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「クロービスさん、カインさん、お風呂が空いたから入ってくださいな。」
 
 呼びにきてくれたのはリーネだった。
 
「ありがとう。ウィローは?」
 
 リーネは少しだけ肩をすくめてみせた。
 
「私の心配なんて2人ともちっともわかってくれないって、怒ってたわよ。ふふふ、でも大丈夫よ。多分誰かに話を聞いてほしいだけだと思う。たくさんしゃべればきっと落ち着くわ。」
 
「悪いけど頼むよ。」
 
「まかせて。」
 
 リーネが部屋を出て行き、私達は2人で風呂へと向かった。
 
「はぁ・・・お前と風呂に入るのも、もうしばらくなさそうだなあ・・・。」
 
 カインは湯船につかってのんびりと言った。
 
「そうだね・・・。次に一緒に入れるとしたら、王宮の宿舎かなあ・・・。そうだといいな。」
 
「そうだな。それを実現するためにも、俺ががんばらなくちゃ。」
 
「まずは明日からの情報収集だね。やっぱり酒場かな。冒険者はいろいろいるみたいだけど、みんながみんな手ごわいモンスターを倒してここまで来てるのかなあ。」
 
「そりゃそうなんじゃないのか?」
 
「でもそのわりにのんびりした雰囲気の人達もいたじゃないか。」
 
「うーん・・・。俺達がここまでくるのに教えてもらった航路は、大変だけど最短距離だって言われたんだよな。」
 
「サクリフィアまで来るだけで大変なことだと思うから、そんなにいろんな航路を通ったりはしないんだろうね。」
 
「そう言う話だったよ。『確かに大変なんだけど、慣れた航路なら、それなりに対処の仕方はあるからね。』て、リニスさんが言ってたな。」
 
「航路自体はいろいろあると思うんだよ。明日は酒場で話を聞いてみようか。」
 
「そうだな・・・。」
 
 
 翌日の朝、ウィローが部屋に戻ってきた。昨日ほど刺々しい雰囲気はまとっていない。
 
「ウィロー、昨日のこと、黙っていてごめん、俺のわがままを今回は通させてくれ!」
 
 カインはウィローが荷物を整理しようとして座った隣に行き、昨日私にしたように床に両手をついて頭を下げた。
 
「カイン・・・。」
 
 ウィローはすっかり驚いている。
 
「でも俺のせいで君とクロービスが険悪な雰囲気になるのは俺としてもいやだ。だけど今回だけは俺も譲れないんだ。フロリア様が元に戻って、俺達が一日も早く大手を振って王宮に戻れるように、今は俺を行かせてくれ。そして、クロービスと喧嘩しないでくれ。頼む!」
 
「・・・絶対に戻ってくるわよね。」
 
「もちろんだよ。出来るだけ早く戻る。」
 
「でも安全な道が見つからない限り、無理してでも行くって言わないわよね。」
 
「無理はしないよ。俺はなんとしても無事に向こうに着いて、そしてここに戻ってこなきゃならないんだ。だから安全に向こうに戻れる方法を探したいんだ。君も協力してくれないか。」
 
「・・・わかった・・・。協力するわ。」
 
「ありがとう!」
 
 カインの笑顔に、ウィローが根負けしたというように首を振り、笑った。
 
 
 
 夕べよりずっと和やかな朝食の後、私達はまず雑貨屋などの店をいくつかまわり、薬草や携帯食料の補給をした。そして『カインが1人でも安全にエルバール王国まで戻れる手立て』を探すために、噂話を求めて酒場へとやってきた。中には相変わらず冒険者と思しき人達が何人かのグループを作って楽しそうに話をしている。
 
「何だかこの間より増えたな。」
 
「そうだね。この人達はどこから来てるのかな。聞いてみようか。」
 
 私達は賑やかに話をしている一団の隣の、空いていた席に座った。
 
「お、この間の兄ちゃん達じゃないか。」
 
 どうやら酒が入っているらしい冒険者のひとりが声をかけてきた。その顔には見覚えがなかったが、向かい側に座っているのは先日ここの酒場で私達に声をかけた冒険者だ。
 
「おお、どうだ?お宝は見つかったかい?」
 
 みんな上機嫌だ。いいことでもあったのだろうか。
 
「なかなか難しいですね。」
 
 当たり障りのない答えを返してみる。
 
「そうだろうなあ。で、あんたらはどの辺りに行って来たんだ?」
 
「皆さんがこの間言ってた神殿の辺りですよ。それより、皆さん楽しそうですね。いいことでもあったんですか?」
 
「いや、特にいいことがあったというわけじゃないが、今回の目的である大陸の南側を踏破したから、その打ち上げさ。それにもうけっこう長くこの大陸にいたから、そろそろ帰ろうかって話になってな。サクリフィアに名残を惜しんでいるというわけだ。」
 
「皆さんはどちらから?」
 
「みんなばらばらさ。この大陸の周りにある離島から来た奴もいるし、エルバール王国の南大陸からも来てるぜ。俺もそうだ。」
 
「へえ、エルバール王国からもここまで来る人がいるんですね・・・。」
 
「あんたらは城下町に住んでるのか?」
 
「そうです。」
 
 ここは無難に答えておこう。
 
「ふむ・・・そうだなあ。城下町の連中は、サクリフィア大陸に今も人が住んでいるってことだって知らない奴が大勢いるだろうな。俺は南大陸の中でも東の端の小さな村の出身だからな。南大陸で一番でかい町と言えばカナだが、俺の住んでいる村はカナからも大分遠いんだ。あのあたりでは、城下町に行くよりサクリフィア大陸に来た方が近いくらいだから、子供の頃からここはけっこう身近な場所だったよ。なんと言っても、海に出ればすぐそこに見えるわけだしな。」
 
「でも見えてもここまでくるのは大変だったんじゃないですか?」
 
「いや、そうでもないよ。・・・そう言えばあんたらは船乗りに航路を聞いてここまで来たって言ってたな。どのあたりを通ってきたんだ?」
 
 私達は地図を広げて、航路を指し示した。
 
「ここを通ってきたのか!?」
 
 冒険者達はみな驚き、中には大きく口をあけたまま固まっている人までいる。
 
「一番大変だけど最短距離だって聞いたんです。」
 
「ああ・・・まあ確かに城下町から来るなら最短距離だなあ・・・。ま、交易船の船乗りなら、他の航路は使わないだろうな。この航路からなら真っ直ぐ運河に入れるし、入っちまえばあとは結界の中だ。外海さえ乗り切れば、あとは楽してこれるからなあ。」
 
「その外海が一番大変じゃないか。この航路を人に教えるってのは・・・」
 
 別な冒険者があきれたように言った。
 
「船乗りなら、自分が一番よく知っている航路を教えるさ。それに、大変だとは言えあんたらは3人でこの航路を通ってきたんだろう?」
 
「はい。確かに大変は大変でしたけど、結果として乗り切れましたから・・・。」
 
「それはすごいよ。そういや何年も前だが、この村の交易船の魔法使いが死んだとか聞かなかったか?モンスターに蹴っ飛ばされて海に落ちたとか。」
 
「ああ、そう言えば聞いたなあ。ま、あれは運が悪かったとしか言いようがない状況だったらしいが・・・。俺達も気をつけないとな・・・。」
 
 『魔法使い』という言葉を、この人達はさらりと口にする。口ぶりから察するに彼らは何度もこの村へ来ているようだから、『魔法』という言葉も耳慣れたものなのかもしれない。
 
「おいおい、縁起でもない話はやめようぜ。明日は帰るんだからな。」
 
 後ろのほうで飲んでいる冒険者が眉間に皺を寄せながら言った。
 
「皆さんは、どこを通って帰るんですか?」
 
「俺達はこの大陸の南側を通って帰るんだ。そっちのほうはそれほど手ごわいモンスターは出ないからな。ただ、出航してすぐに結界の外に出ちまうから、気は抜けないよ。そうだ、あんたらも帰るなら一緒に行かないか。」
 
「おい、簡単に言うなよ。後3人なんて乗れないぞ。安請け合いしてやっぱり無理だなんてことになったらこの兄ちゃん達に悪いじゃないか。」
 
「いや、俺達は自分達の船があるんで・・・あ、あの・・・もしもよければ俺だけ乗せてもらえませんか。」
 
 カインが言った。
 
「ん?なんだあんたら一緒にここまで来たんじゃないのか?」
 
「いや、一緒に来たんですけど、事情があって俺だけエルバールに先に戻りたいんで、実を言うと1人でも安全に帰れる手段はないかと思ってここに来たんです。」
 
「1人ではなあ・・・どんな方法だって安全になんて帰れないと思うぞ。それこそ古代サクリフィアで使われてたって言うすごい魔法でもあれば別だがなあ。」
 
 その言葉に、後ろにいた冒険者が笑い出した。
 
「そりゃそんな魔法があれば、俺達の冒険も大分楽になるだろうな。この村の魔法使いったって、エルバール王国の風水術師と変わらないんだぜ?」
 
「ははは、まあそうだな。俺達の船には、あと1人くらいなら乗れるから、あんたが乗りたいって言うなら構わないぜ。そっちの二人はいいのか?」
 
「はい、私達はもう少しこっちに用事があるので。それに船もありますから。」
 
 冒険者の青年はうーんと唸りながらカインを見た。
 
「そうだな・・・。あんた見たところ腕は立ちそうだから、俺達としては助かるが・・・俺達はこの通りのむさくるしい戦士ばかりでね。魔法どころか風水術も治療術も使える奴はいないぞ。怪我をしたら傷薬でも塗っておくしかない。それでいいなら乗せてくぜ。」
 
「あ、それなら俺が気功を使います。ちょっとした傷ならすぐに直せますよ。」
 
「へぇ・・・それは助かるな。よし、明日の朝一番に出航するが、それでいいか?」
 
 カインが気功を使えると聞いて、同行に乗り気でなさそうだった他の冒険者達も感心したようにカインを見た。そしてカインはとうとう『安全にエルバール王国に戻れる手立て』を見つけた。もう引き止めることは出来ない・・・。また不安が募る。でも私の不安など何も気づいてないように、カインは冒険者達に自己紹介をして、明日の打ち合わせを始めた。
 
「よし、それじゃ航路の確認をしようか。」
 
「どのあたりを通るんですか?」
 
 一緒に聞いておこう。本当に安全にカインが向こうに帰れるかどうか、確認しておきたい。
 
「船着場から海岸線に沿って南下するんだ。そのまま南大陸の北側の海岸沿いに船を進めて・・・・」
 
 このパーティーのリーダーらしい冒険者が、地図の上を指でなぞり、だいたいの航路を示してくれた。
 
「このあたりのモンスターはそんなに手ごわくないから、南大陸の村とサクリフィアとの交易船が通る航路にもなってる。ただ、気を抜けないことに変わりはないから、あんたが気功を使えるってのはありがたいな。」
 
「なるほど、この航路だと、エルバール王国からサクリフィアに来るには遠回りになるな・・・。だから北大陸に向かう交易船はこっちを通らないのかな。」
 
 カインが言った。
 
「まあそうだろうな。交易品には食い物だってあるから、腐っちまったりしたら何にもならないしな。えーと・・・そして、ここで船を下りてもらう。」
 
 そう言って冒険者が指し示したのは、ハースの湖から外海へ出る川の、河口の近くだった。
 
「あれ?南大陸には寄らないんですか?」
 
 カインが不思議そうに聞いた。それに答えて、後ろの方にいた皮鎧を着た別な冒険者が立ち上がって地図のところに来た。
 
「俺がクロンファンラまで帰るからな。あんたも北大陸に行くんだろう?一緒に行こうぜ。気功が使える奴と同行出来るとは俺は運がいいな。」
 
「クロンファンラのご出身ですか。」
 
 こんな遠い場所で聞く耳慣れた街の名前に、懐かしさがこみ上げた。
 
「ああ、元々は海沿いの小さな村に住んでたんだが、俺が小さい頃その村がモンスターに壊滅させられてなあ。命からがらクロンファンラまで逃げてきたんだ。それ以来あの街に住んでるぜ。」
 
「え、それじゃハディの・・・。」
 
「・・・なんだ、あんたらハディの野郎を知ってるのか?」
 
「ええ、まあ・・・。」
 
 うっかりハディの名前を出してしまった。どうやらこの冒険者はハディとも顔見知りらしい。もっともハディの住んでいた村は小さな村だったそうだから、多分村人全部が顔見知りなくらいだろう。
 
「おいおい、詮索はあとにしようぜ。まずは航路の確認だ。」
 
 リーダーの冒険者が言って、ひとまずこの話は中断された。
 
「あ、すみません。でも何でここで降りるんですか?」
 
「いや、これ以上北上したら北大陸まで入っちまうじゃないか。そしたら南へ帰れなくなるんだぜ?」
 
「あ・・・。」
 
 すっかり忘れていた。北大陸から南大陸へは、フロリア様の許可がないと渡れない。そこに家があろうが関係ないと、灯台守から聞いた。
 
「まあ心配するな。この川の河口近辺から上陸すれば、一日くらいでロコの橋の近くの休憩所まで行き着けるはずだ。そこからロコの橋は目の前だ。南から北に渡る分には咎め立てされる心配はないからな。そしてあんたとこいつをそこまで送り届けたら、南大陸に家がある連中はまた海岸線を戻って、南大陸の東側まで行くと、まあこういう予定さ。どうだ?遠回りにはなるが、その分戦闘は楽だと思うぜ?」
 
「いや、俺はもう乗せてもらえるだけでありがたいですから。」
 
「よし、決まりだな。さてと、さっきの話に戻ろうじゃないか。」
 
 クロンファンラから来ているという冒険者が話し出した。
 
「お前もしつこい奴だな。この兄ちゃん達がお前の知り合いを知ってるからって、何でそう眉間に皺を寄せるんだよ。お前の失敗を暴露されるとか、そういう心配でもあるのか?」
 
「バカ言うな。だいたい眉間の皺は元からだ。ただ、気になっただけだよ。なあ、あんたらハディの知り合いってことはもしかして・・・王国剣士じゃないか?」
 
「へ?」
 
 航路の説明をしてくれた冒険者がきょとんとして私達を見た。
 
「ハディの奴が王国剣士になって町を出たのは俺だって知ってる。まああんたらがもっと人相の悪い連中だったなら、1回や2回はハディにとっ捕まったことがあるのかとも思うところだが、どう見てもあんたらは悪党には見えないからな。もしかしたら仲間だったのかなと。」
 
「おっしゃるとおりです。黙っててすみません。」
 
「いや、気にするなよ。剣士団も今じゃ非合法だ。メシが食えなきゃどうしようもないんだから、そりゃトレジャーハンターにでもなろうかって考えたとしてもおかしくないからな。王国剣士だったならそれなりの腕もあるんだろうしなあ・・・。」
 
「そういうことだったのか・・・。しかしさっきの話じゃたいしたお宝も見つかってないみたいだが、なんであんた1人だけ・・・あ、そういえば・・・。」
 
 リーダーの冒険者がハッとしたように黙り込んだ。
 
「なんだよ。食いすぎて気分でも悪くなったか?」
 
 クロンファンラから来た冒険者がにやにやしながら尋ねた。
 
「そんなんじゃねぇよ。俺がこっちに来る少し前に、行商のおっさんが言ってたのを思い出したのさ。北大陸のどこかに王国剣士達が集結して、王宮奪還を狙ってるらしいってな。」
 
「おお!と言うことは、あんたもしかして連絡係とか?」
 
 冒険者達が色めき立った。
 
「い、いや、そういうわけじゃないですけど・・・みんなどうしてるのか様子を見に・・・。」
 
「おいおい、そんな質問をされて『はいそうです』なんていう奴がいるか。ここは詮索しないでおこうぜ。」
 
 カイン一人だけが北大陸に戻る理由は、いつの間にか『こっそり仲間と連絡を取るため』ということになってしまった。みんな好意的で、その心の裏側に悪意は感じ取れないが、『そんなことはありませんよ』と少し思わせぶりに否定しておくだけにした。詮索しないでくれたほうがありがたい。私達はそのまま酒場で食事をして、明日の朝、日の出前に船着場で待ち合わせをすることにして冒険者達と別れた。
 
 
「ふぅ・・・あの酒場のメシはうまいな。戻ってきたらまた食いに行こうぜ。」
 
「さっきの航路なら確かに危険は少なそうだけど、時間はかかりそうだね。」
 
「そうだなあ・・・。でも、それ以外に方法がないなら文句は言わないよ。それに、俺達がこっちに来る時に使った航路は、確かに俺1人では手に余る。お前とウィローがいてくれてこそ乗り越えられたんだ。お前達の手があてに出来ない以上、安全第一で行かないとな。」
 
「本当に安全なのかしら・・・。」
 
 ウィローはまだ心配そうだ。
 
「安全というより、危険は少ないってことじゃないかな。治療術も気功もなしで通れる程度らしいからね。」
 
「そうだろうなあ。あの人達はみんな腕は立ちそうだから、俺は回復だけ考えていればいいかもしれないな。」
 
「気功だって無限に使えるわけじゃないんだから、無理はしないでよ。」
 
「無理はしないよ。俺は向こうについてから大仕事をしなくちゃならないんだからな。」
 
「あと、杖のことは黙っていたほうがよさそうだね。」
 
「そうだなあ・・・。小さいから俺の荷物の中に入れちまえば隠したままで置けると思う。宝物を借りるんだから細心の注意をはらわないとな。それに魔法使いがいないなら迷惑をかけることもないしな。」
 
「サクリフィアの人がいなければ大丈夫そうだね。」
 
「でもあの人達は、きっと何度もここまで来てるのね。魔法使い、なんてさらっと言ってたものね。」
 
「俺達にとっては、あるかどうかもはっきりしない伝説の地だったけどなあ。」
 
「知らないのは北大陸に住んでる人達くらいのものかも知れないよ。」
 
「でもカナの人達だってそんなに知ってる人はいないと思うわ。船乗りでもしている人ならともかく・・・。」
 
「・・・不思議だね。王宮に近い場所にいる人ほど知らないって気がするな。」
 
「お前が見せてもらったノートにも書いてあったじゃないか。そのファルシオンていう国の名前を、サクリフィアの人達だけじゃなくて、エルバール王国でも隠そうとしているって。エルバール王国だって元々サクリフィアの人達が作った国だからな。王宮としてはあんまり表に出したくないことだったのかもしれないぞ。」
 
「うーん・・・隠すことに全面的に賛同する気にはなれないけど、果たして広めていいことなのかどうかってのは、判断に迷うね。」
 
「どう考えてもいい話じゃないしな。」
 
「グィドーさん達のあの態度も理解出来なくはないよ。まあ気分は良くないけど。」
 
「そういえば・・・。」
 
 カインがふと、考え込むように黙り込んだ。
 
「なに?」
 
「神殿に飾ってあったレリーフだよ。エル・バールが攻撃をやめて撤退する時に、『人々は思念を受け取った』って書かれていたじゃないか。」
 
「ああ、そうだね・・・あれ?」
 
「おかしいと思わないか?俺にもウィローにも、セントハースの声は聞こえないんだぜ。何でサクリフィアの人達には聞こえたんだろう。」
 
「うーん・・・ファルシオンの人達の血筋とか?」
 
 そう言ったウィローも、首をかしげている。
 
「それなら極端な話、エルバール王国の人達みんなそうじゃないか。それこそ君だって俺だってそうなるよ。」
 
「でも村長の話に寄れば、ファルシオンの人達はみんないなくなったという説まであるらしいじゃないか。」
 
「でもそれならサクリフィアの人達にも聞こえないはずじゃないか。」
 
「それもそうね・・・。そもそもサクリフィアの人達っていうのは、どこから来た人達なのかしら・・・。元々砂漠に住んでいたって言うけど、カナの人達は普通にエルバール王国の国民だしねぇ。」
 
「人間の誕生がサクリフィア大陸で起きたって言う話だったしなあ・・・。」
 
「興味の尽きない話だけど、今はそれを追求している時間はないよ。気になるなら、カインが戻ってきた後、もう一度あの神話の作者の家に入れてもらおうか。何かわかることがあるかもしれないよ。」
 
「ははは、それもそうだ。今俺達がここで頭を抱えても、簡単に答えの出る話じゃないな。さてと・・・夕方までには間があるなあ・・・。」
 
 雑貨屋で旅に必要なものはすべてそろえた。二手に分かれることを考慮して、どちらも充分な食料や薬も買っておいた。あとすることがあるとすれば、明日からの旅に備えて武器防具の点検をするくらいのものだが、まだ陽は高い。
 
「カイン、村の外で少し手合わせしない?」
 
「これから?」
 
 ウィローが驚いたように私を見た。
 
「もう当分手合わせ出来そうにないからね。この先それぞれが進む道で問題なく進んで行けそうかどうか、お互い確認するってのも悪くはないと思うよ。」
 
「うん、そうだな。行ってみるか。」
 
 正直なところ思いつきだった。私はまだ、自分の中の不安を持て余している。引き止めたい。でも引き止める理由がない。せめて、カインと剣を交えて、カインが間違いなく1人でも無事に使命を果たして戻ってきてくれると、確認したかった。何度確認したところで、この不安が消えることはないような気がするけど・・・
 
 
 私達は村を出てあの洞窟を抜け、船着場から続く道まで来た。このあたりはサクリフィアの人達の、いわば生活圏内なので、道沿いだけでなく、ある程度広い範囲に結界が張られている。私達は道から外れた少し広めの場所を、訓練場として選んだ。足場はあまりよくないが、今までだってこんな場所での戦闘は数え切れないくらいにあったし、海鳴りの祠の浜辺のような、滑りやすい場所で訓練したことを思えば、ここはまだまだいいほうなんじゃないかと思う。
 
「よぉし、始めるか。明日の朝起きられないほど疲れても困るから、ほどほどにしておこうぜ。」
 
 そう言うわりにカインの素振りは風を切ってぶんぶん唸っている。
 
「その勢いで素振りしながら言われても、ちっとも説得力がないよ。」
 
「こうして向かい合うのも久しぶりだからな。」
 
「最後に立合したのいつだっけ。」
 
「いつだったかなあ。思い出せないや。」
 
 本当に、いつのことだっただろう。多分海鳴りの祠を出た後、あの原生林の中を歩いていたころじゃないかと思う。カインのイライラを少しでも静めたくて、広い場所でキャンプ出来た時だけ、少しの間剣を交えたものだ。あれからどのくらい過ぎたんだろう・・・。
 
「それじゃ私が合図を出すわよ。陽が沈むまでってわけにも行かないから、適当なところで止めるわ。どうせ勝負はつかないだろうしね。」
 
「はは、そうだね。それじゃよろしく。カイン!行くよ!」
 
「臨むところだ!」
 
「始め!」
 
 ウィローの掛け声で、2人とも迷わずお互いに向かっていった。剣と剣がぶつかる。ひらりと下がって間合いを取る。すかさず斬り込む。かわされる。追う。よける。逃げる。また追う。いつの間にか頭の中は空っぽだった。ただ目の前のナイトブレードを追うだけ。この時間が永遠に続けばいいのに。
 
「やめ!」
 
 ウィローの声で我に返った。
 
「ふぃー・・・久しぶりだけど、やっぱりお前との立合は楽しいなあ。」
 
「またこうして立合出来るように、早く戻って来てよ。」
 
「そうだなあ・・・。もう少し早めに移動出来る手段があればよかったんだけど・・・」
 
「それは仕方ないよ。無理しないって約束したじゃないか。」
 
「・・・そうだよな・・・。向こうについてから出来るだけ早く動くことにして、移動については焦らない、よし、それで行こう。」
 
 カインは自分に言い聞かせるように言った。誰よりも早く向こうに戻りたいのはカイン自身だ。でも焦らないでほしい。万一王宮の中であの衛兵達に囲まれたりしたら、たとえユノの協力があったとしても、王宮を脱出するのはそう簡単ではないだろう。
 
「そろそろ戻りましょうよ。荷物の確認をしなくちゃならないわ。」
 
「そうだね。それじゃウィロー、私達も出来るだけ早くムーンシェイに出発出来るよう、村長に頼んでおこうよ。」
 
「そうね・・・。カインが戻ってきたら『あら、もうエル・バールの説得は終わったわよ』なんて涼しい顔で言えるくらいにね。」
 
「お、言ったな?それじゃ俺は出来るだけ早く追いついて『あれ?まだエル・バールに会いに行っていないのか?』って言ってやろう。」
 
 冗談を言って笑い合いながら、私達はサクリフィアの村に戻った。そして最後に武器防具を点検してもらおうと、バルディスさんのところに寄った。
 
 
「いらっしゃい。武器防具の点検かな。」
 
「はい。俺はしばらく戻れないんで、よろしくお願いします。」
 
「私達もすぐにムーンシェイに向かうつもりです。一緒にお願いできますか?」
 
「もちろんだ。しかしムーンシェイに向かうお2人はともかく、赤毛の剣士殿はどうやってエルバール王国に戻られるつもりなのだ?」
 
 バルディスさんは受け取ったカインの剣を鋭い目で点検しはじめた。だが目つきの鋭さとは裏腹に、声はとても穏やかだ。私達はさっき酒場で冒険者達に会ったことを話し、彼らの船に乗せてもらってカインが王国へと向かうことを話した。
 
「なるほど・・・。酒場で見かける冒険者達はみな気のいい者達ばかりだ。あなた達が会ったのは、おそらく何度もこの村に来ている冒険者達だろう。」
 
「それで、私達も出来れば明日、カインを見送ってからすぐにでもムーンシェイに行こうかなと思ってます。今日はそのつもりで薬草や携帯食料を準備しましたから。」
 
「そうか・・・。ムーンシェイという場所は、クラトが言っていた通りいささか得体の知れない場所であるのは確かだが、村人達は本当に気さくでいい人達ばかりだ。だが、私も長老には会ったことがない。村人の話では、村の外れに住んでいるらしい。村人達はかなり長老を慕っているようなのだが、その長老はあまり村人と交流していないようだ。」
 
「それもおかしな話ですね。交流がないのに慕っているなんて・・・。」
 
「まったくだ。そういうことからも、クラトはあまりあの村を快く思っていないのだろうな。さて、剣はこれでいい。次はお嬢さんの鉄扇を見せてくれ。」
 
 会話を交わしながら、カインの剣はあっという間に修理され、さっきの立合で出来た傷もきれいになった。刃は鋭さを増し、入口から差し込む明かりをはじいてきらきらと光っている。
 
「うは・・・いつもながらすごいな・・・。なあクロービス、俺達は恵まれてるよな・・・。王宮ではタルシスさんが武器防具の面等は全部見てくれてたし、カナではテロスさん、そしてここではバルディスさんか・・・。バルディスさん、ありがとうございました。」
 
「タルシス殿にテロス殿か。お二方ともすばらしい腕の鍛治師だ。私などまだまだあのお二方には及ばぬよ。さて、では剣士殿の剣を見せてくれ。」
 
 いつの間にかウィローの鉄扇の調整も終わり、しゃらんと涼やかな音がした。私は腰の剣をはずしてバルディスさんに渡した。
 
「うーむ・・・ナイトブレードにあれだけ傷がついているというのに、この剣はまったく美しいままだな・・・。人ならぬものの手で鍛えられたという話にも、納得がいきそうだ。」
 
 バルディスさんはそう言ってから私をちらりと見た。
 
「どうやら剣士殿は、この剣の由来について納得がいっていないようだな。」
 
「納得も何も、未だに頭の理解が追いついていませんよ。この剣が何千年どころかもしかしたら何万年も昔に作られたかもしれないなんて言われても・・・。」
 
「確かに、誰も見たことがないものを、言い伝えの通りだから本物だと言われても納得しかねるというのは理解出来る。だが、この剣がこの地から失われたのは確かだから、どこから現れても不思議ではないものだ。私にも、これは本物だとしか思えぬからな。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「だが今は、その剣の由来や役割についてそんなに気にせずともよいのではないかと思うのだがどうだろう。この剣は剣士殿の手にしっかりと馴染んでいるように見える。この剣が伝説の剣であろうとなかろうと、あなたはこの剣を駆使して今まで数え切れない戦闘で勝利してきたのだろう?」
 
「そうですね・・・。私にとっては、この剣は父の形見以外の何物でもありません。それに、村長達が言われたように、今さらこの剣を持つ者が大地を統べるなんてこともありませんし・・・。」
 
 そして何より、バルディスさんの言うとおり、この剣は私の手にしっくりと馴染む。以前カーナ達に勧められて似たような細身の剣を使ってみたことがあるが、いまひとつ使いにくかったものだ。慣れているかいないかというだけでなく、武器防具と人の間にも、相性のようなものがあるんじゃないかと思う。ウィローがこの剣を手放してほしがってた時もどうしても手放そうと思えなかったのは、父の形見だからということももちろんだが、これ以上の剣にこのあと出会えるとは思えなかったからじゃなかったのかと、今では思う。
 
 バルディスさんの店を出たころには、空はオレンジ色に染まっていた。私達は村長の家に行き、カインがエルバール王国へ戻れる手段が見つかったことと、私達も明日の朝にムーンシェイに向かうことを伝えた。
 
「なるほど・・・それなら何とかなりそうだな。では、明日の朝に出発するのだな。準備のほうは問題ないのかね。」
 
「はい、酒場で話が決まったので、そのつもりで準備をしてきました。」
 
「そうか・・・。では明日、出発前にここに寄ってくれんかね。その時に『サクリフィアの錫杖』を渡して、別れの挨拶をさせてもらおう。本来ならば大々的に見送りしたいところだが、他の冒険者がいるところでは変に思われてしまうだろう。村の者はあんたらのことはみんな知っておると思うが、他から来た冒険者や旅人は何も知らぬからな。」
 
「わかりました。寄らせていただきます。」
 
 
 ランスおじいさんとリーネの家に戻り、ここでも私達は明日からのことを伝えた。
 
「ほお・・・なるほどあの連中か。気のいい奴ばかりだから心配はいらんだろうが、杖のことは黙っておいたほうがいいだろうなあ。」
 
「そのつもりです。」
 
「悪い人はいないと思うけど、用心はしないとねぇ。でも、もしもばれてよこせって言われたらあげちゃってもいいんじゃない?」
 
リーネがけろりとして言った。
 
「い、いや、そういうわけには・・・。」
 
「いやいや、リーネの言うとおりだ。もしもそんなことになったら、くれてやれ。命より重い宝などない。第一あんたの目的はフロリア様が魔法にかけられているかを調べることであって、杖を守るのが目的ではないのだからな。」
 
「はい・・・。でももちろん、俺が目的を達するためにはやすやすと渡すわけには行かないから、何とか知られないようにします。」
 
 サクリフィアの人達が口を揃えて『気のいい連中』と言うのだから、あの冒険者達は本当にいい人達なのだろう。だが、サクリフィアの宝物を持っているなどと知られたら、どうなるかはなんとも言えない。欲に目が眩んで人が変わるなんて、よくある話だ。
 
「さあ、それじゃ皆さんに私の料理を食べていただけるのも今日までだから、張り切って作るわよ!ウィローさん、一緒に作る?」
 
「ええ、お手伝いさせて。」
 
 
 ウィローがリーネと一緒に台所に行った後、私達はランスおじいさんと話をしていた。
 
「・・・うーむ・・・確かに言われてみればおかしな話だのぉ。」
 
 サクリフィアの人達は、どうして聖戦竜の言葉が聞こえたのか、思い切ってその疑問をぶつけてみたのだが、はっきりしたことはわかってないらしい。
 
「まったく情けない話だわい。いかに神に見放されたことに絶望しておったとは言え、自分達の国の歴史についてわかる書物をあらかた手放してしまったんだからのぉ。」
 
「文書館になんて、とても入れませんしね・・・。」
 
「そうらしいのぉ。しかしそれについては、ちょっと違う話がこの村には伝わっておったらしいぞ。」
 
「違う?」
 
「うむ、生き残ったサクリフィアの民達が書物をエルバール王国へと持ち去ったのは、故郷から遠く離れた地にあっても、故国の悲劇を忘れずに後世に伝えていくためだったと聞いておるのじゃよ。それが何でまた、国王以外誰も入れないようなところに書物を閉じ込めてしまったものやら。」
 
 後世に・・・。もしも文書館の本がすべて公開されていれば、もしかしたらこんなことにはならなかったのだろうか。少なくとも、ナイト輝石が危険なものだということは誰にでもわかっただろう。でも・・・
 
(もしもナイト輝石を使った武器防具がなかったら、エルバール王国はこんなに発展しなかっただろうな・・・。)
 
 王国剣士の仕事だって、もっとずっと命がけの仕事だっただろう。
 
「ま、偉い人の考えなんぞわしゃ知らん。今さら何を言ったところでどうしようもないがな。」
 
「なに難しい話してるの?食事が出来ましたよ〜〜。」
 
 リーネとウィローが食事を運んできてくれて、話が途切れた。その後の食事はとても和やかで、このままカインがムーンシェイに一緒に行ってくれればいいのにと、また思ってしまう・・・。
 
 
 この日の夜、ウィローはリーネの部屋で寝ると言った。明日からしばらく会えなくなるので、積もる話があると言う。
 
「・・・明日からお前はウィローと水入らずだし、今日は俺に付き合ってもらうぜ。しばらく会えなくなるから、こっちも積もる話をしようぜ。」
 
「毎日しゃべってるんだから男同士じゃ積もるほど話はないよ。でも聞きたいことはあるけどね。」
 
「なんだよ?」
 
「なんだかこの間から、私達を2人きりにするように気を使ってるんじゃないかと思ったんだけど。違う?」
 
 ずばり聞いてみた。カインは『ばれたか』と言いたげに肩をすくめてみせた。
 
「なんでそんなところに気を使うのか、それくらいは教えてほしいな。」
 
「別に気を使ってるってわけでもないよ。だけど、せっかく付き合ってるんだから、たまには2人きりってのも悪くないじゃないか。」
 
「それはそうだけど・・・それはやっぱり気を使ってるってことじゃないか。」
 
「うーん・・・まあそうかもな。」
 
 カインが笑った。
 
「ウィローと一緒にカナを出てからはずっと3人なのに、何で今回の旅に限ってそんなことに気を使うのかがわからないんだよ。」
 
「お前とウィローの喧嘩なんてもう見たくないからな。」
 
「それは・・・。」
 
 思わず口ごもった私を、カインはニヤニヤしながら見ている。
 
「お前には幸せになってほしいんだよ。フロリア様が元に戻って、お前が飛竜エル・バールを説得できれば、もう聖戦の心配はない。俺達は大手を振って王宮に戻れるんだぜ?そうなった時に、お前達が喧嘩してたんじゃ結婚式が遅れちまうじゃないか。だから言っておくぞ。俺が戻るまで、ウィローと喧嘩するなよ。」
 
「努力するよ。」
 
 カインはあきれたように肩をすくめ、大げさなそぶりでため息をついて見せた。
 
「まったく・・・2人とも頑固だからなあ。とにかく、明日からしばらくは俺はいない。邪魔者もいないが仲裁が出来る奴もいないってことだ。いいか?本当に喧嘩するなよ?」
 
「君を邪魔だなんて思ったことはないよ。」
 
「わかってるよ。」
 
 カインは笑っていたが、なんとなく気になった。ローランを出て原生林の中を歩いていたころは、カインのほうがイライラしていたせいか、こんなことは気にならなかった。多分カインだって意識して私達を2人きりにしようとか、そんなことに気を回せる余裕はなかったと思う。でも・・・
 
(サクリフィアに行くって言う目的が出来た時からだよな・・・。)
 
 カフィール達と出会って、魔法がこの世に存在することがわかって、そして・・・『サクリフィアの錫杖』の存在を知った。『フロリア様が魔法にかけられている』と言うカインの説がかなり現実味を帯びてきたあのころ・・・。今思えば、私が不寝番をしている時にウィローが起きだしてくることに気づいていながら黙っていたのも、私達の2人きりの時間を作ろうと言うカインの配慮だったのかもしれない。
 
「喧嘩はしないように努力するよ。だけど、私達は今までずっと3人でいろんなことを乗り越えてきたんじゃないか。私にとって君以外の相方なんて考えられないし、この先に進むのに君がいないのは正直すごく痛いんだ。だから変な気を回さないで、向こうでの用事が済んだらさっさと戻ってきてよ。」
 
「わかってるよ。待っててくれよ。みんなと一緒に戻ってくるから、『伝説の地』を見学させてやろうぜ。」
 
「ははは、そうだね。」
 
 それからしばらくの間、懐かしい仲間との思い出話をしていた。そして、王宮に戻ったら何をしよう、まずは大きな風呂に入ろうか、などと、『晴れて王宮に戻れる日』のことを語り合いながら、夜は更けていった。
 
 
 
 翌日、前日の約束どおり、私達は村長の家に寄った。ランスおじいさんとリーネはそこまで見送るわと一緒に来てくれた。
 
「おお、待っておったぞ。」
 
 村長の家では、メイアラとグィドー老人達が待っていた。今日のこの家の中には、以前のようなぴりぴりした空気はなく、とても穏やかだ。もっともグィドー老人達の眉間の皺は相変わらずだったが。
 
「まずはこれを渡しておこう。赤毛の剣士殿よ、約束の『サクリフィアの錫杖』だ。」
 
「ありがとうございます。」
 
 カインは一礼して杖を受け取り、荷物の中にしまった。カインの背負い袋は大きいので、中に何が入っていてもおそらくはわからないだろう。
 
「ひとつ言うておく。その杖は確かに村の宝だが、万一その杖のせいで危険な目に遭いそうになったら、迷わず杖を捨ててくれて構わん。命より重い宝などない。あんたが無事であることが一番なのだからな。」
 
「わかりました。肝に銘じます。」
 
 カインは神妙な面持ちで答えた。
 
「そして、ムーンシェイに向かうお二方にも言うておく。ムーンシェイは昨日も言ったように、みんな気さくでいい村人達だが、飛竜エル・バールのいる場所はその奥のクリスタル・ミアだということだな。あそこは神々の領域だ。おそらく一筋縄でいく場所ではないだろう。あんた方が飛竜エル・バールを説得できると我らは信じておるが、どんな結果になったとしても、あんた方が精一杯尽力してくれた結果だと思うておる。だから、必ず無事な姿を見せてくれんかね。」
 
「わかりました。でも最後までがんばります。私達はこの世界が好きなんです。だから滅びてほしくありません。」
 
「うむ・・・ではこれを持って行ってくれ。」
 
 村長は紙包みをふたつ、それぞれカインと私に手渡してくれた。
 
「それは食べ物と、傷薬だ。あんた方がそれぞれ気功や呪文に秀でておることは承知だが、呪文であれ気功であれ、無限に使えるものではない。無理をしないで、確実に歩みを進めることを優先してくれ。くれぐれも無理をせんようにな。」
 
 サクリフィアの人々の温かい心遣いが身にしみた。この村に住む人達も、エルバール王国に住む人達となんら変わるところのない、同じ人間同士だ。何が何でもエル・バールを説得しなければ。この世界が滅びるなんてことがあってはならない。
 
 
 船着場に向かおうと村の入口に向かって歩き出した。すると途中で、あの冒険者達に出会った。
 
「お、ちょうどよかったな。俺達もこれからだ。一緒に行こうぜ。あれ?あんたらもどこかに行くのか?荷物を背負ってるようだが。」
 
「カインを見送りにと思って出てきたんです。買い物もしたいので荷物も持って出てきました。」
 
 彼らにうそをつくのは気が引けるが、まさかムーンシェイに向かうとも言えない。冒険者達は不審に思うそぶりも見せず、私達は一緒に船着場までやってきた。
 
「それじゃ行くか。そういえば、カインだったな、あんた操船はいけるか?」
 
「舵の切り方が思い切りよすぎるとは言われましたけど、それでよければ。」
 
 冒険者達が笑い出した。
 
「なるほど、つまりあんたに舵を任せたら、船酔いを覚悟しろと言うことか。まあいいさ。これから先の航海では、みんなそれぞれ協力し合って進んで行くんだ。いずれあんたの舵さばきも見せてもらうぜ。」
 
「よろしくお願いします。」
 
 冒険者達と一緒に、カインが船に乗り込んだ。
 
「カイン、無理しないでよ。」
 
「わかってるよ。お前達も気をつけてな。ウィロー、クロービスを頼むぞ。無茶しないようにな。」
 
「わかったわ。ちゃんとクロービスを補佐するから心配しないで。待ってるからね。」
 
「ああ、またすぐに会えるさ。」
 
「無茶はしないよ。君の方こそ心配だな。実はおおざっぱで無茶な計画たててるんじゃない?」
 
 私は努めて明るく振る舞って見せた。
 
「ははは、ばれたか。確かにちょっとは無茶かもな。」
 
 カインは笑って頭をかいている。これからの旅が待ち遠しくて仕方ないみたいだ。
 
「そんなことだろうと思ったよ。私達のことよりも、ちゃんと迷わずに追いついてきてよ。」
 
「そうだな・・・。なぁ、クロービス・・。」
 
「なに?」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「いや・・何でもない・・。あとでな・・!」
 
「行くぞ!兄ちゃん達も元気でな。また会うことがあったら一緒に飲もうぜ!」
 
「はい、その時はぜひ!」
 
 冒険者達とカインを乗せた船は、南へと向かって船着場を出て行った。
 
「・・・これでよかったのよね・・・。」
 
 船に向かって手を振りながら、ウィローがぽつりとつぶやいた。私は返事が出来なかった。カインは最後に何と言いたかったのだろう・・・。カインを行かせて、本当によかったのだろうか・・・。
 
「さてと、私達も出かけなきゃね。」
 
 出来るだけ明るく言ったつもりだったが・・・頬をするりと涙が伝った。ウィローが私の肩をぎゅっと抱きしめてくれた。
 
「ごめん・・・。」
 
「不安なのは私も同じよ・・・。でも、今はカインを信じましょう・・・。」
 
「うん・・・。」
 
 少しずつ・・・不安は大きくなる。でも今はウィローがいてくれる。私は一人じゃないんだ・・・。
 
「ここからだと順調に行けば2〜3日でつけるって言ってたわよね。」
 
「・・・そうだね。」
 
「私もちゃんと不寝番するわよ。」
 
「でも君一人じゃ・・・。」
 
「あなたが心配してくれる気持ちはわかるわよ。でも私も今度ばかりは譲らない。さっきカインと約束したんだもの。ちゃんとあなたの補佐をするって。だから、交替で不寝番しましょう。ね?」
 
 以前同じ話をした時とはちがって、今日のウィローは私の顔をのぞき込み、諭すように言った。
 
「・・・判ったよ・・・。それじゃ、私が先にやるよ。夜中から明け方までのほうが、モンスターが現れる確率は低いからね。・・・そのくらいは気を使わせてよ。でなけりゃ君のことが心配で眠れないよ。」
 
「うん、それじゃ私は後番をするから、あなたもちゃんと眠ってね。」
 
 ウィローはもう、出会ったころとはまったく違う。腕を上げて、本当に戦力として当てに出来る。これから先は2人で力を合わせなければ、道を切り開くことは出来ないだろう。私達は船に乗り込み、出航の準備を始めた。
 
「さてと、ムーンシェイは向こうだね。」
 
 この船着場からだと、南東に位置している。
 
「そうね。出来るだけ早くたどり着いて、カインをびっくりさせましょ。」
 
「ははは、そうだね。それじゃ行こうか。」
 
 目指すはムーンシェイ。出来るだけ早く飛竜エル・バールと会えるよう、ムーンシェイの長老に頼んでみよう。東側から差し込む朝日に向かって、私達は船出した。

第86章へ続く

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