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「楽譜を・・・持っていたんですか・・・・。」
 
 クロービスは青い顔でライザーの話を聞いている。
 
「そう。ただ、僕は音符をちらりと見ただけで、何の楽譜だったかまではわからなかったけどね。そして一緒に歩いている間中、ずっとサミル先生はぼんやりとしていた。何か心配事があったのかもしれない。そして、西門から外に出ていく時に小さな声でつぶやいた言葉がどうも引っかかって・・・。」
 
 言いながらライザーは、改めてサミルの言葉を思いだしていた。『ロストメモリー』・・・『何と皮肉な・・・恐ろしいことだ・・・』と言う言葉の意味はいったい・・・。その時、クロービスが自分の荷物の中を探りはじめ、やがて一枚の楽譜を取りだし、テーブルの上に置いた。
 
「これは・・・。」
 
 ライザーは不思議そうに楽譜を見つめていたが、はっとしたように手にとって顔を近づけた。
 
「これは・・・あのときの楽譜・・・そうなんだね?」
 
 クロービスが黙ったまま頷く。
 
「この楽譜を僕から受け取った後、サミル先生はとても大事そうに荷物の中にしまったんだ。でもその手が少しだけ震えていた・・・。タイトルは『Lost Memory』か・・・。それじゃ別れ際に先生がつぶやいた言葉は、この楽譜のことだったと言うことなのか・・・。」
 
「多分・・・そうなんだと思います・・・。この楽譜以外でその言葉に思い当たるものは何もないんです・・・。」
 
「この楽譜を君が預かったのはいつなんだい?」
 
「預かったわけではないんです・・・。父が亡くなった後、家にあったピアノの譜面台にこの楽譜が置いてあって・・・。でも私は、父が亡くなるまでそんなものを家で見た覚えがないんです。何か父の死に関係しているのかと思って持って出てきたんですが・・・。」
 
「サミル先生はご病気で亡くなったんじゃなかったのか・・・?」
 
 クロービスは一瞬言葉に詰まった。だが、やがて少しずつ話し始めた。サミル医師が5ヶ月もの間家を空けていたこと。帰ってきた日の夜にクロービスが奇妙な夢を見たこと。サミル医師の病気が、まるで規則正しく悪くなっていったような印象を受けたこと。そして最期の日、クロービスがサミル医師の助手を務めるブロムの家に荷物を取りに行った、ほんのわずかの間に冷たくなっていたこと・・・。話すうちにクロービスの瞳に涙が滲む。無理もない。まだほんの何日か前のことなのだ・・・。
 
「・・・そうか・・・そんなことが・・・。」
 
 ライザーは、厳しい表情で小さくつぶやいた。クロービスは話し終えてほっとしているように見える。彼は自分を覚えていないと言ったのに、どうしてこれほど立ち入った話をしてくれたのだろう。それだけ自分を頼りにしてくれたと言うことなのだろうか。聞いた話はつらい話ではあったが、ライザーは嬉しかった。こんなに頼ってくれるのなら、自分もこの若者を精一杯手助けしよう、ライザーはそう心に決めた。クロービスは少しのあいだ黙ってライザーを見つめていたが、ハッとしたように荷物の中を探り出し、中から一冊の本を取りだして最後のページを開くと、ライザーの前に置いた。
 
「・・・父の日記なんですけど・・・多分遺書のようなものだと思います・・・。」
 
 遺書・・・。ライザーは黙ったまま眼を走らせていたが、少しずつ書かれている文字が滲みだし、頬を熱いものが伝って落ちた。
 
「サミル先生が君をとても大事に育てていたことは・・・あの頃まだ子供だった僕の目から見てもよくわかったよ・・・。でも甘やかすと言うことは一切なかった・・・。僕は君がうらやましかったんだ。あんなに素晴らしい人が自分の父親だったら、どんなにかよかったのにと・・・いつも思っていた・・・。」
 
「息子の私が言うのは変かも知れないけど・・・本当に優しい、素晴らしい父だったんです・・・。なのに・・・さっきランドさんに父のことを聞かれて・・・名前を言わずに通してしまいました。ライザーさんと会った時も、父の名前が出ないようになんて事ばかり考えていて、だからさっきライザーさんが父の名前を言った時はどきっとして、誰かに聞かれてるんじゃないかとか、そんなことばかり心配して・・・。私にとっては最愛の父だったのに・・・。尊敬していたはずなのに・・・その父の名前をいつの間にか隠そう隠そうとしている・・・そんな自分が情けなくて、悔しくて・・・そう思ったら涙が出てきちゃって・・・。」
 
「そうか・・・。君もつらかったんだね。」
 
 クロービスは黙って頷き、またこぼれ出た涙を袖で拭った。父親を失い、悲しむ間もなく王国に出てきて、たった一人でこの町で生きていかなければならない。ライザーはこの町に来たばかりの頃の自分を思いだしていた。ライザーが城下町に来た時は、叔父夫婦と一緒だった。とても優しい人達だった。孤児院に入ったあとも、友達はすぐに出来た。神父様もシスターも優しかった。一人だったことなどなかった。何と恵まれていたことか・・・。しかもクロービスは、この日記の中にあるように、自分の父親が犯罪者かも知れないという不安に囚われている。ライザーは目の前に置かれた日記を手に取り、もう一度読み返した。そして確信した。これは何かの間違いだ。あの優しい先生が、島の人達にあれほど慕われていた人が、犯罪者などであるはずがない。ライザーは日記を静かに閉じると、クロービスの前に置いた。
 
「やっぱり・・・僕は信じられない・・・。サミル先生は島の人々すべてに分け隔てなく接していられたし、ブロムさんも愛想はなかったかもしれないけど、その治療はサミル先生同様的確で丁寧だったよ・・・。僕は小さな頃からずっと病気だったけれど、サミル先生のおかげで健康な体を取り戻すことが出来たんだ。それだけではなく、忙しい長老の代わりに島の子供達に読み書きや計算を教えてくれたり・・・。あんなすばらしい人物が何か大きな罪を犯しているなど・・・そんなことが・・・!」
 
 言いながらライザーはため息をつくと頭を抱え込んだ。そしてまた後悔の念が押し寄せた。1年前城下町で出会った時、どうしてもっと色々と話しておかなかったんだろう。そうしたら、今ここでクロービスに、もっと何か言ってやれたかも知れないのに・・・。
 
「父が本当に病気で亡くなったのかどうか・・・私にはわかりません。私にとってはたった一人の肉親でしたから、真相を知りたいとは思っています。でも、それを私が知ることが父の遺志に背くことになるのなら、このままにしておくべきなのか、迷っているんです・・・。」
 
「・・・そうか。確かに難しいところだね・・・。この楽譜にしたって、君にその意味を知ってほしいのなら、元気なうちに君に渡して、きちんと説明をしておけばすむことだし。サミル先生が島に戻られてから亡くなるまでの間に、話す機会はいくらでもあったはずだしね・・・。」
 
「はい・・・。だからどうしたらいいのか・・・。」
 
「何か手がかりになるようなことはないのかい?」
 
 クロービスはちょっと考えてから、ここに来る前に住宅地区の教会に寄ってきたことを話してくれた。そしてそこでこの曲をピアノで弾き、神父と話をしてきたと。この話にはライザーのほうが驚いた。その教会こそが、ライザーを育ててくれた孤児院を運営している神父の教会だった。
 
「あの教会に行ったのか・・・。あそこは僕を育ててくれた神父様の教会なんだよ。あとで君を紹介しようと思っていたんだ。それじゃ・・・君が王国剣士になろうと思ったのはその楽譜のことを探るために・・・?」
 
 ライザーは少し不安になった。父の死の原因を探りたいというクロービスの気持ちは痛いほどにわかる。自分だって恩人が不審な死を遂げたとなれば、その原因を突きとめたい。だが・・・だからといって、単なる『王宮に入り込むための手段』として王国剣士になろうと思ったのだとしたら、いくら自分が手助けしようと思っても、いずれ彼は脱落していくだろう。ここはそれほど甘い世界ではない。クロービスはライザーの問いにびくっとしてうつむいた。そして消え入りそうな声で答えた。
 
「いえ・・。その・・・商業地区の入口にある雑貨屋の人に教えてもらって・・・実を言うと半分決心がつかないままここまで来たんです。」
 
「ところが試験に合格してしまった・・・そういうわけなんだね?」
 
「はい・・・。」
 
 声はますます小さくなる。ライザーは考え込んでしまった。クロービスには、王国剣士としてやっていこうという心構えがまだ出来ていない。商業地区で聞いてきたと言うことは、そもそも試験を受けたのも偶然のようなものだろう。ランドは、クロービスならカインとうまくいくと言いきった。彼の目の確かさを、ライザーも疑ったことはない。ではランドは、このクロービスと言う見た目も実際の性格もおとなしい若者に、どんな力を見いだしたのだろう。それが明日からの研修で解るのだろうか。だが・・・彼をこのままカインの部屋に案内することは出来ない。ランドには悪いが、少し試させてもらおう。それでもし、クロービスがしっぽを巻いて逃げ出すようならば、それはそれで仕方がない。
 一度仮入団になった新人剣士を勝手に帰してしまう権限など、ライザーにはない。そんなことをすれば処分を免れることはないかも知れないが、いつも自分のあとをついて歩いていた幼馴染みの男の子に、つらい思いをさせずに済むほうがよほどいい。そしてランドには新しいメガネでもプレゼントしようか。『最近君のメガネも曇ってきたらしいからな』とでもメッセージを添えて・・・。
 
 クロービスの顔をしっかりと見据えて、ライザーはゆっくりと口を開いた。
 
「・・・とにかく君は王国剣士になったんだ。この仕事は楽な仕事ではないよ。最近になってモンスターの動きが活発化していて、以前よりも襲われる人が増えている。城下町では伝説のサクリフィア聖戦のような恐ろしい災厄が、また起こるのではないかと騒がれてもいる。我々剣士団はエルバール王国の人々の盾なんだ。進んで危険に身をさらさなければならない時もある・・・。君の入団の動機が何であれ、そんなことは重要ではない。でも、命がけで人々を守るだけの覚悟がないのなら、今のうちにここを出た方がいい。」
 
 クロービスは顔をこわばらせてライザーの言葉を聞いていた。そしてしばらく黙っていた。ライザーも何も言わなかった。クロービスが話し出すまで、もしかしたら立ち上がって扉から出ていくまで、ただ黙っているつもりだった。しばしの沈黙のあと、クロービスは顔をあげた。そして彼の顔をじっと見つめていたライザーの瞳を、正面から見つめ返した。
 
「ライザーさんは・・・父を信じてくれるんですね。」
 
「僕にとっては、いくら恩返ししてもし足りないくらいの人だ。あんな立派な人が犯罪など犯すはずがないよ。」
 
 クロービスの問いに、ライザーは間髪を入れず答えた。サミル医師は、自分の命を救ってくれたと言うだけでなく、素晴らしい人物であることは間違いない。あれほどの人が罪を犯すなど、ライザーには到底受け入れられないことだった。自分の答えにクロービスは少しだけ微笑んで言葉を続けた。
 
「ありがとうございます。・・・私はここにいます。もうあの島には戻れない、私には前に進む道しか残されていないんです・・・。そして王国に着いてからも、ずっと父のことを隠さなければならないと言う思いが私の心に重くのしかかっていたけど・・・。あなたのように父を信じてくれる人がいるなら、私はここで生きていきたい。それに・・・ここに来るまでの間、城下町を見てきて、この町の人達がモンスターの脅威に怯えて暮らしていることを実感しました・・・。この仕事を選ぶことで危険に身をさらすことになっても、こんな世界を少しでも変えていけるなら・・・あの、偉そうなこと言ってすみません。でも、それでも・・・後悔はしないと・・・思います。」
 
 ライザーは少しほっとした。去っていく彼の後ろ姿を見なくてすんだことが嬉しかった。多分、彼はまだ迷っている。それでもここで生きていくことを選んだ。それならば自分も全力で支援しなくてはならない。
 
「そう言ってくれて嬉しいよ。君がここで生きていくというのなら、僕は出来る限りの手助けはしよう。サミル先生のことや楽譜のことは・・・君が知る運命にあるのなら、いずれわかるだろう。・・・クロービス、明日からは君の研修が始まる。必ず合格してくれ。そして・・・共にエルバールを守っていこう。」
 
 言いながらライザーが差しだした手を、クロービスはしっかりと握り返した。
 
 
                          
 
 
 その日の夜明け前、カインはいつものように目を覚ました。ベッドの上に起きあがり、今日の予定を考えてため息をついた。今日は誰ともどこにも出かけられない。また一日訓練場で過ごさなくてはならないのか・・・。入団してから一ヶ月、相方が決まらないばかりに中途半端な状態におかれ続けて、カインはいささかうんざりしていた。採用試験の時、研修に付き添ってくれたハディとは、コンビを組むことが出来なかった。ハディはカインの少し後に入ってきたリーザという女性剣士とコンビを組み、もう外に出て仕事をこなしている。
 
(同期入団だって言うのに・・・差をつけられるばかりだな・・・。)
 
 ため息と共にベッドから出て、カインは身支度を始めた。とにかく予定がないものはない。それならば、また訓練場で誰かをつかまえて相手をしてもらおう。
 
(今日はライザーさんはいるかな・・・。)
 
 ライザーは入団5年、若手のなかでも腕はピカイチの剣士だ。オシニスという剣士とコンビを組んでいるらしいのだが、カインはその剣士には会ったことがない。訓練場で見かける時、ライザーはいつも一人だった。どうしてオシニスがいつもいないのか、カインはその理由を知らない。どうせいつもいないのなら、自分がその代わりになりたいくらいだと思ったことさえあった。
 
「いくら考えても仕方ないよな・・・。」
 
 ちいさな声でつぶやくと、カインは部屋を出て食堂に向かった。仕事があろうがなかろうが腹がへっては戦は出来ない。いや、実際には訓練だが・・・。
 
 食堂はちょうど一番混む時間帯だったらしい。入っていくとハリーとキャラハンという入団4年のコンビに出会った。
 
「おはよう、カイン。何だよむすっとして。」
 
 この二人はいつも明るい。冗談ばかり言い合っていつも笑いあっている。彼らとはまだ一緒に稽古をしたことはない。
 
「むすっとしたくもなりますよ。毎日毎日訓練場ですからね。」
 
「いいじゃないか。誰かとコンビを組んだその日から、もう訓練なんてなかなか出来ないんだからな。俺達は君が羨ましいくらいだよ。なぁ、キャラハン?」
 
「そうだよ。入ってすぐに訓練三昧なんて僕も羨ましいよ。」
 
 相変わらず脳天気に話す二人の言葉は、カインにとってはたいして慰めにならなかった。
 
「ハリーさん達は今日はどこなんですか?」
 
「あさってまで東門の門番さ。門番は退屈なんだよねぇ。だからってハリーと喋っているわけにはいかないし。」
 
「そうだよなぁ、またセルーネさんにゲンコツくらいたくないしな。」
 
「へぇ・・・。私語は厳禁て奴ですか?でも一日中ひたすらだんまりってのもきついですね・・・。」
 
「いや、その・・・一度二人で喋り始めたら乗っちゃってねぇ。そのうち見物人が集まりだして大道芸の漫才みたいになっちゃって・・・。門に人がびっしり集まって動かないもんだから、誰かが何事かあったのかと王宮に問い合わせをしたらしいんだよ。それでセルーネさんにガツンとね。」
 
 ハリーが肩をすくめてみせた。
 
 セルーネというのは、入団10年になると言うベテラン剣士だ。しかも女性である。だが喋る言葉は男性と同じだ。だが男性よりは声が高いことと、どう見ても女性にしか見えない美しい顔立ちのおかげで、男性に間違われずにすんでいる。性格はかなりの熱血タイプで、怒ると大の男だって縮み上がるほど恐ろしい。この二人のことだ、大きな声で冗談でも連発していたのだろう。カインにはその姿が目に浮かぶようだった。
 
 食事を終え、カインは訓練場に向かった。何とそこには、今しがた噂にのぼったばかりのセルーネがいた。相方の剣士ティールもいる。彼らは今日は非番なのだろうか。あたりを見渡したがライザーの姿は見えない。カインは少しがっかりした。
 
「おお、おはよう、カイン。今日は予定はないのか?」
 
「はい・・・。ティールさん達は今日は非番ですか?」
 
「いや、城下町周辺をまわろうと思っている。最近は城壁を一歩出るとかなり危険だからな。でもその割に市民の意識は低いんだ。近場だからって気を抜けないよ。」
 
「そうですか・・・。俺も行きたいな・・・。」
 
「そう焦るな。入ってすぐにこんなに訓練三昧の日々なんて、普通はなかなか取れないんだぞ?せっかくのチャンスと思って今は訓練に専念したらどうだ?」
 
 セルーネはハリー達と同じ事を言う。でもハリー達に言われるよりも、はるかに説得力があった。
 
「そうですね・・・。」
 
 返事と共にため息が漏れた。
 
「まあそうくさるな。さてと、我々はそろそろ出かけるか、おいセルーネ、今日は南門から出るのか?」
 
「そうだなぁ・・・。東はすぐに港だし、西の方はそれほどでもないしな。よし、南からいくか。」
 
「カイン、またな。」
 
「ちゃんと訓練しろよ。」
 
「はい、わかりました。気をつけて。」
 
 セルーネ達は訓練場を出ていった。
 
「さてと、始めるか・・・。」
 
 またため息が漏れる。口を開くたびにため息ばかりだ。そろそろ限界なのかも知れない。どうしてもがまん出来なくなったら、剣士団長に直談判してやる!そんなことを考えると、少しだけ気が楽になった。とにかく今は訓練するしか道はない。素振りを始めたカインのところに、何人かの剣士達が相手をしてやろうかと声をかけてくれた。
 
「それじゃ、お願いします。」
 
 カインは頭を思いきり振ると、雑念を追い出した。
 
 
                          
 
 
 ランドの頼みでオシニスに伝言を伝えたエリオンは、さてこれでゆっくりと休みを楽しめるかなと宿舎に戻った。一度部屋に戻って着替えをしてから、町の中でも歩いてみようか。相方のガレスと一緒に。ここまで考えてエリオンは一人で笑い出した。まったく、せっかくの休みだというのに、一緒に出かける相手が相方の男しか思いつかないとは・・・。でも夜になって、歓楽街の街灯がともれば、またきれいな女の子達を眺めに行ける。ま、大抵は眺めるだけだが・・・。
 宿舎への階段を上がろうとして、呼び止められた。振り向くとランドが立っている。
 
「お前か。さっきの新人はどうした?」
 
「彼ならライザーが自分の部屋に連れて行きましたよ。」
 
「ライザーの・・・?何でまた・・・。」
 
 さっきオシニスを呼びに行った時は、ライザーも一緒にいたはずだ。もっとも、そのあとしばらく中庭をぶらぶらしていたっけ。国王陛下の護衛剣士が中庭に出てきたのを見て、慌てて宿舎に戻ってきたことを、エリオンは思い出した。
 
「さっきの新人は・・・クロービスと言うんですが、ライザーの同郷だそうですよ。呼んでくれと言われたのがエリオンさんにさっきの話を頼んだあとでしたのでね、ダウニーに頼んで、呼んできてもらったんですよ。」
 
 そう言えば、詰所を出て中庭に向かう途中、そのダウニーとすれ違った。あの時だったのか。
 
「へぇ・・・ライザーの同郷ねぇ・・・。あれ・・・?あいつは確か城下町の孤児院にいたんだよな?」
 
「そこに来る前のようですよ。私も詳しいことはわかりません。」
 
「そうか・・・。いや、別にライザーがどこにいようとそれはいいんだが・・・さっきの、クロービスだったか、見た目がすごくおとなしそうだったから、あんなんで王国剣士なんて務まるのかなあと思ってなぁ。」
 
「ははは。さっきセスタンさんにも同じ事を聞かれましたよ。」
 
「そうか。俺だけじゃなかったってことか。お前はそうは思わなかったのか?」
 
「私も思いましたよ。剣士団に入ろうという明確な決意もなさそうでしたしね。だから試験はいつでも受けられるから、よく考えてからにしたほうがいいと言ったんですけどね。本人が、今受けたいと言うので、相手をしたんです。」
 
「ほぉ。で、剣を交えてみたら見た目とは違っていたと、そう言うことか?」
 
「剣に関してはそうですね。腕のほうは間違いないでしょう。でも彼は実際おとなしい性格だと思います。だからライザーに任せたんですよ。彼なら、話をしているうちにクロービスの性格を掴んで、的確なアドバイスをしてくれるでしょう。」
 
「なるほどな。しかし・・・確かに今年になってからやっと4人目の新人だが・・・。お前はほんとにカインとあのクロービスを組ませるつもりなのか?」
 
「そうです。」
 
 ランドは迷わず言い切る。
 
「そうかぁ・・・。いや、実を言うと、さっきお前に『剣技試験の合格者が出た。カインをサポートにつけてモルダナさんの指輪探しをさせるからオシニスにすぐ出るように言ってくれ』って頼まれた時は、ちょっと自分の耳を疑ったからな。」
 
「エリオンさんの耳は確かですよ。」
 
 ランドは涼しい顔で言ってのける。
 
「エリオンさん、非番のところ申し訳ないんですが、もう一つ頼まれてくれませんか?」
 
「別に予定があるわけじゃないからな、いいよ。何だ?」
 
「カインは多分今日も訓練場にいると思います。彼に、今日同室になる新人が来るから、部屋の中を片づけて、夕方には部屋に戻っているように伝えてくれませんか?」
 
「わかった。伝えておくよ。」
 
「お願いします。あ、それから、試験の内容はカインにも伏せておいてください。」
 
「承知の上さ。」
 
 エリオンは訓練場に向かった。ランドの推測どおり、カインはそこにいた。その動きを見ていると、明らかに彼が苛立っているのがわかった。
 
「おい、カイン。ちょっと来い。」
 
 カインは構えを解くと、怪訝そうにエリオンに歩み寄った。
 
「大分イライラしているようだな。」
 
「そろそろ限界かも知れないです・・・。」
 
 カインの口からは、またため息が漏れた。今日は朝から何回ため息をついたのだろう。そう思うだけでカインは嫌になった。エリオンはそんなカインを見てくすっと笑うと、
 
「そのイライラももうすぐ終わりかも知れないぞ。」
 
ポンとカインの肩を叩いた。
 
「・・・え?」
 
 カインはきょとんとしてエリオンを見上げている。
 
「さっき、剣技試験の合格者が出たんだ。」
 
「本当ですか!?」
 
 カインの瞳がパッと輝いた。
 
「ああ、本当の本当さ。ランドからの伝言だ。今日の夕方、お前の部屋に新人を連れて行くから、それまでに部屋を片づけて、ちゃんといるようにってな。」
 
「わかりました!それでエリオンさん、その新人て、どんな奴でしたか!?」
 
 カインはさっきまでのうんざりした態度とはうってかわって、身を乗り出して質問してきた。
 
「そうだなぁ・・・。一言で言うとおとなしそうってところかな。でもランドの話によると、かなりの使い手だと言うことらしい。もちろん、新人としては、なんだろうけどな。」
 
「おとなしそう・・か・・・。」
 
「なんだ?がっかりしたのか?」
 
「あ、いえ。ただ、そんなおとなしい奴がここに試験を受けに来るってのが不思議で・・・。」
 
 カインは取り繕ってみせたが、不安な気持ちでいるのがエリオンにはわかった。
 
「まあな。だが、人の話で判断するな。今のはあくまでも俺の推測だ。まずは自分の目で確かめることだな。」
 
「そうですね。よぉし、それじゃ、午後から部屋の片づけをするぞ!」
 
「午後いっぱいかかるほど散らかっているのか?」
 
 エリオンは笑い出した。クロービスの試験官としてさっき出発したオシニスも整理整頓が苦手な奴だ。カインは彼のようなタイプの剣士になると踏んでいるのだが、さて自分の勘はあたるのだろうか・・・。
 
「あ、いや、その・・・。」
 
 カインは頭をかいている。冗談のつもりだったがどうやら図星らしい。
 
「ははは。それじゃ頑張って片づけてくれよ。王国剣士団は整理整頓が苦手な奴ばかりなのかなんて思われたらシャクだからな。」
 
 エリオンは笑いながら訓練場を出ていった。カインはもう訓練どころではない。自分にもやっとコンビを組める相手が見つかるかも知れない。エリオンの言うおとなしそうと言う印象が気にはなったが、彼の言うとおり、自分の目で確かめてから考えよう、そう心に決めたとき、昼の鐘が鳴った。カインは訓練場を飛び出し、食堂へと向かった。
 
「ハリー・キャラハン組はどこだ!?」
 
 食堂への扉を開けようとした時、背後で怒鳴り声がしてカインは振り返った。声の主はセルーネだった。相方のティールがいない。どうしたのだろう。
 
「セルーネさん、どうしたんですか?」
 
 烈火のごとく怒っているらしいセルーネになど近づきたくなかったが、彼女が感情にまかせて八つ当たりしたりしないことを祈って、カインは声をかけた。
 
「お前か。ハリー達を見なかったか!?」
 
「いえ・・・。朝でかける前は会いましたけど・・・あ、確か東の門の警備だって言ってましたよ。だからあっちに行けば・・・。」
 
「いないから聞いているのさ。あいつら・・・門番の任務を放り出してどこかに行ってしまったんだ。」
 
「え!?まさか・・・。」
 
「私が嘘をついているというのか?」
 
 セルーネはカインをギロリと睨んだ。相当機嫌が悪いらしい。彼女をこれほど怒らせるとは、彼らはいったい何をしたというのだろう。
 
「いえ・・・。でも、ハリーさん達が任務を放り出すなんて・・・。」
 
 カインにはちょっと信じられなかった。あの二人は確かに落ち着きがないかも知れない。持ち場を離れてふらふらしていることもないわけではない。だが、仕事を放り出してどこかに行ってしまったなんてこと、今まで聞いたことがない。
 
「おい、セルーネ。」
 
 振り向くとセルーネの相方のティールが戻ってきたところだった。
 
「いたのか!?」
 
「ああ。俺が一人でいたところに、戻ってきたよ。とにかく今日の夕方まであいつらは東門の門番だ。事情聴取はそれからでも遅くないだろう。」
 
「・・・そうだな・・・。まったく・・・今度消えたりしたら、ゲンコツ100発だ!!」
 
 セルーネは、忌々しそうに舌打ちをした。
 
「その前にお前の手のほうが痛むぞ。」
 
 ティールがにやりとセルーネを横目で見た。
 
「構うものか!さっきの親子連れはあいつらのおかげで死ぬかも知れなかったんだぞ!?」
 
「親子連れ!?」
 
 カインは二人の会話がさっぱりわからず聞き返した。ティールが『あ、そうか』といった表情でカインに視線を移し、話し始めた。
 
「さっき、ハリー達がしばらく持ち場を離れていたんだ。その隙に東の門から、親子連れが町の外に出てしまってな。南門の先のほうまで歩いて行ったところでモンスターに襲われて、あやうく子供が死ぬところだったんだ。」
 
「ええ!?そ、それで・・・その子供は今は・・・。」
 
 カインは驚いた。ティールは顔色が変わったカインをなだめるように肩に手をかけながら、言葉を続けた。
 
「心配するな、助かったよ。その時、その親子連れのあとに偶然若い旅人が一人、同じ東門から外に出ていてな、その旅人がモンスターを追い払って、アサシンバグに刺された子供の毒を中和してくれたんだ。おまけに治療の呪文まで唱えてくれたおかげで、子供はぴんぴんしているよ。」
 
「そうですか・・・。よかった・・・。」
 
 カインは心の底からほっとした。たとえ見も知らぬ人でも、モンスターに殺されたなどと聞いたら平静ではいられない。それがもし、剣士団の不手際によるものだと言うことになってしまったりしたら・・・。
 
「それで、その旅人って言うのはどこにいるんですか?」
 
「さあな・・・。俺達は親子連れを護衛して城下町に戻ってきてしまったからな。南門の辺りをぶらぶら歩いていたようだったが、どこに行くかまでは聞かなかったよ。親子連れをここまで送ってきたあと、旅人が助言してくれたように母親は子供を医者に連れて行ったし、セルーネはカンカンになって王宮でハリー達を問いただしてやるって息巻いていたしな。とりあえず俺が一人で東の門に今までいたのさ。」
 
「ハリーさん達は王宮に戻っていたんですか?俺は見なかったけど・・・。」
 
「いや、それは判らないんだが、その旅人が偶然ハリー達を見かけていたんだ。彼の話によると、ハリー達は東門の前で喧嘩を始めた酔っぱらい達を取り押さえてどこかに行ってしまったと言うことだったから、セルーネがきっと王宮に戻っているだろうって、一人で走り出してしまったんだ。」
 
「へぇ・・・。何かすごい人ですね。その・・・通りかがりの旅人・・・ってでも言ったらいいのかな。」
 
「そうだなぁ。素直そうで感じのいい青年だったが・・・。」
 
 ティールは少しの間、何かを考えているようだったが、カインの顔に視線を移すと、体をかがめて怪訝そうに覗き込んだ。
 
「おい、さっき会った時からどうもお前の顔がにやけているように見えたんだが・・・何かいいことでもあったのか?朝は世界中を敵に回したいのかと思うほど、むすっとしていたんだがな。」
 
 カインはどきっとして思わず顔を片手で押さえた。それほどにやけていただろうか。
 
「あ、あの・・・。実はさっき、剣技試験の合格者が出たそうなんです。」
 
「ほお・・・。やっと4人目か。」
 
「どんなやつかは聞いていないのか?」
 
 セルーネも興味を持ったらしく、カインに尋ねてきた。
 
「エリオンさんがおとなしそうな奴だって言ってたけど・・・でもわかりません。今日の夕方俺の部屋につれてくるそうですから。明日からの研修では俺がそいつのサポートに就く予定なんです。」
 
「そうか。それじゃ、そいつが合格出来るように全力を尽くしてサポートしろ。だが、いらぬ同情心を起こしてかばってやろうなんて思わないことだ。自力で合格出来ないのなら、いずれ脱落していくだけだからな。」
 
「わかりました。」
 
「おい、ティール、そろそろ戻ろう。ハリー達が戻ってきたのなら、後の話は今日の夜だ。」
 
「そうだな。それじゃ行くか。」
 
 二人と別れ、カインは食堂に入った。いつものように大盛りの昼食を平らげると、訓練場には行かず、さっさと部屋に戻った。
 荷物などそんなに無いはずの部屋の中は、エリオンの言うとおりかなり散らかっていた。カインはまず、自分のベッドとチェスト、鏡など、備え付けの家具類を部屋の西側に寄せた。そして開いているベッドや家具類を東側に寄せ、ある程度境界がわかるようにした。そしてその間に散らかる服などを拾い集めていくと、なぜか一枚だけずっしりと重い服がある。不思議に思って引っ張ると、中に本がくるまっていた。
 
『剣技大全』
 
 読書の苦手なカインが、唯一買って読んだ本だ。剣技の基礎がたくさん載っている。だが今のカインにはそれも目に入らない。自分の荷物の中に適当に放り込むと、床を掃き、初めて使うかも知れないハタキまでかけて、やっと掃除が終わった。左右対称に並べられた家具。ベッドを一番内側に並べ、寝ころんだままでも話が出来るようにした。それでもベッドとベッドの間には、人が二人は並んで通れるだけのスペースが空いている。狭く感じることはないだろう。これからここでずっと一緒に暮らす相手なのだから、いろいろと話すことがきっとある。
 一通り部屋の準備が出来たところで窓の外を見た。陽はそろそろ西の空に傾く頃だ。もうすぐ新人剣士がこの部屋にやってくる。その時が迫ってみると、カインは急に不安になった。
 
(どんな奴なのかな・・・。)
 
 こんな風にベッドを隣り合わせに並べたはいいけれど、相手が嫌がったりしたらどうしよう。いや、そもそもそんなわがままな奴は剣士団に合格出来ない。ランドさんは、剣を交えながら、相手のだいたいの性格まで読みとってしまうと、誰かが言っていたのを聞いたことがある。
 
「きっといい奴だよな・・・。」
 
 不安を振り払うように、カインは声に出してつぶやいた。そして大きく深呼吸すると、もう一度つぶやいた。
 
「きっとうまくいくさ!」
 
 その時扉がノックされた。
 
「カイン、在室か?」
 
 それは、ライザーの声だった。何の用かなと首を傾げたカインは次の瞬間ハッとした。もしかしたら、彼が新人を連れてきてくれたのだろうか。心臓が飛び出しそうなほどドキドキしながら、カインは慌てて答えた。
 
「は、はい。」
 
 カチャリと扉が開き、ライザーが部屋に入ってきた。彼は素早く部屋の中を見渡し、少しだけニッと笑った。この部屋の前の状態を彼は知っている。カインが必死で掃除をしたのだろうとわかったに違いない。ライザーは後ろを振り向き、扉の外の人影を部屋の中へと促した。
 
「今日から君の同室となるクロービスだ。」
 
 部屋に入ってきたのは、黒い髪に黒い瞳の、実に『おとなしそうな』若者だった。背はあまり高くない。体つきも何となく華奢に見えた。ライザーと並んでいたからそう見えたのだろうか。エルバール王国内で黒い髪というのはめずらしい。城下町に住んでいる人達はほとんど金髪か栗色だ。そういえば、髪の色というのは南に行くほど濃くなっていくと聞いたことがある。彼は南のほうの出身なのだろうか。
 カインの視線は若者の瞳に移った。黒い瞳・・・。優しげな印象を受ける顔立ちだが、少しだけ影があるように見えた。気のせいなのだろうか。おとなしそうではあるが、怯えた感じはしない。ライザーがつれてくる途中、いろいろと話をして、落ち着かせたのかも知れない。
 クロービスはじっとカインを見つめている。初対面の相手を、無遠慮と思えるほどにしげしげと見つめていられるなんて、彼は物怖じしない性格なのだろうか。いや、さっき部屋に入ってきた時は、おとなしそうに見えた。
 
(おとなしくて物怖じしないやつなんて聞いたことがない・・・。変な奴だな・・・。)
 
 どことなく世間知らずにも見える。何となくつかみどころのない人物に思えた。彼はいったい、どんな剣さばきを見せてくれるのだろう。
 
(明日からの研修で、腕前を見せてもらうとするか。)
 
 カインは自分を見つめ続ける若者に少しだけ微笑んで、すっと手を差し出した。
 
「俺はカイン。よろしくな。」
 

気が向けば続く

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