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第93章 悲しみを越えて

 
 今・・・私は何を考えていただろう。カインが戻ってくるとしてもサクリフィアに来るだろう、それはそうなのだが・・・
 
(なんで・・・一人で戻ってくると思ったのかな・・・。)
 
 もしもフロリア様が元に戻らなかったら、その時は海鳴りの祠に向かうはずだ。そしてみんなと合流して、一緒にここまで・・・。
 
 
「・・・クロービス?」
 
 いつの間にか立ち止まっていた私の顔を、ウィローがのぞき込んだ。
 
「あ、ごめん・・・。」
 
「どうしたの?顔色が悪いわ・・・。」
 
「いや・・・カインじゃないよなって思ったんだけど・・・」
 
 なんと言っていいかわからず、思わず口から出た答えにウィローが怪訝そうに眉根を寄せた。
 
「・・・どうしたの?さっき違うと思うってあなた言ったじゃない。・・・もしかして、本当はそうなのかも知れないと思ってるの?」
 
「・・・そういうわけじゃないよ。アンナの話では一人だったみたいだし・・・。」
 
「そうよね。カインが戻ってくるなら、剣士団のみんなと一緒に来るはずだし、あなたの言うように村に直接来るはずよね。」
 
「・・・本当にそう思う?」
 
「どういう意味?みんなが来てくれないとか思ってるの?」
 
「いや・・・フロリア様があの杖で元に戻らないという事実を、カインがちゃんと受け止められるのかなって・・・。」
 
「・・・つまり、もしかしたらカインは取り乱して、みんなと合流しないで戻ってくるのかも知れない、あなたはそう考えてるの?」
 
「あくまでも、可能性だけどね・・・。急ごう。そろそろ夕方だ。あの畑の人達が戻ってくる頃だよ。会えたら護衛が必要かも知れない。」
 
 ウィローの問いかけに、はっきりとした返事が出来なかった。とにかく今は森に入らなければならない。その不気味な人物が何か企てているとしたら、行動を起こす前に止めなければ・・・。
 
 
 私達は森への道を奥へと進んでいった。
 
「・・・この森で武器を構えて歩きたくはないけど、仕方ないな・・・。」
 
 私は剣の柄に手をかけていつでも抜けるようにしてある。ウィローは弓を持ち、矢もいつでも番えられるよう構えている。万一を考えれば無防備には出来ない。
 
「・・・普通に考えれば・・・やっぱり王宮からの追手よね。」
 
「その可能性もありそうだけど・・・でも私達がここにいるって、誰が王宮に知らせてるんだろう。」
 
 フロリア様は私達がここにいることを知っているのだろうか。その上で誰かを差し向けている・・・?
 
「そうよね・・・。それも変な話だわ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 何かの気配・・・。私は立ち止まった。これは人の思考だ。その気配は道の先から感じる。
 
(・・・何か聞こえる?)
 
 ウィローが囁いた。
 
(いや・・・でも気配は感じるよ。あまりいい感じはしないね・・・。)
 
 殺意は感じられない。でも何か・・・異様な『気』をまとっている・・・。黒いマントにフードをかぶった・・・男か女かまでは子供達にはわからなかったようだが、気配としては男のようだ。1人なら2人でかかれば撃退出来そうだが、相手に戦う気がないなら、ここにいる理由が何であれ穏便に立ち去ってもらいたいものだが・・・。
 
(・・・妙だな。)
 
 なんと言えばいいのだろう、普通の生身の人間がそこにいるようには思えないような、つかみどころのない気配だ。まさか幽霊というわけでもあるまいに・・・。
 
≪ガキどもでも侮れんが・・・ことを起こすのはまずい。さっさと引き上げるか・・・。≫
 
(・・・・・・・・・・。)
 
 それほど強く思っているとも思えないような内容だが・・・なんでこんなのが聞こえるんだろう・・・。
 
≪・・・こんな回りくどいことをせずとも、直接クリスタルミアとやらに攻め込めば、話は早いものを・・・。≫
 
 こんな声が聞こえるということは、それがなぜかというのはもう考えたくもない話だが、どうやら私達が近づいていることに敵が気づいてないのは確かなようだ。
 
(・・・クロービス、どう?向かってきそう?)
 
ウィローがさっきよりもっと小さい声で囁いた。森に漂うただならぬ空気を、ウィローも感じ取っているようだ。
 
(いや・・・近くにはいるけど、でもたぶん戦わずに済みそうだ・・・。)
 
 立ち止まった場所からその『気配』まではそんなに距離がないと思う。でも相手が気付いてないのならこれ以上近づかいなほうがよさそうだ。そろそろ夕方になる。畑で働いている若者達がまもなくここを通るはずだ。彼らの安全を確かめて、それから村に戻ろう。
 
 
「いやー、今日も一日働きましたよっと。さすがに疲れたなあ。」
 
「今日はリガロの酒場で飲もうぜ。」
 
「エイジアのカクテルが飲みたいわ。おいしいのよねぇ。」
 
「うん、あれはうまいよなあ。」
 
 森の奥からにぎやかな声が聞こえてきた。途端に『気配』はゆらりと揺らめき、ゆっくりと移動を始めた。ここで派手に動けばその存在を自ら明かすようなものだ。やがてそれは遠ざかり、そして感じ取れなくなった。これもまたおかしな話だ。1人の人間が移動するのに、そんなに素早く動いたようにも感じなかったのに、その気配はまるで何かにかき消されたかのように消えてしまった。もっとも今はそのほうがいい。これからやってくる村の若者達に危険が及ぶ心配はないと言うことなのだから。
 
 
「あれ、お客さんじゃないか。どうしたんだい?」
 
 森の奥からやってきた青年が声をかけてきた。私は子供達がこのあたりで異様な人物を見たことを伝え、明るいうちに村まで帰ってほしいと言った。
 
「そうか・・・。それじゃ村に戻ろうぜ。村なら安全だからな。」
 
「ここだって安全じゃないか。この森でなんかやらかそうとしたら、長老が黙っていないからな。」
 
「そうだけど、村の人達に心配かけるのはよくないわよ。早くいきましょう。」
 
 畑で働く若者達は全員家に帰るが、畜舎では当番で泊まり込みがあるらしい。その人達が心配だったが、確かにこの村の人達に仇なす者があれば、長老は許しはしないだろう。それにさっきの気配は森の奥に向かっては行かなかった。
 
 
 私達は若者達と一緒に村に戻った。広場には老人達がいて、若者達の帰還を見てほっとしていたようだ。その中にいたグランおじいさんに、さっき感じた気配について伝えた。そして聞こえた『声』も。
 
「ふむ・・・何か得体のしれないものにこの村が狙われているということか・・・。長老には連絡しておこう。あんた方、ご苦労だったな。今日はゆっくり休んでくれ。」
 
「村の守りは大丈夫なんですか?」
 
「うむ、そいつが危険な輩ならば、長老から何か指示があるじゃろうて。」
 
「船着場を見てきましょうか?」
 
「うーむ・・・。いや、おそらくだが・・・そやつは船で来たのではなかろう。」
 
「・・・どういうことですか?」
 
「まあわしも確証があるわけではないのだが・・・。」
 
 グランおじいさんは言いよどみ、少しうちに来てくれと言った。そして村人達には、念のためこの日はもう村から誰も出ないようにと念を押していた。
 
 
「さて座ってくれ。何度も来てもらって申し訳ないのだが。」
 
「いえ、そんなことはありません。さっきのお話を聞かせてください。」
 
 私達は再びグランおじいさんの家に来ていた。もう夕方だったのでおじいさんの息子さんもいた。それはリガロさんに案内されて行った畑にいた、青年達の1人だった。さっき畑から戻ってきた若者達の中にいた顔だ。いつもお茶を出してくれたのは、その奥さんらしい。
 
「父さん、何かあったのか?お客さん達を使うようなことはするなよ。」
 
「そりゃそんな事はしたくないが、どうも最近この村を不穏な空気が包んでおるからのぉ。」
 
「あの、私達のことはお気になさらないでください。出来ることは何でもお手伝いしますから。」
 
「悪いね。親父は温厚そうに見えるが、ま、この村を束ねるにはそれだけじゃ難しいからな。あごで使われることもあるかも知れないが、うるさかったら遠慮なく断ってくれていいからね。」
 
「こりゃ、なんという言いぐさだ。人聞きの悪い。」
 
「うるさいなんてことはないですよ。それではグランおじいさん、お話を聞かせてください。」
 
「うむ・・・実は・・・」
 
 グランおじいさんの話は、私達にとっては衝撃的なことだった。森に現れた不気味な人影は、おそらく『転移の魔法』を使って送り込まれたのではないかというのだ。それは遠い遠い昔、ファルシオンの国王の姫と、王の証したるファルシオンの剣を、サクリフィアの族長の魔の手から守る為に使われたと伝えられる魔法だ。
 
「確証はないが間違いないとも思える。転移の魔法はどんな遠くまででも瞬時に移動させられるほどの威力があるものだが、それも術者の力量によって変わるそうだ。」
 
「・・・つまり、その黒ずくめの人物は、強力な術者によって唱えられた転移の魔法で森に現れたと・・・。」
 
「うーむ、姿形を見ることが出来て、声も聞こえた、気配も感じたのだから、この森に悪しき心を持つ者を送り込んで、そこまで実体化させることが出来るのであれば、確かに強力ではあるのだろうな。」
 
 ということは・・・長老が守っているこの森でそこまで出来る術者が、どこかに確実に存在するということだ。
 
「その男はおそらく斥候だろう。こっそり森に入り込むのに船でやって来たのでは目立ちすぎるからな。あんた達が森に様子を見に行ってくれたあと子供達に聞いてみたんだが、気づいたらいつの間にか姿が見えていたと言うておった。そんな現れ方をすること自体、普通ではないからのぉ。」
 
「それじゃ、気配が消えたのは・・・。」
 
「うむ、多分術が解けて別な場所に移動したのだろう。」
 
「私がサクリフィアで聞いた転移の魔法は、一瞬で遠くまで運べる魔法ということでした。でも今のお話を聞く限りでは、あちこちに移動させることも出来るみたいですね。」
 
 別な場所に移動させるだけではなく、あの人物をムーンシェイの森に送り込み、また自分のところへ、あるいはまた別の場所に移動させるなどということが出来るものなのだろうか・・・。
 
「出来るらしいと聞いておる。例えば・・・そうだな・・・。」
 
 グランおじいさんはお茶菓子を一つ摘み上げた。
 
「これをたとえば、あんたのいる場所に移動させて、そこで終わり、それはもちろん可能だ。ファルシオンの姫達はこの方法で遠くの場所に移動したと思われる。だがこの時、魔法的な結びつきを切らなければ、また別な場所に移動させることも出来るのだよ。たとえば・・・」
 
 グランおじいさんは言いながら、お茶菓子を私の前に置き、また摘み上げてウィローの前に置き、そして最後に自分の前に置いた。
 
「こうやって、まずこちらに飛ばす、そこでの用が済んだらこちらに飛ばす、そして最後に自分のところに呼び寄せる、こういうことも出来なくはない。だが、どうやらこの魔法を使っている間、術者はかなりの精神集中をしなければならず、他のことを何も出来なくなってしまうほどだという。だから、そんなに手軽に使える魔法ではないのだろうな。」
 
 それを使ったのがもしもフロリア様だとしたら・・・その魔法を使用している間、無防備なまま1人でいるはずがない。誰かがフロリア様を見守っていなければならないということか。それは・・・
 
(ユノなんだろうか・・・。)
 
 ユノは・・・フロリア様のしていることを知っているのだろうか・・・。
 
「おい父さん、のんきにしている場合か。そいつがどこから来たか、調べる手立てはないのか?」
 
 息子さんが身を乗り出した。
 
「・・・・・・。」
 
 グランおじいさんは黙っている。何となく・・・この人はその『場所』について心当たりがあるのだろうと感じた。でも言いにくくて黙っているのかも知れない。
 
「・・・エルバール王国かも知れないと思っているのではありませんか。」
 
「・・・・・・。」
 
 私の言葉に、グランおじいさんは気まずそうにうなずいた。やはり・・・そうか。では・・・フロリア様は私達がここにいることを知っているのだろうか・・・。
 
「剣士殿、言うておくが、あんたらが悪いわけではないからな。それは勘違いせんでくれ。実を言うと、何年か前から時折奇妙なことがあったんじゃよ。森で見知らぬ人物を見たと言う報告も、今日が初めてというわけではないのだ。そしてそんなことが起き始めたのは、どうやらエルバール王国の女王陛下に不審な動きが見られ出したころと一致する。どういう理由かはわからぬが、女王陛下はこの森に興味がおありらしい。何らかの目的があって、この森を調査していたのじゃろう。そしてそれをわしらに知られたくなかったのかもしれんが・・・。長老はお見通しだ。魔法が使われていたのなら、なおさら守りを固めるだろう。剣士殿、心配はいらんぞ。早とちりをしてこの村を出るなどと言わんでくれよ。あんたらの目的は長老に会うことだ。そして長老はおそらくあんたらのこともご存じなはず。今まで通り、村でのんびりしてくだされ。」
 
「なるほどな・・・。あの不審者騒ぎがそこに繋がっていたのか。お客さん、あんたらが来たからどうのって話じゃないと思うよ。親父の言うとおり、気にしないでくれよ。」
 
 二人が私達をいたわってくれているのがよくわかる。この人達に迷惑をかけたくはないが、確かに今この村を出るわけにはいかない。出るのは長老が道を開いてくれた時だ。
 
(ということは・・・フロリア様は何年も前からこの村を襲うつもりでいたのだろうか・・・。)
 
 グランおじいさんが言った『エルバール王国の女王陛下に不審な動きが見られ出したころ』というのは、おそらく南大陸から剣士団を撤収させた時のことだろう。ハース鉱山と王宮のパイプを断ち切り、イシュトラを送り込んでデールさんを殺させた・・・。
 
 
 
 私達は宿屋に戻ってきた。夕食の後エイジアさんに勧められ、風呂に入ってさっぱりした頭で、今日のことを話し合うことにした。
 
「転移の魔法か・・・。」
 
 サクリフィアの村長から聞いた話に出てきた『古代サクリフィアの魔法』が、今でも使われている・・・。
 
「使ったのは・・・レイナック様なのかしら・・・。」
 
「違うんじゃないかな。どう考えてもあの人影はこの森に害をなす者の仲間って気がするし。レイナック殿がそんなことに手を貸すとは思えないよ。」
 
「だとしたらあとは・・・。」
 
 ウィローが言い淀んだ。その先にある名前は、あの方しかいない。
 
「その推測は当たってるかもしれないよ。」
 
 かもしれないとは言ったものの、私の中ではすでに答えが出ている。そんな魔法を使えるのはフロリア様をおいてほかにいないだろう。少なくともエルバール王国の中には。
 
 フロリア様は国王として、王家の秘法を会得している。夜中に漁火の岬へと向かったあの日、モンスター達の戦意をあっという間に喪失させたあの呪文は、私には聞いたことがない言葉で唱えられたものだった。あの時フロリア様は確かに言っていた。
 
『あれは王位継承者が代々受け継ぐ奥義の一つです。組み合わせ一つで相手を殺すことも出来ますが・・・』
 
 敵の戦意を喪失させ、組み合わせによっては命を奪うことも出来る呪文・・・。そんな風水術は聞いたことがない。とすれば、王家の秘法とはすなわち魔法・・・。秘法として受け継ぐ呪文が一つや二つとは思えない。その中に転移の魔法があったとしてもおかしくはない・・・。
 
(サクリフィアではシャスティンの失踪で巫女姫の使う魔法は受け継がれなくなったけど・・・初代国王陛下の王妃様は元々サクリフィアの巫女姫だ。巫女姫の魔法は、門外不出の秘法という形で代々受け継がれてきたってことか・・・。)
 
 そしてその呪文が、今ではエルバール王国を滅ぼすために使われようとしている・・・。
 
「でも、フロリア様がご自分からそんな魔法を使ったとしたら、そのフロリア様を『元に戻す』はずだったカインの考えは・・・。」
 
 ウィローが不安げに言った。
 
「たぶん、あの杖では元に戻らなかったんだと思うよ。というより、フロリア様は魔法になんてかかってないってことさ。」
 
「・・・そう言うことになるわよね・・・。それじゃどんな方法でフロリア様は操られているのかしら・・・。」
 
「誰かに操られているわけでもないと思うけどな。」
 
「そんな・・・それじゃご自分の考えでこの森に害をなそうとしているってこと?」
 
「私にはそうとしか思えない。ハース鉱山でイシュトラが言ったことも、あの男の妄想でもなんでもなく、本当にフロリア様がこの国を滅ぼすために動いているんじゃないかともね・・・。」
 
 そうだ。フロリア様は魔法になんてかかっていない。オシニスさんが言っていた通り、今までのことはすべてフロリア様自身のお考えで行われたことなのだ。
 
『この国を一度滅ぼして新しく作る』
 
 新しく作る気があるかどうかはともかく、滅ぼそうとしているのは確かなんじゃないだろうか。
 
「でもどうしてそんな・・・。自分が治める国よ?本当に滅ぼしてしまったら、また新しく作るなんてそう簡単に出来るはずないじゃない!」
 
「そりゃそうだよ。でもなんでそんなことをなさるのかは、本人に直接会って聞くしかないけどね。」
 
「・・・絶対に会いに行きましょう!父さんはこの国を守るためにハース鉱山に行ったのよ。なのにあの男に殺されて・・・私は父さんの遺志を継ぐって決めたんだから、必ずこの国を守るわ!」
 
「そうだね。会いに行って、こんなことはやめてもらおう。そのためにも何としても長老に会って、クリスタルミアへの入り口を開けてもらわないと。」
 
「カインは多分もうこっちに向かっているだろうから、一緒に会いに行けそうね。」
 
「おそらくはね。『まだ会ってなかったのか』なんて言われるかもしれないけど。」
 
「そんなことを言ったら、こっちだって大変だったんだって、文句を言ってやるわ!」
 
 ふくれっ面のウィローを見ていたら、なんだかほっとした。
 
 
 カインはたぶん戻ってきてくれるだろう。おそらくは一人で。ただ・・・だとしたら、カインはどうやってここまで戻ってくるつもりなんだろう。剣士団の船はない。あとあるとすれば灯台守の船か・・・。それなら借りることは出来るだろうけど、フロリア様が元に戻らなかったという事実がカインをどれほど打ちのめしたか、そう考えると・・・冷静に事情を話して船を借りるという一連の行動を、カインが取れるかどうか・・・。それに、船を借りられたところでエルバール大陸からサクリフィア大陸に来るための航路には、手ごわいモンスターがいる。となると、あの航路を使わずに冒険者達と一緒に帰った時の、南側の航路を使おうとするかもしれないが、酒場にいた船乗りに聞いた話では、あの航路は向こうからこちらに来るのにはかなりの時間がかかるという。どうするつもりなんだろう・・・。
 
(そもそも、戻ってきてくれるのかな・・・。)
 
 ふと、そんな考えが頭をもたげる。カインを信じているはずなのに、不安でたまらない・・・。
 
「ねえクロービス、あなたが聞いたその男の『声』っていうのは、クリスタルミアに攻め込むとか言っていたのよね。」
 
「そうだよ。誰かはわからないけど、どうやらこの森を守っている長老のことは、よく知らないみたいだね。」
 
「少なくとも、不思議な力を持っているってことなら、侮るべきではないはずよね。」
 
「それほど自分の腕に自信があるのか、バカにしているのかのどっちかだろうね。ただ・・・。」
 
 さっきの男がそう考えているとしても、その男を送り込んだ何者かは、そんなことは百も承知なんじゃないだろうか。
 
「あの男を送り込んだ人物は、わざとそうしているのかもしれないよ・・・。」
 
「わざと?」
 
「そう。何年も前からこの森を調べていたのだとしたら、この森を守っている長老に不思議な力があるって、気づかないはずはないと思うんだ。だからこそ、その長老の鼻先に魔法で人を送り込んで、あちこち調べさせていたのだとしたら・・・。」
 
「フロリア様の目的が本当にエルバール王国の滅亡だとしたら・・・長老の怒りを買って、エルバール王国に攻め込ませるとか・・・。」
 
「この森を詳しく調査したなら、ムーンシェイの村に軍隊らしきものがないことはわかるはずだから、目的はもしかしたら最初からクリスタルミアなのかもしれないね。」
 
「・・・そこに飛竜エル・バールがいると知っているってこと?」
 
「じゃないかと思う。神々の領域を侵して神竜を怒らせたいってことになるのかな・・・。」
 
「本当にそんなことを・・・。」
 
 ウィローが青ざめた。
 
「まあそれも、フロリア様に直接聞きに行こう。本人に聞かなけりゃ、本当のところはわからないからね。」
 
 でもナイト輝石の廃液を使ってモンスター達を怒らせようとしていたのは、間違いなくフロリア様だ。
 
 本当に・・・?
 
 王国を滅ぼすつもりで・・・?
 
 まだ信じられない。本当にあの方はそんなことを・・・。
 
「はぁ・・・剣士団のみんなが来てくれれば、どんなのが来たって撃退出来るけど、やっぱり無理かなあ・・・。」
 
 ウィローがため息をついた。
 
「もしもカインがローランを超えて海鳴りの祠に行こうと思うくらい冷静だったならだけど、どうなのかな・・・。」
 
「ここで起きてることを誰かが伝えられなければ、みんなだって知りようがないものねぇ。」
 
「うん、それに私達はサクリフィアの村で魔法を見たけど、向こうじゃ魔法なんて笑い話だからね。副団長だって『笑われるか呆れられるか』なんて言っていたし、実際私も、この目で見るまで信じていなかったからな・・・。」
 
「そうよね・・・。でも、もしもカインがみんなに伝えることが出来ないとしても、きっともうこっちには向かってるだろうから、少しでも早く戻ってきてくれることを祈って、今日はもう休みましょうか。」
 
「そうだね。」
 
 
 
 ここに来てからもう何日過ぎたのだろう。明日辺りにはいい知らせがあるかもしれない。そう信じて、私はベッドにもぐりこんだ。そして・・・夢が訪れた。
 
 これは・・・この間の夢の続き・・・カインが『サクリフィアの錫杖』をにぎりしめ、漁り火の岬に向かった時の・・・
 
 
 
 岬の突端にいた人影がゆっくりと振り向いた。
 
(やっぱり、フロリア様・・・。)
 
 カインは驚いて見つめていたが、ハッと我に返ると、手に持ったままの『サクリフィアの錫杖』をフロリア様に向かって振りかざした。だが・・・
 
「な、何も起こらない・・!?」
 
 フロリア様は何事もなかったかのように微笑んで立っている。でもこの笑顔は・・・あのお優しいフロリア様の微笑みではない・・・。あの御前会議の日の、氷のような瞳のフロリア様だ・・・。
 
「・・・ど・・・どうして・・・。」
 
 カインは戸惑って自分の持つ杖を見つめた。カインはあの杖で全てが解決すると考えていたのだろう・・・。でもやはり、フロリア様は魔法になんてかかっていなかったんだ・・・。それどころか、古代サクリフィアの魔法を使ってエルバール王国を滅ぼそうとしている・・・。
 
「それは『サクリフィアの錫杖』ね・・・。なるほどね・・・。私が魔法にかかっていると思ったわけね。」
 
 そのカインにフロリア様は、嘲るような笑みを浮かべながら歩み寄った。カインは呆然としたまま、フロリア様に視線を移した。
 
「ふふ・・・。優しい剣士さん、残念ながら、私は魔法にかかってなんかいないわ。人の心を操る魔法でもない限りね。そして、そんなものは存在しないのよ。」
 
 そこまで言うとフロリア様は甲高い声で笑った。今までに聞いたことがないような、どちらかというなら邪悪な響きのある笑い声・・・。夢の中だというのに、頭の奥に響く笑い声に私の背筋がぞくりとする。
 
「ここまで来てくれた『お礼』に、タネあかしをしてあげるわ。3年前のナイト輝石の発見は、私にとっては願ってもないチャンスだったの。あれならば確実に目的を達成出来る、そう確信した私は、管理官の補佐という名目でイシュトラを派遣したわ。そして内密にデールを殺させたの。その後『行方不明』になったデールの後任としてイシュトラを管理官に任命し、ナイト輝石の廃液を流し続けるよう命じたのよ。もちろん、世間にはデールの仕業と思わせるよう、デールが『いなくなった』ことは行政局には連絡していないし、ハース城の中でも機密事項にしておいたってわけ。イシュトラは実によく働いてくれたわ。私を手に入れられると信じ込んで・・・ふふふ・・・ほんと、愚か者よね。」
 
 恐ろしい話をしているというのに、フロリア様はまるでいたずらを仕掛けて成功させたかのように、くすくすと笑っている。
 
「・・・ま・・・まさか・・・それで・・・剣士団の投入を・・・」
 
 カインは真っ青だ。だがフロリア様は変わらず、とても楽しそうに笑っている。
 
「そうよ。ハース城に剣士団を投入したりしたら、全部ばれてしまうでしょう?許可なんてするわけないじゃない?もう少しでうまく行くところだったのにねぇ・・・あなた達だけは誤算だったわ。どうせ途中で死ぬと思ってハース行きを許可したのに、まさか廃液を止めてしまうなんてねぇ。でもまあ、あなた達のおかげでイシュトラは死んだし、パーシバルも死んでくれたのは好都合だったけどね。」
 
 カインは何か言いかけたが、わなわなと唇が震えただけで言葉にならなかった。フロリア様はそんなカインの反応を楽しむかのように、なおもくすくすと笑いながら、言葉を続けた。
 
「でもね、もう手遅れなのよ。今さら廃液が止まったところで、生き物達の怒りは頂点に達している。聖戦竜エル・バールが人間達を滅ぼすために動くのは時間の問題なの。そして、それこそが私の目的。」
 
「そ、そんな・・・なぜ!?どうして・・・そんな・・・ことを・・・!」
 
 フロリア様の『タネあかし』を呆然として聞いていたカインは、喉の奥から絞り出すように叫んだ。
 
「なぜ・・・・?ふふふ・・・教えてあげましょうか?私は王国に復讐を遂げるためだけに今まで生きてきたのよ。あなたにもあるでしょう?生きる目的というものがね。」
 
「・・・そ、それでは・・・あのイシュトラの言葉は・・・本当のことだったんですか・・・。」
 
「あら、あの男が何か言ったの?まあいいわ。あの男はもう用済みだったの。ちょうどいいところで死んでくれたわ。そのことについてはあなた達に感謝してるのよ?」
 
「わ・・・私は・・・私は・・・フロリア様のために・・・ずっと・・・剣の腕をあげてきました。でも・・・でもそれは!この国を守るためです!滅ぼすためなんかじゃない!」
 
 こらえきれないようにカインの瞳から涙が落ちる。フロリア様がその涙を見て、にやりと笑った。邪悪な笑み・・・。でもきっと、カインはそれに気づいていない。フロリア様は進み出て、カインの頬を両手で包んだ。カインはぎょっとしたが・・・その手を振り払おうとはしなかった。
 
「私のために剣の腕を上げてくれたのね。うれしいわ、それじゃ私のお願いを聞いてほしいの。」
 
「・・・・・・。」
 
 カインは黙ったまま、ぴくりとも動かない。フロリア様の手はカインの頬に『あてられている』だけなのに・・・。
 
「すぐにムーンシェイに向かって。そして、クロービスを殺してほしいの。一緒にいるデールの娘もね。」
 
「そ・・・!そんな!どういうことですか・・・!?」
 
 カインが弾かれたように顔を引いて、叫んだ。ここにカインはいないのに・・・私の頭の中で展開する光景の中にいるだけなのに・・・。カインの心が乱れていくのがわかる。カイン、心を強く持って!フロリア様が元に戻らなかったら、すぐに海鳴りの祠に行くって言っていたじゃないか!
 
「私の計画成就のためにはあの二人が一番邪魔なの。あなたを頼りにしているわ。」
 
 フロリア様はそう言うと、一歩カインに近づき、首に手を回した。
 
「あなたが私のお願いを聞いてくれたら、私はあなたのものよ。私の全てをあなたにあげてもいいわ。」
 
 その言葉には、何一つ心がこもっていない・・・。この『フロリア様』は、国が滅びる時に自分も死ぬことを百も承知でいる。イシュトラが言っていたような『新しい国』なんて始めから作る気はないのだ。だから・・・自分の体だってどうでもいいと思っている。イシュトラも、悪事の手助けの見返りにフロリア様を手に入れられると思いこんでいた。でもカインは・・・
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 呆然とフロリア様の瞳を見つめていたカインの手から、『サクリフィアの錫杖』が滑り落ちた。その瞬間、カインの心がフロリア様の瞳にすうっと吸い込まれ・・・いや、そんな事があるはずはないのに、それきりカインの心が感じ取れなくなった。そしてカインは震える両腕で・・・フロリア様をしっかりと抱きしめた。とても・・・愛おしそうに・・・。
 
 『フロリア様』は禍々しい笑みを浮かべ、
 
「ふふふ・・・あなたは私のものよ。これであの2人を始末できるわ。」
 
 そう言ってカインの頬にキスをした。カインはフロリア様を抱きしめたまま、何の反応も示さない・・・。
 
「さあ、王宮に帰りましょう。まったく、こんなところまで来られるとは思っていなかったわ。早く帰ってあなたを船に乗せなければね。クロービスとデールの娘さえいなくなれば、私の目的は達成出来るわ。その時には、私はあなたのものよ。」
 
 その時の『フロリア様』の微笑みは、まるで男を誘う娼婦のようだった。これは・・・この女は何者なんだ?あれはフロリア様じゃない!姿かたちは間違いなくフロリア様だが・・・本物のフロリア様がこんなことをなさるはずがない・・・。それに・・・
 
『まったく、こんなところまで来られるとは思っていなかったわ。』
 
 あれはどういう意味だ?この『フロリア様』は、自分でここに来たんじゃなかったのか・・・!?
 
 夢の光景はまだ続いている。『フロリア様』は足元に落ちていた『サクリフィアの錫杖』を拾い上げ、一瞬忌々しそうに杖を睨んだ後、笑顔に戻ってカインに杖を渡した。
 
『これはあなたのものよ』
 
 顔は笑っているが、フロリア様があの小さな杖をどれほど忌み嫌っているかが伝わってきていた。カインは無表情のまま杖を受け取り、荷物に入れると『フロリア様』の肩を抱いて歩き出した。カインの心が何一つ感じ取れない。まるで分厚い壁の向こうに隠されてしまったように・・・。
 
 
 
「おい!ちょっと起きてくれ!大変なんだ!」
 
 突然夢がとぎれ、私は部屋の扉を叩く音で目覚めた。慌てて扉を開けると、リガロさんが真っ青な顔で立っていた。
 
「ど・・・どうしたんですか!?」
 
「へ・・・変な奴らが広場に来てるんだ!この森を焼くって・・・エルバール王国の国王の命令でこの森を焼き払うなんて言ってるんだ!お客さんに迷惑はかけたくないけど、村の連中だけで撃退出来るかどうか・・・頼むよ!助けてくれ!」
 
「わかりました!すぐ行きます!」
 
 急いで服を着替え、武器防具を身につけると、隣の部屋のウィローを起こそうと部屋を飛び出した。が、先ほどのリガロさんの怒鳴り声を聞いていたらしく、ウィローも身支度を整え、廊下に出てきていた。
 
「森を焼くって・・・どういうことなの!?」
 
「判らない!とにかく広場に行こう!もしも王国軍の暴走なら、何としてもくい止めないと!!」
 
 ついさっきまで見ていた夢は、ねっとりと脳裏にまとわりついている。宿屋を飛び出して広場に向かって走りながら、夢で見た出来事を考えていた。昨日のウィローと私の推測は、あの夢ですべて裏づけられてしまった。たぶん間違いないと思いながら、心のどこかで間違っていてほしいと思っていた、フロリア様自身の変貌・・・。やはりそれは魔法のせいではなかったのだ。あのお優しいフロリア様はもういない・・・。
 
『早く帰ってあなたを船に乗せなければね。クロービスとデールの娘さえいなくなれば、私の目的は達成出来るわ。』
 
 あの『フロリア様』は私とウィローがここにいることを知っていた。どうやって知ったのかはわからないが、あの夢がカインの見た光景だとしたら、『フロリア様』は私達を殺すためにこの森に刺客を放ったということだ。それが今広場に来たという連中だとすれば・・・では・・・その中にカインはいる?でも、あの夢の中で、カインの思考はまるで消えてしまったかのように何一つ感じ取れなかった。あの、人形のようになったカインがその中に・・・まさか・・・。
 
 
 
 広場に着くと、王国軍の鎧を着た兵士が何人かと、フード付きの黒いマントを頭からすっぽりとかぶった見るからに怪しげな者が二人いた。だがこのマントの者は昨日森で感じた気配とは違う。その中の一人が私の顔を見てにやりとした。
 
「ほう・・?お前は抹殺命令の出ていたクロービスだな。そしてデールの娘もか。なるほど、あのお方の心眼は見事なものだ。よし、森に火をつけろ!村人は全員殺せ!この二人の首も持ち帰るぞ!」
 
 叫んだ兵士は将校らしい。『あのお方の心眼』とは、あの『フロリア様』のことだろう。やはり私達は『敵』に行動を把握されているのだ。昨日のあの人物、おそらくは男だが、その男が斥候だとして、魔法であちこちに移動出来るのだとすれば、この村の状況が知られていたとしてもおかしくない。だが私達がここにいることは、どうやって知ったのだろう。
 
「ばか言うな!女は生け捕りだ!あとのお楽しみにとっておこうぜ!」
 
 他の兵士が叫んだ。下品な笑い声が上がる。
 
 
「ふざけるな!てめえらの好きにはさせんぞ!」
 
 昨日森の奥の畑で見かけた若者達を中心に、武器を振りかざした村人達が叫んだ。先頭に立っているのはリガロさんだ。
 
「貴様らのような虫けらに何が出来る!?火をつけろ!残りはこいつらにかかれ!一人も逃さず殺せ!」
 
 将校の号令で、松明を持った兵士達が森の木々に火をつけ始めた。
 

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