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 私は喫茶室で飲んだお茶から、クイント書記官の故郷の話になったこと、思いがけずユノの名前が出たことで、彼がユノとかなり親しかったらしいと確信が持てたことを話した。そして・・・別れ際に聞こえた『声』のことも。
 
 
「・・・お前の頭の中に、聞こえた話、と言うわけか・・・。」
 
 セルーネさんの声が沈んでいた。ローランド卿も難しい顔で考え込んでいる。
 
「そうです。もちろんそれがユノの声だと断言できるわけではありません。彼の記憶の中に残る声ということなら、あるいは母親や、別な親しい女性と言うことも考えられなくはないのですが・・・。」
 
「・・・だが、その直前まで話していたのがユノのことだとすれば、やはりその声はユノのものではないかと考えるのが妥当だろうな。」
 
「そうですね。私もあれはユノの声だと思います。ユノが父親に向かって誰か、小さな子供についての処分を考え直してくれるように頼んでいた、そんな出来事があったのではないかと考えたのです。」
 
「うーん・・・。」
 
 セルーネさんは腕を組みなおし、眉間にしわを寄せて唸った。
 
「そうだなあ・・・。あの男が島で経験したこととなると、なるほどお前が私達を引き止めたかった理由はわかった。島での出来事について、何かしらそういった記録が残ってないかということだな?」
 
「はい。あの声がユノの声だとすれば、ユノが言っている『子供』と言うのはクイント書記官本人ではないかと考えたんですよ。彼は『島を出るまでかわいがってもらった』と言っていました。それもとても懐かしそうに。しかもその話はクイント書記官から持ち出した話題です。ということは、彼にとってはその出来事が、ユノとの交流の中で一番印象に残っている出来事だったのではないかと思うんです。」
 
「しかし、あの島をまとめているのは、以前不審な死を遂げた長老の一族だ。長老の息子、つまりユノの父親だが、彼は穏やかな人物で、何があっても子供に危害を加えるような決断をするとは考えにくいんだがな・・・。」
 
「つまりクイント書記官が絡んでいるかどうかはともかく、セルーネさんの頭の中にぱっと思いつくほど印象的な出来事は思い当たらないと言うことなんですね。」
 
「そうだなあ・・・。あの島で起きた印象的な出来事と言うなら、昔『あのお方』に所有権が移転されたことがあるということと、その時期に長老が不審な死を遂げたこと、それから・・・。」
 
 セルーネさんはため息をひとつついて言葉を続けた。
 
「姉夫婦が亡くなったのもあの島だ・・・。」
 
「・・・!?そうだったんですか!?」
 
「ああ・・・。姉夫婦は視察と言う名目で行ったことは確かだが、実際には静養だった。子供がなかなか出来なくて、それで父も家督相続の手続が出来ずにいたんだ。あの島なら食べ物もうまいし、気候もあのあたりの島の中で一番穏やかだ。島の人達ともうまく行っていたからな。環境を変えて、のんびりしてくれば子宝も授かるだろうという父の提案だったんだが・・・。」
 
 セルーネさんはため息をひとつついて、顔を上げた。
 
「ま、昔の話だ。過ぎたことをあれこれ考えても始まらん。しかし・・・長老が亡くなった時のことについてはもう随分と昔の話だ。姉夫婦が亡くなった時にはおそらくクイント書記官は島にいたはずだが、その時にすでにユノは亡くなっていたわけだから・・・うーん・・・やはり私の頭の中にすぐに思い浮かぶ出来事の中には、クイントと繋がりそうな出来事は見当たらんな・・・。」
 
「セルーネ、義父上に聞いてみたらどうだ?答えてはくれぬだろうか。」
 
「父にか・・・。そうだな・・・。あの書記官が小さなころのことと言うと、父ならばよく知っているかもしれない。私も昔の記録は全て引き継いだが、実際にその時に聞いた話と、あとから聞くのでは印象もかなり変わる。クロービス、その件については私が父に聞いてみよう。」
 
「出来るならお願いします。確証はないのですが、私達はクイント書記官と言う人物をもっとよく知る必要がある気がするんです。」
 
「そうだな・・・。俺としてもまんまと部下を操られて、悔しい思いがある。だが奇妙なのは、奴がラエルやスサーナ達を操って、結局何がしたかったのか、そこがどうしてもわからんことだ。お前と話をしたかったなんて、そんな子供みたいな理由だけで本当にあそこまでのことをしでかしたのか・・・。そしてもしもそれが本当の理由なら、何で奴がお前にこだわるのか、そこは知りたいと思う。少なくとも奴の主人のために動いていると言うだけでは、説明がつかないような気がするんだよな。」
 
 オシニスさんがため息をついた。
 
「以前レイナック殿もおっしゃってました。私の剣について彼が主人のために利用しようとしているのではないかと。でも私もオシニスさんと同じ意見で、どうしてもそれだけではないような気がするんです。」
 
「・・・奴がお前と同じような力を持っているらしいというのはレイナック殿から聞いたが・・・。それも妙な話だ。あの島の者でそんな力を持っている者は他に誰もいない。長老の一族が島の自治を担っているのだって、別にあの一族に不思議な力があるからというわけではなく、彼らが島民みんなに信頼されているからだ。まあ隠している可能性もなくはないが・・・。」
 
 セルーネさんの口調は、『でもそんなことではないと信じたい』と言いたげだ。無理もない。あの島はずっと昔からベルスタイン公爵家の領地だった。長い付き合いだと言うのに、お互いの間に隠し事があったかもしれないなんて思いたくないに違いない。とは言え、この力は持っているかどうかなんて傍目にはまったくわからない。
 
「黙っていれば隠しとおせないことはないですからね。」
 
「だが向かい合って話をしていれば、妙に勘が働くようだとか、いろいろと不思議に思えることはあるだろう。私もあの島では島民達と言葉を交わすが、そんなことが気になったことは一度もないんだ。」
 
「ねえセルーネさん。」
 
 ずっと黙って考え込んでいた妻が口を開いた。
 
「ん?」
 
「私前から気になっていたんだけど・・・、あのクイント書記官て言うのは、元々その島にいた人なの?」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 セルーネさんが虚を突かれたように一瞬言葉に詰まった。
 
「あの人についてははっきりとしたことがわからないって、前にレイナック様がおっしゃってたそうなんだけど・・・住民登録みたいな制度があれば、ある程度のことがわかるんじゃないかと思うのよね・・・。」
 
 言われてみればそうだ・・・。どこに誰が住んでいて、その家族は何人で名前はこういう名前で、そのくらいの情報については、故郷の島でも長老が管理していた。そして今ではグレイが管理している。島を統治する領主である公爵家なら、もう少し詳しく把握できているはずだと思うのだが・・・。
 
「そういう制度はあるぞ。城下町で言うところの行政局的な役割も、長老の一族が担っている。我が家ではその情報を年に何度か書類で渡してもらうことになっているから、家に帰れば探すことは出来るだろう。ただ、たとえばその記録に基づいて特定の島民について情報提供を頼むと言うのは、難しいかも知れんなあ。もちろん犯罪者だとでも言うなら話は別だがな。領主と言っても、我が家の領地は伝統的に地元が自治を行っているところがほとんどなんだ。信頼して任せている以上、必要以上に領主が口を出すことは出来ないんだよな・・・。」
 
「なるほどね・・・。なかなか難しいのね・・・。でも、そこを調べられたら、もう少し彼の目的がわかりそうな気がするのよね・・・。さっきセルーネさんが言ったように、クロービスと同じ力を持っているのが島の中でクイント書記官だけだとしたら、彼は元々島の出身ではないのかもしれないって、思ったの。」
 
「・・・確かにうちの領地は気候が穏やかで食べ物もうまいから、城下町から移住していく人達もいるんだ。あの島も例外じゃない。まあ今のところ目立つのは年配の夫婦だがな。老後を風光明媚な島でのんびり過ごしたいと、そういえば先月も何人か人が増えたと報告をもらったばかりだ。」
 
「しかしレイナック殿の調査でもはっきりとしたことがわからないとは・・・どういうことなんだろうな。」
 
 ローランド卿が首をかしげた。
 
「そうだな・・・。レイナック殿の密偵は優秀だ。それでもはっきりと掴めなかったということか・・・。それもおかしな話だな・・・。もちろん我が家に問合せなどはせんだろうが、島に渡ってそれとなく聞き出すだけで手に入る情報はそれなりにあると思うんだが・・・。」
 
「何だかおかしな話よね・・・。誰かが意図的に情報を隠しているような気がするけど・・・。」
 
「うーん、確かにそうとしか思えないが・・・では誰が何のためにあの男の情報を隠すかだな・・・。奴は長老の一族ではない、これは確かだ。となると・・・。」
 
 言いかけたセルーネさんが、突然ハッとしたように顔をあげた。
 
「もしかして・・・」
 
「・・・セルーネ、何か思い出したのか?」
 
「いや・・・そう言えば・・・昔長老が亡くなった時、エリスティ公の案内役を務めた島の者が、公と一緒に島を出たんだ・・・。そしてそれきり行方不明になっている・・・。」
 
「うーん・・・。それは俺もじいさんから聞きましたが・・・。その男はクイント書記官とは全然年が違うし・・・いや、まてよ・・・。」
 
 オシニスさんが途中で言葉を切り、考え込んだ。
 
「そうか・・・。その男本人ではなくてもその息子という話も・・・。」
 
「しかしその男は島を出る時はまだ若者だったと聞いているぞ。女房はいなかったらしい。それにそもそも、そいつが島を出る時点で子供がいたなら、もういい歳になっているだろう。クイントはまだ30歳そこそこらしいからな。・・・はぁ・・・もしも繋がりがあるとすればその案内役の男くらいだろうが・・・。やはり、一度父に聞いてみよう。ここで私達だけで推測を重ねても混乱するだけだ・・・。」
 
 セルーネさんが頭に手を当てながら、ため息をついた。
 
「だが、もしもその男とクイント書記官の間に繋がりがあるとなると、先ほどクロービス殿が聞いたという声について、なぜ彼がそのことをその時に思い出していたのか、なんとなくわかる気がするな。あくまでも仮定の話だが。」
 
「・・・どういうことだ?」
 
 セルーネさんがローランド卿に尋ねた。
 
「ローランド卿、ぜひ聞かせてください。仮定の話だとしても、そこに真実が含まれていないとは限りませんから。」
 
「わかりました。クイント書記官は『あのお方』のいわば参謀です。私達にとっては敵と言っても過言ではない立場にいる。実際彼は王国剣士の何人かを言葉巧みに唆して操り、私達とフロリア様、それに剣士団長殿の繋がりを分断しようとした。そしてクロービス殿に大変な怪我を負わせてもいる。彼もまた私達、そしてクロービス殿を敵視しているのはあきらかではないかと思うのです。」
 
 『敵視』か・・・。あの書記官が私に対してみせる異様な執着心は、敵がい心とはまた違ったものではないかと思えるが、確かにラエルを唆して私に刃を向けさせたのは、クイント書記官に他ならない。図書室で『話した』時、彼はそんなつもりではなかったと言っていたが、それがどこまで真実なものか。この力で聞いた言葉に嘘があれば確かにわかるはずだが、彼はこの力について、おそらくは私よりよく知っている。もしかしたら私が騙されている可能性だってなくはないのだ。
 
「ところが、今朝クロービス殿はクイント書記官の顔の傷を治されたでしょう?そしてお茶に誘って和やかに世間話をし、別れ際に何かあったら遠慮なく訪ねてくれと念を押してますね。そんなあなたを見て、クイント書記官は遠い昔のことを思い出したのではないでしょうか。クイント書記官は父親のことで幼いころに厳しい立場に立たされたことがあり、それをユノ殿がかばってくれた。その時のユノ殿の行動と、あなたの行動が重なって見えたのかもしれませんよ。」
 
「なるほどな・・・。確かにその可能性はあるな。」
 
 セルーネさんがうなずいた。
 
「よし、父に確認してみよう。出来るだけ早く返事が出来るようにするよ。ローランド、カルディナ家のほうはあなたに任せる。そちらも出来るだけ早く返事をもらえるようにしてくれないか。」
 
「・・・わかった。今日の内に訪ねてみよう。」
 
 ローランド卿はどうやら気が進まないらしい。気持ちはわかるがここは話だけでも通してもらおう。無茶を頼んでいる訳じゃないし、トーマス卿が嫌だと言えばそれまでの話だ。こちらが遠慮することはない。
 
「ではそろそろ失礼するぞ。今日はいろいろ話が聞けて良かったよ。」
 
「お時間を取らせてすみませんでした。よろしくお願いします。」
 
 
 
 セルーネさん達が部屋を出て行き、足音も遠ざかった頃・・・。
 
「クロービス、どう思う?」
 
 難しい顔でオシニスさんが私に尋ねた。
 
「どうとは・・・。」
 
「お前から見て、セルーネさんは嘘をついていなかったと思うか?」
 
「オシニスさん・・・!?」
 
 妻が驚いてオシニスさんに振り向いた。
 
「嘘はついてなかったと思いますよ。本当に知らないようでしたから、あの島での出来事で詳しい事情をご存じなのは、先代の公爵閣下だけなんでしょうね。」
 
 セルーネさんには私と同じ力はない。ローランド卿にも。
 
「オシニスさん・・・まさかセルーネさん達が裏切っているかもしれないってことなんですか・・・?」
 
 妻が呆然とした顔で言った。
 
「そういうわけじゃないよ。フロリア様に対して、ベルスタイン家は忠誠を誓っている。だからフロリア様の治世を助けるという点において、俺達はいわば同志だ。だが、セルーネさんは今では公爵家の当主として、家を守る義務がある。だからたとえ俺達に対してでも、本当のことを言えないことだってあるかもしれないんだ。それは仕方ない。仕方ないが俺の立場としたら、嘘をつかれたままでいるわけにも行かないのさ。」
 
「そうですか・・・。」
 
 妻にとってセルーネさんは、オシニスさんや私よりはるかに以前から交流がある友人だ。そんな親しい人まで疑いたくはないのだと思うが、昔とはお互いの立場がまるで違う。
 
「お互い立場が変わっちまったからなあ・・・ゲンコツを振り上げて追い掛け回されていた頃が懐かしいよ。」
 
「ははは、あのゲンコツは痛かったけど、余計なことを考えなくてよかったあの頃のほうが楽しかったですね。」
 
「まったくだ。だが、そう思っているのはセルーネさんも同じかもしれないな。」
 
「一番立場が変わってしまったのはセルーネさんかもしれませんからね。」
 
「そうだな・・・。今頃ため息でもついているかも知れん。それに、どうやら今回のことでは、セルーネさんも知らないことがあるらしい。・・・先代の公爵が、家督相続をする娘にも言えなかった出来事が、何かあるってことなのかな・・・。」
 
「先代の公爵が意図して話さなかったのか、それとも本当に気にかかるような出来事がなかったのか、今の時点で判断できる材料はありませんが、もしも前者だった場合、セルーネさんがうまく先代から話を聞けたとしても、そのまま私達に教えてくれるかどうかはなんとも言えませんね・・・。」
 
「推測を重ねても意味はないが、もしもクイント書記官が本当に島の裏切り者とも言うべき男と繋がりがあるとしたら、その男は実は島にとどまっていたってことなのか・・・。」
 
「でも島を出て行ったことは確かなようですし、あとで戻ってきたと言うことかも知れませんね。」
 
「セルーネさんが引き継いだ資料というものがどんなものかわかればもう少し調べられるが・・・さすがに公爵家の領地運営に関する書類なんて、おいそれと見せてくれとは言えないものだからなあ・・・。」
 
「そうですね・・・。そんなことになればセルーネさんだって悩むでしょうし・・・。」
 
「そんなことにはなってほしくないもんだが、あとはあの2人を信じて情報を待つ以外になさそうだな・・・。ところでクロービス、さっきクイント書記官と会った時の話だが、怪我はともかく、お茶までおごったりして、何でまたわざわざ貸しを作るようなことをしたんだ?」
 
「貸しを作る気があったわけではないですが、今朝のことを口実に『あのお方』が何か言ってくる可能性はあるなと思ったのは確かですよ。」
 
「ふん、『あのお方』のことだ、自分でぶん殴ったことなんて棚に上げて、うちの書記官が世話になったとかなんとか、理由をつけてお前を食事にでも誘おうとする可能性はありそうだな」
 
「そうですね。まあそうなったら好都合ですよ。会って話をすれば、『あのお方』の肚の中の黒さがどの程度かくらいはわかるかもしれませんしね。」
 
 オシニスさんが笑い出した。
 
「見なくてもわかるくらいだがな。今朝のことがなかったとしても、確かお前が刺された時に、見舞いの品を断る代わりに食事につきあえとか約束させられたそうじゃないか。いずれ何かしら言ってくるだろうが、無茶はするなよ。」
 
「はい、大丈夫ですよ。」
 
「あとリーザの件だが・・・。」
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされ、オシニスさんの言葉が途切れた。この声はハディか?
 
「開いてるぞ。入れよ。」
 
 オシニスさんの声に応えて入ってきたのは、やはりハディだった。
 
「お、クロービスもいたのか。ちょうどよかった。オシニスさん、リーザのことは話してくれましたか?」
 
「いや、今ちょうど話そうとしていたところなんだ。ちょっと別な話が思いの外ややこしくてな、今までかかっちまったと言うわけだ。」
 
「さっきセルーネさんに会いましたよ。団長なら部屋にいると教えてくれたんですが、何だか難しい顔してましたね。」
 
「まあそうだろうな。頭の痛い問題ばかりだ。ところで、リーザの話ならお前も一緒に聞くか?」
 
「ええ、そのつもりで来たんですけど、クロービス、ウィロー、俺も一緒にここにいていいかな。」
 
「もちろん。リーザの相談相手は君だろうと思ってたしね。」
 
「一緒に話を聞いてくれると嬉しいわ。」
 
 4人で改めて椅子に座り、オシニスさんが『また実験台が増えたな』と嬉しそうにお茶を淹れてハディに持ってきてくれた。
 
「しかしオシニスさんがお茶を淹れる姿を見ることになるとは思いませんでしたよ。」
 
 ハディが笑いながらお茶を口に運び『うん、うまい』と言った。
 
「ははは、ま、自分で練習しておかないと、老後にうまいお茶が飲めなくなるからな。さてと、のどが湿ったところで話を始めるか。まずは俺がリーザから聞いた話を話すからみんな聞いてくれ。」
 
 オシニスさんが、リーザとの会話の内容を交えながら話してくれたところによると、リーザはやっとイノージェンと会うことについて決心がついたらしい。だが、まだ何かしら迷いがあるように見えたそうだ。
 
「でまあ、その迷いについて、俺はなんとなく推測がついたんだが、俺の推測だけでクロービス達に話すのも気が引けていたわけなんだが・・・ハディ、お前はリーザから直接聞いているよな?」
 
「はい。それで実際にリーザがその腹違いのお姉さんと会う前に、クロービス達に根回しをしておいたほうがいいんじゃないかって俺が言ったんですけどね・・・。さすがに自分の口からは言いにくいみたいだったんで、俺がそれとなく話をしておこうかなと。それから、リーザがその人と会う時には、俺も同席させてもらえるとありがたいんだが、クロービス、どうかな。」
 
「聞いてみるよ。まだ会ったことはないんだよね。」
 
「ああ、まだだな。俺はいつも訓練場にいるからなあ。その人は医師会で手伝いしているんだろう?今のところ接点がないからな。噂じゃイルサそっくりのかなりの美人だそうだが。」
 
「会えば絶対仲良くなれると思うよ。それで、リーザが気にしていることって言うのは何なの?」
 
「それがな・・・。」
 
 
 
 
「ま・・・まさか!?」
 
 声を上げたのは妻だった。私も驚いた。まさか・・・。
 
「だが、リーザの気持ちを考えると、考えがそういう方向に行っちまうのも仕方ないことかもしれないと思う。もちろんそれが当たってるかは別の問題だ。決めつけているわけじゃないから、そこは誤解しないでくれ。」
 
「いや、それにしても・・・イノージェンのお母さんは島に渡ってから、一度も島を出ていないんだよ。」
 
「それは聞いた。でもな、それが真実かどうかも、ずっと城下町にいたリーザには調べる手立てがないんだ。お前にとっちゃ世話になった母親みたいな人だっていうのも聞いてる。だからお前がこんな話を聞いたら全力で否定するのもわかっているが、リーザにとってはまったく見も知らない相手なんだ。その点は察してやってくれよ。」
 
「それはそうなんだけど・・・。」
 
 リーザが気にしていること・・・。なんとそれは、リーザの父親が、結婚後もイノージェンの母さんと恋人の関係にあったのではないかというものだったのだ。
 
「その腹違いの姉さんの話を最初に聞いた時、リーザはもしかしたら父親が結婚後に外で作った子供かと疑ったそうだ。だが年齢を聞けばどうやらそうじゃないと、それについては納得できた。だが、彼女が島に渡った後、父親がずっと手紙を書いたり金を送ったりしているというのを知ってからは、実は結婚後も通じていて、それで金のやり取りがあったんじゃないかと、どうしてもその疑念が拭い去れないと言って、ため息をついていたよ。弟と妹も疑っているそうだ。父親がそれでひと目会いたいなんて言ってるとしたら、とんでもない話だってな。」
 
 そういうことか・・・。だからリーザはイノージェンに会うべきかどうか悩んでいたのだ。
 
「せっかく団長やお前達が立ち会ってくれて会ったとしても、そのことでよけいなことを言っちまうかもしれないとか言っていたな。まあこんなに早く会えるとは思わなかったから、つまりは心の準備が出来ていないってことなんだろうけどなあ。」
 
「でも会う気にはなったんだよね。」
 
「ああ。先延ばしには出来ないからな。それに、病気で父親が会いたいと言っているって言うのは、ガーランド家から連絡したことだ。それじゃってことで相手がせっかくこっちに出てきたのに、今度は会うのがいやだ、では筋が通らないだろう?」
 
「なるほど、やっぱりそういうことか・・・。今朝話を聞いた時、会いますと言っていたわりになんとなく決心がつかないでいるような顔をしていたからなあ。」
 
「・・・そんな不安があったのでは、確かに迷うでしょうね。」
 
 だからあんなに『会わない理由』を探すようなことばかり言っていたのか・・・。
 
「夕べ言ってたんですよ。明日はオシニスさんに会うって言ってみるって。でもため息ばっかりついてたから、どうにも気になって・・。なあクロービス、そんなわけだから、俺も同席したいんだ。リーザの奴もぜひ頼むとは言ってたんだが、相手がどう思うかはなんとも言えないからな。それでお前に聞いてみてもらえないかと思って。」
 
「うーん・・・話をするのは問題ないけど、その理由をそのまま言えないからなあ。」
 
 ハディは真剣だ。リーザのことを心から心配しているのがよくわかる。きっと遠からず2人の結婚の報告が聞けるだろう。そうだ、それなら・・・。
 
「ねえクロービス、それなら、リーザの婚約者ってことで紹介するのはどう?」
 
「へ?」
 
 私が口を開く前に、ハディが間抜けな声を出して口をあんぐりとあけた。思わず笑うところだった。妻も同じことを考えていたらしい。
 
「あ、それはいいね。」
 
「ウィロー、いい案じゃないか。どうだハディ、それなら大威張りで同席出来るぞ。」
 
 オシニスさんも乗り気だ。
 
「え、い、いや・・・そ、それは・・・その・・・まだそんな段階じゃ・・・」
 
「まあ婚約者です、じゃなくても、リーザの大事な人、くらいでもイノージェンは納得してくれると思うよ。」
 
 真っ赤になって口をパクパクさせているハディが気の毒になって、そう言ってみた。オシニスさんが『まあそのくらいにしておいたほうがいいかもな』と、ハディの顔を見て笑いながら言った。
 
「それじゃ今日の夕方にでも話してみるよ。いつにするかも含めて、明日には返事が出来るようにするからね。」
 
「頼むよ。事情が事情だから仲良くやりましょうとはいかないだろうが、せっかく会うんだからせめて険悪にはならないでほしいんだよな。」
 
 ほっとしたように汗をぬぐいながら、ハディが言った。
 
「そうだね・・・。」
 
 イノージェンの母さんは、イノージェンがガーランド家の人達と会うことはおそらく望んでいなかっただろうけど・・・。
 
(でも一生会わずにすむとも思っていなかったかもしれないな・・・。)
 
 だからこそ、全ての事情をイノージェンとライザーさんに話しておいたのかもしれない。
 
 
 
 剣士団長室を出て、医師会の病棟へと向かった。
 
「ハディが同席することに異論はないけど、あんまり大げさになってしまうのも困るわよね。」
 
 歩きながら、妻がポツリと言った。
 
「そうだね・・・。リーザとイノージェン、オシニスさんと私達2人、それにハディか。まああと同席する人が出てくるとすれば、ライザーさんかな。もう他の人には遠慮してほしいね。」
 
「そうよねぇ。もっとももう同席したいと言い出しそうな人はいないと思うけど。」
 
「子供達が同席したいと言い出すかもしれないけど、それは遠慮してもらったほうがよさそうだね。」
 
「そうね・・・。話の内容がどうなろうと、子供達には聞かせたくないわ。」
 
 どうなろうとか・・・。どうなるんだろう。ハディがいてくれれば、リーザが本人も気にしている『よけいなこと』を言ってしまう危険性は少なくなりそうだが・・・。
 
「いい方向に行くといいけど、どんな結果になっても、ここである程度の決着をつけたほうがいいと思うのよ。せめてこの先、お互いの存在を気にせずに生きていける程度にはね。」
 
「そうだね・・・。」
 
 
 
 クリフの病室はさっき出て行く前と変わりなかった。が、なんとそこにドゥルーガー会長がいた。
 
「おお、戻られたのか。」
 
「私に御用だったのですか?」
 
「うむ、少し時間が取れぬか。今のところクリフの容態も安定しているようだ。私の部屋で話をしたいのだが。」
 
 ドゥルーガー会長はハインツ先生とゴード先生にも声をかけ、少しの間看護婦に、クリフを見ているようにと指示を出した。正直なところもうここにずっといたかったのだが、会長の用事となればいやだとも言いにくい。何かあればすぐに連絡をくれと看護婦に念を押し、私達はクリフの病室を出た。
 
 
「さあ、座ってくれぬか。」
 
 会長室に入り、促されるまま椅子に座った。ドゥルーガー会長は部屋の書棚にある箱の中から何かの書類を取り出し、私達の前においた。
 
「おお、会長、これはもしかして例の議案書ですか。」
 
 ハインツ先生が言った。ゴード先生も興味深そうに覗き込んだ。この2人は、今の会長の用向きを知っているようだ。
 
「うむ、案はだいたい固まった。無論実施するとなればもっと細かい取り決めは必要になるがな。」
 
「そうですね。ニセ医者が増えたなどと言われたのでは医師会の信用まで揺らぎかねませんからね。」
 
 ハインツ先生が肩をすくめた。『ニセ医者』とはまた穏やかではないが・・・。
 
「ふん、ニセと言う言い方には一言言いたいところだが、確かにそうだ。線引きは厳重にせねばならぬし、監視も強化する必要がある。」
 
「とは言え・・・この議案が通れば、これからの医師会がかなり変わっていくことは確かなようですね。」
 
 ゴード先生も『議案書』をめくりながらうなずいている。
 
「そうあらねばならぬのだ。無論よい方向にだが。さてと、クロービス殿、まずはこれに目を通してくれぬか。」
 
 ドゥルーガー会長は、テーブルに置かれた書類を私に渡した。私は妻と一緒にその書類をめくり始めた。これは・・・!
 
「専門別の医師の養成ですか・・・。」
 
 その書類の表紙には『議案書』と書かれていて、下のほうに医師会の名がある。内容は、今までのように全ての医療技術に精通した医師の育成の他に、一つの、あるいはいくつかの技術に特化した医師の養成を新たに行いたいとするものだった。ドゥルーガー会長も含めて、この場にいる4人の医師は全員が全ての医療技術についての知識と技術を習得している。もちろん得手不得手はあるが、専門外だからわかりませんなどと言うことは出来ない立場にあるのだが、もしもこの議案が御前会議で通り、専門の医師の育成が始まると、本当に『この分野は専門外だから判らない』と言う医師が現れることになる。
 
「うむ、確かにその心配はある。」
 
 私の疑問に、ドゥルーガー会長がうなずいた。
 
「堂々とわかりませんと言えるのはうらやましい気もしますけどね。」
 
 ハインツ先生が言いながら肩をすくめ、『またそのようなことを・・・』と会長が渋い顔をした。確かに問題も多いことではあるが、私達にこの議案書を否定する権利はない。なぜ会長はこの場に私と妻を呼んだのだろう。
 
「でも分野ごとに専門の先生がいれば、もっと研究は進むわよね。そうしたら、今と同じ制度のまま研究を続けるよりは、新しい治療法が早く見つかる可能性は高くなるかもしれないわ。」
 
 妻はどうやら肯定的らしい。
 
「それはそうだけど、危険な賭けという気もするよ。」
 
「その通りなのだ。まだまだ問題が多いことではある。ただ、ウィロー殿の言われたように、ゴードの整体やマレックの食事療法なども、その分野だけに特化して研究を進めることが出来れば、もっと多くの新しい技術の開発が期待できることも確かだ。」
 
「しかし、こちらには独立した研究部門がありますよね?そちらをもっと活用すると言うことではだめなんでしょうか。」
 
 父が在籍していた研究部門は、今もあるはずだ。
 
「新薬の開発などなら、研究部門のほうが遥かに成果が上がるだろう。だが、新しい治療法となると、現場を知らない研究者ではなかなか現実的な結果にたどり着けぬと言うのが現状だ。現場で治療にあたっていれば、実験や理論の積み重ねだけでは説明が出来ないような事例に遭遇することもある。理想的なのは、現場の医師と研究部門が協力することなのだが、これが実はなかなか難しいものなのだ。」
 
 確かに・・・父とブロムおじさんも、お互いの存在を認識してはいただろうが、実際に顔を合わせて話をしたのはそれぞれが医師会から追放されることが決まった後のことではないかと、先日ドゥルーガー会長が言っていたっけ・・・。ひたすら実験を繰り返してデータを積み重ねていく研究者と、現場で患者の治療にあたる医師の間には、いろいろと相容れないものがあるのかもしれない。
 
「しかし会長、この話を私達にしてくださった理由はいったい・・・。」
 
「うむ、実は貴公に、と言うよりウィロー殿にお願いがあってな。」
 
「私に・・・ですか?」
 
 妻はきょとんとしている。どういうことなんだろう。
 
「お2人の整体とマッサージの腕の確かさを疑う者は、もはや医師会にはおるまい。特にクリフの件では、一時は死の渕にあった患者が起き上がって食事をするまでに回復したことで、マッサージが治療のひとつとして有効な手段であることは証明されたと考えておる。むろん本番はこれからだ。クリフの手術が成功して、あの若者が普通の生活を送れるまでになることが目標ではあるが、それはすでに医師としての実績が充分なクロービス殿と、医師会の治療チームで達成せねばならぬこと。今回は、それとは別に、この議案書が御前会議で可決され、専門技術に特化した医師の育成が始まることを想定してのことだ。ウィロー殿、この分野の専門医として、医師の資格を取る気はないかね。」
 
「わ、私がですか!?」
 
 妻にとっても私にとっても、思いがけない話だった。
 

第89章へ続く


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