小説TOPへ ←前ページへ 次ページへ→


 
 ローランド卿が深く頭を下げた。トーマス卿はローランド卿をちらりと見て、悲しげにため息をついた。
 
「ローランド、お前が謝ることはない。みんな私が悪いのだ。クロービス殿、ウィロー殿・・・信じていただきたい。息子は何度言い聞かせても首を縦に振らなかったのだ。その間にどこかの誰かに出し抜かれてしまうのではないか、そんな焦りが大きくなって、それで私は・・・息子に内緒であなたに食事会の招待状を差し上げたのだ。息子が出かけているうちにご招待して、そのまま家に軟禁してしまえば・・・。一晩同じ屋根の下にいたことになれば、既成事実もできるのではないか、そんなことを考えて・・・。」
 
 トーマス卿は大きくため息をついた。
 
「・・・ところが、そのつもりで食事の用意をしている我が家のシェフに、あなたの食事に睡眠薬を入れるよう指示したのだが、これがまた頑固者でしてな。そんなことは絶対にしないと突っぱねられ、どうしてもというならこの場で辞めるとまで言われまして・・・。しかしシェフに辞められたのでは食事の質が落ちてしまう。仕方なく私が折れ、食後のお茶を淹れる時に私が薬を入れたのだ・・・。あの時はそれが正しいことだと信じて疑わなかった。いや・・・結果がうまく収まれば何とでもなると、私は安易に考えていたのかもしれない・・・。しかし、結局私はウィット卿に陥れられるような形で大臣の職を辞さねばならなかった。あの時はただただ悔しくて、この恨みをどうして晴らそうかなどとばかり考えていたものだが・・・息子が結婚し、子供が生まれ、私のようなものでも『おじい様』と慕ってくれるようになって・・・私はやっと自分のしてきたことの罪深さを理解したのだ・・・。」
 
 トーマス卿が、にじみ出た涙を拭った。
 
「そういうことだったのですね・・・。やっと霧が晴れたような思いです。やっぱり今日伺って良かった。」
 
 妻が笑顔になった。私としてもこの家に来て妻の顔を見てからの話しか知らなかったし、もちろんローランド卿も知らないことだ。こうしてトーマス卿の口からきちんとした話が聞けて、霧が晴れる思いをしているのは私も同じだ。
 
「そう言っていただけるとありがたい。私もホッとしています。」
 
 ローランド卿が言った。妻の笑顔で、私達の間に残っていたわだかまりが解けたと確信出来たのだろう。妻はローランド卿に向かっても微笑み、そしてトーマス卿に向き直った。
 
「トーマス卿、もう一つだけお聞きします。今は・・・今はそのことで苦しんでおられるようなことはないのでしょうか。私はそれが気がかりだったのです。こちらに来てから、私達がもっと早く腰を上げていれば、もっと早く古い傷を乗り越えることが出来た人達がいたかもしれないと思うようになって、それでトーマス卿にもお会いしたかったのです。もしもそのことを今でも気に病まれているようなら、何かお手伝いできることはないものかと・・・。」
 
 妻の言葉に、トーマス卿は微笑んだ。
 
「今日この日を迎えるまで、ずっと気に病んでいたのは、お2人に謝罪する機会がなかったことだ。でもそれも今日こうして叶い・・・もう何も言うことはない。お心遣い感謝する。」
 
「そうでしたか・・・。それでは、私のほうから改めてお礼を言わせてください。」
 
「・・・お礼?」
 
 トーマス卿は驚いて妻を見た。妻は立ち上がり、トーマス卿の前に進み出た。
 
「いただいた招待状には、父の思い出を共に語り合いたいと書かれていました。トーマス卿にとって、それは私の興味を引くための方便だったのかもしれませんけど、あの時、トーマス卿は本当に私の父のことをいろいろと話してくださいましたよね。私、それはとてもうれしかったんです。だから帰りにはきちんとお礼を言って帰ろうと思っていたのにあんなことになってしまったから、あの時はもう腹立たしくてそんなことは忘れてしまっていましたけど・・・でも、やっぱりきちんとお礼を言わなきゃ。トーマス卿、私の父のことをいろいろ教えてくださって、ありがとうございました。」
 
 妻が深く頭を下げた。それを見つめるトーマス卿の目から涙が流れ落ちた。
 
「・・・そう言ってくださるのか・・・。私はあなたを騙したというのに・・・。」
 
 トーマス卿は妻の手を握りしめ、涙をこぼした。
 
「・・・おそらくはご存じだろうが・・・。私から言うてしまおう。私はあなたの父上とはそりが合わなかった。あなたの父上は心正しき人だった。私のように目的の為なら手を汚すことも厭わぬような考えには、おそらく嫌悪を抱いていたことだろう。『国家が率先して正しき道を進めないなら、どうやって国民を正しき道へと導けるのです!?』そう声高に叫んで譲らず、よくケルナー殿と諍いを起こしていたのを覚えておるよ。時にはレイナック殿のとりなしにさえ声を荒げることもあった・・・。確かに正義は必要だ。だが、正義とは、一つの考えのみを指すものなのだろうか。デール殿の考える正義のみが、この世の唯一の正義なのだろうか。私はそうではないと、今でも考えている。人それぞれの心に宿る正義同士が相容れぬこともある。そんな時、相手の考えを聞き、自分の中できちんと考え、共存の道を探すことも、政治家として大事なことなのではないか。私はそりが合わないながらも、あなたの父上の政治手腕は素晴らしいといつも思っていた。もしももう少し柔軟に考えることが出来たなら・・・あなたの父上はもしかしたら今でも政治家として御前会議で活躍していたかもしれぬと、よく思う・・・。ウィロー殿、正しきことにこだわりすぎてはいかん。こだわりは視野を狭め、知らぬ間に自分を縛る・・・!」
 
 トーマス卿はそこまで言って、ハッとして唇をぎゅっとかみしめた。
 
「・・・いや、失礼した。あなた達ご夫婦の仕事は診療所の運営だ、そのような判断を迫られることはおそらくないだろうに・・・。つい興奮してしまったようだ・・・。」
 
 じっと聞いていた妻は、トーマス卿の手を握り返した。
 
「トーマス卿、お言葉、肝に銘じます。ありがとうございました。」
 
 
 そろそろ午後の仕事の時間になる、私達は帰りもカルディナ家の馬車で王宮まで送ってもらうことにした。
 
 
 
「・・・お2人とも、本日はありがとうございました。」
 
 一緒に王宮まで戻るというローランド卿が、馬車の中で深く頭を下げた。
 
「私のほうこそ、今日はお話しできてよかったです。父のことをまた教えていただけて、うれしかったです。」
 
 妻が言った。
 
「・・・しかし、ウィローさんにとってはつらいお話だったのではありませんか。」
 
「そうですね・・・。でも、そういう面も含めて私の父ですから、やはり教えていただけてよかったと思ってます。それに・・・父がカナに母と私を置いてハース鉱山に行ってしまった理由が、今度こそはっきりとわかったような気がするんです。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「小さな時は、母の言葉を信じて『父さんはとても忙しいから帰ってこれない』と思っていましたけど、成長するにつれて、なぜ父が帰ってこないのか、それは私達を捨てたからではないのかと不安に思うようになりました。それがそうではないと、ハース鉱山で父が握りしめていた手紙で知ることはできましたけど・・・ではなぜそうしなければならなかったのか、そこだけはどうしてもわからなかったんです。だけど、さっきのトーマス卿のお話でやっと分かりました。父がとても不器用な人で、『正しきこと』のためにそれしか道がないと思い込んでしまったんだなって・・・。だから母はどんなに辛くても、父のことを誰よりもよくわかっていたから、もう会えないと心のどこかで気づいていても黙って父を送り出したんだと、今になってようやく分かりました・・・。」
 
 デール卿もまた・・・『自分は幸せになってはいけない』と思い込んでしまったのだろうか。フロリア様から父親を奪う、その計画をとめることが出来なかった、そしてそれは思いがけず母親をも奪うことになってしまった。だから、自分に罰を科したかったのだろうか・・・。今となっては誰にもわからない。私が知っているのは、デール卿が命尽きるその瞬間まで、カナに残してきた妻と娘を愛していたことだけだ。
 
 
 
 王宮の玄関前で馬車を降りた。ローランド卿はこれから執務室へ向かうのだという。
 
「妻が一足先についていると思いますので、今日のことを話しておきます。とても心配していましたから。」
 
「ローランド卿、今度セルーネさんも一緒に、食事に行きませんか。商業地区の奥にあるカフェの話は、セルーネさんからお聞きになっていると思いますが。」
 
「セーラズカフェですね。私もぜひ一度行きたいと思っています。いつでもご都合のいい時にお声をかけてください。」
 
 
 
 ロビーでローランド卿と別れ、私達は医師会に向かった。
 
「はぁ・・・肩の荷が一つ下りた思いだわ。」
 
「トーマス卿が思ったより元気そうでよかったよ。」
 
「そうね・・・。家の存続も決まって、お孫さん達に慕われて、幸せなんだなあって思ったわ。ほんと、よかった。」
 
「トーマス卿が最後に言っていたことは、どう?」
 
 妻がちらりと私を見上げ、微笑んだ。
 
「実をいうとね、父さんが私達をカナに置いてハース鉱山に行ってしまったことは、間違ってたんじゃないかってずっと思ってたのよ。トーマス卿がおっしゃったように、自分だけの考えでハース鉱山に行って、父さんはそれでよかったかもしれないけど、母さんのことはどうなるのって。私よりもまずは母さんじゃない?父さんが母さんを最後まで愛していたのはわかるけど、でもそれなら、もっと違った道を模索してもよかったんじゃないかなって・・・。」
 
 誰かのため、何かのため、本人はそう思い込んでいても、実は『自分の気の済むようにしたいため』故の行動だということに、本人だけが気付いていないということか・・・。妻がそんな風に考え始めたきっかけは、もしかしたらガーランド家の一件に立ち会ったことだろうか。
 
「でもいまさら何を言っても仕方ないわ。父さんはもういないんだもの。トーマス卿のお話のように、こだわりすぎて周りが見えなくなるようなことには、ならないようにしないとね。」
 
「そうだね。」
 
 元をたどれば前国王陛下のことだって、ケルナー卿やレイナック殿にとってはそれが『正しいこと』と信じての決断だったのだ。だがそうと信じて起こしたその行動は、巡り巡って悲劇を生み、その中でたくさんの人達が命を落とした・・・。それでも、人は自分が一番いいと信じた行動をとるしかない。その先に待つものが、願わくば明るい未来であるようにと祈りながら。
 
 
 
「あの・・・クロービス先生。」
 
 若い娘の声に振り向いた。この娘は確か医師会の厨房で働く、配膳係の娘だ。名前は聞いたことがなかった気がする。
 
「どうしたんだい。」
 
「あの・・・オーリスさ・・・先生と、ライロフさんを見かけませんでしたか?」
 
「お昼前までは研究棟の部屋にいたよ。昼はどこにいるかわからないけど。」
 
 なんとなく、あのまま部屋で仕事をしているのではないか、そんな考えが浮かんだ。
 
「え、研究棟ですか?」
 
 娘は目を丸くした。医師会で働く人々にとって、どうやら研究棟は独特の場所らしい。私は2人がクリフの手術で薬の管理をすることになっているがちゃんとした仕事場がないので、私が借りた研究棟の部屋を使ってもらうことになったと話した。
 
「まあ、それじゃお2人とも先生のお部屋に・・・。」
 
 医師会の医師達には厨房から食事が届くが、助手達は厨房に併設されている食堂まで食べに行く。2人はいつも食堂で食べていたのだが、今日に限って姿を現さないので、心配していたらしい。
 
「食事はあるのかい?よければ届けておくけど。」
 
「い、いえ、先生にそんなことをお願いするわけには・・・。あの、部屋を教えていただければ、私が届けます。」
 
「それじゃ一緒に行こう。どうせ私もこれから戻るところだからね。」
 
 
「クロービス、それじゃ私は一度クリフの病室に顔を出すわ。会長室には直接行くから。」
 
「わかった。私も一度部屋に戻ってすぐに向かうよ。」
 
 午後から、いよいよ手術の日程が決まる。
 
 
「いつもは二人とも食堂に顔を出すんだね?」
 
 階段を上りながら厨房の娘に尋ねた。
 
「はい・・・。なんでも今度手術で大事な役目を任されたって、お2人とも緊張していましたが・・・。」
 
 おそらく二人とも部屋にいるだろう。今回の手術を『見学』するだけのはずが、思いがけず大仕事を任されてしまって、相当緊張しているはずだ。食事もせずに頭を抱えて仕事をしているのだはないだろうか・・・。
 
(でもどんなに緊張していても、お腹はすいてるはずなんだよなあ・・・。)
 
 まだ日取りも決まっていないのだ。2人にはもう少し頭をほぐしておいてもらおう。部屋について扉を開けると、思った通り二人とも頭を抱えていた。
 
「どうやら二人とも、食事抜きで頑張っていたようだね。」
 
「いや、もう食事どころじゃ・・・。」
 
 言いかけたオーリスの腹が鳴った。
 
「そんなに大きな音が出るほど、胃袋の中は空っぽということだよ。厨房から食事を持ってきてもらったから、まずは食べて一休みしてくれるかい。すきっ腹を抱えていくら頭をひねったところで、いい考えなんて浮かばないと思うよ。」
 
「え、食事ですか・・・。」
 
「お2人とも食堂に来なかったから、心配したんですよ。」
 
 私の後ろから部屋に入ってきた娘が、二人を見て呆れたように言った。
 
「あれ、アイナ、どうしてここに・・・。」
 
 この娘はアイナというらしい。
 
「お2人を探したんですけど、どこにいるのかわからなかったんです。さっきクロービス先生が戻られたので、お聞きしたんですよ。食事を抜くのはだめです。ちゃんと食べてください。」
 
 アイナはふくれっ面だ。どうやら、この2人とはそれなりに親しい仲らしい。ここはアイナに任せよう。
 
「それじゃ私は会長室に呼ばれているから行ってくるよ。アイナだったね、君は今時間はあるのかい?」
 
「はい、お昼の仕事は終わったので、私はこれから休憩なんです。」
 
「食事は?」
 
「これから戻って食べます。」
 
「それじゃ君の分の食事も持っておいで。ここでオーリスとライロフがちゃんと食事をするように見張っていてほしいんだ。」
 
「え、いいんですか?」
 
「構わないよ。今のところここは私の部屋だからね。君が戻ってくるまで待っているから、食事をもらってくるといいよ。厨房のシェフに何か言われたら、私からの指示だと言ってくれていいからね。」
 
「は、はい!」
 
 笑顔でうなずいて、アイナは急いで部屋を出て行った。
 
「あの・・・先生、私達もちゃんと食べますから・・・。」
 
 ライロフが言った。
 
「出かける前も言ったけど、健康管理はきちんとしてくれないと困るよ。薬の組み合わせの内容についてはハインツ先生も見てくれるし、誰でもアドバイスができる。でも、実際の手術で薬の管理をするのは君達だ。手術の当日に君達がふらふらだったりしたら、みんなに迷惑をかけることになるんだよ。」
 
 そこにアイナが戻ってきた。
 
「アイナ、差支えなければでいいんだけど、休憩時間はこの2人とおしゃべりでもしていてくれるかい。ライロフ、オーリス、君達はもう少し肩の力を抜いて、頭の中身も休ませたほうがいいよ。それじゃ私は会長室に行ってくるから、のんびりしていてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 笑顔のアイナと、複雑な顔で返事をするオーリスとライロフに見送られ、私は部屋を出た。
 
 
 会長室に向かう途中で、ちょうど妻と一緒になった。ハインツ先生とゴード先生も一緒だ。
 
「今日はマレック先生もいらっしゃると思いますよ。おそらく日にちが決まったらそのまま手術の流れを確認することになると思います。」
 
「いよいよだと思うと緊張しますね。」
 
「まったくです。手術の前っていうのは、毎回緊張しますよ。」
 
 ハインツ先生は笑っていたが、だいぶ複雑な心境でいるらしいのは何となく感じていた。手術が成功する、これは大前提だが、その中でハインツ先生に自信を取り戻してもらうにはどうするのがいいのか・・・。
 
 
 会長室では、ハインツ先生が言った通り、マレック先生が先に来ていた。
 
「集まったようだな。では始めよう。」
 
 ドゥルーガー会長は手元に置いてあった書類の束を開き、私達に見えるようにテーブルの上に広げた。
 
「これが、今回手術に参加予定の者達の予定表だ。それぞれバラバラに仕事を抱えておるから、なかなか難しいのだが・・・クロービス殿は、今後外せない予定などはないのかね?」
 
「何もありません。せいぜい祭りを見に行くくらいですから、予定はクリフの手術が成功したら考えます。」
 
「ふむ、なるほど、では貴公達がこの後残り少ない祭りを存分に楽しめるようにせねばならんな。他の者はどうだ?この日程表を見て、これはずらせる、これは出来ないなどを確認してくれ。」
 
 私は元々遊びに来ているのだから問題ないが、ほかの先生方はみんなここで仕事を抱えている。外来の当番もあるし自分の患者の手術だってあるのだ。
 
「・・・ふむ、すると、この辺なら間違いないな。」
 
 3人の医師達とドゥルーガー会長がしばらく話していたが、やっと『全員が問題なく空けられる日』が決まった。
 
「3日後ですか。」
 
 ちょうどいいかもしれない。今日立てた手順を確認して、綿密に打ち合わせが出来るくらいの時間は確保できる。
 
「うむ、どうかね。それまでに手術の手順などは万全にしておいてもらわなければならんが、なんとかなりそうか?」
 
「大丈夫です。私は今日1日かけて手順などの細かい予定を立てます。明日、その予定について皆さんのご意見を伺いたいのですが。」
 
「わかった。では明日の朝、全員ここに集まってくれ。」
 
「それじゃオーリス達が作っている薬の一覧も出してもらいましょうか。」
 
 ハインツ先生が言った。
 
「そうですね。いっそのことここで説明をしてもらいましょうか。私が又聞きで話すよりはきちんと意図が伝わると思いますけど。」
 
「うむ、そうだな。だがあの2人のことだ。おそらく顔が引きつるほど緊張するだろう。クロービス殿、できるだけ緊張させぬよう、うまく話を伝えてくれるとありがたい。」
 
「わかりました。」
 
 ドゥルーガー会長はあの2人のことをよくわかっているようだ。医師会の会長として忙しい毎日を送っているというのに、見習い医師や医師としては駆け出しの者まで、本当によく目を配っている。
 
(まあ・・・緊張するなと言う方が無理だとは思うけど・・・。)
 
 あの2人にとって、今回のことは自分達の腕が試されると考えているだろう。それは確かにそうなのだが、本来の目的は会長達を唸らせるような立派な一覧表を作ることではなく、患者の命を助けることだ。つまり会長は、そう言ったことも含めて『うまく伝えてくれ』と言ったのだと思う。クリフの家族への連絡は、医師会としてオシニスさんに依頼することになり、ハインツ先生が伝言を頼みに行ってくれることになった。
 
「毎回クロービス先生にばかりご足労かけていますからね。たまには私も歩かないと。」
 
「ハインツ先生、私もご一緒しますよ。食事療法の観点から、いくつか団長殿に伺いたいことがあるものですから。」
 
 マレック先生が言いだして、ハインツ先生と2人で団長室に行くことになった。
 
「ゴードとウィロー殿は少し残ってくれんか。マッサージについての報告を聞きたいのだが。」
 
「それじゃ私は病室に行って、クリフに手術の日程を知らせてきます。そのあとは研究棟の部屋にいますので。」
 
 みんながそれぞれの役割を果たすために動き始めた。
 
 
 
 病室には、いつもいる看護婦が2人いた。クリフは起き上がって看護婦達と話をしているところだった。
 
「3日後・・・ですか・・・。」
 
 手術の日程を伝えると、クリフは少し不安げに目を伏せた。
 
「そうだよ。君の体の中で、病気は進行し続けているんだ。出来るだけ早く取り除かなければならないけど、準備は必要だからね。君のご家族には、オシニスさんに伝えてもらえるようハインツ先生が頼みに行ってくれてる。君が考えることは、よくなること、それだけだ。のんびりしていてくれればいいよ。」
 
「・・・わかりました。」
 
「不安かい?」
 
 はっとしたようにクリフは顔をあげた。
 
「いえ・・・あの、そんなことは・・・。」
 
「不安な時は不安だと言ってくれていいんだよ。手術の前に不安になるのは誰だって同じだよ。まわりに気を使う必要なんて無いんだからね。」
 
「す・・・すみません。」
 
「君が謝ることじゃないよ。もっと肩の力を抜いて。患者が周りに気を使ってばかりいては、気が休まらないからね。」
 
「ほらクリフ、先生もこうおっしゃっているでしょう?あなたは気を使いすぎなのよ。私達はあなたのお世話をするのがお仕事なんですから、もっといろいろと話してくれないとね。」
 
 看護婦の一人が言った。壁際の作業台で薬を作っていたもう一人の看護婦も顔を上げ『そうよクリフ。もっとわがまま言ってくれていいのよ』と言った。
 
「はぁ・・・そうですよね・・・。ラエルにもよく言われていたのに・・・。」
 
「ラエルはなんて言ったんだい。」
 
「今先生がおっしゃったように、僕はまわりに気を使いすぎるところがあるんです。性分だろうから仕方ないとは思うけど、でも僕が気を使ったつもりでも、逆に相手を傷つけることもあるぞって。・・・だから気をつけてたつもりだったんですけど・・・。」
 
「思いやりの気持ちがあることはいいことだと思うよ。でも今は、君の未来がかかっている。気を使わずに思ったことを口にしてくれていいんだよ。」
 
「・・・病気のことだってそうです。もうすぐ3年が過ぎて、警備場所を広げられる、その矢先にこんなことになって・・・。冷静に考えれば、病気をいくら隠そうとしたっていずればれてしまうんですよね・・・。」
 
「そうだね。でも誰だって自分が重い病気かも知れないなんて思いたくないじゃないか。それは仕方のないことだと思うよ。でもね、ここでは君が気を使う必要のある相手なんて誰もいないんだ。マッサージが効かなかったら効かないと、薬が苦い食事がまずい、なんでもいいんだよ。君が毎日を快適に過ごせることも、大事なことだからね。」
 
「あ、あの、食事がまずいなんてことは・・・ないです。チェリルの作る食事は例えどろどろでもすごくおいしいし・・・。まあその・・・薬は・・・ちょっと苦いですけど・・・。」
 
 クリフが笑った。その後ろで看護婦も笑っている。
 
「クリフ、先生のおっしゃる通りよ。そうねぇ、薬が苦いならお砂糖でも入れましょうか?」
 
「い、いえ!あの苦さに甘さが加わったら・・・その・・・。」
 
 2人の看護婦が笑いだしクリフも笑い出した。私もつられて笑ってしまった。この病室の空気はとても穏やかで、そして明るい。今クリフはとてもいい環境にいる。
 
「ふふふ、毎日を楽しく過ごすことも大事よ。クロービス先生、私達看護婦も手術の日に向けてクリフが快適に毎日を過ごせるように気配りをしていこうと思います。手術は成功すると、信じておりますわ。」
 
「全力を尽くすよ。クリフ、以前手術の話をした時、君は『手術をしたら今より元気になれるか』と聞いたね。あの時も私は、そうなれるよう全力を尽くすとしか言えなかった。今もそれは変わらない。でも今の君は、あの時よりもずっと体力がついている。君の体力がつけば、それだけ君が元気になれる確率も高まるんだ。だからどんなに些細なことでも、隠さずに教えてくれるかい。気のせいでもなんでも、おかしいと思ったことは話してくれていいよ。」
 
「はい。」
 
 クリフが笑顔でうなずいた。
 
 
 
 病室を出て、研究棟の部屋に戻って扉を開けた。アイナはまだそこにいて、オーリス達と楽しそうにおしゃべりをしている。
 
「あ、あら、お帰りなさいませ。すみません、つい話し込んでしまって・・・。」
 
 アイナは慌てて立ち上がった。
 
「別に構わないよ。休憩時間はまだあるんだろう?」
 
「はい、でもそろそろ終わりなんです。それじゃ失礼します。」
 
 アイナは自分の食事を持ってきた時に使った箱に、3人分の食器を入れて戻っていった。
 
「さて、2人とも、毎回アイナに食事を持ってきてもらわなくてもいいように、明日からはちゃんと時間通りに食べに行ってくるようにね。」
 
「はい・・・。すみません・・・。」
 
 オーリスとライロフが揃って頭を下げた。2人ともすまなそうにしているが、彼らを包む『気』はさっきより穏やかで落ち着いてる。
 
「緊張はほぐれたみたいだね。」
 
「はい・・・少し張り切りすぎたみたいです・・・。お気を遣わせてしまって申し訳ありませんでした。」
 
「君達はただの見学者ではなく、担当者なんだ。君達が万全の状態で手術に臨めるかで成功の確率も変わってくるから、君達の健康について気配りするのも執刀医の務めだよ。私に礼なんて言わなくていいから、手術当日まで体調をきちんと管理してくれるかい。」
 
「わかりました・・・。手術の日取りは決まったんですね。」
 
「ああ、3日後に決まったよ。少し打ち合わせをしよう。」
 
 アイナのいた場所に私が座り、さっき会長室で話し合われたことについて、2人に伝えた。
 
「え!?あ・・・明日の打ち合わせで、僕らの、その・・・。」
 
「そうだよ。手術の日取りが決まったんだから、もう待ったなしだ。今の時点で考えられる組み合わせを、明日の打ち合わせで出してもらうよ。明日は手術に参加する人達が全員揃うはずだから、アドバイスも受けられると思うよ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 思った通り、2人は青ざめている。おそらくこの2人が一番先に頭の中に浮かべたことは、『会長や他の先生方から自分達がどう思われているか』だろう。無論医師会の中で仕事をしていく以上、上の評価は今後の彼らの仕事にも影響する。しかし、今回の手術で彼らが一番に考えなければならないのは、クリフを助けることだ。執刀するのが私とハインツ先生だとしても、参加する全員がクリフの命を第一に考えて行動しなければならない。
 
「それじゃ今の時点で出来ている一覧を見せてもらおうかな。」
 
「は、はい・・・。でもあの、清書してないんで汚いですけど・・・。」
 
「清書は明日までにして置いてくれればいいよ。まずどんな薬を選んだのかと、それが適切かどうかをざっと見せてもらえればいいからね。」
 
 2人が差し出した一覧は、なるほど何度も書き直したあとがあり、かなりゴチャッとしている。が、読めないほどじゃない。書かれている薬の内容は、どれも今のクリフの症状に一番合わせてある。全体で言えば特に問題はないが、気になる点があって2人に尋ねた。
 
「これと・・・この薬だけどね。」
 
 私は一覧の紙を2人に向けて、気になった薬を指さした。
 
「は、はい・・・。」
 
「どちらもこの時点で使うなら、それぞれに問題はない薬なんだけど、ちょっと使う箇所が近すぎるね。出来ればどちらかを外した方がいい。この二つの薬を組み合わせると、副作用が出る場合があるんだ。」
 
「え?あ・・・あれ・・・?」
 
 2人は焦って一覧表を見直し始め、2人がほぼ同時に「あ!」と声をあげた。
 
「あー・・・そうでしたね・・・。個別に見ていたから気がつきませんでした・・・。」
 
「使う箇所がずっと離れていればいいんだけどね。個別に使う分には特に問題になるような副作用もないし。ただ、2つの薬が混ざる可能性があるのは良くないから、そう言った点を見直しておいてくれるかい。他は問題ないと思うよ。ただ、私がそう言ったとしても、君達が気になる点があるのなら、もう少しよく考えてみてもいいと思う。薬草学ではハインツ先生は第一人者だし、他にも経験豊富な先生方がいるんだから、明日の打ち合わせの時に聞いてみるといいよ。」
 
「聞いても・・・いいんでしょうか。」
 
「そりゃいいよ。明日の打ち合わせはクリフの手術の打ち合わせであって、君達の発表会ってわけではないんだし、もう少し肩の力を抜いて、緊張しないようにね。」
 
「そ、そうか・・・。いや、そうですよね・・・。」
 
 2人がため息をついた時、扉がノックされた。
 
「クロービス先生はいらっしゃいますか?」
 
 この声はライラの声だ。私は立って扉を開けた。
 
「あ、先生、クリフさんて言う人の病室に行ったらここだって聞いて・・・入っていい?」
 
「いいよ、どうぞ。」
 
 ライラは部屋に入って辺りを見回した。
 
「すごいねー。立派な部屋だな。あ、こんにちは。助手の方ですか?」
 
 ライラはオーリス達に笑顔を向けて挨拶をした。
 
「こんにちは。僕らは今回クロービス先生が執刀される手術に参加することになったんだ。」
 
 2人は名前と身分を名乗り、ライラと握手した。
 
「あ、す、すみませんでした・・・。お医者様だったんですね・・・。」
 
 ライラが焦って頭を下げたが、オーリス達が笑い出した。
 
「まあ助手みたいなものだよ。まだまだ駆け出しなんだ。君はハース鉱山のライラ博士だね。僕らより君のほうが遥かに立派な仕事をしていると思うよ。」
 
「それに僕は確かにまだ見習いの身だしね。ライラ博士、気にしないでくれるかい。」
 
「は、はい、すみません。」
 
 ライラがまた頭を下げた。
 
「ライラ、何か用事だったのかい?」
 
「あ、そうなんだ。あのね、この間の話の続きなんだよ。試験採掘と言ってもそれなりの量の鉱石が採れるはずだから、もう少し試作出来そうな医療器具をあげてくれないかって。」
 
「ということは、ある程度大きなものかい?」
 
「そうなるのかな・・・。先生がこの間教えてくれたのは小さなものばかりだから、それはもう試作の手配がすんだんだ。それで、もう少し大掛かりなものがないかって話になってるんだよ。医療機器にこだわることはないと思うけど、ナイト輝石と聞いて未だにいい顔をしていない人達を説得するためには、一番説得力があるから、もしも何かありそうなら出してみてくれって。」
 
「それじゃ明日の打ち合わせの時にでも聞いてみようか。医師会として意見を出すってわけにはいかないだろうけど、医師個人としてこんなものがあればって話なら聞けると思うよ。」
 
「それじゃお願いします。僕は明日一日かけて資料をまとめて、明後日発表することになってるから。」
 
「それじゃまた図書室かな?」
 
「うーん・・・そうだなあ。図書室にも行くけど、多分明日はあちこち歩いていると思う。明日先生の都合が良ければ僕がここに来るよ。」
 
「それじゃ午後にでも顔を出してくれるかい。」
 
「はい、よろしくお願いします。あ、先生方、お忙しいのにお邪魔してすみませんでした。」
 
 ライラはオーリス達にぺこりと頭を下げて部屋を出ていった。
 
「はぁ・・・すごいですねぇ。あの若さでもう学者の顔をしてますね、彼は。」
 
 オーリスがため息をついた。
 
「17歳からハース鉱山で働いているから、同世代の男の子よりは大人かも知れないね。もっとも最初は鉱夫として仕事をしていたらしいけど。」
 
「あ、ライラ博士のことは聞いたことがありますよ。何でもフロリア様がナイト輝石についての研究をお認めになったのに、鉱山の他の地質学者達から異論が出たとか。」
 
「そうらしいね。私もオシニスさんに聞いただけだけど、まあ彼らにとっては『鉱夫あがりの若造』だったろうから、それがいきなりフロリア様に認められるなんて納得いかなかったのかも知れないね。」
 
 これは以前オシニスさんに聞いた話だ。ハース鉱山の採掘計画は年単位で決まっている。その計画を立てるのが、統括者のロイと鉱夫頭、それに熟練の鉱夫数人と専任の地質学者達だ。だがその地質学者達のほとんどは鉱山に常駐はせず、城下町にある研究機関などで仕事をしているらしい。しかも彼らの専門は鉄鉱石など他の鉱石で、ナイト輝石についてはそれほどよく知る学者はいなかった。もっとも『禁忌の鉱石』と言われ、大量殺人の発端となった鉱石など、研究しようなんて考えもしなかったのだと思う。
 
 
 
『その『禁忌の鉱石』を掘り出したいと、こともあろうにハース鉱山の石頭管理官に願い出て、とうとう説得しちまったんだ。他の学者達にとっては、実におもしろくない状況だっただろうな。』
 
 オシニスさんはそう言いながらとても楽しそうだった。彼らにも学者としてのプライドがある。ライラが本当にナイト輝石について調査出来るだけの技量があるかどうか試させてくれとフロリア様に願い出たのだそうだ。
 
『そこで、ナイト輝石についての論文を出せと言ってきたのさ。連中としては、おそらくろくなものが出来ないだろうとタカをくくっていたのかも知れないな。その論文が広く世間に認められるほどの内容であれば、彼と一緒に喜んで仕事をしようと、地質学者の代表が言ったんだ。』
 
『それでライラが出した論文が彼らを黙らせたと言うことですか。』
 
『そう言うことだ。さすがにもう文句を言いようがないと思ったんだろう。それにライラはずっとハース鉱山に常駐していて、鉱夫としてもちゃんと実績を残しているし、他の鉱夫達とも実にうまくやってる。へたにライラに嫌がらせでもしようものなら、自分達が鉱山から追い出されかねないとでも思ったのかもな。』
 
『でもそんな事で追い出したりは出来ないんじゃないですか。』
 
『当たり前だ。その連中だって地質学者としてはちゃんと仕事はしてるんだからな。第一そんな話になったらライラのほうが怒り出すだろう。』
 
『まあそうでしょうね。それで、その論文が認められたことでライラは『博士』と呼ばれるようになった、そういうことだったんですね。』
 
『あの見た目にはちょいとそぐわないくらい、厳めしい肩書だがな。』
 
 オシニスさんが笑った。
 

次ページへ→

小説TOPへ ←前ページへ