「・・・え・・・・?」
カインが顔をこわばらせた。レイラはカインの前にしゃがみ込み、肩に優しく手を置いた。
「今回はね・・・ちょっとだけ長いそうなの・・・。」
「・・・どうして・・・?いつ帰ってくるの?」
カインの目に涙がじわっとにじんだ。
「あなたが今夜から3回眠ったら、帰ってくるわ。」
「そ、そんなに・・・。」
言葉をつまらせたカインをレイラはしっかりと抱きしめた。
「だから、その間あなたはうちにいなさい。モルクと一緒に寝るといいわ。ちょっと狭いけどね。」
レイラの肩に顔を乗せ、首に両腕をまわして、カインは声を立てずに泣いていた。わずか8歳の子供が、こんな感情を押し殺したような泣き方を憶えていると言うことが、レイラは不憫でならなかった。エイベックは確かに優しい人間だ。だからこそ自分がありつけるはずだった仕事を他の人に譲ってしまったりもするのだろう。それ自体は尊い自己犠牲の行為と言えなくもないのだが、自分の生活も顧みず他人に施しをするような人間では、この先もカインはこんな思いをし続けなければならない。
(あの人は・・・父親としての自覚があるのかしら・・・。)
カインの母親が亡くなる時、その手をしっかりと握りしめて、必ず息子を立派に育てると彼が胸を叩いて請け合っていたのを昨日のことのように憶えている。なのに実際はどうだろう。彼がやっていることは、息子の食べ物を取り上げて他人に施しているのと同じことだ。そして自分の食べるものまでもなくなって盗みを繰り返す。この町の誰もがエイベックがお人好しなことを知っている。だからわざと彼の前ではずっと仕事にありつけていないような顔で、同情をひこうとする人間もいるのだ。そうやって彼のそばにくっついていれば、確実に職にありつけるからだ。今までレイラはそんなことをエイベックに言ったことはなかった。彼の善意を踏みにじるようなことを言いたくなかったし、出来るなら自分で気づいてほしかったからだ。でももうそんなことを言っている場合ではないのかも知れない。
(今度出てきたら絶対びしっと言わなくちゃ・・・。)
レイラがそう心に決めた時、カインが顔を上げた。
「おばさん、あのね・・・。」
「うん、なあに?」
「今日と明日は・・・ここに置いて。明後日は、自分の家で寝るよ。もしかしたら父ちゃんが早く帰ってくるかも知れないし。ちゃんと家でお帰りなさいって言ってあげたいんだ・・・。」
「ええ、わかったわ。それじゃカイン、あなたの毛布と布団だけ、こっちに持ってきなさい。うちには余分なのがないからね。」
「うん、ありがとう。」
カインは笑顔で自分の家へと駆けていった。家には鍵なんてない。中に入って扉をぴたりと閉めた。
「ちくしょう・・・・。」
食いしばった歯の間から声がもれる。
「父ちゃんのバカやろう・・・・。何で同じこと繰り返すんだよ。何回地下牢に行きゃ気がすむんだよ!」
ただ悔しかった。カインは父親が大好きだ。母親の顔は覚えていないが、そんなことを気にする必要がないほど、父はカインをかわいがってくれている。でも父が地下牢に入るのはこれが何度目だろう。
「モルクの家だって貧乏だぞ・・・。でもモルクの父ちゃんは一回も地下牢になんて入ったことないぞ・・・。何でうちの父ちゃんばかりなんだよ!」
地下牢を出て帰ってきた日、父親はいつもカインに言って聞かせる。
『ごめんな、カイン。父ちゃんはな、悪いことをしたからつかまったんだ。』
悪いことをしたから・・・。最初に聞いた時がいつだったのかもう憶えていないが、その時は父を潔いと思った。でも回を重ねるに連れて、それがただの言い訳でしかないとカインは思うようになった。
『仕事にありつけなくて』
『お前に食べさせるために仕方なく・・・』
「仕事にありつけないんじゃないんだ!みんなに利用されてるだけだ!それを俺のためだなんて言うな!」
いつの間にかカインは、また泣き出していた。
『エイベックの横にひっついていろよ。今日仕事にありつけないと明日から食うもんがねぇとか言っておくと、あいつが勝手にこっちを推薦してくれるぜ』
こんな噂をこの町の中で何度聞いたことか。それを父は知っているのだろうか。知らずにいいことをしたなんて喜んでいるのだろうか。
「バカやろう・・・・父ちゃんのバカやろう・・・。」
カインはしばらくの間、自分の家のベッドに座り込んで泣いていた。と、その時、扉をノックする音がして、するりと扉が開き、ミーファとリーファが顔を出した。
「あ、カイン、いたいた。早くうちにおいでよ。みんな待ってるよ。」
この二人はいつも、同じ顔で同じ声で、口調までそろえてにこにこと話す。何となくほっとして、カインは笑った。
「うん、ごめん。今いくよ。」
急いで涙をこすり、毛布と布団を抱え上げて、カインはふと思い立ってかまどの上の鍋をのぞき込んだ。思った通りジャガイモのスープが少し残っている。
「ミーファ、リーファ、この鍋持って行ってくれるか?スープが少しだけ残ってるから食っちゃった方がいいからな。」
「はーい。」
カインは家を出て、ミーファ達と一緒に隣の家に戻った。
この日はモルク達と一緒に夜まで遊んでいた。夜遅くになって帰ってきたモルク達の父親は、カインの父親のことを聞くとカインの肩を叩いて微笑んだ。
「そうか。それじゃ、明後日まではカインは俺んちの子供だな。」
「おじさん・・・ごめん・・・。」
モルクの父親がいくら明るく笑ってくれても、カインの心は申し訳なさでいっぱいだった。
「子供が気なんて使うもんじゃないぞ。」
モルクの父親は大声で笑い、カインの頭を大きな手でグリグリとなでてくれた。
翌日、カインは一人で貧民街のはずれまで来ていた。父親は3日間帰ってこないと聞かされてはいたが、もしかしたら予定が変わって早く許してもらえるかも知れない。そんなはかない望みを抱いて、カインはトボトボと道を歩いていた。
「おい。」
声をかけられ顔を上げると、見覚えのある顔が立っていた。
「誰かと思ったら貧民街のやつじゃねぇか。」
カインはハッとして辺りを見回した。いつの間にか貧民街から出て、一般の住宅街の中まで入り込んでいる。
「何でこんなところにいやがるんだよ?お前の家はあっちだろう?」
声をかけてきたのは、このあたりのガキ大将だ。ガキ大将と言っても実は貴族の子供である。ここからは貴族のお屋敷群がある場所も近いので、そこに住む子供が平民の子供を手下のように従えて、よくこの辺で悪さをしていた。以前父親がつかまった時、その被害者となったのがこのガキ大将の子分の父親だったことで、それ以来カインはこの連中から目の仇にされていた。
「いいじゃないか。ここは普通の道なんだから、誰が歩いたってお前達に文句を言われる筋合いはないや。」
ガキ大将はにやにやしている。まさか・・・カインの父親がまたつかまったことを知っているのだろうか・・・。
「確かに誰が歩いたっていいよなぁ。だがなあ、それが泥棒の子供となると、話は違うよなぁ。」
カインはダッと駆けだした。こんな連中の相手をしていたら、またどんな目に遭うかわからない。必死で走って貧民街まで戻ってきたが、そこでカインは追いかけてきたガキ大将の子分達に取り囲まれてしまった。運悪くそこは、ただでさえ人通りの少ない貧民街の中でも、めったに人の通らない通りだった。
「な、なんだよ。何で追っかけてくるんだよ!」
カインは精一杯大声で怒鳴った。ガキ大将達はただにやにやしながらカインを取り囲んでいる。その中の一人がバカにしたような目をカインに向けて口を開いた。
「おい、おい、お前のオヤジ、また盗みを働いたんだってなぁ・・。」
カインは黙っていた。やっぱりこの連中は父ちゃんのことを知っているんだ・・・。黙っているカインを、子分の中の痩せた男の子が苛立たしげに小突いた。
「恥ずかしくないのか?お前は泥棒の子供なんだぜ。」
カインは答えなかった。唇を噛みしめ、叫びだしたい衝動にじっと耐えた。昨日は父親を情けないと思った。でも他人にこんなことを言われたくはない。黙っていればきっとこいつらもあきれていなくなってしまうだろう。実際、以前この連中に絡まれた時は、カインはひたすら黙って耐え抜いた。そしてガキ大将達はいくらつついても黙り続けているカインをおもしろくないと思ったらしく、引き上げていったのだった。
だが、今回はなかなか彼らは引き下がろうとしない。さっきカインを小突いた男の子が、今度はカインの足を思い切り蹴飛ばした。
「何とか言ったらどうなんだ?ええ、カインよぉ?」
蹴飛ばされた拍子にカインは転び、地面に思い切り膝をぶつけた。
「う、う、あぁ・・・。」
こらえきれずにうめき声がもれる。押さえた膝からは血が流れていた。蹴飛ばした男の子は、してやったりと残酷な笑みを浮かべ、なおも拳を振りあげた。
「どうした、かかってこないのかぁ?このクズが!」
「も、もうやめてくれよ・・・。」
カインはとうとう声を上げた。
「お、やめてだとよ。」
「へっへっへ、ついに泣き言を言いやがったか。いつも取り澄ましてやがって、気に入らなかったんだよな。」
カインを取り囲む男の子達は、なおも面白がってカインを殴ったり蹴ったりしていた。このまま殴られ続けたら死んでしまうだろうか。もしも死んでしまったら、父親は自分をなんと思うだろうか。父親が盗みをはたらくのは自分のためだと言うけれど、でもそんなんじゃない。
(父ちゃんが弱いからなんだ・・・。父ちゃんさえもっと強かったら、俺はこんな目に遭わずにすんだんだ・・・。)
その時、突然カインを殴る手が止まった。不思議に思って顔を上げると、どこから現れたのか見覚えのない少女が立っていた。年の頃はカインよりも少し上だろうか。蜂蜜色の髪をきれいに結い上げ、上等な絹のドレスを着ている。透き通るような白い肌に淡いブルーの瞳。一目で『裕福な貴族のお嬢様』とわかるいでたちだった。
「や、やめなさい・・!」
少女は白い頬をバラ色に染めながら、緊張した面持ちで叫んだ。
「おいおい誰だよ、こいつ?見たことねーぞ?」
ガキ大将の子分の一人がじろりと少女を睨む。少女は顔をこわばらせたが、ひるむ様子は見せずにもう一度叫んだ。
「と、とにかく、もうやめるのです!!」
「なんだとぉ?お前誰にものを言って・・・」
ガキ大将は少女を睨んだ。少女もガキ大将をじっと見つめ返す。しばらくにらみ合いが続いたが、先に視線をはずしたのはガキ大将のほうだった。
「ふん、つまんねぇな。もう行くぜ。」
ガキ大将はくるりとカインに背を向けて歩き出した。
「ケッ、女に助けてもらうなんて、とことん情けない野郎だぜ!!」
他の子分達も捨て台詞を残して親分の後についていく。彼らが立ち去ったあと、少女は心配そうにカインをのぞき込んだ。
「だいじょうぶ・・・?怪我したの?」
カインは黙っていた。血が出ている膝は泣きたいほどに痛い。だが、今自分を助けてくれたこの少女はどう見ても貴族のお嬢様だ。そしてカイン達に勉強を教えてくれる貴婦人達のように木綿のドレスも着ていない。
(貧民街にこんな上等なドレスを着て入ってくる貴族なんてろくな奴じゃないさ。)
さっきまで自分をいじめていたガキ大将が貴族の子供だと言うこともあって、カインはどうしてもこの少女に素直に頭を下げる気になれずにいた。
「どうして・・・やられっぱなしになっているの?」
少女は黙っているカインに尋ねた。カインは顔を上げて少女を見た。淡いブルーの瞳がまっすぐに自分を見つめている。その目ははっきりと自分を非難していた。
「なんで、言い返さないの?あなた、悔しくないの?」
なおも少女はつめ寄る。やられたらやり返せばいい、やられっぱなしになっているなんて男らしくないとでも思っているのだろうか。
「うるさいなぁ!」
苛立ちが頂点に達し、カインは思わず少女を怒鳴りつけた。
「どうせ、あんた金持のお嬢さんかなんかだろう!裕福で何一つ不満なく暮らしているようなやつに、生まれが貧しいというだけで、虐げられる人間の気持ちが判るか!!」
一気に言い終えてカインは少女をもう一度見た。少女は青ざめ、肩が震えている。
(しまった、言い過ぎたかな・・・。)
後悔してももう遅い。くるりときびすを返し、立ち去ろうと歩き始めた少女の背中を、カインは黙って見つめていた。と、少し歩いて、少女はカインを振り返った。じっとカインを見つめるその瞳から非難の色は消え失せ、かわりに深い悲しみが満ちていた。
そして少女は去り、一人残されたカインの目から涙が落ちた。膝が痛んだからじゃない。でも悲しかったのか、腹立たしかったのかはわからなかった。
「ちゃんとお礼を言えばよかったかな・・・。」
せっかく助け出してくれたその女の子にひどい言葉を浴びせてしまったことを、カインは後悔していた。でも貴族のお嬢様になんて、自分達の苦しみをわかってもらえるはずがない。
「あのくらいのこと言ってやったっていいさ。どうせ一時の気まぐれだろうし。大体俺をいじめているあの連中だって貴族の子供だしな。仕返しをしてやったと思えばいいさ。」
声に出してそう言ってはみたものの、カインの心は晴れなかった。
ガウディは地下牢の入り口の前に立っていた。今日はあのエイベックという男が地下牢から出る日だ。わざわざ出かけてきたところで自分が何かしてやれるとも思えないのだが、それでも何となくここに足が向いていた。相方のグラディスには黙って出てきた。あとで文句を言われるだろうがしかたがない。中に入ると、ロレンツ審問官はすでに仕事を始めていた。
「おはようございます・・・。」
ロレンツは顔を上げ、少し驚いたようにガウディを見つめた。
「おお、おまえか。遅かったな。」
「・・・は・・・?」
この間来た時、今日ここに来るとでも言っていただろうか。あの時はすっかり気落ちしていたから、無意識にそんなことを言ってしまったのだろうか・・・。
「この間お前が捕まえたエイベックという男の件で来たのではないのか?」
「あ、はい。そうですが・・・。」
「その男なら、さっきお前の相方が来て連れて行ったぞ。」
「グラディスが?それはいつですか?」
「夜明けとともにここに来たと言っておった。私が来なければ手続きが出来ぬから、それまでずっとここで待っておったようだ。」
「そう・・・ですか・・・。ではグラディス達はどこへ・・・。」
「仕事がどうのこうのと言っていたのが聞こえたから、もしかしたら人夫募集をしている広場にでも行ったのかも知れぬ。」
「わかりました。行ってみます。」
ガウディは地下牢を出た。
「どうして・・・グラディスの奴が・・・。」
なぜグラディスがそんなことをしたのか、ガウディにはわからなかった。
「またよけいなことをしなければいいんだが・・・とにかく、グラディスをつかまえないとな・・・。」
もう陽はかなり高く上っている。この時間になれば人夫の募集などとっくに終わっているだろう。エイベックがうまく仕事にありつけたとすれば、グラディスは今頃王宮の食堂で朝食でも食べているころだ。
「まっすぐ食堂に行ったほうがいいかもな・・・。」
ガウディは一度町の広場に行きかけた足を止め、王宮に向かって歩き出した。
食堂に着くと、案の定グラディスは一人悠々と食事をしていた。そんなグラディスの姿を見ているうちに、ガウディはなぜか無性に腹が立ってきた。
「おい。」
テーブルをドンと叩いて、ガウディはグラディスと向かい合った。
「おお、遅かったな。先に食ってるぞ。お前もさっさと食えよ。今日も城下町の見回りだからな。」
「何でよけいなことをした。」
「・・・・・・・・・。」
グラディスは答えず、ひたすらにスプーンを口に運んでいる。
「答えろ!」
グラディスは上目遣いにガウディを見て、あきれたようにため息をついた。
「そうカリカリするな。何がよけいなことなんだ?」
「決まってるだろう。エイベックのことだ。君はあの男に何を言ったんだ!?」
「何をと言われてもなぁ・・・。」
「とぼけるな!」
グラディスがのんきそうに返事をするたびに、ガウディの中で苛立ちが募り続ける。
「たいしたことじゃないよ。息子の食べ物を取り上げて他人に分け与えるようなバカなまねは、いい加減やめろと言ったのさ。この間隣の家のおかみが言っていたじゃないか。自分がありつけるはずだった仕事をみんな人に譲っちまうって。この先もそんなことばかりしているようなら、またすぐに地下牢に逆戻りだ。しかも今度こそ、いつ出られるかわからないからな。」
グラディスの言うことは正しい。実際ガウディもそのことが気になって、それで今朝出かけてみたというわけだ。だが今のガウディは、グラディスがしたことを素直に認める気になれなかった。
「それが余計なことだと言うんだ!」
「なぜだ?」
ガウディはぐっと言葉に詰まった。
「それが余計なことだというのなら、あの男がいつまでも同じようなことを繰り返してずっと地下牢暮らしになったほうがよかったって言うのか?」
グラディスの鋭い瞳がガウディを射抜く。ガウディは答えられない。グラディスは少しの間ガウディをじっと見つめていたが、やがてフッと皮肉な笑みを浮かべた。
「・・・お前が考えていることを当ててやろうか?」
「当たるはずないよ。わかるもんか、そんなこと・・・・。」
「わかるさ。お前は俺のやったことが余計なことだと思ってるわけじゃない。俺がしゃしゃり出たことが気に入らないだけだろう。あの男を助けるのは自分だと思っていたんじゃないのか?牢から出たときに優しい言葉をかけてやって、仕事のひとつも世話してやれれば、物乞いでもない相手に施しをしようとした自分の罪滅ぼしができるとでも思っていたんだろう。・・・ちがうか?」
「お・・・俺は・・・。」
そんなことは考えていないと、君の思い込みだと、言うはずなのに声が出ない。
「・・・今日の朝、あの男を連れて俺は町の広場に出かけた。やつは今日くらい子供のそばにいてやりたいと言ったが、手ぶらで帰るってことは隣の家の食い物を当てにしているっていうことだといってやったら、おとなしくついてきたよ。そこでしばらくあの男を見ていたんだが・・・あの男は他の連中に体よく利用されているだけだな。」
「利用・・・?」
「ああ、そうだ。人がいいのを通り越して、あれじゃただの道化だよ。」
グラディスは渋い顔で、そのときの出来事を話してくれた。
「とにかく、お前の家では今日食べるものもないんだ。せっかく早い時間に牢を出たんだから、せめて金ぐらい持って帰ってやるべきじゃないのか。」
「で、でも・・・息子はたった一人で家で待っていて・・・。」
「腹を減らして待っているんだろうな・・・。」
「そ、それは・・・。」
実際はそんなことはないだろうと、グラディスは思っていた。隣の家のおかみレイラはいい人間だ。ちゃんと彼の息子の面倒を見ていてくれるのは間違いない。なのにこの男ときたら・・・。
『子供を一人にするなんて父親失格だ』とか、『こんな父親を持って息子がかわいそうで』などというばかりだ。具体的にこの先どうするべきなのか、それらしい言葉がひとつも出てこない。
(なに考えていやがるんだ、こいつ・・・。)
いかにも立派なことを言っているようだが、それは心からそう思ってるというより、グラディスに聞かせるためだけに言っているようにしか聞こえなかった。
「おい、あんたこれからどうするつもりなんだ?」
「え・・・?」
エイベックはきょとんとしている。
「え、じゃないだろうが!あんたなぁ、何で今回3日も牢にいる羽目になったのかわかってんのか!?」
グラディスは思わず声を荒げた。
「あ・・・それは、その・・・私が今までにも何度も捕まったから・・・。」
「そうだ。お前は盗みの現行犯で何度も捕まっている。審問官が言っていただろう?今度こんなことがあったらもう3日程度でもすまないって。」
「は・・・はい・・・。でも、悪いことをすれば罰を受けるのは当然で・・・。」
「そんなことを聞いてるんじゃないんだ!」
とうとうグラディスはエイベックを怒鳴りつけた。
「あんたには息子がいるんだろう!?いくつなんだ!?」
「は・・・8歳です・・・。」
「その8歳の子供を、これから先ちゃんと養っていく覚悟はあるのかと聞いているんだ!」
「と、当然じゃないですか!私は女房が死ぬときに約束したんです。この子を必ずちゃんと育てるって。そのつもりで今までずっと・・・。」
「今までずっと盗みをしてきたわけか?」
「ち、違います!それはどうしても仕事が見つからないときに・・・。」
「嘘をつけ!せっかくありつけた仕事を、他のやつらに譲っちまって食いつめただけだろうが!」
「・・・どうしてそれを・・・!?」
「そんなことはどうだっていいんだ!あんたがやっていることはな、息子の食い物を取り上げて他人に施していることとおんなじだ!それで誰が感謝してくれる!?ていよくカモられているだけじゃないか!?」
「カモられているなんてそんなことは・・・。それに貧民街の人間なんてほかでは誰も相手にしてくれないんだから、同じ町の人間同士くらいみんな助け合わなくちゃ・・・。」
「それじゃ、これから行ってみようじゃないか。町の広場では今日も周旋屋達が人足の募集をしているんだろう。」
「は・・・はい・・・。」
グラディスはエイベックと一緒に、町の広場へ出かけていった。もう周旋屋達は来ていて、そのまわりには仕事を求める人々が群がっている。貧民街の人間ばかりではない。近隣の町から流れ込んできた者達や、遙か南大陸から来た者までいるようだ。そんな人々を、周旋屋達は鋭い目で見渡している。品定めをしているのだろう。グラディスはエイベックの腕をつかみ、人混みをかき分けて周旋屋達からよく見える位置まで移動した。
「さてと、あんたがちゃんと仕事をもらえるまで見ているか。」
「旦那・・・どうしてそこまで・・・。」
「別にあんたのためじゃない。あんたの息子のためだ。」
「・・・・・・・・・。」
そこに誰かが近づいてきた。
「おい、エイベック。」
「ああ、あんたか・・・。」
「どうだ、景気は?」
「いや・・・よくないな・・・。」
エイベックの口数はさすがに少ない。ついさっきまで地下牢にいたことなんて知られたくはないだろう。
「そうか・・・。こっちもさっぱりだよ・・・。また今日も仕事にありつけないと・・・あとはもう首でも吊るしかないかもしれんなぁ・・・。」
「そんなに大変なのか・・・。」
男は悲しげにうなずいた。
「そうか・・・。」
エイベックの顔が暗くなる。二人のやりとりを聞いていて、どうもグラディスには引っかかることがあった。話しかけてきた男の口調に、それほど切羽つまった様子が感じられないのだ。第一、首でも吊るしかないほどに追いつめられているはずなのに、この男は妙に血色がいい。着ている服だって古くなってはいたがそれほどぼろぼろでもない。
(こいつ・・・まさかエイベックの仕事を横取りしようなんて企んでるんじゃないだろうな・・・。)
グラディスは男に声をかけた。
「おい、あんた。あんたは何日くらい仕事にありつけていないんだ?」
男はいきなり王国剣士に話しかけられ、ぎょっとしてグラディスを見た。
「あ・・・あの・・・・えーと・・・。」
「いや、首をくくるほど大変なら、自分から周旋屋達に売り込んだ方がいいかと思ってな。俺が掛け合ってやるよ。ちょっと一緒に来てくれ。」
「え・・・?あ、あの・・・。」
青くなって口ごもる男の腕をつかむと、グラディスは強引に周旋屋達の前に出て行った。
「おい、あんたら。」
グラディスはそこにいた周旋屋に声をかけた。ずんぐりとした体格の、中年の男だ。
「ひっ!」
周旋屋はグラディスを見るなり、顔をひきつらせて悲鳴を上げた。
「・・・おい・・・。なんだよその驚き方は・・・。」
これにはグラディスのほうが驚いてしまった。確かにこんな場所に王国剣士がいるのは不釣り合いかも知れないが、それにしてもこの男の驚き方には何か異様な不自然さがある。
「あ・・・い、いや、申し訳ございません・・・。王国剣士の旦那でしたか・・・。今日はなんの御用で・・・?この間のことなら、知っていることは全部申し上げましたが・・・。」
「この間のこと?」
「は、はい。我々周旋屋の組合頭のガルガスが死んだ件ですが・・・あの、そのことでいらしたわけではないので?」
「あれは事故だったんだろう。」
「は、はい。それはもうもちろんで。酒に酔って橋から落ちたらしいと聞きましたが・・・。」
「その件は俺が担当しているわけじゃない。」
「そ、そうでしたか・・・。では今日はなんの御用で・・・?」
周旋屋は額から吹き出した脂汗を必死でぬぐいながら、腰が折れるんじゃないかと思うほど、グラディスに向かってぺこぺこと頭を下げている。妙な視線を感じてまわりを見渡すと、他にもいる何人かの周旋屋達が、一様に青ざめた顔でグラディスを見つめていた。
(・・・なんなんだ・・・こいつら・・・。)
死んだ周旋屋の件は事故だったはずだ。酔っぱらって橋の上から落ちて・・・。ではなぜ彼らはこんなに怯えているのだろう。
(あとで調べてみるか・・・。)
とにかく今は目の前のこの男のことだ。グラディスはつかんだままの男の腕をぐいっと引っ張り、周旋屋の前に顔が見えるように立たせた。
「おいあんたら、この男はもう何日も仕事にありつけなくて、今日もだめならあとは首をくくるしかないそうだ。この男にでも出来そうな仕事ってのはあるのか?」
周旋屋達の顔から恐怖が消え、厳しい目が戻ってきた。
「旦那、あたし達はね、毎日ここに来るんですよ。だから自分達が雇った男の顔くらいちゃんと覚えているんです。この男はね、昨日も一昨日も、ちゃんとここで仕事をもらって働いていましたよ。」
仕事のことになると、周旋屋達は胸を張り堂々と話す。
「ほお、話が全然違うな。それじゃ周旋屋、あの男はどうだ?」
グラディスはあいている方の手でエイベックを指さした。
「おや、最近見かけないからどうしたのかと思っていましたが、あの男なら歓迎ですよ。まじめでよく働くし、仕事も丁寧だ。現場で博打を打ったり喧嘩沙汰も起こさないから、我々としてはいい人材ですな。」
「なるほど、なかなか評判はいいんだな。それじゃ、あの男をしばらく続けて雇ってくれる気はないか?」
「う〜ん・・・。そうですねぇ。実は我々もこうやって毎日違う人間を雇うより、ある程度決まった人間を何人か雇って、そのほかに日雇いで募集しようかと考えていたんですよ。」
「なるほどな。すると人夫を増やすのか?」
「そう言うことになりますね。最近になって工事のほうに遅れが出てきましてね。のんびりやっていたのではいつ出来るかわかりませんからな。まじめで信頼の出来る人間を現場の中心に据えれば、仕事もスムーズに進むでしょうからね。」
「ふぅむ・・・。人夫頭のようなものだな?」
「はい。今の現場にはそう言う人材が不足しているのですよ。誰にでも任せられる仕事ではないですからね。」
「ではちょっと待っていてくれないか。あの男は今までもあんたらの目にとまっていたらしいが、いつも他人に仕事を譲っちまうって聞いたんだ。でもあんたらが今考えているような仕事を任せるのに、そんな奴では困るよな?」
「そうなんですよ。あの男の欠点と言えばそれなんです。こっちはあの男を雇いたいんです。なのに他の人間を推薦して自分はいいからとさっさといなくなってしまうんですから・・・。人がいいのを通り越していますよ。」
(そう言う奴をバカっていうのさ・・・。)
グラディスは心の中でつぶやき、エイベックを連れてくるからと言って、一度そこを離れた。ずっと腕をつかまれたままの男は、何とか腕をふりほどこうともがいている。その腕をグラディスはますますきつく握った。
「あいたたた・・・。旦那ぁ、勘弁してくださいよぉ。」
「何で嘘なんぞついたのか教えてくれたら、離してやってもいいぞ。」
「言います言います、何でもしゃべりますから・・・。」
「よし、それじゃエイベックの前で話せ。そしたら手を離してやろう。」
「そ、それは・・・。」
男は哀れっぽい目をグラディスに向けた。だがそんな目に騙されるほどグラディスはバカではない。
「それならこのまま地下牢にでも行くか?」
「そ、そんな、俺はなんにも悪いことは・・・。」
「王国剣士を騙そうとした。それだって立派な罪だ。」
かなり無茶な論理だが、グラディスはかまわなかった。
「・・・わかりましたよ。エイベックの前で話しますから・・・。」
男はあきらめたらしく、おとなしくなった。グラディスは驚いているエイベックの前で、男にすべてをしゃべらせた。エイベックが町で『お人好し』としてバカにされていること。エイベックの前で困っているふりをすれば、確実に仕事にありつけると言われていること。実際にその手を使って今まで彼の仕事を横取りしていたのは自分だけじゃないこと・・・。
「そ・・・そんな・・・。」
聞き終わったエイベックは涙を浮かべていた。
「ま、あんたには悪かったと思うけど・・・でも騙されるあんたもあんただよな。」
「そ、そんな言い方はないじゃないか!人を何度も騙しておいて・・・。」
「俺達だって最初からあんたをだますつもりだったわけじゃないよ。いつだったか俺はあんたに、いつも不景気で大変だと言ったことがある。それは本当だぜ。貧民街に住んでいちゃあ、いくら働いたって楽な暮らしなんぞ出来やしないからな。そしたらあんたが自分の仕事を譲ってくれちまうじゃないか。別にそこまで頼んだ覚えはないのにな。そんなことが何度も続いてみろ。あんたのそばに引っついていれば、確実に職にありつけると誰だって考えるぜ。」
「で、でも、そんな言い方されれば何とかしてやりたいと思うじゃないか・・・。」
「ああ、そりゃ思うだろうさ。だがな、他人に施しをしたければ、自分の取り分は確保してからってのが鉄則だぜ。そんな簡単なことも考えずに他人の面倒ばかり見たがるから、食いつめて盗人に成り下がったりするのさ。」
「なんだと!?」
エイベックが涙をためた目で男をにらみ、彼の胸ぐらをつかんで殴りかかろうとした。
「おっと、それはやめておけ。」
グラディスが止めに入り、エイベックは悔し涙をぽろぽろとこぼしながらその場にひざをついた。
「気持ちはわかるが、暴力沙汰は見過ごすわけにはいかないからな。」
心情的には、2〜3発殴らせてやりたいくらいだったが・・・。
「とにかく、あんたを利用していたのは俺だけじゃないんだ。俺ばかり殴られるなんて割りにあわねぇぜ、まったく・・・。」
男はなおも口の中でぶつぶつと言っている。
「おいあんた、この先またこの男をだますようなことがあったら、あんたも詐欺で地下牢行きだからな。」
「さ、詐欺!?」
男はぎょっとしてグラディスに振り向いた。
「そうだよ。嘘をついて仕事を横取りしたんだ。それも何度もな。そのくらいの罪ですめばいいんだが。」
「じょ、冗談じゃない!わかりましたよ。俺はね、もうエイベックにはかかわりあいませんよ。人夫の募集人数が増えるなら、別にこいつにひっついていなくとも、仕事を見つけられないってことはなさそうですからね。」
「それから、他の連中にも言っておけ!詐欺罪で引っ張られたくなければ自分の力で仕事を見つけろってな!」
逃げるように人ごみにまぎれていく男の背中に向かって、グラディスは怒鳴りつけた。そしてまだ座り込んだまま肩を落としているエイベックの腕を、ぐいとつかんで強引に立ち上がらせた。
「おい、あんたはいつまでここにいるつもりだ?さっきの周旋屋があんたを長期間雇ってくれるって話だ。さっさと行くぞ。」
「わ・・・私をですか?」
「ああ、そうだよ。工事が遅れているから、人夫頭みたいな人材を探しているんだそうだ。うまくいけばずっと安定して金が入るぞ。今度こそ盗人なんぞしなくてすむようになるだろう。だがな、それはあくまでも、あんたがそれを自分の仕事として最後まで責任を果たすならば、の話だ。今までみたいに他人の面倒ばかり見て、無責任に仕事を放り出すようなことを続けるつもりならこの話はナシだ。さあ、どうする!?」
「でも・・・貧民街の人間をどうしてそこまで・・・。」
「そんなことは周旋屋本人に聞け!行くのか、行く気がないのか!?」
「わかりました・・・。行って話を聞いてみます・・・。」
「よし、行くぞ。」
「まったく・・・。あの男の煮え切らない態度といったら・・・殴ってやりたいのは俺のほうだったよ。」
グラディスは食後のコーヒーを飲みながらうんざりしたようにため息をついた。
「・・・それでどうしたんだ・・・?」
ガウディはというと、むすっとした表情のまま、グラディスの話を聞いている。さっきもらってきた食事はテーブルの上ですっかり冷めてしまっていたが、ガウディは気づいてもいない。
「周旋屋とエイベックに、直接話をさせたのさ。もともとあの周旋屋達は町の商人達と違って、人夫の家がどこにあろうと何にも気にしちゃいないんだ。縁起を担ぐより、工事を確実に進めることが一番大事だからな。」
「なるほどな・・・。それでエイベックはその話を受けたのか・・・?」
「受けたよ。あんたの仕事ぶりはいつも感心して見ていたんだって言われて、気をよくしていたみたいだったぜ。」
「まじめな男だからな・・・。」
「そうだな。まじめなのは間違いないだろう。バカ正直に今朝方まで地下牢にいたことまで周旋屋にしゃべっていたからな。」
「な、なんだと!?」
これにはさすがにガウディもあきれてしまった。
「そんなことを言ったらまとまる話も・・・。」
「俺もそう思ったよ。ところが今回の場合は、これがいいほうに働いたんだ。」
「・・・いいほうに・・・?」
「そうだ。その話を聞いた周旋屋連中はこう言ったよ。『普通なら絶対に隠すような話を正直に言ってくれるこういう人間なら信用出来る』ってな。」
「・・・そ・・・そうなのか・・・。」
エイベックという男は確かに誠実な人間だとガウディも思っているが、どうもその方向性が微妙にずれているような気がする・・・。
「でも、それじゃ君の立場がないじゃないか。そのことを知っていて黙ってたってばれてしまったわけだろう?」
「ははは、まあな。でも俺の立場なんて別にいいんだ。ただ、周旋屋達に知られちまったと言うことは、一緒に仕事をする連中にも知られる可能性もあるってことだからな。だからエイベックに、周旋屋達に対して誓いを立てさせたんだ。」
「どんな誓いだ?」
「この先何があっても無責任に仕事を放り出さないこと、勝手に他人に譲っちまうなんてもってのほかだ。それから盗みを生活の手段の選択肢に加えないこと、他人の目より、自分の息子を気にかけてやること。まあそんなところだ。あ、最後の項目だけは周旋屋達でなく俺に向かって誓わせたがな。」
「なるほどな・・・。」
そこまですれば、グラディスの顔も立っただろうし、表立ってエイベックの前科についてとやかく言う者はないだろう。これでもうエイベックは生活の心配をしなくてすむようになる。
「つまり俺はもう、あの男を捕まえたりしなくてすむというわけか。」
そうなれば彼の小さな息子がたった一人で父親を待つ必要もなくなる・・・。ガウディはほっとしたが、グラディスの表情から厳しさは消えなかった。
「そういうことだ。ただし、あの男がちゃんと仕事をこなしていくならば、の話だが・・・。」
「信用していないのか?」
「わからん。」
「妙な返事だな。君にそこまで言われれば、あの男だって今度こそ懲りただろう。だまされていたとわかったんだし、息子のことだって・・・。」
「あの男は俺達よりも10歳は上だぞ。」
「だからなんだ?」
どうもグラディスの頭の中はわからない。歳なんてなんの関係があるんだ・・・。
「その歳まで、あの男はそのやり方で生きてきたんだ。そう簡単に変われるかどうかはなんとも言えないとは思わんか?」
「うむ・・・・。」
グラディスの意見に賛同するのはなんとなく癪に障るが、確かに彼の言うとおりだ。
「だったらどうするんだ?」
「どうにも出来んさ。」
さらりと言ってのけるグラディスに、またガウディの頭の奥がカッと熱くなった。もしかしたらエイベックは、また性懲りもなく他人に仕事を譲ってしまうかも知れない。そうなったらあの男はまた盗みをするだろう。そこまでわかっているのになんの手も打たないとは、しかも仕事のお膳立てをしたのは自分なのに・・・。
「ではほっておくのか!?君はそんなに無責任な奴なのか!?」
「落ち着けよまったくもう!ここからはお前の出番だろうが!」
「何で俺がそこに出てくるんだ?」
いつの間にか、食堂中がガウディとグラディスの話に耳を傾けていることに、二人とも気づかなかった。ガウディは得体の知れない怒りに突き動かされ、ただ目の前のグラディスに向かって大声で怒鳴るばかりだったし、対するグラディスはさっきからずっと冷静さを失わないように見えたが、実は彼もガウディに対して苛立ちを募らせていたのだ。
「お前のほうがエイベックをよく知っているだろう?お前がたまに建設現場に顔を出して、様子を見てやったりしたほうがいいじゃないか。」
「だが、その仕事を世話したのは君じゃないか。君が行けよ。あの男だって自分を捕まえた王国剣士に来られるより、助けてくれた王国剣士のほうが話しやすいだろう。」
「そんなことを気にすることはないさ。」
「君が気にしなくても俺が気にする。」
「あのなぁ、お前いつまでそんなくだらないことにばかりこだわっているつもりだ?」
「くだらないだと・・・?」
「ああ、くだらんね。」
「君なんかに俺の気持ちがわかるか!」
「どんな気持ちだ?捕まえたことを後悔しているのか?」
「そ、そんなことじゃない・・・!あの男は罪を犯したんだ。それは・・・それは償うべきものであることに間違いはないじゃないか!」
「そう思っているなら、もっと胸を張っていればいいじゃないか。お前の行動は正しい。俺だってそう思うよ。自分が捕まえた相手が何とか更生しようとがんばっているんだ、気にかけてやるのは当然じゃないか。」
「そんな・・・簡単なことじゃ・・・。」
「別に難しいことなんて何もないさ。お前が複雑に考えすぎているだけだ。」
ガウディは肩を落として椅子にもたれた。グラディスにこういう言い方をされてしまうと、いろいろと悩んでいた自分がどうしようもなくバカに思えてしまう。でも反論の余地がない。本当に簡単なことなのだ。
「グラディス・・・ひとつだけ聞かせてくれないか・・・。」
「なんだ?」
「君はどうして・・・そんなにエイベックのことに一生懸命になったんだ・・・?」
からになったカップをもてあそんでいたグラディスの手が一瞬止まった。
「・・・あの男の息子さ。」
「息子・・・?」
「そうだ。子供を男手ひとつで育てていくのは大変だよ。定職に就けないならなおさらだ。だがな、親ってのはまず子供のことを考えるもんだろう?自分は飢えても子供には腹一杯食わせてやりたいと思うのが親ってもんじゃないかと、俺はそう思ってるんだ。少なくとも俺の両親はそうだった。なのにあの男ときたら、息子のことなんぞ全然考えていない。いかにも立派なことばかり言うが、中身は空っぽだ。口先だけでいくら正義を振りかざしても、子供はそんなことはすぐに見抜くよ。空っぽな人間の背中を見て育つ子供が、まともに育つと思うか?」
「・・・・・・・。」
「ま、俺は他人の家の子育てにまで口を出す気はないがな。ただ、腹を減らすつらさも、帰ってこない親を待っている心細さも、俺はよく知っている。だから人ごとのようには思えなかったのさ。」
グラディスの家は貧民街ではなかったが、貧しいことには変わりなかったらしい。子供達を育てるために朝早くから夜遅くまで働きづめの両親に代わって、グラディスが幼い弟妹達の面倒まで見ていたことを、ガウディは以前聞いたことがあった。
「そうか・・・。」
ガウディがため息をついた時、二人が座るテーブルの脇に誰かが立つ気配がした。
「喧嘩は終わりか?」
「お前らの話を聞いていたら、食事が喉につまるところだったぞ。」
ガウディ達が見上げると、そこに立っていたのはパーシバルとヒューイだった。
「あ、あの・・・聞いてらしたんですか・・・?」
赤くなるガウディ達を見下ろし、パーシバル達は大声で笑い出した。
「聞いていたか、だと?」
「食堂中に聞こえるほどの大声で怒鳴りあっていたのはどこのどいつだ?」
その言葉にガウディとグラディスは周囲を見渡した。まわりに座っている剣士達の視線はみんな自分達に注がれている。
「やっと気づいたようだな・・・。」
「ではさっさと食事を終わらせて仕事に行け。早くしないと昼になっちまうぞ。」
「は、はい・・・!」
すっかり冷めた食事をガウディは慌てて胃袋に詰め込み、グラディスと二人、逃げるように食堂を飛び出していった。
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