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外伝4

 
 エイベックは、貧民街の入り口に立っていた。今日一日仕事をしてきたことで、懐には金が入っている。今日もらった金の中から、息子の好きな食べ物と新しい靴、それに丈夫な布を買って帰ってきたところだった。この布で、隣の家のレイラに息子のズボンを縫ってもらうつもりだ。息子の靴はとっくに穴があいていた。ズボンだってもうつぎはぎだらけだ。でもずっと息子はそのことを言わずにいた。わずか8歳の子供にそんな気を使わせる父親とは、なんと情けないものだろうか。家の前に立つ。入る勇気が出ない。それに、もしかしたら隣の家にいるかも知れない。エイベックはまず隣の家の扉を叩いた。
 
「はい?あら、エイベックさん・・・。遅かったのね、何してらしたの?」
 
 扉を開けた隣人レイラの瞳は、明らかにエイベックを非難していた。
 
「長いことすみませんでした・・・。実は仕事が見つかって、今日一日働いてきたんです。息子は・・・いますか?」
 
 働いてきたと聞いて、レイラの瞳から非難の色が少しだけ薄らいだ。
 
「カインなら自分の家にいるわ。自分の家でお父さんを迎えてあげたいって。」
 
「そうですか・・・。あの・・・お世話になったので、これは少しですが・・・。」
 
 エイベックは金を入れた包みを差し出した。
 
「いいえ、要らないわ。うちの亭主ががんばってくれたから、カイン一人が増えたくらいでうちは食い詰めたりしないわよ。」
 
「でもそうはいきません。今回のことだって私が悪いわけですし・・・。」
 
「ねえエイベックさん、そう思うなら約束して。もう二度とこんなことでカインを一人にしないって。真面目に働いて、仕事を人に譲ってしまったりしないって。」
 
 レイラも知っていたのか・・・。ではレイラの夫マーレイも当然知っているだろう。もしかしたら息子も気づいているかもしれない。知らなかったのは自分だけか・・・。
 
「・・・実は今朝、王国剣士さんにもおなじ事を言われましたよ・・・。それで、牢から出たあと仕事を探しに行って、ある程度長い期間の仕事に就けたので、これからはもうこんなことでご迷惑をかけるようなことはしません。約束します。」
 
「王国剣士さんて・・・あのガウディさん?」
 
 施しはしないでくれと言った時、気の毒なほど真っ赤になっていた。とても真面目そうな剣士だったから、言い過ぎたかなと、レイラはずっと気になっていた。
 
「いえ、グラディスという若い剣士さんでした。息子の食べ物を取り上げて人に施すようなまねはやめろと、はっきり言われましたよ。私が実は、みんなからどう思われていたかも知りました。本当に今までいろいろと、すみませんでした・・・。」
 
 エイベックは深々と頭を下げた。
 
「わかりました・・・。そのお言葉覚えておくわ。さあ、家に帰ってあげて。きっとカインが待ってるわ。」
 
「はい。あ、それとレイラさん、お願いがあるんですが・・・。」
 
 エイベックはレイラに買ってきた布を差し出し、これでカインのズボンを縫ってくれるよう頼んだ。
 
「代金はお支払します。もうずっとつぎはぎだらけだったので、丈夫な服を着せてやりたいんです。」
 
「あらいい生地ねぇ。代金はいいわよ。でも仕事の合間に作るから少し時間はかかるかもしれないわ。」
 
「でもそれでは・・・。」
 
「ねえ、エイベックさん、この町の住人は、みんな助け合いで毎日を生きてるのよ。こういうことならいつでも歓迎よ。だけど本当に約束してね。もう二度とカインを一人にしないって。あの子はあなたが大好きなんだから。」
 
「わかりました。」
 
 エイベックは笑顔でレイラの家を出ていった。
 
「今度こそうまくいくといいけど・・・。」
 
 グラディスというのは確か、ガウディと一緒に来た相方の剣士の名前だったはずだ。レイラはまだ心配だったが、もしかしたら今度こそうまくいくかも知れないと考えていた。少なくとも、エイベックは自分が周りからどう思われているかを知ったらしい。それで変われなければ本当に父親として失格だ。
 
 
「ただいま。」
 
 エイベックは自宅の扉を開けた。
 
「とうちゃん!お帰りなさい!」
 
 カインが飛び出してきてエイベックに抱きついた。
 
「カイン、ごめんな。とうちゃんのせいでまた寂しい思いさせて・・・。」
 
「寂しくないよ。モルクもミーファもリーファもいたし、モルクの父ちゃんと母ちゃんもいたから。」
 
 素直に『寂しかった』と言う言葉が、どうしてもカインは言えなかった。言えば父親を非難してしまうのではないか、カインはそれが怖かった。やっと会えたのだ。でも精一杯明るく言ったつもりのカインの声は震えていた。そして父親にしがみついたまま、肩を震わせて泣き出してしまった。
 
(カインはまだ小さいんだ・・・。俺はいつの間にか、息子の食べるものを取り上げて人に施していた。それでいいことをしたつもりで・・・)
 
 息子はまだ8歳だというのに、声を押し殺して肩を震わせて泣いている。こんな泣き方をいつからするようになったのかすら、エイベックはわからなかった。
 
「そうか・・・。それじゃ隣のみんなにお礼を言わなくちゃな。どれ、メシにするか。」
 
「あ、でも・・・。」
 
 カインが口ごもった。そうだ。この家にはもう食べるものなんて何もなかったんだ。だからあの日の朝、何が何でも仕事を見つけようと広場に行ったはずだったのに、仕事がなくて首をくくるしかないという男の言葉を真に受けて、仕事を譲ってしまった。そして・・・
 
(俺はなんてバカなんだ。これじゃカインの母親にあわせる顔がないじゃないか・・・。)
 
「心配するな。実はな、とうちゃんは今日からちゃんとした仕事に就けることになったんだ。それで一日働いてきたんだよ。食べるものならあるぞ。ほら。」
 
 エイベックは食べ物の入った袋をカインに差し出した。中には野菜と新鮮な肉とパン、そしてカインの好きな焼き菓子が入っていた。
 
「わあ!とうちゃん、これ、食べていいの?」
 
 カインが目を輝かせた。それほど高いお菓子ではないが、貧しい日々の中ではめったに買えないご馳走だ。
 
「ああ、いいぞ。ただし食事のあとにな。なあに、なくなったらまた買ってきてやるよ。さすがに毎日とは行かないがな。でもこれからはいつも仕事があるんだ。贅沢は出来ないが、食べるものがないなんてことは、もう絶対ないからな。」
 
「そうなの?それじゃもう・・・」
 
 言いかけてカインが口をつぐんだ。危うく『もう泥棒なんてしなくていいんだね』と言うところだった。エイベックも息子がなんと言いかけたのかわかった。子供にこんな気を遣わせるなんて・・・。
 
「ああ、そうだ。もう泥棒なんてしなくていいんだ。お前には今まで苦労ばかりかけたな。これからはいつでも腹一杯食えるように、とうちゃん頑張るからな。ほら、新しい靴だ。もう随分前に穴があいていただろう?これは丈夫に出来ている靴だから、ずっと履けるぞ。」
 
「うわあ!新しい靴!?」
 
 カインは大喜びで履いてみせた。つぎはぎだらけのズボンと新しい靴がなんだか不釣り合いに見えたが、カインにはどうでもいいことだった。父親がやっとちゃんとした仕事に就けた。もう泥棒の子供なんて言われなくていい。毎日父親が帰ってくるのを楽しみに待つことが出来るのだ。
 
(靴1つでこんなに喜んでくれるなんてな・・・。)
 
 今まで自分は子供の幸せのために頑張ってきたつもりだった。でも現実はどうだ?何度も盗みを働いては牢獄に入るの繰り返し、その間となりの家に子供の世話を押しつけて、それでも自分はいいことをしていると思いこんでいた・・・。
 
(これからは・・・絶対に盗みなんてしないぞ。せっかくいい仕事に就けたんだ。何としても頑張って、カインを育てるんだ・・・!)
 
 新しい靴を履いて、喜んで飛び跳ねてみせる息子を見ながら、エイベックは決意を新たにした。
 
「よおし!今日は肉を焼いて、野菜は茹でてつけあわせだ。スープもつくろう。明日お前が食べる分もちゃんと用意しておくからな。」
 
「やった!今日はご馳走だ!」
 
 
                          
 
 
「はぁ・・・今日も疲れたなあ・・・。」
 
 ため息をついたのはヒューイだ。
 
「しかしまいったなあ。市場の周辺はどうしようもないなありゃ。」
 
「そうだなあ・・・。住宅地区の工事が終われば一段落とは言え、次は商業地区か・・・。当分あの人混みは解消されないな。」
 
 パーシバルが答える。2人は今日一日城下町の警備をして、泥棒を3人、スリを5人捕まえ、迷子の子供を4人保護した。町中にある剣士団の詰所と、警備場所と、そして地下牢と、あちこちをグルグル回ってさすがに2人とも疲れ果てていた。食堂で食事をして、やっと宿舎の部屋に戻ってきたところだった。
 
「さてと、風呂でさっぱり・・・あれ?おいパーシバル、お前何か話があるって言っていたな。」
 
「あ、そうだ。」
 
 まるで忘れていたかのように答えたが、実は今日一日、パーシバルの頭の中はそのことで一杯だった。今朝、若手のコンビ、グラディスとガウディが食堂でケンカをしていた。いつまでも収束する気配がないので、煽りたてて仕事に行かせ、そのあと出掛けてきたので少し仕事に出るのが遅くなった。あの2人は入団してそろそろ3年になり、2ヶ月ほど後には南大陸や執政館の赴任を控えているというのに、未だにうまくいかないらしい。仕事をしている間、パーシバルはヒューイと彼らの事をいろいろと話し合っていたのだが、その一方で、パーシバルは今夜ヒューイになんと言えばいいか、ずーっと考え続けていたのだ。
 
「お前がよければ今聞くぞ。何だ?」
 
「あ、ああ・・・そのことなんだが・・・。」
 
 パーシバルの言葉は歯切れが悪い。
 
「どうしたんだよ。言いにくいことなら無理にいわなくてもいいが・・・。」
 
 パーシバルはしばらく黙っていたが・・・
 
「いや、話すよ。」
 
 何かを決意したようにパーシバルが顔を上げた。実のところ、パーシバルが何か悩んでいることを、ずっと前からヒューイは気づいていた。でも本人が何も言わないのに、先走ってあれやこれやと勝手に想像するのもなんなので、ヒューイはずっと黙っていた。もちろんその内容については想像がつく。最近王宮中でささやかれているあの噂・・・。剣士団長ドレイファスが勇退し、パーシバルが後釜に座るという噂のことだろう。
 
「実は・・・その・・・俺を・・・。」
 
 言わなければと決意して、今朝『今夜話す』とヒューイに言ったものの、やはり言いにくい。でも今言わなければ。でもやっぱり・・・。そのままパーシバルは黙り込んでしまった。言葉が見つからない。なんと言えば・・・。ヒューイも黙り込み、部屋の中に気まずい沈黙が流れる。
 
「・・・なんだか口説かれてるみたいだな・・・。」
 
 ぼそりと言ったヒューイの言葉に、パーシバルが驚いて顔をあげた。
 
「バ・・・!!!何バカなこと言ってんだ!」
 
「いやだってお前は思いつめた顔で黙り込んでるし、俺はお前が何か言うまでしゃべれないし・・・なあ?」
 
 にやりと笑ったヒューイの顔を見ているうちに、パーシバルも笑い出してしまった。
 
「はあ・・・すまん。どうにも言い出しにくい話でな・・・。つい、頭の中が真っ白になっちまったよ・・・。」
 
 パーシバルは大きく深呼吸した。そのまま話せばいいんだ。きっと、ヒューイはきちんと受け止めてくれる。俺達が今まで一緒に過ごした時間は、絶対にこんなことで壊れやしないはずだ。そう思った時、パーシバルの肩から何か重いものがすっと降りたような気がした。
 
「俺を・・・剣士団長にという話が出てるんだ・・・」
 
「ああ、あの噂か。なんだまた誰かに何か言われたのか?」
 
 その噂が立ち始めてから、パーシバルがどれだけ心ない言葉を浴びせられてきたか、ヒューイはよく知っている。
 
「い、いや、そうじゃないんだ。この間お前がジーナのところに行っていた日に、その・・・ケルナー殿から・・・話が・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ヒューイは一瞬きょとんとしていたが、『なあんだ』という顔になって笑い出した。
 
「なんだなんだ、俺はてっきりまた誰かにろくでもない文句を言われたのかと心配していたんだぞ。ケルナー殿からの話なら、それはもうほとんど決定事項じゃないか。おめでとう!お前ならきっとうまくやっていけるよ!」
 
「・・・お前は・・・いいのか?」
 
「はあ?何言ってんだお前は。俺がいいとか悪いとかの話じゃないだろう。それとも何か?俺がいやだといったらこの話はなしとか言う問題なのか?」
 
「いや・・・多分そういうわけには・・・。」
 
 仮に相方が反対しているなどとケルナーに言おうものなら、下手をすればヒューイの身に危険が及ぶ可能性だってある。今回のことは、決定事項なのだ。ケルナーも、レイナックも、そしてパーシバル自身も、ドレイファスに退いてもらわなければならない理由があり、パーシバルが剣士団長にならなければならない理由がある。
 
「はっはっは!そりゃそうだろう。お前なら絶対に大丈夫だよ。自信を持てよ。正式発表はまだなのか?」
 
「いや、多分まだしばらくかかるだろうという話だったよ。」
 
「あ、そうか・・・。そうだなあ。ドレイファス団長がはいそうですかと引退するとも思えんし・・・。でもまあ、幹部が若返るっていうのはいいことじゃないか。相方が大出世なんて俺も鼻が高いよ。」
 
「そう・・・か・・・。でも俺は・・・お前のほうが団長にはふさわしいと思ってるんだが・・・。」
 
 この言葉にヒューイはまた笑い出した。
 
「ばかを言え。俺が上からどう思われているか、お前だって知っているだろう。お偉いさん方だって、俺みたいに扱いにくいバカを団長にしたいなんて思わんよ。その点お前なら、礼儀は正しいし、とりあえず話は聞くだろう?」
 
「・・・話は聞くが、俺だっておかしいと思ったことは譲らんぞ。」
 
「そうそう、それだからいいんだよ。お前なら扱いやすいと思って団長に推挙した連中が、慌てる様が目に浮かぶよ。実に楽しみだ。」
 
 いたずらを仕掛ける子供のように笑って見せるヒューイの顔を見ているうちに、パーシバルの心にのしかかっていたおもりが、一つずつ消えて行くのを感じた。そうだ、団長になったところでこいつとコンビを組むことは変わらないのだ。こいつがいれば、どんなことにも立ち向かっていける。
 
「ま、ドレイファス団長がどう出るかはわからんが、お前が団長になったところで俺とお前の間は何も変わらんよ。これからもよろしくな。」
 
「ああ、当てにしてるぞヒューイ。」
 
 2人はしっかりと握手を交わした。
 
「さあて、話が決まったところで風呂に行こう。疲れをとって、また明日もあの人混みだ。」
 
「そうだなあ。頑張るしかないか。あ、そうだ。グラディスとガウディのことだが、あいつらも何とかしてやらないと。」
 
 一番の気がかりがなくなったことで、パーシバルも元気を取り戻した。そうなれば気になってくるのは未だにうまく行ってないらしい後輩剣士のことだ。
 
「うーん、一度話を聞いてやったほうがいいのかもしれんなあ。時間がとれそうなら声をかけてみるか。」
 
「そうだな。」
 
 どう話を聞いてやるか、何と声をかければ2人がうまくいくようになるだろうか。パーシバルとヒューイはそんな相談をしながら、着替えをつめた袋を担いで部屋を出た。
 
 
                          
 
 
「さて、これで最後か。まったく近頃の陳情書は、たいした内容でもないのに大げさなものが多すぎる。困ったことだ・・・。」
 
 ケルナーはため息をついて、サインを終えた最後の書類を『処理済』の箱に入れた。
 
「これでおわりだ。そちらの棚においてくれ。」
 
 隣の椅子に座って書類を整理している部下に命じ、箱を棚に置かせた。明日の朝、行政局の官僚が取りに来ることになっている。陳情書にもいろいろあるが、ケルナーが今処理していたのは、各貴族の所領から王宮に直接送られてくる陳情書だ。王家直轄の大陸内部には王国剣士が巡回しているので、揉め事が起きればすぐに報告が届くが、貴族達の所領となっている離島で何かが起きても、すぐに王宮に報告が来るとは限らない。揉め事を隠そうとする領主もいる。無論領地の中で解決できれば問題はないのだが、解決できないのに隠す領主もいるので、そういう場合領民が直接王宮に陳情書を送ってくるのだ。その内容を精査し、行政局で対応できるものはそちらに仕事を回す。最近はその手の陳情が増えていた。一度フロリア様から貴族達によく言って聞かせてもらおうか。こういう話なら、ドレイファスも文句は言わないだろう。
 
「ふん・・・まったく、何でもかんでもドレイファスにお伺いを立てねばならんとは・・・。」
 
 忌々しい限りだ。そこに扉がノックされた。
 
「ケルナーよ、しばしかまわぬか?」
 
 レイナックの声だ。扉を開けるとレイナックが書類の束を抱えて立っていた。
 
「急ぐのか?」
 
「急ぎと言えば急ぎだ。まあ・・・そう簡単に解決することではないかと思うが・・・。」
 
「まあよい、入れ。」
 
 ふとケルナーは、先だってのレイナックとの密談を思い出した。国王と文書管理官しか入ることを許されぬ文書館へ、何とかして入る算段を考えようと言うことになっていた。それ以降この件についてレイナックとは話し合っていない。もしやその件なのだろうか。だが表立って聞けることではない。レイナックは部下を下がらせ、扉の前で見張りをするように命じた。そして何者が来てもあけてはならぬ、無論盗み聞きでもしようものなら、即刻お前の首と胴は離れることになろうとまで念を押した。部下にして見れば、主人がこの手の脅しをすることには慣れている。平然と会釈をして部屋を出て行った。ケルナーとレイナックの密談など頼まれたって聞きたいなどと思わない。誰だってそんな物騒なことに首を突っ込みたくはないのだ。
 
「・・・これでよい・・・。レイナック、もしや例の件か?」
 
「その件の前にいささか無視出来ない問題が持ち上がったのだ。」
 
「ふん・・・あの件ではないのか・・・。」
 
 文書館へ国王の許可なしに入る方法など、確かにそう簡単に思いつくようなことではない。下手をすれば、それこそ自分達の首と胴が泣き別れになってしまう。だがケルナーは少しがっかりした。正直なところ、この件を早いところ終わらせることが出来れば、時折訪れる後悔の念も少しは薄らぐかもしれないのだ。
 
「そうがっかりするな。その件はもう少しよく考えねばなるまい。それより、まずはこれを見てくれ。」
 
 レイナックは抱えてきた書類の束をケルナーの前に差し出した。
 
「なんだこれは?」
 
「まあ言ってみれば、陳情書のようなものだな。」
 
「陳情書だと!?そのどこが無視できないのだ!?そんなもの官僚でも呼んで処理させればすむことではないのか!?」
 
 たった今まで、とても重要とは思えない陳情書の山をやっとのことで片付けたばかりだ。
 
「普通の陳情書なら、私とてわざわざ持ってきたりはせぬ。その書面の一番上のサインを見てくれ。」
 
 むすっとしたままケルナーは書面の上に目を走らせたが、署名のところでぎょっとして顔をこわばらせた。
 
「ベルスタイン公爵閣下だと・・・!?どうしてあの方が・・・。」
 
 ベルスタイン公爵家とは、エルバール王国の初代国王ベルロッド王の次男が開祖とされる。以降180年余り、絶えることなく続いてきたいわば貴族達の中でも最高の家柄の古さと格式を誇る。加えて現公爵は当代の賢者とまで噂されるほどの人物だ。惜しむらくは男子に恵まれなかったことだとケルナーは考えていた。エルバール王家と同じく、貴族の家では家督を継ぐのは第一子と定められている。男も女も関係なしだ。だがケルナーは「やはりあと取りは男でなければ」と考える者達の一人だ。ベルスタイン公爵の子供達は全員女性だった。一番上の姫が家督を継ぐため、別な公爵家から婿をとっているが、まだ子供が生まれたという話は聞いていない。二番目の姫はすでにとある伯爵家に嫁いでいるが、三番目の姫がとんでもないじゃじゃ馬で、いつも男のようななりをして剣の稽古に励んでいるらしい。だが実はこの末の姫が一番美しく、賢いと評判だ。どうせならその姫に跡を継がせればいいのではないかとも思うのだが、こればかりは厳格な掟によって定められていることなので、そう簡単に覆すことは無理なのだろう。
 
「まずはその陳情書の中を読んで見てくれぬか。私が無視出来ぬと思ったわけもわかるだろう。」
 
 ケルナーは渋々中を開いて読み始めたが、その顔はみるみるこわばり、読み終えた時には顔を真っ赤にして叫んでいた。
 
「あの能無しめ!何度問題を起こせば気が済むのだ!慈悲などかけるのではなかったわ!」
 
 能無しとは誰あろう、前国王ライネス王の弟エリスティ公のことである。ケルナーは元々身分などは一切気にせず、自分が無能だと思えばたとえ大貴族であろうが容赦なく批判するほうだが、彼が考える『無能な大貴族』の筆頭がこのエリスティ公だ。対してケルナーがその実力を認め、心から礼をとる数少ない貴族達の筆頭が現在のベルスタイン公爵である。
 
「そのことはいまさら言っても仕方あるまい。」
 
 レイナックは冷静に言ってみせたが、実は彼も内心でははらわたが煮えくり返る思いだった。4年前、レイナックとケルナーは、ライネス王亡きあとの国王には、当然王の一人娘であるフロリア姫が即位するものとしてその準備を進めていた。姫は前王の第一子であり、その即位には何の問題もないはずだったのだが、そこに横槍が入った。王弟エリスティ公が、フロリア姫がまだ6歳と言う幼少の身であることを理由に、自分が『中継ぎ』として王位に就こうと言い出したのだ。エルバール王国では世継ぎが即位する時、その兄弟姉妹は公爵家を創設して臣下に下る。ライネス王即位の際に、当然エリスティ公は公爵として臣下に下ったのだが、兄王が亡くなると御前会議の大臣達に裏から手を回し、自分を再び王族として王宮に迎え入れ、国王となる手助けをするよう呼びかけたのだ。レイナックとケルナーは当然これには反発をした。彼らにはどうしてもフロリア姫に王として即位してもらわなければ困ることがあったのだ。他の誰でもなく、わずか6歳の姫に・・・。
 
 そこで二人は、エリスティ公の出自に着目した。ライネス王のさらに前の国王陛下の時代まで、この国には側室制度が残っていた。王は王妃として迎えた女性の他にも、気に入った女性を側室として王宮の中に部屋を与えることが出来た。そして側室が産んだ子供も王妃の産んだ子供もわけ隔てなく育てていた。エリスティ公の母親ルレッタ妃は城下町に屋敷のある侯爵家の出身だったが、贅沢好きでいつもたくさんの宝石を身につけ、上等の絹やレースをふんだんに使った豪華なドレスを着ていた。非常に美しい女性だったがかなりの野心家で、表面上は世継ぎであるライネス王太子に礼を尽くしていたが、実は彼を抹殺して我が子を王位に就かせようと企んでいたと言う噂まであった。
 
 王太子抹殺の陰謀に関して証拠があるわけではなかったが、利用するにはうってつけの噂だ。ケルナーとレイナック、そして当時すでにハース鉱山統括者として着任することが決まっていたが『フロリア姫が即位するまで』と言う約束で御前会議にとどまっていたデールの三人が協力して、『エルバール王家嫡流のフロリア姫に王位を』と大臣のみならず有力な貴族達にも呼びかけた。大臣達は先にエリスティ公にそれなりの地位を約束されていたので最初は協力を渋っていたが、時の剣士団長がケルナー達に協力したことで、有力貴族達の中にも少しずつケルナー達に味方する家が増えていった。なんと言っても剣士団長ドレイファスは、ライネス王の前の国王陛下の時代から剣士団長を務める、御前会議の重鎮の1人だ。
 
 元々エリスティ公は貴族達の中では新参者だ。公爵家とは言え新設されたばかりなのに、現国王の王弟であることを鼻にかけて威張り散らすばかりだった。元を正せば貴族はみんな王族だというのに、新参者の分際で礼儀をわきまえないエリスティ公には誰もがあきれ果てていたのだ。それに『中継ぎ』など口からでまかせに決まっている、即位したとたんにフロリア姫は幽閉されるか追放されるか、最悪の場合人知れず暗殺されてしまう場合だってあるかも知れないと誰もが考えた。そして有力貴族、特にベルスタイン公爵家がケルナー達についたことで形勢は一気に逆転した。エリスティ公は状況が不利と見るや作戦を変更し、フロリア姫の後見人として政治に参加させろと言いだした。ケルナー達はむろん突っぱねたが、あまり強い態度をとると、今度は自分達が貴族に対する礼儀をわきまえないなどと言われかねない。ただの風評だけですめばいいが、ケルナーは自分が貴族達からどう思われているか知っている。今回はたまたま相手がエリスティ公だったから味方をしてもらえたが、共通の敵がいなくなった途端に自分が標的になる可能性もないわけではない。そこでケルナー達は妥協案を出した。フロリア姫が将来結婚して子供ができるまでの間、エリスティ公を王位継承権第一位とすることと、その位にいる間は身分は公爵のままだが王族として扱うこと、そして御前会議の一人に名を連ね、フロリア姫の隣に席を置くことを許すこと。最後のひとつはエリスティ公からの強い要望によって、不承不承ケルナー達が認めたものだ。
 
「ふん・・・!王族として扱ってやるだけで満足すればいいものを、御前会議に加わりたいなどと・・・。そのくせ仕事は満足にせず自分の領地をふらふらと歩き回って、そして今度はこれか!」
 
 ケルナーは忌々しそうに陳情書の束を机に叩きつけた。
 
 その陳情書を提出して来た島は、以前はベルスタイン公爵家の領地だったところだ。エリスティ公が大陸西側の温暖な島をほしがったので、ベルスタイン公が所領の一部をエリスティ公に譲渡するという形で、現在はエリスティ公の所領となっている。
 
「領民が領主を頼れないとは、何と嘆かわしいことか・・・。しかもベルスタイン公爵閣下のところには、エリスティ公から領地の譲渡書類まで届いておるそうだ。」
 
「あれほど大騒ぎして手に入れたというのに・・・あの能無しは何を考えておるのだまったく・・・。」
 
 陳情書の内容はこうだった。
 
 新しい領主となったエリスティ公は、上機嫌で島を訪れ、最初は領民ともうまく行っていた。だが何ヶ月か前、エリスティ公は島の中心部にある森に案内してくれと言い出した。その森は島に真水を供給してくれる泉のある、美しい森だ。特に宗教的な意味合いはないが、神聖な森として、今まで島民みんなで大事に守り育ててきた。新しい領主の頼みだ、それに美しい森をひと目見たいと言われれば、だめだという理由はない。そこで長老自ら森に案内したのだが、エリスティ公はその森が気に入ったからしばらく滞在したいと言い出したのだ。森の手入れをするための簡素な小屋が一つあるだけで、何もないところですからと言ったが、テントでも張るからと言って聞かない。仕方なく了承し、島の若者を一人案内につけて、長老は森を出た。ところがいつまで経っても公が森から出てこない。そこで様子を見に再び長老が森に入り、エリスティ公のもとを訪れたのだが・・・。長老は翌々日の朝、森から海へと流れる川に浮かんでいた。長老の家族がエリスティ公に説明を求めたが、長老は一度来たがすぐに帰ったのでその後のことはわからないとほとんど相手にしてもらえなかった。しかも森の中では木々が無残に切り倒され、穴がいくつも掘られていたのだが、それを原状に戻そうともせず、エリスティ公は島を出た・・・。
 
「この時案内係として公と共に森に入った島の若者も、消息がわかっておらぬようだ。」
 
「ふん!おそらくは報酬に惹かれて公の暴挙の片棒を担いだのであろう。今頃その辺の通りを歩いておるやも知れぬぞ。」
 
「・・・まあその可能性は高そうだな。その者についてはこちらもどうしようも出来ぬが・・・」
 
 ケルナーは大きくため息をついた。ベルスタイン公爵が陳情者として署名しているのでは無視できない。公爵は事態の収拾のために島に向かいたいが問題ないかという問合せもしてきている。
 
「仕方あるまい・・・。ベルスタイン公爵にお願いして、事態の収拾に尽力していただく他ないだろう。島の所有権はすぐにベルスタイン家に戻すよう手続きをしようではないか。」
 
 ベルスタイン公爵が受け取ったという譲渡書類も、陳情書の中に入っていた。陳情書だけならケルナーとレイナックで処理できるが、領地の譲渡となると国王の許可が要る。
 
「くそ・・・フロリア姫はお許しくださるだろうが、ドレイファスがまた何を言い出すか・・・。」
 
 今回の件について、もちろんケルナーにもレイナックにも何の咎もないが、監督不行き届きだくらいの小言は言われかねない。その程度のことでさえ、2人は『ドレイファスに言われるのだけは』いやなのだった。
 
「まったく・・・後宮廃止がもう一代前までに終わっていてくれればなあ・・・。」
 
 言っても詮無きこととはわかっていても、そう思わずにはいられない。
 
「仕方あるまい。せめて側室がルレッタ様だけだったのが救いでもあるからな。」
 
 そういうレイナックの口も重い。
 
 貴族の場合、跡取りがいなければその家は断絶する。養子をもらって後を継がせることは出来ない。これはエルバール王国建国以来の取り決めだ。貴族は元々王族だ。跡取りとして爵位を継ぐ直系の者が一般庶民から配偶者を迎えることは何の問題もないが、爵位を継ぐ本人がその家と何の関係もない者であってはならない。だが王家はそうはいかない。王家が断絶すれば、王位を巡って内乱が起きかねない。そこで国王は正妃の他に気に入った女性を後宮に入れて、もしも正妃に子供が出来ない場合でも、側室の子が王位を継ぐ。国王の血筋であることには変わりないので、何の問題もない。だがこの制度を廃止したのがライネス王である。王はまだ王太子時代に、東方の小さな島々を所領とする伯爵家の姫を正妃として迎えていた。それほど力があるとも思えない小さな伯爵家の姫に正妃の座をさらわれた貴族達は、せめて自分の娘を側室として王宮内に送り込むべくさまざまな策謀をめぐらせていたが、これがかえってライネス王の機嫌を損ねたのかもしれない。側室制度がある限り、貴族達は権力争いをやめようとせず、さらに何人もの女性を平等に扱うためにはそれなりの金もかかる。国民の手本となるべき国王が、自分のことにばかりそんな金をかけるべきではない、これがライネス王の考えだった。
 
『私が即位したら、後宮は廃止するよ。お前達、協力してくれるな?』
 
 レイナックとケルナーは、ライネス王が王太子時代にその相談を受けていた。
 
『後宮のある場所には行政局を持ってこよう。上の階にある舞踏場も改築するつもりだ。王宮の中には無駄な場所が多すぎる。格式が高いことと、華美で贅沢なことはまったく違うだろう?』
 
 この話にはレイナックもケルナーも賛同した。そして2人とも、いずれやってくる『ライネス王の御世』を、夢と希望を持って待ち焦がれていた・・・。
 
「とにかく、今は目の前の問題を片付けなければならぬ。ベルスタイン家には私から書簡を出しておこう。あと、この譲渡書類は明日、フロリア様に署名していただかねばな・・・。」
 
「わかった。そなたに任せよう。で、この間の話はどうする?」
 
「うむ・・・お主はどうなのだ。何か妙案はあったか?」
 
「あったら今頃このような質問はしておらぬ。とっくに手配をすませて今日あたりは成果をここで披露している頃だろう。」
 
「ふむ、確かにそうだ。私のほうも似たようなものだ。やはりエヴァンズ殿に直接掛け合うくらいしか思いつかぬな。」
 
「ふん・・・残念ながら私もだ。それならばそのつもりで計画を練るか。」
 
「そうだな・・・。そのほうがいいかもしれぬな・・・。」
 
「ではその線で計画を練って、また打ち合わせをしようではないか。」
 
 『ライネス王の真意』
 
 何よりもそれを知りたいと、2人は願っている。叶う事ならば・・・もう一度、あの御前会議の日からやり直せるものなら・・・。
 
 
                          
 
 
 翌日・・・パーシバルとヒューイは採用担当カウンターに来ていた。昨日はくたくたになるまで城下町の警備にあたっていたが、だからもうやりたくないとは言えない。今日も人混みの中を警備に出掛ける予定だ。カウンターにいるのは、今月の『採用担当当番』である先輩剣士だ。
 
「・・・えーと・・・パーシバル・ヒューイ組は城下町の・・・ん?ちょっと待てよ。さっきこのあたりの警備を申請して行った組が・・・。」
 
「あ、それなら俺達は別な場所でも・・・。」
 
 言いかけるより早く、先輩剣士が予定表を探し当てた。
 
「あった、これが・・・ありゃ、ガウディとグラディスか。あいつらだけではこの辺は手に余る。お前らも行ってくれ。もしもこいつらに会うことがあったら少し気をつけてやってくれよ。昨日の食堂でのけんかは、かなり派手だったからなあ。」
 
 この先輩剣士も、昨日の朝食堂で、二人のけんかを呆れ顔で見ていた一人だ。
 
「どうもあの2人は、お互いと『組まされている』という考えが抜けないようですよ。わかりました。俺達が少し気をつけておくようにします。」
 
 そろそろ見物客でにぎわい始めたロビーを抜けて、パーシバルとヒューイは街中へと出てきた。今朝は静かに朝食をとれたので、2人とも胃はスッキリしている。
 
「昨日は本気で胃もたれしていたからなあ。」
 
 ヒューイが腹のあたりをさすりながら笑った。
 
「最初の一年くらいはうまく行かなくて当たり前くらいのつもりでいたが、未だにあの調子ではなあ・・・執政館や南大陸は相当厳しいぞ。」
 
 パーシバルが答える。言うまでもなく、ガウディとグラディスのことだ。
 
「そうなんだよな。南大陸の砂漠のど真ん中であんなけんかをするほどバカじゃないとは思うが、意地を張って遭難したらそれこそ奴らの死体探しに出かけなきゃならん。どっちも相手に『合わせてやってる』という態度が見え見えなんだよな。だからけんかになるんだ。」
 
「うーん・・・今日の夜あたり、少し話を聞いてみるか。」
 
「そうだなあ・・・。次の非番の日は俺も出かけたいしなあ。」
 
「・・・ジーナと仲直りしろよ。」
 
「・・・ああ、そのためにも、次の非番はなんとしても確保するぞ。」
 
「俺も協力するよ。」
 
「頼むよ。」
 
「よし、話が決まったところで、今日も二手に分かれたほうがいいか?」
 
「そうだな。そのほうが効率がいい。とりあえず市場のある広場まで行って、どのあたりを回るか決めよう。」
 
 前日の警備の成果も、二手に分かれて通りごとに見回りをしていたおかげで得られたものだ。
 
「ガウディ達がいたら、少し遠目に観察してみるか。」
 
「ああ、ケンカしていたとしても、いきなり首を突っ込むのもなんだしな。さあて、今日も一日、やるしかないか。」
 
 ヒューイが大げさに肩をすくめてみせた。
 
 
                          
 
 
「うーん・・・どうするかな・・・。」
 
 グラディスは今日の警備場所である市場の近くで腕を組み、唸っていた。
 
「約束の時間は午後だよな。」
 
「ああ。午後までここでぼさっと突っ立っているわけにもいかないから、そうだなあ・・・。この間のように二手に分かれるか?」
 
 ローディの手紙にあったのは『午後』だ。その約束のためだけに朝からここをうろうろしているわけには行かない。午前中は見回りをして、食事をしてからもう一度ここに来ようか、そんな風に考えていた。
 
「それでもいいが・・・今日は一段と人が多い・・・」
 
 ガウディが言い終わらないうちに、人混みの中で悲鳴が上がった。
 
「だれかぁぁ!私のかばん!泥棒!!!」
 
 2人はとっさに声のしたほうに向かって駆け出した。幸運なことに、そして泥棒にとっては不運なことに、旅行者のかばんを担いで逃げた泥棒は、グラディスと鉢合わせしてしりもちをついた。すかさずガウディが泥棒の腕をねじ上げ、かばんは無事、旅行者の手に戻った。
 
「ちきしょう!離せこのガキ!」
 
 見れば白髪交じりの年配の男だ。見苦しく暴れ、何とか逃げようともがいている。少し訛りがあるところを見ると、この男も住宅地区建設工事の景気を当て込んで地方からやってきた、人夫崩れだろうか。
 
「我々がガキなら、あんたはなんだ?いい年をして人のものを盗むなんて、恥を知るべきじゃないのか。」
 
「うるせぇ!離せこの野郎!」
 
 ガウディの言葉はよけいに男を怒らせたらしいが、こんな状況ではグラディスもその言い方に文句をつける気はない。2人は暴れる男を押さえつけながら、地下牢へと連行した。
 
「年のわりに活きのいいじいさんだな。ごくろうさん。」
 
 地下牢で牢番の年配剣士に男を引き渡し、捕まえた場所と罪状の確認をして2人はまた商業地区に戻って来た。
 
「いやはや、あれだけ元気なら日雇いの仕事にでも行ってくりゃいいのにな。」
 
「食い詰めたにせよ、他人のものを盗んで、掴まったらあの罵詈雑言だぞ?あの調子では、周旋屋達だって雇いたがらないんじゃないのか。」
 
「それもそうだ・・・あ、そういえば。」
 
 グラディスは、エイベックを連れて人夫募集をしている周旋屋達のところに行った時のことを思い出した。
 
「なあガウディ、昨日エイベックを連れて人夫募集の広場に行った時のことなんだが・・・。」
 
 案の定、ガウディはエイベックの名前を出すといやな顔をする。もうあの男のことは忘れたいと顔に書いてあるようだ。
 
(まったく・・・いつまでもうじうじと・・・)
 
 グラディスは苛立ったが、とりあえず今は黙っていよう。それよりも気になるのはあの周旋屋達だ。いったいなぜあんなに怯えた顔をしたのか・・・。
 
「・・・というわけだ。あのガルガスとか言う周旋屋のまとめ役は酔っ払って川に落ちたって俺も聞いているし、酒はよく飲む男だったらしいから、そこに不審な点はない。だからよけいに解せないんだよ。あの時の周旋屋達の態度がな。」
 
「うーん・・・・。」
 
 話を聞いたガウディは考え込んだ。ついこの間、エイベックを捕まえたあと、そのことを早く忘れたくてグラディスと他愛もない噂話をしていたが、その時そんな話もしていたかもしれない。「仕事があるはずなのに人夫達の懐があったかくならない」と・・・。
 
「まさかと思うが、本当に人夫達の上前をはねて何か裏でやっているってことなのかな・・・。」
 
「可能性としてそれもあるかも知れないと俺も思っているのさ。だが、周旋屋の組合を敵に回すとなると大ごとだ。証拠もなしにうかつなことは言えないしなあ。」
 
「だいたい周旋屋ってのは人夫の手配をして手数料をもらって生活してるんだ。その仕事自体を『上前をはねる』と言ったらそれは失礼になる。ただ、法外な手数料を取っているとしたら、それは改められるべきだよな。」
 
「そうだよなあ。どこの人夫もぴーぴー言ってるってことは、周旋屋達がみんな足並みを揃えて手数料を吊り上げているってこと・・・。・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 ふと・・・2人が同時に黙り込んだ。2人の脳裏に、ローディから預かったあの『黒い封筒』が浮かんだからだ。
 
「足並み・・・」
 
「そのこと・・・なのか・・・。」
 
 2人は顔を見合わせた。
 
「あの手紙の主は・・・もしかしたらその『法外な手数料を取っている黒幕』ってことなのか・・・?」
 
「だとすると、あのローディっておっさんは、その現場に居合わせたことになるが・・・。」
 
「その男は何の仕事をしているんだ?」
 
「うーん、聞いてないなあ。」
 
 騒動のあった酒場の前から市場に出るまで、グラディスはローディと一緒に歩いてきたのだが、彼はずっと怯えていて、世間話をする様な雰囲気ではなかった。
 
「怯えていたのは酒を盗んだせいじゃないのか?」
 
「俺がバーテンに金を渡して話はついたんだ。もう誰も追いかけてくる奴はいないはずだぞ?」
 
「まあ、それもそうか・・・。」
 
「後考えられるのは、あの男が言っていたように、誰かに追われているせいってことじゃないのか?」
 
「それともすごくいい酒を手に入れてしまったから緊張して震えてただけとか・・・。」
 
 ガウディはあくまで『その男が追われているというのは狂言』と思っているらしい。
 
「あの酒だぞ?震えるほどのお宝とは思えないがな。」
 
「・・・まあな・・・。」
 
 ローディから預かった酒とあの黒い封筒は、今ガウディとグラディスの部屋にある。剣士団の宿舎に置いておく分には心配はいらないだろうが、何もわざわざ飾っておく事もないので、預かった時の包みのまま、グラディスのチェストの奥にしまい込まれていた。
 
「つまり、その男の氏素性はともかく、何か知っているのだけは間違いないってことだな。」
 
「そうだな・・・。うまく会えるといいが・・・。」
 
「なあグラディス。」
 
「ん?」
 
「今日その男に会う時は、俺も一緒に話を聞くよ。君から聞いた話だけではその男の人となりが全然つかめないからな。顔を合わせて話を聞けば、気づくことはいろいろとあるかもしれない。」
 
「そうだな。俺もそのほうがいいと思う。昼メシはその辺の屋台で食うか。王宮に戻ってる時間が惜しいし、用事を頼まれたりするとあの男に会いにいけないかもしれないからな。」
 
「ああ、そうしよう。とにかく会って話を聞かないと、もしかしたらとんでもない大ごとになりかねん・・・。」
 
 
 
「うーん、今のところけんかはしていないみたいだな。」
 
「そうだな。あれなら大丈夫か・・・。」
 
 話をしているグラディスとガウディを、離れた場所から伺っていたのはパーシバルとヒューイだ。2人がこちらに気づいた様子はない。
 
「だいぶ穏やかそうじゃないか。いつもあれなら、俺達も心配しなくていいんだがなあ。」
 
「さっきの泥棒も2人で協力して捕まえたみたいだしな。」
 
「いざとなったらちゃんと協力するのに、何で普段はけんかばかりしてるのかね。男と女ならどうでもいいことで痴話げんかと言うのもあるが、男同士であそこまで感情むき出しってのも、珍しいよな。」
 
「それだけ仲がいいということなのかもしれないがな。」
 
「・・・普通の意味でか?」
 
 ヒューイがからかいたそうに、にんまりと笑った。
 
「当たり前だ。」
 
「はっはっは!それじゃ俺達は、市場の向こう側を回るか。あの辺りからなら、ここで騒ぎが起きてもそれほどかからずに戻ってこれるしな。」
 
「そうだな、いくか。」
 
「今日はどのルートにするかな。ちゃんと決めておかないと、あちこちでばったりなんてことになるからな。せっかく二手に分かれてもそれじゃ意味がない。」
 
「うーん、それじゃ向こうの通りに行って、状況を見て考えよう。」
 
「それもそうだな。ま、どこの通りも今日はこんな調子かもしれんから、どこでも同じかなあ。」
 
 ヒューイが、やれやれとため息をついた。
 

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