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 オシニスさんはずっと渋い顔で聞いている。やはり何かしら心当たりがあるらしい。その演習を見かけたというのは、もしかしたらティナが襲われた時のことかも知れない。その件については、迂闊にイノージェンに話せることではない。だがオシニスさんが黙っているのは、そのことだけではない気がする。
 
−−くそ!ライザーは薬草園の管理者じゃないか!俺はなんて間抜けなんだ・・・!−−
 
(・・・・・・・・・・・・。)
 
 危うく『え?』と声を出して尋ね返すところだった。オシニスさんの心の声なんて普段は聞こえてこない。それがこんなにはっきりと聞こえたと言うことは・・・
 
(薬草が絡んでるってことは・・・もしかしてあの薬草価格高騰の話も、みんな繋がってるって言うことか・・・。)
 
 だがその話なら、どちらかと言えば私から持ち込んだ話だったはずだが・・・。それとも、実はオシニスさんのほうではとっくに掴んでいる話だった?単に私に話せないことだから黙っていた?その可能性はある。とすれば、今の事態は私が考えているよりももっとずっと深刻だということだ・・・。
 
「あんの野郎・・・。道理でライザーに気づくのがいやに早いと思ったぜ・・・。くそっ!」
 
 今度はちゃんと耳から聞こえてきた。これなら普通に尋ね返せる。
 
「つまりそう考えられるようなことが起きていたということですか。」
 
「ああ、まあな・・・。」
 
 オシニスさんが渋い顔のまま話してくれたところによると、最初にオシニスさん達が囲まれてから、オシニスさんは頭目らしい男の声に聞き覚えがあることに気づいた。どうやら昔ライザーさんと一緒に追いかけていた盗賊の頭の一人で、蠍のガールクというなかなか立派な名前がついている盗賊らしい。昔、そんな名前を聞いた記憶があるような気がする。そのガールクが、オシニスさんの正体に気づいてからもやけに強気だった。おそらく相当の人数で囲んでいるという自信があったのだろう。そのとき突然オシニスさんの背後に誰かが立つ気配があった。ガールクはその人物に向かって自分達の獲物に手を出すなというようなことを言ったらしいのだが、人影は頭目の啖呵を意に介さず、冷静に背後の手下達を蹴散らしたことを告げた。その時ガールクが気づいたというのだ。
 
『俺は疾風まで相手にする気はねぇ!』
 
 そう叫んでガールクは『持ち前の逃げ足の速さ』であっという間に闇の中に消えた・・・。
 
「振り向いてみたらライザーは山賊の格好をしていたから、ガールクは最初同業者と間違えたんだろうと思う。それが何であんなに早くライザーだと気づいたのか、それが不思議だったんだ。明かりの近くにいたわけでもないし、覆面だってしていたってのにな。ガールクって奴はたいした洞察力もないし、妙だなと思ったが・・・実を言うと、そう思ったのはずいぶんと後だったよ。ライザーにあんなところで出会えるとは思っていなかったからな・・・。まったく迂闊な話だ。」
 
 オシニスさんは悔しそうだ。
 
「なるほど・・・。すると『なぜ』と言うことは置いといて、もしかしたらライザーさん個人が、ライラの仕事の話とは関係なく狙われていると言うことになるんでしょうか・・・。」
 
「・・・おそらくはそういうことになるんだろうが、その『なぜ』を置いといていいのか?」
 
「私達に話していいことなら、とっくに話してくれたでしょう。でもそういうわけにも行かないことだってあるじゃないですか。私も何でもかんでも聞き出したいと思っているわけではありませんよ。もちろん気にはなりますが。でもオシニスさん、私達に聞かせてくれなくていいですから、もしもオシニスさんがもう少し事情を把握しているのなら、そしてそのことで何かしら打てる手があるのなら、少しでもライザーさんの危険が少なくなるような対策を講じてくれませんか。ステラははっきりと言ったんです。『ライザーさんが狙われている』と。」
 
「・・・そうだな・・・。」
 
 オシニスさんは大きなため息を一つつき、イノージェンに向き直った。
 
「すみませんでした・・・。俺のわがままでライザーを危険な目に遭わせてしまっている・・・。とにかく、こちらも出来る限りのことをします。」
 
「いえ、ライザーが決めたことですもの。それに、必ず王宮に行くからって言ってました。だから、私は待っています。」
 
 イノージェンの覚悟を感じる・・・。きっと今回の王国行きでは、2人ともかなりの決意を秘めてここまで来たのだ・・・。
 
 
 その後、私達はいったん医師会へ行き、マレック先生、ハインツ先生とそれぞれ打ち合わせをして、それからここに戻りますと言って剣士団長室を出た。
 
「ねえウィロー、私は午後から何をすればいいかしら。さっきの子の食事の話はとりあえずあれで一段落よね。」
 
「そうなんだけど、もしかしたら本当にアドバイザーとして話を聞かせてくれ、なんて言われるんじゃないかな。マレック先生も乗り気だったしね。まずは行って話を聞いてみましょうよ。」
 
「そうね。もしも特に用事がないようなら、私はまたあのアスランという子のところに行きたいなと思って。」
 
「アスランなら午後からリハビリがあるはずだから、マレック先生の用事がなければ病室に行ってみるといいよ。そのままリハビリの見学が出来るんじゃないかな。」
 
「あらそうなの?それじゃ行ってみようかな。」
 
「ねえイノージェン、いいの?ライザーさんのこと・・・。」
 
 妻が心配そうにイノージェンの顔を覗き込んだ。イノージェンがあまりにもいつもと変わりないので、妻のほうが気を揉んでいるらしい。
 
「いいわけじゃないけど、今私がいくら心配しても何も出来ないもの。私はこの20年、ずっとライザーを信じて一緒に生きてきたんだから、大丈夫よ。あなたがそんな顔しないの。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 笑顔のイノージェンに対し、妻は考え込んでしまった。確かに私達が今出来ることは何もない。それよりも目の前の仕事を確実にこなすことを考えていくべきだ。心配なのはわかるんだけど・・・。
 
「ウィロー、心配なのは私も同じだよ。だけど、今はクリフのことを考えよう。私達が上の空でいたら、助かるものも助からないよ。」
 
「・・・そうよね、ごめんなさい。はぁ・・・少し頭を冷やさなきゃ・・・。」
 
 そう言って、妻はおでこをとんとんと叩いて頭を思い切り振った。妻が気持ちを切り替えようとする時の癖だ。
 
「マッサージは午後から一回だけ?」
 
「今日はね。これから一回ゴード先生にやってもらって、そのあとはアスランのリハビリなの。あとは夕方、クリフの状態次第では軽くマッサージしようかって言う話も出てるわ。今のところは痛み止めも今までと同じだし、体力はついてきているから、しなくていいならまた明日っていうことにしてあるの。」
 
「それじゃウィロー、アスランのリハビリが終わったら、団長室で一緒に資料探しをしようか?」
 
「え?」
 
 妻がきょとんとしている。
 
「あの紙の山を掻き分けているうちに、気持ちも切り替えられるよ。もう少し肩の力を抜こう。私達がここで頭を抱えていればライザーさんが無事に来るって言うならいくらでも抱えているけど、そういうわけじゃないんだから。」
 
 妻とイノージェンが笑い出した。
 
「そうよね・・・。それじゃイノージェン、一緒にマレック先生のところに行きましょう。それからクリフのマッサージよ。クロービス、イノージェンは私と一緒にいるから、あなたはオシニスさんのところに行っていてもいいわよ。でもアスランのリハビリまで終わってから行っても、資料探しまで出来るかどうかわからないわね・・・。」
 
「来れそうなら来てくれればいいよ。君達が来る前に見つかる可能性もなくはないしね。」
 
 その可能性は限りなく低いと思えるのだが・・・。
 
 
 私はそのまま医師会を出た。クリフの病室に行って打ち合わせをしようかとも思ったのだが、特に必要なことがあるわけではない。とにかく、いろいろありすぎたとは言えずっと延び延びになっているシャロンのことを、少しでも何とかしてやりたい。フローラはあれから、父親を助けようと1人でがんばっているのだ。大好きな姉に秘密を持たなければならないことが、フローラにとってどんなにつらいことか・・・。そんなことは、早く終わりにしてやらなければならない。
 
 
「あ、クロービス、オシニスなら今いないぞ。」
 
 採用カウンターの前を抜けて団長室へ向かおうとした時、ランドさんに呼び止められた。
 
「いない?出かけたんですか?」
 
 そんな話はしていなかったはずだが・・・。
 
「ああ、出かけたといっても、行き先は執政館だ。レイナック殿の執務室に行って来るから、お前が来たらロビーで待っていてくれるよう伝えてくれって頼まれたのさ。」
 
「そうですか・・・。」
 
 どうやらオシニスさんは行動を起こしてくれたらしい。
 
「それじゃそっちで待たせてもらいます。」
 
「なあクロービス、オシニスを待っている間、俺と話をしないか?」
 
「構いませんよ。」
 
 妙に改まった言い方だ。何か話したいことがあるらしい。ランドさんはロビーに置かれてあるポットから、コーヒーを二つ淹れて持ってきてくれた。
 
「へぇ、今はこんなものも置いてあるんですね。」
 
「ああ、以前はこの手の飲食物は食堂にしかなかったんだが、お茶やコーヒーくらいはロビーでのんびり飲みたいという声があってな。ただ、ここまでチェリルやローダさんに面倒を見てもらうわけにはいかないから、管理は持ち回りだ。さて、今日の当番のコーヒーはうまいかどうか・・・。」
 
 ランドさんがそう言ってコーヒーを一口すすった。
 
「・・・お、今日のはいい線だな。」
 
 私も一口飲んでみたが、なかなかおいしい。
 
「持ち回りとなると、味にはばらつきがありそうですね。」
 
「プロが淹れるわけじゃないからな。中にはコーヒーが苦手だって奴もいるし。ま、ここで本格的なコーヒーが飲めるってのはありがたい。文句は言えないよ。」
 
「ランドさんはコーヒー党ですか?」
 
「まあどっちかというとな。なかなかうまいコーヒーにはめぐり合えないな。」
 
「ライラのお勧めの店はどうです?」
 
「ああ、あの店ならうちの家族と何度か行ったことがあるぞ。あそこのコーヒーはうまい。あんな強面の親父が淹れているとは思えないくらいな。パティの奴は普段は紅茶しか飲まないんだが、あの店でだけはコーヒーを注文するくらいだ。」
 
「イルサもそうですよ。」
 
「ははは、やっぱりみんなそうなんだな。」
 
 ひとしきり笑った後、ランドさんは真面目な顔になり、カップを置いた。
 
「お前に話したいことっていうのはな、実はクリフのことなんだ。」
 
「・・・クリフの?何か気になることがありますか?」
 
「いや、お前や医師会の治療についてどうこうって話じゃないんだ。これからあいつが手術を受けて、もしも良くなるなら、その先のことについてさ。」
 
「先のと言うと・・・王国剣士として仕事が出来るかどうかと言うことですか・・・。」
 
「オシニスから聞いた話では、完治させることはおそらく無理だろうが、薬で症状を抑えながら普通の生活が出来るようになる可能性はゼロじゃないと言うことだったが、どうなんだ?」
 
「手術が成功すればそうなる可能性は高いですよ。ただし条件がいくつかあります。これもオシニスさんに聞いたかも知れませんが、改めて説明しておきましょう。」
 
 先日クリフの父親に話したことと同じことを、ランドさんにも話した。そして、今の技術ではどうがんばっても限界があるということまで。
 
「医療技術の限界か・・・。やっぱり問題はそこなんだよな・・・。」
 
「そうですね。今の医療技術でどこまで対応出来るかが鍵になると思うんです。以前の手術にしても、ハインツ先生の腕に問題があったとは思えません。もちろん私だって全力を尽くしますが、病巣が必ずしもよく見えて取りやすい場所に現れるとは限りませんからね・・・。」
 
「なるほどな・・・。手術についてはお前や医師会を信じるしかないんだが、手術が成功したら、今度はこっちがあいつの今後のことを考えてやらなきゃならないんだ。そこで相談なんだが、薬を飲みながら普通の生活が出来るようになった場合、俺がやっているような事務仕事をするのは問題ないのか?」
 
「椅子に座って出来る仕事なら何の問題もないと思いますよ。ただ、健康な人とまったく同じように生活出来るかどうかは何とも言えません。ある程度休養が取りやすい環境が必要になるかも知れませんし、ならないかも知れない。」
 
「うーん・・・そうなると訓練とかは無理かなあ。」
 
「訓練て・・・もしかしてこの先もクリフに王国剣士としての仕事をさせたいと考えてるんですか?」
 
「考えているのは、採用担当官さ。」
 
「・・・つまり、ランドさんの後継者ですか・・・。」
 
「そういうことだ。俺の場合、普段はここで事務仕事をしたり、手が空けば訓練場で体を動かすか、採用試験の会場で1人で訓練することが多い。ま、他の剣士達のように旅から旅の生活はしなくていいし、モンスターや盗賊と戦う訳じゃないから、自分の身を守るために必死で訓練しなければならないってこともない。だがその分、腕を磨きつつ人を見る目も養わなきゃならないという、これでなかなか骨の折れる仕事なんだ。そのくらいの仕事が出来るようなら、俺の後継として考えてもいいかなあと思ったんだが・・・。」
 
「無理と言い切ることは出来ませんが、大丈夫だとも請け合えない、今はそんな答えしか返せないですね・・・。でもどうなんです?クリフという剣士はその『人を見る目』はあるんですか?」
 
「あいつはなかなかの奴だぞ。嘘に惑わされることもないしな。あいつの親父さんは長男に自分の仕事を継がせようと、商売をしていく上で大事な『人を見る目』についていろいろと教え込んだらしいよ。だから奴の目については信頼出来る。実を言うと奴が入団してきた時、いずれは2次試験官としてスカウトするか、なんて話をオシニスとしていたことがあったんだ。ま、今2次試験官をやってる奴はまだ若いから、今すぐ後継者が必要なわけではないがな。それにクリフの病気がわかってからは、もう奴が王国剣士として復帰することは出来ないとあきらめていたし・・・。」
 
「この先薬を手放すことが出来る可能性はきわめて少ないと考えていた方がいいと思います。だから旅から旅の王国剣士の生活に戻るのは無理だと思いますよ。でも採用担当官なら、今の話を聞く限り可能性はゼロではありません。でもそれも術後の経過次第です。それにランドさんのように、1人で全ての仕事をまわすのは難しいかもしれませんね。」
 
「そうだな・・・。俺は慣れてるから今まで何とかなっていたが、後継者を決めるなら2人以上にしようって話もしているよ。今俺の後継者が決まったとしても、いずれまた代替わりはしていかなくちゃならない。この先、相方がいなくなった奴や俺みたいに余っちまったのばかり採用担当に据えるってわけには行かないからな。」
 
「なるほど・・・。2人で同じ仕事をするなら、交代で休憩も取りやすくなるでしょうし、それならもう少し可能性は上がるかもしれませんね。」
 
 
 
「おーいランド。どこだ?」
 
 オシニスさんの声が聞こえた。
 
「ああ、ロビーにいるぞ。」
 
 
「ここにいたのか・・・。クロービス、随分待ってたのか?」
 
 やってきたオシニスさんを取り巻く『気』は、先ほどより少しやわらかくなった。おそらくは、だが、レイナック殿と話をして、ライザーさんのことについて何かしらの手を打ってきたということだろう。
 
「いえ、それほどでもないですよ。それに、おいしいコーヒーをいただいてましたからね。」
 
「へえ、今日の当番の淹れたコーヒーはどうだ?」
 
「ああ、悪くはないなあって今話してたところさ。」
 
「それじゃ俺も飲んでみるか。」
 
 オシニスさんはポットが置かれているテーブルで、カップにコーヒーを注いで戻ってきた。
 
「ほお、確かにこれはなかなかだな。今日の当番は誰だ?」
 
「リースだ。今日と明日は非番だからな。」
 
「非番の剣士の仕事なんですね。」
 
「外に出る奴が当番になっちまったら、朝しか淹れられないからな。責任を持って一日面倒をみるように、コーヒー当番は非番の奴なんだ。ま、それほど大変な仕事じゃないからな。」
 
「いろいろと変わってますね。でもこう言うのはいいことですね。」
 
「そうだなあ。ところでランド、クロービスと話していたのはクリフの件か。」
 
「ああそうだ。今いろいろ聞いていたところさ。結局のところ、手術が終わってみるまでわからないという話になっちまったがな。」
 
「それは仕方ないさ。俺達に出来ることは、クリフの手術が成功するように祈ることだけだ。」
 
 
 
 その後オシニスさんと2人で剣士団長室へと戻ってきた。クリフの今後については、まずは一番いい状態になった場合、そこまでは行かないが何とか仕事が出来そうな場合を想定した計画をランドさんが作ることになった。もちろん本人の気持ち次第だ。今のところはこちらの『腹づもり』として考えておくということらしい。
 
「うは、これはまた・・・。」
 
 オシニスさんの机の上に置かれている資料の山は、さっきライラが言っていたように今朝見たのとは違ってかなり乱雑に置かれている。エミーはある程度日付順に積み上げてくれたようだが、その苦労はきれいに流れてしまったらしい。
 
「ライラから聞きましたよ。この資料の山が崩れたそうですね。」
 
「そうなんだよなあ・・・。ほんのちょっとぶつかっただけなのに、どどーっと崩れてこのありさまだ。だが、とにかく始めないことには終わらん。」
 
「そうですねぇ・・・。端から順に見ていくしかなさそうですね。」
 
 大変なことを頼んでしまったものだと、今さらながら申し訳ない気持ちで一杯になった。あとでちゃんとお礼をしなければならない。
 
「それしかないだろうな。でもそれを始める前に、少し話をしないか。昨日ティールさんのところでこの間の調査結果をもらって来たんだ。全部ってわけにはいかないが説明するよ。お前が気にしていることについても、多少わかったことがあったからな。」
 
「それは助かります。」
 
 さっきの話を聞いてみようかと思ったがやめた。私が聞いていい話なら、オシニスさんはこの部屋に入ってすぐに話してくれたはずだし、私はさっき『聞かせてくれなくていいから』と言ったのだから、あとはもうオシニスさんを信じよう。
 
「まずは例の薬屋の取引先だが・・・結論から言うと、どの卸商も実在するし、ごく普通の仲買人ばかりだ。だが、この間デイランド先生の話に出てきた、品物が足りないと言われてあっさり引き下がったという仲買人が何人か含まれている。まあ何かしら裏があると思っていていいだろう。で、お前が気にしていた、その薬屋の女房だが・・・。」
 
 オシニスさんは書類を見ながらうーんと唸って首をかしげた。
 
「どうしたんですか?」
 
「・・・あの薬屋の家ってのは住宅地区なんだ。で、近所の人達にそれとなく聞いてみたそうだが、誰もその女房を見たことがないって言うんだよ。」
 
「・・・見たことがない?一度もですか?」
 
「ああそうだ。あの薬屋はどうも最近引っ越してきたらしいんだが、女房がいるなんて話は聞いたことがないと言われたらしいぞ。」
 
「それも妙な話ですねぇ・・・。」
 
「体が弱いんだから、確かに普段外に出ないというのはわかる。だが、いるかいないか程度の話は、話す機会があれば話題に上ると思うんだが、誰もそういう話をしたことがないと言っているそうだ。調査員ももちろん見てないそうだから、確認のしようがないんだよなあ。」
 
「別な場所に住んでいると言うことは考えられませんか。」
 
「もちろんその可能性はある。だが、それを調べようと思ったら、あの薬屋が引っ越してくる前の家から捜索していくしかない。ま、今回は調査の初期段階だからな。あんまりしつこくは聞けないと言うことで、あとは少し張り込んで確認すると言う話だったよ。どうしてもわからなければ、行政局に話を通して引越しの届出書から辿っていくしかないだろうな。」
 
「そんなことをしたら本人に調べているのがばれませんか。」
 
「その辺はうまくやるさ。それで金を取っているんだから、信用をなくすようなへまはせんだろう。」
 
 もし本当に奥さんがいないとしたら、あの時の奥さんの話が全て嘘だったということになる。クリフの父親と同じように、私もあの薬屋には良くない感情を持たなかったのだが、それも全ては計算ずくのことだったとは思いたくないと言うのが本音だ。とは言え、まだわからない。一緒にこの町にきたとは限らないのだから。
 
 
「もう少し過ぎればまた詳しい調査結果がわかるだろうから、そしたらまた教えてやるよ。問題はこっちの、仲買人だなあ。」
 
 手元の資料をめくって、オシニスさんがため息をついた。
 
「それもおかしな話ですね。丸損しても気にも留めないなんて。」
 
「おかしな話だが、その話については理由はある程度推測がつく。損しても平気だと言うことは、別なところで儲けられるからだろうなと。」
 
「なるほど・・・。」
 
「この手の話はよくあることだ。自分のいうことを聞けば今は損してもいずれすごく儲かるように取り計らってやるとか、そんな甘い言葉に乗せられて悪行に手を染めるのさ。」
 
「でもその場合、その話を持ちかける誰かが『うまく取り計らえる』ほどの力を持っていなければならないのではありませんか。」
 
「もちろん、それだけの力はある奴だろうな。」
 
「その誰かに心当たりがあると言うことですね。」
 
「まあそういうことになる。だが証拠がない。その仲買人を締め上げようにも締め上げられるだけの何かがなければ連行することも出来ん。いつもそこで詰まっちまう。そもそも仲買人達がそこまでして言うことを聞く理由が何なのか、それがどうしてもわからないんだ。」
 
「仲買人達は今損をしているわけですよね。」
 
「まあそうだな。」
 
「ということは、誰かしらが儲けているってことですよね。」
 
「そうだな。それはおそらくその黒幕だろう。」
 
「その黒幕がそこまでして儲けようとする理由は何なんでしょう。」
 
「理由か・・・。それがわかればなあ・・・。そっち側から手を回せるんだが。」
 
(証拠か・・・。)
 
 確かに、その黒幕が『あのお方』なら、証拠もなしに追求することは出来ない。
 
「なあクロービス。」
 
「はい?」
 
「古い話だが、お前とウィローと、乙夜の塔で会った時に俺と何を話したか、憶えてるか?」
 
「・・・忘れるわけがありませんよ。」
 
 オシニスさんのほうからこんな話が出るとは思わなかった。うまくいけば、今日のうちにこの間の続きを話すことが出来るかもしれない。慎重に答えなければ。
 
「あの時・・・お前達は隠し通路から入ったと言ったな。」
 
「そうです。ローランの南にある原生林の入り口に、その隠し通路の入口があったんですよ。私達がここを出る前に封鎖したと聞きましたけどね。」
 
「やっぱりそこか・・・。」
 
「やっぱり?」
 
「その入口って言うのは、元をたどれば密偵達の秘密の出入り口だったんだ。でも何でお前はそんなところに入口があると知っていたんだ?」
 
「夢で見たんですよ。」
 
「夢?」
 
「そう、夢です・・・。」
 
 あれは・・・遠い日に見た夢だった。あたりをはばかるようにして原生林へと向かった父。木々や草でうまく隠されたその通路の先には、ケルナー卿が待っていた・・・。
 
「・・・そこが取引場所になったというわけか・・・。」
 
 オシニスさんは明らかに『まずいことを聞いた』という顔をしている。
 
「どんな意味があるにせよ、夢は夢です。あの時点でその通路がどうなっているのかはわかりませんでした。でも私達はフロリア様に会わなければならなかったんです。王宮の玄関から入れないのなら、とにかくその場所に行ってみようとウィローと話し合って、あの入口にたどり着きました。当時は洞窟の入口みたいな感じでしたよ。でも、そこに何かあると思っていかなければ、素通りしてしまうくらい完璧に隠されていたと思います。密偵達の出入り口だったなら、それもうなずけますね。」
 
「使っていたのは密偵だけじゃなかったようだがな。」
 
「どういうことです?」
 
「俺とライザーがあの辺りを見回っていた頃、盗賊を追いかけて原生林まで追い詰めたことはよくあったんだ。ところが、あの辺りで必ず見失っちまうのさ。俺達だってまさかあんなところに入口があるとは思ってなかったから、まったくわからなかった。今考えると、あの出入り口を通って、そいつらは逃げていたんだろうな。」
 
「・・・そんなことがあったんですか・・・。」
 
「と言う話が、ライザーからの手紙にあって、実は俺もそれを読んで思い出したんだがな。」
 
「ライザーさんの?」
 
「あのころ、盗賊どもは原生林の中を拠点にしていたのかと思っていたんだ。だがあそこも大人数で歩き回ったり出来ない場所だ。ローランの東の森ほど立ち入りが制限されているわけではないが、出来るだけ入るなと言われていたしな。だからさすがに奥まで進むのがためらわれて、原生林の中までは入ったことがなかったんだ。」
 
「でも密偵が使う通路なら、おそらく意図的に隠されて常に整備されていたわけでしょう。当然王国剣士には絶対見つからないように、いろいろと策を弄していたのじゃないんですか。おそらく入るなというのも、そういう理由からでしょうね。大臣達だってあまり詮索してほしくはなかったでしょうから。」
 
「そうなんだよな・・・。そしてそれが、盗賊どもの暗躍を許していたわけだ。なんだか情けないなあ。いいように振り回されて。」
 
「確かに腹の立つ話ですが、でもなんで・・・」
 
 
「おいオシニス、いるか。」
 
 扉がノックされて、話が途中で途切れた。この声はセルーネさんだ。
 
「ん?何でセルーネさんが。」
 
「あ、そうだ。さっきのスサーナのことで話を聞きたいということでしたので、ここにいますと言っていたんですよ。すっかり忘れてました。」
 
「なるほどな。」
 
 オシニスさんは立ち上がり、扉を開けた。
 
「クロービスも来てるのか?」
 
「来てますよ。どうぞ。」
 
 中に入ってきたのは、セルーネさんとローランド卿だった。
 
「クロービス殿、先ほどはうちの姪を助けてくれたとのこと、ありがとうございました。」
 
「助けたのは私ではありませんよ。」
 
「・・・ステラだったそうだな・・・。」
 
 セルーネさんの表情は複雑だ。
 
「そうです。スサーナはどうしてますか。」
 
「今寄ってきたんだが、姉夫婦とシェリンと一緒に話をしていたよ。後はもう無茶なことはしないだろう。」
 
「それは何よりですね。」
 
「セルーネさん、ローランド卿、その辺の椅子に座ってください。」
 
 オシニスさんが言いながらお茶を淹れはじめた。
 
「練習の成果ですか?」
 
「まあな。この間じいさんに教えてもらったことを試したいから、実験台になってもらうぞ。セルーネさん、ローランド卿、今日はここに来たのが不運と思って俺の淹れたお茶を飲んでもらいますよ。」
 
 セルーネさん達が笑い出した。
 
「不運かどうかは飲んでみてから決めるさ。それより、お前がお茶を淹れているところを見ることになろうとは思わなかったぞ。」
 
「俺も自分でお茶を淹れることになるとは思っていませんでしたよ。」
 
 オシニスさんの淹れたお茶は、前に飲んだ時より味としてはおいしくなっていた。でも前回飲んだのは、私が父のことで打ちひしがれていた時のことだ。そんな私を元気付けようとオシニスさんはお茶を淹れてくれた。あの時のお茶の味は、私にとっては特別のものだ。単純に比較してどっちがどうのと言うことは出来ない。
 
 
「ほぉ、なかなかうまいじゃないか。」
 
「うむ、団長殿がここまでおいしく淹れられるとは、私も少し練習したほうがいいかもしれないな。」
 
 ローランド卿が真顔で言ったので、みんな笑い出してしまった。
 
「ローランド、あんまり外でそんなことを言わないでくれ。また私があなたを尻に敷いているなどと言われてしまうじゃないか。」
 
「ははは、言いたい奴には言わせておけばいいと思うが。第一、その手の噂というものは、否定すればするほど広がっていくものだ。」
 
「女房が強いほうが家庭は円満だって、私はよく言われてますよ。」
 
「それはよく聞く話だな。まあ確かにウィローは強いかもな。」
 
 オシニスさんがそう言って笑い出した。
 
「ふん、女ってのはもともと強い生き物なんだ。それを男が勝手にか弱いと思い込んでいるだけさ。」
 
 セルーネさんは口をへの字に曲げて見せてからお茶をぐいっと飲み干し、小さくため息をついた。スサーナのこと以外にも何か心配事がありそうな、そんな気がした。スサーナのことだけなら、おそらくセルーネさんは1人でここに来たんじゃないだろうか。それがローランド卿も一緒だと言うことは・・・。
 
「それじゃクロービス、ステラの話をもう一度聞かせてくれ。さっきの話はあれで全部なのか?」
 
 オシニスさんが言った。
 
「あれで全部ですよ。イノージェンには特に隠すこともないですし。というより、おそらくイノージェンのほうが私より事情を知っているでしょう。」
 
「クロービス、そのイノージェンというのは誰だ?」
 
 セルーネさんが不思議そうに尋ねた。
 
「ライザーさんの奥さんです。」
 
「・・・ライザーの?それじゃライザーはここに来てるのか?」
 
「来たのはカミさんだけですよ。本人はどこにいるものやら・・・。」
 
 オシニスさんのため息。セルーネさんも釣られたようにため息をついた。
 
「そうか・・・。ま、ライザーのことはひとまず置いといて、さっきのステラの話を聞かせてくれないか。さっき私が聞いたのは、ステラがスサーナを助けてくれて、言い争いをしているところにお前が出くわしたということだけだったからな。」
 
 私は先ほどスサーナとステラに出会ったときのことについて、思い出しながら会話も全部話した。ステラのことを『古い知り合い』などという言い方をしたのは、誰が聞いているかわからないあの場所で、ステラの話をあまりしたくなかったのだということも付け加えた。少なくともステラ本人は、あの場所であんな大声で喧嘩したくはなかっただろう。おそらくは出来るだけ人目を引きたくなかったに違いない。でも、ステラはスサーナを助けてくれた。今どんな組織にいるにせよ、ステラが私達の元に戻ってきてくれる可能性はまだあるんじゃないだろうか。
 
「うーん・・・。」
 
 私の話を聞き終えたセルーネさんは、椅子にもたれ、天井を仰ぐようにして唸っている。
 
「どうしたセルーネ。」
 
 ローランド卿が不思議そうに顔を覗き込んで尋ねた。
 
「・・・いや、今のクロービスの話を聞いたら、聞きたいことがありすぎて、今頭の中で整理しているんだ。そうだなあ・・・。」
 
 少し間をおいて
 
「よし、やっぱりまずはスサーナのことだ。それからステラとライザーの話、うん、それで行こう。」
 
 どうやら順番が決まったらしい。
 
「オシニス、お前にも迷惑をかけてるな。」
 
 セルーネさんがオシニスさんに視線を移した。
 
「俺のことについては気にしないでください。無事でよかったです・・・。」
 
「そうだな・・・。なあオシニス、立ち入ったことを聞いていいか?」
 
 少し遠慮がちなセルーネさんの声の響き。何を聞きたいのかは想像がつく。
 
「どうぞ。俺に答えられることなら。」
 
 ここは黙っていたほうがよさそうだ。何か聞かれたら『答えられる範囲』で答えればいい。
 
「スサーナが見かけたお前の知り合いって言うのは、本当にただの知り合いなのか?」
 
「うーん・・・どこまでが『ただの知り合い』でどこからが『ただの知り合いじゃない』のかわかりませんが、古くからの知り合いであることは確かです。」
 
 確かに、それ自体は嘘ではない。
 
「妙な言い方だな・・・。まあ私もお前の交友関係を根掘り葉掘り聞きたいわけじゃないんだが、芝居見物の帰りにスサーナがお前とその知り合いを見かけた時、とてもただの知り合いとは思えないほど仲良く見えたと言っていたからなあ・・・。」
 
「今朝クロービスがレンディール伯爵に話を聞かれたそうですけど、スサーナが俺達を見かけたのが、どうやら人混みで俺達とクロービス達がはぐれていた時のことだったようなんですよ。」
 
「ああ、それは義兄から聞いた。義兄達も芝居小屋を出た途端ものすごい人混みで、しばらく動けなかったそうだ。おそらくその時だろう。」
 
「で、その知り合いと俺も人混みではぐれて、お互い必死で探していたんですよ。そりゃ見つけたらひっぱり寄せて肩を掴むくらいのことはすると思いませんか。」
 
(肩を掴むってことは、抱き寄せていたんだろうなあ・・・)
 
 なるほど、どうやらスサーナは一番まずい時にオシニスさん達を見かけてしまったらしい。もちろんあの人混みの中で連れとはぐれないようにするためには、それしか方法はなかったと思う。だが、そこまで冷静に考えられるくらいならこんな騒ぎにはならなかった。巡り合わせが悪かったとしか言いようがない出来事だったんだと思う。
 
「なるほどな・・・。つまりスサーナが見たのは、ちょうどそういう時のお前達だったのじゃないかと、そういうことか。」
 
「そういうことだと思いますよ。こっちもあの人混みの中に連れ出して、見つからないから帰るってわけにも行きませんでしたからね。必死で探したし、見つかればもうはぐれないようにしなくちゃならない、それにクロービス達とも合流しなくちゃならないしで大変でしたよ。何しろ思った通りの方向に進んでいけないわけですから。距離を置いて歩くなんていう器用なことは、あの人混みの中では出来なかったでしょうね。」
 
「スサーナが見に行った芝居小屋のあたりは、祭りの小屋をかける場所としては一等地だからな・・・。しかもほとんどの小屋の入れ替え時間が同じような時間帯だから、ものすごい人があふれ出すんだよなあ・・・。」
 
 その人混みを思い出したのか、セルーネさんはうんざりしたようにため息をついた。
 
「そんなわけですから、スサーナがどこにいたのかもまったく気づきませんでしたよ。どうやらうちのクロムとフィリスも俺達を見かけたらしいんですけどね。こっちは必死でしたから、あたりを見回す余裕すらありませんでした。まあ移動中にばっちり目が合った知り合いもいましたから、多少からかわれるくらいのことは覚悟していましたよ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 セルーネさんは少しの間黙っていたが・・・
 
「わかった。妙なことを聞いてすまなかったな。」
 
 もしかしたら、オシニスさんがうまく話をはぐらかしていることに気づいたのかもしれない。でも何も言わなかった。つまり、それほど知られたくない相手だということには気づいてくれたんじゃないだろうか。それが誰なのかまでは分からないにしても・・・。
 
(でも・・・気づかれるかもしれないな・・・。)
 
 元々セルーネさんの洞察力は半端ではない。今では公爵家の当主として領地運営をしている。おそらくその洞察力は、何倍にも磨かれていることだろう。
 

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