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第78章 束の間の休日

 
 執政館の中の様子はいつもと変わりない。レイナック殿の居室へと向かう階段の前には、先ほどの剣士が警備で立っている。軽く会釈をして通り過ぎた。まだ若いが、迂闊に先ほどの伝言の話を持ち出さないところは、やはり入りたてではない落ち着きと分別があるということか。
 
 レイナック殿の居室はベルスタイン家の部屋と同じフロアにある。最上階のフロリア様の部屋の、すぐ下の階だ。このフロアの部屋は一つずつが広大で、セルーネさんの部屋とレイナック殿の部屋の他には、あともう一つくらいしかないらしい。各部屋は貴族の管理で、マスターキーを王宮内に保管してあるが、その保管もあまり厳重と言えないことが先日のライラの一件で露呈してしまい、決まり事がいろいろと変更されたらしい。
 
 部屋の前に着いた。オシニスさんがノックして声をかけると、中から扉を開けてくれたのはレイナック殿本人だった。
 
「おお、来たか。クロービスとウィローも一緒だな?まずは中に入ってくれ。少し話をしようではないか。」
 
 レイナック殿の口調はのんびりしていたが、その周りを漂う『気』はピンと張りつめている。かなり不安に思っていることが伝わってくるが、どう見ても病人には見えない。となるとわざわざドゥルーガー会長に伝言を頼んで私達を呼び寄せたかった理由が他にあると言うことになる。
 
(もしかしたら・・・。)
 
 ふと思いあたることがあったが、とにかく今は話を聞くことが先決だ。私達はレイナック殿の調子に合わせてさりげない口調でのんびりと挨拶を交わし、部屋に入った。
 
「さて、呼びだてしてすまなかったの。こちらに座ってくれ。」
 
 入り口よりは明るい室内で改めて見ても、やはりレイナック殿は特別どこか悪いというわけでもなさそうだ。だが顔色はあまりよくない。何か心配事があるのは間違いなさそうだ。
 
「ずいぶんと元気そうじゃないか。まさかドゥルーガー会長を使って俺をからかおうなんて考えたんじゃないだろうな。」
 
 だいぶ心配しながらここまで来たオシニスさんとしては、あまりにもレイナック殿が元気そうなのでいささか拍子抜けしたらしい。それなら『何事もなさそうでよかった』とでも言えばいいのになと思うが、なかなか素直にはなれないようだ。
 
「わしが頼んだのではお前がそういう反応をすると思うたから、ドゥルーガーに頼んだのじゃわい。とにかく座れ。ちゃんと説明するから。」
 
 いつものように冗談が出ないところを見ると、私の推測は当たっているかもしれない。オシニスさんはむすっとしたまま促された椅子に座った。私達も隣の椅子に座って話を聞くことにした。
 
「まず、わしがドゥルーガーに頼んだ理由を話そう。一つはお前達を呼びだてしたこの用件のために、わしがここを動くわけにはいかなかったこと、そして二つ目は、クロービスよ、お前だ。ドゥルーガーに伝言を頼めば、お前は気づいてくれるのでないかと思うてのことだ。」
 
「つまり、医師会の代理で医師としての仕事をしてほしい、そういうことですね?」
 
「うむ・・。お前としては納得が行かないかと思うが、そういうことだ。せっかく遊びに来たのに無理ばかり言って申し訳ないのだが、まずは承知してくれぬか。」
 
「ドゥルーガー会長からの伝言とお聞きした時点で、そういう話なんだろうなとは思ってましたよ。患者がいるのなら、私が納得するかどうかなんてどうでもいいことです。レイナック殿の具合がよくないのかと思っていたのですがそうでもないようですし、医師の手当てが必要な方と言うのは・・・。」
 
「うむ、そう言ってくれてありがたい。ウィローもすまんな。思ったように祭り見物も出来ぬだろう。」
 
 レイナック殿は私の言葉を遮るように妻に向き直った。
 
「とんでもない。私もクロービスと同じ考えです。患者さんがいて、私達の手が必要とされているならどこにだって行きます。だからお気になさらないでください。」
 
 妻の言葉に、レイナック殿はうれしそうにうなずいた。
 
「おいじいさん、クロービスを呼んだ理由はわかったから、俺を呼んだ理由も教えてくれよ。具合が悪いってのはまさか・・・。」
 
「うむ・・・おまえ達の推測どおり、医師の手が必要なお方は、フロリア様じゃ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 やはりそうか。確かに、フロリア様の体調が悪いということであれば、レイナック殿はここを離れるわけにはいかないだろう。そして、エリスティ公が医師会に来る以上、ドゥルーガー会長は留守に出来ない。もしもエリスティ公の診察を他の医師が担当したりしようものなら、大変な騒ぎになるだろうし、何よりあの男・・・クイント書記官は、何が起きたのかを探るために医師達の心を覗きこむくらいのことはするかもしれない。となると、フロリア様の具合がよくないことをエリスティ公に隠すことは難しくなる。そう言う事態を回避するためには、ある程度自由に動ける医師と言う存在が必要になってくる。なるほど私ならば、王宮の中では顔が知られているし、それなりに腕も認めてもらえている。少し前の私ならば、また構えて文句を言ったかもしれないが、今はそんなことを考えようとも思わなかった。
 
「おい、会議の時はいつもと変わりなかったじゃないか。どういうことだ?」
 
 オシニスさんは青ざめている。午前中の会議では特に変わったことがなかったように見えたのだろう。
 
「そう見せていたから見えたのだ。そうしなければならなかった理由は、お前にも想像がつくだろう。とにかくフロリア様の部屋まで行こう。幸いなことに、今日の夜はクロービスとウィローがフロリア様を訪ねると言うことになっておる。我らがぞろぞろと出掛けていっても怪しまれずにすむだろう。」
 
「その前にどういう状況なのかはお聞かせ願えませんか。歩きながらお聞きすると言うわけにも行かないでしょう。」
 
 具合が悪いと一口に言っても、どんな症状なのかもわからなくては、フロリア様の部屋についた時に時間を無駄にしてしまう。
 
「うむ、そうだな・・・。では今までのいきさつを説明しよう。」
 
 フロリア様は、午前中は何でもないように見えたとのことだった。だが昼近くになり、会議が終わって大臣達が退出したあと、玉座から執務室の机に移動するために立ちあがろうとして膝をついた。真っ青な顔で口を押さえていたので、リーザがすぐにタオルを持っていってフロリア様の口にあてがってくれた。しばらくタオルの中に吐いたが、ぜいぜいと息を荒くしてなかなか立ち上がれない。そこでドゥルーガー会長を呼んできてもらい、診てもらおうとしたのだが、やってきたドゥルーガー会長の話では、なんと今日はエリスティ公の検診の日だと言う。もちろん、エリスティ公よりもフロリア様のほうが優先されるべきなのだが、『自分が後回しにされた』となったら大変な騒ぎになる。それに、フロリア様の具合が悪いなどと言う話がエリスティ公の耳に入れば、すぐにでも退位させろの自分が王位に就くのと言い出す可能性もある。そろそろ高齢になったせいか、最近はことあるごとにフロリア様の施政を批判し、自分ならばうまくやれるとアピールしているらしい。
 
「・・・そこで、まずはフロリア様が本日のご公務を切り上げられて私室にお戻りになるところまでドゥルーガーに付き添ってもらって、後を任せるためにクロービスを呼んでもらおうと考えたのだ。オシニスはまあ・・・あとで文句を言われとうはないからの。ついでに来てもらったと、こういうことじゃな。」
 
「あのなあ、ついでっていう話があるか!何でその時すぐに俺を呼んでくれないんだよ?剣士団長がフロリア様の具合が悪いのを知りませんでしたってわけにはいかないんだぞ?」
 
 オシニスさんが呆れたように言った。
 
「ほお、剣士団長が一番か?一番は医者ではないか。」
 
 レイナック殿の目にはいたずらっぽい光が宿っている。
 
「そ、そりゃそうだが・・・。」
 
 オシニスさんがひるんだのを確認して、レイナック殿はにやりとしながら言葉を続けた。
 
「ふん、まずは医者が一番先だ。そしてその医者であるドゥルーガーの見立てで、それほど急を要することではないということだったので、まずはフロリア様にご退出いただき、その上で連絡が必要な者達を呼びにやった。それだけのことだ。それとも、フロリア様のことなら何がなんでも真っ先に連絡をよこせと言うことか?そういうことなら聞いてやらんでもないが、当然お前にも肚を括ってもらうぞ?」
 
「・・・・・・。」
 
 オシニスさんが黙ったまま唇をかみ締めた。いささか無茶な言い分だとは思うが、レイナック殿がこんな言い方をすると言うことは、やはり昨日の話がフロリア様に関係することだったのだろう。そう考えると、『肚を括る』と言うことがどういうことか何となくわかるような気がするが・・・。
 
(おそらくはフロリア様との結婚の話だろうけど・・・それだけだと冴えない顔の理由がわからないなあ・・・。)
 
 レイナック殿がフロリア様とオシニスさんのことをあきらめていないことは、多分オシニスさんだって気づいているはずだが、今になって結婚話を蒸し返したりしたら、オシニスさんのことだ、今朝あたりは相当怒った顔をしていたに違いない。だが、今はそれを詮索している場合ではなさそうだ。患者の治療を何より優先させなければならない。
 
「吐いたものはとってありますか?」
 
 まさかとは思うが、食事に一服もられたと言う可能性も考えておかなければならない。それ以外にも、何か病気の兆候があるかもしれない。吐いたものは出来るだけ取っておいてくれるとありがたいのだが・・・。
 
「ほとんどタオルに吐かれたようだから、そのタオルは取っておくようにと、ドゥルーガーから指示が出ておる。あの時リーザがすぐにタオルを持っていかなんだら、ドレスや床の上に吐いてしまわれたことだろう。そうなると騒ぎが大きくなる危険性もあった。会議のあとの執務室は大臣達だけではなく行政局の官僚達も出入りするからな。リーザには本当に感謝しておる。さすが護衛剣士だ。」
 
 20年一緒いて、多分リーザはフロリア様のことをとてもよくわかっているんじゃないかと思う。でも打ち解けて話したくてもフロリア様が壁を作ってしまうと、以前リーザが言っていた。いつでもそばにいてくれるのだから、もう少し頼ってもいいのにと思うのだが・・・。
 
「さて、そろそろ行くぞ。出来るだけのんびりとな。」
 
 私達はレイナック殿の部屋を出て、最上階にあるフロリア様の居室へと向かった。フロアは相変わらずしんと静まり返っている。ベルスタイン家の部屋の前を警備する私兵が何人かいるだけだ。
 
 
 フロリア様の部屋のあるフロアも、下と同じように静まり返っているが、部屋の中ではあのにぎやかな侍女達がおしゃべりしているんだろうか。あの娘達の声でフロリア様もお元気になってくださるとよいのだが・・・。
 
「クロービスよ、部屋に入ったら皆がお前の指示に従うようにとドゥルーガーが言いおいておる。オシニスでも遠慮せずにこき使って構わんぞ。」
 
「ふん、言われるまでもないさ。クロービス、何か必要があるなら、何でも言ってくれ。」
 
 むすっとした顔のまま、オシニスさんが言った。
 
「必要とあらば、そうさせていただきますよ。フロリア様は薬などは飲まれたのですか?」
 
「いや、吐いたばかりで薬を飲んでも胃が荒れてしまう危険性があるということだったので、白湯を飲んでいただいてお休みになっているはずだ。」
 
 つまりそこからが私の仕事と言うことらしい。どんな治療をするか、どんな薬を処方するか、すべて私に一任すると言うことだった。確かに、治療について下手に医師会に伺いをたてに向かったりすると、エリスティ公と鉢合わせしかねない。公本人はともかく、あのクイント書記官と鉢合わせするのだけは避けなければならない。
 
 ドゥルーガー会長の見立てでは、それほど緊急を要することではないということだった。吐いたものを最初に調べたのも会長だ。となると一服盛られたと言う可能性は低くなるか・・・。いや、ひとつの可能性を推測だけで否定してはいけない。きちんと調べてその上で可能性がないとわかればすむことだ。では、たとえばその可能性がなくなったとすると、原因として一番に考えられるのはなんだろう。やはり過労だろうか。この間私と話をしたあと、多少はお元気になったようだったが、何もかも心に納めて毎日を過ごしていてはまた同じことだとあの時思ったものだ。そんな推測が当たらなければ何よりだったのだろうが、もしも本当にそれが原因だとすると、すぐにでも今の状況を改善することを考えなければならない。
 
 
 部屋の前に着いた。レイナック殿が扉をノックして声をかけると、中からすぐに扉を開いてくれたのは侍女の一人だった。顔が青い。心なしか目が潤んでいるように見える。
 
「クロービス先生夫婦と剣士団長をお連れしたのだが、入っても構わんかね。」
 
 レイナック殿はおやと言う顔をしながらも、のんびりとそう言った。出てきた侍女は黙って頭を下げ、私達を部屋に入れてくれた。何だろう・・・この部屋の空気が異様に重い・・・。侍女達は一様に黙り込んでうつむいている。こんな部屋にいたのでは、病人はちっとも気が休まらないだろう。
 
「待ってたわよ。」
 
 笑顔で声をかけてくれたのはリーザだが、リーザの前には泣き腫らした顔の侍女が二人。何が起きたのだろう。
 
「ほら、先生が来たんだから、もう泣くのやめなさい。あなた達がいくら泣いたって、フロリア様が元気になるわけじゃないんだから。」
 
 リーザはいささか呆れ気味だ。なるほど、フロリア様が心配で泣いていたという訳か・・・。
 
「気持ちはわかるけど、ここからは先生に任せてくれるかい?」
 
「す・・・すみません・・・。この間からずっとフロリア様の体調がよくなくて・・・心配で・・・。」
 
 若い侍女達はしゃくりあげなからやっとそう言った。心配すること自体を責める気はないが、そのせいでこの部屋の空気が重くなっているのだとしたら、それはよくない。だが、そんなことを直接言ってはまずいし、どうしたものか・・・。
 
「それじゃ君達はそこにいてくれればいいよ。リーザ、フロリア様の吐いたものは?とってあるって聞いたけど。」
 
「それはこっちにおいてあるの。」
 
 リーザの後についていくと、そこは前に来た時に『用意ができるまで』と通されたあの小さな部屋だった。
 
「はい、これよ。」
 
 リーザがそう言って差し出したのは、小さめの手桶に入ったタオルが一枚。そんなに濡れてもいないし、第一固形物がほとんどない。
 
「・・・これって・・・これだけ?」
 
「そう、これだけよ。ドゥルーガー会長も同じことをおっしゃってたわ。」
 
「・・・お昼前と言っても、朝食の残りも全然ないね。」
 
「・・・あのね・・・。」
 
 リーザが少し渋い顔で、声を落として話してくれたところによると、どうも最近のフロリア様はたいした食事もとらないらしい。毎回量が減って行き、最近ではスープを少しと、時々侍女達が焼いてくれる焼き菓子を少し、あとはせいぜい紅茶を飲む程度だと言うことだ。念のためタオルに顔を近づけて匂いを嗅いでみた。胃液のすっぱい匂い以外、ほとんど何も匂わない。一服盛られたと言う可能性はなくなったと思っていいだろう。だが問題はどうやらもっと深刻なようだ。
 
「・・・それで毎日の公務をこなしておられたと、こういうことか・・・。」
 
 いくら先入観を持つべきではないと言っても、これでは診察するまでもなくフロリア様が倒れた原因は明らかだ。
 
「あの侍女達はね、毎日フロリア様にもっと食べてくださいって頼んでるんだけど、フロリア様は笑顔を返されるだけで、ほとんど召し上がらないのよ。それで倒れたなんて聞いたら、責任を感じるのも仕方ないと思うわ。おかげで部屋の空気が重いったら・・・。」
 
「頭脳労働でもそれなりにお腹はすくものなんだけどな・・・。フロリア様の食事って言うのは、前と同じあの厨房で作っているの?」
 
 これは昔、まだ私が王国剣士だった頃に先輩達から教えてもらった話だ。執政館で働く人達の食事は、王宮本館一階の奥にある厨房で作られる。フロリア様の食事もみんなと同じものなので、ずらりと並べられた食事のトレイから、護衛剣士がひとつとってくるのだそうだ。それも毎回違う場所からとることで、万一毒を盛られたりすることのないように気を配っているということだった。つまり、今はリーザがフロリア様の食事を取ってくる係と言うことになる。
 
「そう、同じよ。毎回ほとんど手をつけないまま持ち帰るのも、シェフに悪くて・・・。でも仕方ないわよね。私達が食べるわけに行かないし。」
 
 となると、今どんな薬を処方しても意味はない。まずは食事・・・。きちんと3食とって栄養をつけることが一番の治療法だ。患者の食事となれば妻の手を借りるのが一番いいのだが、ここは王宮でフロリア様は国王陛下だ。勝手なことをするわけには行かない。そこで、リーザにそのシェフと話がしたいと言ってみた。
 
「連れてくるのはいいけど・・・そうねぇ・・・変に思われても困るから、フロリア様があなた達と話していて食べたいものがあるって言ったって言っていい?」
 
「いいよ。とにかくここに来てもらって話をしたいんだ。頼むよ。」
 
 私はフロリア様のところに戻り、リーザは部屋を出ていった。まずはフロリア様の診察だ。
 
「フロリア様、お加減はいかがですか?」
 
 フロリア様の顔色はこの間見た時よりも白く・・・いや、青くなっているようだ。
 
「・・・クロービス、ごめんなさいね。あなたの手を煩わせて・・・。せっかく遊びに来たのにちっとも遊べていないのではないの?」
 
「フロリア様がお元気になったら、また遊ばせていただきますよ。さて、まずは脈をとらせてください。」
 
 脈をとり、熱をみて、少し呪文も使って調べてみたが、やはりどこかが悪いと言うことはない。つまりは食事をとらないせいで栄養状態が悪いということなのだが、それにしたって歩けなくなるほどではないはずだ。毎日公務をこなせるだけの体力があったのだから、ここまで弱った原因は他にあると思っていいだろう。となると、やはり心の問題か・・・。
 
「クロービスよ、どうだ?どこかお悪いところはあるのか?」
 
 レイナック殿はじれったそうだ。オシニスさんも実に落ち着かない顔をしている。
 
「わかりましたよ。でも説明する前に、君達、ちょっと聞いていいかい?」
 
 侍女達はフロリア様のベッドのそばで不安そうにしている。
 
「は・・・はい・・・。」
 
 さっきドアを開けてくれた侍女が、青い顔で私を見上げた。
 
「最近フロリア様のドレスを作り直さなかったかい?」
 
「え・・・?どうしてご存知なんですか?」
 
「そして作り直した理由は、ドレスがゆるくなって着た時にウエストに隙間ができたり、肩が下がったりして着こなしがうまく行かないから、じゃないかと思うんだけどどうかな?」
 
「は・・・はい・・・。そうなんです。それでとりあえずご公務の時のドレスを3着ほど新しく作って、他のドレスはサイズの調整をしてもらえるように、出入りのブティックにお願いしているのですが・・・。」
 
 侍女はきょとんとして私を見上げている。驚いてこちらに気を取られているせいか、部屋の中に漂う空気が少し軽くなった。
 
「・・・クロービスよ、それはつまり、フロリア様がお痩せになったと・・・そういうことか?」
 
 レイナック殿が眉をひそめた。どうやらレイナック殿はなにも知らないらしい。ということは、フロリア様はオシニスさんだけでなくレイナック殿にも最近の体調の悪さを隠していたと言うことか・・・。この間私と話をしたあと、王としての自信を取り戻されたようだと安心していたのだが、どうもその頑張りが妙なほうに向いてしまったようだ。
 
「そうです。最近フロリア様はろくに食事を召し上がらなかったと言う話ですから、ご公務をこなすことが出来ていたのが不思議なくらいですよ。診察の結論を申し上げますと、治療に薬は必要ありません。フロリア様がたくさん食べて、栄養を取らないことにはよくはならないでしょう。」
 
 もっとも本当の問題はその前だろう。おいしいものが食べたいとか、食べて体力をつけようとか、そういう前向きな気持ちが失われているのだと思う。
 
「フロリア様、まことでございますか?いったいいつからそんなにお痩せに・・・。」
 
 レイナック殿が悲しそうにフロリア様を見た。
 
「ごめんなさいね・・・。最近食欲がなくて、この子達にも心配をかけていたの。あなたやオシニスには言わないようにと、わたくしが言ったの。あなた達が心配するといけないから。そのうち食欲も戻るだろうと思っていたのだけど・・・。」
 
「なるほど。でもなかなか食欲が戻らないでいるうちに、倒れてしまったと、こういうことですね・・・。レイナック殿、今日はもうフロリア様はご公務にお戻りにはならないんですね?」
 
「うむ、今日は陳情も謁見も入ってないし、それでお前達とのお茶会でもと言う話になったのだが、この状態ではそれも無理じゃのぉ。」
 
 この言葉にフロリア様が驚いたように起き上がろうとした。
 
「レイナック、わたくしは大丈夫ですから、今日は予定通りにしてください。」
 
「し、しかし、この状態では・・・。」
 
 レイナック殿が困ったように私を見た。フロリア様を説得してくれと言いたげだ。
 
「レイナック殿、まだお昼を過ぎたところですから、まずはもう少し様子を見ましょう。それと、この部屋にずっといらっしゃったのではなかなかお気が休まらないでしょうから、乙夜の塔に戻られたほうがよいのではありませんか。」
 
「うむ・・・そうじゃなあ。しかしフロリア様を歩かせるのは・・・。ここまで来ていただくために少しだけ呪文を使ったが、こんな時は出来るだけ安静にしていたほうがいいだろうしのぉ・・・。」
 
 レイナック殿がため息をついた。
 
「そのあたりは、今の時点ではあまりお気になさらないでください。ここから乙夜の塔までは誰かの目に触れずに戻ることは可能ですか?」
 
「うむ、フロリア様はいつもここでお召し替えをなさるので、このフロアからは侍女とリーザが付き添ってまっすぐ乙夜の塔に迎える通路がある。」
 
 それならば支えられてでも何でも、移動が出来る程度に歩ければ何とかなりそうだ。それに、レイナック殿の呪文の力とは言え、フロリア様はこの部屋まで戻ることが出来た。ということは、体力はまだあるのだと思う。もう一度呪文を使うか、オシニスさんかリーザの気功でも使ってもらえれば、乙夜の塔まで歩いて行くことは可能だろう。無理をさせるのはよくないが、大事をとりすぎるのも考えものだ。さてどうしたものか・・・。
 
「では、とにかくフロリア様が一番寛げる場所に戻ることにしましょう。それと、侍女達の仕事はもう終わりでいいのではないかと思うのですが。」
 
 心配な気持ちはわかるが、その不安な気持ちがこの部屋の空気をずしりと重くしている。この状態はフロリア様にとっても当の侍女達にとってもよくない。今日はもう帰ってもらって、少し落ち着いてもらったほうがいいのではないかと思う。
 
「そうじゃな。これ、お前達、今日のご予定はすべてキャンセルだ。フロリア様には医師もついておることだし、もう帰りなさい。明日の朝はいつもどおりで頼むぞ。」
 
 侍女達は不安そうだったが、フロリア様のドレスの準備や化粧品、アクセサリーの管理など、公務に必要な仕事がすべてなくなってしまったのではいても仕方ない。何とかなだめて帰ってもらった。いつものようににぎやかにしていてくれるなら、ここにいてもらったほうがよかったのだが・・・。
 
「ふむ・・・少しは部屋の空気が軽くなったのぉ。」
 
「あの子達にはかわいそうなことをしましたが、あのままここにいられては空気がよどむばかりだったので、仕方ないですね。」
 
「あの侍女達はフロリア様を慕っておる。心配でしかたないのだ。」
 
 そこにリーザが戻ってきた。後ろには白い料理人の服を着た若い男性が立っている。
 
「クロービス、つれてきたわよ。今侍女達とすれ違ったけど、帰らせたのね。よかったわ。あの子達があんまり心配するものだから、どうやってなだめようか困ってたのよ。ロイス、こちらがさっき話したクロービス先生とその奥様よ。」
 
「お初にお目にかかります。私は・・・」
 
 ロイスシェフは感じのいい青年だった。30を少し過ぎたところくらいの歳に見えるが、いくつなのかはわからない。料理学校で料理を学び、王宮の厨房の料理人を募集していたところに応募して、それからずっとここにいるのだと言うことだった。シェフとして厨房の一切を指揮する立場になったのは、2年ほど前らしい。
 
「最近フロリア様がお食事を召し上がらなくなったので、心配していたんです。ところでリーザさんからお聞きしたのですが、何かお友達の話でおいしそうなものの話が出たとか・・・。」
 
「ロイス、それなんだけどね・・・。」
 
 リーザが、それはここにシェフを連れてくるための口実だったとわびた。そして、フロリア様の体調が優れないことをあまり公にしたくないからだったと言われ、ロイスシェフは納得してくれたようだ。そこで私はフロリア様の様子をレイナック殿に見ていてもらい、妻と一緒にシェフの話を聞くべく先ほどの小部屋に入った。
 
 
「・・・なるほど、つまり、フロリア様の体調に合わせた食事を作りたくても、警備上の観点から難しいと・・・。確かにみんなで同じ食事をとると言うことであれば、薄味のスープや柔らかいパン粥のようなものをメニューとして加えるのは難しそうですね・・・。」
 
「そうなんですよ・・・。正直なところ、私がここまで出向いてフロリア様にお食事を作って差し上げたいくらいなんですが・・・。」
 
「時間をずらして何とかすると言うわけには行かないんですか?」
 
「私のほうは何とかなりますが、フロリア様のご公務は予定がきっちり詰まっています。ご公務に余裕がある時だけではせっかく特別に食事を作っても効果が余り期待出来ません、無理にでもと時間をずらしてしまうと、お食事の時間が不規則になってしまいます。それでいつも悩んでいるんです・・・。」
 
 彼の言葉に嘘はなさそうだ。となると、胃にやさしい食事をフロリア様のためだけに用意すると言うのは、思っていたより難しいということか・・・。レイナック殿やオシニスさんにも相談に乗ってもらおう。決まりごとにとらわれて国王陛下の健康が置き去りになるなんて、ばかばかしいことこの上ない。
 
「シェフ、たとえばフロリア様のために用意するとしたら、どんなメニューをお考えですか?」
 
 妻が尋ねた。
 
「それはですね、たとえば・・・」
 
 ロイスシェフはすぐにいくつかのメニューの説明をしてくれた。おそらく腹案としてはすでに持っていたのだろう。
 
「まあ、それはいいわ。それじゃこんなのはどうかしら。」
 
 妻が説明したレシピは、島でもよく作っている病人食だ。若者から年寄りまで、年代を問わず評判がいい。
 
「あ、それは考えつきませんでした。そうするとこれにこんな感じでアレンジして・・・」
 
「そうですね。そのほかにはこんなのも・・・。」
 
 ロイスシェフの口からはさまざまなメニューのレシピがどんどん出てくる。いつの間にか妻とシェフとのレシピ交換会になっていた。
 
 
「ではシェフ、今後のことはともかく、フロリア様が食べたいものと言うことにして、今妻から聞いたレシピで軽い食事をお願いしたいのですが。」
 
 食事は乙夜の塔に持ってきてもらうことにした。おいしい食事を食べるのなら、少しでも寛げる場所のほうがいい。この部屋はあくまでもフロリア様が一時的に休憩する場所だ。
 
「わかりました。すぐにお持ちします。奥さん、いろいろありがとうございました。大変参考になりました。私のほうでももう少し考えてみます。ただ、メニューはともかく、フロリア様のお食事を一刻も早く改善するためには、警備上の問題など私にはどうしようもないことばかりです。その辺りはレイナック様や剣士団長様にお願いするしか・・・。」
 
「わかった。こっちでもできるだけ早く対策を出すから、メニューのほうはよろしく頼むよ。」
 
 いつの間にか部屋の入り口に立って話を聞いていたらしいオシニスさんが言った。ロイスシェフとはまた今後打ち合わせをすることにしたが、警備上の問題については私だってまったく口を出せる立場ではない。それに、今後の食事の改善より何より、当面の問題は、『今フロリア様にお元気になっていただくためにはどうすればいいか』と言うことだ。ロイスシェフはすぐにおいしい食事を持って乙夜の塔に来てくれるだろう。だが、それをフロリア様が口にしてくれなければどうしようもない。
 
「それじゃそろそろ移動しましょうか。」
 
 とにかくまずは乙夜の塔に戻ろう。
 
「そうだな。フロリア様、まだ歩くのがおつらいようでしたら、また少しだけ呪文をつかいましょうかの。」
 
 レイナック殿が言ったが、フロリア様は微笑んで首を横に振った。
 
「いえ、大丈夫です。そんなに遠いところまで行くわけではないですからね。」
 
 ずっと横になっていたせいか、フロリア様の声に少し元気が戻った。だがベッドに起き上がることは出来たものの、立ち上がろうとしてふらつき、またベッドにすとんと腰掛けてしまった。フロリア様を包む『気』が弱い。なんと言うか、気力がわいてこないと言う気がする。やはり呪文か・・・本当なら気功のほうがかけられる側の負担は少なくて済むのだが、すばらしい気功の腕を持つオシニスさんを包む『気』が、先ほどから非常にとげとげしい。フロリア様が自分にもレイナック殿にも体調の悪いことを隠していたと聞いて、相当苛立っているのがわかる。そしてそれを表に出すまいとかなり気を使っているのもわかるのだが、今のところそれが成功しているとは言えないようだ。
 
「仕方ないな・・・。フロリア様、俺が運びますからもう一回横になってください。」
 
 そのオシニスさんが少し投げやりな口調で言った。振り向くと、まだむすっとしているし声にもとげとげしさが現れているが、せっかくそう言ってくれているのだから、少し任せてみよう。
 
「い、いえ、大丈夫。何とか歩けます。」
 
 フロリア様は心なしか焦ったようにそう言って、また立ち上がろうとした。オシニスさんのイライラは、おそらくフロリア様が一番感じているだろう。
 
「歩けないからそこに座っているんでしょう?とにかく、乙夜の塔に戻りましょう。クロービス、ウィロー、悪いがそこにある荷物をまとめて運んでくれないか。リーザは忘れ物がないか点検して戸締りをしてきてくれ。おいじいさん、あんたはフロリア様についててくれ。呪文はいらないだろう。どうしてもと言うなら俺が気功を使う。呪文よりはかけられるほうも負担が少ないからな。」
 
 相当苛立っているが、さすがは剣士団長だ。あっという間に役割分担が決まり、オシニスさんはベッドの毛布をはがしてフロリア様の肩にかけて体全体をくるみ、フロリア様を抱え上げた。
 
「ちょ、ちょっと待って!オシニス、降ろして!リーザに・・・リーザに支えてもらえばなんとか歩けます!」
 
「フロリア様の護衛は俺達王国剣士団の役目なんです。護衛剣士はリーザですが、支えるだけならともかく、倒れそうになった時に抱えられるほどの力があるわけじゃないですから、俺が運びます。暴れないで静かにしていてください。」
 
 声がとげとげしくても、言っていることは正論だ。フロリア様がぐっと言葉に詰まった。
 
「そうですね・・・。私では、フロリア様が倒れそうになったら、支えるまでは行かないかも知れません。せいぜい自分が下敷きになって、フロリア様が床に直接倒れないようにするくらいのことしかできないと思います。」
 
 すまなそうな口調でリーザが言った。でも実は笑いたそうにしている。毛布にくるまれてはいるが、オシニスさんとフロリア様は実にお似合いだ。3人のやりとりを聞いていたレイナック殿がすこし目を細めて
 
「フロリア様、今はこやつの言うことを聞かれませ。大事なのは、フロリア様が一日も早くお元気を取り戻すことでございますぞ。」
 
 そう言ってなだめるようにフロリア様の肩に手をかけた。
 
「は・・・はい・・・。」
 
 消え入りそうな声でフロリア様が返事をした。私達は本来なら侍女達が運ぶはずの荷物をまとめて持ち、乙夜の塔へと向かった。フロリア様を抱きかかえているオシニスさんが先頭で、その隣をレイナック殿が歩く。妻と私は荷物を持ってあとをついていった。途中で戸締りを終えたリーザが合流し、妻の荷物をいくつか引き受けている。レイナック殿は黙っているが、時折オシニスさんを横目で見上げては、にっと笑ってまた視線を戻す。オシニスさんは気づいているのかいないのか、顔は前を向いて動かない。
 
(何か、劇的に元気の出るようなことがあればいいんだけどなあ・・・祭りを見に行くとか・・・)
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 そうか。あるじゃないか。劇的に元気が出そうなことが!そう思いついた瞬間、頭の中が驚くほど早く回転し始めた。
 
「ウィロー、こっちに来る時、スカーフを何枚か持ってきたよね?今は持ってる?」
 
「・・・スカーフ?え、ええ・・・持ってきたけど、どうしたの急に?」
 
 南大陸では砂漠の砂嵐に備えて、髪を覆ったり口を押さえたり出来るような大きくて厚手のスカーフをみんな持っている。特に女性のスカーフは色も生地の種類も豊富で、単なる実用品を超えていると思うくらい美しいものが多い。妻は島に来る時に持ってきたスカーフの他に、いろいろな厚さの布を買い込んで同じようなスカーフを何枚も作った。そしてそれは砂漠の砂嵐ではなく、一年の半分以上島で吹き荒れる吹雪や大雪の時にとても役に立っていた。今回の旅行の時、城下町のあたりが寒いか暑いかわからないからと、少し薄手の布で出来たスカーフを何枚か荷物に詰め込んでいたのを、見た覚えかあったのだ。
 
「ちょっとね。乙夜の塔に着いたら話すよ。」
 
 あのスカーフならばちょうどいい。あとは・・・
 
 
 
「まあ、フロリア様、どうなさったのですか?」
 
 乙夜の塔のフロリア様の私室には、何人かの侍女達が詰めていたが、オシニスさんに抱えられて戻ってきたことでみんな驚いた。レイナック殿はここでも先ほどと同じように侍女達に説明してみんな帰らせた。いつもなら侍女達のにぎやかな笑い声はフロリア様を元気づけてくれるが、今は少しでも安静にしていてほしい、レイナック殿はそう考えていることだろう。あまり気をまわしすぎるのもよくないのだが、今回ばかりはレイナック殿の考えに感謝しよう。おかげでさっき思いついた『治療法』を、実行しやすくなった。
 
「さて、フロリア様、お加減はいかがですかな?」
 
 レイナック殿が尋ねた。オシニスさんがベッドに下ろしてくれて、フロリア様はほっとしたように小さくため息をついた。オシニスさんのほうは、相変わらずむすっとしたまま、フロリア様をくるんでいた毛布をたたみ、ベッドの足元のほうにおいた。リーザが、『あとで戻しておきます』と言っている。
 
「ありがとう。もう大丈夫ですよ。」
 
「フロリア様、本当のことをおっしゃってください。まだお加減がよくなるようなことは何もないはずですよ。」
 
「え・・・?」
 
 フロリア様の顔がこわばった。
 
「私はフロリア様の診察をしたあと、何一つお薬を飲んでいただいたりしていないし、呪文のひとつも使っていません。それとも、どなたかフロリア様に呪文や気功は使いましたか?」
 
「いや、医者の前でこっそり使う必要性はないからな。」
 
 即座に答えたのはオシニスさんだ。他の3人も同じような返事をした。フロリア様だけがうつむいたままだ。
 
「フロリア様・・・わしらでは信用がなりませぬか・・・」
 
 切なげな声でレイナック殿が言った。
 
「ち、違います! ただ・・・わたくしは・・・」
 
「レイナック殿、フロリア様はレイナック殿に心配をかけたくなかっただけですよ。」
 
「だが、体調のお悪いことを、侍女達やリーザは知っておったようではないか。しかもロイスまで・・・。」
 
「それは単に、リーザ達には隠しおおせなかったと言うだけのことです。ロイスシェフだって、毎日食事を残されれば不審に思うでしょう。もしもその人達すべての目を欺けるなら、フロリア様はおそらく絶対に体調がお悪いことを話したりなさらなかったと思いますよ。そしてそのことが、今回の体調不良の一番の原因なんです。」
 
「・・・なるほどな・・・。何もかも自分ひとりの胸におさめて、周囲には何事もなかったかのように振舞う・・・。そんなことを続けていれば、確かに体調もおかしくなることじゃろうて・・・。しかし、そうなると治療法などないのではないか?フロリア様のお心の問題が何とかならない限りは・・・。」
 
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされた。
 
「ん?今の声はカウロか・・・あいつ今日はここの勤務だったか?」
 
 オシニスさんが言った。声の主はカウロと言う王国剣士らしい。
 
「あら、それじゃロイスが来たのかもしれませんよ。さっき厨房の前にいたのを見ましたから、荷物持ちでも頼まれたのかも知れませんね。」
 
 リーザが笑いながら扉を開けた途端に、いい匂いが部屋に入りこんできた。これはスープだろうか。
 
「さあ、入って。ふたりともご苦労様。」
 
「はい、失礼します。」
 
 入ってきたロイスシェフと王国剣士は、食事を乗せたワゴンを二つ運んできた。ワゴンにはこの部屋にいる人数の分だけトレイが乗せられている。さっきロイスシェフが部屋を出る時、『人数分食事を頼めるか』と聞いてみたのだが、シェフは快く引き受けてくれた。国王陛下ともなれば、一人で食事をするのが通例だ。一緒に食事をする誰かがいるとすればそれは家族・・・。だがフロリア様には家族はいない。だから、今回はせめて楽しくわいわいと話しながらの食事を楽しんでもらえるように、みんなの分も持ってきてもらうことにしたのだ。
 
「さて、本日はフロリア様がお友達からお聞きになったと言うメニューをお持ちしました。皆さんの分もお持ちしましたので、どうぞ。ぜひ味を見てください。」
 
 『フロリア様のお好きな』のところを強調したのは、カウロと言う王国剣士に聞かせるためだろう。どうやらロイスシェフは『フロリア様が友人と話をしていて食べたいものがあると言った』と言うシナリオをずっと演じてくれているらしい。
 
「ありがとう、ロイス、カウロ。ああ、いい匂いだわ。」
 
 フロリア様が笑顔でそう言った。今の言葉は口先だけでなく、本当に心からそう思っている。少しは食欲が出ただろうか。ロイスシェフとカウロはフロリア様の言葉に恐縮し、あとでまたワゴンをとりに伺いますからと言って部屋を出ていった。フロリア様は引き止めたかったようだが、国王陛下の部屋にずっといるなんて、多分あの二人には気を使うことばかりだろう。
 
「さすがプロねぇ。私のレシピなんて足元にも及ばないわ。あとで詳しく聞いておかなくちゃ。」
 
 さっき妻が提案したレシピは私もよく知っている。何度も食べたことのあるものだが、ロイスシェフはそこにさらに改良を加えたらしい。私は部屋に漂う匂いを注意深く吸い込んでみた。妙な匂いを放つものは何もない。どんなにシェフがこの場所で信頼されていたとしても、これは私の役目だ。万一と言うこともある。
 
「さて、それではわしが毒味をして進ぜましょうかの。万に一つのことがあっても、年寄りならばそれほど影響も出ないでしょう。」
 
 本気とも冗談ともつかない口調で、レイナック殿が言った。だがこれもまた私の役目だろう。実際に口に入れてみて、何が入っているかを分析できるのはおそらくこの中では妻と私だけだが、万一のことがあった場合、蘇生できるのは妻だけだ。私達は分担して、料理全体の香りや、見た目からなにか異物が混入していないかを調べることにした。
 

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