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「なあオシニス。」
 
「はい?」
 
「お前、本当にスサーナと結婚する気はないか。」
 
 オシニスさんは一瞬ぽかんとしたが、すぐに眉間にしわを寄せて小さくため息をついた。
 
「セルーネさんまでじいさんみたいなことを言わないでくださいよ。スサーナとはいくつ歳が離れていると思ってるんです?最初のうちはいいかもしれないけど、あっという間に未亡人になっちまうじゃないですか。もう少し歳の近い、もっと将来性のある男との縁組でも考えてくださいよ。なんでこんな中年男にこだわるんですか。」
 
「中年ねぇ・・・。ま、年齢だけ考えればそろそろそう呼ばれる頃合いかもしれないが、とても中年には見えんがな。」
 
「見えても見えなくても中年は中年ですよ。」
 
「まあそう言うな。だがお前の考えも理解出来る。この国じゃ男より女のほうが寿命が長いからな。わかった。おかしなことを言って悪かったよ。」
 
「俺は王国剣士としてのスサーナは信頼しています。ただし、感情に流されて簡単に退職なんぞ口にするようではこちらとしても当てに出来なくなります。この先どうするのかは、よく考えて決めるようにと伝えてくれませんか。」
 
「確かにその通りだ。ではオシニス、スサーナがもしも辞めたくないといったらどうするつもりだ?」
 
 オシニスさんは、昨日私に言ったことと同じことをセルーネさんに話した。セルーネさんはうなずき、『私がお前でも同じことを言うだろうな』と言った。
 
「よし、スサーナの話はここまでにしよう。次はライザーの話だが・・・。そのライザーの女房と言うのはどこにいるんだ?」
 
「今は医師会にいます。ウィローと一緒ですよ。」
 
 ここは私が答えた。クリフの治療のことでマレック先生に協力してくれていることと、今日はアスランのリハビリを見学する予定だということまで。
 
「なるほど・・・。それじゃ、その女房の身辺は今のところ安全か・・・。」
 
「そういうことになりますが、ステラの話を聞く限り、イノージェンは無事でもライザーさんのほうは、まだまだ危険な状態にあると言えますね・・・。」
 
「ライザーが狙われている・・・か・・・。」
 
 セルーネさんは少しの間腕を組んで考え込んでいたが・・・。
 
「クロービス、ライザーはお前の島の薬草園を管理しているんだったな。」
 
「そうです。管理といっても栽培のほうの管理だけですけどね。」
 
「金の話までは関わってないということか?」
 
「出荷の値段を決めているわけではありませんよ。値段はきちんとその栽培にかかった費用を計算して、その上に利益を乗せるという形で算出します。でも単純にかかった分だけで決めてしまうと、いわゆる一般的な相場とかけ離れてしまうこともありますから、いろいろな情報に基づいて最終的に判断をするのは村長です。ライザーさんや私は、あくまで意見を求められることがある、という程度ですよ。栽培に苦労したりする品種もありますし、逆にいくら手がかかるものでもその薬草を必要としている人達が大勢いる場合もありますからね。」
 
「なるほどな・・・。栽培に関してはライザーに、需要と供給についてはお前にか・・・。」
 
「そういうことですね。」
 
「セルーネさん、何かあったんですか?」
 
 うーんと唸って考え込んでしまったセルーネさんに、オシニスさんが尋ねた。
 
「ああ・・・先週のことだが・・・うちの領地にある薬草園の管理者が、立て続けに襲われたんだ。1人は瀕死の重傷を負った。島の医者が何とかがんばって助けてくれたがな。仕事に復帰出来るまでにはしばらくかかるだろう。」
 
「襲われたのは何人ですか?」
 
「3人だ。それも、それぞれ別の島の薬草園の管理者だ。もしもその3人が全員死んでいたら、薬草の栽培と出荷が滞るところだった。その3人は栽培の責任者であると同時に、ある程度価格の決定に関わっている。もちろん決めるのはその管理者1人ではないが、重要な位置にいることは確かだ。」
 
「・・・また薬草か・・・。」
 
 オシニスさんが独り言のようにつぶやいた。
 
「それでなくとも最近うちの島で採れる薬草が値上がりしている。栽培管理者に何かあったらまた値上がりすることになるだろう。うちの領地の問題だからこちらで解決するのが筋だが、薬草の値上がりは王国全体の経済に影響を及ぼし始めている。もしも剣士団やレイナック殿のほうで何か掴んでいることがあるのなら、少しでも教えてもらえないかと、まあそんなこともあって近々お前に話を聞きに来ようと思っていたんだ。そこにスサーナの騒動が持ち上がって、さっきたまたまクロービスと会ったわけだが、ちょうどここにいるという話だったからな。二人で話を聞きに来たわけさ。あの雑貨屋についてもちょっとした情報があるしな。」
 
「セディンさんの店のですか?」
 
「そうです。実は先ほど、その店に行ってみたんですよ。私の場合身分を隠してというわけにも行きませんから、『尻に敷かれて肩身の狭い婿養子』という設定でね。」
 
 ローランド卿の言葉にセルーネさんが笑い出した。
 
「まったく・・・また私が鬼のような妻だとか言われることになるって言うのにな。」
 
 そう言いながらも、セルーネさんはおかしくてたまらないというように笑っている。こんな話も、この2人の間では笑い話にしかならないらしい。
 
「ま、セルーネさんのゲンコツの痛さは天下一品でしたからね。」
 
 オシニスさんが言いながら肩をすくめた。
 
「あ、それは私も思います。」
 
 思わず同調してしまった。オシニスさんも私も、セルーネさんからかなり痛い一発を食らったことがある。それを聞いたローランド卿が笑い出した。
 
「ははは、そのゲンコツを食らったことがないというのは、幸運なのかもな。」
 
「当たり前だ。あなたを殴る理由はないぞ。こいつらを殴ったのは、あまりにも無茶をやらかすからだ。それも昔の話なんだからな。」
 
 セルーネさんが『心外だ』という顔でローランド卿を睨んだ。
 
「ま、ゲンコツはともかく、私はあなたがどんなに優しい女性かということをちゃんとわかってるんだから、いいじゃないか。」
 
 ローランド卿が笑顔でセルーネさんの肩を叩いて、セルーネさんは照れたように笑った。なんだか正々堂々とのろけられているという気がするが、セルーネさんのこんな笑顔をまた見ることが出来るなら、それもいいなと思えた。
 
「そう言われてしまうと怒る気にもならないな。」
 
「それはよかった。それじゃ本題に入ろう。クロービス殿、実はさっきあの店に行ってシャロンという娘と話をしていた時に、奇妙な客がやってきたのですよ。」
 
「奇妙な客・・・?まさかあの怪しい取引先の・・・。」
 
「おそらくは。」
 
 
 ローランド卿は店に入り、主に薬草を中心に買い物をしたらしい。会計の時になってあまりに安いので、
 
『私は確かに公爵家の者だが、値引きをしようなどと考えなくてもいいのだぞ。我が家は常に適正な価格での買い物を心がけているんだ。念のため言っておくが、私が外で使う金について、妻はとやかく言ったりしないから、そちらの心配もいらぬ。』
 
 そこまで言ったそうだが、シャロンは笑ってこう言った。
 
『公爵様には以前うちでよく買い物をしていただきましたから、公正でお優しい方だということはよく存じております。うちの店ではこれが適正な価格でございます。公爵様のご夫君ということで特別に値段を下げているなどと言うことはございません。』
 
『それならばいいのだが・・・。』
 
 ローランド卿は『どうしたものか』思案している風を装い、すぐに帰らずしばらく店頭にとどまっていた。もう少しシャロンから何か聞き出せないかと思っていたのだが、その時店の扉が開き、シャロンの顔がいきなりこわばった。振り向くと裾長のローブを着た人物が立っていた。マントのフードを目深にかぶり、顔がまったく見えない。自分の足元だって見えてないんじゃないかと思えるほどで、もちろん男か女かもわからなかったそうだ。
 
『お客様ですか・・・。』
 
 その人物はシャロンに尋ねたのだが、その声も男か女かわかるような要素が何もなかったそうだ。シャロンがそわそわしだしたので、ローランド卿はあきらめて店を出た・・・。
 
「声を聞いてもわからないとは、奇妙なものだな・・・。」
 
 セルーネさんが首をかしげた。
 
「まったくだ。なんと言うのか、口にハンカチでも押し当ててしゃべっているような、実に奇妙な響きの声だったんだ。だが・・・私が奇妙に思ったのは、実は別のことなんだよ。」
 
「・・・なるほど、さっきの話か・・・。」
 
 セルーネさんはまたため息をつき(本人もこの部屋で何回ため息をついたのか覚えていないんじゃないだろうか)私達に向き直った。
 
「その人物が着ていたローブだがな、それが、うちの領地で作られている織物を使っていたのじゃないかということなんだ。」
 
「でもセルーネさんの家の領地で生産される織物は王国中に流通してますよ。誰が着ててもおかしくないんじゃあ・・・。」
 
「織物と言っても、普通の布地のことじゃない。うちの領地のとある島で昔から織られてきた、ちょっと特徴のある織物なんだ。」
 
「とある島というのは・・・もしかして・・・。」
 
 オシニスさんが渋い顔で尋ねた。
 
「ああ・・・あの島だ・・・。」
 
 『あの島』
 
 それは・・・ユノの出身地であり、あのクイント書記官の出身地でもあり・・・そして、ベルスタイン家にとっても、悔やんでも悔やみきれない出来事のあった島だった・・・。
 
「あれはあの島の伝統工芸品だ。小物用のものなら短期間である程度の数が作れるので、それを特産品として出荷しているが、ローブやドレス用の布地を作るとなると桁違いに時間と手間がかかる。だからそんな大きなものはそれほど流通していないんだ。ほとんどは注文生産だからな。」
 
「ところがその布地が、その奇妙な客の服に使われていた・・・。つまりその客があの島に関係がある人物ではないかと、こういうことですか。」
 
「まあな・・・。考えられるのはあの男だが・・・。」
 
 セルーネさんがため息をついた。
 
「あの男は周到な人物だから、そんなところでぼろを出すのはおかしいと?」
 
「そういうことだ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 妙な話だが、おそらく、あの店に入るまで、先客がローランド卿だったとは知らなかったのだろうと思う。あの店の入口は、カウンターの正面の位置にある。カウンターで話をする客は入口に背を向けているのが普通なのだ。そこにあらかじめ人がいるとわかっているならともかく、ローランド卿は目の前のシャロンに意識を集中していただろう。もう少し何か探りだせないものかと。後から客が来てもこなくても、まったく注意を払っていなかったはずだ。
 
(自分に対して注意を向けていない相手のことは何一つわからないってことか・・・。)
 
 その奇妙な客が、もしもクイント書記官その人ならば、の話だが。
 
「でもその客も、まさかローランド卿に会うとは思っていなかったんじゃないですか?」
 
 さりげなく尋ねてみた。
 
「まあそうでしょうね。たとえばあの男だとしても、彼はおそらく私達には出来るだけ近づかないようにしているでしょうから、知られる心配はないと考えていたかもしれません。」
 
 ローランド卿の推測はおそらく当たっているだろう。レイナック殿に挨拶をしに行ったときのように、クイント書記官があまり近づきたくない相手は他にもいるのかもしれない。彼は自分の持つ力をおそらくは私よりはるかによく理解し、そして効果的に使っている。だとすれば、この力に関わることで彼に対抗できるのは、もしかしたら私だけかもしれない。
 
(もうすこし・・・この力のことについて、調べておく必要がありそうだな・・・。)
 
 恐ろしく気の進まない話だが、もう逃げてはいられない。後でレイナック殿に話を聞きに行こう・・・。
 
「しかしもしも『彼』だとすると、その目的が何なのかが鍵になりそうですね。」
 
「そこなんだよな・・・。」
 
 セルーネさんが首をかしげた。
 
「あの男についてはわからないことが多すぎる。そもそもなんで『あのお方』なんぞを頼ったものやら・・・。」
 
 それは誰でも持つ疑問らしい。なぜ『あのお方』だったのか・・・。彼にとっても、仇でしかないと思えるのに・・・。
 
「それとも・・・いや、まさか・・・。」
 
 セルーネさんがいいかけてやめた。
 
「心当たりがあるんですか。」
 
「・・・まあな。もしもあの男がユノの知り合いだとしたら・・・」
 
「知り合い・・・ですか・・・。」
 
「それはどうかなあ・・・。」
 
 オシニスさんが首をかしげた。
 
「確かに歳はだいぶ離れているが、あの男の歳を考えると、奴が生まれたとき、ユノはまだ島にいた。面識はあると思っていていいだろうな。」
 
 セルーネさんが言った。
 
「セルーネさんもユノとは顔見知りだったんですよね。」
 
 ユノの生まれた島は元々セルーネさんの家の領地だ。
 
「ああ。だが、本当に『ただの顔見知り』程度だ。一番上の姉はいずれ公爵家を継ぐからということで、父はよく領地の視察に連れて行っていたんだが、すぐ上の姉と私はたまにしか行ったことがなかったからな。しかし剣士団に入ってから顔を合わせた時は驚いたよ。以前は物静かで優しいという印象だったんだが、あまりにも無表情で冷たい瞳をしていたからな・・・。」
 
「そうですか・・・。」
 
「ま、あの島で何があったのか、それを考えればあの冷たい瞳も理解出来なくはなかったが・・・。」
 
 セルーネさんは言いかけた言葉を飲み込むように口を閉じ、私の顔をのぞき込んだ。
 
「クロービス。」
 
「はい・・・。」
 
 自分の出した声があまりにも沈んでいて、自分で驚いた。
 
「囚われるなよ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 とっさに返事が出来なかった。
 
「あの時ああすればよかった、あの時こうしていれば・・・悔やんでも悔やみきれない思いでいるのはお前だけじゃない・・・。私だってあの頃、一時は1人で生きていける自信さえなかった。それでも死のうとは思わなかったのは、私がすべきことは自分の死に場所を探すことではなく、何があっても生き続け、命の尽きる最期の瞬間までこの国の行く末を見定めることだと、そう思ったからだ。それはあの時生き残った者の義務だと、私はそう思っている。だから死んだ者に囚われて、引きずられてはいけないと思った。どんなにつらくても悲しくても、前を向いて生きていく以外に、私が歩いて行ける道はないのだと。」
 
 そこまで言って、セルーネさんはふっと笑った。
 
「それを私に気づかせてくれたのは、カインだったのにな・・・。」
 
「・・・・・・。」
 
「お前から指輪を渡された時、もう何もかも失ったような気がして、悲しさと悔しさで、私はその指輪を投げ捨てようとした。あの時カインが必死で止めてくれなかったら、私は大事な思い出も、自分自身の心さえも海に投げ捨てていただろう・・・。」
 
 あの時カインは、セルーネさんに殴られても殴られても、手を離そうとしなかった・・・。
 
『団長の思いを・・・捨てたりしてほしくなかったんです』
 
「なのに・・・そのカインまでも死んでしまった・・・。それからもう誰も失うまいと思っていたのに、結局グラディスさんもユノも助けられなかった。あの2人は、遠い場所にいたのではなく、すぐにでも駆けつけられる場所にいたというのに・・・。」
 
 セルーネさんが大きなため息をついた。
 
「あの時のことは、きっとこの先一生、私の心から消えることはないだろう。だが私は、彼らに殉じる道を選ぶことはない。私には私の使命がある。それを全うするために、これからも、何があっても生き続けるつもりだ。」
 
「ステラも・・・そんなふうに考えてくれるといいんですけどね・・・。」
 
「思いを遂げられなかったからこそ、あそこまで執着するのかも知れないな・・・。だが、だからと言ってカインが悪いわけじゃない。人の心はそうそう思い通りになるものじゃないんだ。どこかで折り合いをつけるしかないのさ。」
 
 ステラは本当に今でもカインを思い続けているのだろうか。手が届かずに終わってしまった恋を、断ち切れずに・・・。でも、それでいいはずがない。ステラの人生だってまだまだこれからだ。たとえばこの先も1人で生きていくにしても、犯罪に手を染めるような場所に身をおかず、平和に穏やかに暮らしていくことだって出来るはずなのに・・・。
 
「・・・ティールに頼んでステラの身柄を確保してもらったほうがいいかな・・・。」
 
 セルーネさんが呟くように言った。
 
「あの会社ではそんな仕事まで請け負ってくれるんですか?」
 
「あの会社では、単なる調査機関と言う枠を超えて何でもやることになっています。私としては、剣士団ではなかなか手の回らないような仕事をあの会社で請け負えないかと、そういう考えがありましたからね。」
 
 ローランド卿が答えた。そうだ、あの会社は元々ローランド卿の発案で出来た会社だ。
 
「もちろんそれなりの料金は払わなければなりませんが、その金は別に会社の利益として貯め込まれるわけではなく、きちんと従業員に還元されます。クロービス殿、何かお困りなことがありましたら遠慮なくどうぞ。」
 
「クロービス、気をつけろよ。ローランドはあの会社の宣伝には熱心だからな。はっと気づくと何か頼み事をしているかもしれないぞ。」
 
 セルーネさんが言ったのでみんな笑い出してしまった。部屋の中に漂う重い空気が和らぎ、誰もがホッと一息ついたような気がした。そう・・・囚われてはいけないのだ。どれほど悔やんでも、過去は取り戻せないのだから・・・。
 
「うーん・・・ステラの場合は、こっちからの依頼と言う形で動いてもらったほうがいいかもしれませんね・・・。クロービスが聞いた話だけを考えてみても、ステラがあまり性質のよくない組織に身をおいていることは確かなようですから、起こる可能性のある犯罪を未然に防ぐと言う観点から、俺のほうで動けると思いますよ。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「なるほど、出来るならそうしてもらえるとありがたい。はぁ・・・ステラを引き止められなかったのが今でも悔やまれる・・・。あのころは私自身がこの先どうすべきかと言うことで悩んでいたからな・・・。もう少し気を配ってやれるとよかったんだが・・・。」
 
「仕方ありませんよ。あのころはみんな悩んでいたと思います。剣士団がやっと復活することになったものの、問題は山積みでしたし、何よりフロリア様に対する不信感をなかなか拭い去れませんでしたからね・・・。」
 
 オシニスさんがため息をついた。あのころ・・・みんなが自分の進むべき道について悩んでいた。以前のようにフロリア様を信頼していけるのか、誰もがそのことで不安に思っていたと思う。
 
「そもそもあの時フロリア様の身に何が起きていたのか、あの説明を理解出来た奴がどれだけいたものかわからんからな。あのあとしばらくは、私に話を聞きに来る奴が多くて大変だったよ。」
 
「セルーネさんに?なんでまた・・・。」
 
「なんと言っても、我が家は何かにつけて王家と比べられるほどの旧家だからな。王家としては怒らせたくはない相手だ。そこで、私の父にだけは『真実』が伝えられたのではないか、それを私も何かしら漏れ聞いてないか、そういうことさ。」
 
「難しいですねぇ。一つも嘘は言ってないんですが。」
 
 『フロリア様の身に何が起きていたか』
 
 それを剣士団のみんなに説明したのは私だ。あの騒動が治まり、とりあえず剣士団は王宮に戻ることが出来たが、払った犠牲も大きかった。剣士団の要とも言うべき団長と副団長を失い、カインとユノを剣士団の手の届かないところで死なせてしまったと言う自責の念で、みんな苦しんでいた。それも全て元を辿れば、フロリア様の中にいたもう1人の仕業だ。だが・・・その『元』をもっと辿っていけば、レイナック殿とケルナー卿の、とある企みに行き着く。それを説明するわけには行かない。ということは、フロリア様の心に起きた出来事の、その理由についてはある程度の『シナリオ』が必要になると言うことだ。久しぶりに戻った宿舎の食堂に集まった仲間を前にして、私はほんの少し『真実』を隠した。それは認める。だがそれ以外のことで嘘は言ってない。フロリア様はご両親を失った衝撃で心の中にもう1人の人格が生まれてしまった。その人格はただひたすらに両親を奪った国を憎み、何もかも全てを無に帰すために動いていたのだと・・・。あの時、私の説明に納得してくれなかった人はいた。でもそれも仕方ないと思っている。どんなに言葉を尽くしたところで、この騒動を引き起こしたのは間違いなくフロリア様自身であるからだ。それだけは事実として動かせないし、隠すことは出来ない。フロリア様も、剣士団に説明するならそこを隠してはいけないと言っていた。
 
『信頼を裏切ったのはわたくし自身です。それを隠してしまったら、剣士団は二度とわたくしを許してくれないでしょう。』
 
 
 
「実を言うとな、お前達が城下町を出た後、私はその『夢見る人の塔』という場所にいる心理学者のシェルノ殿に出紙を出したんだ。今までの経緯を書いて、何かしらの助言がもらえないかと思ってな。」
 
「そうでしたか・・・。シェルノさんはなんと?」
 
「私も全部憶えているわけではないが、そうだな・・・。理解してくれない人は多いと思うが、人の心だって病気になることはある、せっかくその病気がよくなったのだから、回りの皆さんが理解してあげてくださいと、そんなことが書いてあったな。この先もフロリア様を王としていただくのなら、起きたことは起きたこととして、それぞれがその立場からきちんと向き合っていくしかないのではないかとも・・・。確かにあの時、一番つらい思いをされていたのはフロリア様自身だ。だがこの国を率いていけるのはフロリア様を置いてほかにない。その手紙を元に我が家でも態度を明確にして、王家を盛り立てていくことに決まったと言うわけだ。フロリア様を廃することになれば、王位継承権第一位の方に即位していただくことになる。それだけはどうしても阻止したかったし、我が家の誰かにあとを継げなどと言われるのはもっと困る。だからと言って、一度死んだとされている人を連れてくるわけにも行かないしな。」
 
「そのことはご存知なんですね。」
 
 『一度死んだとされている』のは、ファルミア様をおいてほかにない。
 
「ああ。お前達がここを出た後、レイナック殿が父を訪ねてきたんだ。私はその場にいなかったが、あとから聞いたよ。あとと言っても、爵位を継いでからの話だがな。多分姉夫婦は知っていただろう。王家としても我が家を敵に回すのは避けたかっただろうから、わざわざレイナック殿が足を運んだんだろうな。だからこそ、私達も普段から行動には細心の注意を払わなければならない。窮屈な話だが、仕方ないさ。」
 
 セルーネさんが肩をすくめた。
 
「そういえば、最近フロリア様はずいぶんと塞ぎこみがちだったんだが、どこかお悪いわけではないんだろうな。」
 
「いや、お元気ですよ。」
 
 セルーネさんの問いに、オシニスさんが心なしか笑顔になって答えた。
 
「少し前は確かにお疲れだったようなので、それで塞ぎこんでいるように見えたのかもしれませんね。今朝はお会いしていませんが、昨日はお元気でしたよ。」
 
「そうか・・・。実は今日2人で王宮にきたのは、フロリア様へのご機嫌伺いもあったからなんだが、ご気分が優れないのなら無理しないほうがいいかと思っていたんだ。それなら大丈夫だな。」
 
「セルーネさんも大変ですね。」
 
 オシニスさんが少しいたわるような口調で言った。
 
「仕方ないさ。私達の言動によっては、王家への対抗勢力として担ぎ出される危険性もある。そんなことにならないために、定期的にフロリア様を訪問して、きちんと恭順の意を示しておくのも私の務めだ。それに、訪問する時に私達が一緒でないと、今度は夫婦仲が悪いとか、私がローランドを尻に敷いているとか、何を言われるかわかったもんじゃない。よくもまあいろいろと思いつくものだと感心するほどだよ。」
 
 つまり、ベルスタイン家はそれほどまでに注目されていると言うことか・・・。2人の間でなら笑い話になるようなことでも、世間の噂を放っておけば、思いもよらぬところで足元を掬われかねない・・・。
 
「でも昔はそんなに気を使っていなかったような気がしますけど。それとも私が知らなかっただけなんですか?」
 
 思い出してみても、セルーネさんがそれほどフロリア様に気を使っていたとは思えない。もちろん、当時は公爵家を継ぐ予定なんてなかっただろうが・・・。
 
「父の代にはそんなことはなかったんだが・・・フロリア様の世継問題が浮上してから、どうも様子が変わってきてな・・・。息子の養子の件を承諾すれば、息子を傀儡にしてこの国の実権を握ろうとしているのではないかと言われるし、承諾しなければ、王家を断絶させて自分の家が新たな王家になろうとしているのではないかと言われる。ばかばかしい話だが、放っておけば家名にも傷がつくし、頭が痛いことばかりだ。」
 
 身分が高いというのも、なかなかに気苦労の多いことらしい。
 
「なあオシニス、お前フロリア様が世継を作るのに手を貸さないか?」
 
 いきなりセルーネさんが言ったので、オシニスさんは口に含みかけたお茶を吹き出しそうなほどに驚き、盛大に咳き込んだ。
 
「な・・・なにを・・・げほっ・・・何を言って・・・げほっぐぅっ・・・げほっげほっ・・・・」
 
 しばらくして咳が止むと、
 
「今度は何を言い出すんですか!まったくもう・・・。」
 
 大声で言った。
 
「お前なら元気そうだからなあ。これからでも子供の3人や4人は出来そうな気がするんだが・・・。」
 
「そういう問題じゃないですよ。ああびっくりした・・・う・・・げほっげほっ・・・。」
 
 オシニスさんはまた咳き込み、ゼェゼェと肩で息をしている。
 
「いいじゃないか。お前なら一度ならずフロリア様の結婚相手として候補に挙がっているんだから、文句を言う奴は『あのお方』くらいのものだろう。」
 
「ちょっと待ってくださいよ。その『一度ならず』と言うのが引っかかるんですけど。俺が団長になったとき、確かにフロリア様との結婚話は出ましたけど、話が出たのはその時一度きりですよ。」
 
「そりゃそうだろう。最初に話が出たときのことは、お前には言ってないはずだからな。」
 
「・・・え?」
 
 オシニスさんはぽかんとしてセルーネさんを見た。
 
「お前とライザーが入団して一年ほど過ぎたころ、フロリア様が猫を飼いはじめたことがあっただろう?」
 
「は、はい・・・。」
 
 オシニスさんは複雑な顔をしている。その思い出は、オシニスさんにとってもフロリア様にとっても、楽しい思い出であると同時に、つらい思い出でもあるのだ。
 
「あのころ、フロリア様が若い王国剣士と仲がいいという噂が、王宮内に流れていたんだ。そのころ中庭で、フロリア様がお前とライザーと話をしていたことはみんな知っていたからな。で、さてどっちだと言う話になったんだが、猫を助けたのがオシニスだという話を聞いて、それではそちらのほうだろうと。」
 
「まあ確かに・・・猫を助けた時にはライザーはいませんでしたけど・・・。でも何でそれが・・・。」
 
「あのころフロリア様は20歳を過ぎたところだった。そろそろご結婚と言う話が出ていたんだが、当時フロリア様の後見人だったレイナック殿とケルナー殿が、その王国剣士はどんな男だと、当時の剣士団長パーシバルに聞いていたのさ。そしてその話とは別に、私も父からお前のことを聞かれていたんだ。で、もしもその男のほうもフロリア様を好きなら、この際話を進めてみてはどうかとな。だが『あのお方』は身分についてうるさく言うだろうから、どうしてもと言うことなら私の父が後見になって、お前をフロリア様と結婚させようかと言う話になってたんだよ。特にケルナー殿はこの話に乗り気だったんだぞ。あの方は身分を重視しないと言うより、身分制度そのものを毛嫌いしているところがあったから、お前が平民出身だと聞いて、興味を持ったらしい。」
 
「そんなことがあったんですか・・・。はあ・・・まったく知らなかった・・・。だいたいあのころは俺だって20歳そこそこですよ。そんな大それたこと、言われたって聞けるわけがないじゃないですか。」
 
「いいじゃないか。もう昔のことだ。あのあと、猫が死んでフロリア様が中庭に出て行かなくなり、それから少しして南大陸の剣士団撤収の話が持ち上がった。あとはもうそんな話をしている場合じゃなかったからな。」
 
 あのころの話はオシニスさんからもフロリア様からも聞いたが、どちらもお互いに好意を持っていた、それは間違いないと思う。でもその時にそんな話が出たとしても、どちらも断っていただろうなと思う。オシニスさんにとっては、その時初めてフロリア様を『普通の女の子』と認識したようだし、フロリア様は・・・自分が自分でないような気がしてずっと不安だったころのことだ。
 
「・・・まいったなあ・・・まさか先代の公爵閣下までそんな話に乗り気だったとは・・・。」
 
「ま、あのころのお前は暴れ馬みたいなもんだったからな。今そんな話を奴にしたところで、ろくな返事は返ってこないだろうとは言っておいたぞ。」
 
 そういえば、剣の持ち替えなど考えるなとセルーネさんがオシニスさんとライザーさんに怒っていたのは、そのころのことだったのじゃないだろうか。
 
「そう言ってくれて助かりましたよ。」
 
「しかし残念な気もするな。あの時その話が進んでいれば、お前はうちに養子に入って、私の弟ということになっていたんだがなあ。父も陰で男女などと揶揄される娘より、本物の男の子が出来ればうれしかっただろうと思うよ。」
 
「バカ言わないでくださいよ。」
 
 困ったような顔で言うオシニスさんを見て、セルーネさんは大声で笑った。
 
「セルーネ、そろそろフロリア様を訪ねたほうがいいのではないか。午後から伺いますとしか言ってなかったはずだから、待っていてくださるかもしれないぞ。」
 
「お、それもそうだな。それでは私達は失礼する。」
 
 セルーネさんは立ち上がり、扉に行きかけて振り向いた。
 
「オシニス、クロービス、2人ともいいか?過ぎたことは過ぎたことだ。今どんなに悩んだところで変えられん。お互い、これから先のことを考えようじゃないか。」
 
「そうですね。それじゃ先に進むためにも、ローランド卿、先ほどのことはよろしくお願いします。」
 
 オシニスさんが笑顔で立ち上がった。
 
「私も囚われないようにします。お気遣いありがとうございました。ステラのことは、私からもお願いします。」
 
「確かに請け負いました。ティールの奴も張り切ると思います。それでは。」
 
 
 セルーネさんとローランド卿はフロリア様を訪問するために執政館へと向かった。ステラの捜索については、ローランド卿が帰り道に『T&R』に立ち寄って、ティールさんに知らせてくれることになった。正式依頼は対面で行うのが決まりらしいが、ことは急を要する。まずは動き始めてもらおうということらしい。
 
 
「囚われるな・・・か・・・。ふふふ、なかなかに、耳の痛い言葉だな。」
 
「私もですよ。」
 
「あの悲しみを乗り越えセルーネさんだからこそ言える言葉だ。」
 
「・・・・・・・。」
 
「お前達が海鳴りの祠を出た後、しばらくはひやひやしていたよ。突然いなくなっちまうんじゃないかと。でも、セルーネさんは乗り越えた。もちろんそれはローランド卿の支えがあればこそだろうが、多分きっかけはカインなんだろうな・・・。」
 
 指輪を捨てないでくれと、泣きながら殴られるままになっていたカインの顔が浮かんだ。
 
「しかしさっきの説明で納得してくれたのかなあ・・・。」
 
「オシニスさんがどうしても正体を明かしたくない相手なんだってことだけは、わかってくれたんじゃないですか。」
 
「・・・かもな・・・。もしそうならそれでいいさ。セルーネさんもローランド卿も、どう考えたって騙せる相手じゃないからな。」
 
「ははは、そうですね。」
 
「ま、フロリア様に会って万一俺の話題を出されたりすると、何か感づかれる可能性もあるが・・・。」
 
 オシニスさんは少しの間黙っていたが・・・
 
「やめた。俺がここで頭をひねっても仕方ない。もしもばれたとしても、セルーネさん達なら心配ないだろう。」
 
「クイント書記官に感づかれないといいですけどね。」
 
「あの男の力ってのが俺はいまひとつよくわからないんだが、どの程度なんだ?」
 
「そうですね・・・。」
 
 私は先日この力を使って彼と会話した時のことを思い出しながら、こちらが彼に対して意識を向けていなければ、彼にはこちらの考えがわかるわけではないらしいと言った。だから先ほどのセディンさんの店での一件も、ローランド卿がシャロンに意識を集中していたから気づかなかったのではないかとも。
 
「うーん・・・。つまり奴に注意を向けないようにすればいいってことなのかな・・・。」
 
「だと思います。ただ、注意を向けないように気をつけるくらいで大丈夫なのかどうかと言われると、私もはっきりとわからないんですよ。この力については、おそらくレイナック殿に聞いたほうが確実ではないか思いますよ。」
 
「確かにじいさんなら、いろいろと調べていそうだな。」
 
 オシニスさんはいかにも気が進まないといった顔でつぶやいた。
 
「まあいいか。今俺達がしなければならないのは・・・これだな・・・。」
 
 オシニスさんは自分の机の上に積まれたファイルを見て、ため息をついた。私も釣られてため息をついてしまった。
 
「では始めますか。始めないと終わりませんからね。」
 
「ははは、まったくだ。なあクロービス。」
 
「はい?」
 
「この間お前に聞いた話は、サクリフィアの神殿へと向かうところまでだったよな。」
 
「そうですね。」
 
「この資料を探しながらでいいから、続きを聞かせてくれ。」
 
「構いませんよ。」
 
「お前のほうの話が一段落したら、海鳴りの祠でカインとした話の内容を教えてやるよ。」
 
「わかりました。そう言っていただけてうれしいですよ。話すだけならいつでも話せますが、オシニスさんがきちんと聞いてくれないと、私も困りますからね。」
 
「逃げても何も変わらんからな。」
 
「この間の芝居の台詞ですね。」
 
「ははは、そうだな・・・。セルーネさんの話を聞いて、俺が今まさに逃げようとしていたんだなと思ったのさ。この間の祭り見物で、思いがけずフロリア様とじっくり話が出来て、もうこれでいいんじゃないか、なんて思い始めていた・・・。何一つ解決したわけでもないのに・・・。」
 
 オシニスさんは机の上のファイルを1つ手に取り、開いた。
 
「俺はちゃんとフロリア様と向き合わなきゃならない。そのためにはまずお前の話をきちんと聞かなくちゃならないんだ。背を向けていては何一つ変わらないからな。」
 
「そうですね・・・。」
 
 オシニスさんが前向きになってくれたらしい。セルーネさん達に感謝したい気持ちだ。この機を逃す手はない。私はファイルを一冊手にとって、めくりながら頭の中を整理した。この間の続き・・・サクリフィアの村を出てから、私達は神殿に向かって船を進めていった・・・。
 

第83章へ続く

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