小説TOPへ 第71章〜第80章のページへ ←前ページへ



 
 この言い方から察するに、オシニスさんの『冴えない顔』の原因は、昨日のレイナック殿との話にあるらしい。だが今はライラの前でもあるし、そこを追及するのは後にしよう。せっかくライラに会えたのだから、医療機器へのナイト輝石の応用について確認しておきたい。医師会がどうのと言う話をすることは出来ないが、私個人の考えとして話す分には問題ないだろう。
 
「ライラ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど・・・。」
 
 医師会での出来事は伏せて、私が医療器具類については以前から不満を持っていたと話し、そういったものにナイト輝石を使うと言う構想があるのかどうか尋ねてみた。
 
「医療器具か・・・。確かにそういうものにも応用出来たらって思ってたけど、僕は医療器具についての知識はないから、素人考えでは難しいと思ってたんだよ。この間僕が入院したときに、先生が整体をするのに使ってた移動用のベッドみたいなのも考えたんだけど、あれを作るためにはナイト輝石以外のパーツも必要だし、部品だけいくつか作った程度ではどう役立つのか説明しにくいしね。」
 
「なるほどね。でも、手術用のメスやはさみのような小さいものもあるよ。このあたりで作られるものが少ないからあまり身近に感じないかもしれないけどね。」
 
「うん。今の先生の話でまた少し先の見通しが立ってきたよ。今回の試験採掘が成功すれば、次は採掘されたナイト輝石をどういう形で平和利用するかってことを考えなきゃならないんだ。そのために、そんなに大規模じゃなくて、ある程度成果が見える形で利用できるものを探していたんだけど、医療器具ならぴったりかもしれない。先生、それじゃいろいろ相談に乗ってくれる?」
 
「いつでも相談に乗るよ。医療器具の進歩も医者にとっては大事なことだからね。ただ、あの手の道具は専用の設備が必要だから、本当に作るとなればいろいろと準備は必要だろうけどね。」
 
「それならじいさんに話をしておけば、行政局のほうを動かせると思うぞ。医療器具に限らず、王宮が投資して行っている事業については、行政局に管轄している部署があるからな。具体的に何を作るかが決まったら、試作も頼めるだろう。」
 
 冴えない顔のままながらも、オシニスさんがそう言ってくれた。
 
「わかりました。ただ、これだけと言うわけにも行かないので、もう少し調べてから具体的な品目を挙げていこうと思います。」
 
「そうだな。今日の会議でのお前の演説は立派なもんだっだぞ。ただ、エリスティ公が相当面白くなさそうな顔をしていたから、身辺にはいっそう気をつけろ。」
 
「はい。今日も午後からは図書室で調べ物なんです。」
 
「昼はまたあの店に行くのか?」
 
「行きたいところなんですけど・・・今日はやめておきます。調べ物が終わったら記録をまとめなければならないので、時間がなくて・・・。だから今日は、東翼の喫茶室で何か作ってもらって、部屋で食べようかなと思って。」
 
「イルサはどうしてるんだ?」
 
「友達と食事に出かけるそうですよ。イルサは休暇で来てるから、のんびりしたものです。」
 
 ライラは少し肩をすくめて見せた。
 
 
 
「さてと、ウィローはまた午後からクリフのマッサージなんだろう?」
 
 ライラが剣士団長室を出て、足音が遠ざかるまで待ってから、オシニスさんが話し出した。
 
「そのことで話があってきたんですよ。ライラの前でしゃべれるようなことではなかったので。」
 
「・・・ということは、レグスが来たのか。」
 
「はい。受付で止めることが出来ましたから、クリフ本人は何も知らないと思いますが。」
 
「そうか・・・。詳しく聞かせてほしいところだが、まず腹ごしらえと行こう。例の調査会社には午後一番で行くことになっているから、のんびりしてもいられないんだ。」
 
「そうですね・・・。でもそうなると外に出る時間もなさそうですね。」
 
「食堂に行こう。あそこが一番手っ取り早い。」
 
「でも食堂で食べたのではほかの剣士達が気を使うんじゃないですか?」
 
「仕方ないさ。いまは非常事態みたいなもんだ。食いながら、話を聞かせてくれ。」
 
 私達は3人で剣士団の食堂に向かった。厨房のローダさんがトレイを渡してくれたが、前回来た時のような元気のよさはなかった。奥のほうにチェリルの後姿が見える。『ベルスタイン公爵の名を騙る人物』に操られていただけだったということで、牢獄への収監は免れたが監視はついている。まんまと騙されてラエルを罪に落とす片棒を担いでしまったことを、チェリルはとても後悔していたと聞いた。その『ベルスタイン公爵の名を騙る人物』がクイント書記官か、彼の息のかかったものであるのは間違いない。最近はおとなしいようだが、次の陰謀をめぐらせてでもいるのだろうか。
 
 
 例によってオシニスさんは自分の前に並んでいた剣士に、席の確保を頼んでいた。気を使わせてしまうのが申し訳ないが、確かにここで話しながら食事をするのが一番いいのかもしれない。『見知らぬ誰か』が聞いている心配はないからだ。もっとも、たまたま隣に座った剣士達が、『食堂に団長がいたぞ』などとほかの剣士達に話すかもしれないとは思うが・・・。
 
 
「うーん・・・。」
 
 目の前に置かれた食事を見つめて、オシニスさんが唸っている。
 
「どうしたんですか?」
 
「いや・・・そうだな・・・。うん、よし、先に食おう。」
 
「え?」
 
「いろいろと聞きたいところだが、話し始めるとメシを食う時間がなくなりそうだからな。出先で腹がなったのでは情けないから、まず食うだけ食って、コーヒーでも飲みながら話を聞かせてもらうよ。」
 
「わかりました。」
 
 何もしゃべらず食べることに集中していたせいか、周りの剣士達が私達を不思議そうに見ている。食後にコーヒーを飲んで、ほうっとため息をつくと、オシニスさんは早速話し始めた。
 
「で、レグスの様子はどうだったんだ?」
 
 よほど気にかかっていたのだろう。食べている間中、ちりちりと不安な感情がオシニスさんの周りを漂っていた。私は『まず全部話しますから質問はそのあとで』と断ってから、クリフの父親と会ったときのことに始まり会議室での話合いのことまで順番に説明し、クリフの手術を頼まれたことまで一気に話した。ただ、会長室でのゴード先生とのやりとりについては、あとで話すからということにしておいた。あの話だけはここですることは出来ない。
 
「そうか・・・。よかった・・・。病棟で騒がれたり暴れられたりしたら、とっ捕まえないわけには行かなくなるからな。」
 
「1階の外来にいた人達は私の声を聞いていますから、何事かと思ったでしょうけどね。」
 
「仕方ないさ。あいつを止めるにはそのくらい強引でないとな。助かったよ、ありがとう。」
 
「そう言っていただけるのはうれしいですが、これからのほうが大変です。」
 
「手術か・・・。結局仕事に巻き込まれちまったな・・・。」
 
「それ自体はいいんですが、今までほとんど関わっていない患者の手術なんて経験がないですからね。」
 
「そうだな・・・。明日は俺もお前とハインツ先生に同行するよ。クリフの手術に関しては口出し出来ないが、その目つきの悪い連中のことは、どうにも引っかかる。レグスから直接話が聞ければ、もう少し見えてくることもあるだろうし。」
 
「冷静に話してくれるといいんですけどね。」
 
「話してもらうさ。あいつが俺に対してわだかまりがあるのはわかる。奴が言っていた恥とか言う話もな。まったく、馬鹿な奴だ。俺が何も知らないと思っていたとはな・・・。」
 
「オシニスさんはご存知なんですね。」
 
「ああ、知ってる。もっとも、それは俺とあいつとの個人的なことだ。もうそんなことに拘っている場合じゃないんだ。今回奴が話に乗らなかったとわかれば、直接危害が及ぶ危険性がある。それにまた誰かが次の獲物として狙われることもあり得るだろう。それだけはなんとしても阻止しなきゃならん。奴の店の回りをかぎまわっていた連中が、ただの好奇心だったなんて考えられないからな。」
 
「それじゃその目つきの悪い連中についても、あの薬屋の線から調べることは出来るでしょうか。」
 
「そうだな、それも合わせて頼んでこよう。そいつらの詳細については、レグスの話を聞いてから改めて情報を提供することにして、今日のところはある程度あたりをつけておいてもらうことにしておけばいいだろう。」
 
 
 食事を終えてみると、約束の時間まではまだ少しだけあったので、一度剣士団長室に戻った。そしてそこで、改めて会長室でのゴード先生とのやりとりをオシニスさんに話した。
 
「・・・なるほどな・・・。お前の親父さんについて何か掴んでいる風がなかったのは幸いだったな。」
 
「ただ単に話していないと言うだけでないことを祈りたいですね。」
 
「だがそれを話さないでおくことは、今回の件では意味がないだろう。黙っていてあとでこっそりお前を脅すつもりでもあるなら別だが、それは即ち医師会の醜聞を広めるぞと言うことと同じだ。自分で自分の首を締めるような脅迫の仕方を、あのゴードと言う医者がやるとは思えないがな。」
 
「そうだとは思うんですけどね。」
 
 こればかりはわからない。それこそゴード先生の心の中でも覗かない限りは。
 
「ところでウィロー、クリフの容態はどうなんだ?」
 
 オシニスさんが妻に尋ねた。妻は今朝のクリフの容態を伝え、さらにいったんマッサージをやめてみる事で見えてくる問題点を一つずつ確認し、その後ハインツ先生達と相談してマッサージの手順を見直し、再手術が出来るよう、クリフの体力づくりを考えていくつもりだと答えた。
 
「そうか・・・。再手術で少しでもあいつの寿命が延びるなら何よりだ。クロービス、お前の使うその呪文と言うのは、治療術とは違うのか?」
 
「私が使う予定の呪文は、これですよ。」
 
 私は自分の手の甲をオシニスさんに向けて見せ、そこにファイアエレメンタルの呪文を唱えた。針と言うより糸のように細く伸びた炎が、私の手の甲の表皮をすっと掠めて、うっすらと傷を残した。ガウディさんの傷を治したときより、今では遥かに細く鋭く操れる。実はこの呪文は、島で何度か手術に使っている。どうがんばってもメスだけで取り除ききれない病巣を、隣の臓器との薄皮一枚残して切除するために、島に戻ってからずっと練習を重ね、精度を高めてきたのだ。
 
「ガウディさんの傷を治したという、あの呪文か・・・。」
 
 医療技術だけですべての患者を救うことが出来るものなら、どんなにすばらしいことか。だが現実はそうは行かない。この力が私の手の中にずっとあると言う保証はなかったから、本当なら使いたくはなかったが、これを使えば手術の精度を高めることが出来るとわかっているのに使わないというのは、単なる自分のエゴのような気がしたのだ。とは言え、そうしょっちゅう使えるようなものではない。最後にこの呪文を使ったのはもう何年も前のことだ。今ためしのつもりで自分の手に当ててみたが、思ったよりもすんなりと使えて、自分のほうが驚いていた。
 
「場所にもよりますが、これなら病巣をきれいに取り去るために、役に立つと思います。ただ、実際に切ってみないとどういう状況なのかはなんとも言えませんから、100%の約束が出来ないのがつらいところではありますね・・・。」
 
 これならば確実にすべて取り去れると、胸を張って約束出来たならどんなにいいだろう・・・。
 
「クリフが少しでも長く生きられるならいいさ。病気を抑えるための薬はいいのがあるって話だったよな?」
 
「それはあります。だから発病してから間もない患者なら、薬で様子をみることも出来るんですけどね・・・。」
 
「クリフの我慢強さが恨めしいくらいだ。あいつは痛みをずっと隠していた。おかしいと気づいた時点で診療所に行っていれば、こんなことにならなかったんだろうにな・・・。」
 
「どのくらい前からおかしかったのかまではわからないんですか?」
 
 オシニスさんは首を振った。
 
「ラエルが、クリフは最近おかしいと言い出したのが・・・入院する1ヶ月くらい前の話だ。ラエルが気づいたくらいだから、そのころにはかなり体調が悪かったはずなんだがな・・・。」
 
 この場合、一緒にいても気づけなかったラエルを責めることは出来ないだろう。クリフと言う剣士が優秀なのは剣の腕だけではないようだ。おそらくは多少の痛みならば完璧に隠していたのだと思う。
 
「少しくらいどこか痛んでも、誰だって自分が重病だなんて思わないし思いたくないですからね。大丈夫だと自分をごまかして、結局取り返しのつかないことになったりするケースもあります。でも、起きてしまったことにあれこれ言っても仕方ありませんから、私は自分に出来る精一杯のことをさせていただきますよ。」
 
「つまり、クリフの場合はまだ取り返しがつくってことか。」
 
「あくまで可能性の話ですけどね。それも今度の手術でどこまで病巣を取り去れるかにかかっていますが。」
 
 ラエルが気づいたのが入院する一ヶ月前か・・・。となると最初に本人が異変に気づいてから、周囲に気づかれるようになるまでの間を大体2〜3ヶ月としても、発症してからの時間は少なく見積もっても10ヶ月・・・。転移してるかしていないか・・・今のように弱ってしまうまでの期間はそんなに長くないようだから、そこに賭けるしかないのだろうか・・・。
 
「なんにせよ、詳しい状況はハインツ先生達に話を聞かせていただいてからのことになると思います。まずは今出来ることから始めましょう。そろそろ出かけたほうがいいんじゃないんですか?」
 
「そうだな、出掛けるか。」
 
 
 3人で王宮を出た。やってきたのはあの薬屋のある2本隣の通りだ。このあたりは昔から店が多く立ち並んでいるが、今は祭りのせいか、よろい戸を閉めている店も多い。その通りの一角にある、あまり大きいとは言えない建物の前でオシニスさんが止まった。それほど目立つとも思えない看板には『T&R』とだけ書かれている。そういえば、ガリーレ商会のジャラクス氏が私に関する調査を頼んだというのはここだったんじゃないだろうか。あのとき確かに調査会社の名前を見た気がするが、正直なところ覚えていない。あのときはジャラクス氏の一言一言がかなり不愉快だったので(後でそれがわざとだったと謝罪してくれたが)そちらのほうに気を取られてしまっていた。オシニスさんと話をしていた時に『そういえば聞いたことがない名前だったな』と思い出した程度だ。
 
「思ったほど大きくないんですね。」
 
「調査会社に広い社屋なんぞいらんさ。依頼を受けるためにいくつか部屋があればすむからな。」
 
「調査員というのは昔ながらの密偵というわけではないんですか。」
 
「少なくとも、弱みを握って働かせるようなことはしていないはずだぞ。ただ危険なのは変わりないから、保障は手厚いらしいがな。ま、ここで入口をにらんでいても始まらん。入ろうか。」
 
 オシニスさんが先に立って扉を開けた。
 
「いらっしゃいませぇ。」
 
 中からは明るい女性の声がした。何となくどこかで聞いたような声だ。
 
「・・・あら?」
 
 後ろにいた妻が何か言ったので、振り向いて尋ねた。
 
「なに?」
 
「今の声・・・聞いたことがあるような・・・。」
 
「君もそう思った?」
 
「ええ。早く入りましょう。」
 
 オシニスさんに続いて中に入ると・・・。
 
「いらっしゃいませ!お待ちしておりました。久しぶりね、クロービス、ウィロー。」
 
「カーナ!」
 
 なんとそこで出迎えてくれたのは、カーナだった。今は鎧も制服も着ていない。しゃれたスーツに身を包み、笑顔で立っている。
 
「ひさしぶり。ここで君に会えるとは思わなかったよ。」
 
「あら?オシニスさん、私のこと何も言ってなかったの?」
 
「ああ、聞かれなかったからな。」
 
 オシニスさんが笑った。なるほど、ここに一緒に来たほうがいいと言ったときのあの含みのある口調の理由がわかった。
 
「あらひどい。でもいいわ、こうして会えたし。オシニスさん、今日は所長のところにいらっしゃったんでしょう?奥の部屋でお待ちですから、どうぞお入りください。私は後からお茶を持って伺いますから。」
 
「そうか。それじゃクロービス、ウィロー、行こうぜ。」
 
 懐かしい仲間との最初の再会は、アスランを背負って医師会に駆け込むという緊迫した中でのものだったが、本当ならすぐにでもみんなの消息を聞きたかった。アスランのことが一段落してからもなかなかそれを言い出せずにいたのは、あれだけ頻繁に王宮に出入りしていても、一度も出会わなかった人達がどこでどうしているのか、それを聞くのが怖かったからだ。でもカーナはこうして会えた。では、ステラは・・・。
 
 
 オシニスさんは何度も来ているのだろう、迷う様子も見せずに階段を昇って行く。
 
「オシニスさん、もしかして、これから会う所長と言う人も、どこかで聞いたような声の持ち主なんですか?」
 
「ははは、よくわかったな。ほら、この階の一番奥だ。」
 
 その正体は自分で確かめろと言うことらしい。オシニスさんはその階の一番奥にある部屋の前に立ち、扉をノックした。『どうぞ、開いてますよ』と中から聞こえた声は男性のものだったが、やはり聞いたことがある。この声は・・・。
 
「こんにちは。ご無沙汰しています、ティールさん。」
 
「おお、久しぶりだな、オシニス・・・いやいや、どうにも慣れなくてすまんな、剣士団長。」
 
「気にしないでくださいよ。それより、今日は懐かしい顔をつれてきましたよ。」
 
「ティールさん・・・。」
 
「よお、久しぶりだなあ。ずいぶんと貫禄はついたようだが、そうしてぽかんと突っ立っているところは、昔と変わらんな。」
 
 まさかここでティールさんに会えるとは・・・。セルーネさんが剣士団を辞めたあと、ティールさんがどうしているのかについては誰も教えてくれなかったから、なんとなく聞くのをためらっていたのだが・・・。
 
「いや、あんまりびっくりしたものですから・・・。ご無沙汰しています。こちらの所長と言うことは、経営者ってことですよね。」
 
「まあそういうことになるな。とにかく座ってくれよ。ウィローもすっかり落ち着いたもんだ。木登りが得意なおてんばの面影はないな。」
 
「そりゃそうよ。もうおばさんですから。」
 
「はっはっは!そんなに老け込むこともないだろう。そろそろカーナがお茶を持ってあがってくるから、俺達がここにこうしている経緯くらいは話してやるよ。仕事の話はそれからでもいいだろう。オシニス、時間はあるのか?」
 
「今日は午後一杯時間をとってきましたよ。今回の依頼はいささか込み入ってるので、ある程度時間をかけて説明したかったんですよ。」
 
 そこにカーナがお茶を持って現れ、私達はティールさんがこの会社を設立した理由や、カーナがここで働いている理由も教えてもらった。ティールさんはセルーネさんの退団後もしばらくは剣士団にいたらしい。だが、あの事件の混乱が収まり、そろそろ王国剣士達が通常業務に戻れるようになって来たとき、この先どうすべきかと考えたのだそうだ。新しい相方を探すか、基本一人で活動するか、それとも、自分も退団してまったく新しい道を模索するか・・・。そのころ、親友のローランド卿がティールさんに持ちかけてきた話が『密偵に頼らない本格的な調査機関』の立ち上げに力を貸してほしい、と言うものだった。
 
「あのころ大臣達が抱えていた密偵と言えば、ほとんどが犯罪者だ。しかもかなり凶悪なことをしでかしたような奴らばかりを、その犯罪に目をつぶる代わりに言う通りにしろと、いわば脅して言うことを聞かせていたわけさ。そんな非人道的なことを続けていてはならない、罪は裁かれるべきだし、そもそも王宮の大臣達がいつまでもそんなことをしていたのでは、この国の未来が拓けてこないのではないかとな。それで俺も決断した。セルーネ以上に俺の背中を預けられる相方が見つからない以上、王国剣士として仕事を続けていくことに限界を感じていたし、きちんとした調査機関がほしいと言う考えは、俺も以前から持っていた。だからローランドの提案に乗ったのさ。だからって出資者の身辺を調査するときに手心を加えたりなんてことは一切ないぞ。」
 
「その話を聞いたときに、私もティールさんに使ってもらえるように頼んだのよ。」
 
 カーナが話し出した。
 
「ステラは・・・辞めちゃったの?」
 
「ええ・・・もうここで仕事はしていけないって、あなた達がいなくなってからすぐくらいよ。私も、もうステラを引き止めることは出来ないって思ってたから、黙って送り出すしかなかったわ。でも、やっぱりあの時ひきとめておくべきだったのかって、今でも時々思うことがあるのよ。」
 
「今ステラはどこに・・・。」
 
「それがわからないの。」
 
「わからない?」
 
「剣士団を辞めたあと、旅に出るって・・・。この町にいたら、いつまでもカインを待ってしまいそうだから、彼を忘れられそうな場所に行ってみようかと思ってるって言ってたわ・・・。」
 
「そんなことを・・・。」
 
「ところが、ステラらしき人物を見たという目撃情報が最近あったのさ。」
 
 ティールさんが言った。
 
「・・・目撃情報って・・・妙な言い方ですね。」
 
「俺だってそんな言い方はしたくないが、おそらく今日オシニスとお前がここに来た目的にも絡んでいる話だと思うぞ。」
 
「どういうことです?」
 
「アスランが襲われたとき、奴を刺したのが女じゃないかって言う話をしていたことがあったよな。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「言いましたけど・・・まさかそれがステラだと?」
 
「現場にいた目撃者として、お前はどう思う?」
 
 オシニスさんは私の問いには答えず、そう尋ねた。オシニスさん自身もその説に賛成したくない気持ちはあるのだろうし、そもそも断定できるだけの証拠というほどのものも掴んではいないらしい。腕の立つ女と言うだけならこの町だけだっていくらでもいるだろう。
 
「それは考えられませんね。」
 
 私はきっぱりと答えた。もちろん『ステラがそんなことをするはずがない』と思いたいのはやまやまだが、感情で物事を見ることがいかに危険なことかくらいは私にもわかる。私が即座に答えたのには別な理由があった。
 
「即答だな。根拠はあるというわけか。」
 
「もちろんです。まずアスランの傷の角度ですが、以前お話した通り、背の低い人物によって刺されたと言うことは間違いないと思います。その点だけを考えれば、確かにステラも候補者の一人になるでしょう。ですが、もしもあれがステラの仕業なら、殺すつもりならもっと確実に、殺す気がないなら命に別状のない程度に傷つけて気を失わせるか、そのくらいのことはいくらでも調整できるのではないかと思うんです。カーナ、君もステラも、細身の剣の扱いは抜群にうまかった。いつも使っている剣の他に、ダガーのような刀身が短めの剣さばきもよく練習していたよね。」
 
「ええ、狭い場所での戦闘を考えて、もう少し小回りの聞く装備がないかって、いろいろ試していたのよ。あのスティレットと言う剣も、何度か試したことがあるわ。ある程度実践で使えるようにするためには、ちょっと使ってみました、くらいでは本当に役立つかどうかなんてわからないから、かなり訓練はしたわよ。だからそれがステラの仕業ならもっとうまく剣を扱うだろうし、何より、刺したままにするなんて馬鹿なことしないわよ。」
 
 カーナは必死だ。だがカーナも、単に感情だけでステラをかばっているわけではない。ずっと一緒にいたカーナがいう通り、ステラなら、もっとずっと『うまくやれる』はずなのだ。
 
「なるほど、確かにステラなら『もっとうまくやる』だろうと、俺も思うよ。」
 
「そういうことです。ステラは本職の剣士としての訓練を積んでいるんです。少なくとも、あんな半端な傷を負わせるというのは考えにくいですよ。」
 
「そうだな・・・。お前はあの傷を負わせた奴を、剣の扱いにまだ慣れていない奴が失敗したんじゃないかって言ってたよな。」
 
 心なしか、オシニスさんの表情にはほっとした色がうかがえた。
 
「ねぇ、そのアスランていう子の傷はどんな傷だったの?」
 
 カーナが尋ねた。私は立ち上がり、剣が差し込まれたのと同じ背中の位置を指で指して見せ、そこから前の心臓より上の辺りにもう片方の手の指を置いて、傷の状態を説明した。
 
「・・・こんな感じかな。死因は出血じゃなくて、剣をおそらくは一気に体の中に差し込まれたことによるショックと、肺を貫通したために呼吸困難になったことだと思う。そのおかげで何とか蘇生が間に合ったわけなんだけどね。」
 
「それならそれはステラじゃないわ。ステラは私と背の高さは同じくらいだから、そうね・・・確かにそこから剣を刺し込むことは出来ると思う。だけどステラなら、さっきクロービスが言ったように、もっと確実な方法をとるはずよ。それに、アスランの後ろにはライザーさんの娘さんがいたんでしょ?その子を誘拐するのが目的なら、その子まで傷つけかねない後ろから刺すなんてバカなこと、ステラはしないわよ・・・。アスランて言う子を刺した誰かは、きっと顔を見られたくなかったんじゃない?」
 
「顔を見られたくないなら覆面でもしておけばいいとも言えるぞ?」
 
 オシニスさんが言った。確かにあの場所にいた他の連中は全員覆面をしていた。アスランを刺した誰かだって、おそらく同じような格好をしていただろう。
 
「でも知ってる相手なら、目の部分だけ見たって誰かわかる可能性はあります。雰囲気とか体格とか、どんなことでばれるかわからないリスクを冒すよりは、確実に顔を見られずにすむ後ろから刺すというのは考えられるじゃないですか。」
 
「だとすると、なぜ後ろから刺したのかってことも、その人物特定には重要になってくるかもしれないわけか・・・。」
 
「あくまでも推測です。でも、もしもステラならその二人と面識があるとは思えないけど、アスランかライザーさんの娘さんを知っている人だとしたら、その人だって顔を見たりしたら決心が鈍るかも知れないわ。」
 
 確かに・・・それがシャロンなら、アスランの顔を見れば決心が鈍るだろう。彼はカインの相方だ。大事な妹の恋人であり、おそらくは自分自身もよく見知っている若い王国剣士・・・。
 
「推測に推測を重ねても意味はない。その件はこちらでももう少し調べてみるよ。さて、遅くなってすまなかったな。今日の本題に入ろうじゃないか。」
 
 ステラのことはひとまずおいておくことにして、私達は今日ここに来た目的である調査の依頼をした。
 
「・・・なるほどな。今度はお前の知り合いが巻き込まれてるってわけか・・・。しかもあの薬屋とはね。」
 
「何かその薬屋のことを他にも調べているんですか。」
 
「・・・ステラが目撃されたのがその薬屋の周辺なのさ。今から1週間ほど前のことだが、もしかしたらお前のあとをつけていたと言うその妙な連中も、ステラとかかわりがあるのかもな。」
 
 部屋の空気がゆらりと揺らめいた。これはカーナから発せられる『気』だ。ステラのことをどれほど不安に思っているのかが伝わってくる。
 
「ステラがフロリア様を今でも憎んでいるとしたら、フロリア様を失脚させられるかもしれないと言われれば、その企みに乗る可能性はあるかもね・・。」
 
 カーナが言いながらため息をついた。
 
「カーナ、ステラのことは任せておけ。それより、今回の依頼について説明をしたいから、アイーダを呼んできてくれないか。」
 
「はい・・・。」
 
 カーナが部屋を出ていった。
 
「ステラがそんなことになっていたなんて・・・。」
 
 妻がため息をついた。
 
「カーナはずいぶんと落ち込んでいるようですね。」
 
「ステラらしき人物をあの薬屋の近くで見かけたのはカーナだからな。目つきのよくない連中と一緒にいたらしいし、ステラ自身もかな険しい顔つきだったと言っていた。声をかけることも出来ず、カーナはあれからずっと、自分が無力だと嘆いているのさ。」
 
「アイーダさんと言うのは、調査員の方なんですか?」
 
「ああ、そうだ。見た目は楚々とした女性だが、元灯台守の腕は半端じゃないから、あてにしていい人材だぞ。」
 
「灯台守ですか・・・。それは頼もしいですね。でも、危険な仕事でも誰も文句をいわずにやるんですか?」
 
「そりゃそうだ。もちろん出来る限り安全に職務を遂行するように指導しているし、万一の保障は手厚くしている。わが社では、脅して言うことを聞かせる密偵ではなく、正当な労働契約の元に調査員を雇っているんだからな。」
 
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされ、カーナがもう一人の女性を伴って入ってきた。この女性がアイーダらしい。なるほど、『楚々とした女性』に見えるが、身のこなし、視線の移し方など、確かにごく普通の女性とは異なる点が見受けられる。私達は挨拶を交わした。話してみると非常に感じのいい女性だ。彼女は黒装束に身を包んで他人の家に忍び込むようなことをするわけではなく、堂々と『調査』をするために表通りを歩く。このくらいの物腰のやわらかさがないと、なかなか見知らぬ人から話を聞くのは難しいのだろう。ティールさんから今回の依頼について話を聞いたアイーダは、にっこりと笑った。笑顔もかわいらしい。
 
「・・・かしこまりました。では、今後はその点も合わせて調査にあたらせていただきます。社長、今での調査記録もまとまりました。あとで確認をお願いします。」
 
「わかった。内容を見ておくよ。」
 
 アイーダは部屋を出ていった。
 
「彼女の腕が立つのはわかりましたが、でも危険な任務の場合、一人で行くと言うわけではないんですよね?」
 
「もちろんだ。そういう場合は、また別の調査員が同行するのさ。いささか荒っぽい仕事でもこなす部署も作ってあるからな。」
 
「準備は万全というわけですね。でも荒っぽい仕事をする部署となると、人選は大変なんじゃないんですか?」
 
「そうだな。望んで危険に飛び込むには、それなりの理由がなきゃならん。それが恫喝か、多額の報酬か、正義感か、そのあたりの違いだけだ。うちでは腕っ節の強いのをいつでも募集しているから、それなりに入社希望者はくるんだが、どんなに腕が立っても正義感のない奴はだめだ。金ならいくらでも出す奴は他にもいる。そういう選択肢が現れたときに、迷わず正義を選べない奴はお断りさ。」
 
「そのあたりの基準は王国剣士や灯台守と同じってことさ。ティールさん、今回の依頼はいつごろわかりますか?こちらとしても出来るだけ早く次の手を打ちたいんですよ。」
 
「概要だけなら3日もあればつかめるだろう。それに、お前の友達から詳しい話が聞ければ、もっと突っ込んだところまで調査は出来ると思うぞ。」
 
「そっちは任せてください。必ず話してもらいますから。」
 
 オシニスさんがクリフの父親から詳しい話を聞きだしたら、すぐに知らせると約束して、私達は調査会社を後にした。
 
「さてと、これであとは結果待ちだな。」
 
「信頼の置ける調査機関があるっていうのはいいことですね。」
 
「そうだな。俺が密偵を持たずに今までやってこれたのも、ティールさんのおかげだよ。団長になる前から、いろいろと調べ物を頼んだりしていたからな。しかも実に正確だ。最近は、大臣達の中にもあの会社で調査を依頼する人達が増えたくらいだ。じいさんだって、簡単な調査を頼んだりするしな。」
 
「でも全面的にそちらに依頼はしないんでしょうね。」
 
「そりゃそうだ。あのじじいは見た目より遥かにずるがしこいぞ。自分だけの情報として抱え込んでいたほうがいいと判断したものについては、相変わらず自前の密偵を使っているよ。」
 
「オシニスさん、ステラのことはもう少し詳しくわからないんですか?」
 
 妻が不安げに尋ねた。
 
「そうだなあ・・・。その辺りの話は、団長室に戻ってから少ししてやるよ。往来で話すことでもないからな。」
 
 
 王宮へと戻り、団長室に入ると、オシニスさんは扉をぴたりと閉めて、奥の部屋へと私達を促した。
 
「ステラのことだが、カーナが別な調査の仕事で出ていたときに見かけたそうだ。もちろんまったくの偶然だったんだがな・・・。カーナとしてはステラが心配だったんだろう。ティールさんに見たままを報告したそうだ。ところが、アイーダが指揮を執っている調査チームは、主に俺からの機密性の高い依頼をこなす、あの会社の中でも精鋭のチームなんだが、その中でステラの名前が急浮上しちまったというわけさ。」
 
「つまり・・・アスラン襲撃の一味ではないか、ということですね?」
 
 オシニスさんがうなずいた。
 
「さっきお前が言ったように、ステラの腕ならあんな半端なことはしないだろう。とは言え、無関係であることを証明することも出来ない。なんと言っても、それ以来まったく現れないからな。まずは居所の特定から始めなければならないってことで、アイーダに調査を進めてもらってるんだが、なかなか調査が進まない。つまりそれは、ステラが意図的に自分の居所を隠してるってことじゃないかとも考えられるというわけさ。もしもそうなら、やはりアスランの一件に関係があると思って間違いないだろう。自分の身辺が調べられていることなんぞ、ステラならすぐに気づくはずだ。にもかかわらず、姿を見せないんだからな。」
 
「ステラは・・・まだカインのことを忘れてないのかしら・・・。あれからもう20年も過ぎるのに・・・。」
 
 妻がつらそうに言った。
 
「・・・何年過ぎても、忘れられないことってのはあるんじゃないか。そりゃ俺としても、死んだ男のことなんて忘れて新しい誰かを見つけろと言ってやりたいところだが、こればかりは本人の問題だ。ステラが自分でけりをつける以外にない。」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
 なんとも言いようがなく、3人とも黙り込んだその時、団長室の扉がノックされた。
 
「団長、御在室でしょうか。」
 
「おう、今開けるから待ってろ。」
 
 オシニスさんが返事をして、扉を開けた。私達も奥にいるままでは隠れているように思われても困るので、扉の前の執務室に戻った。
 
「あ、クロービス先生と奥様もご一緒でしたか。お忙しいところ申し訳ありません。医師会のドゥルーガー会長からの伝言なのですが。」
 
 入ってきた若い剣士が言った。
 
「会長の?何でまたドゥルーガー会長がお前に伝言を?」
 
 その若い剣士の話に寄れば、彼は執政館の上の階へ向かう階段の近辺を警備していたが、上の階から降りてきたドゥルーガー会長に団長への伝言を頼まれたとのことだった。
 
「で、どういう伝言だ?」
 
「はい、実は・・・」
 
 その伝言は、オシニスさんにすぐに執政館にあるレイナック殿の居室に行ってくれるようにと言うことと、もしも私と妻が一緒にいたら2人ともオシニスさんに同行してくれるようにというものだった。
 
「・・・なんだその話は・・・?」
 
 奇妙な伝言だ。
 
「さ、さあ・・・私も雲を掴むような話でしたので、もう少し詳しくお聞きしたかったんですが、ドゥルーガー会長はお急ぎだったようなんです。なんでも今日はエリスティ公の定期検診の日だとかで・・・。」
 
「・・・ふん、あのお方を待たせたりしたらこの先1年くらいは会うたびに嫌みを言われるからな・・・。会長殿もご苦労なことだ。・・・仕方ない。とにかく行ってみるよ。悪かったな、手間を取らせて。戻っていいぞ。」
 
 剣士団長から笑顔で労いの言葉をかけられ、若い剣士は恐縮しながら戻っていった。
 
「さて・・・これがじいさん本人からの伝言なら、俺をからかって遊んでいるとも思えるが、ドゥルーガー会長というのが気にかかるな・・・。しかも来てくれって言う場所が居室となると・・・。クロービス、ウィロー、つきあってくれるか?」
 
「もちろん構いませんよ。居室と言うことは、執政館の執務室ではなくて上の階の部屋ですよね。」
 
「そうだ。あの部屋は執務室とは違って私室のように使っている部屋だからな。もっともじいさんはたいてい礼拝堂のほうで寝起きしてるんだが・・・なんでまた居室のほうに来いと言ったのか・・・それほど火急の用件てことか・・・。」
 
「もしレイナック殿がどこかお悪いなんてことだとしたら、ほっとけませんね。」
 
「ああ、じいさんに今倒れられたら、フロリア様の治世までも危うくなりかねん。もうしばらくはがんばってもらわないとな。」
 
 オシニスさんの不安が伝わってくる。ドゥルーガー会長の言いたいことは、おそらく自分が動けないから代わりに私をと言うことなのだろうが、医師会の医師ではなく私にと言ってくると言うことは、おそらくはエリスティ公の来所に配慮してのことだろう。誰の体調が悪いにせよ、あのお方に知れることが好ましいとは思えない。今回ばかりは裏の意図も何も勘ぐろうとは思わなかった。
 
「行きましょう。レイナック様が心配だわ。」
 
「心配だけど、表向きはのんびりと行かないとね。」
 
「そうだな・・・。行くか。」
 
 3人で、いつものようにレイナック殿の部屋を訪ねるべく、剣士団長室を出た。
 

第78章へ続く

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