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 念のためにと、私達はイルサを西翼別館の前まで送り届け、医師会まで戻ってきた。イノージェンは今日もマレック先生のところで勉強させてもらうことになっているのだそうだ。マレック先生の部屋にイノージェンを連れて行ったところ、見慣れない女性が何人かいた。
 
「この人達は助産院の助産婦達なんですよ。助産院での食事について月に一度打ち合わせをしているんですが、イノージェンさんもご一緒にいかがですか。」
 
 イノージェンは喜んで、ぜひお話を聞かせてくださいと言うことになった。マレック先生の部屋はいっそう賑やかになりそうだ。私達はそのままクリフの病室に向かった。ちょうど食事の時間が終わったところらしく、空になったトレイを乗せたワゴンを押して行く看護婦達と何度かすれ違った。
 
 
 
「・・・ははは、それでお前が行ってきたのか。」
 
「そうだよ。俺だって役に立つんだって、父さんにちゃんとわかってもらわなきゃな。」
 
「お前は充分役に立ってるさ。僕の分まで工房を大きくしてくれよ。」
 
「へん、俺は兄貴の分までなんて請け負えないぜ。兄貴は兄貴で工房に貢献してくれよ。」
 
「・・・まったく、わかったよ。薄情な弟だなあ。」
 
 クリフの病室ではにぎやかな会話が交わされていた。クリフの弟のエリクが来ていたのだ。
 
「おはようございます。賑やかですね。」
 
「おや先生、おはようございます。」
 
 私はハインツ先生、ゴード先生と挨拶を交わした。今朝のクリフはとても調子がいいらしい。ちょうどエリクが来たので、しばらく話していたということだった。
 
(顔色はいいな・・・。声も随分大きくなったし・・・。)
 
 元々マッサージというものは、もう助からないとわかっている患者に、せめて最期の時まで薬漬けではなく、ごく普通の生活をしてもらおうという考えのもとに行ってきた治療だ。そのほとんどは年寄りだったが、20代前半の若者にも効果があることがこれで証明されたと思う。
 
「それじゃそろそろ俺は帰るよ。父さんも素直じゃないよな。忙しいからお前が代わりに見てこいなんて言ってたけど、本当は自分が来たくてしょうがないんだ。今度引きずってくるよ。」
 
「父さんだって忙しいんじゃないのか?お前がもう少し父さんの仕事を一緒に出来るようになれば、父さんだってここに来れると思うけどな。」
 
「ちぇ、わかってるよ。まだまだ半人前さ。」
 
 すねたように口をへの字に曲げる弟に、クリフが笑った。
 
「それじゃ行くよ。これから運送屋の倉庫に寄って荷物を受け取ってから戻らなくちゃならないんだ。また来るから、次はもっと元気になっててくれよ。」
 
「そんなに簡単にいくか。でも、そうなれるよう努力はするよ。」
 
 私は部屋を出て行くエリクに声をかけ、廊下で父親の具合を聞いた。
 
「君の兄さんには何も言ってないから、こんなところで聞いて申し訳ないんだけど。」
 
「いえ・・・親父はもうピンピンしてます。お袋は『これもハインツ先生とクロービス先生のおかげだ』ってよく言うんだけど、なんだか親父はそれを認めたくないみたいでいつも口をへの字に曲げてます。ははは・・・。」
 
 笑おうとしたエリクはふいに顔をゆがめ、袖で顔を覆った。
 
「先生・・・ありがとうございます。俺・・・兄貴とあんなふうにしゃべれることはもうないと思ってたから・・・いつ来てもぐったりしててろくな話も出来なかったのに、今日は・・・夢みたいです。」
 
 エリクは泣きながら何度も頭を下げた。
 
「いいかいエリク、病気を治すのは医者の役目だけど、家族や親しい人の温かい励ましや祈りも、無視できないものなんだ。だからって別に励ましの言葉を毎回言わなければならないなんてことはない。顔を見せてくれるだけでいいんだよ。君が来てくれて、クリフは随分喜んでいたみたいだから、これからも折を見て訪ねてくれるかい?」
 
 エリクは顔をごしごしと拭って、笑顔でうなずいた。
 
 
 今日は一日クリフの病室にいるつもりだ。午後から少し席をはずすけど後はずっといますとハインツ先生には伝えておいた。あと何日かすれば手術の日取りを決めなくてはならない。もうあちこち歩いていたくはない。患者のそばで経過をしっかりと把握しておかなければ。ブロムおじさんに出した手紙はそろそろ届いた頃合いだろうか。島でのこの病気の症例は老人がほとんどだが、それでも何かしら参考になることがあるはずだ。おじさんならきっといい助言をしてくれる。後はデイランド先生か。今日の夕方にでも顔を出してみようか・・・。
 
「あ、先生、ちょっとよろしいですか。」
 
 病室に戻ると、ハインツ先生が声をかけてきた。
 
「実は弟から連絡があったんですよ。何でも先生の役に立ちそうな症例を見つけたので、一度顔を出してくれないかと。」
 
「そうですか。それじゃ今日の午後にでも行ってみます。」
 
 そういうことなら出来るだけ早く行きたい。オシニスさんのところに顔を出したら、その後にでも行ってみよう。その時・・・
 
「痛・・・。」
 
 クリフの声で、病室にいた誰もがいっせいにクリフに振り向いた。
 
「どこが痛い?」
 
 クリフに尋ねると、クリフは腹の上のほうを手で押さえて見せた。
 
「ここから・・・ここまでです。さっきはちょっと違和感がある程度だったんですけど、今になって・・・。」
 
 それほどひどい痛みではないようだが、まずは少しマッサージをしてみることになった。ゴード先生がマッサージしてみたが、あまり改善が見られず、次に妻がマッサージをした。
 
「あ・・・少し楽になりました。」
 
 その言葉にゴード先生が暗い顔をした。自分のマッサージが効かなかったと思ったのだろう。だが、必ずしもそうではないと思う。
 
「うーん・・・一過性のものですかねぇ。」
 
 ハインツ先生が唸った。やはり同じことを考えていたらしい。一過性のものなら、マッサージをしてもしなくてもすぐに痛みは引いたことになるが、それを確かめるまで痛がる患者を放置するわけには行かない。その後クリフには弱めの痛み止めを飲んでもらい、少し眠ってもらうことにした。久しぶりに弟と会って話に花が咲いたことで、疲れたのかもしれないが・・・。
 
(でもこれだけ体力がついてきたんだから、そんなに疲れやすいのはおかしいな・・・。)
 
 しかもさっき見た時にはだいぶ調子がよさそうだった。だが見た目の調子がよさそうでも、体の中で病気は確実に進行している。今の痛みがそのせいだとすると、手術の日取りを決めるのに、それほど猶予はないかもしれない。
 
(少し余裕を持って万全の体制でと思っていたけど・・・方針転換が必要かな・・・。)
 
 まずはハインツ先生達に相談してみよう。
 
「ハインツ先生、ゴード先生、少し打ち合わせをしたいのですが、会議室は借りられますか?」
 
「大丈夫だと思いますよ。では行きましょうか。」
 
 
 会議室は空いていた。『使用中』の札をかけて、私は2人に手術の日取りについて提案をしてみた。このままクリフの体調がよくなっていくのなら、あまり『いつ』ときっちり決めなくていいかも知れないという話を、ついこの間ハインツ先生と話したばかりだが、今日の様子からしてあまりのんびり構えてもいられない。出来るだけ早く手術をするよう、方針転換したいと。
 
「・・・なるほど・・・。先ほどの様子からして病気の進行が早まっていると考えられますからね。確かにのんびり構えてもいられませんなあ・・・。」
 
「はい、日取りを決めるまであと3日ほどです。その時点でもし手術が出来そうなら準備が出来次第やってしまおうかと考えていますが、お二人のご意見を聞かせてください。」
 
「うーん・・・これがマッサージの限界なんでしょうか・・・。」
 
 ゴード先生が悔しげに言った。
 
「限界というのは早計だと思いますよ。ただ、クリフの場合発症してからかなり時間が過ぎていますから、体力の回復が病気の進行に追いついていないということなんだと思います。今ここですぐに決めてくれと言うわけではないので、今日一日経過を見て、明日の朝もう一度打ち合わせをしましょう。そこで方針が決まれば、後はドゥルーガー会長に報告をして、本格的に準備を始めたいと思います。」
 
 
 ゴード先生の気持ちはわかるが、今ここでマッサージに拘泥することがいいことだとは思えない。もちろんこれからも続けるとしても、のんびりと体力がつくのを待っていることは出来そうにない。マッサージはあくまでも痛みを軽減するための手段だ。
 
 
 病室に戻った。クリフは眠っている。妻に聞いたところ、眠る前に痛み止めが効いたらしいと言っていたそうだ。
 
「そういえばブロムさんが言っていたことがあったわね、年寄りだと病気の進行が遅いから、マッサージだけでもそれなりに寿命が延びることもあるって。」
 
「そうだね。若いってことは病気も元気なんだよな。年寄りに比べて体力をつけやすいけど・・・。」
 
 時間との戦いでもある。
 
「・・・・・・・。」
 
 ゴード先生が考え込んでいる。今はハインツ先生と彼の考えが定まるのを待とう。私は予定を早めて、デイランド先生の診療所に行くことにした。
 
 
「おお、いらっしゃい。お待ちしておりましたよ。」
 
 デイランド先生は笑顔で迎えてくれた。
 
「はい、これです。患者の年齢は少し上なんですが、進行の状況が似ていましてね、それと・・・こっちはかなり昔の記録なんですが、親父が元気だったころにやはりこの病気で手術をした患者の記録です。薬のレシピなどは参考になるかと思いまして、出しておきました。」
 
「これは・・・すごいですね。かなり詳しく書かれていて・・・。ありがとうございます。」
 
 ハインツ先生も記録は細かくつけるほうだが、デイランド先生の記録も同様だ。それはどうやら父親から譲り受けたものらしい。かなり当てに出来る情報が入っていると思っていいだろう。2人の父親である医師は私がこちらにいたころにはもう亡くなっていたようだが、一度くらい会ってみたかったものだ。
 
「それと、こちらは治療に使われていた薬草です。一覧にしておきましたが・・・やはり価格が暴騰してる薬草がいくつか含まれていますね。もしもこれらの薬草を使うとなると、金の問題が出てきそうですなあ。」
 
「そうですね・・・。何とか安く手に入れられるよう頑張ってみます。」
 
 とは言ったものの、あてがあるわけではない。だが高額な薬草の使用は出来る限り押さえたいところだ。クリフの両親が金の心配をする必要はないにしても、費用を負担する王宮の財源だってそんなに潤沢なわけではないのだ。雑貨屋でも扱える薬ならセディンさんの店を頼ることも出来るが、劇薬に指定されている薬草はあの店で買うことは出来ない。
 
 しばらくの間デイランド先生に資料の中身を説明してもらい、私は診療所を後にした。
 
「劇薬が安く買える可能性があるとなると・・・あの店か・・・。」
 
 クリフの父親に『いい薬』を提供してくれるはずだった、ローハン薬局なら、おそらくどの薬草でも安く買えるだろう。だが・・・
 
「医師会が指定業者以外の業者から薬草を買うことは出来ないだろうな・・・。」
 
 医師会が取引先として認定するためには、かなり厳しい基準がある。おそらくは医師会と取引をしたいと考えている業者はたくさんいるだろうが、その基準に適合しない限り取引をすることが出来ない。ここで一度例外を作ってしまうと、その決まり事が形骸化してしまう恐れがある。それに下手にあの店に話を持ちかけたりすれば、例の商人・・・おそらくはクイント書記官本人か、彼の息がかかった誰かに察知されるだろう。そうなったら、確かに薬は安く買えるようになるかもしれないが、逆に利用されたり弱みを握られてしまう可能性も否定できない・・・。
 
「・・・ふう・・・私がこんなことを考えても仕方ないか・・・。そろそろ昼だからいったん病室に戻って・・・イノージェンを迎えに行かないとな。」
 
 午後からは剣士団長室に妻と2人で顔を出さなければならない。私は王宮に戻ってクリフの病室に向かった。ハインツ先生とゴード先生は相変わらず考え込んでいる。ハインツ先生にデイランド先生から渡された資料についての礼を言い、内容について話し合いをしたいと言っておいた。後はブロムおじさんからの返事か・・・。手紙の中身を読めばおそらくすぐにでも返事を書いてくれるはずだ。届いたのが今日だとすると。あと2〜3日もすれば返事が届くだろうか。クリフの今までの治療記録、デイランド先生からの資料、デンゼル先生が託してくれたノート、そしておじさんからの返事、それで私がクリフの手術に関して手に入れられる全ての資料が揃うことになる。あとは・・・この資料を使って今後の治療計画と手術の詳しい手順を進めていくのだが・・・。
 
(問題はハインツ先生だな・・・。)
 
 ハインツ先生に自信を取り戻してもらうための策はまだ見えない。
 
 
 
「難しい顔してるわね。」
 
 妻が心配そうに私の顔を覗き込んだ。クリフの病室を出て、イノージェンを迎えにマレック先生の部屋に寄ったところだ。
 
「考えることがありすぎてね・・・。」
 
 そうとしか言いようがない。妻は『それもそうね』と言って笑った。
 
「それじゃ考えるのをやめて、食事に行きましょう。たまには商業地区の宿酒場みたいなところで食べてみたいわね。これだけの規模の町だもの。セーラズカフェや『我が故郷亭』の他にもおいしいお店はあると思うのよね。」
 
「私もいろいろなところの料理を食べて勉強したいわ。せっかく島から出たんだもの、この機会に行けるところは全部行きたいわね。」
 
 イノージェンも乗り気だ。マレック先生の部屋で、今日は一日助産婦達と一緒に食事についての打ち合わせと勉強会の予定らしい。さっき扉をあけた時には実に賑やかな声が聞こえていた。
 
「それじゃ『金のたまご亭』に行ってみないか。あの店の食事はおいしかったよ。」
 
 イノージェン達はもうあの宿に泊まっていないのだから、気にせず堂々と食べに行ってもいいはずだ。
 
 
 『金のたまご亭』は商業地区の中でも奥のほうにある。前回同様祭り見物の客でにぎわっていたが、私達が入った時にちょうど席を立った客がいて、すぐに座ることが出来た。
 
「いらっしゃい、運がいいな、お客さん。・・・お?旦那は一度うちに来てくれたよな?」
 
 マスターがカウンターを出て、注文を取りに来た。私の顔を見て以前ここに来た時のことを思い出したらしい。マスターは次に妻とイノージェンに視線を移した。
 
「ほぉ、両手に花のご来店とはねえ。こりゃ確かに、女の世話なんぞ要らなかったな。」
 
 その言葉に妻とイノージェンが笑い出した。
 
「へぇ、ここで誰か世話しようかなんて言われたの?」
 
 イノージェンはいたずらを仕掛けようとする子供みたいな目で私を見ている。
 
「マスターの冗談だよ。社交辞令みたいなものじゃないか。マスター、こっちの栗色の髪のほうが私の妻だよ。隣は私達の家の近所に住んでいる友人だからね。やっと会えたから、こうして食事をしに来たんだよ。」
 
「おお、そういえばこちらはうちのお客さんでしたね。先だってはありがとうございました。また泊まりに来てくださいよ。」
 
「ええ、また寄らせていただくわ。」
 
 マスターは、私がライザーさん達を訪ねてここに来た時のことなど忘れたかのようだ。もっとも私も、ここでその時の事を持ち出すつもりはない。マスターはこの宿屋の経営者として責任を果たしただけだ。
 
 
「はぁ〜おいしかったあ。また行きたいお店が増えて困っちゃうわ。」
 
 上機嫌のイノージェンをマレック先生の部屋まで送りとどけ、私達は剣士団長室にやってきた。ノックをすると『開いてるから入れよ』とオシニスさんの声がした。
 
「失礼します。」
 
「お、来たな。待っていたぞ。」
 
「セルーネさん。ローランド卿も・・・。」
 
 セルーネさんとローランド卿が中で待っていた。二人が飲んでいるお茶はどうやらオシニスさんが淹れたらしく、『よしお前らにも淹れてやるよ』と言って、お茶を2人分、持ってきてくれた。
 
「ウィローの話をしたら、ぜひ直接話をさせてほしいといわれて、来てもらったんだが・・・ウィローどうだ?」
 
 オシニスさんが妻に尋ねた。
 
「ウィロー殿、私が今ここにいないほうがいいのであれば、遠慮なくおっしゃってください。」
 
「私のほうは、こんなに早くお会いできると思っていませんでしたから驚きましたけど・・・お2人とも時間は大丈夫なんですか?」
 
 今ここでローランド卿に会えるとは思っていなかったので、私も少し驚いた。でも妻は笑顔だ。無理している様子もない。
 
「それは心配しなくていいぞ。今日はこの後屋敷に戻って今朝の会議の資料まとめだ。ライラの発表はすばらしいものだったが、それを実現するためにはまだまだ情報が足りない。ライラひとりで調べても限界があるからな。我が家に保管されている本にもなかなか興味深いものがあったから、そういうのを引っ張り出してこようと思ってるのさ。」
 
 セルーネさんが言った。
 
「と言うことは、ある程度具体的な利用法が固まってきたということですか。」
 
「ああ。お前からの提案として医療器具にナイト輝石を利用するという案も出ていたぞ。そのことでは協力してくれるんだろう?」
 
「ええ、もちろん。ナイト輝石を利用すれば、今よりももっと性能のいい医療器具が作れますよ。細かい加工もしやすい鉱石ですしね。私としても期待しているんです。何か出来ることがあれば、いつでも協力させていただきます。」
 
 会議では私の名前が出たらしい。おそらくは『麻酔薬の開発者の・・・』という肩書きも一緒に紹介されているだろう。以前の私なら『それはやめてください』と言ったと思うが、今はもうそんなことは考えもしない。父やブロムおじさんの名前を出せないからではなく、私の肩書きを出すことでライラの研究が前に進むのなら、それで助かる人が増えるのなら、私自身のこだわりなどどうでもいいことだと、今では素直に思えるようになった。
 
「ウィロー、それじゃローランド卿にはここにいてもらっていいのか?」
 
 オシニスさんが妻に尋ねた。
 
「ええ、もちろん。それじゃ、ぜひお2人に話を聞いていただきたいわ。」
 
 妻の言葉にローランド卿がほっとしたように微笑んだ。
 
「オシニスさんも、一緒に聞いていただいていいですか?」
 
「ああ、もちろんだ。」
 
 あの時はオシニスさんも心配してくれた。妻が目を覚まして私が事情を説明したあと、落ち着くのを待って二人で剣士団宿舎のロビーに行った時、オシニスさんや他の人達がみんなで待っていてくれた。
 
『よかったなあ・・・。顔を見るまでは心配だったが、さすがに女性剣士用宿舎に入るわけには行かないからな。』
 
『でも非常時なんだから入ってもよかったんじゃないですか。』
 
 からかう気満々の顔でそう言ったのはハリーさんだった。
 
『お前らだって心配していたんだから、お前らが行けばよかったじゃないか。』
 
『いやあ、セルーネさんの部屋に入るなんてそんな恐ろしいこと出来ませんよ。俺達も命は惜しいですからねぇ。』
 
『いやいや、命まではとらんぞ。うーん・・・多分な・・・。』
 
 セルーネさんがにやりと笑い、ハリーさんが『その笑顔でそう言われても説得力がないですよ〜』と後ずさった・・・。
 
 
 
 ウィローが無事に戻ってきて、みんなほっとしていた。まだ剣士団は非合法だったが、あの時はそんな冗談も飛び出すほど、とても和やかな雰囲気だったっけ・・・。
 
「それじゃ俺が進行役を務めるか。ウィロー、今回の話だと、君はトーマス卿に会いたいということだったな。」
 
「ええ、そうです。でもいきなり伺うのも失礼なので、ローランド卿から話を通していただけないかと思ったんです。」
 
「その理由については今朝聞いたが・・・こういうことは又聞きよりも直接聞きたいということなんだ。話してくれるか?」
 
「はい。」
 
 
 うなずいた妻が話し始めた。
 
「まず最初に申し上げて起きます。私としても今さらトーマス卿に文句を言いたいわけではないということです。」
 
 きっぱりとした口調で妻が言った。
 
「悔しかったし腹も立ちました。でも、表立って騒ぎ立てるようなことはしたくなかったんです。」
 
「それで私の願いを聞いてくださったのですね。」
 
 ローランド卿の言葉に妻がうなずいた。
 
「ええ、お父様を思うローランド卿のお気持ちはよくわかりましたから、でも・・・。」
 
 あの時、自分が目覚めた時には何もかも終わっていて、出来れば自分に任せてほしいというローランド卿の願いを聞き入れたことで、妻としてもそれ以上この話題を出すことが出来なくなってしまった。それで本当にいいのか、実はずっと気にかかっていたが、島に戻ってからはもう過ぎたことと割り切っていこうと決めていた。だが・・・ローランでドーソンさんから、そのことが元でトーマス卿が大臣の座を追われたと聞き、やはりあの時そのままにして城下町を出たのは間違いだったと思った・・・。
 
「ローランド卿にお任せしたことについて後悔しているわけではありません。ただ、結果として事態の収拾を他人任せにして、その顛末も見届けずにこの町から出てしまったのは、やはり間違いだったと思ったんです。そもそもあの時、私が招待を断れば何事もなくすんだ話です。なのに、父のことにこだわっていた私は、安易に招待を受けてしまって・・・。結果として皆さんに迷惑をかけてしまいました・・・。」
 
「仕方ないさ・・・。あの時のお前にとって、デール卿のことが何か聞けるかもしれないとなれば、なんとしても聞きに行きたかっただろうしな・・・。」
 
 セルーネさんが言った。
 
「そうね・・・。カナでもやっと父さんに対する誤解が解けて、城下町でも王宮からの正式な発表で名誉が回復されて・・・でも、私はいつも歯がゆい思いをしていたの。みんな父さんのことをとてもよく言ってくれるようになったけど、では父さんは本当はどんな人だったのか、いろんな人達から聞いてみたいと思ったわ。その上で、自分の中で父さんの人物像を作り上げたかったのかもしれないわね・・・。」
 
 そこまで言って、妻は大きくため息をついた。
 
「でももう何を言っても、過ぎてしまったことだからどうしようもないって言うのはわかってるつもりよ。だからトーマス卿にお会いしたところで、かえって傷口をこじ開けるだけかもしれないと思って今まで黙っていたんだけど・・・。」
 
「で、改めて今そう考え始めたきっかけが、ウィット卿の話と言うわけか・・・。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「ランドさんから聞いたんですね。」
 
「ああ、今朝お前らがここを出た後、ランドの奴が来て夕べの話を簡単にしていってくれたよ。『あのお方』が関わっているかも知れないとなれば、俺達だけで動けることばかりではなくなるだろうからな。悪いが俺の判断で、今朝のうちにじいさんと、セルーネさん達にも話しておいたのさ。」
 
「いや、それはオシニスさんの立場であれば当たり前のことですから。私達もまさかウィット卿の名前が出るとは思っていませんでしたし。」
 
「そうなんだよな。だが、話してみてよかったよ。そのおかげで、ウィット卿のその時の行動の動機らしきものが見えたぞ。」
 
「動機・・・ですか。」
 
「ああそうだ。オシニスから話を聞いて、あの当時のことを思い出したのさ。」
 
 セルーネさんが口を開いた。
 
「『あのお方』は、あの時今度こそ自分に王位が転がり込んでくると思っていた。実際一部の貴族の間で、フロリア様を廃してエリスティ公を王位に就けようという動きが出ていたことも事実だ。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
 剣士団の復活に否定的だったエリスティ公だが、それにしてもあまりに強硬な態度を崩さないのでレイナック殿が頭を抱えているらしいという話は、私がこっちにいる時にすでに聞こえてきていた話だ。そんな話が出ていれば、なるほど強気になっていたこともうなずける。
 
「フロリア様の身に何が起きていたか、そのことを知るのはごく一部だ。剣士団とてあの当時海鳴りの祠からここに戻ってきた連中以外には知らされていない。表向きはあくまでも『フロリア様が脅されて国を乗っ取られそうになった』ことになっている。フロリア様が女の身で国を切り盛りし続けていれば、またどこかの愚か者が国を乗っ取ろうなどと仕掛けてくるかもしれない、そこでひとまずフロリア様には退位していただき、エリスティ公に即位してもらってはどうか、ただ、公にはあとを継ぐべき子息がいないから、フロリア様にご結婚していただいて世継を生んでいただくか、どこかの貴族から優秀な子息を養子に迎え入れるか、などとのんきなことを考えていた連中がいたんだ。そいつらにしたところで、エリスティ公がずっと王位にとどまることを望んでいたわけじゃない。あくまでも中継ぎと言う形で即位してもらうと言う腹積もりだったらしいがな。」
 
「エリスティ公の息子さんはあの頃もう家を出られていたんですね。」
 
「そうだ。まったく不思議なもんだよ。何であの父親にあんなまともな息子が生まれたもんだか・・・。」
 
 セルーネさんは呆れたように肩をすくめてみせた。エリスティ公には息子が一人いる。当然その人は公爵家を継ぐべき人物なのだが、『一般人』の恋人との結婚を公に許してもらえず、なんと自ら廃嫡を願い出て家を出てしまった。噂ではもう貴族の世界とは縁を切り、普通に暮らしているそうだ。性格は公とは似ても似つかぬ常識的な人物で、家を出る前から父親があまりにも王位に執着する様を公然と批判していたらしい。
 
「ま、自分のあとを継ぐ誰かがいようがいまいが、あのお方の王位に対する執着心は少しも揺らぐことがなかった。あの事件が元で自分を応援してくれる勢力があると知ったエリスティ公は、人気取りを始めたのさ。腰巾着だったウィット卿に、国民の助けになりそうなことを何でもいいから見つけて来いと命じたらしい。で、まあここから先は推測だが、あの頃ロビーは陳情者で大混雑だった。あそこにいれば何かしら主の希望に合いそうな話が転がっているとウィット卿が考えたとしても不思議じゃない。それでロビーの受付をうろうろしているところにたまたま現れたのが、あの店のおかみだったんじゃないかと思うよ。」
 
「偶然・・・ということですか・・・。」
 
「最初はそうだったんじゃないかと私は思う。」
 
「それについては私からも説明しましょう。」
 
 ローランド卿が口を開いた。
 
「当時王宮ではフロリア様派とエリスティ公派に分かれて権力争いが激しくなっていました。我が父のようにフロリア様に取り入り、自分の地位も上げようとたくらむ勢力はウィロー殿やクロービス殿を利用しようと画策していたし、エリスティ公を擁する一派は公の人気のなさを何とか出来そうな話を探していたのです。あの店のおかみの依頼は元の夫の消息調査だったということですが、その手の調査は通常それほど長くかかることはありません。おそらくはすぐに結果が出そうな話をいくつか拾ってきて、『小さな案件にも誠意を持って取り組むエリスティ公』を人々の間に印象付けようと考えていたのではないかと思います。」
 
「そして、ウィット卿はエリスティ公の人気取りのネタを探すのと同時に、フロリア様を陥れるためのネタも探していたというわけだ。奴がどこからカルディナ家の話を聞きつけたのかはわからんがな。」
 
 セルーネさんが忌々しそうに言った。
 
「まあそれについても推測は出来るだろう。我が家の私兵は待遇の悪さにうんざりしていた。酒場で声高に主人への不満を口にする者もいたというから、どんなところから話が漏れても、おかしくはなかったと思うよ・・・。」
 
 ローランド卿がため息と共に言った。
 
「ローランド卿、こんなことをお伺いするのは大変失礼なんですが、ローランド卿がベルスタイン家に入られたあと、ご実家はどうされるのですか。」
 
 確かローランド卿は一人息子だと聞いたが・・・。
 
「いや、失礼などとんでもない。気にかけていただいてありがとうございます。幸いにして我が実家は貴族ではないものですから、親戚筋から養子を迎えることが出来ました。元々あまり豊かではありませんが、それでもいくつかの事業を抱えていますし、何とか家を維持していくことは出来そうです。」
 
「そうでしたか。それは何よりですね。」
 
 何代か遡れば男爵か子爵だったらしいが、爵位のある家は養子をもらって後継ぎにすることは許されない。こうなると家柄や身分が高いのも考え物だなあと思うが、そんな考え方は所詮庶民の考えか・・・。
 
「・・・ウィロー殿、あなたがお気に病まれることはありません。一番悪いのは愚かなことを考えた我が父なのですから。そして・・・親子の情故に内々にすませようとしてしまった私にも責任の一端はあるのです。あの時、せめて事の顛末をきちんとフロリア様に報告していれば、その後の騒動もあれほど大きくなることはなかったかもしれません。」
 
「では王宮への報告をせずに?」
 
 ローランド卿は沈痛な面持ちでうなずいた。
 
「さすがにまったく報告しないのでは隠蔽ということになってしまいますから、レイナック殿に報告書は提出しました。ただ・・・御前会議やフロリア様への報告はしないでいただけないかとお願いしたのです・・・。」
 
「・・・レイナック殿としては、当事者がもう城下町にいないとは言え、年頃の娘が危うく監禁されるところだったわけだから、へたに公にすれば被害者であるウィローも傷つけることになると、そう言う判断で報告書を自分のところで止めたらしいな。」
 
 セルーネさんが言った。
 
「そうでしたか・・・。」
 
「ところが、それがかえってウィット卿につけいる隙を与えてしまったというわけです。元を辿れば悪いのは父ですから、仕方ないのは確かなのですが・・・。」
 
「ローランド卿、お父様は今どうしていらっしゃるんですか?」
 
 妻が尋ねた。
 
「父は・・・大臣の座を追われてから、一時は腑抜けのようになっていましたが・・・私が大臣に任命されたころから少しずつ元気を取り戻していきました。ただ、その後私とセルーネの結婚の話が出た時にはやはり落胆し・・・結婚の許しを得るまでに随分かかりました。」
 
「反対されたのですか。」
 
「ええ、以前私達の結婚の話が出た時には、あくまでセルーネが私の元に嫁ぐという前提での話でしたからね。しかし今回はそういうわけには行きません。家を捨てるのか、父を捨てるのかと随分非難されましたが・・・やはり精神的に弱っていたのだろうと思います。その後私達の子供が出来てからは少しずつ穏やかな日々を取り戻して、今ではカルディナ家の存続の目処も立ち、大分落ち着いています・・・。ただ・・・」
 
「・・・?」
 
「やはり以前のつらい出来事が、精神的に影を落としているようです。こればかりはどうすることも出来ず、出来るだけ気にかけておく、位のことしかできないのが悔しいのですが・・・。」
 
「・・・ローランド卿、私がトーマス卿にお会いしたいと思う理由は、もしも昔のことをお気に病まれているのなら、何かお役に立てることがないかと思ってのことなんです。」
 
「・・・・・。」
 
 妻は昨夜私に話したのと同じ話を、ローランド卿とセルーネさんに向かって話した。
 
「もちろん、私がお会いしたところでトーマス卿のお気が晴れるかどうかはわかりません。かえって傷口をこじ開ける可能性もありますけど・・・。」
 
「ローランド、一度義父上に話をしてみてはどうだ?まあ、いい返事が聞けるかどうかは私にもわからないが、話をしてみるだけでもな。」
 
「そうだな・・・。ウィロー殿、お気遣いは感謝します。ただ、私も父がどんな答えを返すかはなんとも言えません。ご希望に添えない可能性もありますが、まずは話をしてみようと思います。今はまだそのくらいのことしかお約束できませんが、それでも構いませんか。」
 
「もちろんです。私へのお気遣いは必要ありません。トーマス卿が会いたくないとおっしゃるなら、そのままの答えを聞かせてください。」
 
「わかりました。」
 
 ローランド卿がかなり迷っているのがわかる。トーマス卿が妻と会うことで、果たして事態はよくなるのか悪くなるのか、まったく予測が出来ないからか、それとも普段のトーマス卿の様子を鑑みれば、出来るなら話したくないと思っているのか・・・。だがセルーネさんは『話をしてみるだけでも』と言った。セルーネさんだってトーマス卿の普段の様子は知っているだろうから、いい方向に事態が動くことを期待しているのかもしれないが・・・。
 
「ではそろそろ失礼するか。図書室の奥の部屋にある本を何冊か引っ張り出してこなくてはならないから、今日は夜まで埃だらけになりそうだ。」
 
 セルーネさんが肩をすくめて立ち上がろうとした。
 
「セルーネさん、ローランド卿、もう少しお時間はありませんか。」
 
 せっかくこの2人が顔をそろえているのだ。私は思い切って今朝のことを聞いてみることにした。
 
「・・・まあ今日は書庫の本と格闘するだけだから構わないが・・・まだ今の話で何かあるのか?」
 
「いえ、まったく別の話です。今度はセルーネさんに、と言うより、ベルスタイン家の当主ご夫妻にご意見を伺いたいことがあります。」
 
「・・・つまり、私やローランド個人ではなく、家に関わる話だと言うことか?」
 
「今の時点で確定的なことは私にもわからないのですが、もしかしたらそういうことになるかもしれません。」
 
「うーん・・・話を聞くのは構わんが、家に関わるとなるとお前の質問に必ずしも答えることが出来ない可能性もあるが、それでもいいのか?」
 
「ええ、それは仕方ありません。」
 
 もしもこの話が公爵家の領地運営に関する裏事情に繋がる、などということになれば、私も深入りするつもりはない。そうなった場合はレイナック殿に相談するしかなくなるだろうが、今はまだそこまで重大なことなのかどうか、それを見極める段階だと思う。
 
「クロービス、もしかしてさっきのこと?」
 
 妻が尋ねた。
 
「うん、君にもちゃんと説明するよ。オシニスさん、このままここをお借りしても大丈夫ですか?」
 
「ああ、それは構わん。今日は俺もセルーネさん達と同じように、資料集めと情報収集だ。俺の仕事が一段落したらじいさんの部屋に行くといってあるが、まあ待たせても問題はないだろう。じいさんはじいさんで調べ物があるような話だったからな。」
 
「では一緒に聞いてください。」
 
 私は今朝この部屋を出た後、時間つぶしのために東翼の喫茶室に向かおうとしていた時に、クイント書記官に出会ったことを話した。彼の顔が腫れ上がっていて、それを治すために呪文を使ったところから、喫茶室に誘ったところまでで一旦止めた。
 
「・・・なるほどな、珍しく別な書記官を連れていたから、妙だなと思ったんだ。」
 
 セルーネさんが考え込みながら言った。
 
「だいぶイライラしておられるようだったから、何事かあったのかと思っていたが、なるほどな・・・。おそらくは上の居室ででもクイント書記官を殴って怪我を負わせたのだろう。顔が腫れてしまっては会議に連れて行くことが出来ないから、別な者を供にして、書記官殿を帰らせたと言うわけか。」
 
 ローランド卿も思い当たることはあったらしい。
 
「会議の間中ずっとぶつぶつ言ってましたからね。何かよほど腹の立つことがあったのかとは思っていましたが・・・。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「もしかしたら、ですけど、フロリア様の失脚をねらうためのネタがなくて苛立っていたということは考えられませんか。」
 
「・・・そうだなあ。ラエルの一件についても一度会議で話が出たんだが、フロリア様が『それは祭りが終わってから』と強く仰せられて、そのままになっている。だが、祭りが終われば堂々と騒ぎ立てられるわけだから、それだけというのも動機としては弱い気がするがな。少なくとも腹を立てて誰かを殴りたくなるほどのこととも思えないが・・・。」
 
 オシニスさんが首をかしげた。
 
「ま、おそらくはその手の陰謀の指揮を執っているのはクイント書記官だろうから、なかなか話が進まなくて苛立っていたと言うことも考えられる。が・・・オシニスの言うとおり、それだけで殴るのもおかしな話だ。後考えられるのは、今朝いきなり怒った訳ではなくて、前々からなかなか成果の上がらないことに苛立っていたところに、今朝何かきっかけがあって感情を爆発させて、その勢いで殴った・・・あたりかな。」
 
 セルーネさんの口調も、なんとなく自信なさげだ。でも確かにそう言うことはありそうな気がする。
 
「なるほど、それはありそうですが、皆さんの話を聞く限り、今の話に関しては『これだ』というほどの心当たりはなさそうですね。」
 
「まあそういうことになるな。なあクロービス、今の話は俺にとってもセルーネさん達にとってもありがたい情報ではある。クイント書記官が『あのお方』の参謀的な役割を果たしていることは間違いないと思う。だから2人の間に亀裂が生じれば、こちらとしても相手に付け入る隙が出来るかもしれないからな。だが、お前がセルーネさん達まで引き止めたのはそれだけではなさそうだが、どうなんだ?」
 
「さすが剣士団長殿ですね。察しが早くて助かります。実は今の話には続きがあるんですよ。」
 
「お前がそんな言い方をすると薄気味悪い。それじゃその続きを聞かせてくれ。」
 
「その話をする前に、ローランド卿に確認をさせていただきたいのですが。」
 
「は、はい・・・。なんでしょう?」
 
 突然名前を呼ばれ、ローランド卿は驚いて顔をあげた。
 
「ローランド卿は私の剣のことはご存知ですね?」
 
 ローランド卿は一瞬ぽかんとしていたが、すぐにはっとした顔になり、居住まいを正した。
 
「はい、存じています。妻が爵位を継いだ時に、家に伝わる古文書と一緒に義父から話を聞きました。そしてその剣に選ばれたことであなたがどれほどの苦難を経験されたかも、妻から聞いています。」
 
 家に伝わる古文書か・・・。それはおそらく遠い昔、ベルロッド陛下と共にサクリフィアから持ち出された書物だろう。ベルロッド陛下達は、サクリフィアと同じ轍を踏むまいと、聖戦の顛末を書物として遺し、さらに膨大なサクリフィアの書物を西の大陸まで運んだと言う。母国に起きた悲しい出来事を、子々孫々まで伝えていくように・・・。
 
「・・・クロービス、つまりこの先の話は、お前の剣に関わることだというのか?」
 
 セルーネさんが尋ねた。
 
「直接剣の話というわけではありませんが、私がこの剣を持っていることでどんなことが出来るかについては知っていていただかないと、話を信じていただけないと言うことです。」
 
 頭の中に声が聞こえたなんて、何も知らない人に言ったら笑われるか薄気味悪がられるかのどちらかだ。
 
「・・・なるほどな。では話してくれないか。」
 
 セルーネさんは私の言わんとするところを理解してくれたらしい。
 
「はい、実は・・・。」
 

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