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「おいらとテラがヴェントゥスと一緒にクリスタルミアの入口に行かなかったのは、さっきも言ったようにあんたらの肚の中を見せてもらってから判断しようと思ったからだ。ついでに腕も見せてほしかったし、おいらとしては剣の使い手と手合わせもしてみたかった。そして、にいちゃんの肚の中がわかって、腕もかなりのものだってことで、おいらはにいちゃんを信用することにしたんだ。だが、今回の場合剣が選んだのは全部で3人だ。剣が選んだのが3人だと分かった時、おいら達は実は戸惑ったんだよ。剣を実際に使ってる1人はともかく、残りの2人をどう扱うべきかってことでな。」
 
「そんなことが・・・。」
 
「でまあ、剣が選んだのが3人なら、それは3人とも手助けするべきだろうってことにはなったんだが・・・残念ながら、剣があんたらに課した試練そのものに対しては、おいら達は手出しできない。とにかくシルバのところまでたどり着いたら、その先の道については何とかしようってことになったのさ。1人は残念ながらいなくなっちまったようだが、残りの2人がエル・バールのところに辿り着けるよう、道を開いたら集まってくれって言うのが、シルバからの伝言だったんだよ。ま、おいらとテラはここに残ってあんたらの覚悟と力を見たいって言って、土壇場になってシルバのところには行かなかったわけだがな。まあ悪いことしたなとは思ってるよ。だけど、どうしてもあんたらを直接この目で見て、試したかったのさ。そして、にいちゃんはちゃんと力と覚悟をおいらの前に示してくれた。だが、ねえちゃんはそこまで肚を括れないみたいだな。」
 
「だ・・・だけど先に進めなかったら、エル・バールが・・・!」
 
「エル・バールはまだ眠りから覚めていない。早くても明日、うまくいけば明後日以降ってとこかな。でもな、今のあんたは通せない。先に進むっていうなら、にいちゃん1人で行ってもらうことになる。」
 
 アクアさんの口調はきっぱりとしている。
 
「わかりました。それじゃ、ウィローが行けなくても、私が1人で行きます。ここで立ち止まっているわけにはいきませんから。」
 
 何があろうと、人間の滅亡だけは食い止める。
 
『フロリア様を頼む』
 
 カインの最期の願いだけは何としても叶えたい。何もかもを無に帰す前に、もう一度チャンスが欲しい!
 
「ちょ・・・ちょっと待ってよクロービス!バカなこと言わないで!あなた一人でなんて、死ににいくようなものだわ!」
 
 ウィローは私の腕を引っ張り、必死で叫ぶ。
 
「でも今のままでは君はここを通れないよ。それに、私も今の君をエル・バールのところに連れて行きたくはない。」
 
「どうして・・・一緒にエル・バールを説得しようって・・・約束したじゃない!」
 
 ウィローが涙をこぼした。
 
「今の君は恐怖に支配されている。無理もないよ。普通に生活していればありえないようなことばかり起きて、今ではこの世界の人間全部の命運まで私達の肩にかかってしまった・・・。でもね、そのままエル・バールのところに行っても、多分君は戦えない。私も動けない君をかばいながらでは思い切って戦えない。結果として、どちらも死ぬ可能性のほうが高いんだ。私は死ぬ気はないし、何があっても君を死なせたくない。でも2人してここから引き返してしまったら、カインの願いを果たすことも出来なくなってしまう・・・。だから私は一人で行くよ。」
 
「うーん・・・そりゃ通してやりたいのはやまやまだけどなあ・・・。エル・バールがニコニコと出迎えてくれて、お茶でも飲みながら話し合いましょうとでも言ってくれるならいいが、奴の事だからまずは腕を見せろってことになると思うし・・・。」
 
 アクアさんは考え込んでいる。
 
「怖いって思う気持ちは大事だけどな、今のねえちゃんをエル・バールのところに行かせたら、あっという間に死体も残らないかも知れないんだよな・・・。おいらだって、死ぬとわかっている人間を通す気はないよ。ま、ねえちゃんのことは任せてくれていいぜ。シルバのところまで送ってやるから、その先は奴が何とかしてくれるさ。ムーンシェイの村にいたほうがいいかもな。」
 
「そうですね・・・。必ずエル・バールを説得して迎えに行きますから。」
 
「待って!待ってクロービス!私も行く!私も連れて行って!置いて行かないで!」
 
 ウィローが私の腕をつかんで泣き出した。
 
「なあねえちゃん、あんたが肚を括れば問題ないんだぜ?まあこのまま送り出して、先に進めるかの判断をテラに任せることも出来なくはないんだが・・・。」
 
 アクアさんは言い淀み、なぜか眉間にしわを寄せてうーん、と唸った。
 
「いや、やっぱりそれはダメだな・・・。テラの奴に覚悟のなさを見破られたら、この先一か月は立ち直れないくらい、ぼろっくそに罵詈雑言を浴びせられるぜ・・・。」
 
「・・・そ、そんなに厳しい方なんですね・・・。」
 
「奴だって人間に滅んでほしくないと思ってる。だから、確実にエル・バールを説得できる奴を送り込みたいのさ。にいちゃんのほうはまあ大丈夫だろう。だがねえちゃんのほうはなあ・・・へたすりゃ散々嫌味を言われた挙句、襟首掴まれてシルバの家に引きずり戻されるのが落ちだからなあ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ウィローが黙りこんだ。
 
「ウィロー、私は君と一緒にこの先に進みたいよ。でも君が、私に言われたからじゃなく、自分で納得して覚悟を決めてくれなければ、それは出来ないんだ。」
 
「私が・・・。」
 
「そうだよ。オシニスさん達に訓練を頼んだ時みたいにね。」
 
 ウィローがハッとして顔を上げた。
 
「私としては、あの時の君の気持を思い出してほしい。でも無理強いは出来ないよ。」
 
「私・・・。」
 
 ウィローの目から涙がまたあふれたが、それを止めるかのように目を閉じ、唇をかみしめた。
 
「やってみる・・・。怖いけど・・・でもあなたと離れるのはいや!」
 
 ウィローは叫ぶようにそう言って、もう一度魔法の本を見た。
 
「お、やる気になったか?」
 
「はい、うまくいかないかも知れないから、ちょっと離れたところでやってみます・・・!」
 
 ウィローの手はまだ少し震えている。それを見ていたアクアさんが、ウィローの手から魔法の本を取り、ぱらぱらとめくった。
 
「ねえちゃんがやる気になったなら、おいらもちょいと手助けするかな。本当は最後に教えようと思っていた奴だが、ほら、先にこっちを読んでくれ。」
 
 アクアさんはそう言って、本を見せてくれた。
 
「これは・・・。」
 
「読めるか?」
 
「読めますね。」
 
「私にも読めます。」
 
「これは水の魔法の中でもかなり強力なやつだが、攻撃じゃなくて癒しのほうだ。まずはお互いに向かってかけてみてくれ。」
 
「は・・・はい!」
 
「わかりました。」
 
 私達は向かい合って、相手に向かってその呪文を唱えた。途端に優しく温かい空気にくるまれるような感覚がして、すうっと体が軽くなったのがわかった。
 
「すごい・・・。治療術とはまったく違う感覚ですね。」
 
「魔法ってのはな、人間の発する『気』に頼らず回復出来るんだ。治療術って奴だと、瀕死の奴に強力な呪文は使えないじゃないか。『気』にだけ頼る風水術や治療術って奴の一番の弱点がそこなんだよな。だが魔法はそんな事はないぜ。この魔法はにいちゃんにも使えるよな?お互いどんな大怪我しても、この呪文を唱えられるだけの力が残っていれば一発回復だ。エル・バールのブレス攻撃で丸焼きにされても大丈夫だぜ。」
 
「丸焼きにされたくはないですが、こういう呪文があると思えば心強いですね。ありがとうございます。」
 
「丸焼きになったら服まで燃えちゃうわ・・・そんな事にならないようにしなくちゃ!」
 
 ウィローの言葉に、アクアさんが笑い出した。
 
「ははは、ちょっとは元気になったみたいだな。でもあんたらそれぞれ、ブレスに抵抗できる何か、持ってるんじゃないか?多分裸にならなくて済む程度の防御は出来そうだよな?」
 
「あ、そう言えば・・・。」
 
 私は自分の指にずっとはまっているモルダナさんの指輪のことを話した。そしてウィローも、『ハース聖石』と呼ばれる飛竜エル・バールのウロコをはめた指輪を持っており、サクリフィア神殿の屋上でセントハースのプレス攻撃を受けた時、ほとんど怪我らしい怪我をしなかったのはそのおかげかもしれないと考えたことがあることも。
 
「あー、なるほどそういうことか。エル・バールに限らず、神竜のウロコは持つ者を守護するからな。へー・・・それなら、うまくいく可能性は少し上がったかもな。だが・・・にいちゃんのほうはちょっと心配だな。その指輪は確か古代のファルシオンで作られたお守りの一つなんだが、それほど強い力を持っているわけじゃないし・・・丸焼きになる心配がないとしても痛い目に遭えばそれだけにいちゃん達が不利だしな・・・。」
 
 アクアさんは少し考えていたが・・・。
 
「・・・あ、あんたらのそのマントとスカーフ、それってムーンシェイの村の織物だよな?」
 
「はい、これは村でいただいたんです。」
 
 私は森での出来事を簡単に話し、血で汚れたマントとスカーフの代わりにもらったのだと言った。またカインの姿を思い出す。でも不思議なことに、今の私達の心はとても穏やかで、血の海の中に倒れたカインの顔を思い出しても、それほど取り乱さずにすんでいるのだ。これはこの場所のおかげなのだろうか・・・。
 
「そうか・・・。あの騒ぎはおいらも聞いてるが・・・そのあんたの親友ってのが、剣に選ばれた1人だよな。そんな事で死んじまうとは・・・。」
 
 アクアさんが眉根を寄せた。
 
「まあ、ムーンシェイの墓に埋葬されたのなら、そいつの魂はきっと天の国で神々に迎えられてるよ。あの村を含む森一帯はシルバが直接守護している場所だからな。そしてそのマントもスカーフも、その場所で採れた綿花や、そこで育った羊の毛などの材料で織られているんだ。それだけで多少なりとも精霊の力が宿るのさ。雪が降っている中を歩いても積もったりしなかっただろう?」
 
「はい、不思議な布だねって、2人で話していたところです。」
 
「その布になら、ちょいと細工が出来るかな。どれ・・・。」
 
 アクアさんが私のマントとウィローのスカーフに手を触れた。そして小さく何か唱えると・・・。
 
「あ、光った!?」
 
「え!?」
 
 身につけたままのマントとスカーフが一瞬光り輝き、そしてまた普通の布に戻った。
 
「これなら、多分ブレスで燃やされずにすむぜ。水の力を少し宿らせただけだが、竜のブレスくらい跳ね返せるはずだ。だからって無茶はするなよ?」
 
「わかりました。ありがとうございます。」
 
「さて、おいらが出来るのはここまでだ。それじゃねえちゃん、さっきの呪文をその辺に向かって唱えてみてくれ。にいちゃんは万一に備えて、いつでも回復できるようにしておいた方がいいぞ。」
 
「はい。」
 
 さっきよりは落ち着いてきたと思うが、ウィローの心にはまだ恐怖が漂っているのがわかる。ウィローは今まで攻撃用の風水術を使ったことはないが、力はかなりあるんじゃないかと思う。でもこれから唱えるのは魔法だ。恐怖に支配された状態で、果たして力を狙い通りに制御できるのか、はなはだ疑問ではある。狙った場所に当たらないだけではなく、自分に返ってくる危険性もあるのだ。
 
「ウィロー、落ち着いてね。治療術と原理は同じだよ。精神統一、目標を定めてそこに向かって放つこと。」
 
 ウィローは黙ってうなずいた。そして私達から少し離れたところに立ち、深呼吸している。
 
 そして片手を上げて、道の先に向かって呪文を唱えた。が、その瞬間ウィローの不安が一気に膨れ上がったのがはっきりと分かった。
 
−−ゴォッ!!−−
 
−−ガガガガッ!!−−
 
−−バシッ!−−
 
 ウィローが放った呪文の一部がはじけ飛び、ウィローに向かってきた。
 
「きゃあ!」
 
 飛んできた氷の鏃がウィローに当たり、反動でウィローが倒れた。
 
「ウィロー!」
 
 とっさに回復の魔法を唱え、私はウィローに駆け寄った。氷の鏃は、すべて地面に散らばっている。先ほどアクアさんがかけてくれた不思議な呪文の効果か、そのすべてがスカーフで跳ね返されたらしい。
 
 ウィローは倒れたまま、がたがたと震えている。
 
「大丈夫!?」
 
 ウィローを助け起こした。ウィローは私にしがみつき、まだ震えている。
 
「ご・・・ごめんなさい・・・。呪文を唱えた途端に恐くなって・・・狙った場所にうまく当てられなくて・・・。」
 
「いきなり力を込めなくていいんだよ。最初は軽く、少しずつ強くしていけば。」
 
「・・・わかった。やってみる。」
 
 ウィローが立ち上がった。そしてまた深呼吸。でも・・・さっきよりは少しだけ、落ち着いている。私は後ろに下がり、何かあればすぐに回復の魔法を唱えられるところに立った。
 
 ウィローは今度は道の先に向かってさっきより軽めに呪文を唱えた。そしてさっきよりは少ない数の氷の鏃が次々と地面に突き刺さったが、はじけ飛ぶようなことはなかった。
 
(力を制御できるようになったかな。)
 
 最初に唱えた時、ウィローの心の中にはまだまだ恐怖が残っていた。それを振り払おうとするあまり、よけいな力がこもったのだと思う。自分で制御できないほどの力を込めて唱えたために、一部が暴走したのだろう。ウィローがもう一度呪文を唱えた。さっきよりは強めに。
 
「よし・・・これならもう少し・・・。」
 
 ウィローが小さくつぶやいた。
 
 
 そして何度か唱えているうちに、一番最初に唱えた時と同じくらいの力を込めて、道の先に魔法が放たれた。
 
−−ゴォッ!!−−
 
−−ガガガガガガッ!!−−
 
「うはぁ・・・こりゃすごい・・・。」
 
 アクアさんが感心したように言った。
 
 凄まじい風と共に、すごい数の氷の鏃が地面に突き刺さっている。ウィローはへなへなとその場に座り込んだ。私はもう一度回復の魔法を唱えて、ウィローのそばに行った。
 
「やったね。すごい力だよ。」
 
 ウィローは頷いて、大きなため息をついた。
 
「魔法は恐いほどの力だわ・・・。でも、正しく使えばきっと役に立つって・・・信じたいわね・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
 私はウィローが立ち上がるのを支え、にこにこと嬉しそうなアクアさんのところに戻った。
 
「いやー、ねえちゃんもすごいなー。ここまでの力を見せつけてやれば、テラの奴も文句は言わないだろう。」
 
「はい・・・。さっきはすみませんでした。」
 
 ウィローがアクアさんに向かって頭を下げた。その心の中には、まだ迷いも恐怖もある。それは隣にいる私にははっきりと感じ取れた。でも、ウィローは私と一緒に先に進むために、その恐怖を克服しようと頑張っている。私も出来る限り支えて行こう。
 
「いや、仕方ないさ。いいか?怖いと思う方が普通なんだからな?人間は、まだ"ヒト"だったころから恐怖という感情と戦ってきたんだ。"ヒト"は火を怖がらないというが、最初からそうだったわけじゃない。だが"ヒト"は叡智によって恐怖を克服し、火を手に取った。そこから"ヒト"の進化が始まったと言っても過言じゃない。あの時"ヒト"がただ恐がるだけで逃げていたら、今の人間社会なんて形成されていなかっただろう。だから、恐怖を感じたこと自体を恥じる必要なんてないんだよ。大事なのはその後だからな。」
 
 アクアさんはそう言って、持っていた魔法の本をウィローに渡した。
 
「この本の魔法全てを習得したところで、世界一の魔法使いになれるわけじゃない。どんなに強力な奴でも、人間に唱えられる魔法ってのは限られてるんだ。だが、この魔法と、あんたの剣と、そしてエル・バールを何が何でも説得しようというあんたらの強い気持ちがあれば、この先どんなことだって乗り越えられるさ。」
 
「わかりました。いろいろありがとうございました。」
 
「あとテラの奴だがな、もしかしたら、あんたらと正面切って戦おうとはしないかもな。」
 
「・・・どういうことですか?」
 
「さっきのにいちゃんとの勝負は剣だったから、おいらも鎧を着てそれなりに防御できた。でもあいつは剣は得意じゃないから、多分魔法であんたらの肚を見せろっていうと思うんだよ。だが魔法の場合、盾や鎧はあんまり役に立たないからな。やつのことだ、自分の体で受けようなんて殊勝なことは考えないだろうから、案外くだらない条件を出されるか・・・姑息な手を使われるか・・・。ま、何にせよ、気を引き締めて進んでくれよ。テラのいる場所はこの先の道を曲がった先だ。そこからだと今日の宿になる木のうろもすぐ近くだから、まあ多少テラの説得に時間を食っても何とかなるだろう。テラの奴がどう出たとしても、今あんたらが持っているその気持ちを信じて、進んで行けよ?」
 
「はい、お世話になりました。」
 
「がんばれよ。応援してるんだからな。」
 
 アクアさんは笑顔で手を振ってくれた。
 
 
 アクアさんと別れて、私達は道の先に踏み出した。
 
「不思議よね。話の内容は精霊の言葉そのものなのに、あの姿と全然違和感がなかったわ。」
 
 ウィローが言った。
 
「そうだね。どう見たって普通のかわいい男の子だもんなあ。」
 
 ふと、ローランにいたフィリスを思い出した。アクアさんの見た目は大体10歳から12歳くらいの子供だが、フィリスも成長すればあんな感じになるのかもしれない。
 
「はぁ・・・私ももっとしっかりしなくちゃ。」
 
 ウィローが言った。さっきよりは落ち着いているかもしれない。
 
「でも無理はしちゃダメだよ。慎重に進んで行こう。」
 
「ええ、そうね。」
 
 ウィローが笑った。
 
 
 しばらく歩いたころ、道の先に誰かが立っているのが見えた。あれがテラさんなのだろう。近づいていくと、それは大体30代後半くらいと思われる女性の姿だった。ヴェントゥスさんのような超越した美しさとはまた違った雰囲気を持つ女性だ。髪は黒く、長く伸ばしている。それをスカーフで包み、袖の長い暖かそうな上着とスカートを身に着けているその姿は、どこにでもいそうなごく普通の女性の姿だ。
 
「こんにちは。あなたがテラさんですね?」
 
「そうだよ。遅かったね。」
 
「すみません。」
 
「ああ、いやいいんだよ。大方アクアの奴が長話で引き留めたんだろう。人間と話すのなんて久しぶりだから、うれしかったみたいだよ。それに、剣での立合いも久しぶりだったからね、大分楽しかったようだよ。」
 
「アクアさんは素晴らしい剣の使い手ですね。得難い貴重な体験をさせていただきました。」
 
 ついさっきのことなのに、すでにアクアさんと私達のやり取りは知っているようだ。
 
「ふふん、あんたは素直だね。だが、あたしはあたしであんたの肚の中を見せてもらわなきゃならない。ここまで来たということは、覚悟は出来てると思っていいのかい?」
 
「この先にエル・バールがいるんですよね。」
 
「そうだよ。おそらくシルバから、今夜のねぐらの場所は聞いているだろう。そこを出てから、そうだねぇ・・・そんなにかからずたどり着けるだろうよ。」
 
「何が何でもそこまで行きます。そしてエル・バールを説得します。そのためにあなたと戦わなければならないというのなら、戦って、必ず勝ちます。」
 
「へぇ、言うことは立派だが、さてどうだろうね。それじゃ、魔法で戦ってみるかい?あたしはアクアみたいに剣は得意じゃないからね。とは言っても、自分の体で魔法を受け止めてたら痛いなんてもんじゃないからね。ふむ・・・。」
 
 テラさんは少しの間考えていたが・・・
 
「よし、それじゃちょいと待ってな。」
 
 テラさんは道の先に歩いていき、何か唱えた。その途端、地面から凄まじい勢いで土の壁がせり上がり、道をすっかり塞いでしまった。
 
「この壁を壊してもらおうじゃないか。あんたの持っている魔法でね。」
 
「これを・・・ですか・・・。」
 
 見たところ、土で固めた壁に見えるだけで、とても丈夫そうには見えない。だがこれが『地の精霊』の作り上げたものならば、一筋縄でいかないことは確かだ。
 
「触ってみてもいいですか?」
 
「ああいいよ。触ってもかじっても蹴飛ばしても殴っても、好きなようにいじってみておくれ。」
 
 テラさんはからかうような笑みを浮かべている。私は壁の前まで歩いていき、そっと手を伸ばした。ウィローも隣で壁を見ている。
 
「あ、硬い・・・。」
 
 見た目はただの土の塊だが、触ってみると驚くほど硬い。押してもびくともしない。
 
「硬いけど・・・でもさっき教えてもらった魔法なら、壊せそうな気がするけど・・・。」
 
 ウィローが言った。さっきアクアさんから教えてもらった魔法、そのほかにもヴェントゥスさんやイグニスさんから教えてもらった魔法があるが・・・
 
「でも土だからなあ・・・。」
 
 土は燃えても消えてなくなるわけではない。地の対極にある魔法と言うと風か・・・。
 
「テラさん、一つだけ教えてください。」
 
「はいよ。なんだい?」
 
「もしもあなたと戦うということになった場合、あなたはこの魔法で土の壁を作って防御するということですか?」
 
「ほぉ、察しがいいね。その通りだよ。あたしだってまともに魔法が当たったら痛い思いをするわけだ。そんなのはごめんだから、当たらないように工夫をする。あんただってその腕についている盾で、敵の攻撃を払うだろう?同じことだよ。」
 
「わかりました。」
 
 つまり、相手が動くか動かないかだけの違いということだ。ここは肚を括ってこの壁を壊さなければならない。
 
「ウィロー、離れてて。」
 
「大丈夫なの?」
 
 ウィローは不安げだ。
 
「大丈夫かどうかはわからないけど、やらなきゃここを通れないんだ。とにかく、やってみるから離れてて。」
 
「わかった。無理しないで。」
 
 ウィローは私の後ろに下がった。回復魔法が届くギリギリのところに立っている。壁が相手ではこちらが怪我する可能性は低そうだが、戦いには『想定外』がつきものだ。もちろん怪我しないように注意を払うつもりだが、万一が起きてもウィローがあてに出来るというのは心強い。
 
(剣を抜かずに戦うってのも変な感じがするな・・・。)
 
 標的は前方の壁。恐ろしく硬い、『精霊が作り上げた壁』だ。私は深呼吸して、ヴェントゥスさんに教わった風の魔法を唱えた。
 
−−ドォォォン!−−
 
 地面が揺れるほどの衝撃が壁を直撃したが、壁そのものはびくともしない。テラさんがひゅーっと口笛を吹いた。
 
「すごいねぇ。おぼえたての魔法をここまで使えるようになるなんて。しかも、地の魔法で作られた壁に対して風で対抗するところまで思い至るとは、なるほど、あんたは確かに剣に選ばれるにふさわしい人間だったんだねぇ。ただ、今のは本気を出してはいないね?」
 
 テラさんの瞳に鋭い光がよぎった。
 
「はい。どの程度の力がぶつかるのか予測出来なかったので、少し強めのつもりで唱えました。思った通り、びくともしませんね。」
 
「はっはっは!まだ余裕があるようだね。まあ頑張っておくれ。」
 
 私の言葉を、テラさんがどう思ったかはわからない。実は壁の強さを見くびっていると思われたかも知れなかったが、それは気にしないことにした。これがもしもテラさん自身との戦いで、目の前にこの壁が繰り出されたのだとしても、私は同じように制御して呪文を唱えるだろう。強い敵と戦う時こそ、一番に考えなければならないのが力の配分だ。最初だけ勢いよくても、すぐにへばってしまうのでは何にもならない。
 
(今の風で揺らせたんだから、もう少し強く・・・でも風だけでは限界がある。何度か風の魔法を唱えて、そこに水の魔法を併用するか・・・。)
 
 風水術『慈雨』も『飛花落葉』も風と水の効果を併せ持つ。風と水は風水術として最初にうまくいった呪文だとアクアさんが教えてくれた。ならば魔法だって風と水の魔法の組み合わせは相性がいいんじゃないだろうか。
 
 こんな考えが通用するのかどうかはわからなかったが、とにかくやってみるしかない。この壁を壊せなければ、私達はこの先に進むことが出来ないのだ。
 
−−ドォォォン!−−
 
 もう一度唱えた風の魔法で、壁の揺れが大きくなった。もう一度、さらにもう一度。魔法がぶつかるたびに壁の揺れは大きくなり、さっきからずっと吹いているクリスタルミアの強風でも揺らぐようになった。次に水の魔法を使おう。魔法は風水術より短い呪文で発動するが、消耗は魔法のほうが大きい。そう何度も唱えられない。私はあらん限りの力を込めて、風の魔法に続けて水の魔法を唱え、壁に向かって叩き込んだ。
 
−−ドォォォン!−−
 
−−ガガガガガ!−−
 
 揺れた壁にとうとう亀裂が入り、そこに水の魔法で繰り出された氷の鏃が次々に突き刺さった。壁は凄まじい音をたててついに崩れ落ち、そして・・・跡形もなく消えてしまった。
 
 その頃には私も足がふらつくほど疲れていて、めまいもするほどだった。その時ふわりと暖かい空気が私を包み、疲れもめまいも瞬時に消えた。ウィローが回復魔法をかけてくれたのだ。
 
「ふぅ・・・。」
 
 額の汗を拭って、私はテラさんを見た。テラさんは『やるもんだねぇ。』と言って笑った。
 
「さてと、ここで壁がくずれたら、次はあたしと魔法勝負・・・と行きたいところだけど、あんたの肚の中がわかればいいんだからここまでだね。下手に手加減すると、アクアみたいに負けちまいそうだし。」
 
 テラさんはそう言って、大げさに肩をすくめた。
 
「あんたのことは信用するよ。まずは、あんたの鎧だね。見せてくれるかい?」
 
「あ、はい。」
 
 私は鎧の胸当てを外してテラさんに渡した。
 
「ふむ・・・ここにあたしが・・・こうすれば・・・。」
 
 テラさんの指から蔓のような何かが伸び、今まで出会った精霊の長達が書いたらしい何かをなぞるように動いた。
 
「はい、出来たよ。」
 
 テラさんから返された胸当ては・・・元々の色の青を覆うようにうっすらと光り輝き、左側に何か文字が浮き出て見える。
 
「これは・・・。」
 
「この先あんたがどこに行っても、精霊達の加護を受けられるようにするための印だよ。これを持っている限り、あちこちのいたずら好きの精霊にからかわれたり、襲われたりすることはないだろうよ。ま、あたし達に喧嘩を売ろうって奴は別だけどね。」
 
「ありがとうございます。でもそんな精霊がいるんですか?」
 
「あんた、闇の精霊の話は聞いたかい?」
 
「はい、ずっと昔に戦ったという話は・・・。」
 
「ま、あの連中も今じゃあたし達に攻撃をかけてきたりはしないだろうが、精霊は四大元素とシルバだけじゃないしね。闇の精霊があれば光の精霊もある。そしてその連中は今じゃ完全中立で、人間達がどうなろうと一切手を出そうとしないんだ。だが、長達が不介入でも、下っ端の連中にからかわれることはもしかしたらあるかも知れないよ。まあ、さすがにその『印』のついたものを身につけている人間には、手を出したりしないだろうけどね。」
 
 身に着けてみると、さっきよりも暖かな光で包まれているような気がした。
 
「ありがとうございました。」
 
「礼を言われるほどのことじゃないよ。それじゃ、次はそっちのお嬢ちゃんだね。」
 
「はい・・・。」
 
 ウィローは、覚悟を決めたようにうなずいた。
 
「ほぉ、さすが剣に選ばれし者ってところかね。実際に剣を使うわけではなくても、この先に進もうって気があるなら、あんたの肚の中まで見せてもらわないとね。魔法は?どの程度まで使えるんだい?」
 
 ウィローはさっきアクアさんに教えてもらった魔法の話をした。そして、恐怖にかられて魔法を拒否しようとしたことまで・・・。
 
「なるほど・・・。ま、アクアの言ったことは確かだよ。人間にとって、恐怖という感情はあるのが当たり前。だから大きな力を目の当たりにして、恐ろしいと思ったこと自体を恥じる必要はない。まああんたはどうやら、それを克服しようと頑張ってるようだ。それじゃ、もう一段上のことをやってもらおうかね。」
 
 テラさんはそう言うと、さっき土の壁を作った場所まで歩いて行った。
 
「さて、あたしに向かって魔法をぶつけておくれ。」
 
「え!?」
 
 ウィローと私が同時に声をあげた。
 
「さ、さっきの壁みたいなのにぶつけるんじゃないんですか!?」
 
 ウィローは青ざめている。
 
「そっちのにいさんはね。見たところ肚も決まっていたようだし、あとは魔法の威力を見せてもらいながら、その決意が本物かどうか確認していたのさ。そして、それがわかったからこのにいさんのことは信用するって決めたんだよ。だけど、あんたの場合はまた別だ。あんたは恐怖の感情を克服しようとしているが、どこか迷っているようにも見える。その迷いはね、命取りになりかねないんだ。だからここでしっかりとあんたの決意を見せてもらうよ。」
 
「・・・そんな!出来ません!」
 
 ウィローが叫んだ。さっきまで落ち着いていた恐怖の感情が、また膨れ上がる。
 
「あらそうかい。それじゃこの先に進むのはあきらめるんだね。」
 
「そ・・・そんな・・・!」
 
「あんたみたいな肚が決まってないような奴をエル・バールのところに送り込むわけにはいかないんだ。覚悟を決めているというなら、それをきちんと示してもらわないとね。」
 
「だ・・・だけど・・・。」
 
 呆然としていたウィローが私を見た。すがるような目で・・・。
 
「おっと、そっちのにいさんは口出し無用だよ。別にこのお嬢ちゃんを傷つけようってんじゃない。ほらほら、あんたはそっちに離れていておくれ。これは、お嬢ちゃん自身の問題だからね。」
 
 確かに・・・ウィローが未だ迷っているのには気づいていた。さっきアクアさんのところで唱えたような魔法を、場合によってはエル・バールに向けて放つことも覚悟しなければならないということに、果たしてウィローが耐えられるか・・・。
 
 そして・・・今ウィローが望んでいるのは、私からの『優しい言葉』だ。大丈夫、連れていくからと、心配しなくていいのだと、私に言って欲しいんだと思う。でもそれではダメなんだ。私がかばってこのまま先に進めたところで、今のウィローはおそらくエル・バールと戦えない・・・。海鳴りの祠にいた時、ウィローは私にかばわれる存在ではなく、私と肩を並べて戦いたかったはずだ。そのために厳しい訓練にも耐え、王国軍の襲撃の時はその望みどおりに私と肩を並べ、しかも私を守ってくれた。あの時の気持ちを、ウィローだって忘れているわけじゃないと思う。ただそれよりも・・・
 
(初めて使った魔法の威力と、目の前の現実に気持ちが追い付いていけないんだろうな・・・。)
 
 強大な力を目の当たりにして、恐怖ばかりが先に立っているのか・・・。
 
「どこ向いてるんだい!?あんたはあたしと話してるんだよ!」
 
 テラさんの怒鳴り声で、ウィローはびくっとしてテラさんに向き直った。
 
「さあ選びなよ。あたしを魔法で攻撃するか、尻尾を巻いてシルバのところに戻るか。あんたの肚が決まらなければ、このにいさんには1人でエル・バールのところへ行ってもらうよ。やる気のない奴が何人いたって、助けにはならないどころか足を引っぱるだけだからね。」
 
 私は黙って後ろに下がった。ウィローには自分で答えを出してもらわなければならない。
 
「・・・わ・・・わかりました・・・。」
 
 私が何も言わずに後ろに下がったのを見て、ウィローは万策尽きたというように目を閉じ、テラさんに向き直った。
 
「よし、あたしはここに立ってるよ。目標が定まってるんだから、さっきの壁に向かって魔法をあてるよりは楽なはずだよ。あたしは攻撃しない。下手に魔法をあてちまったらあんたが死んじまうからね。さあ始めようじゃないか。」
 
 ウィローが魔法を唱えた。とても弱々しい声だ。放たれた魔法は狙い通りにテラさんに当たったが、テラさんは何事もなかったかのように平然としている。
 
「狙いは確かなようだね。でも今のじゃあ、あたしでさえ痛くもかゆくもないよ。もっと力を込めて、さっきはちゃんと唱えられたんだろう?あたしに向かってドーンとぶちかましてごらんよ!」
 
 テラさんは挑発するように笑った。
 
 精霊は怪我するわけでもなければ、死んだりすることもない。人の姿をしているが人と同じ血肉で出来ているわけでもない。
 
 だとしても!
 
 死なないから、傷つかないからと、その存在に向かってあの凄まじい攻撃魔法を放つのは確かに恐ろしいし、何よりつらい。
 
 『必要な時には鬼にもなれる心の強さ』を、今ウィローは試されているのだろう。ただ見ていることしか出来ない私もつらいが、1人で乗り越えなければならないウィローはもっとつらいはずだ。
 
 ウィローがまた呪文を唱えた。さっきよりは強い。まともに受け止めたテラさんが『ぐっ!』とうめいた。
 
 ウィローを包む『気』がゆらりと揺れる。
 
「ちょっとは効くようになってきたじゃないか。だが、まだまだだね!あたしを納得させられるだけの威力がなければ、あんたはここで足止めだよ!」
 
 ウィローの後ろにいる私には、ウィローの背中しか見えない。でも、ウィローが泣いているのがわかった。こんなことはしたくない。でもやめることが出来ない。折れそうな心を奮い立たせて、必死で呪文を唱えている。
 
 
 ウィローの放った何度目かの呪文がテラさんに炸裂し、テラさんの体が飛ばされて地面に叩きつけられた。
 
「きゃあ!!!」
 
 ウィローが悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちるように倒れた。私はすかさず回復の魔法を唱え、ウィローに駆け寄った。
 
 ウィローは地面に這いつくばるようにして、テラさんが飛ばされたほうを見ている。そのテラさんはしばらく動かなかったが・・・
 
「あいたたたたた・・・慣れないことはするもんじゃないねぇ。土人形でも作っておいとけばよかったよ。」
 
 そんな事をブツブツ言いながら、むっくりと起き上がった。
 
「よ・・・かった・・・。」
 
 ウィローの目から涙が溢れた。私もホッとしていた。今ウィローが最後にはなった魔法は、ものすごい威力だったと思う。いくら死ぬことがなくても、痛みだけは感じるのだという話は、さっきアクアさんから聞いている。普通の人間ならば間違いなく命はないような力を、ウィローのために自分の体で受けてくれた・・・。
 
「いやー、すごい威力だよ。お嬢ちゃん、あんたやれば出来るんじゃないか。」
 
「では・・・認めていただけるんですか?」
 
 座り込んだまま、ウィローが尋ねた。
 
「ああ、認めよう。これだけの力があれば、エル・バールにも届くだろうよ。あとはあんたが『必要に応じて』ためらいなくこの力を使えるならば、だけどね。」
 
 ウィローが頷いた。
 
「必要だと思った時は、ためらいません。私の迷いが、私だけではなくクロービスを危険に晒すことになる可能性がある限りは・・・。」
 
 ウィローの心に、何か強い決意のようなものが感じられるのだが、それが何なのかまではわからない。でも今回の、言うなれば『試練』を経て、ウィローの中で何かが大きく変わったようだ。
 
「さてと、それじゃもうひとつ、とっておきを教えるとしようじゃないか。」
 
「とっておき・・・ですか・・・。」
 
 そう言えば、地の魔法はまだ教えてもらっていなかった。その魔法は、もしかして今まで教わった魔法とは桁違いのものだと言うことなのだろうか・・・。
 
「まあ、威力としては他の3人から教わった魔法とそう変わらないんだけどね。あんた達がこれから向かう場所で使う限りは、とっておきってことになるかね。」
 
「これからというと・・・エル・バールのところですか?」
 
 テラさんが頷いた。
 
「そうだね。なんと言っても、エル・バールを殺せる魔法だからね。」
 
「・・・え・・・?」
 
 思いがけない言葉に、私達は呆然とテラさんの顔をただ見つめていた・・・。

第97章へ続く

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