「先生、あの・・・今のライラ博士の話のことなんですけど・・・。」
「ん?何だい?」
「先ほどの話は、ナイト輝石で医療器具を作れないかという話でしたよね。」
「ああ、そうだよ。少し前にメスやはさみが作れればいいなと言う話はしたんだ。無論私の個人的意見としてね。ナイト輝石は鉄より軽く鉄より硬い。ナイト輝石でなら、もっとしなやかで鋭利なメスが作れる。そうすれば外科手術は格段に進歩すると思うよ。たださっきの話だと、もう少し大きいものがあればいいと言うことだったから、少し考えてみようかなと思ってるよ。君達はどうだい?何か提案があれば教えてくれるかい。」
「先生、それでは車椅子はどうでしょう。」
オーリスが言った。
「僕も、車椅子がいいと思います。」
ライロフもうなずく。薬についての話ではなかなか積極的になれずにいた2人だが、この話にはかなり興味があるらしい。これはいい傾向かも知れない。もう少し話を続けてみよう。
「なるほど、車椅子か。ではその理由は何なんだい?以前なら、優れた武器防具のために最良質のナイト輝石が優先的に廻されていた。でもこの先試験採掘がうまく行ってナイト輝石が本格的に採掘再開されるとしても、武器防具がナイト輝石で作られることはないとフロリア様が宣言しておられる。では何を作るのか。何に利用するべきなのか。あれだけの鉱石を使うのなら、その利点を最大限に生かせるものに優先的に廻されるべきじゃないかと思う。さっきのライラの話では、ナイト輝石を使えば格段の進歩が期待出来るものとして、医療器具は今のところ最有力候補らしいね。だが医療器具と言っても範囲は広い。君達は、数ある医療器具の中で車椅子に優先的にナイト輝石を使うべきだと、言い切れる根拠を持っているのかい?」
少し意地の悪い言い方だったかも知れない。だが『ナイト輝石で最初に作られた製品』となるのは何か、おそらくは国中が注目している。医療器具と言えば納得する人は多いだろうが、ではその中で『なぜ車椅子なのか』この理由を明確に説明できなければ、世間を納得させるのは難しい。
「もちろんです。」
二人がほぼ同時に返事をした。
「ナイト輝石の試験採掘の話が出た時、それでメスやはさみを作れたら医療技術が格段に進歩するだろうというのは、医師会でも噂になっていたんです・・・。」
そう言って2人は、車椅子を作ってはどうかというその理由を語り始めた。2人とも、最初はナイト輝石の話なんて自分達には関係ないと思っていたらしい。だがそれで医療器具が作れたら、そんな噂が医師会で広まり、興味を持ったのだという。とは言え、まだまだ医師会から正式に依頼という話にはなりそうにない。試験採掘だってどうなるかわからない話だ。昔の事件を引き合いに出して、ナイト輝石を悪し様に言う人々も未だにいる。
「でも・・・そんなに優れた鉱石なら、医療器具に必ず応用出来ると考えたんです。その時、それじゃ何を作ったら役に立つか、そんな話を2人でしていたんです。それで最初は、移動用のベッドを考えました。」
以前ライラの整体の治療に使わせてもらった移動用のベッドか。あれはライラも考えているはずだ。だが『どうしても必要なもの』としては説得力が弱い。あのベッドの骨組みは鉄鉱石で作られている。鉄鉱石を使って軽く丈夫に作る技術はすでに確立されているので、あのベッドもかなり軽く動かすことが出来るのだ。
「でも、そう考えてふと思ったんです。あのベッドは患者を乗せて運びますが、使われるのは医師会や、規模の大きい入院施設のある診療所くらいです。それに動かす時はほとんどの場合2人で動かします。1人では方向転換がうまく行きませんから。となると、今でさえあれだけ軽く動かせるものを、わざわざナイト輝石でと言っても説得力が弱いと思ったんです。」
「それで、車椅子をと考えたわけだね。その根拠は?」
2人の言いたいことが何となくわかってきたが、先走らず話を聞こう。薬の打ち合わせをしている時の、あの自信なさげな態度はどこへやら、2人は堂々と自分の意見を述べている。うまくいけば、この2人にもっと自信を持ってもらうことが出来るかもしれない。
「車椅子は基本的に1人で動かすものです。もちろん今では車椅子の骨組みも鉄鉱石ですし、とても軽くできてはいます。でも人を乗せた車椅子を動かすのはかなりの重労働なんですよ。しかも動かすのはほとんどが看護婦達です。看護婦達は概ね力があるとは言われてますけど、それでも力仕事は大変だと思うんです。」
「それに、車椅子を動かすのは看護婦ばかりではなく、患者の家族であることも多いと思うんです。普段そんなに重いものを動かすことに慣れていない人にとって、患者を乗せた車椅子を動かすのは看護婦以上の重労働だと思います。しかも家族の方は若い人ばかりとは限りません。車椅子の車軸や骨組みをもっと軽くできれば、看病する看護婦や家族の負担をもっと減らせると思います。」
2人はとても熱心に説明してくれた。車椅子はなるほどいい着眼点だと私も思っている。
「なるほど。明日の打ち合わせでほかの皆さんにも私個人として何かいいものがあるかどうか提案してみるつもりなんだけど、その席で今の話をしてみてはどうだい。」
「え、僕らからですか?」
2人を包む『気』がとたんに揺らめく。
「そうだよ。今君達はナイト輝石を使って車椅子の車軸や骨組みを強化する利点について堂々と説明してくれたじゃないか。今と同じ話を、同じようにすればいいんだよ。君達はもっと自信を持っていいよ。さて、それじゃ仕事に戻ろう。君達は作業を続けてくれ。私はここで手術の手順をまとめて、明日の打ち合わせで発表しなければならないからね。」
そして夜は・・・。
(あの話か・・・。)
ムーンシェイで起きたあの出来事を、話さなければならない。だが不思議なことに、今の私はとても落ち着いている。あの日の記憶は今でも私の中でどうしようもなく恐ろしい記憶だが、それでも目の前の仕事に集中することが出来るほどに・・・。
「失礼します。クロービス先生はご在室でしょうか。」
午後の作業を始めてしばらくしたころ、扉がノックされた。開いているのでどうぞと言うと、入ってきたのは白衣を着た男性2人。この2人は確かハインツ先生の助手じゃなかっただろうか。
「ハインツ先生からお届け物です。クロービス先生がこちらの部屋を使われるということで、薬草学の本の最新版をお持ちするようにとのことなのでお伺いしました。」
2人とも両手で何冊かの本を抱えている。
「ハインツ先生が?」
「はい、この部屋に置かれている本の中で、少し古いものがあったはずだからと言われまして、さっき買ってきたところなんです。」
「それはわざわざすまなかったね。ありがとう。それじゃここに置いてくれていいよ。」
「あ、それなら僕らが受け取って本棚にしまいます。」
オーリスとライロフが立ち上がって本を受け取った。
「この本はたぶん君らが使うだろうってハインツ先生が言ってたよ。役に立ちそうかい?」
本を持ってきた助手の一人がライロフに話しかけた。
「ああ、大助かりだよ。今も頭を悩ませていたところさ。」
「そりゃよかった。それではクロービス先生、失礼します。」
「ご苦労様。ハインツ先生にはあとで私が直接お礼を言うけど、ありがとうございますと伝えておいてくれるかい?」
「わかりました。」
2人は笑顔で戻っていった。
「ありがたいなあ。この部屋の本は少し古かったから、明日にでも町で新しい本を探してこようかと思っていたんだ。どうだい、君達の仕事には役に立ちそうだね。」
「はい、ここあった本には最新の情報はないので、どうしようかと思っていたところだったんです。」
今朝のドゥルーガー会長の話では、ハインツ先生はいい本が手に入ったからと言ってはよくここに本を置きに来ていたという話だった。おそらくハインツ先生はこの部屋にどんな本が置かれているか、熟知しているだろう。本当ならハインツ先生こそがこの部屋を使うのにふさわしいのだが・・・。
(そんなことを言ったら、きっと肩をすくめて『私は遠慮しますよ』なんて言うんだろうな。)
それに、ハインツ先生はこの部屋が私のために用意されたものだということは知っていたはずだ。ということは、ここに置かれた本はみんな、ハインツ先生が私の為に置きに来てくれていたということになる。
『ハインツが貴公に私を頼れと言ったのは、おそらくさっさと白状しろと言うことなのだろう。』
おそらくは、だが、この部屋の存在についてドゥルーガー会長が私に何も言わないことを、ハインツ先生は気にしていたのではないだろうか。もちろん私が、アスランやライラの治療が終わったあと医師会に関わらなくなればそれまでのことだったのだろうが、思いもかけずクリフの手術を請け負うことになり、そのための作業で部屋が必要になることはわかっていたはずだ。そして今日、会議室には使用予定があり、私の仕事場を探さなくてはならなくなった。ドゥルーガー会長が『白状』するにはちょうどいい機会だと考えたのかも知れない。この町に来てさえ、私はとても恵まれている・・・。本当ならゴード先生のように反発する医師達がもっといてもおかしくないくらいなのに・・・。
この日は夕方までかかってクリフの手術について手順などをまとめた。重い思いをして持ち込んだ資料には、役に立つ情報がたくさんあった。だが・・・クリフのあの『痛み』に関する手がかりは見つからなかった。ということは・・・あの痛みはこの病気の症状の一つと言うより、もしかしたらマッサージによって引き起こされる副作用のようなものなのか・・・。それとも気にするほどのことない一過性の痛みなのか・・・。
「・・・判断がつかないな。頻度は少ないし、本人もそれほど痛がってるようではないんだけど・・・。」
副作用などと言うことになったら、ゴード先生は納得しないかもしれない。私だって今まで島の患者達にマッサージを施してきたが、あんなふうに痛みの出た患者はいなかった。
「でも・・・。今までなかったからそれはない、なんて言えるほど、わかっていることは多くないんだよな・・・。」
どんな病気でも症例は多岐にわたり、患者によって出てくる症状は違うものだ。今までの自分の知識がすべてのはずはない。明日の打ち合わせで確認してみよう。ずっとクリフの治療に携わってきたハインツ先生とゴード先生なら、気づくことがあるかも知れない。
「君達、どうだい、何とかまとまりそうかな?」
私はオーリスとライロフに声をかけた。そろそろ夕方になる。私が腰を上げなければ2人とも帰るに帰れないだろう。
「はい、取りあえず、今の時点でならこれ、と言うことでいいんですよね。」
2人は午前中にここに来たばかりの時より、随分と落ち着いてきたようだ。
「そうだよ。明日は手術の日程が決まって最初の打ち合わせだから、まずは現時点ならどうか、そして手術の日までの経過を見て、問題なさそうならそのまま、あまり考えたくはないけど容態が悪くなったりすればまたそれに合わせて考える、それでいいよ。」
「わかりました。それじゃ明日の朝は直接ここに来ていいですね?」
「いいよ。君達にも鍵を渡しておくよ。」
ドゥルーガー会長から預かった部屋の鍵は何本かある。予備の鍵を1本ずつ2人に渡した。
「ただし、まだ暗いうちから来て朝食も食べず、とかはなしにしてほしいな。まずは君達が元気でいてくれないとね。」
「はい。」
これから家に帰って、読めるように清書してきます、そう言って笑いながら2人は部屋を出ていった。
「あれなら大丈夫そうだな。」
あのくらい笑顔が出るなら、きっと明日の朝の打ち合わせは順調に進むだろう。
「・・・それじゃ私は自分の仕事をしなくちゃな・・・。」
明日の件を確認しておこうと、私はクリフの病室に向かった。ハインツ先生とゴード先生、それに先ほどと同じ看護婦達がいる。あと2人、別な看護婦もいるが、彼女達は夜勤の交代要員らしい。今日のことについての引継ぎが行われているようだ。
「ハインツ先生、先ほどはありがとうございました。」
「ああ、いや、最新版がないのは困るかと思いましてね。助手に頼んで急いで買ってきてもらったのですよ。」
「何冊か最新版が出ていたはずだなあ、なんて思ったものですから、明日にでも買ってこようと思っていたんですよ。でも今日のうちに用意していただけたので、オーリス達も喜んでいましたよ。」
「あの2人はどうです?明日打ち合わせに参加しろなどと言われて青くなっていたのではありませんか?」
「ははは、おっしゃる通りです。でも実は・・・。」
お昼の時間に厨房のアイナと話をしたり、思いがけずライラが訪ねてきて、ナイト輝石の一件で話をしているうちにだいぶ緊張がほぐれてきたようだと話した。
「ほお、それはいい傾向ですね。では明日の打ち合わせでは落ち着いた説明が期待できそうですね。」
ハインツ先生が笑った。
「あらクロービス、仕事は終わり?」
声に振り向くと妻が来ていた。イノージェンも一緒だ。
「迎えに行ってきたのよ。今日はライラが忙しいみたいだし、イルサは図書室の司書が急に休んだとかで午後から手伝いをしているみたいなの。」
「ライラならさっき研究棟の部屋に来ていったよ。今日と明日は資料まとめに忙しいみたいだね。食事は?」
「一緒に食べたいから待っていてって言われてるのよ。子供達と一緒に食事できるのなんてあと何年あるかわからないから、待っていないとね。」
「ははは、いくつになったって一緒に食事してくれると思うよ。それじゃ宿泊所まで送って行こうか。」
東翼の宿泊所までイノージェンを送って行ったあと、軽く食事をしようと言うことになった。そのあとは剣士団長室に行かなければならない。
「夜はいらないって言ってこなかったから、宿に戻ろうか。」
「そうね。いらないって言いに行くなら食べに戻った方がいいわよね。」
2人でロビーに出た。そのまま玄関に向かおうとした時・・・。
「おーいクロービス。」
声をかけてきたのはオシニスさんだ。
「どうしたんですか?食事のあとに伺おうかと思っていたんですけど。」
「メシはこれからか?」
「ええ、宿に何も言ってこなかったので、戻って食べてから来ようと思ってたんですよ。」
「そうか。それじゃその前に少し時間がとれないか?」
「構いませんけどオシニスさんのほうは大丈夫なんですか。」
「ああ、俺はいいよ。今日は夕方から空けてあるからな。それじゃ一緒に来てくれないか。」
「どこへです?」
「フロリア様の執務室だ。」
「・・・何かあったんですか?」
不安になる。まさかクイント書記官が何か・・・。
「いや、そういうことじゃないよ。まあとにかくここで立ち話もなんだから、執政館に来てくれ。」
私達は不安な気持ちのまま執政館に向かった。
「お前達今日の昼、カルディナ家で食事をしただろう?」
歩きながらオシニスさんが尋ねた。
「ええ、おいしい食事をごちそうになりましたよ。」
「パティのごちそうと言い、昨日の食事会と言い、お前はうまいメシに恵まれてるなあ。」
「ははは、そうですね。」
「ま、それはいいことだ。午後からローランド卿が、その昼の食事会の話をフロリア様に報告したんだが、そのことでお前達から直接話が聞きたいと、フロリア様が仰せなんだ。」
「フロリア様にまでご心配をおかけしていたんですね・・・。」
妻が顔を曇らせた。
「そうだな・・・。でもまあ、それは仕方ないさ。一度大騒ぎになっちまった話だからな。」
「それで、事の次第を直接私達から聞きたいと言うことなんですか?」
「まあそれはそうなんだが、フロリア様のお考えはちょっと別なところにあるんだ。それについては直接話があるはずだから聞いてくれ。」
オシニスさんの纏っている『気』は穏やかだ。実は心配事がある、と言うわけでもないらしい。執務室の前に着き、入口の王国剣士に挨拶をして私達は中に入った。
「おお、急に呼びだてしてすまんのぉ。」
執務室の中には、フロリア様とレイナック殿、それにリーザがいるだけだ。てっきりローランド卿やセルーネさんもいるかと思ったのだが、2人に聞かれたくない話なのだろうか。
「クロービス、ウィロー、ごめんなさいね。出来るだけ早く確認したいことがあったのです。」
フロリア様がすまなそうに言った。
「飛んでもない。お気になさらないでください。ではさっそくお話を聞かせていただけますか。」
「まあ座ってくれ。侍女達も下がらせてしまったから、わしが茶を淹れて進ぜよう。」
レイナック殿が立ち上がった。
「俺がやるよ。じいさんは話の進行役じゃないか。」
「あらそれなら私が・・・。」
腰を浮かしかけた妻をレイナック殿が『まあまあ』と言いたげに手で制した。
「ウィロー、お前とクロービスは座っていてくれ。いきなり呼び出した挙げ句茶を淹れさせるわけにはいかん。仕方ない、オシニスよ、茶はお前に任せよう。この間よりは進歩したんじゃろうからな。」
レイナック殿はにやりと笑ってオシニスさんを見た。
「当たり前だ。毎日真面目に練習してるんだからな。」
「ふふふ・・・ではオシニスのお茶に期待して、話を始めましょうか。レイナック。」
フロリア様が笑顔で言った。
「ははっ!」
レイナック殿は一礼して、私達に向き直った。
「オシニスから聞いたかもしれんが、お前達に聞きたいのは、今日のカルディナ家の食事会のことだ。あの家のシェフの腕はなかなかだそうだが、どうだ、食事は?」
「おいしかったですよ。」
「前に招かれた時と同じ味だったんです。当時のシェフは今もいらっしゃるみたいですね。」
妻が言った。レイナック殿は笑顔でうなずいた。
「ふむ、あの家のシェフはベルスタイン家のシェフと腕は同じくらいだという評判だからな。20年前のあの騒ぎの後も、自分の職場はここだからと、次々に辞めていく使用人達に追随することはなかったという話だ。あれだけの腕があれば、もっと大きな家のシェフにもなれるはずなのに、あの頑固さはいずれ身を滅ぼすなどとも言われておったようだな。」
「まあ!そんなことはありません。きっとそのシェフにとって、カルディナ家が一番なんじゃないんでしょうか。」
妻が言った。
「うむ、そうだろう。今では穏やかで誠実な養子夫婦が切り盛りしておる。評判もだいぶ変わってきたようだ。」
「それでレイナック殿、お話と言うのは・・・。」
せっかく和やかに話をしているところに口を挟むのは気が引けたが、私には明日も『仕事』がある。クリフの手術を成功に導くまで、『祭り見物に来た旅行者』の肩書は返上だ。まずは食事をして、オシニスさんと話をして・・・。そしてあとはもう、クリフのことを考えていたい。今日決めた手術の手順を明日の打ち合わせの前に見直しておかなければならない。
「おいじいさん、クロービス達はメシもまだなんだぞ。年寄りの長話につきあわせないで、ちゃんと話の要点を言ってやれよ。」
オシニスさんが人数分のお茶を持って戻ってきた。
「ふん、余計なお世話だと言いたいところだが、そうだな。ではまずオシニスのお茶を飲んでみようか。それから本題に入ろう。」
配られたお茶を一口飲んだ。確かに前よりおいしくなっている。『真面目に練習』と言うのは話の流れで言ったわけではなく、本当に毎日練習しているのかもしれない。
「おいしいですよ。」
「おいしいです。ずいぶん腕を上げられたんですね。」
「おいしいわ。わたくしももっと練習しなければなりませんね。オシニスに追い抜かれてしまいそうです。」
フロリア様が笑顔で言い、オシニスさんを見た。
「それは光栄ですね。」
オシニスさんは少し得意げだ。2人の間に流れる『気』は、とても和やかで、2人の間にしっかりとした信頼関係が結ばれつつあることがわかる。
(今日の話で、それが強くなるか、弱くなるか・・・判断は出来ないな・・・。)
いまさら話すことをためらいはしないが、それだけは気にかかる。フロリア様はお茶を飲み干し、私達に向き直った。
「クロービス、ウィロー、わたくしから話しましょう。今日の食事会で話されたことを、わたくし達にも教えてほしいのです。一言一句とまでは言いません。ただ、どういう話の流れで、どんな話題が出たか、あなた達がそれにどう答えたのか、ですね。ローランドからは、トーマス卿がウィローに謝罪して、ウィローがそれを受け入れて今後は友人として交流できるのではないかという報告がありました。ローランドの様子からして、食事会は和やかに進み、以前のわだかまりはとけたと、わたくしは確信しました。ただ、それはあくまでもローランド側の、というより、カルディナ家側の話です。わたくしは、あなた達からも話を聞きたい、そういうことです。それで、早いほうがいいだろうと急に呼び出してしまったのです。お腹がすいているのに申し訳ないのだけれど、話してくれませんか。」
「お昼はたくさんいただいたので、そんなにお腹がすいてるわけではないんです。それじゃ・・・ねえクロービス、これは私が話すべきことよね。」
「もちろん。当事者は君だからね。君がわからないことがあれば私が補足するよ。」
妻は食事会の食事がとてもおいしかったことをもう一度話し、そして、そのあとにトーマス卿が『時間をいただきたい』と言ったところからの話を全部話した。最後にトーマス卿が言っていた、デールさんの話まで、全て隠さずに話した。その話を聞いた時、少しだけレイナック殿が顔を曇らせた。思い当たることはあったのだろう・・・。
「・・・トーマス卿が言っていたことを、わしも覚えておる・・・。デールは心正しき人物だった。官僚として働いていたころから、間違ったことが大嫌いでよく同僚と諍いを起こしていたものだが・・・判断力は的確で、彼のする仕事は間違いがない。だから考えが合わない同僚達ともうまくやっていけていたのだ。大臣としてデールを推挙した時、わしは彼のその『正しさ』に期待を寄せたのだが・・・トーマス卿の言うようにケルナーとはそりが合わなくてのぉ。揉め事はそれなりにあった、それは確かだな。」
「デールはわたくしが即位したすぐ後にハース鉱山に行ってしまったから、わたくしはそれほどよく知っているわけではないのだけど・・・『国が民を正しく導くべきだ』と言う言葉は、聞いたことがありました。あの時わたくしは小さかったけれど、なんとなく・・・父の考えとは違うのではないか、そんなことを考えた記憶は残っています。」
「ライネス様とですか?」
「ええ・・・父は常々言っていたの。『この国は民と共に作った国なのだから、国は民と共に歩んでいく、そういう国でありたい』と・・・。だから、国が常に民の前を歩くのではなく、歩調を合わせて一緒に歩いていけるような、父はそんな国を目指していたのではないかと思います。」
「皆さんのお話から考えると、やはり父は不器用なくらい真っ直ぐな人だったんですね・・・。」
妻が言った。
「そうだのぉ。お前にはつらい話かもしれんが、デールは自分の考えを曲げると言うことがなかった。他の大臣からは『扱いにくい男』と言われていたものだ。だがそれでもデールが大臣として政治手腕を振るうことが出来たのは、デールの言うことはなるほど確かに正しかったからだ。」
「ではウィロー、改めて尋ねます。あなたは今日のことで、もうトーマス卿との間のわだかまりは一切なくなったと、心から考えている、ということですか?」
「はい。」
妻は迷いなく返事をした。
「ではクロービス、ウィローの夫として、あなたはどうですか?」
「私もウィローと同じ意見です。実を言いますと、今日カルディナ家に伺った時、以前行った時とは比べ物にならないくらい家の中が明るくて、驚いたんです。あの時は私自身が怒っていたせいもあると思いますけど、家の中が暗くて、家全体を包む『気』も澱んでいたような気がしました。でも今日は全然違います。跡を継いだというご夫婦とも会いましたが、とても穏やかな方達ですね。私としても妻と同じく、この町に新たな友人が出来た、そんな気持ちになりました。」
「そうですか・・・。」
フロリア様は満足げにうなずかれた。
「レイナック、これなら問題ありませんね。」
「はい、当事者の口からこれだけはっきりと聞ければ、問題はないかと思われます。」
「・・・どういうことですか?」
「クロービス、ウィロー、実は、トーマス・カルディナ卿に、御前会議の助言者として戻ってきてもらおうかと考えているのです。」
「大臣として、ではなくですか。」
「御前会議の大臣達は、もう次の世代が担い始めています。トーマス卿の子息ローランドは、自分の力で大臣と認められました。その他の大臣達も、レイナックを除けば概ね40代から50代です。ですが、今までこの国の運営をしてきた世代にも、まだまだ意見を聞きたい事があります。それで、大臣ではありませんでしたが御前会議で長く意見を述べてもらっていたベルスタイン家のロランス卿と、あと1人、ロランス卿とはまた違う視点で物事を考えてくれる人材をさがしていました。トーマス・カルディナ卿は、確かにいろいろと問題があった人物ではありますが、彼の政治手腕は確かだったのですよ。ウィット卿があなた達のことで騒ぎ立てた時も、出来ればもう少し穏便に済ませたかったのですが・・・エリスティ公の取り巻き達が騒ぎ出して、そう言うわけにいかなくなってしまいました・・・。」
「そうでしたか・・・。今日お会いした時、この方は本当に20年前と同じ人物なのかと疑ったくらい、とても穏やかでしたよ。きっといい助言者になってくれると思います。」
「まあ、その話を持っていくのはこれからだからのぉ、さてすんなり受けてくれるかどうかは何とも言えんが・・・。」
トーマス卿は、孫達に囲まれて今はとても幸せだとも言っていた。果たしてあの方がまた政治の世界に戻ってくるだろうか・・・。
「レイナック、それはあなたの腕にかかっています。期待していますよ。」
フロリア様が笑顔で言った。
「おお・・・それは・・・うーむ、頑張らねばなりませんなあ。」
レイナック殿が肩をすくめ、オシニスさんが『あとはじいさんに任せておけば大丈夫ですよ』と言って笑った。
執政官を出て宿に向かった。オシニスさんとはロビーまで一緒に来て、食事の後伺いますと言っておいた。笑顔だったが、『気』は張りつめている。これからどんな話を聞かされても、取り乱したりしないように、と考えているのかもしれない。
「緊張するわねぇ。」
妻が言った。宿のフロアはすでに満員だったので、部屋に食事を運んでもらった。長くいるせいか、この部屋に入るとホッとする。
「いよいよかなっていう気はするよ。」
そう言いながらも、自分が驚くほど落ち着いている。目の前に仕事があるせいかもしれないが、取り乱さずに話せるなら一番いい。
「ねえクロービス。」
食後のお茶を飲んでいる時、妻が突然居住まいを正した。
「なに?」
「あなたのせいじゃないって、ちゃんとわかってる?」
「・・・・・・・・・。」
妻はまっすぐ私を見つめている。
「あの時起きた出来事を、きちんと話したいと私は思ってるわ。ただし、あなたが全部自分が悪いとか、自分さえこうしていればとか、そういうことを言ってほしくないの。」
「でも、私のせいじゃないって言うことも出来ないよ。」
「それを言うなら、私の蘇生の呪文が効かなかったことを、私のせいだということも出来るわよ。そりゃ・・・あの時は思ったわ。私にもっと力があればって、悔しくて仕方なかった。でも・・・だからって自分が悪い自分さえこうしていればなんていくら言ってみたところで何の解決にもならないわ。」
「そうだね・・・。起きてしまったことを、あれは誰のせいだったなんていくら言ってみても始まらないってことは、わかってるつもりだよ。」
「それにオシニスさんも、自分がカインに言ったことがカインの行動に影響していたんじゃないかって思っているわけでしょう?話の中で私達が、自分だけが悪い、なんて言ったら、オシニスさんのことだから余計に責任を感じてしまうかもしれないわ。」
「それもそうか・・・。」
オシニスさんはずっと、カインの影に怯えていたのかも知れないと言っていた。そこに更なる重荷を負わせるようなことだけにはならないようにしなければ・・・。
「まずは事実を話す、そこに徹しましょうよ。出来るだけ冷静にね。」
「努力するよ。」
「さあ、それじゃ行きましょうか。」
階下に降りて、夜は遅くなると言っておいた。ムーンシェイに向かう道中は何事もなかったので、着いてからの話ならそんなに長い話じゃないが、すらすらと話せるようなことじゃない。もっとも明日も私には仕事がある。今夜ゆっくり眠れる程度の時間は、必ず確保しなければ。私は医師としてクリフの手術を請け負ったのだ。何があろうと患者第一でなければならない。
王宮に着いて、剣士団宿舎への階段を上がった。採用カウンターにはもう誰もいない。ロビーにいる剣士達もまばらだ。剣士団長室の扉をノックすると、すぐに返事があってオシニスさんが開けてくれた。
「来たか・・・。」
「遅くなってすみません。」
「いや、おかげで書類仕事がはかどったよ。机の上の紙の山が半分になった。」
いつも書類が積みあがっていた机の上は、なるほどいつもよりは山が少ない。
「明日はまたアレインが書類を持ってくるからな。片づけておかないとまた山が大きくなっちまう。」
オシニスさんは話しながらお茶の用意をしている。
「さっきのお茶は美味しかったですよ。どんどん腕を上げてますね。」
「そりゃそうだ。まじめに毎日練習しているからな。それに、最近ではフロリア様の侍女達に飲んでもらって、いろいろと助言してもらってるんだ。」
「それも老後のためですか。」
オシニスさんが笑いだした。
「まあ老後のためと言うのもあるが、いろいろ考えてうまいお茶が飲めると嬉しくなってなあ。もっとうまく淹れたいと思うんだよな。」
テーブルの上には、何とお茶菓子まである。
「・・・これも作ったとかじゃないですよね。」
「さすがにこれは無理だなあ。これはさっきフロリア様から頂いたのさ。リーザが届けてくれたんだ。」
「今日この時のためにですか?」
「そういうわけじゃないよ。お前達が今日来ることは特に言ってないからな。さっき淹れたお茶を飲まれて、今度はお茶菓子に合わせて淹れてみたらどうかって、ま、課題みたいなものかな。」
オシニスさんが肩をすくめた。
「それじゃまた練習が必要そうですね。」
「ははは、まあおいおいやっていくさ。さて、座ってくれ。話を聞かせてもらうよ。」
私達も椅子に座った。
「オシニスさん、これから話すことの中には、一番つらい話が含まれています。言うまでもなくカインのことです。すらすらと話せるようなことではないので、言葉に詰まったりすることがあるかもしれません。でも、出来る限り話します。聞いていてください。」
「ああ・・・。きちんと聞くよ。俺も・・・いつまでもうだうだと考えてばかりいられない。前に進みたいからな。」
「私達も今回こうして話すことで、前に進みたいと考えています。この間の話は、サクリフィアの船着き場から船出したところまででしたよね。」
「そうだな。カインの奴が冒険者達と一緒に船出して、そのあとにお前達もムーンシェイに向かって船を出したってところまでだった。」
「船に乗っていた間は、順調だったんですよ。特にモンスターも現れなかったので・・・。」
こうして記憶をたどることに、やっと慣れたような気がする。それでも思い出すたびに胸は痛む。でも、今日は妻も一緒にいてくれる。きちんと最後まで話せるように・・・。そう祈りながら、私の心は遠い日に飛んでいた・・・。
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