小説TOPへ ←前ページへ



 
 その時、私は冷たくなったカインの傍らで、なおも呪文を唱え続けるウィローに気づいた。これは蘇生の呪文だ。カインをじっと見据えた目は瞬きもせず、何かに取り憑かれたように呪文を唱え続けるウィローの姿を見て、フロリア様への憎しみで心が埋め尽くされそうになっていた私の心は、すんでのところで踏みとどまることが出来た。憎しみに流されてはいけない。私にはまだウィローがいる。すべてを失ったわけではないんだ!
 
 私はそっとウィローの肩に手をかけた。
 
「ウィロー、もうやめよう。」
 
 ウィローはキッと顔をあげると、先ほどからずっと呪文を唱え続けてかすれた声で答えた。
 
「いいえ、蘇生の呪文ならきっと蘇らせることが出来るわ。」
 
 そしてまた一心に呪文を唱え続ける。私は心を鬼にしてウィローの両肩をぎゅっとつかむと、思い切り揺さぶった。
 
「カインは・・・死んでしまったんだよ。もう・・・生き返らないんだ・・・!」
 
 一瞬ウィローは両目をかっと見開いて私を凝視した。
 
「だけど!蘇生なら・・・蘇生の呪文なら!」
 
 ウィローはすがるような目で私を見つめている。『蘇生の呪文なら、カインを助けることが出来る』ウィローの目は私にそう言ってほしいと言っているようだった。だが・・・
 
「ウィロー、蘇生の呪文が効くためには条件がある、それは・・・」
 
 私が言い終わらないうちに、ウィローの目から涙がどっとあふれ出た。
 
「だけど・・・だけどっ・・・!」
 
 蘇生の呪文が効くための条件・・・。それは、亡くなってすぐであること、心臓が無事なこと、出血がひどくないことだ。私の剣が傷つけたのはカインの喉だ。心臓は無事だが、あまりにも大量に出血してしまった・・・。これでは蘇生させたくとも、呪文が効いたところでカインは立ち上がることすら出来ず、体も生者としての動きを始めることが出来ない。結局はもう一度死の苦しみを味わうことになる。
 
「私・・・私一生懸命呪文を唱えたのよ・・・。なのに・・・なのに、全然効かなかったの・・・。どうして効かないの!?どうして!?私の力が足りなかったの!?私にもっともっと力があればよかったの!?どうして・・・!!」
 
 後は声にならなかった。今まで数え切れないくらい私達を救ってくれたウィローが、自分の無力に打ちひしがれている。その痛々しい姿を見るに忍びなく、思わずウィローをきつく抱きしめていた。そのまま私達はしばらくの間そこで泣き続けていた。この涙が涸れることなど永遠にないように思われた。それでもやはり涙という物は、一定量が出ると自然に涸れるものらしい。
 
「痛い・・・クロービス、腕をゆるめて。」
 
 ウィローの声で我に返ると、私はウィローの顔を自分の鎧の胸当てにぎゅっと押しつけていることに気づいた。
 
「あ、ご、ごめん・・・。」
 
 私は慌てて腕をゆるめた。ウィローの顔には、私の胸当てについていたカインの血がべったりと付いている。
 
「これ使って。君の顔、汚しちゃった。」
 
 私は慌てて自分の服のポケットからハンカチを取り出してウィローに渡した。
 
「ありがとう・・・。」
 
 ウィローは力無く微笑み、私のハンカチを受け取ると顔を拭いたが、血はもう乾いていてほとんどとれなかった。
 
 
「・・・ごめんなさい、クロービス・・・。」
 
「・・・え?」
 
「私よりもあなたのほうが何倍もつらいのに・・・私、自分のことばかりで・・・。」
 
「そんなことないよ。同じだよ・・・。」
 
 私の呪文だって何一つ効かなかった・・・。助けたかったのに・・・大事な仲間を、かけがえのない親友を、何としても助けたかったのに・・・。
 
「でも何があったんだろう。まるで・・・狂ってしまったみたいだった・・・。」
 
 ウィローがつぶやいた。
 
 カインは狂っていた・・・?
 
 いや、そうではないと思う。ただ、何かに操られていたのは間違いない。『人の心を操る魔法』がないというのなら、カインは何か別の方法で操られていたのではないか。それは催眠術なんだろうか。でも以前『夢見る人の塔』で聞いた催眠術に、それほど強い力があるとは思えない。ではいったい、どんな方法で・・・。
 
「狂っていたとは思えないけど、何かに操られているような気はしたよ・・・。」
 
「それは・・・まさか何かの魔法?」
 
「それは違うと思う・・・。」
 
 私は夕べ見た夢の話をした。カインが漁火の岬でフロリア様と再会したこと、そしてその時二人の間で交わされた会話も・・・。
 
「そんな・・・フロリア様がそんな恐ろしいことを・・・。」
 
 ウィローが青ざめた。
 
「ただの夢だと思いたかったよ・・・。でもやっぱり、そうじゃなかったみたいだ。」
 
「カイン・・・つらかったでしょうね・・・。きっと心からフロリア様を尊敬していたのでしょうに・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「でも、『サクリフィアの錫杖』を持っていたなら、魔法で操るのは確かに無理よね・・・。」
 
「だと思う。しかもあの『フロリア様』は、人の心を操る魔法なんて存在しないと言っていたし・・・。」
 
「でもそれならカインは・・・どうして・・・。」
 
 ウィローの目からまた涙が流れた。どうしてカインは私達に剣を向けたのか・・・どうして・・・どうして・・・。
 
 その答えはもう聞けない。そして、剣を向けているのに、殺意が消えていた、その理由も・・・。
 
「フロリア様を頼むって・・・言ってたわよね。さいごに・・・。」
 
「そうだね・・・。あの時、カインの目はいつものカインの目だった。私達に剣を向けた時とは違ってたと思う。」
 
「まさか、途中で正気に戻っていたかも知れないってこと・・・?」
 
「正気に戻るっていう言い方が正しいかどうかはわからないけど・・・途中から殺意は消えていたと思うよ。」
 
 ウィローがぎょっとした顔で私を見た。私は先ほどの戦いのなかで聞いたカインの言葉を、ウィローに話して聞かせた。
 
「その時も・・・フロリア様を頼むって言ってたの?それじゃ・・・まさかカインは死ぬつもりで・・・。わざとあなたに斬られたって言うの?」
 
(わざと・・・?)
 
 わざと・・・カインがわざと私の剣の前に体を投げ出した?いや、そうではない。あの時カインは本気で私に斬りかかってきた。では、あれは『事故』だったのか?あの時カインは本当に『足を滑らせた』のか。それとも・・・。
 
「それは・・・違う・・・。それに、カインは手を抜いていた訳じゃなかったと思うよ。何度も負けそうになったもの。でも・・・。」
 
「でも・・・なに?」
 
「でも・・・倒れた時にうっすらと微笑んだように見えたんだ・・・。何となく満足そうに・・・。」
 
「・・・笑ってたわよね・・・。」
 
「うん・・・でもそれは私がそう思いたいだけなのかもしれない・・・。私がカインを殺したことを正当化したいのかな・・・。何だか・・・自分がすごく嫌だ・・・。」
 
「そんな言い方しないでよ・・・あなたが悪いんじゃない。私だってカインを救えなかったわ・・・私ってば、肝心な時に何の役にも立たない・・・・。」
 
「そんなことないよ。今までだってずっと助けてくれたじゃないか。」
 
 それには答えず、ウィローはぼんやりとカインの顔を見つめていたが、その視線を私に移した途端驚いたように叫んだ。
 
「クロービス、あなたの腕!すごい怪我よ、これ!」
 
 言われて初めて気がついた。右腕がざっくりと切れて血が固まっている。こんな怪我をしていることにも気づかなかった。それがいつついた傷かさえ思い出せない。なのに、気づいた途端に痛みが襲ってくる。
 
「腕をだして。」
 
 ウィローは私の腕をとり、てきぱきと小手をはずして服の袖をまくり上げると、回復の呪文を唱えはじめた。『自然の恩恵』『大地の恩恵』と順番に唱え、治り具合を見ながらもう一度『自然の恩恵』を唱える。怪我がひどい時、かけられる側の負担を減らして素早く傷を治すためには、難しい呪文を唱えるよりも効果がある。傷はみるみる塞がり痛みが遠のいていった。
 
「さ、これでいいわ。でもまだあんまり無理は出来ないわね。袖が破けてるから、あとで着替えないとね。」
 
 言いながらまた袖を戻して小手を取り付けてくれた。いつもながらの手際の良さだ。
 
「ありがとう、ウィロー。」
 
「私の呪文・・・ちゃんと効いたよね・・・。」
 
 ウィローの目にまた涙がにじむ。
 
「効いたよ。もう痛くないよ。それに君の呪文が悪かった訳じゃないよ。もしかしたら・・・カインは助かろうと思ってなかったのかもしれない・・・。」
 
「でも呪文を唱えれば・・・。」
 
「ウィロー、サクリフィアのランスおじいさんの話を覚えてる?」
 
「ランスおじいさんの話?あ・・・もしかして、治療術はかけられる人が回復したいって思ってないと効かないって。」
 
「うん。あんまり考えたくはないけど、もしかしたら・・・ね・・・。」
 
「でも、もしもカインがあなたにわざと斬られたわけじゃないのなら、もっと力のある人がかければ効いたかもしれないわ。私に・・・もっともっと力がありさえすれば・・・。」
 
「ランスおじいさんもそう言うことがあったのかもしれないよ。それでも効かないこともあったんじゃないのかな。」
 
 あきらめきれないウィローの気持ちは痛いほどわかる。だが効かなかったのはウィローの呪文だけじゃない。私の唱えた呪文だって何一つ効かなかった。私の呪文がウィローより上か下かではなく、二人がかりで唱えた呪文が何一つ効かなかったというのは紛れもない事実なのだ。どんなに悔しくても悲しくても、それは認めるしかない。そのまましばらくの間、二人とも無言でただ座り込んでいたが、やがてウィローがのろのろと立ち上がった。
 
「行かなくちゃならないよね・・・。長老が待っているでしょうし・・・。」
 
「そうだね・・・。でもその前に一度ムーンシェイの村に戻ろう。カインをここにおいてはいけないよ。せめて・・・きちんと埋葬してやりたいんだ。」
 
「・・・うん。」
 
 村に戻るにはカインを担いで運ぶしかないが、このままでは引きずっていくしかない。私達はまずカインの鎧をはずして、体ひとつにした。それならなんとか担ぎ上げることが出来るだろう。カインが着ていた服は、冒険者達の船でエルバールに帰る時に着ていたものだ。何もかも、別れた時のままだった・・・。カインは必死で北大陸に戻り、フロリア様を元に戻そうと着替えも何もしないままでいたのだろう。食事だって立ち止まって食べたかどうか・・。
 
 『サクリフィアの錫杖』を荷物に忍ばせ、冒険者達の船に乗った姿を見てから、まだそんなに過ぎていないはずなのに・・・
 
 また涙があふれた。
 
 首には致命傷となった傷がぱっくりと口を開けている。
 
(剣を落とすだけのつもりだったのに・・・。)
 
 つい先ほどの悪夢が脳裏によみがえる。肩当に命中させて、剣を落とすはずだったのに・・・いや、あの時、カインの体が傾いた時、どうして私は剣を引かなかったのか・・・。
 
「クロービス?」
 
 カインの鎧を持ったままぼんやりと考え込んでいた私の顔を、ウィローが心配そうにのぞき込んだ。
 
「あ・・・何でもないよ。ただ・・・。」
 
 その後何と言いたかったのかもわからないまま、また涙が流れた。
 
「荷物は私が持つわ。あなたはカインを運んであげて。」
 
「雪道だから、このマントにくるんで引っ張ればいいよ。」
 
 カインが着ていたあの黒いマントは、道端に落ちていた。こんなもの見たくもないが、ウィローにカインの荷物と鎧一式を担いでくれと言っても無理な話だ。とりあえずこれでくるんで雪道を滑らせれば、なんとか運ぶことは出来る。村に着いたらあとは・・・燃やしてもらおう・・・。
 
 
 二人で来た道を戻る。やっと道が開けて足取りも軽く分け入った行きとはうってかわって、重く、苦しい戻り道だった。
 
 
「ウィロー、大丈夫?重いようなら荷物はここに置いて一度戻って、また取りに来ようか?」
 
「大丈夫よ。あなたはカインをかついでいるんだもの、私だってこのくらい。」
 
 村の入口近くまで来た時、村人達が何人か立っているのが見えた。
 
「おーい、無事かぁ?」
 
 そこにいたのは、グランおじいさんと息子さん、それにリガロさんだった。後ろのほうに村の若者達が何人かこちらを心配そうに見ている。
 
「さっき黒マントの男がいきなり現れて、あっという間に森の道を駆け抜けていったんだ。びっくりしたけど森の道は閉じる気配がないし、かといってうっかり追いかけてお客さん達の足手まといになったりしても困るし、どうしていいかわからなかったよ。・・・その人は・・・。」
 
 リガロさんが、私の肩に担がれているカインの体に目をとめた。
 
「リガロ、まずは剣士殿達に、村の中に入ってもらおう。話はそれからのほうがいいだろう。」
 
 厳しい表情でグランおじいさんが言った。
 
「あ、ああ・・・それもそうだな・・・。とにかく担架に乗せて村まで運ぼう。」
 
 リガロさん達は担架を用意してくれていた。もしかしたら私達が怪我をして戻ってくるかもしれないからと、グランおじいさんが用意するように言ってくれたらしい。リガロさんとグランおじいさんの息子さんがカインの体を私の肩からおろして、担架に乗せてくれた。他の若者達がウィローが引っ張っていたカインの荷物を持ってくれて、私達は再びムーンシェイの村に戻ってきた。村に着くと、いつも広場で日向ぼっこをしていた老人達が何人か待っていた。
 
「お前さんがたは怪我はなさらんかったのか。」
 
 中の一人が優しい笑顔で声をかけてくれた。私達がこの村に来て間もない頃、エルバール王国の流行ごとについて話を聞かせてくれと言っていたおじいさんだ。
 
「いえ、彼女が治してくれましたから。」
 
 私はそう言ってウィローを目で示した。
 
「ふむ、お二人ともかなりの力を持った癒し手とお見受けしたが、この若者はどうして・・・?」
 
 そう言いながらおじいさんはカインの遺体に目を移した。
 
「それは・・・。」
 
 言い淀んで唇を噛みしめる私の顔を見て事情を察したように、
 
「なるほど・・・この若者は生きることを望まなかったということかのぉ・・・。」
 
 私もウィローもぎょっとして老人の顔を見た。
 
「本当に・・・そんなことがあるんですか・・・?」
 
「うむ・・・ま、わしとて話に聞いただけじゃが・・・生きることを望まない者にはどんな癒しの言葉も届かないそうじゃよ。むろん、この若者がそうだとは言い切れないが・・・。いろいろと事情がおありのようじゃが、もうこれ以上は聞くまい。埋葬してやらんとな。グランよ、それは問題ないだろうな?」
 
「無論だ。そのためにここまで連れてきたんだからな。まずは穴を掘らなきゃならん。この若者を見送る者は、森の墓まで行くぞ。」
 
「この村の墓地に埋葬していただけるのですか?」
 
 カインはこの村を焼こうとした者達と同じマントを着ていた。村人達から見れば賊と同じだ。せめて森の片隅にでも埋めてもらえないか、そう頼むつもりでいたのだが・・・
 
「長老の待つ森への道は、剣士殿とお嬢さんのために開いた。この道を通ることが出来るのは、長老が許した者達だけだ。さっきあんた達が森に向かった直後、先ほど乱入してきた不届き者達と同じ格好をした者がこの道に入っていった。わしらは目を疑った。邪悪な者がこの道を通ることを許されるはずがない。なのに通り抜けていったと言うことは、それはその者が邪悪な心を持っていなかったからなのだろう。その者がこの若者なのではないのかな?」
 
「・・・そうです。」
 
「長老が許した者ならここに埋葬することに異存はない。皆も同じ気持ちだろうて。」
 
「ありがとうございます。お願いします。」
 
 私達は森の奥にある墓地まで来た。森を散策していた時、リガロさんが案内してくれた丘へ向かう道から、少し外れたところにその場所はあった。一緒に来てくれた村の若者達が墓地の一角に穴を掘ってくれている間、老人達が何人か川の水を汲んできて、カインの顔や手足を拭いてくれた。
 
「急なことで棺は間に合わんが、穴の中に直接寝かせてもいいかね?」
 
「はい、大丈夫です。」
 
 私はカインの荷物の中に入っていた王国剣士のマントを取りだして穴の中に敷いた。その上にカインを寝かせ、改めて鎧を着せた。両腕を胸の前で組ませて剣と小手を足下に並べる。剣士団に入って間もない頃、敵と戦って名誉の死を遂げた剣士の墓には、倒した敵の装備品を一緒に埋葬してやる習慣があるのだと、聞いたことがある。あれは確か、副団長が話してくれた昔話だった。フロリア様が王位に就かれる前までは、不殺の誓いなどなかった。そしてモンスター達も盗賊達も今までよりもずっと数が多く、殺さなければ殺される、そんな時代の話だったと・・・。
 
 だが、敵の装備品などそんなものはない。カインの命を奪ったのはここにいるこの私なのだ・・・。私は自分の小手をはずし、カインの腕につけると、足下に剣と一緒に並べてあったカインの小手を取りだし、自分の腕にはめた。カインの手首のほうが私よりも太かったが、調節すれば私の手首にも合わせることが出来た。そのほか荷物の中に入っていたもので、いずれ土に返ると思われるものはみんな一緒に入れることにした。マントと一緒に入っていた制服も一揃い、そして着替えを何枚か。これはカインが隣の家のおばさんに縫ってもらったと言っていた服だ。何度も着ているはずだが型崩れもしていない。仕立てのいい服であることが一目でわかる。
 
「もういいかい?」
 
 リガロさんと村の若者達が、土をかけるためのスコップを持って待機している。
 
「待って!もう少しだけ・・・。」
 
 ウィローが進み出て、カインの髪を一房切り取り、さっき私が手渡したハンカチの中にくるんだ。そして自分の髪を切り取り、自分のハンカチに包んでカインの胸元にいれようとした時・・・
 
「お嬢さん、それはいかんぞ。」
 
 背後でおじいさんが声をかけた。
 
「・・・え?」
 
「埋葬の風習は土地ごとに違うとは言え、生者の髪を死者に持たせてはいけない。この若者の死出の旅に、あんたまで連れて行かれてしまうぞ。髪や爪など、体の一部はよくないと言い伝えられておるから、どうしても何か持たせてやりたいなら、あんたの持ち物の中から何か選ぶといい。」
 
「・・・は、はい・・・。」
 
 ウィローは自分の髪を包んだハンカチを荷物にしまい、代わりにいつも髪を結んでいた革ひもを取り出した。
 
「カイン・・・クロービスの小手と、私の髪を縛る紐、・・・持っていってね・・・。私達はまだ一緒に行けないけど・・・でも、いつもあなたのことを思ってるから・・・。さよなら・・・カイン。」
 
 ウィローがカインのそばを離れるのを待って私は村人達に頭を下げた。
 
「もう・・・いいです。お願いします。」
 
 リガロさんが穴を覗き込み、ぽつりと言った。
 
「穏やかな笑顔だね。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「亡くなったのは悲しいことだけど、この人は自分が死んだことを受け入れているのかな。だとしたら、きっとすぐに天の国に行けるよ。」
 
 リガロさんはそう言って、『さあ、そのためにもきちんと埋葬しないとな。』と周りにいた若者達に声をかけた。その声を合図に、少しずつ穴に土が入れられていった。カインの体が隠れ、やがて顔にも土がかけられていく。ウィローは私に寄りかかり、泣きながら、少しずつ土で覆われていくカインの姿を見つめている。そして私は、入団したばかりの頃、カインと交わした会話を思い出していた。もう1年も前になるのか・・・。漁り火の岬から戻ったその日の夜中、私が無遠慮にカインに尋ねた言葉・・・。
 
『フロリア様のこと好きなんだね。』
 
 戸惑って辛そうに私を見たカインの瞳・・・。臣下としての国王への忠誠ではなく、一人の男としてフロリア様を愛し続けて・・・そしてフロリア様のために人生を捧げ尽くして、微笑みながら逝ってしまった・・・・。私の・・・かけがえのない親友・・・。
 
 
 やがて穴はすっかり埋められ、花で飾られた。
 
「石碑は、出来次第ここに建ててあげよう。この若者の名前は何というのだね。」
 
 グランおじいさんが私に尋ねた。
 
「カイン・・・と言います。」
 
「歳は?」
 
「22・・・いえ、23になったばかりです。」
 
「そうか・・・。早すぎるのぉ・・・。わかった。さて、今度はあんた達を何とかしないとな。」
 
「え?」
 
 グランおじいさんの言葉の意味がよく飲み込めなかった。その時、村のおかみさん達が何人かやってきた。その中にはエイジアさんもいる。
 
「ほら、あんた達、これから長老に会うんだろ?その前にその顔と身なりを少し何とかして行きなさい。」
 
 そう言われて改めてウィローと私はお互いを見た。涙と血ですごい色になった顔。返り血を浴びてまだらになった鎧と服。確かにこの姿で歩き回るわけにはいかなそうだった。たとえ長老がすべての事情を知っていたとしても、こんな姿で訪問するわけにはいかない。
 
「村においで。お風呂でゆっくりとまでは行かないけど、少しでもさっぱり出来るくらいの用意はしてあるんだよ。」
 
 カインの墓にもう一度手を合わせ、長老に会って、クリスタルミアで飛竜エル・バールを必ず説得してくるからと、約束した。そしておかみさん達と一緒に村へと戻ってきた。
 
「川のほとりに用意してあるんですよ。あ、でも川に入って洗うわけじゃないから、安心してくださいね。」
 
 エイジアさんが笑顔で案内してくれたそこは、よくおかみさん達が野菜を洗ったり洗濯したりする小川の近くだった。
 
「でもここでこんな汚れを落としたら・・・皆さんの生活には大事な水場なんじゃないんですか?」
 
 単に汚れを落とすだけならともかく、私達の髪や鎧についているのは人間の血だ。
 
「そんな心配はしなくていいんだよ。あんた達はこの村を助けてくれたじゃないか。あんた達がいなかったら、この水場で野菜を洗うことも洗濯することも、永遠に出来なくなっちまうかもしれなかったんだからね。」
 
「エイジア、お湯を持ってきたぞ。」
 
 気がつくとさっきまで墓地にいた人達が戻ってきていて、リガロさんと他の若者が何人かで大きな桶を持ってきていた。どの桶からも湯気が上がっている。
 
「ありがとう。それじゃそれはこっちに、それとね・・・」
 
 エイジアさんがリガロさん達に指示を出して、大きな桶のお湯は小川のほとりに置かれたいくつかのたらいに入れられた。私達は鎧をはずし、まずお湯で顔と手足を洗って着替えをした。その間におかみさん達が私達の鎧を洗ってきれいに拭いてくれていた。ウィローは顔を洗ったあと、おかみさん達に手伝ってもらって髪について固まった血を洗い流していた。周囲に血の匂いがたちこめていたが、誰も何も言わないでくれた。
 
「さあ、きれいになったよ。さらさらできれいな髪だねぇ。」
 
「ほんと、あーあ、うちも女の子がほしかったなあ。」
 
「あんたんとこの息子だって立派なもんじゃないか。まあ、女の子はかわいいけどね。」
 
 おかみさん達はいつもと変わらず明るく逞しい。そのやり取りを聞いているうちに、少し気持ちがほぐれてきたような気がした。
 
「さてと、髪はこれでいいとして、あとは着替えだね。ウィローちゃん、うちにおいで。女の子はここで着替えってわけにはいかないからね。」
 
 近くに家のあるおかみさんに勧められ、ウィローはその家で着替えをして戻ってきた。鎧に付いたカインの血はすべて洗い流すことが出来たが、ウィローのスカーフと私のマントに付いた血は、染みこんでしまって洗濯でもしなければとれそうにない。
 
「ウィロー、予備のスカーフはある?」
 
 ウィローが身に着けていたスカーフは一番厚手のものだ。寒い場所に向かうことを考えて分厚いものを選んだのだ。スカーフなしではかなりつらい旅を強いられることになるかもしれない。
 
「少し薄いけど何枚かあるから大丈夫よ。あなたのマントのほうはどうなの?」
 
「うーん・・・・。」
 
 実は心配なのは私のほうだった。マントは2枚あるが、そのうちの1枚は剣士団のマントだ。これを使えばいいだけのことだが・・・
 
(うかつにこのマントを着て歩き回れば、もしかしたらまたフロリア様に動向を把握されてしまうかもしれない・・・。)
 
 剣士団のマントを着ている何者かの噂が人々の口の端にのぼれば、また無用な騒動に巻き込まれかねない。
 
「うーん・・・これだとちょっと薄いかもしれないねぇ・・・。」
 
 さっきウィローに着替えの場所を提供してくれたおかみさんが、ウィローが荷物の中から出したスカーフを手に取って言った。村のおかみさん方の中でもそこそこ歳はいっているらしいが、実に元気な人だ。
 
「でも2枚重ねれば何とかなります。大丈夫です。」
 
「うーん・・・でもねぇ・・・。」
 
 ウィローは笑顔でそう言ったが、おかみさんは何か思案しているようだ。
 
「・・・よし、ちょっと待っておくれ。」
 
 おかみさんは自分の家に向かい、ほどなくして手提げ袋を2つ持ってきた。
 
「はい、これを使ってくれるかい?見た目は飾り気も何もないし、おしゃれとは言いかねるけど、丈夫さと暖かさはどんな高級な品物にも引けを取らないよ。」
 
 そう言っておかみさんが袋の中から出して見せてくれたのは、厚手のスカーフとマントだった。どちらも丈夫な布で仕立てられている。そしてさっきカインと一緒に葬った服と同じように、とても丁寧にしっかりと縫われていた。おしゃれじゃないなんてとんでもない、様々な色の糸で織られたその布には美しい文様が浮かび上がっている。
 
「うわあ・・・素敵なスカーフ。それにマントも・・・きれいな布・・・。」
 
 ウィーは手に取ってみて、すっかり気に入ったようだ。
 
「これはね、この村特産の織物で作ったんだよ。私はこの村の仕立て屋でね。少し前に仕上がったばかりの品物が何枚かあったんだ。宿に泊まっている商人に売る予定だったんだけど、これはあんた達にあげるよ。」
 
「え、でも、売り物を頂くというわけには・・・あの、お金は払いますから。」
 
「いや、ぜひもらってくれんかね。今朝道が開いた時には、急なことでろくなものを用意してやれんかったからな。せめてこれを受け取ってくれ。代金のほうは村てなんとか出来るじゃろうて。」
 
 グランおじいさんが言った。
 
「グランじいさん、私は普通の仕立て代さえもらえりゃいいんだよ。生活していくために必要なものが手に入れば、何の不満もないんだからね。それに私だって同じ気持ちなんだよ。この村を救ってくれたこの2人に、何かしてあげたいと思ってるんだよ。だから、これはあんた達にあげる。着てみてくれないかい?」
 
 私はマントを着てみた。
 
「軽い・・・。」
 
 見た目は目の詰まった丈夫な布なのに、驚くほど軽いのだ。
 
「このスカーフもすごく軽いわ。でもとても暖かい・・・。風が全然入ってこないのよ。すごく丁寧に縫ってあるわ。」
 
「昔ながらの方法で綿花を育て、羊の毛を刈り、糸を作って布を織る、そして親から教わった方法そのままに、丁寧にひと針ずつ縫っていく、この村で昔から作られている糸も布も服も、みんなそうやって受け継がれてきたんだよ。私の縫い方だって母親に教わった通りだからね。でもそう言ってくれるのは、やっぱりうれしいよ。さあ、細かいことは気にしなくていいから、このマントとスカーフを身に付けて行きなさい。私達も行ったことがあるわけじゃないけどね、クリスタルミアの風は寒いというより痛いっていうくらい冷たいそうだから、きっと役に立つよ。」
 
「ありがとうございます・・・。」
 
 2人で、改めて森への道に立った。村の人達がみんなで見送りに来てくれた。
 
 森に入る前に私は一度だけ振り返った。
 
(さよなら・・・カイン・・・。)
 
 心の中でカインに別れを告げた・・・。
 
 もう、後ろを振り返ることはない。カインが追いついて来やしないかと、待つ必要はない・・・。
 
 村の人達に、必ず使命を果たすことを約束して、私達は再び長老の家を目指して森の道へと踏み出した。
 

第94章へ続く

小説TOPへ ←前ページへ