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第79章 リーザの悩み

 
 しばらくして多少なりとも人の流れは緩やかになったが、人混みの向こう側を見通すことは出来ない。オシニスさん達がいた方向に向かって少し歩いてみたが、人が多すぎてほとんど進むことが出来なかった。そのうちに別のテントからも人が出てきた。しばらくこの混雑は解消されそうにない。
 
「参ったな・・・。」
 
 混んでいることは最初から想定していたから、出来るだけはぐれないようにしていたつもりだが、テントから出てくる人々のことまでは考えていなかった。
 
「どうする?探しに行くの?」
 
「・・・いや、これでは探しようがないよ・・・。仕方ない。しばらく待ってみて、来ないようなら一旦セディンさんの店の前まで戻ろう。もしかしたら、東門のほうから入ってくるかもしれない。」
 
 ちょうど西側のバザールを見に行こうと移動を始めた時だった。私達が先に歩いて、オシニスさんと『ファミール』が後からついて来た。それを考えると、二人は東側のほうに流された可能性が高い。東門までの道は、バザールや見世物小屋のあるエリアから離れるに従って、ほとんど人通りがなくなる。そのため、以前祭り見物をした時の私達のように、あるいはアスランとイルサのように、スリや盗賊達は『獲物』を見つけると人影の少ない東側に誘導するのだ。最もこの状態では、盗賊だって身動きが取れないだろう。取れたところであの二人に目をつけたりすれば、痛い目に遭うのは盗賊のほうだ。2人の身の安全については心配する必要はない。
 
「さっき覗いた店の前まで戻ろう。もしかしたら二人ともそこに戻ってくるかもしれないしね。」
 
 東側からなら、この人混みを突っ切ってここまで戻るよりは、時間がかかっても東門から町の中に入って南門から出るほうが余程簡単だ。そして、しばらく待っても来ない場合はセディンさんの店の前に向かえば、東門から南門に抜ける途中で必ず出会える。私達は先ほどアクセサリーを買った店の近くまで戻った。店先にはランプがずらりと並んでいるし、城壁沿いには篝火も設置されている。人を見分けられる程度に明るい場所にいないと、せっかく会ったのに気づかす素通り、などと言うことにもなりかねない。
 
「でも困ったわね。時間がかかるとハインツ先生のところに顔を出す時間がなくなってしまうわ。」
 
 さっき予定通り西側に行けていれば、バザーを見ながら西の門に戻り、ちょうどいい時間に医師会を訪問出来たはずだ。今頃は西の門の門番の剣士に驚かれていたころだろうか。
 
「仕方ないよ。とにかくオシニスさん達が戻らないことには動けないしね。この辺りの店を覗きながらしばらく待とう。おなかがすいたなら屋台で食べ物でも買おうか。」
 
 どんな方法で戻ってくるにせよ、二人がここにたどり着くまでに少し時間はかかりそうだ。私達は屋台に移動し、人混みにもみくちゃにされながらも何とか食べ物を買ってきた。もっとも食事になりそうな食べ物を売っている屋台の前にはすでに行列が出来ていたので、多少は腹にたまりそうな焼き菓子くらいしか買えなかったのだが・・・。
 
「いやはや、盛況なのはいいけど、これじゃ身動き取れないね。」
 
「見に来るたびに人が増えているわよね。お祭りは後半から盛り上がるって言う話だったけど、ここまでとは思わなかったわ。ねえクロービス、本当に探しに行かなくていいの?」
 
「あの二人なら心配いらないさ。どちらも自分で自分の面倒を見られる人達だからね。もっとも、ファミールさんについてはもっとオシニスさんを頼ってほしいところだけど。」
 
「そうね・・・。自分の面倒は見られるから大丈夫っていう問題じゃないものね。それを気づいてくれたのかしら。」
 
「気づいてくれれば一番だけど、私が何で祭りに連れ出したのか、その理由を疑問に思ってくれるだけでもいいかなとは思ってるんだ。今日の夜改めて話をしてもいいことだしね。」
 
「それもそうね。考えるきっかけになってくれればいいわね。」
 
「そういうこと。とにかく戻ってくるのを待とう。」
 
 フロリア様は聡明なお方だ。冷静に考えていただけるなら、多分私の意図など祭り見物を提案された時点ですぐに見抜かれるだろう。だが今のフロリア様はご自分の考えにこだわり、その中に閉じこもっている。そこから出ようと考えてくださればいいのだが・・・。
 
 
 
 さて食べ物を買ったはいいが、別に腹は減っていない。ここからあまり遠くまで行かなければ、もう少しバザールを見て回るのも悪くないかと妻と話していたとき・・・
 
「・・・クロービス先生?」
 
 声をかけられた。
 
「おや?君達は今日も夜勤か。」
 
 立っていたのはクロムとフィリスだった。
 
「はい。先生方は団長とご一緒だと門番の奴に聞いたんですが、なんでこちらに?」
 
 フィリスが不思議そうに尋ねた。
 
「ということは、君達はオシニスさんを見かけたのか?向こう側にいたのかい?」
 
 私は東側を指さしてみせた。
 
「はい・・・その・・・お連れの方と一緒でしたが・・・。」
 
 二人がさっきからなんだか戸惑ったような顔をしている訳がわかった。どうやらオシニスさんと『ファミール』ははぐれずにすんだらしい。
 
「そうか。よかった。さっきまでは一緒だったんだけどね。この人混みではぐれてしまって、どうしようかと思ってたんだよ。探しに行こうにもこれじゃね・・・。」
 
「あの・・・団長のお連れの方は、どういう方なんでしょうか・・・。」
 
 クロムが妙に丁寧な口調で尋ねた。こんな人混みの中でさえ、はっきりと感じ取れるほど動揺しているのがわかる。クロムの思い人であるスサーナはオシニスさんのことが好きで、どうしてもあきらめきれずにいる。その思いをクイント書記官に利用されて、騒ぎを起こしたのはつい先日のことだ。スサーナにとって、今のところクロムは同僚以外の何者でもないらしい。それでも思う相手が恋焦がれている男に女の影があれば、気になるのは理解出来る。
 
「さて、私も古い知り合いだとしか聞いてないからね。南大陸から来たみたいだったけどね。」
 
「そうねぇ。カナも最近ではだいぶ人が増えてるみたいだけど、カナではないみたいね。でも相手が何も言わないのにこちらから根掘り葉掘り聞けなくて、そのままよ。これから西側を回ろうと思ってたから、どこかで一休みでも出来たらいろいろ聞いてみようかなと思ってたの。」
 
 南大陸と言えば自分に質問がくることを考え、妻は先回りしてクロム達の質問を封じてしまった。
 
「そうですか・・・。なんだかとても仲が・・・その・・・よさそうでしたので・・・。」
 
(仲がいいと見た目にもわかったってことは、手でもつないでいたのかな・・・。)
 
 さっきのようにマントの上からしがみついていたくらいじゃ、この人混みの中ではすぐにはぐれてしまう。なんだか泣きそうにも見えるクロムの横顔を見ていたフィリスがため息をついた。
 
「クロム、もう気にするなよ。団長が独身だからって、恋人の1人もいないとは限らないじゃないか。遠目にもすごくきれいな人だってわかったくらいだからなあ。お似合いだと僕は思ったよ。」
 
 フィリスはクロムの肩を叩き、慰めるように言った。
 
「・・・不倫だったらどうするんだよ。」
 
 クロムの声にはいささか意地の悪い響きがこもっている。
 
「それこそ僕らの口出すことじゃないさ。団長がいくつだと思ってるんだ?僕らよりもずっと大人なんだぞ?だいたいあの女の人のことを聞いて、どうするつもりなんだ。君が気にしても仕方ないことじゃないか。ほら、仕事に戻るぞ。揉め事が起きるのはこれからの時間帯なんだからな。」
 
「・・・・・・。」
 
 クロムが黙り込んだ。
 
「こら!何を油売ってるんだ!」
 
 いきなり聞こえた声に、クロムとフィリスがはっとして振り向いた。この声は・・・・。
 
「は、はい!申し訳ありません!・・・あれ?副団長、いつお戻りでしたか?」
 
 やはりハリーさんとキャラハンさんだ。やっと戻ってきたらしい。驚いた顔のクロムとフィリスを見て『してやったり』と笑っている二人に対し『びっくりさせないでくださいよー』と、クロムが汗をぬぐっている。
 
「今来たところさ。もっと早く戻るつもりだったんだけど、南地方との境界で盗賊団に襲われているキャラバンに出くわしてね。クロンファンラまで行くって話だったから、東側の巡回をしている連中に引継ぎするまで護衛していたんだよ。」
 
「まったく盗賊どもにも困ったもんだ。おかげで祭りを楽しめる期間が少なくなってしまったよ。楽しみにしていたのに。」
 
 キャラハンさんが残念そうに言った。ハリーさんとキャラハンさんは相変わらずだ。
 
「で、お前達はこちらの観光客の方を案内して・・・・え?」
 
 私達に振り向いたハリーさんが、途中で固まったようにぽかんとしている。
 
「おいハリー、何をそんなに驚いて・・・お?」
 
 キャラハンさんまで動かなくなってしまった。
 
「ご無沙汰しています。相変わらずお元気そうですね。私のことは覚えていますか?」
 
「覚えていますか、だってさ、キャラハン。」
 
「僕らの脳みその記憶領域は相当狭いと思われているらしいね。」
 
「まあお前については間違ってないけどな。」
 
「君だってたいして違わないよ。」
 
 二人のやりとりはいつもこうだ。掛け合いがあまりにうまくて、いつも笑い出してしまう。
 
「クロービス!いつ来たんだ!」
 
「祭りが始まってすぐくらいですよ。」
 
「くそぅ!君らが来ると知っていたなら南地方になんて行かなかったのに!」
 
「そ、そうはいかないでしょう。仕事なんですから。」
 
 話している間にも笑い出してしまう。二人は私の後ろにいたウィローにも『懐かしいなあ。』『全然しわがないじゃないか。どんな化粧品を使ってるんだい』などと言っている。妻もこらえきれずに笑い出してしまった。
 
「あ、そうか。先生と副団長達もお知り合いなんですね。」
 
 私達のやり取りにぽかんとしていたクロムとフィリスが、やっと理解したといった顔をしている。
 
「ああ、そうだよ。昔の仲間だからね。お前達は夜勤か?」
 
「あ、はい、そうです。そろそろ仕事に戻ります。クロービス先生、ウィローさん、失礼します。副団長達は今夜は直帰ですか?」
 
「そうしたいところだけど、団長に報告だけはしようかなと思ってるんだ。」
 
「団長は王宮にいませんよ。今日は祭りを見に出ていますから。」
 
 フィリスが答えた。
 
「団長が祭り?」
 
「ずいぶんと珍しいこともあるもんだなあ。まさか一人じゃないよな・・・。もしや妙齢の女性同伴とか・・・。」
 
 キャラハンさんは多分単なる冗談で言ったはずだ。だがクロムとフィリスが顔を引きつらせたことで、事情を察したらしい。
 
「なに!団長が女連れ!?お前ら見たのか?」
 
「は、はあ・・・。」
 
「どんな女だ?美人かい?」
 
「は、はい。その・・・。」
 
「髪は何色?目は?」
 
「髪は多分、栗色です・・・。遠かったんで目の色までは・・・。それと、その・・・すごい美人です。」
 
「へえ、まさかフロリア様じゃあるまいな。」
 
 ・・・この人達の勘のよさにはいつもどきりとさせられる。だがここはさりげなく否定しておかなくては。
 
「そんなわけないじゃないですか。私達はさっきまで一緒だったんですよ。」
 
「え?君らと一緒だったのか?」
 
 私はフィリスとクロムにも聞かせるつもりで、オシニスさんが急に古い知り合いから祭りの案内を頼まれたことと、もう10年も現場に出ていないからと今の祭りの様子を知っていて、いつでも出かけられそうな私達に声をかけたのだと説明した。
 
「ところがこの人混みではぐれてしまって。どうしようかと思っていたら、東側のほうで見かけたと、この二人が教えてくれたんです。」
 
「それじゃ間近で見たんだろう?目の色は何色だった?」
 
「間近では見ましたけど、うーん・・・何色だったかなあ。」
 
 われながら白々しいとは思ったが、ここではさりげなさを強調しておかなければならない。
 
「おいおいキャラハン、クロービスにそんなことを聞いたところで無駄だよ。ウィロー以外の女性になんてまったく注意を払わないからな。」
 
「あ、それもそうか。それじゃこういうときは、女性に聞くべきだな。ウィロー、その女性の目の色は何色だった?」
 
「私もそんなにじろじろ見たわけじゃないけど、多分青だったんじゃないかしら。確かに、きれいな人でしたよ。」
 
 妻がさらりと答える。青い瞳に栗色の髪なんて、この城下町の住人だけだって数え切れないほどいる。ハリーさん達は『なんだそれじゃ特徴と言えそうなものはないなあ』と少しがっかりしたらしい。
 
「ま、いいか。下手に詮索して団長に怒られたりするとそっちのほうが困るからな。あ、クロム、フィリス、ご苦労だったね。仕事に戻っていいよ。言うまでもないが、無茶はしないでくれよ。慎重に見回りをしてくれ。」
 
 オシニスさん達のことを思い出したのか、あんまりすっきりしない顔で、クロムとフィリスは人混みの中に戻っていった。
 
「ま、考えてみれば、フロリア様が祭りを見に行くなんておっしゃるはずがないもんな。」
 
 ため息交じりにハリーさんが言った。
 
「そうなんですか?」
 
「ああ。ご自分の始められた祭りだと言うのに、祭りのはじめと終わりに玄関の上にあるバルコニーで挨拶をするだけで、今まで一度も街中に見に行かれたことはない。なんとなくだけど、あのお方はご自分が楽しむと言うことを出来るだけ避けようとしておられるのじゃないかと、そう思うこともあるほどさ。」
 
「いまだに昔のことを引きずっておられるのかもしれないけど、僕らとしてもそろそろ前に進んでいただかないと、この国の未来が心配だよ。」
 
「そうなんだよな・・・。これから先、フロリア様には後継者の育成をしていただかなくてはいけないのに、何か間違いを犯したらいつまでも気にしなくちゃいけないなんて、教えられても困るからなあ。」
 
「まさか。そんなことを教えたりはしないでしょう。」
 
「そりゃ口で言うはずはないさ。でも日常の生活や毎日の会話の中で、そう言う考え方ってのは伝わるもんじゃないか。セルーネさんとこの息子さんは頭のいい子供だ。そう言う雰囲気ってのはすぐに察すると思うよ。」
 
「あの子が世継ぎって決まったわけでもないじゃないか。君はせっかちだなあ。」
 
「だがなキャラハン、この先フロリア様がご結婚されるかどうかと言うと、かなり難しいじゃないか。世継ぎを決めてから実子が生まれても困るし、世継ぎを決めないでおいて子供が出来なかったらもっと困るし。」
 
「君が気にしても仕方ないよ。それより今日は帰ろう。団長がいないなら王宮に戻ることもないし。明日の朝にでも行けばいいさ。」
 
「そうだな、それじゃ帰るよ。クロービス、悪いけど団長に再会出来たら俺達のことを言っといてくれないか。」
 
「わかりました。お疲れ様でした。」
 
 
 
「・・・みんなが迷惑をこうむる、なんていうのは、その辺りの考え方から来ているみたいね。」
 
「そのようだね。今日の夜はそこまで話が出来るといいんだけど。」
 
 それからしばらくの間、私達はバザーを覗きながらオシニスさん達を待った。そろそろ場所を移して、セディンさんの店の前に移動しようかと話していたころ・・・
 
「ねえ、あれ、オシニスさん達じゃない?」
 
 東側の人混みの中に、妻がオシニスさんを見つけ出した。この人混みの中を、東から西に向かって突っ切ってきたらしい。『ファミール』はオシニスさんのマントの中にすっぽりと入り、オシニスさんは『ファミール』の肩をしっかりと抱き寄せている。
 
「いやぁ、やっと会えた。まったく凄まじい人混みだな。」
 
「そうねぇ。盛況なのはいいけど、歩くたびにあちこちぶつかって大変。」
 
 『ファミール』が答える。2人とも笑顔で、はぐれる前までの微妙な距離感はすっかりどこかに行ってしまったようだ。
 
「テントから出てくる人達のことまで考えていませんでした。すみませんでした。」
 
「お前が悪いわけじゃないよ。俺も時間差で入れ替えがあるテントのことはすっかり忘れていたからな。」
 
 私はまず、ハリーさん達が戻ってきたことと、クロム達がオシニスさんのつれている女性について、かなり気にしていたことをさりげなく伝えておいた。
 
「しばらくは騒がしいか・・・。まあ仕方ないだろうな。」
 
 あきらめたように笑うオシニスさんを取り巻く『気』はとても穏やかだ。
 
「ま、ハリー達が戻ってきたから、剣士団のほうは任せておこう。明日の朝、よく頼んでおくよ。あいつらのことだから、見てもいないことを大げさに言われるくらいのことはあるかも知れないが、騒動を煽ったりはしないからな。」
 
「そうですね。ところで食べるものを買っておいたんですが、いかがです?」
 
 私はさっき買った焼き菓子の入った袋を差し出した。
 
「ねえ、これ、リ・・・みんなへのお土産にしたいんだけどだめかしら。」
 
 『ファミール』が言った。
 
「ファミール、クロービスの買ったものを君が土産として持って帰るのはおかしいじゃないか。」
 
「あ、そ・・・それはそうだわ・・・。ごめんなさい。私ったら。」
 
「どれ、俺が金を出すよ。クロービス、いくらだ?」
 
「いやいいですよ。たいした金額ではありませんし。」
 
「いいえ、そうはいかないわ。オシニスの言う通りよ。そこまで考えが回らなかったわ。」
 
 『ファミール』は引いてくれそうにない。
 
「それじゃこうしましょう。案内役なのにお二人とはぐれてしまったお詫びとして、私がファミールさんにこれを進呈します。ファミールさんは、『もらい物』としてこれを持ち帰ればいいのではありませんか?」
 
「あら、それはいい考えね。ファミールさん、そうしてください。西側を案内するはずだったのにそれが出来なかったんですもの。」
 
「でもあなた達が悪いわけじゃないわ。」
 
「そう言っていただけるのはありがたいですが、この人混みは膨れ上がるものだと忘れていた私にも責任はあります。それにそんな高価なものでもありませんから、遠慮なさらず、さあどうぞ。」
 
 私はもう一度焼き菓子の入った袋を差し出した。
 
「なるほどな。そこまで言われて、それでもって言うのは失礼だな。ファミール、もらっておけばいいよ。」
 
「・・・そうなの?」
 
 『ファミール』はまだ不安そうだ。
 
「そうなんだよ。あんまり気にしないでくれよ。」
 
 オシニスさんはそう言うと、『ファミール』の頭をぽんぽんとなでた。とても自然な動作で、本人達もほとんど意識していないらしい。
 
「そうね・・・。それじゃいただくわ。ありがとう。」
 
「遅くなっちまったな。そろそろ王宮に戻ろう。クロービス、お前は確かハインツ先生のところに顔を出すとか言ってたよな。」
 
「王宮に着いたらすぐに行ってみます。今から戻れば、多分大丈夫ですよ。」
 
 すでに暗くなって、夕方と言うには遅い時間だが、それは謝るしかないだろう。遅れたのはまったくの私のミスだ。
 
「ねえ、それじゃお土産もあることだし、戻ったら少しみんなでおしゃべりをしたいわ。とても楽しかったんだもの。」
 
 『ファミール』が言った。
 
「それはいいな。よし、戻ろう。」
 
 オシニスさんが笑顔で応える。まるで長年の恋人同士のようだ。
 
 
 私達は南門へと向かい、オシニスさんは夜勤の門番にも驚かれた。おそらく『団長が女性同伴』と言う話は聞いていただろうけど、昼間ここを出る時の二人の距離感はどこへやら、オシニスさんは『ファミール』の肩をしっかり抱き寄せたまま、ずっと寄り添っているのだから。
 
「それじゃ、ファミールを送ってくる。」
 
「それでは私達はここで待ってますよ。王宮には一緒に行きましょう。」
 
「そうだな。」
 
 
 2人と別れ、セディンさんの店を覗いてみた。明かりはまだついている。入ろうとした時・・・
 
「あのぉ・・・。クロービス先生?」
 
 遠慮がちな声に振り向くと、そこにいたのはエルガートだった。今日もシャロンの様子を見に来たのだろうか。
 
「あれ?君か。今までオシニスさんも一緒だったんだよ。」
 
「は、はい・・・。団長を見かけたので声をかけようとしたんですが、その・・・びっくりしてしまって・・・。」
 
 なるほど、オシニスさんが女性と寄り添っているところなど、見たのは初めてだっただろう。
 
「ははは。そこいら中で会う王国剣士みんなにびっくりされてたよ。」
 
「まさか団長にあんなに親しい女性がいらっしゃるとは、その・・・。」
 
「まあ、あまり気にしないほうがいいよ。それより、シャロンのところに来たんだろう?中に入らないのかい。」
 
「そ・・・そうですね・・・。」
 
 あまり突っ込んでいろいろと聞かれないうちに強引に話を切り上げ、私達は一緒に中に入った。シャロンはエルガートが私達と一緒にいるのを見て、少し照れくさそうに笑った。しかしこうなると私達が邪魔者だ。気にしないでくださいと言うシャロンとエルガートに別れを告げて、早々に外に出た。
 
「うーん、こうなると明日は王宮の中が騒がしくなりそうだな・・・。」
 
「そうねぇ。クロムとフィリスも複雑な顔をしていたし。」
 
「独身だからって女っ気なしとは限らないんだけど、多分今までオシニスさんに浮いた噂なんてなかっただろうからなあ。」
 
「それに、ひそかにオシニスさんに思いを寄せている女性は他にもいるかもしれないわ。私達が一緒だったことももう広まっているでしょうから、聞かれたらなんて答えるか、考えておいたほうがいいかもしれないわねぇ。」
 
「そうだなあ・・・。あんまり騒ぎが大きくならないといいけどな。」
 
 さっきはぐれていたのはそんなに長い時間じゃない。だが2人はすっかり打ち解けて仲良くなって戻ってきた。何があったのかは知らないが、今日の目的のひとつは、いや、多分二つとも達成出来たのではないか。それを考えれば、誰かから質問攻めに遭うかも知れないことくらい、我慢しなければならない。
 
(でも・・・もしかして達成しすぎかなあ・・・。)
 
 フロリア様の気持ちはわからないが、オシニスさんの気持ちを考えると、かえって苦しませることになってしまったかもしれないとは思う。
 
「待たせたな。」
 
 しばらくしてオシニスさんが戻ってきた。迎えに行った時よりは早い。さっきは多分、レイナック殿も交えて話をしていたのだろう。3人で王宮に戻り、玄関で、一旦オシニスさんと別れて医師会へ行ってみると話していた時・・・
 
「クロービス先生。」
 
 声をかけてきたのはハインツ先生だった。
 
「ハインツ先生、夕方に伺うと言っていたのに遅くなって申し訳ありません。もしかして探しに来てくださったんですか?」
 
「いやいや、団長殿とご一緒だったと言う話が看護婦達の間で話題になっていましたから、祭りの人混みに流されて戻れないのかもしれない、なんて話していたところです。」
 
 ハインツ先生が笑った。すでに王宮中に話が知れ渡っているらしい。
 
「医師会にまで話が伝わってるんですか・・・。」
 
 オシニスさんがため息をついた。
 
「ははは、まあ無責任な噂話の域を出ていないようですから、お気になさらずに。それよりクリフのことなんですが。」
 
「打ち合わせには間に合いませんでしたか・・・。」
 
「いえいえ、実はその打ち合わせのことで、剣士団のどなたかに伝言をお願いしようと思って出てきたのですよ。ちょうどよかったです。今日するはずだった打ち合わせを、明日に延ばしていただけないかと思いましてね。いかがですか?」
 
「それはありがたいですが、何か問題がありましたか?」
 
「いや、そうではありません。クリフの再手術のために、食事の観点からもアプローチしてはどうかと会長からの提案がありまして・・・。」
 
 そこでマレック先生にも打ち合わせに同席してもらうことになったのだが、マレック先生は昨日のうちにローランから戻り、今日は研究会に出席していて帰りが遅いと言う。そこで明日の朝、クリフの家に向かう前にオシニスさんも一緒に打ち合わせをしたいと言う話だった。
 
「俺は手術のことについてはまったくの素人ですが、同席していいんですか?」
 
「ええもちろん。出来れば話を聞いていただいて、クロービス先生と私がクリフの家に行った時に、手術の件でもお口添えをお願い出来るとありがたいんですが、どうでしょうねぇ。」
 
 なるほど、明日一緒に行けば、手術の話とあの薬屋の話を分けて話すというわけにも行かなくなるだろう。オシニスさんが手術についても把握していれば、どちらの話もうまく進めることが出来る可能性はそれだけ高くなる。
 
「俺としては是非にとお願いしたいくらいですよ。少しでもクリフが元気になれる手助けが出来るなら願ってもないことですから。」
 
「あの、ハインツ先生、私も同席させていただいて構いませんか?」
 
 妻が言った。ハインツ先生は驚いたような顔をして
 
「何をおっしゃいますか。奥さんは最初から数に入ってるんですよ。クリフの病状があそこまで回復したのは、奥さんのマッサージの腕と的確な助言のおかげです。逆に参加しないとおっしゃられたら私もゴードも困ってしまいますよ。」
 
 そう言って笑った。妻は照れくさそうに赤くなっている。マレック先生は食事による治療の可能性について研究している。妻としてはぜひとも話を聞いておきたいだろう。
 
「それじゃ明日の朝、オシニスさんと一緒にうかがいます。」
 
「お願いします。そう言えば会長が、もしもクロービス先生に会えたら『調子はどうだ』と聞いてくれと言ってたんですが、何のことだったんでしょうね。ご存知ですか?」
 
「ああ、もしかしたら、クリフのことで仕事に巻き込んでしまったと気にしておられるようですからそのことかも知れませんね。まったく問題ないので、ご心配なさらずにとお伝えください。」
 
「なるほど。あの会長も図太いようで案外小さなことを気にしますからね。わかりました。伝えておきます。」
 
 ハインツ先生は、それが何かの暗号のようなものだと、おそらくは気づいているだろう。だが事情を話さずにそんな伝言を頼むには、それなりの理由があるのかもしれないと察してくれているのだと思う。これで話は決まり、私達はハインツ先生と別れて剣士団長室へと向かった。
 
 
 奥の部屋でオシニスさんが着替えをしている間、妻がお茶を入れてくれた。
 
「お、ウィローのお茶か。」
 
 着替えを終えたオシニスさんは笑顔で妻に『ありがとう』と言いながらお茶を口に運び、『うん、やっぱり俺の淹れたのよりうまい』と言って笑った。
 
「クロービス。」
 
「はい。」
 
「お前には感謝してるよ。ありがとう。」
 
「私は自分の仕事をしただけですよ。その様子だと、フロリア様とゆっくり話が出来たようですね。」
 
「ああ、いろいろとな・・・。不思議なもので、お互いの間にあると思っていた隔たりが、実はそんなになかったんだってこともわかった。これからはお前の言うように、少しはフロリア様の話し相手になれるような気がしてきたよ。」
 
「それはよかったです。でも・・・。」
 
 なんと聞いていいかわからず口ごもった私に、オシニスさんは穏やかな笑みを見せた。
 
「言いたいことはわかるよ。確かに、好きな女と『友達』としての関係を続けるってのはつらいものがあるが・・・それでも、フロリア様が背負っているものに比べたらたいしたことはないさ。」
 
「・・・・・・。」
 
「そんな顔をするなよ。せっかくいい話を聞かせてやろうと思ってるんだから。」
 
 オシニスさんは私の肩を叩いた。
 
「いい話?」
 
「そうだ。さっきお前達とはぐれていた時、ライザーに会ったぞ。」
 
「・・・え?」
 
「どこで?!東側の屋台とかですか?!」
 
 意気込んで尋ねたのは妻のほうだった。
 
「まあまあ、落ち着いてくれよ。屋台じゃないし、あいつは一人だった。しかも、山賊コースの衣装をつけてな。」
 
「・・・は・・・?」
 
 『山賊コース』と言うことは、昔オシニスさんといっしょに2次試験の試験官として出かけたときの格好と言うことになる。なんでまたそんな・・・。
 
「お前達とはぐれてから、最初はすぐに戻ろうと思ったんだが、あの人混みで身動きが取れなくてな。仕方ないのでいったん東側に向かったんだ・・・。」
 
 東側の人通りが少ないところまで何とか抜けて、少し話をしていたらしい。その時に盗賊の一団に出くわしたということだ。かなりの大所帯で動いていたらしいのだが、背後に潜んでいた連中を誰かが加勢して追い払ってくれた。それがライザーさんだったと言うのだ。
 
「声だけですぐにわかったよ。あいつの声を聞き間違ったりしないからな。もっとも、さすがに山賊の衣装を見たときには驚いたもんだが・・・。」
 
「・・・ライザーさんはどうしてそんな格好でそんなところに・・・。」
 
「あいつは約束を果たしにきたと、そう言っていた。あいつが海鳴りの祠を出るとき、俺はあいつの背中に向かって『必ずいつか会いに来てくれ』と叫んだ。あいつは振り返らなかったし返事もしなかったが、それを俺との『約束』として受け止めてくれて、そしてちゃんとそれを覚えていてくれたんだ。もっとも、あそこで会ったのはまったくの偶然だと言っていたがな。」
 
「しかしそれにしても山賊の装束と言うのは・・・。」
 
「それは多分俺のせいだ。いや、多分じゃないな。確実に俺のせいか・・・。」
 
「俺のって・・・なんでオシニスさんのせいになるんですか?」
 
「俺への手土産を用意するためってところなのかな・・・。本当なら顔なんて出せた義理じゃないのに俺に会うためには、手ぶらってわけにはいかない、なんて言ってたからな・・・。」
 
「つまり、オシニスさんに会ったときに何かしらの成果を持ってこれるように、調べ物をしていたって言うことになるんでしょうか。」
 
「まあそんなところだ。正直言って不安はある。あいつはもう王国剣士じゃない。お前の島にとっておそらくなくてはならない薬草栽培の責任者だ。危険には巻き込みたくなかったが・・・。」
 
 そこまで言うとオシニスさんは少し思案していたようだが、『まあ隠すほどのこともないか』と独り言のようにつぶやいた。
 
「そのいかにも納得していないって顔を何とか出来る程度の情報は提供するよ。クロービス、お前が島に帰るとき、ライザー宛に手紙を頼んだよな?」
 
「はい。」
 
「俺はあの後もずっとあいつに手紙を書き続けた。返事は来なかったがあいつはきっと読んでくれていると信じて出し続けたんだ。中身はたいしたことじゃない。おもに城下町で起きたことだ。剣士団の誰かが結婚したとか、子供が生まれたとか、あとは・・・」
 
 オシニスさんは一度言葉を切り、ため息をついた。
 

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