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第85章 カインとの別れ

 
 村長は気持ちを奮い立たせるかのように深呼吸し、咳払いをして口を開いた。
 
 
 今からどれくらい前のことか、そこまでは私にはわからん。この大地には最初は何もなかったと言われておる。いつの頃からか生命が生まれ、海と大地と空に育まれていった。神々は生き物が大地に海に遍く増えていくことを喜び、その成長を楽しみにしていたそうだ。そしてある日、生き物達の中に2本の足で歩き、前足を手のように使って器用に道具を作る者達が現れ始めた。それが"ヒト"の誕生だ。他の生き物よりひ弱そうに見えた"ヒト"だが、そのひ弱さを補うに充分な知恵をつけ始め、いろいろな事を覚えていった。驚いたことに、"ヒト"は火を怖がらない。他の生き物を捕獲して皮と肉と骨を分け、肉を火で焼いて食べるという習慣まで現れた。骨は道具に、皮は寒さを凌ぐための羽織りもの、まあ今で言う服のことだが、獲った生き物も、採取した植物も、一つも無駄にせずにきれいに利用していくという"ヒト"の一連の行動は、何もかもが他の生き物には見られないものばかりだ。それまで神々は生き物達に一切の干渉をしてこなかったが、明らかに他の生き物達とは違う"ヒト"には興味を持った。そして聖戦竜達を"ヒト"の元に遣わして様々なことを教えた。"ヒト"は素直に神の言うことを聞き、やがて集まって集落を形成するまでになった。その時だ。『"ヒト"に魔法を教えてはどうか』と、言いだした者がいた。それはロコだとも、ロコが仕える海の神だとも言われておるが、さすがにそこまでは定かではない。その言い出した者以外の神々や、それぞれに仕える聖戦竜達はいささか渋い顔をしていたと言うが・・・さてそれもまたどこまでが真実やら。
 
 ともあれ、"ヒト"には簡単な魔法が授けられた。"ヒト"は一生懸命魔法を覚え、しっかりと使いこなし、どんどん新しい魔法を覚えていった。魔法のおかげで集落は豊かになり、ますます大きくなっていった。そして国と呼ぶにふさわしいまでに成長したころ、それを見た神々は考えた。今までのように、すべてにおいて神が手を貸してやる時期はすでに終わったのではないかと。そこで神々は話し合い、"ヒト"という呼び名を"人間"と改め、彼らに、必要な時だけ神を呼び出すようにと言い渡したのだが、これにはさすがに人間達も動揺した。今までは何が正しく何が間違っているのか判断に迷った時、神がいつだって公平に物事を決めてくれた。そこで、何か拠所となるものを授けてもらうことは出来ないかと、人間達が言いだしたそうだ。それに応えて神達が力をあわせ、一振りの剣を鍛え上げた。そして神はその剣に命じた。『いついかなる時にも、心正しく力を備えた者を選び出し、統治者とするように。』と。また、人々がその剣と剣に選ばれし者を敬い、従っている限りは、神々は人々の安寧と繁栄を約束してくれたのだ。その剣を授けられた、時の村長が国王となってこの大地に最初に興った国こそが、『ファルシオン』という国だ。その国の名は、剣に彫り込まれた銘から取ったという。神々の言葉で、祝福されし者という意味だとも言われているが、これまた真相は藪の中だ・・・。
 
 
「まあ、この大地の成り立ちはそんなところだ。かなり大雑把な話になってしまってすまんな。国の成り立ちに関する書物などは、先ほども言ったようにみんなエルバール王国の文書館に収蔵されておるので、この話は代々の村長が覚書と言う形で語り継いできたものだ。どの程度正確かはなんとも言えぬ。」
 
 村長は一息ついてお茶を飲んだ。カインは『うーん』と唸ったまま腕を組んでいる。ウィローはぽかんとして私を見ている。
 
「だけど・・・その話が本当なら、この剣が作られてからもう何千年・・・いや、何万年過ぎたかわからないくらいじゃないですか。いくら何でもそんなに長い間失われずにいるなんて・・・まさか・・・そんな・・・。」
 
 カフィールから聞いた話や、サクリフィア神殿で出会った『導師』の話、それに『時のない部屋』で見たレリーフや祭壇に奉られていた立派な箱を見て、それなりに肚を括ったつもりでいたが・・・目の前に突きつけられた『真実』は、私の想像を遥かに超えるものだった。頭の中がすっかり混乱している。まさかそんな、おとぎ話のような話が・・・。
 
「まあたいていの場合、そう言う反応をするのが普通じゃろうな。」
 
 ランスおじいさんが溜息と共に呟くように言った。
 
「私だってついこの間まで、こんなのはただのおとぎ話かと思うとったわい。」
 
 村長もまた溜息をついている。
 
「そうよねえ・・・。古代のサクリフィアの人々でさえ誰も見たことのない剣なんて、おとぎ話としか思っていなかったわよ・・・。」
 
 メイアラも大きな溜息をついて、テーブルの上に置かれた私の剣を見た。
 
「実はおとぎ話で、これはまったくの偽物だと言うなら私も気が楽なんですけどね・・・。」
 
 思わず本音が漏れた。
 
「その気持ちがわからんでもない。それがただの豪華な剣ならば、我らもどれほど気が楽か。さて、剣の由来がある程度分かってもらえたところで、次はこの村とその剣の因縁だな・・・。」
 
「そうじゃのぉ。村長よ、それを語ってやらねば、サクリフィアの人々がその剣の持ち主を忌み嫌う理由が彼らに理解出来まいよ。」
 
「そうだな・・・。だがこの話はなかなかに言いにくいものなのだ。あんただって声高に話したいような内容の話でもあるまい?」
 
「そりゃそうじゃ。だが、もはや隠し立ては出来ぬ。ここにいるサクリフィアの者は全員、肚を括るしかなかろう。」
 
「まあな・・・。」
 
 渋い顔で交わされるランスおじいさんと村長との会話の中に、なにか不安と苛立ちがゆらゆらと揺らめいているように見える。
 
「さて・・・この大地に最初に出来上がったファルシオンという名の国は、長い間栄えた。王は剣によって常に心正しき者が選ばれ、人々は王に忠実で、随分と長いこと平和が続いた。だが・・・その平和はある日ファルシオンの王宮へとやってきたサクリフィアの使者によって、いとも簡単に崩れ去ったのだ・・・。」
 
 
 
『町の人々を人質に取らせていただきました。』
 
 サクリフィアの使者はこう告げた。最初に聞いたファルシオンの国王は、使者が何を言ってるのかすぐにはぴんと来なかった。それほど、その使者は冷静に語ったそうだ。
 
『随分と物騒なことを言うものだな。で、何が望みだ。』
 
 王は努めて冷静さを装い、使者に尋ねた。
 
『簡単なことでございます。サクリフィアの民を、この国に住まわせていただきたい。』
 
『妙な要求だな。今までだってサクリフィアの者達はこの国に訪れておろう。出入りを制限した覚えはないし、長期滞在も自由だったはずだが。』
 
『これはわたくしの言葉が足りませんでした。わたくし達の望みは、サクリフィアの民がこの地で暮らすことでございます。旅行者としてではなく、この国の人間として。』
 
『そなた達には母国があろう。国を捨てると言うか。』
 
『そういうわけではございませぬが・・・。』
 
 ほんのわずかだが、使者が動揺した。
 
『この大地は緑であふれ、豊かな大地の恵みがありましょう。それはこの大地に生きる者が等しく享受できるはずのものでございませぬか。それをこの国の皆様方だけで独占するのは、おかしいのではないかと、そういうことでございます。』
 
 妙な話だと、王は考えた。サクリフィアの民は勇猛な騎馬民族だ。砂漠に生きることを誇りに思っていたはずだったのだが、この使者の様子から、どうやらサクリフィアの民は自分達の生まれ育った国を捨てるつもりらしい・・・。王は話をしながら、ずっと使者の心の中を探っておった。剣に選ばれし者にとって、相手に気づかれずに心を読むことなどたやすいこと。そしてわかった。いつしか彼らは、緑豊かな大地に暮らすファルシオンの民を羨望のまなざしで見つめるようになっていたのだ。瑞々しい作物がいつでも豊かに実り、砂嵐や水不足に悩まされることもない。砂漠での暮らしはいつしかサクリフィアの民の心を疲弊させ、ファルシオンのような緑の大地で心穏やかに暮らすことを望むようになっていったのだ。しかしそれだけではなかった。サクリフィアの当代の族長はかなりの野心家で、サクリフィアの勢力拡大をもくろんでいた。『民のため』という名目で、彼はファルシオンを手に入れようとしているのだ。もちろん自分の目的のためにな・・・。そのような身勝手な目的で自国の民を騙し、さらにファルシオンの人々を人質に取るという行動に出たサクリフィアに、ファルシオンの国王は怒った。側近の魔導師が使者を捕らえようとしたが・・・熟練の魔導師が放った魔法は、使者の鼻先でぱっと砕け散り、霧のように消えてしまった。驚く人々に使者はこう告げた。
 
『無駄でございます。わたくしにはあなた方の魔法は効きませぬ』
 
 そして使者はサクリフィアからの親書を国王に手渡し、その中に書かれていることについての返事を3日後に聞きに来ると言って、悠々と王宮を出て行った・・・。
 
 
「え、ま、まさかその使者は・・・。」
 
 カインが驚いて聞き返した。村長は黙ってうなずいた。
 
「その使者は懐に『サクリフィアの錫杖』を隠し持っていた。この杖は、ファルシオンを乗っ取るためにサクリフィアが作り上げた魔道具だったのだ。」
 
「だからこんなに小さく作られているのか・・・。」
 
「そうらしい。この長さならば、懐に入れておいても気づかれる心配はないからな。その後国王は配下の者を遣わし、町の中を確認するよう命じた。すると町の至るところにサクリフィアの者が潜んでいることがわかった。彼らは目立たぬように酒場などに紛れて、見た目は普通の旅行者のような格好をしていたが、おそらくは皆、サクリフィアの戦士だ。命令一つで彼らはいつでも人々に剣を向けるだろう・・・。」
 
 国王は悩んだということだ。だが全てのサクリフィアの者達を捕らえたところで、魔法の力を打ち消す何かをサクリフィアが握っているとしたら、自分達の力がどこまで及ぶものか何とも言えぬ。もちろんファルシオンに滞在しているサクリフィアの者達が全てそのようなものを持っているとは思えなかったが、ファルシオンという国は、これまで魔法によって発展してきた。魔法が使えなければ、ファルシオンの国を守りきることは出来ない。では剣に選ばれし者として神々に助けを求めるか・・・。しかし今、サクリフィアの者はファルシオンの民に傷一つ負わせたわけではない。サクリフィアの要求を拒否すればおそらく全面的な戦争になる。それで民が傷つけられれば神々は動くだろうが、それでは遅い・・・。そして時のファルシオン国王は決意した。民を危険にさらすことは出来ない。サクリフィアに従おうと。
 
 サクリフィアからの要求は3つだったということだ。
 
 一つ目は現国王が退位し、王太子を即位させること
 二つ目は新国王にサクリフィアの族長の娘を嫁がせること
 三つ目は新国王が国を運営するに当たっては、何事もサクリフィアの代表者と話し合って決めること
 
 それさえ守るならば、サクリフィアはファルシオンの民にも王族にも、一切手出しをせぬ、親書にはそう書かれていた。民を人質に取ったと言いながら、妙に下手に出ているような要求だが、時の国王、そして側近達はその意図をすぐに理解した。彼らは、ファルシオンの国と戦うことは出来ても、その背後にいるはずの神々と戦う気はなかったのだ。ファルシオンの民を殺せば、神々は怒り、神竜達が出張ってくるだろう。そんなことになったら、いかに勇猛なサクリフィアの戦士とてひとたまりもない。だから彼らはファルシオンの民と融合しようとした。そうすることで神々の怒りを買わず、緑の大地とよく統制された国を手に入れることが出来る、そういう計算があったのだろうと言われておる。
 
 
「剣・・・ということは、そのころには私の剣はこの地にあったのですね。」
 
「うむ、ファルシオンの国王は常に剣に選ばれし者が即位する。だから本当ならば国王が剣を持っているはずなのだが、どうやらその時すでに、剣が王太子を後継者として選んでいたというのだ。その辺りの話は詳しく伝わっておらぬが、その王太子は文武両道に優れ、心正しき若者だったということだから、王太子が次に『選ばれし者』となるのは当たり前のことだったのかも知れぬな。」
 
「王太子が!?では私の前にこの剣を持っていたのが・・・」
 
「うむ、歴史上はっきりとわかっている持ち主に限れば、その剣を剣士殿の前に持っていたのは、その王太子ということになるな。さて・・・ここからが本題だが、これはあくまでもこの村に伝わる言い伝えの域を出ぬ。はっきりしないことも多いが、そこは勘弁してくれんかね。」
 
「はい。もちろんです。」
 
 
 使者が再びやってくるまでの猶予は3日。彼らの要求を受け入れることを民に知らせ、国王の退位と新国王の即位も知らせねばならぬ。民に動揺を与えぬよう、それらの準備は素早く進められた。そして・・・その裏でもう一つ、進められていたことがあったのだ・・・。国王と王太子は、サクリフィアの目的の一つがファルシオンの剣であることに気づいておった。今は下手に出ておるが、この国に彼らが入り込んできたあと、どんな手を使って剣を手に入れようと画策しておるかわかったものではない。剣が選んだのは王太子その人だから、誰かが剣を欲しがったとして、渡したところで剣はすぐに王太子の元に戻る。だがサクリフィアは族長の娘を王太子に嫁がせようとしている。彼らが『ファルシオンの血筋』を手に入れてあわよくば剣を手中に収め、いずれはこの国をも乗っ取るつもりでいるとは考えていないと、言い切ることが出来る者は一人もいなかった。そして王太子は決断したのだ。彼には妹がいた。サクリフィアの民がこの町に入れば、おそらく族長の息子の1人と結婚させられてしまうだろう。そうなる前に、王太子と国王は彼女を国外に脱出させようと考えたのだ。ファルシオンを持たせて。
 
「ではその時に剣はこの地から失われたと・・・。」
 
「そうだ。王太子は剣に命じた。『いつかこの大地に再び混乱がもたらされた時、必ずや姿を現し、そなたを制する者と共に世界に安寧をもたらすように。そしてその時まで、決して表舞台に出てきてはならぬ』と。王太子はその剣を妹に託した。妹は町娘に身をやつし、わずかな供を連れてファルシオンから脱出した。彼らが一瞬で遠くまで旅することなど造作もなかったと伝えられておるから、当時はものすごい魔法が存在していたのだろうなぁ。」
 
「だ、だけど・・・サクリフィアの使者は剣がなくなって、しかも妹までいなくなっていたらすぐに気づいたんじゃないんですか。」
 
 カインが尋ねた。
 
「うむ、そのあたりもそれほど詳しい話は伝わっておらぬのだが、王太子の妹がいなくなっていたことに一番悔しがったのが、なんとサクリフィアの族長だそうだ。ファルシオンの姫の美貌は有名だったと言うことだから、その族長はあわよくば自分の妻にしようとでも考えていたのかも知れぬなあ。ともあれ、国王は可愛い娘を、王太子は可愛い妹を救うことが出来た。そしてファルシオンがサクリフィアの者達の手に落ちることもなく、ひとまず最悪の事態は防げたわけだ。」
 
「うへえ・・・いい年して若い娘を手に入れようと画策するなんて・・・族長のくせに情けないなあ。」
 
 カインはうんざりしたようにため息をついた。
 
「そうよねぇ・・・そんなのがご先祖だなんて、みっともないったら・・・」
 
 メイアラもため息をつき、顔をしかめた。ウィローとリーネも顔をしかめている。村長は笑って続きを話してくれた。
 
「さて、サクリフィアの族長は女を手に入れ損ねてだいぶ悔しがったが、ファルシオンを王太子が持ってないと知ると今度は飛び上がらんばかりに驚いた。国王や王太子の考えどおり、サクリフィアの族長はファルシオンを手に入れようと画策しておったのだ。そのために、存在すら覚えていなかったような娘をまるで掌中の珠がごとくにもったいぶって着飾らせ、王太子の元に送り込んだのだからな。」
 
「え?存在すら憶えていないって・・・まさか。」
 
「いやいや、それが本当の話なのだ。王太子の元に嫁いできた娘が、そう言っておったそうだからな・・・。」
 
 
 王太子の寝所で、族長の娘と王太子は初めて出会った。突然国を乗っ取ろうと乗り込んできたサクリフィアの人々を、王太子は憎んでいた。だが族長の娘からは、あの族長本人や使者のような燃えたぎる野望が何一つ感じられない。もしかしたら・・・この娘も父親の計画のために見も知らぬ土地に送り込まれた、言わば被害者のようなものではないか。そこで王太子は娘に声をかけた。
 
『こんな遠くまでご苦労なことだな。そなたは自分の意思でここに来たか?それならばいいのだが、たとえばそうでなくても、私はそなたと契りを結ばねばならぬ。そなたの父親は私の血筋がほしいのだろう。無論それは神の采配だが・・・。意に染まぬのはそなたも同じだろうが、ここはお互い肚を括らねばならないだろうな。』
 
 新婚の床で言うには実に奇妙な挨拶だ。だが・・・返ってきた娘の言葉はもっと奇妙なものだった。
 
『わたくしの国があなた様の国にした仕打ち、どれほど憎んでも憎み足りないことでございましょう。わたくしは人形でございます。どのような仕打ちを受けても、何も申しません。あなた様の良いように、如何様にもわたくしをお扱いくださいませ。』
 
 これには王太子も驚いた。しかも、その言葉が全て抑揚のない声で語られ、娘の表情は眉一つ動かない。だが王太子は『ファルシオンの使い手』だ。人の心に敏感なファルシオンの者の中でも、全ての民の声を聴くことが出来るほどの力を持っておる。王太子には、族長の娘の深く昏い悲しみが、手に取るようにわかったと言うことだ。
 
『そなたは人形などではない。血の通った人間だ。私はそなたの父や、この計画を仕組んだ者達のことは憎んでいるが、どうやらそなたはその企みには荷担していないようだ。ならばそなたを憎む理由はない。国で何かあったのか?力になれるとは思えぬが、話してはくれまいか・・・。』
 
 ぽつりぽつりと娘が話してくれたところに寄ると、サクリフィアの族長には正妻の他に側室が10人ほどもおり、子供の数も5〜60人ほどはいたそうだ。族長の側近として高い地位につけるのは正妻の子供が中心で、その外の子供の1人1人など、族長は覚えてもいなかっただろう。だが、今回の計画に『族長の娘』は欠かせない。そこで側室全員に布令をだし、年頃の娘を捜し出した。その娘はすでに嫁ぎ先が決まっていたというのに、族長はいやがる娘に怒り、嫁ぐはずだった相手の男を殺して、しかも従わねばお前の母親も殺すと脅しつけ、娘を強引にファルシオンへと連れてきたのだ・・・。
 
「ひ・・・ひどい!」
 
 リーネとウィローがほぼ同時に声をあげた。
 
「まったくだ・・・。娘はいっそ気が狂ってしまえたら楽だったのにと、とうとうこらえきれずに泣き出した。王太子はその娘をしっかりと抱きしめて、『私にはすでに妻がある。そなたを王妃として立てることは出来ぬが、せっかく縁があって出会ったのだ、側室として不自由のない生活を約束しよう。』そう言ったそうだ。ま、このあたりに果たして脚色が入っていないかと問われても私にはわからぬが、ファルシオンの使い手は心正しき者だ。サクリフィアの族長のようなやり方には我慢がならなかっただろうし、そのために犠牲になった娘を哀れに思ったことだろう。その後王太子はその言葉通り、サクリフィアの族長の娘に、夫として誠意をもって接したと伝わっておる。」
 
「でもそこまでして剣を手に入れても、自分が選ばれるかどうかは分からないわけだから、憎まれるだけ損な気がしますけどね・・・。」
 
「うむ、確かにその通りなのだが、その剣を持つ者は『大地を統べる』資格がある。たとえ剣に選ばれようか選ばれまいが、剣を手に入れさえすればこの国の王として君臨することも夢ではないと、その族長は考えたのだろうな。」
 
「でも村長、あんまり詳しく伝わっていないというわりに、その王太子と族長の娘の話は会話まで伝わってるのね。」
 
 首を傾げるリーネに村長が笑い出した。
 
「ま、若い娘の好きそうな話だから真実なのかどうか疑いたくなるところだが、この話は実は重要な話なのだ。王太子の側室として、サクリフィアの族長の娘は男の子を生んだ。その子供こそが、サクリフィアと名を変えたこの国の最初の王となったのだからな。」
 
「え、それじゃ王太子の子供は・・・。」
 
「わからぬ。王太子の子供が男だったのか女だったのかも伝わっておらぬのだ。まあサクリフィアとしては、力ずくで王位を奪った相手のことなど、記録として残したくもなかっただろう。それよりはわが国最初の王の話を大々的に取り上げたほうが、気分がいいからな。王太子に娘を嫁がせたサクリフィアの族長は、生まれた子供が男だろうが女だろうが、その子を王位に就けるつもりだった。そして自分はその王の祖父として、この国の権力を掌握し、緑豊かな美しい国を意のままに出来ると思っていた。もちろんその『最初の王』は、光り輝く『ファルシオン』の剣を携え、国民の尊敬を集めるはずだったのだよ。だが・・・よもや選ばれし者であるはずの王太子が剣を手放すなどとは、さすがの族長も考えの及ばないことだったのだ・・・。」
 
 
 ある日サクリフィアの族長は、王太子の腰にいつも下げられていた剣がないことに気づいた。王太子に剣の在り処を何度聞いてもろくな返事が返ってこない。サクリフィアの族長は怒り、国中を探させたが、とうとう出てこずじまいだった。そのころ剣はとっくに妹姫と一緒に遠い場所に移動していたのだから、出てくるはずがないわけだがな。怒った族長は王太子に詰め寄り、剣の在り処をしゃべらねば処刑すると脅した。だが王太子は冷静さを失わず、こう告げた。
 
『私を殺したいなら殺せばいい。剣は私の手元を離れたが、私が剣に選ばれし者であることに変わりはない。私を殺せば神々が黙っていまい。』
 
 神々の名を出されてさすがに怯む族長に、王太子はなおもこう言い放った。
 
『そなた達の卑劣極まりない蛮行を、ファルシオンの民は、ファルシオンの剣は、すべて覚えている。何千年何万年時が経とうとも、いずれ剣はこの地に戻り、そなた達を滅ぼすだろう。』
 
 この言葉には真実味があった。剣は自らの意思に従って動く。そして主人と見定めた者を守り抜く。もしここで本当に王太子を殺せば、どんな災いが降りかかるものか見当もつかなかった。そして国王と王太子は自分達を憎んでいる。彼らが剣に命じてサクリフィアの民を滅ぼしにかかることだって充分に考えられる。だからこそサクリフィアは、ファルシオンの民を傷つけぬように細心の注意を払ってこの計画を作ったのだ。今族長が怒りを爆発させれば、今までの苦労がすべて水の泡だ。その後・・・剣は失われたまま、サクリフィアと名を変えたこの国は、サクリフィアの民とファルシオンの民が婚姻によって少しずつ融合し、今に至っておる。だが一説に寄れば、ファルシオンの民は少しずつ国外に脱出をはかり、最後の『ファルシオンの使い手』であった国王が亡くなる頃には、国民のほとんどがサクリフィアの民だけになってしまったとも伝えられておる。かくしてファルシオンの血筋はこの世界中に広まった。それはつまり、剣に選ばれる可能性のある血筋の者が、世界中に散らばったと言うことでもある。
 
「え、では剣に選ばれるのはその、ファルシオンの国の末裔だけなんですか?」
 
「さてそれはわからん。ただ言えるのは、自分達の国を乗っ取ったサクリフィアの民を、ファルシオンの者達は皆憎んだだろう。いかに剣が自らの意思にのみ従って動くとは言え、仇のようなサクリフィアの者を選ぶと言うことは考えにくい、そんなことでこう言う話になったのかも知れん。この剣が果たして何を考えているかなんて、誰にも知りようがないことだからな。」
 
 村長は一息ついて、お茶をグイッと飲み干した。
 
「・・・剣士殿、ここまで話せばわかってくれただろう。今ではサクリフィアの民などと言うとまるで伝説の中に生きている民族のように言われておるが、我らの先祖は王位の簒奪者であったのだ。元を辿ればただの騎馬民族の子孫でしかない。我々の先祖は、ファルシオンの国王と王太子が民思いのよき君主であったことに目をつけて、民の命を盾にとって脅すと言う卑劣極まりない方法で国を奪い、大地を意のままにしようとした。そして我らとファルシオンの使い手の間にある因縁もわかってもらえたと思う。サクリフィアの民はファルシオンと融合することで、高い文明に触れ、豊かな暮らしを享受していた。だが彼らの心の奥底には、常に恐怖があった。いつか・・・いつかファルシオンの使い手が戻ってきた時、この平和は終わる。それでも王太子が即位し、王として君臨していた間はよかった。ファルシオンに選ばれし者はそこにいる。彼が動かない限り大丈夫だと。」
 
「・・・ということは、その国王陛下が亡くなったあとが大変だったんじゃないですか?」
 
「うむ、その通りだ。ファルシオンの使い手が亡くなったあと、サクリフィアの民の恐怖はいっそう大きく強くなった。もはや剣に選ばれし者はこの地にいない。そして剣はどこにあるのかわからない。今この時にも、どこかで剣が動き出し、使い手を選んで戻ってくるのではないか、そして自分達を滅ぼすのではないか・・・。人々は恐れた。ファルシオンの民から受け継いだ凄まじいまでの魔法を操り、その魔法に守られているというのに、人々の恐れはどんどん大きくなり、やがて武力を欲するようになったのだ。そして彼らは、以前南大陸で鉄鉱石を掘っていた鉱山に向かった。長らく放置されていた鉱山は荒れ果てていたが、サクリフィアの人々は再び鉄鉱石で武器防具を作ろうと掘削をはじめた。鉱山は活気づき、坑道は次第に地中深く延びていった・・・。そしてそれは掘り出されたのだ。後に『死彩』と呼ばれることになる黒い鉱石がな・・・。」
 
「・・・・・!?」
 
 
 その黒い鉱石がどれほど優れているかわかった時、サクリフィアの人々は歓喜した。これはファルシオンの使い手に対抗するために神が授けてくれたのだという者まで現れた。それからサクリフィアの人々は、とり憑かれたように死彩を掘り続けた。武器防具の作成技術も格段に進歩し、人々は挙って強力な武具を身に付け、戦闘訓練をするようになっていった。そんな中でルーンブレードの復元も試みられたというが、それはさすがに成功しなかった。出来上がったのは僅かに魔力を宿すただの剣だったということだ。そしてサクリフィアの人々は、まるで恐怖を紛らわすかのごとくに、ますます武器防具の生産にのめり込むようになっていった。だが・・・
 
 サクリフィアの人々は、恐怖のあまり大地への配慮を忘れておった。死彩の精錬によって大地は汚され、生き物達が悲鳴を上げた。それは無論、人間達にとっても悪い影響があった。地中深くに延びる死彩の坑道では落盤事故が相次ぎ、精錬の際に出る毒に侵されて倒れる者が後を絶たなかった。見かねた神々が巫女姫を通して何度も国王に警告をしたのだが、サクリフィアの国王は死彩の採掘をやめようとはしなかった。彼らにとって神々からの警告よりも、やってくるかどうかもわからないファルシオンの使い手のほうがより現実的な恐怖に思えていたのだ。そしてある日、神々は決断した。そしてそれを巫女姫に告げたのだ。『これ以上大地の汚染が広がるならば、この国を滅ぼすしかない。』と。そのお告げを携えて、神殿から戻る途中の巫女姫一行がモンスターに襲われるという事件が起き、それが聖戦に繋がっていくことになる。その巫女姫こそがシャンティア姫、後の英雄ベルロッドの妻となったお方だ。
 
 
 
「そんなことが・・・。」
 
「うむ・・・だがこの話も『言い伝え』でしかない。はぁ・・・ナイト輝石として流通している鉱石が『死彩』だと知った時、実を言うと剣士殿の言われたようにエルバール王国へ警告をすべきかどうか、一度は考えたのだ。だがランスじいの言うとおり、そのようなことを言ったところで頭がおかしいと思われるのが落ちだ。でなければ、優れた鉱石の発見に対してサクリフィアがやっかんでいるなどと思われるか・・・。結局我らは、事態を見守ることを選んだ。しかし・・・やはりあの時警告をしておくべきだったのかもしれぬと思う・・・。今になってまた聖戦の心配をせねばならんとはな・・・。」
 
「聖戦なんて絶対に起こさせません。エル・バールに何とかわかってもらえるよう、私達が全力を尽くします。」
 
「ではこれからムーンシェイに向かうのかね。」
 
「はい。そこがどんな場所なのか、もしもご存知だったら教えていただけますか?クラト・・・さんに少しは聞いたんですけど、まさか行くことになるとは思わなかったので、詳しい話は聞いてこなかったんです。」
 
「へえ、クラトはなんて言ってたの?」
 
 メイアラが尋ねた。
 
「村の人は気さくでいい人達だと言ってましたよ。ただ、得体が知れないから好きになれないと・・・。」
 
「ふむ・・・そうだなあ・・・。そういう印象を持つ者がいてもおかしくはないかも知れんなあ。」
 
 村長がうなずいた。
 
「いい人達なのに得体が知れないって言うのはどういうことなんでしょう。」
 
「うーん・・・なんと言うか、村全体に奇妙な空気が漂っておるのだ。ま、私もそんなに頻繁に行ったことがあるわけではないが、村に入ったとたんに違和感を感じたことは確かだな・・・。だが、感じがいいのは確かだから、あまり気にすることはなかろう。ただ私も長老に会ったことはないから、どういう人物なのかはわからないのだがね。ムーンシェイの森は、ここからさらに東に行った大陸の南側に位置しておる。気候は穏やかで、食い物もうまい。しかしなあ・・・長老に会うにしても、本当のことを言ってしまって会わせてもらえるかどうかは何とも言えぬから、その辺りの話をうまく考えなければならんかも知れんな。」
 
 入った途端に違和感・・・。『時のない部屋』のようなものだろうか。でもあの部屋には、いや、あの神殿全体に、生きているものは1人もいなかった。だがムーンシェイの村人達はいい人達ばかりらしい。
 
(人が住んでいるんだから時間が止まってるって言うのはおかしな話だし・・・。)
 
 
「でもいいところなんですよね?」
 
 カインが尋ねた。ムーンシェイの話を、カインはとても熱心に聞いている。
 
「そうだな。いいところだ。のんびりしているから、旅人が羽を休めるにはもってこいの場所だな。」
 
「村に入るなり襲われたり、なんてことは・・・。」
 
 村長が笑い出した。
 
「あの村にいるのはごく普通の村人だ。もちろん何か獰猛な生物でも襲ってくれば、それなりに対処できる若い者はいるだろうが、尋ねてきた旅人をいきなり襲うような物騒な者はおらんはずだぞ。」
 
「・・・そうですか・・・。」
 
 カインがほっとしたように言った。・・・カインはどうしてこんな質問をしたのだろう・・・。
 
「しかしムーンシェイに行くにしても、今からいきなりというわけにも行くまい。あんた方には本当に世話になった。約束どおり村をあげて歓待しよう。ムーンシェイはそれほど遠い場所ではないし、しばらく村で休んで、しっかりと旅支度をしてから出掛けたほうがよかろう。」
 
「ありがとうございます。」
 
「まあ、それじゃ皆さん、またうちに来ていただけるのね。」
 
 リーネが笑顔で言った。
 
「約束どおりお世話になるよ。」
 
「よかった・・・。それじゃ腕によりをかけてお料理作らなきゃ。」
 
 
「・・・村長、少し教えてほしいことがあるんですけど。」
 
 妙に遠慮がちなカインの声がした。
 
「ん?なんだね。私の知っていることなら、何でも答えよう。何一つ隠し立てはせんぞ。」
 
「あの・・・さっきのクロービスの剣のことなんですけど、その王太子の妹が剣を持って、一晩で遠くまで行ったって言う魔法は、今は使える人はいないんですか?」
 
「・・・カイン・・・?」
 
「うーむ・・・残念ながらおらんのぉ。それは言うなれば、サクリフィア以前の魔法だ。サクリフィアの国となってからも、巫女姫ならば使えたのかもしれんが、今となってはなあ・・・。」
 
「そうですか・・・。ということは、ここの村からどこかに行くためには、船で海に出るしかないって事ですよね。」
 
「まあそういうことになるのぉ。海のモンスターがうじゃうじゃいる海域を通り抜けんことにはどこへも行けん。まあ、小さい船ならそれほど危険なめに遭わずに移動出来る程度の魔法ならあるんだがね。」
 
「・・・え?」
 
 カインを包んでいた『気』がざわっと動いたような気がした。まさか・・・!?
 
「でも村長、あれだと相当小さい船でないと無理よ。移動できるのもせいぜい一人くらいね。確かに危険は少ないけど・・・。」
 
「でも方法はあるんですね。小さい船で1人だけなら、それほど危険じゃなくて移動出来る手段が・・・。」
 
 なおも何か言い掛けるメイアラの言葉をさえぎるように、カインが尋ねた。メイアラは少し眉をひそめ、カインを睨むように見つめた。
 
「あるわよ。私でも使える程度の魔法がね。力場の持続時間は・・・そうね、1週間から10日ってところかしら。でも、あなた達に対しては使えないわよ。」
 
「どうして?」
 
 きょとんとしたカインに、メイアラはあきれたようにため息をついた。
 
「あのねぇ、あなたがこれから借りようとしているのは何?『サクリフィアの錫杖』でしょう?それを持っている人にどんな魔法をかけたって消えてしまうに決まってるじゃないの。少なくとも、さっき私がかけた魔法はこの杖の前で消えてしまったわ。あなたがそれを置いていくならどんな魔法だって使えるけど、ムーンシェイに行った後でここに戻ってこられる時間があるかどうかわからないし、杖を置いて行くのはやめたほうがいいと思うわ。」
 
「・・・あ・・・そうか・・・。」
 
「そして、海のモンスターは魔法なんて使ってくるような頭のいい奴はいないから、その杖を持っていようがいまいが、じゃんじゃん攻撃をかけてくるだろうなあ。しかし何でまたそんなことを聞くんだね。まさかと思うが、ここからひとりでエルバール王国まで戻ろうなんて考えていたのじゃあるまいな。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 村長の問いに、カインは唇をかみ締めてうつむいた。
 
「カイン・・・。本気でそんなことを考えてるの?」
 
 カインが何も言わなかった理由・・・。本当は私自身も気づいていたのではなかったか・・・。カインは最初から決めていたのだ。フロリア様の元に戻ると。だから何も言う必要がなかったのだと・・・。
 
「カイン・・・あなた本気なの!?飛竜エル・バールが目覚めたら、この世界は滅んでしまうのよ!?まずはエル・バールを説得するのが先よ!フロリア様のところへは、それから戻っても遅くはないわ。この世界が滅んでしまったら、フロリア様が元に戻ってもなんにもならないじゃないの!」
 
 ウィローの必死の説得を、カインは驚くほどに静かな表情で聞いている。おそらくはこういう反応が返ってくることも予測していたのだろう。
 
「だからこそ、二手に分かれるんだよ。エル・バールを説得出来るのはクロービスだけだ。そもそも俺では聖戦竜の声すら聞こえないんだからな。だけど、この杖を持って王国へ戻るのは、俺だって出来る。この杖でフロリア様を元に戻したら、すぐに戻ってくるよ。フロリア様さえ元に戻れば、必ずクロービスを助けるために援軍を向けてくれると思う。それじゃ村長、魔法はともかく小さい船って言うのはすぐには用意出来ないんですか?」
 
「出来ないことはないが、あんたを1人で外海に放り出すわけにはいかんぞ。」
 
 村長はきっぱりと言った。
 
「村長の言うとおりだよ。君1人でどうやって戻るの?杖がある以上魔法は使えない。私達の乗ってきた船はそこそこ大きくて丈夫に出来ているけど、それでも水の中から船底に体当たりされたりして、大変だったじゃないか。小さな船で1人で操船しながらモンスターを撃退しようなんて!それこそ死ににいくようなもんだよ!」
 
 カインの気持ちがわからないわけじゃないから、出来るだけ穏やかに話そうと思っていたのに、そんな大事なことを何も話してくれなかったことにだんだん腹が立ってきて、最後には怒鳴っていた。
 
「まあまあ、落ち着きなされ。とにかく今日はもう休んでくれんかね。疲れを取ってのんびりして、またこれからの旅に備えればいいのではないか。リーネの料理をたらふく食べて落ち着けば、またいい考えも浮かぶだろう。」
 
「それがいいじゃろうのぉ。わしらもそろそろ家に戻るから、一緒に帰ろう。」
 
 村長とランスおじいさんが取りなすように言ってくれて、我に返った。いくら腹が立ったにしても、こんなにたくさんの人達の前で、感情にまかせて怒鳴ってしまうなんて・・・
 
「そうよね。また皆さんに私の作った料理を食べてもらえるなんて、うれしいわ。」
 
 リーネが笑顔で言った。
 
「それじゃそうさせていただきます。村長、この杖はいったんお返ししますので、こちらで保管してください。」
 
 私はテーブルの上に置かれたままになっていた『サクリフィアの錫杖』を村長のほうに押しやった。
 
「うむ、確かに預かろう。あんた方が旅立つ時には間違いなく渡すから、心配せんでくれ。」
 
 黙り込んだままのカインをひっぱるようにして、私達はリーネとランスおじいさんの家に戻ってきた。歩いている間カインは一言もしゃべらず、私もさっきひどい言い方をしてしまったことで、何も話しかけられずにいた。
 
「それじゃ食事の支度しなくちゃね。」
 
「ねえリーネ、私にもお手伝いさせて。」
 
「そうね。それじゃ一緒に作りましょうよ。」
 
 ウィローはリーネの後を追う前に私に振り向き、カインを目で指し示し小さくうなずいた。ちゃんと仲直りしてくれと言うことか・・・。そしておそらくは、1人で戻るなどという無茶な考えを何とか変えさせてくれと・・・。
 
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 2人だけになった部屋に沈黙が流れる。旅の途中ウィローとけんかするたびに、いつもこんな風に黙り込んでは、カインが割って入って話をしてくれた。それで気まずいながらもウィローと私も話をするようになって、それで仲直りできたことだって何度もある。でも・・・
 
(そのカインとこんな風に気まずくなるなんて・・・。)
 
 だが黙ったままでいるわけにいかない。せっかくウィローが2人で話す機会を作ってくれたのだから、ここは何とかしてカインと話をしなければならない。
 
「・・・さっきは怒鳴ってごめん・・・。そんな大事なことを何で言ってくれなかったのかって思ったら、かっとなっちゃって・・・悪かったよ。」
 
 仲直りしたいなら、まずは謝るのが先だ。
 
「・・・いや・・・俺も黙ってて悪かったよ・・・。だけど・・・。」
 
 カインは深呼吸して私に向き直り、いきなり床に手を着いて頭を下げた。
 
「頼む・・・行かせてくれ・・・。俺は・・・フロリア様のおかげでここまでこれたんだ・・・。あの方は、貧しさで捻じ曲がっていた俺の心に希望をくれた。あの方のおかげで、俺の人生は変わったんだ・・・。今度は俺がフロリア様を助ける番だ。だから・・・頼む!行かせてくれ!」
 
 カインは床に額をこすりつけるようにして、頭を下げている。その必死の思いが、痛いほどに私の心に突き刺さる。私だって行かせてやりたい。それにフロリア様が本当に魔法にかけられているのかいないのか、それがいち早くわかるのなら、これからどう行動するかの計画もある程度たてられる。でも・・・
 
(なんで・・・こんなに不安なんだろう・・・。)
 
 私の心の中には恐怖に近いほどの不安が渦巻いていた。なぜだろう・・・どうしてもカインをこのまま行かせたくない。海鳴りの祠を出る前に、オシニスさんから言われた言葉のせいだろうか・・・。
 
『カインから絶対に目を離すな』
 
 でもそれだけじゃない。私の中の何かが、今カインを行かせてはいけないと叫んでいる・・・。顔をあげたカインはそんな私を見つめて、つらそうに唇を噛んだ。
 
「クロービス・・・。ごめん・・・。これは俺のわがままだ。こんな大事な時にこんなことを言い出すなんて・・・。だが、わがまま言うのはこれっきりだ。フロリア様にかけられた魔法を解いたら、すぐに追いつくよ。うまく行けば、お前とウィローが飛竜エル・バールのところにたどり着く前に、戻れるかもしれない。行かせてくれないか・・・。頼むよ・・・。」
 
「それじゃはっきり聞くよ。その杖で、フロリア様が元に戻らなかったらどうするつもり?」
 
 以前同じ質問をメイアラにされた時、カインは取り乱していた。だが、今のカインは落ち着いている。この質問に対する答えも、カインの中にはすでに用意されているのだ。
 
「向こうには剣士団のみんながいるじゃないか。海鳴りの祠でみんなと合流して戻ってくるよ。南大陸に渡るのは非合法でも、サクリフィアにわたるのは特に禁止されていないから、誘いやすいしな。」
 
「誘いやすいって・・・。買い物に行くんじゃないんだから。」
 
「ははは、でもみんなでかかれば海のモンスターだって撃退できるさ。いいか?まずはフロリア様を元に戻すために王宮へ向かう。それでうまく行けば、さっきも言ったようにお前のためにフロリア様がすぐに遠征許可を下さるだろう。そしてもしだめだったら何とか脱出して海鳴りの祠に向かう。それでみんなと戻ってくる。いくらなんでも、俺だって何も考えずに飛び出すほど間抜けじゃないぞ。」
 
「王宮に入る手立ては?」
 
「今さらそんなこと聞くなよ。俺達はあそこに住んでいたんだぜ。しかもお前と2人で、乙夜の塔に忍び込んで見つからなかったという実績だってあるじゃないか。」
 
「実績って・・・。あれはたまたまハリーさん達の当番だったからだよ。結局後からばれたじゃないか。」
 
「そりゃあの時オシニスさん達がいたら大変なことになっていただろうけど、今王宮の中にいる、あのならず者みたいな兵士達に見つからないくらいの訓練は積んでいるつもりだぞ。それに・・・。」
 
「それに?」
 
「フロリア様のおそばにはユノ殿がいるんだろう?ユノ殿だってきっと手を貸してくれるよ。もしもフロリア様が元に戻らなくても、王宮から脱出するくらいのことなら何とかなるさ。」
 
「ユノか・・・。」
 
 確かに・・・最後に副団長が会った時の会話を考えてみても、ユノが私達のことを信じていてくれることは間違いないと思っていいだろう。カインがユノを頼ると決めてくれたのはうれしい。ユノだって仲間だ。仲間の危機を見過ごしはしないだろう。万一フロリア様が元に戻らなかった時、カインを脱出させるくらいの手助けは当てに出来るかもしれない。
 
「ユノは多分・・・助けてくれるとは思うけど・・・。」
 
 フロリア様が元に戻れば何も問題はない。そしてもしも元に戻らなかった場合のこともちゃんと考えている、ということだ。確かにそうなんだけど・・・どうしてこれほど胸騒ぎがするのだろう・・・。カインは私をしばらく見つめていたが、また床に手を着いて頭を下げた。
 
「黙っていたのは本当に悪かった。だけど、頼むから、俺を行かせてくれ。」
 
「・・・行くにしても手段がないじゃないか。」
 
「だから、それを一緒に考えてほしいんだ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 カインは今度は私を真っ直ぐに見つめた。カインはもう決めている。どうしても引き留めたいなら、あとはもう縛り上げて閉じ込めるくらいのことしか出来ないかも知れない。
 
「・・・わかったよ。もしも安全に王国に戻って、安全にこっちまで戻ってこられる手立てが見つかったら、君が1人で戻ることに反対はしないよ。」
 
 カインがパッと笑顔になった。
 
「クロービス・・・ありがとう・・・。お前にまた負担をかけるのは申し訳ないけど・・・必ず戻ってくるよ。」
 
「その台詞は、安全に戻れる手段が見つかってから言ってもらうよ。まだうんと言ったわけじゃないんだからね。」
 
「わかたよ。それじゃ荷物の整理をしようぜ。明日は一日準備に充てないとな。あと、酒場で噂話も聞いてみよう。」
 
「そうだね・・・。」
 
「そんな顔しないでくれよ。俺もいろいろ考えた結果なんだ。まあ・・・さっきの話を聞いたあとじゃ、お前のそばを離れるのは心残りではあるんだがな・・・。しかし飛んでもない話だな・・・。」
 
「うん・・・。父さんは・・・どうしてこんな剣を持っていたのかな・・・。」
 
 何度聞いても答えの出ない疑問・・・。
 
「お前の親父さんがこんな剣を使っているところは見たことがないのか?」
 
「いや・・・父さんが使っていたのは君と同じ、ごく普通の大剣だよ。アイアンソードだけどね。細身の剣は・・・使っていたことがあったかなあ・・・。思い出せないや・・・。」
 
「実際にその剣が入っていた荷物を渡してくれたって言う、親父さんの助手の人はどうだろうな。何か知ってるかも知れないな。」
 
「どうだろう・・・。ずっと自分の家の中にあの剣を預かっていたのなら、多少なりとも由来を知っていそうなものだけど・・・。だけど、それにしても父さんはごく普通の人だったよ。こんなすごい剣がどうして父さんのところにあったのかも・・・」
 
 また溜息がでた。そこにウィローが戻ってきた。
 
「食事の支度が出来たわよ。」
 
「お、リーネの料理か。しっかり味わっておかなくちゃな。」
 
 カインは立ち上がり『先に行ってるよ』と言い残して部屋を出て行った。
 
(・・・・・・・・・。)
 
 もしかして、カインは気を利かせてくれたのだろうか・・・。ここにいるとどうしてもいつも3人になってしまって、私とウィローが2人でいられないから・・・
 
「ねえクロービス。」
 
「ん?」
 
 ウィローがじれったそうに話しかけてきた。
 
「カインはどう?」
 
 私はさっきカインと話したことをそのままウィローに話した。ウィローは驚いて
 
「それじゃ、カインは1人で王国に戻るの!?どうして止めなかったのよ・・・!」
 
 誰が止めても、カインはきっと考えを変えない。『サクリフィアの錫杖』が手に入ったことで、やっとカインはフロリア様の元に戻る理由を見つけたのだから。
 
「・・・正直今別行動をとりたくはないけど・・・カインの考えにも一理あるからね。それに、フロリア様が魔法にかけられているかどうか、早い段階でわかるならそれに越したことはないよ。カインの言うとおり、それでフロリア様が元に戻ればいいし、戻らなかったら向こうにいるみんなといっしょにまた対策を考えることが出来る。飛竜エル・バールのこともフロリア様のことも、どっちも後回しには出来ないことだからね。」
 
「そ・・・それはそうだけど、でも・・・」
 
 本当なら引き止めたい。何か・・・得体の知れない不安がどんどん広がっていく・・・。なのに私はカインに『行かないでくれ』と言うことが出来ない。私の頼みが、どれほどカインにつらい思いをさせることになるか、よくわかっているから・・・。
 
「ただ、それが1人で船で向こうに戻る、なんて話なら聞けないよ。だからカインが1人でも安全に向こうに戻れて、なおかつ安全にここまで戻って私達と合流出来る手立てが見つからない限り、私はうんと言わないよって言っておいたよ。まあ戻ってくる時には剣士団のみんなと一緒に来るつもりらしいから、船さえ調達出来れば何とかなると思う。フロリア様のことがうまく行っても行かなくても、灯台守の船を借りられると思うんだ。だから、問題は行きだね。」
 
「・・・そしてあなたは、カインが1人で安全に戻れる手立てを本気で考えるって言うことね。」
 
「そりゃそうだよ。考えているふりをするなんてずるいことは出来ないよ。そんなことをしたらカインに嫌われちゃうじゃないか。」
 
 ウィローが少し呆れたように小さくため息をついた。
 
「そう・・・。とにかくもう食事が出来ているから行きましょう。あとは明日ね。」
 
「うん、そうだね。」
 
「さっきね、リーネが一緒に寝ようって言ってくれたから、私、今夜はリーネの部屋に行くわ。」
 
「そうか。わかった。」
 
 私の返事が終わらないうちに、ウィローは部屋を出て行った。
 
(怒ってるなあ・・・。)
 
 ウィローが苛立っているのがはっきりわかる。無理もない。カインを説得するようにと私とカインを2人だけにしたのに、結局私はカインを引き留めることが出来なかったのだから・・・。
 
 
 食事の時、ウィローは複雑な顔をしていたし、私はちっとも食事の味がわからなかった。元気だったのはカインだけで、リーネとランスおじいさんと、神殿での話を楽しそうにしている。食事の後は後片付けをするからとウィローはリーネと一緒に台所へと消え、その後顔を合わせたのは部屋に着替えを取りに来た時だけだ。
 
「おいおい、まさか俺のことで喧嘩したなんて言わないでくれよ。」
 
 さすがに変だと思ったのか、カインが心配そうに言った。
 
「喧嘩までは行かないけど、君を引き止められなかったことでウィローが怒ってるのは確かだよ。」
 
「うーん・・・ウィローにも黙ってて悪かったって、ちゃんと謝っとくか・・・。俺のことでお前達が喧嘩したままじゃ、すっきりと旅立てないからな。」
 
「大丈夫だと思うよ。それに、ウィローがいくら怒ったって、君がやっぱり私達と一緒にムーンシェイに行くって言わない限り、私もどうしようもないからね。」
 
「う・・・それを言われると・・・。」

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