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「とんでもない。この屋敷の者として、あのような暴挙を許すことは出来ません。ましてや執事がそれに荷担するなど・・・。ドラロスは剣の話を聞いて、心からの忠誠を誓った兄にどうしても教えてあげたかったのだと思います。ずっとずっと前から追い求めていた剣にようやく出会える、そうすれば少しは気が済むのではないか、わたくしとの約束を破っても、このくらいなら許してもらえるのではないか、その程度の考えだったのかもしれません。ところがその話を聞いた兄は、なんとその持ち主を捕らえて殺し、剣を『返してもらう』という策を考えた・・・。ドラロスに限らず、彼らはこの家の使用人です。先ほどオーゼが言ったように、なかなか主人の言いつけに背くことは難しい、でも・・・本当は、そんなことをどうにかして止めたいと思っていたのではないか、それは間違いないと思います。」
 
「それは私も理解できます。ですが叔母上、ほかの使用人はともかく、執事はそれではだめなのではありませんか。今回のことはきっかけにはなりましたが、実は私は、以前からドラロスの執事としての資質に疑問を持っていたのです。」
 
「リアン・・・。ではドラロスの解任は、今回のことだけではないのですね。」
 
 リアン卿がうなずいた。
 
「ええ・・・。一番気になっていたのは、父上への大きすぎる忠誠心です。もしも主人の選んだ道が間違っていたら、それを正すのも執事の職にある者の仕事です。執事が全く主人の言いなりになっているというのは、家のあるべき姿ではないと思うのです。」
 
 年齢は私より少し上くらいだろうか。リアン卿はりりしい顔立ちで、背も高い。こうして話す姿は堂々として見える。
 
(あのドラロスさんという人が、命を助けられたのが縁でユジン卿に仕えるようになったと言うことなら、行き過ぎるほどの忠誠心もうなずけるけど・・・。)
 
 執事の職にある者が、どんな恩義があったとしても、先代の伯爵より当代の伯爵を軽んじるようなことがあってはならないと思うのだが・・・。
 
「そうね・・・。執事の仕事は家の舵取り・・・。主人と力を合わせて家をもり立てていく、その先頭に立つべき立場にあります。主人の言葉一つで右にも左にも向いてしまうのは、執事としてはよくないことですね・・・。」
 
 ファルミア様は少し俯き、首を振った。そして気持ちを切り替えるかのように顔の前で両手を合わせ、パン!と叩いた。
 
「さあ、ドラロスの話はここまでにしましょう。リアン、この件はあなたの判断に任せます。現当主として、この家にとって一番よい方法を見つけてね。」
 
「わかりました・・・。」
 
 リアン卿は返事をしたものの、なんとなく意気消沈しているように見える。それはおそらく、先ほどの父君の暴挙のことだろう。それはファルミア様も気づかれたようだ。
 
「・・・リアン、あなたは納得していないようですね。あなたの父上の行動について。」
 
「・・・納得など出来るわけがありません。確かにドラロスが情報を漏らしたのが一番よくないのですが・・・それにしても、使用人に無理矢理言うことを聞かせて剣士殿達を捕らえて殺そうと画策するなど、しかも・・・現伯爵であるかのように振る舞うなんて・・・。」
 
 リアン卿の膝の上で握りしめられた両手の拳が震えている。
 
「叔母上、教えてください。どうして父上は・・・あそこまで剣に執着されるのです?確かに我が家に伝わるものなのだと言うことは、書庫の文献などを読めばわかりますが・・・。私にとって、我が家に伝わるというその剣は、おとぎ話の域を出ない話です。遙か昔に我が家から失われ、今の時代を生きている誰も見たことがないのですよね。」
 
 ファルミア様がうなずいた。
 
「そうね・・・。あなたの父上は、見たことも、いいえ、本当に存在するのかどうかもわからない剣に、あそこまで執着してしまったの。そしてそれは・・・もしかしたら、わたくしのせいかもしれないのです・・・。」
 
「それは・・・どういうことですか?」
 
「わたくしが王家に嫁いだりしなければ・・・もしかしたらこんなことにならなかったのかもしれない、時折そう思うことがあります。あの時・・・この家にとどまっていれば・・・。」
 
「そんなことは・・・。王家に嫁がれることは、名誉なことではないのですか?私は叔母上が王妃陛下であったことを、誇りに思っています。ただ・・・王国では叔母上がすでに亡くなったことになっているのがなぜなのか、それはわからないのですが・・・。」
 
「そうね・・・。あの時王家に嫁いだのが、ハスクロード家の娘ではなくほかの貴族の娘だったなら、こんなことにはならなかったのかもしれません・・・。順を追って話しましょう。クロービス、ウィロー、あなた達にも聞いてほしいの。この家が抱える遙か昔からの因縁と、この国での現在の立場まで。そしてわたくしがなぜここにいるのかについても。それが・・・わたくしの娘を救うことになると、わたくしは信じたいのです。」
 
「ファルミア様・・・。」
 
「エル・バールが言ってました。今のフロリアの所業は、とても見過ごせるものではないと・・・。剣士殿達が説得すると言っているけど、どうしても出来なければ、死んでもらう以外にないとも・・・。」
 
 ファルミア様がこぼれ出た涙を拭った。
 
「フロリアがこの世界を滅ぼそうとしているようなのも、知っています。どうしてこんなことになってしまったのか・・・。わたくしの育て方が悪かったのか、他に何か理由があるのか、随分と悩みました。だけど、わたくしは何があっても我が子を死なせたくない。自分が治める国に対してこれほどまでに重大な裏切りをした、許されざる王だとしても、それでも・・・わたくしはフロリアの母親なのです。だから、あなた達が娘を説得出来るように、わたくしの知っていることはすべて話します。」
 
「叔母上、そのような重大な話を、私が聞いてもいいのでしょうか。」
 
 ずっと黙っていたリアン卿がファルミア様に尋ねた。
 
「もちろんよ。あなたのお父様は、決して自分を選ぶことのない剣の力に取り憑かれているわ・・・。わたくしは、あなたにあんな風になってほしくない。だから、わたくしの知っていることを話します。あなたの家族には、あなたの判断であなたから話してね。」
 
「わかりました・・・。」
 
 リアン卿は神妙な面持ちで頷いた。この方が当代のハスクロード伯だということは、この方にはすでに妻子がいて、家督相続も終わっていると言うことだ・・・。にも関わらずユジン卿が、自分が当代の伯爵だと嘘をついたのは、剣を持った『盗人』を取りあえず信用させるためか・・・。子息としては何ともやりきれない思いだろう。
 
「クロービス、ウィロー、あなた達には言っておくわ。リアンはね、どうやらわたくしのような力が少しだけあるようなの。兄は全然なんだけど。そんなわけで、わたくしはこの子・・・あ、あらごめんなさいねリアン。あなたはもう立派な大人で、当代の伯爵なのにね。ふふふ、小さな頃にはもう少し力が強かったから、わたくしがここに帰ってきてからは、随分と面倒を見たものでしたよ。なんと言ってもリアンには当たり前のように見えるものが、兄にも義姉にも全然見えないんですものね。だからここに同席してもらったのよ。いい機会だから、わたくしの話を一緒に聞かせたいわ。問題ないかしら。」
 
「そういうことでしたか・・・。もちろん問題なんてありません。どうかいろいろとお聞かせください。」
 
「私も、全然問題なんてありません。伯爵様、こちらこそ同席させていただいて、光栄です。」
 
「ありがとう2人とも。」
 
「ありがとうございます。」
 
 ファルミア様が微笑んで、リアン卿が頭を下げた。頭を下げるのはこちらの方だ。ここまで丁寧に応対してもらえるとは思ってもいなかった。まあ最初はびっくりしたけれど・・・。
 
「でもファルミア様、話の中で、リアン卿には聞かせたいけど私達には聞いてほしくない、そんな内容の話がありましたら、遠慮なくおっしゃってください。そのときには席を外します。」
 
「ありがとう。では・・・そうね・・・。この家の始まりから聞いてもらいましょうか。リアンはおそらく家督相続の時にあなたのお父様やおじい様からも聞いているでしょうけど、改めて話します。」
 
「はい、お聞かせください。」
 
「我が伯爵家はファルシオン最後の王の子息が開祖となった、由緒正しい家であると言い伝えられています。これについては我が家に伝わる古文書にも明確に記載されているし、選ばれし者ではなかったけれど、立派な剣を携えていたこともわかっています。エルバール王国の貴族達の中で、いいえ、王家よりも遙かに家柄は古く、格式は高いのです。でもそれはつまり、王国の貴族達の中で、唯一現王家との血の繋がりがない貴族でもあるということなの。」
 
 そうか・・・。今王国にいる貴族達はみんな元王族だ。国王の子供達は、第一子の即位に伴って臣下に下り、公爵家を創設する。
 
「エルバール王国が建国されてしばらくした頃、この地を貴族の所領として分け与えることが出来るかどうか、王国から調査に来たことがあったそうなの。でも我が家はその遙か昔からこの地に住んでいました。ファルシオン最後の王の子息が、母である当時の王妃と共にこの地に落ち延びてきてから、ずっとね・・・。」
 
 その後王家から、この地の領主となってくれないかという打診があったそうだ。エルバール王国としては、この場所の近隣がほとんどエルバール王国の領地となっていることから考えても、本当なら王国の領地としたかったらしいのだが、長くこの地を治めてきたハスクロード家と領地の人々の間には固い絆がある。しかもハスクロード家とは剣に選ばれし者の末裔が開祖となった家であり、その当時は剣も家の中に奉られていたらしく、当代のエルバール国王としては『下手に手を出したくない場所と家』ということだったようだ。
 
「王国としては、ハスクロード家とうまくやっていきたいという考えだったらしいのだけど、領主となることを承諾するということは、エルバール王国の配下になるようなものよね。税金を納めたり、土地家屋や住民の調査をして、正確な情報を王国に報告しなければならなくなったり、そういったことをハスクロード家に承諾してもらう代わりに、なんと『公爵位を与えるので承諾してくれないか』と持ちかけたらしいの。」
 
「でも今ハスクロード家は伯爵位ですよね。ということは、当時の伯爵閣下がその話を断ったと言うことですか。」
 
「公爵位の部分だけね。」
 
 ファルミア様がお茶を一口飲んで答えた。
 
「つまり・・・配下となることは承諾するけど爵位は要らないってことですか・・・。」
 
「そう。今考えても賢明な判断だったと、わたくしは思っています。代々の我が家の当主達の中には、その判断を非難した当主もいたらしいけどね。」
 
「私も妥当な判断だったと思います。」
 
 リアン卿がうなずいた。
 
「確かベルロッド様から数えて3代目あたりの国王陛下でしたよね。すでに代々の国王陛下の兄弟姉妹が創設した公爵家はたくさんあり、新設された公爵家や今後公爵家の子息が独立して設立する侯爵、伯爵家に与える領地を確保するために、大陸の外まで調査団が遠征していた、そんな時期だったと、我が家の文献で読みました。すでにある『元王族』の貴族達の中に王家と血の繋がりのない家、しかも古の王国の最後の国王の子息が開祖となった家が、肩を並べるべきではないと当時の当主は考えたようですが、それでよかったのではないでしょうか。」
 
「そうね。この地にハスクロード家が出来たときから、代々の当主はこの地に足をつけて、人々と一緒に生きていこうと考えていたの。でも時代は変わるわ。新興国家とは言え、エルバール王国は勢力を拡大しつつあった頃よ。その国からの申し出に反発すれば最悪戦争に発展する可能性もあったでしょうし、王国の配下となることで、時代の流れに逆らわず生きていこうと決めたのでしょうね。何があってもこの場所を守るために。」
 
「すると伯爵位の話はそのあと来たと言うことですか?」
 
「ええ。領主としてこの地を治めることには同意するけれど、爵位は必要ありませんと答えたそのあと、王家から『伯爵位ではどうだろうかと』打診があったの。王家としては、ハスクロード家にはぜひ貴族としてこの地の運営に尽力してほしい、どうか伯爵位を受けてくれないかと。それも断ったのでは時の国王陛下の顔をつぶすことにもなりかねない、王国とうまくやっていくために必要ならばと言うことで、了承したというのが真実のようですね。それ以降、我が家はずっと伯爵家としてこの地を治めてきました。王家との血の繋がりがないことから、家を存続させるために養子をもらうことも可能な、ただ一つの伯爵家でもあります。でも・・・。」
 
 ファルミア様が一つ溜息をついた。
 
「我が家の開祖がファルシオン最後の王の子息であること、我が一族がその末裔であることは、今に至るまで、エルバール王家にとっては表に出したくないことなの。ファルシオンという国の成り立ちのきっかけともなった剣のこともそうだし、その後のサクリフィアによる王位の簒奪、そしてそのサクリフィアも聖戦によってほとんど滅びてしまった・・・。どれほど遠い昔のことであっても、現王家にとっては先祖の恥なのかもしれませんね・・・。そして・・・その昔サクリフィアに存在し、今は一部が王家の秘法として伝わるのみの魔法についても、国民には何一つ知らされていません。」
 
「そういえば・・・。」
 
 私はサクリフィアの村で世話になったランスおじいさんから、ベルロッド様が民を率いてサクリフィアから『西の大地』つまり現エルバール王国に移住してきた当初、サクリフィアから持ち出された本は、人々がいつも読めるよう配慮されていたらしいと聞いたことを話した。帰れないふるさとへ思いを馳せ、そしてそのふるさとで起きた悲劇を忘れずに後世に伝えていくために。
 
「ええ、そのとおりです。ライネス様はそのことについても残念に思っておられたわ。なんでも4代目の国王陛下が、文書館に保管されている本の中に書かれた聖戦のいろいろなことをとても恐ろしがって、こんな本を国民に見せるべきではないと仰せられたとか。とてもお優しい方だったようですし、その頃にはサクリフィアの聖戦で生き残った人々はほとんど亡くなっていたから、当時どのような考えで本が公開されていたか、知る人も少なくなっていたのでしょう。それに、それらの本を読みに来る人々もだいぶ減っていたようですから。」
 
「それで・・・我が家は『曰く付きの伯爵家』と呼ばれるようになってしまったと言うことなのですね・・・。ファルシオンの末裔たる証の剣も、今この家にはないというのに・・・。」
 
 リアン卿の声には、少しだけ悔しそうな響きがこもっている。
 
「その話は少し聞きました。何代目かの伯爵閣下が、家督を相続する前に愛する女性に愛の証として渡してしまったとか。」
 
「ええ・・・。その通りよ。何代か前の先祖が若かりし頃、愛した女性に愛の証として渡してしまったの。でもそれを知らずに当時のハスクロード伯爵が、その娘を領地から追い出してしまったのよ。息子の妻としてふさわしくない、そう言ってね。女性は愛する人から託された剣を持ったまま、行方がわからなくなった・・・。さっきも言ったけれど、それもおそらくは剣の意思だと思っています。ファルシオンで奉られていた頃なら、光り輝く件の夢を見たと言って『選ばれし者』がやってきたのでしょうけど、この家に家宝として奉られていても、出会うべき主人には出会えないと、剣が判断したのでしょう。前の持ち主であるファルシオン最後の王の命令は『いつかこの大地に再び混乱がもたらされた時、必ずや姿を現し、そなたを制する者と共に世界に安寧をもたらすように。そしてその時まで、決して表舞台に出てきてはならぬ』と、いうこと。そこで剣はこの家を出て、まずは主人となるべき使い手を見つけ、いつ来るかわからない『その時』に備えようとしたのではないか、わたくしはそう思っています。そして剣はその望み通りに、あなたという使い手を見つけたという事ね。でもそれがまさか我が家の血筋に連なる者だなんて、さすがに剣自身が驚いたのではないのかしら。」
 
「え!?」
 
 リアン卿が驚いて叫んだ。ウィローと私は、今のファルミア様の言葉に驚いて声も出なかった。
 
「叔母上、それはどういうことです!?」
 
「リアン、落ち着いて。きちんと話すから。」
 
「は・・・はい・・・。」
 
「クロービス、剣を持ったまま領地を出た女性のお腹には、新しい命が宿っていたの。あなたはね、その子の血筋なのよ。あなたのお父様ではなく、お母様の方がね。」
 
「でもどうしてそんなことまでわかるんでしょうか・・。」
 
「その女性がいなくなった後、息子が剣をその女性に渡してしまったと知った当時のハスクロード伯爵は激怒したわ。そして四方八方手を尽くして探させた。でもその女性の行方はわからず、それきり我が家から剣は失われてしまったの。だけど、その剣の行方を追いかけていたのは、我が家の者達だけではないわ。剣が近くにあれば必ずその存在を感じ取ることが出来る、精霊達も事の顛末を見守っていたようよ。」
 
「ではその話は、精霊の長達から・・・。」
 
「ええ、そういうこと。もっとも、わたくしもそんなに詳しい話を聞いたわけではないの。ただ、あなたが剣を持ったまま行方がわからなくなった女性の子孫に当たると言うことだけ。」
 
「シルバ長老からは、母の先祖がエルバール王国の貴族の家だと聞きました。」
 
「そうよ。その女性が産んだ子供は女の子だったの。その子は美しく賢く育ち、やがてその頃創設された新しい伯爵家に嫁いだのよ。その家の子供達が子爵家を創設し、さらに男爵家を創設し、時代が下るごとに貴族から一般人として暮らすようになっていった・・・。だからあなたのお母様はごく普通の家庭に育って、あなたのお父様と出会われたわけね。」
 
 母がどういう人だったのか、父とどこで知り合い結婚したのか、私はなにも聞かされていない。ふるさとから遠く離れたこの場所でそんな話を聞くなんて、なんだか少し複雑な思いだった。
 
「でもね、あなたはこの家のことを気にする必要はないわ。今では全く関わりのないことですからね。」
 
「わかりました。教えていただいてありがとうございます。」
 
「叔母上、ということは、その女性は子に孫に剣を託していたのですね。」
 
「そうね。どういう道を辿ったかはわからないけど、剣はクロービスに渡され、彼が剣を目覚めさせたということ。これは間違いのない事実よ。それは我が家が認めるべき事なの。だというのに・・・お兄様は・・・。」
 
 ファルミア様がまた溜息をついた。今までの話を聞く限り、以前はとても仲のいい兄妹だったようなのだが、先ほどの言い争いからはとてもそんなことが感じ取れないほどだ。なんともやりきれない思いなのだろう。
 
「優しかった兄があのように変わってしまったことを知ったのは、わたくしが嫁いでから何年か過ぎた頃、父の体調がよくないと聞いて看病のために戻ってきた時のことでした。わたくしがこの家にとどまっていれば、異変に気づけたのかもしれないのに・・・。」
 
「叔母上、いったい何があったのです?」
 
 ファルミア様はリアン卿を見て、寂しそうにほほえんだ。
 
「ことの始まりは・・・そうね・・・。ライネス王太子様のお相手を決めるための舞踏会が開かれるという話を聞いたことかしら。あの頃わたくしはまだ15歳になったばかり。結婚なんて考えたこともなかった、そんな頃のことだったわ・・・。」
 
 ファルミア様は少し寂しそうに、ふふっと笑った。
 
「ライネス様とわたくしの出会いや結婚までの経緯なんて、今更誰かに語って聞かせるようなことではないのだけど、あなた達にとってどんなことがフロリアへの道を開くきっかけになるかわかりませんからね。恥ずかしいけど、全部聞いてもらうことにするわ。」
 
 少しだけ頬を染めて、ファルミア様はゆっくりと語り出した。
 
 
 
『エルバール王国中の貴族の、独身の娘達を招待して舞踏会が開かれる。それはライネス王太子殿下のお妃を決める舞踏会らしい』
 
 そんな噂が貴族達の間を駆け巡り、やがてハスクロード家にも一通の手紙が届いた。それは、『一ヶ月後に王宮で舞踏会が開かれる、貴伯爵家のご息女ファルミア姫にも是非ご出席いただきたい』という内容のものだった。差出人は王宮の行政局を束ねる大臣だったが、手紙に同封された招待状には時の国王陛下のサインがあった。
 
『これは何かの間違いではないのか?我が家にまで招待状を出すなど・・・。』
 
 ファルミア様の父君は首をかしげられたそうだ。『曰く付きの伯爵家』の姫が王家に輿入れするなど、今までは考えられないことだった。
 
『しかし父上、国王陛下のサイン入りの招待状があっては、断るというわけにも行かないでしょう。・・・まあその・・・個人的には、行かない方がいいような気もしますが・・・。』
 
 当時家督相続を間近に控えていたファルミア様の兄君は、難しい表情で答えたそうだ。ハスクロード家から王家に輿入れなど、しない方がいいという考えが半分、かわいい妹を手放したくないのが半分、なんとも複雑だな、とこぼしていたらしい。
 
『ふむ・・・まあ、手放したくないというのは私も同じだが・・・。』
 
『何をおっしゃいますか、あなた達は。そう言っていつまでも手元に置いておくわけにはいかないのですよ。ファルミアはもう15歳、本当ならとっくに縁づいていてもおかしくない年頃なのですから。』
 
 ファルミア様の母君の一喝で、ファルミア様の父君も兄君も黙り込んだ。
 
『よいですか、ファルミア。あなたが音楽家を目指していることはわかっています。でもあなたの兄はもう結婚して、子供も生まれました。あなたをいつまでもこの家に置いておくわけにはいきません。今回の舞踏会はよいきっかけになるでしょう。別に王家に輿入れなどしなくても、この家に閉じこもってピアノばかり弾いているより、遙かに見聞を広められるのは確かですよ。旦那様、とにかく出席の返事を出してくださいね。』
 
 
 ここまで話して、ファルミア様は笑い出した。
 
「あの時の母の剣幕に、父も兄もすっかり小さくなって・・・。」
 
 母親が一番強いというのは、貴族だろうが一般庶民だろうが同じらしい。
 
「そこで父が慌ててね・・・『ではファルミア、どうしたいか考えてみなさい。返事は一週間待つと書かれている。その間におまえが行きたいなら出席の返事をしよう。気が進まないなら、まあうまい断りの文言でも考えておくか。』なんて言ったものだから母がまた怒り出して・・・。」
 
「うーん、その時のことはさすがにわかりませんが、おじい様がおばあ様に叱られているところは何度も見ましたよ。」
 
 リアン卿も笑い出した。
 
「ふふふ・・・そうね。確かに母が一番強かったかもしれないわ。・・・父はああ言ってくれたけど、わたくしは複雑でした。母が言ったように、わたくしは当時音楽家を目指していて、ピアノの練習、そして作曲など、『いつか城下町の劇場で音楽家としてデビューする』ことを目標に、ひたすら頑張っていたの。結婚どころか男性のことだってちゃんと考えたことなんてなかったのよ。でも母の言葉で・・・この家にいつまでも居続けることも、この家で両親や兄と仲良くいつまでも暮らすことも、それは無理な話なんだって、なんだか現実を突きつけられたみたいでね・・・。」
 
 そこで、母君の言いつけに従い『見聞を広める』目的で舞踏会に出席しますと父君に告げたそうだ。父君も兄君もだいぶ複雑な顔をしていたようだが、『まあおまえが選ばれると決まっているわけじゃないし』と、ファルミア様にと言うより、ご自分に言い聞かせるようにそう言って、父君が出席の返事を出したという。
 
「そのあと、舞踏会に出席するために家を出るまでの間、わたくしは母にみっちりと行儀作法やダンスを教え込まれたわ。ダンスにも自信はあったのだけど、大勢の女性を集めて男性が王太子殿下お一人というわけではない、どんな殿方と踊っても恥ずかしくない程度に鍛えておかないとって。あの時は兄がダンスの練習をずっとつきあってくれて、リアン、あなたのお母様はおばあ様と一緒に姿勢やステップを見ていろいろと助言をしてくれたの。でも厳しかったわあ・・・。」
 
「はあ・・・私もダンスは母に仕込まれましたが、厳しかったですねぇ。」
 
 リアン卿が笑った。社交界ではダンスが踊れないと『変人』扱いだというのは聞いたことがある。貴族の子女の『当然の嗜み』なのだそうだ。そんな話をしてくれたのはセルーネさんだった。
 
 
『え!?セルーネさんてダンス踊れるんですか!?』
 
 思い切り大きな声でカインが叫んでたっけ。
 
『当たり前だ。私だって貴族の子女だぞ。まあ、どちらかと言えば、男性側の踊りの方が得意だがな。ズボンで踊れるから、足捌きが楽でいい。』
 
 セルーネさんもそんなことを言って笑っていた・・・。
 
 
「ふふふ、あなたのお母様はダンスの名手ですからね。あの時は、厳しかったけど楽しかったわ・・・。そしていよいよ舞踏会に出席するために、侍女と護衛を一人ずつ連れて、わたくしは王宮に向かいました。滞在先は王宮の中にある・・・そうね・・・確か今は行政局の一部になっているはずだわ。その辺りに豪華な宿泊施設があったのよ。ほかの招待客の姫達はほとんどが城下町に住んでいたから、王宮に泊まっていた姫達はそんなにたくさんいなかったんだけど。」
 
 そして数日後、舞踏会が開催された。私達のような一般庶民にはぴんとこない話だが、舞踏会とは一日だけ開かれるものではないらしく、数日にわたって饗宴が行われるそうだ。豪華な料理、高級な酒などがふんだんに用意され、たくさんの招待客がゆったりと食事をしながらおしゃべりを楽しんだり、歌ったり踊ったりするらしい。
 
「そして舞踏会の中心は、何と言ってもライネス王太子殿下でした。大勢の姫達が集まった頃、国王陛下ご夫妻とライネス様、それに、ご側室のルレッタ様とエリスティ公・・・まああの時は『エリスティ王子殿下』でしたけどね。そのほかにもご側室様のお付きの侍女達までが着飾って何人も会場に入ってきて、ちょっと驚いたものです。でも本当に、華やかな舞踏会でした・・・。」
 
 ところが・・・。
 
「集められた姫達のほとんどはライネス様のお姿ばかり気にしておられたようだけど、何というか・・・ライネス様の方はなんとなく、周りを気にしてはおられないご様子だったわ。なんだかご自分のための舞踏会だって言うことを、おわかりになっていないのかしら、なんて思ったものだけど、わたくしが舞踏会に出席したのはあくまでも『見聞を広める』ためでしたから、王太子様のことは特に考えないでおこうと思って、おいしい食事やワインにばかり気をとられていたのよ。そしたら、音楽を担当している管弦楽団のピアノが目に入ってしまって・・・。」
 
 さすがに王宮にあるだけあって、ハスクロード家のピアノより数段高級なものだったそうだ。一度目に入ってしまうと気になって仕方ない。だが今自分は招待客であり、この楽団でピアノを弾いている女性は仕事をしているのだ。演奏が終わったら少し話を聞いてみようと、ファルミア様はピアノがよく見える場所に座って、食事をしたりワインを飲みながら演奏に聴き入っていたそうだ。
 
『ダンスのお相手をお願い出来ますか?』
 
 突然、ファルミア様の前に、優しい笑顔の男性が立ってそう言った。なんとそれはライネス王太子殿下だった。
 
『わたくしにですか?』
 
 思わずファルミア様は聞き返した。その時のファルミア様の頭の中は、楽団の演奏と、美しいピアノのことでいっぱいだった。声をかけられたその時、一瞬自分がいる場所が舞踏会の会場だと言うことを忘れていたそうだ。だがきょとんとしているファルミア様に、ライネス様は微笑んで
 
『はい、あなたです。ぜひお願いしたいのですがいかがでしょうか。』
 
 と仰せられたらしい。
 
 ダンスはみっちりと練習してきた。多少へたくそな相手でもうまく踊れる自信はあるが、それにしても王太子殿下は何でまた自分になど声をかけたのか。
 
(もしかして・・・田舎娘だと思ってからかわれている・・・?)
 
 並みいる大貴族の姫君達を差し置いて自分にダンスを申し込むなど、もしかしたら王太子殿下は自分をからかっているのではないか、そう考えたそうだ。でもここで断ったら殿下の面目を潰すことになるかもしれない。
 
(そんなことになったら、お母様が怒りそうだわ・・・。)
 
 母君は別に王家に輿入れしてほしいなどと言ったことはないし、たぶん思ってもいないだろうが、ハスクロード家としては王家とはうまくやっていきたいと思っているはずだから、問題を起こすのはまずい。だが、からかわれているのに真に受けたと思われるのも癪だ。そこで思わずこう言ってしまったという。
 
『わたくしのような者にお声をかけてくださるなんて、お戯れでしたら一曲で充分でございますわね』
 
 ライネス様は驚き、でもとても真面目な顔でこう答えた。
 
『戯れではありませんよ。今日は舞踏会ですから。私は実に真面目にあなたにダンスを申し込んでいるのですが。』
 
 
 その時ちょうど曲が終わった。ピアノを弾いている女性に話を聞きたかったのだが、ダンスに誘われてしまったので話が出来なくなってしまった。仕方なく一曲踊ってからと思ったのだが、その次の曲は間をおかずにすぐに始まり、結局2曲踊って、ファルミア様はまた元の席に戻った。踊っている間に名前を聞かれた。ファルミア様が答えたとき、ライネス様は驚いて、少し複雑な顔をされた・・・。
 
「まあそれは当然の反応でしょうね。その後も何人かの殿方と踊ったのだけど、名前を聞かれるたびに驚かれるものだから少しうんざりしてきて・・・結局ピアノの女性と話も出来ないまま、部屋に戻ってしまったわ・・・。」
 
 本当ならさっさと家に帰りたかったのだが、招待されている身としては舞踏会が開催されている間は顔を出さなければならない。どこに出しても恥ずかしくないようにと母君はドレスも何枚か用意してくれていた。仕方なくドレスを毎日着替え、ファルミア様は舞踏会に出かけていった。そしてその舞踏会の間、ライネス王太子殿下は必ずファルミア様にダンスを申し込んだ。そして2日目は少し話をしていくようになり、3日目はもっと長く話をするようになった。話してみるとライネス様はさすが王太子殿下なだけはあり、教養豊かで話も面白く、しかも気さくな人物だと言うことがわかってきた。そんな二人を、周りも注目し始めたらしい。
 
『あの姫君はどちらの方だろうか』
 
『お美しい方ですけど、どちらのお家の方?』
 
『ダンスも素晴らしいですわね』
 
『どうやらライネス様はあの姫をお気に召されたようですな』
 
 そんな声がファルミア様の耳にも聞こえてくるようになった。毎日必ずファルミア様にダンスを申込み、踊った後は必ずしばらくの間話し込んでいく。そんなお二人の様子を見た人々は『これでライネス様のお相手も決まったか』と噂し合っていたらしい。
 
 その頃にはライネス様とファルミア様はすっかり打ち解け、ファルミア様は自分が今音楽家を目指してていることなども話してしまっていた。だから舞踏会に出かけてきたのは、国王陛下からの直々の招待だったからと言うことと、見聞を広めるためだと言うことも。さすがにライネス様は苦笑いをされていたそうだ。
 
「ま、我ながらあまりにもしゃべりすぎてしまったと思ったわ。それってつまり『王太子様には興味がありません』と言っているようなものですものね。」
 
 ファルミア様が笑った。ただ・・・。
 
「さすがに、わたくしの持つこの力のことだけは何も言えなかったの。ライネス様のお相手がわたくしだと、周りの人達が噂しているのは気づいていたんだけど、そんなことにはならないだろうと思っていたし。並み居る大貴族の姫君方を差し置いて、伯爵位とは言えそれほど裕福とは言えない北方の小貴族、しかも"曰く付きの家"の娘を王妃にするなんて、国王陛下がお許しにならないと思っていましたからね。だからそんなに何もかも話す必要はないと思ったの。もっとも・・」
 
 ファルミア様はふふっと笑ってこう続けた。
 
「後で考えてみると、気味悪がられるのがいやだったのかもしれないと思いました。せっかく楽しくお話が出来ているのに、舞踏会が終わればわたくしは家に帰る。その時まで、せめて楽しく過ごしたい、そんなことを考えていたような気がします。」
 
 
 そして何日も続いた舞踏会が終わった。その頃には『ライネス様のお相手はハスクロード家の姫』という噂が貴族達の間にも知れ渡り、彼らの話題は『婚礼はいつ頃か』と言う話に移っていた。ファルミア様の耳にもその噂は聞こえてきていたが、ライネス様からは特に何も言われていない。
 
『噂なんて無責任なものね』
 
 そんな独り言を言いながら、ずっと弾いていなかったピアノがそろそろ恋しくなってきていた。それに舞踏会が終わればいつでも帰ってかまわないのだから、王家からは何も言ってこないのに未練たらしくいつまでもとどまっているのもいやだ。そう考え、国王陛下の元に招待のお礼と暇乞いを言うために謁見を申し込んだ。
 
『おおそうか。残念だ。好きなだけ滞在してくれてもかまわぬのだぞ。』
 
 国王陛下は表向き笑顔で引き留めてくれたが、本当にここにとどまってほしいとは思っていないことにも気づいた。それよりも、ファルミア様が噂について何か言い出すのではないかと気を揉んでいるようにも見える。謁見の場に王太子殿下の姿は見当たらない。
 
(やはりハスクロード家と王家の縁談なんて、歓迎したくないのでしょうね。)
 
 王家の難しい立場もわかるが、ハスクロード家は古来より続く名門。裕福であろうとなかろうと、その家に生まれた自分が俯く必要はない。出立の日を告げて、ファルミア様は部屋に戻ると帰り支度を始めた。
 
 そして・・・明日は帰るという日の夜、ファルミア様はライネス様のサロンに招かれた。てっきり、お妃候補として選ばれたほかの姫達もいるのではないかと思われたのだが、そこにいたのはライネス様と、神官の服を着た柔和な表情の男性、そして目つきは鋭いが嫌みな感じはしない男性、そのほか、護衛らしい王国剣士が数名と、お茶やお菓子の準備をしている侍女達だった。そして、部屋の真ん中にはなんと、舞踏会の会場に置かれていたあの美しいピアノが置かれている。しかしピアニストやそのほかの楽団員らしき人々はいない。
 
『よく来てくれました。今日はぜひ、あなたのピアノを聞かせていただけないかと思いまして。』
 
 ファルミア様が音楽家を目指していると聞いて、ライネス様は舞踏会の会場でファルミア様のピアノを聞きたかったらしい。そこでピアニストに一曲だけ交代してくれないかと持ちかけたのだという。しかし、楽団の団長に窘められたそうだ。
 
『ここでの我らの役目はダンスの伴奏でございます。王太子殿下のお妃候補としてこられた姫君に、伴奏をしていただくわけにはまいりませんでしょう。姫君のピアノは、改めて殿下のサロンを開かれて、そちらで弾いていただいた方がよろしいのではありませんか。』
 
 
 全く楽団の諸君に失礼なことをしてしまった、しかもあなたにも恥をかかせるところだったと頭を下げるライネス様が、なんだかとてもかわいらしく見えて、ファルミア様ははっとした。
 
『わたくしよりずっと年上なのに、かわいいと思うなんてどうかしているわ・・・。なんでこんなことを考えたんだろう・・・。』
 
 
 このときライネス様はすでに20歳。とっくに結婚していてもおかしくない年齢だった。ではどうしてその年まで独身だったのか、別に結婚に興味がないとか言う話ではなく、きちんとした理由があったらしい。その話は舞踏会の席で、ライネス様本人からファルミア様が聞いたそうだ。
 
「ライネス様はね、王太子になられる前からエルバール王国の財政状態があまりよくないことをとても気にかけていらしたの。そしてその原因の一つとして、後宮のあり方に問題があるのではないかと思っておられたようよ。父王陛下も、その前の国王陛下も、その前も、エルバール王国の基礎を築いた人々がかつて住んでいたサクリフィアのように、優秀な後継ぎを育てるためと言う名目でたくさんの女性達を後宮に連れてきていたわ。でもその方達のためにかかるお金がどれほど莫大か、そしてそれがエルバール王国の財政を圧迫しているのではないか、ライネス様はそうお考えだったのよ。それに国王の子供がたくさんいれば、どうしても世継ぎ争いが起きるわ。この国ではそれが男でも女でも、第一子が親の後を継ぐという取り決めがあるけれど、兄や姉がみんないなくなってしまえば自分が第一子になれるわけですからね。莫大なお金がかかり、身内同士が血を流し合う、そんなばかばかしい場所はなくしてしまうのが一番いいと、ライネス様は後宮を廃止しようと考えたの。でもそんな大きな改革を進めるには自分になんの力もない。だから王太子になってすぐ、ライネス様はご自分の手足となって働いてくれる優秀な部下を探してきたわ。それが神官のレイナックと、当時は行政局の官僚だったケルナーよ。ライネス様は早くから彼ら2人の政治力に注目していたの。いずれ王太子になった時には側近として取り立てようとね。」
 
「剣士団の先輩達から聞いたことがあります。レイナック殿とケルナー卿は、どう見ても水と油のようなのに、不思議と仲がよかったと。」
 
 それを言ったのは多分セルーネさんだったと思う。
 
『あの2人は不思議だったよ。私が見ても妙な取り合わせとしか思えなかったんだが、父も同じことを言っていたから、本当に不思議な組み合わせだったんだろうな。』
 
 そんなことを言って笑っていたっけ・・・。
 
「ええ、わたくしもそう思うわ。」
 
 ファルミア様が笑った。高貴な美しさを湛えているのに、笑うと少女のようにかわいらしい。そしてその笑顔が・・・フロリア様にとても似ている・・・。
 
「ケルナーとレイナックに調査を命じて、ライネス様は後宮がとても無駄な場所だと判断したの。だから自分がもう少し、改革を断行出来るほどの力をつけられるまで、何のかんのと理由をつけて結婚を渋っていたというわけ。でもさすがに20歳になってしまうと周りの焦りもかなり大きくなってきて、本人より国王陛下の方が焦りだしたようよ。あの時ライネス様がこんなことをおっしゃっていたわ。」
 
 
『まあそんなわけで、父が連れてくる女性との見合いをいろいろ理由をつけてのらりくらりと躱していたのですよ。ところが20歳になった頃には父がさすがに怒り出しましてねぇ。それならば集められる限りの貴族の娘を集めるから、その中から選べと、父も半ばやけくそだったようですよ。』
 
 ファルミア様はとても楽しそうだ。ライネス様との思い出は、どれをとってもファルミア様にとってとても大事な思い出なのだろう。
 
「それで叔母上、そこでピアノを弾かれたのですよね。きっと拍手喝采だったでしょう。」
 
 リアン卿が笑顔で言った。たぶんこの方はいつもファルミア様のピアノを聞いているのだろう。きっと素晴らしい演奏だったに違いないと、確信しているようだ。だが、ファルミア様は困ったような顔をしている。
 
「ふふふ・・・拍手はいただけたのだけど、全然思ったように弾けなかったの。ずっと練習してきてそれなりに自信はあったはずなのに、心臓が飛び出しそうなほどどきどきして、もう全然・・・。」
 
 ファルミア様が溜息をついた。それでも褒めてくれた人はいたようだ。
 
『ふむ・・・お人柄が忍ばれる、素晴らしい音色でございました。』
 
 そう言ってくれたのは神官の服を着た柔和な笑顔の男性だ。それがレイナック殿だったらしい。その頃は高位の神官だったが、ライネス様としては早く最高神官になってほしいと思っていたようだ。
 
『私が王位を継いだ暁には、最高神官になってもらうつもりなんですけどね。礼拝堂には頭の固い年寄りが順番待ちをしている。年をとれば誰でも出世できるなんていうのは、そろそろやめたいと思ってるんですが。』
 
 ライネス様がそんな話をしていたそうだ。そしてもう一人、目つきの鋭い男性がケルナー卿、元々は行政局の官僚だったという話は私も以前聞いたことがある。この頃は、ライネス様に見出されて行政局を束ねる、重要なポストに就いていたと言うことだ。
 
『私は音楽には疎い方でございますが・・・素晴らしい音色でございました。』
 
 言葉少なに、ケルナー卿は言ったそうだ。だがそれはお世辞ではなく、心からそう思ってくれている。ただ、そう言った褒め言葉をうまく話すのが少し苦手な方だったらしく、それはファルミア様も感じていたらしい。
 
 ファルミア様のご結婚前というと、レイナック殿もケルナー卿も、その頃は確か40代前後だったのではないだろうか。神官の序列についてライネス様が言っていたように、年功序列では若者にはなかなか活躍の機会が回ってこない。ライネス様はこの頃すでに、実力本位の新しい人事登用制度の導入も考えていたようだ。
 
「あの時は褒めていただけたけど・・・わたくしは・・・自分のピアノに自信が持てなくなってしまったの。大勢の人の前で弾きたい、なんて思っているうちはいいのだけど、あのくらいの人数の前でさえ、きちんと弾けなかったんですもの。」
 
 でもそのサロンでのライネス様との会話はとても楽しく、護衛の王国剣士や侍女達まで話の輪に加わっていたという。身分にこだわらず誰とでも気さくに話し、誰からも好かれているライネス様が、ファルミア様にはまぶしく見えたほどだったそうだ。
 
「あの時はね・・・帰るのが少し惜しいくらいに思えたほどだったわ。そして帰り際、ライネス様がこうおっしゃったの。」
 
 
『また会ってくれますか?いずれもう一度あなたを王宮に招待したいのだが。』
 
『ではその時は、わたくし、もう少しうまくピアノを弾けるようになっておきますわ。今日の出来は不本意でしたもの。普段はもう少しうまく弾けますのよ。』
 
 ファルミア様の方は、先ほど失敗したピアノのことばかり頭の中にあったせいか、そんなことを言ってしまったらしい。まさか遠回しなプロポーズだとは全く気づかなかったそうなのだが・・・。
 
「それがねぇ、部屋に戻ってから、その時連れて行った侍女に呆れられてしまったの。『お嬢様、あれはどう考えてもライネス様からのプロポーズでしたよ』って。どうりであの時、ライネス様が複雑な顔をされていたわけだわ。」
 
 ファルミア様が笑いながら言った。
 
「それで叔母上は王家に輿入れされたと言うことですね。」
 
 リアン卿が尋ねた。
 
「結果としてはそうなのだけど、そう簡単に事は運ばなかったのよ。国王陛下としては、出来ればハスクロード家との婚姻は避けたかったのかもしれませんね。家に戻ってしばらくしてから、国王陛下からの手紙が届いたわ。あなたのおじい様宛に。その手紙には、わたくしに王太子殿下の側室として輿入れするようにと書かれていたの。」
 
「側室・・・?どうしてです?ライネス様はその時まだ独身であられたはずですよね?」
 
「ええ、もちろん。その手紙を読んだあなたのおじい様が、あきれたようにこんなことを言っていたわ・・・。」
 

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