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第99章 女王の母

 
 さてどうしたものか。
 
 このまま使用人が扉を開ければ、程なくして私達は捕らえられ、剣を取り上げられる。それは困るが、心配なのはこの剣がそう易々と取り上げられるものかということだ。もちろん私達はそう簡単に捕らえられたりする気はないが、剣が私達を援護するつもりで、以前のように突然雷を落としたりするのはもっと困る。
 
(何とか時間を稼ぐしかないか・・・。)
 
 ファルミア様がここまで来てくだされば何とかなるはずだが、さて間に合うか・・・。
 
「どうぞお入りくださいませ。」
 
 使用人の男性は、扉を開けて私達に中に入るよう促した。男性はそのままそこに立っている。取りあえず、私達を部屋に押し込んで扉を閉め、鍵をかけるという気はないらしい。そこに、廊下の奥から何人かの使用人が出てきた。鍵をかけなかったのは私達に警戒させないための策なのかもしれないと思ったが、そうではなく、この使用人達に私達を取り押さえさせようと言うことだろうか。
 
「失礼します。」
 
 私達は部屋に入った。とにかく話を進めなければならない。部屋の中には、声の主らしい男性が1人、そしてその隣にもう1人、年配の男性が立っている。
 
「あら?」
 
 ウィローが小さな声をあげた。おそらくだが、聞こえたのが男性の声でも、そこにファルミア様が一緒にいるのだと思っていたのではないだろうか。
 
「ようこそ、ハスクロード伯爵家へ。私は当代のハスクロード伯爵、ユジン・ハスクロードだ。見知りおき願おう。そしてこの者は当家執事のドラロスだ。実に優秀な執事でね、私はとても助けられている。」
 
 隣に立っているのはドラロスさんという執事か・・・。なんだろう・・・そのドラロスさんから、異様な『気』があふれ出している。怯えているような、澱んだ『気』だ。だがユジン・ハスクロード伯爵は、そんなことに全く気づかない様子で、私達をにやにやしながら見ている。尊大であまりいい印象はないというのが本音だが、ごく普通の紳士にしか見えない。いきなり斬りつけようとか、捕らえようという気はないらしい。多少なりとも話し合いの余地が残されているといいのだが、先ほどの使用人の心の声を聞いた限りでは、私達はこの部屋で殺される予定らしい。執事のドラロスさんもその計画を知っていると言うことか。それならば、この怯えたような『気』も理解出来る。だが私達はそう簡単に殺されるわけには行かない。
 
「お初にお目にかかります。私は・・・。」
 
 まずは相手の出方を探ろう。私は名を名乗り、『奥方様』つまりファルミア様に会いに来たのだと言った。ここで訪問の目的をごまかしてはいけない。伯爵が私の話を信じるかどうかはともかく、こちらにやましいことは一切ないのだとわかってもらわなくてはならない。
 
「ふむ、話は聞いている。まあかけたまえ。」
 
 私達は促されるまま部屋の中央に置かれた立派なソファに座った。
 
「ファルミア様はこちらにいらっしゃるんでしょうか。」
 
 素知らぬふりで尋ねた。
 
「この屋敷の中にはいる。だが、まずは私と話をしようじゃないか。」
 
「わかりました。」
 
 正面に座ったハスクロード伯爵は、ずっと私達を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。これが、例えば私を怒らせて剣を抜かせ、『無礼を働いた』と言うことにして斬り捨てるとか、そういう作戦なのか、それとも元々こう言う笑い方をする人なのかは何とも言えない。ただ、誰か・・・おそらくこの伯爵本人ではない誰かが、私の心を探ろうとしている。執事のドラロスさんではないようだ。その思念の出所を探っていくと、どうもこの部屋の奥に誰かがいるらしい。そこに扉は見えないから、もしかしたら隠し部屋のようにでもなっているのか、それともその壁の向こうにも部屋があり、そこに人がいると言うことなのか。伯爵自身にはこの力はないらしい。
 
「失礼いたします。」
 
 そこにお茶が運ばれてきた。運んできたメイドは落ち着きがなく、カップを置く手が震えている。
 
(何か入っていそうだな・・・。)
 
 ウィローが何か言いたげに私を見た。メイドの様子がおかしいことに気づいたらしい。
 
「ありがとうございます。」
 
 礼だけ言って、私はお茶に手を出さなかった。ウィローも手を出さないところを見ると、今のこの状態を不審がっているのだと思う。まあ、おかしいことだらけだ。私達はファルミア様に会いに来たのに、通された場所にはハスクロード伯爵がいた。伯爵の態度はどう見ても客を迎える態度ではないし、お茶を運んできたメイドはよく見ると脂汗を流して顔が真っ青だ。それにこの香り・・・。かぐわしいお茶の香りの中に、奇妙な香りが混ざっている。ちょっとやそっとの睡眠薬程度では匂いなどしないから、このお茶の中にはかなり危ない物が入っているとみて間違いなさそうだ。
 
(でも毒殺するつもりなら、別に私の腹の中なんて探らなくてもよさそうなものだけどな・・・。)
 
 それとも、ファルミア様から私達のことを聞いて、精霊達と何を話したのかでも探ろうとしているのだろうか。
 
「ふふふふふ・・・なるほど、やはり剣に選ばれし者だ。慎重だな。はぁっはっはっは!」
 
 伯爵はおかしくもなさそうに声だけで大笑いし、今までふんぞり返るように座っていたソファから体を起こした。
 
「ファルミア様はいつこちらにいらっしゃるんでしょうか。」
 
 私は今の言葉がまるで聞こえなかったかのように、もう一度ファルミア様について尋ねた。
 
「残念ながら、ファルミアはここには来ない。君達の来訪を知らせておらぬからな。」
 
「ですが、私達はファルミア様に会いに伺ったんです。先ほど伯爵閣下はその話を聞いていると仰せでしたが。」
 
「おお、間違いなく聞いてはいる。だから私は使用人達に命じたのだ。君達が来たら、ファルミアには一切知らせずにここに連れてくるようにとな。」
 
「それはどうしてでしょうか。」
 
 あくまでも冷静に。そう心掛けて、出来る限り表情を崩さないで尋ねた。
 
「ふむ、見当がつかぬか。では単刀直入に言おう。我が家から盗まれた剣を返してもらいたい。」
 
「盗まれた・・・?」
 
 精霊の長達から聞いた話では、この家に家宝としてあった剣は何代か前の当主が若かりし頃、愛した女性に愛の証として渡してしまったと言うことだったが、この家ではそれを『盗まれた』と捉えているのだろうか。
 
「そうだ。何代か前の当主が若い頃、実に性悪な女に騙されてね。その女に家宝の剣を渡してしまったのだ。女はまんまと剣を手に入れ、そのまま逃げてしまったというわけだ。その剣というのが、今君の腰に下がっている、その剣なのだよ。言うなれば君は盗人の子孫だ。だが、こちらとしても何代も前のことなのでね、今さら君を盗人として捕らえる気はない。そこで、その剣を返せば放免してやろうと、そういうことだ。」
 
(論理がめちゃくちゃだなあ・・・。)
 
 さてどうするか・・・。
 
−−ふん、愛の証などばかばかしい!我が家にとっては盗人も同然だ。さっさと返してもらわんとな!−−
 
 なるほどそう言う理屈か。この伯爵は、その時剣を恋人に渡した先祖にも、剣を持ったまま姿を消したその恋人にも、相当腹を立てているらしい。だが私としても盗人呼ばわりされておとなしくしているわけには行かない。剣がこの家を離れることになった経緯はともかく、私にとってこの剣は父の形見であり、今では母の形見でもある。そして私の両親も私ももちろん盗人では有り得ない。この伯爵にとって、私など取るに足らない存在なのかもしれないが、名誉を傷つけられて黙っていたのでは、両親に申し訳が立たない。
 
 
−−だんな様はおかしくなってしまわれた・・・。どうして突然こんなことを・・・。−−
 
−−この若者達を殺して剣を奪ったところで、家の繁栄など望めるものか。家名を血で汚すようなことをなされては・・・。ああ、でもどうすれば・・・。−−
 
 
 これは・・・背後で扉の前に立っている使用人達の心の嘆きか・・・。さっき私達をここまで案内してくれた男性からも同じような声が聞こえていた。使用人達も、伯爵のやり方を嘆いているのは間違いなさそうだ。それにここに立っている執事の男性も・・・。
 
 彼の心からは言葉は感じ取れない。だが恐怖で震えているのはわかる。人を殺して持ち物を奪うという行為を、何とか防げないかと考えているような気もするが・・・。
 
(・・・どうして・・・こんなことになったんだ・・・。)
 
 聞こえた。これはここにいる執事のドラロスさんの声だ。
 
(まさか・・・まさかこんなことになるなんて・・・。)
 
 ここにいる使用人達は、私達を捕らえて殺すという話を本当に「突然」聞いたのか・・・。と言うことは、ファルミア様から私達の来訪を聞いてからのことなのだろう。以前からおそらくは必死で行方を捜していた剣を持った人物が、のこのことこの家にやってくることを知った。『元々この家のものだった剣』を返してもらってその人物には死んでもらえばいい・・・。
 
 これが私でなくても酷い話だ。だが、どうやら私達を殺すなどと言う話は突然でも、元々あんまり使用人受けが良くない人物らしいのは、何となく感じる。この家全体に漂う空気感とでも言うのだろうか。使用人達が喜んでこの伯爵に仕えていると言うわけではなさそうだ。
 
(ファルミア様は来てくれるかな・・・。)
 
 使用人の立場で雇い主に逆らうのは無理でも、ここにファルミア様が来てくださればまた話は違うかも知れない。この家の広さがどの程度なのか、そしてファルミア様の居室がどのくらい離れているのかがわからないが、何とかファルミア様が到着するまでの間、時間を稼ぐしか手はなさそうだ。私としてもここで殺されるわけには行かないが、かといって伯爵相手に立ち回りもしたくない。成功するとは思えないが、まずは一応説得を試みてみよう。
 
「お話はわかりましたが、この剣をお返しすることは出来ません。」
 
 まずはきっぱりと、胸を張って堂々と答えた。
 
「ほぉ・・・・?」
 
 私の言葉に伯爵の眉がつり上がった。
 
「盗人猛々しいとはこのことだ。他人のものを自分のものだと言い張って、君は平気だと言うことか。」
 
「私は盗人ではありません。この剣は母の持ち物でしたが、母は早くに亡くなったので父がずっと保管していました。その父も亡くなってから私が受け継ぎました。この剣は私の両親の形見なんです。そしてこの剣は私を持ち主として選びました。それは私にとって別にいいことでもなんでもないというのが本音ですが、今はまだ、この剣を手放すことは出来ません。もしもこの剣を私が手放したところで、剣は私の元に帰ろうとするでしょう。それはこの家にとっても、伯爵閣下にとっても、あまりよくないことだと思います。」
 
 本当はよくないどころか相当危険なのだと言うことは、カフィールとクラトが住む島を訪れたときのことでよくわかっている。だが、それを言うべきかどうか・・・。
 
「黙れ!」
 
 伯爵は立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴った。
 
「下手に出ていればいい気になりおって!この盗人が!その剣は我が家の家宝だ!返せ!今すぐにだ!私兵共!この盗人共を縛り上げて地下牢に放り込め!抵抗したら殺しても構わん!」
 
 言うなり伯爵は剣を抜いた。私達は立ち上がり、椅子の後ろに下がった。が、背後には先ほどの使用人がいる。そのさらに後ろから私兵達が数人飛び出してきた。
 
(・・・あれ?)
 
 飛び出してきた私兵達も、おそらくは私達を逃がさないように扉近くに控えていた使用人達も、どうも『盗人を捕らえようとしている』ようには見えない。どちらかというと、主人からの命令なので出て来たが、さてどうしたものかと迷っているように見える。取りあえずこの人数を相手に立ち回りはしなくてすみそうだ。それに武装をしている私兵達はともかく、ごく普通の使用人にしか見えない人達に剣を向けるわけにはいかない。
 
「伯爵閣下、もう少し話を聞いてください。そんな事をされては・・・」
 
 私が本当に危機に陥っているのかどうか、剣は独自に判断を下す。そして私や他の人達の意図などお構いなしに行動を起こす。何とかそれを踏みとどまらせるためには、とにかく説得しかないのだが・・・。
 
「うるさい!貴様のような下郎など、こうしてくれる・・・!」
 
 持っていた剣を伯爵が振りあげたとき、『どきなさい!』という女性の叫び声と共に、背後から稲妻が飛んできて伯爵の剣を跳ね飛ばした。
 
「剣士殿!無事ですか!?」
 
「ファルミア!なぜここに!?」
 
「お兄様!なぜこのようなことをなさるのです!?この若者達の来訪は、お兄様には知らせなかったはず・・・。」
 
 ファルミア様はそこではっとして、さっきから伯爵の隣に立っている執事のドラロスさんを見た。いや、睨みつけたと言った方がいいくらい、鋭い視線だ。
 
「あなたね?お兄様に訪問者の話を漏らしたのは?」
 
 ドラロスさんは青ざめたまま黙り込んでいる。
 
「今朝わたくしは言ったはずですね?わたくしを訪ねてくる若者達がいたら、必ず私の元に直接通すように、決してお兄様に話してはならぬと。」
 
「し、しかし・・・。」
 
 ドラロスさんが何か言いかける前に、伯爵がファルミア様に怒鳴った。
 
「黙れ!お前の指図など受けぬわ!我が家から剣を盗んだのはこいつらの先祖だぞ!盗まれたものを取り戻すのは当たり前のことではないか!下がっていろ!」
 
「何が盗まれたですか!あの剣はご先祖が愛する女性に愛の証として渡してしまっただけではありませんか!その時点で剣は我が家を見限ったのです!ここにいたのでは自分の主人となるべき剣士に出会うことが出来ないと、剣が判断したのですよ!」
 
「愚か者が!何が判断だ!剣は剣だ!我が家にありさえすればいずれは栄華も思いのままになる!」
 
「愚かなのはお兄様のほうです!それでは剣ほしさに時の王を騙したサクリフィアの族長と同じではありませんか!」
 
「あのような間抜けと一緒にするな!だいたいお前がもっとしっかりしていれば、我が家はもっと大きくなることが出来たのだ!あのカタブツなだけで役立たずなお前の夫がもっと話のわかる奴だったならば!」
 
「ライネス様は立派な方です!そのような物言い、例えお兄様でも許しませんよ!」
 
 2人の言い争いの間、使用人達も私兵達も、黙ってその場に立ち尽くしていた。彼らの心からは、伯爵に対する憐れみや失望、そしてファルミア様に対する期待と畏敬の念がうかがえる。
 
「ええい!貴様の世迷い言など聞いている暇はない!おい、お前達なにをしている!?その盗人を捕らえろ!」
 
 伯爵が叫ぶが誰1人として動こうとしない。
 
「くそっ!誰も彼も私をバカにしおって!剣を返せ!」
 
 伯爵が突然自分が持っていた剣を床に捨て、私の腰の剣に飛びかかった。剣帯から引きちぎろうと引っ張るが、剣の金具はしっかりと剣帯にかけられているので外れない。その瞬間、剣がまぶしいほどに光り出した。この光は、クラトの足下に炸裂した稲妻が発せられたときと同じだ!
 
「閣下!危険です!手を離してください!」
 
「ははは・・・ははははは・・・見ろ、この光を!剣は私を選んだのだ!この剣は私のものだ!貴様のような下郎が持つにはもったいないわ!返せ、これは私のものだ!」
 
 伯爵の目には狂気が宿り、なおも剣を引っ張った、その時!
 
−−ドォォォン!−−
 
 凄まじい稲妻が剣から発せられ、伯爵の体が紫色に光った!
 
「ぐぁあ!」
 
 伯爵は苦悶の表情でのけぞり、剣から手を離した。伯爵の足下の床は大きくえぐれ、焦げた匂いが部屋に充満している。伯爵は剣から手を離した拍子にしりもちをつき、何が起きたかわからないといったような、呆けた顔でえぐれた床を見ている。あれだけの稲妻を直接浴びて生きている方が不思議だが、剣としても殺してしまう気はないらしい。そう言えばクラトの足下に稲妻を落とした時も、ギリギリのところで誰も傷つけなかった。
 
「剣士殿、これはあなたが・・・!?」
 
 ファルミア様も驚いている。
 
「違います。おそらくですが、私から剣を引き離そうとした伯爵閣下に対する警告だと思います。」
 
「伯爵・・・?」
 
 ファルミア様が不思議そうに聞き返した。
 
「え?」
 
 どういうことだろう。それを尋ねようとした時、背後から男性の怒鳴り声が聞こえた。
 
「何をしている!?門番!門の前が空っぽではないか!持ち場を離れるとは何事だ!」
 
「も、申し訳ございません!しかし・・・大旦那様が・・・!」
 
 大旦那様・・・?
 
「私の剣・・・私のものだ・・・私の・・・なぜ・・・」
 
 先ほど自分を伯爵、つまりこの家の当主だと名乗った男性は、えぐれた床を見つめたまま、なおも小さくうわごとのようにぶつぶつと言っている。自分を選んだはずの剣の『攻撃』に、すっかり度肝を抜かれている、そんな風に見える。
 
「叔母上、何事です!?・・・あなた方は?」
 
 怒鳴っていた男性は、ファルミア様を見、私達を見て怪訝そうに眉根を寄せ、そして床に座り込んだままの男性を見て、ぎょっとした。
 
「父上!どうされたのです!?おい、お前達、これはどう言うことだ!?」
 
 使用人達に尋ねるが、誰も答を返さない。
 
「リアン、それはわたくしから説明します。まずはあなたのお父様を落ち着かせて、使用人達を持ち場へ戻らせなさい。」
 
「わかりました・・・。あ、叔母上、もしかしてこちらの方々が・・・?」
 
「ええ、そうです。では挨拶だけしておいてくれるかしら。わたくしは部屋に戻ります。剣士殿達をわたくしの部屋に案内して差し上げて。では剣士殿、後ほど会いましょう。」
 
「わかりました。」
 
「では叔母上、後ほど剣士殿達をお連れします。剣士殿、それとそちらのお嬢さん、改めて挨拶をさせてください。私はこの家の主、リアン・ハスクロード伯爵です。お見知りおき願いましょう。」
 
 私達は名を名乗り、あなたが当代の伯爵なら、こちらの方はどういう方なのですかと尋ねた。
 
「この方は先ほど、当代のハスクロード伯爵だと名乗られました。あなた様のお父上と言うことは、先代の伯爵閣下と解釈していいのでしょうか。」
 
 リアン・ハスクロード伯爵は私の言葉を聞くと、一瞬驚いた顔をして、次にはっきりとわかるほど落胆した表情になった。そしてすまなそうに私達に頭を下げた。
 
「はい、おっしゃるとおりです。父の無礼については改めて私から謝罪させていただきます。」
 
 そして父親の元に近づいて跪き、にじみ出た涙を拭った。
 
「父上・・・どうしてあなたは・・・夢のような話にしがみついて現実を見ようとなさらないのです・・・。」
 
「剣があれば・・・剣があれば・・・こんな痩せた土地など・・・剣さえあれば・・・うぅ・・・うぁぁぁ・・・・。」
 
 言いながら、伯爵の父親は泣き出した。この家から遠い昔に失われたこの剣に、相当な執着があるらしい。
 
 リアン卿はゆっくりと立ち上がり、振り向かないまま『ドラロス』と呼んだ。
 
「は・・・はい・・・。」
 
 ドラロスさんが、びくっとしたように肩を震わせ、弱々しい声で返事をした。
 
「たった今、お前の執事の職を解く。今後は父の世話係をしてくれ。それ以外の仕事はしなくていい。」
 
「そ・・・それは・・・。」
 
「剣士殿達の来訪を父上に漏らしたのはお前だろう?」
 
 ドラロスさんは青い顔で黙っている。さっきファルミア様が同じ事をドラロスさんに尋ねた時、リアン・ハスクロード伯爵はここにいなかった。なのに同じ質問をしたと言うことは、誰もが同じ事を考えるくらい、ドラロスさんは先代の伯爵に忠実なのだろう。
 
「剣士殿達がおいでになるという話は、叔母上と私、門番と案内の役目を担う者、そしてお前だけが知っていたことだ。お前はその話をした時、誓って父には情報を漏らさないと言ったな。お前は叔母上に嘘をつき、私との約束を破り、父に情報を漏らした。叔母上が間に合わなければ、剣士殿は身を守る為に父に剣を向けざるを得なかったかも知れぬ。剣に選ばれし者の腕の前に、父の剣など通用すまい。結果として、お前は父の命を危険に晒したのだ。」
 
「そ、そんなことは・・・!」
 
 伯爵はゆっくりと振り向いた。その顔を見たドラロスさんが縮み上がった。
 
「私はこれでもやっとのことで怒りを抑えているのだ。私の気が変わらないうちに、父を部屋まで連れて行ってくれ。・・・わかったな・・・?」
 
「は、はい!ただいま!」
 
−−やった!これで・・・!−−
 
(・・・え!?)
 
 慌てて返事をしたドラロスさんは、まだ床に座り込んだまま泣いている先代の伯爵に近づき、なだめながら立ち上がらせて部屋の隅まで歩いて行った。何とそこには車椅子が置かれていた。先代の伯爵は車椅子に乗せられ、部屋を出ていった。部屋を出ていくまでの間、先代の伯爵はずっと『私の剣が・・・なぜ私に刃向かう・・・。私の・・・私の・・・』そう言い続けていた・・・。
 
「お見苦しいところをみせてしまい申し訳ありません。」
 
 リアン卿は私達に一礼したあと、立ち尽くしている使用人達に向かって言った。
 
「お前達については、あとで1人ずつ事情を聞こう。今のうちに言い訳でも考えておくがいい。ただし、ナディラ、お前は今日から厨房に入ってはならぬ。外の掃除をしてくれ。今後ずっとだ。」
 
 ナディラと呼ばれたのは、私達にお茶を出す時に震えていたあのメイドだ。
 
「だんな様!私は何も!」
 
「何もしていない?剣士殿達にお茶を出したのはお前だな?」
 
「はい、お茶を出しただけでございます。私は・・・何も・・・」
 
 メイドのナディラさんの声は、少しずつ小さくなり、語尾はほとんど聞き取れないくらいだった。
 
「なるほど、何もしていないのか。では、剣士殿達に出したお茶を、今ここで飲み干してみるがいい。」
 
 ナディラさんはぐっと言葉につまり、真っ青な顔で立ち尽くした。
 
「お茶に入れたのは何だ?」
 
 伯爵の問いにも答えようとしない。
 
「若様、此度のこと、私の監督不行き届きにございます。どうかお怒りをお鎮めくださいませ。」
 
 そう言って進み出たのは、年配の女性だ。現当主を『若様』と呼ぶと言うことは、この家に長く仕える女性か。もしかしたらメイド長かも知れない。さっき私達がこの部屋に通された時にはいなかったから、騒ぎを聞いて駆けつけたか、リアン卿に呼ばれたかしたのだろうか。
 
「もちろんお前の監督不行き届きはあるだろう。だが事はそう簡単な話ではないぞ。オーゼ、さっき私が帰ってきた時、お前が持っていたものをナディラに見せてくれないか。」
 
 メイドのナディラさんははっとして顔を上げた。
 
「ナディラ、さっき私は厨房で、奇妙なものを見つけたの。お茶に入れるために小さく刻んであったけれど、その隣に刻む前のものが置かれていたわ。どういうことか聞き出そうとあなたを探していたところに、若様がお帰りになられたのよ。」
 
「オーゼから話を聞いた時は何が起きているのかわからなかったが、剣士殿達がおいでになっていて、そこに置かれていたお茶を見た時、全てを理解した。剣士殿達がお茶に口をつけずにいてくださったおかげで、ナディラ、お前は人殺しにならずにすんだ、そうではないのか?」
 
 ナディラは涙をこぼし、『申し訳ございませんでした』と泣きながら床に座り込んだ。オーゼメイド長はぐっと唇を噛み締め、小さな声で『何と愚かなことを』とメイドのナディラに向かって言った。
 
「オーゼ、ナディラが持ち込んだ毒はこれで全部か?」
 
「置かれていたものは全て持ってきましたが、もう一度確認して参ります。このようなもの、一刻も早く厨房から排除しなければなりません。」
 
「よし、それでは間違いなくすべて回収して、叔母上の部屋に持ってこい。それと、新しい執事を雇わねばならぬ。候補者がいれば教えてくれ。ナディラ、お前の事情はあとで聞く。すぐに外の掃除を始めろ。さあ、すぐにだ!」
 
 その後、使用人達はそれぞれ持ち場に戻っていった。
 
「叔母が待っています。叔母の部屋で、このたびの非礼に対する謝罪と、事情を説明させてください。」
 
「私達はファルミア様に用事があって伺いました。案内していただけますか?」
 
「もちろんです。」
 
 リアン卿はほっとしたように少しだけ厳しい表情を緩め、『こちらです』と私達を案内してくれた。部屋へと向かう間、リアン卿の心には悔しさと悲しさがずっと渦巻いていた。父親が当代の伯爵であると嘘をつき、使用人達をおそらくは強引に言うことを聞かせて、私達を捕らえて殺すつもりだった。しかもその理由が、遠い昔に失われた剣を取り戻す、それだけのためにだ。
 
(それにしても・・・さっき聞こえた声は何だ?)
 
 あれは間違いなくドラロスさんの声だ。リアン卿の剣幕に押されて縮み上がっていたようなのに、まるで喜んでいるような・・・。
 
 今回の一件を考えたのは間違いなくユジン卿だろう。ドラロスさんとしても、まさか先代の伯爵がそこまでひどいことを考え出すとは思っていなかっただろう。だがそれも、ドラロスさんが先代の伯爵に私達の来訪を知らせなければ、起きなかったはずのことだ。その咎で執事の職を解任されたというのに、まるでそんなことはどうでもいいようにすら感じられた、さっきの声・・・。
 
 
 長い廊下をしばらく歩いたあと、落ち着いた雰囲気の扉の前で、リアン卿は立ち止まった。
 
「叔母上、リアンです。剣士殿達をお連れしました。」
 
 リアン卿はそう言って扉をノックした。中から開けてくれたのは私達より少し年上かなと思われる女性。さっきのナディラというメイドと同じ服を着ているので、この女性もメイドなのだろう。私達は部屋に通され、落ち着いた色調のソファに案内された。
 
「いらっしゃい。本当なら、もうとっくにここに着いておいしいお茶をごちそうしているはずだったのに、とんでもない騒動に巻き込んでしまいましたね。ごめんなさい。」
 
 ファルミア様が頭を下げた。
 
「とんでもない。驚いたのは確かですが・・・。」
 
 それ以外に何とも言いようがない。
 
「ではこちらにおかけなさい。リアン、あなたも一緒に話を聞いたほうがいいでしょう。サーラ、お客様の分と、リアンの分のお茶もお出しして。」
 
「かしこまりました。」
 
 サーラと言うらしいメイドが、部屋の隅のポットでお茶を淹れ、私達に出してくれた。
 
「ではリアン、先ほどの・・・。」
 
 ファルミア様が言いかけた時、扉がノックされた。
 
「ファルミア様、若様、メイド長のオーゼにございます。」
 
「入りなさい。」
 
 ファルミア様の声に応えて、扉が開いた。オーゼメイド長は扉をしめたあと深く一礼した。
 
「先ほどの当家メイドのご無礼、お客様方には、大変申し訳ございませんでした。若様、これが、ナディラが持っていた・・・毒草でございます。」
 
 オーゼメイド長が少し言いにくそうに言いながら、紙にくるまれたものをリアン卿に差し出した。
 
「これで全部か?」
 
 リアン卿の問いにオーゼメイド長がうなずいた。
 
「間違いなくこれで全てでございます。厨房の者達もナディラの不審な行動に首をかしげていたようでございました。先ほど厨房にいた者達全員で探しましたので、あとはもう残っていないと思います。」
 
「そうか・・・。これを持ち込んだのはナディラなのか?」
 
「いえ・・・その・・・。」
 
 オーゼメイド長が言いよどんだ。
 
「オーゼ、これは我が家の名誉に関わることだ。一つ間違えば、我が家の者が剣士殿達の命を奪っていたかもしれないのだぞ!?」
 
 オーゼメイド長は慌てたように『申し訳ございません』と頭を下げた。
 
「ドラロス殿が持ってきたとのことでございます。ドラロス殿は『ほんの少しなら腹下しをする程度だから』と言ったので、ちょっとだけ使う予定でいたらしいのですが・・・」
 
「まさか・・・父上が大量に使えと?」
 
「は・・・はい・・・。ドラロス殿を介さず、大旦那様の部屋を掃除に行っていたメイドに書き付けを持たせてよこしたと・・・。」
 
 その言葉を聞いたリアン卿が、大きなため息とともに俯いた。
 
 だが、私達はそのおかげでお茶に妙なものが入っていることに気づけたのかもしれない。ほんの少しだったなら、飲んだ瞬間に気づいたかもしれないが、飲む前にはわからなかったかもしれない。だとしても、それをここで口に出すべきではなさそうだ。
 
「なんでこんなものを・・・。」
 
 小さくつぶやきながら、リアン卿が紙包みを開いた。それは・・・。
 
「これは寒い地方にしか生えない毒草ですね。」
 
 まだ故郷の島にいた頃、父から教えられたことがある。見た目は他の薬草とそう変わりないので、つい摘んでしまいがちだが、この草は毒草で、うっかり煎じて飲んだりすると腹を壊したり、酷くなると失明や死に至ることさえある、特徴をよく確認して、絶対にとらないようにと・・・。
 
(間違いないな。あの時紅茶の香りに混じっていた奇妙な香りがする・・・。)
 
「剣士殿はご存じなのですか?」
 
 ファルミア様が尋ねた。
 
「私の故郷は寒いところなので、森の奥に行くと時々見かけてました。父が医者でしたので薬草取りに出掛けたりすることがあったんですが、絶対にとってはいけないと念を押されていたものです。それと、この草の香り、先ほどのお茶の香りの中に混じっていた妙な香りと同じものでしたよ。」
 
「それでお茶を飲まれなかったのですか・・・。」
 
 オーゼメイド長が言った。
 
「毒が入っていると気づいたわけではありません。ただ、お茶の香りにしては奇妙な香りが混じっていたことと、あの時のメイドさんの様子があきらかにおかしかったので、これは飲まないほうがいいと判断しました。それにその・・・お身内の方の前で申し上げるのは心苦しいのですが・・・先代の伯爵も、あまり友好的とは言えなかったものですから・・・。」
 
「あの・・・私も、いつもなら出されたお茶は必ず飲むクロービスが、カップを持とうともしないなんておかしいと思って・・・。」
 
 ウィローは青ざめている。もしもあの時飲んでいたら、今頃どうなっていたかわからない・・・。
 
「飲まずにいてくださいまして、ありがとうございます・・・。私達使用人の立場では、おかしいと思いましてもご主人様の言いつけに背くのはなかなか難しゅうございます。ナディラを人殺しにせずにすんで・・・本当に・・・ありがとうございます。」
 
 オーゼメイド長は涙を流しながら私達に向かって頭を下げた。
 
「確かに・・・お前達の立場では、父上に命令されればいやとは言えまい。だが、剣士殿達の来訪をドラロスが漏らしたりしなければ、ナディラもこんなことに巻き込まれずにすんだのだ。他の使用人達も門番の私兵達もな・・・。オーゼ、今日の夜までに、執事候補を何人か考えて、教えてくれ。お前の目は確かだ。お前が選んだ人物なら間違いあるまい。」
 
「過分なお言葉ありがとうございます。本日の夕食後に、若様のお部屋に伺います。」
 
「そうしてくれ。まったく・・・妻と子供達が出かけている時でよかった・・・。こんな騒ぎ、子供達にはとても見せられん。」
 
 リアン卿はため息をついた。
 
 その後、毒草はファルミア様の部屋で預かることになり、オーゼメイド長は部屋を出ていった。
 
「この毒草はこの辺りではありふれた草です。最も煎じて飲んだりしたら大変なことになるので、誰も取ったりはしないはずですが・・・きちんと乾燥して、普通の煎じ薬のようにしか見えませんね。いったい誰が・・・。」
 
 ファルミア様が毒草を見ながらため息をついた。そう言えばこの土地も寒い場所だ。毒とわかっていて乾燥させて保存しているのだとしたら、それはまた別の問題として調査しなければならないのではないか。
 
「私が調べてみます。こんなものを保存しておくのは医者くらいなものです。もしかしたら町の診療所で盗まれたものかもしれません。」
 
「そうですね。出所がはっきりしているなら、対処のしようもあるでしょう。リアン、きちんと対処してくださいね。」
 
「もちろんです。」
 
 リアン卿がうなずいた。
 
「さあ、では改めて自己紹介ですね。わたくしはファルミア、エルバール王国の女王フロリアの母・・・だったというべきかしらね・・・。今ではわたくしはこの世にいない人間、言うなれば幽霊のようなものです。」
 
 私達は改めて名を名乗り、精霊の長達と、飛竜エル・バールからここを訪ねるといいだろうと言われたことを話した。
 
「ええ、わたくしも聞いています。夕べのうちにエル・バールとシルバがわたくしの元を訪ねてきました。そこでわたくしは、あなた達がわたくしを訪ねて来た時に門番が追い返したりしないよう、そして門の中に入ったら間違いなくわたくしの部屋に案内してくれるよう、限られた使用人達にだけ、あなた達のことをある程度説明しました。出来れば剣のことは伏せたかったのですが、それではあなた達がどこの何者で、なぜわたくしを訪ねてくるかの説明がつきません。だから・・・本当はドラロスには話したくなかったのです。彼が兄に忠実すぎるほどに忠実であったから、万一あなた達の来訪が漏れたりしたら、何をしでかすかわからないと思ったのですが・・・。彼はこの家の執事として、すべての来訪者を把握する必要があります。彼は執事としてはとても優秀ですから、訪問者を彼に内緒で迎えるというのは、彼の仕事を蔑ろにすることと同じ・・。そこでわたくしはこの話を何があっても兄に漏らさないと約束させたのです。ですが・・・。」
 
 ファルミア様が小さく溜息をついた。
 
「ドラロスは、兄がまだ剣への妄執に取り憑かれる前に、命を助けたのが縁で知り合ったのです。そのためか兄に対する忠誠心は何者にも優先されることだったのでしょう・・・。結果としてあなた達を危険にさらしてしまいましたね。すみませんでした。」
 
 ファルミア様が頭を下げた。
 
「とんでもない。驚いたのは確かですが、執事さんもほかの私兵の方々も、私達に武器を向けたりはなさいませんでしたし、私達はこの通り傷一つありませんから、お気になさらないでください。それに・・・あの執事の方はユジン卿の隣に立っていた時から、ずっと怯えて不安そうにしていました。それにメイドさんや、おそらくユジン卿がいらっしゃった部屋の奥で私の心を探ろうとしていた人も、私達の退路を断つよう命じられていたらしい私兵の方々も、皆さんなんとかユジン卿のなさろうとしていることを止めたい思っておられたのはわかります。」
 
「そうですか・・・。剣士殿にはわかるのですね・・・。」
 
 リアン卿が言った。
 
「そう言ってくれるのはありがたいけれど・・・。情けない話ですね・・・。」
 
 ファルミア様が溜息をついた。
 
「でも先ほど聞こえた声、あなたのものだと思うのだけど、念話も出来るのですね。あの声が聞こえたおかげで、わたくしはあなた達の来訪と、兄が何かを企んでいることを知ることが出来たのです。そして・・・あなた達のことを兄に話したのは、間違いなくドラロスであろうと確信しました。」
 
「ファルミア様に届いたかどうか不安だったのですが、おいでいただけてよかったです。私達の方こそお礼を申し上げなければなりません。ありがとうございました。」
 
 私達はファルミア様に向かって頭を下げた。念話のことはファイアストームから教えてもらったと、危うく口に出しそうになったが、いきなりドラゴンに送られてきたというのもどうなのか。さっきシルバ長老とエル・バールの名前が出たのだから、多分ここにいる人達は驚いたりしないとは思うが・・。
 
(しゃべりすぎてもよくないし、言う機会があれば話すと言うことにしておこう。)
 
 別に言わなくても困ることはないはずだ。
 

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