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 私達は3人で研究棟へと向かった。棟への入口は医師会の建物の東の端にある。
 
「ここはいつ来てもあんまり気分のいい場所ではありませんな。」
 
 入り口の前に立ち、ハインツ先生が言った。
 
「独特の雰囲気はありますね。」
 
「そうなんですよ。なんとなく、お前のようなやぶ医者はお断りだと言われているようでね。」
 
「ははは、御冗談を。ハインツ先生がやぶ医者だったら、私など箸にも棒にもかからない医者になってしまいますよ。」
 
 そんな話をしながら部屋に着いた。中ではライロフとオーリスが薬草学の本を見ていた。
 
「あ、あれ?皆さんどうされたんですか?」
 
 2人とも驚いて立ち上がった。
 
「デンゼル先生のノートを見に来たんだよ。いろいろと勉強になるかと思ってね。」
 
 ハインツ先生が答えた。
 
「君達は仕事を続けてくれていいよ。こちらのことは気にしないでくれるかい。」
 
「は、はい。」
 
 2人は戸惑っているようだったが、また座って本を見始めた。時々ノートに何か書き込んでいるところを見ると、クリフの薬についてもまだ調べているらしい。
 
「これですよ。かなりの量なので今日一日で読み終わるかどうかわかりませんけどね。」
 
「うはぁ、これはまた・・・確かにすごい量ですね・・・。」
 
 ハインツ先生がため息をついた。
 
「こんなにあるんですか。クロービス先生、これ全部、この間背負ってきた荷物の中にあったんですよね?」
 
 ゴード先生も目を丸くしている。
 
「ええ、宿に籠もるより、ここのほうが皆さんの助言をあてにできますからね。」
 
「とにかく拝見しましょう。いやしかしこれは・・・。」
 
 ハインツ先生が一冊手に取って開いたが、すぐため息をついてしまった。
 
「うーん・・・マレック先生の手紙の返事を待ったほうがいいかもしれないと、思わず考えてしまいますねぇ。」
 
 このノートはおそらく、デンゼル先生が思いついたことをその都度書いていったものだろう。誰かに読ませることなんてその時は考えていないはずだから、自分さえわかればいいと書きなぐっって言ったんじゃないかと思う。読めないほどではないのだが、確かに解読には時間がかかるかもしれない。
 
「とりあえずは、クリフの病気の手がかりになりそうな内容が書かれているノートから見始めましょう。それが、えーと・・・。」
 
 重なっているノートの山から、しおりを挟んだノートを何冊か選びだした。
 
「今回の手術の手順を考えるにあたって、私が参考にしたのがこのノートです。ここから見始めて、他のノートに手を広げていくのがいいと思います。」
 
「なるほど。しかしクロービス先生はもう、このノートは全て目を通されたわけですよね。」
 
「ええ、私としては全部見たつもりですが・・・まあその、言いにくいのですがなかなか読みづらくて、果たしてすべてを詳細にとなると・・・。」
 
 正直なところ、細かいところまですべて読んだかと聞かれたら、はいとは言えないような気がする・・・。
 
「ではこのノートを一晩お借りすることは出来ますか?違う人間が見れば、また違う情報が見つかるかもしれません。ゴードと二人で何とか解読してみましょう。」
 
「わかりました。ぜひお願いします。」
 
「ゴード、私がこっちを引き受けるから、君はこちら側を頼む。」
 
「わかりました。」
 
 ゴード先生はあんまり気乗りしないようではあったが、頷いてノートを受け取った。
 
(後はこの2人に任せるしかないな・・・。)
 
 同じものを同じ人間が何度見ても、なかなか新しい事柄を見つけ出すのは難しい。でもハインツ先生もゴード先生も、医師として信頼出来る。この2人ならきっと何か見つけ出してくれるだろう。もちろんそれでも出て来ない可能性はある。それならばそれでいい。また他のノートを見てみればいいことだ。時間は限られている。あまり1つのことにこだわるよりも、視野を広げたほうがいい時もある。
 
 クリフの手術は私1人が走り回って頑張ればいいというものではない。たくさんの人達が関わっている。任せられるところは任せたほうがいいと思う。それに、今日の朝オシニスさんとした話を、妻にも話しておきたい。昼食を宿でとることにして、いったん戻ろう。
 
 
「・・・宿でお昼?」
 
 病室に戻り、私は妻に昼食の話をした。
 
『たまにはあの宿のランチもいいかと思ってね。』
 
 私はそう言って妻を誘った。妻が私の本当の意図を汲み取ってくれたかどうかはわからないが、たまにはいいわねということで、昼食は『我が故郷亭』に戻って食べることになった。
 
 
 
「・・・祭りってもうすぐ終わるのよね・・・。」
 
 昼になって王宮を出た。道では人がごった返している。祭りもそろそろ終わりのはずだが、この人の多さは最初にここに来たころとほとんど変わらないような気がする。
 
「そのはずなんだけど、前後一ヶ月くらいは落ち着かないらしいから、みんなぎりぎりまで遊ぶつもりでいるんじゃないのかな。」
 
 人ごみに流されながらもなんとか宿まで辿りついた。宿の中は中ですごい騒ぎだ。
 
「お、めずらしいな。昼メシかい?」
 
 ラドがカウンターの中から声をかけてくれた。
 
「そのつもりで来たんだけど、大丈夫かな。」
 
「すぐに部屋に持って行くよ。待っててくれ!」
 
 
 部屋に戻って一息ついた。なんだかすっかりここが家のような気がするほどだ。
 
「忙しいのに急に戻ってきて悪かったかしらね。」
 
「そうは思ったんだけどね、今日の夜オシニスさんと会う前に君にどうしても話しておきたいことがあってね。」
 
「今朝の話ね。」
 
「そう。行く前に時間が取れるかどうかもわからなかったし、早めに来てくれていいって言われてるから、オシニスさんも腹を括って話を聞いてくれるつもりなんだと思うよ。」
 
「失礼しまーす!」
 
 扉がノックされて、入ってきたのはロージーと・・・もう一人、初めて見る若者・・・と言うより、まだ子供だ。
 
「忙しいのにすまないね。そちらは・・・もしかして弟さん?」
 
 ロージーによく似ている。
 
「はい。今日は忙しいから手伝えって言われて・・・。」
 
 私達とは目を合わせようとせず、ぼそりと返事をした。剣士団に入りたいと言っている末の子か。確かまだ学校に行っているはずだ。私達の問いに返事はしてくれるが、下を向いたまま持ってきた手提げ箱から料理を出している。
 
「すみません、普段手伝いしてないから不慣れなんですけど、ここ最近はとにかく忙しいので、手伝ってもらったんです。」
 
 ロージーが頭を下げた。
 
「いや、かまわないよ。さすがに姉弟だね。よく似ているよ。」
 
「え?姉貴にですか!?」
 
 男の子がいきなり顔を上げ、嫌そうに顔をゆがめた。
 
「ほーら、あんたはあたしに似てるのよ!」
 
 ロージーは『それ見たことか』と言いたげな表情だ。
 
「えー・・・そんなに似てないよ・・・。」
 
 彼のほうは不満らしい。話をしながらもロージーは手を休めず、あっという間にランチの支度が出来上がった。
 
「うるさくてすみませんでした。失礼します。どうぞごゆっくり。」
 
 弟の手を引っ張り、でも部屋を出る間際に笑顔は忘れない。私達がここに来たばかりのころはまだあまり仕事に慣れてないという印象だったが、今では宿屋の看板娘としてすっかり定着しているように見える。
 
「あら、名前を聞かなかったわね。」
 
 妻が言った。
 
「そう言えば・・・。まあ普段客と話す機会なんてないだろうから、恥ずかしかったんじゃないかな。」
 
「そうよね。それじゃいただきましょう。話を聞かせて。」
 
 食事をしながら少しずつ今朝の話をした。
 
 
「そう・・・。落ち着いていたなら、よかったわ・・・。」
 
 食後のお茶を飲みながら、妻がぽつりと言った。
 
「無理しているようにも見えなかったよ。昨夜は随分動揺していたようだったから、心配してたんだけどね・・・。」
 
「さっき会った時、私もそう思ったのよ。すごく落ち着いているし、笑顔も無理してるように見えなかったなあって。」
 
「今日の夜行った時、昨夜の話について話したほうがいいのかな。何かしら思うところはあっただろうし、黙っていられるとこっちも気になるしね。」
 
「早めに来てくれていいって言ってたんでしょ?もしかしたらだけど、オシニスさんのほうから何か話すつもりかも知れないわよ。」
 
「そうか・・・。早めと言っても食事はすませていかないと、あんまり遅くなってから食べると胃の調子が悪くなるからなあ。」
 
 普段なら多少調子が悪くても、そんなに気にしないでいられるのだが、クリフの手術は目前だ。限られた時間の中で万全の体制を調えるために、出来るだけ無理はしたくない。
 
「それじゃ夜の食事はあの東翼の喫茶室で軽くすませる?ここまで戻って、食べてまた行くとなるとそれなりに時間がかかってしまうわ。」
 
「そうしようか。それじゃ出る前に夜は外で食べてくるって言って行こう。」
 
 正直なところ、オシニスさんの昨夜のあの動揺ぶりと、今朝のあの穏やかな表情が結びつかないでいるところだ。私が戸惑っていることくらい、オシニスさんも気づいていただろう。昨夜から今朝の間に何があったのか、今日の夜行けば、わかるかも知れない。そのためにも、夕食は出来れば王宮内ですませておきたい。
 
 
 
「ふぁ〜、やっと着いたわ。昼間の人混みはなんだかどんどん増えて行くみたいねぇ。」
 
 宿で今日の夜遅くなることを伝え、私達は王宮に戻ってきたのだが、どうやら今日はパレードの日だったらしく、ものすごい人出に流されてしまい、王宮にたどり着くまでにかなりの時間がかかってしまった。
 
「ライラが来てるかも知れないな。先に一度部屋に行ってみるよ。ウィロー、ハインツ先生に伝えておいてくれるかい?」
 
「了解。言っておくわ。」
 
 私は妻と別れ、研究棟へと向かった。部屋の前まで来ると、笑い声が聞こえる。ライラが来ているらしいが、話し相手はライロフとオーリスか。楽しく話しているところに顔を出すのも気がひけるが仕方ない。私は扉をそっと開けて、まず顔を出した。
 
「楽しそうだね。」
 
「あ、先生お帰りなさい。」
 
 ライラは笑顔で振り向いたが、ライロフ達は少し顔をこわばらせた。
 
「お帰りなさい。うるさくしてすみません。」
 
「気にしなくていいよ。楽しそうに話してたみたいだけど、何の話だったんだい?」
 
「先生の診療所の話だよ。オーリスさん達がね、どんなところなのかなって聞くから、いろいろ教えていたんだ。」
 
「へぇ。でもそんなおもしろいことがあったかなあ。」
 
「あ、今の話はね、その・・・ダンさんとドリスさんの掛け合いを・・・。」
 
 ライラが『まずい』と言いたげな顔で肩をすくめた。なるほどあの2人ならいつも診療所に来ているし、笑い話はいくらでもある。
 
「なるほどね。怒ったりしないよ。君はもう大人だしね。さて、君に頼まれていた話をしようか。オーリス、ライロフ、ライラには今朝の打ち合わせの話はしたのかい?」
 
「はい。だいたいですけど。」
 
「そうか。それじゃ、どこまで話したか聞かせてくれるかい。」
 
 私はライロフとオーリスから、どのあたりまで話したのかを聞き、そこに私の考えも合わせてライラに提案をした。今朝の打ち合わせで出た話の通り、車椅子、移動用ベッド、そして食事を乗せるワゴン車だ。
 
「ワゴン車って言うのは気がつかなかったなあ。遠目に見たことはあるけど、入院してる時は逆に見なかったよね。」
 
「大部屋だと入り口まで入って食事を配るけど、君がいたのは2人部屋だからね。小さい部屋だと、廊下に置いてトレイだけ持ってくるから、確かに間近で見ることはなかったかもしれないな。」
 
「そうか。やっぱり聞いてみないとわからないことはたくさんあるね。」
 
 ライラはうんうんと頷きながら、ノートにメモを取っていく。なんだか楽しそうだ。
 
「ライラ、この話はね、あくまでも先生が君と同郷のよしみで個人的に提案したってことにしてくれるかい。医師会の先生方から意見は聞いたけど、医師会の名前はまだ出せないからね。」
 
「はい。それは大丈夫だよ。」
 
「移動用ベッドや車椅子についてはそれほど変に思われることはないだろうけど、ワゴン車についてはね、先生がここに来てからいろいろ見て、導入を検討中だから、もっと軽いほうがいいと思ったっていうことにしておいてくれないか。何よりも困るのは、医師会が先生を利用して、ナイト輝石利用の一番乗りになろうと抜け駆けを企てているなんて言われることなんだよ。」
 
「あー・・・その話はね、もう出てる。」
 
「出てる?」
 
「うん、メスとかの医療器具の話を出した時にね、誰だったかなあ、大臣の一人が言ったんだ。『ほぉ、ドゥルーガー殿はさすが目端が利かれる。』なんて、嫌味たっぷりだったよ。もっともそのあとレイナック様が怒って、その人は小さくなってたけどね。」
 
「なるほどね・・・。」
 
「その時の会議のあとでね、ベルスタイン公爵様に言われたんだ。『あんなバカは気にすることないから、お前は自分の考えできちんと計画をまとめてくれ』って。」
 
「ははは、なるほど、セルーネさんらしいな。でもね、例え言いがかりとしか思えないようなことでも、きちんと対応することは大事だよ。だから、そう言う人達が何か先生に直接聞きたいことがあるって言ったら、先生はいつでも話しに行くよ。まあクリフの手術が終わってからのことになるだろうけどね。」
 
「わかりました。先生、ありがとうございます。これでまた1つ僕の夢が前進するよ。」
 
 ライラは立ち上がって丁寧に頭を下げた。
 
「君の役に立つなら、先生はいつでも力を貸すよ。」
 
「はい、ありがとう。それじゃ先生方、お話し出来て楽しかったです。ありがとうございました。」
 
 ライラはオーリス達にも丁寧に頭を下げ、部屋を出て行った。
 
 
「ライラ博士は大人ですねぇ。僕らよりずっと若いのに。」
 
 オーリスが、羨望とも受け取れる口調で言った。
 
「17歳の時からハース鉱山で鉱夫として働いているからね。」
 
「聞きました。上の学校に行くことを勧められたけど、どうしてもハース鉱山に行きたかったって。」
 
「ライラがここに来たのは早い時間だったのかい?」
 
「僕らがお昼から戻って・・・そうですねぇ、午後の鐘が鳴るころに来ましたよ。先生がいらっしゃらなかったので最初は出直すということだったんですが、すぐ来られるだろうと思ったので待っててもらったんです。」
 
「そうか。宿に戻って食事をしたんだけど、行き帰りの道が思ったより混んでてね。」
 
「今日はパレードですからね。」
 
「そうなんだよ。それじゃ、ライラはずっと君達と話してたのかい?」
 
「実のところ、僕らがライラ博士を引き留めたかったんですよね。先生の診療所のことを聞いてみたかったので・・・。」
 
「ははは、特に珍しいものがあるわけではないよ。医者が2人と看護婦が1人、十年一日のごとく同じように診療しているだけだからね。」
 
「冬の寒さは半端じゃないそうですね。」
 
「そうだね。北大陸で言うなら極北の地くらいかな。あれほどひどい吹雪が毎日吹いたりするわけじゃないけど、冬の間の生活はそれなりに大変だよ。」
 
 なんだろう・・・。何か言いたいことがあるのに言えないでいるような・・・そんなもどかしさが、2人から感じられる。
 
「あの・・・。」
 
 少しの沈黙の後、オーリスが口を開いた。
 
「先生のもとで、勉強をさせていただきたいと思ってるんです。」
 
「実は僕も・・・こいつと同じことを考えているんです。先生のところで、勉強をさせていただけませんか?」
 
 なるほど、言いにくかったのは理解できた。しかし・・・
 
「うーん、まあ空いてる部屋はあるから君達が来ると言えば泊めることは出来るけど・・・。」
 
「僕達が考えているのは、短期的なものではないんです。しばらくの間、先生のもとでいろいろと経験を積ませていただけたらと・・・。」
 
「経験というなら、うちの島より医師会のほうがたくさんの経験を積めるよ。いいかい?うちの島の患者は老人が多いんだ。島の仕事なんて限られているから、若者は島を出てこっちまで働きに来ているんだよ。だから、島に残っているのは年寄りと子育て中の家族が多い。今回のクリフの手術にしたって、ハインツ先生もマレック先生も、クリフと同程度の進行状況で、クリフと同世代の患者を何人も診ている。でも私はね、クリフほどの若者の症例はほんの数例しか診ていない。しかも軽いうちに病気が発見されて、手術できれいに取りきれる程度の患者ばかりだ。うちに来るよりここのほうが、たくさんの患者を診て、たくさんの症例に出会える。結果として、医師としての経験はここのほうが遥かにたくさん積めるよ。」
 
 オーリスもライロフも黙り込んでしまった。もしかしたらだが、2人とも、何か他にも理由があるのかもしれない。
 
「いろんな医師のもとで勉強したいという君達の気持ちがわからないわけじゃないし、それはそれで確かに勉強になると思うよ。ただ、今聞いてすぐに判断はできないね。クリフの手術は目前だし、まずはそのことを第一に考えよう。手術が終わってから改めて話を聞くよ。それまでは、目の前の仕事に集中してくれないか。」
 
「はい。」
 
「わかりました。」
 
 2人の様子からして、いま思いついたというわけではなさそうだが、あまりはっきりと心に決めているというわけでもなさそうだ。
 
(セーラの時もこんな感じだったなあ・・・。もしかしたら、ここから出たいと思っているけどどこに行けばいいのかわからなかったところに私が現れたことで、『行き場』を見つけてしまったということなのかな・・・。)
 
 新しい場所で心機一転勉強を始めたい、それならばいいのだが、うちの島が彼らの『逃げ』の場所になったのでは意味がない。
 
「そう言えば確か、午後からはハインツ先生と一緒に薬草庫の在庫調べをすることになっているはずだね。」
 
「はい、午後一番とは行かないからそれまではこの部屋で調べ物をしていてくれと言われてるんです。」
 
「ハインツ先生がここに呼びに来るってことかい?」
 
「そう言う話でした。それで・・・」
 
 そこに扉がノックされ、ハインツ先生が入ってきた。
 
「クロービス先生、この2人をお借りしますよ。君達、行けるか?」
 
「はい、大丈夫です。」
 
「それじゃあとは私が病室にいます。」
 
「ええ、お願いしますよ。クリフのご両親が先ほど見えられましたから、手術までの日程などを説明していただけませんか。」
 
「わかりました。お2人ともどんな様子です?」
 
「レグスさんは例の騒ぎのころとは別人のようですよ。ただやはり、不安なのは確かなようですね。」
 
「それじゃ出来るだけわかりやすく、理解していただけるように説明しないといけませんね。」
 
 患者本人が理解出来ることはもちろん大事だが、患者の家族にもきちんと手術内容を理解してもらわなければならない。手術が行われている間、待つことしかできない家族のために、せめて手術の内容が理解できるよう、出来る限りわかりやすく説明しよう。
 
「そうですね、お願いします。」
 
 4人で研究棟を出て、ハインツ先生とオーリス達は薬草庫へ、私はクリフの病室へと向かった。
 
(ここでの勉強が行き詰まっているのかな・・・。)
 
 オーリスが自信を持てずにいる原因、ライロフが医師の試験に合格出来ずにいる原因・・・それはもしかしたら、この場所にあるのだろうか。もちろん、場所に文句をつけても仕方ない。そんなのは甘えだと言うことも出来るだろう。逃げても何も変わらない。演劇学校の芝居小屋で、芝居の中の台詞だというのに私自身が身に染みた言葉だ。
 
 だが、医師会というのが独特の雰囲気を持つ場所だというのは、ここにいる時間が長くなるにつれて私にも感じられることだ。たとえば今回のプロジェクトにしても、あの2人が今回のプロジェクトチームに選ばれたのは、整体について興味を示したことがきっかけだ。ハインツ先生に執刀医として参加してもらおうと考えた時、薬の管理をあの2人に任せようと私はすぐに考えたのだが、そもそもあの2人を知らなかったら、おそらくマレック先生に頼んでいただろう。そして彼らは、今回の手術に参加どころか見学すら出来なかったのではないだろうか。
 
 『医師会の威信をかけたプロジェクトチーム』に、試験に落ちた見習いや、駆け出しでほとんど何の経験もない若手医師が呼ばれるなどと言うことになれば、おそらくは他の医師達が黙っていないだろうからだ。
 
 ドゥルーガー会長があの2人を以前から気にかけていたとしても、彼らにとって会長は雲の上の存在で、ハインツ先生がいくら気さくで人あたりがいいと言っても、あの2人の立場からすればなかなか気軽に話が出来るような近さではないと思える。そんな中に突然放り込まれた戸惑いと不安。頑張ろうと思う一方で、つい弱気が顔を出すこともある。それを責めることは出来ない。
 
(でもそれは医師会の構造的な問題だ。私が口を出せるものじゃないし、たとえば会長がどんなに頑張ってもそう簡単にひっくり返せるような問題ではない。でもその中で自信を持てずに力をつけられない医師がいるとしたら、それは問題なんだけど・・・。)
 
 だからといって、患者だってそんなにたくさん来るわけではない小さな島の診療所での経験が、いずれ城下町に戻って医師としてやっていこうと考える若者達にとって、どれほどの糧となるものか・・・。
 
(私が麻酔薬の開発をしたってことが、大きく捉えられているんだと思うけど・・・あの2人は研究したいのか医師としてやっていきたいのか、どっちなんだろうな・・・。)
 
 研究するならある程度静かな環境の島はいいかもしれないが、医師として臨床経験を積みたいということならまったくおすすめ出来る場所ではない。でももしかしたら・・・それも決めかねているのだろうか・・・。
 
 
 そんなことを考えながら、いつの間にか病室についていた。
 
(この話は改めて二人と話をする機会がある時にまた考えよう。今はクリフのことに集中しないと。)
 
 病室の中ではクリフが起き上がって、両親と話をしている。
 
「クロービス先生、お帰りなさいませ。先ほどからクリフのご両親がいらっしゃってますの。」
 
 いつもいる看護婦が教えてくれた。
 
「あ、先生。」
 
 クリフの母親、サラさんが振り向いた。続いて父親のレグスさんも振り向いたのだが、何とも複雑な表情をしている。サラさんは私に笑顔を向けてくれるのだが、レグスさんとしては、あの薬屋の件で私にかなりきついことを言ったことを、いまだに気にしているのかもしれない。あえて気にしないと決めて、クリフの手術について詳細な説明をしたいと申し出た。
 
「聞いてもわからないと思いますけど・・・。」
 
 サラさんは遠慮がちにそう言った。
 
「専門的な話ではありません。どこを切ってどんなことをするのかについての説明です。大事な息子さんの手術ですから、出来る限りご家族の方にも聞いていただきたいんです。」
 
「・・・なあ先生。オシニスには・・・会えないかな・・・。」
 
 レグスさんが言った。元々オシニスさんとは親友同士なのだろうから、クリフの件がある程度はっきりした今では仲直りしたのではないかと思うが、レグスさんからは少しの戸惑いと、不安が感じられる。
 
「・・・どうでしょうねぇ。今朝顔は合わせましたが、予定までは聞いてないので・・・。ではこちらの説明が終わったら聞いてみますか?」
 
 ドゥルーガー会長と一緒に執務室に向かったのは今朝の話だ。午後からどうするかの予定は何も聞いてない。
 
「いや、ここで説明をしてくれるっていうなら、奴にも一緒に聞いてもらえないかと思ったんだが・・・。」
 
「オシニスさんはご家族ではありませんが、説明を聞いていただいても問題ないんですか?」
 
「問題なんぞありゃしねぇよ。奴はここでのクリフの父親代わりみたいなもんだと、俺は思ってるんだ。だからまあ、その・・・一緒に聞いてもらったほうがいいかと思ったんだが・・・。」
 
「あんたにしてはいいこと言うわね。あたしもそうしてもらえるならうれしいけど・・・先生、オシニスは忙しいんでしょう?」
 
 サラさんが尋ねた。
 
「どうでしょうね・・・。今日の予定は聞いてないので何とも・・・。」
 
「先生、それじゃ私が呼んできましょうか?」
 
 看護婦が申し出てくれた。
 
「うーん、いや、私が呼びに行くよ。団長室にいればいいけど、もしかしたらフロリア様の執務室あたりにいるかもしれないしね。」
 
「執務室ですか・・・。私は執政館に入ったのも数えるほどですから・・・。」
 
 看護婦は戸惑っている。この医師会という場所もかなり独特の雰囲気を持つ場所だが、執政館というのはそれにも増して敷居の高さを感じさせる場所だ。あの入口をくぐると、別な場所に来たのじゃないかと思うくらい、流れる空気が違う。看護婦達はおおむね医師会の雰囲気には慣れているだろうが、だからこそ執政館に一人で入るのはためらわれるのではないかと思う。
 
「まあ、あんまり好んで行きたい場所じゃないかも知れないね。それじゃレグスさん、サラさん、まだしばらくクリフと話をしていてください。クリフ、疲れたり気分が悪かったりしてないかい?」
 
「大丈夫です。」
 
 無理している様子はない。疲れたらすぐに横になるようにと指示だけ出して、病室を出た。まずは剣士団の採用カウンターに向かい、団長室にいるかどうか尋ねてみたのだが、やはり今は執政館に行っているという。ランドさんが声を潜めて言った。
 
(今朝の薬草の話、その件で打ち合わせしてるらしいぜ。)
 
(わかりました。取りあえず入口の王国剣士に聞いてみます。)
 
 
 
 フロリア様の執務室前にいる王国剣士に尋ねたところ、オシニスさんはここにいるらしい。打ち合わせ中だとのことだったので、事情を説明し、少しだけ話をさせてもらえないかと頼んだ。
 
「クロービス、入ってよ。」
 
 しばらくしてリーザが顔を出した。
 
「いいの?打ち合わせ中だって聞いたんだけど。」
 
「今朝あなたも聞いた話よ。ドゥルーガー会長もいらっしゃるから、とにかく入って。」
 
 私が執務室の中に入ると、リーザが素早く扉をぴたりとしめた。
 
「失礼します。会議中に申し訳ありません。」
 
 私はその場で頭を下げた。顔を上げてみると、大臣達はいず、フロリア様、レイナック殿、オシニスさんとドゥルーガー会長、それに一大薬草産地の領主であるセルーネさんがいた。
 
「いいえ、クリフのことは最優先です。クロービス、気を使わなくていいんですよ。」
 
 フロリア様が笑顔で言った。
 
「レグスとサラが来てるんだってな。まさかと思うがまた何か言ってるのか?」
 
 オシニスさんが心配そうに聞いた。
 
「違いますよ。これからご両親にクリフの手術についての説明をするんですが、レグスさんから、オシニスさんにも同席してほしいという話があったんです。」
 
「でもそう言うのは普通家族にするもんだろう?俺が聞いてもいいのか?」
 
「ご家族の同意があれば、こちらとしてはどなたにでも説明しますよ。レグスさんがおっしゃるには、オシニスさんはここでのクリフの父親代わりみたいなものだと思ってるから、一緒に聞いてほしいということでしたよ。」
 
「へぇ・・・。」
 
 オシニスさんは一瞬驚き、そして嬉しそうに笑った。
 
「ははは・・・くそっ、奴にそんな言い方をされたら聞かないってわけに行かないじゃないか全く。」
 
「そう言うわけですので、会議中のところ申し訳ないんですが、クリフの病室まで来ていただけませんか?」
 
 仕事を中断してくれというのは気が引けるが、今回だけは後回しに出来ない。
 
「オシニス、こちらは構いませんよ。行っておあげなさい。待っているのでしょうし。」
 
「・・・申し訳ありません。話が終わり次第こちらに戻りますので・・・。」
 
「いいえ、せっかくお友達が訪ねてきているのですから、こちらのことは気にしなくていいんですよ。それに、実のところはっきりとした対策もとれないことですし・・・。」
 
 フロリア様が困ったように笑った。
 
「仲買人を締め上げるというわけにもいきませんしねぇ。」
 
 セルーネさんがため息をついた。
 
「公爵閣下、まだ仲買人が関与しているかどうかもわかりません。自重してくだされよ。」
 
 ドゥルーガー会長が慌てたように言った。推測するに、今朝の話を元に、エリスティ公が寄贈したいという薬草の『出所』についての詮議をしていたということか。一番怪しいのは以前から何度も話題に上がっている仲買人だが、先日のデイランド医師の話を思い出してみても、彼らが数量をごまかして横流ししているという確証もない。もちろん、数量が合わないことがたびたびあるということだから、ちゃんと数量確認をしない客については、ごまかしてそのままにしている可能性もあるが、今回の話とそちらの話を繋ぐ証拠は未だ見つからない。限りなく怪しいとは言っても、もう一つ、本格的捜査を開始する決め手に欠ける、そんなところだろうか。
 
(まあつまり、手詰まりなんだろうな・・・。)
 
 ハインツ先生が言っていたように、寄贈自体はありがたいことだし、私財を投じて手に入れた薬草を寄贈するという行為は、崇高なる自己犠牲と言えなくもないのだが・・・。
 
(相手が『あのお方』でなければなあ・・・。まだ信用出来るんだけど・・・。)
 
 クイント書記官本人が寄贈したいとでも言ってくれた方が、まだ信用出来る気がする。
 
 
 オシニスさんはフロリア様に向かって『ありがとうございます。』と頭を下げ、他の人達にも『すみません。』と頭を下げて、私と一緒に執務室を出た。
 
「・・・レグスの奴がそんなことをねぇ・・・。」
 
 オシニスさんが感慨深げにつぶやいた。
 
「オシニスさんとは親友なんでしょう?信じてるんだなーって、思いましたよ。」
 
「ははは、付き合いは長いからな。ま、ちょっとした誤解があったんだが、それも解けたしな。」
 
「・・・・・・・。」
 
 『特別な薬』を巡ってレグスさん夫婦が喧嘩をした時、サラさんが勢いに任せて『あんたと結婚しなければ良かった』と口走ってしまったことで、あの時夫婦仲は険悪だった。しかもレグスさんはサラさんが未だ元恋人のオシニスさんに思いを寄せているのではないかと疑心暗鬼になり、最初の頃の話し合いでは大分刺々しい雰囲気だったのだが、それ以外にも以前レグスさんと二人でクリフの手術について話した時、レグスさんはオシニスさんに対して何かわだかまりがあるような言い方をしていた。今の話はもしかしたらそのことかもしれないが、まあここは黙っていよう。おそらくは二人の間の個人的な話だろう。私が口を出す筋合いではない。オシニスさんとレグスさん夫婦の仲が修復されたのは間違いないらしい。これで今回の手術について心配事が一つ減ったのだから、私にとっては喜ばしいことだ。
 
「おっと、マントははずしておくか。」
 
 執政館を出たところで、オシニスさんが出仕の時に身に着けるマントを外した。
 
「これももう少し地味だったらなあ・・・。普通にも使えるんだが。」
 
 鮮やかな若草色のマントの一面には金糸の刺繍が施されている。実に美しい豪華なものだ。だが、確かにフロリア様のおわす執務室でならともかく、ロビーに出ると途端に目立つ。
 
「ま・・・歴代団長が身につけるものとして受け継がれてきたものだから、そうそう文句もつけられないがな。」
 
 そう言いながら、オシニスさんははずしたマントを畳んで刺繍が見えないようにし、肩にかけた。
 
 
 
 病室に着いた。扉をあけると、クリフはまだ起きていて、両親と話をしている。
 
「遅くなりました。オシニスさんをお連れしたので、改めてクリフの手術について説明させていただきます。」
 
「おう。」
 
 オシニスさんがにっと笑ってレグスさんに挨拶をした。
 
「おう、なんだ、今日は地味だな。」
 
 レグスさんもにやりと笑って、からかうように言った。
 
「これが普通だ。前に会った時につけてたマントは、派手すぎるからな。今日は畳んである。」
 
 オシニスさんはそう言って、肩にかけたマントを指さした。
 
「それはお前の正装なんだよな。」
 
「まあな。出仕の時は身につけないとまずいが、他では別になくてもいいんだ。だが執務室での仕事や会議のあとにすぐ別なところに移動してまた仕事なんてことも多いから、大抵は着っぱなしなんだが、医師会の病棟を歩くには派手すぎて浮くのがなあ。」
 
「団長殿も苦労が多いってことか。」
 
「ははは、まあそうだな。」
 
 今日の2人の会話は実に和やかだ。個人的なわだかまりは解けたと言うことなんだろう。隣でサラさんがほっとしたように笑っている。
 
「それじゃみなさん、空いてる椅子に座ってください。これから説明を始めます。まずは手術の部位ですが・・・」
 
 私は以前打ち合わせをしたときに作った絵や資料を元に、実際の手術の手順などを説明していった。素人相手なので専門用語は使えない。出来る限りわかりやすく、誰にでも理解できるように、気を付けながら説明を終わらせた。
 
「・・・以上です。どんな小さなことでも構いませんから、疑問がありましたらどうぞ遠慮なく聞いてください。」
 
 少しの間沈黙があったが・・・
 
「なあ先生。」
 
 レグスさんが口を開いた。
 
「はい、何でしょう。」
 
「クリフの病気は完治が難しいって言うのは、今でも変わらないんだよな。」
 
「・・・力不足で申し訳ありませんが、完治すると確約は出来ません。」
 
「でも、今回の手術で、前に話があったよりは、長生き出来る可能性が高くなるってことだよな。」
 
「はい。治療法の変更で体力もついてきましたし、病巣を出来る限り小さくすることが出来れば、あとは薬で抑えると言うことが可能になります。」
 
 私はさっきした説明をもう一度繰り返した。レグスさんとサラさんの不安が伝わってくる。おそらく、何度同じことを聞いてもこの2人の不安はなくならない。それでも、本人達の気のすむまで、何度でも説明するつもりだ。
 
「普通の生活も・・・出来るようになるよな・・・。」
 
「薬は手放せなくなると思いますが、普通の生活は可能になりますよ。」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
 ほんの少しの沈黙の後、レグスさんが口を開いた。
 
「確実にって言えない先生の立場は、俺だってわかるよ。出来るかどうか確約出来ないものを安請け合いするわけにはいかねぇ。それはどんな仕事だって同じだ・・・。だが・・・!」
 
 レグスさんの目から涙がこぼれた。
 
「一度はあきらめた。こいつの寿命はここまでなんだって思いこもうとした。でも・・・可能性があるなら・・・もっと・・・長生き出来る可能性があるなら・・・何としても・・・助けて・・・くれ・・・!確約出来なくても、なんでもいいんだ!俺の息子を、クリフを、どうか・・・助けてくれ!」
 
 レグスさんが頭を下げた。
 
「もちろんです。全力を尽くします。」
 
 オシニスさんが立ち上がり、レグスさんの横に立って肩をポンと叩いた。
 
「きっと助かる、俺達はそう信じよう。」
 
 レグスさんが黙ったまま頷いた・・・。
 
 
 
 その後、レグスさん達はオシニスさんと一緒に東翼の喫茶室で話をすることになった。最近お互い忙しかったからなと、楽しそうに話しながら病室を出ていった。
 
「・・・両親の笑顔を見られて良かったです・・・。」
 
 クリフが言った。
 
「そうか・・・。君が入院してからは、君のことが心配だったんだろうね。」
 
「はい・・・。それに、一度は僕も自分の人生をあきらめました。両親にはそれがつらかったんだと思います。」
 
 クリフの性格からして、両親に負担をかけまいと、余命を受け入れるようなことを言ったのだろう。クリフの両親は、それでなくても何も出来ない自分達に苛立ちを感じていただろうに、クリフの言葉が自分達に気を使っているからだと言うことがわかって、余計に苦しかったのだろうと思う。
 
「・・・クリフ、確実に治ると、今でも私は確約出来ない。自分の力不足が悔しくて仕方ないよ。でも、出来る限りのことはする。それは絶対に約束する。だから君も希望を持って、必ずよくなる、もっとずっと長生き出来るんだと、信じて手術に臨んで欲しいんだ。」
 
「はい、わかりました。」
 
 クリフが笑顔で頷いた。
 
 それから少しして、ハインツ先生とオーリス達が戻ってきた。何だろう、ハインツ先生の表情はいつもと変わらなかったが、何となく、彼を包む『気』がピンと張りつめている。
 
「クロービス先生、ちょっと今から会長室にお付き合い願えませんか?」
 
「構いませんよ。」
 
 あえて『なぜ』と聞かずに返事をした。多分患者に聞かせるような話じゃない。ハインツ先生はオーリス達に、手術で使用する薬の『量』について、具体的な数字をまとめるように指示した。私はクリフのことをゴード先生と妻に頼み、ハインツ先生と一緒に病室を出て会長室に向かった。
 
「何かあったんですか?」
 
「・・・ええ、あまりいい話ではありませんね。」
 
 会長室に向かうと、ちょうど執政館から戻ったばかりのドゥルーガー会長がいた。
 
「おお、どうした?何かあったのか。まあ入りなさい。」
 
 私達は会長室に入った。ハインツ先生は廊下を窺い、扉をぴたりと閉めた。
 
「・・・ハインツ、どうしたんだ。」
 
 ドゥルーガー会長が、少し眉間に皺を寄せて尋ねた。
 
「今薬草庫で在庫確認をしてきたんですがね・・・。」
 
 ハインツ先生はため息と共に何枚かの紙をテーブルの上に置いた。
 
「こちらが、前回の在庫確認、こちらが今回の在庫確認です。そしてこちらの紙が、その間に使われた薬草の種類です。」
 
「ふむ・・・。」
 
 ドゥルーガー会長はしばらくテーブルの上の書類を見ていたが・・・
 
「なんだこれは・・・合わんじゃないか。」
 
「見せてください。」
 
 前回の確認から使われた分を差し引けば今回の在庫確認と合うはずだが、どうにも計算が合わない。かなりの数の薬草が、あるはずの数より少ないのだ。つまりこれだけの薬草がいつの間にか消えたことになる。
 
「しかしハインツ、薬草庫の管理はそなたの仕事ではないか。どう言うことなのだ。」
 
「どう言うことなのかを私がお聞きしたいくらいですが、会長にお聞きしても答えは返ってこないでしょうからねぇ。」
 
 ハインツ先生が肩をすくめた。
 
「残念ながら私にもわからぬ。・・・まさかと思うが、誰かが勝手に持ち出しているのか?」
 
「そうとしか考えられませんが、私がもっと驚いているのは、消えた薬草が、今朝会長から見せていただいたリストとほぼ一致すると言うことですよ。」
 
「・・・なんと!では・・・。」
 
 ハインツ先生が頷いた。
 
「もちろん全くないわけではありません。しかし、クリフの手術に使ってしまったら、残りの在庫だけでは医師会全体の診療や手術に回すだけの在庫が確保出来るかどうか何とも言えません。次回の補充予定はまだ先ですからね。」
 
「つまり・・・『あのお方』の申し出を受けざるを得ない状況になっている、そう言うことですか?」
 
 私の問いに、ハインツ先生とドゥルーガー会長が同時に頷いた。
 
「むろん、薬草の使用量など一定ではないから、思いの外使用量が多くなるなどということはよくあることだ。そう言う場合は業者に頼めばいつでも卸してはくれよう。だが、今頼めばおそらく以前の倍近い価格を払わなければならない。となると予算の問題が出てくる。昔のようにモンスター対策に回す予算は随分減ったとは言え、エルバール王国の台所事情はそれほど安泰ではない。予算を増やして貰うためには、一度御前会議にかけなければならない事態にもなり得る。そのためにはきちんとした計算が必要だが、クリフの手術を目の前に控えているこの状況で、改めて各科から必要量を出させて計算して、などとやっている時間的余裕はない。すぐ必要な在庫を確保するためには、申し出を受けるしかないだろうな。」
 
「・・・しかし、薬草庫の鍵はハインツ先生の部屋で管理されているわけですよね?」
 
「そうなんですよ。それが無断で持ち出されたのか、誰かが私からの指示だとでも言ってきたのか、もうさっぱりですよ。」
 
(・・・このことが表沙汰になれば、どう考えてもハインツ先生や会長が疑われる。だが・・・)
 
 これもまたクイント書記官の策謀だろうか。医師会まで巻き込んで、フロリア様の責任問題を『作り上げ』フロリア様の評判を落として・・・。
 
(いや、それはさすがに無理がある・・・。)
 
 それにしても、もうすぐクリフの手術があることはクイント書記官だって知っているはずだ。彼らの陰謀が万一手術に影響を及ぼし、そのせいでクリフの命が危険にさらされることにでもなったりしたら、さすがにフロリア様としても事を穏便にとは考えないだろうし、私だって黙っているつもりはない。そして医師会としても行動を起こされる可能性がある。つまりそれだけ、クイント書記官が『尻尾を掴まれる』危険性が高くなるということだ。そんなばかばかしい危険を冒すだろうか・・・。
 
「はぁ・・・鍵の管理は私の仕事ですから、知らないですまないことは確かですが、さすがにいつも肌身離さず身に着けているわけではありませんし、まず助手に聞き取りをしてみます。」
 
「ハインツ先生、合鍵を作られたという可能性はどうでしょう?」
 
「・・・おお、そう言えば以前、ベルスタイン公爵家が陰謀に巻き込まれそうになった時、貴公が合鍵の存在を指摘して未然に防いだということがあったな。確かに、こっそりと合鍵を作られれば、こちらは全く気付かない。ハインツよ、その可能性はどうだ?」
 
「うーん・・・となるとそれがいつどうやってという話になりますが・・・。」
 
「この在庫確認書ですが、この前回の在庫確認の時はおかしなことはなかったんですよね。」
 
「そうですね・・・。あ、ということはそのあと・・・ということになりますね。」
 
「そのうち使うつもりであらかじめ作っておくという可能性もなくはないですが、そんなはっきりしない予定で危険を冒すというのも不自然ですから、その間に作られた可能性は高そうですね、その合鍵なんですが・・・」
 
 私はベルスタイン家の部屋の合鍵が、粘土などの柔らかいものに押し付けて型をとったらしかったと言う話をした。
 
「まあ、あまりおおっぴらに言える話ではありませんが、そうすれば鍵を持ち出さなくても、すぐに合鍵を作ることは出来るはずですよ。」
 
「となると、やはりうちの助手が怪しいということに・・・。」
 
「これこれ、そう決めつけるものではない。薬草庫に入るには監督者たるそなたの立ち会いが必要だが、そなたの部屋は誰でも出入りするのではないか。もっとも・・・それが医師会内部の誰かである可能性は高そうだがな・・・。」
 
 ドゥルーガー会長がため息をついた。
 
「そうですね・・・。前回の在庫確認から今日までの間に、誰が部屋に来たか、助手に聞いてみます。」
 
 ハインツ先生はかなり動揺している。それでなくても今回のクリフの手術では、ハインツ先生は不安で仕方ないだろうと思われるのに、この上心配事が増えたりしたら・・・。
 
「では私は、フロリア様にこの件を報告してこよう。もしも本当に誰かが無断で持ち出したとなれば、これは立派な窃盗だ。剣士団長殿にも調査を依頼せねばならぬが、まずは内々に進めてもらえるよう、頼んで来よう。・・・身内に甘いと言われるかもしれぬが、もしも医師会の誰かの仕業ならば、あまり事を荒立てずに済ませたいものだからな・・・。」
 
「そうですね。まずは会長にお任せしましょう。オシニスさんが動くなら、何かしらこちらにも指示があるかも知れません。それまでは私達はクリフの手術の準備を続けましょう。何があっても手術は行い、何が何でも成功させなければなりません。ハインツ先生、いかがですか?」
 
 こんなことがあったからと言って、クリフの手術をいきなり中断というわけにはいかない。
 
「うむ、そうしてくれ。ハインツよ、気に病むでないぞ。誰かがうっかり出庫依頼を書くのを忘れたと言うことも考えられる。」
 
「会長、それはありません。薬草庫から薬草を持って行くには、私の立ち会いが必ず必要なんですから。そのために一週間に一回、時間を決めて各科からの依頼書に基づいて出庫作業をするのですからね。」
 
 ハインツ先生がそうしょっちゅう薬草の持ち出しに立ち会うと言うわけには行かないので、毎週日時を決めてその作業を行うのだという話は以前聞いたことがある。もちろん急な入り用はあるが、毎日診療していれば、だいたい必要な薬の種類や量はわかるものだ。私が医師会で一緒に仕事をするようになってから、薬のことで突然ハインツ先生が呼び出された、なんてことは一度もなかった。にも関わらず、薬草が消えている。まさかと思うが、またクイント書記官が誰かを操っているのだろうか。ハインツ先生の人柄を考えれば、ちょっとくらい悪口を吹き込まれたところで、医師会の人間がハインツ先生に対して悪い感情を持つことはなさそうな気がする。となると、持ち出した当人は何も知らず、ハインツ先生の指示があったのだと思いこんでいるのかも知れない。
 
「しかし・・・私もクロービス先生のご意見に賛成です。今はクリフのことだけ考えていたいですからね。会長、丸投げするようで申し訳ないんですが、フロリア様への報告と、団長殿への依頼はよろしくお願いします。」
 
 ハインツ先生が頭を下げた。
 
「ふん、そなたがそんなにしおらしいと薄気味悪いな。まあ今は気にしないことだ。事件性がでてくるようなら、それから気にしようではないか。」
 
「オーリス達は知っているんですか?」
 
 ハインツ先生に尋ねた。
 
「いや、あの2人は在庫を確認しただけですから、知らないと思います。足りないことに気がついたのは、私が前回と今回の在庫確認の書類を見て、計算してからの事ですからね。ただまあ・・・今思えば、私はおそらくむすっとしていたと思いますから、何か機嫌を損ねたかもしれないと、心配しているかもしれません。」
 
「なるほど、それではあとで何か聞かれたら、使用予定の薬の在庫がいささか乏しいから、どうしようかと思案していたらしいとでも言っておきましょう。」
 
「そうですね・・・。お願いします。」
 
 そしてこの件は、ハインツ先生からゴード先生に、私から妻に、それぞれ話をすることになった。もちろんクリフの耳に入れるわけにはいかないし、内容が内容だけに看護婦達にも聞かせることは出来ない。さらに出来るだけ他の誰にも聞かれないよう、広まらないよう、配慮しなければならない。妻への話は今日の夜、剣士団長室で一緒に話せばいいだろう。
 

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