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第95章 クリスタルミア

 
 私達は森の道を歩き出した。雪は止んでいたが、私達が村へ戻る時につけたはずの足跡はすっかり消えていた。歩き続けるうちにさっきの場所までついた。一面の血の海は、すでに真っ白な雪で覆われている。
 
「2人になっちゃったんだね・・・。」
 
 ウィローが寂しげに呟いた。
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 何か言ってあげたいのに、何も言葉が出てこない。
 
「でも、きっとカインは見ていてくれるわよね。」
 
「・・・そうだね・・・。」
 
 見ていてくれるんだろうか。カインを・・・殺したのは私なのに・・・。
 
 そのまま、少しの間私達はそこに佇んでいた。
 
「行こうか・・・。」
 
 本当は、このままずっとここにいたい。カインのいた場所から離れたくない。でも私達には使命がある。それを放り出してしまったら、カインは本当に怒るだろう。空を見上げてみたが、曇っているので今太陽がどのあたりになるのかわからない。出来れば暗くなる前に長老の家にたどり着きたかった。
 
「ねえクロービス。」
 
「なに?」
 
「カインの荷物の中に、何か手がかりはないのかな。」
 
「・・・カインがなんであんな風になったかって言う話?」
 
「そうよ。さっき一緒に埋めたのはカインの服とかよね。」
 
「うん・・・。それ以外の荷物は取りあえず持ってきたけど・・・どうかな・・・。」
 
 カインの荷物の中には『サクリフィアの錫杖』が入っていた。あの時・・・あの『フロリア様』が忌々しそうに睨んでカインに渡したあと、カインは荷物の中に入れていたが、それがそのままだったのだろう。
 
「この杖は返さないとな・・・。」
 
「出来るなら、無事エル・バールを説得出来ましたって言う知らせと一緒に届けたいわね・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
 本当なら3人で・・・その知らせと共にこの杖を返しに行くはずだったのに・・・。
 
 
 カインの荷物の中身は、あとは傷薬、携帯食料くらいだった。
 
「特に何もないみたいね・・・。」
 
 ウィローがため息をついた。
 
「カインを操っていたのがあの『フロリア様』だとしたら、証拠を残すようなものは何も持たせなかったと思うよ。」
 
 私は『サクリフィアの錫杖』を自分の荷物に入れ、カインの背負い袋も畳んで自分の荷物の中にしまった。その時、荷物の中にいつも持っていた、あの魔法の本が目に付いた。
 
「この杖を持っているうちは魔法の勉強は出来ないな・・・。君はどうする?」
 
「・・・私も今日はいいわ・・・。もう少し落ち着いてから考えたい。」
 
「そうだね。それじゃ行こうか。長老の家に着いたら、何か教えてもらえるかな・・・。」
 
「カインのこと?」
 
「うん。長老が何か不思議な力を持っているってことは、ムーンシェイの村の人達も隠してないよね。それなら、聞いてみてもいいんじゃないかと思うんだ。まあ・・・どんな答えが返ってくるかはわからないんだけどね・・・。」
 
「グランおじいさんは、長老があなたの『試練』のことを知っているはずだって言ってたわよね。」
 
「そう、そのことを何か知っているなら、カインのことについても、もう少し何かわかるかもしれない。とにかく前に進もう。ムーンシェイの長老の家は、きっともうすぐだよ。」
 
 歩き出した時、また雪が降り始めた。マントのフードをかぶったが、そのフードの上に雪が積もっていくのがわかる。降り続ける雪は、やがて私達の足跡の上にも少しずつ降り積もっていき、私達がそこを歩いてきたという証さえ消していくようだった。
 
(もう・・・この道を戻ることは、ないのかも知れない・・・。)
 
 不安な気持ちが胸を締め付ける。隣を歩くウィローはスカーフに積もった雪を時折落としながら歩いている。そのスカーフも私のマントも、これだけの雪が降っているというのに濡れて重くなったりもせず、汗で体が湿ったりもしない。あのおかみさんは『昔ながらのやり方で作っているだけ』と言っていたが、とても不思議な布だ。
 
(みんな・・・私達のためにいろいろとやってくれたんだよな・・・。)
 
 温かいお湯で汚れを落とし、髪を洗って・・・。あのたくさんのお湯は宿の風呂から持ってきたものだろう。また新しく沸かすとなるとかなりの時間がかかるはずだ。でもみんな何も言わず、血のついた鎧もきれいに洗ってくれて、精魂込めて織った布で仕立てたマントとスカーフまで持たせてくれて・・・。
 
(弱気になっちゃいけないな。何があってもエル・バールを説得するんだ!)
 
 ムーンシェイの人達の優しさに応えるためにも、私達は進んでいかなければならない。
 
 
 
「少し休もうか。」
 
「そうね・・・。」
 
 しばらく歩いた私達は、途中一度腰を下ろして休み、村の人達からもらった干し肉とパンを少し食べた。2人とも食欲なんてない。でも何かしら胃に入れておかなければ、こんな寒い場所を歩き続けることは難しい。それでなくても新雪は滑りやすく、足をとられて歩きにくい。寒い土地で育った私は慣れているからそれなりに工夫して歩くことも出来るが、ウィローにとってこんな雪の道を歩き続けるなんて初めてのはずだ。かなり疲れているように見えるが、多分ウィローは疲れたとも辛いとも絶対に言わないような気がした。
 
「そろそろ夕方かな・・・。」
 
 空は相変わらず曇っている。カインと再会した時はまだ朝の太陽が木々の間から差し込んでいたのだが、私達が再び森の道に入る頃にはすっかり曇り空となっていた。そしてさっき降り始めた雪は多少その勢いは衰えたものの、まだやむ気配がない。夕方には長老の家に着けるだろうと言われていたので、多分あともう少しのはずだが、まだそれらしい建物は見えない。
 
「きっとあと少しだよ。頑張って歩こう。」
 
「ええ。私は大丈夫よ。」
 
「こんな雪道を歩くのは初めてなんじゃないの?」
 
「それはそうだけど・・・砂漠だって歩くのは大変だもの。同じようなものだと思うわ。」
 
「そうか。あれも大変だからな。」
 
 カインと2人、南大陸の砂漠に足を踏み入れた時のことを思い出した。なかなか前に進めず、かなり歩くのに苦労したものだが・・・あの時は隣にカインがいた・・・。
 
 
 
「あれかなあ。」
 
 前方に家らしき建物が見えてきた。周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、道はそこで途切れていた。
 
「そうかも・・・あら、誰かいるわ。あの人が長老なのかなあ。」
 
 家の前には老人が一人立っていた。確かにムーンシェイの人々が言うように『普通の人』だが、雪の降りしきる中、マントもスカーフも羽織らず、にこにこと笑顔を私達に向けているのは・・・普通の範囲には入らないような気がする。
 
「・・・あれ?」
 
「・・・あのおじいさん、何か・・・変だわ。」
 
 なんと言えばいいのだろう。おじいさんの纏っている『気』も、普通の人とは違う・・・。呪文や気功の使い手は概ね『気』に対して敏感だが、『気』は見ようと思わなければ見えないものなので、普段は特に気にすることなく毎日を過ごしている。だが・・・。
 
(普通なのは見た目だけってことか・・・。)
 
「多分あの人で正解だね。」
 
 正体はともかく、そこに立っているのは間違いなくムーンシェイの長老だろう。
 
「・・・大丈夫なのかな・・・。」
 
 ウィローの不安な気持ちが伝わってくる。
 
「悪い感じはしないよ。きっと大丈夫だよ。」
 
 それが人であれなんであれ、邪悪な心を持ち続けている人物があんなにもムーンシェイの村人達に慕われているわけがない。これが物語なら、本物は敵に捕らえられ、偽物が化けている、なんて話になりそうだが、少なくともその老人が纏っている『気』はとても穏やかで優しい。警戒を怠るべきではないと思うが、あまり余計な心配をする必要もなさそうだ。
 
「こんにちは。ムーンシェイの長老ですか?」
 
「いかにも。遠いところをよく来なすったな。寒かっただろう。さあ、中にお入りなされ。」
 
 促されるままに中に入った私達は、その温かさに少し驚いた。暖炉には確かに火が赤々と燃えてはいたが、それにしても外の寒さとは全く違う、何と言うか、温かく、優しい空気に満ちているような気がしたのだ。
 
「おお、やっと来られたのか。」
 
 中にはもう一人いた。この男性は・・・着ている服は普通の服だが、精悍な顔立ちと身のこなしは、この男性がただ者ではないことを匂わせている。しかもこの気配・・・どこかで会ったことがあるような・・・。
 
(この人も・・・長老と同じ感じがするな・・・。)
 
「うむ。疲れただろう。まずはそこに座ってくれ。お茶を出すからの。」
 
 長老はすでに用意されていたらしい土瓶から、カップにお茶を注いで出してくれた。取りあえずは考えないでおこう。
 
「さて、まずはこれを飲んで落ち着いて、話はそれからにしようではないか。」
 
 出されたお茶を勧められるまま一口飲んだ。不思議なもので、このおじいさんも男性も、警戒とか、疑いとか、そう言う言葉とは無縁の人達に思える。お茶の温かさが口の中に広がり、体中に染みわたっていくような気がした。
 
「おいしい・・・。」
 
 少なくとも、このお茶の優しい味は本物だ。
 
「おいしい、このお茶は・・・葉が違うのかしら。」
 
 ウィローからもさっきの不安な気持ちは消えている。
 
「いや、どこにでもある普通のお茶の葉じゃよ。違うのは水じゃな。ここの水はクリスタルミアの水じゃから、実にうまいんじゃ。お茶を入れても料理をしても、まあムーンシェイの村の水もうまいんだが、ここのはまた違ううまさがある、というところかのぉ。」
 
 長老は嬉しそうにそう言って笑った。この笑顔は信じてもいいような気がした。
 
「さて、ここまであんた方が来なさった本題に入ろうかの。グランからは、あんた方がクリスタルミアへ入りたいので道を開いてくれと頼まれたと聞いておる。そしてその理由は、飛竜エル・バールを説得するためだと。それで間違いないかね?」
 
「おっしゃるとおりです。『飛竜エル・バールが目覚めれば大地の悲鳴を聞くだろう、そうなれば人間達は全て滅ぼされる』と、セント・ハースが教えてくれました。人間に落ち度がないとは言いません。でもほとんどの人達は何も知らないんです。そして夜眠れば、翌日はいつもと同じ明日が来ると信じているんです。だから、私達はなんとしても飛竜エル・バールに会わなければならないんです。」
 
「うむ・・・人間達が滅ぶかもしれんと聞いて、わしは黙っている気などない。クリスタルミアの入り口は、あんた達のために開く用意をすでにしてある。」
 
「ありがとうございます。それじゃ・・・。」
 
 腰を浮かしかけた私達を、長老は手で制した。
 
「まあ待ちなさい。もう夕方だ。夜にかけて吹雪は強くなるし、闇の中をわざわざ出掛けることもあるまい。今夜はここに泊って行きなされ。」
 
「でも、ご迷惑では・・・。」
 
「なんのなんの。実を言うとな、そのつもりで仕度もしてあるんじゃよ。あんた方は久しぶりの客だ。どうか寛いでくんかね。」
 
「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えさせていただきます。」
 
「クロービス、でも時間が・・・。」
 
 ウィローの纏う不安がまた大きくなった。
 
「心配はいらん。エル・バールはまだ眠りから覚めておらぬ。今日一晩泊って、しっかりと英気を養って、明るい道を歩いたほうが、早くつけるものじゃぞい。」
 
 長老が言った。諭すような、とても穏やかな声だ。
 
「ウィロー、せっかくのご厚意だし、甘えさせてもらおう。」
 
 長老の言うとおりだ。私達は何が何でもエル・バールを説得しなければならないのだ。おそらく、クリスタルミアに入ればもう、こんな暖かい場所で寛ぐことなど出来ないだろう。今回は長老の好意に甘えて、ここでゆっくりと過ごさせてもらおう・・・。
 
「よし、決まりじゃな。それじゃ食事をせんかね?腹が減っておるのではないか?」
 
 ウィローと2人、顔を見合わせた。昼間少し食べた程度で、今日はほとんど食事らしい食事をしていない。
 
「なんと、いい若い者がそれはいかん。では今夜は腹一杯食べてもらおうではないか。どうせ今日は泊まりじゃからな。腹がはじけるまで食べても大丈夫じゃぞい?」
 
 長老はにっこりと笑い、いたずらっぽく片目をつぶって見せた。そのしぐさが、こんな言い方は失礼なんだろうけど、かわいいおじいちゃん、という気がした。
 
「と言っても、大したものはないのだがな。」
 
 長老はそう言って、かまどの上に置かれた鍋をあけた。いい匂いが部屋中に広がる。
 
「あ、お手伝いします。」
 
 ウィローが立ち上がった。さっきの不安は消えている。少し元気が出たらしい。
 
「おや、それではお願いするかの。そうじゃな、そこの棚の器を出してくれんかね。あとそっちの戸棚の中に入ってるカゴを・・・そうそう、それじゃよ。」
 
 長老は笑顔でウィローにいろいろと頼んでいる。ウィローはそれに笑顔で応えている。私も手伝おうかと思ったがやめておいた。今のウィローは、きっと体を動かしていたほうが気がまぎれるのだと思う。
 
「はい、お待たせしました。」
 
 やがてウィローがトレイに載せた木の器を運んできた。湯気が立ち、いい匂いがする。たっぷりの野菜と肉。これ一つで満腹になりそうな具だくさんのシチューだ。なんとパンまで添えてある。
 
「こんな寒い場所でも野菜は育つし、肉も多少の狩りで手に入る。暮らしていくには困らん、いいところなんじゃよ。そのパンはこれでもわしが焼いたんじゃぞい?」
 
 長老は優しい笑顔で私達を見た。
 
「さ、召し上がれ。気に入るといいんだが。ほら、お前さんも食べたらどうだ?」
 
 長老は私達に食べるよう促し、自分の隣に座っているさっきの男性にも食べるように言った。
 
「いただきますよ。長老の料理はうまいですからな。」
 
「いただきます。」
 
 温かいシチューを一口食べた。じんわりと野菜の甘みが口に広がる。肉は柔らかく煮込んであり、口の中でほどけた。
 
「おいしい・・・。」
 
 さっきまで食欲なんて全然なかった。でもこのシチューの優しい味は、私達の口の中だけでなく心の奥にまで染み渡っていくようだった。添えられたパンは少し固めに焼いてある。寒い場所で長く保存出来るように固めに焼いておく、故郷の島でよく食べたパンと似ていて、懐かしさがこみ上げた。
 
「おかわりもあるぞ。若い者が来るというのでたくさん作ったからのぉ。」
 
 ウィローも私も、今日は朝からほとんど食事らしい食事をしていないことに気づいて、急におなかがすいているような気がした。そして二人とももう一杯ずつシチューをごちそうになり、すっかりあたたかくて幸せな気持ちになった。が・・・
 
「いやぁ、こうたくさん食べてもらえるとうれしいもんじゃのぉ。この男などは何を振舞っても大して食べやせんから張り合いがないわい。」
 
 長老が大げさに肩をすくめてみせながら、隣に座る男性を見た。
 
「仕方ありませんよ。私は彼らと違って若くないんですから。」
 
 この男性が気になる。どこかで会ったことがあるような気がするのに、どうしても思い出せない。
 
「それを言われるとのぉ。ま、歳の話は言っても詮無いことじゃて。」
 
 長老は笑いながら席を立ち、さっきのお茶を注いだカップを私達の前に出してくれた。
 
「食後のお茶じゃ。果物もあるぞい。泊まりで来てくれる客など久しぶりなものだから、わしも張り切ってしまったぞ。」
 
 長老は本当に楽しそうだ。テーブルの真ん中に、果物を盛った器が置かれた。こんな寒い場所で見るとは思わないような、温かい地域にしか出回らない果物もある。
 
「あ、それじゃ私がむきます。」
 
 ウィローが立ち上がって、果物と、隣に置かれているナイフを手に取った。
 
「おお、それではお願いするかのぉ。お茶を飲んで、甘いもので口を満たしてから話をしようではないか。」
 
 お茶をごちそうになり、果物を食べて、私達も一息つくことが出来た。
 
「さて・・・。」
 
 長老が小さく咳ばらいをした。
 
「せっかく一息ついて落ち着いているところだろうが、わしはどうしてもこれだけは言わねばならん。大事なご友人を亡くされたことは、大変気の毒だった。お悔やみ申し上げる。」
 
 長老は私達に向かって頭を下げた。
 
「・・・・・・。」
 
 お礼を言おうと口を開きかけたが、それより先に涙が頬を滑り落ちた。それきり言葉は何も出てこず、ただ涙があとからあとから流れ出た。悲しかった。この場にカインがいないことが、そしてもう二度と会えないことがただ悲しくて、私達は少しの間泣き続けた。
 
 
「・・・すみません。」
 
 しばらくしてやっと涙が止まり、ウィローも私も顔を拭いた。目の周りがひりひりするが、不思議と心の中は落ち着いている。
 
「いや、泣きたい時には泣いたらいい。泣くだけ泣いたら多少はすっきりするもんだからのぉ。わしも・・・大事な仲間を、友人を失った時は泣いたもんじゃ。それこそ涙が枯れるまで・・・。」
 
 長老が眉根を寄せ、黙り込んだ。
 
「長老・・・。」
 
 男性がいたわるように長老を見た。
 
「昔のことじゃよ・・・。もう200年も前の、昔のことじゃ・・・。我らにとっては一瞬ですらないほどの時間だが、当時生き残った人間達は既に誰もおらんからのぉ・・・。いつまでも悔やんでみたところでどうにもならん・・・。」
 
「200年前というと・・・まさか聖戦の?」
 
 長老が頷いた。
 
「あんた方はかなりの呪文の使い手とお見受けする。わしとこの男が、見た目通りの人間でないことには気づいておるだろう。」
 
「・・・それは・・・。」
 
 なんと言っていいものかわからず、言葉につまった。
 
「気を使うことはない。我らは人ではなく、精霊なのだ。遠い遠い昔、この大地が混沌より生まれ出でて以来、ずっとこの世界を見守り続けてきた・・・。ヒトの誕生、成長、そして人間と呼ばれるようになってからも、彼らはわしらの友であり仲間じゃった。だが・・・あの戦いによって何もかもが変わってしまった。我らは多くの友人達を失ったのだ。」
 
「それを言われるとつらい。私はエル・バールの側について人間を滅ぼすことを主張した身ですからな。」
 
 男性が言った。なるほどこの人も精霊か・・・。会ったことがあるかもしれないと思えるのは、神殿の中で出会った精霊達の中にでもいたのだろうか・・・。
 
「・・・あの惨状を見れば致し方なかろう。だが、我らは何とか戦いを避けられないものかと必死で考えておったのだ・・・。あの男が現れなければ、本当に人間は根絶やしにされておっただろうな・・・。」
 
「あの男というのが・・・ベルロッド様ですね。」
 
「うむ、お前さんの持つその剣の、持ち主となるはずだった男じゃよ。とうとう剣には出会えないまま一生を終えたようだがな・・・。」
 
「その剣が私に課した試練について、長老はご存じなんですよね?」
 
「だいたいのことは知っている。何とも厳しい試練となったものだと思っておったが・・・。」
 
「その試練は、私だけに課せられたものではないんですか?カインやウィローは、私と一緒にいたために巻き込まれたのではないんですか?」
 
 ずっと気になっていたことを、私は思いきって長老に尋ねた。カインの死が、私との戦いが、それさえも剣によって仕組まれたのだとしたら・・・!
 
「クロービス!そんな事は!」
 
 ウィローが驚いて叫んだ。
 
「ふーむ・・・そうだのぉ・・・その問いに答える前に、あんたの持つ剣についての話をさせてくれんかね。」
 
 長老は落ち着いている。
 
「剣の話は、サクリフィアの村長から伺いました。」
 
「ほぉ、ではその話を聞かせてくれるかね。」
 
 長老に尋ねられるまま、私はサクリフィアの村長から聞いたこの世界の成り立ちと私の剣の話をした。長老も隣に座る男性も、熱心に聞いていたが・・・
 
「うーむむむむむ・・・。」
 
 聞き終えた長老が唸った。
 
「長老、仕方ありませんよ。あの村にそうそう正確な話が伝わっているとも思えませんからね。思ったより正しいことも含まれていて、私などは驚きましたよ。」
 
 男性が肩をすくめた。なんとなく呆れているような口調だ。
 
「・・・まあ・・・そうなんだろうのぉ・・・。全く呆れたものじゃ。辻褄を合わせるためとはいえ、そんないい加減なことを子孫に伝えるとは・・・。」
 
「おそらくは、族長の主導でしょうが・・・彼だけではなくあの男も愚か者と言わざるを得ませんな。悪い人間ではなかったのだが・・・。」
 
 イグニスさんもため息をついた。
 
「・・・愚か者・・・ですか?え、サクリフィアの族長ではなく、誰が・・・。」
 
 ファルシオンの国を乗っ取ろうなどと考えたのは、当時のサクリフィアの族長だと聞いている。でも今の長老とこの男性の口ぶりからするに、もう一人愚か者と言われるだけのことをした人物がいるらしい。
 
「そうじゃな、その話の中に出てくる、自国の民をやすやすと敵の手に渡した男、ということになるのかな。」
 
「え?でもそれは、仕方のないことだったんじゃあ・・・。」
 
「ま、サクリフィアにそう伝わっておるのだろうから、その村長達があんた方にそう話したのは無理ないことじゃが、しかし・・・どうしたもんかのぉ・・・。やはりここは、本当の話を聞いてもらいたいのじゃが・・・。」
 
 長老が腕を組んで考え込んだ。
 
「本当の・・・。ではサクリフィアに伝えられている話は、間違っているんですか?」
 
 サクリフィアの村長もランスおじいさんも、記録が失われてしまった状態でもなんとか子孫に正しい歴史を伝えようと頑張っているというのに、その話自体が全く事実と違うものだとしたら・・・。
 
「まあ正しいこともあり、間違っていることもあり、というところじゃよ。どうだろう、せっかく1200年ぶりに剣が選ばれし者の手に戻ったのじゃ。少し年寄りの昔話に付き合ってはくれんかね。その後で、あんたの問いには必ず答えよう。」
 
「・・・わかりました。聞かせてください。」
 
 サクリフィアの村長達が嘘をついていたということではなく、真実はまた別のところにあったということか。この先の旅に役に立つかどうかはともかく、この剣を持つ者として、話は聞いておくべきのような気がした。
 
「ふむ・・・では、その愚か者の話はひとまず置いといて、この世界の成り立ちから説明するかの。サクリフィアの村長が語ったこの大地の成り立ちには嘘はない。いささか大雑把ではあるが、口伝えであることを考えればだいぶ詳しく受け継がれてきたと言うべきだろう。火を怖がらない二本足の生き物を"ヒト"と呼び、それらに魔法を教え、その成長を楽しみにしていたのは、神々や竜達だけではない。この世に存在するあらゆるものに宿る我ら精霊も、彼らとは良き友人として共存してきたのだ。魔法を"ヒト"に教えようという話が出た時、神々や竜達の間では賛否両論あったようだが、実際に教え始めてみると、彼らは本当によく魔法を覚えていったもんじゃ。"ヒト"はとても勤勉で、砂地に水が浸み込むがごとくに知識を吸収して行った。その姿を見て、それまで"ヒト"に魔法を教えることに反対していた神や竜達も、考えを変えるべきかと言い始めたくらいじゃ。そんなある時、数人の"ヒト"達が我ら精霊に相談しにやってきたのだ・・・。」
 
 
 それは"ヒト"が魔法を使いこなすようになってしばらく過ぎたころだったか。彼らの集落は大きくなり、国と呼んでも遜色のない規模にまで発展しておった。そんな"ヒト"の姿を見た神々から『そろそろ彼らに手を貸すのはやめるべきではないか、もう彼らは自分達でやって行けるのではないか』そんな話が出ていたころだ。相談に来た"ヒト"達はこう切り出した・・・。
 
『精霊達よ、我らは魔法のおかげで豊かになった。集落は発展し、誰もが安心して暮らしていけると考えている。だが・・・本当にそうなのだろうか?』
 
 わしは精霊の中でも古株だったもんでな、精霊を代表して"ヒト"にこう尋ねたのじゃ。
 
『豊かになって悪いことはないと思うが、何か不安なことがあるのかね。』
 
 それに対する"ヒト"の答えはこうだった。
 
『魔法を教えられる前まで、集落の指導者は生活の知恵をよく知り、慈悲深く、面倒見のいい者ばかりだった。誰もが指導者を慕い、小さなことでも相談に行ったものだ。だが今はどうだ?今の集落の指導者は、魔力の高い男だ。彼は神々から賜る魔法を誰よりも早く使いこなし、火でも氷でも瞬時に出して見せる。確かにあの男は素晴らしい魔法の使い手だ。しかし、彼は慈悲深くもなく、生活の知恵も知らない。何もかも魔法で何とかなると思っている。むろん悪い人物ではないから、付き合うには問題ないだろう。だが指導者としては・・・。』
 
『つまり、お前さん方はあの男と友人として付き合うならいいが、指導者としてはついていくのが不安だと、そう言うことかね?』
 
『そういうことだ。だが他の誰かを指導者にしてほしいなどと言うつもりはない。我らはただ、魔法のない以前の暮らしに戻りたい。それだけだ。神々は、我らの願いをかなえてくださるだろうか。』
 
 そこでわしは、その"ヒト"達にこう言った。
 
『ではお前さん方についていきたいという"ヒト"を集めてみてはどうかね。ある程度の人数になれば神々も無視できまい。』
 
 そしてわしは今の集落の指導者に話をしに行った。
 
『そう言う話があるのは知ってますよ。確かに、以前なら私が指導者になるなど考えも及ばなかったかもしれない。でも、私を頼りにしてくれている人達もいるんですよ。私を気に入らない人達がいるから指導者をやめますというわけにもいかないでしょう。』
 
『まあそうじゃろうなあ。お前さんを指導者に選ぶことについては大方の者たちが賛成しておる。逆に、誰かが反対しているから降りると言われても、そっちの方が困ってしまうな。』
 
『選んでくれた人達のために、私は私で頑張りますよ。』
 
 指導者の男だって、別に悪い人間ではない。どちらにも非があるわけではないが、考え方の違い、というところなんじゃろなあ。やがて『魔法のない以前の暮らし』を望む人々が集まり、神々の前で願い出た。
 
『魔法は暮らしを豊かにしてくれる。それを否定する気はないが、我々は魔法も、それによって発展する高い文明も必要ないと思っている。人がありのままで暮らせるよう、私達がここを出ていくことをお許し願いたいのです。』
 
 
 
「え・・・それではそれが・・・。」
 
 長老がうなずいた。
 
「クリスタルミアの地は太古の昔から氷に覆われているのだが、その南側を森で区切って、四季のある豊かな大地へと作り変えたのは神々じゃ。そしてそこに村を作り、クリスタルミアの入口を守る村としての役割を与えられた"ヒト"達が移り住んだのじゃよ。お前さん方、村でアンナかノアあたりから何かそんな話を聞かんかったかね?」
 
「ええ・・・『文明を持たないことが最良の生き方であるって言われていた』という話は。」
 
「最良かどうかは何とも言えん。文明も魔法も、あって悪いというものではない。だが、当時この村へとやってきた人々は、それが最良の生き方であると信じていた。だから村にはそんな話が伝わっておるわけだ。子供向けのおとぎ話としてわかりやすく作った話もある。アンナはその話が好きらしいんじゃよ。村に来るお客、誰にでもその話を聞かせるのが楽しいらしい。」
 
「・・・そうだったんですか・・・。」
 
 ムーンシェイの村の成り立ちは、サクリフィアだファルシオンだという国の形が出来るもっと以前の話だったのか・・・。
 
「では長老はそれからずっとこちらにいらっしゃるんですか?」
 
「いや、わしは神々の領域の入口を守る番人として、それ以前からずっとここにおる。ムーンシェイの村が出来たことで、長老として村の者達の暮らしに気を配ったり、あとはクリスタルミアの冷気が森を浸食しないよう見張るという役目も加わったがな。」
 
「そんなにずっと前から・・・。」
 
「ま、精霊なんてものはここにいてもここにいない時がある。イグニスのようにどこにでも自在に移動するものもおれば、本当にひとところにとどまって動かないものも、まあいろいろじゃよ。ところでお前さん方、村に入る時に変な感じがしたじゃろう?」
 
「はい。思わず振り向いて、アンナに笑われましたよ。」
 
「あれも何とかしたかったんじゃが、そもそも神々とて天候を自在に動かせるわけではない。だがなんとか人間達の願いをかなえてやりたかった。そこで、氷に覆われたこの土地を四季のある豊かな土地に変えるために、広大な森で境界を作り、人々の住む場所まで冷たい風が届かんようにしたのだよ。そのおかげで人間が暮らせる程度に温かくはなった。森は実り豊かで水も豊富だ。しかし、文明は必要ないとはいえ、一度豊かな暮らしに慣れた人間達に、また森の中での狩猟生活に戻れというわけにはいかない。そこで、家を建ててその中で火を熾すなどの生活の営みがファルシオンの地と同じく出来るよう、村を作る場所だけは森のように木々を生い茂らせず、その代り強力な結界で包んだのだ。」
 
「ではもしもその結界がないと、村の中もこの森と同じようになってしまうんですか?」
 
「そうさなあ・・・。南側の森の中のようになる可能性はあるじゃろな。ま、森の精霊達も人間達が快適に暮らせるように心をくだいているから、そんなに極端に不便な生活をすることにはならんだろうがな。」
 
 そう言えば森にピクニックに行った時、リガロさんが歩きながら言っていたっけ。
 
『この森はいいところだけど、村の中までこんな森になっちまうと困るなあとよく思うよ。多分あの結界がそれを防いでくれてるんじゃないかと思うんだけどな。』
 
 神の力と言えども、何もかもが思い通りになるわけではないということか。
 
「さて、いささか人数は減ったが、"ヒト"達の集落にはまだまだたくさんの人々が暮らしていた。そして彼らは魔力の高い指導者を頼りにしている。そこで神々が彼らにこう告げたのだ。『今後そなた達の呼び方を"人間"と改める。これからは我らの僕としてではなく、自分達のために働き、暮らしていくがいい。この先我らは、そなた達だけではどうしても解決出来ないことが起きた時、どうしても必要な時だけ手を貸そう。そんな時は遠慮なく呼び出すがいい。』とな。だが、これには誰もが動揺した。特にその指導者は相当慌てたじゃろう。その男は自分が指導者の器でないことをよくわかっておる。だからこそ魔法を覚え、精進することによって人々の信頼を勝ち得てきたのだ。だがその後ろ盾である神々がいなくなったらと思うと、恐ろしかったのだろうなあ。」
 
「それで、この剣を作ったということですか・・・。」
 
「うむ、それはサクリフィアの村長が語っていた通りだ。だがちょいと間違っておる。その剣を鍛え上げたのは神々ではなく、我ら精霊だったのだよ。」
 
「皆さんが・・・。」
 
「この世界にいるあらゆる精霊が集結し、みんなで剣の材料を探してきた。金や銀、鋼の元となる鉄、装飾するための宝石などが集められ、力を合わせて作り上げたのが、お前さんが持つその剣だよ。刀身を鍛える時には、この男の炎が役に立ったもんじゃ。」
 
 長老はそう言って隣に座る男性を指し示した。
 
「炎・・・・?」
 
 尋ねようとした瞬間、熱風とその向こうに佇む炎の姿をした影が脳裏を駆け抜けた。
 
「あ、まさか!?」
 
「やっと思い出していただけたようだな。わが力を存分に使いこなしてくださっている様子で、安心したぞ。」
 
「え!?わが力ってまさか・・・え!?」
 
 ウィローも驚いて叫んだ。
 
 まさか温泉の地下で出会ったファイアエレメンタルが、人の姿でこんなところに現れるとは・・・。
 
「だから・・・どこかで会ったような気がしたのか・・・。」
 
「はっはっは、まあ、こんな姿でいれば誰だって気がつかんものだ。」
 
 男性が大声で笑った。
 
「ま、ここで本来の姿に戻られたりすると大変なことになるからのぉ。」
 
 長老が言った。
 
「承知していますよ。だからここでは暖炉の火を大きくしたりするくらいにとどめておくのではありませんか。」
 
「明日まではそうしておいてくれ。明日はお前さんの力も借りねばならんからな。」
 
「わかってますよ。」
 
「それじゃ、私があの時から使えるようになった蘇生の呪文もあなたが・・・?」
 
 ウィローが尋ねた。クリムゾン・フレアもカインの剣技も炎に関係しているので、確かにファイアエレメンタルから授けられた力だと理解出来るが、私とウィローがずっと疑問に思っているのはウィローの蘇生の呪文だ。
 
「あれか・・・。」
 
 男性は少し困ったように言葉を切った。
 
「蘇生の呪文はこの男の力とは別もんじゃろう。もしかしたら、たまたまこの男と出会った時と同じ時期に覚えたと言うだけかもしれんぞ。」
 
 長老が言った。
 
「だ、だけど、私は虹の癒し手も唱えられないのに・・・。」
 
「治癒の呪文と蘇生の呪文は系統が違うからの。まあ今のエルバール王国ではそう言う区分けはしておらんようじゃが、どんなに素晴らしい回復の呪文を唱えられても、蘇生の呪文が使えるようになるとは限らんものじゃ。」
 
「そうですね・・・。私は虹の癒し手も楽に唱えられる程度にはなってますが、未だに蘇生の呪文はまったくわかりませんから。ということは、つまり、ウィローには元々そう言う素質があったのが、たまたまあの時に唱えられるようになったということですか?」
 
「そうかもしれんな。もしかしたらだが、お前さんの持つ剣が、ずっと一緒に旅をしているこのお嬢さんがお前さんをもっと助けられるように、その呪文を覚えさせたのかもしれんぞ。」
 
「剣が・・・。」
 
「まあそれも推測じゃ。わしもそこにおったわけではないからのぉ。イグニスよ。お前さんは何か心当たりはないのかね。」
 
「私が彼らに与えたのは、クリムゾン・フレアの呪文と、一緒に旅をしていた赤毛の剣士の剣に、ほんの少し炎の力を宿らせただけですよ。炎とは戦いの象徴のようなものですからね。癒しや蘇生などとは対極にあるような力です。あと考えられるのは、長老がおっしゃるようにこの剣の力かも知れません。」
 
 ウィローは不安げに黙り込んだ。
 
 それにしても・・・サクリフィアの村長から聞いた話で、自分の持つ剣が途方もないものなんだと言うことは理解していたつもりだが、目の前にいるのが人間ではなく精霊で、しかもこの剣を実際に鍛えたなどと聞いてしまうと、どうしていいかわからなくなる。この剣は、本当に私が持っていてもいいものなのだろうか・・・。
 
「不安かね?」
 
 長老にずばり聞かれて答えに詰まった。
 
「その気持ちがわからなくはない。この剣を最初に授けられた男も、受け取る時には震えておったもんじゃ。」
 
「・・・これは本当に私が持っているべきものなんでしょうか。」
 
「そうだ。」
 
 長老の瞳は優しいが、答えはきっぱりとしていた。
 
「その剣はあんたを選んだ。だからあんたの元にやってきたのだ。」
 
「でもこれを持っていたのは父です。父がいつこの剣を手に入れたのかはわかりませんが、偶然と言うことは・・・。」
 
 私は何を聞いているんだろう。この剣は、私が持つべきものではないのだと、長老達に言ってほしいのだろうか。お前などふさわしくないと言ってくれれば、少しは気が紛れるのにと・・・そんな事をいつまでも考えている自分が情けなくなる。
 
「それだけ使いこなしているのに、それを偶然と言い張るのかね。確かに、定命の者がもつにしてはいささか力を込めすぎたかもしれんとは思ったが、あなたはどこからどう見ても、立派な剣の主人にしか見えないのだがな。」
 
 隣の男性・・・この人はどうやら『イグニス』という名前を持っているらしい。ファイアエレメンタルさんと呼ぶよりは名前があってほっとしたが、彼も私のことを呆れているようだ。
 
「でも、大きすぎる力は身を滅ぼすと思います。」
 
 ウィローが言った。
 
「・・・なるほど、剣士殿の迷いはこちらのお嬢さんの影響か。」
 
 長老が、少し厳しい顔で言った。
 
「・・・どういうことですか?」
 
 ウィローが驚いて顔を上げた。
 
「お嬢さん、あんたの心に渦巻いている不安が、剣士殿の心に影響しているのじゃよ。大きすぎる力は身を滅ぼす、なるほど確かにその通りだ。だが、剣士殿は違う。大いなる力を内側に宿しているのだ。お嬢さん、あんたにはそれが見えない。無論それが普通だ。だがもう少し、剣士殿を信じてやってくれんかね。彼はこの剣を持つにふさわしい人物だぞ。」
 
 ウィローは赤くなって下を向いてしまった。ウィローはずっとこの剣を「私が持つには過ぎた剣」と考えていた。だからいつも気にしていたし、出来れば手放してほしいと思っていたのは知っている。ただ心配だったのだと思うが、それを『私を信じていないのではないか』と言われ、戸惑っている。
 
「ウィロー、君が心配してくれるのはわかるよ。この剣が私にとって過ぎた力を持っているのかどうかは正直私にもわからないけど、今この剣を手放すことは出来ないんだ。」
 
「私・・・あなたのことを信じてないなんて・・・。そんな事考えてたのかな・・・。」
 
「単に君が心配性なだけだよ。長老、さっきの話の続きを聞かせてくれませんか。最初に人間の長となった人物に、この剣が授けられたと言うところまででしたよね。」
 
 この剣が私にとって過ぎたものかどうかはともかく、私が知りたいのはカインのことだ。なぜ私達が殺し合わなければならなかったのか。それが実はこの剣に由来しているのか、そして・・・
 
(カインが死ななければならなかったのは、この剣のせいなのか・・・。)
 
「うむ。この剣を作るにあたって、神々から我らに注文がつけられた。その注文とは『この剣が正しく人々を導くにふさわしい指導者を選び出す時、その選定にはいかなる者の考えも入らぬようにしてほしい』と言うことだった。」
 
「・・・いかなる者の考えも・・・ということは、作った精霊の皆さんや、神様達もですか?」
 
「もちろんじゃ。」
 
「でもそれでは・・・神々が指導者の選定に関われないのではありませんか?」
 
「そういうことになるな。神々は、いつまでも神が人の手を引いていたのでは、彼らが自立出来る日が来ないと考えたのじゃよ。だから本当なら、人間達が自分達で選び出した指導者の元で日々を暮していくことを望んでいたのじゃ。だが、その時の指導者にはそこまでの力量はなかった。神々の後ろ盾がなければ、いずれあの男は指導者の座から追われることになっただろう。本人もそれがわかっていたから、神々が手を引くと聞いて慌てたのだ。気持ちがわからぬでもない。神々や我ら精霊と違って、人間達の時には限りがあるからな。せめて生きているうちは人々から慕われていたいと思ったとしても、それを責めるのは気の毒というものじゃて。」
 
「でもその人に剣を授けたと言うことは、神様達がその人を指導者として認めたと言うことですよね?」
 
「認めたと言うより、人々がその男を頼りにしているということは、それこそが神々の望んだ『人間達が自分で選び出した指導者』じゃからな。神々としては、人間達にもっと自分達の選択を信じてほしかったのじゃ。ところが、その指導者本人が神々に頼んだのじゃよ。『何かよりどころとなるものが欲しい』とな。まあもう少し詳しく言うと、自分が死んだあと、誰もが納得するような指導者を選び出すために、助けになってくれるようなものはないかと、そういうことじゃよ。その男は自信がなかったのじゃろう。自分が神々のおかげで指導者の座に座っていることが出来るとしても、後継者を選ぶ段になって何かしら間違いを犯すのではないかとな。」
 
「ということは、その指導者が何も言わなければ、この剣が作られることはなかったということですか。」
 
「まあそうじゃな。そしてその後の数々の揉め事も起きずにすんだというわけじゃ。ただし、全てを人間達の手に委ねたことで起きた可能性のある別な揉め事は、やはり起きたんじゃなかろうかとわしは思うがな。」
 
「神様達は、その『別な揉め事』を予測していたのでしょうか。」
 
「さてなあ。神々にはある程度の未来を見通す力はあるのだが、それも完全ではないと言う話を、空の神から聞いたことがあるぞ。人間であれ竜であれ、全ての生きとし生けるものに宿る『心』によって、未来は変わると。だからあまり遙か先のことを今の時点で予測したところで意味など無いそうじゃよ。ま、我々精霊も似たようなもので、身近な場所で起きることについてはある程度の予測はつくのだが、起きるとわかっていても防げない、しかもその結末も予測したものにはならない、そう言うことも結構あるものじゃ。だから我らは、迂闊に未来について語ることはできんのじゃ。」
 
 例え神様でも万能ではないと言うことか・・・。
 
「だから神々は、この剣に正しき心を持つ者を見定める力と、その力によってのみ主人を選び出すと言う判断力を持たせてほしいと言ったのだろうな。まあ我ら精霊はそこかしこにおる者だが、必ずしも人間達の友ばかりではないし、神々や竜族と仲のいい精霊ばかりでもないのだ。だからかえってそのほうが、公正な力を剣に宿せると考えたらしいのだよ。」
 
 イグニスさんが言った。
 
「うむ。神々とて、今後は人間達の力でと言いながら、剣に自分達の力を込めてしまっては結局今までと変わりなくなってしまう。それでは意味がない。だからこの剣は、自分の力で主人となるにふさわしい人物を見つけ出し、その者を呼び寄せ、あるいはその者の元にたどり着くのじゃよ。神々の考えも、作った我らの思惑も、何一つ鑑みることなくな。」
 
 だからセントハースは『剣の意思については我らの考えの及ぶところではない。』と言ったのか・・・。
 
「サクリフィアの村長は、剣が選んだ人物にみんなちゃんと仕えていたと言ってましたが・・・。」
 
「最初のうちはな。」
 
「ではそれが守られなくなったと?」
 
「人間達の暮らしは最初は順調だった。神々が望んだように、今まで通り人々は仲良く暮らしていたのじゃ。その時々に剣が選び出す指導者に従い、今まで神々から教わった魔法を使いこなし、人間達の暮らしはどんどん豊かになっていった。だが・・・。」
 
 
 神々から直接恩恵を賜り、そしてその剣が作られた当初のことを覚えている者達が生きているうちは、いや、彼らが亡くなってからもそのことがきちんと伝えられていたうちは平和だった。だが時が経つにつれて言い伝えは忘れ去られ、あるいは都合のいいように歪められ、その剣は権力者にとって羨望の的となっていった・・・。何と言っても、誰がその剣に選ばれるのか、全く分からんのだからな。ある日突然剣に選ばれるという幸運が転がり込んでくるかもしれぬし、選ばれし者がわが子に伝えたいと思っても剣がその子供を選ぶとは限らぬ。だが剣が選び出す指導者はなるほど間違いのない心正しき者ばかりだ。彼らは剣が欲望の対象になりつつあることを察知し、神殿に剣を祀り、『導師』という剣に導かれし者の教育係を選び出したのだ。
 
 
「あの『導師』という方は、最初からいたわけではなかったんですね。」
 
「そうじゃな。エルバール王国の北大陸に、クロンファンラという町があるじゃろう?最初に作られたその国『ファルシオン』は大体そのくらいの規模だった。国と言ってもすべての国民はみな顔見知り、村に毛が生えたようなもんじゃったから、剣もその中から次の指導者を選び出していたし、それについて他の者が異を唱えるなどということはなかった。しかし国が大きくなってくるとそう言うわけにもいかなくなる。しかもそのころには剣の由来や神々からの言いつけも、単なる伝説として語られるようになっていた。考えても見てくれ。その剣に選ばれたとなれば、どこの何者でも王になれるんじゃぞい?そりゃあ野心を持つ者にとっては、よだれが出るほどにほしい剣だったであろうよ。いつしか、我こそは剣に選ばれし者なりなどと嘘をついて王宮に入り込もうとしたり、剣に選ばれし者を見たなどと吹聴する輩まで現れるに至って、その時の王、むろんちゃんと剣に選ばれし者が、神殿の中に剣を祀る場所を作り、剣に選ばれし者が現れた時にその者を導くようにと、王の次に大きな権力を持つ『導師』という役職を作り出したのだ。」
 
 長老の説明によれば、時の王は剣に命じたのだという。『剣に選ばれし者と同じように、導師を選び出せ』と。その命令に従って剣が最初の『導師』を選び出し、その後も剣は自分の主人たる者を探すように、『導師』が亡くなれば新たなる『導師』を探す役割も担っていたというのだ。そしてその『導師』の役割は、もちろん剣に選ばれし者を導くのが一番の仕事だが、そのほかにも、選ばれてもいないのに嘘をついてやってきた者達を見極め、嘘を看破し、王宮から叩きだす、あるいは牢獄に放り込むなどの仕事もしていたらしい。
 
「だが、それでも人が増えれば揉め事は起こる。剣に選ばれし者がいくら心正しくとも、そしてどんなに善政を布いたところで、すべての人に受け入れられるとは限らんものだからな。そんなある日、一人の男が王宮にやってきて、この町を出て行きたいと申し出た・・・。」
 
 
 その男に賛同する者達もかなりの数一緒にやってきた。彼らは、遠い昔に袂を分かった同胞達のように、魔法のない世界で生きていきたいと申し出たのだ。だがムーンシェイへと渡った者達と違うのは、彼らが『武力』を重んじていたことじゃ。魔法に守られ、魔法の陰に隠れて暮らしていたくはない、自分達が努力して得た力で未来を切り開いていきたいとな。そして彼らが渡りたいと言った南の大陸を、神々が人が住める土地に変えて、彼らは去っていった・・・。
 
「それが・・・サクリフィアの人々なのですね・・・。」
 
「え!?それじゃサクリフィアの人達は元々ファルシオンの人達だったの!?」
 
 ウィローが叫んだ。
 
「うむ、もっともその頃はそんな名前は名乗っておらなんだがの。サクリフィアなどという名前はな、先祖が自分達の意思で袂を分かったとは知らない彼らの子孫が、暑い砂漠での暮らしに嫌気がさして、自分達がファルシオンの民の犠牲になっているなどと思いこむようになってから名乗るようになった名前じゃ。いわばファルシオンに対する当てこすりじゃな。」
 
「それじゃサクリフィアの人達はそのころは何と名乗っていたのでしょう。」
 
 ウィローが尋ねた。
 
「砂漠の民と名乗っていたようじゃの。彼らには自分達が神々に背を向けた不忠者であるという負い目があった。何と言っても神々からの最大の恩恵である魔法を拒絶したわけだからな。だからファルシオンを名乗らず、砂漠に生きる民と名乗って生きる決意をしたのだ。そこがどんなに暑く、暮らしにくい場所でもな。」
 
「でも神様が住みよい土地に変えてくださったんですよね?」
 
「変えると言っても限度があるぞ。ムーンシェイなどのように、寒いところを人が暮らせる程度に暖かくするなら森で区切るなり結界を張るなり方法はあるが、あの砂漠地帯全体をファルシオンの地のように緑為す豊かな大地に変えるなど、まず無理な話じゃ。もっとも、当時向こうの大陸に渡った者達は、暑さも試練の1つと受け止めて、納得して暮らし始めたわけだがな。」
 
 長老の話によれば、住み慣れたファルシオンの国を離れ、灼熱の砂漠で生きていくことを選んだ『砂漠の民』の決断は、まさしく、『人間達が自分の考えで選んだ道』ということだ。しかも彼らは話し合いで新しい指導者を決め、その指導者に従い、暑い大陸へと旅立って行った。神々は彼らの選択を歓迎し、今後の暮らしの中でせめて水と緑に事欠くようなことにならぬよう、砂漠の中にたくさんのオアシスを作ったのだそうだ。乾ききった砂だらけの地でも、地下深くには水が流れている。神々はその水脈を探り当て、地上に導き、植物を生い茂らせたり、湧水を作って人々が生活に使えるようにした。神の力をもってしてもかなり苦心したそうだが、神々にとって人間達はわが子のようなもの。苦労のし甲斐もあったそうじゃぞ、長老はそう言って笑った。
 
「ま、それでもすべての場所に緑を増やすというのは無理じゃったのだがのぉ。とは言え、あの当時はもう少し数が多かったから、今のように砂の海を一日がかりで歩いて行かなければ辿り着けないなどということはなかったんじゃ。・・・致し方ないこととはいえ、今の時代に暮らす人々には、すっかり暮らしにくい場所になってしもうた・・・。」
 
「・・・・・・・?」
 
 長老の顔が、ほんの少し悲しげになったように見えた。オアシスの減少は、単に時の流れとともに砂漠に飲み込まれたということではないのだろうか。
 
「サクリフィアの民がファルシオンと袂を分かった経緯はそんなところじゃ。だが『不忠者』である自分達のために、神々が苦心してオアシスをたくさん作ってくれたと聞いて、彼らは神々に心から感謝した。そして同胞であるファルシオンの民と、考え方や住む場所は違っても、これまで以上に手を取り合って生きていくと誓ったものだが・・・。」
 
 長い時の流れの中でその誓いは忘れ去られ、やがてファルシオンの国の繁栄を妬んだ砂漠の民は『サクリフィア』と名を変え、少しずつ心に憎しみを降り積もらせていったのか・・・。
 
「さて、少し話が逸れたな。その後時代は下り、年老いた選ばれし者が亡くなった。剣は新たな主人を探し始め、選び出したのが、町の貧民街に住む青年だった。彼は親もなく、小さなころは貴族達からの施しでようやっと食いつないでいたらしい。ある日その青年が光り輝く剣の夢を見た。その夢に導かれ、神殿の『導師』の元を訪ねたのだが、その時はまさか、自分がファルシオン最後の王になるなんて、思いもせんかっただろうな・・・。」
 
「ではその青年が、サクリフィアの村長から聞いたファルシオンの王だったのですか?」
 
「そうじゃのぉ・・・いや、その青年は王太子のほうじゃろう。」
 
「あれ?でもその時の国王陛下は亡くなっていたんですよね?」
 
「そうじゃ。選ばれし者が亡くなったことで、剣が新たに自分の主人を探し始めたわけだからな。」
 
「・・・だとすると、すぐにその青年が国王になるはずなんじゃないんですか?」
 
「本来ならばそうなのだがな。剣が見いだし、『導師』が認めたことで、その青年は正式に選ばれし者として王宮に迎えられた。だが、貧しい暮らしをしていた青年には教養がなかった。読み書きと計算はなんとかなったが、それだけでは王としての仕事は務まらぬ。そこでまずは王太子という身分になり、勉強することになった。」
 
「それはそうですね・・・。あれ?それじゃその人が王太子だとすると、その時の国王というのは・・・あれ?」
 
 サクリフィアの村長から聞いた話の中に出てきた『王太子』がその青年なら、その時玉座に座っていた王というのは何者なんだろう・・・。
 

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