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  1 旅立ちの日

 
 その日カインは自分の家で荷物の整理をしていた。これからの生活に必要になるであろう下着や服の着替えを、背負い袋に詰め込んでいく。片付けはもうほとんど終わり、家の中はがらんとしていた。カインの住むこのあたりの地区は貧民街と呼ばれ、エルバール王国城下町の中でも特に貧しい人達ばかりが住んでいる場所だ。この地区の家にはほとんど奥行きなんてない。家族が食事をするための部屋、そのすぐ脇にかまどがしつらえてあり、部屋の奥にはベッドが窮屈そうに並べられている。それが「家」のすべてだった。
 
「まだ何かあったかな・・・。」
 
 タンスと呼ぶのがはばかられるような粗末な木箱の中を探っていると、昔父親が着ていた服が出てきた。何度もツギをあてて、その縫い目からまた破れてを繰り返し、これを見て服であるとわかる人はいないかもしれない。
 
「ははは・・・。着ていれば服だけど、脱げばただのぼろきれだな・・・。」
 
 カインはつぶやき、少しの間そのぼろきれを見つめていた。
 
「・・・父ちゃんには悪いけど・・・いつでもここに帰ってこられるっていう甘えを絶ちたいんだ。ごめんな・・・。」
 
 かつて父親の服だったぼろきれの山に向かってカインは手を合わせ、それをゴミ袋の中に放り込んだ。そして壁にかけてあったレザーアーマーを身に着け、一緒に置いてある剣を腰に下げて、最後に荷物で膨らんだ背負い袋を肩にかけた。これでカインの準備は万全だ。『エルバール王国剣士団への採用試験』を受けに行くため、今日、カインはこの家を出ようと決めていた。
 
「もうここに戻らなくてもいいように・・・父ちゃん、母ちゃん、祈っていてくれよ・・・。」
 
 部屋の中には誰もいない。カインの母親はカインを産んですぐ亡くなった。父親は12年前にそれまでの無理がたたって体を壊し、回復しないまま亡くなった。それから今日までの年月を、カインはずっとここで過ごしてきた。たった一人で・・・。
 
「・・・一人じゃないか・・・。幼馴染のモルクもいたしミーファ達もいた・・・。隣のおじさんとおばさんにもずいぶん世話になったんだよな・・・。」
 
 彼らには挨拶をしていこう、そう思って部屋を出ようとした時、扉が開いた。
 
「カイン・・・。」
 
「ミーファか・・・。おはよう。」
 
「・・・おはよう・・・。行っちゃうのね・・・。」
 
「ああ・・・行くよ。君にも世話になったな、ありがとう。」
 
「そんなこと・・・。私たち幼馴染なんだもの当たり前のことだわ。それに、私もあなたにはいろいろ助けてもらったし・・・。」
 
「あんまり助けになったとも思えないけどな・・・。」
 
 ミーファは黙っていた。一年ほど前、ミーファはカインに思いのたけをぶつけて体を投げ出してきたことがある。でもその必死の思いを、カインは受け止めてやることが出来なかった。彼の心の中には、もうずっと昔からある一人の女性が住んでいたから・・・。
 
「君の父さんはもう仕事に行ったのか?」
 
「まだよ・・・。あなたが今日出かけるのわかってるから、まだみんな家にいるわ。」
 
「そうか・・・。それじゃ挨拶していかなくちゃな。これから行くって言っておいてくれないか。」
 
「そうね・・・わかった・・・。」
 
 暗い表情のまま、ミーファは部屋を出て行った。彼女のあんな顔は見たくない。でもカインにはどうすることも出来ない。
 
「ごめんな・・・ミーファ・・・。」
 
 口の中で小さくつぶやき、カインはこの部屋にもう戻らずにすむことを祈って扉を開けた。
 
 
 隣の家に入ると、一家はそろってテーブルについていた。
 
「おはよう、カイン。とうとうこの日が来たのね・・・。」
 
 隣の家のおかみレイラがカインに向かって微笑んだ。でもその目が赤い。
 
「おはようございます・・・。今までいろいろお世話になりました。おじさん、おばさん、モルク、ミーファ、リーファ、元気で・・・。」
 
 カインはポケットから家の鍵を取り出してレイラに預けた。この町の家はみんな粗末な作りだ。鍵なんて本当に『ついている』と言うだけでほとんど意味のないようなものだが、これからずっと戻らないことを考えると、浮浪者などに入り込まれたりしないように、鍵をかけて出てきたのだ。
 
「はい、確かに預かったわ。さてカイン、あなたをよく見せてちょうだい。」
 
 レイラはカインの前に立ち、大げさに首をかしげながら、カインを頭からつま先まで見渡した。カインが今着ている服は、レイラが仕立てたものだ。レイラはお針子の仕事をしている。腕はいいのだが、この街に住んでいてはたいした仕事は回ってこない。せいぜい貴族達の着るような上等な服の繕いとか、街のブティックで売る流行の服の仕事などだ。お針子として一番名誉なことは、ウェディングドレスの縫製を任されることらしいが、貧民街のお針子が縫ったウェディングドレスなど誰も着たがらない。偏見だとわかっていても、お祝い事に縁起を担ぐのは上流社会でも一般庶民でも同じことだ。そのレイラに、カインは仕事を依頼した。お金などいらないから、服ぐらいいつでも縫ってあげるというレイラに、カインは
 
「あくまでも『仕事』として俺の服を縫ってほしいんだ。おばさんの腕は確かだよ。もったいないじゃないか。」
 
そう言って『仕事』を承諾させた。このころのカインは、モルク達と同じように建築現場で働き、さらに仕事にあぶれた日は『我が故郷亭』の使い走りをしたりしながらそれなりの収入を得ていた。すべては今着ているレザーアーマーと、王国剣士団でもっとも一般的に使われているという、『アイアンソード』と呼ばれる両手持ちの重い剣を買うためだった。でも実際にお金が貯まってみると、ほしいものを買ってもまだお金が手元に残っていた。アイアンソードより上の剣や、レザーアーマーより上の防具を買えるほどたくさんではない。その他、家を出て暮らしていくためのものはもう揃えてある。
 
(本当なら・・・世話になったモルクの家に返すべきなんだろうけど、きっとおじさんもおばさんも受け取らないよな・・・。)
 
 自分がその立場になってもきっと突き返すと思う。どんなに貧しくても、この街の人間は誇りまで失ってはいない。他人からの施しなど絶対に受けたりしない。だからカインはレイラに『仕事』を頼んだ。自分の門出に着る服を1着、そしてこれからの生活で着ることになるであろう服を何着か。今までカインが着ていた服は、全部処分してしまった。長いこと着ていたものばかりだったので、さっきゴミ箱に放り込んだ父親の服ほどではないにしてもかなり擦り切れてボロボロになっていたからだ。これから着る服はとにかく丈夫な生地で縫ってほしいと前金も渡し、レイラのお針子としての『腕』に対してお金を払った。それで今まで世話になったすべての恩が返せたとはとうてい思えなかったが、残りはこれから、自分が歩もうと決めた道で成功していくことで、少しずつ返していけばいい。
 
「私の腕もなかなかのものね。いい出来だわ。」
 
 レイラは満足したようにうなずいてみせた。
 
「そうだよ。だから言ったじゃないか。もっと自信を持ってよって。」
 
「ほんとね。」
 
 レイラが笑った。
 
「もうここに戻ってくる気はないのか・・・?」
 
 レイラの夫マーレイが話しかけた。
 
「俺はこの街が嫌いなわけじゃないよ。だからいずれは戻ってくる。でもその時は・・・王国剣士として戻ってくるつもりだよ。」
 
 決意に満ちたカインの言葉に、マーレイとレイラはうれしそうにうなずいた。
 
「そうだな・・・。その時が来ることを祈ってるよ。カイン、お前の家はここなんだ。お前がいなくなってもそれは変わらない。どんな時でも、この町の人間はみんなお前を応援しているよ。だから必ず、また顔を出してくれよ。」
 
「・・・ありがとう、おじさん・・・。」
 
「カイン、お前の準備は出来ているのか?」
 
 尋ねたのはモルクだった。今彼は、父親と一緒に建築現場で働いている。貧民街の人々に対する偏見はなくなったわけではないが、それでもカインの父親が亡くなった頃よりはだいぶましになってきていた。この町に住んでいることがわかっても、そのせいで仕事を首になるなどということは少なくなっていたし、元々建築現場の仕事を人夫達に割り振る周旋屋達は、人夫の家がどこにあろうとそんなことは気にしていない。
 
「うん。家の中は片づけたし、あとはこれがあれば、俺の準備は万全さ。」
 
 カインは微笑んで、つい一週間ほど前に買いそろえたレザーアーマーと剣を指さした。
 
「剣士ってのは盾を持つもんじゃないのか?兜とかもさ。それだけで本当に大丈夫なのか?」
 
 モルクは不安そうだ。
 
「う〜ん・・・ずっと兜も盾も使ったことがなかったからなぁ。それに、今までずっと鎧もなしだったんだし、剣だってもっともろいブロンズソードで訓練してきたんだから、これだけでも充分すぎるくらいだよ。」
 
「そうか・・・。俺もお前が無事に王国剣士になれるように祈ってるよ。」
 
「ありがとう。それじゃ、みんな元気で・・・。必ず帰ってくるよ。王国剣士としてな。」
 
「カイン・・・。」
 
 モルクの妹、双子のミーファとリーファは涙をためた目でカインを見つめている。その二人にもカインは微笑んでみせた。
 
「二人とも元気でな・・・。」
 
 カインはレイラの家の扉を開け、外に出た。見慣れた景色にも、優しい隣人達にもしばしの別れを告げ、新しい人生への第一歩を踏み出した。
 
 
                          
 
 
 その日、エルバール王宮内にある王国剣士団の宿舎では、王国剣士達がいつもと変わらぬ朝を迎えていた。入団して5年になる剣士オシニスは、なんとなくぼんやりと目が覚めた。隣のベッドを見ると、彼とコンビを組んでいる剣士ライザーはもう身支度を整えて、お茶の用意をしているところだった。
 
「おはよう、オシニス。やっと起きたな。お茶の用意が出来てるよ。」
 
「ああ、おはよう。」
 
 部屋の中には不思議なハーブの香りが漂っている。ライザーはオシニスと同じ、入団して5年の剣士だ。二人は同じ日に入団試験を受けに来て、翌日一緒に研修に出た。その後コンビを組み、今に至る。ライザーは、剣士団に入る前は城下町の住宅地区にある教会が運営する孤児院にいた。穏やかな性格で、けんかっ早く怒ると口より先に手が出るオシニスとは対照的だ。彼が今淹れているお茶の原料になっていると思われるハーブは、彼が自分で育てたものだ。何でも彼の尊敬する医者がハーブや薬草の栽培をしていて、その医者からいろいろと教えてもらったらしい。植物というものは同じように育ててもなぜか人によって枯れてしまったり生き生きと大きく育ったりする。その点ライザーは植物に好かれるのか、彼が育てた植物は必ずと言っていいほど葉を茂らせてよく育つ。
 
(植物ってのも、人を見るのかね・・・。)
 
 大あくびをしながらオシニスはまだはっきりと目覚めない頭で考えた。
 
「ほら早く。お茶を飲んだら食事に行こう。今日は乙夜の塔だぞ。」
 
「わかってるよ。ふわぁ〜〜〜・・・・。」
 
 もう一度大きなあくびをして、オシニスはベッドから降りた。乙夜の塔というのは、エルバール王国の現国王であるフロリア姫の住まいがある建物のことだ。その名の通り塔の形をしている。フロリア姫は女王と言ってもまだ若い。オシニスとライザーよりも一つ下だ。美しく聡明な女王として国民の信頼と尊敬を一身に集めているが、その身分の高さ故か未だ独身である。この乙夜の塔、そして国王の執務室や会議室のあるエルバール王宮の執政館の警備は、入団してから3年以上過ぎた剣士でなければその任に就くことが出来ない。オシニスとライザーが入団後順調に実績を積み重ね、その任につくことになってからそろそろ2年が過ぎる。
 
「しっかし・・・今年は不作だなあ・・・。」
 
 オシニスがライザーの淹れてくれたお茶を飲みながら独り言のように呟いた。
 
「新人剣士のことかい?」
 
 ライザーが持ち上げかけたカップを置いて、聞き返した。
 
「ああ。ランドの奴がぶつくさ言ってたよ。ここ一週間くらい、けっこうな数が来たけどみんな剣の腕に問題ありだってさ。」
 
「剣の腕だけは一定以上じゃないと、次の試験にも移れないからね・・・。」
 
「そういうことだ。ま、俺としては余計な仕事が入ってこない分、警備のローテーションできっちり仕事がこなせるからいいけどな。」
 
「余計って言う言い方はどうかなあ。それも大事な仕事の一つじゃないか。」
 
「それはそうだが、いきなり呼び出されて新人剣士より早く現場に着かなくちゃならないってのも、けっこう大変だぜ。はぁ・・・ガウディさんとグラディスさんの苦労が身に染みるよ。」
 
「ガウディさんか・・・。いまごろどうしてるのかな・・・。」
 
「生きてるさ。きっとな。」
 
 ガウディというのは、オシニスの前に採用試験二次試験の試験官を務めていた王国剣士だ。2人にとってはとても世話になった先輩剣士であったが、3年ほど前、国王命令に背いたと言うことで、剣士団から除名されていた。
 
「よし、やっと目が覚めたぞ。おいライザー、早いところメシを食いに行こうぜ。しっかり食っておかないとな。」
 
「乙夜の塔を警備するのにそれほど体力は要らないよ。まあ神経は使うから、頭の回転を良くするような甘いものを食べておくほうがいいかもしれないね。」
 
 ふと頭の隅に浮かんだ懐かしい面影を振り切るかのように、2人は食堂に向かい、朝食を済ませて乙夜の塔の入口近くにある詰所へと向かった。夜勤の剣士と交代するときには、ここで引継をすることになっている。
 
「以上だ。では後をよろしく頼む。」
 
 夜勤の剣士は2人の先輩だった。引継を終えて、警備のために外に出ようとしたとき・・・
 
「おい、オシニスはいるか?」
 
「おお、いるぞ。どうした?」
 
 詰所に入ってきたのは、オシニスとライザーよりも一年ほど前に入った剣士だった。2人にとっては先輩ではあるが、王国剣士団では特に序列を重んじると言うことはないので、年が近かったり、ウマが合ったりすれば、入団年数や年にかかわらず、特に敬語を使ったりせずに話すことが多い。
 
 入ってきた剣士は
 
「喜べ!お前の嫌いな余計な仕事が入ったぞ!」
 
 そう言って笑い出した。
 
「お、ということは、合格者か!?」
 
 オシニスだけでなく、たった今引継を終えた夜勤の剣士達も目を輝かせた。最近はモンスター達の動きが活発で、王国剣士達の仕事は増える一方だった。だが、誰でもいいから連れてきて据えるというわけに行かない仕事だ。1人でも合格者が出てくれれば、それだけ警備を手厚くできる。『剣技試験の合格者が出た』ことは、誰にとっても喜ばしいことだったのだ。
 
「へぇ、で、二次試験はどのコースだ?」
 
「今回は山賊だそうだから、ライザーも一緒に行ってくれとさ。サポートはこの間合格したあのハディって奴がつくそうだ。」
 
「と言うことは、今年初の新人剣士コンビの誕生ってことか?」
 
 そう聞いたのは、先ほど引継を終えた夜勤の剣士だ。本来ならば引継がすめばさっさと引き揚げて、食事でもしながら今日の予定をのんびり考えるところだが、新人剣士の研修の話となると、なかなかここを立ち去る気になれないらしい。
 
「うーん、どうかなあ・・・ランドはあんまり気乗りしないような顔をしていたんですがねぇ。」
 
 おそらくこの剣士はたまたま採用カウンターの前を通りかかったために、オシニスへの連絡係を頼まれただけだ。そんな『たまたま通りかかった』だけの者が見てもわかるほど、今のランドは、ハディと今回合格した新人剣士とを組ませることに迷いがあるらしい。
 
「へえ・・・。ということは、迷っている原因は太刀筋か、性格か、そんなところかな。それじゃ今日合格した奴をよく見ておくか。もしかしたら何か聞かれるかも知れないしな。」
 
「それじゃさっそく準備に取りかかろうか。山賊なら覆面も必要だな。」
 
 ライザーはなんだか楽しそうに見えた。
 
「なんだよライザー、お前いやに楽しそうだな。ま、今のうちにせいぜい楽しんでもらうか。久しぶりに俺の苦労を味わってもらうんだからな。」
 
 ライザーが笑い出した。
 
「新人剣士の資質を見極めるってのは確かに大変だけど、やりがいはあるじゃないか。それに、君1人で出掛けられてしまうと、僕はその日の予定が全部変わってしまうからね。」
 
 ライザーとしては、オシニスと一緒に行動出来る方がありがたい。王国剣士の仕事は2人一組が基本となる。ここでオシニスが1人で出掛けてしまうと、ライザーは今日の仕事となるはずだった乙夜の塔の警備に入れず、夜勤の剣士の補佐として夕方からの勤務となるのだ。そうなると昼間の時間がまるっきり空いてしまう。夜勤の時は仕事の時間に合わせて昼間仮眠を取っておくのが一番いいのだが、きちんと夜寝て朝起きたあとでは、いきなり寝ようにも眠れるはずがない。それに、新人剣士の研修に携われること自体も、楽しみの一つなのだ。
 
「あ、忘れるところだった。今回は研修の後で正体はばらすなとさ。」
 
「おいおい、それを忘れるなよ。大変なことになっちまう。しかし・・・ははっ!ランドの奴よっぽど気乗りしないんだな。」
 
 オシニスが笑った。通常2次試験で一定以上の成果を上げたとオシニスが認めた場合、正体を明かして挨拶をするのが通例となっているのだが、たまにこのような『正体を明かさないこと』という指示が出ることがある。そのほとんどは、採用担当官が何か迷っていることがあるときだ。今回も、もしもハディとカインのコンビが誕生しなかった場合、2人はまた誰かが入団してきたときにその新人剣士のサポートにつくことになる。だが、先に入った新人剣士が試験官の顔を覚えていたりすると、まったく違う内容の試験であっても、どのポイントで試されているのかまでわかってしまうことになるからだ。もちろん、先に入団した剣士は『研修=2次試験』だとわかっているが、出掛けた先で出会う誰が試験官なのか、誰が何の関係もない人なのかがわからないよう、毎回いろいろと工夫が凝らされている。
 
「ハディの時も君はそのまま逃げてきたんだろう?」
 
「ああそうさ。スリの親玉が、手下の正体がばれたからさっさと逃げたってことにして置いたぞ。」
 
 試験の後何食わぬ顔でオシニスはハディと出会ったが、ハディはオシニスのことを何も気づいていない様子だった。
 
「となると、少し手順を確認しておいたほうが良さそうだね。」
 
「そうだな。よし、それじゃ新人剣士に追いつかれる前に出掛けよう。」
 
「お前らのかわりはさっきランドが手配していたから、すぐに出て大丈夫だと思うぞ。」
 
「それじゃ、かわりが来るまで俺達がここにいるよ。心配すんな、早く行けよ。」
 
 引継を終えていた夜勤の剣士達もそう言ってくれたので、2人は宿舎への外階段からすぐに部屋に戻り、山賊用の装束と覆面を持って急ぎ旅支度を調えた。
 
 
                          
 
 
 オシニスとライザーが出掛ける一時間ほど前のこと、カインは王宮の玄関前に立っていた。
 
「何度見てもすごい建物だよなぁ・・・。もしも試験に合格することが出来れば、俺もここで生活することになるのか・・・。」
 
 王国剣士団の宿舎は、王宮内部にある。試験に合格して晴れて王国剣士となることが出来れば、衣食住の心配はしなくてもよくなる。
 
「ま、そんなのは後の話だ。まずは剣の腕を認めてもらわなけりゃ、フロリア様のお役に立つことも出来やしない。」
 
 カインは玄関に向かって歩き出した。門番の剣士はいるが、特に止めようとするものはいない。王宮のロビーは昼間だけ一般に開放されている。これは建国以来変わっていない制度だと言われていた。中には受付のカウンターがあり、かわいらしい受付嬢が座っている。カインはその受付嬢に声をかけて、剣士団の採用試験を受けたいのだと言ってみた。
 
「ようこそエルバール王宮へ。剣士団の採用カウンターはあちらでございます。」
 
 受付嬢が示してくれた方向に階段が見えた。
 
「あの階段を上がると、すぐに採用カウンターがあります。そちらで申し込みをなさってください。」
 
 受付嬢に礼を言って、階段に向かった。心臓がドキドキと鳴り出す。もうすぐ、もうすぐ今までの自分の訓練の成果が試されるのだ。
 
 
 階段を上がると、右手にカウンターが見えた。立っているのは、意外にもカインよりせいぜい5〜6歳程度しか違わないのではないかと思えるような青年だった。
 
「あの・・・剣士団の、さい、採用・・・カウンターはっ・・・っ!」
 
 緊張しすぎて声がうまく出ない。
 
(くそ!何やってんだ俺は!今から緊張してどうすんだよ!)
 
 落ち着いて、落ち着いて・・・カインは思わず目を閉じて、深呼吸した。少しずつ鼓動がおさまってくる。目をあけた。採用カウンターの青年は、黙ってこちらを見ている。落ち着いて見ると、青年は剣士団の制服を着て、その上に青みがかった光沢のある鎧を身につけている。どうやら剣士団の採用担当官はこの青年らしい。
 
「あ、あの、すみません。」
 
「かまいませんよ。ここに来られる皆さんは、たいてい緊張しています。焦らなくていいですから、落ち着いたらご用件をおっしゃってください。」
 
 採用担当官のにこやかな笑顔にカインはほっとして、もう一度深呼吸した。やっとのことで鼓動はおさまり、これならばもう普通に話せる。
 
「すみませんでした。入団試験を受けたいのですが、ここでいいんでしょうか。」
 
「はい。剣や防具などの準備は出来ていますか?」
 
「はい。防具はレザーアーマーで、剣はアイアンソードですが・・・・これでいいでしょうか。」
 
 また心臓がどきんと鳴った。レザーアーマーも剣も、剣士団で一般的に使われているものだと聞いて買ったものだが、もしかしたら、剣士団ではもっと上等の装備を使っているかも知れない。それでもカインにはこれが精一杯だった。採用担当官はカインの装備をしばらく見ていたが・・・
 
「問題ありません。では、荷物はここにおいてもかまいませんよ。戦える準備が出来たら、こちらの扉から入って、奥まで進んでください。」
 
 カウンターの中の小さな扉を指さして、採用担当官はもう一つある別の扉から奥へと姿を消した。カインは荷物を置いて、剣を抜き、指示されたとおりの扉を開けて中に入った。
 
「あれ、普通の廊下じゃないか。」
 
 中は細長い通路が奥まで続いているだけだった。きょろきょろしながら歩いて行くと、突き当たりが右に折れている。そこを曲がるといきなり広い場所に出た。
 
「ここが試験会場なのかな・・・。」
 
 辺りを見回しているところに、先ほどの採用担当官が入ってきた。抜き身の剣を持っているが構えらしい構えはしていない。だが・・・
 
「剣士を志す者!!その力を見せろ!!」
 
 採用担当官はさっと剣を構えるとカインに向かって突進してきた!
 
「うわ!」
 
 採用担当官の剣の切っ先をかろうじてかわしたものの、カインはしりもちをついてしまった。慌てて起き上がり、剣を構え直す。採用担当官は感心したような目でカインを見ている。
 
「立ち直りは早いようですね。かなり足腰を鍛えてあるようですから、モンスターから逃げるのには役に立つでしょう。」
 
 王国剣士となるには、城下町の剣術指南に弟子入りして試験を目指すのが一番の近道だという。だがカインにはそんな金はなかった。毎日仕事の後でこっそり城壁の外に出て、モンスター達を追い散らしながら独学で剣術を身につけた。素人のケンカ剣法がはたしてどこまで通用するのか、それが今試されているのだ。
 
「俺は逃げるためにここに来たんじゃない!この国を守りたくて、この国のために役に立ちたくて来たんだ!」
 
 思わず叫んだ。しかし採用担当官は冷静そのものだ。
 
「逃げることは大事です。どんなに腕の立つ剣士でも、死んでしまったらもう戦えない。生き延びるために敵に後ろを見せることをためらうならば、今のうちに降伏したほうがいいですよ。無理をして早死にするより、降伏して別な仕事で世の中の役に立つことだって出来ます。」
 
 採用担当官の言うことは正論だ。死んでしまったら何にもならない。だが、その程度のことを言われたくらいで、カインは引き下がる気など毛頭無い。また突進する。はじき返される。脇を狙う。するりとかわされる。採用担当官の顔からは、先ほどの穏やかさはすっかり消え失せていた。眼光は鋭く、カインを捉えて離さない。凄まじい気迫が伝わってくる。それなのに、構えはまるで流れる水のように、時にはダンスのステップを踏むかのように優雅でよどみなく、そしてとらえどころがない。どこを攻めればいい?隙が見つからない。考えている間にも、採用担当官の剣はどんどんカインを追いつめる。いつの間にか、カインは少しずつ後ろに下がっていた。もうあとがない。
 
(俺には荷が重かったのか?まだまだ鍛錬が足りなかったのか?)
 
 負けるかも知れない。不安が広がっていくに連れて、カインの剣先が鈍る。その時、突然脳裏に浮かんだのは、小さな頃、いじめっ子から救ってくれた蜂蜜色の髪、淡いブルーの瞳・・・
 
(フロリア様・・・!)
 
 気がついたとき、カインの剣は採用担当官の振り下ろした剣を真横に薙ぎ払っていた。
 
−−ギィィィ・・・・ン!−−
 
「それまで!」
 
 凄まじい音と共に採用担当官が叫んだ。
 
「ふぅ・・・いやあ、あやうく剣を吹っ飛ばされるところでした。あぶないあぶない。」
 
 採用担当官の顔には、もう先ほどの穏やかな笑みが戻っている。
 
「おめでとう、合格ですよ。」
 
 採用担当官は笑顔で握手を求めてきた。その時になってやっと、カインは自分が合格したのだと知った。
 
「あ・・・ありがとうございます!」
 
 採用担当官の手をしっかりと握り返しながら、カインは心の中で叫んでいた。
 
(これでやっと・・・あの方のお役に立てる・・・!)
 
 その後、採用担当官とカインはお互いに名を名乗り合った。採用担当官はランドと言って、入団して5年になるのだという。
 
「本来ならば、私のような若輩者がするべき仕事じゃないですがね。」
 
 そんな話をしながら、採用担当官ランドはカインの仮入団の手続きをしてくれた。正式に入団できるかどうかは、明日からの研修で決まるらしい。入団後の日程について簡単な説明を受けた後、通りかかった先輩剣士にランドが声をかけ、カインは宿舎の部屋まで案内してもらった。
 
「ほらここだ。宿舎ってのは基本2人部屋なんだ。たいていの場合、コンビを組む相手と同室になるんだ。例外は、男と女のコンビくらいだな。あとは片方が元々城下町に家があって自宅から通うとか、結婚して宿舎を出たとか、まあそんな理由以外では、この部屋に次やってくるのはお前の相方ってわけさ。」
 
 部屋の中はきれいに片付けられていた。ベッドや家具は二つずつある。取りあえず片方だけを使って、カインは持ってきた荷物を整理した。タンスの中には制服が入っていた。ずっとずっとあこがれていた、王国剣士の制服・・・。やっと着ることが出来る。だが、いざ着てみると、丈が短い。
 
(そういやさっきの説明で、制服が合わなかったらすぐに取り替えに来いって言ってたな・・・。)
 
 カインはもう一度自分の服に着替えて、採用カウンターへと向かった。ランドはそこにいて、何か書類を書いていた。カインが制服のサイズが合わないことを伝えると、ランドは奥からもう少し大きいサイズのを出してきてくれた。その場で合わせてみたが、今度はサイズが合っているようだ。カインが礼を言ってもう一度部屋に戻ると、部屋の前に誰かが立っている。
 
「おい、ここの部屋の奴ってのはお前か?」
 
 ずいぶんと横柄な奴だ。だが間違いなく剣士団の制服を着ている。金髪を短く刈り込んでいるせいか、それともその射るような灰色の瞳のせいか、一瞬カインよりは年上なのかとも思ったが、そうでもないようだ。多分カインとそうは違わない。
 
「そうだけど、あんたは誰だよ?」
 
「俺はハディ。お前より少し先に入団したんだ。明日からの研修でお前のサポートをしろって言われたのさ。明日の朝いきなり会うより、一応顔を見ておこうと思ってな。」
 
「サポート?別に俺はサポートなんて頼んじゃいないぞ?」
 
「お前の希望なんて誰も聞いちゃいないさ。新人剣士の研修には、誰かしらサポートがつくことに決まってるんだ。先輩の時もあるし、同期の奴の時もあるそうだが、決めるのは剣士団長とランドさんだ。」
 
「へえ。それならよろしくな。」
 
 もう少し親切な先輩剣士についてほしかったものだが、ここで自分の希望を言ってみたところで始まらないらしい。とにかく明日からの研修をこなすことだけ考えよう。
 
「ああ。明日の朝は、メシの後で剣士団長室だ。そこでお前の研修についての説明を受ける。寝坊するなよ。」
 
「わかったよ。」
 
「俺がお前のサポートにつく限りは、何が何でも研修を成功させてもらうぞ。胸を張ってフロリア様に謁見したいからな。」
 
「もちろんだ。よろしくな。」
 
 ドキンと心臓が波打つのをハディに悟られないよう、カインは平静を装って返事をした。
 
『フロリア様に謁見』
 
 この研修を成功させれば、とうとうフロリア様に会えるのだ!この日をどれほど待ちわびたことだろう。一国民としてでなく、国王陛下をお守りする王国剣士としてフロリア様に再会する、これはカインの目標の一つだ。遠い昔、カインはいじめられていたところを美しい貴族の女の子に助けてもらったことがある。その時は礼を言うどころか思わず怒鳴り返してしまったが、その貴族の女の子が、お忍びで城下町を視察していたフロリア姫だったと後から知った。カインは後悔していた。貧民街を貴族の娘が1人で歩くだけでも、かなり勇気のいることだったろう。ましてや子供同士のいじめなんて、関わり合いたくないに決まっている。でもフロリア様は自分を助けるために来てくれたのだ。カインはその時決意した。いつかきっと、この町を出て王国剣士になろうと。そしてフロリア様のお役に立って、大きな仕事を成し遂げたときにその時のお礼を言おうと。
 
「とにかく明日だな。何が何でも研修をきちんとこなさないと・・・。ここまで来て研修がうまくいかなくて正式入団出来ないとか、そんなかっこ悪いことないよな・・・。」
 
 明日のために、カインは荷物の中にあった分厚い本を取り出した。『剣技大全』と書かれた本だ。普段は本を読むのが苦手なカインが、たった一冊買って読んだのがこの本だった。この本には、エルバール王国で使われているというあらゆる剣技が載っている。カインはいつもこの本を見ながら自分の家で型を練習し、城壁の外に出てはモンスター達を相手に実践で剣技を身につけてきたのだ。
 
「そうだ、訓練場は使えるのかな。確か大きな訓練場があるって聞いたんだけど・・・」
 
 今日からは、もう自分で自分の食事を作る必要はない。今日の昼から食堂で食べてもいいと、さっきランドから聞いたばかりだ。そして剣士団に入れたことで、以前のように使い走りの仕事や、建設現場での仕事を探しに行く必要もなくなった。それならば、空いた時間は全部訓練に使える。しかもモンスター相手じゃない。これからは剣士団の精鋭達が自分の相手をしてくれるのだ。そう考えるとカインはわくわくした。
 
「ランドさんに聞いてみるか。」
 
 これから始まる王宮での生活に心躍らせながら、カインは部屋を出た。
 
 
                          
 
 
 オシニスとライザーは王宮を出て、まず城下町の住宅地区に向かった。新人剣士の研修とは、様々な場所である一定の状況を作り出し、何も知らない新人剣士がそこに向かうよう用事を言いつける。この役目は当然のことながら剣士団長だ。そこで起きる出来事にどう対処するかを試験官が厳しく審査するのだ。『こうでなければならない』という明確な基準があるわけではないが、不思議なもので新人剣士の行動を見ていると、その剣士がどんなことを考えてそうしているのかがちゃんとわかる。外面を取り繕っていいかげんな行動を取るような者はすぐに見破られるが、試される側だけでなく、試す側も気を抜けない大変な仕事なのだった。今回の新人剣士の研修で、2人の役どころは山賊だ。山賊が出れば旅人を襲わなくてはならないが、何も知らない普通の旅人を襲ったりすれば、あとあと事が面倒になる。そこで、あらかじめ襲われる旅人の役を引き受けてくれる人物がこの住宅地区の中程にある家に住んでいるのだった。
 
「よし、これで人の手配は終わりだな。」
 
「そうだね。通りがかる旅人の役は何人か連れてきてくれるそうだから、後は任せておこう。」
 
 様々な形で剣士団に協力してくれる人達は、あちこちに住んでいる。その人達は元々王宮勤めだったり、行政局などに勤務していて退職したり、そういう人達がほとんどだ。ただ、元王国剣士だけは、頼むことが出来ない。それが決まりだと言うことではなく、元王国剣士は、どんなに隠しても目線の配り方や身のこなしが普通の人とは違う。それでは新人剣士におかしいと思われてしまう可能性が高いからだ。そして今回襲われる旅人の役を引き受けてくれるのは、元司法局に務めていた男性だった。他の旅人の役には、知り合いの役者を何人か連れてきてくれるという。
 
「そうだな。それじゃ今日はこのまま山岳地帯まで行っちまうか。さっきの打ち合わせ通りに動けるように場所の確認もしたいしな。」
 
「そうしようか。新人剣士が出発するのは明日だし、ハディが一緒だとしても、現場近辺までたどり着くのは明後日の午前中くらいだろうからね。」
 
 2人は城下町の西門から外に出た。今日も晴天で、さわやかな風が頬を撫でていく。
 
「あのハディって奴は、剣のほうはなかなかの素質だと思うんだが、ランドが渋っている原因は何だろうな。」
 
「それを言伝してこなかったと言うことは、まずは先入観なしで今回の新人剣士を見てきてくれって事なんじゃないかな。」
 
「それもそうか。ま、あのハディって奴も、ずいぶんと血気盛んな奴のようだからなあ。」
 
「昨日も訓練場で一悶着起こしていたみたいだしね。」
 
「そうなんだよな。向上心があるのはいいんだが、どうも前しか見ていないって感じだな。」
 
「何か視野をもっと広げられるきっかけがあればいいんだけどね。」
 
 ハディという新人剣士は、一週間近く前に入団した剣士だ。剣の腕もなかなかだし、そのあとの2次試験も見事に合格した。だが・・・『強くなること』に相当なこだわりがあるらしく、訓練場に限らず食堂での食事中までも、誰彼かまわず勝負を挑んでは先輩剣士達ともめている。ハディは今年最初の合格者だ。もしもカインがハディとコンビを組めれば、仕事が忙しくなって勝負を挑むどころではなくなるだろうと思うのだが、1人が2人になったからそれじゃこの2人を組み合わせて、とは簡単にいかないのがつらいところだった。
 
「でも研修の時は特に目立った行動はなかったって君が言ってたじゃないか。見た目に惑わされなかったのはさすがだって。」
 
「うーん、最初はそれだけ冷静な奴かと思ってたんだが、実際にはかなり緊張していたみたいだぞ。それに、どうもあいつは事前にいろいろと情報を仕入れていたフシがあるんだよな。」
 
「お父さんが剣士だったって言ってたから、剣士団の中にも知り合いがいたのかも知れないよ。」
 
「多分そんなところだろうが、かえってそれが裏目に出ることもあるからあんまり褒められたもんじゃないな・・・。」
 
「そうだね・・・。今回合格した新人剣士はどうなのかな。」
 
「えーと、カインて言ったか。どうかなあ・・・。まあ下手に知識を仕入れてうまく立ち回ろうなんて考えてる奴なら、すぐにわかるさ。」
 
 新人剣士に対して先入観を持たないよう、試験官が教えてもらえるのはせいぜい性別と名前程度だ。出身地や家族構成、そして剣士団への入団理由なども、試験前には一切知らされることはない。
 
「剣を交えるまでいければいいけど、かかって来なきゃだめだって事でもないからね。どう対応するのか、お手並み拝見だね。」
 
「お手並み拝見はいいが、正体をばらすわけにいかないからなぁ。2人を相手にして途中で振り切って逃げないとまずいってわけか・・・。」
 
「しかもどこで試されているかをわからないようにね。」
 
 オシニスがため息をついた。
 
「ランドの奴、山賊コースで正体をばらすななんて、ずいぶんと難易度の高い試験にしてくれたもんだ。」
 
「でも今までだって君が正体を見破られたことはないじゃないか。気をつけなければならないのは僕のほうだな。君より僕のほうがハディとは手合わせしているからね。」
 
「それは心配要らないだろう。だいたい俺と手合わせしていたって気づかないんだからな。一度手合わせした相手の太刀筋を覚えているほどの冷静さがあったら、もっと強くなってるさ。」
 
「それもそうか・・・。」
 
 強くなりたいからだと、誰彼かまわず勝負を申し込んでいるわりに、ハディは負けたときにあまり反省していないようだ。負けたこと自体を悔しがりはするが、その後また別な誰かに勝負を申し込んでいる。そしてまた負けるの繰り返しだった。
 
「何が引っかかってるんだろうなあ・・・。剣の腕自体はそこそこなんだから、そこまで強くなれたのにはちゃんとした理由があるはずだ。何でそこで止まっちまったのかが不思議なんだよ。しかも剣士団に入ってからちっとも伸びていないんだ。」
 
 ハディがいったい何に囚われているのかを、2人は知らない。
 
「もしかしたら、今回の試験でそのあたりも少しはわかるかも知れないよ。とにかく少し急ごう。今日のうちに一つ向こうのキャンプ地に行かなくちゃならないからね。」
 
 明日出発する予定の新人剣士2人が使う予定のキャンプ地はもう少し近い場所にあるが、この2人がそこを使ってしまうと、自分達の前に誰かが通ったことが新人剣士達にわかってしまう。山賊と王国剣士として予定の場所で出会うまで、2人の存在そのものを知られてはならないのだ。2人は足を速め、エルバール北大陸で唯一残る原生林を麓に抱く、山岳地帯へと向かった。
 
 
                          
 
 
「はぁ・・・やっと合格者が出たか・・・。」
 
 ため息をつきながら、ランドはさっきの新人剣士カインに関する報告書を書いていた。久しぶりに手応えのある戦闘だった。カインの前に試験を受けに来た若者達も、腕自体はそこそこ使える程度だったのだが、ランドの術中にはまってすっかり自信をなくしてしまい、そこから抜け出せずにズルズルと負けてしまう者ばかりだったのだ。カインの前に合格したハディという剣士は、最初からかなり慎重だった。自信はあったようだが、追い詰められても弱気になることがなかった。そしてカインは、一度は弱気になってもうダメかという顔をしていたが、そこから一気に巻き返して危うくランドの剣をはじき飛ばすところだった。
 
「剣の腕って言うけど、結局は精神力だよな・・・。何か支えがあるとか、信じるものがあるとか、そう言う奴はやっぱり強いな・・・。」
 
 ハディはモンスターに蹂躙された自分の故郷を再建するのが目標だと言っていた。彼の故郷はエルバール王国北大陸の南側の海沿いにあったのだが、モンスター達の被害がひどく、村人達は命からがら南地方唯一の街であるクロンファンラまで逃げてきた。彼の父親は、その時家族を逃がすために重傷を負い、片腕をなくしたという。ハディの強さは失った故郷への思いと、優れた剣士であったという父親の分まで自分が剣の道を極めたいという思いから来ているのだろう。
 
「となると・・・このカインという奴は・・・何を持っているんだろうな・・・。」
 
 カインは『この町で生まれ育って、この町の役に立つのが夢だった』と言っていた。そのために剣の腕を磨き、今日の試験に臨んだと。だが、王国剣士団の門を叩く若者は、たいてい同じようなことを言う。でも実際には、ランドがかけた罠に易々とはまりこんでそのまま自信をなくす者が多い。剣を交えたときは、カインも同じような若者かと思った。引くことを知らず、前ばかり見て走り続けている。だが、カインの最後の巻き返しは凄まじかった。うつむいていた顔を上げたとき、彼の目に宿っていた並々ならない闘志に、ランドでさえどきりとしたほどだ。カインはその勢いのままランドの振り下ろした剣を薙ぎ払った。平静を装ってはいたが、あの時剣を持っていた手はあまりの衝撃に痺れていたほどだったのだ。彼の強さは、もっと他の何かから来ているのではないか、ランドはそう確信していた。とは言え、本人が言わないものをこちらから根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。だが、その何かをこの先カインが失わないようにだけは、気をつけてやらなければならないだろうとランドは思った。
 
「ランドさん、伝えてきましたよ。」
 
 カウンター越しの声に振り向くと、そこにはハディが立っていた。明日から始まるカインの研修に、ランドはハディをサポートとしてつけることにした。そのことを伝えてきてくれと、さっき本人に伝達したばかりだ。
 
「おお、早かったな。それじゃ明日からの研修はよろしく頼むぞ。」
 
「ランドさん、あの・・・。」
 
 ハディがめずらしく遠慮がちに言った。
 
「ん?」
 
「これって、あのカインて言う奴の試験・・・ですよね・・・。俺もそうだったし・・・。」
 
「まあそういうことになるな。それがどうかしたのか?」
 
「いや、その・・・。」
 
「言っておくが、これはあくまでもカインの研修だからな。お前の役目はサポートだ。必要以上に手は出すなよ。それから、自分が経験した試験のことも、研修が終わるまでは伏せて置いてくれ。」
 
「・・・わかりました。」
 
 採用試験の時に手を合わせて以来、ハディはランドには従順だ。『自分より強くなければ認めない』という彼の中にある『基準』を、ランドはどうやら満たしているらしい。ハディは返事をしたのに帰ろうとしない。何か気になることでもあるのだろうか。
 
「あの、ランドさん、もしもカインが合格したら、俺は奴と組めるんですか?」
 
 ランドはハタと思い当たった。なるほど、ハディの心配事はこれか。自分の目標に少しでも近づきたくて、ハディはとにかく早く外に出て仕事をこなしたいと考えている。カインが合格してコンビを組むことが出来れば、もうすぐにでも目標に向かって走り出すことが出来るのだ。だが正直なところ、ランドは迷っていた。
 
「それはなんとも言えないな。それを決めるのは剣士団長だ。俺の一存で決められるようなことじゃないぞ。」
 
「だけど!ランドさんが口添えしてくれたら団長だって・・・!」
 
「俺が何か言ったところで、団長がはいそうですかなんて言うわけがないだろう。それに、そもそも俺は口添えなんぞする気はない。俺の仕事は採用担当官だ。剣を交えていなければわからない事もあるから、お前の剣技試験については感じたままのことを報告してある。あと、お前が入団手続きの時に言っていた目標についてもな。だが、団長がそれをどう判断するかは俺にはわからん。それに、カインとお前の相性って奴もあるんだぞ。」
 
「相性?そ、そんなのまで考えてコンビを組むんですか?ばかばかしい・・・。」
 
「相性と言ってもいろいろだ。剣士団で重要視しているのは、太刀筋とお互いの性格だな。相方ってのは、戦いになれば自分の背中を預ける相手だ。ばかばかしいかどうか、他の連中の訓練でも見ながら、よく考えてみろ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 ハディは黙ったままカウンターから離れた。その背中にランドが声をかける。
 
「明日の朝は早いんだ。ちゃんと準備はしておけよ。」
 
 ハディはもう聞いてはいなかった。
 
(精鋭が集う王国剣士団で、コンビを決めるのに相性だと!?)
 
 新人剣士が1人合格した、もう1人合格した。2人になったからコンビを組ませて外で仕事をさせる、それでいいじゃないか、もちろん腕の立つ奴でなければろくな仕事は出来ない。だが、太刀筋はともかく性格なんて関係あるか!?
 
 ハディは苛立っていた。王国剣士として正式採用されれば、すぐにでも外に出て仕事をこなせるものと思っていた。王国剣士が2人一組で動くと言うことは聞いていたが、自分より早く入った剣士の中にも数の関係で相方がいない剣士がいるだろうから、きっと相方なんてすぐ決まると、ハディは簡単に考えていたのだ。
 

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