「くそ!」
部屋に戻ってハディは、腹立ち紛れにゴミ箱を蹴飛ばした。剣技試験に合格してこの部屋に案内されたとき、案内してくれた剣士が言ったのだ。『この部屋に次に来るのはお前の相方だな』と。だから今日、剣技試験の合格者が出た、しかも男だと聞いたとき、ハディは期待した。てっきり自分の部屋に来るものと思っていた。
「こんなことじゃ・・・いつまでも親父に追いつけやしない・・・。村の再建だって・・・」
入団してから、訓練場でも食堂でも、自分より強そうな剣士を見つけては勝負を挑んだ。少しでも強くなりたい、ハディはそれしか考えていなかった。だが、精鋭ばかりと言われているはずの王国剣士達は、勝負を挑まれてもあまり相手にしてくれない。『王国剣士に必要なのは強さばかりじゃないぞ』『敵に勝ちたかったらまずは自分に勝つことだ』などと、まるで教会の神父の説教みたいなことばかり言われて、腹の立つことばかりだ。
「ふん、結局みんな逃げてるだけだ。ま、新人剣士と勝負して負けたりしたらみっともないもんな。」
実際には、ハディは王国剣士達に勝負を挑んで勝てたことがない。せいぜい互角がいいところだ。だがハディはそのことを深く考えようとはしなかった。『次に勝てばいい』その思いばかりに囚われて、次々に勝負を挑んでは負けるの繰り返しだ。とにかく明日は朝早く出掛けなければならない。荷物の準備はしておこう。そう考え、ハディは背負い袋に着替えを詰め込んだ。
「ただの研修じゃなくて2次試験だなんてばらしたら、それこそカインが不合格になっちまうし・・・。せめてどこのポイントで試されているかがわかれば、対策の立てようもあるんだが・・・。」
ハディの時の『研修』は、城下町の中だった。先輩と一緒に町の中を見回りし、武器屋に寄って荷物をもらってくる、その程度のことだったのだが、途中でスリに遭い、大変な目に遭った。その騒動の後、剣士団長から『実はこれがお前の2次試験だった』と言われて、『使いっ走り』を命じられてさんざん文句を言いながら任務に当たっていたハディは一年分くらいの冷や汗を一気にかく羽目になった。だが不思議なのは、『いったいどこで剣士団長が見ていたのか』と言うことだ。先輩剣士は確かにずっと行動を共にしていたから、報告はしてあるだろう。しかし、その先輩剣士がいないところでしゃべったことや、1人の時にスリの親玉に啖呵を切ったことまですっかり知られていたのだ。
「まさかスリにまで試験のことを言っておくはずはないし・・・。」
スリの親玉とは実はオシニスだったのだが、ハディはそんなことにまったく気づいていない。
「とにかく、明日の研修では気が抜けないな・・・。現れる奴全部疑ってかかるくらいでないとな・・・。」
ハディはあきらめたようにため息をついて、明日の準備を調えはじめた。
「今回は城下町の外だって言われたけど、どの辺なんだろうなあ・・・。何日かかかるってランドさんは言ってたけど、せめて場所くらい教えてくれてもいいのにな・・・。」
『カインの研修は城下町の外を予定している。何日かかかるから、着替えも多めに持っていけ。あと、剣士団長から行き先を聞いたあと、食堂のおばちゃんに声をかけろよ。旅の間の食材を準備してくれることになってるんだ。』
ランドはそう言ってハディにテントなど野営に必要なものを手渡した。だが、どこへ行くのかとか、どんな研修なのかについては『剣士団長から聞け』としか言われず何も教えてもらえなかった。
「まったく、サポートにつくにはそれなりに予備知識も必要なはずなのに、ランドさんは何を考えているんだよ。」
実はこの研修で、ずっとハディが気にしている『カインとのコンビが実現するか』についても試されることになっているので、ランドはあえて何も言わなかったのだ。
「そうだなあ・・・。いくら遠くても一ヶ月もかかるような場所は北大陸の北部にはないはずだから、着替えはだいたい4〜5日分用意しておけば大丈夫かな。テントを渡されたってことは宿には泊まれないってことだろうから、途中洗濯も出来ないし・・・。」
ブツブツとつぶやきながら、ハディは荷物を背負い袋に詰め込んだ。テントや敷物、それに鍋とフライパンなど、ほんの数日でもそれなりに荷物は多い。
「よし、カインの奴に半分くらいもってもらうか。これで、あとは食材だけだな。そういやカインの奴、メシぐらい作れるんだろうな・・・。」
ハディだって料理は得意じゃない。だが、それも王国剣士になるためには必要だと割り切って、多少の料理を作れる程度までは頑張った。もっとも、作れないなどと言っていられない事情もあったわけだが・・・。
「そういやもうすぐメシの時間か。カインの奴、食堂に来るかな。」
もしも食堂で会えたら、食事の支度が出来るかどうか聞いておこう、ハディはそう決めて、部屋を出た。
カインは訓練場に向かっていた。ランドに尋ねたところ『お前はもう王国剣士なんだから、好きに使っていいんだぞ。』と、場所を教えてもらったのだ。ランドとも、もはや『採用担当官と入団希望者』ではなく、王国剣士の先輩と後輩として気軽に話せる。そんな何気ないことが、カインにはたまらなくうれしかった。やがて通路の前方から、剣戟の音が聞こえてくる。ここが訓練場らしい。
「うわぁ、広いなあ・・・。」
カインは扉を開けて驚いた。この訓練場はかなり広く、何組もの王国剣士達が立合をしたり、素振りをしたりしている。天井を見上げると大きなランプがずらりとつり下げられて、かなり明るい。
「さてと、まずは隅っこで素振りでもさせてもらうか・・・。」
辺りを見回し、空いていそうなところで剣を抜いた。その時
「いったぁ〜〜〜い!」
いきなりドスンと言う音と共に、すっとんきょうな叫び声が聞こえた。間違いなく女の子の声だ。
「ちょっとぉ、そんなに力入れることないじゃないの!」
「力入れないでどうすんのよ!?あんた来週から行く場所がどう言うところかくらいわかってんでしょうね!?」
「わかってるわよ!もう何度も行ってるんだから!」
「だったら文句言わないの!ほら立って!続きをやるわよ!」
カインがいた場所の隣で、立合をしている剣士達だった。カインとそう歳も違わないくらいの女の子が2人、間違いなく剣士団の制服を着て剣を交えているのだが、今の声は片方が足を滑らせたか何かしてしりもちをついたらしい。もう1人が剣を構えたまま怒っているようだ。
「ちょっと待ってよ!少し休憩しましょ。来週から行く場所がどう言うところかわかってるなら、時にはきちんと休憩することも必要よ。」
「・・・仕方ないわね・・・。少しだけよ。」
ぽかんと見つめているカインに、さっきまでしりもちをついていたほうの剣士が気づいた。
「あら?見かけない顔ね・・・。もしかして、今朝合格した2人目の新人剣士ってあなたのこと?」
「あ、ああ、カインです。よろしく。2人目って・・・いつから2人目なんだい?」
「今年に入ってからよ。今朝採用カウンターの前を通ったらランドさんが御機嫌だったから、聞いたのよ。『いいことあったんですか』って。そしたら、『やっと今年2人目が出たぞ』って。」
「へえ・・・。」
仮入団の手続きをしていたときは、ランドはそんなそぶりを見せなかった。採用担当官にとって、新人剣士の入団なんてめずらしくもないことだろうから、まさかそんなに喜ばれているとは思いもしなかった。またカインはうれしくなったが、ふと気づいた。今年に入ってから自分が2人目と言うことは・・・さっき出会ったハディが1人目と言うことになる。まさか剣士団への入団希望者はそんなに少ないのだろうか。不安になったカインは、2人に聞いてみた。
「まさか!希望者はかなりいるのよ。もっとも・・・私達が受けた頃よりは少なくなってるけどねえ・・・。」
「君らは・・・あ、いや、先輩に君ってのは失礼か・・・。」
慌てて口ごもるカインに、2人は笑い出した。
「いやぁねぇ。そんなこと気にしなくていいのよ。ここでは、先輩も後輩もそんな序列は一切ないの。私達のような一般の剣士は、入団してから何年過ぎていようとみんな横並びよ。私達より偉いって言うなら、剣士団長と副団長、この2人ね。」
「そ、そうなのか・・・。」
「だから!私達に気を使うことなんてないわ。私はカーナ、こっちがステラ、カイン、これからよろしくね。」
「よろしくな。えーと、カーナと、ステラ。」
カーナはカインと同じ歳だと言った。ステラは一つ下だそうだが、どう見てもステラのほうが大人に見える。見た目がどうのと言うことではなく、ステラには落ち着きがあるような気がした。2人の会話を聞いていても、賑やかなのはカーナのほうで、ステラはどちらかというとカーナの手綱を引っ張っている、そんな印象を受けた。2人と握手を交わしたカインは、せっかくなので剣士団のことをいろいろと聞いてみた。この2人は入団して3年だそうだ。2人が採用試験を受けに来たころは、採用カウンターにも順番待ちが出来るほどだったらしい。数が来れば、そこそこ合格者も出る。だが、それ以降は減り続けているそうだ。
「もっとも入団希望者が来ないと言うより、合格できる水準の人が来ないって言う方が正確かなあ。今年になってから、何人も来てるのは来てるのよね。」
「そうねぇ。そしてその人が帰った後、ランドさんが愚痴ってるのよね。」
ステラが笑った。
「そりゃねぇ、剣だけは水準以上じゃないと、次のステップに行けないもん。」
「次のステップって言うのが、研修のことなのか・・・。」
「まあそうね。そこできちんと勤め上げれば、晴れて正式入団よ。」
「正式入団か・・・。」
明日からの研修ですべてが決まると思っていいかもしれない。カインはいっそう気を引き締めて研修に臨もうと心に誓った。そして、いささか気が早いかも知れないが、正式に入団できたときのために、もう少し2人から話を聞くことにした。入団して3年が過ぎた2人は、今年からこの国の政治の中枢と言うべき執政館や、国王フロリア様の住まいがある乙夜の塔の警備ローテーションに入ったという。この『入団して3年』というのは一つの節目となるらしく、北大陸の中でもモンスターの動きが活発な南地方への赴任も、基準は『入団して3年』だということだった。だが
「南地方に関しては、腕のほうが追いついてくれば年数は関係なく行けるようになるのよ。あたし達が行けるようになったのだって入って2年くらいの頃からだものね。」
「そうねぇ。」
「へえ・・・すごいんだな・・・。」
「入って1年で行けるようになった人もいるわ。それは人それぞれよ。同期入団ならそういうことで競争したりすることもあるけどね。」
ステラが笑った。笑うと2人ともどこにでもいる普通の女の子と変わりない。カインは隣の家に住むモルクの妹の双子、ミーファとリーファを思い出していた。2人はいまごろどうしているだろう・・・。
「ねぇ、そろそろお昼よ。ご飯食べに行かない?」
言いだしたのはカーナだった。そう言えば腹が減っている。
「ねえカイン、食堂に一緒に行きましょ。案内してあげるわ。」
「それじゃ頼もうかな。正直言うと、王宮の中は広すぎて迷子になりそうだなと思っていたんだ。」
「決まりね。ささ、行きましょ行きましょ。」
2人は楽しそうに立ち上がり、カインを追い立てるようにして訓練場を出て行った。
「・・・あれが今日合格したって奴か。」
さっきからカーナ達の賑やかな声が、訓練場の反対側の入口まで聞こえていた。そのあたりで訓練していた剣士達が、実はカインのことを観察していたのだ。
「そうらしいな。体格はよさそうだし、力もありそうだ。こりゃいい線いくかな。」
そんな会話を交わしていたのは、セルーネとティールのコンビだった。セルーネとは実はこの国の貴族達の中で最古の家柄を誇る、ベルスタイン公爵家の末の姫だ。だが、髪こそ長く伸ばして一つに束ねているものの、みんなと同じ剣士団の制服に身を包み、腰には大剣を下げている。どこをどう見ても『公爵家のお姫様』には見えない。話す言葉も男性剣士と同じような言葉遣いだ。一方ティールというのは落ち着いた物腰で、セルーネと同じような大剣を腰に下げている。剣の腕だけでなく治療術にも長けていて、人望も厚い。2人は入団して10年、今では剣士団長と副団長の補佐まで務めるようになっていたので、今日の朝合格した今年2人目の新人剣士について、ある程度の予備知識をすでに得ていた。
「貧民街の出身だと聞いていたが、卑屈なところもなさそうだな。剣はのびのびとしているとランドが言っていたが、なるほど、変にひねたところはないみたいだ。ああいう奴は伸びるぞ、ティール。」
「そうだな。しかしめずらしいな。貧民街の住人達は、普段なら王国剣士なんて職業に見向きもしないものだが。命の危険は大きいのにたいした金は稼げないときてる。あれだけの体格なら、力仕事のほうが確実に稼げるだろうに。」
「しかしもったいない話だ。商業地区の広場に集まる周旋屋達は、人夫の家がどこにあろうが気にしないってのは誰でも知っていることだが、実は王国剣士団もそんなことはまったく気にしていないんだがな。ま、もう少し待遇がよければ、人も集まるんだろうが、我々が3日も働いて、やっと人夫の一日分と同じ程度の給料しか出せないってのがな・・・。情けない限りだ。」
「仕方あるまい。今の状況では、本来ならば人を雇うのも財政的には厳しいくらいだからな。」
王国剣士の給料は、はっきり言って少ない。もっとも若い剣士は宿舎を与えられ、食事もただで食べられるので、生活にはそれほどお金はかからないはずだ。とは言ってもあまりに給料が少ないといくら働いても何の楽しみもないし、第一結婚も出来ない。金銭的な理由で優秀な剣士が退職してしまったりすることのないよう、結婚して宿舎を出た剣士には多少給料の上乗せがされるのだが、それでもまだまだ充分とは言い難かった。それはなぜか。最近になってモンスター達が妙に活性化してきている。王国剣士を増やして警備にあたらせるのはもちろんだが、実力の伴わない者をいくら増やしたところで怪我人が増えるだけだ。そこで、国民がある程度は自衛できるようにと、武器防具の生産を大幅に増やしているのだ。良質の武器防具が市場に安く出回れば、多少なりとも腕に覚えのある者は防具に身を包み、武器を携え、自分で自分を守ることが可能になる。
「だが王国剣士は増やさなければならん。武器や防具をいくら大量に生産したところで、きちんと使いこなせる者が使わなければ、無駄に怪我人や死人を増やすだけだ。正直なところ、フロリア様には武器防具の生産よりも王国剣士団のほうに予算をまわしていただきたいものなんだがな。」
「御前会議ではどうなんだ?そんな話は出ていないのか?」
「父が進言して、何人かの賛同者が出ているようだが、この手の話には必ずと言っていいほどいい顔をなさらない『あのお方』がいるからな。それに、フロリア様も乗り気でないそうだ。まあ剣士団に予算をまわしたことでハース鉱山の生産力が落ちるようでは、それはそれであんまりよくないことだからな。」
セルーネの父親であるベルスタイン公爵は本来御前会議の大臣ではないのだが、エルバール王国では王家の次に古い家柄で、しかも当代の公爵は賢人としても名高く人望も厚い。エルバール王国の最高神官にして御前会議の筆頭大臣を務めるレイナックから請われて、時折助言者として御前会議に顔を出している。
「まったく・・・また『あのお方』か・・・。」
2人が言う『あのお方』とは、フロリア女王の叔父であり、現在の王位継承権第一位にあるエリスティ公爵だ。王室典範によれば、長子が王位に就いたとき、その兄弟姉妹は公爵家を創設して臣下に降るのが通例だ。エリスティ公爵も一度はフロリアの父親である兄の即位に伴って臣下に降ったが、その兄が急逝し、幼かったフロリアとの王位継承争いが起きたとき、『フロリアを王位に就けるのを認める代わりに、私を王位継承権第1位につけ、王族の身分を復活させよ』との条件を出したのだ。エリスティ公爵の王位に対する執着は凄まじく、常に姪であるフロリア女王の失脚を狙っているとも言われている。
「ま、御前会議でのことは我々にはどうしようもない。今はとにかく出来る範囲で精一杯やるしかないのさ。それよりカインの2次試験だが、この間入ったあのハディって奴がサポートだそうだな。」
「ああそうだ。ランドの奴、だいぶ迷っていたみたいだが。」
不意にセルーネが笑い出した。
「なんだ?」
「いや、ランドの奴、迷うと必ずライザーを引っ張り出すよなと思ったのさ。」
「ははは、確かにそうだな。」
採用担当官という職に就いているのはランド1人だが、2次試験の試験官であるオシニスはもちろん新人剣士の資質を見極める立場にある。たいていの場合、この2人の意見を元に剣士団長が合否を判定したりコンビの組合わせを考えたりするのだが、今回のように、サポートにつける剣士と新人剣士を組ませるかどうか迷ったとき、ランドは必ずと言っていいほど、オシニスとライザーが2人で出掛けることになるような試験のコースを選び出すのだ。これはつまり『オシニスだけでなくライザーの意見も聞かせてくれ』というランドのメッセージのようなものだった。
「本当なら、3人とも採用担当をやってほしいくらいだからな。」
彼らの目の確かさは充分信頼に値する。
「カイン達が出かけるのは明日だろう。結果についてはあの2人の報告を待つことにして、メシに行かないか。午後からは少し城壁の外に出てみよう。」
「そうだな。行くか。」
「お、来た来た。」
ハディが食堂で食事をしていたところに、カインがカーナ達と一緒に入ってきた。
「さっそくあの2人に声をかけられたか・・・。」
カーナとステラは気さくな先輩剣士だが、例によってハディは2人にも勝負を申し込んだ。結果は、多少なりともダメージを与えることは出来たものの、ハディの完敗だった。正直なところハディはおもしろくなかったが、現在あの2人は自分より強いのだから仕方ない。
「くそ!女に後れをとるなんてみっともないったらありゃしない。」
ハディは賑やかにカインに話しかける2人を後ろから押しのけるようにして、カインに声をかけた。
「ああ、ハディか。どうしたんだ?」
カーナ達の話はとりとめがないが、聞いていて不愉快になるような内容ではない。よくもまあ次から次へと話が出てくるものだと感心して聞いていたが、ハディはそんな2人を押しのけて、むりやり話の腰を折ってカインに話しかけてきた。ハディが意地の悪い奴には見えなかったが、それにしても初めて会ったときからどことなく苛立っているような、常に何かに対して怒っているような印象を受けていた。それが何なのか、カインにはわからなかった。
「ちょっとハディ、押しのける前に言うことがあるんじゃないの?」
思った通り、ステラは不愉快そうにハディを睨んだ。
「悪かったよ。俺は急いでたんだ。」
いかにもうるさそうにそう言うと、ハディはステラにかまわずカインに話しかけた。
「おい、お前メシ炊きぐらいは出来るんだろうな。」
「メシ・・・?」
カインはきょとんとしている。
「明日からの研修だよ。今回は城下町の外だって聞いたんだ。いったん外に出たら、メシを食うためにここまで戻ってくるわけに行かないんだぞ。自分達でキャンプしてメシの準備をするんだ。何かしら作れるものはあるんだろうな?」
「うーん・・・。」
カインは父親が亡くなってからずっと一人暮らしだった。確かに食事を作ろうと思えば作れないこともない。だが、カインにとって食事の支度はモンスターよりも手強いものだった。出来れば手を出したくないほどだ。
「なんだよ、何にも作れないのか・・・。」
ハディは呆れたように呟いた。自分だって得意ではないが、片腕を失って仕事が出来なくなった父親の代わりに母親が働きに出ていたハディの家では、子供達が家事を分担して生活していた。それに食事の支度を覚えることは、王国剣士団での活動にも役に立つ。そう考えてなんとか覚えたというのに・・・。そう考えるとハディは腹が立ってきた。
「そりゃ王国剣士にメシ炊きは不可欠ってわけじゃないがな。そのくらいのこと覚えておけよ!」
そう怒鳴って、ハディはさっさと自分の席に戻った。お昼の時間も半ばとなり、王宮内で日勤の剣士や非番の剣士が大勢食事のために列に並んでいる。ハディから少し離れたところで列に並んでいたカーナとステラが、ハディの剣幕に押されてぽかんとしているカインに声をかけた。
「早くこっちに並んで。あたし達の前に入れてあげるから!」
ステラに促されてカインも列に加わったが、食事の支度が出来ないくらいのことで何でそんなに頭ごなしに怒鳴られたのか、カインは今ひとつピンときていない。それを察したのかカーナがカインの肩を叩いた。
「気にすることないわ。ハディってここに来てから毎日怒ってるみたいなものだから。」
「あ、ああ・・・ありがとう・・・。」
カインはずっと一人暮らしだったが、実は食事のほとんどは隣の家で食べていたのだ。幼なじみのモルクとその父親マーレイと一緒に力仕事に出掛けることが多くなっていたカインは、朝出掛けるのも帰るのもほとんど二人と一緒だった。モルクの母親であるレイラはいつもカインの分まで食事を用意してくれていた。その食事を作るためのお金を、レイラはどうしても受け取ってくれなかったので、カインは時々市場で野菜や小麦粉などを買ってはレイラに渡していた。そのためか食材を見る目はそこそこ確かだと自負しているが、作る方はさっぱりなのだった。
「メシを作ったのなんて・・・親父が生きていた頃にジャガイモのスープを作った程度だもんなあ・・・。」
それももうずいぶんと昔の話だ。
「食事なんてそのうち何とかなるわよ。それより、『俺と勝負してくれ』なんて言われなかった?」
「勝負って、剣の?」
「そうよ。あ、そう言えば、ハディってあなたの研修のサポートにつくのよね?」
「そうだよ。」
「そっか。きっと明日からの研修で、あなたのお手並み拝見、てことになると思うわよ。」
「君達は言われたのか?」
「言われたわよ。正式入団が決まった日の午後にね。」
「へぇ、で、相手をしたのか?」
「仕方ないわ。ウンて言うまで離れないし、そのうち負けたらみっともないからだろうなんてバカにし出すし。」
「一度ガツンとやっておいたほうがいいかなと思ったのよ。」
ニッと笑った2人の顔を見れば、勝負の結果は一目瞭然だ。二人は入団して2年で南地方の警備に出掛けるようになったのだから、それから一年かけてかなり腕が上がっているはずだ。ハディの剣がどの程度かはわからなかったが、それでもこの2人に勝つのは難しいだろうと思えた。
(俺だったら・・・どうだろうな・・・。)
2人がかりでかかってこられれば勝ち目はないだろうが、1人ずつならあるいは・・・。
「ふん、さっそく俺の噂か・・・。」
カーナ達の声は、ハディが食事を終えてお茶を飲んでいる場所まで聞こえてきていた。ハディとしては納得がいかないが、彼女達2人に完敗したのは確かだった。自分としては、ずいぶんと頑張って訓練してきたつもりだった。父親はハディと立合こそ出来なかったが、基本的なことから実践まで、知っている限りのことをいろいろと教えてくれた。その父親が、王国剣士団への入団試験を受けに行く息子にはなむけの言葉として送ったのがこの言葉だった。
『自分のやり方を見つけろ』
借り物でない自分だけのやり方が見つかれば、必ずお前は強くなれると、父親は息子の肩にしっかりと手をかけて、笑顔でそう言ってくれた。剣士団に合格出来たのは父親のおかげだと思っている。だが、ここから先は自分の力で強くならなければならない。そのためには訓練あるのみだ。
「そう言う意味では・・・明日からの研修は貴重な実践の時間だ。ま、カインなら俺の足を引っ張ることはないだろう。せいぜい腕を磨かせてもらうか。」
そんなハディの思惑を知らないカインだが、実はこの研修にカインが抱いている思いが並々ならぬものであることを、ハディもまた知らなかった。
翌朝、カインとハディは剣士団長室の前にいた。ハディは入団してから何度か会っているが、カインは剣士団長と会うのは初めてだ。
「緊張するな・・・。」
「今からそんなにかしこまっていたら、中に入るなりぶっ倒れるぞ。」
ハディがめずらしく冗談めかして言った。
「そ、そんなにすごい人なのか?」
「存在感は圧倒的だ。早く入ろうぜ。中で確かめればいいさ。」
ハディはそう言って扉をノックした。
「開いているぞ、入れ。」
中から聞こえてきたのは、低めの落ち着いた声だった。
「ハディです。昨日合格した新人剣士カインを連れて参りました。」
カインはハディの後について剣士団長室に入った。剣士団長は机に座っていたが、2人を見て立ち上がった。かなり背が高い。身につけているのは美しく金色に輝く鎧だ。そして豪華な縫いとりのある若草色のマントを身につけている。豊かな金髪は波打ちながら肩の下まで伸びていて、彫りの深い端整な顔立ちをいっそう際立たせていた。なるほどハディの言うとおり、圧倒的な存在感だ。
「剣士団長パーシバルだ。カイン、会うのは初めてだな。剣士団の宿舎はどうだ?居心地が悪いとか、何か不便なことがあれば遠慮無く言ってくれていいぞ。」
「と、と、とんでもないです!あ、あの、カインと申します!よろしくお願いします!」
カインはすっかり舞い上がっていた。確かにこうして向かい合うのは初めてだが、カインは剣士団長を知っている。『剣士団長パーシバル』と言えば、『エルバールの武神』と讃えられるほどの剣の使い手であり、王国剣士団の長として、エルバール王国の守りを一手に引き受けている人物だ。この町に住む誰もが彼を誇りに思っていた。
「ははは、そうかしこまらなくていい。君は今日からしばらく研修に入るわけだが、まずはここにいるこのハディと一緒に、簡単な仕事をしてもらうことになる。それは聞いているな?」
「はい!」
「おいカイン、いちいちそんなにデカい声で返事しなくていいんだよ。廊下にまで聞こえちまうじゃないか。」
ハディが呆れたように言った。
「あ、ああ、そうか・・・。す、すみません・・・。」
カインは思わず赤くなった。小さな頃に王国剣士への道を志してから、剣士団長パーシバルはカインにとってあこがれの存在だったのだ。フロリア様の誕生日を祝う一般参賀の時、護衛剣士と一緒にフロリア様のそば近くに控えている剣士団長を、カインはいつも羨望の眼差しで見つめていた。剣の腕を磨いて、いつかあんな風に堂々とフロリア様を守ることが出来たなら・・・
「緊張感を持つのは悪いことじゃない。だが、緊張しすぎるとうまくいくことも失敗する。例えそれがどんなに簡単なことでもだ。」
剣士団長はそう言って、少しだけ笑った。
「ではカイン、君に今回の研修内容を申しつける。君はローランの南東に広がる原生林を知っているか?」
「はい。行ったことはないですが、確かローランの南側から北大陸南地方に抜けるための道がある、山岳地帯の麓ですよね。」
「そのとおりだ。問題は原生林ではなく、その山岳地帯にある。」
カインはホッとした。この程度の質問にも答えられないようでは、これからこの国を守っていくことなどできやしない。
「山岳地帯ですか・・・。」
ハディが尋ねた。
「そうだ。その山岳地帯で、最近山賊の被害が出ているとの報告がある。」
「山賊・・・?それじゃそれを退治に?」
カインの言葉に、剣士団長が笑い出した。
「残念ながら、そこまでは期待していない。」
「どう言うことです?」
カインが思わず尋ねた。少し声が大きくなっていたかも知れない。
(カインの奴、そんな言い方をして剣士団長を怒らせたら・・・。)
今の剣士団長の言葉は確かに聞き捨てならないものではあるが、ハディは黙っていた。ハディはもちろん、この『研修』がカインの2次試験であると知っている。だが、ではどこで見られているのか、どこで試されているのか、合格と不合格を分けるポイントはどこなのか、それがわからず少し焦っていた。今の剣士団長の言葉は、わざとバカにしたのか、それとも自分達はまったく戦力外だとわからせるのが目的なのか・・・。
「言葉通りの意味だ。入って間もない新人剣士と、その新人剣士になれるかどうかもわからない者に、そこまでの仕事をさせては荷が重すぎるだろう。いいか?ハディ、カイン。山賊を見かけたら、出た場所と被害に遭っていた人の数を記録して報告しろ。絶対にお前達だけで向かっていったりするな。あのあたりの山賊は凶暴だ。お前達の腕では、返り討ちにあうのがせいぜいだからな。」
「そ、そんな・・・。」
研修で華々しい活躍などしたかったわけじゃない。だが、まるで山賊に出会ったらしっぽを巻いて逃げ帰ってこいと言われたようで、カインは悔しかった。なのにこんな時にこそ一番怒り出しそうなハディは、黙ったままだ。
「おいハディ、なんとか言えよ。君は悔しくないのか?」
「だがこれがお前がこれから向かう研修なんだ。いやならやめろよ。ただし、ここで引き返せば確実に不合格だ。剣士団長、そういうことじゃないんですか?」
「まあそう言うことになる。カイン、これはあくまでも君の研修だ。いやなら受けなくてもいいが、受けなければ君の合格はあり得ない。」
カインはグッと言葉に詰まった。ここまで来て、不合格だなんてごめんだ。どんなに納得のいかない仕事でも、剣士団に入った以上はやらなければならない。これが現実なのか・・・。
「わかりました。調査して、報告します・・・。」
言い終えるなり、カインは悔しさに唇を噛み締めた。
2人は地図を渡され、今回向かうポイントを指示された。『山岳地帯を通る旅人はだいたいこのルートを辿る。すれ違う旅人とは必ず会話をしておけ。山賊達はおそらくそのあたりに潜んでいるだろう。気をつけないと後ろからばっさりなどと言うことになりかねないから、気をつけて行けよ。』
何から何まで納得のいかないことばかりだ。王宮を出て、城下町の西門から町の外に出た途端、カインは怒り出した。
「まったく・・・何なんだよ!?あの剣士団長の言い方は・・・!」
思い出すたびに腹が立つ。
「仕方ないじゃないか。俺達はまだ新人なんだ。まともに山賊を討ち取れるなんて思っていやしないのさ。」
そう言うハディも腹は立っていた。だが、おそらくはこの道中のどこかで誰かが自分達を試している。そう考えると、カインのように怒ってばかりもいられない。試験のことをカインに言うことが出来ない以上、自分が気をつけておくしかないのだ。だが、妙に思案げなハディにカインは不満だった。強くなりたいとだいぶ大騒ぎしているように聞いていたが、肝心なときにだんまりだ。まったくこのハディって奴は何を考えているんだろう。
(報告だの記録だの・・・王国剣士の仕事じゃないよ・・・。剣士団が山賊ごときにそんな弱腰で・・・どうするんだ・・・。)
カインの苛立ちがまわりの空気をぴりぴりさせたのか、道の脇の茂みから、モンスターがちょこちょこと顔を出す。モンスターに向かって剣を抜こうとしたカインにハディが言った。
「殺すなよ。王国剣士はモンスターを殺してはいけないんだ。脅かしたり傷つけただけで奴らは逃げていくから、深追いはするな。」
「わかってるよ。『不殺の誓い』だろう?」
「知っているなら話は早い。そう言うことだ。」
「そりゃ知ってるさ。俺はこの町の生まれだからな。」
「そうなのか。そう言えば俺達、まだお互いのことをよく知らないよな。まあお前はさっきカーナ達からいろいろ聞いたかも知れないが。今日の夜のキャンプ地で、自己紹介と行こうじゃないか。」
「ああ、わかったよ。」
さりげなく『そりゃ知ってるさ』などと言ってはみたが、カインは内心ドキドキしていた。
『不殺の誓い』
王国剣士を目指したときから、カインがいつも心の中で夢見ていた光景が、『フロリア様の前で不殺の誓いを立てる自分の姿』だったのだ。
(その時が、今目の前まで来ているんだ。何が何でもこの仕事を成功させなければ・・・。どんなにバカにされたって、俺にはそれ以外の道はないんだ・・・。)
苛立ちながらも次々現れるモンスターをなぎ倒していくカインを見て、ハディはホッとしていた。これなら自分も戦闘に専念できる。そしてこいつなら、コンビを組んですぐにでも仕事に出られるようになるだろう。
(ふん!相性だの何だの、ばかばかしい!強い奴を2人で組ませればそれだけ仕事の能率が上がるじゃないか。見てろ!ランドさんにも剣士団長にも必ず認めさせてやる!)
その日の野営地は、地図で指定されていた。どこで野営してもよさそうなものだが、キャンプ場所はある程度整備されているので、そこを使うようにとの指示だった。そういった旅人のためのキャンプ地は、北大陸各地にあるらしい。
「何でも極北の地には山小屋もあるそうだぜ。」
「へぇ、行ったことがあるのか?」
「まさか。あんな寒い場所にわざわざ行くか。ただ、旅人ってのはいろんなところに行くからな。道に迷ったりすることもあるから、そのための避難所も兼ねているんだろう。まあ王国剣士となったからには、いずれはあっち方面の警備にも行くようになるんだろうけどな。」
テントを張って薪を集め、食事の準備を始めたが、案の定カインは食事の支度には手を出さず、専ら薪集めなどの力仕事ばかり買って出ていた。
「なあ、お前本当に何も作れないのか?」
「作ったことがないわけじゃないが、ずいぶん前だよ。もう忘れちまった。」
「でもこれから困るじゃないか。王国剣士の仕事は城下町の中より外が多いんだぜ?」
「1人で歩くわけじゃないんだからいいさ。相方に頑張ってもらうかわりに、薪集めやテント張りは任せてもらうよ。」
「まったく・・・。」
ハディはもう少しで『俺が困るんだよ!』と言いそうになったが、何とかこらえた。カインとコンビを組めるかどうかはまだ決まったわけじゃない。そうなるとは思っているが確定しない限りはうっかりしたことは言えなかった。手を出さないと言いきったカインは、なるほどハディが作ったあまり見栄えのよくないごった煮を、うまいうまいと平らげた。ここで出されたものに文句をつけるようならガツンと言ってやろうかと、ハディは少し身構えていたのだが、そんな心配は要らないようだった。
「それじゃそろそろ自己紹介と行くか?」
この自己紹介も、ハディがさりげなくカインのことを知っておこうという考えからだ。一緒に仕事をするのならば、相手のことをよく知らなくてはならない。
(相方になるならなおさらな・・・。)
「まあ俺のことは、多分カーナ達からいろいろ聞いていると思うがな。」
カインは少し迷っていた。貧民街の出だと言うことを口に出して、果たしてハディは何と言うだろう。あの町を恥じているわけじゃない。ただ、王国剣士として王宮の中で暮らしていく以上、まわりとの無用な摩擦は避けたかった。だが・・・
「お前がどこまで聞いているかわからないが、俺の住んでいた村がモンスターのせいで壊滅したのは確かだ。俺は必ず村を再建する。そのためには強くならなくちゃならないんだ。」
その後ハディは、村から逃げるときのモンスターとの戦闘で父親が片腕をなくしたこと、家は貧しく、働けなくなった父親の代わりに母親が働きに出、そのために自分を始めとした兄弟達が家事を分担して何とか暮らしていたことなどまでも話してくれた。あまり人には話したくないこともあっただろうに、ハディは自分のことを隠そうなどと言う気はないようだ。カインは恥ずかしくなった。そしてこれから先、誰から何を聞かれてもありのままを答えよう、そう心に決めた。
「俺は城下町の出だよ。王宮に隣接している貴族達のお屋敷群があるだろう?あの1本裏の通りにある貧民街が俺の故郷さ・・・。」
物心ついたときには母親はすでに亡く、父親が貧しい中で自分を一生懸命育ててくれたこと、だがその父親が亡くなってからは、隣の家の幼なじみの両親が自分の親代わりだったことなどを、ハディに聞かせた。だが、王国剣士を志した動機についてだけは、『この国を少しでも変えていきたい』とだけ言うにとどめておいた。この国の女王陛下であるフロリア様のおそば近くに仕えるのが目的だとは、さすがに誰にも言う気になれなかったのだ。
「なるほどな・・・。つまり、お前は一人暮らしをしていたにもかかわらず、メシの心配はしなくてよかったと、こういうことか。」
「ま、そういうことさ。恵まれていたとは思うよ。だけど、お前・・・あ、いや・・・」
「お前でいいよ。どうせこれからずっと同期で仕事をすることになるんだろうしな。」
「そうなれればいいがな。」
「なってもらわなきゃ困る。俺がサポートにつくんだ。絶対に合格してもらうぞ。」
「はは、そうだな。お前はすごいよな。俺はお前みたいに、メシの支度まで王国剣士の仕事のためだなんて考えようとも思わなかったよ。」
「俺は王国剣士の仕事がどう言うものか、聞いていたからな。」
「へぇ、教えてくれる人がいたのか。」
「ああ、親父の知り合いで、元王国剣士がクロンファンラに住んでいるんだ。その人から、少し教えてもらえたよ。試験や研修の内容まではさすがに教えてくれなかったけどな。」
「ふーん・・・。俺の住んでいたところは、誰も王国剣士なんて目指していなかったから、多分誰も知らなかったよ。王国剣士には何度か会ったことがあるけど、ずいぶんと昔の話だからなあ。はは、訊いておけばよかったかな、いろいろと。」
「現役の王国剣士だったら、多分教えてくれなかったと思うぞ。俺に教えてくれた人も、本当はあんまり人にしゃべれないとか言ってたからな。」
「なるほどな。なかなか難しいもんだな。それに、その研修が実はあんな人をバカにしたような話だなんて聞いたら、誰も試験を受けに行かなくなっちまうのかもな。」
カインは剣士団長から言われた言葉が、よほど腹に据えかねていたらしい。
「俺だって腹は立ったよ。だが、それをこなさなければ合格出来ないって言うんだから、仕方ないじゃないか。」
「それはそうだけどな・・・。」
「とにかくやるしかないのさ。そろそろ寝ようぜ。俺が先に不審番に立つから、お前は夜中に起きて交代な。」
「あ、そうか・・・。不審番もあるんだ・・・。ははは、なんだか本格的になってきたな。よし、俺は先に休ませてもらうよ。」
「ああ、任せておけ。」
このあたりのモンスター程度なら、ハディはもう充分に対処出来るようになっていた。比較的モンスターの現れやすいと言われている前半の不審番を引き受けることで、少しでもカインの負担が軽くなるようにと考えてのことだった。
「まさかとは思うが、ここまで来る間に誰かから見られていたなんてことはないよな・・・。」
ここに来るまでの道中、旅人にはすれ違った。でも大きな荷物を背負ったどこからどう見ても行商人だ。カインはだいぶ怒ってはいるようだったが、『すれ違う旅人とは必ず会話をしておけ』との剣士団長の言葉を忠実に守って、どこから来たのかや、道中何か気になったことはないかなどを尋ねていた。その商人は北大陸の西側にあるのどかな村ローランから来たのだという。今日はよく晴れていたせいか、モンスターが歩いているのを見かけることもあったが、このあたりのモンスターはそれほど狂暴ではないので、特に襲われるようなことはなかったとのことだった。
「ま、山賊を相手にしているところにモンスターにまで出てこられたらさすがに大変だからな。」
明日は剣士団長から指示された山岳地帯の頂上付近までたどり着けるはずだ。山賊は出るだろうか。山賊と出会ったとして、それをどこで誰が見ているんだろうか。見ているとしたら山賊としゃべったことまですべて報告されるのか?
「おい。」
いきなり肩を叩かれて、ハディはびくっとした。カインが起きてきている。もう交代の時間になっていたらしい。
「どうしたんだ?俺が交代するからもう休んでくれよ。疲れただろう?」
「あ、ああ、悪い。ちょっと考え事してたんだ。それじゃ俺は休ませてもらうよ。」
「お休み。」
テントに戻って寝袋に潜り込むと、思わず溜息が出た。どこで誰が見ていても、それがわからないのでは対策の立てようがない。とにかく明日山賊が出て来てくれれば・・・。
「出て来たとしても、戦ってはまずいってことか・・・。」
剣士団長の言葉をそのまま忠実に守るべきか、それとも・・・。
ハディが寝袋の中で考え込んでいた頃、カインもまた、火に薪をくべながら考え込んでいた。
「山賊が出ても戦うな、か・・・。そりゃ百戦錬磨の山賊に、俺達の剣がどこまで通用するかってのはなんとも言えないけどな・・・。」
自分達を気遣ってくれるのならば、もう少し優しい言い方をしてくれてもよかったのではないか。それとも実は奮起させて山賊と戦わせようとしているのか・・・。
「それはないか・・・。研修中の王国剣士が大怪我したとか死んだとかなんて話は、剣士団にとってはありがたくない話だろうからな。」
王国剣士としてやっていく以上は、今回のような理不尽な仕事でも黙ってこなさなければならないのだろう・・・。そう考えると溜息がでる。採用担当官ランドに「合格ですよ」と言われたときのあの誇らしい気持は、すっかり消え失せていた。
「とにかく明日か・・・。山賊が出たら、また考えよう。」
あたりはとても静かだ。もともとそれほど凶暴な『モンスター』が出るわけではない北大陸中部に、このキャンプ場はある。ハディはテントの中で、カインは焚き火のそばで、それぞれが剣士団長から言われた言葉に悶々としながら、夜は更けていった・・・。
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次回には続く
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