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「ベルスタイン家が治める領地は西の離島群ですが、元々エルバール大陸には先住民すらいなかったと聞いています。つまりサクリフィアの人々が移住してきて、初めて北大陸に人間が住むようになったわけです。そしてベルスタイン家の初代当主はベルロッド様の次男坊。二代目の国王陛下が即位された時、創設された公爵家は二軒。新国王の妹君が創設したハーシアー公爵家の領地は、当時まだ何もなかったローラン周辺でした。北大陸は広大で、極北の地周辺の寒い土地を除けば、気候の穏やかな城下町周辺には領地に出来る土地がいくらでもあったはずです。しかし、二代目の国王陛下がもっとも頼りにしていたという弟君である初代ベルスタイン公爵に与えられた領地は、西の離島群でした。北大陸の中でもまだまだ城下町周辺にしか人がいなかった時期に、なぜそんな遠い場所を選んだのか、その理由は、もちろんロランス卿も、セルーネさんもローランド卿も、ご存じですよね。そしてクロービス、お前はおそらく知らんだろう。」
 
「そのあたりの歴史は詳しくありませんね・・・。ローラン周辺がハーシアー家の領地だったと言うのも初めて聞きました。」
 
「・・・元々あのあたりには何もなかったが、海が近かったことでサクリフィアから来た漁師達が家を作って住んだそうだ。ハーシアー家の領地になったことで農場も増え、集落が出来ていった。人が住めば物資が必要になる。住民を相手に商人が店を出し始め、そうして出来上がった村がローランだ。建国の頃は貴族は与えられた領地に住むのが当たり前だったらしい。ハーシアー家もローランに住んでいたが、時は流れ跡取りがいなくなったことで断絶した。それを機にローランは王家の直轄地となったんだが、それはエルバール王国建国から100年を過ぎたころの話だからな。その頃にはすでに北大陸の中はほとんど貴族に分け与えられ、あるいは断絶した貴族の領地が王家の直轄となり、その後新しく誕生した貴族の領地は、数え切れないほどある離島群の中からいくつかを割り当てるようになったという話だ。そしてその後、貴族が与えられた領地に移り住むという慣習はなくなった。元々貴族は王族の末裔として王家を守る立場にある。王家に何かあればすぐにでも馳せ参じなければならないんだ。あまり遠い場所に引っ込んじまうと、それが出来なくなるからな。王家の守りを強化するという名目で、貴族はみんな城下町に住むようになった。セルーネさん、この図書室はもともと単独で建っていたところに屋敷を増設したという話でしたよね。それがそのころの話なんじゃないですか?」
 
 セルーネさんは感心したように聞いていたが、『よく調べたなあ』と笑った。
 
「その通りだ。その頃には図書館を訪れる人も以前よりは少なくなっていたらしい。それにそろそろ補修が必要になってきていた時期だったから、どうせならここに屋敷を増設して、図書館の管理も兼ねようという話になったそうだ。ところが、我が家がここに居を構えたことで、追従する貴族が現れ始めた。おかげでこの周辺には貴族の屋敷が立ち並ぶようになり、一般の人々がこの図書館を訪れるには気後れするような場所になってしまったというわけだ。」
 
 屋敷の一部になったことで、それまでのように誰でも出入り自由というわけにはいかなくなったが、今でも依頼があればここの本の閲覧は可能らしい。ただ、そのためにはベルスタイン家の門をくぐらなければならないわけで、さすがに一般人には敷居が高そうだ。
 
「なるほど。領地に住むということを考えれば、二代目の国王陛下を支えるべき立場にあられるベルスタイン公爵家が、そんなに遠い場所に移り住んでしまうのは都合が悪いはずですね。にもかかわらず、初代のベルスタイン公爵が西の離島に領地を持った経緯というのはどう言うことなんですか?」
 
「・・・どうやら剣士団長殿はかなり詳しくご存じのようですね・・・。続きは私から話しましょう。本当ならばその話も、ファルシオンの使い手が知るべき事かもしれませんから。」
 
 ロランス卿は少しだけあきらめたような悲しげな顔で、お茶を一口飲んだ。
 
「ロランス卿、私はただの医者ですよ。何もかも知らなければならないなんて事はないんです。」
 
「確かに・・・。ですがせっかくおいでいただいたのですから、お聞きいただきたいのですが、いかがですか。」
 
「もちろん今日は聞かせていただきます。でもあまり私の剣についてお気になさらないでください。もう一度言いますが、私はただの医者です。この国の運営について、いかなる口を出す事も出来ませんし、出したいとも思いません。」
 
「・・・わかりました。では今回の話についてはお聞きいただきましょう。」
 
「はい、お願いします。」
 
『ファルシオンの使い手が王家以外の場所に存在する』
 
 このことが、貴族達にとってどれほど大きな意味を持つか、私だって考えた事がないわけじゃない。だがあまり気にされるのも困る。何よりも政争の道具にされるなんてまっぴらだ。セルーネさんは気を使ってくれたのだろう、今まで剣については何も言わなかったが、ベルスタイン家としてはいろいろと思うところがあったんじゃないだろうか。私も一層慎重に行動しなくてはならない。
 
「我が家が統治している西の離島群ですが・・・あのあたりの島には、元々人は住んでいませんでした。そこをベルスタイン家の領地と定めたのは二代目の国王陛下ですが、発案者はベルロッド様だと聞いております。そして公爵家の領地となった島々には、初代公爵夫妻に先駆けて移り住んだ人々がいたのです。剣士団長殿のおっしゃるとおり、北大陸にはまだまだ温暖で暮らしやすい土地がいくらでもあった頃のことです。西の離島群も北大陸と同じような気候でしたから、暮らしやすいことは確かでしたが、共に海を渡った同胞達と、どうしてそんなに離れた場所に移り住んだ人達がいたのか。実はその時西の離島に移り住んだ人々は・・・サクリフィアの密偵達だったのです。」
 
「・・・密偵・・・ですか。」
 
「そうです。サクリフィアでは凄まじい魔法が使われておりましたが、その一方で当時『死彩』と呼ばれていたナイト輝石を盛んに掘り出し、武器防具を作り続けていました。そして戦闘訓練をし、『剣に選ばれし者』が戻ってきた時に戦えるよう常に準備をしていたのです。時の王達は密偵を雇い、四方八方に放って情報収集をさせていました。不思議な剣の噂はないか、あるいは剣の使い手となりそうな傑出した英雄の噂はないか。しかし・・・。」
 
 ロランス卿がため息をついた。
 
「しかし、聖戦ですべてが変わってしまいました。美しく壮麗な都は跡形もないほどに焼け落ち、大勢の人々が亡くなりました。巫女姫であったシャンティア様はベルロッド様の妻として共に旅立つことを選び、サクリフィア始まって以来と謳われるほどの力を持つ巫女姫を失ったことで、王家はすっかり弱体化してしまったのです。」
 
 実はベルロッド様こそが『剣の使い手となりそうな』ではなく『剣の使い手となるべき英雄』だったのだが・・・もしもあの時の聖戦があと少し遅かったなら、ベルロッド様の素性がサクリフィアの国王に知られていたかもしれない。そうなったらベルロッド様は秘密裏に捕らえられ、殺されていたかもしれない・・・。そして・・・サクリフィアと言う国の人々は聖戦によって、おそらく誰も生き残らなかっただろう・・・。
 
「密偵達は職を失い、サクリフィアで生きていくことが出来なくなりました。だからベルロッド様と共に『西の彼方』へ船出し、新しい人生を生きようとしたのです。でも・・・彼らは職を失ったあとも職務に忠実でした。共に海を渡った同胞達に自分達の正体を明かすことが出来ず、次第に周囲との間に溝が出来ていき、やがて民同士の揉め事がそこかしこで起きるようになっていったのです。そしてとうとう、彼らの一人がベルロッド様に願い出ました。『これ以上同胞達に隠し事をするのはつらい。ここではない、どこか別の場所に住むことは出来ないか』と。」
 
 
「・・・つまりそれがあの島なのですか・・・?」
 
「そうです。最も最初に人が渡ったのがあの島と言うわけではありません。人々は我が家が領地としている西の離島群のいくつかに住み着き、少しずつ周囲の島に移動していったのです。密偵として今まで生きてきた人々とその家族は、やっと誰にもはばかることなく自分が何者であるかを話せるようになり、生きる気力を取り戻しました。そして今度こそ本当に『新しい生き方』をするために農業や漁業に精を出し、少しずつ人口が増えていったのです。」
 
「なるほど・・・。そういう事情なら、ベルロッド様としても2代目の国王陛下としても、一番信頼できる人物に任せたいと思うでしょうね。」
 
「ええ、2代目の国王陛下は、歳の近い弟をとても頼りにしていました。だからこそ、島に渡った人々の事情を知っていて、彼らに何かあれば助けられるようにと願ってのことだったのでしょうね。」
 
「しかし・・・あの島の始祖が密偵だったとしても、今ではそんな仕事をしているわけではないんですよね。どうしてそれが、レイナック殿が密偵を引き上げることと繋がりがあるんですか。」
 
「確かに、今の彼らは密偵ではありません。みな農業や漁業に勤しみ、島で穫れる作物はいい値で取引されています。気候がよく海も穏やかで人々も親切だ。あの島に渡って老後を過ごしたいと考える人々もたくさんいます。しかし、彼らが今は密偵ではないとしても、つい200年前まではたしかに密偵だった人達があの島にいたのです。情報を調べ上げるプロ達は情報を隠す手段にも長けていたことでしょう。そういった手法が島に伝わっていたとしても、おかしくない・・・剣士団長殿はそう考えられたのではありませんか。」
 
「おっしゃるとおりです。無論じいさんは自分の密偵の腕に自信を持っています。しかし密偵同士の情報戦となると、普段の情報収集とはまるで勝手が違う。場合によってはかなり危ない橋を渡るようなことをしなければならなくなる可能性があります。でもどんなに注意を払っても、常に万一はついてまわります。もしも密偵達が失敗したら、御前会議の筆頭大臣が王国最古の家柄を誇るベルスタイン家の周囲を嗅ぎ回っている事が知れてしまったら、ベルスタイン家を敵に回す事になってしまうかも知れません。そうなったら、最悪国を二分する戦乱に発展しかねませんからね。そこで、ある程度わかったことだけは情報として保管し、何食わぬ顔でベルスタイン家に問合せをしたんでしょう。あとはエリスティ公の周囲に見張りをつけて、クイント書記官本人についても探り出そうと考えたんじゃないでしょうか。こちらにいる分には、どれほど調べようと出身地の領主に迷惑がかかるような事にはなりませんから、何か不穏な動きがあれば察知できるようにと考えたのだと思います。」
 
 そういうことだったのか・・・。クイント書記官の出自について、レイナック殿が『たいしたことがわからなかった』と言っていた時、おかしなこともあるものだと思ったが、そういうことなら納得出来る。出来るが・・・それはつまり、その島の人々、おそらくはユノの父親である村長をはじめとした自治を担う一族が、クイント書記官のことをそれほどまでに隠したいと考えているということだ。今は密偵どころか貴族や王家に仕えているわけでもなんでもない、農業や漁業に従事して穏やかに暮らしている人々が、200年前の密偵の真似事をしてまで、彼についての情報を隠そうとしている。おそらくは信頼しているはずの領主にまで。それはなぜなのか。
 
「皆さんに立ち入ったことをお伺いしますが・・・。」
 
 私はその疑問を、ここにいる人達に向けてぶつけてみた。
 
「・・・情けない話だが、そういうことになる。」
 
 セルーネさんがため息交じりに言った。
 
「その理由は何なのかというのが問題だが・・・。」
 
 ローランド卿も眉間にしわを寄せている。
 
「ところで、島の人々のご先祖が密偵だったということを証明できる記録は、おそらくここにも文献として残っているのでしょうけど、先ほどロランス卿が言われた「密偵が情報を隠す手法」みたいなものは、本当に島にあるんですか?。」
 
「おそらくはな。村長の家はかなり広い。蔵もいくつか建ててあって、そこには古文書なども保管されているらしいからな。」
 
「おそらくはと言うことは、セルーネさんはそういったものを見たことはないんですね。」
 
「少なくとも、私も父もない。そういうものがあったとしても、我が家の者でそれを見たことがあるのは、もしかしたら初代の公爵だけかも知れんな。当時島に渡った人々に、初代公爵は領主として拍手で迎えられたそうだ。しかも彼らが密偵であったことは知っているのだから、隠し立てする必要もない。」
 
 セルーネさんが言いながらため息をついた。領主と領民の関係というものは、それがどんなに良好でも、いや、良好であればあるほど難しいのかもしれない。
 
「なるほど・・・。クイント書記官についてはまだいろいろと謎は残りますが、今のお話を伺って納得できた部分もありましたよ。」
 
「ほお、たとえばどんなことだ?」
 
 セルーネさんが尋ねた。
 
「クイント書記官の情報収集能力の高さです。彼は私達の一人ひとりについて、相当綿密な情報収集を行っていると思っていいでしょう。たとえば私が彼に初めて会ったのはラエルに刺された後のことですが、ラエルを操っていたのはクイント書記官本人です。これは彼がはっきりと私に言いましたよ。もちろん、他の誰にも聞こえない方法でですが。ということは、ラエルを唆して私を襲わせ、見舞いと称して何食わぬ顔で宿屋に現れ、しかも私が絶対に受け取らないような見舞いの品を持ってきたのも、すべてが彼の策略だったということです。あれはおそらく、私と彼の主人を会わせるための作戦でしょう。私は『あのお方』について、いい感情は一つも持っていません。普通に頼んだところで、私が自分から会いに行くことはないと、彼はそこまで私についての情報を掴んでいるのでしょうね。」
 
「・・つまりお前の考えでは、クイントは島に伝わっている可能性のある『密偵が情報を得る、あるいは隠す手法』のようなものを利用しているのではないかということか。」
 
「私はそう思います。スサーナのことにしても、ラエルのことにしてもそうです。彼は私達の周囲の人々についてまでかなりよく知っています。フロリア様の政権運営を磐石たらしめている人達を内側から崩壊させる為に、かなり時間をかけて情報を集めていると思っていいと思いますよ。」
 
「・・・まさかと思うが、島を出てからエリスティ公の書記官として我々の前に現れるまでの間に、そこまで調べたということか?」
 
 セルーネさんが言った。
 
「その可能性はありますね。」
 
 島を出てから『エリスティ公の書記官』としてセルーネさん達の前に現れるまでの2年間、彼が情報収集に明け暮れていた可能性は充分にある。
 
「うーん、しかしセルーネ、その説には疑問が残る。我が家や剣士団長殿はともかく、クロービス殿のことはどう考える?こちらにこられてからまだ一ヶ月ほどだろうし、だいたい祭りにこられるという話も別に以前から決まっていたというわけではないと思うが。」
 
 ローランド卿が言った。確かにそうだ。私が祭りに出かけようと思い立ったのは、あの夢を見てからだ。
 
「だが、クロービスは『剣に選ばれし者』だ。まさか祭りを見に来るとは思っていなかったかもしれんが、調査の対象となっていたとしてもおかしくはないだろう。自分の主人を王位につけるために、必要とあらば利用するつもりで情報を集めていたんじゃないか。その剣は王位を手に入れたい者達にはよだれが出るほどほしいものだからな。」
 
「くれというなら差し上げてもいいんですが、さすがにエリスティ公には渡すわけに行きませんからね・・・。」
 
「そうだなあ。『あれ』じゃなあ。」
 
 セルーネさんが肩をすくめたのを見て、ローランド卿が笑い出した。
 
「『あれ』とはな・・・。だが、私もセルーネの意見に賛成だ。クロービス殿の剣は、あのお方にだけは絶対に渡せないものだ。」
 
「『あれ』としか言いようがないからな。でもまあ、誰かに渡したところでその剣は今クロービスを選んでいる。おそらくはお前が死ぬまで、あるいは新たな剣の使い手となるにふさわしい剣士が現れない限り、それは変わらないだろう。もちろんクイントだってそのことは充分理解しているはずだ。だがクロービス、お前は昔サクリフィアの村長から、サクリフィアの国の成り立ちを聞いたと言っていたな。剣に選ばれずとも、持っていさえすれば人心をひきつけられると思い込んでいるもの達は今でもいるだろう。今の世で言うならそういった輩の代表格が『あのお方』だろうな。そう考えると、やつらが今静かなのが不気味でさえある。」
 
『サクリフィアの成り立ち』
 
 20年前、カインを失って海鳴りの祠に戻った私達は、王宮奪還のために訓練していた仲間と再会した。そしてあの管理棟の一室で、当時の副団長グラディスさんと何人かの先輩達に、サクリフィアの村長から聞いた話を聞かせたのだ。『サクリフィアの民とは、王位の簒奪者だったのだ』沈痛な面持ちで話をしてくれた当時の村長の顔を、私は今でも覚えている。
 
「・・・うーん・・・。ということは、もう何年も前から奴は俺達の周辺をかぎまわっていたということか・・・。」
 
 悔しそうにつぶやいたのはオシニスさんだ。
 
「でも情報を集めていたのは、別にクイント書記官本人ではないと思いますよ。」
 
「・・・やつが手駒を持っているということか?」
 
 セルーネさんの表情が厳しくなった。
 
「可能性はあるんじゃありませんか。これは私のまったくの推測ですが、島を出たあと、クイント書記官が最初からエリスティ公を頼ろうとしていたなら、まず着手したのは、エリスティ公の身辺調査ではないかと思うのです。その人となりを見極めることが出来れば、あとは公に気に入られるような『手土産』を持っていけばいい。フロリア様の治世を支える人達の身辺調査をして情報を集めたのはそのためでしょう。もちろん島を出た当初は自分で調べていたのでしょうけど、エリスティ公だって密偵をお持ちのはずです。公に気に入られて公爵家に入り込むことが出来れば、その密偵を自分の手駒として使うことは可能でしょう。あの人当たりのよさですから、公の密偵はクイント書記官の意のままに動いていると思っていいかもしれませんね。」
 
「なるほどな・・・。レイナック殿や我が家はともかく、オシニスが密偵を持っていないことも掴んでいるだろう。そこで、オシニスについては二重三重にわなをかけるために、複数の王国剣士の情報を手に入れておいたということか・・・。」
 
「こちらにも密偵はいるんですね。」
 
「密偵というわけではないな。どちらかというと護衛だ。ただ、表立って動くわけではないがな。」
 
「俺が隙を作っちまったって事なのかなあ・・・。」
 
 オシニスさんがため息をついた。
 
「そういうわけでもないだろう。たとえばフロリア様にはレイナック殿がついておられる。レイナック殿やフロリア様の周辺に、エリスティ公の密偵を放つわけにはいかんだろうから、おそらく手出し出来なかったのだろう。では我が家はどうかというと、表にも裏にも護衛がいる。情報を集めようにも、あまり派手にやらかすとその護衛に狙われることになるからな。だがお前について言うなら、お前本人に近づく危険を冒さなくても、王国剣士を唆してお前の評判や立場を危うくすることは出来るわけだ。しかも王国剣士の数は多い。街中で仕事をしている剣士達を一ヶ月も調べてみれば、どれほど多くの情報が集まるものかわからないぞ。その中から一番利用できそうな情報をまとめて持っておいたのだとしたら、それはお前一人で防ぎようがないものだ。」
 
「そしてそこに、『いずれ利用するつもりで』調べておいた私達がやってきたという情報が入る、クイント書記官にとっては渡りに船の状況だったでしょうね。」
 
「しかも祭りが始まる頃には国中が浮かれて判断力を失う。多少おかしなことがあっても気が回らなくなる。攻撃には絶好の機会だったというわけだな。」
 
 セルーネさんはやれやれと言うように髪を掻き上げ、またため息をついた。
 
「おそらくはそういうことなんだと思います。一番効果的な攻撃の繰り出し方を、彼は熟知しています。ラエルとチェリルに、自分達の後ろ盾としてセルーネさんがいると思わせたのもその作戦の一つでしょう。それは綿密な情報収集によって得られたデータに基づいて組み立てられていると思います。ただ、不思議だなと思うことはあるんですよ。ラエルの件、スサーナとシェリンの件、いずれもフロリア様やオシニスさんに決定的な打撃を与えるには至っていません。もしあの時さらに他の手を使って攻撃を仕掛けていたら、あるいはもっと騒ぎを大きく出来たかもしれないのに。ところが彼はそうしようとはせず、しかも特殊な方法を使ったとは言え『ネタばらし』までしているのですからね。」
 
(もしかしたら・・・エリスティ公がクイント書記官を殴ったのは、そのあたりのやり方が手ぬるいことに怒ったと言うことだろうか・・・。)
 
 あれ以降、彼の動向は伝わってこない。レイナック殿は彼がエリスティ公について会議に出かける時を連絡すると言っていたが、あのあと何も言ってこないところを見ると、予定が立てられていないのかもしれない。だとしたらそれはなぜだろう・・・。
 
(いずれ食事を、なんて言ってたのも、結局何も進展がないし・・・)
 
 それが『攻撃をあきらめた』わけではないことだけはわかる。しかしここまで静かだと、次にどんな攻撃が繰り出されるのか不安になる。そろそろクリフの手術の日取りも決まるというのに・・・。
 
「今のところは、どんな攻撃がきても慌てないよう、肚を括っておくくらいのことしか出来ないってわけか・・・。」
 
 オシニスさんがつぶやくように言った。
 
「そういうことだな・・・。だがクロービスの聞いた『声』のおかげで、我が家でも改めてクイントについていろいろと調べることが出来た。今回のことは、レイナック殿にも報告したいのだが、お前のほうは問題ないか?」
 
「構いませんよ。それに元々私が知りたかったことも、ある程度は分かったような気がしますしね。」
 
「そうか・・・。そもそもこの話は、お前がクイントの『声』聞いたことから始まっている。実際に聞いたのはお前だけだ。まずはお前が判ったと思うことを聞かせてくれ。」
 
「はい。まずクイント書記官ですが、やはり私は、彼が以前エリスティ公について島を出たという若者の子供であると考えます。彼が母親と2人で島に渡るまでの経緯はどうやら隠されているようですが、もしも村長がクイント親子の素性を知ったら、やはり怒り心頭で怒鳴りつけるくらいのことはしたのではないかと思うのです。亡くなった長老は島の人々に慕われていたということですから、家族にとってはそれ以上大きな存在だったでしょう。村長の怒りに、もしかしたら幼いクイント書記官は怯えたか泣き出したかしたかもしれません。それを見かねてユノがとりなしたのではないかと思うのです。」
 
「なるほど・・・仮定の話とは言え、先生のおっしゃることは理に適っています。確かに村長が父親の死に関わっていたかもしれない人物の家族を前にしたら、怒り心頭だったでしょう。たとえば私がその場にいたとしたら、私も怒ったと思いますよ。」
 
 ロランス卿が沈痛な面持ちで言った。
 
「長老の遺体を囲んで、島の人々は涙に暮れていたということですから・・・。しかもエリスティ公は何一つ島民が納得できる説明もせぬまま、島を出てしまわれた。私は村長からの連絡でそのことを知りました。そして、この件について王家に陳情書を送りたいが、なんとか陳情者に名を連ねてもらえないかと頼まれまして・・・。私としてもそれだけならば、王宮への口ぞえだけで陳情者として名を連ねるのは断っていたかもしれません。ところが・・・その陳情書が届いた同時期に、エリスティ公から、あの島の権利を我が家に戻したいという文書が届いたのです。内容は『島の者達とうまく行かないから、貴家に返す』という、非常に簡単なものでした。私は陳情者として名を連ねることに同意し、エリスティ公からの譲渡書類の件も合わせてレイナック殿に報告しました。その後連絡があり、ぜひ島に行って事の次第を見極め、出来るなら事態の収集に力を尽くしてほしいということになったのです。」
 
 そしてロランス卿は急ぎ島に渡ったのだが、島の中心部にある『神聖な森』は、木が切り倒され、あちこちに穴が掘られ、掘った時の土があちこちに盛られていて、無残な様相を呈していた。村長達はロランス卿を責めはしなかったが、ロランス卿は、島の人々の前に土下座して謝ったのだと言う・・・。
 
「その神聖な森というのは、何か宗教的な意味合いがある場所なんですか?」
 
「いえ、あの島には特に土着の宗教などはありません。その森は大きな木々が立ち並び、なんと言いましょうか、そこに立っているだけで心が洗われ、静かな気持ちになれる、そんな場所なのですが、何より森の中心部には島に真水を供給してくれる泉があるのです。そこで昔島に渡った人々が、その泉を大事にしていくために、泉を取り囲む森を神聖な森として、むやみに立ち入らないようにと決めたそうなのです。」
 
「そうでしたか・・・。そんな場所を掘り起こしたり木を切ったりしたら、島の人々が怒るのも無理はありませんね・・・。」
 
「まったくです・・・。なぜあんなことをしたのか、今に至るまでエリスティ公は一言も理由を説明してくださらないのですからね・・・。」
 
 ロランス卿がため息をついた。島の所有権がベルスタイン家に戻ってからも、ロランス卿は何度かエリスティ公に事の次第を説明してくれるよう連絡をしたらしいのだが、なしのつぶてだったそうだ。
 
「しかしここからがわかりません。ユノのとりなしでクイント親子が島で暮らしていくことになったとしても、彼らの素性を村長達が知っていたならなぜそれをベルスタイン家に隠したのか、たとえば領主が短気な人物で、そのことが知られたらクイント親子の身に危険が迫るとか言う話になりそうなら、隠すというのは理解できますが、とてもそんな話にはなりそうにないはずですからね。」
 
「うーん・・・それにクイントの父親が生きて島に戻ってきたならともかく、妻と息子なら罪に問われるようなこともないはずだしなあ。」
 
 セルーネさんが腕を組んで考え込んだ。
 
「つまり、それ以外に隠さなければならない理由があったということになるのか・・・。じいさんはそのあたりのことは掴んでいるのかな・・・。」
 
 オシニすさんが独り言のように言った。
 
「さてどうだろうなあ。掴んでいるとしてもお前には言わないのかもしれんし。」
 
「そうなんですよね・・・。まったく・・・あのくそじじい、何を考えていやがるんだまったく・・・。」
 
「ふむ・・・今回のことは何とも言えませんが、レイナック殿が剣士団長殿に全ての情報を開示しない理由は、なんとなくわかるような気がしますねぇ・・・。」
 
 ロランス卿の言葉に、オシニスさんがぎょっとして顔を上げた。
 
「心当たりがあるんですか!?」
 
「もちろん推測ではありますが・・・剣士団長殿、レイナック殿があなたに全ての情報を開示しないのは、あなたに早々と命を落としてほしくないから、ということもあるのかもしれませんよ。」
 
 勢い込んで尋ねたオシニスさんは、一瞬ぽかんとしたが・・・拍子抜けしたようにため息をついた。
 
「いやしかし、俺は剣士団長なんですよ。この国に何かあればその盾とならなければならない。命を落としてほしくないなんて、そんな馬鹿な話が・・・!」
 
 言いかけるオシニスさんを、ロランス卿は『まあまあ』とでも言うかのように手で制した。
 
「まあお聞きなさい。おっしゃるとおり、王国剣士団はこの国の盾です。そしてあなたはその長であられる。もしもこの国に何か災いが起きた時、あなた達は結束して国を守らなければならない。しかしその時、剣士団の長たるあなたが真っ先に倒れてしまったら、大変なことになる。他の団員達の士気は著しく下がり、国を守りきれなくなるかもしれない。ああ、もちろんだからと言って団長殿が陰に隠れているというわけには行きません。しかしですよ、あなたはどんなことがあっても、最後まで生き延び、この国を、つまりエルバール王家を守らなければならないのです。今のエルバール王家といえばフロリア様です。例え最後の一人になっても、あなたはフロリア様を守りきらなければならないのですよ。」
 
「・・・それは・・・そうですが・・・。」
 
「レイナック殿にしてみれば、おそらくあなたのご気性をよくお分かりなのでしょう。剣士団長が先陣を切れば団員達の士気は上がるでしょうが、団長の役割はそれだけではないのです。」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんが黙り込んだ。何かとても複雑な気持ちでいるらしいのだけはわかった。
 
「なあオシニス。この間は冗談めかして言ったが、今日は真面目に言うぞ。お前、フロリア様と結婚する気はないのか?」
 
 オシニスさんのカップを持つ手が止まった。
 
「ふん・・・お茶を吹き出さないところを見ると、お前にも心境の変化はあったと言う事なのか?」
 
 オシニスさんは溜息を一つつき、カップをソーサーの上に置いた。
 
「そんな事じゃありませんよ。だいたい何でクイント書記官の話がフロリア様と俺の結婚の話になるんですか。」
 
「言いだしたのはお前だぞ。レイナック殿が情報をなかなか出してくれないと。それがお前の性格を熟知した上でのレイナック殿の心遣いなんだと言う話じゃないか。お前がひとたび戦闘ともなれば先陣を切って飛び出していくような性格じゃなければ、私達ももう少し安心していられるんだがな。なんと言ってもお前はフロリア様の盾なんだ。しっかりとフロリア様に寄り添うためには、結婚して一緒にいるのが一番だ。」
 
「ふむ、こう言う話の流れになるとは思いませんでしたが、いい機会だ、私も言ってしまいましょう、剣士団長殿、実はレイナック殿から、ぜひ剣士団長殿に縁談を勧めてくれぬかと頼まれているのですよ。」
 
「・・・じいさんから・・・?」
 
 オシニスさんは初耳らしい。
 
「レイナック殿はあなたならば安心してフロリア様を任せられると思っておられるのでしょう。いかがでしょう、私からもお願いします。無論今ここで返事をなどと言うつもりはありませんが、今一度お考えいただく事は出来ませんか。」
 
 ロランス卿は穏やかに、諭すような口調で言った。この口調で言われると、反発はしづらいだろうな、そんな事を考えた。
 
「・・・ロランス卿、じいさんは他に何か言ってませんでしたか?」
 
「・・・他に・・・とは・・・。」
 
 ロランス卿が尋ねた。オシニスさんは観念したようにため息をついた。
 
「まさかこちらにまで手を回していたとはね・・・。まったく、何考えてんだあのじじい・・・。」
 
「その言い方は、つまりお前のところにもすでに話は来ているということなんだな。」
 
 セルーネさんが尋ねた。オシニスさんは目だけセルーネさんに向け、うなずいた。
 
「ただし、フロリア様が退位なされてから、その後の人生を共に生きてくれないかという話でしたけどね・・・。」
 
「なるほど・・・。退位してからとはレイナック殿もうまいところをついたな。」
 
 セルーネさんは感心したようにうなずき、ロランス卿に振り向いた。
 
「父上、レイナック殿はそこまでおっしゃっていたのですか?」
 
「いや、そこまではおっしゃっていなかったな。剣士団長殿とフロリア様を娶せるためにはどうしたらいいか考えてくれないかと、そう言うお話だけだったよ。」
 
 レイナック殿だって、本音は今フロリア様とオシニスさんを結婚させたいと思っているのだ。退位してからなんていう話は、オシニスさんに即座に断らせないための方便だと思う。
 
「じいさんの腹づもりとしては、養子を迎えてフロリア様には譲位してもらい、そのあとは結婚してのんびりと過ごせばいいと、まあそう考えているんだと思いますよ。」
 
「オシニスさん、それってつまり、レイナック様はユーリクを養子に入れるつもりで話しているって事じゃないんですか?」
 
 妻が尋ねた。
 
「まあ・・・そうだろうな・・・。」
 
 オシニスさんは少しだけばつが悪そうにセルーネさんをちらりと見、うなずいた。
 
「もちろんそうなんだろうな。レイナック殿はその話を進めるつもりでいるだろう。だが我が家としてはその話は断ろうと思っているんだ。返事を先延ばしにしていたのは私の責任だ。期待させてしまって申し訳ないんだがな。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは黙っているが、特に驚いた様子はない。いずれセルーネさんがそういう決断を下すだろうと、何となくだがわかっていたのかも知れない。
 
「セルーネ、もう決めたのだな?」
 
 ロランス卿がセルーネさんに尋ねたが、セルーネさんは『はい』と、きっぱりと答えた。
 
「そうか・・・。元を辿れば私がケルナー殿に押し切られてしまったおかげで・・・」
 
 ロランス卿は言いかけたが、『違う』というように首を横に振った。
 
「そんな言い方をしてはいけないな。どんな状況であれ、私はケルナー殿の申し出を了承したのだ。あの時はまさかこんなことになるとは思っていなかった。その私の考えが甘かったのだと言わざるを得ない。」
 
「父上のせいではありません。フロリア様のご結婚の話がいつまでも出なければ、例え王室典範の改訂がなかったとしても、いずれそういう話になるだろうとは思っていました。」
 
「義父上、私はフロリア様を敬愛しています。あの方は尊敬すべき素晴らしい君主です。その後を継ぐと言うことはとても光栄なことだとは思いますが・・・私は父親としていやがる我が子を玉座に据えたくはありません。それに、何よりこの家から世継ぎを出すべきではないと思います。」
 
「でも血統としては申し分ないですよね。この家からお世継ぎが出るなら、応援してくれる貴族はたくさんいると思うんだけど・・・。」
 
 妻が尋ねた。
 
「ハーシアー家が断絶してから、ベルロッド様の直系はエルバール王家とこちらの家だけだって、そう聞いたわ・・・。あれは確か・・・セルーネさんが初めてカナに赴任した時じゃなかったかしら。」
 
「それは初耳だな。誰に聞いたんだ?」
 
「長老が話してくれたのよ。今だから言っちゃうけど、そんなすごい家のお姫様がどんな気紛れを起こしたもんだかな、なんて言ってたのよ。もちろん、セルーネさんの戦いぶりを見たあとは、誰も何も言わなくなったけどね。」
 
 妻は喋りながら笑い出し、セルーネさんも大声で笑い出した。
 
「おそらく、公爵家のごり押しでわがままな姫の面倒をみる羽目になった、くらいの事は言われていただろうな。ま、わがままという点では言い訳の余地はないがな。」
 
 セルーネさんは大げさに肩をすくめてみせた。
 
「ウィロー、血統としては申し分ないからこそ、お世継ぎを出すべきではないってことなんじゃないのかな。」
 
「それはつまり・・・お世継ぎの身分ていう問題じゃなくて、こちらのおうちの問題と言う事?」
 
「そういうことだ。クロービスの言うとおりだよ。ハーシアー家が断絶した事で、この国でベルロッド様直系の家が、王家と我が家の二つになってしまった。それがどう言う事か、という話だ。昔から、我が家は何かにつけて王家への対抗勢力として見られてきた。そして・・・『王家にとって代わる』ことも可能な家柄だとも、思われているのさ。言うまでもなく、我が家にはそんな気はさらさら無いんだがな・・・。」
 
「ごめんなさい、セルーネさんの立場も考えないで・・・。」
 
「いや、気にしないでくれ。確かに、我が家から世継ぎが出ると言えば、納得する者は多いだろう。だがその一方で、それをおもしろくないと思う連中もいる。それこそ『あのお方』にとっては死活問題だ。今までのようにブツブツと文句を言うだけなら害はないだろうが、それだけではすまないだろう。」
 
「そうよね・・・。どんな攻撃をしかけてくるか・・・。」
 
「そう、へたをすれば国を二分する戦乱になってしまう。」
 
「でも勝つのはこっちですよ。じいさんだって味方してくれるでしょうし。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「そうかもしれん。しかし内乱に勝者などいない。勝っても負けても大きな傷を負うのは同じだ。そしてそんな血で汚れた玉座に、私は何があっても我が子を就かせたりしないぞ。」
 
 セルーネさんの口調が厳しくなった。
 
「いいかオシニス、お前はうちの息子が世継ぎになってくれれば王家は安泰だと思っているのかも知れんがな、我が家から息子が世継ぎとして王家に養子に入る、これだけだってどんな反発を招くかわからないんだ。王位の継承は、円満に穏やかに行われなければならない。少しでも血が流れれば、その玉座には不吉な影がついて回る。そしてその玉座に座る王に統治されるこの国にも、暗い影が落ちてくるだろう。私達はこの国を滅亡させるわけには行かないんだ。もしもお前の中に、ほんの少しでも『多少の犠牲はやむを得ない』などと言う考えがあるなら即刻捨てろ。自分が守るべきものを血で汚すような事は、何があっても考えるな!」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは黙ってたままぐっと唇を噛み締めた。
 
「セルーネさんの気持ちはわかるわ。だけど・・・レイナック様を説得するのは大変そうね。」
 
「そうだなあ・・・。おそらくはあの手この手で懐柔にかかるだろう。だが答えは変わらん。ユーリクを養子に出せば、我が家がそれだけ強い権力を持つだろうと誰もが考えるだろう。その権力にすり寄る者、気に入らない者、それだけで貴族達の間に派閥が出来てしまうんだ。我が家が王家に取って代わろうとしているなんて噂でも流されてみろ、家名に傷がつく程度ですめばまだマシかも知れん。私はベルスタイン家の当主としてこの家を守る義務がある。家族だけでなく、我が家の事業に従事する人々、家の使用人達、領地の領民達の生活を守るのが私の役目だ。別に家がでかくなる必要はないんだ。もちろん強い権力も必要ない。みんなが幸せに暮らせる事、それが何よりなんだから。200年以上続いてきたベルスタイン家は、王家より一歩後ろを歩いて行くのがちょうどいいんだ。エルバール王家の開祖と我が家の開祖は、なんと言っても親子なんだからな。」
 
『みんなが幸せに暮らせる事』
 
 そのためにセルーネさんは王国剣士の道をあきらめたのだ。ユーリクを王家に養子に出せば、その幸せが崩れてしまうかもしれない・・・。
 
「でもユーリクが王家に養子に入ってしまったら、いくらセルーネさんがそう言っても信じてもらえない可能性もありますね・・・。」
 
「そういうことだ。それが一番困る。」
 
「セルーネさんの考えはわかりますよ。でもそれで、俺にフロリア様と結婚して世継ぎを作れって言うんですか?」
 
「そうだ。お前なら何人でも子供が作れそうだなと言うのは、別にお前をからかう気で言ったんじゃないぞ。お前なら元気そうだから、元気な子供が生まれそうだなと思ったのさ。レイナック殿から話が出ているならちょうどいい。お前にその気があるなら、昔一度話を蹴った事については、私からレイナック殿とフロリア様に取りなしてもいいぞ。」
 
「セルーネ、そう言う事なら、私も一口乗ろうじゃないか。なんと言っても、一度は我が家の養子にしてフロリア様と娶せようとまで考えた人物だ。」
 
「おお、父上がお口添えしてくださるなら心強いですね。」
 
「えー・・・盛り上がっているところすみませんが、俺の気持ちはどうなるんです?」
 
 オシニスさんが心なしか呆れたような顔をしている。でも別に本気で嫌がっているわけではないらしい。オシニスさんはフロリア様の力になりたいと思っている、それは間違いない。そしてその『力になれる』一番の方法はフロリア様に寄り添う事だが、寄り添うのに一番の方法は結婚する事だ。無論国王たるフロリア様の夫になると言う事は、この国の大公、つまりこの国の男としての最高の地位に就こうということだが、今のオシニスさんならそんな事は問題にしないんじゃないだろうか。オシニスさんがあえてその座に座るために肚を括ることをためらう理由、それはおそらく・・・フロリア様とカインの間の事、あの時何があったのか、なぜカインは死んでいったのか、そのことにフロリア様がどのように関わっているのか、引っかかっているのは多分その一点だけなんだと思う。この間の祭り見物以来、フロリア様とオシニスさんの距離はかなり縮まっているのだ。あとは私の昔話・・・。そしてその話をしたあと、フロリア様はオシニスさんと2人で話したいと考えておられる。今度こそ、20年前の事にフロリア様は決着をつけようとお考えなのだ。あとはオシニスさん次第か・・・。私とカインの事を、その原因となったフロリア様の事を、知ったらオシニスさんはどう思うのだろう・・・。
 
「それは自分で考えろ。さてと、随分話し込んでしまったが、クロービス、クイントの事ではお前もウィローも気をつけてくれよ。もちろんオシニスもだ。我が家でも奴の事をもう少し調べられないか考えてみるよ。ウィロー、待たせたな。お前の話が随分と後回しになってしまった。」
 
「別にいいわよ。私がお願いした事だもの。」
 
「ちょっと待ってくださいよ。まだ話は終わってないですよ。」
 
「お前は真面目に今の話を考えてくれ。ただし、私が頼んでいるのは、フロリア様が退位されてからの話ではなく、今の話だ。」
 
「セルーネさん・・・それはつまり、俺に大公になれって言ってるってことですよ。わかってるんですか?」
 
「ああもちろん。百も承知、二百も合点だ。お前が大公になるというなら、いくらでも推挙してやる。」
 
「そしたらユーリクを王家の養子にするのと同じくらい、この家の立場が悪くなるじゃないですか。」
 
「お前なら心配いらん。」
 
「でも俺とセルーネさんは剣士団では長い事一緒にいましたよ。そう言う事を騒ぎ立てる奴らはいるんじゃないですか。」
 
「そりゃいるだろうな。だが例えばユーリクなら、私は母親だ。母親の言いなりになるかもしれないと騒ぎ立てる連中はいるだろう。ではお前はどうだ?いくら私が先輩だからと言って、お前が私に操られるようなタマか?お前なら、どこからも文句は出ないのさ。だから私も安心して推挙出来るというわけだ。」
 
 オシニスさんは万策尽きたとでも言うように首を振り、椅子に深くもたれた。
 
「・・・考えてはおきますよ。でも期待はしないでくださいよ。」
 
「ああ、もちろん期待して待ってるよ。」
 
 オシニスさんが大きなため息をついた。
 
「ではウィロー、お前の方の話をしよう。さっき話そうとしたのに遅くなった分については、オシニスにいくらでも文句を言っていいぞ。」
 
 妻が笑い出した。
 
「私はいいわよ。それに、オシニスさんにとっては一生のことですものね。」
 
「俺の話はもういいよ。君のほうの話をしてくれ。はぁ・・・・。」
 
 オシニスさんは疲れたようにため息をついた。
 
「ま、お前はここからは聞き役だ。ついでに、この話の立会人にもなってもらうぞ。」
 
「わかりました。そういうことなら喜んで引き受けますよ。」
 
「ではここからは私から話そう。団長殿もお聞きください。」
 
 ローランド卿が口を開いた。
 
 
「まずウィロー殿のご希望についてですが・・・」
 
「あのぉ・・・。」
 
 妻が少し遠慮がちに言った。
 
「はい、何か?」
 
「その・・・実は私のことを、殿付けは・・・やめていただけないかなあと・・・。あの、ちょっと落ち着かないので、普通にさんづけで・・・いいんですけど・・・。」
 
「ローランド卿、私からもお願いします。ローランド卿が私達に礼を尽くしてくださるそのお気持ちはよくわかりますが、実は私も落ち着かなくて・・・。私達は一般庶民ですからね。普通に呼んでいただいていいんですよ。」
 
「・・・な、なるほど・・・。では・・・ウィロー殿、あ、いや、ウィローさんと、ではクロービス殿は他の方に倣って先生と呼ばせていただきましょうか・・・。それでよろしいでしょうか・・・。」
 
「ローランド卿の呼びやすいようにで構わないのですが、そのほうが慣れていますのでそれでお願いします。ウィロー、どう?」
 
「もちろん私もそれでお願いします。ローランド卿、私は子供のころからセルーネさんとは知り合いだし、クロービスも剣士団でお世話になって、私達としてはセルーネさんのことは大事な友人だと思っているんです。そのセルーネさんのだんな様ですもの、もう少し気軽にお付き合いしたいと思います。あまりお気を使わないでくださいね。」
 
 妻の言葉を聞いて、ローランド卿が笑顔になった。
 
(吹っ切れたみたいだな・・・。)
 
 ローランでドーソンさんからセルーネさんとローランド卿の話を聞いたときには、セルーネさんがローランド卿を通してトーマス卿に操られたりしないか、妻はそれを心配していたのだが、城下町に来て本人と会い、今まで交流を重ねたことでローランド卿の人となりがわかったのだと思う。この人は本当にいい人だ。
 
「だから言ったろう?あなたが余り丁寧に接していると、2人とも会うたびに尻の辺りがむずむずしてるんじゃないかってな。」
 
 セルーネさんがおかしそうに笑った。
 
「お尻はむずむずしないけど、背中はむずむずしてたわよ。でもローランド卿が気を使ってくださっているのに、そんなことを言っていいものかどうかと思うとなかなか言えなくて・・・。」
 
 ローランド卿から『殿付け』されることを、実は私もずっと気になっていたのだが、言い出しにくくてそのままになっていた。今ここで妻が言ってくれて助かった。医師会のドゥルーガー会長に呼ばれる時も落ち着かないのは一緒なのだが、会長の立場を考えれば仕方ないと思って気にしないことにしている。
 
「では・・・改めて、ウィロー・・・さん、先日の話を父にしたのですが・・・。父からは、ぜひお会いしたいと言う返事でした。」
 
「あら、ありがとうございます。よかった。断られても仕方ないかなと思ってましたから。」
 
「・・・正直に申し上げますと、先日このお話をいただいた時、私のほうがそう思っていたのですよ。もちろんこちらから偉そうに断ると言うわけには行きませんが・・・もうそっとしておいてほしい、そう思っていたので、父にこの話をした時もてっきり不快な顔をされるかと思ったのですが・・・。」
 
 
 
『こちらに来られているのか・・・。私のほうから会いたいなどと言えた義理ではないが、あちらからそういう話があったのであれば、喜んでお会いしよう。』
 
『・・・父上、よろしいのですか?』
 
『こちらがいいか悪いかなど言える立場ではあるまい。時間的な都合と言うことなら、そうだな・・・。ベルスタイン家の夕食に招待されたあとで我が家の粗餐にお招きすると言うわけにも行かぬから、昼食ではどうだ?』
 
『はい・・・父上がよろしいのでしたら・・・。』
 
『お前は納得しておらぬようだな。』
 
『・・・・・・・・。』
 
『あの時・・・私は焦っていた。クロービス殿とフロリア様の縁談が進められ、ウィロー殿を息子の嫁にして『デール卿の後継者』を名乗ろうと考える貴族達は数え切れぬほどいただろう。何よりあの器量だからな。どの家の息子も大乗り気だったと聞いた。我が家は貴族ではない。家柄と言えるほどのものはないが、デール卿とてそれは同じ。ならば分かり合えるのではないか、そう考えたが・・・。』
 
 
 
「ところが肝心の私がさっぱり乗り気にならなかったので、とにかく既成事実を作ってしまえばと、あの時の自分は周りのことなど何も考えていなかったと・・・。それで、せっかくの機会だからぜひ会って話がしたいとのことでした。ご都合のいい日の昼食にご招待したいと考えているのですが、いつがいいでしょうか。」
 
「ウィロー、君が決めていいよ。」
 
「あらそう?それじゃ明日は?ゆっくり食事に出られる日なんてあと何日あるか分からないわ。クリフの手術日が決まったらそちらにかかりきりになるでしょうし。せっかく予定していただいたのにこちらの都合でだめになったのでは申し訳ないしね。」
 
「そうだね。それじゃローランド卿、急で申し訳ないのですが、明日でお願いできませんか?」
 
「わかりました。では明日のお昼に、王宮にお迎えに上がります。」
 
 
 
 
「はぁ・・・まいったなあ。何であんな話になったもんだか・・・。」
 
 オシニスさんと妻と私は、貴族達の屋敷が立ち並ぶ通りを歩いていた。帰りも馬車で送るとセルーネさんは言ってくれたが、帰りは歩いて行くからと3人でベルスタイン家を出てきたのだ。歩きながら、オシニスさんはため息ばかりついている。
 
「おそらくセルーネさんは最初からあの話をするつもりでいたんだと思いますよ。」
 
「そうだろうな・・・。ま、お互い様ってところか・・・。」
 
「・・・さっきの話は、最初からセルーネさんとロランス卿に聞くつもりだったんですね。」
 
 さっきの話とは、ベルスタイン家の領地に最初に住んだ人々が、サクリフィアで密偵をしていた人達とその家族だったという話だ。
 
「ああ・・・。正直なところ、あの話の真偽を確かめるのにどうするか考えていたんだが、お前があの『声』の話を出してくれたから、渡りに船だったというわけさ。・・・お前を利用したみたいになっちまった・・・。悪かったな・・・。」
 
「構いませんよ。いろいろとわかった事があって良かったじゃないですか。」
 
「まあそうだがな・・・。」
 
 そのまましばらくの間、黙って歩き続けた。が・・・。
 
「なあクロービス。明日もクリフの診療があるだろうが、夜はどうだ?何か用事があるか?」
 
「いえ、特にありませんが・・・。」
 
「それじゃ、この間の話の続きを聞かせてくれよ。」
 
 やっとオシニスさんは前向きになってくれたらしい。
 
「構いませんよ。長話になるかも知れませんから、夕食を食べたあとに伺いましょうか。夕食はフロリア様とご一緒なんですよね。」
 
「そうだな。毎日賑やかだぞ。フロリア様は本当に楽しそうだ。」
 
「それは何よりです。それでは明日の夕方、あまり遅くならないうちに伺いますよ。ウィローも一緒でいいですか?」
 
「ああ、ウィローからも話を聞かせてほしいからな。」
 
 
 ちょうどその時、王宮への道へ続く曲がり角に出た。私達はこのまままっすぐだが、オシニスさんはここで北に曲がらなければならない。
 
「それでは明日。お休みなさい。」
 
「ああ、お休み。人波に巻き込まれて広場あたりに連れて行かれないようにな。」
 
「ははは、気をつけますよ。」
 
 
 オシニスさんと別れて、宿への道を歩き出した。人波は相変わらずだが、毎日そんなところを歩いているとそれなりに流れに逆らわず、自分の行きたい方向に歩いて行けるようになるものだ。宿に着いた時にはフロアはもう大騒ぎで、延々とビールで乾杯を繰り返す団体や、仮装姿で踊り出す男など、中も外も祭り一色だ。あともう少しで終わるなんて、全然思えない。
 
 
「すごいなあ。みんな祭りを楽しんでいるんだなあ。」
 
 部屋に戻って、ホッと一息ついた。今頃はオシニスさんもやれやれと鎧を外して、ベッドに寝転がっている頃だろう。
 
「楽しみがあるのはいい事だわ。クリフの事が一段落したら、またお祭りに出掛けたいわねぇ。」
 
「そうだね。手術が成功して、のんびり出来るくらいだといいんだけどな。・・・けどな、なんて他人事みたいに言ってる場合じゃないな。私次第なんだよな・・・。」
 
「全力を尽くしましょうね。」
 
「そうだね。」
 
 妻は微笑んで、部屋に置かれてあるお茶を淹れてくれた。
 
「お湯が熱いわ。私達が帰るころを見計らって熱いお湯を入れておいてくれたのね。」
 
「ミーファの気配りはさすがだね。」
 
「ええ、さすがプロだわ。」
 
 2人で椅子に座り、お茶を飲んだ。体の内側から温まり、思わず笑顔になる。
 
「明日はカルディナ家か・・・。なんだか忙しいな。」
 
「そうねぇ。でも、もう少ししたらもっと忙しくなるわよ。」
 
「それもそうか。それじゃ明日のお昼はのんびり食事をご馳走になれるといいな・・・。」
 
「さっきのローランド卿の話を聞く限り、きっと穏やかに食事が出来るわよ。」
 
「乗り気になってくれたのはありがたいな。いやだけど会うなんて言われたら、こっちも行くだけで緊張するからね。」
 
「そうよね。うれしかったわ。」
 
「思ったよりは元気ってことだといいけど、どうなんだろうな。君が『何か出来ることはありませんか』って、聞くまでもないくらいだといいけど・・・さすがにそれは無理か。」
 
「そのくらいなら嬉しいわね。そしたら、トーマス卿にお礼を言いたいわ。」
 
「お礼って・・・なんの?」
 
「あの時ね、トーマス卿は父さんのことをいろいろ話してくれたの。そのことに対しては感謝しているのよ。例えそれが私を手なずけるための策だったとしてもね。」
 
「そうか・・・。」
 
「帰るときにお礼をきちんと言って帰ろうと思っていたのに、あんな騒ぎになってしまってそのままだったでしょ?あの時は腹が立ってたからそんなに気にならなかったんだけど、今はもう気にしていないし、こっちに出てきてからいろいろと考えたのよ・・・。」
 
 妻はお茶をもう一口飲んで『おいしいわねぇ』と笑顔になった。
 
「それで私も決着をつけるわ。ローランド卿に対してもわだかまりを引きずったままなのはいやだしね。」
 
「そうだね。いい人だもんね。」
 
「そうよねぇ・・・。さっきも正直にご自分の気持ちを言ってくれて、うれしかったわ。取り繕ったきれいなことだけ言われたら、私はローランド卿と言う人を信用出来なくなったかも知れない。」
 
「腹を割って話すってことは大事だね。」
 
「そうよねぇ・・・。オシニスさんにもフロリア様と腹を割って話してほしいわ。」
 
「そのためにも明日の夜はきちんと話をしないとね。せっかく前向きになってくれたみたいだし。」
 
「ムーンシェイの・・・ことを話すのよね。」
 
「うん・・・。船に乗ってからはまったく何事もなかったから、話すことがないし。」
 
 妻は大きく深呼吸した。
 
「あの時のことを乗り越えなければならないのは、私も同じよ。明日はどんなにつらくても、きちんと話したい。」
 
「うん・・・。」
 
 
 私にきちんと話せるのだろうか。まだ不安がないわけじゃない。でも話さなければならない。ここで立ち止まってはいけないのだ。これから先の人生を、胸をはって生きていくためにも・・・。

第91章へ続く

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