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「さて、それじゃみんなの意見を聞かせてもらうか。レイナック殿は心配だが、本気で心配しなければならないのは俺達の今後だ。レイナック殿がご無事なら、必ず俺達と連絡を取ろうとするはずだ。まずはそれを待とう。みんなだってレイナック殿の法力の強さは知っているだろう。あの方がそう簡単にやられたりするものか。どうだオシニス?」
 
「・・・そうですね・・・。気さくで人当たりはいいが、あれで結構なタヌキじじいですから、そのうちひょっこり現れるかもしれませんよ。」
 
 副団長から急に聞かれて少し驚いたが、俺は自分の中に湧き上がった不安を押さえ込みたくて、意識して明るく言った。気にはなるが、この時の俺にはどうすることも出来ない。無事を祈ることしか・・・。
 
「それでは、これからどうするべきか、この3日間で考えたことを聞かせてくれ。どんなことでもいい。意見のある者はどんどん話してくれて構わんぞ。」
 
 さまざまな意見が出た。今後のことが不安だという声、レイナック殿や王宮勤めの連中を心配する声、フロリア様の真意を知りたいと言う声・・・。だが一番多かったのは、『これからも王国剣士としてこの国を守って行きたい、そのためにはどうすればいいのか』という声だった・・・。副団長は1人ずつ話をするたびにうなずきながら聞いていた。
 
「そうだな・・・。俺としてもそうありたいが・・・。」
 
 副団長が言葉を濁した時、俺は思い切って立ち上がった。
 
「副団長、王宮を取り戻しましょう。」
 
「オシニス・・・。」
 
 以前にも同じ提案をしたことがあったから、副団長は驚きはしなかったが、困惑した目で俺を見た。
 
「俺はここで解散なんてしたくないです。この国の人達が危険にさらされているというのに、家に帰って隠れているなんてごめんだ!俺は王国剣士として、これからもこの国を守って行きたい。それにはまず王宮に戻るのが先決じゃないですか。」
 
「私もオシニスの意見に賛成です。」
 
 そう言って立ち上がったのはセルーネさんだった。
 
「副団長、私もオシニスと同じ考えです。王宮を取り戻しましょう。たとえ王国軍を全て返り討ちに出来たとしても、いつまでもここにいたのでは王国剣士としての本来の仕事ができません。それに、王宮が閉鎖されたままな事で、国民の暮らしにも影響が出始めています。町では王国剣士団復活を望む声がどんどん高まっている。人々は私達を今でも頼りにしてくれているんです。私達には、その声に応える義務があるのではないのですか。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 副団長は答えない。もちろんそれが、ただ迷っているから答えないのではないということくらい俺にもセルーネさんにもわかっていた。副団長の判断に俺達は従うつもりだ。だからこそ慎重に判断しなければならないのだと。
 
「やれやれ、先を越されちまったな。」
 
 そう言って立ち上がったのはティールさんだった。
 
「副団長、俺もセルーネとオシニスに賛成です。今こそ行動を起こす時ではありませんか。もちろんそれをここにいる全員に強制は出来ない。いろんな事情を抱えている者もいるでしょう。みんなこの3日間である程度今後のことは考えたと思うんです。あとは、行動を起こすか、それともここを去るか、それぞれが決めればいいことだと思いますよ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 副団長はティールさんの話を聞きおえて、大きく深呼吸した。
 
「では、俺の考えを言おう。実を言うと、俺もお前達と同じことを考えていた。」
 
「副団長、では・・・。」
 
 それなら話が早い。だが口を開きかけた俺を、副団長は手で制した。
 
「本当は、王宮を出た時から、いずれそうなるかもしれないとずっと考えていた。だがそんな事態にならずにすませられるなら、それに越したことはない。だから辛抱強く情報を集めて、なんとか穏便に王宮に戻れないものかと模索していた。実はレイナック殿とも時々連絡を取っていたんだ。だが・・・レイナック殿が行方知れずになったと言うことは、あの方のことだ、身の危険を感じて姿を隠したんだと思う。つまりフロリア様は『本気』だということだ。レイナック殿がいなければ、もはや誰もフロリア様を止められない。だが今までのなさりようが本当にフロリア様の真意なのか、まずはそれを確かめたいと思っている。たとえばそれが真意ではなく、誰かに脅されているなどという事態であるなら、一刻も早く俺達が王宮に戻り、フロリア様をお助けしなければならない。」
 
「フロリア様の真意は、俺達が王宮にたどり着いてからの話です。まずは王宮を取り戻すべく行動を起こしませんか。」
 
 俺はもう一度言った。俺達を徹底的に排除しようとしていることが、紛れもなくフロリア様の真意だと俺は確信していたが・・・そのことをこの場で言う気にはとてもなれなかった。
 
「だが・・・一番の心配は今ティールが言ったことだ。俺はいいさ。女房子供もいないし、他に家族と言っても親もとっくにいない。兄弟姉妹も独立している。でも他のみんなはどうだ?結婚を考えている者もいるだろうし、家には親兄弟、女房子供が待っている団員も多いだろう。そういう者を巻き込めないじゃないか。」
 
「副団長・・・。」
 
 確かに副団長の言うとおりだ。俺だって両親も兄弟姉妹も城下町に住んでいる。副団長はみんなを見渡し、大きく深呼吸した。
 
「だがどうやら、これ以上ここで情報収集していても埒があかないらしい。もう行動を起こすしかないと思ってるが、それがどれほど危険な賭けか、それは理解してもらわなきゃならん。なんと言っても、無事王宮を奪還できた時に、自分が生きていられる保証はない。しかもその時のフロリア様の動向によっては、そのまま逆賊として牢にぶち込まれる危険性もあるわけだ。これから俺達が挑もうとしているのはそういう戦いなんだ。もちろんそんなことにならないよう最善を尽くすつもりだ。カインとクロービスが次に戻ってきた時には、王宮で何事もなかったかのように『お帰り』と言ってやりたいし、クロービスとウィローの結婚式も見たいしな。俺は明日、まずはローランでドーソン達に今日の話し合いの結果を報告してくる。その上であいつらにも今後どうするかを考えてもらわなきゃならん。そしてここにいる者達だが、王宮奪還に加わることができない者は、今から1週間の間に荷物をまとめて家に帰ってくれ。いいか、相方や友達のことを気にする必要はない。そして自分の相方や友人を引き止めるのも厳禁だ。一人ひとりが自分のことを考えて、どうするかを決めてくれ。1週間後、残った者達に、最終的な意思確認をする。いいか、じっくり考えてくれ。俺はこの中の誰一人だって死んでほしくない。自分にとって一番いいと思える選択をしてくれ。今ここを去ったからといって、これから先二度と剣士団に戻れないなんてことにはならん。落ち着いたら必ず迎えに行く。以上だ。では解散!」
 
 
 この日、俺達は夜勤だった。夜中に本物の海鳴りの祠があるあの浜辺を歩いていた時、俺はもう一度ライザーに聞いた。
 
「ライザー、お前はどうするんだ?」
 
「僕はこれからも王国剣士であり続けたいと思ってるよ。3日前にも聞いたじゃないか。」
 
「本当にいいのか?お前を待ってる女のことはどうするつもりなんだ。」
 
「君もしつこい奴だな。待っていると言ってもそれは子供のころの約束じゃないか。もちろん約束を果たすつもりではいるよ。だけど、それは今じゃなくたっていいじゃないか。でも今回のことは後回しに出来ないよ。まずは僕らがあるべき場所に戻る、それが先決じゃないのか。それより君はどうなんだ?」
 
「俺の肚は決まっていると3日前に言ったはずだ。」
 
「でも君の家族はみんな城下町にいるんじゃないか。僕の城下町での家族といえば叔父夫婦と神父様だけど、直接害が及ぶ心配はないと思う。でも君の場合はまた違うだろう。僕は君のほうこそ心配しているんだけどな。」
 
「王宮を取り戻すという案を出したのは俺だ。言いだしっぺがおめおめと家に帰れるか。」
 
「ならいいじゃないか。この話はこれで終わりにしよう。」
 
 この時のライザーに、迷いは感じられなかった。俺達と一緒に王宮奪還に加わるつもりでいたのは間違いないと思う。だが・・・なぜかこの時から、俺の中に漠然とした不安が芽生えていた。奴の肚が決まっていることは、本人があれほどはっきりと言っていたというのに、何かが引っかかる。何でそんなことを思うのか、俺はライザーを信じていないのかと悩んだ。もしかしたら奴も俺の不安は感じ取っていたかもしれない。でも何も言わなかった。そして1週間が過ぎる間、何人かの仲間が海鳴りの祠を去った。10年を超えるベテランもいたし、俺達よりあとから入ってきた奴もいた。だが、去るか残るかは自分で決めることだ。他の誰にも口出し出来やしない。でも見送る時はさすがに悔しい気持ちで一杯だったよ。俺達が王宮に戻った暁には、絶対連れ戻しに行く、あの時、俺はそう心に決めていた。そして・・・
 
「こんなに残ったのか・・・。」
 
 約束の一週間後、副団長はみんなを集めて見渡し、そう言ってため息をついた。この日はドーソンさん達も来ていた。去ったのはほんの何人かだ。人数は一週間前とそんなに変わらなかったが、副団長はなんだか、変わらなかったことのほうが残念だと思っているように見えた。
 
「さて・・・俺の考えはこの間話したとおりだ。この一週間で何人かの仲間が去っていったが、俺はそれが正しい選択なんじゃないかと思う。」
 
「と言うことは、俺達が間違った選択をしているってことですか?」
 
 そう尋ねた俺に、副団長は少し大げさに肩をすくめてみせた。
 
「考えてもみろよ。俺達は今まで王宮を拠点にしてこの国を守ってきたんだ。なのにその拠点だった場所を攻撃しようと言うんだぞ?それしか道がないからと言って、それが正しいことかどうかは別問題じゃないか。」
 
「副団長のおっしゃることはわかりますが、間違いでも何でも、この先それしか道がないなら、そこに向かって進むしかないではありませんか。」
 
 そう言ったのはセルーネさんだった。
 
「お前の父上とは連絡は取れたのか?」
 
「実は一度こっそり城下町に戻って、両親と姉夫婦に会ってきました。覚悟は出来ているから、存分に暴れて来いと言われましたよ。」
 
「暴れて来いとは・・・娘に言う台詞じゃないよなあ。」
 
 副団長が笑い出した。セルーネさんも笑っている。
 
「ははは、そうですね。でも私達が負ければ、王宮がそれを理由に『逆賊の家』として私の実家を攻撃することも考えられます。私はもちろん負けるつもりはないですが、おそらく今頃は、そのための訓練に余念がないでしょう。」
 
「そうだな・・・。俺達は負けるわけにはいかん。」
 
 セルーネさんの言うとおりだ。ベルスタイン公爵家は、王家にとっては怒らせたくない相手だが、あの時のフロリア様にとっては邪魔者以外の何ものでもなかっただろう。公爵家を攻撃する理由を王宮に与えてしまったら、それこそ国を二分する戦乱になってしまう。
 
「とは言え、俺は未だに迷っている。死出の旅路になりかねない、たとえ生き残れたところで先の保証など何もない戦いにお前達を巻き込んでしまっていいのかどうか・・・。だが、時間は待ってくれない。いつまでも決断を先延ばしにしたところで、事態は悪化するだけだ。そろそろお前達の返事を聞かせてもらう。いいか、よく聞けよ。これから俺が、残った者達の名前を一人ずつ呼ぶ。このままここに残って王宮奪還に加わりたい者は、俺が名前を呼んだ時に即座に返事をしろ。いいか、間髪をいれずすぐにだ。少しでも返事が遅れた者、返事が出来なかった者は、すぐにここを去ってもらう。すぐに返事が出来ないと言うことは、何かしら後顧の憂いがあるということだ。無理をすることはない。では後ろのほうから呼び始めるぞ。いいか?返事をするならすぐにだぞ?」
 
 しつこいくらい念を押して、副団長が1人ずつ名前を呼び始めた。俺とライザーは前のほうにいたから、名前を呼ばれたのはだいぶあとだったんだ。
 
「オシニス。」
 
「はい。」
 
 副団長が俺の名前を呼んだ瞬間、俺は返事をしていた。副団長は俺を見て、心なしか『やれやれ』と言った顔をしたように見えた・・・。
 
「ライザー。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 その時、おれは全身に鳥肌が立つ思いだった。驚いて振り向いた俺を見て、ライザーははっとして顔をあげた。
 
「は・・・はい!」
 
 副団長はそんなライザーを見て・・・
 
「時間切れだ。お前は今日か明日のうちに荷物をまとめてここを出ろ。」
 
「副団長!僕は・・・!」
 
「言ったはずだ!!即座に返事が出来なければここを去ってもらうと!」
 
 副団長の怒鳴り声に、ライザは青ざめて黙り込んだ・・・。
 
「・・・次だ。エリオン。」
 
「はい!」
 
「まったく・・・お前も迷いなく返事をするなあ。」
 
「迷う理由がありませんからね。俺の肚は決まってます。」
 
「ガレス。」
 
「はい!」
 
「セルーネ。」
 
「はい!」
 
「ティール。」
 
「はい!」
 
「おいティール、何で迷わないんだ?かわいい女房子供がいるってのに。」
 
「呼んでおいてから言わないでくださいよ。俺もこっそり城下町に戻って、家族に会ってきました。必ずや朗報を携えて帰ってくると約束したんです。俺は死出の旅路に出るつもりもなければ、牢にぶち込まれる気もありません。何があっても、この国を取り戻します。そしてこれからも王国剣士としてこの国を守っていきます。」
 
 ティールさんはきっぱりと言い切った。即座に返事をした者は、みんな同じ気持ちだっただろう。
 
「・・・これで全員だな。呼ばれてない者はいないな。」
 
 副団長はみんなを見渡しそう言った。返事が出来なかったのはライザーだけじゃない。後ろのほうでも、何人かが黙ったまま涙をためていた。それを見た副団長は、ため息をひとつついてこう言った。
 
「返事が出来なかった者、それを恥じることはない。人にはそれぞれ大事にしていることがあって、それは他人がどうこう言えないものだ。俺達のことを気にする必要はない。お前達はお前達の人生を全うすることだけを考えてくれ。そして、再び王国剣士団が王宮に戻った暁には、ぜひ帰ってきてほしい。それから、残る者は去る者に対して何があっても恨み言を言ってはならんぞ。俺の決定に従えない者は、たとえ今すぐに返事をした者であっても、ここを出て行ってもらう。そして王宮奪還は一ヵ月後だ。それまで、対人戦を想定した訓練をみっちり行う。覚悟しておけよ。以上だ。解散!」
 
 『対人戦』と聞いて、少しざわついた。『人間に対して剣を向ける』事を想定した訓練ということだ。もちろん盗賊どもを相手にする時には人間に剣を向けるわけだが、副団長は、言外に『人を殺すことも出来る訓練』と言ったような気がした・・・。
 
 だがこの時の俺は、それどころではなかった。ライザーは座っていた場所から動かないまま、うつむいて涙を流している。その後ろで、カーナが呆然としたまま、ライザーの背中を見つめていた・・・。俺がこの間から感じていた不安が、まさか的中するとは思わなかった・・・。
 
「ライザー・・・。」
 
 なんと声をかけて言いかわからなかった。何を言えばいい?残れとも行けとも俺には言えない。副団長に言われたからではなく、俺にはその権利はない。それはライザー自身が決めることだ。ライザーは袖で涙をごしごしとぬぐって立ち上がった。
 
「ごめん・・・一人にしてくれないか・・・。」
 
 ライザーは絞り出すような声でそう言うと、洞窟へと歩いていった。その日は夜まで奥の浜辺にいたらしい。夜中に戻ってきて寝袋にもぐりこむ気配がした。そして・・・翌日、荷物をまとめて海鳴りの祠を出た。副団長に挨拶を終えて管理棟から出てきたライザーは、俺に向かってさびしそうに微笑んだ。
 
「お別れだね・・・。」
 
「島に帰るのか?」
 
「・・・そうだね・・・。今城下町には戻れないから、一度島に行ってみようと思ってるよ。」
 
「そうか・・・。」
 
「オシニス、君の、そしてみんなの無事を祈ってるよ。」
 
 ライザーはそう言って俺に背中を向け、門に向かって歩き出した。
 
「ライザー。」
 
 ライザーの肩が震えたような気がしたが、やつは立ち止まらなかった。そのまま門を出て行く奴の背中に向かって俺は叫んだ。
 
「ライザー!いつか、いつか会いに来てくれ!必ずだぞ!」
 
 遠ざかっていくライザーの背中が涙でぼやけた。奴の背中を見送る日がこんなに早く来るなんて思わなかった・・・。
 





 
「・・・それから、俺達は副団長の・・・グラディスさんの指揮の下、対人戦を想定した訓練を積むことになったが、その後お前達が海鳴りの祠に戻ってくるまでの間に、さらに何人かが去って行った。グラディスさんの訓練は厳しく、時には『人を殺すための技』までも教え込まれることに嫌気がさしたとはっきり言う奴もいたが、グラディスさんは笑顔で送り出していた。今思うとあの人は本当は・・・誰も連れて行きたくなかったのかもしれないな。出来るなら一人で殴り込みをかけたかったんじゃないかと思うよ。でも当時俺達には、グラディスさんの気持ちに気を回せるだけの余裕なんぞありゃしなかった。残ると決めた者達の中からも少しずつ不満が漏れ出していた時に、お前達が帰ってきてカインの死を聞いた。あの日からみんな変わったよ。仲間が殺されたという事実を目の前に突きつけられて、もう誰も不満を口にすることがなくなった。・・・皮肉なもんだが、カインの死によって、俺達の結束はがっちりと固くなったわけさ・・・。」
 
「・・・そういうことだったんですか・・・。」
 
「ライザーがあの時、何で返事をしなかったのか、俺にはわからない。だが振り向いた俺の顔を見て、はっとして慌てて返事をしたところを見ると、おそらく何か考え事をしていたんだろう。あの時考えていたことが、おそらく奴にとっての『後顧の憂い』だったんだろうな。あの時は確かにつらかったが、俺は奴を恨んだことは一度もないし、ましてや奴が俺達を裏切ったなんて、髪の毛一筋ほども考えたことはない。だから本当なら、城下町に出て来た時に一番に顔を出してほしかったよ。手ぶらじゃ行けないなんて、そんなことを考える必要はないんだ。俺は・・・ただ、あいつにもう一度会いたかった。手紙を書き続けたのもそう思っていたからだ。だが・・・結果として俺は奴を危険にさらしている・・・。まったく、今さらながら自分のバカさ加減に嫌気がさすよ。」
 
「・・・この間ライザーさんからの手紙をもらいましたよね。」
 
「・・・ああ。」
 
「あの中に書いてありましたよ。オシニスさんが剣士団長になったことが一番嬉しかったって。もっと早くてもよかったと思うけど、きっと本人が嫌がったんだろうなって。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「ライザーさんにとっても、オシニスさんは今でも親友なんですよ。だから、親友が認められたことはとても嬉しかっただろうし、親友の危機には、本当なら何をおいても駆けつけたかったことでしょう。手ぶらじゃなんだからなんていうのは口実だと思います。ライザーさんは、何とかしてオシニスさんを助けたいと、ずっと思っていたんじゃないかと思います。」
 
 オシニスさんは袖で顔をごしごしとこすった。
 
「俺の話はこれで終わりだ。・・・そして俺のほうの資料の山もこれで最後だ。この中にあってくれるといいんだが・・・。」
 
 言いながら、オシニスさんは一番分厚いファイルを持ち上げて見せた。他のファイルはもう調べ終わって、机の下に積み上げてある。
 
「私のほうはあと3冊ほどですね・・・。うーん、何だか私の担当したほうが多かったかもしれませんよ。」
 
 足元に積み上げられている、調べ終わったファイルの高さはオシニスさんのほうのファイルの高さと変わりない。
 
「あ、そうみたいだなあ・・・。よし、これを見終わったらそっちを手伝うよ。」
 
「そっちに積みあがっている書類のほうはいいんですか?」
 
 いつもオシニスさんの机に乗っている山のような書類は、今は机の脇にある棚の上に押しやられている。
 
「ああ、そっちはさっきアレインが持ってきた書類だからな。その中でも緊急性のない案件ばかりだ。まずはこっちを片付けないとな。・・・このファイルもなしか。俺のほうに積みあがっていたのは全部該当なしだ。となるとこっちに期待を寄せたいところだが・・・。」
 
 オシニスさんはそう言って私の前に置かれていた3冊のファイルのうち、一番上のファイルを取った。
 
「うーん・・・シャロンは当時小さかったから、母親と一緒にいても陳情者としては記録されていない可能性が高いが、おふくろさんの名前はそろそろ出てきてもいい頃だがなあ。」
 
 フローラが盗み読みしたおかみさんの日記には、きちんと日付が書かれていた。それを頼りに私がオシニスさんにその頃の記録を見せてほしいと頼み、それを伝え聞いたエミーがその周辺一週間ほどの記録を持ってきてくれた。だから記録に残っていないはずはないのだが、それも記録係がどこまできちんと仕事をしていたかによる。別に怠けたつもりはなくても、仕事が間に合わなくて小さい案件の記録を飛ばしてしまったりということが絶対なかったとは言い切れない。
 
「そうですね・・・。うーん・・・ん?」
 
 手に持ったファイルの中ほどのページをめくった時、おかみさんの名前『マイサ』と言う文字が視界に入った。
 
「あったか?」
 
「ちょっと待ってください・・・。あ、このページだ。」
 
 
 
 
「これは・・・おそらく亭主の消息を調べてくれと頼みに行った時の記録だな。」
 
「そうみたいですね。でも『手が足りないので誰かに何か依頼した』ように書かれているみたいですけど・・・。」
 
 紙はすっかり古くなり、下半分があちこちこすれて読みにくいところがある。
 
「うーん・・・このころは紙の質もよくなかったし、この書類自体の扱いもかなり雑だったからなあ。記録が残っていただけでもめっけもんだ。しかしこれだけか。本当は、どこに住んでいるとか、ある程度家族の名前とかも書かなくちゃならないんだが・・・。まあ今さら言っても始まらないよなあ・・・。」
 
「それじゃ、フローラが読んだ日記の中にあった「調べたことがわかった日」の記録もあるはずだから、そちらを見ればわかるかもしれませんね。」
 
「そうだな。そっちのほうは、日記の日付がどうやらそのまま『王宮に出向いた日』のようだが・・・ちゃんと書いてあればあるはずだ。うーん・・・このファイルの後ろのほうには・・・・ないな。ということは、この次のファイルか。それがえーと・・・。よし、これだ。」
 
 オシニスさんは私の前に残っていた二冊のうち、下にあるほうのファイルを引っ張り出した。
 
「んー・・・そっちの日付がこれだから・・・こっちだと・・・この辺かな。」
 
 開いた箇所を何ページかめくると・・・
 
「あった!・・・・なんだこりゃ。」
 
 
 
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「あるにはあったが・・・。」
 
「これを手抜きと怒ってはいけないんでしょうけどね・・・。」
 
 当時の状況を考えれば怒ってはいけないとは思いつつも、やっと見つけたと思った手がかりがするりと手から滑り落ちてしまったようで、オシニスさんと私はほぼ同時にため息をついて、椅子に座り込んだ。
 
「いや、これは手抜き以外の何ものでもない・・・。しかし参ったなあ・・・。元の記録がちゃんと読めれば問題はなかったわけだから、記録係に文句を言うのも気の毒ではあるんだが・・・。」
 
 オシニスさんはおかみさんが最初に陳情に行った日と思われる記録をもう一度めくり、何とか読めないかとしばらく眺めていたが、やがてため息と共に記録を閉じた。そのファイルは特に損傷が激しく、最初のページからあちこち読みにくい箇所がたくさんあり、最後のほうはページが半分ほども破けていたりしていた。それを丁寧に修復したあとがあるのは、文書館の司書達の仕事らしい。それでもさすがに、見えなくなった文字の復元は難しいと思う。
 
「あとは受付の記憶を頼るしかないってことかなあ・・・。」
 
「つまり、パティの手を借りるしかないってことになりますねぇ・・・。でもパティが憶えているかどうかも・・・。」
 
 20年も前、大量の陳情者を捌いていた頃に、その中の1人のことを思い出してくれと言う話自体無謀な頼みだとは思う。
 
「うーん・・・」
 
 オシニスさんはしばらく唸っていたが・・・
 
「クロービス、悪いがランドを呼んできてくれ。可能性は低くても、手がかりがあるならあきらめたくはないからな。」
 
「わかりました。」
 
 
 
「なるほどなあ・・・。確かに忘れていたらなんともしょうがないが、案外憶えているかもしれんぞ。」
 
 やって来たランドさんはオシニスさんから話を聞き終え、少し考えたあとそう言った。
 
「まあそりゃパティの記憶力は並みじゃないだろうが・・・。」
 
「いや、そういうことじゃなくて、陳情者はあの雑貨屋のおかみさんだよな?」
 
「ああそうだ。そう言えばお前もあの店で買い物したことがあったっけな。」
 
「うちじゃ俺だけじゃなく、パティもよく買い物をしているんだ。だからおかみさんとも子供達とも顔見知りだよ。亡くなったと聞いた時には、うちの家族はみんな悲しんでたよ。パティの奴は葬式にも行ったんだ。」
 
「そうか・・・。親しくしている顔を大量の陳情者の中に見つければ、おや、と思うよな・・・。」
 
「そういうことさ。しかもその陳情の内容は前の旦那の消息を尋ねるって話だろう?そうなれば、そのおかみさんの方は知り合いになんて会いたくなかったんじゃないかと思うんだよな。」
 
「なるほど、もしかしたらパティを見かけて、顔を隠したりしたかもしれないと言うことですね?」
 
「そうだ。だが、あの頃王宮のロビーは陳情者でごった返していたんだ。みんな少しでも自分の順番を早くしてもらおうと我先に受付に押し寄せていた。そういう時に、顔を隠したり後ろのほうに移動したりするようなそぶりを見せたら、それだけで目立っちまう。それに、うちの女房だって受付嬢としてはプロだ。陳情者の中に顔見知りがいたら、見落としたりしないぞ。不自然な動きをしたりしていたならなおさらな。」
 
「うーん・・・となるとパティに話を聞けばもう少し詳しいことがわかる可能性はおおいにあると言うことか。」
 
「そういうことだ。なんなら今日の夜でもうちに来るか?クロービスとウィローが来てるって聞いて、うちの奴も会いたがっているんだ。その時聞いてみればいいさ。」
 
「いきなり行ったらご迷惑じゃないですか?」
 
「いや、別に構わないよ。それに、早いほうがいいんじゃないのか?」
 
「確かにそうだ。なあクロービス、この話を聞くのはお前に任せるよ。」
 
「オシニスさんは行かないんですか?」
 
「今日の夜では無理だな。明日は会議でライラの発表があるから、じいさんと打ち合わせだ。」
 
「それじゃ俺は昼にいったん家に戻るから、クロービスとウィローが来ることを話しておくよ。」
 
「よろしくお願いします。」
 
 
 
「パティが覚えていてくれればいいがなあ・・・。」
 
 ランドさんが出て行ったあと、オシニスさんがため息と共につぶやいた。
 
「誰が応対したかだけでもわかれば、そこから調べることは出来そうですからね。」
 
「そうだな・・・。それがわかるだけでも大収穫だ。覚えていたとしても、パティがどこまで詳しく教えてくれるかはなんとも言えないからな。」
 
「パティのことだから、今でも守秘義務をきっちり守っているんでしょうね。」
 
 王宮への訪問者は、必ず受付を通る。だから受付嬢は訪問者がどんな用事で誰と話をしたか、全てを知っているはずだが、当然ながらそのことを外部に漏らしたりすることは出来ない。その守秘義務は退職してからも続く。パティは受付の仕事に誇りを持っていた。そのパティがいくら20年前のこととは言え、守秘義務に反することをそう簡単に話してくれるとは思えない。
 
「おそらくはな・・・。しかもこっちもあんまり事情を詳しく話せないときてる。」
 
「パティを巻き込みたくはないですからね・・・。でも、さっきの話ではどうやらパティもランドさんもセディンさんの家族とは顔見知りだったみたいだし、お互い共通の知り合いの話として聞く分には、変に思われることもないんじゃないですか。」
 
「そうなんだが、ひとつ問題がある。」
 
「問題?」
 
「パティは勘がいい。」
 
「ああ、それは確かにそうですねぇ・・・。」
 
 私が『単なる知り合いの近況』として話を聞こうとしても、パティが何かを感づく可能性は大きい。
 
「ま、その辺りは俺からランドに話をしておくよ。守秘義務に反することを聞き出そうって言うんだから、多少はこっちも手の内を見せないとな。」
 
「そのあたりはお任せしますよ。あとでどの辺まで話したのかさえ教えていただければ。」
 
「ああ、わかった。それじゃクロービス、今日の夕方、じいさんのところに行く時間を早めにしよう。あの裁判官の話をしたら、俺はそのまま残って打ち合わせをするから、お前はそのあとウィローを迎えに行って、その足でランドの家を訪ねればいいんじゃないのか。」
 
 
「失礼いたします。剣士団長様はご在室でしょうか。」
 
 扉がノックされて女性の声がした。
 
「ああ、いるぞ。」
 
 扉が開いて入ってきたのは、フロリア様の部屋で何度か見かけたことのある侍女だ。
 
「昼食の用意が調いましたのでご案内いたします。」
 
 侍女はドレスをつまんで優雅にお辞儀をした。
 
「フロリア様とご一緒なんですね。」
 
「ああ、みんなと一緒に食事をするようになってから、フロリア様も楽しそうなんだ。この提案をしてくれたお前には感謝しているよ。」
 
「一番の功労者はロイスシェフですよ。あのおいしい食事がなかったら、なかなかうまく行かなかったかもしれません。」
 
「そのうちお前も付き合えよ。フロリア様に俺から推薦しておくよ。」
 
「ははは、そうですね。そのうち。」
 
 侍女達やレイナック殿も含めて、毎日の昼食はかなりにぎやからしい。オシニスさんは侍女に案内されて執政館へと向かった。私は妻を迎えに医師会へと足を向けた。急な話だが、妻にはランドさんの家に行くことを話しておかなければならない。
 
 
「午後からはどうするかな・・・。」
 
 話が途中になってしまったので一度はここに来なければならないが、昔話をする気にはなれない。これから話すことは、おそらくはオシニスさんが一番知りたがっていることだからだ。そして、私にとっては一番話しにくいことでもある。
 
「うーん・・・もしもオシニスさんの方の用事が特にないなら、クリフの病室に行ってみるか。」
 
 ふと、オシニスさんの部屋に山と積まれたあの書類のことを思い出し、文書館に返しに行くべきかとも思ったが、一般人がいきなり行っても変に思われる可能性がある。ここはやはり、きちんとした手続を踏んでエミーに話を通してもらってからにするべきだろう。
 
クリフの病室に行くと、ちょうど食事の最中だった。マレック先生もいて、チェリルがクリフに感想を聞いている。
 
「・・・うん、やっぱり君の作る食事はおいしいよ。ここでずっと寝たきりだった時にはもう君の作った料理は食べられないかと思ってたけど、またこうして食べられるようになるなんてね。」
 
 クリフはベッドから起き上がり、自分でスプーンを口に運んでいる。ベッドの上に設えられた背もたれに体を預けてはいるが、疲れているようにも見えない。
 
「・・・よし、これでいい。それじゃチェリル、今聞いたクリフからの要望を元に、もう一度献立を練り直すよ。もしかしたら時間がかかるかもしれないから、まずは固さとさっき話の出た舌触りの部分については、改善できるようにしておいてくれるかい?必要な食材があるなら、いつもと同じように医師会の病棟にある調理場に声をかけてくれればいいよ。」
 
 マレック先生はカルテにいろいろと書き込んで、それを小さなメモに書き写してチェリルに渡した。
 
「わかりました。頑張ります。」
 
「ははは、そんなに気負わなくていいよ。君の料理の腕を僕が独占するわけに行かないからね。」
 
 クリフが笑った。
 
「まったくだ。今の時間に何度もここに来てもらうわけにもいかないな。チェリル、あとは用事があればこっちから行くから、戻ってくれていいよ。今は食堂のほうが大忙しなんだろう。すまなかったね。」
 
「そんなことないです。今の時間は確かに忙しいですけど、ローダおばさんも協力してくれてますから。それじゃ失礼します。」
 
 マレック先生に頭を下げられ、チェリルは恐縮しながら病室を出て行った。私とすれ違う時、はっとして赤くなりながら頭を下げていた。素直ないい娘だ。彼女にも幸運が訪れてほしいものだが・・・。
 
「さて、それでは薬を飲んでもらいますよ。」
 
 ハインツ先生から渡された薬を、クリフは少し顔をしかめて飲み干した。部屋の中に漂う匂いをかいだだけで、いかに苦い薬かはよくわかる。だがクリフは顔こそしかめたものの、黙って飲んだ。
 
「クロービス先生、奥さんとイノージェンさんは私の部屋にいらっしゃいますよ。いろいろご助言いただけて、本当に助かっています。」
 
 妻達は今マレック先生の部屋で、一般患者の食事の改良についての研究を手伝っているらしい。
 
「お役に立てているなら何よりです。」
 
 マレック先生はこの後自室に戻るので、私がここにいることを2人に伝えてくれるとの事だった。そこで私は今のうちに、クリフの今の状態をハインツ先生に教えてもらうことにした。
 
「今日はだいぶ調子がいいようですよ。昨日よりは痛みも少ないようですしね。」
 
 昨日は夕方少し痛みが強かったと言う話だったが、マッサージで何とかなった。今日は痛まなくても明日は痛むかもしれない。その時に同じマッサージを試しても効くかどうかはわからない。回復してきているとは言っても、別に病気が消えたわけじゃない。予断を許さない状況なのだと言うことは、肝に銘じておかなければならない。私はクリフのベッドの脇に置かれた椅子に座った。クリフはもう横になっている。
 
「胃の調子はどうだい?食べた後の胃もたれとかは?」
 
「それが全然ないんです。自分でも不思議なくらいです。」
 
 クリフが自分の胃のあたりをさすりながら言った。
 
「そうか。それじゃ大丈夫だね。実はね、さっきラエルに会ってきたんだ。彼の様子を伝えておこうと思ってきたんだよ。」
 
 私はラエルの今の様子を伝え、判決が出たらまた必ず伝えるよと約束した。
 
「クリフ、これはラエルにも言ったことなんだけど、君達がお互いを大事な友人と思っていることはわかる。だが、相手の人生まで背負い込もうなどと考えてはいけないよ。君の人生は君のものだし、ラエルはラエルで自分の人生を生きていかなければならない。今は自分の出来ることをしっかりとやって、次に会う時に胸を張って会えるようにすればいいんだ。君が気に病みすぎてはいけないよ。」
 
 クリフは静かな表情でうなずいた。
 
「でも先生、今回のことは・・・僕にも責任の一端があるかもしれないんです。」
 
「何か思い当たることがあるのかい?」
 
「ラエルがここに僕を連れてきた時、僕はものすごい痛みをまだ我慢しようとしていたんです。何でもないとあいつの手を振り切って仕事に戻ろうとしました。でも途中で歩けなくなって、結局ラエルと、僕らの同期の奴に抱えられるようにして、ここの外来に来たんです。」
 
「それでも我慢しようとしてたのか・・・。」
 
「あの時は・・・何日か前に団長に呼ばれて、翌月から南地方のローテーションに入ることと、執政館や乙夜の塔の警備にも入るようになるから先輩から少し話を聞いておけって言われたばかりだったんです。僕らは剣士団の中でも特に精鋭でも何でもないから、3年過ぎてやっと人の話でしか知ることの出来なかった場所の警備に入れるって、2人ですごく喜んでいました。その時には僕はもう腹だけじゃなくて背中や腰も痛むことがあったんですけど、今こんな時に病院になんて行っていられないと、隠し通そうとしていたんです。」
 
「なるほど・・・確かにその状況では、病気だなんて言いたくないね。」
 
「はい・・・。だからたまたま調子が悪かっただけだってラエルには言って、薬も隠してちゃんと飲まなかったりして・・・。」
 
 クリフが流れ出た涙を袖で擦った。
 
「あいつは、僕が自分のせいで無理をしたんじゃないかと思ってるかもしれないんです。警備場所が増えるって、ラエルはすごく喜んでいたから、それで僕が病気のことを言い出せなくなったんじゃないかって。」
 
 そう言うことだったのか。ラエルは相方の病気がひどくなったのが自分のせいかもしれないと、ずっと気に病んでいたのだ。元々は真面目な性格らしいから、その不安を誰にも言えずにいたのだろう。それでもいずれよくなることを信じて頑張っていたのに、その気配は見えず、心が折れそうになっていた時に、トゥラと知り合った・・・。おそらくは、だが、クイント書記官はラエルが不安を抱えていることを知り、彼を利用しようと考えたのだろう。親切顔で近づき、ライラ襲撃を唆した。そう考えると、スサーナだけでなく、ラエルのこともある程度前から目をつけていたのかもしれない。そしてチェリルも。3人とも、うまく行かない恋に悩みを募らせている。彼らの不安な心を感じ取って、いずれ利用するための手駒として・・・。
 
(でもあの3人はもう利用できない。まさかと思うが、他にも目をつけられている誰かがいるかもしれないわけか・・・。)
 
「ラエルには今の君の状態も伝えてきたよ。以前会った時より顔色もいいし、声も大きくなっている。かなり回復しているよとね。次に会う時にはもっと元気になって会えるように、今は病気を治すことだけを考えよう。」
 
「・・・手術をしたら、もっと元気になれますか?」
 
「手術そのものに関しては、そうなれるように全力を尽くすとしか言えない。でも、君の体力がついて、一番いい状態で手術の日を迎えられれば、当然その確率はぐんと上がる。そのためにも、今は無理をせず、きちんと指示に従って治療を受けてくれ。」
 
「わかりました。」
 
「それじゃもう眠ったほうがいいね。今も痛まないんだね?」
 
「はい、大丈夫です。」
 
 看護婦が毛布をかけてくれて、クリフは目を閉じた。私はそっと立ち上がり、食事に出てきますと言って病室を出た。
 
 
『もっと元気になれますか』
 
 クリフは『治りますか』とは聞かなかった。そして私も『治るよ』と言えなかった。そう言えたらどんなにいいか。私に出来ることは、少しでも彼の人生を延ばすための手伝いだけだ・・・。
 
 マレック先生の部屋に向かおうとしたところで、妻とイノージェンに会った。
 
「あら、クリフのほうはいいの?」
 
「今食事をして眠ったところなんだ。睡眠は大事だからね。音を立てないように出てきたよ。」
 
 妻とイノージェンはセーラズカフェに行くつもりでいるらしい。イノージェンが以前約束した『ライラの好きなもの』のレシピをまとめたので持っていくという話だ。
 
「それじゃ一緒に行くよ。ライラとイルサはいいの?」
 
「ライラは今日一日部屋にこもって仕事よ。イルサは出かけたわ。友達と約束しているみたい。ランドさんには届けてあるって言ってたから、心配ないと思うわよ。」
 
「そうか。それじゃ行こう。」
 
「資料探しはどう?人手は必要?」
 
 妻が心配そうに尋ねた。
 
「いや、見つかったから大丈夫だよ。ただかなり不完全で、資料の痛みも激しいからたいしたことはわからなかったんだ。調査はまだかかりそうだよ。それより、ランドさんが今日の夜遊びに来ないかって。パティが私達に会いたがってるそうなんだ。」
 
「あらそう。私も会いたかったの。でも急にご迷惑じゃないの?」
 
「いや、ランドさんのほうから話が出たから、大丈夫だと思うよ。」
 
「そう、それじゃ夕方伺いましょ。お土産買わなきゃね。」
 
「そうだね。」
 
 妻が調子を合わせてくれて助かった。ランドさんの家を訪ねる理由は、出来るだけ知られたくない。イノージェンだけでなく、他の誰にも。
 
 
 
 外は雨模様のせいか、人通りはそれほど多くない。だが、セーラズカフェの中はほぼ満員だった。雨を逃れて早めの食事に来た人達がほとんどらしい。カウンターなら空いていると言われたので、そこに座ることにした。
 
 
「そろそろ祭りも終盤だというのに、生憎の雨とはな。あんたらはもう祭り見物には行かないのか?」
 
 コーヒーを淹れながらマスターが話しかけてきた。香りがフロア中に広がっていく。
 
「またそのうち行こうとは思ってますよ。連日遊びに出かけられるほどの体力はないですから、調整しておかないとね。」
 
「なるほどな。若い時のようにはいかないか。おいセーラ、奥のテーブルのコーヒーが入ったぞ。」
 
 マスターの動きはよどみない。カウンターの隅に今淹れたコーヒーをさっと並べ、そしてセーラさんがすばやく、一滴もこぼさずトレイに乗せて運んでいく。
 
「お待たせー。ライラのお母さん、この間のレシピは持ってきてくれた?」
 
 セーラさんが戻ってきた。イノージェンがレシピを書いた紙をセーラさんに手渡し、セーラさんはそれを見ながらイノージェンにいくつか質問した。そして・・・
 
「それじゃ、これとこれなら・・・うん、うちに今ある食材で作れるわ。試食してくれない?もちろんその分はただよ。今日のおすすめと組み合わせてみたいの。」
 
 さすがにプロだ。すでにセーラさんの頭の中にはイノージェンのレシピを元にしたさまざまな創作料理のアイディアが浮かんでいるらしい。
 
 やがて『今日のおすすめ』と共に出てきた料理は、小さな皿がなんと4つ。同じ種類の料理の皿が2つずつあるらしい。味付けが違うとのことだ。イノージェンと妻が慎重にふたつの料理を食べ比べている。
 
「・・・どう?」
 
 セーラさんが不安げに尋ねた。
 
「こっちの皿は、私がいつも作るのとかなり近い味付けだけど、こっち側のは・・・ここのお店の味、ですね。ふふふ、どっちもとてもおいしいわ。」
 
 イノージェンは満足げだ。
 
「うん、そうね。こっちの皿はイノージェンの作る料理にかなり近いと思う。私はこのお店の料理は何度も食べているけど、こっち側のは確かにここのお店の味ね。」
 
 妻も『ほんと、おいしい。』と言いながらにこにこと食べている。私も味見してみたが、片方の味は、イノージェンの、というよりなんとなくイノージェンの母さんの作る料理の味に似ている。私にとってはとても懐かしい味だ。
 
「・・・なるほど。ありがとう。あたしもそのつもりで作ってはみたんだけど、どっちも似たような味だって言われたらどうしようかと思ったの。」
 
「とんでもない。違いがはっきりわかるわ。それに、すごくおいしいです。でもどうして?」
 
「実はね、今新メニューの構想中なの。だからたとえば、ライラが来た時に出せる料理ならお母さんの味付けでいいかもしれないけど、大勢のお客さんに出すためにはうちの味も必要かなと思って。ま、これからもう少し練り直すわ。今日のところはこうして味付けを分けてみたけど、ライラのお母さんの味付けがすごくいいのよね。何とかうちの味に取り入れたいの。うちはおかげさまでたくさんのお客さんに支えられているけど、その上にあぐらをかいてしまったら、みんな離れてしまうもの。常に努力して、新しい味を追求していかないとね。」
 
「ええ!?新メニューに私の料理が!?」
 
 イノージェンが驚いて声を上げた。
 
「そうよ。この内容なら、充分お店の料理として使えるわ。もちろん、いろいろと工夫はするわよ。家庭で食べる家庭料理と、お店で出す家庭料理は違うから。でもこのレシピをいただけたことには感謝するわ。お金を払うってわけには行かないけど、ライラにはちゃんとお母さんの味で提供するわよ。」
 
「お金なんてとんでもない!ライラのことではお世話になってるんですもの。これくらいのことなんでもないです。」
 
 
 この日も変わらぬおいしい食事を食べることが出来たのだが、『試食してもらったから』と、代金の端数を値引きしてくれた。『次に来てくれたらまた違うメニューの試食をお願いするわ』と、セーラさんが言った。
 
 

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