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 メニューは蒸しパンと具沢山のスープだ。部屋に漂う匂いと同じく、スープや蒸しパンからは異様な匂いは感じ取れない。スープを一口スプーンですくって口に入れてみたが、実に滋味あふれるうまさだ。蒸しパンも隅っこを少し取って食べてみたが、ふんわりやわらかく、やさしい味がする。
 
「大丈夫だと思うわ。」
 
「うん、こっちも問題ないね。それじゃ皆さん、いただきましょう。」
 
 いつも侍女達が座る椅子にみんなで腰掛けた。
 
「こんな大勢での食事など久しぶりじゃのぉ。ではいただこうか。さあフロリア様、お召し上がりください。」
 
 レイナック殿も楽しそうだ。オシニスさんを見ると、先ほどのようにはむすっとしていない。おいしい食事で、少しでも眉間のしわが取れてくれるとありがたいのだが・・・。このあとの『治療法』のためにも、もう少し和やかな雰囲気になってほしい。
 
「そうですね。このスープの匂いを嗅いだら、おなかがすいたような気がします。」
 
 フロリア様は笑顔でスープを口に運んで叫んだ。
 
「おいしい!」
 
「うわ!これ本当においしいわ!」
 
 リーザも驚いている。
 
「ほお、こんなうまいスープ、今まで出てきたことがあったか?」
 
 オシニスさんが笑いながら言った。眉間のしわが取れたらしい。これならばうまく行きそうだ。
 
「うーむ、うまいスープだのぉ。」
 
 レイナック殿も満足されたようだ。
 
「蒸しパンもいいわねぇ。短時間ではパンを焼くのは無理だものね。」
 
 妻が感心したようにうなずいている。
 
「さっき君が提案してたのは、いつもの病人食だよね。」
 
 具だくさんのスープと、焼きたてのパン、それに病人の体調によっては、チーズやたまごの茹でたのをつけることもある。パンには新鮮なバターもつける。寒い北の島の中でも比較的気候が穏やかな部類に属する私達の集落では、新鮮なミルクも手に入る。広大な農場に出来るほどの広さはないが、島の産業の1つとして何頭かの牛を飼い、交代で世話をしている。もっとも産業と言っても、島内での流通で精一杯で、出荷できるほどたくさんの牛を飼うのはなかなか難しいのが現状だ。
 
「そうよ。パンはすぐには焼けないけど何とかしますって言ってたから、どうするのかと思ってたの。」
 
「うちに帰ったら早速試せそうだね。」
 
「そうよね。それじゃまたイノージェンと一緒にいろいろ試そうかな。」
 
「ということは、ライザーさんと私はまた実験台になるってことか。最もおいしいからいいんだけど。」
 
「でしょ?ふふふ、楽しみだわ。」
 
「あら、いつもライザーさん達と一緒に料理したりするの?」
 
 リーザが妻に話しかけた。
 
「ええ、ライザーさん達がうちに来たり、私達が行ったり、あとはね、その他の家にみんなで行ってそこで料理、なんてこともあるわ。」
 
「楽しそうでいいわね。ライザーさん達、どこにいるのかしら・・・。」
 
 そう言えば、リーザはずっとライザーさん達の行方を気にしている。ライザーさんが剣士団から去った時にはリーザもそこにいたはずだから、そうすんなりと訪ねてくることは出来ないかも知れないということはわかっているようだが、それでもかなり気にしている。何か理由があるのだろうか。
 
「居場所がわかっている奴は後回しなんじゃないのか。あいつのことだから、けろっとして顔を出すかもしれないぞ。」
 
 オシニスさんが言った。この人が多分一番ライザーさん達の行方を気にしている。
 
「そうですねぇ・・・。」
 
 リーザがため息をついた。
 
「せっかくのおいしい食事にため息は似合わないわよ。さ、食べましょうよ。」
 
 妻が明るく言った。リーザははっとして『そうよね、せっかくおいしいもの食べてるのにね』そう言って笑った。本当においしい食事だと思った。ふかふかの蒸しパンも柔らかくて、これなら胃腸の弱った人でも健康な人でも満足できる。さすがプロだなあと思う。まだ若そうだが、料理に取り組む姿勢は熟練のシェフにも劣らない。ロイスシェフについて聞いてみると、なかなか評判はいいらしい。若いのにシェフに抜擢されたのも、やはり料理に取り組む姿勢と、食べる人への細やかな心遣いを買われてのことだったようだ。
 
「いつも穏やかだしにこにこしているから、敵を作りにくいしな。男女問わず人気があるんじゃないのか。」
 
 オシニスさんが、蒸しパンの最後のひとかけでスープをすくい取り、ぽいと口に入れながら言った。
 
「しかし本当にうまかったな。これからこういうのが食事で出てくるなら大歓迎だ。」
 
 食べている間中食卓はとても賑やかで、フロリア様は終始笑顔だった。ついさっきまで青い顔で横になっていたとは思えない。これならば次の『治療法』を実行できそうだ。
 
 
「さて、改めてお聞きします。フロリア様、先ほどと比べてお加減はいかがですか?」
 
 フロリア様は笑顔で私を見た。
 
「ええ、とても楽になりました。ほら。」
 
 フロリア様はベッドの端からすっと立ち上がり、歩いて見せた。無理しているわけじゃない。本当に元気が出たらしい。
 
「ほぉ、この食事は魔法の食事のようだ。先ほどとは別人のようではないか。しかしクロービス、この食事はウィローがレシピを提案したと言うことだが、何か薬草などは入っていないのか?」
 
 レイナック殿も目を丸くしている。
 
「なにも入ってないですよ。おいしい食事から薬の匂いがしたのでは、かえって食欲が落ちてしまいますからね。今の食事はフロリア様のお体に効いたと言うより、お心に効いたのではないかと思いますよ。」
 
「・・・なるほどな・・・。」
 
 レイナック殿が少し難しい顔でうなずいた。
 
「フロリア様は国王陛下としてもう何十年も玉座に座っておられますから、日常的に国王陛下として扱われることを気にされたことはないでしょう。でも、最近のように精神的にお疲れの時には、当たり前のことでも苦痛に感じることがあるのではありませんか。」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
 フロリア様は答えない。多分、答えられないんだと思う。
 
「たまにはこうして、誰かと一緒に食卓を囲んで賑やかに食事をすると言うのも大切なことですよ。大事なのはフロリア様の健康です。それを一番に考えましょう。」
 
「うむ・・・そうだな・・・。今後の食事のことも、もう少し柔軟に考えなければならぬようだ・・・。クロービス、ご苦労だった。フロリア様に笑顔が戻られたのが何よりじゃ。礼を言うぞ。」
 
「レイナック殿、わたしの治療はまだ終わっていませんよ。」
 
「む、そうか。ではこれから薬湯を・・・」
 
「いいえ、薬よりも、もう少し強力な治療を行おうと思います。」
 
「きょ・・・強力?」
 
「・・・もしかして、その話の続きがさっきの話になるってこと?」
 
 ずっと黙っていた妻が口を開いた。
 
「そういうこと。」
 
「それじゃみんなに分かるように説明はしてくれるんだろうな。」
 
 オシニスさんが少し苛立った口調で言った。
 
「説明というほど難しい話ではありませんよ。フロリア様、これから祭りを見に行きませんか?」
 
「え?お祭り・・・ですか?」
 
 フロリア様はきょとんとしている。
 
「ええ、そうです。祭りももう後半ですから、毎日ものすごい盛り上がりですよ。大道芸や見世物小屋、それに芝居小屋もありますから、たまには羽目をはずして大騒ぎと言うのもいいのではないかと思いますが、いかがです?」
 
「ふふふ、楽しそうですね。でもわたくしがいきなり出かけたりしたら、みんなが迷惑をこうむりますから、やめておいたほうがいいでしょう。」
 
「うーむ、確かにフロリア様の言われることにも一理ある。いい考えではあるが、いきなりとなると警護の手を確保するのは難しいの。祭りは後半からかなり人出が増えることだし・・・。」
 
 レイナック殿が眉をひそめた。
 
「レイナック殿、その考え方をまず捨てませんか。」
 
「む・・・いやしかし・・・。」
 
「レイナック殿の言われることもごもっともです。フロリア様に万一のことがあってはならないですからね。でも、周りがそう望むことが、知らず知らずのうちにフロリア様の行動範囲を狭くしているのではありませんか。」
 
「おいクロービス、そういう言い方はないだろう。じいさんはフロリア様を心配しているんだ。」
 
「私だってそれはわかります。ですが、今フロリア様がおっしゃったではありませんか。『みんなが迷惑をこうむる』と。フロリア様は国王陛下です。この国で一番偉いはずの方が、『自分が動けば回りに迷惑をかける』とお考えなんですよ。それはおかしいと思うのですが、どうお考えですか?」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんとレイナック殿が言葉に詰まった。
 
「・・・私は賛成するわよ。いい考えだと思うわ。」
 
 沈黙を破ったのはリーザだった。
 
「そう思う?」
 
「ええ、もちろんよ。フロリア様、たまには外に出かけましょうよ。父から聞いたことがありますけど、先代の国王陛下がお元気だったころは、よくご家族で買い物を楽しまれたそうですね。ライネス様とファルミア様、それに、モルダナさんがフロリア様を抱いて、4人で大通りを歩くところをよく見たものだって言ってました。護衛はいたでしょうけど、ライネス様は王太子時代から剣の腕には秀でていたし、もちろん王家の秘法も会得していたから、護衛が周りを取り囲んだりしているわけじゃなくて、ぱっと見た目にはごく普通の家族が歩いているのとかわらなかったって。」
 
「そうですね・・・。おぼろげながら記憶があるわ。わたくしが歩けるようになってからは、モルダナはここで留守を守ってくれていたの。そしてわたくしは両親と手を繋いで、ケーキ屋さんに入ったり、洋服を買ってもらったり、楽しかったわ・・・。」
 
 フロリア様が懐かしそうに眼を細めた。
 
「そう、楽しいんですよ!フロリア様、フロリア様が始められたこのお祭りを、始めた方が見られないなんてそんな馬鹿なことがあるものですか!クロービス、私は協力するわよ。必要なことがあれば何でも言って。」
 
 リーザはかなり乗り気だ。正直なところ、リーザがここまで積極的に賛成してくれるとは思わなかった。でもこれはチャンスだ。
 
「ま、待ってリーザ。確かにわたくしは、あまりにも周りの影響ばかり気にしていたかもしれないけど・・・それでもわたくしが出かけるとなれば、たくさんの人達が自分の仕事を後回しにしてわたくしのために動かなければならないのよ。お祭りの間は王国剣士達も半分は休暇中だし、ぎりぎりの人数で警備のやりくりをしているオシニスに申し訳ないわ。」
 
 リーザがあまりにも大乗り気なのでフロリア様は戸惑っている。
 
「フロリア様、そんなことは・・・。」
 
「大丈夫ですよ。フロリア様、警備のために誰かを煩わせるのは、必要最小限だけで済むようにしましょう。」
 
「え・・・?」
 
 フロリア様が顔を上げた。
 
「ではどうするのだ?警護をつけずにフロリア様が出かけられるなど・・・。」
 
 レイナック殿は不安そうに私を見ている。
 
「ふん、歳のせいで頭の回転が鈍ったのかじいさん。こいつが言っているのは、フロリア様がフロリア様だと分からないように、変装でもしてこっそり出かけようって話さ。そうだろう、クロービス?」
 
 オシニスさんが、半分呆れたような顔で私を見ながら言った。
 
「そういうことです。さすが剣士団長、察しが早くて助かります。」
 
「な、なんと、お忍びでか?!しかし・・・うーむ・・・。」
 
 レイナック殿は考え込んでしまった。
 
「持ち上げてもなにも出ないぞ。じいさん、そう考えこむほどのことじゃないだろう。俺も賛成だ。クロービス、お前の言うとおりだ。俺達はいつだってフロリア様の御身を第一に考えていたつもりだった。だが、実はそれがフロリア様の行動範囲を狭め、しかもフロリア様にお気を使わせることになっていたとは情けないことこの上ない。フロリア様が外に出かけられることで少しでもお気が晴れるなら、俺は何でもするよ。」
 
「ということは、ご協力いただけると言うことですね。」
 
 私は念を押すようにもう一度言った。しっかりと言質をとっておかなければならない。
 
「・・・その口調が気になるが、その通りだ。それに、お前が警護してくれるなら王国剣士を10人つけるよりも安心だろう。」
 
「何を他人事のように言ってるんですか?フロリア様を警護するのはオシニスさんですよ。」
 
「俺が?!お前が行くんじゃないのか?」
 
「もちろん私も行きます。ですが、私がウィロー以外の女性を同伴して歩いていたら、変に思われるじゃないですか。事情を説明出来ないわけですから。その点オシニスさんなら独身ですから、どんな女性を連れて歩いていようとからかわれる程度ですみますからね。それとも、変に思われたくないお相手でもいらっしゃるんですか?」
 
「そんなのがいるか!だが俺がフロリア様をお連れしていたら、すぐにばれちまうんじゃないのか?」
 
「そこはリーザとウィローの腕次第ですよ。」
 
「つまり、フロリア様をまったくの別人に見えるようにすればいいのね。」
 
 リーザが楽しそうに言った。
 
「そういうこと。君の体格ならフロリア様と似ているから服は君のをあてにしているんだけどな。それに、ずいぶん昔だけどかつらもいくつか持ってるとか言ってたじゃないか。」
 
 リーザはきれいな赤毛だが本人はその髪の色があまり好きではなかったらしい。金髪や栗色のかつらをいくつか作り、家で催されるダンスパーティーなどではそういうものを身に着けていたものだと、以前聞いた記憶があったのだ。
 
『君の髪の色はきれいじゃないか。俺の髪なんて同じ赤でも、頭に火がついたみたいだ、なんて言われたりするんだぜ?』
 
 自分の髪の色が嫌いだといったリーザに、カインが自分の髪を引っ張りながらそんなことを言っていたっけ・・・。
 
「よく憶えてるわねぇ。今も持ってるわよ。そうねぇ・・・確かここに引っ越してきた時に、1つか2つは持ってきてるはずよ。もうずいぶんと使ってないけど、物はいいから大丈夫だと思うわ。あとは・・・お化粧とかを工夫すれば・・・。」
 
「おいちょっと待てよ。」
 
 すっかり乗り気のリーザの声を、実に無粋な響きでオシニスさんの声がさえぎった。また眉間にしわが戻っている。
 
「何ですか?」
 
「お前、大事なことをひとつ忘れてないか?」
 
「何をです?オシニスさんには協力していただけると聞いたはずですが?」
 
「ああ、それは確かにそうだ。だが、それはあくまでも、フロリア様が祭りを見に行きたいと仰せならばの話だ。話を進めるのは、フロリア様のご意志を確認してからにすべきじゃないのか。俺達だけで勝手に話を進めるわけにはいかないぞ。」
 
「それならフロリア様のご意志を確認してください。オシニスさんは剣士団長です。警備の責任者の方ですからね。」
 
 さて、フロリア様はなんと言うだろう。もっとも、本人がなんと言おうと連れ出すつもりではいる。これは治療の一環なのだから、いやだと言われてはいそうですかと引き下がることは出来ない。とは言え、本人が乗り気になってくれれば、この治療の効果は何倍にも大きくなる。
 
「わかった。フロリア様、警備の責任者として改めてお聞きします。祭りを見に行きますか?」
 
 フロリア様はじっとオシニスさんを見つめている。
 
「わたくしが行きたいと言ったら、あなたが警護してくれるのですか?」
 
「もちろんです。俺は剣士団長ですから、フロリア様の御身の安全には責任があります。城を出てからここに戻ってくるまで、安心して祭りを楽しんでいただけるよう、全力を尽くします。」
 
 『剣士団長だから』なんてわざわざ言わなくたって、心配だからついていく、でいいのになと思うのだが、ここでそこまでは口に出せないか・・・。
 
「迷惑ではないの?身分を隠して出掛ければ他の王国剣士を動員する必要はないけど、あなたの手を煩わせてしまうのよ?」
 
「煩わしいと思っているなら、最初からクロービスの提案に反対しますよ。フロリア様が祭りを見に行きたいか行きたくないか、今決めていただくのはそれだけです。どうしますか?」
 
 オシニスさんを包む『気』はもうとげとげしくはない。フロリア様はオシニスさんをじっと見つめ、オシニスさんは視線を逸らすことなくフロリア様を見つめ返している。
 
「・・・そうですね。行くわ。お祭りは一度見てみたいと思っていたけど、無理だとあきらめていたの。あなたがそばにいてくれるなら、安心ね。」
 
 フロリア様が笑った。遠い昔、漁火の岬にフロリア様を連れて行くことを承諾した時に見せてくれたような笑顔だ。
 
「それでは話を進めてもいいですね。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 
「オシニスさん?」
 
「あ、ああ・・・そうだな。」
 
 オシニスさんは心なしか上の空に見える。今の笑顔に魅了されてしまったのだろうか。
 
「ふむ、わしが心配することはなさそうだな・・・。」
 
 レイナック殿がぽつりと言った。
 
「フロリア様、昔はよくお忍びで出かけたものでしたのぉ。ケルナーは渋い顔をしておったが、あのころはわしも若かった。フロリア様に何かあればすぐに対処することが可能でございましたから、何度か城下を歩いて、買い物をしたりしたこともございましたな。」
 
「ええ、そうね。あの時はわたくしも楽しかったのよ。王位についてからはなかなか外に出かける機会なんてなかったから、一度出かけて帰ってくると、次はいつあなたが出かけましょうと言ってくれるのかと、心待ちにしていたわ。」
 
「そうでございましたか・・・。わしはもうこの通り歳を取ってしまいましたが、オシニスもクロービスも当てに出来る者達でございます。楽しんでこられませ。わしはここに残って、フロリア様がおいでにならないことを皆に知られぬよう、気をつけておくことといたしましょう。」
 
「レイナック様、私も協力しますわ。フロリア様がお戻りになられるまで、ここでお茶会でもしていましょうか。」
 
 リーザが言った。
 
「ほお、それもいいのぉ。」
 
 レイナック殿が笑いだした。誰よりもフロリア様を案じている方だ。この方に長生きしていただくためにも、フロリア様には元気になっていただかなければ。
 
「さて、それでは話を進めましょう。まずはオシニスさん、私服に着替えて目立たない格好をしてくださいね。どうせ顔は知れているでしょうからごまかしはききませんが、さすがに今着ている団長の制服で外を歩いたりしたら、警備の王国剣士が驚いてしまいますから。」
 
「ははは、王国剣士はみんな俺の顔を知っているんだから、地味な服を着たくらいで驚かなくなるってことはないだろうな。まあ、一番目立たなそうな服とマントを用意するよ。で、次は何だ?」
 
 やっとオシニスさんの眉間のしわが消えた。後はもう復活しないでほしいものだ。この『治療』の成否の半分はオシニスさんにかかっているのだから。
 
「あとはフロリア様の準備です。だいぶお元気になられたようですから、衣装合わせをしていただきましょうか。リーザ、ウィロー、フロリア様のお着替えと化粧を頼めるかな。リーザのかつらとウィローのスカーフで髪を隠して、いつもと違う化粧をすればだいぶ変わると思うけど。」
 
「了解。腕が鳴るわね。さあフロリア様、クローゼットに行きましょう。ウィロー、フロリア様をお願い。私は自分の服を何枚か持ってくるから。」
 
 リーザはやる気満々だ。本当ならリーザも護衛として一緒に行ってほしいところだが、フロリア様がここにいないと言うことがばれないようにしなければならない。リーザにはそのための演技をしてもらおうと考えている。申し訳ないが、多分今日の夜、私達がフロリア様とお茶会をしている間はハディと会うつもりだろう。せめて2人の時間が少なくなるようなことにだけはしないようにしなければならない。
 
 
「・・・しかしとんでもないことを考えつくもんだな・・・。」
 
 オシニスさんがため息をついた。奥のクローゼットの中では、『これがいいかなあ・・・』『あ、でもこっちのほうもきれいだわ』『あら、これかわいい。リーザ、これはどこで買ったの?』と、賑やかな会話が聞こえてくる。それを聞いている限り、フロリア様がこの計画に乗り気でいてくれることは確かなようだ。それが、本当に祭りを見に行きたかったからなのか、治療のためだからがんばらなければと思っているのか、それとも、オシニスさんが警護してくれるからなのか、理由はなんとも言えないが、せっかく賑やかな場所に行くのだから、思い切り楽しめるようにしたいものだ。
 
「そんなにため息をつかないでくださいよ。せっかくフロリア様には楽しく過ごしていただこうと考えているんですから。」
 
「クロービスよ、こいつはほっといてよいぞ。それより、フロリア様をどうやって外までお連れするかだが・・・。」
 
 レイナック殿が、楽しそうにニヤニヤとオシニスさんを見ながら言った。
 
「確かこの塔から外に出る抜け道がありましたよね。万一の場合、フロリア様を安全な場所までお連れすることが出来るという。」
 
「ほお、覚えておったか。ふむ、ではそこまでお連れするのはわしとリーザの役目じゃな。」
 
「はい。私とオシニスさんは先に外に出ますので、よろしくお願いします。」
 
「つまり俺達は、フロリア様を迎えに行くのか?」
 
「そうです。フロリア様のご準備が出来たら、少し打ち合わせをして、そのあとオシニスさんには私服に着替えて今日の夕方まで休暇をとっていただきます。」
 
「なんだそりゃ?」
 
「オシニスさんの古い知り合いが訪ねてきて、祭りを案内しろと言われたから急遽休む、と言うシナリオはいかがです?」
 
 レイナック殿が笑い出し、オシニスさんは呆れ顔で私を見た。
 
「ずいぶんとまあ周到に用意したもんだ。フロリア様は俺の古い知り合いってことになるわけか。」
 
「間違ってはいないですからね。それと、フロリア様のお名前も考えなればなりませんね。いくら変装したところで、大声でフロリア様、なんて呼びかけたらさすがに不審に思われてしまいます。」
 
 
「お待たせ〜。出来たわよ。どう?」
 
 私達はリーザの声のしたほうを見た。そこに立っていたのは・・・。
 
「ほぉ・・・見違えましたのぉ・・・。これならば、誰が見てもフロリア様とは思いますまい。」
 
 レイナック殿が目を細めた。
 
「そう?おかしくない?」
 
 フロリア様はあまりにも普段と違う格好をしたせいか、少し戸惑っているように見える。
 
「とんでもない。どんなお姿になられても、お美しゅうございますぞ。」
 
 オシニスさんも驚いた顔で見ている。髪は明るめの栗色で、それをスカーフで覆っている。見えているのは前髪と、スカーフから少し引き出した長い髪だ。ご自分の髪はどうやらきっちりとまとめてかつらの下に隠したらしい。着ている服は淡い紫のゆったりとしたブラウスと、黒いズボンだ。妻の大きなスカーフはそのブラウスの肩と胸元までおおっている。やはりリーザと妻に頼んでよかった。どこからどう見ても、南大陸からやってきた女性にしか見えない。
 
「服の色は一番地味なのを選んだわ。ウィローにも見てもらったけど、この色合いの服ならカナでもよく着ている人がいるって聞いて。」
 
「この色はね、最近向こうで流行なんですって。こっちに来る前に受け取った手紙に書かれていたから、そんなにずれてないと思うわよ。ズボンのほうは合わせやすい黒にしておいたわ。あと髪のほうは、しっかり留めたわよ。風が吹いても転んでも、取れたりしないようにね。フロリア様、もしも暑かったらスカーフをとっても大丈夫ですからね。」
 
 妻が少し得意げに笑った。
 
「はい。ウィロー、ありがとう。」
 
「うん、これなら大丈夫。ではフロリア様、先ほどの私達の話はお聞きになっていたと思いますが・・・。」
 
 私は、王宮の外に出たら、フロリア様はオシニスさんの古い知り合いということになるので、フロリア様と呼ぶわけには行かない、そこでなんと呼べばいいのか、自分で返事のしやすい名前はないかと尋ねた。こういうことは本人に案を出してもらうのが一番いい。呼んですぐに返事をしてくれる名前でないと、周りから変に思われる可能性もある。出来る限り周りから注目を浴びるような事態は避けたい。
 
「名前ですか・・・。そうですね・・・。」
 
 フロリア様はしばらく考えた後、少し照れくさそうに「それじゃ、『ファミール』で。」と、答えた。
 
「どなたかお知り合いの名前ですか?」
 
「いいえ。この名前はね、もうずいぶんと昔、わたくしの妹の名前になる予定だったのよ。」
 
「妹君・・・ですか・・・。」
 
 フロリア様が懐かしそうに話してくれたところによると、まだ前王ご夫妻が健在のころ、フロリア様は妹がほしいと母君のファルミア様にねだったそうなのだ。その時ファルミア様から、『では名前を考えてね』と言われ、フロリア様はなんと『ファルミアがいい』と答えた。
 
「わたくしは母が大好きでしたから、同じ名前がいいと単純に考えたのだけど、それはダメよと母に言われてしまったの。それで、母の名前に近い名前ばかりいくつも考えて、やっと『ファミール』ならいいと言われたのよ。もうそれだけでうれしくて、そのあとは妹のことなんてすっかり忘れてしまったわ。」
 
 フロリア様が笑った。
 
「ではそれで行きましょう。私達はファミールさんとお呼びします。様をつけるのは変ですからね。」
 
「・・・となると、俺はさん付けも変だって言うことになる理屈か?いや、そうなると敬語を使うのも変だよな・・・。」
 
「古い知り合いということならそうでしょうけど、それはお任せしますよ。一口に知り合いと言ってもいろいろでしょうし。なんならオシニスさんが話しやすいように何か設定を考えてくださってもいいんですよ。私達はそれに合わせますから。」
 
 大事なのは設定じゃない。フロリア様にお元気になっていただくことが一番の目的だ。そして、もしも出来れば、オシニスさんとフロリア様の間に、おそらくはそれぞれがそうと気づかずに作ってしまった壁を少しでも取り払えたならとも思う。そのためには、エスコートするオシニスさんが気を使うことなく話しかけることが出来て、フロリア様が違和感なく返事が出来る、これが重要なのだ。オシニスさんはしばらく唸っていたが
 
「いや、やっぱり敬語はなしにしよう。俺のほうで気をつけて、普通に話せるようにする。変に複雑なつくりの話にしちまうとわけが分からなくなりそうだし、剣士団の連中に見られた時俺が敬語を使っていたら、勘のいい奴は相手が誰なのか気づく可能性もないとは言えないからな。よし、ファミール、ファミール・・・。うーん、なんとか慣れよう・・・。」
 
 オシニスさんは口の中でぶつぶつ言っている。その姿がなんだかおかしかった。
 
「ではファミールさん、外に出たら、オシニスさんの言うことをちゃんと聞いてくださいね。私達は、祭りを案内する役としてお供するだけなんですから。」
 
「それじゃ治療はどうなるんだよ?」
 
「外に出たら、後は存分に祭りを楽しんでいただくことです。それが何よりの治療ですよ。いいですか、ファミールさんはオシニスさんの古い知り合いで、今回が初めての祭り見物、オシニスさんに案内してもらおうとしたけどオシニスさんはもう現場から遠ざかって10年にもなるので今の祭りの様子がわからないから、たまたま祭り見物に出てきていた暇そうな私達に声をかけて案内を頼んだ、こういうことになってますからね。」
 
「そこまで設定していたの?劇場でシナリオが書けそうじゃない?」
 
 妻が笑い出した。
 
「クロービスにこんな才能があったなんてねぇ。びっくりだわ。」
 
 リーザも笑いながら肩をすくめている。
 
「患者の治療だと思えばどんなことでも思いつくよ。リーザ、今日の夜は予定通りフロリア様とお茶会のつもりでいるから、君も予定通りで大丈夫だと思うけど、それまではここでうまくフロリア様がいるようにしていてくれないかな。」
 
 『君も予定通り』と言われ、リーザは少し照れくさそうに笑った。
 
「わかってるわ。フロリア様、じゃなくてファミールさん、存分に楽しんできてくださいね。お土産話を楽しみにしていますから。」
 
「ありがとうリーザ。みんなもありがとう・・・。楽しんでくるわ。」
 
「それじゃ出かけましょう。私達はいったん剣士団長室によって、オシニスさんが着替えたら一緒に出ます。」
 
「おいじいさん、フロ・・・ファミール・・・は、俺が迎えに行くから、通路の出口にいてくれ。」
 
「うむ、そうだな。オシニスに動いてもらうのが一番じゃろう。フロリア様・・と、わしも今からファミールさんとお呼びせねばなりませんな。土産話を待っておりまする。楽しんでこられませ。」
 
 フロリア様が笑顔でうなずいた。この笑顔を、ここに再び戻って来た時にも見ることが出来るよう、私も全力を尽くそう。
 
 
 その後私達は剣士団長室へと向かった。いきなりこんな事態になって、オシニスさんとしても文句の一つや二つは言いたいのではないかと思っていたのだが、着替えをしている間はなにも言わず、気味が悪いほど静かだった。
 
「さてと、行くか。」
 
「言いたいこととかないですか?」
 
 オシニスさんが笑い出した。
 
「ふん、言いたいことなら山ほどあったが、フロリア様の笑顔でチャラだ。あんな顔を見せられてから文句を言ったのでは、俺が悪者になっちまうからな。それに・・・」
 
「それに?」
 
「煩わしいと思ってるのじゃないかって言われたのが、いささか堪えてるわけさ・・・。フロリア様はこの国の最高位のお方だ。誰に対しても気を使う必要なんてないはずだ。それが、周りを気にしてやりたいことも出来ずにいたのに、それを何一つ気付けずにいたのかと思うとなあ・・・。」
 
「でも、それってフロリア様の本心なんでしょうか。」
 
「・・・本心じゃないと思ってるのか?」
 
「いえ、何と言いますか・・・そう思い込もうとしてるというか・・・はっきりと言い切れるほどわかるわけではないですけどね。」
 
「思いこもうとしてる・・・?」
 
「フロリア様があんな態度をとることが20年前のことに起因しているとしたら、そんなことを考えることもあるのかも知れませんよ。」
 
「なるほどな・・・。聞いてみなけりゃわからんか・・・。」
 
「そこまで突っ込んだ話が出来そうならしてみてください。それと、ファミールさんと言う呼び方にも慣れてくださいね。」
 
「それがなあ・・・。うっかりフロリア様なんて呼ばないようにしないととは思うんだが・・・。まあ、あの姿ならなんとかファミールとして認識できると思うが。」
 
 オシニスさんは緊張してるようだ。
 
「大丈夫ですよ。昔のオシニスさんは、神様が相手だって態度が変わらないんじゃないかと思えたって、フロリア様がおっしゃってましたからね。」
 
「何だよその話。俺は初耳だぞ。」
 
「あれ?そうでしたっけ?」
 
「まったく・・・いないところでは何を言われている分からんな。とにかく出よう。俺はフ・・・ファミールを連れて行くから、お前らとはどこかで待ち合わせにしないか。秘密の通路の出口なんて、お前のことだ、知りたくもないだろう。」
 
「そうですね。よけいなことは知らないに限ります。それではセディンさんの店の前にしませんか。あそこなら場所も分かりやすいし、通り道だから人が滞留することもないですからね。」
 
「よし、それで行こう。・・・となると、あとの関門はランドか・・・。あいつにはばれそうだなあ。」
 
「ランドさんの目をごまかそうなんて考えるのはよしましょう。まあカウンターで事情を説明するってわけにも行きませんから、あとでオシニスさんから話をしていただくか、それとも私のほうから説明しましょうか?」
 
「そうだな。あいつのことだから、ある程度は察してくれるだろう。」
 
 採用カウンターで、オシニスさんは休暇届を出した。ランドさんは案の定驚いたが、私達の顔を順番に見て、なんとなく『何かある』と察してくれたらしい。
 
「それじゃ祭りを楽しんで来いよ。間違っても取り締まったりするなよ。」
 
「ははは、ついやっちまうかもな。気をつけるよ。」
 
 
 見学の人達でごった返している王宮のロビーをぬけて、玄関を出た。私服姿のオシニスさんを見て、玄関の外に立っている王国剣士が不思議そうに声をかけてきたが、急遽夕方まで出かけることになったからと言うと、納得したようだ。
 
「それじゃ、あの雑貨屋の前だな。俺はファミールを迎えに行って来る。」
 
 さすがに切り替えが早い。ついさっきまでとても言いにくそうだった『ファミール』と言う名前を、オシニスさんはさらりと口にした。
 
「わかりました。お待ちしています。もしも外にいなければ中に声をかけてください。顔を出してみようと思ってますので。」
 
「わかった。」
 
「あ、あと、ファミールさんを私達に紹介してくださいね。」
 
「紹介?あ、そうか・・・。お前らとは初対面と言うことになるんだな。何だか変な感じだなあ。」
 
「それはそうなんですが、きちんと手順を踏みましょう。誰が見ているか分かりませんからね。」
 
「・・・わかった。それじゃ行って来る。」
 
 
 オシニスさんと別れ、私達は大通りを南に向かって歩き出した。セディンさんの店は王宮からまっすぐ南門まで続く道の途中を東に曲がったところにある。商業地区のバザーに行く人の波はあるが、思った通り特にごった返しているというほどではない。店の明かりがついていたので、扉を開けた。
 
「いらっしゃいませぇ!」
 
 相変わらずシャロンの声は元気だ。
 
「あら、ご無沙汰しています。今日はお祭り見物ですか?」
 
「うん。今日はちょっと人を案内することになっていてね、ここの前で待ち合わせしたんだけど、せっかく来たから顔を出そうかなと思って。」
 
 シャロンの態度はいつもと変わりない。そこにフローラが顔を出した。
 
「あ、こんにちは。お祭りにいらしたんですか?」
 
「そうだよ。君も元気そうだね。」
 
 フローラは笑顔でうなずき、シャロンに何か見せながら話しかけた。ここで扱っている商品らしい。
 
「あ、これは、そうねぇ・・・そっちの窓際の棚に並べて。」
 
 店の中は昔より整然としている。シャロンが店を切り盛りするようになってからずいぶん整理されたらしい。
 
(昔みたいなゴチャッとした雰囲気も嫌いじゃないけどな。)
 
 昔のこの店は、そんなに広くない店の中にたくさんの品物が置かれ、ちょっとしたおもちゃ箱のような雰囲気だった。フローラは奥に戻り、大きな箱を抱えて出てきた。そういえば息子と出会った時もこうして品出しをしていて、箱をひっくり返したとか言う話だったっけ。だが今回はフローラも慎重だ。私達の見ている前で同じ失態は演じたくないのだろう。そっとそっと箱を抱えてきて、何とか目的の場所に置いた。
 
「重そうね。大丈夫?」
 
 妻が声をかけた。
 
「重いですけど、でも私はこのくらいのことしか出来ないから。」
 
「フローラ、そんな言い方しないの。私はあなたにたくさん助けてもらってるのよ。」
 
「そ・・・そうかな・・・。」
 
「ふふふ、いつも仲がいいのね。私は一人っ子だからうらやましいわ。」
 
 妻が言った。
 
「私もだよ。シャロンとフローラは昔から仲がいいからね。シャロンがフローラをあやしているところはいつも見ていたよ。」
 
「私、妹が出来てうれしくて、あんまり構いすぎて母にしかられたくらいです。」
 
 シャロンが笑った。笑顔が亡きおかみさんによく似ている。
 

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