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「はい・・・昨日より気持ちよかったですよ。嘘もついてないし、無理したりしていないです。」
 
 はっきりとした聞き取りやすい声でクリフが答える。心なしか笑っているようだ。きっとゴード先生は、自分がマッサージしたあとクリフが本当に楽になったのか、確信が持てなくて何度も同じことを尋ねているのだろう。
 
「そ・・・そうか・・・。よかった・・・。」
 
 ゴード先生はほっとしたように汗をぬぐいながら、背もたれに寄りかかった。妻がクリフに、どこか痛いところは残っていないかと聞いているが、今日はどこも痛まないという返事だ。
 
(嘘はついていないな・・・。)
 
 周囲の人の心の中が読めるわけではもちろんないが、今では誰かが嘘をついているかいないか、よくないことを考えているかどうか位のことはすぐにわかる。『力の半分も使えていない』状態で、しかも力なんて何も使っていなくてもこうなのだから、全ての力を目覚めさせるなどということになったら、それこそどんな苦労を背負い込むことになるかわからない。そんなことにならなくて本当によかったと、夕べのレイナック殿との会話を思い出して冷や汗が出た。
 
「ゴードのマッサージの腕も上がってきましたよ。やはり実際に患者にマッサージしてみないと、頭の中で考えているだけではだめですね。」
 
 ぐったりしているゴード先生を見ながらハインツ先生が言った。
 
「もう腕を上げられたとは、やはり長く研究されているだけありますね。ところでゴード先生、お疲れのところ申し訳ないのですが・・・。」
 
 私は先ほどハインツ先生と話していた、クリフのリハビリについてゴード先生に尋ねてみた。
 
「そうですね・・・。一昨日から、検温のあと少し起きてもらって問診をしたりしていますから、それを少しずつ拡大させていくことにしましょう。手足の運動は、ある程度の時間起き上がっていられるようになってからのほうがいいでしょう。」
 
 アスランのリハビリは彼が日常生活を問題なく送れるようにするためのものだが、クリフの場合はとにもかくにも体力をつけることが目的だ。疲れるほどの運動はかえってよくないが、寝てばかりいては筋肉だけでなく骨も弱る。
 
「動いていいんですか?」
 
 私達の話を聞いていたクリフが目を輝かせた。
 
「走り回ったりするのはまだ出来ないけどね。まずは体を起こしてどのくらいいられるか、そこからだよ。無理は絶対しないこと。無理をしたり疲れているのに大丈夫だと言ったりすれば、それだけ回復は遅くなる。早く元気になりたいなら、まずは焦らず、ゴード先生の言うことをよく聞いて、言うとおりにしてくれるかい。」
 
「は・・・はい!」
 
 クリフはかなりうれしそうだ。以前ならぐったりとして、おそらく動く元気なんてなかっただろう。でも睡眠時間の改善で少しずつ食事が摂れるようになってから、自分でも体力がついてきたことがわかるのだと思う。無理だけはさせないようにしなければならない。どれほど体力がついていても、今彼の体の中で病気は確実に進行している。
 
「あの・・・先生・・・?」
 
 クリフがなんとなく遠慮がちに私を呼んだ。
 
「どうしたんだい?気になることがあるなら遠慮なく聞いてくれていいよ。」
 
「あの・・・僕の病気のことじゃないんですけど・・・ラエルがどうしてるかご存じないですか?」
 
 クリフからは不安と迷いが伝わってくる。ラエルを心配する気持ちと、そのことで私に尋ねてもいいものかどうか迷っている・・・。
 
「いや・・・最近は会う機会もないからね。オシニスさんならもしかしたら知っているかもしれないから、聞いてみようか?」
 
 剣士団でのコンビは、さまざまな要素を複合的に判断して決められる。最初はそりが合わなくても、少しずつお互いを信頼していくようになる。たとえもうコンビを組むことは出来なくても、クリフにとってラエルは今でも大事な友人の1人なのだろう。だがそのラエルが今牢獄にいるのは、私を刺したからだ。一般人への傷害容疑で、ラエルは今裁判を受けている。王国剣士という職務にありながらの凶行に、裁判官は厳しい目を向けていると、少し前にランドさんがちらりと言っていたっけ・・・。
 
「お願いします。」
 
「確かに請け合うよ。クリフ、ラエルが私を刺したことについては、君が気に病むことじゃない。私はこの通りぴんぴんしているからね。あとはラエル自身の問題なんだ。君の体力がもう少しつけば、また会うことは出来るよ。今は彼を心配するより、自分の体を治すことだけ考えていなさい。どうせ会うなら元気な君と会えたほうが、ラエルもきっと喜ぶよ。」
 
 
 クリフの治療について、今日これからのスケジュールは、いつもと同じように睡眠時間の計測と飲んだ薬のチェック、後は痛みが出た場合にもう一度くらいマッサージをするかどうかというところだ。また明日の朝来ることにして、私は医師会を出た。今日はオシニスさんから話を聞かせてもらうことになっている。
 
「でもまずは、ラエルの事を聞いてみるか。」
 
 ラエルもクリフのことはとても心配していた。ただ死を待つだけの友と会う勇気が持てず、つらい現実から逃げるためにトゥラにのめり込んでいった挙句にあんな事件を起こしたが、罪を認めたあの後からは素直に取り調べに応じていたと言う。裁判はまだかかるはずだが、果たしてどのくらいの罪になるのだろう・・・。
 
 
 剣士団長室の前に着いた。ノックをすると中から開けてくれたのはライラだった。
 
「あ、先生おはようございます。団長さんなら中だよ。」
 
「お、クロービスか。入ってくれ。」
 
「おはようございます。仕事なら出直しますよ。」
 
「いや、大丈夫だ。今話が終わったところなんだが、ライラ、クロービスにも聞きたいことがあるとか言ってたんじゃないか?」
 
「はい。先生、大丈夫だよ。急に来たのは僕のほうだからね。でもちょうどよかったよ。先生にも聞きたいことがあったんだ。ほら、この間言っていた、医療機器をナイト輝石で作れないかって言う話。」
 
「具体的な計画を作るのかい。」
 
「そう。それで、ある程度短期間で作れるものがあれば、いくつか候補としてあげてみようと思ったんだ。これとこれを作るって説明したほうが、どんなものかを想像しやすいかなと思って。」
 
「そうだなあ・・・。それじゃ・・・。」
 
 医療器具はいろいろとあるが、ある程度短期間で作れるもの、そして医療器具をよく知らない大臣達でも想像しやすいものとなると、まずはメス、それもさまざまな形や大きさのものを一揃い、次にはさみ、鉗子、ピンセットあたりだろうか。ライラは私の説明を聞きながらいろいろとノートに書き込んでいった。
 
「ふうん・・・一口に医療器具といってもいろいろだなあ。ライラ、その中からどれを作るのかを決めて、直接じいさんに頼んでくれていいぞ。話は通してあるからな。」
 
「はい、ありがとうございます。先生、ありがとう。これでだいぶ仕事が進むよ。」
 
「医療器具の進歩は、先生達にとって願ってもないことだからね。期待してるよ。」
 
「僕も期待してるんだ。ナイト輝石の平和利用として、医療器具というのは一番わかりやすい分野だと思うんだよ。そのきっかけをくれた先生には感謝してるよ。」
 
「ははは、たいしたことを言ったわけではないよ。君には頑張ってほしいけど、無理だけはしないようにね。」
 
「はい。それじゃ団長さん、これで失礼します。先生、またね。」
 
 
 ライラは笑顔で団長室を出て行った。これから部屋に戻って、また資料をまとめるのだという。
 
「明日の朝は会議があるから、その時に発表する予定なんだ。医療器具の進歩が期待できるなら、文句を言う奴はいないだろう。」
 
 ライラの足音が遠ざかった頃、オシニスさんが言った。
 
「今ライラに話したのは比較的誰でも知っているようなものばかりですが、もし説明をしたりする必要があるならいつでも引き受けますよ。・・・実を言いますと、今度のクリフの手術にナイト輝石のメスがあればかなり助かるんですが、さすがに間に合わないでしょうね。」
 
「そうだなあ・・・。まずは試験採掘が先だ。それがうまく行かないとあとの計画が全部頓挫しちまう。」
 
「そうですね・・・。ところでそのクリフなんですが、だいぶラエルのことを気にしているんですよ。」
 
「・・・・・・・。」
 
 私は先ほどのクリフの様子と、彼が相方のラエルをとても心配していることを話して、何かわかることがあれば、もちろんクリフに話して差し支えない範囲で構わないが、教えてはもらえないかと頼み込んだ。
 
「うーん・・・。そうだなあ・・・。この件に関してはかえってお前が直接出向いたほうが・・・」
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされてオシニスさんの言葉が途切れた。今の声には聞き覚えはない。
 
「どうぞ。」
 
 オシニスさんの声に応えて入ってきたのは、私よりは年上かなと思われる男性だ。そんなに背は高くないが背筋を伸ばして歩く姿は堂々としている。この顔に、なんとなくだが見覚えがあるような気がするが・・・。
 
「剣士団長殿に昨日までの陳情に関する資料をお持ちしたのですが・・・お客様ですか?」
 
「お客様だが気を使うような奴じゃないから、いつもの調子でいいぞ。」
 
「いやそうは言っても・・・。」
 
 男性はまだ戸惑ったように私とオシニスさんを交互に見ている。
 
「ははは。まあ座れよ、紹介するよ。クロービス、こいつがアレイン・タイラス、この間お前が会ったサスキアの亭主だ。」
 
「クロービス・・・?もしかしてあの麻酔薬の・・・。」
 
「そのクロービスだよ。お前も会ったことがあるって言ってたじゃないか。」
 
 タイラス事務官は『ああ』と声を上げ、笑顔になった。
 
「あ、いや失礼。直接お会いしたことはありませんが、先生を存じ上げておりましたものですから。」
 
 私達は挨拶を交わし、私もタイラス事務官の顔にぼんやりとだが見覚えがあると言った。おそらく昔、行政局や牢獄などで顔を合わせたことがあるのだと思う。もしかしたら言葉を交わしたこともあったかもしれない。
 
「麻酔薬の開発者に直接会えるとは光栄です。オシニスの奴に、今日も思わず心が弾みそうなくらい分厚い資料を持ってきた甲斐があったというもんですよ。」
 
 タイラス事務官は笑いながら手に持っていた箱の中から大量の書類を取り出した。
 
「まったく・・・心が弾みすぎてどっかに飛んで行っちまいそうなほどの量だなあ・・・。」
 
 オシニスさんはうんざりしたようにため息をついた。
 
「ま、祭りついでに陳情書の一枚も書いておくか、程度の内容のものもあるからな。数のわりに中身はたいしたことがないんだ。あ、そうだ、あと・・・これを、牢獄の審問官から預かってきたぞ。」
 
 タイラス事務官はそう言って、封筒をオシニスさんに渡した。
 
「何でも元王国剣士の裁判が結審したから、来週辺りに判決が出るとか、そういう話だったな。それに伴っていろいろと手続があるから、必要な書類を揃えておいてくれとさ。」
 
「そうか・・・。」
 
 オシニスさんは沈んだ声で、受け取った封筒を眺めている。
 
「そう暗い顔をするな。そんなに悪い判決は出ないような話だったぞ。」
 
「・・・そうなのか?」
 
「ああ、被告が素直に罪を認めて、言い訳をしたりせず反省していることが、裁判官の心証をよくしたらしい。まあ実際に判決が出てみないとなんとも言えんが、団長殿は気にしているだろうから、そのくらいのことは教えてやってくれとさ。」
 
 ハロウド審問官の計らいか。裁判官の出す判決に審問官はもちろん関われないが、長年の経験から、ある程度どんな判決が出るかは予測できるのかもしれない。
 
「助かるよ。クロービス、ちょうどよかったな。あとでクリフに会う時があったら、教えてやってくれ。」
 
「そうですね。でもどうせならオシニスさんが見舞いのついでに教えるって言うのはいかがです?たまたま私がいたから聞かれただけで、クリフだって何が何でも私の口から聞きたいと思ってるわけでもないでしょうからね。」
 
「そうだな・・・。久しぶりに見舞いに行くか。」
 
「行くならこれからでもいいんじゃないですか。」
 
「おいオシニス、そのクリフってのは今裁判をやっている元王国剣士の相方だった奴のことだよな?」
 
 タイラス事務官がオシニスさんに尋ねた。
 
「ん?ああそうだが、お前クリフを知ってたのか?」
 
「いや、まったく知らん。ハロウド審問官から聞いた名前がそんなだったなと思ったのさ。」
 
「審問官が何でお前にそんな話をしたんだよ?」
 
「その元王国剣士が、クリフはどうしているんだろうってだいぶ気にしているそうだ。だからもしもお前のところで何か聞けることがあれば教えてくれって言われてるんだよな。病気だそうだが、具合はどうなんだ?」
 
 ラエルにとっても、クリフは大事な友人なのだ。今クリフはかなり回復している。もちろん病気そのものについてはよくなったわけじゃないが、以前ラエルが会ったときよりもかなり元気になっていることは確かだ。いい知らせが聞ければ、ラエルがこれからの人生を歩いていく励みになるだろう。
 
「以前よりはだいぶいいぞ。でもお前はもう今日は牢獄に行かないんじゃないか?」
 
「ああ、そうだ。この次行くのはいつかなあ・・・。なあオシニス、行きにくいとは思うんだが、一番いいのはお前が出向いて、ハロウド審問官でもその元王国剣士本人にでも知らせることだと思うんだよな。回復してきているなら、それはいい知らせだ。いい知らせってのは、出来るだけ早く伝えたほうがいいんじゃないか。」
 
「そうだな・・・。」
 
 オシニスさんはあいまいに返事して黙り込んでしまった。
 
「なんだなんだ、そんな湿っぽい顔をして。こんな時こそお前が堂々としているべきなんじゃないのか。」
 
「・・・まあな・・・。よし、それじゃこれからクリフの見舞いに行って、そのあとラエルのところに行ってみるよ。いい情報を持ってきてくれてありがとうな。ま、それに免じてこの大量の陳情書については文句を言わないでおくよ。」
 
 タイラス事務官は大声で笑った。
 
「そりゃ助かったな。まあお前もいろいろ言われて大変だろうが、何があっても胸を張れよ。俺も女房もお前のことは信用しているんだからな。」
 
「ああ、わかった。そう言ってもらえてうれしいよ。」
 
「そんなに素直に礼を言われるのも薄気味悪いな。それじゃ剣士団長殿、失礼します。」
 
 タイラス事務官は少し大げさに一礼して、次に私に向き直り、今度は普通に挨拶して出て行った。
 
「・・・どういうことなんです?」
 
 2人の間で交わされたさっきの会話が気になって聞いてみた。オシニスさんは大げさに肩をすくめてみせ、ため息をついた。
 
「・・・つまり、今俺はラエルのために動けないと言うことさ。」
 
 オシニスさんが話してくれたところによると、ラエルが素直に取り調べに応じるきっかけになったのは、私との面会だとのことだ。その後オシニスさんはラエルの取調べの状況を時々知らせてもらえるように頼んでいたのだが、それが一部の裁判官達の不興を買ったというのだ。
 
「部下を心配する気持ちを、裁判官達は理解してくれないと言うことですか。」
 
 大事な部下が犯罪者として裁かれるというのに、ただ黙って見ていられないというオシニスさんの気持ちは伝わっていないのだろうか・・・。
 
「いや、そういうことじゃない。裁判官達の中に、俺がラエルを心配しているのを、自分の保身のためじゃないかと言うのがいるらしいのさ。」
 
「・・・保身?」
 
「ああ。ラエルがお前を刺した。これは事実だから変えようがない。だがそれはつまり剣士団長としての俺の監督不行届と言うことになるわけだ。へたをすれば俺は団長の座を追われることになるかもしれないから、そうならないように出来るだけラエルの罪が軽くなるよう、被害者のお前に頼んでいるとか、出来るだけ情報を仕入れてうまく罪を逃れられるようラエルに入れ知恵してるとか、まあそんな話だよ。」
 
「そんな話だよって・・・落ち着いている場合ですか。濡れ衣もいいところでしょう。」
 
「濡れ衣は確かだ。これが俺だけの問題なら俺にやましいところはない。堂々としていられるが、今回の場合、ラエルのこれからの人生がかかっている。俺があいつのためによかれと思って動くことが、逆にあいつの人生を狂わせるかもしれないと思うと、なかなか思ったように動けないというのが実情なんだ。」
 
「なるほど・・・。ではとにかくクリフの見舞いに行きましょう。そこでオシニスさんはラエルのことをクリフに教えてあげてください。ラエルのところには、私がクリフの主治医として、患者の精神的負担を少しでも軽くするためということで、ハロウド審問官に面会を申し込みます。」
 
 腹の立つ話だが、私がここで癇癪を起こしても始まらない。今大事なことは、クリフとラエルの2人の心の不安を取り除くことだ。クリフは今でも王国剣士として剣士団に籍があるのだから問題ない。堂々と見舞いに行って、堂々とラエルのことを話してやればいい。後は私が動こう。私は被害者ではあるが、私自身がラエルに対して悪い感情を持っていないという話は以前の事情聴取で話してある。ラエル本人に面会は出来なくても、審問官なり裁判官なりを通して、ラエルにクリフのことを伝えるくらいのことはしてもらえるはずだ。
 
 
 私達は剣士団長室を出て、クリフの病室へと向かった。
 
「あら先生、どうなさいました?まあ、これは剣士団長様。お見舞いですか?」
 
 出迎えてくれたのは、いつもクリフの検温の時にいる看護婦だ。ハインツ先生もゴード先生も、そして妻もいない。そういえば今日から、アスランのリハビリが午前中にも入るという話をさっき聞いた。
 
「ああ、どうしているかと思って、顔を見に来てみたんだ。」
 
「オシニスさんがクリフの見舞いに来たいという事だったんで一緒に来たところなんだけど、先生達はアスランのリハビリかい?」
 
「はいそうです。午前はストレッチなどの筋力アップの訓練なのですけど、どのくらい動かせるようになっているのかを確認するために、ハインツ先生もウィローさんも一緒に行かれました。クリフは起きてますわよ。」
 
 クリフの回復ぶりに、看護婦もうれしそうだ。
 
「団長、おはようございます。お忙しいのにわざわざすみません。」
 
 クリフは看護婦に手伝ってもらってベッドの上に起き上がった。まだ1人で起き上がれるほどには回復していない。
 
「随分とよくなったなあ。前よりかなり顔色もいいじゃないか。」
 
「皆さんのおかげです。」
 
 クリフは笑顔だ。
 
「そうだな。だが、おまえ自身の頑張りもあるんだぞ。そもそもこの治療を受けると決めたのはおまえ自身だ。本人が頑張ろうと思ってなけりゃ、治療の効果だってそんなに出ないそうだからな。なあクロービス。」
 
「おっしゃるとおりですよ。クリフ、一番は君の心と体が頑張っているからだよ。」
 
「実はさっき、お前がラエルのことを気にしているとクロービスから聞いてな。たまたまさっき行政局の事務官からラエルの話を聞いたから、お前に知らせておこうと思って来てみたのさ。」
 
 オシニスさんはさっきタイラス事務官から聞いた話を、クリフに話して聞かせた。
 
「そうですか・・・。判決が出るのはまだ先なんですね。」
 
 やはりクリフは判決の内容を気にしているようだ。
 
「出ればこっちにも知らせが来るだろうから、そしたらまた教えてやるよ。あんまり心配しすぎるなよ。ハロウド審問官がそう言ってたってことは、きっとそんなに重い刑にはならないってことだからな。お前の仕事は病気を治すことだ。今はそのことに集中してくれ。」
 
「わかりました。あの・・・ラエルにまた会えますよね。」
 
「そりゃ会えるさ。お前がもっと元気になればな。」
 
「ははは、そうですね。」
 
 クリフは笑ったが、そのすぐあと疲れたようにため息をついた。
 
「少し長くしゃべりすぎたかもしれないね。もう横になっていたほうがいいよ。」
 
 私はクリフの体を支えてゆっくりと横にならせた。
 
「もう少しすぎればハインツ先生とゴード先生も戻ってくる頃合いですわ。クリフ、痛みはどう?」
 
 看護婦が尋ねた。
 
「そういえば・・・今日は朝からほとんど痛まないんです。」
 
「あら、それは何よりね。それじゃ痛み止めは先生方が戻られてからにしましょうね。」
 
 そう言えば今朝ハインツ先生から『痛み止めの効きがよくなってきたようだ』と聞いた。今クリフは生きる気力を取り戻し始めた。その前向きな気持ちが、病気に対してもいい影響を及ぼしているのだろうか。となると、手術を成功させることが出来れば、完治までは行かなくてもかなり病気を押さえ込める確率が上がると見ていいだろう。
 
(いい傾向だな・・・。あとは、ラエルのほうか・・・。)
 
 これでラエルのことがある程度わかれば、クリフの気持ちはもっと楽になれる。自分の病気のせいで思ったように仕事が出来ず、そのせいでラエルが道を誤ったのではないかと、クリフはずっと気にしているのだ。
 
 病室を出たあと、私は一度牢獄に行って来るとオシニスさんに告げた。
 
「そうだな・・・。俺も行きたいが、俺が同行することでお前が俺に操られているなんて思われるのも困る。悪いがラエルの様子を聞いてきてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 
 それにしても妙な話だ。オシニスさんが自分の保身のために情報を手に入れようとしているなんて、それは裁判官達が思いついたことなのか、それとも・・・
 
(まさかそこにもクイント書記官の手が伸びているのか・・・。)
 
 先入観を持つべきではないんだろうけど、注意しておくに越したことはなさそうだ。たとえ自分の心が誰かから盗み見られる心配をしなくていいとしても。
 
 
 牢獄の前に着いて用向きを告げると、すぐに通してくれた。敷地内はのんびりとしており、以前事情聴取で来た時と変わらない。祭りの喧騒もここまでは届いてないかのようだ。管理棟に向かい、私はまずハロウド審問官に面会を願い出た。
 
 
「これはこれはクロービス先生、今日はいかがなされました?」
 
 ハロウド審問官は以前と変わらぬ丁寧な態度で迎えてくれた。私は自分の用向きを伝え、あくまでも『クリフの主治医として』彼の心の重荷になっているかもしれないラエルのことを何か教えてもらうにはどうすればいいのかを尋ねた。
 
「なるほど・・・確かに、ラエルもクリフという元相方の青年をとても心配しております。私でわかることがあれば教えて差し上げたいところですが、ラエルの裁判は先日結審したばかりです。それまでの担当は裁判官でしたので、私ではたいしたことはわからないのです。」
 
 審問官の仕事は罪状認否と、その後の裁判の手続までとなり、そこから先は裁判官達の管轄となる。裁判の結審後はまた審問官の管轄となるので、これから先は自分で問題ないが、裁判の間のラエルの様子については、わからないとのことだった。
 
「そうですか・・・。それでは最近までの彼の様子を知るにはどなたにお聞きすれば・・・。」
 
「少しお待ちください。今担当の裁判官を・・・」
 
「審問官殿、我々を同席させてくださらなければ困りますな。」
    
 突然大きな声がして、ハロウド審問官の声がさえぎられた。あまり感じのよくない、棘のある口調だ。
 
「クロービス先生は私に面会にこられたのです。あなた方にお伺いを立てる道理はないでしょう。」
 
 先ほどまでの柔和な口調とは打って変わって、ハロウド審問官もまた棘のある言い回しで、そこに現れた男性二人を睨んだ。この人達は裁判官だろうか。
 
「ふむ・・・それはどうですかな。妙な企てをされたのではこちらの仕事にも支障が出ますからな。」
 
 裁判官らしき2人のうち、少し若そうな男性が忌々しそうに鼻を鳴らしながら言った。
 
「妙な企てとは、さて、どういうことですかな。私にはやましいところなどひとつもありませんが。」
 
「それはどうでしょうな。」
 
「そこまでおっしゃるからには、何か具体的な『企て』をご存知なのですかな。ならばここで言っていただきましょう。さあ!」
 
 ハロウド審問官のきつい口調に、若い裁判官が怯んだ。
 
「さあ、どんな企てですかな。ここではっきりとさせようではありませんか。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 なおも詰め寄る審問官に対し、若い裁判官が顔をそむけた。さっきから刺々しい『気』を感じていたのだが、それは主にこの若い裁判官から発せられていたようだ。だが今は悔しげに唇をかんで黙り込んでいる。彼としては、ハッタリをかましてハロウド審問官から何か聞き出そうとしていたのかもしれない。隣に立っている年かさの裁判官が、困ったようにため息をついた。
 
「ハロウド審問官殿、そのくらいにしておいていただけませんか。デシン、君も口が過ぎるぞ。しかも今回の裁判の被害者がお見えだというのに。」
 
 ハロウド審問官は元の柔和な顔に戻って
 
「デシン殿、あなたはまだお若い。結論を急ぎたい気持ちが理解出来なくはないが、そのような物言いではかえって相手の反感を買うばかりで、いつまでも真実になどたどり着けませんぞ。もう少し言葉を選ぶことですな。」
 
 そう言って、今度は私に振り向いた。
 
「クロービス先生、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。このデシンとコレル裁判官の2人は、現在ラエルの裁判を担当している5人の裁判官の中の2人です。ラエルの最近の様子については、この2人から聞かれるのがよろしいと思います。では私はこれで。」
 
「はい、ありがとうございました。」
 
 
「クロービス先生でしたな。大変失礼いたしました。私は裁判官のコレル、こちらは去年から裁判官として登用されたデシンと申します。」
 
 ハロウド審問官が立ち去ったのを見届けて、コレル裁判官は笑顔で私に挨拶した。私も挨拶を返したが、デシン裁判官のほうはむすっとした顔を何とか笑顔に変えようと試みているが、成功しているとは言いがたい、そんな顔で挨拶をした。
 
「先ほどは大変失礼をいたしました。そのことについて少し釈明させていただけるとありがたいのですが・・・先生はお時間のほうは・・・。」
 
 コレル裁判官は、年かさとはいっても多分年齢は私より少し上くらいか・・・。一方デシン裁判官はまた若い。30歳そこそこに見える。
 
「時間は大丈夫です。私も少し驚いたので、先ほどのやりとりがどういうことなのか位はお聞かせいただきたいのですが、その前に、ラエルの今の様子について教えていただくことは出来ませんか。」
 
「それはどういう理由でですか?」
 
 コレル裁判官が口を開くより早く、身を乗り出して質問してきたのはデシン裁判官だ。どうもさっきから私に対してもハロウド審問官に対しても態度がよくない。もしかしたら、オシニスさんが言っていた『剣士団長が保身に走っている』と疑っている裁判官というのはこの人なのだろうか。だとすると彼の一連の行動のつじつまが合う。少なくとも私は彼と初対面だ。ここまで失礼な態度をとられる謂われはない。にも関わらずこんな態度をとってみせると言うことは、私を怒らせて、怒りに任せてぼろを出すのを待っているということなのだろうか。そしてどうやらハロウド審問官も、私達の協力者と思われているようだ。
 
(・・・ん・・・?)
 
 なんだろうこの感覚は・・・。私の心に張り巡らされている『防壁』の周りで、誰かが私の心を探ろうとしている。この程度の動きなら私にはすぐに察知できてしまうが、どうやらこの『誰か』は私に知られないようかなり注意深く動いているつもりらしい。
 
(まあつまり・・・クイント書記官じゃないってことだよな・・・。)
 
 彼ならもっとはっきりと、『探ってますよ』と私にわかるように動くだろう。では・・・
 
(目の前にいるこの2人のうちのどちらか・・・かな。あるいは両方か・・・。)
 
 人の心を探ろうとしていると言うことは、私と似たような力があるということだが、目的がわからない。とりあえずは様子を見るしかなさそうだ。
 
「ラエルが王国剣士だった時にコンビを組んでいたクリフという青年のことはお聞きになってますか?」
 
「ああ、なんでも不治の病で瀕死だということですな。お気の毒なことです。その若者が何か?」
 
 デシン裁判官の言い方は実にそっけない。クリフについては興味がないのだろうか。ラエルが起こした事件の背景には、相方のクリフの病気が少なからず影響を与えているはずだが、そういったことは裁判の審議の中で考慮されなかったのだろうか・・・。
 
「以前は瀕死の状態にありましたが、今は新たな治療でかなり回復してきています。王国剣士のコンビというのは、誰でもいいから組ませて仕事をさせるというものではないのです。太刀筋や性格などの相性を見て総合的に判断されて相方が決まります。それが男でも女でも、ほとんどの場合お互いが一番信頼できる相手になるんです。その相方が裁判にかけられるとなれば、心配にもなるものでしょう。私はクリフに頼まれて、ラエルの様子を聞きに伺ったのです。ただ、ここで私が知っているのはハロウド審問官だけですから、最初は審問官に面会を申し込みました。」
 
「ふむ・・・ではお聞きしますが、なぜあなたがクリフに頼まれているのか、その理由はお聞かせいただけるのでしょうな。」
 
 デシン裁判官は、まだ私を怒らせようという試みを続けている。いささかうんざりしてきたがここで投げ出すわけにも行かない。
 
「私がクリフの主治医だからです。私は医師会に属してはいませんが、クリフの両親と医師会からの要望でクリフの手術を担当することになりました。クリフは相方だったラエルのことをとても心配しています。彼の不安を出来るだけ取り除いてやることは、手術の成功にもつながっていくのです。」
 
「ですが、先生はラエルに刺された被害者でしょう。それなのに彼らにそこまで手を貸そうとされるのですか?」
 
 ずっと黙っていたコレル裁判官が口を開いた。
 
「ラエルが私を刺したのはまったくの誤解によるものです。その誤解は解けたと思っていますし、私は今ぴんぴんしていますよ。いつまでも刺されたことに拘泥する必要はないのではありませんか。」
 
「先生は祭りの見物にご夫婦でいらっしゃったとお聞きしていますが、奥様は何もおっしゃらないのですか?」
 
「妻も同じ考えですよ。それに、妻もクリフの新しい治療法のために医師会の手伝いをしています。ところで、ラエルの最近の様子を教えていただくことは出来るんですか。出来れば会わせていただけるとありがたいのですが。」
 
 本当はラエルの様子が聞ければ、そのまま帰るつもりだった。だがこの2人が何を考えているのか、少し探ってからのほうがいいと思ったのだ。それに、私自身もラエルに会ってみたい。会ってクリフの言葉を直接伝えられるならそのほうがいい。この2人に伝言を頼んで、万一私の言葉がきちんと伝わらないなどということになったら、大変なことになる、そんな気がした。
 
「それについては問題ありません。ただ、これはお願いなのですが、私達が同席させていただいてよろしいですかな。」
 
−−−妙だな・・・まったく読めん・・・−−−
 
(・・・・・・・・・・・。)
 
 どうやら私の心を探っていたのはコレル裁判官らしい。デシン裁判官を叱ってみせているのも、打ち合わせどおりということか・・・。下世話な言い方をすれば、この二人は『グル』だということになる。デシン裁判官が私を怒らせ、コレル裁判官が私の心のうちを探り、本音を暴き出す・・・。なるほどそれならば、クリフのことに彼らが興味を示さなかったのもうなずける。今彼らの探求の対象は私の腹の中であって、すでに結審した裁判の内容については特に問題にしていないらしい。しかしこの二人は、私がクイント書記官と話したような、力を使っての意思疎通をしている気配はない。ということは、この力があるのはコレル裁判官だけなのだろうか。
 
(この人の力がファルシオンがらみかどうかはわからないけど、私のことは多分何も知らないんだろうな・・・。)
 
 知っていたら、こんな手を使おうとするはずがない。おそらくは私の来訪を聞いて、私の本音というより、この件にオシニスさんが絡んでいるのかどうかを探るために2人で打ち合わせをしてここに来たのだろう。だが、いかに裁判のためとは言え、勝手に人の心の中を盗み見るなどということが許されていいはずがない。レイナック殿の耳に入れておく程度のことはしておいたほうがいいかもしれない。クイント書記官がこのことを知ったら、彼らを利用しようとする可能性もある。
 
 そのコレル裁判官は、デシン裁判官にここにいるように伝え、ラエルを呼んで来ると言って席をはずした。デシン裁判官は私と2人だけになった途端落ち着きをなくし、そわそわと窓の外を見たりしている。先ほどの威圧的な態度は消え、早くコレル裁判官が戻ってこないかと心は建物の奥へと飛んでいる。おそらくはこれが彼の本当の姿か・・・。コレル裁判官のほうは見た目はとても誠実そうに見えるが、どうもそれだけではない、一筋縄ではいかないと思わせる何かがある。彼らが何を企んでいるにせよ、それが誰かを陥れようとか、そういう邪悪な意図でないことを祈りたいものだ。やり方に問題はあっても、それは全て、裁判で真実を見極めるための、正義感から出たものだと思いたいが・・・。
 
 
 ふいに、ピンと張りつめていたデシン裁判官の『気』が緩み、先ほどの威圧的な顔が戻ってきた。
 
「お待たせいたしました。」
 
 同時にコレル裁判官が現れた。後ろにはラエルと、彼についているのは・・・
 
「よお、久しぶりだな、クロービス。」
 
「ガレスさん。ご無沙汰しています。」
 
 そういえば、エリオンさんと一緒にガレスさんも牢獄の尋問係に就いたと聞いた。
 
「エリオンの奴も来たがったんだが、別な仕事の手が離せなくてな。俺が連れてきたんだ。しかしまあ、立派になったもんだなあ。」
 
「ははは、そんなことはないですよ。特に何も変わってないと思いますけどね。」
 
「自分のことってのはわからないもんさ。さてと、ラエル、そこに座れ。裁判官殿、立ち会うのは構いませんが、面会人との会話には一切口を挟まないでくださいよ。そういう決まりですからね。だいたいお2人はもうラエルの担当を外れたんですから、本来なら同席も出来ないはずなんですよ。それはわかっているんでしょうね。」
 
 ガレスさんの言葉に、2人の裁判官の眉がピクリと動いた。
 
「無論承知しております。ですから先ほどクロービス先生に、同席させてくださいとお願いしたのです。ご心配なく。一切よけいな口は挟みませんから。」
 
 コレル裁判官が言った。どうやらこの2人は、私が決まりを知らないのをいいことに、『お願い』という名目で立会いの約束を取り付けたようだ。もちろん私にはやましいことはひとつもないが、彼らの狙いが私ではなくオシニスさんだとしたら、慎重にかからなければならない。
 
「ラエル、久しぶりだね。」
 
 私は勤めて平静を装い、ラエルの向かい側に座った。ラエルは黙ったまま、私と視線を合わせようとしない。でも以前のように、私をひたすらに敵視しているということではなく、『合わせる顔がない』という気持ちが彼の中にあるようだ。少なくとも敵意は感じない。
 
「今日はクリフのことで話があって来たんだ。君は一度クリフに会ったそうだが、その後彼がどうなったのかは聞いていないね?」
 
 ラエルの顔色が変わった。
 
「どうなったかって・・・。ま・・・まさか、クリフはもう・・・!?」
 
「随分と回復してきたよ。」
 
 泣き出しそうだったラエルの顔が驚いた顔に変わった。
 
「え・・・でも僕が会った時には・・・」
 
「君が会った時には、クリフはかなり痩せて弱っていたと思う。あの時点ではクリフはもう死を待つばかりだった、それは間違いない。いや、今だって彼の病気は日々確実に進行している。でもね、クリフはもう一度手術を受けることを決めたんだよ。もちろん、自分の意思でね。」
 
「だけど・・・手術なんていくらしたっていたちごっこだって・・・まさかそれは嘘だったんですか?」
 
「嘘じゃないよ。そんなことで嘘をついたりする人は、君の回りには誰もいないはずだ。実はね、今日はクリフに頼まれて君の様子を見に来たんだよ。」
 
「・・・クリフは・・・まだ僕のことを気にかけてくれているんですか・・・。」
 
「もちろんだ。君達はコンビを組んでいたんじゃないか。一緒に仕事が出来なくなったからって、元の相方を気にかけなくなるなんてことはないんじゃないのかい?君だってクリフのことは気になっているんだろう?」
 
「はい・・・。だけど・・・僕がここから出られるまで、クリフが生きていられないかもしれないと思うと・・・。」
 
 ラエルの目から涙が落ちた。
 
「希望を捨ててはいけないよ。さっきクリフにも聞かれたんだ。君にまた会えるかなって。クリフは今必死で病気と戦っている。彼があきらめない限り希望はある。だから君も、希望を捨てずに、きっとまたクリフに会えると信じてくれないか。」
 
 ラエルはしばらく黙っていたが・・・
 
「クリフは・・・今どんな状態なんですか。」
 
 小さな声でそう尋ねた。
 
「これから説明するよ。手術を受けることになったという経緯についてもね。」
 
 私はクリフがかなり弱っていて死を待つばかりだったところから、両親の願いと本人の希望によって、新しい治療法を試してみることにしたと言った。もちろん例の薬屋の話は伏せておいた。コレル裁判官は相変わらず私の心を探ろうと試みているようだが、成功してはいないようだ。迂闊に話せない裏事情まで知られる心配はないだろう。しかし、それは今探られているのが私だからであって、ここにいるのがオシニスさんだったらそうは行かないかもしれない。いや、それが誰であってもこんなことは許されることではないのだ。誰にだって人に知られたくない秘密がある。どんな理由があれ、それが勝手に暴き出されるなんてことがあっていいはずがない。
 
「・・・というわけで、幸運なことに新しい治療法は彼の体に合っていたようだ。君が会ったころより随分と顔色がよくなったし、食事もできるようになった。少しの間ならベッドの上に起き上がって話も出来るようになったよ。ただし、まだ病気はクリフの体の中にあって、確実に進行している。そして現代の医療技術では、その病巣を全てきれいに取り除くところまで出来るかどうかなんとも言えない。でも私は最善を尽くすよ。クリフが、せめて充実した人生を送れたと思えるくらいまで生きられるようにね。」
 
 意識してオシニスさんの名前は出さなかった。今回の訪問は、あくまでも私がクリフの主治医としてラエルの様子を見に来たことだと思ってもらわなければならない。ラエルは私の話を聞きながら、流れ出た涙を何度もこすった。
 
「ラエル、これだけは言っておくよ。君がクリフの人生を背負う必要はない。クリフは自分の人生を精一杯生きようと、今必死で病気と闘っているんだ。そして君のこともとても心配している。彼の心に報いたいと思うのなら、君は君の人生を、胸を張って生きていってくれ。それこそがクリフの願いだと思うよ。」
 
 ラエルはとうとう顔を覆って泣き出した。今ラエルからは、後悔と悲しみがひしひしと伝わってくる。
 
「クリフ・・・ごめん!僕がバカだったんだ・・・!もう少し・・・もう少し僕が強かったら・・・君にもう一度胸を張って会えたのに・・・!」
 
 前科がついてしまった今、罪を償ったとしても世間の風は冷たい。この先ラエルが立ち直るためには、その風を受け止めて、ひたすらに進んでいくしかないのだが・・・ラエルは元々真面目で努力家だった。でもクリフのことで一人不安を募らせ、たまたま出会ったトゥラにのめり込んでしまった・・・。同じ轍を踏まないためにも、ラエルには常にそばにいて支えてくれる誰かが必要なんじゃないだろうか。
 
(トゥラってわけにもいかないし、あとあてになるのは家族か・・・。)
 
「先生。」
 
「なんだい?」
 
 ラエルが私を『先生』と呼ぶのは多分初めてだ。顔は下を向いたままだったが、ラエルはもう私を敵視してはいないとはっきりわかる。
 
「クリフのこと・・・お願いします。あと・・・その・・・。」
 
 ラエルはしばらく躊躇していたが・・・
 
「団長に伝えてくれませんか・・・。ひどいことを言ってすみませんでしたって・・・。今さら許してはもらえないかもしれないけど・・・。」
 
「わかった。伝えておくよ。許さないなんてことがあるはずがないじゃないか。オシニスさんも君のことはとても心配している。今出掛けてくる時もね、君の様子を見てきてくれって頼まれていたんだ。」
 
 このことを言ってもいいのかどうか少し迷ったが、オシニスさんがラエルのことを心配しているのは確かだ。自分が来れるなら来たいと思っていることも。それを何も言わなければ、ラエルはきっと自分が団長に嫌われてしまったと思うだろう。そんな誤解だけは生まないようにしなければならない。オシニスさんの名前を出した途端に2人の裁判官を包む『気』がゆらりと揺らめいたが、こちらにやましいことは一切ないのだ。隠し立てしようとするほうが、かえって変に思われてしまう。
 
「今は・・・今はわかります。団長はいつだって僕とクリフのことを心配してくれていたんです。だけど・・・クリフがもう治らない病気だなんて、何でもっと早く言ってくれなかったのかって思ったら頭に血が上ってしまって・・・それに謹慎期間はトゥラにも会わせてもらえなくて、もう全て団長が悪いような、そんな風に思い込んで・・・。バカですよね・・・。団長は・・・怒ると怖かったけど、本当はすごく優しい人なんだって、知っていたはずだったのに・・・。」
 
 ラエルの膝の上に乗せた手に涙が落ちる。今の言葉をオシニスさんが聞いたらどれほど喜ぶだろう。
 
「クロービス、そろそろ時間だ。最後に何か言いたいことがあれば言ってくれ。」
 
「それじゃ最後にひとつだけ。ラエル、自分のしたことに対しては責任は取らなきゃならない。でもね、君の人生は君のものなんだ。どこからだっていつからだってやり直しはきくんだよ。これからのことは落ち着いてよく考えてごらん。」
 
「はい、あと・・・先生、すみませんでした。本当は最初に言わなきゃならなかったんですけど・・・」
 
「私のことはもう気にしなくていいよ。この通りピンピンしているからね。ただ、私を助けてくれたクロムとフィリスには、会うことがあれば礼を言っておいてくれ。私が今こうしていられるのも彼らのおかげだからね。」
 
 ラエルは黙ったままうなずいた。
 
「それじゃ戻ろう。クロービス、またな。ウィローにもよろしく言っといてくれよ。」
 
「はい、また。」
 
 ガレスさんに連れられ、ラエルは監房のある建物の奥へと戻っていった。
 
「裁判官殿、ラエルに会わせていただいてありがとうございました。」
 
 私は至極一般的なお礼の言葉を述べて、牢獄の建物を出た。2人の裁判官は何だかとても複雑な顔をしていた。
 
(・・・・・・・・・・。)
 
 コレル裁判官のあの力・・・。クイント書記官は知らないのだろうか・・・。いや、もしかしたら・・・。
 
(すでに知っていて、オシニスさんのことを吹き込んだのが彼だとしたら・・・!?)
 
 そうなるとまた話は変わってくる。今回たまたまラエルに面会を申し込んだのが私だったというだけで、もしかしたら彼らはラエルにかかわっている人達全ての心を読もうとしている可能性だって出てくるのだ。だとしたら、クイント書記官の狙いはなんだ?
 
 もちろん彼の狙いはフロリア様だろう。フロリア様を退位させて、自分の主人を王位に就ける。そのためにオシニスさんは邪魔な存在だろうが、なぜここに来ていきなりオシニスさん本人を標的にしたのか。
 
「私が考えても仕方ないな・・・。とにかく王宮に戻ろう・・・。」
 
 祭りの喧騒の中を、ため息をつきながら王宮に戻って、まずは剣士団長室に行くことにした。レイナック殿と話をしようにも今は執務中だ。回りに人のいる場所ではとても話せない。先にオシニスさんに事の次第を伝えておこう。それに先ほどのラエルの言葉を早く届けてあげたい。
 
 
「お、やっと戻ってきたな。ちょっと手伝え。」
 
 剣士団長室では、オシニスさんが奥の棚から大量の書類がつづられたファイルを出しているところだった。昨日私達が目を通したファイルを奥にしまって、エミーが入れてくれた別なファイルを運んでいるらしい。
 
「遅くなってすみません。」
 
「いや、俺も今始めたところさ。さっきアレインが届けてくれた書類の整理がやっと終わったからな。よし、これをそっちに持っていってくれ。エミーが積み重ねてくれた順番のままだから、端から順に並べていってくれよ。」
 
 私はオシニスさんからファイルを受け取り、昨日話をしていた部屋へと運んでいった。
 
 
「・・・うはぁ・・・これもしかして昨日より多くないか?」
 
「どう見ても多いですね・・・。」
 
 オシニスさんの机はすっかりファイルに占領され、机の面が見えないほどだ。
 
「しょうがない。端から見ていくしかないか。」
 
 オシニスさんがあきらめたようにため息をついた。
 
「その前に少し話しませんか。」
 
「そうだな・・・。ラエルのことを聞いてからにするか。」
 
 お茶を淹れて、私はラエルの様子を伝え、そして『団長へ』彼が伝えたかった言葉をそのまま伝えた。
 
「そうか・・・。」
 
 オシニスさんはお茶を飲み、少しだけ鼻をすすった。
 
「それで今後のことなんですが・・・。」
 
 ラエルの刑が確定すれば、今後のことを考えなければならない。たとえばそれが服役という形になった場合、牢獄を出てから先のことだが、必ずその日はやってくる。犯罪を犯した王国剣士は除名という形で剣士団の籍を抹消されるが、その後は剣士団は彼らにはかかわらないのだろうか。
 
「そんなことはない。まあめったにいないんで前例があるかどうかも調べないとわからないくらいなんだが、どうしたもんかなあとは思ってたんだ。もっとも本人が剣士団にかかわるのを嫌がる可能性もあるからな。刑が確定したらまた考えてみるよ。」
 
 判決が出たあと、本人がその決定に納得できなければ裁判のやり直しを要求できる。そうしなければ刑は確定する。ラエルの判決は来週だと聞いた。その頃にはクリフの手術の日取りもある程度決まっているだろう。2人の若者にとって、一番いい道筋が見えるといいのだが・・・。
 
「しかし気になるな。その裁判官は・・・。」
 
「面識はあるんですか?」
 
「何度かな。ま、それほど話をしたことがあるわけじゃないから、コレル裁判官については顔は知っているが、デシン裁判官は知らんな。罪人の裁判にそうそう顔を出したりすることはないから、向こうも俺のことなんてろくに知らないだろう。」
 
「となるとやはり、誰かから何かしら吹き込まれてそんな行動を取っている可能性はありますね。」
 
「そういうことになるのかもしれないなあ。だが、それがどういう理由であれ、勝手に人の心を覗こうなんてのは飛んでもない話だぞ。うーん・・・。」
 
 オシニスさんはしばらく考えていたが・・・。
 
「今日の夕方にでも、じいさんのところに行ってみるか・・・。お前も気は進まんだろうが、一緒に行ってくれないか。」
 
「構いませんよ。」
 
 妻も一緒にとも思ったが、一緒に行くよりあとで話を聞かせることにした。理由を話せば妻はきっと理解してくれる。
 
「それじゃ、まずは目の前の仕事を何とかしよう。今日こそはあの店のことで何か手がかりを見つけたいからな。」
 
「そうですね。ずっと延び延びになってましたから、少しでも進展させたいですよ。」
 
「よし、俺はここからこっち側を見ていくから、お前はここからその反対側を順番に見て行ってくれ。」
 
「わかりました。」
 
 机の上のファイルを真ん中から分けて、左半分をオシニスさんが、右半分を私が見ることになった。この中にシャロンやおかみさんの名前はあるのだろうか。
 
「それじゃ・・・。」
 
 オシニスさんは言いかけて小さくため息をついた。
 
「この資料を見ながら、海鳴りの祠で俺がカインに話したことを教えてやるよ。」
 
「お願いします。」
 
「正直言うと・・・随分と情けない話なんだがな・・・。」
 
 手に取ったファイルを開き、オシニスさんは少しさびしげに微笑んだ。
 

第87章へ続く

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