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第97章 飛竜エル・バールの説得

 
「こ・・・殺せる・・・って・・・。」
 
 自分の声がかすれているのがわかった。あまりに思いがけない言葉に、頭の回転が追いついていかない。
 
「あんた、イグニスの呪文を使ってロコを殺しただろう?」
 
「・・・・・・・・。」
 
 声も出なかった。多分私は顔をこわばらせていたのだろう。テラさんはあきらかに『まずいことを言った』という顔をしている。
 
「そんな顔をしないでおくれ。別にあんたを責めようってんじゃないよ。ロコのことはあたしも感謝してるんだ。あんな姿になって、それでも死ねないってのは気の毒だったからね・・・。」
 
「だ・・・だけど・・・神竜を殺せる呪文なんて・・・人間が覚えていいんでしょうか・・・。」
 
 ロコのことは、仕方のないことだった、あれしか方法はなかったのだと納得しているつもりだ。でも・・・神竜を『殺せる』呪文なんて、これ以上覚えたくはないというのが本音だった。
 
「ま、あんたらの感覚なら、そう思うのも無理ないよね・・・。」
 
 テラさんがため息をついた。
 
「アクアからこの世界の成り立ちについては聞いたかい?」
 
「闇の精霊達との戦いの話ですか?」
 
「ああ、まあそんなところだね。それがどのくらい前のことかなんてのは、もう数え切れないくらいだ。その頃から今、あんた達人間の時代に至るまでの間に、知性を持って進化を続けてきた種族ってのは、竜族と人間だけなんだよ。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 テラさんはしばらく私達の顔を交互に見ていたが・・・。
 
「あんた達が納得出来る程度の話はしてやるよ。あんた達はもう、あたし達のことだって何も知らないんだもんねぇ。昔なら導師が何でも教えてくれたもんだけど、今神殿にいる導師ではなかなか難しいしね。」
 
 そう言って、近くの地面を指さして何か唱えた。すると地面が盛り上がり、2人くらいなら腰掛けられる程度の岩棚になった。
 
「そこに座っておくれ。地面に座るよりは疲れないだろう。」
 
 私達は岩棚に座った。
 
「イグニスさんから教えていただいた呪文は、あの呪文だけが特別なんだと思っていました。そして人間があの呪文を使えるのは、生き物達の中で唯一人間だけが火を怖がらないから使うことが出来るのだと。でも今の話を聞く限り、あれは不死のはずの神竜の命を奪うことが出来る呪文ということのようですね。しかもそう言った呪文は他にもあると言うことですか?」
 
 なんだかとんでもないことを聞いてしまったような気がする。
 
「そういうことだね。あんたの言うとおり、神竜の命を絶てる呪文て言うのは複数ある。まずは、なんでそんな呪文が存在するのかってところから話してやろうかね。」
 
「お願いします。」
 
 由来がわかったところでその呪文を使おうと思うかどうかはなんとも言えないが、使わざるを得ない状況になったとしても、何も知らないまま使いたくはない。
 
「そうだねぇ・・・あんた達がアクアから聞いたって言う、闇の精霊達との戦いの、随分と後だったかねぇ・・・。」
 
 テラさんが語り出そうとしたその時、近くで何か揺らめく気配があった。
 
「おや、珍しいねぇ。あんたに会うのは随分と久しぶりだ。」
 
 その気配に向かって、テラさんが言った。テラさんの口ぶりから察するに、この気配は敵ではないらしい。
 
「ふふふ・・・さて何時ぶりと聞かれるともう数えようがないだろうな。」
 
 物静かな男性の声がして、気配ははっきりと人の姿になった。黒い髪の、年齢としてはイグニスさんと同じくらいだろうか。もっとも、この『人』の気配もテラさん達と同じだ。精霊の1人なのだろうが、何の精霊なのだろう。
 
「で?何の用だい?中立のはずのあんたがここに用があるとも思えないけどね。」
 
 中立と言うことは・・・光と闇の精霊のどちらか・・・。普通の服を身につけているが、纏う『気』にほんのわずか昏い光が宿っている。もしや闇の精霊の長だろうか・・・。
 
「確かに用事というほどのものはない。だがアクアのところで私の話が出たと、眷属達に聞いたものでな。久しぶりに現れた『選ばれし者』に、少し目通りを願っておいたほうがいいかと思い、参上したというわけだ。」
 
 その男性は私達に向き直った。
 
「選ばれし者達よ、お初にお目にかかる。私はテネブラエ、闇を司る精霊達の長だ。見知りおき願おう。」
 
 私達は名を名乗った。テネブラエさん・・・なんて気安く呼ぶのが憚られるほど、礼儀正しい騎士とでも言うべき人だ。まあ人ではないんだけど。
 
(そう言えば、神殿の導師と似たような感じかな。)
 
 あの人も、とても礼儀正しい人物だった。
 
「ふぅん・・・まあいいけどね。これからこの2人に、あたし達と竜族の話をしようと思っていたんだよ。よかったら一緒に聞くかい?」
 
「ああ、聞かせてもらおう。今の時代、もはや選ばれし者を導く導師はいない。神々が直接手を貸すわけにも行かぬだろうから、我ら精霊が導くしかないのだからな。」
 
「おや、あんたとルセナは完全中立じゃなかったのかい?」
 
「無論それは変わらぬだろう。だが、中立なればこそ、我らとて人間達の滅亡など望まぬ。せっかくこの大地に芽生えた命だ。表だって手を貸すことはなくても、未来に向かって繁栄して欲しいと思うのは自然ではないのか?」
 
「なるほどね。ま、あたし達としては、あんたらに邪魔されないのはありがたい。それじゃ、聞いてもらおうかね・・・。」
 
 テラさんはそう言って、遠い遠い昔、闇の精霊達との死闘から随分と過ぎ、大地に森林が現れ、さらに海で生まれた生命体が少しずつ進化を遂げて、様々な動物が地上に繁栄していった時代の話をしてくれた・・・。
 
「・・・その様々な生命の中に、とても硬い鱗で覆われた皮膚を持つ種族が現れたんだ。最初は水の中と地上を往復していたようだけど、そのうち翼を持った個体が現れてね、あっという間に空を自由に飛び回るようになった。知能も高くて長生きだったから、神々が自分達の手足となってこの世界を見回ってくれないかと持ちかけたのが、そもそもの始まりだったよ・・・。」
 
 
 竜族と一口に言っても、空を飛ぶものばかりじゃない。海に棲むものもいれば、大地を闊歩するものもいた。この世界は広く果てしない。様々な場所に出向き、何か起こっていればそれを教えてほしい、最初に神々が竜族に持ちかけたのはそんな話だった。いわば『世界の見回り』を頼んだわけだ。竜族は快く受け入れ、神々への忠誠を誓った。そしてあたしら精霊とは『友人』として交流するようになった。あたし達にとっても、竜族達の協力は願ってもないことだったんだよ。実際、彼らはよく働いてくれた。おかげでこの世界がどうなっているのか、どんな構造でどんな場所があるのかがわかっていった。あたし達は彼らの働きに感謝し、魔法を教えたりしていい関係を築いていたよ。彼らが探索した大地、泉や川などに棲む精霊達がやって来て、あたし達と交流するようになった。火、水、風、地、全ての植物や木々、そして光と闇、それぞれの精霊達は、強力な魔法を持っていたあたし達の眷属となり、共に竜族と交流を深めていった・・・。
 
 それからしばらく過ぎて竜族も大分進化を遂げ、飛竜、地竜、海竜の3つの種族に分けられるようになっていた。その頃それぞれの種族をまとめていたのが、飛竜エル・バール、地竜セントハース、海竜ロコだった。元々竜族は長生きだったんだけど、その三匹の竜は特に長生きで、しかも同族の他の個体より体も大きく立派だったんだよ。そこで、神々が彼らに『自分達の僕として、このまま働いてくれる気はないか』と持ちかけた・・・。
 
 
「ではそれからずっとあの三匹の竜は神竜として神々の元で働いていると言うことですか?」
 
「それからしばらくして、だね。三匹ともその申し出には戸惑って、大分返事は遅くなったんだ・・・。」
 
「でも・・・神々に忠誠を誓ったなら、それは名誉なことだったのではないんですか?」
 
 ウィローが尋ねた。
 
「単に、僕として働くと言うだけだったならね。」
 
 テラさんが難しい顔で答えた。
 
「え?では何か・・・。」
 
「このまま働いてくれって言うことは、ずっといつまでもってことだよ。つまり、不老不死の命を授けるってことさ。」
 
「不老不死・・・ですか・・・。」
 
 ずっと黙っていたテネブラエさんが口を開いた。
 
「定命の者達の王辺りは、いつまでも権力の座にあるために不死の命を欲しがったりすることがあるようだが、ごく普通の者達は、さて不死の命を授けると言われてはいそうですかとありがたがれるか、と言うことだな。」
 
「ふん、まあそう言うことだね。あんた達どうだい?今日からいつまでも若く美しいまま歳をとらずに生き続けると言われて、うれしいかね?」
 
「それは・・・。」
 
 どうやら私達が聖戦竜と呼んでいる神竜達は、元々不死ではなかったと言うことらしい。どんなに長生きでもいずれ終わる命、例えばいきなりその時が訪れれば慌てたりじたばたしたりするのかも知れないが・・・それでも、そう簡単に首を縦に振るのは、なるほどなかなか難しい話ではないかと思う。
 
「・・・私なら多分、受けないでしょうね・・・。」
 
 自分だけ不死と言うことは、自分の親しい人ほとんどの死に立ち会わなければならないと言うことだ。どんなに仲良くなっても、どんなに愛していても、相手はいずれ年老いて死を迎える。なのに自分は歳をとらずにいつまでも生き続けなければならない・・・。大事な人達の死に直面するのはつらく悲しく、そして苦しいことだ。その苦しみを幾度となく繰り返さなければならないなど、考えただけで恐ろしい。
 
「もちろん、いずれ死は訪れるものだ、なんて達観出来ているわけではありませんが・・・。それでも、難しい選択なんじゃないかと思います。神竜達も、相当悩んだのでしょうね。」
 
 ふと・・・カインのことを思い出した。カインは本当に・・・生きることを望まなかったのか・・・。本当に・・・死を受け入れていたのか・・・。
 
「そうだな。その頃、竜族達は皆神々に忠誠を誓い、その言葉に異を唱えることなどなかった。それぞれの竜族の長達は、神々に選ばれるという栄誉をこの上なく喜びながらも、果たしてその申し出を受けてしまっていいものかどうか、かなり悩んだようだ。」
 
 テネブラエさんが言った。
 
「へぇ、けっこう見てたんだね。あんた達は竜族との交流についても中立を貫いていたから、そこまで知っているとは思わなかったよ。」
 
 テラさんが意外そうな目でテネブラエさんを見た。
 
「それはそうだ。竜族はこの大地に初めて現れた、知性を持った種族だからな。私もルセナも、興味深く見守っていたのだよ。」
 
「まあそれもそうか。それまでに現れた動物達とはあきらかに違っていたからね。」
 
「うむ、竜族が現れるまで、この大地に生きる動物達はみな小さくひ弱だった。だが、同じようにひ弱だったはずの動物が、あのように力強く逞しく進化するとはな。」
 
「そうだねぇ。神々が彼らに世界の見回りを頼むと言いだした時も、なるほどあの連中なら充分役目を果たしてくれるだろうと、あたし達も期待したものだよ。」
 
「テラさん、その時の竜族の代表達が今神竜として生き続けていると言うことは、二つ返事とは行かないまでも、結局その話を受けたと言うことですよね。」
 
 私の問いにテラさんが頷いた。
 
「まあそうだね。随分悩んで、神々のところに返事をするために現れた時には、三匹とも随分と難しい顔をしていたよ・・・。」
 
 
 
 神々の申し出を聞いた三匹の竜は、その時は考える時間が欲しいと言って去って行った。今まで自分達の頼みを快く引き受けてくれていた長達だが、定命の者達が不死の命をすんなり受け入れることは出来ないだろうと神々もわかっていたから、結論が出るまで待つことにしたんだよ。それで彼らが拒否すればその話はそれまで。もちろん神々は今まで通り、竜族に世界の見回りを頼むつもりでいた。それぞれの種族の長が死ねば、また新しい長に働いてもらう、そう考えていた。そしてしばらく過ぎた頃、竜族の長達は三匹揃って神々の元にやって来た。彼らの答は、神々の申し出を受けると言うこと、ただし一つだけ願いを聞いて欲しい、それが叶えられるなら、と言うことだった。
 
『我らはすでに充分長く生きております。しかし、どんなに長く生きたとしても、いずれは終わる命、そう思って今まで生きて参りました。この先不死の命を授かり、神々の僕として働けることは光栄の至りではございますが・・・。』
 
 エル・バールが言葉を濁した。神々はその意味を察したようだった・・・。
 
『恐れ多いお願いであることは承知しておりますが・・・我らを・・・不死となった我らの命を絶てる何かを所望しとうございます。』
 
 意を決したように言ったのはロコだった。
 
『どんなものでも構いませぬ。大いなる神々の力でも、竜族の爪でも、精霊の長達の強力な魔法でも・・・。』
 
 そう言ったのがセントハース。3匹からは、必死の思いが伝わってきた。今度は神々が悩み考える番だった。考えて考えて悩んで・・・そしてあたし達のところに相談に来た。
 
『いずれ終わる命と思えばこそ、彼らは生きる喜びを見出し、明日に向かってゆけるのだろう・・・。死にたくないと思うことと、死ねないと言うことは全く別のことではないかと思う。』
 
 そう言ったのはイグニスだったかね。
 
『ふむ・・・生死という概念すらなかった我らに、限りある命の輝きを教えてくれたのは彼ら竜族だ。願いを叶えてやりたいところだが・・・。』
 
 あの頃はまだ子供に化けたりしていなかったアクアも、考え込んでいたよ。
 
『そうだなあ。木々や植物も命ではあるが、誕生はあっても彼らのような死が訪れることはないからな。』
 
 あたし達の中で、唯一誕生と死という概念と関係していたのはシルバだったが、それでも動物や竜達の生死とは違う。
 
 だがみんなで話し合って一致したのは、彼らの望みを叶えるべきではないかと言うことだった。
 
 ではどんな力を、『彼らの命を絶てる唯一のもの』とするか。
 
 そこでまた迷ってね。竜達が言っていたのは『大いなる神々の力、竜族の爪、精霊の長達の強力な魔法』だが、あたし達が考えても、それ以外の方法はないような気がしたんだよ。
 
 だが・・・。
 
 『ではどれを、彼らの命を絶てる唯一のもの、とするか』
 
 そこでまた悩んだよ。その当時、人間どころかまだ"ヒト"の原型すらなかった。他の生き物達はあまりに弱く小さく、『竜族を殺せる何か』なんて持ってはいなかった。だけどね、同族である他の竜族に、『自分達の長を殺せる何か』を持てと言えるかい?だからって神々が指先一つで命を奪えるようなことにしてしまったら、下手すりゃ神々が竜族の命をもてあそんでいるように見えてしまうかも知れない。
 
『我らが肚を括るしかないのかも知れぬな・・・。』
 
 イグニスが言った。あたし達も、考えて考えて、そして最終的に出した結論が、『あたし達の持つ攻撃魔法を、彼らを殺せる唯一のものとする』ことだった・・・。
 
 
 
「そんな・・・。それでは精霊の皆さんに負担がかかるのではありませんか・・・。」
 
 テラさんが頷いた。
 
「まあそりゃそうなんだけどね・・・。神々やあたしらみたいに、死ぬという概念すらない存在と違い、彼らは海から生まれた生命から進化を繰り返してきた、あくまでも定命の種族だ。たくさんの生命が生まれ、やがて成長して子孫を残して死に、その子孫がまた成長して命を繋ぐ・・・。神々の申し出は、彼らの命の営みを根本からひっくり返すようなものだった。それでも神々の僕として働くことに同意した彼らに対し、その願いを叶えるのはあたし達の役目じゃないかって、そう思ったんだよ。神々を通じてその話が竜族の長達に伝えられ、それならばと言うことで、彼らは不死の命を授かり、神々の僕として働くことになった。飛竜族の長エル・バールは空の神の、地竜族の長セントハースは大地の神の、そして海竜族の長ロコは海の神の、それぞれの僕として、彼らはこの上なくよく働いてくれた。それでうまく行くかに思えた。いや、実際その後はうまく行っていたんだよ。三匹の竜は精力的に見回りをし、同じ種族の竜達に命じて遙か遠くの大地にまで足を伸ばして・・・。でも・・・。」
 
 テラさんは言いよどみ、大きくため息をついた。
 
「本当にそれでいいのか、あたし達の中にはまだ迷いがあった。不死となった神竜達を本当に『殺さなければならない』事態に陥る事があれば、あたし達は迷わず力を使う、それについては肚を括っているつもりだったんだけどね。竜達の働きによってこの世界の果てしない広さが明らかになり、それにつれて眷属達も増えてきた。遠い地の眷属達は、彼らは彼らで竜族と親交を深めている。なのに、どんな理由があれ、あたし達が竜族の長の命を絶つようなことになったら、下手をすれば眷属達の離反を招く・・・。『その時』が来た時、あたし達は彼らを納得させることが出来るんだろうか、そんな事ばかり考えていた時期もあったんだよ。」
 
「それも致し方なかろう。本当に彼らの命を絶つ事態になることなど、あると思わなかったからな・・・。」
 
 テネブラエさんがいたわるように言った。
 
「では、それで人間にその力を行使してもらおうと言うことになったわけですか?」
 
「まあそう言うことだね。三匹の竜が不死となり、神竜と呼ばれるようになってから・・・どれほど過ぎた頃だったかねぇ・・・。"ヒト"が現れたのは。」
 
「では、"ヒト"が人間と呼ばれるようになった時に・・・。」
 
 私の問いにテラさんが頷いた。
 
「知性を持ち、竜族とはまた違った進化を遂げた人間達には、あたし達精霊も多大な影響を受けた。こうしているこの姿も、言葉も、みんな人間達との交流の中で生まれたものだからね。アクアの剣だってそうだし、シルバの料理もそうだよ。しかも人間達は勤勉で、魔法を受け入れてしっかりと使いこなすようになった。その時、神々が言いだしたのさ。『神竜達が万一自分の命を絶ってくれと言ってきた時、その力の行使を人間に委ねよう』とね。」
 
「剣士殿、その話も、大分悩んだ末の結論だったのだよ。本来中立のはずの私と光の精霊ルセナまで呼び出されて意見を聞かれたほどだ。」
 
 せいぜい100年足らずの寿命しか持たない人間の身からすれば、神々も精霊も全てを超越した至高の存在に思えるのだが、彼らもこの世に顕れ出でてから、ほぼ手探りでこの世界の秩序を形作ってきたと言うことか・・・。
 
「でも・・・そんな事を頼まれたら、当時の人間達だって驚いたのではありませんか?」
 
 私の質問に、テラさんがその時のことを思い出したのか、頷いてため息をついた。
 
「もう驚いたのなんの、腰を抜かさんばかりだったよ。人間達にとって、竜族がただの『モンスター』だったなら話は簡単だっただろうさ。モンスターは人間の生活を脅かす、いわば敵だ。彼らを殺せる力を行使するのに、ためらわなかっただろう。だけど、彼らに取って竜族はあまりに大きく強大だった。それに、神竜達の存在は人間達も知っている。彼らの命を絶つことが出来る魔法を覚えて、しかも『その時』が来たらそれを行使して欲しいなんて頼み、最初はからかわれていると思ってなかなか信じてもらえなかったほどだ。」
 
「・・・そうでしょうね・・・。」
 
「神竜達もね、そう言うことなら直接人間達に話をしに行くべきかって言ったんだけど・・・竜族の住む場所と人間の住む場所は遠く離れているし、言葉も違うから意志の疎通はなかなか難しいだろうってことになってね。」
 
「でも200年前、エル・バールは全ての人間に対して思念波を送りましたよね?」
 
「ああ、あの頃はもうそこまで出来るようになっていたよ。でも苦労したんだよ?竜族の言語は人間の言葉とはまったく違うからね。」
 
「それでエル・バールの言葉はサクリフィアの人々全部に伝わったんですね・・・。」
 
 カインと別れる前、何気なく話していた疑問の答がこんなところでわかるなんて・・・。
 
「ああ、そうだねぇ・・・。あの時は全ての人間に直接話を伝えなくちゃってんで、エル・バールが人間達にもわかる言葉を使って思念波として送ったんだよ。」
 
 普段は神竜達も自分達の言葉で会話をするので、人間にはせいぜい『吠えている』程度にしか聞こえないそうだ。そして、その『吠えている』言葉を自分達の言葉と同じように聞き取れるのが剣に選ばれし者、と言うことらしい。神竜達の言葉が私にしか聞こえなかったのは、私になら普通に話しかければ理解出来ると思ってのことだったのではないかと言うことだった。
 
「だけど・・・その取り決めを人間達に伝え、彼らが了承したあとも、そんな力を行使する日が来ることはないだろうと誰もが思っていた。それについては、あたし達の考えが甘かったと言うしかないね・・・。」
 
 テラさんがため息をついた。
 
「しかし今回のようなことが起きると、誰に予測出来る?あの黒い鉱石から生まれる毒は、あっという間に川に流れ出し、あの渓谷の水を毒で侵した。神竜として、ロコは眠っていた海の底からあの渓谷に向かい、とにかく毒がこれ以上広がらないようにと体を張って止めようとした。だがまさか、あの毒があれほどまでに強力な毒だとは・・・。」
 
 テネブラエさんが沈痛な面持ちで言った。やはりロコは・・・あの毒を自分の体で止めようとしたのか・・・。
 
「大地の底で生まれたあの黒い鉱石の毒のせいなら、地の精霊の長であるあたしが始末をつけるのが筋だ。大地の神も出来るなら自分の手で始末をつけたかっただろう。だけど・・・あたしの魔法じゃロコは殺せない。ロコを殺せるのはイグニスの持つ火の魔法だけだ。だけど・・・。」
 
 テラさんは言葉を切り、思案するように目を伏せた。
 
「今の時代、選ばれし者が統治しているわけでもない。それどころか剣の所在さえわかっていなかった。・・・まったく・・・あたし達が人間達の前から姿を隠してしまったことで、人間とあたし達を結ぶものはサクリフィアの巫女姫や、その他の巫女の中でもある程度力のあるもの達に授ける神託しかなくなってしまったというのに、そのあとサクリフィアという国が事実上崩壊したことで、その結びつきまでも絶たれてしまったんだよね・・・。」
 
「あの時は、選ばれし者に類するほどの者はいないかと必死で探したな。ロコのあの状況を何とかするためには中立の何のと言っている場合ではない。私もルセナも眷属達から情報を集めていたものだ。」
 
「その時、剣の波動を、あたし達全員がほとんど同時に捉えた。だがまだ弱く遠い。それで、セントハースがその波動の出所を突き止めて、持ち主を確かめに行ったのが、多分あんたとあんたのお仲間が初めてセントハースに出会った時だね。」
 
「あの時の・・・。」
 
 ではあの時、セントハースは私の持つ剣の波動を頼りにクロンファンラに現れたというのか・・・。
 
「でも大分苦労したみたいだよ。人間達を傷つけるわけにはいかないし、でも剣の波動を感じられるようになったのがどっちの剣士の力なのかは慎重に見極めたかったしねぇ。」
 
 やはりあの時、セントハースは町を襲うつもりではなかったようだ。あの時感じたセントハースの思念を、あの時点で受け止められればまた事態は変わっていたのかも知れないが・・・。
 
「ま、そんな事をしているうちに、目を貫かれてしまって、あの時は大分慌てたみたいだったね・・・。でもまさにあの瞬間、剣があんたを選んだ。そして、あたし達はやっと、剣と、選ばれし者の行方を突き止められたってわけさ。」
 
「セントハースの目は、あの後よくなったんですか?」
 
 あの後セントハースに出会った時、特に片方の目が見えない風ではなかったが、やはり気になる。最初の出会いでは彼らの意図が理解出来なかったから仕方ないとしても・・・。
 
「大地の神に手当てしてもらって、しばらく休んでいたよ。それでよくなったようだね。しかしあんたも飛んでもないことを考えついたもんだね。よりによってドラゴンの瞳を貫こうとするなんて。」
 
「いや、あの時はその・・・何とかセントハースの動きを止めなければと必死だったもんですから・・・それで目なら、硬い鱗で覆われた体よりは傷つけやすいんじゃないかと・・・。」
 
 テラさんが『なるほど、確かに人間ならそう言う考えになるんだろうね』と言って笑った。
 
「どういうことですか?」
 
「人間の場合だと、体の中で唯一鍛えようがなく、そして何にも覆われていない柔らかい部分が目だからね。確かにそこを狙われれば大変だろう。ところが、ドラゴンの瞳ってのはね、この世でもっとも硬いと言われる石よりも、もっと硬いと言われているものなのさ。」
 
「え!?で、でも、この剣はそれほど抵抗もなく刺さりましたけど・・・。」
 
 あの時の感覚を思い出してみても、それほど硬いものに刺したという感触はなかった。
 
「その剣のほうが普通のものじゃないからね。もっとも、剣があんたを選んでいなかったら、もしかしたらうまくいかなかったかも知れないけど。」
 
 つまりこういうことだろうか。あの剣は私の剣として使われながら、真に自分を使役するにふさわしい持ち主を探していた。クロンファンラに私達が行った時に波動を感じたと言うことなら、その時、剣は私とカインのどちらかを持ち主とすべく見極めようとしていたのかも知れない。そこに、その剣の波動を感知した神々と精霊の長達の命を受けてセントハースが現れ、私達の力を試そうと戦いを仕掛けた。その戦いの最中に剣は私を選び、剣は本来の輝きと力を取り戻した・・・。
 
「そう言うことだろうね。ところがここで一つ問題が起きた。」
 
「・・・問題ですか?」
 
「そう、あんたは確かに剣に選ばれるにふさわしい使い手だったが、剣についての知識は何一つなく、しかも選ばれし者となってからも神竜やあたし達の思念を受け取ることが出来なかった。セントハースやロコの思念を受け取った時、気分が悪くなったと言っていたね。それで心理学者とか言う女のところに話を聞きに行ったんだろう?」
 
「はい・・・。」
 
「そのことはあたし達には予想外のことだったんだよ。今までの選ばれし者達は、剣に選ばれたその時から神竜や精霊達の声と言葉を受け取ることが出来ていたからね。」
 
「でも・・・精霊の皆さんの声は私だけでなく、ウィローにも聞こえていますけど・・・。」
 
 それどころか、ムーンシェイのシルバ長老は普段から村人達とごく普通に会話をしているような話だった。
 
「それは聞こえるように話しかけているからだよ。アクアから聞いたと思うけど、"ヒト"に魔法を教えるには言葉が通じないと話にならない。そこで、"ヒト"の言葉を解析して、話が通じるようにしたのさ。まあ最近では、精霊同士で話す時でもこの言葉を使うことが多いんだけど、神々と話す時は、おそらくあんたらにはまったく理解出来ない言葉でしゃべってるよ。ただ、あんたは何でセントハースやロコの言葉を受け取れなかったのか、そこがわからなくてねぇ・・・。」
 
「みんなでいろいろ考えたものなあ。一時はやはり選ばれし者と意志の疎通を図るのは無理かも知れないと、あきらめようとしたほどだ。」
 
 テネブラエさんが言った。
 
「そうなんだよね。ところが、あんたは自分からロコの言葉を受け取るために行動してくれた。ほんと、あの時は助かったよ。」
 
「あの時は・・・ロコの言葉が断片的にしか聞き取れなくて、しかも思念を受け取るたびに吐き気がひどくなっていましたから、どうにかしないと、そう思っただけのことです。それに、あの泉のほとりに住むおじいさんの言葉がなかったら、それも出来なかったかも知れません。」
 
「ああ、そう言えばアクアが言ってたねぇ。泉を大事にしてくれているから以前から気にかけていたらしいんだけど、あのじいさんも人の心を受け取る力が強くて、どうにもならなくてあの心理学者とか言う女のところを訪ねたらしいよ。」
 
「え、それじゃあのおじいさんの悩みというのは・・・。」
 
「まあ、そのじいさんは別に選ばれし者ってわけじゃない。ただ、どうもファルシオンの神官の一族に連なる家系らしくてね、人の思念を受け取る力が少し強かったらしいんだ。あのじいさんの場合は人だけらしいけど、誰彼構わず心の中の思念を感じ取ってしまって、それが夢にまで出てきてね、大分衰弱しちまったらしいよ。」
 
「それで・・・シェルノさんのところに・・・。」
 
「実はアクアが心配してね、それとなく人づてにシェルノの噂が伝わるようにしたらしいよ。ヴェントゥスも協力したようだけどね。」
 
 そしてあのおじいさんは旅立ち、シェルノさんのところにたどり着いたらしい。あのお孫さんがその話を知らなかったのは、彼女があの泉のほとりでおじいさんと暮らし始める少し前の話だかららしかった。
 
「でもあんたと違っていたのは、あのじいさんはその力を遮断したってことかね。」
 
「・・・遮断?」
 
「そう、人の思念を感じ取れなくなるように、催眠術をかけてもらったとか言う話だよ。」
 
「そんなことも・・・出来るんですね・・・。」
 
「まあそうだね、もっともあんたには無理だけど。」
 
 そんな事が出来るのならそうしてもらえばよかったと言う前に、テラさんが言った。
 
「どうしてクロービスには無理なんですか?」
 
 ウィローが尋ねた。私の力を消せるのなら、きれいさっぱり消してしまいたいと考えているのはウィローも同じだ。
 
「力の強さが桁違いだからだよ。兄さんの力は剣由来の力だ。催眠術程度で遮断なんて出来ないのさ。無理に遮断しようとしても、思念は受け取ってしまう。しかも今よりもずっとわけのわからない思念として入り込んでくるんだよ。そんなことしたら、気が狂っちまうよ。ま、そのシェルノって心理学者は、どうやら剣についてはまったく何も知らないようだけど、兄さんの力がかなりの強さだってことはわかったんだろう。だから遮断するよりも完全に目覚めさせることで、あんたの精神を保とうとしたんだろうね。その判断は正しいよ。学者先生に感謝するんだね。」
 
「・・・・・。」
 
「剣士殿にとってその力も剣も、何もかもが望まざるものだと言うことはわかる。だが、そろそろ肚を括ってもらうわけには行かないか。あなたは今、神々の地に導かれ、精霊の長と話をしているのだ。ここまでのことがあったあと、何も知らなかった頃に戻って普通の生活を送るというのは、無理だと思うのだが・・・。」
 
「・・・そうですね・・・。」
 
 いつまでも慣れない『力』
 
 剣とこの力に絡んで何か厄介なことが起こるたびに『こんなものさえなければ・・・』と思ってしまうのは、私自身の弱さのせいなのだろう・・・。
 
「まあ仕方ないさ。正直なところ、剣がここまで長い間姿を隠し続けるとはあたし達だった思ってなかったしね。剣の存在は、エルバール王家ではもちろん把握しているはずだが、王家の連中にとっちゃ厄介もの以外の何ものでもないだろう。人間達の王となるべき人物のみが選ばれて持つことを許される剣なんて、国王以外の、しかも普通の一般庶民が持ってるなんて有り得ないことのはずだからね。それに、兄さん、あんたがこの剣も力のことも厄介ごとだとしか思えないのは仕方ないとしても、この先の道を進んでエル・バールに会うことについては、今さら逃げようなんて考えてはいないんだよね?」
 
「そんな事は思いません。それに、逃げるならもっと手前で逃げてますよ。」
 
 もしもここにカインがいてくれたら、もう少し肚を括れていたかも知れないとは思うが・・・。
 
「ならいいさ。とにかく今は、エル・バールを思いとどまらせること。全てはそれからだ。奴も頑固だからねぇ。」
 
「人間の時間で言う200年前の戦いでも、神々よりも彼の説得に一番時間がかかったくらいだからな。」
 
 テネブラエさんが苦笑しながら言った。
 
「まったくだ。まあ気持ちはわからなくもないよ。あの頃サクリフィアを統治していた王の心には、神々への敬いも自然に対する畏敬も、何一つなかったんだからね。」
 
「そんな・・・。それじゃ、サクリフィアの人々は神々を敬う心を忘れてしまっていたんですね・・・。」
 
 ウィローが悲しげに言った。
 
「ああ・・・あの頃の王・・・いや、王ばかりじゃない、人々がもう少し神々を敬い、その言葉に耳を傾けていたら、あんた達が聖戦と呼ぶような戦いは、もしかしたら起こらなかったかも知れないんだよ。」
 
「・・・そうなんですか?」
 
 これは初めて聞く話だ。
 
「うむ・・・あの当時は、鉱山周辺に限らず、今の時代に人間達がハース渓谷と呼ぶ谷を越えたあたりの川も泉も、真っ黒で異臭を放っていた・・・。今よりもずっと汚染の度合いはひどかったわけだ。さすがに見過ごせなくて、アクアが眷属達と共に浄化をして回り、取りあえず汚染を食い止めていたおかげで、かろうじて都の中にまで流れ込むと言うことはなかったが・・・それがかえって裏目に出てしまったのだよ・・・。」
 
 テネブラエさんの口調に、いささか呆れたような響きが籠もった。
 
「裏目に?」
 
「ああ、人間達だってバカじゃない。あの黒い液体がどれほどの毒性を持つ物か理解していた。だからあの液体を処理する手立てがない中での鉱石の製錬に、異を唱える勢力がなかったわけじゃないんだ。ところが、大量の液体が流れ込んだにしては、泉も川もそれほど汚染されていない。つまり、それほど大した毒性はないんじゃないかと、人間達はそう考えたわけさ。」
 
 テラさんが忌々しそうにあとを続けた。
 
「そ・・・そんな・・・。」
 
「ひどい話だろう?だけど、あたし達精霊は人間達に姿を見せるわけにはいかない。アクアが極秘裏に水を浄化しながら、神々達が当時の巫女姫にお告げとして採掘をやめるよう言ってたんだが・・・。」
 
「あの当時の巫女姫・・・シャンティアという娘だったか、かなりの力のある巫女姫だったが・・・残念ながら時の王が小物でな、『いつ何時選ばれし者が攻めてくるかわからない』と言い張って、巫女姫の言葉にも耳を貸そうとしなかった。挙げ句に、水を浄化しているのが精霊の力だなんて証拠がどこにある、あの液体に大した毒性がないだけのことだとか言いだしたというわけだ。」
 
「・・・来るかどうかもわからない剣の使い手を恐れてですか・・・。」
 
 テラさんとテネブラエさんが頷いた。
 
「まったくばかな話だよ。目の前で国民が大変な目に遭っているというのに、それは間違いなく国家存亡の危機なのに、王の心にあったのは・・・自分の地位と富に対する執着、それらを脅かすものへの恐怖、そんなのばかりだった。奴には国民が見えていなかった。あの時の戦いでエル・バール達が一番始末したかったのは、あの王だろうよ。残念ながら生き残っちまったようだけどね。」
 
「ということは、当時のナイト輝石による汚染はかなり大規模だったんですね。」
 
 今回の汚染が大したことはないなどと言う気はもちろんないが、それにしても当時の汚染の度合いと比べるとどうにも規模が小さいと思える。
 
「まあそうだね。あんたいいところに気がついたね。実を言うと、そこが今回エル・バールを説得出来るポイントになるかも知れないんだよ。」
 
「・・・どう言うことですか?」
 
 説得出来る材料は多いほうがいい。きちんと話を聞いておこう。
 
「あんたの言うとおり、昔のあの黒い石による汚染はかなり大規模なものだった。何十年もの間あの鉱石を掘り続け、流された汚水が長い時間をかけて川に海に流れだし、動物や植物を蝕んでいった・・・。そしてついに神々が立ち上がり、神竜達が率いる動物達が人間の町を襲った。あんたらが聖戦と呼ぶその戦いで打ちのめされた人間達は、鉱山の坑道を埋め戻し、放棄した。それ以降新たな汚染が起きなかったおかげで、何とかアクアの浄化が間に合って、少しずつ環境は美しさを取り戻したんだ。だが、今回はちょいと様子が違う。あの黒い鉱石が再び掘り出されてわずか3年だ。汚染が広がっているのは、鉱山とあの処理施設の周辺、あとは海のほうが少し、その程度なんだよ。」
 
 確かにそうだ。少なくとも、南大陸に来るまであんな黒い水が流れている川なんて見たことがなかった。北大陸の人達は、南大陸の川や海の汚染なんて何も知らないだろう。
 

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