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「邪魔するぞ・・・お、いたいた。待たせたな。」
 
 そう言って入ってきたのはオシニスさんだ。後ろには『ファミール』が立っている。
 
「いらっしゃいませ・・・あ、あら、これは剣士団長様!」
 
 あわててシャロンがカウンターから出てこようとしたのを、オシニスさんが押しとどめた。
 
「ああ、気にするな。別に視察に来たわけじゃない。俺は今夜まで休暇中なんだ。知り合いが祭り見物に出てきたので案内しなきゃならないんでね。それでクロービス達を誘って、ここで待ち合わせをしていたのさ。」
 
「まあそうでしたか・・・。クロービスさん達の待ち合わせのお相手は団長様だったのですね。」
 
「そういうことさ。おいクロービス、ウィロー、紹介するよ。この人がファミールだ。今回初めて祭り見物に出てきたんだが、俺をあてにされてももう10年も現場には出ていないからな。悪いが今日はつきあってくれ。」
 
 練習でもしていたのか、オシニスさんの口からは思いのほかすらすらと『ファミール』の紹介が出てきた。私達は自己紹介をして、祭りには何度か来ているから、案内しますよとだけ言っておいた。しゃべりすぎるとぼろを出してしまいかねない。
 
「シャロン、親父さんの具合はどうなんだ?」
 
 オシニスさんがシャロンに尋ねた。
 
「は、はい・・・おかげさまで最近はだいぶいいようです。」
 
 シャロンを包む『気』がゆらりと揺らめく。あまりそのことに触れてほしくない、シャロンがそう思っているような気がした。
 
「そうか。それなら何よりだ。祭りの間は騒がしいが、おかしな奴らは入りこんだりしていないよな?もしもそんなことがあったらすぐに通報してくれよ。」
 
「はい、お気遣いくださり、ありがとうございます。最近は、よくエルガートが寄ってくれるのでずいぶん助かっています。それにカインも夜は顔を出してくれますし。」
 
「なるほど、カインはともかく、エルガートは当てに出来るな。」
 
「あ、あら、カインもがんばってくれてますよ。確か今日は南門の辺りを警備するんだって。今朝寄って行ってくれましたから。」
 
 商品を並べようとしたまま、どうして言いかわからず立ち尽くしているフローラを気遣うように、シャロンが言った。
 
「オシニス、そんな言い方をしたらカイン・・・と言う子がかわいそうだわ。王国剣士としてちゃんと採用されているのでしょう?」
 
「ファミールさん、カインと言うのは私の息子なんです。それでシャロンがかばってくれているんですよ。オシニスさんと私とはもう古くからの付き合いですから、からかってるだけですよ。気にしないでください。」
 
「どれ、そろそろ行くか。またそのうち寄らせてもらうよ。」
 
 『旗色が悪くならないうちに』とでも言いたげに、オシニスさんが大げさに肩をすくめてみせた。
 
「ありがとうございました。」
 
 シャロンとフローラの声に送られて、店を出た。オシニスさんと『ファミール』の、妙に堂に入った演技に、私のほうが驚いていた。ここに来るまでの間に、二人で打ち合わせでもしたのだろうか。
 
 
「さてと、これから行くあてはどこなんだ?」
 
 オシニスさんは何事もなかったかのように平然としている。せっかくこの計画に素直に乗ってくれているのだから、黙っていよう。
 
「知り合いの息子さんが出ている芝居があるんですよ。そこに案内します。ただ開演時間まではまだあるので、商業地区のバザーに行ってみませんか。いろんなお店が出てますよ。」
 
 
 商業地区の広場で開かれているバザーは相変わらず盛況だ。そして相変わらず目つきのよくないスリ達が獲物を物色している。
 
「懐だけは気をつけたほうがいいようですが、ファミールさんは大丈夫ですか?」
 
「ああ、財布は持たせてないからな。」
 
「へぇ、するとファミールさんの財布はオシニスさんなんですね。」
 
「わた・・しは持ちたかったんだけど・・・持たないほうがいいって言うんだもの。」
 
 『ファミール』は恨めしそうにオシニスさんを睨んだ。
 
「なんだまだ納得してくれないのか。こんなところで君に財布を持たせるなら、最初からスリ達に放ってやったほうが手間が省けるってもんだ。ほしいものがあれば俺が買うからと言ったじゃないか。」
 
「そんな言い方しなくたっていいじゃないの。私だって自分の荷物くらい自分で管理出来るって言ったのに。」
 
 『ファミール』がふくれっ面になった。確かにそうだろうと思う。この方が一人で祭り見物をしようと思えば、身分を明かしていたとしてもまったく問題なく歩くことが出来るだろう。それだけの力をこの方が持っていることは知っている。だがそれではだめなのだ。どんな立場にいようと、人は一人で生きて行けるわけではない。時には誰かに寄りかかり、甘えることも必要だ。祭り見物をしている間だけでも、オシニスさんや私達を頼ってくれればと思っていたのだが、この調子ならうまくいくかもしれない。少なくとも『ファミール』は、何が何でも自分のことを自分でやると言い出す気はないらしい。
 
「まあまあいいじゃないですか。オシニスさんは心配してるんですよ。せっかく何でも買ってくれると言うのだから、ほしいものを片っ端から買ってもらえばいいんじゃないですか。」
 
「おいおい、焚き付けないでくれよ。」
 
 二人ともだいぶ今の役どころに馴染んでいるらしい。これを機会に少しでもわだかまりが解けてくれるといいのだが・・・。
 
「いいわ。今日はたくさん買ってもらうから。でも・・・」
 
 『ファミール』がため息をついた。
 
「どうしました?」
 
「お腹すいた・・・。」
 
「ああ、そういえばろくなものを食ってないんだもんなあ。」
 
 そうだ。今朝までろくな食事をとらずに倒れかけ、さっきスープとパンを食べてやっと元気が出たところだ。それにしても、あれからそんなに時間が過ぎていないというのにもう空腹になったと言うことは、食欲が戻ってきたと考えていいだろう。
 
「それじゃまずは屋台に行きますか?」
 
「そうだな。今はうまい屋台はあるのかな。昔はなかなかいい屋台がたくさん出ていたんだがなあ。」
 
 私達は広場を抜けて屋台が立ち並ぶ一角へとやってきた。屋台が本格的にずらりと並んでいるのは城壁の外なのだが、ここにもおいしい屋台はいくつかあったはずだ。歩いている間、『ファミール』はオシニスさんのマントの上から腕にしがみついている。素直に腕を組んだほうが移動しやすいと思うのだが・・・。
 
(いきなりそこまで親しくなれないのは仕方ないか。)
 
 二人とも、それなりに仲良く話しているようだし、私が焦ることでもない。
 
「このあたりの屋台はなかなかおいしかったですよ。えーと・・・」
 
 以前ユーリク達を連れてきた時、このあたりでミートパイを買って食べたことがあった。辺りを見回すと、店先に焼きたてのミートパイが並んでいる店がある。たぶんこの店ではなかったかと思う。
 
「おやだんな、最近見かけませんでしたが、祭り見物ですかい?」
 
 ああ、そうだ。思い出した。この人懐っこい店主が話しかけてきて、笑顔につられてミートパイとソーセージの焼いたのを買ったんだっけ。
 
「久しぶりにこっちに来たから、挨拶周りに追われていたんだ。気を使う相手が多くてね。」
 
 適当な話をでっち上げて交わし、ミートパイとサンドイッチ、それに焼いた肉の串とビールを頼んだ。屋台の周りには椅子とテーブルが並べられているが、今日は珍しく空いている。いつもなら順番待ちの行列が出来ているというのに。
 
「珍しいな。この椅子が空いてるなんてな。それとも、最近はいつもこうなのか?」
 
 オシニスさんが座りながら言った。
 
「私も空いてるのを見たのは初めてですよ。この辺りは何度か通りましたけど、いつも行列が出来ていましたからね。」
 
 ユーリク達と来た時もここは空いていなかった。仕方ないので立ったまま食べることにしたのだが、最初の頃こそいささか抵抗があったらしいユーリクとクリスティーナも、イルサに『こんなことが出来るのもお祭りの時だけよ。それ以外で立って食べていたりしたらすごく怒られたわ』という言葉で、何となく納得したようだ。島には祭りと言うほどのものはなかったが、大道芸の一座や芝居の興行が来た時には店が並ぶ。子供達には祭りのように見えたのだろう。
 
「やっぱりそうか。まあ今は半端な時間だからな。せっかく空いてるんだから遠慮なく使おう。さてと、ファミール、芝居を見ながら寝ない程度に食べてくれよ。」
 
 『ファミール』が笑い出した。
 
「私はお芝居を見ながら寝たことなんてないわよ。それに、クロービス・・・さんがお勧めしてくれるなら、きっと面白いお芝居なんでしょうし。」
 
 なるほど、初対面の人間にはさん付けか・・・。ずいぶんと細かいところまで気配りをしているのは、さてオシニスさんの発案か、それともレイナック殿だろうか。
 
(いや・・・よけいなことを考えるのはやめよう。誰が『聞いている』かわからないわけだし・・・。)
 
 用心に越したことはない。私が気にしなければならないのは、『ファミール』の体調だ。化粧をしているとは言っても、本当に体調が悪ければすぐに分かるが、いまのところは心配することはなさそうだ。大きなミートパイはいくつかに切り分けられているのだが、その一つ目をすでに食べ終えて、サンドイッチにとりかかっている。食べる合間にビールも口に運んでいる。どうやら初めて飲んだらしい。『おいしい』を連発している。
 
「落ち着いて食ってくれよ。まあ、メシをのどに詰まらせても医者が一緒だから気にすることはないだろうけどな。」
 
 からかうような口調だが、オシニスさんが『ファミール』を見る目はとても優しい。
 
「気にはしてくださいよ。詰まらせないのが一番なんですから。」
 
 隣で聞いていた妻が笑い出した。そして自分もミートパイをとり、『ファミール』に話しかけている。以前ここに来た時の話のようだ。『ファミール』は終始笑顔で、おしゃべりをしたり食べたりとなかなか忙しい。今回の『治療』は、何とか順調に始まったようだ。これから見に行く芝居は初代国王ベルロッド陛下の英雄譚だ。おそらく演劇学校からの招待で何度も見ている演目だろうけど、今回は祭りと言うことで若手が中心となっている。また違った面白さがあると思う。今日の公演にノルティは出ているのだろうか。今朝、『我が故郷亭』のフロアにはいたようだが、朝は芝居を見に行く予定がなかったので出番を聞かずに来てしまった。
 
「あー、おしいかったわ。」
 
 ミートパイとサンドイッチを平らげて、『ファミール』は上機嫌だ。オシニスさんとは時折会話を交わすが、特に気を使っているような気配は感じられない。
 
(私が気にしすぎても仕方ないな・・・。)
 
 せっかく『治療』が順調な滑り出しを見せたのだ。もうあれこれ気を回さず、『ファミール』の体調だけを窺っていよう。私達はバザーを出て、南門から外に出た。そこには門を守る王国剣士が立っている。
 
「ご苦労さん。通るぞ。」
 
 オシニスさんが声をかけた。門番の若い剣士は笑顔でうなずき
 
「はい、お気をつけ・・・おわぁぁぁぁ!団長!」
 
 そう叫んで後ずさった。
 
「大声を出すな!何だよ人を化け物みたいに・・・。俺が来たくらいで驚いてどうするんだ!」
 
 オシニスさんは『心外だ』と言う顔で剣士を見ている。門の反対側にいた剣士は、必死で口を押さえていた。多分相方と同じように叫びそうになったのだろう。今の叫び声で、門の近くにいた観光客達が一斉にこちらを見た。
 
「も・・・申し訳ありません。でも普段団長が外にいらっしゃることなんてないんですから・・・びっくりしましたよ。今日はどうしてまた・・・。」
 
 言いかけた剣士は私達に気づき、『あ、クロービス先生達と祭り見物ですか。』と、少しほっとしたように言った。自分達の仕事ぶりを視察に来たわけではないと思ったらしい。
 
「ああ、今日は夜まで休暇だ。別にお前達の仕事ぶりを見に来たわけではないが、今みたいなでかい声で叫ばない程度に気を引き締めておけよ。」
 
「は、はあ・・・申し訳ありません。」
 
 明らかに『失敗したなあ』と言う顔で剣士が頭を下げた。
 
「仕方ないんじゃないんですか。団長がいきなり目の前に現れたら誰だって驚きますよ。」
 
 私がここにいた時も、パーシバルさんが現れるとやはり驚いたものだ。
 
「普段からもっと外に出るようにすれば、そんなに驚かれなくなるんじゃないの?」
 
 オシニスさんの後ろで笑っていた『ファミール』が言った。若い剣士は彼女に気づいて『おや』と言う顔をした。
 
「なるほどそれはいい提案だな。お前ら、どうだ?俺がもっと頻繁にここをうろうろするってのは。」
 
「い、いやぁ・・・あの・・・はははは・・・・」
 
 若い剣士は顔を引きつらせながら、必死に笑ってごまかそうとしている。それを見たオシニスさんが笑い出した。
 
「ファミール、君の提案は、こいつらには今ひとつ不評らしいぞ。」
 
「あらそうなの?オシニスがもっと外に出るようになれば、もう少し剣士さん達にも怖がられなくてすむかなと思ったのだけど。」
 
 『ファミール』もこの会話を楽しんでいる。
 
「慣れればそうかもしれないが、俺がしょっちゅううろうろしていたら、その慣れるまでの間はこいつらの気が散って仕事にならないよ。そんな時に何か起きたら大変だからな。」
 
「あ、あの・・・そちらの方は団長のお連れの方・・・・ですか?」
 
 若い剣士が恐る恐る尋ねた。
 
「ああ、この人を案内するのに、休暇をとったんだ。今日は騒ぎは起きてないか?」
 
「今のところは起きていませんね。まだ昼間ですから。これからの時間のほうが起きる可能性が高いですが・・・。」
 
 若い剣士の返事は上の空だ。視線は『ファミール』に注がれている。気になって仕方ないらしい。だが、別に『それが誰か』に気づいたと言うわけではなさそうだ。団長が女性を連れている、しかもお互いに名前で呼び合いとても親しげだ、と言う事実に戸惑っている、そんな風に見える。
 
「それもそうだな。だが、このあと夜まで無事に済むかどうかなんて誰にもわからん。注意は怠らず、引継ぎもきちんとしろよ。」
 
「は・・・はい。ではお気をつけて。皆さん、懐と荷物には気をつけてくださいね。」
 
 オシニスさんが怒ったりしなかったせいか、若い剣士は少し安心した顔でそう言った。きっと夜勤の剣士との引継ぎでは、『団長が女性を連れていた』と言うことが話題になるだろう。明日の朝には噂が広まっているかもしれない。だが、翌日この推測が大当たりどころか、飛んでもない騒動に発展することなど、この時の私には想像もつかないことだった。
 
 
「気が散ると言っても、そんなに中にばかりこもっていなくたっていいのじゃない?」
 
 さっきの提案を、『ファミール』はまだあきらめていなかったらしい。
 
「団長なんてのは誰にとっても煙たい存在なんだ。俺は中にいて、ハリーがその分歩きまわってくれる、これでうまく行ってるんだからいいんだよ。」
 
「そのハリーさん達はどうしてるんでしょうね。」
 
「うーん・・・もう戻ってもいいころなんだがなあ・・・。」
 
 早く会いたいものだが、今頃どのあたりを歩いているのだろう。そう言えば、息子がこの辺りの警備をしているはずだが、人波にまぎれて他の王国剣士の姿は見えない。
 
「そろそろ行きましょう。あまりぎりぎりだと座る場所がなくなりますよ。」
 
「そうだな、行くか。」
 
 
 
「いらっしゃいませ!4名様でございますな!」
 
 迎えてくれたのは前と同じ切符切りだ。この男性が実は演劇学校の先生であることを私は知っているが、オシニスさんとファミールはどうなんだろう。パンフレットをもらって中に入った。前のほうはもう席が埋まっている。少し真ん中当たり、役者の顔はそんなにはっきり見えないが、舞台全体を見渡すにはちょうどいい席が空いている。私達はそこに座った。
 
「ベルロッド様のお話なのね。ふふふ、楽しみだわ。」
 
 『ファミール』は、今回の祭り見物を心から楽しんでいるようだ。
 
「クロービス、そう言えばさっき、この芝居にお前の知り合いの息子が出ているとか言っていたな。」
 
「私達が泊まっている『わが故郷亭』のマスターの息子さんです。ノルティと言うんですが。もっとも何日か交代で出るらしいので、今日出てるかどうかまでは聞いてこなかったんですけどね。」
 
「ほぉ・・・ん?あの店の・・・・ノルティ・・・?」
 
 オシニスさんはしばらく考え込んだあと、『あ、あのちびすけか!』と叫んだ。
 
「ちびすけ?ご存知なんですか?」
 
「俺が団長になる前、あのあたりを見回りに歩く王国剣士によくまとわりついてきたんだ。人懐っこい子供でな。確かあの店は前のマスターに子供がいなくて、ずっと面倒を見ていた子供を養子にしたとか言う話だったよな。」
 
「それが今のマスターですよ。ノルティはその人の息子さんです。」
 
 考えてみれば、この町の子供達の遊び場は町そのものだ。王国剣士だって時には遊び相手にされてしまう。オシニスさんがノルティを知っていたとしてもおかしくない。
 
「なるほど・・・あの子供がもう若手とは言え役者として舞台に立っているわけか・・・。ははは、歳をとるわけだ。」
 
「そんなに老け込まないでください。あ、ほら始まりますよ。」
 
 客席が暗くなり、グレンフォード伯爵が出てきた。型どおりの挨拶が終わり、いよいよ開演だ。
 
 
『僕は行けない・・・・母を残していくなんて・・・でも君にも行ってほしくない』
 
 物語は進み、ノルティの出演シーンになった。若者役の役者は・・・どうやら今日はノルティの出番だったらしい。
 
『でも、私はいかなければならない。あのお方を遠い西の大地へと旅立たせるなんて・・・。』
 
『でもベルロッド様が一緒なんだ。あのお方はいい方だと君も言っていたじゃないか。』
 
 彼の演技は以前より深みが増したような気がする。そして台詞が前回と違う。前に見た時には、ノルティ演じる若者の恋人は巫女姫の侍女で、『遠い西の大地』へと行ってしまう巫女姫を心配した侍女が、恋人と別れて巫女姫についていくことを決意するという内容だった。だが今回は、侍女が巫女姫を心配する気持ちより、徹底的に破壊された都の姿を見て、自分の人生に絶望していると言うところが描かれている。愛する人と一緒に小さな家を建てて住むという自分の夢など、簡単に砕かれてしまうのだと、侍女は何もかもに絶望して恋人の言葉さえ信じられなくなっている。そしてその絶望から逃げるために巫女姫についていこうとしているのだ。逃げたところで何も変わらないというのに・・・。
 
(逃げても何も変わらない・・・か。・・・なんだか自分に言われているみたいな話だな・・・。)
 
 なんとも複雑な気分だ。この物語の主役はベルロッド陛下と巫女姫なので、若い恋人達のシーンはそんなに長くなかったはずだが、ここまで深みのあるストーリーと演出がくわえられたと言うことは、この二人のシーンが人気を呼んだのだろうか。
 
 オシニスさんが舞台を指差しながら私を見た。『あれがノルティか?』と言っているようだ。真ん中に妻と『ファミール』を挟んで両端に座ったので、囁き声が聞こえるほどは近づけない。私も舞台を指差し、うなずいて見せた。
 
『明日のことなんて分からない・・・。そう、わからないのよ!何もかも!』
 
 愛する人の言葉を信じたいのに信じきれない、そんな自分を憎む侍女。恋人の心を思いやって身を引くべきか悩みながらも、彼女を抱き締める腕の力を緩めることが出来ない若者。その二人の悲哀が以前よりいっそう胸を打つ。ふと『ファミール』をみた。ハンカチで目をぬぐっている。彼女はこの物語の中に何を見るのだろうか。
 
 その後、侍女が巫女姫の説得によってサクリフィアに残る流れは同じだったのだが、その説得の台詞も変わっていた。以前は愛する人のそばにいることがなによりうれしいという内容だったと思うのだが、今回、巫女姫は自身がすでに神の声を聞くことが出来なくなっていることを侍女に打ち明け、一度は絶望のどん底につき落とされたことを隠さず伝えていた。以前より話の内容がかなり濃く深くなっている。物語の最後、ずらりと並んだ船の前で、西へと旅立つ人々とサクリフィアに残る人々との別れのシーンも少し長くなっていた。あの侍女が若者と二人寄りそい、巫女姫に別れを告げる。涙はあったがどちらの顔も晴れやかで、未来への希望が感じられた。
 
『姫様、私達はここで生きて行きます。お元気で・・・。』
 
『あなたもね。今までありがとう。』
 
 
 
 幕が下りると次々に客が立ち上がり、会場は大喝采の渦に包まれた。
 
 
「いやあ、面白かったなあ。この話はだいぶ前に本公演で見たことがあるが、若手の演技もなかなかのものだったな。しかし・・・あのちびすけがあんなに立派に演技しているとはねぇ・・・。」
 
 オシニスさんは感慨深げだ。
 
「それに、前と内容が変わってるんですよ。あんなに長いシーンじゃなかったし、巫女姫の説得シーンも内容が変わってました。人気が出て、急遽シナリオが変更されたのかもしれませんね。」
 
「そうか・・・。たいしたもんだな・・・。ファミール、どうだった?」
 
「いいお話だったわ。少し泣いてしまいました。」
 
 出口にはあの切符切りが待ち構えている。感想を聞かれ、思ったことを正直に伝えた。切符切りは次にオシニスさんに感想を尋ね、はっとして、深々と頭を下げた。
 
「これはこれは剣士団長様。いつもお引き立てありがとうございます。」
 
「今は仕事中じゃないから、気にしないでくれ。いい芝居だったよ。本公演とはまた違った雰囲気だな。シナリオも少し変わってるみたいだし。」
 
「はい、今回はシナリオも若手が中心となって作っております。いずれ本公演の舞台に立つ者もおりましょう。フロリア様にもよろしくお伝えくださいませ。」
 
 間違いなくフロリア様には伝わっていることだろう。
 
 
 
 テントの外はもう夕暮れだ。ますますにぎやかになり、ずらりと並んだ屋台からはおいしそうな匂いが漂ってくる。一方バザーもここのほうが広くて店がたくさんある。食事はさっきしたばかりなので、少しバザーのほうを見て回ろうと言う話になり4人で歩き始めた。
 
 
「いらっしゃい!おしゃれなスカーフはいかがかな!南大陸で流行中の美しいスカーフだ!」
 
「素敵なアクセサリーはいかがかね!恋人へのお土産に!旅の記念に!今なら高価なアクセサリーが大幅値引きだよ!」
 
「南大陸で取れた新鮮な野菜はどうだ!この辺じゃ見かけない珍しい野菜だよ!」
 
 
 やはり『南大陸』から来たと言うテントには人だかりが出来ている。いくら品物の流通が盛んになったとは言っても、北大陸に住む人々にとって、南大陸は『未知の大地』だ。だが、昔のような『モンスターが凶暴な大地』などと言うイメージは、最近はないらしい。それはいいことだと思う。
 
「わあ、かわいい!」「あれを見たい!」「あっちのお店も面白そう!」
 
「おい、ちょっと待ってくれ!」
 
 財布を持たせてもらえなかったお返しのつもりか、『ファミール』は次々にいろんな店を覗こうとする。そのたびにオシニスさんが追いかけていって一緒に店を見て回る。店を覗くよりこの二人を見ていたほうが楽しいくらいだ。私達はもう何度か来ているので、今回は二人の後をついて歩いていた。この人混みの中ではぐれてしまうと、そう簡単に探し出すことなど出来そうにない。
 
「うわぁ、これは素敵ね!」
 
 『ファミール』が声をあげた。美しいアクセサリーが並ぶ店で、立ち止まってる。財布役のオシニスさんが覗き込み、品定めにつき合っているようだ。
 
「覗いてみようか?」
 
「ずいぶん種類が豊富みたいね。」
 
 妻と一緒に、オシニスさんの脇から店を覗き込んだ。そこに置かれているアクセサリーは、他の店のものとは少し違う。みんなかなり本格的なデザインなのだ。私はこの手の品物の価値はさっぱり分からないほうだが、それでもここに並べられている商品はいいものばかりだと思った。
 
「これ、素敵なんだけど・・・。」
 
 『ファミール』は上目遣いにオシニスさんを見ている。手に持ったネックレスはなかなかいいもののようだが、結構な値段がするらしい。
 
「へえ・・・きれいだな。んー・・・アクアマリンみたいだが、ランプの明かりだとよくわからないな。おいばあさん、これは何の石で出来ているんだ?」
 
 オシニスさんが奥に座る店主らしいおばあさんに声をかけた。
 
「ああ、だんなの目は確かなようだね。アクアマリンで正解さ。ランプの明かりの下だとよくわからないんだけどねぇ。」
 
「やっぱりそうか。この明かりじゃ確かによく見えないが、石の見分けくらいはなんとかな。これでもハース鉱山にはしばらくいたことがあるんでね。」
 
「おや、だんなは鉱夫だったのかい。それにしてはえらく立派な身なりだけどねぇ。」
 
「鉱夫じゃないよ。採掘もやったことがあるけどな。浅い場所だったから鉱石はあんまり出なかったが、この手の原石は結構あったもんだ。その時にいろいろ教えてもらったから、種類が何かってことと、本物か偽物かくらいはわかるよ。」
 
「へぇ、懐かしいねぇ。昔はハース鉱山と言えば鎧や武器の材料ばかりがもてはやされたもんだけど、こう言うきれいな石も結構掘り出されてるんだよ。」
 
(採掘もやったのか・・・。)
 
 あの事件の後始末のために、オシニスさんが剣士団を率いてハース城に向かったと言う話は以前もらった手紙にも書かれていたが、それなりに長い間滞在していたらしい。多分その時の話だろう。
 
「オシニス、これは本物よ。」
 
 『ファミール』が言った。確信に満ちた口調だ。
 
「そういえば君は詳しいんだったな。クロービス、お前はどうだ?」
 
「聞く相手を間違えてますよ。私にはさっぱりです。ウィローは詳しいですけどね。」
 
「そうねぇ・・・。」
 
 妻は真剣な目で『ファミール』の手にあるネックレスを見つめ、『これは本物じゃないかな。ランプの光の中でここまで輝くなんて、ガラス玉ではこうはいかないと思うわ』と言った。
 
 実は、妻は結構この手の宝飾品に詳しい。小さなころ、カナにはハース鉱山から採れた鉱石を積んだ馬車はもちろん、こういう宝石の原石をたくさん積んだ荷馬車も通っていたそうだ。鉱石の流通については仲買人が仕切っているのでその馬車から直接購入することは出来なかったが、宝石のほうは特に決まりごとがない。そこで、少しでも質のいい原石を手に入れようと、宝飾品を扱う商人や細工師が、荷馬車目当てにたくさん訪れていたらしい。彼らは相手が子供でもぞんざいに扱うことはしなかった。子供達は『未来の客候補』だからだ。
 
『私達にとっては宝石の価値なんてたいして重要ではなかったわ。でもね、原石が磨かれてきらきらと光る美しい石に変わっていくところや、精密な細工を施されてネックレスに変わっていくところを見せてもらえるの。もう大喝采よ。あのころは、自分も細工師になりたいって言う子供達が多かったくらいよ。』
 
 妻が以前そんな話をしてくれたことがある。その『目』を買われて、ラスティの店にたまに入荷する宝飾品の目利きを頼まれることがあるほどだ。
 
「おやおや、おかみさん方は詳しいようだねぇ。こういう目の肥えた客に祭りで出会えるとはうれしいね。で、こちらのおかみさんがお気に入りのネックレスはどうするんだい?買ってくれるなら値引きはしてあげるよ。」
 
「いくらにしてくれるんだ?」
 
「うーん・・・そうだねぇ・・・。」
 
 オシニスさんと店主のおばあさんとの駆け引きが始まったようだ。『おかみさん』と言われた『ファミール』はちょっとだけ困ったような顔で二人を交互に見ている。辺りはすっかり暗くなり、バザーの人ごみの中を歩く王国剣士の姿が目立つようになった。夜勤の剣士達の勤務時間になったらしい。夜は街道や門近辺よりも、バザーや見世物小屋あたりを歩く剣士達の数を増やしていると言う話は、以前聞いたことがある。あたりに目を配りながら歩く剣士達は、私達の横を通り過ぎざまオシニスさんの声にぎょっとして立ち止まり、隣にいる『ファミール』に目を移しては頷きあってそそくさと立ち去っていった。
 
「これもいいわねぇ・・・。買っちゃおうかな・・・。」
 
 気づくと妻もアクセサリーを手にとって眺めている。赤い石のネックレスだ。これはルビーだろうか。
 
「きれいだね。そんなに高くなければ買ってあげるよ。」
 
 ここで、値段など気にしなくても買ってあげると言えればいいのだが、残念ながら我が家にはそこまでの余裕がない。
 
「ふふふ、そうねぇ・・・この色が、この間作ったスカーフに合いそうだなと思って。」
 
「スカーフ?首にかけるんじゃなくて?」
 
「アクセサリーはアイディア次第よ。ネックレスだから首にかけなきゃならないってわけでもないしね。」
 
 島の女性達はみんなおしゃれに気を使う。彼女達の言葉を借りれば『おしゃれ自体がこの島の娯楽』ということらしい。
 
「よし、こうなったらあたしも腹を括ろうじゃないか。あんたの男っぷりと別嬪のおかみさんに免じて、80Gだ!」
 
「80Gか・・・。うーん・・・。」
 
 オシニスさんはまだ考え込むように腕を組んでいる。
 
「だんなぁ、ここら辺で勘弁しておくれよ。あたしのほうが干上がっちまうじゃないか。」
 
「そうだなぁ・・・よし、俺としてもバザーの店を干上がらせたなんて言われるのは困るからな。」
 
 どうやら駆け引きは終わり、値段が決まったらしい。
 
「80G・・・はあ・・・バザーで買うには結構な値段ねぇ。」
 
 妻がため息をついた。値切って80Gなら、元はいくらだったのだろう。しかも2人のやりとりを聞いていると相当オシニスさんが粘ったらしい。昔、父が私に遺してくれた500Gは当時としては大金だったが、今の時代はあの頃よりお金の価値が下がってきている。とは言っても80Gがそう簡単に懐から出てくるお金ではないと言うのは同じだと思うが、オシニスさんは財布を取り出し、支払を済ませた。美しいアクセサリーに似合わない簡素な袋に入れられたネックレスは、晴れて『ファミール』のものとなったのだ。
 
「ありがとう!大事にするわ!」
 
 この時の『ファミール』の笑顔は、額に入れて取っておきたくらいの笑顔だった。
 
「うん、決めた!これ買ってくるわ!」
 
 オシニスさん達の交渉成立に刺激されたか、妻もさっき手に取っていたネックレスをおばあさんに見せて、『もう少しまけてよ』と交渉し始めた。
 
「おやおや、こっちのおかみさんもかい。それは元々そんなに高いものじゃないんだよ。でもまあ・・・高く売りつけられたなんていわれても困るし、そうだねえ・・・50Gでどうだい?値札は80Gだけど、本当なら100Gはくだらない代物だよ。」
 
「50Gねぇ・・・。あと10Gくらいまけてほしいとこだけど、間を取ってあと5Gはどう?」
 
「おばあさん、私からも頼むよ。うちもそんなに余裕があるほうじゃないんだけど、祭りに来た記念にこのくらいの品物はほしいからね。」
 
 店主が笑い出した。
 
「家の余裕がないからまけてくれってのは初めてだね。たいていの客は持ち合わせがどうのとか、ひどいのになるとどうせ偽物だろうなんて因縁つけたりするもんだけど、そっちのだんなといい、なんだか今日は変り種の客に会う日だよ。まあ仕方ない。45Gでいいよ。」
 
 こちらも値段が決まり、赤い石のネックレスは妻のものになった。『これルビーかな、きれいだね』と言ったところ、『本当にこのだんなはわからないお人なんだねぇ。これはルビーじゃなくてガーネットだよ』と言われてしまった。
 
「いやねぇ、色が全然違うじゃないの。」
 
 さすがに妻は呆れ顔だ。
 
「どうやったら間違えられるんだろうねぇ。おかみさんにちゃんと教えてもらいな。」
 
 アクセサリー屋の店主にもすっかり呆れられてしまった。
 
「はぁ・・・まいったな・・・。」
 
 そもそも宝石になんて接する機会すらない。赤い石と言えばルビーしか思いつかなかったが、言われてみれば確かにガーネットと言うのは赤い石だった。
 
「ウィローが目利きだってのに、本当にお前はさっぱりなんだな。」
 
「そりゃ女性はおしゃれで興味を持つでしょうけど、男は宝石に接する機会なんてないじゃないですか。」
 
「まあなあ・・・。俺だってハース鉱山に行って採掘を手伝ったりしていたからわかるようになったんだしな。」
 
「でもそのころはまだ鉱山の再開の前ですよね。何でまた採掘なんて。」
 
「採掘と言うより試掘だな。一番深いところにあるナイト輝石の鉱脈への坑道は封鎖したが、上層部にはまだまだ豊富な鉄鉱石の鉱脈が眠っていたし、宝石もそこそこ産出できるはずだから、出来るだけ早く採掘再開出来るように少し掘ってみたいって言われたんだ。あの当時はハース鉱山自体を閉山するべきだって言う極端な意見もあったから、カナの村の人達にとっちゃ、せっかくモンスターがおとなしくなったのに宝の山をまた埋め戻すようなことはしたくなかっただろう。それに、ウィローの親父さんの遺志を継ぎたいって言う鉱夫は、ロイだけじゃなかったしな。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
 妻が少し微笑んで、『ファミール』が少し暗い顔をした。この程度の会話の内容で暗い顔をしているうちは、まだまだこの方は立ち直れていないのだ。今日これから過ごす時間で全て解決するはずはないにしても、もう少し強い心を・・・いや、強い心を持とうと本人が必死なのは確かなのだろうけど、その方向性を、もう少し違う方向に向けることは出来ないものだろうか。
 
「もう少し向こう側も見てみたいわ。」
 
 『ファミール』が言った。演劇学校のテントは南門を出てすぐの場所に立っている。ここは言わばこの場所の中でも『一等地』だ。ここを中心に露店が並ぶバザールと、屋台が並ぶ飲食街が広がっている。そして少し距離を置いて、見世物小屋や大道芸のテントがひしめき合っている。こんなに賑やかなのは、私達がローランから来た時に見た西側と、南門の外だけらしい。東側には城下町と東の港を結ぶ街道があるので、そちら側には出店が出来ないとのことだった。ファミールが見たいと言ったのは西側の方だ。そちらにもバザールは展開されているし、芝居小屋もいくつかある。
 
「それじゃ行きましょうか。向こう側のテントにもかなかなおもしろいものが出ていましたよ。」
 
 4人で移動しようとしたその時だった。周りを歩く人混みが急に膨れあがったような気がした。
 
「うわ!」
 
「お、なんだ?」
 
 思い出した。演劇学校の芝居小屋と、周りの見世物小屋や大道芸の小屋の入替時間は少しずれている。さっき私達が芝居を見終わって出てきた時には他のテントはまだ興行中だったのだが、そのテントの客達が、入替時間となり一斉に出てきたのだ。
 
「きゃあ!」
 
「ウィロー!」
 
 人並みに押され、危うく転びそうになった妻を慌てて抱き寄せた。先を争ってテントからバザールや屋台に向かおうとしている人の波に巻き込まれ、私達はしばらく動くことが出来なかった。
 
 
「・・・ふぅ・・・なんとかやり過ごせたかな。」
 
 やっと人の流れが少し緩やかになり、一息ついた。
 
「クロービス!オシニスさん達は!?」
 
「あ!」
 
 振り向いた時には、オシニスさんの姿も、『ファミール』の姿も、どこにも見えなかった。

第79章へ続く

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