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「あの日・・・この部屋のベッドで目覚めた時、目の前にはオシニスがいました。なぜ彼がここにいるのか、それを考えようとした途端、頭がひどく痛み出して・・・そしてわたくしの頭の中には恐ろしい記憶があふれ出したのです・・・。」
 
 そのときのことを思い出したのか、フロリア様は顔を覆った。
 
「今思い出してさえ、ぞっとするほどの記憶です・・・。あの時、訳がわからず恐怖に震えるわたくしを、オシニスはしっかりと抱きしめてくれて・・・こう言いました。『フロリア様の心の中に、もうひとり、別な奴の心がいたんです。その恐ろしい記憶はみんなそいつがやったことです!だから、フロリア様は何も悪くないんです!』って・・・。いきなりそんなことを言われて、よけいにわけがわからなくなりました。でもオシニスはわたくしを落ち着かせてくれて、そして、わたくしの身に何が起きていたのか、とても丁寧に説明してくれました。途中何度も考え込んでは『すみません。俺もクロービス達に聞いたばかりで、ちゃんと説明出来なくて』って謝りながら・・・。」
 
「・・・申し訳ありません。私かウィローがそこにいればよかったんですが・・・。」
 
 あの時、フロリア様の中の『別人』の心がもう一度フロリア様自身の心と一つになるために、フロリア様は気を失った。目覚めるまで妻にそばにいてもらおうかと考えていたのだが、その時にオシニスさんが突然扉を開けて部屋に入ってきたのだ。抜き身の剣を携え、髪や顔には返り血がついたままのその姿を見て、王宮内の戦闘がどれほど熾烈であったか、すぐに理解出来た。そしてそのままの姿でここに来た理由も・・・。
 
 
『フロリア様は?』
 
『今眠っています』
 
『そうか・・・。ではそこをどいて、お前達は出て行け』
 
 鬼気迫るその姿とは裏腹に、オシニスさんの発する『気』からはどうしようもないくらい悲しみが溢れ出していた。
 
『オシニスさん、頼まれてくれませんか。』
 
 
 そのオシニスさんに、私はフロリア様のそばについていてくれと頼んだ。今までフロリア様の身に起きていたことを説明し、フロリア様は『元に戻る』かも知れないから、目が覚めたらとにかく落ち着かせて事情を説明してくれと。そして妻と私は来た道を戻っていった。私達をフロリア様の元に行かせるために、盾となってくれたユノの元へ・・・。
 
「あの時のことを考えれば、仕方のないことです。そのことで自分を責めないでくださいね。」
 
「でも、フロリア様のお命を危険にさらすことになってしまいました。」
 
 あの時オシニスさんにここにいてくれと頼んだのは、いわば賭けだった。気を失ったフロリア様が目覚めた時『元に戻って』いれば、オシニスさんが剣を振るう理由はなくなる。でもその頼みをオシニスさんが聞いてくれるかどうかは分からない。私達が部屋を出た後、すぐにフロリア様に刃を向ける可能性だってなかったわけじゃない。そう考えると、イチかバチかの無謀な賭けだったかも知れない。
 
「でも結果的には危険ではありませんでした。それどころかオシニスはわたくしをとても気遣ってくれました。あの時オシニスがいてくれてよかったと思っています。彼の話を聞いて、自分が今までどういう状態にあったのか、それだけは理解することが出来ました。それもやっとだけれど・・・。」
 
 フロリア様は一息ついてお茶を飲み、また言葉を続けた。
 
「頭の中に突然溢れた恐ろしい記憶は、わたくしにとってまったく『見知らぬ記憶』だったけれど、それで今までのいろんなことに説明が付きました。わたくしが記憶障害だと思いこんでいたものは、すべてわたくしの中に存在したもう1人の心である『彼女』に寄るものだったのだと・・・。だけど・・・それではわたくしは、今ここで怯えているわたくしはいったい誰なのか、あの日目覚めた瞬間まで、わたくしは自分がフロリアという名前で、エルバール王国の王の嫡子として生まれ、両親が亡くなって6歳で国王として即位したと、そう信じて生きてきたのに、それすらも実は全くの別人がそう思いこんでいるだけではないのかと・・・。でもみんながわたくしの顔を見て、無事に元に戻ってよかったと笑顔を向けてくれると、今さら自分は誰なのかなんて、誰にも聞けなかった。だからあなたと話をしたかったの。あなたなら、もしかしたらもっと詳しいことを知っているのではないかと思って・・・。」
 
 20年前、もしかしたら私はとんでもない間違いを犯したのではなかったか。ある日突然『実はあなたは人格障害だった』なんて言われたところで、誰だって理解も納得も出来るはずがない。とはいえ残虐な人格に支配され消える寸前だったフロリア様の心と意思の疎通を図ることは出来なかったのだから、せめてそのあと、いつものフロリア様に戻ってから、もう少しきちんと説明するべきではなかったのか。私達はフロリア様が元に戻ったと単純に喜んでいたが、フロリア様にとってはそこからが苦しみの始まりだったなんて、考えてもみなかった・・・。
 
「でも言い出せなくているうちに、あなたとわたくしの結婚の話が出てしまって・・・。」
 
 フロリア様は大きくため息をついた。
 
「おかげであなたと話す機会は出来たけれど、今度は聞くのが恐ろしくて・・・もしも今話しているのが自分じゃなかったらどうしよう、フロリアだと思い込んでいるだけで実はぜんぜん違う他の誰かなんじゃないだろうかと、考えが悪いほうにばかり行ってしまって、どうでもいいようなことばかり聞いて・・・。早く縁談を断らなければならない、早くきちんと話をしなければと気は焦るのに何も聞けないでいるうちに、レイナックまで私の気持ちを誤解して、あなたとの縁談を進めようとして・・・。」
 
 フロリア様はもう一度ため息をつき、妻に向き直った。
 
「ウィロー、わたくしがぐずぐずと縁談を断らずにいたせいでつらい思いをさせてしまって、ごめんなさいね。」
 
「そんな・・・。私のほうこそ、フロリア様がそんなに苦しまれているなんて考えもせずに・・・・。」
 
「いいのよウィロー。あなたにとってクロービスは大事な人ですもの。不安になるのは当たり前です。わたくしにもっと勇気があれば、あんなことにならずにすんだのですから。クロービス、ウィロー、改めてあなた達に謝罪させてください。わたくしがはっきりとした態度をとらなかったために、2人ともずいぶんと心ないことを言われたでしょう。それにウィローは誘拐までされてしまって・・・。カルディナ卿の子息がローランドでなかったら、取り返しのつかないことになっていたかもしれません。本当に、ごめんなさい。」
 
 フロリア様が立ち上がり、私達に向かって深く頭を下げたので、私達も慌てて立ち上がった。あの時のことは、今思い出しても不愉快なのは確かだが、妻は無事だったし、私達は晴れて結婚出来た。もうこれで終わりにしよう。
 
「確かにあの時はとてもつらかったけど・・・でももう過ぎたことです。こうしてあの時何が起きていたのかを聞かせていただければそれでいいんです。これからはそのことをお気に病まれないでください。」
 
 妻が涙を拭った。
 
「ありがとうウィロー・・・。」
 
 フロリア様はうつむいて涙を拭った。
 
「だけど、もしも誰かにそのころの話を話したいと思われたなら、いつでも声をかけてくださいね。過ぎたことだから、終わってしまったことだからと言っても、誰だってそんなに簡単に割り切れないと思います。そんな時は、いつでも話し相手になります。つらかったことも、悲しかったことも、そして楽しかったことも、たくさん話しましょう・・・。」
 
「楽しかったこと・・・そうね、楽しかったこともあったわね・・・。」
 
「ええ、楽しかった事だってたくさんあったはずです。どんなことでも、いつでもお声をかけてくださいね。」
 
「ありがとう、ウィロー。わたくしも、これで一つは肩の荷が下りたわ。あなた達2人に、直接謝ることが出来て・・・。」
 
「フロリア様、ではあれからずっとそのことで悩まれて・・・。」
 
 そんなこととは知らず、私は自分のことにばかり囚われていた。
 
「そうですね・・・。それでもあの当時はまだよかったのです。1人で悩んでいられる時間なんてないくらい忙しかったから。傾いてしまったエルバール王国の屋台骨を、何とか立て直さなければならない、そのためにまずどれだけお金が残っていたかを調べて、次に物資の調達、そしてそれまでに起きた出来事について国民に説明するために、事実関係を調査しなければならなかった。でも、どんな状態かもわからないハース鉱山や、あるのかどうかも疑わしいようなサクリフィアやムーンシェイなんて、本来の管轄である行政局では誰も行きたがらなくて、ほとんどオシニスが指揮を執って剣士団が遠征してくれたのです。あの時の彼らの献身がなかったら、こんなに早く国を立て直すことが出来ていたかどうかわかりません。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
「でも・・・時が過ぎて、国全体が少しずつ落ち着きを取り戻してくると、また不安になってきました。それに何より、あなた達に誤解されたままではつらかったから・・・何とか誤解を解きたくて、それで事ある毎に連絡をしたりして何とかもう一度城下町に出てきてくれないかと思っていたけれど、あなたが医学博士の称号を断った時に、わたくしがあなた達に取り返しの付かない不信感を植えつけてしまったのだと、あらためて思って・・・そのあとは、もうあきらめました。もしかしたら、時が経てばまた新たな解決策が見つかるかもしれない、それまで待とうと・・・。」
 
 私は・・・そんなことを何も知らずに・・・。後悔ばかりが胸を刺す。
 
「そんな顔しないで。今日のことがあって、わたくしもだいぶ気持ちが楽になったところなのです。さあ、お茶をどうぞ。」
 
 私達2人の顔を交互に見て、フロリア様は笑顔でお茶をカップに注いでくれた。無理している様子もない。
 
「でも、待とうと決めたその時から、また胸の奥が痛みだして・・・そしてまた怖くなったのです。『この痛みはいったい誰のものなんだろう』って・・・。」
 
「では・・・今でもまだ不安でおられるということですか・・・?」
 
「そうですね・・・。正確に言うなら、さっきの祭り見物の時まで、かしらね・・・。」
 
「え?それじゃ『わかったこと』というのは・・・。」
 
 フロリア様がうなずいた。
 
「この間クロービスと話をした時『わかったことがあった』と思わず言ってしまったのだけれど、それをそのまま口に出してしまっていいものか、考えてしまったの。半端な話を聞かせては誤解を招く元だし、きちんとすべて話せるところまでわかったわけではなかったから・・・。だから今日もどうしようかと思っていたのだけど、お茶会の前に祭り見物が出来てよかったわ。おかげであなた達にちゃんとすべて話すことが出来る・・・。でなければまた昔のように、どうでもいい話でごまかしながら、どうしようどうしようと一人で悩んでいたかもしれません。」
 
 フロリア様はもう一度お茶を飲むと、気を落ち着かせるように深呼吸を何度かした。そしてとても穏やかな笑顔で微笑んだ。
 
「クロービスが医学博士の称号授与を断ったとき、わたくしはもうあなた達に会える機会はないかもしれないと思いました。そのとき感じた胸の痛みが、いったい誰のものなのかと恐ろしくなったのは・・・その痛みの正体が、あなた達に謝罪する機会を失ったことに対する悲しみなのか、それとも・・・クロービス、あなたに会えないことに対する悲しみなのか、自分で判断がつかなかったからなのです。」
 
 妻を取り巻く『気』がゆらりと揺らめいた。
 
「シオンは・・・わたくしの負の感情だけを持って生まれてきた心です。その中に誰かを愛するとか、思いやると言ったやさしさは何一つなかったのです。でも・・・イシュトラに絶望的な戦いを挑むあなたに、カインと殺し合うことになっても、それでも前に進もうとするあなたの強さに、そして・・・その心の中に広がる限りない優しさを感じて・・・今まで憎しみや恨みしかなかったシオンの心に、初めて、誰かを想う人間らしい感情が宿ったのです・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「それでもシオンはあなたを排除しようとしました。そしてわたくしの心の支えだったカインも共に葬り去る方法として考え出したのが・・・カインを唆し、あなたと戦わせるという・・・。」
 
 フロリア様が耐えきれないように顔を覆った。指の間から嗚咽がもれる。本当なら駆け寄って『もういいから、もう話さなくていいから』と言いたかった。でもそれを言ってはいけないのだ。あの頃のことを全て聞いて受け止めることが出来るのは今はまだ私達だけなのだから、ここで話を遮ってしまったら、フロリア様はまた忌まわしい記憶に引きずられたままになる。
 
「でも結果として・・・カインは命を落とし、あなた達はその悲しみを乗り越えてとうとうこの大地に平和をもたらしてくれました。シオンはあなたへの想いを抱いたまま、わたくしの心と融合し・・・わたくしの中には、あなたの面影と、わたくしが死に追いやってしまったカインの面影が残ったのです・・・。」
 
「ずっと・・・苦しんでいらっしゃったのですね・・・。私はそんなこと何も知らずに・・・。」
 
 妻が泣きながら言った。
 
「自分が誰なのかさえ分からない、クロービスのこともカインのことも、果たしてそれが自分の感情なのか、それとも実はまったく知らない誰かがフロリアだと思いこんでいるのかと、ただ不安な日々が続きました。それでも、くじけそうになる心を何とか保っていられたのは・・・オシニスのおかげです。」
 
「オシニスさんの・・・。」
 
「ええ。わたくしがここで目覚めた時、『俺がそばにいます。ずっとそばにいますから!』そう言って、わたくしが落ち着くまでずっと抱きしめてくれて・・・色々と説明してくれて、その後もずいぶんと助けてくれました。剣士団の遠征のみならず、物資の調達のために町の中に何度も足を運び、誠実な商売をしている雑貨屋や武器屋を見つけ出して出入り業者として推薦してはどうかと進言してくれたり、剣士団の再結成が決まってからも戻ってこない剣士達の説得のために方々に出掛けてくれて・・・。気がつくと、わたくしは何かあるたびにオシニスを頼るようになっていたのです。でも、その一方でいつも考えていました。オシニスは、わたくしの以前の『顔』を知っています。彼がどういう気持ちでわたくしに仕えていてくれるのか、それが気になって・・・。」
 
「もしかして縁談を断られた理由の中にそのこともあったのですか?」
 
 フロリア様がうなずいた。
 
「縁談を断った理由については、この間あなたに話したとおりの理由です。わたくしが彼を信じ切れずにいる以上、彼がわたくしを心から信頼してくれることはないだろうと・・・。それにわたくしの中にはずっとカインとあなたの面影が残っていて、そんな状態で誰かと結婚なんて出来ないと思っていましたから。」
 
 フロリア様はそこで1度言葉を切り、お茶を飲んで微笑んだ。
 
「クロービス、この間あなたと話をしたとき、わたくしはカインのことで泣いてしまいました。彼のために涙を流す資格などないわたくしのことを、カインが最後まで心配していたと聞いて・・・。その時、あなたはそばにいてくれたわ。それはとてもうれしかった・・・でもあの時、あなたの腕の暖かさを感じた時、突然わかったの。この腕の中は、わたくしがいるべき場所ではないと。そして、わたくしの中に残っていたあなたへの想いは、わたくし自身のものではなかったのだということも、はっきりとわかりました。」
 
 『わかったこと』というのはそういうことだったのか・・・。
 
「では・・・お祭りの時に分かったことというのは・・・あ、あの、お聞きしてもいいでしょうか・・・。」
 
 妻が遠慮がちに尋ねた。妻はフロリア様が私に心を寄せていたわけではないと知ってホッとしている。それは私も同じだ。
 
「もちろん、説明します。今日、あなた達とはぐれた時ね、東側の人通りの少ないところに抜けてから、人の波が落ち着くまでと思って話をしていたのです。いろんなことを話しました。その時ね、オシニスが肩を抱いてくれて、『もっと早くこんな話をすれば良かった』と言ってくれたの。その時気づいたわ。わたくしの、他の誰でもないわたくし自身の心がどこにあるのかを。」
 
「フロリア様・・・。」
 
 フロリア様の表情にも声にも迷いは感じられない。
 
「自分が誰なのか、あの時はっきりと分かったの。そうしたらいろんなことが見えてきた気がしたのです。そして・・・ずっと心の中にいたカインのことも、それもまたわたくしの想いなんだと言うことが分かりました。他の誰でもない、わたくしはあの頃カインに恋してた。でも、わたくしは彼を死に追いやってしまった・・・。そのことを忘れてはいけないと思うし、忘れようとしても忘れることは出来ないと思います。でも、今自分の心がどこにあるかということだけは、大事にしたいと思っています。」
 
 カインが聞いたらきっと喜んだろう。やはりあの頃、フロリア様の心はカインにあったのだ。でもその心は、もう1人のフロリア様であるシオンによって利用されてしまった。その罠にはまったカインは私に剣を向けた。本気で殺し合うつもりで・・・。
 
 
 今更言っても詮無いことだとわかってはいても、もしもカインが生きていたらと思わずにいられない。あの時・・・私にもう少し力があったなら。カインを圧倒出来るだけの剣の腕があったならと・・・。
 
 でも私には力がなかった。カインと戦って、せいぜい互角がいいところだ。それでもカインの動きを封じるためには、カインに、『動けなくなるほどの傷を負わせる』以外になかった。とにかくカインの動きを封じて、怪我は呪文で治せばいいと・・・あの時の私は、簡単に考えていたのではなかったか。今思い出してみても、あの時の自分が何を考えていたのか、よく思い出すことが出来ない。ただ目の前にいる『敵』を無力化する、それしか考えていなかったような気がする。そして私の剣はカインの喉を切り裂いた。吹き出した血を頭から浴びて、そのとき私は見た。カインは一瞬驚いたように目を見開き、次の瞬間微笑んだのだ・・・。
 
 カインは・・・あの時幸せだったのだろうか・・・。本当に・・・死ぬことが幸せだったのだろうか・・・。
 
「フロリア様、それではオシニスさんにそのことを・・・。」
 
 妻が尋ねた。フロリア様は笑顔になって、『そのつもりです』と言った。
 
「ただし、今ではありません。クロービス、あなたはオシニスに昔の話をどこまで話したのですか?」
 
「は、はい・・・。サクリフィア神殿に向かうために、サクリフィアの北大陸に上陸するところまでです。」
 
「そうですか・・・。ではクロービス、すこし頼み事をしたいのだけど。」
 
「はい、何なりと。」
 
「あなたはオシニスに全て話すつもりだと言いましたね。」
 
「はい、そのつもりです。」
 
「では、カインのことも?」
 
「ええ、もう隠すつもりはありません。」
 
「そうですか・・・。では、あなたがカインのことを話す時、なぜ彼がそんなことになったのか、その理由についてわたくしのことまで話すことになりますね。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 思わず言葉につまった。
 
「いいのですよ。そこだけ抜いて話をすることは出来ないでしょう。全て話してくれてかまいません。わたくしに気を使わないでください。」
 
「・・・はい・・・。」
 
「そして、その時の話を全てオシニスに話したら、彼にわたくしの元を訪ねてくれるように伝えてくれますか?」
 
「話を・・・してからですか?」
 
「そうです。オシニスはあの時わたくしが何をしたか知りません。彼とは1度きちんと話し合わなければならないと思っていますが、それにはその頃のこともきちんと知っておいてもらわなければ、公正な話し合いは出来ないと思うのです。」
 
「わかりました。必ず伝えます。いつ、と言うことは言わなくていいのでしょうか。」
 
「いつでも構わないと伝えてください。朝でも夜でも、夜中だって必ず時間を作ります。ただし、話の内容が内容ですから、その時はリーザにも退出してもらうことになります。わたくしの護衛のために、必ず武装してくるようにと。」
 
「・・・・・?」
 
 妙な言い方だ。
 
「ふふふ、変なことを言うと思ったでしょうね。」
 
「は、はい・・・。」
 
「実はその時に少し相談したいと思っていることがあります。それによってはわたくしの身辺もいっそう物騒になるかも知れませんから。ふふ、このくらい脅かしておいてくださいね。」
 
 冗談とも本気ともつかない口調で、フロリア様は言った。そして、フロリア様の心の中が伝わってこない。つまり、それほど強い想いではないと言うことか・・・。それとも隠しているのか。妙な胸騒ぎがする。なぜだろう。フロリア様はやっとご自分の心を取り戻された。自分が自分であるということがやっと分かったのだ。そして今、フロリア様の想いがオシニスさんにあると言うこともわかった。何も言うことはないほど、明るい話だというのに・・・。
 
「クロービス、そんなに眉間に皺を寄せないでください。せっかく皺がない若い顔立ちなのにもったいないですよ。」
 
 それを聞いた妻が笑い出した。
 
「眉間の皺はもうずっと前から消えないんですよ。薬草学の本を読む時はいつもこんな感じですから。」
 
「あらそうなの?」
 
 フロリア様も笑いだし、それを潮にお茶会はお開きと言うことになった。
 
 
 フロリア様の部屋を出て、レイナック殿の部屋へと向かった。リーザが戻ったらそこにいるからと言われていたからだ。
 
「おお、クロービスか。フロリア様はどうだ?お元気なままか?我らに気を使われているようなことはないか?」
 
 私達の顔を見るなり、レイナック殿は質問を浴びせてきた。よほど心配していたのだろう。
 
「クロービス、私も気になるわ。フロリア様はどうだった?」
 
 リーザも待っていてくれて、私達は2人に、フロリア様がとても元気だと言うことを話した。
 
「よかったぁ。それじゃ私のことも相談出来るかな。」
 
「お父さんの話?」
 
「そう。さっきハディにも聞いてもらったんだけど、もしもライザーさんの奥さんがここに来たら、会ってみようと思ってるの。」
 
「へぇ。決心がついたんだね。」
 
「まあね。ただ、あなた達がどれほどよく知っている人だとしても、私は家の代表として会うんだから、話の流れによってはある程度予防線を張らなければならないかも知れない、それは理解してね。」
 
「財産分与の話だね。それは仕方ないじゃないか。君の家のことなんだから私は余計なことは言わないよ。」
 
 もしもリーザがイノージェンを侮辱するようなことでも言えば別だが、リーザはそんな人じゃない。私が心配する必要はなさそうだ。
 
「それで今までわしが色々と法律について講義していたわけだ。貴族の家督相続となれば、こちらにも関係のある話だからな。」
 
 レイナック殿が言った。
 
「レイナック様、ありがとうございます。あとはフロリア様に話をしてみます。」
 
「うむ、フロリア様も心配なされているからな。ではそろそろ行きなさい。今夜はフロリア様と楽しくおしゃべりが出来そうなのではないか。」
 
「そうですね。それじゃクロービス、ウィロー、またね。」
 
「またね。おやすみなさい。」
 
 リーザが乙夜の塔へと戻っていった。
 
「リーザのほうはうまく行きそうだのぉ。結婚するなら礼拝堂で式を挙げたいと言うておったぞ。」
 
 レイナック殿が眼を細める。
 
「そこまで話が進んでいるんですか。楽しみですね。」
 
「うむ、まったくだ。ところでクロービスよ、フロリア様はどうだった?いやお元気だと言うことは今聞いた話だが・・・その・・・」
 
 レイナック殿の口調は、何となく『どう聞いていいか分からない』と言った感じだ。思い当たることをこちらから聞いたほうがいいかもしれない。
 
「もしかして、オシニスさんの話題が何か出なかったかと、そういうことですか?」
 
「う、うむ・・・。大分打ち解けていたようだからと思うたのだが・・・。」
 
「その前にお聞きしていいですか?」
 
「ん?わしに答えられることなら何でも答えるぞ。」
 
 私は思いきって、この間のオシニスさんとレイナック殿の話の内容について聞いてみた。もちろん筆頭大臣と剣士団長の話の内容を全て教えてくれなどと言うつもりはないが、私の思い違いでなければ、レイナック殿は改めてオシニスさんにフロリア様との結婚について考えてくれるように頼んだのではないかと。
 
「お前もなかなか勘が良くなったのぉ。まさしくその通りだ。だが、今すぐにとなると横やりが入る可能性もある。そこで、フロリア様が退位なされてから結婚してはどうだとな。」
 
「退位なされてから・・・ですか・・・。」
 
 なるほど、『冴えない顔』の理由がやっと分かった。
 
「うむ、ユーリクが王位に就き、フロリア様の肩に掛かる荷が降ろされてからなら、どこからも文句は出まい。オシニスとてあれだけの男だ。夫婦揃って新国王の後見となれば、この国もよりいっそう磐石になろうというもの。」
 
 退位なされてから仮に実子が出来たとしても、その子は王位継承には関わらない。つまり、フロリア様の子供がエリスティ公の陰謀によって暗殺される危険はない。平穏な家庭を築いて、心穏やかに暮らしていくことが出来る・・・。だが、フロリア様にしても、たとえばオシニスさんが結婚を承諾したとしても、そんな道を選ぶだろうか。
 
「ではもしも、今お二人が結婚したいと言われたらどうなさるのです?」
 
「オシニスの奴がそこまで肚を括る気があるなら、わしとて後押しをする用意はある。ただ、そうなると新大公はフロリア様と共にこの国の運営に携わるという役目の他に、世継ぎを作るという役目も負うことになる。しかもそうそうのんびりしてはおられんぞ。フロリア様とてそれほどお若いわけではない。ある程度時間を区切って、それまでに子が生まれなければ、やはりユーリクを養子として迎えるしかなくなる。そうなると、ローランドとセルーネは、1度は我が子を養子に出さずにすむと喜んだのに、結局出さなければならなくなる。それも気の毒なことだ。」
 
「それは確かに・・・。」
 
「まあ、それはまた後の話だ。で、どうだ?フロリア様は、オシニスのことを何か仰せだったか?」
 
「オシニスさんの話は出ましたよ。とても楽しかったと何度も言ってました。」
 
 フロリア様の本当の気持ちは、多分今口に出しては行けないのだと思った。どう言う意図かは分からないが、フロリア様はオシニスさんと話をしたいと思っている本当の理由を私に知られたくはないらしい。それに、こういうことは本人の口から言うのが一番なのだと、私だってそう思う。
 
「そうか。うむ、話が出るくらいなのであれば、望みもあるかも知れぬな。クロービス、ウィロー、今日は本当に世話になった。礼を言うぞ。」
 
「大したことはしていませんよ。それより、私のほうとしてはフロリア様の今後のお食事のことのほうが気になりますが、そちらはどうなったのですか?」
 
「うむ、そちらもある程度の案は出来た。と言っても、食事の内容については、先ほどのお前達の話を聞く限り別に病人食などを用意する必要はないようだ。何と言ってもミートパイとサンドイッチを平らげ、ビールまで飲んだというのだからな。」
 
 そう言ってレイナック殿が笑い出した。
 
「食欲は出たようですし、ずいぶんとお元気になられたようですから、食事の内容は皆さんと同じで問題ないと思います。」
 
「あとはやはり、お1人での食事より、今日のように賑やかな食事のほうがいいだろうと言うことになったのでな。みんなで食事をするようにしたらどうかと、明日にでも提案してみるつもりだ。フロリア様にはご家族はおられぬが、周りに人がいないわけではない。リーザや侍女達も、ついでにわしもまあ、頭数としてここで一緒に食事させていただこうかなと思うておる。」
 
「それはいいですね。では、明日医師会に伺った時に、ドゥルーガー会長に今日のことを報告しておきます。今後のことについては、レイナック殿からフロリア様への提案をされる予定だという話をしておいて構いませんか?」
 
「うむ。後でわしのほうからもドゥルーガーに話を通しておこう。」
 
 レイナック殿の部屋を出て、玄関へと向かった。執政館の中では王国剣士達の見回りが続けられている。あちこちの大臣の執務室からは話し声や足音が聞こえる。静かになったロビーを抜けて外へ出ると、もう祭りの喧噪が響いてきた。夜の盛り上がりが最高潮の時間帯らしい。
 
 
 歩きながら、さっきフロリア様との会話で感じた胸騒ぎの正体を探ろうとしてみるが、はっきりとは分からない。フロリア様は、オシニスさんと話をするつもりだと言っていた。そのために私に、カインのことも含めて知っていることを全てオシニスさんに話してかまわないと・・・
 
(いや、どちらかというと、話してくれと言ってるみたいだったな・・・。)
 
 なぜそう感じたのだろう。フロリア様はオシニスさんに自分のことを全て知ってほしいと思っている?その気持ちは理解出来る。出来るが・・・
 
「着いたわよ。」
 
 妻に腕を引っ張られ、立ち止まった。いつの間にか、もう宿の前に着いていた。中に入ると相変わらずの喧噪だ。ラドに軽めの食事を頼み、部屋に戻った時に思わず大きなため息が出た。
 
「どうしたの?なんだか考え込んでいるようだけど。」
 
 私はさっき感じた奇妙な胸騒ぎのことを妻に話した。1人で考え込んでいても堂々巡りになってしまう。
 
「・・・確かに変な言い方だなあとは思ったけど・・・ただあの時、フロリア様とオシニスさんの間でどんな会話が交わされたのかとか、どんなことが起きたのかなんて、私達だって全て知ってるわけじゃないもの。フロリア様が私達に知られたくないと思っていることが、そういうことに絡んでいる何かだとしたら、私達が首を突っ込むべきではないと思うし・・・。」
 
「それもそうか・・・。」
 
 確かにそうだ。オシニスさんがどんなことを話したのかだって、さっき聞いただけのことしか私達は知らない。
 
「どうしても気になるなら、あなたが昔のことをオシニスさんに話したあとフロリア様の伝言を伝えた時に、オシニスさんがどんな反応を示すか見てみるとか・・・でなきゃ直接聞くとか・・・そのくらいのことしか出来ないんじゃない?」
 
 それしかないのかも知れない。そもそもただ胸騒ぎがすると言うだけで、根拠と言えるようなものは何もないのだ。今は、フロリア様がお元気になったことを素直に喜んでおこう。明日になればクリフのことでいよいよ動き出さなければならない。私は1人の医師として、クリフの手術を承諾したのだ。今までのように、私は旅行者だからとか、医師会の人間ではないからとか、そんなことはもう言っていられない。全力を尽くそう。ただ、目の前の命を救うために・・・。
 

第80章へ続く

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