小説TOPへ ←前ページへ 次ページへ→



 
 どうだと聞かれても何とも言いようがなくて、曖昧な返事をしてしまった。アクアさんは吹きだし、次に大きな声で笑い出した。
 
「あんたおもしろい奴だなあ。さあて、それじゃ行くぜ。あ、そっちのねえちゃん、あんたウィローだったよな。あんたは今回、このにいちゃんの回復だけにしておいてくれ。手出しはするなよ。これは1対1の真っ向勝負だからな。」
 
「え、でも回復はいいんですか?」
 
 ウィローが驚いて尋ねた。さっきからの話の流れで、アクアさんは私と1対1で勝負したいのだなと言うことはわかったから、ウィローには見ていてくれるように言うつもりでいた。多分ウィローもそう考えていたと思うのだが・・・。
 
「そりゃいいさ。人間は怪我すれば死んじまうからな。おいらは別に怪我したり傷ついたりはしないんだ。まあ痛いのは痛いんだがな。だから、その剣で思いっきり斬りつけたっていいぜ。」
 
「でもそれで勝負になるんですか?」
 
 正直なところ、剣での勝負というのは私にとってありがたいことだった。だが、切っても怪我しない死なないと分かっている相手になら、いくらでも剣が振るえてしまう。それは公正な戦いとは呼べないような気がした。
 
「おいらが知りたいのはあんたの肚の中だ。イグニスやヴェントゥスから何を聞いたかは知らないが、おいらは別にあんたにも人間にも恨みはない。いささか腹は立っているがな。さあ行くぞ。あんまり時間がかかると、テラの奴に怒られちまう。」
 
「わかりました。お願いします。」
 
 私は肚を括ることにした。こちらとしてもグズグズしてはいられない。昨日長老の家を出る時には、まだエル・バールが眠りから覚めた気配はないと言うことだったが、今この時はどうなのかわからないのだ。もしかしたらアクアさんは知っているのかもしれないが、だとしても、教えてくれるのはこの戦いのあとだろう。
 
「ウィロー、そこで見ていて。回復のタイミングは君に任せるよ。」
 
「わかった。頑張って、クロービス。」
 
「彼女の声援つきじゃ、こりゃおいらは不利だな。さあ、行くぜ!」
 
 アクアさんの剣は両手持ちの大剣だ。
 
「おらおらおらおらぁ!」
 
 最初からブンブン振り回して突撃してくる。しかし、それは無謀に突っ込んで来ると言うわけではなく、最初から私の急所を正確に狙って剣を振り下ろしてくるのだ。危ういところで避けた。
 
「あ、くそっ!外したか!」
 
 当たらなかったと見るや、アクアさんは素早く構え直し、次の手を繰り出してくる。この素早さ、大剣の扱い方、なんだかオシニスさんとライザーさんのようだ。あの2人を足して2で割らなければ、こんな風になるのかも知れない。
 
(なんだかあの2人と訓練しているみたいだ・・・。)
 
 実力差は歴然、それでも必死で食らいついていったあの頃のように、私はアクアさんに持てる全てをぶつけていかなければならない。
 
「へぇ、剣に選ばれたのは伊達じゃないな。いい太刀筋してるぜ。しかも防ぎにくいなあ。」
 
 ランドさんにも同じことを言われたっけ。いや、それより何より、こんな風に剣をふるって訓練のように誰かと戦うなんて久しぶりのことだ。カインとの戦いは・・・命のやりとりだった。あの恐ろしい記憶が一瞬脳裏を駆け抜けたが、目の前の戦いに集中しているせいか、今は恐怖に支配されてしまうようなことはなかった。
 
「おおっと!危ねぇ危ねぇ!」
 
 私の剣がアクアさんの胴に命中した。
 
「お返しだ!」
 
 アクアさんの大剣が私の肩に振り下ろされ、ほんのわずか避けきれず肩をかすった。
 
「ぐっ!」
 
 かすっただけとは思えないほどの衝撃で、思わず私は声にならない声をあげた。すかさずふわりと優しい『気』を感じた。ウィローの治療術だ。離れた場所からでもかけられる、『光の癒し手』を唱えてくれたのだ。
 
「クロービス、頑張って!」
 
「ありがとう!」
 
 アクアさんが剣の使い手として素晴らしい腕を持っているのはよくわかった。たぶんこれでもかなり手を抜いてくれているのだと思う。滑って体勢が崩れたり、転びそうになったりした時、アクアさんは私が体勢を立て直すまで待っていてくれる。これはもう戦いではなく訓練だ。何も考えずにひたすらに訓練を重ねて、自分の腕が上がっていくのが楽しみだった頃のことを思い出し、なんだかこのままずっと戦っていたくなったほどだ。
 
 だが時間は待ってくれない。ここで手間取ればテラさんに会えるのも遅くなる。エル・バールが目覚める前にクリスタルミアの奥までたどり着かなければならない。
 
 エルバール北大陸では、仲間達が自分達の国を守ろうと今この時も必死に戦っている。サクリフィアの人達、ムーンシェイの村の人達は、どこの馬の骨ともしれない新参者の私達を暖かく迎え入れて、ここまでたどり着けるよう手助けしたくれた。ウィローと私の故郷には、懐かしい大切な人達が今日も穏やかに暮らしているだろう。そのすべての人達のために、何があってもこの世界を滅ぼさせるものか!
 
「うひっ!痛ぇ!」
 
 私の剣がアクアさんの小手に命中した。私は間髪を入れずにもう一度剣を振り上げ、この戦いを終わらせるべく同じ場所に剣を振り下ろした。
 
 
 ガランと音を立てて、大剣が地面に落ちた。
 
「あ〜あ、負けちまったか。ちぇっ!手加減しすぎたかなあ。」
 
 剣の当たった手をさすりながら、アクアさんは剣を拾い上げた。
 
「ありがとうございました。こんなことを言ったら失礼かもしれませんが、とても楽しかったんです。昔、先輩達に剣の稽古をつけてもらっていた時みたいでしたよ。」
 
 私は心からの感謝をこめて、頭を下げた。本当に・・・とても楽しい時間だった・・・。
 
「そうか?」
 
 アクアさんは照れくさそうに笑って、
 
「さてと、あんたの肚の中はわかった。まさか負けるとは思わなかったがな。元の姿に戻るからちょいと待っていてくれ。」
 
 そう言うと、またバシャッと音がしてその姿が一瞬消え、次に現れた時には最初に会った時の子供の姿に戻っていた。
 
「こんなとこかな。その辺に座ってくれよ。冷えない程度にしておいたからな。」
 
 私達はおそるおそるアクアさんの向かい側の地面に座ってみたのだが、なるほど雪と氷に覆われているとは思えないほど、冷たいと感じない。温かいわけではないが、これならば座っていても体が冷えることはなさそうだ。
 
「あんたイグニスとヴェントゥスから持ち物の何かに印をつけてもらってないか?」
 
 アクアさんが尋ねた。私は鎧の胸当てにその『印』をつけてもらったことを話した。
 
「よし、おいらもあんたを信用するよ。だから胸当てを貸してくれ。」
 
 私は胸当てを外してアクアさんに渡した。イグニスさんとヴェントゥスさんがやっていたように、アクアさんの指先からも細い水の流れが出て、私の胸当てに何かを刻んだ。だがやはり胸当ての表面には傷一つなく、何がどうなっているのかはさっぱりわからなかった。
 
「これでよし、と。あとはテラの奴がここに『印』を入れてくれれば、うっすらとだが表面に文字が見えるようになるぜ。」
 
 受け取った胸当てを身に着けると、やはりほんのりと暖かい。とても優しい暖かさだ。
 
「ありがとうございます。信じていただけてうれしいです。」
 
「さっきも言ったが、おいらは別にあんたに限らず人間達を憎んだり恨んだりしてるわけじゃない。ま、過去にそう言う感情を持ったことはあるし、今だって腹が立っていることはいくらでもあるけどな。だから剣が選んだ奴がどんな奴なのか、自分の目で見て確かめたかったのさ。ただ・・・。」
 
 アクアさんが言い淀み、小さくため息をついた。
 
「あんたを前にしてこんなこと言うのもなんだが、やっぱりその剣を人間達に渡したのは、あんまりいいことじゃなかったような気がするんだよなあ。神々としては親心だったんだろうけどな。」
 
「精霊の皆さんにも、それぞれいろいろな考えがあったということですか?」
 
「そりゃそうだ。だいたいな、あの時指導者の地位に就いていた男は、魔力が高くて魔法を操るのがうまいってだけの奴だ。奴をこのまま指導者として仰いでいくのは不安だと、そう思っていたのは人間達だけじゃないぜ?だがあのころ、人間達の社会は既に魔法ありきの文明社会だった。何かにつけて魔力の高さや魔法の適性が重んじられていた。そしてその指導者を選んだのは人間達自身だ。人間が自立していくためには、そこに神々やおいら達が口を出してはいけないんだってことで、黙らざるを得なかったのさ。それにその指導者の男だって悪い奴じゃない。そいつなりに指導者として頑張ろうとは思ってたんだ。だからそのままでよかったんだよ。神々やおいら達が姿を隠すことで、そいつの指導者としての器が問われることになるなら、それはそいつ自身の問題だ。」
 
「でも悪い人物でなかったなら、地位を追われるようなことにはならなくてすんだのではないですか?」
 
「さぁてなあ・・・。悪い奴ではなかったがずるい奴だったとは思う。その剣だってな、『人間達の心の拠り所となって、なおかつ間違いのない後継者を選んでくれるように』とかもっともらしいこと言ってたが、要は自分が生きてる間の地位を保証してくれて、死んだあとは文句を言われなくて済むよう後継者も選んでくれる、便利な何かがあればいいなってことだぜ?地位を追われたくなければ自分で頑張りゃいい話だ。そして死にそうになったなら後継者くらい自分の責任で選べばいいじゃないか。少なくとも、"ヒト"の社会ではずっとそうして暮らしてきたんだ。」
 
 アクアさんがもう一度ため息をついた。
 
「なーんて話を、今さら言ってみたところでどうにもならないんだけどな。」
 
 当時どんな議論が交わされたにせよ、剣は作られて人間達に授けられた。神々も精霊達も、その剣が人間達を導き、彼らの社会がますます繁栄していくことを願っていたということだが・・・
 
「神々やおいら達に誤算があったとすれば、人間達の欲を甘く見ていたってことかもな。」
 
「ファルシオンとサクリフィアの話以前にも、揉め事はあったと言うことですか?」
 
「そりゃあったさ。数が増えればいろんな奴が現れる、それはあんたらにもわかるだろ?みんながみんな助け合い譲り合いなんてことを考えていたわけじゃない。自分さえよければ他の奴なんてどうでもいいって考える奴らも随分いたよ。その剣にしたって、何度も盗まれそうになったしな。」
 
「でも盗んだところで、剣に選ばれるわけではないと言うことはわかってるんですよね?」
 
「別に選ばれたくて盗もうとしたわけじゃないよ。あんたはどう見ても欲がなさそうだが、その拵えが今の時代の技術ではもう再現出来ないくらい、すごいもんだって言われてることくらいはわかるだろ?そりゃおいら達が作ったんだから、人間達の技術ではどう頑張ったところで再現出来るものじゃないさ。だから盗賊達にとっては垂涎の的なんだよ、その剣は。選ばれし者が身につけている剣という存在は知っていても、それを実際に見たことがある奴なんてそんなにいないんだ。古代の墓から掘り出した宝剣とでも言って売り飛ばしちまえば、けっこうな金になるんだぜ?」
 
「あ、そうか・・・。お金目的で・・・。」
 
 そう言えば、砂漠で盗賊に襲われた時、その中の1人がこの剣にかなり興味を示していた。
 
「ま、そんなにごてごてした飾りはつけなかったから、見た目はそれほど派手じゃないんだよな。だからその剣の良さがわかるってのは、なかなか見る目がある奴だってことなんだが、そう言う奴は大抵ろくな奴じゃない。まったく情けない話だ。」
 
 アクアさんが大げさに肩をすくめた。
 
「さてと、長話してるとテラの奴が怒り出すから、そろそろおいらの持ってる魔法をあんたに教えるか。魔法の本を持ってるって聞いたんだが、見せてくれよ。」
 
 私は荷物の中からあの魔法の本を取り出し、アクアさんに渡した。
 
「いやー、懐かしいなあ。またこの目でこう言う本を見ることが出来るとはね。」
 
 アクアさんはとても楽しそうにページをめくっている。その姿は本当に、好奇心旺盛な子供そのものだ。
 
「アクアさんはその姿が元の姿だと言うことですが・・・。でもさっきみたいに大人にもなれるんですよね?」
 
「ん?ああ、まあそうだな。別においらだけじゃないぜ。イグニスだってヴェントゥスだって、シルバだってどんな姿にもなれるぞ?だいたい精霊には年齢だの性別だのって言う概念は、本来ないからな。」
 
「あ、そう言われれば確かに・・・。」
 
「性別なんてのは、子孫を残すために必要だからそう言う仕組みになってるんだ。年齢なんてものは定命の人間達だからこそ数えるもんさ。それでいったらおいらなんて、もう数え切れないくらいの歳だぞ?」
 
 アクアさんが笑った。
 
「おいらがこんな姿をしてるのは、最初に人間達・・・まああの当時はまだ"ヒト"って呼んでたんだがな、そいつらの前に姿を現すのに、出来るだけ警戒させないような姿で行こうって話が出たからさ。本来の姿で行ったりしたらどうなってたと思う?こんなだぞ?」
 
 アクアさんはそう言って立ち上がると、私達から少し離れた場所に立った。バシャッと音がして、そこに現れたのは・・・
 
 かろうじて「人型」ではあるが、全身を水が流れるように取り巻いている。顔の部分と思われる場所には目も鼻も口もない。イグニスさんが本来の姿に戻った時の姿と似ているが、あちらは炎で、こちらは水で覆われている、そんなところだろうか。なるほどこの姿でいきなり現れられたら、誰だって驚くし、逃げ出す可能性のほうが高そうだ。
 
「このカッコで現れてみろ、腰抜かされるか攻撃されるかどっちかだぞ?最初に怯えさせちまったら、あとでどんな姿になったってもう対等に話なんて出来やしないじゃないか。だから一番相手が警戒しなそうな、子供の姿で行くことにしたのさ。」
 
 またバシャッと音がして、子供の姿のアクアさんが現れた。
 
「あんたがサクリフィアの村長から聞いたって言う昔話のことはおいらも聞いたが、その話で言うところの『聖戦竜達を"ヒト"の元に遣わして様々なことを教えた。』ってところだな。」
 
「ということは、"ヒト"に最初にいろいろと教えたのは聖戦竜ではなかったんですね。」
 
「そりゃそうだ。あんたセントハースとロコは知ってるんだろう?あんなバカでかい奴がいきなり現れて、ちゃんと話ができると思うか?でかい分だけ、おいら達が本来の姿で現れるよりタチが悪いかも知れないぜ?」
 
「そ、それは確かに驚くでしょうね・・・。」
 
 セントハースを見たクロンファンラの人々は、あの咆哮を聞く前から震え上がって座り込んでいたし、ウィローだって初めて見た時には足がすくんで動けなくなった。自分達だけで平和に暮らしているところにあんなに大きな生き物が現れたら、それが敵か味方かなど考える前に逃げ出してしまうだろう。
 
「神々の提案で、"ヒト"にいろいろと教えることになった時、最初に"ヒト"にのところに話をしに行ったのが、テラとおいらとイグニスだったんだ。"ヒト"の暮らしに一番関わりが深いからな。」
 
「でもイグニスさんはあの姿だったんですよね?」
 
「ああ、そりゃみんなして子供の姿で行ったら、逆に信用してもらえないじゃないか。こんなところで遊んでないで親の手伝いをしろ!なんてな。」
 
 この話にウィローが笑い出した。
 
「そうですよね。それじゃ、テラさんと言うのは、その時はどんな姿だったんですか?」
 
「あいつは一番得体が知れないんだ。年寄りになったり若くなったり、男にも女にもその時の気分で変わるからな。あの時は・・・年寄りまでは行かないが、けっこう歳の行った女の姿をしていたような気がするなあ・・・。竜族を"ヒト"に紹介したのは、それからだいぶ経ってからだよ。それも出来るだけ小さめの個体から会わせて行って、大体その大きさに慣れたころに神竜を紹介したのさ。それだって"ヒト"はだいぶびっくりしてたがな。」
 
 そう言いながらアクアさんはめくっていた魔法の本の中から、どこかのページを探し出した。
 
「お、あったあった。なあ、これ読めるか?」
 
 差し出された本のページをウィローと2人でのぞき込んだ。その呪文はパッと見た途端、頭の中に焼きつくように読むことが出来た。
 
「読めますね。」
 
「私も読めるわ。私にも使えそうな魔法なんですか?」
 
 ウィローにも読めたようだ。
 
「これはそんなに難しい奴ではないからな。どっちかってーと、旅のお助け魔法みたいなもんだ。読めたなら覚えられるよな。そっちの地面に向かって、あんまり気負わないで唱えてみてくれよ。」
 
 妙な言い方だが、私達は言われたとおりの場所に向かって、出来るだけ軽く、その呪文を唱えた。
 
「え!?」
 
「あ!?」
 
 唱えた場所の地面から、突然水が噴水のようにひゅーっと噴き出した。
 
「この魔法は旅の途中で、どこででも地下の水脈を探し当てられる呪文さ。うまい具合に泉や川が見つかればいいが、なかなか難しい時もあるからな。水浴び出来るほど大量の水は呼べないが、例え砂漠の中だって飲み水くらいは確保出来るぜ。水脈自体がない場所もあるから、いつでもどこでも好きなだけ水が使えるってわけではないけどな。それと、水を呼び出したら必ず皮袋に汲んでおけよ。あと、唱える時は今みたいに軽く唱えてくれよ。あんまり気負いすぎると飛んでもない水が噴き出すぞ。ずぶ濡れになっちまったら大変だからな。」
 
 この呪文は、地下の水脈から魔法で作った道のようなものを通して、地上に水を呼び出すというものらしい。呪文で作った魔法の道はしばらくすると消えてしまう。だから井戸から水をくみ上げるようにいつでも水が使えるようになるというわけではないそうだ。そして、この呪文は『どうしても水場が近くに見つからない時』のためのものなので、水場がある場所では使わないようにとも念を押された。
 
「飲んでみてくれよ。うまい水だぞ。」
 
 私達は昨日使った分だけ減っていた水用の皮袋に水を汲み、一口飲んだ。この味は・・・。
 
「これは、もしかして北大陸にある不思議な泉の水と同じでは・・・。」
 
「あと、サクリフィア神殿の手前にある森の中の水も同じ味だと思うわ。」
 
 私達の言葉に、アクアさんが驚いたような顔をした。
 
「ん?ああ、サクリフィア大陸のあの森もそうだが・・・あんたらあの泉に行ったことがあるのか。」
 
 アクアさんにとっては、あの泉に行ったことがあるということのほうが驚きらしい。
 
「はい、実は・・・。」
 
 私は剣士団に入ったばかりの頃、カインと2人で南地方に迷い込み、不思議な泉のある森に行き着いたのだという話をした。
 
「へえ・・・何でも男なのにえらくきれいな金髪の剣士が何回か来たって話はうちの眷属達から聞いてるが、あんたも行ったことがあったとはね。」
 
 金髪の剣士というのは、剣士団長のことかも知れない。昔何度か行ったことがあるという話を、南地方から戻ってきた時に話してくれた。確かに剣士団長は、流れるような美しい金髪の持ち主だった・・・。
 
「あの泉の入口は隠してあるんですよね?」
 
「昔は普通に行けるようになってたんだがな。泉を汚したり、やたらと大量に水を汲んで儲けようなんて考える奴らがいたりしたから、隠しちまったのさ。ただあんまり行きにくくなっちまってもなあ、水が必要な旅人は必ずいるわけだから、悪そうな奴でなければ行ける程度に道は作ってあるぜ。でもあの金髪の剣士は何回も来てたんだよな。腕も立つみたいだし、おいら達は一時期、その剣士がいずれ剣に選ばれるかもしれないと思ってたほどだったよ。」
 
「・・・選ばれてもおかしくないくらい、素晴らしい使い手でしたよ・・・。」
 
「過去形ってことは、そいつはもういないのか?」
 
 私はハース鉱山での出来事を話し、私達を逃がすためにモンスター達の囮になってくれたのだろうと話した。本当にそうだったのかは今でもわからない。でも・・・きっとそうだと信じたかった。
 
「なるほどな・・・。モンスターかぁ・・・。あいつらも個別に意思の疎通を図ればそれほど獰猛な奴らはいないんだが、人間や竜族ほど知能が高いわけじゃないから、群れの勢いに流されちまうんだよな・・・。」
 
 アクアさんがため息をついた。
 
「ま、その剣士のことは気の毒だったが、あんたがあの泉の水を飲んだことがあるっていうなら、話は早いな。この水を少し飲めば、疲れはとれるしちょっとした傷なら治っちまうから、テラとも万全の体制でやり合えるぜ。」
 
「不思議な水ですよね。この水は何か特別な水脈からくみ上げているんですか?」
 
 少なくとも、普段私達が井戸からくみ上げて飲んでいる水や、キャンプ場所にある泉や小川の水には、こんな不思議な力はないように思える。
 
「水脈自体は他の水と同じだよ。魔法で汲み上げる時に影響を受けるんだ。そして、一度魔法の影響を受けた水は腐らないし冷たさも味も、その力も衰えることはないのさ。まあ有効に使ってくれよ。」
 
「わかりました。ありがとうございます。」
 
「よし、これで水のほうは何とかなるとして、あとは・・・こいつだな。」
 
 アクアさんはそう言いながら、魔法の本の別なページをめくった。
 
「あんた風水術って奴は使うんだろ?水を操る奴がいくつかあるはずだよな?これは、その強化版みたいな奴だ。ほら、ここに出てるぜ。」
 
 アクアさんが示してくれたページは、水の魔法の中でも後ろのほうにある『強力な魔法』に当たるものだった。
 
「なあ、あんたらが使う『風水術』の中に水の奴があるだろう?確か風の効果も一緒になった奴だな。ちょっとここで使ってみてくれないか?」
 
「わかりました。」
 
 私は『慈雨』を唱え、続けて『飛花落葉』を唱えた。どちらも水と風で敵の目を眩ませて、大きなダメージを与えることが出来る。サクリフィアへと向かうために東の港から船を出す時、王国軍の兵士達を浮足立たせ、船が前に進むための風を起こすことが出来た。この呪文には感謝している。
 
「へぇ、なるほどなかなかいい呪文なんだな。風と水の風水術っていうのはな、比較的早い段階で魔法との分離に成功した呪文なんだよ。」
 
「それもサクリフィアで行われたことなんですか?」
 
「いや、それはあんたらの先祖がやったんだぞ。エルバール王国が建国されてからの事さ。」
 
「え、風水術っていうのはそんなに最近出来たものなんですか!?」
 
「ずっと昔からあるんだと思ってたわ・・・。」
 
 ウィローも驚いている。
 
『今のエルバール王国では系統を廃止し、気の流れを増幅させたりするだけで発動する風水術と、傷をいやす治療術の2つに分けたようじゃがの。』
 
 そう言えば、確かにシルバ長老はそんな話をしていた。だが、その仕組み自体もエルバール王国が出来てから作られたものだとは思わなかった。
 
「エルバール王国を建国する時、ベルロッドの仲間でディードって奴がいたんだが、知ってるか?」
 
「知ってます。文書館の創設を唱えた人ですね。彼のおかげでサクリフィアから持ち出されたたくさんの本が散逸するのを免れたとか。」
 
「そうだな。こいつが実に頭の切れる奴でな、神々の手助けなしで魔法を使い続けていくのはもう限界なんだということを、かなり早くから気づいていたらしいんだ。だが当時のサクリフィアは魔法大国だ。うっかりそんなことを言おうものなら、国王に睨まれちまう。そこでずっとその考えは表に出さずにいたんだが、エルバール王国を造ることになった時、これを機会に魔法から離れて、もう少し単純な仕組みの呪文を作ろうと提案したのがそいつなんだよ。そして魔法については、ベルロッドの女房になった巫女姫が、代々子孫に伝えていく『秘法』として受け継いでいくことにしたのさ。ディードとしても魔法の灯は消したくなかったんだろう。そして新しい呪文を『風水術』と名付け、その開発に乗り出したはいいが、最初はなかなかうまくいかなかったんだ。その中で比較的早く形になったのが、水と風の呪文なのさ。で、その元になった呪文がこれだ。読めるか?」
 
 アクアさんが差し出したページの呪文は、すぐに覚えることが出来た。
 
「よし、それじゃその辺りに向かって唱えてみてくれ。思いっきり力を叩きこんでいいぞ。」
 
 私は言われたとおりの場所に向かって、思い切り力を込めてその呪文を唱えた。
 
−−ゴォッ!!−−
 
−−ガガガガッ!!−−
 
 『慈雨』の呪文よりもはるかに大きな音がして、無数の何かが地面に突き刺さった。よく見ると、それは水滴ではなく氷の鏃だった。地面を覆う分厚い氷を貫いて、ほぼすべての氷の鏃が深々と突き刺さっている。
 
「これは・・・。」
 
 こんなものが当たったら、生き物などひとたまりもない。
 
「うはぁ・・・あんたすごいなあ・・・。ここまですごい効果が出たのを見たのは初めてかもしれないぞ?」
 
 アクアさんは感心したように見ている。
 
「凄まじい呪文ですが・・・今まで教えていただいた呪文と言い、いったい何のために作られたものなんですか?少なくとも、精霊の皆さんや神々がこんな恐ろしい呪文を生き物達に使うはずはないですよね?」
 
「へぇ、そこが気になるか。あんたは今、大きな力を一つ手に入れたってことだぜ?そう言うのはうれしくないのか?」
 
「大きな力を得たいと思わないわけではありません。私は剣の訓練と同じように、風水術についても毎日鍛錬をしてきました。だからこんなに強い魔法を操ることが出来るくらい、自分の力が上がったという点についてはうれしいと思います。しかし・・・この魔法は強すぎます。私は今かなりの力を込めて唱えましたが、戦闘の最中に突破口として使おうとする場合、おそらくもっと力がこもるでしょう。これは・・・相手がたとえ神竜であっても、使うべきなのかどうか迷うような強さではないんですか?」
 
「まあそうだな。そもそも攻撃魔法ってのは、使う相手が生き物だとは想定していないんだ。」
 
「え・・・?」
 
 アクアさんが事もなげに答えたので、思わずぽかんとして聞き返してしまった。どういうことなんだろう・・・。
 
「そうだな・・・。そこの話もしておくか。」
 
 アクアさんは、さっき私が唱えた呪文で地面に突き刺さった氷の鏃を一本引き抜いた。
 
「ほら、これ、ちょっと持ってみてくれよ。」
 
 アクアさんから手渡された氷の鏃を手のひらに乗せた。
 
「あ、あれ・・・重い・・・。」
 
 普段使っている矢の先についているものよりは大きめかなという程度の鏃の形をした氷は、私の手のひらの上でも溶ける気配を見せず、しかもずしりと重い。
 
「これを溶かすと、こうなる。」
 
 アクアさんは私の手のひらから氷の鏃を取り、地面に置くと何か唱えた。その途端氷はパン!と音を立ててはじけ、水になったのだが・・・
 
「うわ、こんなに小さかったのに!」
 
 溶けた途端、小さな氷はぶわっと膨れ上がり、小さめのバケツなら一杯に出来そうなほどの水に変わった。そして地面の氷に触れてすっかり凍ってしまった。
 
「これでは重いわけですね・・・。」
 
 あんな小さな塊の中に、これだけの水を封じ込めるその力は・・・風水術なんて子供の遊びにしか見えなくなるくらい、大きく凄まじいものだ・・・。
 
「なあ、あんたら、夜の闇って怖いと思うか?」
 
 唐突とも思える質問だったが、ここでの精霊との会話に無駄なものなど一つもないと思う。私は思った通りの返事をした。
 
「明かりもなしに闇の中を歩けと言われたら怖いでしょうね。月も出ていなければ本当に何も見えませんし、目が慣れて多少見えるようになったところで、そこに何かがいるのかいないのか、気配を感じることが出来ても正体を見極めるのは至難の業でしょうから。」
 
「だけど・・・昼間明るかった場所が暗くなったところで、何も変わらないんじゃない?私も夜の闇の中を出歩きたくはないけど、見えないというだけでそこには何もいないわよね。」
 
 ウィローが言った。
 
「それはそうだけど、見えないっていうだけで不安はあるよ。」
 
「ま、人間の感覚としてはそうだよな。闇は闇として不安になるし、好んで足を踏み入れたくはない。ただ、昼間なら平気でいられる場所が暗くなっただけのことなのだから、それほど心配するには当たらない、そんな感じだな?」
 
「そうですね・・・。大抵の人はそんな考えだと思いますよ。」
 
「ところが、昔はそうでもなかったのさ。」
 
「昔というと・・・どのくらい前の話ですか?」
 
「うーん・・・そうだな、あんたらがサクリフィアの村長から聞いたと言う昔話の、もっと前の話さ。この大地がまだ生まれたばかりで混沌としていた頃、天も地もなく生命の兆しすらなかった頃から、おいら達はいたんだ。空には重く暗い雲がかかり、陽の光を遮っていた。地を照らすものと言えば、そこかしこで燃えさかる炎だけだったんだよ。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 なんと言っていいかわからず、ウィローと私は思わず黙り込んだ。
 
「あんたらには想像もできないだろう。やがて大地が少しずつ冷えるに従って、雲が割れて陽の光が差し込んできた。おいら達は歓喜を以てその光を迎えた。だが・・・その光を忌み嫌い、闇のままでいてほしい、そう考える連中もいたのさ。」
 
「そんな・・・。それはいったい・・・。」
 
「その頃大地に棲んでいたのは神々と精霊だけだったが、今までシルバやイグニス達から話を聞いて、精霊にもいろんな奴がいるってことはわかっただろう?みんながみんな同じ考えを持っているわけじゃない。そしてその光を忌み嫌っていた者達は、闇の中で生まれ、闇を褥にしていた精霊達だったのさ。そいつらにとって、光は忌むべきものだ。光に照らされた明るい大地に喜んでいたおいら達は、思いもかけず闇の精霊達から攻撃を受けることになった。」
 
「ではその対抗策として、魔法を・・・。」
 
 アクアさんが頷いた。
 
「あいつらは、雲が割れたのをおいら達の仕業だと思いこんだんだ。だから邪魔者を消せば、また雲は空を覆い、大地が闇に包まれると信じていた。だが、あれは自然の力だ。いくらそう言っても信じてもらえず、随分と長いこと戦っていたよ。お互いどんなに痛い目に遭っても死ぬわけじゃない。となれば、あとは圧倒的な力を見せつけてねじ伏せる以外になかったんだ。闇の精霊達は、おいら達を攻撃するために凄まじい魔法を作り上げてきた。おいら達はそれに対抗するために、苦心して幾つもの強力な攻撃魔法を作り出した。そしてその攻撃魔法で最大限の効果を得られるように、補助的に使えるような結界の魔法や目くらましの魔法など、たくさんの魔法も一緒に作り出したのさ。その中から、人間達にも使える魔法をいくつか載せて作ったのがこの本だ。」
 
 アクアさんが魔法の本を高く掲げて見せた。
 
「ということは、人間にはどうしても使えない魔法というものがあるんですね。」
 
「そうだ。イグニス、ヴェントゥス、テラ、シルバ、おいら、もちろん光と闇の精霊もだな。それぞれが、精霊にしか使えない魔法を持っている。おそらくあんたらが目にしたら、気絶しそうなくらいすごいのがいろいろあるよ。もっとも、今では使うこともないがな。教えろなんて言うなよ?それは教えてもあんたらには唱えられないものだからな。」
 
「いえ・・・教えていただけるとしても、知らないほうがいいと思います。少なくとも、今の私達にはさっきの呪文でさえ必要になることはなさそうですよね?」
 
「まあそうだな。それに、そういった凄まじいまでの魔法がどの程度役に立ったかと言われると、首をかしげざるを得ないのさ。その長い戦いに終止符を打ったのは、おいら達でも闇の精霊達でもなく、そして双方がぶつけ合ってきた魔法の力でもなかった。」
 
「え、では・・・。」
 
 アクアさんは両手を上げて空を仰いだ。
 
「この世界を取り巻く自然の力・・・その力が戦いに終止符を打った。戦いの間にも、分厚かった雲が割れ、風が雲を散らし、大地には遍く陽の光が降り注いだんだ。それでやっと、闇の精霊達は悟ったのさ。この流れを止めることは出来ないのだと。結局連中はあちこちに散らばり、すっかりおとなしくなったのはなった。ただ、未来永劫おとなしくしているかどうかなんて誰にもわからない。光のあるところに必ず影ができるように、闇を完全に駆逐するなんてできない相談だからな。もっとも、この大地にここまで人間が増えた今となっては、あいつらだってもう精霊が地上を我が物顔で闊歩できる時代じゃないんだってことは、わかってくれてると思う。光と闇は基本的に人間の生活に積極的に関わらず中立ってことになってるから、人間達に危害を加えるようなことはしないと思うけどな。」
 
「アクアさんは人間が好きなんですね。」
 
 アクアさんは少し驚いたように私を見、照れくさそうに笑った。
 
「おいらはいつだって人間が好きだよ。ただ、ファルシオンの乗っ取りからこっちは、人間と関わるのはこりごりだと思っていたがな。」
 
「あの出来事は、神々にとっても精霊達にとっても衝撃的な出来事だったんですね。」
 
「それまでにも小競り合いはあったし、考え方の違いで国の運営がうまく行かなかったりしたことは数え切れないくらいあったよ。サクリフィアとの国交も、ぎくしゃくしたことがあるのは一度や二度じゃない。だがな、あいつらは元を辿れば同じファルシオンの人間だ。まさか同族を脅して国ごと乗っ取るなんて、そんなバカなことを考えついて、しかも実行に移す奴がいるとはおいら達だって思わなかったよ。人間ていうのはここまで欲の塊になっちまったのかと、自分はこんな奴らに肩入れしてきたのかと、ばかばかしく思ったことは確かだな。」
 
「それでこりごりになったと・・・。」
 
 アクアさんは大げさに呆れたような顔をして見せた。
 
「ああ、それなら、このあたりの小さな泉にいる生き物達を守っていたほうがいい、そう思ってここに来てからもう大分たつよ。でもな、だからといって人間の滅亡など望まない。だからあんたらの時間で言う200年前の戦いの時は、セントハースとロコの側について、人間達を助けることを主張したんだ。あの時は神々も精霊も、どちらかの側について議論を戦わせた。人間を助けるべきだっていう意見が半分、滅ぼしてしまえという意見が半分。どちらも譲らずおいら達まで険悪な雰囲気になっていた。ただ、ファルシオン乗っ取りの一件からこっち、サクリフィアという国に対する神々や精霊達の評判は最悪だったからな。しかもあの族長は、強力な魔法を対人戦に使おうと考えていた。そんなバカ者の子孫など皆殺しにしろって言う極端な意見もあったんだよな。」
 
「魔法を人に向かって・・・ですか?」
 
 これは初めて聞く話だ。
 
「ああそうだ。当時乗っ取りを企てたサクリフィアの族長は魔法を手に入れたがっていた。自分の持つ強力な軍隊に魔法を覚えさせ、自分の指示一つで大量虐殺が出来るほどの力を手に入れようとしていたんだよ。だが神々や精霊の助けなしで人間達が覚えられる魔法には限界がある。しかし奴らそんなことは考えもせず、ちょっとばかり魔力が高い程度の魔道士に一番強力な魔法を無理に覚えさせようとして、そいつの気が狂ったり力を制御出来ずに町の一角全部灰にしちまったりと、飛んでもない事故がかなりあったんだ。それで魔道士の軍隊の話は立ち消えになったのさ。まったくばかな話だ。奴の欲のためにどれほどの人々が命を落としたか、未だに思い出すと腹が立つよ。」
 
 そんな事があったのか・・・。その族長という人物は、素晴らしい政治手腕を持っていたようなのに、その一方でかなり身勝手で残忍だったようだ。そんな事があったあと、ナイト輝石の廃液の問題が起きた。それはファルシオンがサクリフィアに取って代わられて、もう気の遠くなるような時間が過ぎた後の事だったはずだが、おそらく悠久の時を生きる神々にとっても精霊達にとっても、それほど長い時間ではなかったんじゃないだろうか。
 
『ついこの間あんなことがあった』
 
 なのに今度は自然が汚され、生態系にも影響が出ている、そして何より人間達も毒を受けたり鉱山の落盤事故などで多くの人が亡くなっているというのに、それを顧みず、恐怖に駆られてひたすらに毒をまき散らす人間達を、滅ぼしてしまえと思ったとしても無理はないような気がする・・・。
 
「ま、もう昔の話だ。なあそっちのねえちゃん、あんたもこの魔法は覚えてもらうぞ。読めるよな?」
 
 アクアさんが魔法の本を開いて、ウィローに見せた。
 
「ウィロー、どう?」
 
 ウィローは少しの間呪文を見つめていたが・・・
 
「・・・はい、大丈夫、読めます。でも・・・。」
 
 少し不安げに頷いた。顔色が悪い。
 
「読めるけど、唱えたくはない、そんなところか?」
 
 アクアさんの言葉に、ウィローが顔をこわばらせた。
 
「うーん・・・まあ気持ちがわからないわけじゃないけどなあ。どうしてもだめか?」
 
「あの・・・回復魔法は・・・ありますか?それなら・・・。」
 
 ウィローからは恐怖が伝わってくる。さっき私が唱えた魔法の威力を目の当たりにして、多分恐ろしくなったのだと思う。ウィローはクリスタルミアに入ってからずっと、自分の中に芽生えた恐怖や弱気の感情と戦っていた。それでも昨日は何事もなくシルバ長老が教えてくれた木のうろにたどり着き、落ち着いて一晩過ごすことが出来ていたから、何とかなったんだろうけど・・・。
 
「回復魔法は教えるよ。だけどな、にいちゃん1人に戦わせて自分は後ろで回復だけやってるつもりか?」
 
「そ、そんなことは・・・!」
 
 そんなことはないと、強く言い切ろうとしたらしいウィローの言葉は、途中で弱くなり、語尾は消え入りそうなほど小さくなった。この先までウィローを連れて行くのは・・・やめた方がいいのかもしれない。少なくとも、今の状態のまま連れて行けば、どんなに私が頑張ってもウィローが命を落とす危険性は高くなる。そんなことだけは絶対にないようにしなければならない・・・。
 
「ウィロー、君はどうしても攻撃魔法は覚えたくない?」
 
 ウィローは私に振り向いたが、怯えたような目で私を見ている。
 
「ごめんなさい・・・。」
 
「謝らなくていいよ。ただ、どうしてダメなのかなって。サクリフィアから預かった魔法の本を、積極的に読み進めていたのは君のほうだったじゃないか。」
 
「それは・・・そうなんだけど・・・。」
 
「怖くなった?」
 
 ウィローが頷いた。
 
「あなたの風水術はいつも見ていたわ。だから呪文で攻撃することには慣れているつもりでいたの。だけど・・・魔法の威力はけた違いなんだって、今の魔法をあなたが使うところを見ていて思ったの。あなたはすごい魔法の使い手だわ。だけど・・・私は怖い・・・。攻撃魔法で誰かを攻撃するなんてとても・・・。」
 
「うーん・・・。」
 
 アクアさんがしばらく考えていたが・・・。
 
「おいらの見たところ、あんたにはこの魔法を唱えるだけの力はあるよ。普通に読めたし覚えられたようだしな。」
 
 黙り込むウィローの手が震えている。今朝までは何とか押さえ込んでいた恐怖の感情は、今すっかりウィローを支配しているようだ。この状態で魔法を無理に唱えたとしたら、どんなことになるかわからない。ここにいる生き物達を死なせるようなことにならないとしても、自分が大けがをする危険性が高い。
 
「でも今の状態で唱えるのは無理ですね・・・。この状態で無理に唱えたら、どこに当たるかわかりませんよ。」
 
 ウィローにはつらい言葉だとは思ったが、私は思ったことをはっきりと口に出した。
 
「まあ確かにそうなんだが・・・しかし困ったなあ。ここでおいらの魔法を覚えてもらわないと、先に進ませることは出来ないんだよなあ。」
 
 アクアさんが頭をかきながら、思案するように首をかしげた。
 
「え!?」
 
 ウィローが顔を上げた。
 

←前ページへ 次ページへ→

小説TOPへ