小説TOPへ 次ページへ→


第96章 試練を越えて

 
 ゴォッ!!
 
 凄まじい風が吹きすぎていく。
 
「すごい・・・。」
 
 思わず呟いた。この風の中を、歩いて行けるのだろうか。ここで立ち止まるつもりはないが、それにしても普通に歩こうとしたら吹き飛ばされてしまいそうだ。
 
「これでも大分弱めてますのよ。」
 
 ヴェントゥスさんは微笑んでいる。長く美しい銀髪はまるでそよ風に揺られているかのごとくサラサラとなびき、ドレスの裾もほんの少し揺れているだけだ。この凄まじい風の中にあって、その佇まいの何と美しいことか。そして今のところ私達のまわりはほとんど風が吹いていない。ヴェントゥスさんが調整してくれているのだと思う。
 
「この道を真っ直ぐ進みなさい。そして長老が渡した地図の通りに進んで行けば、今日の夕方までには大きな木のうろに辿り着けるはずです。小さな脇道がたまにありますが、絶対に入らないように。それと・・・アクアのいると思われる位置ですが、そのうろを出て、先に進むと凍った泉があります。そのあたりにいると思いますわ。」
 
「泉ですか・・・。でもこんな寒い場所で氷が解けることなんてあるんでしょうか。」
 
 ヴェントゥスさんがくすりと笑った。
 
「ここは人間達にとっては極寒の大地ですから、何もかも凍りついているように見えるでしょうけど、凍っているのは表面だけですのよ。泉の中にはいつも清冽な水が湛えられ、生き物もいます。アクアはその生き物達の命を守っているのです。本人に言わせると『もう人間と関わるのはこりごり』だそうですが、元々アクアは人間が大好きなのです。誠意をもって彼と話し合えば、きっと心を開いてくれるでしょう。」
 
「話し合いというのは、やはり戦いの後の話なんでしょうね・・・。」
 
「おそらくは。」
 
 ヴェントゥスさんが頷いた。
 
「剣士殿、何があっても、手心を加えようとか、強い呪文を使わずにすませようとか、そんな事を考えてはいけませんよ。アクアは真剣です。あなた達はそれ以上の真剣さで彼に立ち向かってください。」
 
「・・・わかりました。」
 
 避けて通れない戦いなら、全力でぶつかるしかない。
 
「あなた達は魔法が使えるそうですね。わたくしから、この後の戦いに有利になるよう、魔法を一つ授けましょう。」
 
 そう言って、ヴェントゥスさんは呪文を教えてくれた。
 
「そう言えば、ファルシオンで作られた魔法の本をお持ちだそうですね。その本にも書かれていると思いますわ。」
 
 私は本を取りだした。長老から風の魔法が書かれていると教わったページをめくっていくと・・・。
 
「これは・・・かなり強大な魔法ではないですか?」
 
 風の魔法のページの中でも、後ろのほうに書いてある。
 
「ええ。その呪文を唱えれば、地面ごと敵を削り取ることも出来ます。」
 
 ヴェントゥスさんは事も無げに言った。
 
「あの・・・でもそんな強力な魔法を唱えるには、何か大事なものを差し出すとか・・・そんな話をサクリフィアで聞いたんですけど・・・。」
 
 ウィローが不安げに尋ねた。
 
「そうですね。サクリフィアにはそう伝わっています。でもそれは、神々との対話なしで魔法を覚えようとした場合の話です。」
 
「神々との・・・対話・・・ですか・・・。」
 
 どう言うことなんだろう。
 
「あなたの持つ剣に選ばれると言うことは、神々がその人物を認めたと同じ意味を持ちます。剣を人間達に授ける時、神々と精霊は人間達と約束しました。『これからは神々も精霊も人間達の前から姿を消し、陰ながら見守ることにするけれど、剣が選んだ人物が統治する国の人々が今まで通りの生活が出来るように取りはからう』と。その中にはもちろん、魔法についても含まれています。ところがサクリフィアはその剣を蔑ろにし、王位を世襲制にしてしまいました。その後剣は行方知れずとなり、神々にも、もちろん我らにも、その波動を感じることが出来なくなったのです。もっとも、それが人間達の総意であり、剣にも神にも頼らずに自分達で生きていくということならば、神々は歓迎したでしょう。それはつまり人間達の自立であり、剣がその役割を終えたということでもありますから。ところが、世襲制となって最初の王は、当時のサクリフィアの族長によって強引に決められました。彼は国を私物化しようという自分の欲のために、操りやすいよう娘の産んだ子を王位に就けたのです。その決定には、人々の声など何一つ反映されていませんでした。しかも失われた剣と同じような剣を秘密裏に作らせ、あたかも剣がその王を選んだかのように見せかけて、民を騙したのです。」
 
「あ、それじゃ、サクリフィアでこの剣と似たような剣が作られたというのは・・・。」
 
「すべて、国民の目を欺くための偽物です。ですから時を経れば壊れ、また新たに剣を作るということをしなければならなかったのです。しかし、剣が新しい王を選ぶということを知っている世代が少なくなると、その剣も作られることはなくなりました。」
 
 剣が失われ、その剣に選ばれしファルシオン最後の王と王妃が亡くなってからも、神々と精霊達は人間達を守護しようとはしていた。だがその頃から、元々ファルシオンに住んでいた人々が少しずつ国を出て行き、それに伴って人間達の神々に対する態度も変わっていったという。以前のように神殿に来て祈りを捧げる人々はほとんどいなくなり、何人かの巫女達が『神の声を聞く』という名目で神殿を訪れることはあったが、そこで神々が巫女に言葉を授けても、それを受け取ることが出来るほど力のある巫女はいず、神託そのものが重要視されることはなくなった。どちらかというと『出来るだけ神々には関わらないが、機嫌を損ねない程度に奉っておく』と言う態度になってしまったのだそうだ。
 
「それ以降、神々と人間達との信頼関係は失われ、神々は今までのように人間達に手を貸すことが出来なくなりました。でも、サクリフィアの人々は魔法を自在に操ることにばかり気をとられ・・・魔法とは何なのか、その力の源はどこなのか、そこまで考えようとしなかったのです。ですが、大きな力を操るにはそれなりの精神力が必要です。自分の力以上の魔法を覚えようとして気が狂ったり、力を暴走させて家族を死なせてしまったり、そんな悲劇がいくつもあったのです。そして魔法はいつしか、『大事な何かと引き替えでなければ極めることが出来ないもの』という考えになってしまいました。」
 
「つまり、神々は誰もが大きな力を操ることが出来るよう、精神的な支えになってくれていたと言うことなのですね。」
 
「ええ、そういうことです。ですから剣士殿、お嬢さん、あなた達は安心して魔法を覚えて大丈夫ですよ。目に見えず耳に聞こえずとも、神々はあなた達と共におられます。そして、わたくしが今教えた魔法は、剣に選ばれし者に精霊が授ける魔法です。イグニスがあなたに与えた力と共に、有効に使ってください。」
 
 ヴェントゥスさんは優しく微笑んだ。
 
 
 ヴェントゥスさんはその後、近くにあった泉に案内してくれた。他の泉はほとんど凍っているので、ここ以外では水は手に入らないらしい。私達は手持ちの皮袋に二つほど水を汲んだ。砂漠を横断するわけじゃない。飲み水と、あとは少し料理に使える程度の水があれば十分だ。長老から聞いた木のうろの場所は2か所。つまり、3日目にはエル・バールの居場所までたどり着けるということのはずだ。
 
「アクアと話が出来れば、そのあとは水の心配はしなくてすむはずですよ。それと、木のうろに一度入ったら、絶対に外に出てはならないと言われていますね?火を熾す薪などはあらかじめ拾っておくといいでしょう。」
 
 
 ヴェントゥスさんとはそこで別れた。途端に風の音が耳を切り裂くように聞こえてきたが、不思議と私達の周りにはそれほどの強風は吹いていない。
 
「はぁ・・・さすが精霊、きれいな人だったわねぇ・・・。」
 
 ウィローがため息とともに言った。不思議なもので、これだけの風の音が聞こえる中で、お互いの声は至極普通に聞こえる。これもまた、精霊達の気遣いなのだろう。
 
「そうだね。あんなにきれいた人には会ったことがないかも知れないなあ。」
 
「私は?」
 
「え?」
 
 思わずウィローの顔を見た。そうだ、ウィローの前でほかの女性をほめるというのはまずかっただろうか・・・。だが、ウィローは笑いたそうに口を押えている。
 
「冗談よ。相手は精霊だもの。比べられるはずないわ。」
 
 ウィローが笑い出した。私はからかわれたらしい。
 
「ヴェントゥスさんはきれいな人だと思うよ。でも君とは違うよ。君は君なんだから。」
 
 この状況で『君のほうがきれいだ』なんて言ってみたところで嘘くさいような気がして、何とか考えて出てきた言葉がこれだった。でもこの言葉は嘘でも言い訳でもない。ウィローは私にとってかけがえのない存在だ。ヴェントゥスさんはとても美しいし、とても世話になったけれど、同列に考えることは出来ない。
 
「ふふふ、ありがとう。からかったりしてごめんなさい。でもなんだかピンと来ないわよね。木や森の精霊、火の精霊、それに風の精霊まで目の前にいたなんてね。しかもたくさんの精霊を束ねる立場にある、多分最高位の精霊達よね。」
 
「そうだよね。ムーンシェイに来てから驚くことばかりだよ。そんなすごい精霊達が私達に力を貸してくれるなんて。」
 
「みんなが力を貸してくれたんだから、絶対にエル・バールを説得しないとね。」
 
「そうだね。必ず説得しよう。」
 
「こうしていると、昨日の出来事が嘘みたいな気がするわ。まだ、カインが追いかけて来てくれそうな気がして・・・。」
 
 ウィローが声を詰まらせた。私は黙って、繋いでいた手を離して肩を抱き寄せた。
 
「ごめんなさい、変なこと言って。」
 
「いいよ、私だってそう思ってるよ。」
 
 あの出来事が、夢ならよかったのに・・・。
 
「ねぇ・・・私達は・・・生まれた時から重い宿命を背負っていたのかなあ・・・。」
 
 ウィローが立ち止って私の背中に手を回し、胸に顔を埋めた。
 
「どうしてそう思うの?」
 
 私はしっかりとウィローを抱きしめながら、耳元でささやいた。不安な気持ちが伝わってくる。
 
「とうとう父さんとは会えずに終わってしまったわ。それでも父さんの遺志を継いでこの世界に平和をもたらしたい、そう思っていたのに、今度はカインを失って・・・こんなに悲しいことがあといくつあるの?一体いつになったら幸せな日々がやってくるの?これが私達に課せられた運命だなんて思いたくないけど・・・だけど・・・。」
 
 声が震えている。
 
「運命なんてものがあったとしたって、起きてみるまで分からないならあってもなくても同じだよ。だから、幸せな日々が来るかどうかは私達次第なんだと思う。きっと幸せな日々が来る、そう信じて進んで行こうよ。」
 
 半分は自分に言い聞かせるように、私はウィローの髪をなでながら言った。やがてウィローの肩がため息をついたように動き、顔を上げて私を見上げた。
 
「そうよね・・・。私達がエル・バールを説得できれば・・・。」
 
「まずはそのことだよ。いつの間にかこの世界の命運まで私達にかかってきちゃったけど、世界がなくなれば私達にも幸せな日々は来ないんだから、まずはエル・バールを説得しないとね。」
 
「出来るのかな・・・。」
 
 言ってから、ウィローはハッとしたように口を押えた。
 
「ごめんなさい・・・。なんだか弱気になっちゃった・・・。」
 
「不安なのは同じだよ。だから、辛い時はつらいって言ってよ。口に出せば楽になることもあるよ、きっと。」
 
 私はもう一度ウィローを抱き寄せた。不安なのは私も同じだ。ただ、それで立ち止まっているわけにはいかないからこうして進んでいるだけだ・・・。
 
「そうよね・・・。」
 
「それに、辛いことはたくさんあるけど、楽しいこともたくさんあったわじゃないか。ムーンシェイの人達も、長老達も、みんな助けてくれたよね。」
 
 ウィローは私を見あげて、少しだけ寂しそうに微笑んだ。私は精いっぱいの笑みを返した。私まで泣きそうな顔をしてしまったら、ここから先に進めなくなりそうな気がしていた。
 
「私もね、何もかもいい方向に考えられるようになったわけじゃないよ・・・。昨日のことが夢だったならって、あれは全部うそで、カインが追いかけて来てくれるような気がしてるのも一緒だよ。だけど・・・。」
 
 言葉が見つからなくて、私はウィローを抱きしめる腕に力を込めた。
 
「長老の家で、長老とイグニスさんに温かく迎えてもらって、すごくうれしかったじゃないか。」
 
「そうね・・・。あの家に入った時はすごくほっとしたのを覚えてるわ・・・。」
 
「そうだよ。そのあと、おいしいお茶をごちそうになって、あったかい食事もいただいて・・・。あの時食事の手伝いをしてた君はとても楽しそうだったよ。」
 
「うん・・・。すごく・・・楽しかったわ。でも・・・カインを助けられなかったのに、こんなに楽しくていいのかなって・・・。」
 
「いいかどうかなんて私にもわからないよ。だけど、これから私達はエル・バールを説得しなきゃならないんだ。ここで挫けているわけにはいかない。だから、辛いことはたくさんあるけど、楽しい時は笑って、泣きたい時は泣いて、その都度気持ちを整理して、そして進んで行こう。」
 
「そうね・・・。元気を出さなきゃね・・・。」
 
「そうだよ。」
 
 私に言えることはこのくらいだ。昨日の出来事は未だに醒めない悪夢のように脳裏にまとわりついている。それでも、今は前を向いて歩いて行かなければならない。
 
「ごめんなさい。弱音はいたりして・・・。」
 
 ウィローが顔を上げた。
 
「いいんだよ。一人で抱え込まないで、口に出そうよ。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 
 
「あれかなあ・・・。すごく太い樹があるよ。」
 
 長老からもらった地図の通りに歩いてきた私達の前に、太い樹が見えた。辺りは少し暗くなり始めている。ここに来るまでの間、上空を吹き荒れる風は凄まじい音を立て、私達を吹き飛ばすほどの勢いだったのではないかと思うのだが、ヴェントゥスさんが調整してくれたおかげか、地上では歩くのにそれほど苦労することはなかった。とは言え、雪道は滑りやすく、それほど強い風でなくても煽られて転びそうになる。2人ともしっかりと手を繋ぎ、道を外れないよう慎重に進んできたので、かなり疲れていた。
 
「あそこだと思うわ。それじゃ入りましょう。」
 
 太く大きな木の幹には大きなうろが開いている。
 
「そうだね。やっと休めるかな。」
 
「ふふふ、そうね。私も疲れたわ。」
 
 ウィローの声に張りが戻ったような気がする。少しは元気が出たらしい。
 
「ここの入口はテントの仕切り布で塞ごうか。むしろって言ってたけど、そう都合よくむしろが落ちてるわけじゃないし、これで何とかなりそうかな。」
 
 ここに来るまでの道すがら、薪を拾いながらある程度は辺りに気を配っていたつもりだが、やはり歩くほうに気をとられていたせいか、それらしいものが落ちていたのを見ることはなかった。うろの中を見渡しても、枯れ枝が少し落ちているくらいで、他には何もない。
 
「そうね。うーん・・・あ、上のほうに布をひっかけられそうな枝が出ているから、そこに引っ掛けて・・・あとはこっちをここに・・・これで何とかなるかなあ。」
 
 二人がかりでうろの内側から仕切り布をひっかけ、裾がめくれないように落ちていた石を重しにした。
 
「・・・あれ?」
 
 いつも持ち歩いている普通の布なのに、入口をぴたりと塞いで、外の風にはためく気配もない。
 
「これも精霊達の恩恵なのかな・・・。」
 
「長老の計らいかも知れないよ。感謝して、食事の支度をしようか。」
 
 ウィローは少し驚いた顔で私を見たが、すぐに笑い出した。さっきのような不安な感じは伝わってこない。だいぶ落ち着いてきたように見える。
 
「なに?」
 
「もう少し不思議がるかなと思ったのよ。でも多分、私達がここで首をひねっても、何でこうなっているかなんてわかりっこないのよね。」
 
「そういうこと。もう昨日から不思議なことばかり起きすぎて、首をひねる暇もないくらいだよ。」
 
「ここに来るまでの間、モンスターにも遭わなかったものね。」
 
「まあここは神々と精霊の領域だから、多分邪悪な物が入ってこれる隙はないんだと思うよ。それに精霊達にも出会わなかったからね。あちこちに気配は感じたけど、なんだか遠巻きに見られているような感じだったな。」
 
「それも長老達のおかげね。」
 
「そうだね。さてと・・・火を熾す場所と寝る場所を決めようか。」
 
 私達は改めてうろの中を見渡した。
 
「大きな木ねぇ。枯れてはいるみたいだけど、とてもしっかりとしていて、頼もしいわ。」
 
 ウィローが言った。おそらくは太古の昔に若木として生まれ、気の遠くなるような年月を生き抜いた樹なのだろう。枯れてしまった今でも、こうして私達を見守ってくれている、そんな気がする。
 
「この樹も、落ちている枯れ枝も、シルバ長老の眷属なんだろうね。」
 
 いつもなら、多分何気なく燃やしていた枯れ枝も、精霊に出会った後では厳粛な気持ちになる。
 
「そうよね。感謝して使わせてもらいましょうよ。」
 
 中はそれほど広いわけではないが、寝袋を敷ける程度の地面はあった。
 
「ここに寝袋を敷いて、うーん・・・そうすると火を熾せる場所は・・・この辺りかな。」
 
 木の根が張り出しているので、平らな地面はそんなにない。火を熾す場所は平らでないといけないし、すぐそこに木の根があったりしたら火が燃え移ってしまう可能性がある。寝袋を敷く場所は、木の根と根の間に、何とか1人分くらいなら確保できるかなという程度だ。足を伸ばしてのんびり眠れるほどではないが、テントも張れないようなあの強風の中で寝袋に潜って眠るようなことにならなくて済んでいるのだから、感謝しなければならない。
 
「そうねぇ。あんまり近いと寝返りを打ったら火に突っ込みそうだわ。」
 
「そんなに派手な寝返りは打たないと思うけど、こっちで火を熾そうか。1人が火の番をしていれば、派手な寝返りを打たれても火に突っ込まないようにできるしね。」
 
 私は寝袋が敷けそうな根から出来るだけ離れた場所で火を熾すことに決めた。もっとも離れていると言っても、せいぜい間に人が一人座れる程度だが。
 
「そうねえ、気をつけないと。」
 
 ウィローは大げさに肩をすくめてみせた。
 
「それに、そんなに大きな火を熾す必要はないね。食事は乾きものをメインにして、スープだけ作ろうか。」
 
「そうね、火の粉が飛ばないように気をつけないと、周りに燃え移ったら大変だもの。それに、途中で拾ってきた枯れ枝とこの中に落ちてる枯れ枝を合わせてもそんなに数はないから、一晩持たせなきゃ。」
 
 私達は火を熾し、食事の準備を始めた。時間的には多分まだ早いのだろうけど、少しでも体を休めて明日に備えたかった。明日は水の精霊と、おそらくは全力で戦わなければならない。
 
 
「ああ・・・やっぱり温かい食事はおいしいわ。急に寒さを思い出したような気がする。」
 
「さっき火を熾そうとして、初めて自分の手がかじかんでいたことに気づいたよ。考えてみれば、そんな寒い場所を歩くための装備なんて持ってないものなあ。」
 
 うろの中で食事を終えた私達は、明日からのことを話し合っていた。さっきこのうろに入るまでそんなに寒いとは感じなかったのだが、火を熾す段になって手が言うことをきかない。その時初めて、手が寒さでかじかんでいることに気づいたのだ。
 
「そうよねぇ。手袋も靴下も良いものを買ったと思うけど、ここの寒さがケタ違いなのよね、きっと。」
 
「うちの島の冬より遥かに寒いよ。でもこのマントと君のスカーフ、これは本当に不思議だね。こんなに風を防いでくれるなんて。」
 
 マントはムーンシェイのおかみさんからもらったものを着ているが、本当にこのマントの布地は不思議だ。厚手の下着やベストを着込んでいるとは言え、歩いている間それほど凍えるような寒さを感じなかった。精霊達の恩恵ももちろんあるのだろうけど、このマント、そしてウィローのスカーフのおかげも多分にあるのだろうと思う。手袋や靴下は、ムーンシェイの広場に出ていたバザールで買ったものだ。作りのよいしっかりしたものだが、それにしてもこの寒さを完全に防ぐなんてことは出来ないと思う。
 
「そうよねぇ。こんなに薄手なのにね。いくら敵が出て来ないって言われても、やっぱり動きが制限されそうな服は着るわけにいかないものね。」
 
「そうなんだよね。剣を握るのに支障が出るような手袋ははめられないし。」
 
「きっと普通は、とても人間が歩けるような場所じゃないんだと思うわ。皆さんに感謝しないとね。」
 
「そうだね。感謝してもしきれないくらいだよ。」
 
「ヴェントゥスさんの話では、ここを出たらすぐくらいにアクアさんに会えるみたいね。」
 
「どんな人なのか楽しみだよ。もっとも、戦う気でいるならあんまり友好的な出会いにはならないのかもしれないけど。」
 
「きっと人間達との関わりの中で、いろいろと辛いことがあったんでしょうね。」
 
「長老が言ってたね。人間達を愛しながら憎んでいたって。サクリフィアだって元をたどればファルシオンの人達と同じなのに、欲に目が眩んでよその国を乗っ取ろうとしたり、偽物の剣を作って人々を騙したり、醜い部分を見てしまって、いやになったのかもしれないね。」
 
「"ヒト"って呼ばれていたころは、きっとみんな仲良く暮らしていたんでしょうね。」
 
「そうだね。でも数が増えればいろんな考えの人達が出てくるものだから、それは仕方ないんだと思うけど、きっと精霊達は長いこと"ヒト"と仲良く暮らしてきたから、その行為が、人間同士というより、自分達に対する裏切りのように見えたのかもしれないよ。」
 
 きっと・・・アクアさんに限らず、すべての精霊達にとって、とてもつらいことだったんじゃないだろうか。
 
 
 
 この日は翌日に備えて早めに休むことにした。火を絶やさないための不寝番だけは必要になるので、私が先にすることにした。
 
「ここなら多分、そっちまで転がり出たりしないわよね。」
 
 地面に隆起している太い根と根の間に寝袋を敷きながら、ウィローが笑った。
 
「転がってきたら止めてあげるよ。お休み。」
 
「お休みなさい。」
 
 すぐに寝息が聞こえてきた。かなり疲れていたんだと思う。
 
 
 一人になると、思い出すのは昨日の出来事だ。私はまだ、あの出来事を受け入れることが出来ずにいる。
 
 私が殺した・・・
 
 カインを、この手で・・・
 
 そこにどんな理由があろうと、それだけは事実なのだ・・・。
 
 なぜあんなことになった?
 
 どうして私達が殺し合う羽目に・・・
 
 思考はいつもそこで止まる。
 
 なぜ
 
 なぜ
 
 なぜ!
 
 
 −−パチッ!−−
 
 焚き火の中で木がはぜた。とたんに現実に引き戻される。炎がいつの間にか小さくなっていた。消えてしまわないよう、少しだけ枯れ枝をくべる。大きくなった炎がぼやけた。また涙がにじんでいた。
 
 考えても答えは出ない。頭では分かっているつもりなのに、感情が納得してくれない。カインがもういないのだという事実だけが胸に迫り、辛くて仕方なくなる・・・。
 
(こんなこと考えてる場合じゃないんだって、わかってるつもりだったんだけどな・・・。)
 
 明日全力で戦わなければならない相手は精霊だ。しかも数多存在する水の精霊達の頂点に立つ存在・・・。こんな不安定な気持ちで臨めるような、生易しい戦いではないと頭では分かっているのに・・・。
 
(でも・・・何があっても・・・ウィローだけは守らなきゃ・・・。)
 
 深呼吸してみる。
 
 少しだけ気持ちが落ち着いたような気がする。すると頭の中に浮かんできたのは、ムーンシェイの人々の、シルバ長老の、とても温かな笑顔、そして長老の家で出会ったイグニスさんの真剣な眼差し、ヴェントゥスさんの優しい微笑み・・・。
 
(私達は・・・2人だけじゃないんだ・・・。みんなが助けてくれた・・・。)
 
 そして明日出会う水の精霊アクアさんとも、きっと解り合えると思えてくる。
 
 もう一度深呼吸した。また少し落ち着いたような気がする。
 
(とにかく明日だ・・・。明日を乗り切れたらまた、次の日を乗り切る・・・。)
 
 ずっと先のことなどとても考えられない。でも、一歩ずつ進んで行くしかない・・・。
 
 
「ん・・・。」
 
 ウィローの声が聞こえた。
 
「目が覚めた?」
 
 振り向いて声をかける。ウィローが隆起した根の向こう側から顔を出した。
 
「うん、なんだかね、すごくよく眠れて頭の中がすっきりしてるの。外の風の音は聞こえるんだけど、なんだかこのうろの中はすごく静かよね。そのおかげかなあ。」
 
「そういえばそうだね。あんなすごい風が外で吹いているとは思えないよ。」
 
「あとは私がいるから、あなたは寝てよ。寝袋に潜るとすぐ眠れるわよ。今日は疲れたものね。」
 
「そうするよ。ゆっくり体を休めないとね。」
 
 ウィローはもう、自分の寝袋をたたんでいた。私は自分の寝袋を敷いて、潜り込もうとした。
 
「あ、忘れ物。」
 
 突然ウィローがそう言って、私の首に手を回した。頬に唇が触れる。
 
「へへへ、さっきキスするの忘れちゃったから。」
 
 照れくさそうに笑うウィローの心はとても静かで落ち着いている。そして私を気遣ってくれていることもとてもよくわかる。
 
「そうか。私も忘れ物してた。」
 
 そう言って、ウィローの額にそっとキスをした。
 
「おやすみなさい。」
 
「おやすみ。」
 
 寝袋にもぐりこむと、ウィローの言った通り、すぐに眠りに落ちた。
 
 
 翌朝・・・
 
 いい香りで目が覚めた。夢も見なかった。こんなに深く、ゆっくりと眠れたのは久しぶりかも知れない。
 
「起きた?おはよう。」
 
 ウィローの声がした。
 
「おはよう。食事作り始めてるの?」
 
 寝袋の上に起き上った。頭の中はすっきりしている。
 
「ええ、昨日シルバ長老から頂いた食材を使って、シチューを作ったわ。」
 
 不思議なことに、火はまだ消えても小さくなってもいない。そして枯れ枝がまだ何本か残っている。
 
「まだ枯れ枝が残ってたんだ。ずいぶんもつね。」
 
「そうなのよ。小さく折ったりしてちょっとずつくべてたんだけど、それにしても燃えるのが遅くて、おかげでまだ枝が残ってるわよ。これは今日の夜のために持って行きましょうか。」
 
「そうだね。こんな寒い場所で燃やせるものは貴重だから、大事にしないとね。それじゃ、いただきます。」
 
 焚火の前に座り、ウィローの作ったシチューを食べた。
 
「あれ・・・?」
 
 この味は・・・。
 
「どうしたの?」
 
「いや、長老の家で食べたシチューと同じ味がするなと思って。」
 
「ああ、そうそう。一昨日の夜ね、鍋のシチューがあまりおいしそうだったから、食事の支度をお手伝いしながらレシピを教えてもらったのよ。昨日長老から頂いた食材の中にそのレシピの食材が入ってたから、さっそく作ってみたわけ。だけどこんな小さな鍋では、大きな鍋で作るのと違って、やっぱり少し味が落ちるわね。」
 
 この先の旅で、私達が温かい食事をとれるようにとの、長老の気遣いだろうか。一昨日のあの出来事はとても忘れることが出来ないことだが、今私達がこんなに落ち着いていられるのは、精霊達の優しさと慈愛を感じているからかもしれない。そして・・・『目に見えず耳に聞こえずとも』剣を通して神々が私達を守ってくれているのかもしれない・・・。
 
「そんなことはないよ。でも大きな鍋でたくさん煮たシチューやスープは、確かにおいしいんだよね。」
 
「そうなのよねぇ。」
 
 故郷の島にいたころ、イノージェンのかあさんはよく大きな鍋にシチューを作っていた。
 
『私達二人なのに、母さんたらいつもすごくたくさん作るのよ』
 
 イノージェンがよくそう言って、小さな鍋に入れたシチューを持ってきてくれたものだ。
 
「そろそろ出かけようか。」
 
 火を消し、残った枯れ枝を荷物に入れた。ここは一晩私達が借りた場所だから、きれいにしておかなければならない。次に使う誰かがいないとしても。こんな風に、感謝の気持ちをもって自然に接すると言うことを、わかっていたつもりだったのに忘れていたような気がする。
 
(大事なことなんだよな・・・。)
 
 フロリア様の目指す「モンスターとの共存」は、モンスター達がこちらの理念をわかってくれない以上、私達人間側で何とか工夫して達成しなければならない目標だ。それには自然に対する畏敬の念を持つことは大事だと思う。
 
(もっとも・・・今のフロリア様にとって、不殺なんて何の意味も持たないんだろうけど・・・。)
 
 あの初めての謁見の日、誓いの言葉の途中で黙り込んでしまった私に、優しく、しかし毅然とした声で自らの理念を語ってくださった、あのフロリア様はもう・・・どこにもいないのだろうか・・・。
 
 
 
 二人で荷物を背負い外に出た。入り口をふさいでいた布を取った途端、ゴオッと風の音が耳に入ってくる。
 
「ちゃんとお礼を言わなきゃね。」
 
 外に出て、今までいた木のうろに向かって頭を下げた。
 
「一晩どうもありがとうございました。」
 
 その時・・・
 
−−≪頑張っておくれ・・・≫−−
 
 かすかに聞こえた。これは・・・この樹の精霊だろうか。
 
「今・・・何か聞こえた・・・?」
 
 ウィローがキョロキョロしている。
 
「君にも聞こえたの?」
 
「うん・・・頑張って・・・って聞こえたような・・・。」
 
「たぶん、この樹の精霊だよ。私達を応援してくれてるんだと思う。」
 
 暖かな気持ちが伝わってくる。その期待に応えたい、強くそう思った。
 
 
 地図を広げて、アクアさんがいると思われる泉の場所を確認した。ここからそう遠くない場所に位置している。歩いてもそれほどかからず着けそうだ。風は相変わらず強く吹いているが、昨日ほど道の雪が積もっていない。風で吹き飛ばされてしまったらしい。だが雪の下にあるのは地面ではなく氷だ。雪が降って積もり、それが凍ってその上にまた雪が降る。それを繰り返して、この道はすっかり氷で覆われていた。昨日以上に歩くのは大変かもしれない。
 
「転ばないように気を付けて行かないとね。」
 
 私達はしっかりと手を繋ぎ、空いた手には武器を持っていつでも構えられるようにしながら、慎重に歩を進めて行った。
 
 
 しばらく歩いたころ・・・
 
「あそこに誰かいるわ・・・。」
 
 遠目にも、そこに『誰か』つまり人の姿をしたものがいるのが見えた。それがおそらくアクアさんなのだろう。
 
「そうだね。あれがアクアさんなんだろうな・・・あれ?」
 
 遠目だとしても、なんだか妙に小さく見えるような気がする。
 
「・・・ねえ、なんだか子供みたいに見えない?」
 
「うん・・・なんか小さいような・・・。」
 
 足元を気にしながらだったので、そんなに凝視したまま歩いて行ったわけではないが、少しずつ近づいてきても、いや、近づけば近づくほど、そこにいるのが大人ではないのがわかってきた。着ている服はムーンシェイの子供達が着ていたような、ごく普通の子供の服だが・・・その人物の纏う『気』はやはり、シルバ長老達と同じ、精霊のものだ。
 
「よお、来たな。待ってたぜ。」
 
 そこにいた『子供』は、まるで友達に会ったかのように笑顔で手を振った。
 
「こんにちは。アクアさんですか?」
 
「そうだよ。あんたが剣の使い手だよな?」
 
「はい。」
 
 私達は名を名乗った。
 
「ふぅ〜ん、なるほどな・・・。」
 
 アクアさんは私達をしばらく見ていたが・・・
 
「なるほど、あんたは間違いなく剣の使い手だな。それじゃ始めるか。」
 
 そう言って立ち上がった。
 
「・・・やはり戦わなければならないんですね。」
 
「どうせシルバやイグニス達からおいらのことは聞いてるんだろ?あんたらの肚ん中がわかればよかったんだが、ま、しょうがねぇな。」
 
 ・・・妙な言い方だ。どういうことなんだろう。
 
「うーん・・・とは言っても、このかっこじゃさすがに不利だよな。」
 
 アクアさんはそう言ってしばらく考えていたが、突然バシャッ!と音がして、その姿が一瞬消えた。そして次に現れた時には、私と同じくらいの青年の姿になっていた。腰には剣を下げ、鎧も身に着けている。
 
「これならどうだ?背格好はあんたと同じくらいに合わせておいたぜ。得物は剣だ。お互い魔法はなし。おそらくイグニスとヴェントゥスからはかなり強力な魔法を教えてもらったと思うが、それはテラにでも使ってくれよ。おいらも魔法は一切使わない。これなら、出来る限り対等に戦えると思うがな。あんたがよければ始めようじゃないか。どうだ?」
 
「は、はい・・・。それでお願いします。」
 

次ページへ→

小説TOPへ