」
子供達はまだ震えている。今日のように盗みが失敗した時には、おそらく酷く折檻されるのだろう。3人とも痩せこけていて、食事だってまともに与えられているとは思えない。
「そんな奴らにお前達を渡したりしないよ。どれ、お兄ちゃん達と一緒に行こう。」
「おーい、どうした!?」
もうひと組の王国剣士が応援に来たようだ。何と子供を1人連れている。
「盗みだ。その子供は?」
「おなじくさ。さっき保護したところだよ。」
「ならちょうど良かったよ。こっちも保護した子供がいるから、連れていこう。」
「よし、それじゃ1人ずつ手を繋いで・・・。お、お前は体が小さいな。疲れてるならおんぶしてやるぞ。」
子供達は大分警戒を解いたようだ。だがおそらくこの人混みの中で、子供達を監視している大人がいるはずだ。
「よろしく頼むよ。多分子供達を取り戻そうとする奴らがいると思うから、気をつけて行けよ。」
「あ、セルーネ卿でしたか。ローランド卿も・・・あれ、ティール所長まで・・・。」
あとから来た王国剣士がセルーネ達を見て驚いている。
「セルーネ卿達が協力してくださったんだ。行こうか。」
王国剣士達はセルーネ達に礼を言って、子供達を連れていった。
「今の時間帯で良かったな。」
子供達を連れて行く王国剣士達の後ろ姿を見送りながらティールが言った。
「ああ、人でごった返している時間帯だったらこうはうまく行かなかっただろう。」
「お前とキャスリーンの間から手を出したのは、女2人ならびっくりしている間にうまく盗めるだろうって言う親玉の考えかね。」
「全くバカにしてるわ。それに子供を使って自分達はお金だけ手にいれようなんて、とんでもないろくでなしね!未だにそんなのがいるなんてね!」
キャスリーンはかなり怒っている。王国剣士だった頃、フロリアの護衛になる前はキャスリーンも相方と一緒に待ちの見回りをしていた。その頃もそんな輩に出くわしたことは何度もある。
「うまく行けばそいつらも捕まえられるが、あとは王国剣士と審問官達に期待しよう。」
セルーネはそう言って、店の中に視線を戻した。
「まったく・・・あんな子供達を使って盗みをさせるなんて、飛んでもない奴らだね。全く腹の立つ!」
店主もかなり怒っている。
「まったくだ。だが今のこの街には、小さい頃から盗みを覚えさせられて育つ子供がたくさんいるのが現状なんだ。ま、昔よりは大分減ったけどな。」
セルーネが言った。
「お客さん達、ありがとうね。おかげさまで助かったよ。あの子達はどうなるんだい?ちゃんと保護してもらえるのかい?」
店主は心配そうに、子供達が去った方角を見つめている。
「大丈夫だよ。あの子供達だって被害者だからな。事情聴取のあとは、施設で保護されるんだ。何があっても元いた場所になんて返さないよ。」
「そうかい。それなら安心だね。」
「被害がなくて何よりだ。それじゃ私達はこれで。」
「ちょいと待っておくれ。」
店主は小さな袋を1つずつ、セルーネとキャスリーンに差し出した。
「これは・・・?」
「今回のお礼だよ。いや・・・前にも助けてもらったからね、その時の分も含めてってところかね。」
「いや、このくらいのことでお礼なんて・・・前にも?会ったことがあったのか?」
「あ・・・やっぱりどこかで会ったわよね。でもどこだったか・・・。」
キャスリーンは店主の顔に見覚えがあったらしい。
「あたし達はね、南大陸の中程にある、トスティンという村に住んでいるんだよ。あんた達に会ったのはもう・・・20年以上前だねぇ・・・。」
「あ、あの時のおかみさん!」
キャスリーンが叫んだ。
「あの時の?」
ティールとセルーネは首をかしげている。
「ほら、私と一緒に南大陸に行ったことがあったじゃないですか。最初に西側に行った時、モンスターに襲われていた子供連れの一家を助けましたよね。」
キャスリーンの記憶力は素晴らしい。特にその遠征は、キャスリーンが国王フロリア付きの護衛剣士になるための実績となるようにということで、3人で出掛けた時のことだからか、かなり詳しく覚えているようだ。
「ああ、あの時のか!」
セルーネとティールも思い出したようだ。
フロリア付きの護衛剣士として女性剣士を起用するという話は、セルーネが入団した時から出ていた話だが、それを言い出した御前会議の大臣は、どちらかというと護衛と言うより貴族の姫を入団させてフロリア付きにし、行儀見習いをさせてはどうかと言うことだったらしい。セルーネがそんな話に乗るはずもなく、さらに剣士団長パーシバル、剣士団をまとめるレイナックがこの話に不快感を示したことでこの話はお流れになった。だがその後女性剣士が増えてきたことでまたその話が浮上した。しかしその頃は全員相方がいて仕事に出掛けていたのでここでも話は流れた。そのままフロリア付きの護衛剣士の話はなくなったかに見えたが、キャスリーンがもう少しで入団3年になるという時、キャスリーンの相方が病気で退団してしまった。
2人で戦うことにも慣れて、もうすぐ執政館や乙夜の塔、そして南大陸へも行けるという時だったので、キャスリーンはすっかり気落ちしてしまった。しかもその剣士はその後亡くなってしまい、自分が無理をさせてしまったのではないかとキャスリーンはますます落ち込んでしまった。その後一ヶ月も立ち直れずにいたキャスリーンに、フロリア付きの護衛剣士としての仕事が持ち込まれた。最初は乗り気でなかったキャスリーンだが、フロリアと面談した時、話しているうちにキャスリーンが泣き出した。たまっていたものを全て吐き出すかのように泣き続け、それから数日して、護衛剣士の件を受けるという返事があった。
その頃には入団して3年を過ぎていたので、資格としては問題ない。だが実戦経験が足りないと、御前会議の大臣の1人が騒ぎ立てた。そこで剣士団長パーシバルは、キャスリーンに南大陸での実戦経験を積ませることでその大臣の口を閉じさせようとした。その指南役としてセルーネとティールに白羽の矢が立ち、2人はキャスリーンを連れて南大陸の西部と東部に2度ずつ遠征したのだ。その西部への最初の遠征の時に助けたのが子供を連れた家族だったのだが、どうやらこの店の店主がその時の母親の方らしい。
「そうか・・・。それでトスティンまで送っていったんだっけな。」
「そうだよ。あの時のことは忘れないよ。亭主の怪我まで治してくれて、子供達の面倒も見てくれたじゃないか。今こうして店を出せるのも、あの時助けてもらったおかげだからね。そして今も泥棒から助けてもらった。この程度のお礼ではいくらにもならないけど、どうか受け取っておくれ。」
セルーネとキャスリーンは顔を見合わせてうなずき合った。
「それじゃ、ありがたくいただくよ。」
「私もいただきます。ありがとうございます。」
2人が今も王国剣士だったなら、このお礼は受け取らなかっただろう。だが今はもう違うし、ここまで恩義を感じてくれているのに受け取らないというのも、失礼な話だ。そう判断して、2人はその『お礼』を受け取った。
「店主、すると今でもこのアクセサリーの製作工房はトスティンなのか?」
「ああそうだよ。あんた達が送ってくれたあの村で、亭主と娘が2人で作っているよ。あたしと息子はこうやってそれを売っているのさ。」
「なるほど、そっちの用心棒は息子さんか。」
確かあの時は、母親の背中で泣いていたっけ。
「では連絡をとりたい時には、トスティンに手紙を出せばいいわけか。」
セルーネはそう言って、店主の家の詳しい住所と名前を聞いた。どうやらこのアクセサリーは祭りの時に売ったりする程度で、手広く商売は出来ていないらしい。
「品のいいデザインが多いからな。またほしくなっても来年の祭りまで待つってわけに行かない時もあるんだ。その時は連絡させてもらうよ。」
「それはありがたいね。待ってるよ。」
これだけのものを作るのだから、腕がいいのは間違いない。だが工房としてどういう経営をしているかがわからない。今では南大陸の工房や商店でも、王宮に報告書を送る義務がある。この決まり事が出来た頃は実に面倒だと相当不評だったのだが、その代わりきちんと報告書を提出し、真っ当な経営をしていることが認められれば、王宮との取引の道が開けることもある。セルーネとしても、これだけ品質のいいアクセサリーをいつでも手に入れられるのならありがたいが、今は慎重に事を進めようと考えていた。相手が自分の素性を知っていることは間違いなくても、今はこちらからは何も言わないでおこう。こう言った商店関係の報告書は、ローランドに頼めばすぐに調べてくれるだろう。
* * *
4人が立ち去ったあとも、店にはお客がかなりの数やってきて、おかげで店頭に並べてあったアクセサリーはほとんど売り切れた。騒動のおかげと言うのもおかしな話だが、セルーネの顔を知っている人々は『あのベルスタイン公爵夫妻が足を止めて買い物をしていた』店に興味津々だったし、その友人であるティールの顔を『ティール・セルーネ組』として未だに見知っている者も少なくない。子供達を鮮やかに捕まえて王国剣士達に引き渡し、その行く末にも心を配る、あの方達は何と優しいことかと、まわりにいた人々は誰もが感心の目で見ていた。
「かあちゃん、さっきの人達、昔助けてもらった人達なんだな。有名人らしいな。」
用心棒をしている息子が母親である店主に尋ねた。
「そう言えばお前はここに来るの初めてだったねぇ。あのお方はベルスタイン公爵家の当主様だよ。隣にいたのが旦那様のローランド卿さ。」
「べ、ベルスタイン公爵!?」
息子は驚いて目を大きく見開いた。
「お前も名前くらいは知っているだろう?まさかあたし達を助けてくれたのが公爵家のお姫様だったとは、あたしもあの時は驚いたもんだけどね。」
セルーネ達に送られて村まで帰ってきた時、当時の村長がそれを教えてくれた。『公爵家の姫君だが、王国剣士として仕事をしている』と。最初は信じられなかった。あの凄まじい戦いぶりが『お姫様』のものだとは、うちの村長は何か勘違いをしているんじゃないかと思ったものだ。
(しかもまさか今になって再会出来るとはね・・・。あの程度のアクセサリーじゃお礼にもならないくらいだけど・・・。)
公爵家の名前で連絡が来るか、あの当主、セルーネ・ベルスタインの個人名で連絡が来るか、それはおそらく工房の経営状態を調べた結果によって変わるんじゃないかと店主は考えている。あの時命を助けられてから家族で話し合い、どんぶり勘定だったお金の流れを見直して、きちんと帳簿をつけようと言うことになった。せっかく助かった命だ、今までと同じことをしていたんじゃあ、能がない。これからは、どこから何を言われても胸を張れるちゃんとした経営をしようと誓った。その日その日を暮らして行ければいいや、今まではそんな気持ちで商売をしていたが、今後この商売を長く続けていきたいという欲が出たのだ。でなければ、仕事とは言え命がけで自分達を助けてくれた王国剣士達に合わせる顔がない。その後は苦しい時もあった。真っ当な商売なんてせせら笑われることもたびたびだった。それでも今では家族4人で食べていける程度のお金は入ってくるようになった。娘にいい人が出来たら、ささやかながらも嫁入り道具を持たせてやるくらいのことは出来るだろう。
「ま、今の暮らしで十分だ。欲は出さないほうがいいね・・・。」
でももしも、もしも連絡をもらえたら、その時は出来る限り注文に応えられるよう、全力を尽くそう。それが公爵家からの連絡でも、セルーネ個人名での連絡でもだ。
* * *
その後バザールを一回りして、そろそろ混んできた頃合いに4人はバザールを離れた。先ほどの店主が持たせてくれた袋の中を見てみると、キャスリーンの袋にはさっきネックレスと迷っていた指輪が、セルーネがもらった袋にはさっきドレスに合わせるために選んでもらった、同系色の方のアクセサリーが入っていた。
「まさかあの時のことを今まで覚えていてくれてたとはなあ・・・。」
セルーネが言った。こちらは全く覚えていなかったというのに。
「当時はこちらは仕事だったから、そんなに記憶に残っていたわけでもないのになあ。」
ティールもすっかり忘れていた。
「あの時娘さんが大きな声で「どうもありがとう!」って言ってくれたの、私覚えてるんです。せっかく念願の王国剣士になったのに、なかなか仕事がうまく行かなかったころだったから、すごく嬉しかったんですよ。」
楽しそうに話す3人を、ローランドはまぶしそうに見ていた。
(こういうのを見ていると、私も王国剣士になればよかったかな、なんて思うんだよな・・・。)
官僚として就職し、先輩達にこき使われながらも実績を積み重ねて、それが認められ、父親の不祥事があったにもかかわらず、大臣としての地位を得た。その人生に悔いなどないが、セルーネと共通の思い出があるティールやキャスリーンが羨ましくもある。
「それじゃそろそろ帰るか。ティール、キャスリーン、今日は楽しかったよ。」
「ああ、まさかあそこで偶然会えるとはな。おかげで仕事の方も連絡がすんだし、今日は帰ってのんびりするよ。」
「それじゃ、また時間があれば出掛けたいな。」
「そうですね。セルーネさん、またそのうち新しいお菓子のレシピを考えておきます。また一緒に作りましょうよ。」
「そうだな。期待してるよ。」
「ローランド、さっきの話はまた考えよう。焦っていいことはないしな。」
「そうだな。落ち着いて考えて結論を出そう。」
ティールとキャスリーンの家に続く道で4人は別れ、セルーネとローランドは住宅地区の北側にある屋敷に向かって歩き始めた。
「住宅地区の中を歩いた方が歩きやすいな。」
「下手に大通りを歩こうなんて考えると、変なところに流されそうだ。」
2人で笑い合いながら、他愛のないおしゃべりをして、屋敷に戻った。
「夕食までにはまだ時間があるな。セルーネ、今朝の話の続きをしないか?」
「わかった。」
まさかローランドの方からその話を持ち出すとは思わなかった。もしかしたらいい返事が聞けるかも知れない。
2人は部屋に戻り、誰もここに来ないようにと言い置いた。
「セルーネ、まずは謝らせてくれ。今まで本当にすまなかった・・・!」
セルーネは笑顔を崩さず言った。
「その謝罪の理由を、教えてもらえるのかな?」
ローランドが大きくうなずいた。
「もちろんだ。すべて話すよ。あなたの前でいい格好をしたくて、都合の悪いことを隠そうとしていた情けない男の話だが、聞いてくれるか?」
「聞くよ。全部聞く。だから話してくれ。」
ローランドは話し始めた。結婚した時、実家を思いやって『領地運営には加わらない』と言った理由、そしてその話を実家に持っていった時、父親から凄まじく怒られたこと。父親はいつも厳しかったがあんなに怒ったことがなかった。あまりのことに自分がすっかり萎縮してしまったこと、だがそのことをセルーネに言えずに今まで隠し続けてきたこと・・・。
「実家への配慮など、端から必要なかったというのに、私はそれがとてもいい考えのようなつもりでいた。おそらく私は有頂天になっていたんだと思う。だが父の怒りがその自惚れを木っ端みじんに打ち砕いた・・・私は縮こまり、何事にも自信が持てなくなってしまった。領地運営のことも、あなたに何度も『一緒にやらせてくれ』と言いたかったのに、その言葉が口から出ようとするといつの間にか口が閉じてしまう。自分の不甲斐なさをなんとかしたいと思いながら、あなたの前ではいい格好をしようとしてばかりいた。そのせいであなたや義父上、義母上、そしてオットーにまでも苦労をかけてしまった・・・。いまさら謝って済むことではないだろう。だがセルーネ、改めて私から頼む。私はあなたと一緒に領地運営を担いたい。遅きに失したことは重々わかっているが、これからでもあなたの助けになれないだろうか。」
「その言葉はあなたの本心と思っていいのか?」
セルーネが尋ねた。
「間違いなく私の本心だ。今日一日あなたと祭りを見て、ティール達と会って一緒に過ごして、芝居の内容にも随分助けられるという、情けない話ではあるが、やっと腹が決まったよ。この先はあなたに少しでも当てにしてもらえるように、一緒に領地を盛り立てていきたい。」
「ローランド、その言葉を待っていたよ。でもこのことは、当主たる私の怠慢のせいでもある。もっと早くあなたに、私の方から水を向けるべきだった。レイナック殿に助言という形とは言え口を出されてしまったのは私の責任だ。だがこちらもそう簡単に利用されるつもりはないからな。調子よく利用されたりすることのないよう、あなたも策を考えてくれ。それと、この話は食事のあとで父上達に話をしよう。」
セルーネは嬉しかった。やっと、ローランドが腰を上げてくれた。今の状態でも困ることがないとは言え、対外的にはローランドとセルーネが領地運営に正式に携わることの意味は大きい。
「そうだな。」
やることは今までとそうは変わらない。とは言え、領地運営に堂々と携わることが出来るというのは、ローランドにとっても意味が大きい。今後はセルーネの名代ではなく、領主として領地に赴き、様々な問題に対処することが出来る。
その時部屋の扉がノックされた。
「お食事の用意が出来ました。」
この声はセルーネの専属メイド、エイミーの声だ。
「ああ、今行く。あ、そうだ、エイミー、リンダはいるか?」
「はい。」
扉が開き、セルーネのもう1人の専属メイド、リンダが顔を出した。
「何かご用でしたか?」
「ああ、実はな・・・。」
セルーネは今日バザールで買ってきたアクセサリーともらったアクセサリーを2人に見せた。
「うわあ、素敵ですねぇ。こんなすごいものを扱っているお店があったんですか。うわあ、私も見に行ってこよう。」
「この間仕立てたドレスによく合いますね。見てもいないのにここまで合うものを出してくるなんて、その店主さん、すごいですね。」
2人はすっかりアクセサリーに見とれている。
「これをドレスと一緒にしまって置いてくれないか。今のところ使う予定はないからな。」
「はい、かしこまりました。」
2人は笑顔でうなずいた。エイミーは19歳のころからセルーネの専属メイドとして働いている。結婚してここを出て行くのかと思っていたのだが、その後もここで働かせてくれと頼まれて、今でも仕えてくれている。リンダはエイミーより少し前に雇い入れたメイドだが、働きぶりがいいのでセルーネが自分のメイドに起用したのだ。リンダは当時22歳くらいだったから、もう2人ともすっかり大人の女性だ。だがこういったアクセサリーを見ると2人とも少女の頃に戻ったように、きゃっきゃとはしゃいでいる。2人とも信頼の置ける大事な使用人だ。
「リンダもエイミーもよくやってくれているなあ。まさかこんなに長い付き合いになるとは。」
セルーネが笑った。
「あなたが領地運営の勉強をしている時にはもういたのだったな。」
「そうだな。2人とも結婚すれば出て行くのだと思っていたが、2人ともまさかうちの使用人同士で結婚するとは・・・。」
使用人の中には若い男性も多い。例えばローランドにも、この家に来た時についてくれた専属のボーイがいた。もっとも2人とももうボーイではなく、信頼できる使用人としていろんなところの仕事を請け負ってもらっているので、ローランドの専属ボーイは今若い男性2人だ。その2人は何年か前に雇い入れた者達だが、実に気が利くので助かっている。
(この家が使用人などの募集を出せば、かなりの数が集まる。数が集まればいい人材も集まる。家を盛り立てると言うことは一番の大事なことだが、この家自体が国に対して果たす役割も大きい・・・。本当に遅きに失したとしか言いようがないが、これからでもセルーネを助けていかなければ・・・。)
食事のあと、父親の書斎でローランドの決意を伝え、公爵家の領地運営体制は刷新された。先代の公爵夫人は執事のオットーと共に領地運営から退き、今までローランドが仕切っていた家のことや北大陸に持っている土地、そして使用人の管理などを、2人で一緒に担うことになった。そして領地運営はセルーネとローランド、そして先代のロランス卿が補佐として名を連ねた。そのほか、3人の手足となって動く使用人達の代表を何人か名簿に書き加え、翌日には王宮に届け出ることが決まった。
「よく決心してくれたね、ローランド。」
セルーネの父親、ロランス卿は穏やかに微笑んでそう言った。
「この時を待っていましたわ。ローランド殿、これからセルーネのこと、改めてよろしくね。」
公爵夫人も嬉しそうだ。
「義父上、義母上、そしてオットー、今まで本当に申し訳ありませんでした。」
ローランドは頭を下げ、結婚当初の『しばらく領地運営に関わらない』という考えがいかに浅はかであったか、だが実家で父親に酷く叱責されてしまったことで、心が縮こまってしまったことも、その後臆病になってしまったことも、包み隠さず話した。
「・・・実を言うと、以前君の父上のトーマス卿から、その話を聞いたことがあるんだよ。その行動の是非はともかく、子供扱いして酷く叱責してしまったことは後悔している、息子は公爵家で何かしらの役に立っているのだろうかと、とても気にしておられた。私は、彼は領地運営に名前こそ連ねていないが、充分に我が家の助けになってくれていると、そんなことを言ったと思うよ。」
「そうでしたか・・・。」
セルーネが今日聞いた話でも、父親はあの時の叱責を後悔しているらしかった。
(一度このことで、父上と話してみる必要はありそうだな・・・。)
父親はあの時怒ってしまった手前、後悔していることを話せなかったのかも知れない。
「ローランド様、私のような使用人にまでお心を砕いてくださり、ありがとうございます。お屋敷のこと、北大陸にある施設の管理についてはおまかせくださいませ。何かあればご相談させていただきます。」
執事のオットーが言った。
「そうですよ。ローランド殿のことは頼りにしているのです。これからもお世話になりますからね。」
公爵夫人は優しくそう言ってくれた。
「ありがとうございます・・・。」
涙が出そうだった。長い間不義理をし続けてきた自分に、この家の人々はこんなにも温かく接してくれる・・・。
(ここは私の家だ。守るべき、私の大切な・・・。)
もう何があっても迷うまい。この家を、この家に関わるすべての人々を、そして誰よりも愛する妻であるセルーネを支えていこう。それがきっと、子供達の将来へもいい影響を及ぼすだろう。ローランドは誓いを新たにした。
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101章の話と同時進行なので特に続きません