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第86章 ファルシオンの力

 
『いや・・・なんでもない。またあとでな・・・』
 
 カインは最後になんと言いたかったのか・・・それを尋ねる機会がめぐってくることはなかった・・・。もっともっと、話したいことはたくさんあったのに・・・
 
 
 
「今日はこのあたりにしておきますよ。そろそろ夕方ですからね。」
 
 思わずため息が出た。
 
「・・・そうだな・・・。」
 
 沈んだ声でオシニスさんが応えた。
 
「明日は時間が取れるのか?」
 
「大丈夫ですよ。記録もまだ見つかりませんし、朝のうちにクリフの様子を見に行って、そのあとはここに来られると思います。エミーが奥にしまってくれた、残りの半分を引っ張り出してくるしかなさそうですね。」
 
「そうだなあ。出来ればこの机の上にある分だけで済ませたかったが、ないものは仕方ない・・・。」
 
 話をしながら2人で資料の山を崩しにかかったが、おかみさんの名前も、シャロンやセディンさんの名前も見つけることは出来なかった。そして『レクター』と言う人物の名前も・・・。
 
「それじゃ明日お前の話を聞く前に、俺のほうの話をしてやるよ。そうだな・・・。」
 
 オシニスさんはしばらく考えていたが・・・。
 
「時間の流れを考えると、海鳴りの祠で俺とカインがした話が先で、そのあとが、ライザーの話だな・・・。」
 
「わかりました。」
 
 その話を聞いたら・・・そのあとは・・・
 
(私のほうのカインの話か・・・。)
 
 ムーンシェイでの、あの出来事を話さなければならない・・・。いや、そのことで感傷に浸っている時間はない。そのあとは、フロリア様からの伝言を伝えなければならないのだから。私とカインのことを聞いて、オシニスさんがどう思うかはわからない。私のことなど軽蔑するかもしれない。でもそれならそれで仕方ないと思う。
 
「しかしどうするかなあ・・・。もしも奥にある残りの資料でもわからなければ、本当にパティから話を聞くことも考えなくちゃならないかもしれないな。」
 
 調べ終わった資料の山を見つめて、オシニスさんがため息をついた。
 
「でもこの資料には、王宮への訪問者の記録については全部あるんですよね?」
 
「あるのはある。ただ、あの当時の混乱した状況の中で、どこまで詳しく書かれているかが俺としては心配だな。」
 
「そうか・・・。一日500人なんて時もあったわけだから、記録係の仕事が間に合わなかった可能性もあるんですね・・・。」
 
「ああそうだ。しかも当時は記録係の数も少なかったしな。俺達がいない間に、あの王国軍の横暴に嫌気がさしてみーんな仕事をやめちまったからなあ・・・。」
 
 その人達が全員戻ってきてくれればよかったのだろうが、私達が王宮に戻ったあと、職場復帰したのは半分くらいだった。当時『元王宮の記録係』となればいい仕事はいくらでもあったらしい。その後もなかなか人員確保はままならず、私がこの街を出る頃にも、人手不足が続いていた。
 
「うーん・・・どうしてもパティに話を聞く必要が出来たら・・・そうだな、俺とお前が昔なじみの家を訪ねるということにして、遊びに行って話をしているうちに昔話が出たと言うことにしておくか。」
 
「出来ればパティを巻き込みたくないですからね。」
 
「まったくだ。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 ふと、会話が途切れた。オシニスさんは何かを思案するように、腕を組んでいる。目の前には資料の山があるが、今オシニスさんの目はそれを捉えていない。
 
「・・・さっきセルーネさん達が来る前にしていた話を覚えているか。」
 
「そう言えば原生林の入口にある隠し通路の話をしていましたね。」
 
 遠い日に見た悲しい夢を思い出すと、今でも胸が痛む。
 
「あの通路はもうふさがれたと言う話を聞いたと私も言った記憶がありますが、あの通路がどうかしたんですか?」
 
 さっきそれを聞こうとした時に、セルーネさん達がやってきてそのままになっていたことを思い出した。
 
「ま、あの通路そのものが問題だったわけじゃない。お前がまだこっちにいるうちに、塞いじまったのは確かだ。うーん・・・。」
 
 オシニスさんはしばらく唸っていたが・・・
 
「まあそこだけ隠してもしょうがないか。ライザーのことさ。その入口に絡んで調査しなくちゃならないことがあったんだが、俺が直接行くわけに行かないし、ちょっと面倒な案件だから王国剣士を動かすことも出来なくてな。一番いいのはじいさんの密偵を使うことだが、今回の場合それも難しいという話で、どうしたもんかと頭を抱えていた訳なんだ。だが、もうそんなことを言ってられなくなった。とにかく手段は任せるから、ライザーに危険が及ばないようにしてくれと頼んできたよ。」
 
「そうですか・・・。ありがとうございます。」
 
「お前に礼なんて言ってもらうようなことじゃない。元を辿れば俺が悪いんだからな。・・・手紙を書いていて、もしもあいつがこの手紙で動いてくれたら、もう一度会えるかも知れないなんて、そんな・・・ばかなことを考えなかったなんてとても言い切れない・・・。まったく俺は大ばかだ。いつもいつも、言っちまってから後悔するんだ・・・。カインのこともな。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「ま、それは明日話すよ。そろそろウィローの方の仕事も終わるだろう。」
 
「そうですね。それじゃ明日また伺います。」
 
「ああ、よろしくな。」
 
 
 剣士団長室を出た。カインのこと・・・。あの時カインと2人で話したことは、今でもオシニスさんの心に深い傷を残している。それを私に話すことで、オシニスさんは楽になれるのだろうか。
 
 
 
「クロービス!」
 
 採用カウンターの前に、妻とイノージェンがいた。
 
「もう終わってたのか。ライラ達は?」
 
「ライラは部屋に籠もって仕事ですって。イルサはさっき戻ってきたんだけど、図書室で本を借りてから部屋に戻るって言ってたわ。」
 
「そうか。それじゃイノージェンを送って帰ろうか。」
 
 私達はランドさんに挨拶をして東翼の宿泊所に行き、イノージェンを送り届けた。その帰り道・・・
 
「ちょっとレイナック殿のところに寄りたいんだけどいいかな。」
 
「これから?ご迷惑じゃないの?」
 
「何とも言えないけど、今じゃないとまずいんだ。私の用向きを聞けば、おそらく時間を取ってくれると思うよ。」
 
「・・・それじゃ行きましょう。」
 
 東翼からロビーに出て、執政館へと向かった。人通りの多いこの場所で私がその理由を言わなかったことで、おそらく妻はその『用向き』に気づいてくれたのだと思う。黙って一緒に来てくれた。フロリア様の執務室の前に立っている王国剣士にレイナック殿の居場所を聞いたところ、もう仕事を終えて礼拝堂の隣にある私室に向かったとのことだった。私達は来た道を戻り、礼拝堂の奥にある扉から神官達の宿泊施設がある場所まで来た。
 
 
「おお、どうしたのだこんな時間に。何かあったのか?」
 
 レイナック殿は驚いたが、私達を笑顔で部屋の中に通してくれた。以前この部屋に入ったのはもう随分と前だが、中の様子はあまり変わっていない。
 
「お寛ぎのところを申し訳ありません。今日の内にどうしてもレイナック殿にお聞きしたいことがありまして。」
 
「ほぉ、それはまたなんだ?わしにわかることなら何でも答えるぞ。」
 
「レイナック殿や私が持っている、この力のことです。」
 
 レイナック殿は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに元の穏やかな顔に戻った。
 
「まあ座れ。お茶を淹れよう。」
 
 私達は促されるままにソファに座り、レイナック殿がお茶を淹れてくれた。
 
「ふむ・・・しかしどういう風の吹き回しだ?お前がこの力を忌み嫌っておるのは明白だ。にもかかわらず、それを知ろうとする、その理由を教えてはくれぬか。」
 
 穏やかな口調ながら、有無を言わせない響きがある。レイナック殿としても心中穏やかではないはずだ。私がこの力に興味を示す、その理由によってはフロリア様の地位を揺るがすことにも繋がりかねない。私は先ほどセルーネさん達と話したことや、それによって、クイント書記官に対抗することが出来るのは自分だけなのではないかと考えたと、正直に話した。そして、この力をよく知ったところで、私がこの力を自分のために使うなどと言うことはあり得ないとも付け加えた。
 
「なるほど・・・確かにあの男には得体の知れない部分が多すぎる。そしてそのような者を、エリスティ公が重用しているというのも妙な話だ。あれほど身分や体裁にこだわるお方だというのにな。」
 
「そこに何かクイント書記官の策略があるのではないんでしょうか。」
 
「うむ・・・そう考えていいだろう。」
 
 ふと、レイナック殿は隣の妻に視線を移した。
 
「ウィローよ、お前はどうだ?クロービスは不本意ながらもこの力について知ろうとしている。お前は納得しておるのか?」
 
「私は・・・。」
 
 妻は言いかけて言葉を切り、深呼吸した。
 
「実を言うと、レイナック様を訪ねる話はさっき聞いたばかりです。でも、理由を教えてくれませんでしたから、何となく想像はついていました。私はクロービスを信じます。何があっても、私達のいる場所は北の島で、私達は診療所の医師と看護婦ですから。」
 
 レイナック殿が微笑んでうなずいた。
 
「ふむ・・・どうやらお前達2人とも、肚は決まっているようだ。そういうことなら、わしの知っていることを教えよう。この力はサクリフィアの者も持っているが、それは元を辿れば、この世に最初に興った国である『ファルシオン』という国の民に与えられた力だ。もっとも、神々が意図して与えたと言うより、魔法を授けたことによって元々持っていた力が増幅された、そういうことのようだがな。ま、そのあたりまではお前もだいたいのことは分かっておろう。」
 
「そうですね・・・。あとは、この力が一番強いのは私だと言うことくらいでしょうか。その気になれば、国中の人達の心を覗けるくらいに・・・。」
 
 自分で言ってて気が滅入る。
 
「まあそうだが、それはお前がその力を全て目覚めさせて、なおかつ使いこなせるようになればの話だ。今のお前は持てる力の半分も使えておらんから、心配しなくてもよい。それに、その力を授けられた『ファルシオンの使い手』には、国を動かす王としての役目があったが、今のお前はあくまでも北の島の医師だ。だから、わしとしては出来るならばこのままでもよいのではないかとも思うが・・・。」
 
 レイナック殿は私をじっと見つめていたが・・・
 
「・・・いや、ごまかしてはいかんな。お前がそれでもいいと言うたとしても、都合が悪いのはこちらのほうだ・・・。」
 
「・・・私としても、このままでいいならそれに越したことはないというのが、正直な気持ちです。ですが、あの男の目的がわからないうちは安心出来ません。スサーナとシェリンは何とか剣士団に残ることが出来ましたが、ラエルのように唆されて人生を狂わされる誰かが、また現れないとは限らないのです。」
 
 シャロンだっておそらくはクイント書記官の術中にはまっている。それにあの薬屋だって・・・。
 
(もしも本当に奥さんがいないとしたら、あれだけのシナリオを彼は憶えさせられて、客が来るたびにしゃべっていることになる・・・。)
 
 クリフの父親は危ういところで難を逃れたが、騙されて怪しい薬を高額で買わされ、しかもいいように利用されている誰かが他にもいないとは限らない。
 
「ふむ・・・ではどうするかはともかく、まず、我々のもつ力について、もう少し詳しい解説をしよう。」
 
 レイナック殿が『ファルシオン』の国の神官の末裔だという話を聞いたのは、もう20年も前、私がまだ王国剣士だった頃のことだ。そのことについてはレイナック殿の一族みんなが認識しているらしいが、長い間に血脈は薄れ、今ではごく普通のエルバール国民と変わらない。だからレイナック殿の一族にとって、『ファルシオン』の末裔であることはそれほど大きな意味を持つわけではないらしい。だが、ごく稀に呪文に適性のある子供が生まれることがある。レイナック殿もその1人で、わが子に呪文の力があるとわかった時、レイナック殿の両親が自分達の一族にまつわる話をしてくれた。家には古より伝わる古文書も多数あり、それらも見せてもらったそうだ。だがレイナック殿の持つ力は、実は彼の両親が考えていたよりはるかに強かった。それこそ古の神官の力に匹敵するほど・・・。そのことを知ったのは、レイナック殿が王宮の礼拝堂で神官として働き始めた頃だ。ケルナー卿もその頃官僚として行政局に入り、いずれ2人でこの国をもっと大きく発展させたいと、夢を語り合っていた頃のことだったそうだ。
 
『わしはあの時、自分の持つ力に恐怖した。ファルシオンの力など、今のエルバール王国には必要ないどころか、現王家の治世によい影響など何一つ及ぼさぬ。こんな力は途絶えさせてしまうのが一番いいとわしは考え、そして結婚をあきらめたのだ。だが・・・よくよく考えれば愚かだったと思うよ。わし1人ならいい。だが、誰の子にどんな力が宿るか宿らぬか、そんなのはそれこそ神の采配だ。弟や妹、従兄弟やそのほかの身内にまでその考えを強いることは出来ん。とは言え、わしが子を持てば似たような力を持つ子が生まれる可能性は高い。やはりわしは結婚などせぬほうがいいのだと思い、今まで生きてきた。まさか・・・こんなに長生きするとはのぉ・・・。』
 
 神官の家に伝わっているのは、『ファルシオン』と言う剣とその使い手についてのあらゆることだと言う。私がサクリフィアの神殿で出会った『導師』も、元を辿れば同じ家系らしい。だからレイナック殿は、この力について、私の持つ剣について、私よりもはるかによく知っている。
 
「まずわしの持つ力だが、わしの場合はお前と似たようなもので、人の心を感じ取ることが出来る。精神を集中すれば、ある程度相手の考えていることもわかるが、それほど強い力ではない。集中している時は他のことが何も出来なくなるし、その後はかなり疲れてしまうから、あまり実用的とは言えんな。そしてフロリア様だが、あのお方の力は、わしよりは強い。なんと言ってもベルロッド様の直系の子孫だ。だがわしの持つ力と違うのは、人の心を感じ取ると言うより、見ることが出来ると言うたほうが正確かも知れぬところだな。」
 
「見る・・・というと・・・。」
 
「フロリア様のお言葉を借りれば、『輝きを感じ取れる』のだそうだ。相手の心が沈んでいれば暗く、浮き立っていれば明るく、よからぬことを考えていればどす黒くもなるし、優しく慈愛に満ちた心は柔らかな光を放つという。心で感じ取ると同時に、頭の中にその光が浮かぶということらしい。ま、実際にはもう少し細かくわかるそうだが、こればかりは、わしもフロリア様のお言葉を通してしか知ることは出来ぬから、これ以上詳しく語ることは出来ぬ。」
 
「なるほど・・・。ではクイント書記官の場合はまた違うものなんですね。」
 
「そうさな・・・。あの男の場合、どうやらはっきりと人の心を読むことが出来るようだ。ただ、力が及ぶ範囲は狭く、しかも相手が自分に意識を向けていなければならない。だからあの男は、考えを知りたい相手ににこやかに近づいて、警戒させないように当たり障りのない話題を出すのだろう。」
 
「そうか・・・。あの人当たりのよさも彼の武器のひとつなんですね。」
 
「そういうことだ。だが・・・わしも、フロリア様も、クイントも、たとえば3人で力を合わせたところで絶対にその心を感じ取ることも読むことも出来ぬ相手が1人だけおる。それが『ファルシオンの使い手』だ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 隣で妻が息を呑むのがわかった。
 
「では・・・たとえば私が私の心の中を見てくれなんて言っても、出来ないんですね・・・。」
 
 そう言えば・・・サクリフィアの村でグィドー老人が私の心を読もうとして結局出来なかったことがあった。あれは・・・私の心に張り巡らされた『防壁』のせいばかりではなかったのか・・・。
 
「うむ。少し前、クイントがスサーナ達を操って騒ぎを起こそうとした時、お前はなぜ自分を疑わないのだと詰め寄ったな。疑ったところで、お前の真の目的を知る術は我らにはないのだ。むろん、お前の心に邪なものがあれば、多少感じ取るくらいのことは出来る。だが、その心の奥底まで覗ける者など、それこそ神々でもなければ出来まいよ。お前の心は剣によって守られておる。お前が意識してわれらの心に言葉を投げかけてこぬ限り、われらにはどうやっても読み取ることなど出来はせぬ。だからクイントは、お前に念を飛ばして図書室まで誘導するなどと言う回りくどいことを考えたのだ。」
 
「・・・・・・・。」
 
 一瞬、なんと言っていいかわからず言葉に詰まった。確かに聖戦竜は私の心をいとも簡単に読んでいたが、それも私が聖戦竜に意識を向けていたからに他ならない。
 
『そうでなければ、そなたの心は、私でさえ読み取ることなど出来ぬのだ。』
 
 そう言ったのは飛竜エル・バール・・・。あの頃、私が自分の持つ力についてもう少し関心を持っていたなら、きっともっとわかることはいろいろあったはずだ。でもあの頃、私は自分の力に関することについては、出来るだけ関わらないようにしていた。こんな力など要らない。消えてしまえばいいのに。そんなことばかり考えていた・・・。
 
「だがクロービス、誤解のないように今一度言うておくぞ。確かに、わしもフロリア様も、お前の持つ剣の力はよく理解しておる。おそらくは持ち主のお前以上にな。だが、あの時お前を疑う道理はないと言うたのは、そんな理由からだけではないぞ。お前の剣の腕はランドが認め、その心根はオシニスが認めた。そしてパーシバルが、この若者ならば王国剣士としてこの国のために働いてくれると信じたのだ。彼らの見立てどおり、お前は類稀なる力を持つ剣に依存せず、自分の持つ特別な力を利用しようともせず、日々の鍛錬で身に着けた己自身の力と誠意のみで、この世界の滅亡を止めた。それだけで充分、お前は信頼に値する人物だと思うたからだ。」
 
 レイナック殿は言い終えて小さくため息をつき、なぜか妻と私を交互に見て、少し寂しげに微笑んだ。
 
「・・・いい機会だから言うてしまうか・・・。クロービス、ウィロー、わしはお前達に謝らねばならんことがある。・・・遠い昔の聖戦の折、初代国王陛下のベルロッド様は、剣に選ばれし者となるにふさわしい力をお持ちであったのに、剣と出会えないまま一生を終えられた。だが、それでもご自身の力と誠意で神竜との交渉を成功させ、おかげで辛くもサクリフィアは滅亡を免れた・・・。クロービス、お前が飛竜エル・バールを説得したと言う話を聞いた時、正直言ってわしは心が躍った。それと同時にお前の存在を恐ろしいとも思うた・・・。」
 
 私の持つ剣の役割・・・。それが広く国民に知られれば、フロリア様を廃して剣の持ち主を王として祭り上げようと言う話が出てくる可能性は、今の時代でさえないとは言い切れない。レイナック殿の複雑な心を思うと胸が痛んだ。
 
「だがあの時、フロリア様にはおそばで力強く支えてくれる者が必要であった。それがお前ならば申し分ない。だが・・・お前にはすでにウィローがいた。だからおそらくそれは叶わぬことだろうとはわかっていたが・・・なかなかあきらめ切れなかったのはこのわしだ。そのためにウィローにもだいぶつらい思いをさせた・・・。今さらだが、悪かったと思うておる・・・。」
 
「レイナック様・・・。」
 
 妻が驚いて顔をあげた。
 
「ファルシオンの使い手には、伴侶となるべき相手が運命によって決められていると聞く。遠い昔、ファルシオン最後の王には心優しい王妃が片時も離れず寄り添っていた。ベルロッド様にはシャンティア様がおられた。そして、現代のファルシオンの使い手には、ウィロー、お前が伴侶となるべき運命の相手だったのだよ。わしにはそれがわかった。だがそれでも・・・わしにとってフロリア様は我が子のようなものだ。子を思うあまり心の目が曇ったのだと、それで許してもらうことはできるか・・・?」
 
「許すなんて・・・。そんな・・・」
 
 妻は一瞬声を詰まらせ、涙をぬぐった。
 
「レイナック様がフロリア様を思うお気持ち、子供を持った今ではよくわかります。あのころはとてもつらかったけど、今私は幸せなんです。だから、もうこのことでお気に病まれないでください。」
 
 あの時の縁談では、フロリア様がだいぶ心を痛めておられたのだと、聞いたのはついこの間だ。だが・・・このことではレイナック殿もまた、後悔していたと言うことか・・・。今このタイミングで話を聞きに来てよかったかもしれない。レイナック殿はさっきよりは晴れやかな顔になっている。
 
「うむ・・・そう言うてくれてありがたい。さて、少し話がそれてしもうたな。クイント書記官のことだが、あの男の肚の内を読み取るだけなら、今のお前の力だけでも何とかなるかも知れぬ。」
 
「・・・方法がないわけではないのですね?」
 
「そうだ。そもそも古のファルシオンの使い手とて、毎日力を全て使っていたわけではない。まあ・・・。」
 
 レイナック殿はいったん言葉を切り、少し思案しているようだったが・・・
 
「そもそも全ての力を使いこなしているわけではないお前が、どこまで出来るかと問われると何とも言えぬが・・・。」
 
「方法があるなら教えてください。今こうしているうちにも、どこかで誰かが彼の意のままに操られているかも知れないんです。」
 
「うむ。その鍵は、距離だ。」
 
「距離・・・?あ・・・。」
 
 そうだ。クイント書記官が私を呼び出すつもりで念を送っていると気づいたのは、図書室から随分と遠く離れた場所でのことだ。あの時、おそらくクイント書記官は私がその場所で念を受け取っていることに、気づいていなかっただろう。
 
「・・・では、たとえば充分な距離を置けば、私がクイント書記官の心の中を探ろうとしていても、彼は気づかないかも知れないと言うことですか?」
 
「おそらくはな。あの男の力は、感知できる範囲の中にいる誰かが自分に注意を向ければ、すぐに発動するようだ。だからこちらの存在に気づかれてから彼の心を探ろうとしてもうまく行かぬだろう。だが、充分な距離を置き、お前の存在を気づかせないようにしておいてから探れば、気づかれずにあの男の心を感じ取ることが出来るかも知れん。」
 
「・・・なるほど・・・。でもそうなると、クイント書記官がどこにいるのか、予めわかっていないと難しいと言うことですね。」
 
「うむ・・・。クイントはエリスティ公の行くところどこにでもついていくから、次の会議がある時にでもお前に声をかけよう。よし、では少し打ち合わせをしておくか。」
 
 次にクイント書記官が来る時に、声をかけてもらうことになった。彼らが入る部屋から離れた場所に私がいて、少しずつクイント書記官の心を探ってみることにした。こんなやり方、本当ならしたくない。でも、彼らが何をたくらんでいるのか、ある程度わかればこちらの対策もたてようがある。
 
「ところでレイナック殿、少し疑問に思うことがあるのですが。」
 
「ん?なんだ。この力のことでか?」
 
「いえ・・・。」
 
 私は以前から疑問に思っていたことを、思い切って聞いてみることにした。先代の国王陛下ライネス様が即位された時、エリスティ公は王室典範に従って臣下に下った。だがライネス様の治世は長く続かず、残されたフロリア様が幼かったことで再び王位に執着し始めたと聞く。ライネス様の腹心として、ケルナー卿とレイナック殿は当時からかなりの権力を手にしていたはずだ。そのお二人をもってしても、その時点でエリスティ公を完全に排除することは出来なかったのだろうかと。
 
「ふむ、なんともよい質問だ。」
 
 レイナック殿はうんうんとうなずき、お茶をもう一杯ずつ私達にも注いでくれた。
 
「この部屋は聞き耳を立てられる心配もない。ここまで巻き込んでしまったのだから、はっきりと言うてしまおう。フロリア様の治世において、『あのお方』は厄介な病巣のようなものだ。だがその病巣を積極的に取り除こうとしなかったのにはわけがある。」
 
「病巣と聞くと、私は取り除かない理由なんてどうにも考えつきませんけどね。」
 
 ふとクリフの顔が浮かぶ。取り除ける病巣なら、きれいさっぱり取り除いてしまいたいというのに・・・。
 
「ふぉっふぉっふぉっ、ま、お前は医者じゃからの、病気なんてものは治してしまうに限るし、取り除ける病巣ならきれいさっぱり取ってしまいたいのだろうが・・・フロリア様が即位された時、まだ6歳だった。わずか6歳の子供を国王として頂くことに否定的だったのは、『あのお方』だけではなかったからのぉ。」
 
「なるほど。確かに『あのお方』以外の大臣達がみんなフロリア様を推していたなら、王位継承問題なんて持ち上がることはなかったでしょうからね。」
 
 もしもそうだったなら、前国王夫妻の葬儀のあとすぐにフロリア様が即位されただろう。だが、実際にはそう簡単に事は運ばなかった。
 
「そういうことだ。だがケルナーもわしも、なんとしてもフロリア様に即位していただきたかった。そこでフロリア様即位に賛同してくれるよう大臣達に根回しをしたのだが、我らはなんと言っても『前国王の側近』だったからのぉ・・・。常に陛下のおそば近くに控え、何かあればいつでも意見を求められるという光栄に浴したい者達はいくらでもおっただろう。だがライネス様がおそばに置かれたのは常に我ら2人のみであった。そんなわけで他の大臣達からいささか妬まれておったもんじゃ。特にケルナーは強引なやり方で周囲の反感を買うことも多かったから、あの時はだいぶ嫌味を言われたり、はっきりと拒否されたりもしたものじゃて。」
 
「それと病巣にどんな・・・」
 
 言いかけて気づいた。もしかして・・・
 
「つまり、エリスティ公を『共通の敵』にすることで、大臣達の結束を図ったと、そういうことですか?」
 
 レイナック殿がうなずいた。
 
「そういうことだ。それに、エリスティ公は自分が即位したくていろいろといいことばかり言っていたのだが、実際に即位したあとフロリア様を幽閉したり、最悪殺したりする可能性がないと言い切れる者は誰もいなかった。元々ライネス様とファルミア様は国民からも大臣達からも慕われておった。そして一人娘であるフロリア様も『かわいい王女様』として、誰もがその成長を楽しみにしていたのだ。もしもエリスティ公が即位したらフロリア様の身に危険が迫るかもしれない、そんな話を聞けば、誰だってエリスティ公によくない感情を持つようになる。しかも都合のいいことに、公はフロリア様の即位を認めるための『交換条件』としてだいぶ駄々をこねた。・・・あの時はケルナーが泥をかぶった。ベルスタイン公爵に領地の分割を依頼に行った時、土下座して床に額をこすりつけて頼み込んだのだ。その噂が広まり、最終的にはかなりの大臣達を味方につけることに成功した。」
 
 レイナック殿の顔が悲しげにゆがんだ。いろいろと反感を買うことの多かったらしいケルナー卿だが、レイナック殿にとっては『盟友』であったのだ・・・。
 
「それでますます『エリスティ公の暴挙』という印象を周りに植えつけて評判を落とし、フロリア様の即位に弾みをつけたと、こういうことになるんでしょうか。」
 
「うむ、そういうことだ。そして、そこまで憎まれた『敵』がそう簡単に排除されてしまったのでは、次にその矛先が向くのは我らだろう。だからフロリア様が無事に即位されたあとも、多少のわがままは聞いてやって、敵としての位置にいてもらった、そういうことなのだ。もちろん、公が目の上のこぶであることに変わりはないからの。いつでも排除できるように、準備はしておいたわけなのだが・・・。」
 
「・・・でもフロリア様が成人されて、国王陛下としての責務を立派にこなされるようになってからまで、排除しなかったのはなぜです?」
 
 レイナック殿が大きなため息をついた。
 
「忌々しい話だが、そこにわれらの誤算があったのだ・・・。」
 
「・・・誤算?」
 
「エリスティ公とて脳みそがないわけではない。自分が回りからどう思われているか、そのくらいのことは理解していたのだ。だから、フロリア様が即位されたあと、いきなりおとなしくなった。」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
「エリスティ公がフロリア様の即位を認めるために出してきた条件は3つだった。王族としての身分に復帰することと、ベルスタイン家の持つ豊かな領地の一部を自分の領地として譲り受けること、そして3つ目は、フロリア様が成人するまでの間後見人となることだった。ふたつ目までは我らもその条件を飲むことにしたが、3つ目だけはなんとしても受け入れるわけには行かなかった。幸い当時の剣団長のドレイファスが我らに味方してくれたことで、他の大臣達も我らの主張に賛同してくれた。結局エリスティ公が折れる形で後見人の件には決着がついたのだが、公にとっては不満の残る形での決着だったというのに、その後何も言わなくなった。おそらくは、だが、これ以上騒ぎ立てれば、最悪暗殺でもされかねない、そういう判断があったのだろうと思われる。ま、ケルナーの密偵達の中には腕のいい暗殺部隊がおったからのぉ。命をとられてしもうては、二度と王位に就くことは叶わぬ。ここは引くしかないと考えたのだろう。」
 
「なるほど・・・。」
 
 ケルナー卿の暗殺部隊・・・。何人かいたらしいが、ケルナー卿が亡くなったあと、その暗殺部隊は全てフロリア様の、正確に言うならばフロリア様の中にいたもう1人の人格『シオン』の配下となった。その中の1人であった風水術師のイシュトラは密かにハース城に潜り込み、本物のデール卿を殺してデール卿に成りすました。そして『フロリア様の密偵』として活動していたのがリーデンだ。リーデンはハース鉱山に王国剣士を向かわせるというシオンの計画を聞き、ハース鉱山を丸ごとモンスター達に襲わせて、鉱夫もろとも皆殺しにする計画を立てた人物らしい。そして万一私達が生き延びたことを想定して、南大陸から流れてきた盗賊崩れの一団を言葉巧みに王国軍に招きいれ、大罪人に仕立て上げられた私達を本気で殺しにかかる『刺客』として準備しておいた・・・。
 
「エリスティ公が表だって動きを見せなくなったことで、我らも手を出せなくなった。フロリア様の即位や後見人の件については協力し合っていたドレイファスも、『領地の要求や王族の身分復活など、さすがにやりすぎたと思ったのだろう、今静かにしているならこのまま様子を見たほうがいいのではないか』と言い出した。」
 
「でも実際にはとんでもないことをしていたわけですよね・・・。」
 
「うむ・・・まったくもって忌々しい!実に忌々しい!あの島は気候が安定しているから、毎年ある程度決まった量の収穫が見込める。つまり税の徴収にばらつきが出にくい。住民達も島の長老を中心によくまとまっているから、領主が代わっても特に問題は出ないだろうと、そういう判断で先代のベルスタイン公爵が提供を決めたのだ。」
 
 そのベルスタイン家から譲り受けた領地でエリスティ公が何をしたか、それを最初に聞いたのは、随分と前のことだ。あれは確か、カーナとステラから聞いたと思う。気候がよく作物がよく獲れ、税収の安定している領地を手に入れたエリスティ公は上機嫌で島に入ったらしい。長老をはじめとする島の人々に歓待され、最初のころは何事もなく平穏に過ぎていたというのだが、しばらく過ぎたある日、エリスティ公は島の最深部の神聖な森に案内され、そこにしばらく滞在したいと言い出した。島の人々にとっては大事な森だが、領主の言うことには逆らえない。今までの態度からして特に問題も出ないだろうと、島の者を案内としてつけて要求を呑んだ・・・。
 
 ところがいつまで経っても公は森から出ず、島の長老が様子を見に行ったのだが、数日後、長老は森から流れ出る川の流れに乗って遺体となって戻ってきた。島の人々が公に説明を求めるために向かったところ、森は、なんと半分もの木が切り倒され、無残な姿をさらしていた。しかもなぜか、あちこちに深い穴がいくつも掘られていた。エリスティ公は島の人々の質問に『長老は話をして帰って行った』としか言わず、切り倒された木についても掘られた穴についても何の説明もなかった。島の人々の非難の目を感じたのか、公はすぐに島を出て、しばらくしたあと、この島はいらないと、ベルスタイン公爵に突き返すようにして譲渡の書類を送ってよこしたという・・・。
 
『飛んでもないじいさんよ、あいつは。』
 
『あんなのに王位を継がせないためにも、フロリア様にはぜひ素敵なだんな様と結婚して、賢くて立派なお世継ぎを産んでいただかなくちゃ。』
 
(あの頃はステラも、フロリア様を国王陛下として尊敬していたな・・・。)
 
 その時は『おい、噂話とは言え、相手が相手だ。憶測でものを言うのはやめておけよ。』誰かにそう言われ、話はそれきりになった。だが、その後クロンファンラから戻ったあの御前会議の時、実際に目の前で剣士団を悪し様に言うその人物と会って・・・どうしようもなく腹が立ったことを、今でも覚えている。そしてこの人ならば、カーナ達が言っていたようなことを本当にするかもしれないと思った。
 
「でもどうして問題にならなかったんですか?まさか領主は領民をどう扱ってもいいなんてことではないと思いますが。」
 
「もちろんだ。だが、証拠がなかった。あの島で公の仕業だとはっきりわかるのは、島内の神聖な森をぶち壊したということだけだ。島の人々にとっては大事な森だったが・・・それだけでは公の責任を問うには根拠が弱かったのだ・・・。」
 
「・・・どうやら、自分がやったろくでもないことを隠すのだけはお上手なようですね。」
 
「まったくだ!それこそが我らの誤算だった。表面的にはおとなしくして、陰でこそこそ動き回ることがあんなに得意だとは思わなかった。忌々しい!まったくもって忌々しい!こんなことならさっさと始末しておけばよかったと、ケルナーもわしも、はらわたが煮えくりかえる思いだったわ!」
 
 レイナック殿は何度も『忌々しい』と叫んだ。よほど悔しかったのだろう。
 
「・・・しかし、エリスティ公が1人でそこまで考えついたのでしょうか。」
 
「それはないだろうな・・・おそらくは、だが、当時も今と同じように、公には参謀がついておったと思われる。」 
 
「参謀が・・・?」
 
 これは意外だった。
 
「これはわしらも先代のベルスタイン公爵から聞いただけで、はっきりとしたことはわからぬのだが・・・公が森に入り込む時、案内人としてついて行った島の者が、公についてそのままエルバール王国に来たそうなのだ。多分その者がいろいろと公に口添えをしていたのではないかということだ。」
 
「島の人が・・・では森の木を切り倒すのを黙認していたと?」
 
「うむ・・・長老のことについても、知らぬ存ぜぬの一点張りだったそうだ。あのような者に与してふるさとの仲間を裏切るとは、どうにも解せぬと、先代の公爵も言うておったが・・・。」
 
「その方は今は・・・。」
 
「わからぬ。今現在エリスティ公のそばにいないことは確かだがな。」
 
「どれほどよくまとまっていると言っても、やはり一枚岩ではなかったということなんでしょうか・・・。」
 
「そういうことなのだろうな・・・。いつの世も都会にあこがれて静かなふるさとを省みない若者はいるものだ。これは推測に過ぎぬが、多額の報酬を約束されて、公の言うとおりにしていたのかも知れぬ・・・。お、少し長話をしてしまったな。ではあとで連絡をしよう。2人とも、クイントにこのことを気取られぬようにしてくれ。」
 
「わかりました・・・。」
 
 
 
 宿に戻って食事を頼んだ。1階の酒場は相変わらずの盛況で、今日はラドとノルティが2人でフロアを走り回ってる。カウンターには老マスターとロージーもいる。奥の厨房から時折ミーファの大声がカウンターに飛んできて、そのたびにロージーと老マスターがばたばたと動いている。
 
「ふぅ・・・。」
 
 部屋に戻ってベッドに腰掛けた途端どっと疲れが押し寄せた。
 
「長い一日だったなあ・・・・。」
 
「そうねぇ・・・。」
 
「さっきはごめん・・・。黙ってて。」
 
「そんなことないわよ。」
 
 妻が私の隣に腰掛けた。
 
「あなたが理由も言わずにレイナック様のところに行こうって言ったとき、なんとなく、用事はきっとあなたの力のことなんだろうなって思ったの。ねえ、セルーネさん達と話したこと、私にも教えてくれる?」
 
「うん、セルーネさんの領地のほうでも問題が起きてるらしくてね・・・。」
 
 さっき剣士団長室で聞いた話を、思い出せる限り詳しく話した。そしてオシニスさんがライザーさんのことで『手を打ってくれた』らしいことも。
 
「それじゃライザーさんのほうはひとまず安心ね。でもその、セルーネさんの領地は心配よねぇ・・・。それも全部クイント書記官の仕業なのかしら。」
 
「今のところは彼以外に有力な容疑者はいないみたいだけど、どうだろうなあ。クイント書記官はずっと城下町にいるのに、西のほうの島でまで事件を起こせるかどうかは・・・。」
 
「協力者がいたって言うことなのかもしれないわ。」
 
「それはまあそうなんだけど・・・。」
 
 もしかしたら、だが、セルーネさんの領地で薬草栽培の管理者達を襲ったのは、エリスティ公の密偵かもしれない。あの方だって密偵を抱えているはずだ。
 
「ねえ、そもそもあの原生林にあった入口の話、何であんなところにオシニスさんは興味を持ってるのかしら。」
 
「そこまでは聞けなかったな。でも、剣士団長が自分で動けないと言うのは理解出来るとしても、他の王国剣士を派遣することも出来ない、密偵に探らせようにもなかなか手を割けないってことは・・・やっぱり何か『あのお方』に絡んでいることなんじゃないのかなあ。」
 
「そっか・・・。レイナック様の密偵が身辺を嗅ぎまわっている、なんてことが万に一つも知られたら、大変なことになるものね・・・。」
 
「うん・・・。とにかく今は、クイント書記官の考えを探ることが一番有効な手段なのかもしれないって、さっきセルーネさん達と話していて思ったんだよ。それに、どうしても引っかかるんだ。あの男がユノと同じ島の出身だってことに。」
 
「昔いたかもしれないって言うその参謀らしき人のことは、クイント書記官は知っているのかしらね。」
 
「どうなんだろうなあ・・・。そもそもユノとクイント書記官との接点もわからないし・・・。」
 
「でもセルーネさんの話だと、時期的には2人が知り合いだとしてもおかしくないっていう話だったんじゃない?」
 
「うん・・・。多分同じ時期に島にいたはずだけど・・・でもそのころ、あの書記官はかなり小さかったはずだよ。果たしてそんな小さい頃のことを覚えてるものかなあ。」
 
 2人の年齢差を考えてみた。ユノは確かランドさんと同じくらいの歳だったはずだ。私が剣士団に入団した時、ユノは入団して4年と聞いたから、島を出て剣士団に入ったのはだいたい22歳くらいだろうか。となると、ユノが島にいたころは、クイント書記官はだいたい5歳から7歳くらいか・・・。
 
(となると覚えていてもおかしくはないか・・・。)
 
 5歳の頃までライザーさんに遊んでもらった記憶は、私の中で今でもかなりぼんやりとした曖昧なものでしかないが、ラスティは私よりひとつ上なだけなのに、ライザーさんのことをはっきりと覚えていた。となると、クイント書記官がユノを知っている公算は大きい。だが、たとえば2人が顔見知りだったとしても、エリスティ公がその島の森をぶち壊したのはもっとずっと前の話だ。多分クイント書記官は生まれてもいない。ユノだって小さい頃だったんじゃないだろうか。となると、クイント書記官がユノと知り合いだと言う可能性の問題と、島で起きた事件のことは切り離して考えるべきだろうか。だが、私の頭の奥のどこかが、その二つの出来事に繋がりがあると疑っている。こんな有り得ないような話を思いつく時は、たいていの場合当たっているものだが、さて今回はどうなんだろうか・・・。
 
「その辺りのことを、セルーネさんに詳しく聞くことは出来ないかしらねぇ。」
 
「どうかなあ・・・。あの騒動はいわばセルーネさんの家の領地での出来事だから、そんなに誰にでも話してくれるかどうか・・・。」
 
「でももしかしたら、聞く必要が出てくるかもしれないわ。」
 
「もしもそういうことになった場合、私達が行動を起こす前に、レイナック殿には伝えておかないとね。とりあえずは連絡を待とう。」
 
 まずはクイント書記官の肚の中を探り、彼の考えをある程度把握することのほうが先だ。私達にとってセルーネさんはよき友人であり、頼もしい先輩でもあるが、セルーネさんはいまやエルバール王国きっての名門公爵家の当主だ。迂闊に私達の事情を話すことはできない。セルーネさんを信頼しているからこそ、難しい選択を迫ることになるような情報は、慎重に扱わなければ・・・。
 
「遅くなりました!お食事です!」
 
 そこに食事が届いた。届けてくれたのはロージーとノルティだ。二人と別々に話しているときには気づかなかったが、こうして並んでいるととてもよく似ている。おいしい食事ですっかり落ち着いた私達は、早く休むことにした。明日はオシニスさんから話を聞かせてもらうことになっている。それがどんな内容でもきちんと受け止められるよう、心を落ち着けていたい。そして明日は、朝のうちにクリフの病室に顔を出す予定でいる。手術の日取りを決めるのはまだ先だが、クリフが今どんな状況にあるのかはそろそろ把握しておく必要がある。ハインツ先生から渡されたクリフの病状の記録は、もう頭の中に入っている。あとは今の状態を見極めて、ある程度治療の方針を固めておかなければならない。
 
 
 
『ふぁ〜〜〜・・・やっぱり宿舎の風呂はいいなあ・・・。』
 
『またこうしてここでのんびり入れるのはありがたいよね。』
 
 これは夢・・・。あれは・・・カインと私だ。ああ、ここは剣士団の宿舎の風呂なのか・・・。他にも何人か入っている。口々に『またここでこうしてみんなと入れるとはなあ』『ここが思ったより汚されてなくてありがたいよ』などと言っている声が聞こえてくる。
 
『剣士団の復活も決まったし、あとはお前とウィローの結婚式だな。ちゃんとプロポーズしたのか?』
 
『うーんと・・・』
 
 口ごもる私。カインは私を見て『やれやれ』とため息をついた。
 
『おいクロービス、あんまりのんきに構えてもいられないぞ。なんと言ってもウィローはデール卿の娘だ。今ではデール卿は『エルバール中興の祖』と讃えられているからな。年頃の息子を持つ貴族達は、お前らが別れてくれないかと気を揉んでいるらしいぜ。』
 
『オシニスさん・・・。』
 
 気がつくとオシニスさんとライザーさんが入ってきている。
 
『俺もそれを心配しているんですよ。オシニスさん、ライザーさん、もっと煽ってやってください。』
 
『まあまあ、クロービスにはクロービスなりの考えがあるだろうし。だけど、このことについては僕もオシニスとカインに賛成だな。邪魔が入るかどうかはともかく、お互い気持ちが固まっているのなら、いつまでも今のままでいることはよくないと思うよ。』
 
 ライザーさんも心配そうに言う。
 
『そうですよね・・・。なかなかちゃんと言う機会がなくて・・・』
 
『機会がないなら俺達が作ってやるぞ。ああもう何でも言ってくれ。どんなことでも協力するから。』
 
 オシニスさんが気味悪いほどの笑顔を私に向けた。
 
『君がそんなに乗り気だと薄気味悪いな。何か企んでいるんじゃないだろうな?』
 
 ライザーさんに疑いの目を向けられたオシニスさんが大げさに肩をすくめて見せる。
 
『ひどいなあ。俺はこいつを心配しているんだぜ?』
 
 二人のやり取りを聞いていたカインが笑い出した。
 
『こうしてオシニスさん達の掛け合いをまた聞けるなんてなあ。夢のようだ。』
 
『掛け合いとはなんだ。ハリー達と一緒にするなよ。』
 
 そして風呂場にいたみんなが笑い出した・・・。
 
 
 
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 ぼんやりと目が覚めた。今になってこんな夢を見るなんて・・・。サクリフィアの村を出る前の晩、カインと私が話していたのがそんな風景だった・・・。みんなでまた宿舎の大きな風呂に入ろう、他愛のない話をしながらその日一日の汗を流して、同じ部屋に戻って、そして・・・『明日もまた頑張ろうな』そう言って床につく・・・。涙は出なかったが、あまりにもやりきれない。もっと出来ることがあったのではないか、カインを1人で行かせずにすむ方法が・・・。
 
(いくら考えても仕方ないのにな・・・。)
 
 何度考えても答えは出ないとわかっているのに。
 
「こら!」
 
 いきなり頬をつつかれてハッとした。隣で妻がニーッと笑っている。
 
「ほら、そんな暗い顔しないで。どんな夢を見たの?」
 
「君には隠しごとは出来ないね。」
 
「あら、するつもりだったのならお生憎様。」
 
 妻の笑顔にほっとした。そして夢のことを話した。
 
「あの時・・・私達は2人とも、すぐにでも宿舎に戻れるような気がしてたんだ。昨日そんな話をしたせいかなあ・・・。今になってこんな夢を見るなんてね。」
 
「そう・・・。でも、夢の中ででもカインに会えるのはいいわね。私も呼んでくれたらいいのに。」
 
「呼べるなら呼びたいくらいだよ。でも昨夜の夢では無理だなあ。」
 
「どうしてよ。」
 
「剣士団の宿舎の男湯だよ?そこに君が現れたら大変なことになるじゃないか。」
 
 妻が吹き出した。
 
「そ・・・それは・・・確かにそうよね・・・。」
 
 腹を抱えて笑う妻を見ていたら、少し気持ちが楽になった。
 
 
 
 王宮の玄関には、すでに見学待ちの客が押し寄せている。祭りももう残すところあと少しだ。祭りの見物をあらかた終えた観光客は、今度は王宮を見学しに来るのだそうだ。日を追うごとに客の数が増えている。その喧噪をすり抜けて、私達はまず医師会へと足を向けた。クリフの病室では、今朝の検温が行われていた。クリフはベッドの上に起き上がり、ハインツ先生と話をしている。後姿だけを見ても、以前とは比べ物にならないくらい強い『気』が放たれているのがわかる。背中も以前は丸まっていたが、今では背筋がぴんと伸びている。食事の量も随分と増えたらしいが、それもゆっくりと眠れるようになってからのことだ。静かな眠りが人の健康にどれほど大事なものか、改めて考えさせられた。
 
「おや、おはようございます。そろそろおいでになる頃かと思ってましたよ。」
 
 私達は挨拶をして、妻はいつものようにゴード先生と打ち合わせを始めた。私はハインツ先生に、そろそろ今のクリフの状態を見極めたいので、一緒に治療にあたらせてくれるよう頼み込んだ。最も今は手術の日程を決めるための検査期間のようなものなので、私ができることは特にない。でもせめて毎朝ここに来て、その時々の状況を把握しておきたい。
 
「もちろん大歓迎ですよ。今のところ、状態は横ばいというところでしょうか。そんなに劇的に良くなっているとは言えませんが、落ち込むことはなくなってきていますね。」
 
 以前の状態を考えれば、横ばいでもかなりすごいことなんだろうと思う。私はゴード先生と妻のやりとりを少し聞いていることにした。2人は今日マッサージする場所を決めるために、クリフにいろいろと尋ねている。この話は手術の参考になる。麻酔があるとは言え、切る場所は出来る限り小さくしたいし、何度も切ったりすることは出来ない。
 
 
「・・・それじゃ今日はここと・・・ここからここまでね。ゴード先生、お願いします。」
 
 『お願いします』と言われた途端、それまで落ち着いていたゴード先生の『気』がいきなりぴんと張りつめた。それは妻も感じているらしく『先生、まずは先生が肩の力を抜いてください』と苦笑いしている。なかなか慣れないらしい。それは仕方ない。慣れるためには場数を踏むしかないのだから。
 
 
「クロービス先生にはこちらをお渡しします。クリフの治療記録の最新版ですよ。内容について確認したいこともあるので、そちらで少し打ち合わせをしましょうか。」
 
 ハインツ先生に促され、部屋の隅にあるテーブルに座った。
 
「先日お渡しした記録はお持ちですか。」
 
 私は最初にもらった記録を出して、その後に渡された記録と見比べながら、マッサージを開始してからのクリフの様子を細かく教えてもらった。
 
「・・・とまあ、こういうわけですので、確かに以前よりしっかりしてきてはいますが、果たしてあと数日で手術の日取りを決められるかどうか・・・。先生はどうお考えですか?」
 
 以前は死ぬのを待つばかりだった。そのころのことを考えれば、今の状態はかなりよくなっていると言えるのだろうけど、手術をするためにはもっと体力がつかないと難しい。いざ手術となれば、おそらくクリフの治療チーム全員が顔を揃えるだろう。腕のいい治療術師がたくさんいれば、万一の時にも当てに出来るが・・・
 
(そんな事態にならないようにするのも私の役目なんだよな・・・。)
 
 ハインツ先生の心配もそこにある。『万一』に遭遇してしまったら迷わず周囲の手をあてにする、でも私はそれでいいとしても、それでは患者に負担がかかるのは確かだ。だが慎重になりすぎて一番いいタイミングを逃してしまうのはもっと困る。
 
「一週間後というのはもう決まっていることですから、その時点である程度の時期を決める必要はあると思いますが・・・あまりきっちりと『いつ』と決めてしまうのもどうかなと思いますね。もちろん本人にもご両親にも納得していただける程度の、だいたいの時期をまず決めて、そこに向かって今安定しているこの調子を持続できるよう、そしてゆっくりでもいいから上り調子に持っていけるようにしたいと思ってます。決めた時期までに手術が可能になれば迷わず手術をする、無理そうならばまた治療を続けて時期を見る、今のところはそう考えています。」
 
「私もその案に賛成ですよ。一週間という期日ぎりぎりまで様子を見て、それからどうするかを考えましょう。」
 
「そうですね。ハインツ先生、これは提案なのですが・・・」
 
 私は思い切って、クリフもリハビリをしてはどうかと提案してみた。ずっと寝たきりだったクリフの体は相当に弱っているはずだが、体力がついてきてからは、排泄のほうもオムツではなく、可動式のトイレを病室に持ち込んで自分で用を足せるようになっている。それに先ほどのように、体を起こして会話が出来る程度までは回復してきているのだ。もちろんアスランのように歩く訓練などはまだ出来ないが、たとえば朝だけでなく日中も、睡眠の後はしばらく起きているようにするとか、手や足を動かしたりする程度のことなら出来るのではないかと思う。負担にならない程度に体を動かすことで、多少なりとも筋力はつくだろうし、もう少し睡眠もよく取れるようになるのではないかと考えたのだ。
 
「なるほど・・・。それはいいかもしれませんね。」
 
 その時ちょうどゴード先生がマッサージを終えたらしく、クリフに何か尋ねている声が聞こえてきた。
 

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