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 突然グラディスが体を震わせた。手には鳥肌が立っている。
 
「おいどうした。具合が悪いのか?」
 
 驚いたガウディが尋ねた。
 
「いや・・・。今、急に・・・。」
 
 誰かが自分を見ていた。ぞっとするような冷たい視線を、ほんの一瞬だけ感じたのだ。
 
「冷たい視線か・・・。俺はそんなもの感じなかったなあ。」
 
「まあ気のせいかもしれないよ。それじゃ昼までそんなに時間がないから、市場の店主に少し聞き込みをしておくか。人混みに紛れてスリもいれば盗人もまだまだいるだろうしな。」
 
 そう言って笑ってみせたが、グラディスの背中にはまた冷たいものが流れていた。その視線は、ここからあまり離れていない場所にいた誰かから発せられたものだと思う。だがグラディスには心当たりがない。
 
(あのローディっておっさんが危ないことに関わっているのだとしたら、その黒幕は俺がその証拠の品を持っていると知ってるんだろうか・・・。)
 
 酒瓶と一緒に預かった封筒・・・。真っ黒い封筒に真紅の封蝋の・・・。でもその話を、今のところガウディ以外に話してはいない。今日ローディと会って話を聞いたら、先輩剣士の誰かに相談してみようかと思っているところだが・・・。
 
「あ、そうか・・・!」
 
 突然グラディスが叫んだ。
 
「なんだ、どうかしたのか!?」
 
 驚いたガウディが聞き返す。
 
「さっきの視線だよ。俺は誰かに恨まれる覚えはないからな。もしかしたらあの黒い封筒に関係して、誰かが俺に対して気に入らない感情を持っているのかと思ったのさ。」
 
「誰かって、誰だよ?」
 
「そこまではわからん。だが俺があの男の酒代を肩代わりしたあと、この広場まで一緒に歩いてきたと言ったじゃないか。つまりあの時、この市場にいた客や店の主や通行人達は、あの男と俺が並んで歩いているのを見ているんだ。もちろん普通なら王国剣士がどこの誰と歩いていようと気にも留めないだろう。これはまったくの仮定だが、もしもあの男がさっき話していた周旋屋達の話と繋がっているとしたら、やつが本当に誰かに追われていた可能性はある。その誰かは、俺の顔を知っているというわけさ。」
 
「ふうん・・・。」
 
 ガウディの返事はなんだか呆れているような感じだった。
 
(こいつはいつもこうだ。俺の意見をバカにしたように受け流す・・・。)
 
 そもそもガウディは、ローディという人物を信用していない。彼が『追われていたかもしれない』というグラディスの主張に、最初から懐疑的だった。
 
「ま、君がそう思うならその線で話をしてみようじゃないか。そろそろ昼だ。せっかくだからここの市場の屋台で食べよう。」
 
 ガウディは素っ気なく言うと、さっさと先に立って歩き出した。その態度に腹は立つが、自分の『仮定』など、外れてちょうどなのだ。そんな物騒な話は何も起きていなくて、この街はいつも平和で・・・。だが誰かが自分に向けて冷たい視線を放っていたのは確かなのだ。いったい何者なのだろうか・・・。
 
 
                          
 
 
 この日の朝早く、ローディは起き出していた。あの黒い封筒を拾ってから、もう10日近くすぎていたが、ローディの周りはまったく何事もなく静かなものだ。あの日の翌日は仕事を休んだが、その次の日は女房にどやされて仕事に行った。職場だっていつもどおりだった。それ以来、ローディは何事もなく日々を過ごしている。あの時のことがまるで夢だと思えるくらいに。
 
「でも夢じゃないんだよな・・・。」
 
 あの黒い封筒は今ローディの手元にないが、その封筒を拾った事も、その中に書かれていた場所で『誰か』に追われた事も、紛れもなく実際に起きた出来事だ。そしてあの酒場の前での揉め事を、その誰か・・・おそらくあの黒マントの男はどこかから見ていた事だろう。その男は自分の顔を知っているのだ。今日の午後、あのグラディスと言う王国剣士に全て話すつもりだが、果たして彼が現れるのか、それはわからない。そこでローディは二段構えの作戦を立てた。まずは今日の午後約束の場所に行くこと。そして、もしも王国剣士が現れなかったら、今度こそ王宮に出向いて直接あの王国剣士に会わせてくれるよう頼み込もう、もしも取り次いでもらえなくても事情を説明できるようにと、手紙を準備した。
 
「これで・・・何とかなるといいが・・・。」
 
 あの黒マントの男が捕まれば、ローディはやっと安心して眠ることが出来るだろう。
 
「そろそろ出かけるか・・・。」
 
 手紙を握り締め、家を出た。ローディの家から約束の場所までは歩いて10分ほどだが、出来るだけ確実に約束の場所に着けるよう、ぎりぎりまで、ローディは家にこもっていた。
 
(あのマント野郎・・・その辺にいないよな・・・。)
 
 さりげなくあたりを伺ってみたが、あんな格好で昼間から表を歩いていては目立ちすぎる。おそらく昼間外にいるとしたら普通の格好をしているだろう。となると、誰かが自分を見ていないか、それを気にしながら歩く必要がある・・・。
 
 約束の場所は、市場のすぐ近くだ。普段はそれほど混雑するような場所ではないので、そこで待ち合わせてから13番通りに案内するつもりだったのだが、今日はいやに人が多い。
 
(こんな人混みの中からいきなりぶすりとか、冗談じゃないぞ。)
 
 早くあの王国剣士が現れないものか。人混みの中をきょろきょろと見渡していたローディの視界に、あの王国剣士の顔が見えた。
 
(やった!これで・・・)
 
 王国剣士に向かって駆け出そうとした瞬間、ローディの背中がかっと熱くなった。
 
「がぁ・・・・!」
 
 声にならない声を上げ、それきりローディの視界は真っ暗になった。
 
 
                          
 
 
 グラディスとガウディは食事を終えて、ローディとの約束の場所に向かっていた。屋台で食べようとしたはいいが、とにかく今日は人が多い。散々待たされやっとのことで食べ終えて広場に戻ってきたのだ。
 
「まったく、なんだって今日は人が多いなあ。」
 
「最近人夫の募集を増やしたとかいう話があったじゃないか。それを当て込んで人が増えているんだろう。」
 
 その『人夫募集を増やした』おかげで、エイベックは人夫頭という職につくことが出来たのだが、それにしてもこれほど人が増えたのでは警備も何もあったもんじゃない。
 
「うーん・・・あ、いたいた。約束通り来たみたいだな。」
 
 人混みの中にローディが立っていて、こっちを見ている。
 
「あの男か。なるほど、君が言うとおりごく普通の男に見えるな。こっちを見ているから俺達に気がついたみたいだぞ。」
 
「そうだな。さりげなく近づいて声をかける・・・ん?」
 
 グラディスが答えたのと、2人がそのローディに奇妙な違和感を覚えたのがほとんど同時だった。
 
「・・・確かにこっちを見ているが・・・何だあの顔は・・・。」
 
 近づくにつれて、ローディが異様な表情をしている事がわかってきた。目をカッと見開き、何かを叫ぼうとしたかのように大きく口をあけたままだ。
 
「様子がおかしいぞ!」
 
 2人は同時にかけ出した。
 
「おいあんた!どうし・・・うわ!」
 
 グラディスが肩を掴んで揺さぶろうとした瞬間、ローディの体がぐにゃりと崩れるようにグラディスに向かって倒れ込んだ。
 
「おい!何が・・・」
 
「グラディス、背中を見ろ!」
 
 ガウディに言われ背中をのぞき込んだグラディスはぎょっとした。ローディの背中にはダガーが深々と突き刺されていた。
 
「おい!しっかりしろ!」
 
 グラディスはローディを仰向けにして、頬を叩いた。だが返事はない。
 
「息はあるか!?」
 
 ガウディが叫び、グラディスがローディの胸に耳を当てた。心臓の音は・・・
 
「生きてるぞ!」
 
「背中にダガーが刺さったままだからか。抜かれてたら終わりだったが、助かったな。」
 
 出血はしていたがそれほど大量ではない。ダガーが栓の役目をしてくれたらしい。
 
「とにかく、詰所に運ぼう。このくらいなら気功で何とかなるだろう。しかしこの状態で倒れていなかったのは幸運だったな。」
 
 2人は辺りを見回した。市場にほど近いこの場所は、相変わらず人でごった返している。こんなところで地面に倒れたりしたら、踏みつぶされていたかもしれない。
 
「かなり素早く刺されているみたいだ。ショックで体が硬直したんだろう。何とか背負えるか?」
 
「ああ、俺が背負うよ。荷物は持ってくれるか?」
 
「わかった。しかしこのままじゃまずいな。」
 
 ガウディは自分のマントを外し、ローディの体をくるんだ。まわりを歩く人々が、そろそろグラディス達を不審に思い始めた。立ち止まって様子を窺う人もいる。背中にダガーが突き刺さったままの人間を背負っていたら、大きな騒動に発展してしまうかもしれない。
 
「よし、行くか!・・・ん?この男、何か持ってるぞ。」
 
 ローディの手にしっかりと握られたままなのは、今朝彼が書いた『二段構えの作戦』のひとつである手紙だった。ガウディもグラディスもそんなことは知る由もないが、とにかく俺が預かると、グラディスはその手紙を何とか手から抜き取り、懐深く忍ばせた。なぜか、この手紙を何があっても手放してはいけないと、本能がささやいているような気がしたのだ。
 
 
 グラディスがローディを背負い、ガウディがグラディスの槍と荷物を担いだ。詰所はこのすぐ近くだ。2人の周囲には、すでに立ち止まって様子を窺う人々が大勢いる。早くここを離れたい。この男が何か重要なことを知っているのならなおさらだ。
 
 
「・・・ふん、間の悪い時に・・・。」
 
 ローディを抱えて市場から出て行く二人を、苦々しく見つめる人影があった。言うまでもなくローディを刺した人物だ。計画では人混みの中でローディを刺し、柄を一ひねりして確実に息の根を止めるはずだったのだ。ところが刺した瞬間路地から出てきた人波に押され、ダガーの柄が手から離れてしまった。ローディはあまりにも密集した人混みのおかげで、倒れることなく、硬直したようにそこに立ったままになっていた。もう一度近づこうとした時、2人の王国剣士が駆け寄ってきたのだ。
 
「しかたない・・・。あの2人はおそらく話を聞くだろう。3人ともまとめて始末するしかないか・・・。やれやれ、厄介な・・・。」
 
 人影はため息をつき、その場を離れた。
 
 
                          
 
 
 剣士団の詰所が見えてきた。ダガーが刺さったままでは本格的な治療は行えないが、ローディの体から『気』が流れ出てしまうのを防ぐため、ガウディが時折気功を使いながらここまで来たのだ。おかげでローディの顔色はそれほど悪くなってはいない。
 
「やっとついたな。誰かいるといいんだが・・・。」
 
 そう言いながら、ガウディは扉を開けた。
 
「おや、お前達どうした?」
 
なんとそこにいたのは、剣士団長ドレイファスだったのだ。副団長のデリルも一緒だ。驚いたがこれはありがたい。もしかするとこの男についての話を相談できるかもしれないと二人は考えた。もちろん、2人とも『相手も同じことを考えている』とは思っていない。
 
「広場で怪我人が出たので運んできました。奥の部屋を使ってもいいですか?」
 
「おお、けが人か!もちろんだ。すぐに奥の部屋に寝かせなさい。」
 
 グラディスは奥の部屋のベッドにローディをうつぶせに寝かせた。そしてドレイファスとデリルに、治療の協力を仰いだ。ドレイファス団長の気功の腕はこの国随一と言っても過言ではないほどだし、デリル副団長の治療術もすばらしい腕前だ。さっそくダガーを抜く作業が始められ、ローディの傷は少しずつきれいになっていった。
 
 
「ふう・・・こんなところだろう。」
 
 ドレイファスが額の汗を拭った。ローディの顔色は良くなり、呼吸も整ってきた。
 
「さてと、ガウディ、グラディス、事情を聴かせてくれるか。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 グラディスは言葉に詰まった。さっきまでは団長達に相談したいと考えていたが・・・。なんだか落ち着いてみると、得体の知れないこんな話を信じてもらえるのかどうか、わからなくなってきたのだ。グラディスがこの男について知っていることといえば、あの日路地裏で酒を盗んで逃げようとしたところに出くわした、それだけだ。この男が何かに怯えているのはわかるが、それがなぜなのか、あの黒い封筒の中身を読んでもさっぱりわからなかった。さっきたまたまガウディと話していて、周旋屋達が怪しいなどと言ってはみたが・・・。それもただの推測だ。どうする・・・。背中を刺された男を担いできただけだと、言ってしまおうか。刺されたところに出くわしたのは間違いないのだから、ここはとぼけて知らぬ存ぜぬで通すべきか。それとも・・・全て事情を話して団長に協力してもらうか・・・。事情を話して、それで笑い飛ばされたらどうする?確かにこの男は刺されて死ぬかもしれなかったが、あの手紙も酒泥棒の話も、全てこの男の狂言ではないかと言われたら・・・。
 
「どんな内容であれ、人1人がもしかしたら死ぬところだったのだぞ。それが例え通り魔の仕業であれ、この男の事情によるものであれ、こうして一度関わってしまったのだ。お前達が何か知っているなら、解決のために動く事が王国剣士としての責務だと思うが。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 諭すような団長の言葉が胸に迫る。確かに、いずれ誰かに相談しようと思ってはいたが、まさかここで団長に会ってしまうとは・・・。
 
「グラディス、君から話せよ。」
 
「おいガウディ!」
 
 人がいろいろ考えているのに台無しにしやがって。これでは何か隠してますと言っているようなものだ。なんでこいつはここぞというところで考えなしなんだ・・・。
 
「グラディス、話してくれんか。」
 
 もう一度言われ、グラディスは団長に全部話す事にした。今ここで隠し立てしたところで、もしこの男の口から聞かされた事があの周旋屋の死に関わっているのだとしたら、自分達で手に負える仕事ではなくなるかもしれない。グラディスはローディに初めて会った経緯から、今日の午後市場で会う事になっていたところまで、手紙の話も全て話した。団長はなんと言うだろうか・・・。
 
「ふうむ・・・。」
 
「そんなことが・・・。」
 
 団長も副団長も、真剣な面持ちで聞いていた。
 
「お前達、そのことを我々の他に誰かに話したか?」
 
「いえ・・・。こいつくらいです。」
 
 グラディスはガウディを指し示した。
 
「うむ、ガウディも誰にも?」
 
「は・・・はい・・・。わ、私は、こいつから聞いただけですし、この男に会ったのも今日初めてでしたから。」
 
「なるほどな・・・。」
 
 団長はしばらく考え込んでいたが・・・
 
「そうだな、それでは一つ私が助言をしよう。この話を、パーシバルに相談してみてくれ。」
 
「・・・パーシバルさんに・・・?」
 
「ああそうだ。お前達も、次期団長にパーシバルをと言う動きがあるのは知っているだろう。」
 
「はい、あ、いや、その・・・。」
 
 噂はもちろん聞いているが、ドレイファス団長はまだまだ『老齢』などと言う言葉とは結びつかない。おそらくまだしばらくは今のままになるだろうと思っていたのだが、まさかその本人からこんな話が出るとは思わなかった。
 
「はっはっは、お前達には答えづらい質問だったな。そんなに慌てなくてもいいぞ。ドレイファスはもう年寄りだと言う噂は、確かにその通りかもしれん。」
 
「で、でも団長はまだまだ・・・!」
 
「確かに、まだまだ行ける。自分でもそう思うが、そろそろ私の役目も終わりかもしれんと、最近思うようになったんだよ。」
 
「団長、そんな事はありませんよ。」
 
 副団長デリルが言った。
 
「確かに年齢について気にしているわけではない。私が今まで剣士団長の職から降りなかったのは、フロリア様がわずか6歳で王位に就かれてから、フロリア様の事が心配だったから、その一点だけだ。もちろんケルナーとレイナックを信用していないわけではないがな。」
 
 そこまで言うと、団長は小さくため息をついて、ふふっと笑った。
 
「フロリア様ももう10歳、いや、もちろんまだ10歳とも言えるわけだが、少し前に御前会議で、フロリア様御自ら議題を出された。内容は『貧民街の救済に関する抜本的な対策について』というものだった。内容も立派なものだった。今までのように貴婦人の施し中心ではなく、誰もが等しく暖かい家に住み、教育を受け、住んでいる場所で差別されることなどないように、根本的な対策を考えて行きたいと。」
 
「フロリア様も大人になられましたね。」
 
 デリル副団長が眼を細めてそう言った。2人にとって国王フロリアは生まれた時から知っている、『かわいらしい王女様』なのだ。
 
「ああ・・・。レイナックが時折城下町にフロリア様をお忍びで連れ出して視察をしていたが、先日貧民街に行かれたらしい。フロリア様はどうしても自分の足で町の中を歩くと仰せられ、何といじめられていた子供を助けられたそうだ。」
 
「その話は私もモルダナ殿から伺いましたよ。小さかった姫が立派に成長なされたと、モルダナ殿もうれしそうでした。」
 
 デリルはまるでわが子をほめられたかのように、にこにこしている。モルダナというのは国王フロリアの乳母だったが、今では教育係として引き続きフロリアに仕えている。たおやかな女性だが実は男勝りな性格で、思った事はきちんと言う、自分の過ちに気づいたら潔く謝る、からりとした裏表のない人物だ。フロリアにとっては、母親代わりとも言うべき女性である。
 
「そう、フロリア様は立派に成長なされた。もう少し大きくなれば、ご結婚の話も出るだろう。もう小さかった『王女様』を心配する必要はない。私の出番はそろそろ終わりなんだよ。」
 
 2人の会話をグラディスもガウディも戸惑った顔で聞いている。何と答えを返せばいいのかわからず、2人とも黙り込んでいた。
 
「まあ、そういうわけだ。私は剣士団長の職を辞する事になるだろう。その後任として名前があがっているのがパーシバルなら、私に異存はない。さて、お前達に年寄りの長話を聞かせてしまったが、ここからが本題だ。今お前達がしてくれた話、確かに未だ先の見えない話だが、これをパーシバルに解決させようと思うんだ。どうだ?次期団長としての腕を見るにはちょうどいい話じゃないか?」
 
 いい話じゃないかと言われて、そうですねとも言えない。だが、パーシバルに話をするとなれば、当然相方のヒューイにも話をしなければならなくなる。
 
「うむ・・・そのことだが、今回はパーシバルだけに話をしてくれないか。」
 
「え?」
 
「それはどういう・・・。」
 
 思いがけない話に、グラディスとガウディは驚いた。
 
「納得いかないと顔に書いてあるな。心配するな、ちゃんと説明するから。これがもし普通に彼らに協力を仰げという話なら、私もこんなことは言わん。だが今回は、パーシバル自身の力量を見たいのだ。お前達も、ヒューイの問題解決能力はよく知っているだろう。正直、あの2人に協力されてしまうと、パーシバルの力がどこまでなのかが判断しにくくてなあ。」
 
「グラディス、ガウディ、実を言うとな、私達がここで相談していたのは、パーシバルの力を見るのにどうしたらいいかを相談するためだったんだよ。へたをすればヒューイを傷つける事になるし、パーシバルとの仲が不仲になっては困るからな。」
 
 副団長が言った。そういうことだったのか。確かに『二人一組で動く』が基本の王国剣士の、コンビの片割れだけに仕事を頼むというのは、なかなか難しい。相方の立場を蔑ろにしていると思われる危険性もある。特にパーシバルとヒューイは仲がいい。パーシバルの団長としての資質を見る、なんて聞いたら、ヒューイのことだ、全面的にパーシバルに協力するだろう。
 
「でも・・・わざわざパーシバルさんだけ呼び出してって言うのは俺達には・・・。」
 
 ヒューイだってそんな事をされたら不審に思うだろう。あの2人が一緒じゃないのは非番の日くらいだが、その日はまだ何日か先だ。
 
「それは私から言っておくよ。ごまかしたりせずに、『お前の団長としての資質を見たい』とな。」
 
「え!?そこまで・・・」
 
 驚いたガウディとグラディスに向かって、団長はいたずらっぽく笑って見せた。
 
「ははは、奴がびっくりする顔が目に浮かぶようだ。その話は今日の夜しておこう。明日にでもパーシバルの方からお前達に声をかけるようにとな。」
 
「わかりました。お願いします。」
 
「さて、この男だが・・・目を覚ましてくれれば話が聞けるのだがな。」
 
 団長がローディに向き直った。ローディはまだ眠っている。
 
「気付けの呪文で起こしましょうか。夜までここのベッドを占領されるのは困りますからね。」
 
「それもそうだな。」
 
 デリル副団長が軽めの気付けの呪文を唱えた。ローディはぱっちりと目をあけたが・・・
 
「・・・へぇ・・・なんだ、天の国って言ってもたいしたことないな。普通の建物じゃないか。」
 
 どうやら自分が死んだと思っているらしい。
 
「残念ながらここは天の国ではないぞ、剣士団の詰所の中だ。」
 
「え・・・?」
 
 ローディはドレイファスのほうに顔を向け、ぎょっとして飛び起きた。
 
「あんたの・・・い、いや、あな、あな、あなたの・・・顔は、見た事が・・・」
 
「ははは、私もそこそこ顔は知られているからな。お初にお目にかかる。剣士団長のドレイファスだ。隣が副団長のデリル、そしてあんたの左側にいる2人が、あんたをここまで運んできた功労者だ。」
 
「・・・・・・・。」
 
 何が起きたかわからないと言った顔で、ローディはグラディスを見、『あー!』と声をあげた。
 
「やっと会えたなおっさん。いや、ローディさんだったか。あんたは広場で後ろから刺されたんだ。助かって良かったな。」
 
 ローディはしばらくグラディスを見つめていたが・・・。
 
「助かった・・・のか・・・。」
 
 そう言って、涙をこぼした。
 
「はあ・・・よかった・・・」
 
 言いかけたローディは突然顔をあげ、涙をごしごしと拭って叫んだ。
 
「いや、よくない!ちっくしょう!あのマント野郎はどこだ!?俺を刺しやがった奴は!?」
 
「マント野郎?あんたを刺した奴の事か。」
 
「そうだ!捕まえたのか!?」
 
「残念ながら、俺達があんたを見つけた時にはもう刺されたあとだったよ。人混みの中に立っていたおかげで倒れずにすんだんだろう。あんたの周りにいた誰かが犯人だとしても、あの状況ではわからなかっただろうな。」
 
「なんだよ・・・捕まえてないのかよ・・・。」
 
 ローディはがっかりした。これでやっと安心して眠れると思っていたのに・・・。
 
「ローディさんと言いましたね。捕まえるも何も、我々はあなたから何の事情も聴いていないんですよ。現行犯ならともかく、今の状況で確かな事は、あなたが刺されたという事実だけだ。その犯人を捕まえたいと思うのなら、知っている事を全て話してくれませんか。」
 
 ガウディが苛立たしげに言った。ローディはハッとしてきまりが悪そうに黙り込んだ。
 
「ローディさん、あんたが狙われているのはどうやら間違いないようだ。だが、犯人を捕まえるためにはまだまだ情報が足りないんだ。どうかここで、知っている事を全部話してくれんか。」
 
 ドレイファスが諭すように言った。
 
「・・・話しますよ。俺だけが知っているから狙われるんだ。たくさんの人が知れば、俺だけ狙われる事もないからな。」
 
 そう言って、ローディは10日ほど前の夜、酔って迷い込んだ住宅地区の工事現場にある資材置き場の陰で、何者かが開いていた会合の話をした。その時拾った封筒の中身を見て、つい好奇心から指定された日に13番通りに入っていった事、そして工事現場にいた黒マントの男に追われ、酒場に飛び込んでわざとグラスを割り、バーテンダーを呼び寄せてから酒瓶を取って走ったのだと・・・。これで自分が酒泥棒である事を白状してしまった。だがローディは後悔していない。何があろうと、死ぬよりはましじゃないか。
 
「ふむ・・・するとその酒瓶と封筒は、グラディスが持っているのか。」
 
「宿舎においてあります。一応隠してあるし、部屋の鍵はかけてあるから、大丈夫だと思いますよ。」
 
 剣士団の宿舎に入るほど度胸のある泥棒には、今までお目にかかった事がない。いやそもそも、あんな飲みかけの酒と芝居の小道具のような封筒なんて、置かれているのが宿舎の中じゃなくたって、誰も持っていきやしないだろう。
 
「なるほど・・・。それじゃグラディス、それを私に見せてくれ。そうだな、今日はお前達もう上がれ。ここを出たらすぐ宿舎に帰って、その酒瓶と封筒を私のところに持ってきてくれ。いいか、すぐにだ。必ずお前が来るのだぞ。ガウディも一緒にな。万が一、誰かに用事を頼まれても、絶対に人に頼んじゃいかん。私の用事だから後回しにすると怒られるとでも言っておけばいい。いいな?」
 
「はい・・・。」
 
 ドレイファスの口調は真剣だ。狂言に騙されたのじゃないかと笑い飛ばされるかもしれない、そうグラディスは心配していたのだが、ここで相談してよかったようだ。ただ・・・その一方で、団長も副団長もあまりに自分の話を真剣に聞いていたので、そこに違和感を感じたことも確かだ。
 
「さてローディさん、あんたの家はどこだ?あんたが広場で刺されたということは、賊はおそらくあんたの家までは知らないんだろう。だがあんたが死んだと思っているならいいが、もしかしたらこの2人があんたを助けた事に気づいているかも知れん。今ここであんたを1人で帰らせるわけにはいかないな。」
 
「あの・・・やっぱりその・・・地下牢・・・ですか?」
 
 ローディは恐る恐る聞いた。
 
「地下牢?あんたは何もしていないじゃないか。なんで地下牢に行く必要がある?」
 
 ドレイファスが尋ねた。
 
「い、いや、その・・・他所の店のグラスを割ったり、酒を盗んだり・・・。」
 
(へえ・・・根は真面目な男なんだな・・・。)
 
 ガウディはローディという人物を全面的に信用したわけではないが、確かにグラディスの言うとおり『普通の人』なんだろうなと言うことはわかってきた。そして真面目な人物らしい。もちろんここまでの言動が全て演技でないならば、の話だが、誰かを一発勝負で騙すならともかく、ずっと騙し続けるというのはなかなか難しいものだ。この男はおそらく、グラディスの見立てどおりの人物なのだろう。
 
「ほぉ、真面目だな。ま、その点は心配いらん。聞けばやむを得ない状況だったようじゃないか。それにその酒場の損害については、グラディスが金を渡して片がついているんだ。あんたは泥棒でもなんでもない、前科がつくこともない。大手を振って表通りを歩いていいんだぞ。」
 
「そうですか・・・。それじゃ俺はそろそろ帰ります。女房と子供が待ってますから・・・。」
 
 ローディはほっとしてベッドから降りたが、途端にふらついた。
 
「まだ普通には歩けないだろう。あんたの背中には、このダガーがこの辺りまで刺さっていたんだぞ。」
 
 ドレイファスがローディの背中から抜かれたダガーを出して見せた。刀身の短いダガーとは言え、人間の体に深く刺し込めばその命を奪うことも出来る。ドレイファスが指さした、柄に程近い場所にまだついている血を見て、ローディは身震いした。
 
「相手はおそらくかなりの手練れだろう。もう少しここで休んで、あとは、そうだな・・・。デリル、この人を家まで送り届けてくれるか。」
 
「わかりました。」
 
「あ、それなら俺達が・・・。」
 
 元を辿れば自分が関わったことだ。腰を浮かしかけたグラディスを、ドレイファスが制した。
 
「いや、ここはデリルに任せよう。それよりお前達はもう戻りなさい。私もここを出ることにしよう。」
 
 ローディはデリルと一緒に詰所を出て行った。デリル副団長の腕ならば、もしローディを刺した人物が戻ってきても大丈夫だろう。穏やかな性格で誰とでも気さくに話すデリルだが、ひとたび剣を抜けば、その実力は団長に匹敵するとも言われている。グラディスとガウディはドレイファスに煽られるようにして詰所を出た。まだ日は高い。だが団長の指示だ、二人は仕方なく王宮へと向かって歩き出した。
 
「団長達がいてよかったな。」
 
 ガウディが言った。
 
「まったくだ。ダガーの傷は思ったより深かったし、もしも誰もいなかったら近くを歩いている誰かを探してこなきゃならないところだったよ。」
 
「そうだなあ・・・。俺達の気功じゃ、あんなに鮮やかには行かないな。」
 
「精進しろってことなんだろうな。それじゃまっすぐ部屋に戻って、すぐに団長のところに行こうぜ。あんな言われ方をすると、もう一刻も早くもって行かなくちゃって気になるよ。」
 
「団長にお願いすれば、もっといろいろと調べることは出来るだろう。俺達で頭を抱える必要もなくなるという訳か。」
 
「でもそうでもないんじゃないか。さっき言われたじゃないか。」
 
「あ・・・そうか・・・。」
 
『パーシバルに解決させようと思うんだ』
 
 団長はそう言っていた。つまり自分達がパーシバルに相談するという形で、解決に動かなければならないということだ。
 
「ま、とにかく行こう。」
 
 二人は部屋に戻り、ローディから預かったあの酒瓶の包みを持って剣士団長室へと向かった。ドレイファスはもう戻っていて、二人を中に入れるとぴたりと扉を閉めた。
 
「さて、それでは見せてくれ。」
 
 差し出した包みをみて、団長は酒瓶よりもあの黒い封筒を手にとって念入りにながめている。そして中を開け、手紙を読んで『うーん・・・』と唸った。
 
「さっきあのローディという男に聞いた話と考え合わせると、この手紙の中の日にちと、ガルガスが亡くなった日はぴたりと合うな。そして・・・二日後、グラディスが酒場の前でぶつかったと、それで間違いないな?」
 
「はい。」
 
「ふむ・・・。」
 
 ドレイファスはしばらく考え込んでいたが・・・
 
「なあグラディス、ものは相談だが、この酒瓶と手紙、私に預からせてくれんか。」
 
「団長に・・・ですか・・・。」
 
「うむ、パーシバルにこの件について話す時に、私のほうからこれを見せて事の次第を説明しておく。」
 
 団長が預かってくれるならこれほどありがたい事はない。だが・・・
 
(何だろう・・・。この不安は・・・。)
 
「おいグラディス、なんで黙っているんだ。団長がせっかくこうおっしゃってくださっているんだ。このまま預けたほうがいいんじゃないのか?」
 
 ガウディの口調は『さっさとしろ』とでも言わんばかりだ。グラディスは心の中で舌打ちをした。なんでこいつは何とも思わないんだ?
 
 ローディを詰所に運んでから、この件について団長と副団長がやたらと親身になって話を聞いてくれる。だがそれはなぜだ?あんな雲を掴むような話を、疑うそぶりすら見せない。まさか団長自身がこの件に関わっているんじゃないだろうかなどと、突飛な事まで考えてしまう。
 
(まあ・・・少なくとも『黒マントの男』が団長のはずはないんだけどな・・・。)
 
 さっきローディは『黒マントの男の声に聞き覚えがある』と言っていた。どこかで聞いた記憶はある、しかしパッと思い出せるほど身近な人物の声ではないらしいが、ローディと剣士団長とは初対面だ。無論剣士団長はこの国で顔を知られている。フロリア様の護衛として、いつでもどこでも一緒にいるからだ。しかし『声』となるとどうだろう。フロリア様は幼いながらも立派に国王としての務めを果たしている。その隣に剣士団長はいつも立っているが、その声を聞くことなんて、ほとんどないに違いない。
 
「どうだグラディス。」
 
 ドレイファスがもう一度尋ねた。相手は剣士団長だ。あなたが犯人の一味かも知れないから渡せないなんて、とても言えない・・・。
 
「わかりました。お預けします。よろしくお願いします。」
 
「うむ、確かに預かったぞ。では今日の夜、私がパーシバルを呼び出して、話をしておく。ヒューイにはくれぐれも内密にな。なあに心配いらん。事件が解決した暁には、私からヒューイに謝っておく。あの男はパーシバルと親友同士なんだ。心を込めて話せばわかってくれるさ。」
 
 不安は残るが団長を信じるしかない。願わくは団長が敵の一味でありませんように。今日の夜、部屋で2人まとめてばっさりなんてことになりませんように・・・。
 
 ばかばかしいと思う一方で、一度芽生えた不信の芽はそう簡単に消えてくれそうにない。半分本気でそんな祈りを神様に捧げながら、自分達の部屋に戻った。
 
「・・・あれ?」
 
 ガウディが部屋の前で首をかしげた。
 
「なんだよ。」
 
「いや・・・今鍵を開けようとしたんだが、開いてたんだ・・・。閉め忘れたのかな・・・。」
 
「そうだろうな。他に鍵を持っているのは俺だけだ。頭の中でだけ閉めたつもりでいたんだろう。」
 
「君と一緒にしないでくれ。・・・まあいいか。取られるようなものがあるわけじゃなし。」
 
「ははは、そういうことさ。」
 
 笑いながら部屋に入った2人だが、今度はグラディスが「あれ?」と言った。
 
「なんだ、実は君が、俺が閉めたあとで閉めるつもりで開けてしまったとか言うんじゃないだろうな。」
 
「いや、このチェスト・・・俺はさっき抽斗を閉めたと思ったんだが・・・。」
 
 さっきグラディスが、あの酒瓶の包みをしまって置いたチェストの抽斗が、少し開いていたのだ。
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 今度ばかりは2人とも顔を見合わせてしまった。部屋の中を改めて見回したが、荒らされた様子はない。普段出掛ける時の荷物は、さっき部屋に戻った時に2人とも置いていった。中を確認したが、財布は無事にそこにあった。中身も減っていない。
 
「うーん・・・。」
 
「どういうことだ・・・。」
 
「泥棒ってわけでもなさそうだしな・・・。」
 
「王国剣士団の宿舎にか?」
 
「まあ泥棒の中にも度胸のある奴はいるのかも知れないが・・・。」
 
「何も取られていないじゃないか。」
 
「そうなんだよ。度胸試しで入ったものの、貧乏な王国剣士の懐なんぞ漁ってもいい事はないからと、一応『入りましたよ』という証拠に抽斗を開けていったとか・・・。」
 
「それも妙な話だが・・・」
 
 そもそも、ガウディは部屋の鍵を確実に閉めたのかどうか覚えていないし、グラディスもあの包みを取りだしたあと、チェストをきちんと閉めたかどうかまでは覚えていない。剣士団長にせき立てられるような形で宿舎に戻り、あの包みを抽斗から出したあと慌てて部屋を出たのだ。取られたものもないし、もしかしたら勘違いかも知れないと、届け出るのはやめにした。
 
「ま、いいだろう。ただ、今後は鍵を閉めたかどうかきちんと確認しないとな。」
 
「そうだな・・・。」
 
 自分達が慌てて部屋を出入りすれば、鍵をかけ忘れるかも知れない、そんな心理を突いて、剣士団長がわざと・・・
 
(いや、まさかそんな・・・。)
 
 否定しようとしても湧いてくる疑問。ローディから聞いた話はかなり具体的ではあったが、その前は何が起きたのかも全然わからないような状況だったのに、どうして団長と副団長はあんなに真剣に聞いてくれたのだろう・・・。
 
(・・・まさか・・・俺はあの封筒を、一番渡してはいけない人物に渡しちまったのか・・・?)
 
 胸の奥に鉛のような重いものがずしりとのしかかった。ローディは無事だろうか。あの男の家の場所も聞いてない。それもまた、団長達が自分達に知らせないように、副団長が送っていくなどと言ったのだとしたら・・・。
 
 全てが悪い方向に動き出したような気がした。
 
(明日はパーシバルさんから何かしらの打診があるだろう。パーシバルさんに相談してみよう・・・。)
 
 グラディスが感じているのと同じ不安を、実はガウディも感じている。団長に急き立てられてあの酒瓶と封筒を渡してしまったが、それが正しい事だったのかどうか、自信を持てずにいた。
 
(しかし・・・もう渡してしまったんだから、遅い・・・。明日パーシバルさんに相談してみるか・・・。)
 
 同じ部屋の中で、毎日一緒に生活して、一緒に仕事をしているというのに、2人の間には大きな溝がある。お互い相手が何を考えているのか知ろうともしないまま、夜は更けていった・・・。
 

外伝5へ続く

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