小説TOPへ ←前ページへ



 
 この日の夜もやはり私は夢を見た。それはカインと知りあってから幾度となく見た夢・・・。カインの子供の頃の夢だった。翌朝目覚めてから、また私は不安になった。今までこの夢を見た時、いつも隣にはカインが寝ていた。今彼はここにいないのに、遥か遠いエルバール大陸にいるはずなのに、どうしてこんな夢を見たのだろう。なんだか嫌な予感がする。不吉な予感を振り払うように着替えをしているところに、扉がノックされた。
 
「・・・クロービス、起きた?」
 
 ウィローの声だ。私は急いで扉を開けた。そこには不安げな顔のウィローが立っている。
 
「早いね。・・・どうしたの?」
 
「昨夜ね・・・カインの夢見ちゃったの・・・。それで・・・何か、ちょっと心配になっちゃって・・・。」
 
「まあここで話すのもなんだから、部屋に入ってよ。」
 
 ウィローが部屋に入ってきた。
 
「君も見たのか・・・。」
 
「君もって・・・それじゃあなたも・・・?」
 
「うん・・・。でもきっと大丈夫だよ。そう信じよう。私達はここで出来ることをしなくちゃね。」
 
「そうよね・・・。でもどうすればいいのかしら・・・。」
 
「今日はリガロさんが森の奥まで案内してくれるそうだから、少しのんびりピクニックでもするつもりで行こうか。」
 
 今朝起きた時まで、今日こそは何が何でもクリスタルミアに行く方法を見つける!長老が会ってくれなくてもいい!なんて考えていた。なのにウィローの不安げな顔を見た途端、正反対の言葉が口から出てきた。
 
「のんびりって言ってもそんな時間は・・・。」
 
 ウィローはもう荷物も背負っている。すぐにでも出かけられる格好だ。あの道さえ開けば・・・長老の元を訪ねてそのままクリスタルミアに行けるように、私達はいつも荷物を背負って出掛けていた。
 
「今日は、少しのんびりしようよ。せっかくこんなにきれいな自然の中にいるんだから、長老に会う方法を捜すためじゃなく、この自然に触れるつもりであちこち歩いてみよう・・・。」
 
 ウィローは小さく頷き、心なしか肩の力が抜けたような気がした。そして私も、今朝の苛立ちが少しずつ静まっていくのを感じた。
 
「そうね・・・。ごめんね、クロービス・・・。」
 
「謝らないでよ。気が急くのは私も同じだよ。でもね、時間がないのは確かだけど、グランおじいさんが言っていたように、長老が飛竜エル・バールのことを知らないはずはないと思うし・・・。それでも道を開けてくれないってことは、きっと長老に会うための何かが、今の私達に欠けているのかも知れない・・・。焦らずに行こう・・・。」
 
 この焦りも、もしかしたら長老に見透かされているのかもしれない。
 
(そういえば・・・今までだって焦っていいことなんて何もなかったよな・・・。)
 
 焦りを抑え、確実に歩みを進めることで私達は前に進んできた。こんな時こそゆっくりしてみるのもいいのかもしれない・・・。
 
 
 私達は一階のフロアに降りて、エイジアさんに荷物を部屋に置いたままでいいかどうか尋ねた。
 
「ええ、もちろん。貴重品だけはお持ちくださいね。あとは扉の鍵をしっかりかけておいていただければ、こちらでも見回りはしていますので安全ですよ。」
 
「おはようございます。支度は出来たのかい?おや、今日は身軽だね。」
 
 カウンターの奥にある扉からリガロさんが顔を出した。
 
「ええ、今日は一日のんびりしようかと思って。」
 
「それはいいな。それじゃいろんなところを案内するよ。エイジア、弁当は出来たか?」
 
「ええ、出来てるわよ。」
 
 エイジアさんがバスケットを持ってきた。中を開けると、3人分の弁当と飲み物が入っている。
 
「よし、これなら大丈夫だな。それじゃ俺はお客さん達を森の奥まで案内してくるよ。」
 
「ええ、それじゃいってらっしゃい。」
 
「でもいいんですか、そんなに長い時間宿をあけてしまって・・・。」
 
「ああ、大丈夫だよ。昨日のうちに案内する予定を立てたから、ちゃんと大丈夫なようにしてあるんだ。」
 
「お客さん、お気になさらないでくださいね。これもこの人の仕事ですから。私ではあの森の一番奥まではなかなか案内出来なくて。その点この人ならこの森で育ってますから、いろんなところを案内してくれると思いますよ。」
 
「それじゃよろしくお願いします。」
 
「任せてくれよ。午後はそんなに遅くまでは案内出来ないけど、この森の魅力をたっぷり堪能してもらうよ。」
 
 リガロさんが笑った。
 
 
 
 外に出ると風が心地よい。さわやかな風が吹き抜けていき、心の奥まで洗われるような気がする。
 
「気持ちいいな・・・。こんなにいい風がいつも吹いてたのに、全然感じる余裕がなかったな・・・。」
 
「そうよねぇ。毎日焦る一方で、全然気づかなかったわ。」
 
 エイジアさんが森の奥まで案内してくれた時は、あの美しい景色に感動したはずなのに、翌日もその次も、私達が考えていたことは『早く長老に会ってクリスタルミアに行かなければ』そればかりだった。そして思った通りに事が運ばずイライラして落ち込んで・・・。
 
「それじゃ今日はいい場所に案内するよ。イライラなんてきっと吹っ飛ぶぜ。」
 
 私達はリガロさんの案内で村を出た。リガロさんはこの村の入り口から出る時も何事もないように通って行く。
 
「ここももう少し通りやすいようにしてくれるといいんだがな。」
 
 通り抜けてからリガロさんが呟いた。
 
「リガロさんも気になるんですか?」
 
「いや、俺は子供のころから慣れているから気にならないんだけど、でも明らかに『何かを通り抜けた』感覚があるだろ?このせいでこの村は得体が知れないなんて言われることもあるんだよ。だからもう少し普通に通り抜けられるようにしてくれれば、もっと観光客も来るかなあ、なんて思うんだよね。」
 
 言ってからリガロさんは小さくため息をつき
 
「まあ、エルバール王国じゃここは地図にも載ってないそうだから、難しいんだろうけどな・・・。」
 
「交易船の人達の中にはエルバール王国からきている人もいるみたいですね。」
 
「ああ、ほとんどの人から、最初にここに来た時はビックリしたって言われるんだよ。『地図にない大陸』とか言われても、住んでる俺達にとっちゃあんまりうれしい言われ方じゃないからね。だから、お客さん達には期待してるんだ。王国に帰ったら、ぜひこの村のことを広めてくれよ。美しい自然が手つかずで残るのどかな村に、のんびり観光にいらっしゃいませんかってね。」
 
「そうですね。帰れたら友達に話してみます。」
 
「もっともあんたらはまず長老に会いに行って、しばらくは旅を続けることになりそうだもんな。まあいつになっても帰れたらでいいよ。さてと、それじゃ美しい自然をしっかりと見てもらわなきゃな。こっちだよ。途中まではこの間女房が案内したところと同じなんだ。そこからもっと奥のほうまで行くよ。迷子になる人も多いから、ちゃんとついてきてくれよ。」
 
 私達はリガロさんの後について行った。村の中と同じようにさわやかな風が吹き、木々の枝がさやさやと揺れる音が響く。手つかずと言っても道は歩きやすいように整備されていて、散策するにはとてもいいところだ。最初に来た時にエイジアさんが案内してくれた道を過ぎて、少し奥に行ったところに建物と畑がある。畑はかなり広く、あちこちに手入れをしている人達がいた。
 
「ここが仕事場だよ。村の若い連中はみんなここで働いてる。ここが野菜や麦が取れる畑。奥に広がっているのが綿花の畑だ。綿花を摘んで糸を作ってそれを織って布にするんだけど、この村では昔ながらの製法で丈夫に作ってるから、高級品として売れるんだよ。おかげで村にも金が流通するようになった。ま、金が入ってくればそれなりにいろいろ揉め事も起きるけどね、文明をすべて排除しましょうなんて言ってたらこの村自体がなくなっちまうから、俺はこれでいいんじゃないかと思ってるよ。神様に食わせてもらえるわけじゃないからね。」
 
 私達は畑仕事や機織りを見学させてもらった。若者と言っても私達と同世代の人達ばかりではないらしい。どうやら村の中の広場で日向ぼっこしている老人達よりも歳が下の人達は、みんな『若者』と言われているようだ。働いている人達はみんな笑顔で、楽しそうに見える。
 
「おいリガロ、今日の分は今渡していいのか?」
 
 畑の中でかごに野菜を詰めていた青年がリガロさんに声をかけた。
 
「ああ、もらっていくよ。」
 
 宿屋で使う分の野菜を仕入れていくらしい。
 
「そっちの人達は長老に会いに来たっていうお客さんだな。この村はいいところだよ。長老は気紛れだからな。道をあけてくれるまではのんびり待っていたほうがいいと思うぜ。」
 
 そう言って青年は笑った。話を聞きたかったが彼らは今仕事中だ。長老について、なんて聞く気にはなれず、私達は曖昧に笑みを返した。
 
 
「さて、それじゃもう少し奥まで案内するよ。この森の向こう側では牛や鶏、それに羊なんかを飼ってるんだ。」
 
 リガロさんはかごいっぱいの野菜を背負って歩き出した。そして弁当のバスケットも持っている。そのくらいは私が持ちますと言ったが、『これもサービスなんだから』と言われ、私達はそのまま後をついていくことになった。
 
「気にしないでくれよ。どうせ中身はなくなるんだから帰りは軽いし。」
 
 
 牛舎や鶏小屋がある場所で、私達は少し話を聞くことが出来た。
 
「長老にはねぇ、確か10歳くらいまでは毎年会ってたわよ。でもそのあとは3年に一回になって5年に一回になって・・・20歳を過ぎると、特に会いに行きましょうっていう話にはならないわねぇ。まあ結婚した時は会いに行って報告ってことになるんだけどね。」
 
「そんなに頻繁にそういうことがあるわけじゃないからな。大人になってからはそんなに会ったことはないと思うよ。でも村にはグランじいさんやそのほかの年寄りもいろいろ話を聞いてくれるし、長老がいなくて困るってことはないんじゃないかな。」
 
「でも心の拠りどころにはなってるよね。あの森の向こうに長老がいるって思うだけで安心するもの。」
 
「そうだなあ。不思議なもんだよな。」
 
 村にいた人達と同じように、普段めったに会えないというのに誰もが長老を好きらしい。心の拠りどころとなっているのだという。
 
「そろそろ昼だから、戻ってメシにしようか。」
 
 私達は来た道を戻り、森の中でちょうど木陰になっている場所に腰を下ろした。リガロさんは慣れた手つきで敷物を敷いてバスケットをあけ、中の弁当と飲み物を取り出して並べた。
 
「さあ、当宿特製のピクニックセットだよ。」
 
「いただきます。」
 
「おいしそう。いただきます。」
 
 丸いパンに具を挟んだかわいいサンドイッチ、肉と野菜の焼いたもの、色とりどりのフルーツ。そして竹の筒に入った冷たい飲み物。どれもおいしかった。
 
「ごちそう様でした。すごくおいしかったです。」
 
「私も。この飲み物が冷たいのは、氷を入れたんですか?」
 
「ああ、これはね、村の地下にある氷室の氷を使ってるんだ。何と言っても氷に覆われたクリスタルミアが目の前だからね、村の地面をある程度掘っていくと氷の壁にぶつかるんだよ。これが結構役に立つんだよな。さて、少し食休みといこうじゃないか。眠くなったら昼寝しててもいいよ。俺がちゃんとここにいるから。そのあともう少し森を案内するよ。それで今日のピクニックは終わりかな。」
 
 私達は満腹で、確かに眠くなってきた。ごろんと横になると美しい青空が見える。ほんの少しかかっている白い雲・・・。この空はエルバール大陸まで続いている。カインは今頃どのあたりだろう・・・。ふと、一昨日の夢を思い出した。あの時漁り火の岬にいたのは、フロリア様だったと思う。ではカインは、あの後サクリフィアの錫杖を使ったのだろうか。手にしっかりと握りしめられていた、あの小さな杖を・・・。そしてフロリア様は元のお優しいフロリア様に戻ったのだろうか・・・。海鳴りの洞ではどうしているだろう・・・。剣士団のみんなは、今もあそこにいるのだろうか。それとも・・・カインがフロリア様を元に戻して、もう王宮に戻っているのだろうか・・・。
 
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 空がぐにゃりと歪んだ。いつの間にか涙が流れていた。北大陸を遠く離れて、私は一体ここで何をしているのだろう・・・。帰りたい・・・。エルバールに帰って、またみんなと一緒に仕事をしたり訓練したり・・・あの日々に戻りたい・・・。今自分がなすべきことがなんなのか、それは判りすぎるほどに判っている。それでも、どうしようもなく・・・あの場所が、剣士団のみんなが恋しかった・・・。
 
 
 涙を隠すために腕を目の上に置いたせいか、いつの間にか少しうとうとしたらしい・・・。私は夢を見ていた。
 
 カインがいる。でも・・・一人じゃない?一昨日見た夢の続きじゃないんだろうか・・・。あたりには月の光が満ちている。銀色に照らされた草原を北へ向かうのは・・・3人連れ・・・?
 
 その3人はやがて漁り火の岬に入っていく・・・。ではこれは・・・。この夢はあの時の・・・。
 
 岬の突端に立ち、フロリア様が話している。寂しそうな後ろ姿・・・。間違いない。この夢は、カインと私がフロリア様を連れて漁り火の岬に向かった時の・・・。
 
『昔、お父様にここまで連れてきていただいたことがあるの。あのころは今のようにモンスターに襲われることも少なかったから、海には夜の漁をする船がたくさんあって、水平線に漁り火が赤々と燃えていたわ。とてもきれいだった・・・。でもそれも、もう見られないのね・・・。もう、あれから何年も経っているんですものね・・・。王位を継いでからは、もう自由に外に出ることなど滅多になかったから、自然にふれることなんてほとんどなかったわ。王女に生まれたばかりに出会えなかったことって・・・きっとたくさんあるんでしょうね・・・。』
 
 肩を落とすフロリア様に歩み寄ろうとするカインが、不意に空を見上げる。
 
『な、何だ、あれは!?』
 
 驚いたカインは空を見上げたまま、ポカンとしている。一面の星空だったはずの上空に、カーテンのように光り輝くオーロラ・・・。
 
『今日、どうしても、ここに来たかったの・・。きっと見られると思っていた・・。前にお父様様に連れてきていただいた時に、一度だけ見たことがあったの・・・。その時も今日みたいな素敵な夜だったわ。北の地に起こる奇跡と言われるのは、このオーロラのことなのよ・・。』
 
 そのまましばらく、オーロラに見入っていたフロリア様がちいさな声でつぶやいた言葉・・・。
 
『大地の贈り物・・か。』
 
 そしてふふっと笑って私達に振り返った。
 
『私達は時として忘れてしまうけど、大地はいつも私達人間の営みを見守ってくれているのね。わがまま言った甲斐があってよかったわ!!行きましょう、カイン、クロービス!!』
 
 振り向いたフロリア様の笑顔。あの慈愛に満ちた笑顔だ。が・・・突然その笑顔が歪み、真っ暗になった・・・。
 
 
 
「・・・!?」
 
 驚いて目が覚めた。ああ、ここはムーンシェイの森だ・・・。あれは、遠い日の思い出・・・。カインにとっては・・・いや、私にとってもかけがえのない大事な思い出・・・。
 
「お、起きたみたいだな。そろそろ行くかい?もう少し森の奥まで案内するよ。」
 
 私が起き上がった隣で、どうやらウィローも眠ってしまっていたらしい。少しぼんやりしている。どうして今になってあんな夢を見たのだろう・・・。あれは・・・私が見た『普通の夢』なのか、それとも、カインが見た夢を見ていたのか・・・。
 
「よし、それじゃ片付けるか。その間に二人とも目を覚ましておいてくれよ。」
 
 リガロさんは笑いながら、あっという間にきれいに片付けてしまった。
 
「さて、次はこっちだ。」
 
 このまま来た道を戻るのかと思っていたが、リガロさんは村への道ではなく別な道に向かって歩き始めた。畑へと向かう道とも違う。その道は今まで歩いた道ほどに整備されてはいず、枝もあまり剪定されているわけではなさそうだ。
 
「こっちの道は普段は通らないんですか?」
 
「こっちの道にはあまり来る人はいないよ。この先にあるのは、まあいわば『大自然』だけだからね。」
 
 しばらく歩き続けた時『さてここだよ。』と言ってリガロさんが立ち止まった。そこは小高い丘の上で、このあたりを少しだけ見渡すことが出来る。
 
「ほら、ここから見える森の向こう、白い山があるだろう?」
 
 リガロさんは丘の上に立ってまっすぐ前を指さした。この美しい森が途切れ、その向こう側には白い山々が連なっている。
 
「あれが、あんた達が行こうとしているクリスタルミアのある山だよ。」
 
「・・・・・!?」
 
 長老に会いたいと言う話はしたが、私はクリスタルミアについてはこの人に何も言ってないはずなのに・・・。
 
「そんなにびっくりしないでくれよ。お客さん達がそんな話をしていたって、グランじいさんから聞いたんだよ。今日森を案内するって言ったら、それじゃぜひここからクリスタルミアを見せてやってくれってさ。」
 
「・・・・・・・。」
 
「ここから歩いて行くつもりなら、直接クリスタルミアに行けないこともないんだよな。まあ辿り着けるかどうかはわからないんだけどね。」
 
「ここから先の森の中に何かあるんですか?」
 
「どうかなあ。でも、何もないとしても、神様に邪魔されるくらいのことはあるかも知れないぜ。うちの宿屋にたまに来る冒険者の中には、この森に入っていった連中もいるんだけど、全然辿り着けなくて結局ここに戻って来ちまうって言ってたからね。」
 
「つまり、普通の場所ではないってことですね。」
 
「そうなんだろうなあ。グランじいさんからは、もしもあんたらがここから直接向こうに行くって言ったら止めなくていいって言われてるんだ。でも俺としては、行ってほしくないな。長老が道を開いてくれればちゃんと入口から入れるけど、ここから行くとしたらどこに出るかわからないからな。」
 
「・・・実を言うと、今朝まではどこかしらに近道があるかも知れないから、そこを探していこうかなんて考えてましたよ。でも、それはつまり『ズル』をするってことじゃないですか。ズルしたら神様は怒るだろうなって、それでやめました。」
 
「へぇ、それで今日は荷物も置いてきたのかい?」
 
「長老があの道を開いてくれないってことは、私達にあの道を通るだけの資格がないってことじゃないかと思ったんです。それがなんなのかわからないのに、イライラしても仕方ないですからね。せっかくリガロさんが森を案内してくれるんだから、今日は一日のんびりしようと思って。」
 
「なるほどね。そりゃ何よりだ。うちの宿は上客を逃さないですんだってわけだ。」
 
「まだお世話になると思います。よろしくお願いします。」
 
「ははは、あんた達は客なんだからお願いしますはうちのほうだよ。それじゃそろそろ帰ろうか。」
 
 私達は来た時と同じように、リガロさんのあとについて森を抜けた。ふと気づいた。今朝宿を出てくる時より、遥かに心が軽くなっている。焦らずに行こう。宿に一度戻ったあと村の広場に行き、バザールを覗いてみようかと言うことになった。広場には相変わらず老人達が思い思いに寛ぎながらおしゃべりをしている。その合間を子供達が走り回っている。なるほどここの子供の数はそんなにたくさんいるわけではない。でもアンナの言ったとおり、『遊ぶのに困るほど』少ないわけではなさそうだ。
 
「あれ、お兄さん達今日は荷物背負ってないのね。」
 
 そのアンナが私達を見つけて駆け寄ってきた。なかなか目ざとい子だ。
 
「荷物を背負っているとのんびり歩き回れないからね。宿は安全だし、思い切って置いてきたんだよ。」
 
「ふぅん、その方がいいわ。私達とも遊べるしね。」
 
 最初の日以来、子供に話しかけられたのはこの日が2度目だ。アンナに言わせると『お兄さんもお姉さんもすごく難しそうな顔してたんだもの。声なんてかけられなかったわ。』と言うことらしい。おかげでこの日は夕方まで子供達がまとわりついてきて大変だった。でもとても楽しかった。
 
 夜、食事のあと一日の汗をさっぱりと流して、私達は今日のことを改めて考えた。
 
「焦らないって思ってたはずなのに、いつの間にかイライラしてたのね、私達。」
 
「うん、子供達はそれを敏感に感じ取っていたみたいだね。」
 
「ふふふ、今日は楽しかったわ。ピクニックも子供達との遊びも。」
 
「焦りとか苛立ちとか、そう言うのも長老に見透かされていたんだろうな。」
 
「グランおじいさんがリガロさんに言ったことって言うのは、やっぱり私達が苛立っていたからなのかも知れないわね。」
 
「うん、それももしかしたら長老の指示かも知れないよ。」
 
「どんな人なのかしらね。早く会ってみたいわ。クリスタルミアに行くためというより、長老という人がどう言う人なのか、それを知りたくなってきたわよ。」
 
「私もそうなんだよね・・・。長老がどんな人なのか気になって仕方ないよ。」
 
 今日一日のんびりと過ごして、2人とも心の余裕が出てきたような気がする。
 
「それじゃ明日も村の中でのんびり過ごそうか。カインに怒られたらごめんて言って、長老に会うためにはどうすればいいのか、一緒に考えてもらおう。」
 
「そうねぇ。」
 
 同じような話は昨日も一昨日もしていたが、今日は2人とも落ち込んでもいないしイライラしてもいない。ウィローは今朝よりもずっと元気な顔で自分の部屋に戻っていった。明日になれば道は拓けるかも知れない、そう信じて今日は寝よう。私は自分の部屋のベッドに潜り込んだ。この村に来てから毎日のようにカインの夢を見ている。今日も・・・見るだろうか・・・。
 
 
 
 翌朝・・・。
 
「・・・見るのかな、なんて思ってると見ないもんだな・・・。」
 
 普通の夢らしきものも何一つ見ずに目が覚めて、少し拍子抜けしていた。私が見続けているカインの夢はある程度繋がっているが、これが『ただの夢』なのか、カインが見ていた夢、あるいはカインが心に強く思っていたことなのか、判断が出来るようなことは何もなかった。ただ気になるのは、昨日森で眠ってしまった時に見た、フロリア様の笑顔か・・・。突然ゆがみ、真っ暗になった・・・。
 
「・・・やっぱりあの杖では元に戻らなかったのかな・・・。それならそれで早く戻ってきてくれればいいのに・・・。」
 
 カインが向こうに着いたのはいつ頃なんだろう。あの冒険者達は、夜も休まずに船を進めるような話をしていたが、それも『体力があるようなら』交代で進めることもある、と言うことらしかった。
 
「サクリフィアを出たのは私達と一緒だから・・・もしかしたら私達がここに着いたのとカイン達が向こうに着いたのが同じくらいなのかなあ・・・。」
 
 そう言えば交易船の船乗り達もこの宿に泊まっているはずだ。私は着替えをしてウィローを迎えに行き(と言っても隣の部屋だけど)、1階のフロアに降りた。食事を頼んだあと、船乗りらしい出で立ちの人に、話を聞いてみた。
 
「・・・ああ、そう言えばこのあたりの航路は冒険者達に人気らしいね。ここはなあ・・・。サクリフィアやこの森の船着場からエルバール王国に向かうにはいい航路なんだがなあ・・・。」
 
 船乗りが思案気に黙り込んだ。
 
「・・・何か、あるんですか?」
 
 船乗りは眼だけ私に向けて、軽くうなずいた。
 
「特に何か障害があると言うわけじゃないんだけどね、この航路は長さはそこそこあるんだが、こっちから向かう分には潮の流れや風向きが助けてくれるから、かなり早く進むんだよ。ところが逆の場合は、その風と潮の流れが邪魔をして、えらく時間がかかるんだ。だから交易船のルートとしては不向きなんだ。そうだなあ・・・、あんたの仲間がこのルートで北大陸に戻ったのなら、あんたらがこっちに着くよりも早く向こうに戻れたんじゃないのかねぇ。もちろん不測の事態がなければの話だがね。」
 
 ということは、私達がまだムーンシェイを目指して船を進めていた頃に、カインはもう北大陸に戻っていた可能性がある。あの冒険者と一緒なら、クロンファンラまで行って、そのあとは船で東の港まで行ったかも知れない。陸路で行くなら、灯台守に会えばおそらく馬で送ってもらうことは出来たかも知れないが、でもなんとなく、カインは今回灯台守には会わずに城下町まで向かったんじゃないかと思う。一人で戻った理由を、今回は説明出来ないだろう。というより・・・誰かに会ったらごまかしてうまく納得させるような言葉を考えられるほど、カインの心に余裕があったとは思えない。
 
(船でなら東の港まで一日もあれば行ける。今のカインなら北大陸沿岸のモンスターなんて相手じゃない・・・。)
 
 となると、私達がムーンシェイに着いたのと、カインが城下町に向かったのは同じ時期か・・・。あくまでも推測だが、暗くなってからカインは城下町東門周辺から中を窺い、どの門から入るか考えていたのが、あの時の夢と言うことか・・・。
 
 食事を終えて、私達は部屋に一度戻った。今日も荷物はここに置いて散策に出掛けるつもりでいる。でもその前に、今の考えをウィローにも話しておきたかった。
 
「・・・というわけなんだ。もちろん根拠は夢の話だし、本当のところは何とも言えないんだけどね・・・。」
 
「そうねぇ・・・。私もなんだかあなたの考えが正しいような気がするわ。となると、もしもフロリア様が元に戻らなかったとしたら、もうカインは剣士団の人達とこっちに向かっている可能性が高そうよね。」
 
「うん。しかも私達はここに着くまでにかなり遠回りをしてしまったみたいだしね。となると、カイン達はそろそろ向こうを出発したかもしれない。おそらく私達がここに来るまでに通ってきた航路で来ると思うから、もう少ししたら、追いつくかもしれないね。」
 
 それもすべてがうまくいっていればの話ではある。まだまだ不安は残る。そんな簡単なことじゃないと心のどこかで声がする。でも、いま私達がカインに対して出来ることは何もない。だからカイン・・・必ず無事な姿を見せてくれ・・・。会えさえすれば、どんな無茶な頼みだって聞くから・・・。
 
「それまでに長老に会える道筋を見つけておきたいけど、焦ってもいいことないわよね。」
 
「そうだね。今日も一日広場でおしゃべりしていようか。」
 
「ふふふ、またアンナ達に誘われそうよね。」
 
 ここに来た時は、村の人達は何とも思ってないことでも、外から来た私達なら何か気づくかも知れない、長老への道に繋がる何かがわかるかも知れないと思っていた。でも違うのかも知れないと今思い始めている。この村の中に、もう少し入り込んでみようか。外から来た客として一歩引いて見るよりも、村の中の人々ともっと交流してみた方がいいのではないかと考えたのだ。この日から私達は、広場にくつろぐ人達と話すだけではなく、外で洗濯したり野菜を洗ったりしているおかみさん達からも話を聞くことにした。時には重いものを運んだり、仕事を手伝ったりもしてみた。
 
「おお、大分ここに馴染んだようじゃの。」
 
 声をかけてきたのはグランおじいさんだ。いつも広場にいたのは見かけていたが、こうして話すのは久しぶりな気がする。あれから私達はいつも荷物を宿に置いて出掛け、町の人達と交流するのが日課となっていた。こうして過ぎていく時間が、以前は無為に思えていたものだが、これもまた必要な時間なのではないかと今では思えてきたのだ。カインに文句を言われやしないかと思うこともなくはなかったが、怠けているわけではない。事情を話せばカインはちゃんとわかってくれる、そう信じることにした。
 
「少し話がしたいんじゃが、うちに来なさらんかね。」
 
 私達は誘われるままにグランおじいさんの家にやってきた。この家に入るのも久しぶりだ。以前訪ねた時と同じ部屋に通され、お茶を出してくれた。
 
「大分穏やかな顔になられたようじゃのぉ。」
 
 グランおじいさんはニコニコしている。
 
「はい・・・ずっとイライラばかりしていて、余裕がなかったみたいです。」
 
「そうか・・・。焦る気持ちがわからんでもない。ところで今日わざわざここに来てもらったのは、ちょいとおかしなことに気づいたからなんじゃよ。」
 
「・・・おかしなこと・・・ですか・・・。」
 
「うむ、あんた方が聞いた、セントハースの言葉が引っかかってのぉ、いろいろと考えておったのだが・・・。」
 
 グランおじいさんは少し思案気に首をかしげた。
 
「あの・・・例えばどんな・・・。」
 
「うむ、まずわしが妙だと思うたのは、あんた方がエルバール王国に戻っていたのでは間に合わないという言葉じゃ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「それほど緊急のことならば、おそらくあんた方がここに着いた時点で長老は道を開いてくださっただろう。すぐにでもクリスタルミアに入らねば、エル・バールが目覚めて行動を起こすと言うことであればな。ところが、クリスタルミアはいつもと変わりなく、静かなもんじゃ。」
 
「でも・・・まさかセントハースが嘘をついたとは・・・。」
 
「さてそこだ。」
 
 グランおじいさんが眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。
 
「セントハースの言葉には、もしかしたらあんた達を試すような意図があったのかも知れん。」
 
「・・・試す・・・?つまり、試練、と言うことですか?」
 
「うむ、確かに剣に選ばれし者としてクロービス殿に試練が課されているのは間違いないと思う。だがどうもそれだけではないような気がするのじゃよ。」
 
「あの・・・それはたとえば私もその対象になっているかもしれないっていうことですか?」
 
 ウィローが尋ねた。
 
「かもしれんな。そしてその、あんた方のお仲間もな。」
 
「・・・カインもですか・・・。」
 
「そうとしか思えんのだよ。でなければ、あんた方は今頃、3人揃ってとっくにクリスタルミアに入っていることじゃろうて。」
 
「・・・・・・・。」
 
 あの時・・・私達はまずエルバール王国に戻るつもりでいた。『サクリフィアの錫杖』を使ってフロリア様が元に戻るかどうか、それを試してみようと話し合っていた。だが・・・
 
『そなた達がエルバール王国に戻っていたのでは間に合うまい。』
 
 もしもあの時、セントハースが何も言わなかったとしたら・・・私達は急いで王国に戻って、もしかしたら今頃は3人でこの村にいたかも知れない。
 
「わしにも剣の意図などわからんが、ただ、お仲間がここに戻ってくるまで、おそらく猶予はあると思う。落ち着いて、村でのんびりしなされ。もしもクリスタルミアに何か動きがあれば、すぐに知らせよう。もっともそんなことになれば、すぐにでも森の道は開くだろうがな。」
 
「・・・ありがとうございます・・・。」
 
 セントハースのあの一言がカインに『1人で王国に戻る』ことを決断させたのだとしたら・・・。
 
(セントハースも剣の意思に従って動いているのだとすれば・・・カインが私から離れなければならなかった理由は・・・なんなんだろう・・・。)
 
 それとも、やはり私はカインを1人で行かせてはいけなかったのだろうか・・・。また不安になる。
 
 
「それぞれの試練か・・・。それは・・・誰が何のために私達に課したのかしら・・・。」
 
 ウィローが呟いた。
 
「剣なのか、神様なのか・・・誰なんだろうね・・・。」
 
 試練の対象になっているのが私だけではないというのは、どうやら間違いないらしい。でもどうしてなんだろう・・・。
 
 
「あ、お兄さん!」
 
 グランおじいさんの家を出て広場に戻ってきた私達に、アンナが駆け寄ってきた。なんだか怯えているみたいだ。一緒にいる子供達も不安げにしている。
 
「どうしたんだい?」
 
「森に・・・怖い人がいたの。」
 
「怖い人?どんな?」
 
「黒いマントを着ていたの。フードをかぶって・・・。」
 
 アンナは震えている。
 
「どのあたりで見たんだい?」
 
「この間お兄さん達と会った場所から、まっすぐ森の奥に行ったところよ。ただ立っていただけだったけど、すごく怖くて、みんなで逃げてきたの。」
 
「わかった。それじゃお兄さん達が見に行ってみるよ。君達はもう今日は村から出てはいけないよ。」
 
 私は近くにいた老人達に子供達のことを頼み、ウィローと2人で森に向かった。
 
「カイン・・・じゃないわよね。」
 
「カインだとしたら、森の中にこっそり現れる理由はないじゃないか。真っ直ぐ村に来るはずだよ。」
 
「そうよね・・・。」
 
 カインが追いついてくるとしても、この場所に直接は来ないと思う。まずはサクリフィアに向かう交易船にでも乗ってくるんじゃないだろうか。サクリフィアまで戻れば、あの杖を返してあとは何とかなる。『サクリフィアの錫杖』を持っていなければ、1人くらいなら魔法で安全に移動させることが出来るとメイアラさんは言っていた。
 
(だとしたら・・・森にいるのは何かしら敵意を持っている者と考えていいんだろうな・・・。)
 
 そして敵意を持つ者がこの森に来る理由は、やはり私達ではないだろうか・・・。私達はこの村の人々をも危険にさらしているのかもしれない。とにかく何者か確かめなければ。
 
 村を抜けて、私達は美しい森に分け入っていった。

第93章へ続く

小説TOPへ ←前ページへ