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 その後ハインツ先生と私はクリフの病室に戻り、夕方まで診療にあたった。夜勤の医師と看護婦に引継をしたあと研究棟に顔を出すと、思った通り、オーリス達はハインツ先生に何かまずいことをしてしまったかもしれないと気落ちしていたので、先ほどの打ち合わせ通り、在庫が心許ないからだそうだという話をしておいた。2人はほっとして、ハインツ先生から指示のあった使用する薬の量について、ある程度まとまったので明日お話しますと言って、笑顔で帰って行った。
 
 若い彼らに余計な重荷を負わせたり、危険にさらすことになってはならない。その辺りも慎重に対処しなければならないだろう。彼らの不安な気持ちを、あのクイント書記官が利用しようと考えていないとは言い切れない。
 
「今の話だけど、さっきハインツ先生があなたと会長室に行ったことと関係あるのよね?何かあったの?」
 
 2人の後ろ姿を見送って、妻が言った。
 
「うん・・・。ただ、その話は少しだけ待ってほしいんだ。オシニスさんのところに行った時に話すよ。」
 
「つまり、『オシニスさんにも知らされているような話』ってことね。」
 
「そういうこと。そこでなら、私が聞いた話よりももう少し詳しくわかるかもしれないよ。」
 
「わかった。その時に聞くわ。」
 
 
 私達は東翼の喫茶室で食事をして食後にはコーヒーを飲んだ。大事な話の最中にあくびが出たのではしょうがない。剣士団長室へと向かう途中、ランドさんに会った。これから帰るのだという。
 
「オシニスなら部屋にいるぞ。お前らを待ってるみたいだな。」
 
「そうですか。それじゃ伺ってみます。」
 
「・・・なあクロービス。」
 
「はい?」
 
 ランドさんが顔を近づけ、小声で話し始めた。
 
(オシニスの奴はどうだ?フロリア様とのことをちゃんと考えている風はあるのか?)
 
(・・・以前聞いた時は、考えてみるとだけ言ってましたよ。いずれ答えを出したいとも言ってましたが、その後については何とも・・・。)
 
(なるほどな・・・。奴は俺にも本音を言わないし、どうなってるのか気になってな・・・。でもまあ、答えを出そうという気になったのなら、それなりに進歩したってことか・・・。)
 
 そしてランドさんはため息を一つついて、くすりと笑った。
 
「ま、俺が気にしても仕方ないんだがな。」
 
「いい方向に向かってくれるならいいんですけどね。」
 
「そうなんだよな。さて帰るか。足止めして悪かったな。今頃またお茶を淹れるのにあーでもないこーでもないと唸ってるかもしれんぞ。」
 
「それじゃ期待していきますか。オシニスさんのお茶は美味しいですからね。」
 
「そうだな、まあうちの女房には負けるがな。」
 
 ランドさんは笑いながらロビーに向かっていった。
 
 
「ふふふ、期待は出来そうね。」
 
「そうだね。」
 
 
 
「失礼します。」
 
 剣士団長室の扉をノックすると、オシニスさんが開けてくれた。
 
「来たな。入れよ。お茶の用意も出来てるぞ。」
 
「ははは、なんだかすっかり実験台ですね。」
 
「でもこんなにおいしい実験台なら大歓迎だわ。楽しみにしてきたんですよ。」
 
 妻が言った。
 
「それはうれしいな。まあ昨日の今日でそれほど腕が上がったかと言われると何とも言えないが、日々精進はしてるつもりだから、期待はしてくれよ。」
 
 部屋の中を流れる空気は穏やかだ。オシニスさんが今日の私達の話を、冷静に聞こうと考えてくれているのがわかる。
 
「まあ座ってくれ。今淹れるから。」
 
 テーブルの上には今日もお茶菓子が置いてある。
 
「またフロリア様からですか?」
 
「ああ。さっきドゥルーガー会長が来てな。一緒にフロリア様のところに話をしに行ったときに、その話の内容をお前達にしてやってくれと会長から頼まれたんだ。その時にフロリア様から頂いたのさ。」
 
「その話なんですが、ウィローにはまだ話してないんですよ。クリフの前で話せるようなことではなかったので。」
 
「そうか。それじゃお茶を飲みながらまずはその話をするか。」
 
 
 
「そ・・・そんなことが・・・。」
 
 話を聞いた妻が青ざめた。
 
「さて、ウィローが話を聞いたところで、今度は俺がさっきの会議の話をしよう。今はっきりとわかっていることは、薬草庫の薬草がなくなっているということ、そしてその薬草の種類が、クイント書記官が持ち込んだ寄贈薬草の一覧とほぼ一致している、ということだな。監督者たるハインツ先生の知らないところで薬草がなくなっているということは、誰かが無断で持ち出したと考えていいだろう。となると、それは誰が、何のために、いつ、どのような方法で持ち去ったのかということが問題となる。」
 
「『誰が』を絞り込むためには『何のために』がわからないと、難しそうですね。」
 
「ああ、さっきの会議もな、まずはどこから手をつければいいかの議論が中心で、具体的な策を考えるまで行っていなかったんだよ。」
 
「自分で使うためっていうのは考えにくいですからね。単品で咳止めなどに使えるものもありますが、中には劇薬指定されているものもあります。それ以外の意図があって持ち去ったと考えていいと思いますよ。」
 
「そうだな。それはドゥルーガー会長も言っていたよ。それに、市中に出回っている薬草の値段がいくら上がっているからって、個人で使う程度の量なら、買えないほど高額ではないとな。」
 
「もともと安価なものがほとんどですからね。以前話を伺った時も、一般庶民の間では薬草の高騰自体がそれほど重要なこととして受け止められていないという話でしたよね。」
 
 最初にこの話を出した時、セルーネさんもオシニスさんもそんな話をしていたはずだ。
 
「そうなんだよな。もちろん城下町にも貧しい暮らしをしている人達はまだまだいるから、そう言った人達にとっては高額だということになるんだろうが、町全体としてみた場合、そんなに大きな問題にはなっていないな。」
 
「オシニスさんはどうお考えですか?」
 
「そうだなあ・・・。同じことをさっきも聞かれたんだが、どこから手をつけるにしろ、この件にクイント書記官と『あのお方』が関わっているかどうか、それを見極めるのが先決だと思うと、俺はそう言った。まずはそこからだろうと。」
 
「で、でも!それはどう見ても・・・!」
 
 妻が叫んだ。
 
「確かに、薬草寄贈の話が持ち上がったその日のうちに、あるはずの在庫がなくなっている、しかもその寄贈しようとしている薬草と同じ種類のものがほとんどだ、それは怪しい。怪しいが、あまりにもわかり安すぎると思わないか?」
 
「それはそうですね・・・。」
 
「もしもこの件が本当にクイント書記官の仕業で、誰かを操って薬草をこっそり持ち出させたのだとしたら、もう少し関連を疑われないような工作はすると思うんだよ。」
 
「確かに・・・。それでなくても『あのお方』が何の見返りもなくそんな善行をするとは誰も考えないでしょうから、極端な話、クイント書記官に命じてあらかじめ薬草を盗み出させておき、それを何食わぬ顔で寄贈しますなんて言ってると思われる危険性もありそうですよね。」
 
「さっき全く同じことをセルーネさんが言ってたよ。証拠さえ見つかればあの書記官をいくらでも締め上げてやるのにって、いやー、カンカンだったよ。」
 
「・・・うーん、確かに彼の仕業ならそれも仕方ありませんが、本気で怒ったセルーネさんに締め上げられるのはさすがに気の毒ですねぇ。」
 
「・・・お前もそう思うよなあ・・・。」
 
 私達の会話を聞いていた妻が笑い出した。
 
「ご、ごめんなさい。まじめな話なのに。でも確かにそうですよね。セルーネさんが本気で怒ったりしたらクイント書記官がどうなるか、さすがに気の毒になるかもしれないわ。」
 
「ま、締め上げるのはともかく、奴がもしも本当に犯罪を犯していた場合、セルーネさんは出身地の領主として取り調べに立ち会ったりすることは出来るからな。もっともセルーネさんの場合、取り調べのほうに回りそうだが・・・。」
 
「ははは、そうですね。オシニスさん、となると、彼が本当に関わっているかどうかを慎重に見極める必要がありますね。」
 
「そうだな。先入観だけで濡れ衣を着せるわけにはいかないからな。」
 
「でもオシニスさん、もしも今回の件にクイント書記官が関わっていないとしたら、どんなことが考えられますか?」
 
 妻が尋ねた。
 
「もしも奴がこの件に関係なかった場合、話はもっと簡単かもしれないな。医師会で使う薬草は、厳選された品質の良いものばかりだ。あの薬草庫にはそう言う薬草が最高の保存状態でおかれている。もしもそれを持ち出して町の薬屋あたりに持ち込めば、高く買い取ってもらえそうだと考える誰かがいたとしてもおかしくないと思わないか?」
 
「あ・・・それじゃ、最初からお金目当ての窃盗ということも・・・。」
 
「そういうことだ。人間せっぱつまってくると、とにかくてっとり早く稼ごうとする。そう言う奴にとってはただの薬草でも、宝の山に見えたりするんじゃないか?」
 
「となると・・・やはり医師会の中の誰かが何か知っているという可能性は高そうですね。お金に困っている人がいるかどうかとか。」
 
「そうだな。医師会の中に犯人がいるのか、犯人ではないまでも何かしら知っている奴がいる可能性は高いだろう。ただ、ドゥルーガー会長からは『今のところは内々で』と頼まれているから、おおっぴらに聞き取りは出来ないわけさ。会長やハインツ先生あたりに、最近挙動不審な奴がいないか、金に困ってる奴がいないか、その辺りを聞いてみるしかないだろうなあ。」
 
「そう言うことになりますね。でも今回の場合、クイント書記官の陰謀、且つお金がほしい誰かがそれに釣られたということも考えられますよね。」
 
「もちろんそうだ。金に困っている誰かの弱みに付け込んで、奴が唆した可能性もある。まずは調査をしてみて、もしも確実に奴の関与が疑われるようなら、また話は変わってくるさ。例の薬屋の身辺も改めて調査する必要があるだろう。」
 
「そう言えばあの薬屋の奥さんというのはどうなったんですか?」
 
「ああ、そう言えばその話が途中で止まったままだったな。ちょっと待ってくれ。確かこの間の調査結果があったはずだ。」
 
 オシニスさんは部屋の奥の書架から、ファイルをもって出てきた。
 
「今までに分かっていることだが・・・。」
 
 オシニスさんは分厚いファイルの中に挟まれている封筒を取出し、中をあけた。紙の束を何枚か取り出しながら、小さくうーんと唸った。
 
「あまりいい内容ではなさそうですね。」
 
「そうだな・・・あの薬屋の女房だがな、いないわけではなかったらしい。」
 
「過去形ということは、もしかして・・・。」
 
 オシニスさんがうなずいた。
 
「・・・もう亡くなってる。」
 
「・・・・・・。」
 
「転居前の居住地の記録を調べてわかったんだ。しかもそんなに前の話じゃないらしいぞ。とは言ってもこっちに出てくる前の話だから、お前があの薬屋に行った時にはとっくに女房はいなかったはずだがな。」
 
「ということは・・・。」
 
 あの時の会話は嘘だったということになる。だが・・・
 
(まるっきりの嘘だったなら多少なりとも感じ取ることは出来るはずだ。あの時の話は全くの口から出まかせというわけではなく、その中に何かしらの真実があったんじゃないのか・・・。)
 
「死因は病死だ。そして、周辺の聞き込みで興味深いことが分かったぞ。」
 
「・・・興味深いこと、ですか・・・。」
 
「あの男は、その土地でとある薬屋に勤めていたらしい。人当たりもよく、まじめな勤務態度で店主からも同僚からも好かれていたようだ。奴の家は特に金持ちでもなければ貧乏でもない平均的な家らしいから、家族の誰かが病気になれば医者に診せることくらいは出来る程度の家だということになる。実際、女房が病気になった時もその土地の医者に診せて、治療を続けていたらしい。少なくともそのころまでは、その薬屋は特に医者嫌いではなかったということだな。」
 
「なるほど。でもそうなると、そのおじさんだかおじいさんだかの件以外で医師会との繋がりは特になさそうですね。」
 
 医師会を憎んでいるようなあの言葉は嘘だったのだろうか。
 
「と俺も思ったんだが、意外なところに繋がりがあったんだよ。」
 
「意外な?」
 
「そのかかっていた医者さ。」
 
「開業医ではないんですか?」
 
「いや、開業医だ。ただし、その医者はそこで開業する前は医師会にいた。」
 
「あ、なるほど・・・。でもその時は普通の開業医ですよね。」
 
 『元医師会にいて今は開業医』
 
 そんな診療所はどこにでもある。医師と患者がうまくいかなかったとして、それでいちいち以前いた医師会に憎しみの目を向けるというのも妙な話だ。
 
「そうだ。そこの地元にはいくつか診療所があったらしいんだが、そこの医師は職場の薬屋の上客だったらしいぞ。」
 
「それで紹介されたんですね。」
 
「ああ、ところが医者の薬では女房はよくならなかった。しかもどんどん薬ばかり増えて、金ばかりかかったらしい。」
 
「・・・薬をよく使うから薬屋の上客だったということですか?」
 
「かもしれんな。処方された薬を見ても、何のためにこの薬を出すのかわからないようなものばかり出されたと言っていたのを、近所の人が世間話の折りに聞いたそうだ。」
 
「薬屋に勤めていればよくわかるでしょうしね。」
 
「そうだよな。そこでその医者にかかるのをやめたらしい。普通ならそこで済んだ話なんだが、どうもその医者が、あの男が勤める薬屋に圧力をかけたらしいんだよな。」
 
「え、でも患者が一人減ったくらいでそんなことをするんですか?」
 
 治療方針について患者と折り合いが悪くなるということは、少なからずある。だがそれで患者が減ったからと言って、その患者の家族が勤める職場に圧力をかけるなんて、医師の、というよりいい大人のすることとは思えない。
 
「どうやら、あの薬屋は自分の薬の知識に絶対的な自信を持っているらしい。そこで医者に直接文句を言ったらしいんだ。近所の人が聞いた話というのも、そのことで医者ともめて、あの男が怒っていた時だったらしい。」
 
「ということは、もしかして患者との揉め事を言いふらされたと、その医師が考えたということですか?」
 
「言いふらされたというより、つまりその医者は、プライドを傷つけられたと考えたんだろうな。いくら知識があると言っても町の薬屋の店員に、処方箋について文句を言われて面白くなかったんだろう。それもかなり強い口調で詰め寄ったという話だ。それで腹いせに薬屋に圧力をかけ、あの男はそこを辞める羽目になった。しかも女房は亡くなり、子供もいなかったことで、あの男は一人になってしまったんだ。」
 
「でもその薬屋も、一軒の開業医に圧力をかけられたくらいで従業員をやめさせるというのは・・・。」
 
「さてそこだ。その開業医は、『あの男を辞めさせなければ取引は一切しない。自分は医師会にも知り合いがたくさんいるから、会長を動かしてこの薬屋を潰すことも出来る』と、そんなことを言ったらしいんだ。」
 
「それはひどい・・・。」
 
「でもそんな話、もしも本当に医師会に持ち込んだりしたら、立場が悪くなるのはその開業医ですよね。」
 
 妻が怒ったように言った。いや、怒っている。そんな理不尽な話、ドゥルーガー会長が乗るはずがない。
 
「まあそりゃ、実際に医師会に話が行ったりしたらそうなるだろうな。だが、城下町以外の場所に住む人達にとって、医師会なんて遠い霞の彼方にある組織でしかないんだ。その組織が実際にはどんなものなのか、そこの会長がどう言う人か、知ってるほうが少ないんじゃないか?」
 
 確かに・・・そんなことになれば、医師を嫌うのもわかるし、そんな医師の言うことを聞くような(あの男は少なくともそう思っているだろう)医師会だってろくなもんじゃないと思うだろう。
 
「だからその薬屋が医者と医師会を嫌っているのは確かだろう。ただ、その話と、身内が例の誤診で命を落としていることは、それほど関連がなさそうな気はするんだよな。」
 
「そうですね・・・。話を聞いていて、あの薬屋の医師会に対する怒りや憎しみそのものは嘘ではないと思ったんですが、なんだか変な感じがしたんですよ。奥さんがすでに亡くなっているということは、その憎しみも怒りも、現在進行形ではないということですから、それを今起きている出来事のように話していたのは、いわばあの薬屋の演技ということになりますよね。だから変な感じがしたんだと思います。その誤診の話は、話をもっともらしくするための付けたしなのかもしれませんね。彼自身はその亡くなった身内のことは顔も覚えていないとはっきり言っていましたし。」
 
「そうだな。そしてそこまでのシナリオを、その薬屋が1人で考えて演じているとは思えん。裏に脚本演出を担っている誰かがいると考えるべきだろう。」
 
「でも随分詳しくわかりましたね。」
 
「今回の件はアイーダの粘り勝ちらしいぞ。だいぶ頑張って聞き込みをしていたらしいからな。」
 
「そうですか・・・。彼女に感謝ですね。」
 
「そうだな。もっともこれですべてがわかったわけじゃない。奴の店に置かれている劇薬についての出所や、取引先についても引き続き調査してくれているよ。クイントとの繋がりでも出てくればしめたものだが、さすがに奴はそこまで間抜けではないだろうから、どこまで解明できるかってのは何とも言えないんだがな。」
 
「でもその薬屋さん・・・。」
 
 妻が思案気に言った。
 
「実はもういない奥さんのことを、今でも療養しているようなそぶりで話していて、辛くないんでしょうか・・・。」
 
「そうだね・・・。そもそもそこまでして後ろ暗い企みに乗っているとしたら、それは何のためなのか、かな・・・。」
 
「そうなのよ。いまさら医師会に復讐するためというのもピンとこない・・・復讐・・・?」
 
 妻が呟いてハッとした。
 
「シャロンと同じように、復讐させてやるとか持ちかけられたとか・・・。」
 
「そうか・・・。その可能性もあったな・・・。よし、明日にでもティールさんのところで話を聞いてこよう。どの程度まで調査が進んでいるかもな。」
 
「でもその医者はとっくに医師会にいないんですよね?」
 
「それはそうだが、シャロンの場合だっておかしな話じゃないか。もしもシャロンの父親がウィローのおやじさんを殺したんだとしたら、復讐するのはシャロンじゃなくてウィローのほうなんだからな。」
 
「そうか・・・。この一件、当たり前の考えで見ていると真実がどこにあるのかわかりませんね。」
 
「まったくだ。一層慎重にかかるべきだな。」
 
 クイント書記官が関わっている可能性があるなら、なおさら慎重に動かなければならない。こんな風に私達が頭をひねっているのも、実はすでに彼の術中にはまっているかもしれないのだから。だがあまりのんびりしてもいられない事情もある。
 
「あの薬屋が嘘をついていたのは間違いないし、いい薬があると持ちかけられたのもレグスさん一人ではないと思います。家族や本人の病気のことで、弱みを握られている誰かが他にもいる可能性は高いと思うんですよ。今はそちらのほうも調査を進めていると言うことでしょうか。」
 
「ああそうだ。レグスが聞いた話からしても、背後に医師免許を持つ誰かがいるのは間違いない。そいつをあぶり出せれば話は一気に進むと思うんだが、それが誰なのかさっぱりあたりをつけることが出来ずにいるわけさ。それに、たとえば誰かわかったとしても、ではそいつが黒幕なのかと言えば、それもまたはっきりしない。そいつがもしもその脚本演出を手掛けている奴なら、演劇学校の教官にでも転職したほうがよさそうだがな。」
 
 オシニスさんが忌々しげに言った。
 
「ティールさんの会社でもなかなかわからないんですね。」
 
「ああ、レグスの一件以来、どうも対象の動きが鈍くなっているらしいという話だ。芋づる式に引っ張り出されないよう、警戒しているんだろう。」
 
「つまり、今回の薬草の一件も、ただの窃盗であれクイント書記官の陰謀であれ、まだまだ何かしらのあたりをつけられるところまで行ってないということなんですね。」
 
 妻が言った。
 
「そういうことだ。だから、この話はまずはここまでだ。進展があれば俺なりじいさんなりからドゥルーガー会長に話をするから、そっちから聞けるだろう。」
 
「わかりました。まあ私達はいいんですよ。ただ今回の件ではハインツ先生がかなり気落ちしているんですよね・・・。それが心配なんです。」
 
「そうだなあ・・・。しかし、話をしてやれるようなことはないから、ハインツ先生にもさりげなく動いて貰うとか、そう言うのもいいかもしれないな。」
 
「あ、その『お金に困っているかも知れない人』の件でですか?」
 
「そういうことさ。ハインツ先生は他の医師達にも見習い達にも人気があるだろう?もしかしたらいろいろと相談事が持ち込まれているかもしれないじゃないか。何かしら思い当たることがあるかもしれない。俺としてはそれを期待しているんだ。それに忙しくしていれば気が紛れるかも知れないからな。」
 
「そうですね・・・。ただ、ハインツ先生が自分に持ち込まれた相談の主のことを話してくれるかどうかが問題かもしれませんね。」
 
「ああ、そこは俺が説得するよ。今回はハインツ先生も被害者なんだ。何とか協力してもらうさ。それに、誰がいつどんな相談を持ちかけた、までは聞くつもりはないからな。それとなく仄めかしてくれるだけで、あとはこっちで調べるさ。」
 
 正直なところ、手術の直前になってこんな揉め事は勘弁してほしいところなのだが、相手が本当に『あのお方』だとすると、まだしばらくは騒がしいと思っていなければならないようだ。
 
「調査についてはお願いします。私達も協力できるならしたいところですが、今はクリフの手術の準備で手いっぱいですからね。」
 
「そうだな・・・。それについては俺は手が出せないから、俺のほうこそお前達に頼むよ。何とかクリフを助けてやってくれ。」
 
 オシニスさんが頭を下げた。
 
「・・・オシニスさん、以前も、さっきも、私はクリフにもクリフのご両親にも、そしてオシニスさんにも、クリフは治りますと言えませんでした。今でもそれは変わりません。それでも、クリフがもっと長生きできるよう、せめて病気と上手に付き合いながら普通の生活が送れるよう、全力を尽くします。」
 
「ああ、頼むよ。」
 
 
 話を終えてオシニスさんは少しほっとしているようだ。今度は私の番だ。
 
「それでは昨日の続きを話しましょうか。」
 
「・・・そうだな。その前に、昨日聞かせてもらったことについて、少し話さないか?」
 
 オシニスさんは立ち上がり、お茶をカップに注ぎながらちらりと私を見た。
 
「そんな顔するなよ。俺は別に、お前達を責めたいわけじゃない。ただ、続きを聞く前に俺が昨日何を考えたか、今どう思ってるか、そのくらいは話しておいたほうが、お前もこの先の話をするのに気持ちが楽になるんじゃないかと思ったのさ。」
 
 どうも私は顔をこわばらせていたらしい。
 
「・・・そうですね。それはありがたいです。」
 
 オシニスさんはポットをテーブルに置いて、椅子に座った。
 
「さて・・・改めて言おう。2人とも、昨日はつらい話をさせてすまなかった。そして・・・何度言ってももう詮無いことなんだが、お前とカインが南大陸へと遠征することになった時、海鳴りの祠からお前達3人が出て行った時、俺は何も出来なかった。ただお前達の背中を見送っていただけだ。ほんとうに・・・すまなかったな・・・。」
 
「いいんですよ。もう過ぎたことですし。それに、南大陸に行ったおかげで私はウィローと会えましたしね。」
 
 隣で聞いていた妻が慌てたように私の肩を叩いた。
 
「ちょ、ちょっと!何言いだすのよもう!真面目な話をしているのに!」
 
「私も真面目だよ。確かにいろんなことがあって、辛いこともたくさんあったけど、私とカインが南大陸に行くことにならなければ、君とは会えずじまいだったんだからね。」
 
 オシニスさんが笑い出した。
 
「そうだな・・・。海鳴りの祠をお前達が出て行った後、みんな言ってたよ。自分達が南大陸に行けなかったのは悔しかったけど、クロービスに彼女が出来ただけでも収穫はあったなってな。」
 
「・・・そんなことを言われていたんですか・・・。」
 
「そりゃそうだ。お前みたいにおとなしい奴では将来が心配だからって、エリオンさん達がよくお前を歓楽街に連れ出そうとしていたじゃないか。女に慣れさせようと思ってたとか言っていたことがあるが、まあそんな必要はなかったってことだからな。みんな安心していたんだぞ?」
 
「あれには参りましたからね・・・。断る口実を探すのが大変で。」
 
「ははは、まあ確かに、ウィローとお前のことはよかったと思うよ。」
 
 レイナック殿は、私と妻が運命の相手だと言っていた。その運命で私達が南大陸へと向かうことになったのだとしても、あの時起きた出来事も、その後の剣士団の苦難も、仕方なかったなんて言いたくはない。それでもやっぱり・・・妻と出会えたことだけは、それだけは、本当によかったと思っている。
 
「・・・これでカインがいてくれたら・・・何も言うことはないんですけどね・・・。」
 
「そうだな・・・。正直に言おう。昨日の話を聞いた時、俺は・・・どうしてそんなことになったのか、もっと何かほかの方法があったんじゃないか、そう思った。いや・・・思ったというより、そう言う言葉が頭の中に浮かんでくるんだ。だが他の方法なんてものがなかったからこそそう言う結果になったことも理解している、昨日の俺の頭の中はごちゃごちゃして、自分でも何を考えているのかわからないくらいだったよ・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「それでまあ、一晩かけていろいろと考えたわけなんだが・・・。」
 
 オシニスさんはいったん言葉を切り、お茶を飲んだ。
 
「うん、今日の出来はまあまあかな。」
 
 私達も飲んだが、やはりおいしい。本人が言うように昨日の今日で今日のほうがおいしくなっているかどうかとなると何とも言えないが、少なくとも味のばらつきは大分少なくなったような気がする。
 
「なあクロービス。」
 
「はい。」
 
「お前、人形芝居って見たことあるか?」
 
「・・・ありますけど・・・どうしたんです?急に。」
 
 いきなり妙な質問をされて面食らった。でも目の前のオシニスさんはとても落ち着いている。
 
「昨日お前が話してくれたカインのことを、俺なりに考えてみたわけさ。人形芝居ってのはすごいよな。あの限られた数の糸を操って、なんであんな動きが出せるんだろうって首をかしげるくらい、ものすごい立ち回りなんかもする。人形使い達は、あれだけの動きを人形にさせるために、自分達も相当訓練をするんだそうだ。自分達に出来ないことは、人形にもさせることは出来ないから、それが一番大変だという話は俺も聞いたことがある。」
 
「自分達に出来ないことは・・・人形にもさせることは出来ない・・・確かに、動き自体を知らないのでは立ち回りの演技なんて出来ませんよね・・・。」
 
「そういうことさ。無論重要なのは『型』だから、戦闘力は全然ないんですがと笑っていたけどな。」
 
 そのまま少しの間、沈黙が流れた。
 
「・・・お前はカインが何かに操られているのではないかと言っていたな。」
 
「はい・・・。」
 
「操られているという言葉を聞いた時、俺はその人形使いの話を思い出した。もしもフロリア様がカインを『操っていた』場合、カインはお前と『本気の立合い』なんて出来るのかってな。」
 
「・・・つまり、カインは操られていたわけではないということでしょうか・・・。」
 
「いや、そう言うことじゃないだろう。奴が自分の意思でお前達に剣を向けるたとは思えない。これは俺の願望ではなく、奴が、何があってもお前を殺そうとするなんてことはないと確信しているからだ。ということは、そんな行動をとるよう、奴を誘導した何かがあるはずだ。それは間違いないと思う。ただ『操られていた』というのは、もしかしたら正しい表現ではないのかも知れないと思ったのさ。」
 
「・・・それは・・・確かに・・・。」
 
 カインが自分の意思で私を殺そうとしたなんて・・・そんなことは絶対にない、そう言いきれる。だから妻は、あの時カインが狂っていたみたいだったと言っていた。だが・・・
 
『フロリア様を頼む』
 
 カインの心の叫び、殺意の消えた瞳、あれは狂った人間の目ではない・・・。ではなぜ、カインは・・・
 
「フロリア様がカインに何かしたとしたら、それは操ると言うことではなく、何か強い暗示のようなものをかけたんじゃないかと思ったんだ。お前達を本気で殺しにかかるようにな。」
 
「暗示・・・ですか・・・。」
 
「フロリア様がカインをゲームのコマのように操ってお前と戦わせるなんてことは、まあ無理だろう。フロリア様は魔法には長けておられるが、剣のほうはさっぱりだ。だが、お前達を殺せと命じて暗示をかけておけば、かけられた相手はその通りに動くだろう。たとえ自分の命がなくなったとしても、ひたすらに相手を殺すためだけにな。」
 
「でも・・・暗示をかけられたまま、あれだけの動きが出来るものでしょうか。」
 
 あの時、フロリア様がカインに何かしたのではないかと考えたことは確かだが、ではそれが何なのかと聞かれると、はっきりと答えることが出来ない。誰かにその当人が全く意図しない、あるいは絶対にとらないと思われる行動を強制的にとらせる。そこまで強い暗示なんてかけられるものなのか、その確信が持てないからだ。
 
「暗示にかけられてお前に剣を向けようとした奴が、ついこの間いたじゃないか。」
 
「そ、それは・・・確かにそうですが・・・。」
 
「ま、立ち回りまではしていないから、果たしていつもの動きが出来ていたかまでは何とも言えんがな。」
 
 スサーナもシェリンも、クイント書記官に操られ、つまりなにがしかの暗示をかけられていた。特にシェリンはあのあとの取り調べで、『怪しいフードの人物』に近づいたところから病室で目を覚ますまでの記憶が全くなかったと言うことだった。クイント書記官はこう言っていたはずだ。
 
『あの娘の心の奥底がちらりと見えたとき、おそらく言葉で操ることは不可能だと考えました』
 
『少し意識を眠らせて、私の暗示を聞いてもらったのです』
 
 意識を眠らせて暗示をかける。フロリア様があの時のカインにそういった類の暗示をかけたのだとすれば、おそらくカインの心がフロリア様の瞳に吸い込まれたような、そんな気がしたあの時かも知れない。ではカインは・・・死ぬ間際まで、自分が何をしていたか気づかなかったのだろうか。いや・・・そうではないと思う。
 
『フロリア様を頼む』
 
 激しい戦闘のさなかに私の心に響いたあの声は、今でもつい今し方聞いたかのようにはっきりと覚えている。それはカインが心の中で念じていた言葉。そして命尽きる最後の時に振り絞るように言った言葉。もしも本当に『強い暗示をかけられていた』のだとしても、あの時にはすでに暗示は解けていたんじゃなかったのか・・・。
 
「でも暗示が解けていたなら、治療術が効かなかったのはどうして?あなたも私も必死で唱えたわ。それとも私達が取り乱していたから、呪文が効かなかった?」
 
「それは違うと思うよ。ただ、あの時カインは、治療術が効かないことを受け入れていたようだった・・・。」
 
 微笑んだまま、ゆっくりと首を横に振った・・・。
 
 なぜだ。
 
 なぜ、カインに治療術が効かなかったのか。それはカインが死を望んでいたからなのか・・・。
 
 私の思考はいつもそこで止まる。それ以外に説明がつかないからそうなんだろうと思う一方で、そんなはずはないともう一人の自分が叫んでいる。
 
「それは違うんじゃないか?」
 
 オシニスさんが言った。
 
「・・・・・・・・・。」
 
「受け入れていたというより、知っていた、あるいは気づいていたと言ったほうがしっくりくるような気がするよ。奴の望みがフロリア様と共にあることだったなら、奴は何があってもフロリア様の元に戻ろうとしていただろう。」
 
「・・・最初から死ぬ気だったわけではないと?」
 
「・・・奴は死ぬ気はなかったが、あの時の『フロリア様』は、お前もカインも一緒に葬るつもりだった、俺はそう思った。」
 
「・・・・・・。」
 
「どの時点であれ、奴の暗示がもしも解けていたなら、すぐに奴は剣を収めただろう。だが、暗示が解けても、お前に対する攻撃をやめることが出来なかったら?」
 
「でも暗示が解ければ、シェリンだってスサーナだっていつもと同じに戻りましたよね。」
 
「まあそうだ。シェリンは自分の行動を全く覚えていなかったが、スサーナは自分が何をしたかぼんやりと覚えていた。それはおそらく、クイント書記官がかけた暗示の強さの違いじゃなかったかと思う。」
 
「それだけ強い暗示がかけられたということでしょうか。」
 
「シェリンの奴は意志が強いと、クイント書記官は言っていたんだろう?カインの奴だって意志が弱いわけじゃない。だが、惚れた女が目の前にいて、奴が今まで信じてきたことを何もかもぶち壊すようなことをにこにこしながら言っていたら、誰だって混乱するし弱気が顔を出すと思わないか?カインはフロリア様を男として愛しながら、その一方で国王陛下として敬愛していたと思う。その時のカインがどれほど衝撃を受けたか、どれほど深く心に傷を負ったか、俺にはわかるような気がするよ。その時の『フロリア様』は、それも認識していただろう。だからカインを絶望のどん底に叩き落とし、弱ったところで暗示をかけてまずは自分に従わせた。そして奴の心をがっちりと絡めとったところで、もう一度、お前とウィローを殺すよう、強い暗示をかけたのだとしたら?」
 
「・・・二段構え、というわけですか。」
 
「あくまでも可能性の問題だがな。スサーナ達の場合、クイント書記官はおそらくそれほど時間をかけることが出来なかったと思う。道端でいつまでも話し込んでいれば、人目に触れる危険も高くなるからな。だがカインの場合はどうだ?漁火の岬でそこにいた『フロリア様』と出会ってから、王国軍の連中と一緒に船に乗るまでの間、ある程度の時間はあったんじゃないのか?その間にその『フロリア様』がカインに何をしたか、それはわからんじゃないか。お前の夢がいくらカインの身に起きた出来事を追体験しているとしても、起きた出来事をすべて見通せるわけではないだろう。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 確かにそうだ・・・。こうして言われるまで、そんな事にも気づけなかった。私が見ていた夢が、カインの行動を全て見渡していたわけではない。夢にでてくる出来事がどこでいつ起きた出来事なのか、私は選べるわけではない。あの時のカインの行動には、まだまだ私の知らないことがある・・・。
 
「・・・となると・・・カインを従わせるために、フロリア様はご自分の持つ力を使ったのでしょうか。人の心を操る魔法などというものが存在しないとしても、間違いなくフロリア様がカインを思い通りに動かしていたのだとしたら、その方法が何かしらあるはずですよね・・・。」
 
「・・・この間、シェリンとスサーナの件で、じいさんに聞いたんだ。クイントがやったようなことを、じいさんやフロリア様や、お前も、出来るはずなのかとな。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「お前にとっては気分のいい話じゃないだろうし、俺にとってもあんまり聞きたい話じゃないが、あいつらがまんまと操られて、危うく王国剣士としての身分を剥奪されるところだったんだ。俺としても黙っているわけにはいかなかった。その時のじいさんの返事だと、この力だけを使ってそこまでやれるのは、全ての力を解放したクロービスくらいのもんじゃないかと言われたよ。」
 
「私は持てる力の半分も使えていないそうですから、となると誰もが無理だと言うことになりますね。」
 
 つまり、古のファルシオンの王でもあれば、そのくらいのことは出来るだろうということか。だが現代においては、剣を持つのが私である限り、この世の中でそこまでの強い力を操れる人間は誰もいないのだ。
 
「ああ、じいさんも言ってた。今のお前には逆立ちしたって出来ない芸当だそうだ。そして、クイントの持つ力が剣に由来している物でない限り、そこまでの力を発揮することは出来ないはずだともな。」
 
「ということは、クイント書記官はこの力を使ったわけではないんでしょうか。」
 
「いや、おそらく自分の力、つまり近づいてくる相手の心をのぞき込んで軽い暗示をかけることと、もしかしたら催眠術を併用しているんじゃないかと言ってたよ。」
 
「催眠術ですか・・・。」
 
「人の心を操ると一口に言っても、口先だけではなかなか難しいと思わないか?そこで催眠術を併用して、『暗示』をかける、そして相手に思い通りの行動をとらせるってことだと思うぞ。」
 
 確かにそれならば、2段構えで暗示をかけ、思い通りに動かすことは出来るかもしれない。だが疑問は残る。催眠術については、あの時私も考えなかったわけじゃない。だがそれほど強力な催眠術があるものなんだろうか・・・。
 
 
「・・・フロリア様も、そう言う方法でカインを思い通りに動かそうとしたんでしょうか。」
 
「俺はそうじゃないかと考えている。少なくとも、今クイントがやっていることを、当時のフロリア様が出来ないとは思えない。今だってそれなりの力をお持ちなわけだからな。」
 
「輝きを感じ取れるそうですね。」
 
「ああ、そう言う話だったな。」
 
 オシニスさんはこともなげにそう言った。私がレイナック殿からその言葉をいつ聞いたのかについては、もう知っているのだろうか。
 
「実際にはもう少し詳しくわかると言うことだったから、カインが自分に対してどういう気持ちを持っているかは、その漁り火の岬で出会った時にわかったんじゃないか?当時のフロリア様にとって、カインもお前も邪魔で仕方ない存在だった、ところがその片方は自分に気があるらしい。それをうまく利用して、戦わせて相打ちを狙ったんだろう。」
 
 オシニスさんが小さくため息をついた。
 
「・・・ま、今フロリア様がご自分のしたことをどう思われているか考えると、こんな言い方はしたくないが・・・それでも、最低なやり口だと思うよ・・・。」
 
「でも・・・そうなると、カインに治療術が効かなかったのも、フロリア様の暗示と言うことになるんでしょうか。」
 
「そこだ。奴がお前達と向かい合った時、おそらく奴の自我はフロリア様によって封じ込められていたんだと思う。だからお前達を単なる『殺す対象』としてしか認識していなかったんじゃないのかな。再会した時のカインの声が、人形の声じゃないかって思うくらい抑揚がなかったのは、そのせいだと思うよ。だがその暗示は、おそらく戦っている間に解けた、その時カインはおそらく、一度剣を納めようとしたんじゃないかと思う。お前が奴の心の声を聞いた時、奴の動きが一瞬止まったと言ったな?もしかしたらカインは、自分が何をしているのかに気づいて戦いをやめようとしたんじゃないか、だが、自分の意志に反して攻撃をやめることが出来ない。もしも・・・まあここからは俺の全くの推測の域を出ないが・・・もしも奴が本当に『死を望んでいた』としたら、その時、どうしても自分の意志で攻撃をやめられず、お前とウィローを守るためには自分が死ぬしかないと、そう考えたのかもしれん・・・。」
 
 カインが正気に戻っていたのではないかと気づく前、カインの動きが一瞬止まり、涙が一筋流れた。あれは・・・カインの決意だったのだろうか。このまま戦いを続ければ、おそらくは共倒れになる。私を助けるために、そして近くにいるはずのウィローを助けるためには、自分が私に殺される以外にないと・・・。
 
「そこで改めて聞くが、奴の心の声が聞こえたあと、カインは本当に、その前と同じ動きをしていたのか?」
 
「・・・それは・・・カインがわざと動きを鈍くしていたのではないかと、言うことですか?」
 
「いや、俺の推測通りなら、それは無理だと思う。奴が自分の体をわずかでも自分の意志で動かせていたなら、こんなことにはならなかったはずだ。だが、思い通りにはならないまでも、何とか動きを止めようと奴は頑張ったんじゃないかと思ったのさ。」
 
「・・・少しおかしかったと思います。」
 
 言ったのは妻だった。
 
「ウィロー・・・。」
 
「私ね、あなたに突き飛ばされた後、ちょっとずつあなた達に近づきながら見ていたのよ。私がカインに殺されるかもしれないと、あなたが本気でそう思うほどカインは迷いなく剣を振っていたと思ったから、私よりもあなたのことが心配で。」
 
「・・・カインが倒れた時、すぐに駆けて来てくれたよね。」
 
「ええ、あなた達2人がよく見えて、何かあったらすぐに走っていけるくらいの距離、そこまで来て、道端の木の陰に隠れて見ていたわ。あの時のカインは・・・なんていうのかな、いつもと違う、動きが少しだけ鈍かったように思う。」
 
「・・・そう・・・かな・・・。」
 
 思い出せない。あの時はカインの動きをよく見ていたと思ったのに・・・。
 
「まあクロービスにその時のことを冷静に思い出せと言っても無理かもしれないな・・・。俺が同じ立場に置かれたとしたら、それこそ取り乱していたかもしれない・・・。なあウィロー、鈍かったというのは、たとえばどんなところだ?」
 
「・・・カインの肩をめがけて振り下ろしたはずの剣が、カインの首を傷つけたことです。」
 
「ウィロー、でもそれは!」
 
「あなたのせいなんかじゃないわよ!」
 
 妻が私の言葉を遮って叫んだ。
 
「あなたは何もかも全てのことを、自分の意志で選び取って進んできたと思っているのかも知れないけど、どんなに命の危険があったって、あなたがカインを殺そうとするはずないじゃない!もっと自分を信じてよ!」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「私はね、あなたを慰めるつもりでこんなことを言ってるんじゃないわ。よく考えてよ。あなたとカインが砂漠の中で立合をしていたことなんて何度もあったでしょう。足を滑らせたところに振り下ろした剣が顔を切ったり髪を切り落としたり、そんな事はよくあったじゃないの。あんな足場の悪いところで何度も訓練していたのよ?砂が雪になったところで、カインのあの瞬発力がいきなり衰えるわけがないじゃないの!」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 何か言おうとするのに声がでない。ウィローの言うとおり、私は自分の意志でカインを殺したのではないかと思い始めていた。何もかも、私は自分の意志で選んで今まで生きてきたのだから、あの時のこともそうではないのかと・・・。
 
「あなたは覚えていないのかも知れないけど、あの時ね、カインは避けようとしたんじゃないかと思う。私にはそう見えた。でも・・・引こうとしたはずの肩が変に泳いでいたから、危ないと思ったのよ。そして次の瞬間・・・。」
 
 妻が涙を拭った。
 
「変な動きだったと思ったわ。あんな時、いつもの訓練ならさっと後ろに飛んだり、肩だけひねってかわしたりして『おっと、今のは危なかったなあ』なんて笑ってたくらいのものよ?」
 
「・・・カインとクロービスの腕は互角だからな。勝負がつくとしたら、カインの力と瞬発力か、クロービスの素早さと身軽さか、どちらかがその時だけ勝っていたってことだ。」
 
「あの時も・・・私はカインがすぐに避けると思っていたんです。なのに・・・まるでその場で動けなくなったみたいに・・・」
 
「つまり君の目には、カインの動きが鈍くて、避けきれなかったように見えた、ということか?」
 
「・・・はい・・・。」
 
 妻がうなずいた。
 
 ゆっくりと、もう一度思い出してみた。肩めがけて振り下ろした剣・・・。足を滑らせたカインの肩が・・・
 
「そうか・・・肩を引こうとしたのに引けなかったから・・・。」
 
「だから首に当たったのよ。あんなおかしな動き・・・カインがするはずがないのに・・・。」
 
 確かに・・・足場の悪い場所での訓練では何度も怪我したし、一つ間違えば大怪我に繋がりそうだったことは何度もあった。そう考えれば、あの時のカインの動きは確かにおかしかったかも知れない。
 
「・・・なあクロービス。」
 
「はい・・・。」
 
「この間のフロリア様とのお茶会の時、お前1人の時とウィローも一緒の時があったが、カインに関してそう言った核心部分の話ってのは出なかったのか?」
 
「そこまでは・・・。気にはなってましたがさすがに私からは聞けませんでしたし・・・ウィローと一緒の時は、20年前のフロリア様と私の縁談のことで謝罪してくださった話が中心でしたから・・・。」
 
「・・・そうか・・・。なるほど、それではなかなかカインの話は出来なかっただろうな・・・。」
 
「フロリア様だって進んで話したいことではないでしょうしね。」
 
「そうだよな・・・。となると、それは俺が聞くしかないか。」
 
「オシニスさん・・・。」
 
「もしかしたら、あの当時の事情をほぼ全て知っているお前とウィローにも話すことの出来なかった何かが、あるのかも知れない。そしてそれを直接フロリア様に聞くことが出来るのは、多分俺だけなんだと思うよ。」
 
「私は・・・フロリア様がカインのことであそこまで苦しんでおられるのは、間接的にでもカインを死に追いやったと思っていたからではないのかと考えていました・・・。でももしかしたら、間接的にではなく、何らかの方法でカインが確実に死ぬように仕向けていたのだとしたら・・・。」
 
 最初に2人きりでのお茶会で話した時、フロリア様の心の奥にまだ踏み込んではいけないと思った。そう思わせるほど、フロリア様の心の奥に広がる闇は深く、底が知れないほどだった。それがもしも、フロリア様が間接的にではなく、本当に『カインを殺した』ということだとしたら・・・あの闇の深さもうなずけるような気がする・・・。
 
「・・・いまさらフロリア様を恨むつもりはないけど、真実は知りたいと思うわ・・・。」
 
 妻が言った。
 
「そうだね・・・。私も、フロリア様がそのことでどれほど苦しまれているかはわかるつもりだから、今さら恨む気持ちにはならないけど・・・私達にも言えなかった何かがあるなら、それがカインに関することなら、本当のことを知りたいとは思うよ。」
 
「カインの死には、フロリア様しかご存じない何かがあるのかもしれないな・・・。」
 
 オシニスさんが言った。私達にも言えなかったことがあるとしたら、それは何だろう。
 
(もしかしたら・・・『シオン』が私を好きだったことに関係しているのかな・・・。)
 
 フロリア様は、あの時カインに恋していた。『シオン』は、フロリア様がカインを心の支えしていることを、おそらくは忌々しく思っていたと思う。だからカインを殺してフロリア様の人格を弱らせ、消してしまうつもりでいたのじゃないか。
 
 その『シオン』が私に心を寄せていたと、フロリア様から直接聞いた。ハース鉱山に死体の山を築かせても平気だったほどの残忍なその人格は、自分の中に生まれたその感情に、かなり戸惑ったのではないだろうか。だから、カインを殺すために私と戦わせ、どちらも消し去ることで自分を保とうとしたのではないか・・・。
 
(だとしたら・・・そんな話を、私達には出来ないだろうな・・・。)
 
 私とのお茶会、妻も一緒のお茶会、どちらの時も、フロリア様は勇気を振り絞って当時のことを告白したのだと思うが・・・それでも言えないことがあったとしても、それを責めることは出来ない。
 
 では
 
 そのことについて、オシニスさんに話そうとしているのだろうか。『腹を割って話す』ために、私達にも言えないことをオシニスさんに話そうとしている?それもなんだか妙な話だ。カインと私のことで、私に話せないから代わりにオシニスさんに話すなんて、何の意味もない。あの聡明なフロリア様が、そんな事を考えるはずがない。
 
「そうなると、やっぱり気になってくるのは、フロリア様が俺と何を話したいのかってことだなあ・・・。」
 
「オシニスさん、これは私が何となく感じたことだったので、言うかどうか迷ってたんですが・・・。」
 
 私は思い切って、フロリア様から言伝を頼まれた時、フロリア様がご自分の考えていることを私に知られたくないと思っているのではないかと感じたという話をした。オシニスさんはしばらく考え込んでいたが・・・
 
「お前が言伝を預かったというのは、この間の祭り見物の日の話だよな。」
 
「そうです。」
 
「ということは、・・・お前達とはぐれた時、2人でしばらく話をしていた時には、もうその言伝を頼むつもりでいたと考えてもいいか・・・。」
 
「思いつきでおっしゃったとは思えませんから、おそらくはそうなんじゃないかと思いますけどね。」
 
「フロリア様が20年前のことをどれほど気に病まれているかと言う話も出たから、あの時のことで話したいことがあるってことなんだとは思うが・・・。お前に知られたくないと思っているとしたら、それはおそらく、お前も知らない話ってことになるよな。」
 
「そう言うことになりますね。先ほどオシニスさんに言われて気がつきましたが、あの当時私が夢に見ていたことが、起きたことの全てというわけではないはずですから、多分私も知らないことが何かあるんだと思います。」
 
「少なくとも、フロリア様がカインをどうやって思い通りに動かそうとしたか、それはお前にもわからないわけだしな。」
 
「そうですね・・・。」
 
「そのことを俺に話そうとしてるのか・・・。いやそれも変な話だ。カインのことで話したいということがその話なら、それは俺よりもお前に話すのが筋というものだろう。それを考えると、もしかしたら、フロリア様が俺と話したいということと、その相談したいことと言うのは、全く別の話なのかもしれないな。」
 
「別の話・・・ですか。」
 
「そうだ。お前の話を聞いた後に訪ねてくれと仰せだということは、俺があのころのフロリア様の顔を知っているという話に繋がっているんじゃないかと思うんだよな。その中にカインのことも含まれているというなら、話はわかる。だがその相談事というのはまた違うかもしれないと思ったのさ。少なくとも、あのころのフロリア様の顔のことで、俺が相談を受けるようなことは思いつかない。だがもしもそれとは全く別の、たとえば政治的な内容だとしたら、お前達に余計なことを聞かせることになってしまうから知られたくないのだということも考えられる。」
 
 オシニスさんはため息を一つついて立ち上がると、ポットを持ってきてお茶をカップに注いだ。
 
「冷める前に飲んで、淹れなおそう。今はとにかく、フロリア様のことは考えないようにしよう。推測ばかり重ねても意味がない。昨日の話の続きを聞かせてくれ。お前達が知っていて、俺が知らないことをまずは埋めていくよ。それでもどうしても埋まらない部分があれば、あとはフロリア様に直接聞くさ。」
 
「それしかないかも知れませんね。」
 
「ああ、だから、このことでお前達が気に病む必要はないよ。フロリア様本人が知られたくないと思っておられるなら、無理に聞き出すわけにもいかないしな。」
 
「そうですね・・・。それじゃ、今日はムーンシェイの村を出たところからの話をしますよ。昔みんなの前で話したことの繰り返しにはなりますが、もう少し詳しくお話し出来ると思います。」
 
「お前がしてくれた話の内容だけでも、普通に城下町で暮らしている分にはとても信じられないようなことばかりだったもんなあ。」
 
「まあ一番信じられないのは、実体験した私達なんですけどね。」
 
「それもそうか。そう言えばそのファルシオンからサクリフィアへと国が変わる、そのあたりの詳しい話も聞けたと言っていたな。」
 
「ええ。あの時はあんまり時間がありませんでしたから、そのあたりはけっこう端折ってましたけどね。」
 
「それじゃ話してくれよ。まあ、明日の仕事に差し支えるほど遅くまでは引き留められないから、切りのいいところまででいいよ。」
 
「そうですね。明日は打ち合わせもありますし、明後日はもう手術当日ですからね。」
 
「あっという間だな・・・。歳をとると時間の経つのが早くて叶わん。」
 
「ははは、それはお互い様ですよ。でも不思議なもので、ムーンシェイの森に入ったのは、まだ昨日のことのように覚えているんですよね。」
 
「鬱蒼としてはいるが、明るい森だったな。」
 
「そう言えばオシニスさんは行ったことがあるんでしたね。」
 
 こちらに出てくる前に息子が預かってきた手紙に書いてあったはずだ。
 
「ああ。小さな村だってのはお前に聞いていたから、少人数で行ったんだ。その時の話はあとでしてやるよ。」
 
「あの森は、畜舎や畑がある南側と、長老の家に向かう北側では、全然雰囲気が違うんですよ。私もウィローも、村の人達の温かい心遣いは身に染みましたが、それでもやはり、カインのことが頭から離れなくて、重い気持ちのまま森に入ったんですよね・・・。」
 
 カインの喉元を切り裂いたあの時の感触は、今でも私の手の中に残っている。それでも、私達に立ち止まる猶予はなかった。ただひたすらに進まなければならなかったのだ・・・。
 

第95章へ続く

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