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「出来るだけ楽しい話ばかり書くつもりでいても、いい話ばかりあるわけじゃない。たまにこっちで起きた事件についても書いたことがある。そして、あいつがこっちに来る直前に向こうに届いたと思われる手紙には、ちょうどその時行き詰っていたちょっとした調査についてつい書いちまった・・・。」
 
「・・・まさかライザーさんはその調査をしていると言う、そういうことなんですか?」
 
 オシニスさんがうなずいた。
 
「あの時は手詰まりで、つい愚痴交じりにいろいろ書いちまった。俺としては誰かに聞いてほしくて書いた程度のつもりだったんだが、あいつはそのことで動いてくれてるんだと思う。もしかしたらその話は、ティナとジョエルがローランの東の森で出くわした、物騒な連中の正体にも関わってくるかも知れないから、とにかく無理はするなと念を押しておいたが・・・。」
 
「あの連中の・・・。」
 
「そいつらがお前の感じたとおりにアスランを襲った奴らと同じ連中ならなおさらだが、そもそも奴らの狙いはイルサだった。その話も知っているようだったんだが、それをあいつに教えたのは、多分お前だよな?」
 
「ああ・・・まあ、そうですね・・・。」
 
 セーラズカフェに行く時に、その足で私は教会などライザーさんが顔を出しそうな場所を何箇所か回ったが、事情を話したのは教会の神父様にだけだ。多分ライザーさんは宿屋か叔父さん夫婦の家で私の来訪を知り、教会へ出向いてくれたのだろう。その話をオシニスさんにすればよかったのだが、なんとなく言いそびれていた。
 
「一週間くらい前だと言っていたから、お前があのコーヒーショップの夫婦のことを調べに行った時だろうなと思ったんだが・・・。」
 
「黙っててすみません。子供達の身に起きたことを何とか伝えたくて・・・。」
 
 ライザーさんが顔を出しそうな場所を何箇所か回ってみたが結局会えず、教会の神父様に事情を話して帰ってきたのだと話した。
 
「別にいいよ。お前としてもあいつの居場所は気になっていただろうしな。ただ、今ではライザーもお前も民間人であって王国剣士ではない。だがそこまでの事情をあいつが知っているとなれば、あいつを止めることは出来ないだろうな。」
 
「ライザーさんが無事な姿で会いに来てくれるのを待つしかないってことですね。」
 
「そういうことだな・・・。」
 
 ライザーさんのことは心配だが、今は無事を祈る以外に出来ることはなさそうだ。
 
「さてと、そろそろフロリア様の部屋へ行こう。さっきの土産も、今頃はテーブルに並べられているぞ。」
 
「並べるほどの量もないですけどね。もう買うのがやっとで。選んでいる余裕もありませんでしたよ。」
 
 とにかく目に付いた食べ物を指差して、お金を払うのもやっとだった。
 
「あの時間になると食い物屋が混むからなあ。せっかく買っておいてくれたのに、さっきはよけいなことを言って悪かったよ。」
 
「そんなことはありませんよ。フロリア様ならば受け取って当然のものでも、『ファミール』さんが当たり前のように受け取ったのではおかしいですからね。」
 
「そうなんだよな。黙っていようかとも思ったんだが・・・あの後、もっと一般的な常識を覚えたいと言っていたから、俺があんなことを言った意図はわかってくれたみたいだ。」
 
 オシニスさんが微笑んだ。まるで恋人の笑顔を思い出しているかのような、穏やかな微笑だった。
 
 
 私達は乙夜の塔に向かい、フロリア様の元を『訪問』した。門番や警備の剣士達には話が通っていたので、すんなりと通してはもらえたが、ほとんどの剣士がオシニスさんを見てはっとしている。やはり明日は相当騒がしいと思っていなければならないようだ。
 
「いらっしゃい。フロリア様がお待ちかねよ。」
 
 リーザが扉を開けてくれて、私達は中に入った。そこにいるのはすでに『ファミール』ではなくフロリア様だ。ご自分の髪を三つ編みにして肩から垂らし、ゆったり目のドレスを着ている。首には先ほどのアクアマリンのネックレスが輝いていた。
 
「おお、クロービス、ウィロー、ご苦労であったな。フロリア様はこの通り、すっかり元気になられた。お前達とのお茶会の前に、少し土産話を聞かせてくださると言うことだったのでな。わしも待っておったのだ。」
 
 レイナック殿は上機嫌だ。フロリア様は昼間とはまったく違う、元気そのものだ。見た目がそんな変わっているわけではないが、フロリア様を包む『気』の勢いがぜんぜん違う。レイナック殿はそれを感じ取っているのだろう。
 
「みんな、今日は本当にありがとう。おかげですっかり元気になれました。こんなに楽しかったのは久しぶりです。さっきクロービスにもらったお菓子があるから、少しみんなで話したいのだけど、どうかしら?」
 
 お茶道具とお茶会用のお菓子が並べられ、そこに私がフロリア様に進呈した焼き菓子が加わって、テーブルの上はなかなか賑やかだ。私達は勧められた椅子に座り、しばらくの間祭りの話をレイナック殿とリーザに話して聞かせた。
 
「ほぉ、それでオシニスめがこのネックレスを・・・。のぉオシニスよ、お前の懐具合は大丈夫なのか?なんならトイチで貸してやっても構わんぞ。」
 
 レイナック殿がにやりと笑ってオシニスさんに言った。
 
「なんだよ、この国の神官は高利貸しまでやるのか?心配いらないよ。普段そんなに金を使うことはないからな。フロリア様、それはフロリア様のものですから、遠慮なく使ってください。」
 
 フロリア様が笑い出した。
 
「ありがとう。遠慮なく使わせてもらうわ。」
 
 フロリア様は本当にうれしそうだし、オシニスさんもとても自然に話している。二人の間にあったわだかまりは、多少なりとも消えたようだ。
 
「フロリア様、私の治療はここまでで終わりです。本当にお元気になられましたね。これからは無理をなさらず、つらい時にはつらいとおっしゃってくださいね。それと回りにあまり気を回し過ぎないことです。」
 
「はい。クロービス、ウィローも、本当にありがとう。」
 
「あとはもう、治療ではなく私達はフロリア様の元を訪ねた昔なじみです。もう少し祭りの話をしましょうか。」
 
「うむ、それではさっきの続きを聞かせてくれぬか。人混みの中でクロービス達とフロリア様がはぐれたということだが・・・」
 
「ああ、そのことなんだが・・・」
 
 オシニスさん達も人混みの中で一度はぐれたらしいのだが、なんとかすぐにお互いを見つけることが出来た。そして・・・
 
「・・・ライザーさんが?!」
 
 リーザはライザーさんの名前が出ると、身を乗り出した。
 
「ああ。いずれ必ず会いに来ると、そう言っていたよ。」
 
「・・・そうですか・・・。」
 
 いつと言う約束がなかったことに、リーザはまたがっかりしたようにうつむいた。
 
「なあリーザ、これは君の家のことだから無理にとは言えないんだが、クロービスとウィローに、ある程度事情を話しておいたほうがいいんじゃないか?」
 
 リーザは私達にすまなそうな視線を向けて、『そうですね・・・』と小さな声で言った。
 
「クロービス達に再会した時この話が何も出なかったから、ライザーさんは何も言ってないんだなあと思ってたんだけど、なかなか話す勇気がなくて・・・。」
 
「無理にとは言わないよ。ただ、こいつらはライザーと同じ場所で今までも生活してきたし、これからもそうだろう。今後どんなことで世話になるかわからないからな。」
 
「話がよくわからないんですが、どういうことなんですか?」
 
「それはリーザの口から聞いてくれ。」
 
「ごめん、クロービス、ウィロー。ちゃんと話すわ。昔、私の父のことは話したことがあるわよね。」
 
「君のお父さんの・・・?あ、もしかしてお父さんが結婚する前の話?」
 
「そう。使用人だった恋人との仲を両親に許してもらえず、泣く泣く恋人と別れて、父は私の母と結婚したって話よ。」
 
「・・・でも今ではお母様を愛しているのに信じてくれないって、お父様がそう言ってたって、私にも話してくれたわよね。」
 
 妻が尋ねた。両親の不仲に心を痛めたリーザは、ある日フロリア様を護衛するユノの姿に感銘を受けて槍術を学びたいと父親に願い出た。母親は反対したらしいが、父親は快く承諾してくれて槍術の先生もつけてくれた。その後も両親の不仲は変わらず、リーザは次第に槍術にのめりこむようになり、やがて家から逃げるように剣士団の入団試験を受けたのだと、私もそう聞いたことは覚えている。
 
「ええ、父は私にはそう言ったの。幸せに出来なかったことには悔いが残るけど、恋人のことはもう過去のことだってね。でも実はね、父は私の母と結婚してからも、ずっとその元恋人とその人が生んだ自分の娘に対して、お金を送っていたのよ。」
 
「・・・そんな・・・。それじゃあなたに嘘を・・・・え?娘って、ま、まさか・・・。」
 
 妻が言い掛けて言葉を飲み込んだ。リーザは妻に向かってうなずいて見せた。
 
「そういうこと。その元恋人は父と別れて、祖父が手配した助産婦と一緒に王国を出ていったわ。そして子供を生んだの。北の果てにある『世捨て人の島』と呼ばれていた島でね。」
 
 そういうことだったのか・・・。それでリーザに初めて会った時に、なぜイノージェンの面影を思い出したのかわかった。あの時はまだ自分の気持ちを引きずっているのだと思いこんでいたが・・・リーザはイノージェンに似ている。もっとも姿形だけで見れば、目の色以外に似ているところはない。ただなんとなくだが、顔立ちから受ける印象が似ているのだ。
 
「それで君はずっと、ライザーさん達の行方を気にしていたのか・・・。」
 
「そうよ。父は今病気で、もしかしたらもう助からないかもしれないの。それで、死ぬ前にひと目娘の顔を見たいと言っているのよ。本当は恋人に会いたかったんだろうけどね・・・。」
 
「と言うことは、イノージェンの母さんが亡くなったことも、君のお父さんは知っているんだね。」
 
「連絡が来たそうよ。その時の手紙を見せてもらったわ。その・・・イノージェンさんという人が書いたんだと思うけど、きれいな字で、丁寧に書いてあったの。あの手紙を見る限り、とても優しい、穏やかな人なんだなと思ったわ。」
 
「そうだね・・・。でも子供の頃はおてんばだったよ。」
 
「そっか。あなたはよく知っているのよね・・・。」
 
「物心ついたときから一緒だったからね。」
 
「ライザーさんも?」
 
「多分ね。ライザーさんのことはよく覚えてないんだ。ただ、イノージェンとライザーさんはいつも一緒だったから、いたはずだよ。私はライザーさんに随分懐いていたみたいだからね。」
 
「そういえばライザーからお前の小さいころの話を聞いたことがあったじゃないか。興味があるものなんでも手を出すから目が離せなかったとか。」
 
「ああ・・・そうでしたね・・・。」
 
 今言われてもやっぱり小さなころのことは恥ずかしいものだ。あれは私が当時の剣士団長パーシバルさんと一緒に、思いがけず故郷を訪ねることになった旅から、帰ってきたときのことだった・・・。
 
「なんとなくわかる気がするわ。」
 
 リーザが笑い出したが、すぐに真顔になってため息をついた。
 
「そのイノージェンさんの手紙には、もうお金を送らないでほしいって書いてあったわ。暮らしていくのに困ることはないし、母ももういないからって。だけど、父はそのあともずっとお金を送り続けているの。」
 
 なるほど、リーザとしては複雑だろうし、私達が何も知らないのだから進んで言いたくはなかったのだろう。
 
「お父さんの病気のことは、ライザーさん達には連絡してあるの?」
 
「ええ、連絡してあるわ。父はお金を送るたびに娘に会いたいっていう手紙も送ってたようだけど、今まではずっと、会わないほうがいいっていう返事しか来たことがなかったんですって。でも病気のことを連絡したら、今回は祭りに出かける予定があるから、寄れそうなら寄ってみるって・・・。」
 
「それじゃ具体的にいつどこでって言う話にはなっていないんだね。」
 
「そうなのよね・・・。ライザーさん達もまだ迷ってるんじゃないかと思うんだけど・・・。」
 
「君のお母さんは?気を悪くするんじゃないのかい?」
 
「母は亡くなったわ。もう二年ほど前のことよ。だから、やっと父は恋人のことをおおっぴらに気にすることが出来るようになったわけ。」
 
「その言い方だと、君も納得出来ていないみたいだね。お父さんが腹違いのお姉さんに会うってことに対して。」
 
「納得していないって言ったら、あなたはどうするの?」
 
「私にはどうすることも出来ないよ。でも、君の友人として助言させてもらえるなら、もう少しお父さんと話をしてみたほうがいいと思うよ。」
 
「それが出来るならねぇ・・・。」
 
 リーザがため息をついた。
 
「どうして?話も出来ないほど弱っているとか?」
 
「そうじゃないの。この件に関しては、せめて人生最期のわがままと思って自分の思う通りにさせてくれって、先に言われちゃったのよ。そう言われると私達も強く言えなくて・・・。」
 
「なるほどね・・・。君には確か弟さんと妹さんがいたはずだけど、なんて言ってるの?」
 
「二人とも複雑なのよねぇ・・・。特に弟は男だと言うだけで母にはよく思われていなかったから、母に対して同情的にはならないんだけど、今になって腹違いの娘を呼び寄せて、父上はいったいどうする気なんだろうなって。これでは跡取りとしての立場がないわよ。」
 
「つまり跡を継ぐ息子さんにも、詳しい説明はないってわけか・・・。」
 
「そうなの。だから心配してるのよ。こんな言い方をしたらあなたは気を悪くするかもしれないけど、一番困るのは、財産分与について口を出されることなの。今のところ父は『死ぬ前にひと目娘の顔を見られればいい』と思っているだけかもしれないけど、いざ会ってしまったら、娘に対して何かしてやりたいと思うかも知れない。父個人のお金をいくら渡したって、それは父の自由よ。だけど、家全体としての財産分与についてまで権利を与えるなんて言われたら、領地の運営が立ち行かなくなってしまうわ。我が家は何代も続く大貴族ってわけでもないし、今だってぎりぎりなのよ。」
 
「遺言書でそういう話があるとか?」
 
 リーザがため息と共に首を横に振った。
 
「いっそ遺言書があったら、私達ももっと強く父に言えるんだけど・・・今のところ、父はとにかく私達に頭を下げているだけなのよ。何とかひと目会わせてくれって。」
 
「それは・・・確かに強く問い詰めたりはしにくいね・・・。」
 
「ま、遺言書なんぞ用意したりしたら、跡取り息子だって黙ってはいられないだろうからな。リーザの親父さんとしても、子供達に嫌われたくはないが娘には会いたい、でも相続での揉め事が公になれば家としての信用まで落としてしまう。そんなことにはしたくないだろうから、もうここはひたすら頭を下げる以外にないって考えているんだろうな。」
 
 オシニスさんの言葉にリーザがうなずいた。
 
「そうなんですけど・・・いざ会ってしまったらどうなるのか、それが心配で・・・。」
 
「リーザ、君にとってイノージェンは会ったこともない他人なんだから、そう考えたとしても仕方ないよ。ただ、イノージェンをよく知っている幼馴染として言わせてもらうなら、彼女はいまさら君の家の財産になんて興味を持たないだろうし、くれると言われたって断ると思うよ。それに君達がお父さんに会ってほしくないと言えば、おそらく会わないんじゃないかな。本人も自分が会いたいと言うより、病気で余命幾ばくもないのなら、最期の願いくらい聞くべきだろうって、そのくらいの気持ちなんじゃないかと思うよ。」
 
「私も、ライラとイルサを見ていると、そのお母さんなんだからきっと素敵な女性なんだろうなって思えるんだけど、やっぱり先入観は持っちゃ行けないなと思ったり、毎日考えが変わるのよね・・・。」
 
「イノージェンはとても素敵な女性よ。島に行ってからはずっと親しくお付き合いしているけど、あなたが手紙から受けた印象の通りの人よ。だから会いに来たところで、お金のことでもめる心配なんてしなくていいと思うわ。」
 
 妻が言った。
 
「私にとってはイノージェンも君も大事な友人なんだ。ライザーさんがいずれ会いに来るとオシニスさんに言ったのなら、きっとそう遠くないうちに来ると思う。だけど、その時になって君の考えが固まっていないのなら、君にはこう言うよ。『会わないほうがいい』ってね。」
 
「そうよね・・・。」
 
「財産分与の話も、確かに可能性として、先が長くない病人だと本心でなくてもそんな話を口走ることがあるかもしれない。そんな不安があるなら、お父さんにも会わせない方がいいと思うけどな。」
 
 イノージェンはそんなものに興味を示さないだろうが、もしそんな話を父親が言い出せば、リーザの弟妹達はイノージェンを財産目当てと決め付けてしまうかもしれない。腹違いとはいえ確かに血のつながっている弟妹に、イノージェンがそんな目で見られるのは幼馴染である私としてもつらい。
 
「でも父は楽しみにしているわ・・・。」
 
「お父さんの願いは叶えてあげたい?」
 
「そうね・・・。父はロマンチストで、もしかしたら遠い昔の幻想の中にいるのかもしれない。だとしても先が長くないなら、その願いは叶えてあげたいと思うのよ。それは弟も妹も、それぞれの子供達もみんな同じ意見なの。」
 
「なるほどね。それで、イノージェン本人と面識はなくとも、その夫であるライザーさんをよく知っている君が、子供達を代表して会ってくれと頼まれた、でも君自身の気持ちが固まってないから悩んでいると、こういうことなのかな。」
 
 やっと話が見えた気がした。
 
「その通りよ。相変わらず他人のことには勘がいいのね。」
 
 リーザがくすりと笑った。
 
「君も変なことを覚えてるなあ。カーナ達にも散々言われたよ。まあ、今になれば懐かしいけどね。」
 
「ふふふ、そうね・・・。あのころが懐かしいわ。私もね・・・どうしたらいいのかわからないの。父の願いをかなえてあげるべきなのか、断固会うことを反対したほうがいいのか・・・。だからライザーさん達があなた達と会うなら、きっと王宮にも来るだろうから、その時に会って話を聞こうかな、なんて思ってたのよね・・・。」
 
「うーん・・・それじゃ聞くけど、もしライザーさん達がここに来て、イノージェンがぜひ父親に会いたいと言ったとしたら?」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 リーザは答えない。
 
「お父さんの病気がよくなるんだったら、もう少し親子でちゃんと話し合いをして、北の島に観光がてら来てもらって会うってのもいいんだけどなあ。」
 
 何の病気か気になるところだが、その点についてリーザが何も言わない以上、よけいな口を出すわけにも行かない。だがよくなる可能性がわずかでもあるのなら、今は治療に専念して、イノージェンと会うのはもう少し時期を見てからにすることも出来るのだが・・・
 
「そうねぇ。島でイノージェンがどんな暮らしをしているか、見てもらったほうがいいと思うんだけど、それは無理なのかしら。あ、それともまずはリーザの新婚旅行でハディと一緒に来てもらって、そのあとでお父さんや弟さん達も連れてきたほうがいいかもしれないわねぇ・・・。」
 
「ちょ、ちょっとウィロー!気が早いわね、もう!」
 
「あら、そんなに早くないと思うわ。あんまりのんびりしてると歳を取ってしまうわよ。この国じゃ女のほうが寿命が長いじゃない?。それと、来るなら今頃の季節にしたほうがいいわね。冬の寒さは半端じゃないから。」
 
「そ、それはそうだけど・・・・もう!それは違う話じゃないの!」
 
 リーザは真っ赤になり、そして笑い出した。
 
「あーあ、こんな話してると気が抜けちゃうわね。二人ともありがとう。ハディにも相談してみる。フロリア様、そろそろ私は出かけます。のんびりクロービス達とおしゃべりしてくださいね。うちのことは、もう少し考えてみます。」
 
「そうですね。あまり焦らないで。ライザー達と会ってから考えても遅くはないと思いますよ。」
 
 リーザは少し赤い顔のままだったが笑顔で部屋を出ていった。
 
「それではわしもそろそろおいとましましょうかの。オシニスよ、お前のほうは仕事があるのか?」
 
「いつもの書類仕事なら、いつだって山ほどあるぞ。」
 
「レイナック殿、オシニスさん、昼間の話の続きですが、フロリア様のお食事や生活全般について、もう少し見直しをお願いします。ここから先は皆さんにお願いするしかありません。ロイスシェフも交えて、フロリア様が毎日お元気に過ごすことが出来るようにしていただけませんか。」
 
「うむ。承知した。クロービスよ、お前には感謝してもしきれぬほどだ。オシニス、書類仕事なんぞ明日でもいいわい。フロリア様のスケジュールや食事について、いくつか腹案がある。少しわしに付き合ってくれ。」
 
「わかった。クロービス、ウィロー、今日はありがとう。俺も久しぶりに祭りを見れて楽しかったよ。」
 
「それは何よりです。明日の朝は先にオシニスさんの部屋にうかがいます。少し早めに行きますから、一緒に医師会に行きましょう。」
 
「ああ。待ってるよ。」
 
 レイナック殿とオシニスさんは、フロリア様に挨拶をして部屋を出ていった。オシニスさんが笑顔でフロリア様に挨拶すると、フロリア様も笑顔を返す。その2人を交互に見て、レイナック殿もとてもうれしそうだった。
 
(この2人、本当に結婚しないかなあ。)
 
 私が考えてもしょうがないことではあるが、気にはなる。レイナック殿はとても穏やかな風貌なので誰も気にしないかもしれないが、この方はすばらしい政治手腕の持ち主なのだ。いくら最高神官とはいえ単に年齢と地位だけで御前会議の筆頭大臣を務めてこられたわけではない。この方の力を以ってすれば、2人の結婚などすぐにでも実現させることは出来るのだろうけど・・・。
 
 
「さあ、お茶会を始めましょうか。前にクロービスが来た時より、少しはうまくなったと思うから、わたくしのお茶を飲んでくださいな。」
 
 レイナック殿とオシニスさんがいなくなってからも、フロリア様の笑顔は変わらず、今日の『治療』はどうやら大成功と言ってもいいくらいだ。フロリア様はお茶を淹れながら、妻に『こんな感じで淹れているのだけどどうかしら』と聞いている。妻も笑顔で『あ、それはいいですね。でもこう言う時はこんなふうに・・・』『まあ、そのほうが簡単かしら。では・・・』『お上手ですねぇ。私も侍女の皆さんに教わろうかしら。』『あらそれじゃまた訪ねてくれればいつでも・・・』などと話している。そして出されたお茶は以前より確かにおいしい。今妻と話しているように、きっと侍女達とおしゃべりしながら教えてもらっているのだろう、そんな光景を想像すると微笑ましい。今日は泣き顔だったあの侍女達も、きっと明日は笑顔になるに違いない。
 
 
「フロリア様、今日は楽しまれましたか?」
 
 フロリア様は顔を上げて、にっこりと笑った。
 
「ええ、とっても!この提案をしてくれたあなたにはとても感謝しています。」
 
「・・・さっきはぐれた時は心配しましたよ。オシニスさんとはすぐに会えたんですか?」
 
 話は自然と先ほどの祭りの話になった。
 
「ええ、いきなり人がどっと増えて一度はお互いの姿が見えなくなったんだけど、オシニスが大きな声で『ファミール』って何度も呼んでくれて、もう声のしたほうに向かって必死で人混みをかき分けたの。きっとあの辺りを歩いていた王国剣士達は、オシニスの声に気づいたでしょうね。人気者の剣士団長が女連れだったなんて、しばらくは騒がしいかもしれませんね。」
 
 フロリア様はなんだか楽しそうだ。
 
「ハリーさん達には『まさかフロリア様じゃ』なんて言われましたよ。」
 
 フロリア様が笑い出した。
 
「あの二人はとても勘がいいのです。いつもは冗談ばかり言い合っているけれど、とても頼りになる存在です。ふふふ、今のところわたくしのことは誰も気づいてないようだし、このまま謎の女と言うことにしておきましょうね。ただ、ドゥルーガーにだけは本当のことを言っても構いませんよ。きっとわたくしのことをとても心配してくれているでしょうから。」
 
「わかりました。」
 
 明日医師会に顔を出した時、今日の治療について詳しく報告しよう。
 
「本当に今日は楽しかったわ。」
 
 フロリア様はもう一度そう言ってお茶を飲んだ。
 
「そんな風に言っていただけると、私もうれしいですよ。」
 
 治療の甲斐あって患者が元気になる、医師としてこれほどうれしいことはない。
 
「そして、あなたがなぜこんな『治療』を言い出したのかも、わたくしなりにわかったつもりです。聞いてくれますか?」
 
「もちろん。ぜひお聞かせください。」
 
「そうね・・・。わたくしは今まで、なんでも自分ひとりでがんばらなきゃって思っていました。みんなにたくさん迷惑をかけた分、何もかもひとりでやらなきゃ、周りに甘えちゃいけないって・・・でもそれじゃだめなんだなって。そうやって意地ばかり張っていても、今までわたくしは一人で生きて来れたわけではないもの。それを認めなければならなかったのに、なかなかそれが出来なくて・・・。そのせいで無理して、結局倒れてみんなに迷惑をかけることになってしまったわ・・・。あなたはそれじゃいけないんだって教えてくれようとしたのでしょう?そのためにオシニスを護衛につけてくれたのだと、そう考えたのだけど・・・違いますか?」
 
 今回の祭り見物の意図について、私があれこれ気を揉む必要はなかったということだ。フロリア様は私の考えをわかってくれて、その上でとても楽しかったと言ってくれた。本当にうれしかった。
 
「おっしゃる通りです。私などがフロリア様に教えるなどとは恐れ多いですが、何もかも背負い込まず、もう少し周りに頼っていただければと、それをわかっていただきたかったのです。そのために、もしもフロリア様が自分のことは自分でとおっしゃっても、それではいけないとはっきり言ってくれそうな護衛をと考えていたのですが、その点、オシニスさんなら以前フロリア様がおっしゃったように、相手が神様だって態度が変わらないと思えるくらいの人物ですから。」
 
 フロリア様が笑い出した。
 
「そうね。オシニスには財布を持っていくのはだめだと怒られたり、バザールを丸ごと買い占めるなんて言うんじゃないかなんて言われたり、もう遠慮なしにいろいろ言われました。でも人混みの中でも、盗賊達に囲まれた時も、ずっとわたくしを守ってくれていたわ。」
 
「ははは、オシニスさんらしいですね。」
 
「ふふふ・・・よかった。あなたの治療の意図を、ちゃんと理解出来て。今日はいろいろと勉強になりました。やっぱり、たまには外に出たほうがいいようですね。中にばかりこもっていたのでは、民の本当の暮らしはわからない。昔レイナックはそう言ってわたくしを外に連れ出してくれたのに、そしてそれがどれほど有意義なことなのかよくわかっていたつもりだったのに、わたくしは、いつの間にかその心を忘れてしまっていたようです。」
 
「何より、外を歩くのは気分転換にもなりますからね。身分を明かして出かけようと思えば確かに護衛のやりくりなどの手間は避けて通れませんが、たまにならいいのではありませんか。」
 
「そうですね・・・。オシニスにも言われました。たまには気分転換も必要なんだから、いつでも言ってくれれば協力するからって。」
 
「さっきバザールでオシニスさんを振り回していたみたいに、あちこち出掛けてみるのもいいかもしれませんよ。」
 
 フロリア様がまた笑った。昼間青い顔をしてベッドに横たわっていたとはとても思えないくらい、本当によく笑って、とても楽しそうだ。
 
「ええ、さっきはね、お財布を持たせてくれなかったお返しみたいな気持ちで、あっちに行ったりこっちに行ったり、楽しかったわ。」
 
 フロリア様は、いたずらを仕掛けてまんまと成功した子供のような顔で笑っている。私より年上なのに、なんだかとてもかわいらしく見える。
 
(オシニスさんとならお似合いなんだけどなあ・・・。)
 
 2人並んで笑顔でおしゃべりをする姿は、まるで長年の恋人同士のよう見えたものだが・・・。
 
「フロリア様、私もまたフロリア様とお出掛けしたいですわ。今日はお祭り見物でしたけど、さっきリーザが言っていたみたいに、商業地区のお店を覗いたり、ケーキを買ったりお茶を飲んだりというのもいいのではありませんか。マダム・ジーナのお店も、1度くらいはご覧になるといいですよ。とても楽しいですから。」
 
 妻が空になったそれぞれのカップにお茶を注ぎながら言った。
 
「そうですね。わたくしも、また出掛けたいわ。ジーナのお店ものぞいてみたいし、その時はあなたが案内してくれる?」
 
「もちろん。あ、でも私もそんなにこの町の中を詳しく歩いたりしてるわけじゃないから、迷子にならないように息子やイルサに聞いておきます。」
 
「まあ、それじゃぜひお願いするわ。さっきリーザの話を聞いていて、国王が元気な姿で街の中を散策してお店を覗いたりすることも、大事なのだと父が言っていたことがあると、モルダナから聞いたことを思い出したのです。」
 
「ライネス様が、ですか。」
 
「ええ、国王が積極的に街の人々と交流することは、国民と国王との絆を深めると・・・。それで、小さかった私をモルダナが抱いたり、歩けるようになってからは手をつないでもらって、わたくしも両親と出かけることが出来たのです。・・・そんな日々は長くは続かなかったけれど・・・。」
 
 ライネス様がお元気であったなら、フロリア様もごく普通に結婚し、世継を生んで、今頃は大公殿下共々、この国を幸せに導かれていたことだろう・・・。レイナック殿の心中を思えばこんなことを口に出す気にはならないが、それでも考えてしまう。『あの時ライネス様が亡くならなかったら』と。
 
「さっきのリーザの言葉は、わたくしにそのことを思い出させてくれました。・・・実を言うとリーザがあんなに積極的にこのお祭り見物を後押ししてくれると思わなくて少し驚いたのです。もしかしたらリーザは、いつもわたくしのそばにいて歯がゆい思いでいたのかも知れませんね・・・。」
 
「フロリア様のご気分が悪くなられた時も、すかさずタオルを持って行ったのはリーザだったそうですね。」
 
「ええ・・・。リーザのおかげで床や絨毯を汚さなくてすみました。本当にこうなってみて改めて、自分がいかにたくさんの人に助けられていたか知るなんて・・・なんだか情けないですね。」
 
 フロリア様は少しだけさびしそうに微笑んだ。
 
「でも、これからはもう少し外に目を向けてみようと思います。ウィロー、またいっしょにおしゃべりしながら出掛けたいわね。」
 
「はい、ぜひ。」
 
 妻も笑顔でうなずいた。フロリア様のストレス解消のために、後でレイナック殿に提案してみようか。
 
「不思議ですね・・・。少し前までなら、こんな風に楽しいと思ったりするたびに、ああ、わたくしはこんなことではいけない、なんて思っていたのに。今日はとても心が穏やかで・・・。」
 
 そしてお茶を一口飲んで、大きく深呼吸をした。
 
「ウィロー。」
 
「は、はい。」
 
 改まった声で急に名前を呼ばれ、妻が慌てたように返事をした。
 
「あなたとこうしてお話することが出来て、とてもうれしいわ。前にあなたがここにいたとき、わたくしはあなたにひどいことをしてしまったから、本当はね、そのことをずっとあなたに謝りたかったの。そしてやっと今日、こうして話をすることが出来る・・・。聞いてくれますか?」
 
「それは・・・私達がこの街を出る前のことですか?」
 
 妻が尋ねた。
 
「ええ、そうよ。あなた達がこの街を出る前、もう少し詳しく言うなら、あなた達が、この町を出て行かなければならなかった理由・・・ですね・・・。」
 
「そのことを・・・聞かせていただけるんですか?」
 
「わたくしは聞いてほしいと思っています。でも、もう20年も過ぎて、あなた達は夫婦として仲睦まじく暮らしているのだから、いまさらそんな昔の話を蒸し返したくないというなら、そうします。でも、たとえ言い訳にしか聞こえなくても・・・・あの時何があったのか、せめて釈明する機会をくれませんか。」
 
 私が妻と一緒に城下町を出た理由・・・。一番はもちろん、父の研究を引き継ぐためだった。だが・・・直接のきっかけはフロリア様との縁談だ。フロリア様がすぐに断らなかったことでさまざまな憶測を呼び、妻が誘拐されるにいたって、とうとう私達は逃げるように城下町を去った・・・。
 
「わかりました。聞かせてください。」
 
 妻がきっぱりと言った。
 
「でも勘違いなさらないでくださいね。私はもうあのころのことでフロリア様に対するわだかまりがあるわけではないんです。だから釈明してほしいとか、そんな気持ちで申し上げるのではありません。でも、あの時何があったのか、どうしてあんなことになったのかは知りたいと思っています。だから教えていただけるなら、ぜひ聞かせてください。」
 
 妻の言葉にフロリア様がうなずいた。
 
「今日は全部話すつもりです。だから今日のお茶会はどうしても中止にしたくなかったの。その意味でも、わたくしをここまで元気にしてくれたクロービスにはとても感謝しています。それに、お祭り見物のおかげで、やっとわかったこともあったし・・・。」
 
「この間もそんな話をされていましたよね。」
 
 前回ここでフロリア様と話をした時、フロリア様は『こうしてあなたと話すことが出来て、いろいろとわかったことがありました。』と言われた。あの時は気にはなったがなんとなく聞き返すのがためらわれ、そのままになってしまっていたことだ。
 
「ええ・・・この間あなたと話して、そして今日祭り見物をして、わかったことがあったおかげで、やっとわたくしがわたくし自身であると思えるようになったところです。」
 
「・・・・・・?」
 
 フロア様は穏やかな瞳で妻を見、そして私を見て、少しだけ微笑んだ。
 
「ねえ、クロービス、ウィロー。ある日目が覚めたら『あなたの中にはもうひとつ別な人物の心が同居していました。でももう、その心はあなたと融合したのでいなくなりました』って言われたら、どう思いますか?」
 
「え・・・?」
 
 20年前、フロリア様の体の中に、もう一人、フロリア様とはまったく別の人格がいた。南大陸を切り捨ててカナを孤立させたのも、ガウディさんを除名したのも、そしてカインと私を南大陸へ行かせたのも、その人格だ。シオンと名乗ったそれはフロリア様と同じ年頃のようだったが、フロリア様の慈愛に満ちた性格とは正反対の、残虐で冷酷な人格だった。
 
『フロリア様は、多重人格障害という病気なのです』
 
 『夢見る人の塔』のシェルノさんはそう言った。多重人格障害とは、一人の人間の体に、まったくの別人である人の心が共存することだ。そんなあり得ないようなことがなぜ起きたのか。フロリア様は小さなころ、ある恐ろしい現場を目撃してしまった。目の前で起きたその出来事を受け止めるには、その当時のフロリア様の心はあまりにも幼く弱かった。壊れそうになった心は自分を守るためにまったくの別人の心を作り出し、恐ろしい記憶はその別人の心が引き継いで、元々のフロリア様の心からその記憶を消し去ってしまったのだ。
 
 その時シェルノさんはこうも言った。今フロリア様を支配している人格の存在理由を消してやれば、元の人格と融合出来るだろうと。もちろん簡単なことではないが、私達がやる以外に道はなかった。助言に従い、私と妻はフロリア様に会うために二人で王宮に侵入した。同じころ、海鳴りの祠から出発した王国剣士団が王宮の玄関に到着して攻撃を開始、王宮内で凄まじい戦闘が繰り広げられていた時のことだった・・・。
 

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