小説TOPへ

←前ページへ 次ページへ→

 
「・・・ん・・・・。」
 
 ウィローがもぞもぞと動いた!
 
「ウィロー!」
 
 ウィローは寝袋にくるまったまま目を開けて、きょろきょろとしている。
 
「大丈夫?私が誰だかわかる?」
 
「わかるわよ。クロービスよね。・・・いたた・・・」
 
 ウィローは私の問いに笑ったが、すぐに顔をしかめた。頭の傷は完全によくなっていない。
 
「私・・・あのモンスターに飛び掛られて・・・」
 
「怪我したんだよ。頭の傷がまだよくなっていないんだ。髪が邪魔してるんだけど、切ったらだめかな。」
 
「・・・切らないとだめ?」
 
「切りたくない?後ろのほう少しだけなんだけど。」
 
「うーん・・・。」
 
 聞いていたカインが笑い出した。
 
「クロービス、目が覚めたんだから、もう少し治せるんじゃないのか。やっぱり女の子にいきなり髪を切れっていうのは無理だよ。」
 
「それもそうか・・・。それじゃ、もう少し呪文唱えてみるから、向こう向いて。頭の傷が・・・うん、これで見える。じっとしててね。」
 
 頭に巻いた布を取り、傷を見たが出血はしていない。自然の恩恵を唱えると、傷はさっきよりは少しよくなった。もう一度唱えたがあまり変わらない。
 
「ここまでかなあ・・・。あんまり痛いなら、やっぱり髪を切って完全に治さないとよくないから、少し考えてみてよ。」
 
「うん・・・。」
 
 ウィローが起き上がった。めまいや吐き気がしないかと聞いてみたが、何もないらしい。少しほっとした。それはウィローも同じだったようで、グィドー老人からもらった干し肉を渡すと、おいしいと言いながらすっかり食べてしまった。食べられるなら大丈夫。傷の治りもきっと早いだろう。お茶を飲んで落ち着いたウィローに、さっき自分がどうなったのかと聞かれ、カインと私は起きた出来事を隠さないで話した。今魔法の結界を練習していることまで。下手に隠したところで、ウィローの勘のよさは抜群だ。後になって気まずい思いをするよりは、正直に話をしたほうがいい。
 
「そんなことになってたの・・・。2人ともありがとう。私の命の恩人ね。」
 
「それはお互い様だよ。気にしないでくれよ。3人で力を合わせたからここまで来れたんだからな。」
 
「私だってカインと君に助けてもらったからね。カインの言うとおり、お互い様だよ。これからも、3人で力を合わせていこうよ。」
 
 
 
 お茶を飲みながら一休みしたことで、私のほうもだいぶ疲れが取れた。いつまでもここにはいられない。
 
「そろそろやってみようかな。」
 
「本当に魔法なんて唱えられるの?」
 
 ウィローが不安げに言った。
 
「大丈夫だよ。それに、どうやらその呪文で道を見つける以外に方法がなさそうだしね。それじゃやってみるよ。まずはこっちからかな。」
 
 慎重に位置を決めて、呪文を唱えた。なんとかうまく唱えられた。今度は今朝見た道の道幅を頭の中に思い描き、最初に呪文を唱えた場所からだいたい同じ幅になりそうな場所に立って、もう一度。ゆらりと前方の森が揺らめく。
 
「今なんか動いたぞ?」
 
 カインがきょとんとしている。
 
「なんだか景色が歪んだみたいだったわ。」
 
 ウィローも前方に目をこらしている。
 
「2ヶ所ではだめか・・・。となると、あと2ヶ所、もう少し神殿側に場所を決めて唱えればいいのかな・・・。」
 
「うーん、1回でドカーンと道が開けるってわけではないのかな。」
 
「おとぎ話じゃないんだから。もっとも慣れた人ならそれも出来るのかも知れないけどね。でも私は魔法なんて唱えたこともないんだから、そんなにうまく行くかどうかはなんとも言えないな・・・。」
 
「そうだよなあ・・・。せめて少しでもいいから道らしきものが見えれば、確信をもって進んでいけるんだがな・・・。」
 
 今自分のしていることが正しいのかどうかも、自信はなかった。ただ、この呪文は確かにこの空間に何らかの影響を及ぼそうとしている。まだ道は見えない。3度目の呪文を唱えた。また前方の景色がゆらりと揺れる。1度目より2度目、2度目より3度目と、空間の揺らぎが長く続いている。心臓が高鳴る。次の呪文がうまく行けば道が開けるかもしれない。そして4度目の呪文を唱えた時、前方の景色がぐにゃりと歪んでパッと明るく輝いたかと思うと・・・
 
「ああ!今朝見たのと同じ道だ!」
 
 そこには、確かにあったはずの森が消え、真っ直ぐ北に延びる道が続いていた。
 
「よし、とにかく進もう。クロービス、ウィロー、大丈夫か?」
 
「でも念のため、みんな手を繋いで固まって歩こう。あるはずのない道なんだから、呪文で作り出されたこの力場がどのくらい持つのかなんとも言えないよ。」
 
「さすがに100年は無理か。」
 
「力を留め置くことが出来れば別だけど、それはなんとも言えないな。」
 
「力を留め置くなんて、まるで海鳴りの祠のあの不思議な光みたいな話だな。」
 
「そう言えばそうだね・・・。ということは、あそこはサクリフィアの遺跡なのかな。」
 
「もう!2人とものんきに話している場合じゃないでしょ!陽が沈んでしまうわ。早く行きましょう!」
 
 ウィローにせっつかれるようにして、私達は手を繋ぎ、先頭にカイン、真ん中にウィロー、しんがりに私の順番で、道を歩き出した。今朝と同じように、結界のすぐ向こう側にモンスターの気配を感じる。それはおそらく、元々その場所にいるモンスターの気配なのだ。だが結界によって目隠しされた格好になっているのだろう。
 
(モンスターの姿を隠す結界なんて聞いたこともないんだけどな・・・。)
 
 風水術ならば考えられないようなことでも、魔法ならば可能性がある、そう言うことなんだろうか。
 
「お、向こう側の景色が変わってきたぞ?」
 
「でも神殿ではなさそうだね。」
 
 確かに前方が明るくなってきた。だがそこはまだ森の中だ。さすがにそう簡単に神殿にたどり着くことは出来ないらしい。
 
 
「うわぁ!!すごいわ、きれい・・・・。」
 
 森を抜けたと思ったら、そこにはまだ森が広がっていた。だが先ほどまで私達がいた森とは全然違う。木々を渡る涼やかな風、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ・・・。
 
「なんだかキツネにでもばかされてる気分だな・・・。」
 
 カインがぽかんとしてあたりを見渡した。
 
「・・・いや、もしかしたらこれが、この森の本当の姿なのかもしれないよ。」
 
 この森の中は清浄な空気で満たされている。そして、結界とはまた違う、不思議な障壁でモンスターから守られているらしい。これもまた魔法の産物だろうか。森の木々は先ほどのように鬱蒼としておらず、その木々の間から、遠くにそびえ立つ建物が見えた。
 
「・・・あそこに見えるデカい建物が、神殿てわけか・・・。」
 
「でもどうやら今日は行けそうにないね。もう夜になるよ。今夜はここでキャンプだね。」
 
「そうだな。無理して進むのはやめよう。クロービス、お前真っ青だぞ?魔法ってのはそんなに体力を消耗するもんなのか・・・。」
 
「・・・え?そ、そうかな・・・。」
 
 自分ではまったく気づかなかったのだが、言われた途端に足下がふらついた。まるで『天地共鳴』を連続で何度も唱えた時みたいな、いやそんな状況に陥ったことは今までになかったけれど、そんなことがあればこのくらいは疲れるかも知れないと思うくらい、どっと疲労が押し寄せた。
 
「よし、さっきはお前ががんばってくれたんだから、少し横になってろよ。テント張りと火熾しは任せとけ。あ、ウィロー、メシは簡単にしようぜ。君だって大怪我を治したばかりなんだから、慎重にいこう。俺はちょっとそこの小川の水を汲んでくるよ。」
 
「水ならまだあるから、明日でもいいんじゃない?」
 
 ウィローが不思議そうに言った。
 
「飲めるかどうかわからないからな。もしも毒だとしても、俺なら丈夫に出来てるし、解毒はあてに出来る。」
 
 まさか、と言いかけて、口をつぐんだ。ここはサクリフィア大陸だ。私達の常識がどの程度通用するのかもわからない。カインはカップに水を汲んできて、深呼吸して一口飲んだ。
 
「うーん、かなりうまい水だと言うことは確かだな。」
 
「うまいなら大丈夫なんじゃない?」
 
「そうだなあ。まあしばらく様子を見よう。俺が何ともなければ、明日はうまい水を汲んで神殿に向かえるってわけだ。俺の具合が悪くなったら何とかしてくれればいいんだから、お前は横になって休んでおけよ。」
 
 私はカインの言葉に甘えて、焚き火のそばで少し横になった。風水術も治療術も、それなりに上位の呪文を連続して何度か唱えられるだけの自信はある。だが魔法というものはまったく勝手が違う。私が唱えたのは、風水術で言うならごく普通の結界の呪文のはずだ。だがその呪文は空間をゆがめ、そこにあるはずのない道を出現させるほどの力を秘めていた。さっきまでいた森と同じように、この魔法というものも見かけどおりではない。これはあまりにも大きな力だ。リーネが言っていた『難しい呪文を覚えるには何かを犠牲にしなければならない』と言う言葉にも納得がいく。
 
 
「クロービス、食事が出来たけど、食べられそう?」
 
 ウィローが心配そうに私の顔を覗き込んだ。いつの間にかうとうとしていたらしい。ずっと横になっていたおかげでずいぶんと疲れが取れている。私はゆっくりと体を起こした。もう大丈夫だ。それに、この森の中はさわやかで心地よい。あたりはすっかり暗くなっているというのに、圧迫感がないと言うか、とても気を落ち着けていられる。今日の食事は肉と野菜の煮込みだ。怪我を治したばかりなのにこんなに手をかけたのかと心配になったが、よく見ると野菜も肉も妙に形がばらばらだ。野菜は切ったと言うより手でちぎったように見える。私が横になっていた間に、どうやらカインが手伝ったらしい。
 
「カインが材料の下ごしらえをしてくれたから、私は煮て味付けしただけよ。」
 
「いくら料理に縁がなくたって、肉と野菜を切るくらいなら出来るからな。まあ途中で切るのがうまくいかなくてちぎったりしたから、見た目が悪いのは我慢してくれよ。」
 
「そんなことないよ。食事の手伝いが出来たってことは、今のところ大丈夫みたいだね。」
 
「ああ、そうだな。かえってさっきより体調がいいかもしれないぞ。」
 
「いいってはっきり感じる?」
 
「そうなんだよ。飲んだばかりはなんともなかったんだがなあ。・・・・ん?なんかこんな話を前にしたことがあったような・・・。」
 
「したことがあるよね。南地方の不思議な泉みたいだなと思ったんだよ。」
 
「そういえば、この森はあの場所となんとなく似てるな・・・。」
 
「なにその話?」
 
 首をかしげるウィローに、以前南地方に迷い込んだ時に見た、あの不思議な泉のことを話した。
 
「それじゃ私も飲んでみようかな・・・。」
 
「その前に私が飲むよ。それでなんともなかったら、君も飲んでよ。」
 
 隣でカインが笑いをこらえている。
 
「笑ってる場合じゃないよ。ウィローがいてくれれば、何かあっても対処してもらえるからだよ。」
 
 とうとうカインが笑い出した。
 
「別に言い訳しなくてもいいぞ。確かに、うっかり死んでもウィローに蘇生してもらえるからな。」
 
 まだカインは笑っている。私がわざわざ言い訳したのが、いかにも照れ隠しだと見え見えだったのがおかしいらしい。
 
(こういう時に笑い出すところ、セルーネさんみたいだ・・・。)
 
 公爵家の姫君とは思えぬ気さくな人柄のセルーネさんは、一度笑い出すととまらない。みんなどうしているのだろう・・・。
 
「うっかりで死にたくはないなあ。とにかく飲んでみるよ。」
 
 私は小川の水をカップにすくって、焚き火のそばまで戻ってきた。今は思い出に浸っている場合じゃない。フロリア様を元に戻す手立てが見つかったら、一刻も早く仲間の元へ帰って、本物と対面すればいい。頭の中に浮かんだ懐かしい人達の顔を記憶の隅に押し込んで、私はカップの水を飲んだ。うまい。味が同じかどうかまで憶えているわけではないが、あの泉の水のように、一口飲んですぐにうまいと感じた。もう一口飲むと、疲れがとれてきたのがわかる。カップ一杯を飲み干すころには、さっきまでの疲労感はすっかりなくなっていた。
 
「うーん・・・この川の水も魔法の産物なのかなあ。」
 
 カインが考え込んでいる。
 
「どうなんだろ。でもそんな途方もない力が、古代のサクリフィアにあったとしたら、それこそなんで滅亡する羽目になったのか理解出来ないよ。」
 
「でも飲めば元気が出るって言うなら、この森がここまでやってきた巫女姫一行を癒すための場所だって言うのは確かなようね。」
 
「すくなくとも、魔法を使った誰かはここですっかり元気を取り戻して、また神殿へと向かったってことだな。それじゃまず腹ごしらえをしよう。いただきます。」
 
 野菜と肉の煮込みはとてもおいしい。腹の底からあったまる。おいしい食事は心もあったかくしてくれた。食事を終えたころには、3人とも元気になっていた。そして元気になってくると、やはり気になるのはこの場所のこと。そしてサクリフィアの人々がどこまでこの場所の状況を知っていたのか、考えがそちらに向かう。
 
「これは推測でしかないけど、村長達が神殿に入ったことがないと言う言葉は本当なんだろうと思う。でもおそらく、このあたりまでは来たことがあったんじゃないかな。たとえば今朝見た真っ直ぐな道がずっとあの場所にあったのなら、モンスターに脅かされずに通り抜けることは出来たはずだ。この森を抜けたあと神殿までどのくらいあるのかはわからないけど、問題なのはここから先なんだろうと思うよ。メイアラさんでも連れていればまた事態は違うのかも知れないけど、巫女姫を危険にさらせるだけの余裕は、今のサクリフィアにはないんじゃないかな。」
 
「それに、危険を冒して神殿にたどり着いたとしても、中でガーディアンが手ぐすね引いて待ってるなら、なおさらだな。」
 
「神殿がすぐそこにあるのにたどり着けないってのはもどかしかっただろうと思うよ。村長達が『ファルシオンの使い手』の出現を予測していたわけではないとしても、私達の訪問は、自分達を、あるいは村人を危険にさらすことなく神殿の中を探る、絶好の機会だったんだろうね。」
 
「そんな・・・。それじゃリーネも・・・」
 
 ウィローが泣き出しそうな顔をした。とても明るくて私達に協力してくれたリーネの笑顔が嘘だったとは、私だって思いたくない。
 
「リーネだってサクリフィアの民だからね。そうしなさいと言われれば逆らえないんじゃないかな。それは仕方ないよ。でも神話の作者の家ではずいぶんいろいろと教えてくれたし、この呪文書だって渡してくれた。リーネがあんなにさりげなく言ってくれなかったら、魔法の呪文書なんて聞いて私達のほうが慌てていたかもしれないよ。そうしたらグィドーさん達にだって、不審に思われてしまっただろうしね。」
 
「新参者の俺達のために、村の仲間とけんかしたくはないだろうしな。でもサクリフィアの錫杖はほしいし、『ファルシオンの使い手』を邪険に扱うのは気が引ける、このあたりが、村長や巫女姫達の落としどころだったんだろうと、俺は思うよ。」
 
「なにより、この呪文書のおかげであの薄気味悪い森を抜け出せたしね。しかもこっち側の森はモンスターの気配もないし。」
 
「そもそもさっきの森だって、本当に存在するのかすら疑わしいしな。」
 
 私達が抜けてきた森があるはずの場所は、真っ暗で何も見えない。そう、私達が通ってきた道さえも何も・・・。
 
「明日になればはっきりするだろうけど、今日はもう詮索するのはやめておこうよ。せっかく気持ちのいい場所にいるんだし。」
 
 ここは本当にさわやかで心地よい。もしかしたら、この森は巫女姫達の野営地だったのかもしれない。さっきここから見た限りでは、神殿はまだまだ遠い。ここから神殿まで何事もないとは思えない。私達は村長の助言に従って上陸前に船で一晩過ごしたが、あの分岐点に着いた時、夜になるにはまだ間があった。もしもあの時にすぐ上陸して迷わずあの道を抜けてきたなら、ちょうどここで日が暮れるくらいの時間になると思う。ここで野営して、準備を整えてから神殿に向かっていたという可能性は大いにあるような気がした。
 
「なるほどな。だとすると、ここにモンスターがいないわけも理解出来るな。」
 
「結界とも違うみたいだけど、たぶんこの森にモンスターは入ってこれないと思う。」
 
「確かに何かしらの障壁で囲まれているってのは俺にもわかるよ。これもまた魔法って事なのかな。」
 
「魔法については私達はど素人だからね。まあ安全ならそれに越したことはないから、今日はもう休もう。」
 
「そうだな。俺が先に不寝番に立つから、クロービスは後半な。出来るだけ体を休めてくれよ。あとウィロー、君も、今日だけはちゃんと一晩寝てくれ。大怪我を治したばかりなんだからな。」
 
 『今日だけはちゃんと一晩寝てくれ』と言う言葉に、ウィローが赤くなった。いつもカインが寝てから起き出して私と一緒に不寝番をしていたのは、カインだってとっくに気づいていただろうけど、こんな風にはっきりと言われたことはなかったのだ。
 
「う、うん・・・。」
 
 ウィローは赤くなってもじもじしているが、納得してはいないらしい。
 
「ウィロー、カインの言うとおりだよ。ちゃんと体を休めないと、明日からは当分息抜きは出来ないと思ってたほうがいいからね。それに頭の傷はまだ完治していないんだし。」
 
 ウィローがため息とともにうなずいた。頭の傷をすぐに治すには、髪を切ってから呪文を使うしかない。髪を切られるよりは、おとなしく寝ることを選んだらしい。またカインが笑いをこらえているのがわかる。
 
「それじゃカイン、よろしくね。」
 
「ああ、ゆっくり休んでくれよ。」
 
 私達はテントに入った。明日から、今日の昼間出くわしたようなモンスターとどのくらいの回数戦わなければならないのか、見当もつかない。とにかく今は体を休めることだけを考えることにした。
 
 
 
 夜半・・・
 
「カイン、交代するよ。どう?」
 
「静かなもんだよ。いつもこうだといいのにな。」
 
「相変わらずモンスターの気配はないね。」
 
 どんなに辺りが静かでも、いつもならモンスターの気配はそこかしこにある。ただ、それが私達に意識を向けているかいないか、違いはそれくらいだ。だが・・・ここは違う。しんと静まり返った空気の中には、モンスターの気配が何も感じられない。たまにふくろうの声が聞こえる程度だ。
 
「そうだな。でも、気は抜かないほうがいい、なんて、言うまでもないな。」
 
 カインが笑った。
 
「もちろん、気を抜く気はないよ。でも静かなままゆっくり休めるなら、それに越したことはないね。あとは任せてよ。おやすみ。」
 
「ああ、お休み。頼んだぞ。」
 
 カインがテントにもぐりこんだ。いつもならしばらくするとウィローが出てくるのだが、どうやら今日はおとなしくしているつもりらしい。ちょっとさびしいと思う反面、ほっとしてもいる。ウィローの負った怪我は相当深刻なものだった。私一人だったら、どうなっていたかわからない。ウィローの『気』をつなぎとめつつ呪文を使うとなると、かなりの負担になる。それこそ、ウィローが起き上がったとたんに私がばったり倒れてしまっていた可能性は高い。ウィローが助かったのはカインがいてくれたおかげだ。海鳴りの祠を出たころは、カインは不安な『気』に包まれているようだったが、目指す場所がはっきりしてからはずいぶんと落ち着いている。ただ、それでもなおカインを包む『気』の中に奇妙な不安を感じ取ることがある。それは細い細い織糸のようなもので、もしかしたらカイン本人も気づいていないのではないかと思えるほどかすかなものなのだが、それでも一度感じてしまうとその存在を無視することが出来ない。それを感じるようになったのは、出発の前にオシニスさんと話していた、あのあとからのことだ。その不安の正体はなんなのだろう。
 
 
 
 翌朝、カインとウィローが起き出してきたのはまだ陽が昇る前だったが、あたりはもう明るくなっていて、さわやかな風が木々を揺らしていた。
 
「いやぁ、よく眠れた。野営でこんなにゆっくりと眠ったのは久しぶりだ。」
 
 カインは上機嫌で薪を取りに行った。ウィローは私の隣で食事の支度を始めている。
 
「夕べはびっくりしちゃったわ。ずばり言い当てられて。」
 
「そうだね。昨日の君の怪我は本当に深刻だったんだ。カインがいなかったら私一人で治せたかどうかわからないくらいだったんだよ。だからカインも心配だっんだと思う。」
 
「そうね・・・。弓があんまり役にたたなかったから思わず鉄扇を抜いちゃったけど、昨日のことは反省しているの。本当にごめんなさい・・・。」
 
「私達2人でやっと追い払えたくらいだからね。君にはもう少し、後から攻撃出来る何かがほしいなあ。それとも、回復に専念してもらうか・・・。そのほうがいいかな。」
 
「でも、私だって少しは・・・。」
 
「役に立つってわかってるよ。ただ、昨日みたいなことはもう絶対ないようにしたい。昨日は何とかここにたどり着けたからよかったけど、神殿の中では休める場所があるかどうかもわからないからね。」
 
 ウィローは小さくため息をついた。
 
「そうね・・・。私は弓と回復に専念するわ。でないと昨日みたいにみんなの足を引っ張ってしまうし・・・。」
 
「海鳴りの祠でオシニスさんが言っていたじゃないか。まずは状況を見極めるのが大事だって。だから焦らないでよく見て、その上で行けそうなら鉄扇で、まずそうなら弓と回復ってことでいいんじゃないかな。君におとなしくしていてくれなんて言っても無駄だと思うし。ただし絶対に無理はしないことだよ。君に限らず、カインも私も、この中の誰一人が欠けてもこの先進めるかどうかわからないんだ。無理をすることが即ちみんなの足を引っ張ることだって、お互い肝に銘じておこう。」
 
 ウィローがくすりと笑ってうなずいた。
 
「そうね、確かにおとなしくしてるのは何より苦手だけど、あなたの言う通りよ。一人が無理をすればその負担は他の仲間に何倍にもなってのしかかるんだってことよね。」
 
 やがてカインが薪を抱えて戻ってきた。カインは薪を拾いながら結構遠くまで足を伸ばしてみたらしいのだが、モンスターなど影も形も見えず、いるのは小動物や鳥、たまに鹿などがのんびりと歩いているだけだったと言うことだ。
 
「変な感じなんだけどな、どこまで行ってもなんとなく守られてるなって感覚があるんだよ。それがこの森を囲む結界みたいなものなのか、何か別な力が働いているのか、なんとも言えないけどな。得体が知れないと言う点では落ち着かないことも確かなんだけど、いやな感じはしなかったぞ。」
 
「ここが巫女姫の休憩所だったなら、そういうのも用意されているのか知れないね。ただ、巫女姫がここに来なくなってからもう100年以上は過ぎるわけだから、それだけの長い間力場を保っておくってのは、並大抵のことじゃないな。」
 
「でも逆に考えれば、ここで余程しっかりと休んでおかないと、神殿にはたどり着けないってことよね。もしくは神殿の中でモンスターに立ち向かうことが出来ないとか・・・。」
 
 ウィローの言葉にカインが肩をすくめてため息をついた。
 
「そう考えていたほうがよさそうだな。飯を食ったら荷物の確認をして出かけよう。神殿はここから見る限りそんなに遠くはないから、うまく行けば夕方にはたどり着けるかも知れないぞ。」
 
 食事を終えて、入念に荷物の確認と武器防具の点検をした。万一はあってはならない。ウィローしか使えない蘇生の呪文をあてにするわけには行かない。それはあくまでも最後の手段だ。そうしてそろそろ陽が高くなり始めたころ、私達は遥か前方に見える神殿に向かって歩き出した。
 
 
「すぐに抜けるかと思ってたけど、この森もなかなか広いんだな。」
 
 カインが言った。ついさっきまでいたキャンプ場所と同じように、木々の間をさわやかな風が吹き抜けて行く。だが、神殿の建物はそれほど近づいたようにも見えず、森もまたどこまでも続いているように思えた。
 
「案外、この大陸全体が森なのかもね。結局私達が迷った森はあったのかなかったのかもわからないし。」
 
 明るくなってから昨日歩いてきたはずの道を振り返ってみたが、そこには何もなかった。ただ同じように森が広がっているだけだ。しかも昨日のような薄気味悪い森ではない。私達がいる場所と同じように、広くてさわやかな森だ。
 
「ふぅ・・・しかし、やっぱり魔法ってのは凄まじいもんだな。俺達の想像を遥かに超えてるよ。」
 
「そうだね・・・。」
 
「あ、森を抜けそうよ。向こう側が明るくなってきたわ。」
 
 ウィローの声で顔をあげると、確かに前方が明るくなってきている。そして神殿の建物がかなり近くなってきた。やがて森の端に着いたが、ここと神殿との間には、ほとんど隠れる場所のない荒野が広がっている。
 
「うはぁ・・・南大陸の北部山脈のほうみたいだな。」
 
「あっちのほうはかなり荒れてるみたいだね。」
 
「ああ、カナのほうの砂漠も厄介だけど、北部のほうは隠れられる場所がなかなか見つからなくて大変だったよ。うまい具合に岩でもあればいいけど、そうそう都合よくそんなものが落ちているわけじゃないからな。」
 
「でも不思議ねぇ。神殿て元々は宮殿でしょう?ここには町が広がっていたはずだわ。でもその痕跡が何一つ残ってないなんてね・・・。」
 
「ちゃんと後片付けしてからここを放棄したって言うのも変だしね。」
 
「片付ける気力があるならここを再建していただろうしなあ・・・。まあとにかく、ここから神殿まではまっすぐだ。流石に道が実は魔法でしたってことはないだろうけど、離れないように進んで行こう。」
 
 私達は慎重に歩を進めたが、森の端から神殿に着くまで、あのガーディアン達にはまったく出会わなかった。
 
「楽に来れたのはいいが拍子抜けだな・・・。」
 
 カインは首をかしげている。
 
「その分この中に何があるかわからないよ。」
 
「中で出迎えるから休んで置けってか・・・。それじゃ、まずは荷物と武器の確認だ。中に入ったらそんなことをしている暇もなさそうだしな。」
 
 辺りにはモンスターの気配はない。念のため結界を張り、私達はもう一度荷物の確認と武器の点検をし、中での戦闘について打ち合わせをした。狭い場所での戦いになる。ハース城の中でモンスターを相手にした時のように、あまり大掛かりな風水は使えない。
 
「俺の剣技も考えなくちゃならないな。これだけの歴史のある建造物をぶっ壊したりしたら再建のしようがないしな・・・。」
 
「ねえ、最初に出会ったガーディアンの動きを、私がよく見て置くわ。それに合わせましょうよ。」
 
 ウィローが言い出した。
 
「合わせる?」
 
「そうよ。ガーディアンが家具調度なんてお構いなしに暴れていたら、こっちだけそんなことに気を使っていられないもの。」
 
「なるほど。ガーディアンがおとなしめに戦うようならこっちもそれに合わせるってことか。」
 
 カインが笑い出した。
 
「周りに気を使いながら戦うガーディアンなんて聞いたこともないけどな。」
 
 私も思わず吹き出していた。
 
「神殿の中をぐちゃぐちゃに壊したりしたら村長達に顔向けが出来ないけど、ガーディアンが暴れていたからって言えば面目が立つじゃない。」
 
「なかなかの名案だと思うぞ。それじゃ君はまずモンスター達の動きを見ていてくれよ。」
 
 
 扉の前に立ち、私はサクリフィアの村長から預かった鍵を取り出した。鍵を開けようと、取っ手に手を掛けた瞬間、何か・・・すごい力を感じて私は思わず手を離した。
 
「どうした?開かないのか!?」
 
「いや・・・。中から・・・すごい力を感じるんだ・・・。」
 
「ガーディアンなのかな・・・。」
 
「多分ね・・・。」
 
「あの薄気味悪い森で出会ったようなのがうじゃうじゃいるってことなのかな・・・。」
 
「うじゃうじゃいないとしても、一匹だけだってあれほど苦戦したんだから一筋縄ではいかないよ。気を引き締めてかからないと。」
 
「それもそうだな。俺の覚悟はとっくに決まってるよ。とにかく開けてくれ。」
 
「私もよ。大丈夫、絶対にその杖を手に入れるんだから。」
 
「わかった。それじゃ、開けるよ。」
 
 カチャリと音をたてて鍵がはずれるのと同時に、扉の向こうで、中の空気がざわっと動いたような気がした。慎重に扉を開く。100年ぶりに開かれるというのに、扉は驚くほど軽く、軋み一つなく開いた。中は思ったほど暗くない。高い場所に窓がいくつもあって、そこから陽光が降り注いでいる。100年前はそこにカーテンが掛けられていたらしいが、今ではもう破れてだらりと垂れ下がり、カーテンとしての役割は果たしていなかった。中はかなり広い。扉から正面に赤い絨毯が延びていて、一番奥の壁の前には金色の縁取りのある背もたれのついた玉座がある。ここはもしかしたら、王と一般庶民との謁見の場所だったのかも知れない。その周りにはいくつかの部屋があった。元々は扉もついていたのかもしれないが、今では何もない。
 
「荘厳だな・・・。」
 
 カインが天井を見上げてため息をついた。天井には一面に美しい絵が描かれている。
 
「この建物自体がすばらしい美術品だね・・・。」
 
「本当にすごい文明だわ・・・。どうして・・・・これほどの素晴らしい文明が滅びないといけなかったのかしら・・・。」
 
「当然それなりの理由があったはずだよな・・・。確かウィローの親父さんは、聖戦が起きた理由についてかなり詳しく調べて経って話だったな。」
 
「そうね・・・。父さんはなぜそんなにその理由を知りたがったんだろう・・・。」
 
「その話をサクリフィアの村で聞いたあと、ハース鉱山に行ったんだよね。」
 
「そうなの。話をつなぎ合わせると、そういうことになるんだけど・・・。母さんは何も言っていなかったから、多分今でも父さんがここまで来ていたなんて知らないと思うわ。日記でもあればよかったんだけど・・・。」
 
 ハース鉱山の統括者の部屋には何一つ、記録と言えそうなものは残されていなかった。
 
「うーん・・・聖戦が起きた理由か・・。この文明が滅びなければならなかったその理由が、もしかしたらこの世界に平和を取り戻す鍵になっているってことなのかな・・・。」
 
「カイン、とにかくこの神殿の中を隅々まで探索してみよう。『サクリフィアの錫杖』はもちろん大事だけど、私達には100年ぶりにこの建物に足を踏み入れた者としての責任もあるような気がするんだ。」
 
「そうだな・・・。。それがわかれば、サクリフィアの人達が、自分達を滅ぼした聖戦竜達を崇めていたらしいと言うことの謎も解けるかも知れないしな・・・。」
 
「そこまでわかればすごい収穫だよ。まあ・・・そのためにはここから一つずつ部屋を調べていくしかないんだろうけどね・・・。」
 
 入ってみてわかったのは、この神殿が思ったよりも広大だと言うことだ。この広い場所から、私達はなんとしても『サクリフィアの錫杖』を探し出さなければならない。このまま一つずつ部屋を覗いていくのでは、あまりにも効率が悪い。とは言え、あたりをつけようにも私達にはこの場所の知識がほとんどない。地道に進んでいくしかなさそうだった。
 
「・・・仕方ないな。この端っこの部屋から調べていくか・・・。」
 
 私達はまず、西側に並んだ部屋の中をひとつずつ見て回ることにした。一番手前にある部屋を覗きこむと、扉らしきものが部屋の中に打ち捨てられている。聖戦のどさくさで壊れたものがそのままになっているのか、この建物に人が立ち入らなくなったあとガーディアン達によって壊されたのかはわからない。
 
「壁や柱の装飾は見事なんだが、ひどい有様だな・・・。」
 
 カインがつぶやいた。部屋の中にはテーブルと椅子が置かれている。どれも立派なものだったのだろうが、椅子はひとつがゆがみ、ひとつは完全に壊れている。テーブルの上にはクモの巣とほこりがたまっているが、そのクモの巣さえも最近出来たものとは思えなかった。窓のカーテンも天窓同様ぼろぼろになって床に落ちていて、窓からは光が差し込んでいる。しかし、窓のガラスはすっかり曇っていて、外の景色は見えない。
 
「この部屋の奥にあるのは玉座だと思うんだけど、ここの部屋は謁見待ちの人の控え室だったのかな。」
 
「元々は立派な部屋だったんだとは思うけど、これじゃもう何が何だかわからないな。」
 
 少し部屋の中を見てみたが、カップや蜀台が埃の下に埋もれている程度だった。隣の部屋に入ってみたが、ここもまた似たような状態だ。ここはテーブルまでがゆがんで壁によりかかり、やっと倒れずにすんでいるというほどだ。
 
「もったいない話だね。すばらしい文化遺産なのに。」
 
「こんなところを見ると掃除をしたくなっちゃうわねぇ。きれいにしたら今でも十分使える建物よ、ここは。」
 
「そりゃまあ・・・使えるだろうけど・・・。」
 
 ウィローの発想に思わず笑いそうになったが、背後に感じたかすかな気配に、反射的に振り向いていた。
 
「来るよ!ガーディアンだ!」
 

次ページへ→

小説TOPへ ←前ページへ