小説TOPへ 外伝トップへ 次ページへ



外伝3

 
「ははは・・・。若い者は元気だな・・・。」
 
 ヒューイはおかしそうにグラディスとガウディの後ろ姿を目で追った。でも何となく元気がない。
 
「俺達だって若いはずなんだがな。大体お前はもうすぐ結婚する身じゃないのか?今からそんな年寄りくさいことを言っていては、先が思いやられるぞ?」
 
「そうだなぁ・・・。いつまでも今のままってわけにもいかないだろうし・・・。」
 
 パーシバルの言葉に、ヒューイは今ひとつ乗り気でないような、微妙な返事をした。
 
「・・・なんだ、結婚したくないのか?年寄り連中が言うように、結婚は人生の墓場だなんてお前まで思ってるんじゃないだろうな。」
 
「そんなわけじゃないよ。」
 
 話しながら、パーシバル達は自分の座っていた席に戻った。椅子に腰掛けてヒューイは何となく疲れたように背もたれに体を預け、大きなため息をついた。
 
「・・・乗り気じゃないのはジーナのほうさ。」
 
「ジーナが・・・?まさか・・・。」
 
「まだしばらくは今の仕事を続けたいそうだ・・・。あいつは売れっ子だからな。朝も早いし夜も遅い。このまま結婚しても満足に家のことなんて出来そうもないから、もう少し待ってくれと言われたよ・・・。」
 
「なるほど、それでわかったよ。お前がこの間から元気がなかった原因が・・・。」
 
 先日久しぶりの休みであれほど浮かれて出かけていったヒューイは、翌日の夜暗い顔で帰ってきた。ジーナと喧嘩でもしたのかとも思ったが、ちょっとやそっとの喧嘩なら彼らはすぐに仲直りしてしまう。ヒューイ曰く『抱き合っているうちに喧嘩のことなんて忘れちまう』そうなのだが、それでも仲直り出来なかったと言うことなのだろうから、今回はかなり深刻なのだろう。
 
「元気になりたくても、いろいろ考えちまうとな、出るのはため息ばかりさ・・・。俺が食わしてやるから仕事を辞めてくれなんて言えるほど高給取りでもないし・・・。第一あいつのほうがよっぽど稼ぐからなぁ・・・。」
 
 ヒューイは自嘲気味に笑った。
 
「そんなことを言ったりしたら逆効果じゃないか・・・。ジーナはあの仕事が好きなんだろう?」
 
「そうだよ・・・。あいつは両親を早くに亡くしてずっと一人で生きてきたんだ。女が一人で食っていける仕事と言えば、娼婦かお針子くらいだ。娼婦のほうが実入りはいいんだろうが、さすがにそこまで割り切れるもんじゃないからって、その程度の気持ちで始めた仕事だったらしいんだが、性に合ってたんだろうなぁ・・・。服のデザインなんかも少しずつ任せられるようになってきて、今じゃブティックの主マダム・セルフィーヌの片腕だ。マダムからはそのうち独立させてやるとか言われているらしいし・・・。そうなったらますます結婚なんぞ遠のいちまうよ。売れっ子デザイナーが、食うや食わずの給料しか取れない王国剣士の女房になったって、いいことなんか何もないからな。」
 
「バカ言うなよ!お前達は愛し合っているじゃないか。お前とジーナの間にあるものは、金なんかじゃどうがんばったって手に入らないものだぞ?」
 
 ヒューイはパーシバルをちらりと見、今度は少し優しげに笑った。
 
「お前のそう言う純粋なところがいいんだよな・・・。確かにそうだよ・・・。俺はジーナを愛している・・・。金や地位や、そんなものに負けるようなものじゃないと信じたいよ。」
 
「第一ジーナは、『まだしばらくはこのままで』って言ってるんだろう?ずっとこのままがいいっていってるわけじゃないんだから、お前もそのつもりでデンと構えていてやれよ。」
 
「そうだな・・・デンとな。パーシバル、ありがとう。少し気が楽になったよ。」
 
 口で言うほどには、ヒューイは楽になったようには見えなかった。もっと力になれるものならなってやりたいが、いくら親友とはいえ、頼まれてもいないのにこれ以上口出しするのはお節介というものだ。それにパーシバル自身も、ケルナーから聞いた団長就任のことが心に重くのしかかっていて、正直それどころではなかった。
 
「なぁヒューイ・・・。」
 
「・・・ん・・・?」
 
「・・・俺のほうも、ちょっとお前に話したいことがあるんだ・・・。」
 
「そうか、なんだ・・・?」
 
「・・・この間お前が帰ってきた時に話すつもりだったんだが、どうも切り出しにくくてな・・・。」
 
「俺に気を使うことはないじゃないか。話してくれよ。」
 
「ここではちょっとな・・・。今日の夜話すよ。」
 
「わかった。」
 
 ヒューイは怪訝そうにパーシバルを見たが、何もいわなかった。こちらが切り出すまで辛抱強く待ってくれる、パーシバルはヒューイのこういうところが好きだった。本当ならヒューイこそが団長にふさわしいとパーシバルは思っている。常に冷静で、取り乱すなどと言うことはほとんどなく、仕事では的確な判断力で常に成功をおさめている。自分達のコンビが若手ナンバーワンだのいずれ剣士団を背負って立つだのと言われるようになったのは、ほとんどがヒューイの功績だ。ただ、なかなかの頑固者で、自分が納得するまでは相手が誰であろうとひるまずに向かっていく。年配の剣士達の中には、ヒューイをあまり快く思わない人達もいるらしい。だがそんなことは些細なことだと思う。ヒューイが自分より優れていることは明らかだ。なのに『次期団長』の噂が立ったのは自分のほうだった。ヒューイは噂については何も言わない。パーシバルが気にして落ち込んでいるときだけ『気にするなよ。ただの噂じゃないか。』と肩を叩いて慰めてくれるが、本当に自分が団長になるという事実をヒューイがどう受け止めるのか、パーシバルは不安だった。だからこそ今夜話すと言ったのだ。話すのが遅くなればなるほど、この話をヒューイが知った時パーシバルとの間に大きな溝が出来る恐れがある。でもいつかいつかと思っているうちに時間なんてあっという間に過ぎてしまうものだ。ヒューイがこの話を聞いたあと、いつもと変わりなく微笑んでくれますように。彼とずっとこれからも親友でいられますようにと、パーシバルは心から神に祈った。
 
 
                          
 
 
 王宮の玄関を飛び出すように通り抜け、南門へと通じる大通りまで来たところでやっと二人は足を止めた。食べてすぐに全力疾走したガウディの顔は真っ青だ。
 
「おい、こんなところで吐くなよ。戻って手洗いにでも吐いて来い。」
 
「うるさい!・・・黙っててくれ!」
 
 その場にしゃがみこんでぜいぜいと息をしながら、ガウディは大声でグラディスを怒鳴りつけた。
 
「そんな言い方はないだろう!?せっかく人が心配してやってるってのに・・・。」
 
 グラディスも腹立たしげに怒鳴った。まったくなんて奴だ、人の好意を無にしやがって。なんで俺はこんな奴と組まなくちゃならないんだ。もうちょっとまともな奴と組みたかった。そんなグラディスの心の内など無論つゆ知らずに、ガウディは黙ったまま石畳の上に座り込んで空を仰ぎながら、大きく深呼吸を繰り返している。
 
(くそ・・・!この程度で気分が悪くなるなんて・・・なんてざまだ!)
 
 さっきの食事は冷え切っていて、しかも慌てて食べたので味なんてほとんどしなかった。我が身の不甲斐なさに苛立ちながら、ガウディはさっきのグラディスとの言い合いを思い出していた。どうしてあんなに怒りをおぼえたのだろう・・・。でも実はガウディ自身も心のどこかで気づいていたのだ。それは彼に嫉妬していたからなのだと・・・。
 
 グラディスの言うことは核心をついていた。俺は自分でエイベックの仕事の世話をしたかった。なのにあいつが出しゃばってきたから・・・。いや、出しゃばったわけじゃない、あいつはすべきことをしただけだ・・・。グラディスのこういう一面を見るたび、ガウディは彼にかなわないと思う。普段はいい加減で、仕事だってまじめにこなしているとは思えないのに、そんな男にここぞという時いつも敗北感を味わわされる。こいつと組んでさえいなければ、こんな思いをすることもないのに・・・。
 
 しばらく過ぎてやっとガウディの吐き気はおさまってきて、激しく上下していた肩の動きが穏やかになった。頭が冷えてくると、さすがにさっき怒鳴りつけたのは悪かったかなという気がしてくる。
 
「・・・悪かったよ・・・。だがな、吐き気がするときに隣でなんだかんだと言われてみろ。怒鳴りつけたくもなるじゃないか。」
 
 ここは素直に謝るべきだろう。どんな奴でも今はコンビを組んでいるのだ。気まずいままになりたくはない。
 
「・・・まあ・・・それもそうだな・・・。」
 
 気分が悪い時に何を言われたってうるさいだけだということは、数え切れないほどの宿酔いの時に経験済みのはずなのに、何とも大人げないことを言ってしまったものだとグラディスは少し後悔した。ばつが悪そうにそっぽを向くガウディに、グラディスも黙り込む。このままならばいつものように気まずい沈黙が流れるところなのだが、今回だけはそうならなかった。王宮の玄関のほうから、ロビーの案内係ミアがやって来たからだ。
 
「グラディス、ガウディ、こんなところで何してるの?」
 
 ミアは案内係としてはベテランだ。年もグラディス達よりはだいぶ上で、仕事に出かける二人にいつも励ましの言葉をかけてくれる。でもミアが自分の持ち場を離れるなんてめったにない。
 
「ミアさん、どうしたんですか?外に出てくるなんて。」
 
 グラディスが不思議そうに答を返した。
 
「あなた達を追いかけてきたのよ。」
 
「俺達を?」
 
 よく見ると、ミアの肩も激しく上下している。額から流れる汗をハンカチでぬぐいながら、一生懸命呼吸を整えようとしていた。
 
「そうよ。あなた達に用事があったから宿舎から出てくるのを見て声をかけようと思ったのに、すごい勢いで飛び出して行っちゃうんだもの。何があったのよ?誰かに叱られたの?」
 
「い、いえ・・・そういうんじゃないですけど・・・。」
 
 食堂で大声でけんかをしたあげく、パーシバルとヒューイにどやされて飛び出してきたなどと、さすがに二人ともミアには言えなかった。
 
「ふうん・・・まあいいわ。とにかくちょっと中に戻ってくれない?グラディス、あなたに届け物があるのよ。ほらほら、ガウディも早く立って。」
 
「でもこいつに届け物があるだけなら俺は別に・・・。」
 
(届け物を受け取る程度のことにまで付き合うほど、俺はグラディスと親しいわけじゃない。こいつとはあくまでも仕事上のパートナーだ。まったく、何で俺がこんなやつと・・・。)
 
 また愚痴をこぼしたくなってくる。
 
「いいからいいから。どうせ一人じゃ出かけられないんだから一緒に来ればいいじゃないの。」
 
 ミアは有無を言わせず、二人をせきたてて王宮に向かって歩き出した。
 
 
                          
 
 
 その日の朝、と言うよりほとんど夜中に近いような時間に、ローディはもう起きていた。実は夕べほとんど眠れなかったのだ。
 
「夜が明けたらすぐに王宮に行こう。そしてあの王国剣士に金を返して、そして・・・」
 
 何日か前の晩の奇妙な拾い物を彼に託してしまおう・・・。ローディは、グラディスと出会ったときに持っていた『盗んだ』酒瓶と、その酒を買うためにグラディスが貸してくれたよりも少し多い金額の金を、厚手の布でくるんだ。そして部屋のチェストの引き出しを開けて、その奥に隠すように入れてあった封筒をとりだした。奇妙なことにその封筒は真っ黒で、深紅の封ろうで封がしてある。
 
「こんなものを拾っちまったから・・・くそ!」
 
 自分の好奇心の強さがこんな事態を招いたのだ。あの時さっさと来た道を戻っていたら・・・。





 その日ローディは久しぶりに友人と会った。以前はよく会って一緒に飲みに出かけたりしていた友人だったが、結婚してそれぞれの家庭で過ごすことが多くなると、いつでも気ままに飲み歩き、ということはなかなか出来なくなってくる。そんなわけで、その日友人と会うのは約一ヶ月ぶりだった。お互いの仕事の話から始まり、家庭での愚痴や女房の悪口、そして子供の話まで、若いころとはずいぶん話の内容が変わったなと、笑いあいながら遅くまで話し込んでいた。
 
 やがて夜も更けて、『いい加減腰をあげて家に帰らないとまた女房が・・・』と、どちらからともなく言い出して、二人は飲んでいた店を出た。空には美しい満月がかかり、ろくな街灯もない裏通りでも、つまずくことなく歩ける程度に足元は照らされている。道の途中で友人と別れ、ローディは家路についた。いや、ついたつもりだった。ローディの家のある通りは、住宅地区の新築工事をしている現場の二本ほど内側の通りなのだが、そこに向かっているつもりで、彼はいつの間にか建築現場に迷い込んでいた。酔っぱらいの感覚ほど当てにならないものはない。
 
「あ・・・あれ・・・?俺の家がない・・・?」
 
 べつに家はなくなったわけではない。自分が違う場所にいるだけなのだがそんなことに気づくはずもなく、ローディはきょろきょろと辺りを見回した。あるのは真っ暗な建築途中の家や、まだ骨組みしかできていない建物ばかりだ。
 
「へえ・・・さすがにこんな時間じゃみんな真っ暗だな・・・。」
 
 そんな建物でも今のローディの目には、ただの『明かりが消えた近所の家』としか見えないらしい。
 
「ま、いいかぁ。そのうち出てくるだろう。」
 
 ローディはへらへらと笑いながら歩き出した。この日彼は上機嫌だった。久しぶりに友人と会って、うまい酒を飲みながら言いたい放題して、ほろ酔いである。
 
「ま、いいかぁ。そのうち出てくるだろう。」
 
 何度も同じ事をつぶやきながら、ローディは建築現場の通りを、それとは知らずにどんどん歩いていった。
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・ん?」
 
 どこかで話し声が聞こえる。低い声・・・。
 
「・・・どこだ・・・?」
 
 歩き回っているうちに少し酔いが醒めてきたローディは、声のするほうに向かって歩き出した。
 
「・・・ここは・・・もしかして住宅地区の建築現場か・・・。変なところに来ちまったな・・・。」
 
 そう気がついた時点で引き返していれば何事もなくすんだのだが、ローディという男は好奇心の強い男だった。
 
「こんな夜更けにこんな場所に来るなんてどこのバカだ?」
 
 それを言うなら自分もそのバカの一人なのだが、自分のことは棚にあげ、ローディはふわふわとした足取りで声の主を捜し始めた。夜更けに人気のない場所に人がいる場合、その理由は二通り考えられる。ろくでもない相談事をしているか、でなければ逢い引きか・・・。
 
「・・・いいもの見られるかもな・・・。」
 
 にやりと笑ったローディは、もう好奇心の固まりだった。声の主が逢い引き中の男女であると決めてかかって、あっちをふらふらこっちをふらふらと探し回って歩いた。
 
 やがて微かにしか聞こえなかった声が少しずつ近づいてきた。そこは住宅地区の中央にある『憩いの広場』になる予定の場所だったが、今は建築資材や荷車などがごちゃごちゃと置かれ、なるほど逢い引きには格好の場所だった。
 
(さてと・・・どのあたりにいるんだ・・・?)
 
 広場の中を見渡したが、月明かりだけではそう遠くまでは見渡せない。
 
(・・・ん・・・?)
 
 ローディが立っている場所、広場の入り口からそう遠くない場所に、材木が山と積み上げられている。声はどうやらその向こう側から聞こえてくるようだ。しかもその声は、複数の男の声だった。
 
(ちぇ・・・男か・・・。)
 
 酒でぼんやりとした頭の中で、ローディは舌打ちした。男同士の話し合いなんぞ聞いたっておもしろくも何ともない。帰ろうと来た道を戻りかけたが、ふと足が止まった。
 
(何話してやがるんだ・・・?逢い引きでなかったってことは・・・ろくでもない相談か・・・。)
 
 ローディの頭の中にはまた新たな好奇心がわいてきていた。そしてゆっくりと材木の山に向かって近づき、その陰に身を潜めて向こう側を窺った。月明かりに照らされて、ぼんやりと何人かの人影が見える。さすがに顔まではわからないが、低い声や背の高さ、それに体の幅などからやはり全員男であることは間違いなさそうだった。
 
「・・・というわけでして・・・申し訳ございません・・・。」
 
 ひとつの影がぺこぺこと頭を下げている。その相手はローディのいる場所からは背中しか見えなかったが、夜だというのに黒っぽいマントを着込んでいるようだ。
 
「・・・そなた達の足並みが揃わぬのはまずい・・・。」
 
 くぐもった声が答を返す。
 
「し・・・しかし・・・あやつは頑固者でございまして・・・。」
 
「ふふふ・・・頑固者か・・・。なれば力ずくでも協力してもらおう・・・・。」
 
「・・・と・・・おっしゃいますと・・・。」
 
 マントの男の前にいたずんぐりとした人影が、おずおずと口を開く。
 
「・・・・その先はそなた達が知る必要のないことだ・・・。」
 
 マントの男はそこまで言うと、くっくっと笑い出した。
 
「し・・・しかしそれは・・・。」
 
「我が主は寛大ではない。そなた達が奴を説得するのを待たれはすまい。それに、今回の件が露見すれば、我らとてただではすまぬ。もっとも・・・それはそなた達も同じだがな・・・。」
 
 この言葉に、その場にいた人影が全員縮み上がったのが、闇の中でもはっきりと見てとれた。ここに来てようやくローディは、自分が今聞いている話がとてつもなく物騒な話であることに気づいた。そしてすっかり酔いが覚めてしまった。
 
(冗談じゃない・・・。こんなヤバイ話・・・とっとと家に帰らないと・・・。)
 
 そう思っては見たものの、今自分が歩いてきた道は真っ暗だ。へたに動いて小石でも踏んづけようものなら、自分の居場所がそこにいる男達にわかってしまう。彼らがローディを見つけて、にこやかに挨拶してくれるとはとても思えない。どうしたものかと考えあぐねているうちに、いつの間にか時間が過ぎていたらしい。ローディの隠れている材木の山の向こう側では、そろそろ会合が終わりに近づいているようだ。
 
「では私はこれで失礼する・・・。3日もすれば、状況は変わろう・・・。」
 
 マントの男がくるりと向きを変えた。ローディの隠れているほうに向かってくる。
 
(ま、まずい。こんなところで見つかったら・・・。)
 
 だが動くに動けない。今飛び出せばここにいますと宣言しているようなものだ。少しずつ近づいてくる男の足音に、心臓が飛び出しそうなほどドキドキと鳴り、冷や汗が体中に流れる。だがマントの男はローディに気づく風もなく、彼のすぐ横をふわりとすり抜けていった。
 
(よ・・・よかった・・・。)
 
 体中の力が抜けそうなほど、ローディはホッとした。ローディは別に気配を消す訓練などを受けたわけでも何でもない、ごく普通の市民だ。もしもマントの男がローディの存在に気づけば、間違いなく捕まるか、殺されるかしていただろう。マントの男が去ったあと、残された男達はちいさな声でなにやら話し合っていたが、やがてそれが静かになった。
 
「仕方ない・・・。この件はあの方にお任せするよりないな・・。」
 
 つぶやくように言ったのは、さっきマントの男に向かってぺこぺこしていた男らしかった。
 
「だから俺は反対だったんだ。こんなこと・・・。体よく利用されているだけじゃねぇか!」
 
 別な一人が大きな声を出す。
 
「静かにしろ!誰かに聞かれたらどうする!?」
 
「こんなところに誰がいるってんだ!?だからここを会合場所にしたんじゃねぇのか!くそ!また手数料を増やせだと!?人夫どころか俺達まで干上がっちまう!あいつの主とか言う奴は、本当に約束を守るんだろうな!?」
 
(手数料・・・?人夫・・・?まさかこいつらは建築現場に人夫を斡旋している周旋屋達か・・・。手数料を増やすってことは・・・人夫から巻き上げる金を増やそうって相談だ・・・。しかも裏で糸を引いてるのがさっきのあのマント野郎・・・。)
 
 さっきまで一緒に飲んでいた友人は市場に勤めている。店主ではないが、それでも最近は景気がよくないとこぼしていた。その話を聞いてローディは、そんなことはないだろう、きっとそのうち上向きになるよと、彼の肩を叩いて励ましてきたばかりなのだ。
 
(なるほど、こんなからくりがあったのか・・・。)
 
 こんなことは許せない。汗水たらして働く人々の上前をはねて、のうのうと生きている奴らがいるなどとは我慢が出来ない。だが誰に言えばいいというのだろう。王国剣士か・・・。この町の治安を預かる王国剣士団なら、きっと話を聞いてくれる。だがこのままでは証拠がない。酔っぱらいが聞いた話など、誰が信じてくれる?しかも相手は周旋屋達だ。口裏を合わせられたら自分のほうが嘘つきになってしまう。そして相手にしてもらえずに、とぼとぼと家に帰る途中で、口を封じられる・・・。
 
(くそっ!どうすりゃいいんだ!)
 
 ローディは無意識に足許の砂を握りしめていた。何か・・・何かないか。この話の証拠になるようなもの、何か・・・。
 
(・・・ふん・・・。あるわけないよな・・・。そう都合よくいくもんか・・・。)
 
 はやりの芝居や小説じゃあるまいし、そんな簡単に証拠が手に入るものなら、世の中の悪は今頃一掃されていることだろう。
 
「そろそろここを離れよう。いくら夜だって、いつまでもこんなに大勢でいたら怪しまれてしまう。」
 
 材木の山の向こう側で声がした。
 
「う、うむ・・・とにかく明日もう一度説得に行こう。どうしてもだめなら・・・3日後を待つしかあるまい・・・。」
 
「何で・・・こんなことになっちまったんだ・・・。あんな企みに乗りさえしなけりゃ・・・。」
 
「今さら言っても仕方ないさ・・・。もう前に進む以外に道はないんだ・・・。」
 
 男達は口々に言いながら、マントの男が去ったのとは反対方向に向かってトボトボと歩き去った。その足音が次第に遠のき、やがて全く聞こえてこなくなるまで、ローディは材木の山の陰で息を殺し続けていた。
 
「・・・行っちまったか・・・。」
 
 やっと立ち上がり、ローディは両腕をあげ、大きく背筋を伸ばした。ずっと背中を丸めて息を潜めていたので、肩や背中が痛む。酔いはもうすっかり冷めていた。
 
「やれやれ・・・おかしな話を聞いちまったもんだ・・・。」
 
 材木の山の向こう側、さっきまで男達が話をしていた場所に、ローディは行ってみた。辺りを見回したがなにもない。
 
「・・・これが芝居ならなぁ・・・・たいていその辺に証拠が落ちてるんだよな。手紙とか・・・・。」
 
 バカなことを考えるものだと自分にあきれながら、ローディは家路につこうと歩き出した。もう月が傾き始めている。早く帰らないと女房は心配するだろう。いくら飲みに出かけたからって、こんなに遅くまで外にいたことはない。歩き出してすぐ、その方向が、さっきマントの男が立ち去った方向だとローディが気づくのにそう時間はかからなかった。
 
「・・・あの野郎・・・隙がなさそうな奴だったな・・・。ああいう奴はまさか落とし物なんぞ・・・ん・・・?」
 
 ローディが立ち止まった先に、何か落ちている。月明かりだけではよく見えないが、普段、道に落ちていては不自然なものだと言うことはわかった。高鳴る胸を押さえて、ローディは近づいた。そっと体をかがめて拾い上げたそれは・・・手紙・・・。
 
「・・・おい・・・これは何かの冗談か・・・?」
 
 問いかけても答えはない。自分が手に持っているのは手紙・・・間違いなく本物の手紙だ。しかも封筒は、封蝋でしっかりと封がしてある。
 
「あいつらの誰かが落としたのかな・・・・。」
 
 だとすれば、間違いなくさっき聞いた話の証拠になるものだろう。だが封筒の色も表書きも、月明かりではよく見えない。それに今ローディがいる場所と、男達がいた場所はけっこう離れている。しかも彼らはこことは反対の方向へと姿を消した。
 
「・・・てことはやっぱりあのマント野郎か・・・?でもあんな隙のなさそうな奴がこんなマヌケなことをするってのも・・・。」
 
 考えにくいことではある。だが実際、ローディの手の中には怪しい手紙が握られている。それだけは疑いようもない事実だった。
 
「とりあえず持って帰るか・・・。あのマント野郎が落としたものとも限らないしな・・・。この辺はよく夜中に逢い引きしている奴らがいるらしいし、そう言う連中の恋文あたりが落ちたってことも・・・。」
 
 自分に言い聞かせるようにひとりごとをつぶやいてみても、心は晴れない。ローディの心に少しずつ、後悔の念が芽生え始めていた。なんであんな恐ろしい話を聞いてしまったのだろう。道を間違えたと気づいた時に引き返していたら・・・。
 
「まったく・・・俺はいつもこうだ・・・。やっちまってからぐだぐだと後悔する・・・。」
 
 身を守るように背中を丸め、ローディは歩き出した。





 そしてその夜から3日後、一人の周旋屋の死体が川に浮かんだ。頑固者と評判の男だった。川岸に集まった野次馬達の間で、酔っ払って川に落ちたのだろうと言う囁きが聞かれたが、それが真実ではないとローディだけが知っていた。
 
『3日もすれば、状況は変わろう・・・。』
 
 黒マントの男が言った通りの日に、それは起こった。もう疑いようがない。あのマントの男は周旋屋達を操って人夫達から取る手数料をつり上げ、それの一部を懐に入れている。いや、一部どころかほとんどかも知れない。少なくともあの夜聞いた話では、かなり『手数料』が値上がりしていると言うことだった。多分殺された周旋屋はそのやり方に異を唱えていたのだろう。そしてあのマントの男に殺された・・・。
 
 ローディは身震いした。
 
「やっぱりあの封筒を開けてみるしか・・・。」
 
 あの夜拾ったあの封筒を、ローディはずっと恐ろしくて開けられずにいた。翌朝明るいところで見てみると、なんと封筒は真っ黒だったのだ。黒い封筒の裏には深紅の封蝋で封がしてある。これはあの黒マントの男が落としたものなのだろうか。それともあの場所にいた他の周旋屋達か・・・。そして中には何が書いてあるのか、もしも自分が重大な秘密を知ってしまったりしたら、今度は自分が狙われるかも知れない。だがその封筒をたとえば王国剣士団に届けるにしても、何が書いてあるかわからないのに、犯罪の証拠だなどと言って届けることは出来ない。そもそもあの封筒が、あの夜あそこにいた男達のうちの誰かのものであるという確証は何もないのだ。
 
「・・・・・・・・・。」
 
 川のほとりに引き上げられた死体から目を背けて、ローディは歩き出した。今はただ、一刻も早く家に帰りたかった。家に入り、自分の部屋へと足を向ける。下着の入ったチェストの引き出しの奥に、あの封筒は貼り付けられている。そっと封筒を手に取り、封蝋の下にペーパーナイフを差し込んでみると、ほんのわずかの抵抗があっただけで、封蝋はきれいにはがれた。ローディは深呼吸して中の手紙を取り出した。
 
*************************************
足並みが揃わねば切り捨てよ。
猶予は3日。
結果を確認ののち2日後に
13番通りの路地裏にて報酬を渡す。
 
*************************************
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ローディの読みは大当たりだ。やはりこの手紙はあの夜の会合の関係者が落としたものだ。あそこにいた周旋屋らしき男達の誰かか、それとも黒マントの男か・・・・。
 
「多分あの・・・マント野郎だろうな・・・。」
 
『足並みが揃わねば切り捨てよ』
 
 切り捨てるとはつまり殺せと言うことだろう。少なくともあの夜集まっていた男達には、殺しを請け負えそうな度胸のある奴はいないと思われた。あのマントの男以外には・・・。
 
『猶予は3日』
 
 多分あの会合で周旋屋達の意思を確認して、意に添わない奴は3日間で始末しろと言うことなのだろう。
 
「くそ・・・もっと上がいるのかよ・・・。」
 
 やはりこの手紙を落としたのは黒マントの男らしい。だがあの男も誰かの命令によって動いているようだ。
 
「そういや、わが主とか言ってやがったっけ・・・。その主さまから、あの黒マント野郎に報酬が渡されるのが明後日か・・・。」
 
 ローディはもう一度手紙を読み返したが、報酬受け渡しの時間はどこにも書いていなかった。
 
「ちくしょう・・・これじゃいつ行けばいいかわからないじゃないか・・・。」
 
 自分でつぶやいた言葉にローディはぎょっとした。行くつもりなのか!?
 
「ばかな・・・!見つかったりしたらまず間違いなく殺されちまう・・・。」
 
 こんな手紙は捨ててしまおう。見なかったことにして今まで通りに毎日を過ごしていけばいいんだ。確かに悪い奴がのさばっているのはおもしろくない。悪事が暴かれてほしいとは思う。でもそれは別の誰かがすればいいじゃないか。俺みたいなどこにでもいる普通の男が気をもんでも仕方ない。剣もまともに扱えないのに、正義の味方を気取ってみたところで間抜けなだけだ。
 
「こんなもの・・・こうして・・・!」
 
 封筒ごと手紙を破こうとしてみたが、どうしても指に力が入らない。
 
「本当にいいのか・・・?」
 
 独りでに言葉がもれる。あの時・・・材木の陰で震えながら、ローディは今聞いている話の証拠がほしいと思っていた。証拠があれば、この悪事を暴くことが出来る。そう思っていた時にこの封筒を拾った。どんなにせっぱ詰まった状況の中でも、すぐよけいなことに興味を持つ自分の性分が、今回ばかりはいい方向に働いたのだ・・・。そう、おそらくはいい方向に・・・。
 
(まったく・・・とんだ恋文もあったもんだ・・・。)
 
 ローディは指先に込めた力を緩め、封筒をもう一度チェストの奥にしまい込んだ。
 
 
 そして2日後、ローディは朝早くから13番通りの前に立っていた。ここで今日取引が行われる。あのマントの男が『E』という雇い主から報酬を受け取るのだ・・・。やはりあの時と同じようにマントを着込んでいるのか、でも真っ昼間からあんな格好をしていたら『私は怪しい者です』という看板を掲げて歩いているようなものだ。
 
(普通の格好でいたらわからないか・・・。)
 
 ローディはあの男の顔など見ていない。『E』という人物にいたっては、どこの何者なのかもわからない。
 
(でもあのマント野郎の声は聞いた・・・。話し声さえ聞ければ・・・あいつかどうかわかる・・・。)
 
 ローディは深呼吸して13番通りに足を踏み入れた。元々この通りは細い道で、人通りがそんなに頻繁にあるわけではない。ただし、そこここの物陰に人が潜んでいることはよくある。スリ達だ。だが不思議なことに、今日のこの通りは本当に人っ子一人いない。こんなに誰もいなくては、自分がウロウロしていたら目立ってしょうがない。ローディはしばらくためらっていた。今なら引き返せる。通りに背を向けてそのまま家に戻ればいい。そう考えながら、それでもローディの足は通りの奥へと歩き始めていた。
 
 何気なく歩いて、通りを抜ける。隣の道へと入り、建物の隙間から向こう側を窺う。何度か行ったり来たりしながら、ローディは誰かが通りに現れるのを待った。でも誰も現れない。
 
(まさか・・・。)
 
 ふとローディは考えた。まさか自分があの封筒を拾ったことに気づかれて・・・それで日にちをずらしたのだろうか。だとしたら・・・いや、自分が拾ったことまではわからないはずだ。
 

次ページへ

小説TOPへ 外伝トップへ