小説TOPへ 第71章〜第80章のページへ ←前ページへ

 
 
 
「お、来たな。オシニスならさっき戻ってきたぞ。・・・そちらの方は・・・もしかしてライラとイルサのお袋さんか?」
 
 顔を見ただけですぐにわかったようだ。もっともイノージェンはイルサとそっくりだから、すぐにわかるのかも知れない。
 
「そうです。イノージェン、この人は採用担当官の・・・」
 
「ランドさんですね。ライザーから聞いてます。モンスターに傷をつけるのが苦手だって言ってるけど、立合をするとすごいんだよって。」
 
「くそ・・・ライザーの奴何を言ってるんだまったく・・・。」
 
 イノージェンが笑い出した。
 
「もう少ししたら顔を出すから、顔を合わせるなり殴りかかったりしないでくれって言っておいてって頼まれたんです。イノージェンと申します。よろしくお願いします。」
 
「ランドです。こちらこそよろしくお願いします。しかし残念だ。先手を打たれてしまっては、ライザーの奴が現れた時にぶん殴れなくなっちまった。」
 
「ふふふ、その分文句はいくらでも聞くそうですから。」
 
「なるほど、それじゃ耳掃除でもして覚悟しておけと言っておいてください。」
 
「わかりました。」
 
 初めて会ったとは思えないほど、ランドさんとイノージェンの挨拶は和やかだった。イノージェンはあまり人見知りはしない。そのあたりの性格を受け継いでいるのは、どちらかというとイルサの方かも知れない。
 
 
 剣士団長室についた。ノックすると声がして、扉を開けてくれたのは何とライラだった。
 
「あ、先生、どう・・・母さん!」
 
「ライラ、久しぶり!」
 
 さっきロビーで私に会った時と同じようにイノージェンは声をかけたが、次の瞬間、驚いているライラをぎゅーっと抱きしめた。
 
「ごめんね・・・。あなたがつらい時そばにいて上げられなくて・・・。」
 
 イノージェンはそのまま泣き出し、ライラも涙をにじませて、母親の肩に手を回した。奥から出てきたオシニスさんはすっかり驚いた顔をしていたが、私が事情を説明すると、黙ってうなずき、2人が落ち着くまで待っていてくれた。
 
 
「・・・すみません・・・。ご挨拶もしないで・・・。」
 
 イノージェンはかしこまってオシニスさんに頭を下げた。
 
「いえ、いいんですよ。長いこと会ってなかった息子さんに会ったんですからね。」
 
 オシニスさんの口調は実に丁寧だ。多分、王国剣士達の家族と会う時はいつもそんなもんなんだろう。
 
「はい・・・。まさかここで会えるとは思っていなかったものですから・・・。ライラごめんね、いきなり顔を出したりして。」
 
「何言ってんだか。父さんと母さんがどこにいるかわからなくてこっちは心配してたってのに・・・。」
 
 ライラは照れ隠しのようにそっぽを向いて口をへの字に曲げている。この間まで両親のことを心配してとても不安げだったが、会ってみれば母親は実に元気だった。少し拍子抜けしたような気持ちで、愚痴を言っているのかも知れない。
 
「はいはい、愚痴は後からいくらでも聞くわよ。でもまずは剣士団長さんにご挨拶しなきゃね。」
 
 イノージェンはそう言って立ち上がり、名前を名乗って頭を下げた。
 
「オシニスです。城下町に出てこられるのは初めてだとクロービスから聞いてますよ。うるさくて驚かれたでしょう?」
 
「最初はびっくりしました。ローランから馬車で来た時、城下町の外でもすごい賑やかで。」
 
 イノージェンが笑った。
 
「ああ、あのあたりは普段は静かなんですよ。今はバザールや芝居小屋が出てますから、とんでもないことになってますけどね。」
 
「ライザーも言ってました。『このあたりは静かなはずなんだけど、すごいなあ』って。でも、町の中はもっとすごくて、またびっくりです。今は慣れましたけどね。町の中の道も覚えたし、今はもう1人でどこへでも行けます。」
 
「でも1人でうろうろするのは良くないよ。」
 
 ライラは心配そうだ。確かに、イノージェンはこの町に出てきて早々、トゥラに財布をすられるところだった。もちろんライラはそんなことは知らないが。ライザーさんがトゥラの手を掴まなければ、気づきもしなかっただろう。そう考えると、一人歩きはしてほしくないなあと私でも思う。
 
「大丈夫よ。あ、そうそう、忘れるところだったわ。団長さん、はいこれ。ライザーからの手紙を預かってきたんです。」
 
「手紙・・・?」
 
 オシニスさんが動揺しているのがわかる。この20年、オシニスさんからの手紙はいつも一方通行だった。きっとこれは、初めての返事・・・。
 
「ええ、たまには返事を書かないと会うなり文句を言われそうだから、渡しておいてくれって。」
 
「くそ・・・あいつめ、こっちがしてやろうと思っていることを先回りして封じるつもりだな。」
 
「オシニスさん、イノージェンはさっきランドさんにも似たような話をしてましたから、ライザーさんがいろいろと先手を打っているようですよ。」
 
「なるほど、それじゃあいつの裏をかけるよう、会うまでに色々考えておくか。」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「それと、こっちはクロービスね。」
 
「私にも?」
 
「そうよ。島では毎日顔を合わせているけど、カナまで行くんだったらどうやら戻れるのはずいぶんと先になりそうじゃない?それにライザーがここに来るのも少し遅くなりそうだから、まずは手紙を渡しておいてって。」
 
「わかった。読んでおくよ。」
 
「何で父さんだけ来ないの?」
 
 ライラを取り巻く『気』がゆらりと揺らめいた。ライラはまだ不安に思っているのだ。父親が自分を許してくれていないのではないかという・・・。
 
「父さんは用事があるの。本当は一緒に来るはずだったんだけど、母さんのほうの用事をあまり先延ばしに出来ないから、母さんだけ先に来たのよ。」
 
「母さんの用事?」
 
「そうよ。・・・あなた達にはきちんと話したことがなかったわね・・・。」
 
 そう言って少し目を伏せて、イノージェンはオシニスさんに向き直った。
 
「団長さん、これは私の全くの個人的なことなので、本当は今日、クロービス達に話をしてからここに伺おうかと思ったんですけど・・・。」
 
「・・・ガーランド家の話ですね。」
 
「ご存じなんですね・・・。」
 
「リーザから話は聞いてます。クロービスとウィローも、昨日リーザ本人から話を聞きましたから、だいたいのことはわかっていると思いますよ。」
 
「母さん、何の話?ガーランド家ってリーザさんの家だけど・・・?」
 
 ライラが尋ねた。部屋の中に流れる空気が重くなったことに、気づいているらしい。
 
「そうよ。あなたももう20歳だし、ここに居合わせたのも、これ以上隠しておいてはいけないって言う神様のお考えかも知れないわ。」
 
「イルサは?自分のいないところで大事な話なんてされたら、あいつのことだからすごいふくれっ面になるよ。」
 
「ライラ、イルサは今日どこに出掛けてるんだ?」
 
 オシニスさんが尋ねた。
 
「今日は図書室にいると思います。王宮の図書室にある蔵書を見て回りたいって言ってたから。」
 
「呼んできたいなら待っててもいいぞ。」
 
「でも団長さん、お仕事があるんじゃないんですか?」
 
 イノージェンが心配そうに尋ねた。
 
「いいんですよ。今ライラと打ち合わせをしていたところだったんです。ライラ、お前の話は後でもいいな?」
 
「はい。イルサを呼んできます。」
 
「すみません。私達の家のことでお仕事の邪魔をして・・・。」
 
「そんなことはありません。リーザとはもう長いつきあいだし、ずいぶんと悩んでいるようだったので心配していたんです。ただ、俺はリーザの話しか聞いたことがなかったんで、反対側の立場にいる方の話も聞けるのはありがたいですよ。」
 
「ライザーも心配しているんです。ライザーはリーザさんという方のこともよく知っているから、私のことで悩んでいるんじゃないかって。」
 
「イノージェン、君はガーランド家のことを知ってたの?」
 
「聞いたのは私達が結婚した後よ。私はそれまで、母さん宛に届く手紙を見たことはなかったし、正直言うと、会ったこともない父親のことなんて、気にしても仕方ないと思ってたから。だって、私にとって父親みたいな人って言えば、サミル先生だったんだもの。」
 
「父さんは島の子供達の面倒をよくみてたからなあ。」
 
 医師という仕事柄もあるのだろうが、父は本当に島の子供達のことを気にかけていたし、好かれてもいた。ライザーさんや私、そしてグレイもラスティも、イノージェンの母さんを母親のように慕って育ったが、彼らにとって父親のような存在は、私の父だったのかもしれない。
 
「私とライザーが結婚した時、母さんはもう長くないからって、私達に今まで届いた手紙を全部出してきて見せてくれたわ。」
 
 その時扉がノックされて、ライラが顔を出した。そして・・・
 
「母さん!今までどこにいたのよ!」
 
 怒鳴り声と共に飛び込んできたイルサはイノージェンにしがみついて泣き出した。
 
「心配したんだからね!」
 
「ごめんね。なかなか顔を出せなくて。」
 
 イノージェンはイルサの肩を抱いて、なだめるように撫でている。
 
「もう会えないかと思ったんだから!」
 
 
「・・・す、すみません。ご挨拶もしないで・・・。」
 
 やっと落ち着いたイルサが、涙を拭きながらオシニスさんに頭を下げた。
 
「いや、いいよ。やっぱり親子だなと思ったけどな。」
 
 オシニスさんは笑いをこらえている。私と妻も必死でこらえていた。さっき同じようなやりとりを聞いたばかりだ。
 
「それじゃ改めて、お話を聞かせてください。イルサ、ライラ、2人ともその辺の椅子を持ってきていいから座ってくれ。」
 
 イルサとライラが緊張した面持ちで椅子に座った。妻がオシニスさんの部屋に備え付けのポットで、全員分のお茶を淹れてくれた。
 
「はい。それじゃ子供達にも聞かせたいので、最初からお話しします。ライラ、イルサ、あなた達のおばあちゃんが正式に結婚していなかったことは、前に話したわよね?」
 
「聞いたわ・・・。好きな人と結ばれることはなかったけど、母さんがお腹にいたから、せめて子供は産みたいってサンドラおばさんと一緒に島に来たんだって・・・。」
 
 イルサが答えた。
 
「そうね・・・。あなた達のおばあちゃんはね、以前は城下町で働いていたわ。そこの雇い主の息子さんと愛し合ったのだけど・・・その息子さんのご両親はどうしてもおばあちゃんとのことを認めてくださらなかったの。息子さんには良家のお嬢さんとの縁談が進行していて、結局2人は結婚することが出来なかった。でもその時にはもう母さんがお腹にいたから、せめて子供だけでも産みたいってお願いしたそうよ。それでその相手の方のご両親がサンドラさんをおばあちゃんに付き添わせて、島へと渡ったの。」
 
「そ、それじゃ・・・その息子さんて言うのが・・・。」
 
 ライラが言いかけて言葉を飲み込んだ。
 
「そうよ。その相手の息子さんが、現在のガーランド男爵様よ。フロリア様の護衛剣士をされている、リーザさんという方のお父様ね。」
 
「リーザさんて・・・何度かお会いしたことがあるわ。きれいな人よね。」
 
 イルサが呆然とした面持ちで言った。イノージェンは娘に向かって微笑み、今度はオシニスさんに向き直った。
 
「母は島に渡って私を産んでから、とうとう一度も島の外に出ないまま亡くなりました。それが、子供を産むための条件だったからです。」
 
「・・・ガーランド家としても、表沙汰にはしたくなかったんでしょうね。」
 
「そうなんだと思います。でもそれはいいんです。母も言ってました。どんなつらいことでも、あなたを産むなと言われること以外なら耐えてみせる、そう心に決めて島へと渡ったのだと。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「元の恋人から最初の手紙が届いたのは、島に渡ってから一月ほど過ぎてからのことだったそうです。中にはお金が入っていて、子供が生まれたら必ず教えてくれと。母は迷ったそうですが、私が無事産まれた時、そのことだけは知らせたそうです。たとえ子供を抱いてもらうことは出来なくても、父親であることは確かなのだからと。でも・・・」
 
 イノージェンがため息をついた。
 
「その知らせを送ってから、毎月手紙が届くようになったそうです。島に一緒に来てくれたサンドラさんは、知らせなきゃよかったのにと呆れていたみたいですけど・・・」
 
「それじゃ毎月お金も送られてきていたんですか?」
 
 オシニスさんの問いにイノージェンがうなずいた。
 
「母達が島に渡ってから、生活についてはサンドラさんと一緒に島の女性達のお産の手伝いをすると言うことで、食べていくのに困るようなことはなかったそうです。私達の島は、その当時は世捨て人の島と呼ばれて、王国でつらい思いをした人達や犯罪を犯した人達が流れてくる場所でした。島の長老は元々その島に住んでいる一族の出身でしたから、自分の故郷が北の果てにあると言うだけでそんな呼ばれ方をされ、存在さえも忌み嫌われていることに心を痛めていました。だから、せめて島に来た人達には、生活していくために出来ることがあればと、いろいろと心を砕いていたんです。母とサンドラさんが島に渡った時、サンドラさんが助産婦だと聞いて、それならって。」
 
「オシニスさん、私の父も言っていましたよ。サンドラさんとイノージェンの母さんがいてくれるおかげで、すごく助かってるって。」
 
「なるほどな。お産は女の仕事とは言え、産んだ後に体を壊したりする場合もあるから、医者にも関係のあることってわけか。それでイノージェンさん、その後、ガーランド男爵からはずっと連絡が来ていると言うことなんですか?」
 
「ええ。母は送られてきたお金を、必要ないからと送り返して、手紙はこれきりにしてくれるようお願いしたそうなんですけど、翌月は2倍のお金を送ってきて、そんなことが何度かあったそうなんです。それでもう、きりがないから、母はその後送られてくるお金を、ずっと取っておくことにしたそうです。」
 
「・・・使わずにですか?」
 
 オシニスさんの問いに、イノージェンが『はい』と小さく答えた。
 
「男爵様としては、結婚出来なかった罪滅ぼしのつもりだったのか、それとも母がお金はいらないというのを遠慮していると思ったのか、それはわかりません。でも、本当に暮らしていくのに困ることはなかったんです。だから母は、いつかきちんと返すことが出来るようにって、お金はまとめてしまっておきました。私達の島には、泥棒だってきませんから。」
 
「あんな寒い場所にわざわざ来るほど、すごいものがあるわけではないからね。人口だってそんなにいないし。」
 
「そうよね。外を歩けばみんな顔見知りみたいなものだもん。私達の島には王国剣士さんもいなかったし。初めて王国剣士さんの制服を見たのは、ずーーっと昔、クロービスがあの当時の剣士団長さんと一緒に帰ってきた時よ。」
 
 あの時は島の人達がみんな自分の家に籠もってしまっていた中、グレイとラスティとイノージェンが会いに来てくれた。すごくうれしかったっけ・・・。
 
「離島についてはほとんどが貴族の所領ですからね。なかなか詰所を作ったり常駐剣士を置いたりってことが出来ないんですよ。北の島の場合だと、やっぱり元犯罪者が住んでいたりする関係で、今まで常駐剣士を置けなかったんですが、そろそろ考えなきゃならないんじゃないかって話は、何度か出てるんですよ。」
 
「常駐剣士ですか・・・。どうかなあ。今の村長には特に困るような素性はないんですけど、赦されたとは言え、未だに王国に出て行きたがらない人もいますからね。」
 
 私の住む集落に限って言うなら、問題になりそうなのはダンさんとドリスさんか・・・。デュナンさんも何か犯罪を犯したらしいが、彼はもう何年も前に亡くなっている。その他、川向こうと東の集落も合わせると、どのくらい『元犯罪者』がいるかなんてわからない。もっとも知りたいとも思わないのだが・・・。
 
「問題はそこなんだよ。詳しい話を聞きたいから、1度その村長に手紙を書いてみようかって話も出てるんだが、それもはっきり決まらないし、まあもうしばらくかかるだろうな。」
 
「まあ今のところ、泥棒が出たって話は聞きませんけどね。イノージェン、それじゃ君が今回ここまで来たのは、ガーランド家にお金を返したいってこと?」
 
「それもあるけど、男爵様がご病気で私に会いたがっているって聞いたから。もしも長くないのなら、そのくらいの頼みは聞くべきじゃないかなって、そう思ったのよ。」
 
「それで祭りに来ることになったとか?」
 
 イノージェンは微笑んで『違うわよ』と言った。
 
「最初に言いだしたのはライザーのほうよ。あれは・・・ガーランド家からと、団長さんの手紙が届いた日の翌日のことだったわ。『イノージェン、エルバール王国のお祭りがあるんだけど行かないか』って。」
 
「私がその話を聞くどのくらい前だったの?」
 
「そうねぇ・・・。あなたにその話をしたのは、確かカインに頼んでライザーを訪ねてくれるようにって頼んだ後よね。」
 
「そうだよ。それで君の家に行ったんじゃないか。」
 
「うーん・・・あの時より一週間くらい前よ。」
 
「へえ、けっこう前だったんだね。」
 
「そうよ。何と言っても初めて島を出るんだもの。いろいろとね、話し合うことがあったわけ。」
 
 微妙に含みのある言い方だが、それを最初から説明しないと言うことは、子供達に聞かせたくないことなのかも知れない。イノージェンは笑顔のまま、オシニスさんに向き直った。
 
「それで、私としてはもし本当に男爵様が長くないと言うことなら、お会いしたいと思ってます。ただ、もしも良くなる可能性がまだあるのなら、へたに顔を合わせてしまったら気力がなくなってしまうかも知れないし・・・何より、他のお子さん達は私の顔なんて見たくもないんじゃないかと思うんです。それで・・・本当ならライザーも一緒に来て、団長さんからリーザさんに話をしていただくようお願いすることにしてたんですけど、ライザーのほうの用事がなかなか終わらなくて。」
 
「父さんの用事って、それ何なの?」
 
 ライラが怒ったような口調で尋ねた。
 
「父さんは父さんで、色々用事があるのよ。父さんは10歳の時からずっとこっちにいたんだから、知り合いはとても多いの。」
 
「だってこっちに来てずいぶんになるじゃないか。そんなにかかるほどのこと?」
 
 ライラはまだ納得していない。
 
「あら、せっかく城下町まで来たんだもの。まずはお祭り見物じゃない?父さんの用事が全部済むまでなんて待っていられないわよ。母さんはもうすごく楽しみにしてきたんだから。」
 
「はぁ・・・なるほどね。わかったよ。」
 
 うまくはぐらかされたことに気づいたかも知れないが、ライラはそれ以上母親を問いつめようとはしなかった。
 
「なるほど、そういうことですか・・・。わかりました。俺からリーザに話をしてみます。」
 
「本当に申し訳ありません。お忙しいのに。」
 
「そんなことはないですよ。リーザからも相談されていましたしね。今日聞けるかどうかはわかりませんが、遅くとも明日には聞いておきますよ。宿はどちらなんですか?」
 
「宿は・・・その・・・決めてないんです。昨日まで泊まっていたところは今日出てしまったので。」
 
「・・・・・・・。」
 
 確か『金のたまご亭』だったはずだ。そこを引き払ったと言うことは・・・。オシニスさんは笑顔を崩さず、うなずいた。
 
「それじゃライラ達と同じ、東翼の宿泊所に泊まれるようにしましょう。ライラ、お前から管理人に話してくれ。お前の家族なら、問題なく泊まれるはずだ。まあただってわけにはいかないがな。かなり安く泊まれるぞ。」
 
「わかりました。それじゃ母さん、案内するから行こう。」
 
「後から行くわ。先に行ってて。」
 
「先にって・・・どこにあるのかわからないじゃないか。」
 
「クロービス達に案内してもらうわよ。やっと会えたんだもの。少しくらい話をさせてよ。大丈夫、あなた達の愚痴は、今日の夜いくらでも聞くから。」
 
「しょうがないなあ・・・。先生、母さんのこと頼んじゃっていい?」
 
「いいよ。先生も君の母さんとは久しぶりに会えたんだから、もう少し話をしたいからね。」
 
「わかったよ。イルサ、行こう。」
 
「はぁい、母さん、今日の夜は覚悟してよね。」
 
 イルサは口をへの字に曲げてイノージェンを睨んだ。
 
「はいはい、わかったわよ。」
 
 イルサとライラが剣士団長室を出て、足音が遠ざかるまで、イノージェンは2人の出ていった扉を見つめていた。
 
「・・・座りませんか?もう少しお話があるんでしょう?」
 
 オシニスさんの言葉にイノージェンが振り向き、微笑んだ。
 
「はい、お気遣いありがとうございます。クロービス、ウィローも座って。もう少し話したいことがあるの。」
 
 私達は椅子に座った。
 
「さっきの、ガーランド男爵様の手紙のことなんですけど・・・そんなに頻繁に手紙が届くのには、わけがあったんです。」
 
 イノージェンは少し思案するようにうつむいていたが、小さく深呼吸して顔を上げた。
 
「先代の男爵様は、母の出産のためにサンドラさんという助産婦をつけてくれたのですが・・・実は、サンドラさんに依頼した最初の内容は・・・母を、始末出来ないかと・・・。」
 
「始末って・・・殺せってこと・・・よね・・・。」
 
 妻が呆然とした顔で独り言のように言った。
 
「そうよ・・・。サンドラさんはね、その当時すでに普通の助産婦ではなかったの。主に貴族の依頼を受けて、望まれずに生まれた子供を闇から闇に売り捌く・・・『人買い助産婦』と呼ばれていたそうよ。」
 
「やはりそうでしたか・・・。」
 
「団長さんはご存じなんですね・・・。」
 
「団長になった時にこの部屋の記録の整理をしたんですが、その時に見つけたんです。当時裏の世界ではなかなか有名だったようですよ。人買いと言う言葉と助産婦と言う言葉の組み合わせがどうにも奇妙な感じがして、憶えていたんです。記録にはずっと前に行方不明になっているとしか書いてなかったですが、さっき話を聞いているうちに、貴族が自分の息子と恋仲になった使用人の出産に、わざわざ助産婦を付き添わせるってのがどうにもピンと来なかったんですよ。そんな話は出来るだけ外部に漏らしたくないのが普通ですからね。それじゃ付き添わせたその助産婦が何者だったのか、そう考えた時に、その記録を思い出したんです。」
 
「そうでしたか・・・。私もそのことで直接サンドラさんと話をしたことがあったんですけど・・・。」
 
「え、直接聞いたの?」
 
「そうよ。その時にはもう母さんは亡くなったあとだったけど、私はずっとサンドラおばさんと一緒に仕事をしていこうって決めてたんだもの。気になることを隠したままでは一緒にやっていくことは出来ないわ。しかもそれは自分のことなんだから。」
 
 イノージェンは今でも少女のように無邪気で、見た目は儚げにさえ見えることがあるのに、芯はとても強い。やっぱりあの母さんの娘だよなあと思う。
 
「サンドラおばさんはね、何も隠すことはないから何でも聞いておくれって言ってくれたの。そして私の質問にこう答えたわ。『人に言えないようなことも色々やったけど、人殺しだけはしたことがないんだ。アサシンがほしいなら他を当たっておくれって怒鳴ってやったよ』って。でもね、そのまま自分が手を引けば、おそらくその使用人はいずれ殺されてしまうかもしれない、だから噂に聞いた『世捨て人の島』の話をして、そこに連れて行けばいいと言ったんですって。」
 
「なるほど。それで言い出しっぺが連れて行くことになったと。先代の男爵の腹づもりとしては、そのサンドラさんも島に閉じ込めるつもりだったんでしょうね。」
 
「ええ。そう言ってました。『島に送り届けただけでは、あの男爵のことだから刺客を送り込むくらいのことはしかねないと思ったんだよ。だからしばらくは島にいたけど、ほとぼりが冷めたらこっそり城下町に戻るつもりが、すっかりあんたの母さんに感化されちまったよ』って、笑ってました。」
 
「ははは、なかなか肚の据わった女のようですね。」
 
「助産婦さんのほうが、案外医者より肚が据わってるかもしれませんよ。私もウィローのお産の時は随分とおたおたしていましたが、サンドラさんもイノージェンもまったく動じていませんでしたからね。」
 
「はっはっは。お産の現場じゃ男は役立たずだからな。」
 
「オシニスさん、サンドラさんがもしも今城下町にいたとして、何か罪に問われたりするんですか?」
 
「うーん・・・その人買い云々については当時も今も取り締まる法律がないが・・・そうだな、その赤ん坊の斡旋の時におそらく届出書とかの書類を偽造しているだろうから、罪になるとすればその辺かな。まあ、赤ん坊の斡旋と言うことは、もしかしたら跡取りがいなくて消えるはずだった貴族の家が不正に存続していると言う可能性もあるわけだから、調べれば色々出てきそうだが・・・ま、何にせよそれほど重い罪になることはないだろうな。」
 
「それなら良かったわ・・・。サンドラさんが悪いことをする人だなんて思えないもの。」
 
 妻がホッとしたように言った。
 
「ただし、それは今聞いた話での判断だ。裏の世界で名を知られるには、それなりの『実績』があるはずだ。それが必ずしも子供の斡旋だけとは限らないと思うがな。」
 
「記録には何か残っていたりするんですか?」
 
「いや、当時色々と調べていたという記録はあるんだが、決定的に『この女の仕業だ』と言い切れる証拠が見つからなかったそうだから、なかなかたいしたもんだよな。・・・俺が褒めても仕方ないんだが。」
 
 オシニスさんが肩をすくめた。
 
「でも島ではみんなに慕われてますよ。」
 
「たとえば稀代の大悪党が改心して神父になり、貧しい子供達に施しをしたところで、罪を償ったとは言えない。それが法治国家というものだ。今慕われているから罪を許すなんてことがあったのでは、国としての基盤すら揺らぎかねないんだ。ただし、その女に限らず、北の島にいる『元犯罪者』については20年前の恩赦でみんな罪を許されている。今さら誰かが騒ぎ立てたところでしょっ引かれる心配はないさ。」
 
「そうか・・・。確かにそうなんですね・・・。」
 
 温情は必要だとは思うが、それによって罪の重さが全て決まったのでは法律に意味が無くなってしまう。
 
「イノージェンさん、確かに今の話は子供達に聞かせたくないですね。それで、ガーランド男爵はあなたとお母さんの命が危険にさらされていないか、それが気になって手紙を書いていたということなんですね。」
 
「はい・・・。お金を送る口実にもなったんじゃないかと思いますけど・・・。」
 
「わかりました。聞かせていただいて良かったです。リーザはそこまでは知らないようだったし、男爵だって自分の親がそんなとんでもないことをしようとしていたなんて、自分の子供達に教えたくはないでしょうからね。ご心配なく。リーザには今の話を聞かせたりしませんよ。まずはあなたが会いたいと言ってると言うことだけ伝えましょう。」
 
「ありがとうございます・・・。はぁ・・・よかった。やっぱりライザーが言ったとおりの方だわ。」
 
「ライザーの奴、なんて言っていたんですか?どうも最近、いないところで何を言われてるかわからなくて。」
 
 イノージェンが笑い出した。
 
「相談すれば必ず力になってくれるから、話してみるといいよって。・・・話を聴いてくださって、ありがとうございます。私、本当は団長さんに謝らなきゃならないのに。」
 
「俺に・・・?何でまた?」
 
 オシニスさんはきょとんとしてイノージェンを見た。
 
「・・・ライザーが島に帰ってきてから・・・ずっとライザーを独り占めしてしまって、すみませんでした。」
 
 イノージェンが立ち上がって頭を下げた。
 
「・・・ははは、そのことか・・・。いいんですよ。あいつは必ず島に帰るって言っていた。それが遅いか早いかだけの違いだったんですから。座ってください。そんなことは気にしなくていいんですよ。」
 
「・・・私、ライザーから聞いたんです。どうしてライザーが島に帰ってきたのか。仲間を裏切って、もう2度と戻ることは出来ないから、ここで生きていくって・・・。ずっとそばにいると言ってくれたのに、それがとてもうれしかったのに、私、心のどこかでいつも不安に思っていたんです。この人はいつか島からいなくなってしまうんじゃないかって・・・。」
 
『ライザーは・・・行ってしまうのかしら』
 
 ふと、昔イノージェンが呟いた言葉を思い出した。あれは私達が城下町を出て、島に戻った時のことだった。オシニスさんから託された手紙を受け取ったライザーさんは、手紙を読むために1人岬へと向かった。その背中を見つめていたイノージェンの不安げな瞳と怯えたような小さな声は、今でも記憶に残っている。あれからずっと、イノージェンは不安を抱えたまま生きてきたのか・・・。
 
「だから今回お祭りに行こうって言われた時、ああ、とうとうその日が来たんだって、覚悟したんです。ライザーはずっとそばにいてくれて、子供にも恵まれて幸せな日々を過ごしたのだから、もうそろそろ、城下町でずっと待っているはずの人に、ライザーを返さなきゃならないって・・・。」
 
「い、いや・・・俺は・・・。」
 
 オシニスさんが動揺している。思いがけない話に、どう答えていいのかわからない、戸惑いと不安がオシニスさんを取り巻いている。
 
「お祭りに行くって言う話が出てから、私は一緒に行くべきなのか、行かないほうがいいのか悩んで、思い切ってライザーにその話をしたんです。それから毎日、話し合いをしました。2人ともどこへも出かけず、家に籠もってずっと・・・。」
 
「・・・それであの時一週間も顔を出さなかったのか・・・。」
 
「そうよ。それでやっと話し合いが終わって、心置きなくお祭りに行けるねって確認し合って、ちょうどその時にカインがうちに来たから、あなたに顔を出してくれるように頼んだのよ。お祭りに行くよって言う話をしようと思って。」
 
 そういうことだったのか。いつもなら毎日か一日おきくらいには栽培の状況を知らせてくれたりするので、特に遊びに行くと言うことがない時でもライザーさんとはいつも顔を合わせていた。だがあの頃はほとんど顔を見せず、不思議に思っていたものだ。まさかそんなことになっていたとは・・・。
 
「でも、団長さんに会いに来る決心がついたのは多分、クロービス、あなたと岬で話をしてきてからね。」
 
「・・・・・・・。」
 
「あの時までは、お祭りを見て、子供達の職場見学をして、なんて話ばかりしてたわ。でもあの日、帰ってきてから『向こうに着いたら、あちこち訪ねてみようと思ってるよ』って。だから団長さん、ライザーは必ず来ます。待っていてあげてください。」
 
「わかりました。ありがとうございます。」
 
 オシニスさんが頭を下げた。
 
 
 剣士団長室を出て、私達はイノージェンを東翼の宿泊所に送ってきた。管理人の男性が笑顔で出てきて、ライラの部屋に案内してくれた。イルサもそこにいるらしい。
 
「それじゃ、母さんを確かに送り届けたよ。」
 
「先生、ごめんね、わがまま言って。」
 
 ライラが『まったく母さんは・・・』と言いたそうな顔で私に頭を下げた。
 
「ははは、いいじゃないか。色々話が出来て楽しかったよ。それじゃ先生達は宿に戻るから、母さんに存分に愚痴を聞いてもらうといいよ。」
 
「そのつもりよ。もうずっと待ってたんだから。」
 
 イルサはさっき剣士団長室を出ていく時と同じ、ふくれっ面をしている。
 
「ライラ、イルサ、母さんを守れるね?」
 
 ライラとイルサがハッとして顔を上げた。
 
「守るよ。絶対。」
 
「私達でちゃんと守るわ。そして父さんが来たら文句を言ってやるんだから。」
 
「頼もしいわねぇ。ふふふ、でも、母さんもあなた達に守られっぱなしと言うわけにはいかないから、ちゃんと自分で気をつけるわ。」
 
「ここは警備も手厚いから、特に危険なことはないと思うけど。それよりイノージェン、明日も少し私達の手助けをしてくれるとうれしいんだけど、だめかなあ。」
 
 妻が尋ねた。
 
「そうねぇ。あんな話でいいなら、私はいつでもお手伝いするわよ。でも明日は出来れば、イルサを助けてくれたアスランという剣士さんに会いに行きたいわ。」
 
「それじゃ明日私も行く。あんまり朝早くても迷惑だから、お昼より少し前のほうがいいかもしれないわ。」
 
 イルサが言った。
 
「そうね。詳しいことはまた明日決めましょう。イノージェンそれじゃ明日の朝、寄ってみるわ。当てにしてるわよ。」
 
「あら大変、色々考えておかなきゃ。それじゃ今日は色々ありがとう。また明日ね。」
 
「うん、また明日。」
 
 扉が閉まる間際に『母さん、手伝いって何の話?』というライラの声が聞こえて来た。
 
 
「そう言えば、ライラ達に何も話してなかったわ。」
 
「イノージェンが説明してくれるよ。」
 
「そうね。・・・でもどう言うことなのかしら。宿を引き払ったって・・・。」
 
「なんだか気になるね。」
 
「そうよね・・・。今まではイノージェンが宿に1人でいたわけだろうし、それが出来なくなったってことは、しばらく戻れないようなところに、ライザーさんが行くってことか・・・。」
 
「宿にいられなくなったか、そのあたりだろうな。」
 
「何かあったのかしら。イノージェンは何も言わなかったけど・・・。」
 
 考えたくはないが、ライザーさん達にとって、あまり歓迎したくない何かが起きたということだろうか。
 
「宿に戻ったら、まずは手紙を読んでみようよ。もしかしたら何か書いてあるかも知れないよ。」
 
「そうね・・・。」
 
 私達が今ここであれこれ考えてみても始まらない。昨日オシニスさんと話したように、ライザーさんが無事な姿を見せてくれるのを待つしかないかもしれないが・・・。
 

第81章へ続く

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