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「あ!困ります!面会の方はこちらで受付を!」
 
 受付嬢の叫ぶ声で我に返った。
 
「うるせぇ!」
 
 乱暴な怒鳴り声はまさしくクリフの父親だ。私は慌てて立ち上がり、廊下を走っていく彼の後ろ姿に向かって、大声で『待ってください!クリフのお父さん!』と叫んだ。クリフの父親はぎょっとして立ち止まり、振り向いた。
 
「何の用だ!」
 
「それは私が聞きたいくらいです。どこに行かれるんですか?!」
 
 立ち止まった隙に私はクリフの父親に追いつき、腕を掴んだ。
 
「離せよ!息子は退院させる!文句があるか?!」
 
「今この手を離す気はありませんし、文句なら大いにあります!今無理に退院させたら死んでしまいますよ!あなたは我が子を殺したいんですか?!」
 
 私の叫んだ最後の言葉は廊下に響き渡り、診療室や看護婦の詰所から何事かと人が出て来た。クリフの父親は忌々しげに舌打ちし、私を睨んだ。多分一気に息子を連れだそうとしていた彼のもくろみは失敗に終わったのだ。
 
「くそ!人聞きの悪いことを言うんじゃねぇよ!我が子を殺したい親がどこにいる?!」
 
「では私の話を聞いてくれませんか。」
 
「あんたの話を聞いているうちにうちの息子が死んじまったらどうするんだ?」
 
「あなたの息子さんは、今日も穏やかに眠っていますよ。少なくとも、今日明日にどうにかなるような危険な状態ではありません。なんでそんな話になってるのかくらいは、聞かせていただくことは出来ませんか?」
 
「退院させたら医師会に金が入らないから入院させておくのか?」
 
 相変わらずめちゃくちゃな論理だ。そして、彼からはやはり怒りではなく焦りが伝わってくる。
 
「そんな因縁をつけるようなことをしていたのでは、あなたの商売にも影響が出るでしょう。ここには一般の人達も診療に来るんですよ。誰が聞いているかわからないじゃないですか。」
 
 元々王立医師会は国王の健康管理のために作られたが、王宮内で働く人々なら身分にかかわらず診てもらうことは出来た。だが、フロリア様の父君ライネス前国王陛下の御代からは、一般の人達もここで診療を受けられるようになっている。
 
「俺のことなんてどうでもいいんだ。俺は息子の命を助けたいんだよ!」
 
「そう思われるなら私の話を聞いてください。それに、この先あなたが考えている治療を続けていくためには、多額のお金が必要になるでしょう。今商売が行き詰まってしまったら、その治療を受けさせることも出来なくなってしまうんですよ?」
 
「くそ・・・サラだな?あのやろう余計なことを・・・。」
 
「サラさんは息子さんと、夫であるあなたのことをとても心配していましたよ。あなたはクリフの父親です。息子さんを案じるのは当たり前のことでしょう。でもサラさんは、クリフの母親ではないですか。お腹を痛めて産んだ息子さんを大事に思う気持ちは、父親以上だと思いますよ。」
 
「・・・・・・・。」
 
「お願いします!」
 
 私は必死で頭を下げた。クリフの父親から発せられる焦りと苛立ちがどんどん強くなる。今こうしているうちにも『特別な薬』がなくなってしまうのではないかと不安で仕方ないのだと思う。だが、その薬の正体が怪しげなものかも知れない。とにかく今はこの人をここに引き止めて話を聞かなければ・・・。
 
 
「おやぁ?レグスさんではございませんか?」
 
 突然聞こえた大きく明るい声に、私は顔を上げて振り向いた。
 
「あ・・・こりゃどうも・・・。」
 
 クリフの父親は慌てて声の主に向かって頭を下げた。そこには恰幅のいい60歳前後かと思われる紳士が笑顔で立っていた。
 
「そう言えば、息子さんが入院されているのでしたな。お加減はいかがです?」
 
「え、ええ・・・最近はだいぶいいようで・・・。」
 
「それは何よりですなあ。私は父親が先週ここに入院しましてね、見舞いに来たところなのですよ。」
 
「そ、それはご心配ですね・・・。」
 
「まあ歳も歳ですからね。でも誰だって自分の家族には長生きしてほしいものですからな。」
 
「ええ、おっしゃるとおりです・・・。どうかお大事に・・・。」
 
「ありがとうございます。では失礼します。」
 
 紳士は笑顔で会釈して廊下を歩いて行った。
 
 
「・・・しょうがないな。あんたの話を聞くよ。くそっ、こんなところで油を売っている暇なんぞないってのに。」
 
「ではこの間の会議室に行きましょう。」
 
 もしかしたらあの紳士は、クリフの父親の仕事上の取引相手だろうか。このタイミングで声を掛けてくれたことに感謝したい気持ちだ。取引相手のいる病棟で騒ぎは起こせないだろう。だが安心している場合ではない。気が変わらないうちにと、私はクリフの父親を会議室へと案内した。
 
 
「お時間を作って頂いてありがとうございます。」
 
 クリフの父親は忌々しげに私を睨み、ドカッと音をたてて椅子に座った。
 
「ふん、別に作りたくて作ったわけじゃねぇ。で、あんたは女房からどこまで話を聞いたんだ。」
 
 私は昨日クリフの母親から聞いた話を(もちろんオシニスさんの話は抜いて)思い出せる限り話した。
 
「サラの野郎、余計なことを・・・。で、あんたはこの話を妨害しようってわけか?」
 
「本当にいい話なら、その薬が確かなものなら、こちらからその薬のレシピを教えてくださいと頼みに行きたいくらいです。でも実際に薬を渡されたわけではないんですよね?」
 
「あんたらが邪魔しなければ、今頃クリフは家のベッドでその薬を飲んで元気になってたはずなんだ。」
 
「今日の今日退院させて一度薬を飲ませたくらいで、本当にそんなに効き目があるとお考えですか?」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 言葉のあやか、それとも私への嫌味のつもりだったのか、どちらにせよクリフの父親が、その薬の効能をそれほど大きなものだと信じているわけではないらしいことはわかった。
 
「効果はともかく、薬屋が薬を勝手に処方して客に渡すなんて事をしてはいけないんですよ。」
 
「・・・ああ、その薬屋は、うまくやるから心配するなと言っていたよ。」
 
「うまく行かない可能性は考えなかったんですか?」
 
「大丈夫だからそう言ったんだろう。たとえば違法になったってその薬屋が摘発されるだけだし、医者さえ話に1枚かんでいれば問題はないって話だったぜ。」
 
「医師が処方するからいいと言うものではないんです。医師が薬を患者に処方するためには、診察が必要です。どんな病気でも、患者ごとに状態は異なるんです。人から聞いた病状だけを頼りにそんなに効く薬を処方出来る医師なんて、世界中探したっていませんよ。もちろん私にも出来ません。」
 
「ふん、天才ってのはどんな分野にでもいるもんじゃないか。あんたに出来なくたってその医者が出来りゃいいんだ。」
 
「出来たところで違法は違法です。話が表沙汰になれば、その医師は医師免許剥奪の上、牢獄暮らしが待っているんですよ。万一そうなったら、当然薬は手に入らなくなるんです。そう言った危険性はお考えになったんですか?」
 
「じゃあどうすりゃいいってんだよ?!」
 
 クリフの父親は突然怒鳴り、テーブルをこぶしでガンと叩いた。でもその拳が震えている。焦りがじりじりと伝わってくる。
 
「俺は息子を助けたいんだ!医師会にあるはずの、この国の最高の医療技術で助からないって言うなら、他を頼るしかないじゃないか?!それともあんたは、黙って息子が死ぬのを見ていろって言うのか?!」
 
 いつの間にかクリフの父親の目は真っ赤だった。
 
「ちくしょう・・・なんでクリフなんだよ・・・。なんで・・・なんで俺の息子なんだよ?!他の誰かだっていいじゃないか!なんで・・・なんで俺の・・・・」
 
 声を詰まらせたクリフの父親は、顔を上げて私を睨んだ。
 
「あんたは確か、俺とオシニスより5歳だか下だって言う話だったな。あんたには子供はいないのか?」
 
「私をご存じだったんですか?」
 
 これには私のほうが驚いた。
 
「知ってるよ。もっとも、こうして顔を合わせたことはないはずだがな。あんたが剣士団に入ったばかりの頃だと思うが、町の中でオシニスにばったり出会ったことがあったのさ。その時に聞いたんだ。最近やっと4人目の新人が入ってきたって、これで新人が全員外で仕事が出来るようになったって、うれしそうだったよ。俺達より5歳も若いんだ、まったく俺達も年をとったもんだって笑ってた・・・。あの頃はよかったよ・・・。あいつは剣士団の中でめきめきと頭角を現して、俺は結婚して子供も生まれて、あと何年かまじめにがんばれば、独立させてやるぞって親方に言われてた頃だ・・・・。どっちが早く出世するか賭けようかなんて、冗談も言い合えた・・・。」
 
「・・・そうだったんですか・・・。私にも子供はいます。息子が1人、今年剣士団に入団したばかりですよ。」
 
「剣士団か・・・。クリフの奴が剣士団に入りたいって言ったとき、俺は正直言ってがっかりしたよ。あんたは医者だってのに、息子が後を継がなくていいのか?しかも麻酔薬の開発者だ。息子に後を継がせて研究させれば、一生安泰に暮らせそうだがな。」
 
「小さい頃からずっと王国剣士になるって大騒ぎでしたからね。それが大人になっても夢として持ち続けるのか、大きくなれば変わるのか見守ってきましたけど、とうとう考えは変わりませんでした。正直言いますと、寂しいとは思います。でも息子の選んだ道ですから、応援しようと思ってます。」
 
「・・・応援か・・・。俺もそうだった。クリフがそう決めたなら、無理に家業を継がせなくても、自分のやりたいことをやって充実した人生を送ってくれればと・・・。」
 
 クリフの父親の目から、涙が一筋頬を伝った。さっきの苛立ちと焦りがだいぶ落ち着いている。私は先ほどハインツ先生と話した、手術の話をしてみることにした。
 
「レグスさん、先日来られたときに話の出た、再手術についてはどうお考えですか?」
 
「・・・手術と薬、切り刻まなくてすむなら薬のほうがいいじゃないか。これ以上あいつの苦しむ姿は見たくないんだ。俺は・・・俺は、息子の笑った顔が見たいんだよ!病気が完治しなくても、せめて普通の暮らしが出来る程度に回復すれば・・・きっとあいつならどんな仕事についてもやっていけるから・・・。」
 
「オシニスさんも同じことを言ってましたよ。」
 
「・・・オシニスが?」
 
 私は、オシニスさんがクリフの手術について、もう一度手術をして、その後は薬で病気を抑えながらせめて普通の仕事が出来るようになればと言っていたことを話した。クリフの父親は苦しげに顔を歪ませ・・・なんだろう、この感情は・・・。クリフの母親とのことで怒り出すかと思ったが、なんだかとても複雑な感情が彼を支配しているのがわかる。
 
「くそ・・・あいつのそう言うところが、叶わないんだ・・・。ちくしょう・・・。俺は・・・。」
 
「奥さんとオシニスさんのことを本気で疑っているわけではなさそうですね。」
 
 クリフの父親は、なぜか自嘲気味に笑って、私に目を向けた。
 
「ふん、オシニスの奴が人の女房とうまいことやれるほど器用な奴だったら、サラはとっくにあいつと結婚していただろうよ。あいつは女には手が早いが、いい加減なやつじゃない。サラのことだって本気だったろう。サラだって・・・。だから・・・。」
 
 どうやら、クリフの父親はオシニスさんと自分の妻に対して、何か負い目のようなものを感じているらしい。クリフの治療の話がなんだか妙な方向にずれているような気がしたが、今は辛抱強く話を聞くしかなさそうだ。
 
「オシニスはサラのことを何か言ってたのか?」
 
「そんなに詳しい話を聞いたわけではないですよ。ただ、昔はおつきあいをしていたと言うことと、剣術指南に通っているうちに疎遠になったとか、その程度です。」
 
 ここは正直に言っておこう。どうせ私がその話を聞いているだろうと言うことは、クリフの父親だって気づいているだろう。
 
「・・・あいつがそう言ったのか?」
 
 クリフの父親はなぜか驚いた顔をしている。
 
「ええ、そういう話でしたね。」
 
「ふふ・・・ふふふ・・・はははははは!」
 
 クリフの父親は突然笑い出した。でも顔はちっとも笑っていず、さっきより青ざめている。
 
「あいつはほんと、バカ正直だよな・・・。ふん、だから、俺に簡単に騙されたりするのさ。ははは・・・はははは・・・・」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 さて困った。クリフの父親は、何かオシニスさんにわだかまりがあるらしい。それは、昔自分の妻とオシニスさんが恋仲だったという、それに絡んではいるがそのこと自体ではない、そんな感じがするのだが、どうしたものか・・・。
 
 
「・・・こんな話をあんたにしたところで、恥を増やすだけだな・・・。」
 
 しばらくして、クリフの父親は独り言のようにそう呟いた。
 
「オシニスさんのことはともかく、今はクリフの話をしませんか。ご両親にとって一番大事な息子さんの未来を、少しでも確保するために。」
 
 クリフの父親とオシニスさんの間に何があったのかはわからないが、それは私が首を突っ込むべきことではない。とにかく今はクリフのことだ。あの若者の未来に少しでも希望が持てるよう、何とかしてやりたい。
 
「・・・医師会が最初からそう言ってくれれば、俺だってこんなことをしなくてもよかったんだ・・・。」
 
「・・・どういうことです?」
 
「クリフが入院したとき、医師会ではそれほどの重病だなんて言ってなかったんだ。だが、ある日いきなり、もう助からないと・・・。」
 
 クリフの父親の声が震えた。
 
「もう助からない、状況は限りなく悪い、そんな言葉ばかりだ。そして、苦しまずに穏やかに最期の時を迎えられるようにって・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「俺の息子なんだぞ!」
 
 クリフの父親はドンとテーブルを叩いた。
 
「俺とサラの最初の子供だ!あいつが産まれたときに俺達がどれほど喜んだか・・・。なのになんで死ななきゃならねぇんだよ!・・・どんなにうまい言葉を使ったところで、息子が医師会に見放されたってことは確かじゃねぇか・・・。たった1人の息子を、せめて苦しまずに死ねるようにしてやるなん言われて、喜ぶ親がどこにいるってんだよ?!」
 
 何も言えなかった。クリフの父親が言っているのは、親としての当たり前の感情だ。
 
「あいつはまだやっと23歳だ。これからなんだよ・・・何もかも・・・。なのに医師会ではもうあいつが死ぬ算段だ。重い病気だってことは、あいつのあの痩せ衰えようを見りゃあわかるさ。だがな、だからって納得出来るかどうかは別じゃねぇか!」
 
「・・・それで薬屋を頼ったんですか?」
 
「あの薬屋だけだったんだよ・・・。」
 
「・・・え?」
 
「いい薬があるから、それを飲ませればよくなるかも知れない。まだ死んでいないなら希望を捨てちゃいけないって・・・あの薬屋だけが・・・そう言ってくれたんだ・・・。息子が病気になってから、初めて、希望が持てた・・・。もしかしたらよくなるかも知れないと・・・。だから、だから俺はそれに賭けたかったんだ!そのためならなんでもするつもりだ!なのに・・・」
 
 クリフの父親は顔を覆った。肩が震えている。冷たい現実を、おそらくはこの父親が一番直視出来ずにいるのだ。多分クリフ本人のほうが、自分の置かれている状況を理解して、受け入れているだろう。
 
「その薬屋のことを、詳しく教えて頂くことは出来ませんか。もしも間違いなく効く薬なら、こちらから薬のレシピを教えてもらうと言うことだって出来るはずです。医師が患者を診察した上で処方するなら、どんな薬だって問題なく飲ませることが出来るんですよ。」
 
「多分それは無理だろうな・・・。」
 
「どうしてです?」
 
「俺があの薬屋に最初に行ったあと、次に行くまでの間におかしな奴らがうちの店のまわりを嗅ぎ回っていたんだ。あの薬屋は実直な奴だと思った。その俺の勘が間違っていなかったとしても、後ろについている奴はろくな奴らじゃねぇよ。それでも・・・クリフが助かるなら、俺は構わなかったんだ・・・。」
 
 ということは・・・私があの薬屋を出たあとに感じていた気配は、やはりあの薬屋に絡んでいた連中だったと言うことか・・・。彼らはおそらく、私に『まかれた』ことに気づいただろう。つまり、すでに彼らは、私が『安い薬を探して歩き疲れた田舎もの』でないことだけは掴んでいると言うことだ。
 
「その薬の申し込みはいつまでに行かれる予定だったんですか?」
 
「今日、クリフを退院させることが出来たら連絡することになっていたんだ。待っていてくれてもせいぜい2〜3日程度だろう・・・。なんと言っても、誰もが欲しがるすばらしい薬だそうだからな・・・。たとえ真っ当なルートで手に入るようなものじゃないとしても、効くならそれに越したことはねぇじゃねぇか。」
 
 クリフの父親と一緒にあの薬屋に行ってみるのが一番いいのだが、私と一緒に行ったのでは、もしかしたら彼を危険にさらすことになるかも知れない。私がきちんと武装して出掛ければ守ることは出来るだろうが、町の中で剣を抜いて斬り合いをしたくはない。
 
「つまり、行かなければそれまでと言うことですか。」
 
「向こうから連絡が来たことはないからな。おそらくそうだろう。」
 
「それでは、改めてクリフの再手術のことを考えてみてくれませんか。」
 
「あんたがやってくれるのか?」
 
「いえ、私は医師会には所属していないので・・・。」
 
「へえ、ここまで話をしておいて、責任をとるのはいやなのか。」
 
「そう言うわけではありません。医師会には優秀な医師がたくさんいらっしゃいますから、私などが出る幕はありませんよ。」
 
「ふん、医者なんてみんな同じだ。よし、決めた。手術をしてもらうよ。ただし、あんたがやってくれるならだ。」
 
「い、いや、それでは・・・。」
 
「あんたが医師会の医者かどうかなんて、俺にはなんの関係もないんだ。もちろん今病気で苦しんでいるうちの息子にとってもな。俺をここに連れてきて話をさせてくれなんて頭を下げたくせに、土壇場になったら逃げる気かよ?!麻酔薬の開発者ってのはそう言ういいかげんな奴なのか?!」
 
 ・・・半端に首を突っ込んで、後始末はハインツ先生に任せてしまうのでは、かえって医師に対する不信感を増大させてしまう。肚を括るしかないか・・・。とは言え、勝手に決めてしまうことだけは出来ない。
 
「医師会の患者に対して、外部の医師が手術を行うには、医師会の会長の許可が必要です。今日だけ返事は待ってくれませんか。明日には必ず返事を差し上げます。」
 
 クリフの父親はしばらく私を見ていたが・・・
 
「あんたが、ものすごくいい先生なのか、いい先生のふりをしている無責任野郎なのか、見極めさせてもらうぜ。」
 
 そう言って、部屋を出て行った。『ものすごくいい先生』というのは、おそらくあの薬屋からの受け売りだろう。こうなることは、予測出来たことだ。だが、オシニスさんの必死の頼みを断るわけには行かなかった・・・。
 
「いや、そんなのは言い訳だな・・・。」
 
 医師として、1人の患者に関わろうと決めたのは私自身なのだ。そしてクリフの父親の言うとおり、私が医師会に所属していようがいまいが、患者にはなんの関係もない。
 
「結局は私自身の決断か・・・。そうだよな・・・。いつだって、自分で判断を下してきたんだ。どんな時にも・・・。」
 
 そうだ・・・。どんな時にも私は・・・。
 
「自分で判断を・・・下してきたんだ・・・。」
 
 脳裏をよぎった遠い記憶と、胸の奥に感じた、体を刺し貫かれたような痛みに気づかないふりをして、立ち上がった。とにかく今は、ドゥルーガー会長に報告に行かなければならない。
 
 
 
「なるほどな・・・。やはりそういう話になってしまったか・・・。」
 
 ドゥルーガー会長は溜息をついた。会長にも、やはりこうなることは予測出来ていたことなのだ。私はクリフの父親との話を出来る限り詳細に伝え、会長の判断を仰ぎたいと言った。いくら私が手術をしようと決心したところで、医師会から許可が下りなければどうしようもない。
 
「・・・レグス殿の言われたことは正論だ。患者にとって、医師がどの組織に属しているかなど何の関係もない。それに・・・私もそうあるべきだと思っている。医師会に入っているからいないからなどと言う、縄張り意識のようなものを持っていたのでは、この先の医学の進歩など望めぬだろう・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「クリフの手術は今までに3度行われている。いずれも執刀したのはハインツだ。手術が終わるたびにため息をついて、悔しそうな顔をしておった・・・。今の医師会の技術では、クリフを助けることが出来ないと・・・。」
 
「先ほどお話を伺ったときに聞いたのですが・・・」
 
 私はハインツ先生から先ほど聞いた話を伝え、ハインツ先生の苦悩の原因はそれではないかと聞いてみた。
 
「ふむ・・・最初の手術では、目的の場所の病巣はすべて切除できたのだが、まったく別の場所に転移していたことがあとになって判明し、2度目の手術となった。そのときの病巣が思ったより深くて、すべてとりきれず、隣の臓器に転移した。3度目の手術となったときには、見ているこちらが心配になるほど、ハインツのほうが憔悴しておった・・・。短期間のうちに何度も手術し、結局完治させることが出来ず、病気の進行に伴う痛みで睡眠不足となり、クリフはすっかり弱ってしまった。それも自分の至らなさのせいだと、ハインツはずっと苦悩しておる。・・・自分が執刀したのでは同じことだと言う奴の言葉は、自分に対する自信のなさの表れだろう・・・。」
 
「それで、クリフの両親に現状を伝えたのですね。」
 
「うむ・・・。こちらとしては下手に希望を持たせるよりも、現実を見つめて、これから先とれる限りの手段を講じて行きたいと言う話をしたつもりだったのだが・・・。」
 
 どうやら、精一杯の誠意を示したつもりの医師会の言葉は、クリフの父親の心に届いていないらしい。でもそれも仕方ないことかもしれない。誰だってわが子がただ死ぬしかないと言われてすんなりと受け入れられるはずがない。クリフの父親は、おそらく今でも現実を受け入れることが出来ずにいる。なのに周りで話がどんどん進み、今ではクリフは『死を前提にした最期の治療』を施されている。彼にとってあの薬屋の言葉は、闇の中に差し込んだ、ただ一筋の光明だったのだろう。
 
「我らの言葉が伝わらなかったのは、あくまでも我らの責任だ。そのことで貴公が責められたのは、申し訳なかった。だが、その一方でレグス殿は貴公に希望を見出したようだ。手術の依頼は腹立ち紛れなどではなく、もしかしたらこの医師なら自分の息子を助けてくれるかもしれないと考えてのことだろう。」
 
 『私はそれほどのものでは』と言いかけてあわてて口をつぐんだ。患者の家族が私に希望を見出したのなら、私は応えなければならない。自信がないなどと言っている場合ではないのだ。
 
「私に異存はない。あとはハインツか・・・。あのように飄々とした人柄のせいか、ハインツは他の医師達にも慕われておる。あやつが首を縦に振りさえすれば、貴公がクリフの手術の執刀医となることに異論は出ぬだろう。」
 
 私が執刀したところで、医療器具はやはりあるものを使う以外にない。ハインツ先生がうまく出来なかったものを、私ならうまくやれるなどと言う保証はどこにもないのだ。しかも、どうやら今回手術をする場所は、前回とりきれなかった病巣が中心になっているらしい。ということは、以前よりもっと深くなっている可能性と、さらに近隣の臓器に転移している可能性も考えての手術になるだろう。
 
(・・・それをきれいに取り去るとなると・・・。)
 
 さっき受付で考えていたとき、クリフの父親が駆け込んできたことで途切れた考えを、もう一度頭の中で繋げてみた。そして、思い切ってドゥルーガー会長に提案してみることにした。
 
「・・・なるほど、呪文でか・・・。」
 
「もちろん100%の保証があることではありませんが、多少なりとも成功率は上げることが出来ると思います。ただ・・・」
 
 本当にこれでいいのか、クリフのことではハインツ先生が自信を失くしかけている。このまま私が執刀医として手術をしてしまったら、しかも呪文まで使ってしまったら、ハインツ先生はもっと自信を失くすことになるだろう・・・。その私の懸念を聞いて、ドゥルーガー会長はため息をついた。
 
「・・・その危険性は大いにある。ハインツは呪文が使えないことを気にしておるからな。だが、今は患者の命が優先だ。助かる方法があって、それを使えば何とかなる可能性がほんのわずかでもあがるのなら、ためらうべきでないと思う。」
 
「・・・返事をするまで今日一日の猶予をもらうことが出来ました。まずはハインツ先生と話をしたいのですが。」
 
「そうだな。患者の部屋で話すわけにもいかぬことだ。ここまで来てもらおう。」
 
 ドゥルーガー会長は部屋の外に出て行き、そこにいた誰かにハインツ先生を呼んできてくれるように頼んだ。
 
 
「どうなさったのです?会長じきじきに・・・おやクロービス先生。」
 
 しばらくして部屋に入ってきたハインツ先生は、私の姿を見て会長の用向きを察したらしい。
 
「クリフの父上はここに来られたのですか?」
 
「何とか受付で食い止めることが出来ましたよ。それで先ほど詳しいお話を伺ってきました。」
 
 私はさっき会長にしたのと同じ話を、ハインツ先生にも話した。ハインツ先生は心なしか遠い目で宙を見つめ『なるほど、そのほうがいいのでしょうね。』と小さな声で言った。
 
「でも私が執刀したところで、それほど成功率が高くなるとも思えませんよ。私だって外科手術の経験はそんなにたくさんあるわけではないんですから。」
 
 島にはもちろん若者もいるが、診療所にやってくるのはほとんどが老人だ。年齢によって発症する確率の高い病気の治療がほとんどで、外科手術が必要な患者はそんなにいない。
 
「そうかもしれませんが、クリフの病気にはまた違ったアプローチも必要だと思いますよ。同じ医師が診ていたのでは、どうしても視点が固まってしまいます。斬新な視点で改めて病気全体を見渡していただければ、きっと解決策があると思いますよ。」
 
 そのことについて異論はない。だが、さっきからハインツ先生の発する『気』の中に、諦めと自嘲が入り混じっているのがどうしても気になる。ハインツ先生がこのまま自信をなくしてしまうことだけは何としても避けたい。
 
「確かにそうですが、私としても今までほとんど接点のなかった患者の手術をいきなりやれと言われても困ります。手術についてはハインツ先生や医師会の皆さんの協力がなければ、やはり同じことの繰り返しになると思いますよ。」
 
「もちろん協力は惜しみません。私としてもクリフにはぜひ少しでも長く生きてほしいと思っていますからね。」
 
 ハインツ先生のことは、手術の準備を進めているうちに解決策が見つかるかもしれない。あとはゴード先生か・・・。一番の難関かもしれないが・・・。
 
 
「失礼します。」
 
 会長室の扉がノックされた。この声はゴード先生だ。
 
(まさか聞こえたわけでもないだろうけど、流石にこのタイミングだとドキッとするなあ・・・。)
 
 会長室に置かれた立派な時計はそろそろお昼近くをさしている。マッサージ体験会は終わったのだろうか。
 
「病室に行ったらハインツ先生がこちらだと言うので・・・。」
 
 会長室では流石に緊張するのか、ゴード先生は神妙な面持ちで立っている。なんとその後ろに妻がいた。
 
「おお、ご苦労であったな。突然マッサージ体験会になってしまったと聞いたが、どうだったのだ?」
 
 ゴード先生は小さくため息をついて、
 
「このタイミングで一度開催してみてよかったです。みんな親の肩を揉んだことがある、程度でしたからね、基礎の基礎から教えることになりました。そろそろお昼なので、午後からアスランのリハビリを見学してもらおうと思います。クロービス先生の奥さんには、お手伝いしていただけるだけの準備が整っていないので、今日は午前中で上がっていただきました。それで病室にもどったらハインツ先生がこちらだと聞いたので。」
 
 どうやら見学に来ていた医師や看護婦達は、マッサージは得意でないらしい。
 
「そうか。では午後からも引き続きよろしく頼む。ところでゴードよ、そなたもここに座らぬか。少し話がある。ウィロー殿もこちらに座ってくれぬか。」
 
 会長に促され、二人は不思議そうに勧められたいすに座った。そして今度はドゥルーガー会長から、クリフの手術についての話が伝えられた。
 
「ゴード、そなたはクリフがここに運び込まれたころからハインツと一緒に治療に携わっておる。クリフの父上の希望でこういうことになったのだが、そなたの意見を聞かせてくれ。」
 
「・・・私としては、反対する理由はありません。ここはひとつ、ぜひクロービス先生に執刀していただきたいですね。」
 
「ゴード、率直に聞こう。君はどちらかと言うと、クロービス先生に対してあまりいい感情を持っていないように見受けられたが、納得は出来ているのか?」
 
 ハインツ先生がずばりと聞いた。ゴード先生は少しだけばつの悪そうな顔をしたが・・・
 
「そうですね・・・。確かにおっしゃるとおりです。いまさら隠し立てはしません。クロービス先生がここに来られた時には、何でまた今頃と、いささか忌々しく思ったことも確かですよ。ですが、今では状況が変わりました。」
 
「状況というと、先生の整体の腕と言うことか?」
 
 ゴード先生がうなずいた。
 
「あれだけの整体の腕がおありで、奥さんのマッサージの腕もすばらしい。そしてクリフの治療でも、そのマッサージで多少なりとも痛みを何とか出来るかもしれないと言う話になったとき、私は期待したんです。私がずっと研究を続けている整体やマッサージと言う分野を、何とか医師会で正式に医療技術として認めてもらうチャンスだとね。」
 
「それで、今回の手術のことはどうつながるんだ?」
 
「ハインツ先生、考えてもみてください。医師会ではいまだに『マッサージなど』とか、『整体なんて医者のやることじゃない』なんて話が聞こえていることはご存知でしょう。」
 
「それは私も知っている・・・。クリフの治療の件でははっきりと『そんなものに医者が頼るようになってはおしまいだ』などとも言われたな。」
 
「私も言われましたよ。でもね、あれは彼らの本音じゃない。もちろん本気でそう思っている人が誰もいないなんて言いませんがね。」
 
「どういうことかね?」
 
 今度はドゥルーガー会長が眉根を寄せて尋ねた。
 
「彼らは頼まれているんです。町で開業しているマッサージ師や整体師にね。もしもこの分野が正式な医師会の研究対象になれば、当然医師の育成も行うことになります。それでは彼らにとって実に都合が悪い。優秀な術者が医師会にいて、町の整体師達よりずっと安い価格で同じ施術が受けられるとなったら、彼らの商売は上がったりではありませんか。だから本当なら協力して医師会に圧力をかけたいところだけど、会長はそんな脅しに乗るような方ではありませんから、医師達に頭を下げて、あるいは付け届けをして、そんな話を流布してもらっているんですよ。」
 
「まさか?そんなことがあるんですか?!」
 
 私は思わず叫んだ。
 
「クロービス先生はずっと島におられたから、この手の権謀術数にはご縁がなかったでしょうが、医師会では未だにそういうことばかり考えている連中もいるんです。この国最高の医療技術を誇るはずの医師会が、町の整体師達に圧力をかけられるなんてそんな馬鹿な話がありますか?!ずっと昔治療術師達に圧力をかけられて新薬の開発を断念したなんて話が、また起きるかもしれないんですよ?!」
 
「そなたその話をどこから聞いた?」
 
 ドゥルーガー会長の顔が険しくなった。私も驚いて心臓が飛び出しそうだった。妻も顔をこわばらせている。だがゴード先生はこの反応を予測していたらしく、驚いた様子も見せない。もちろん、私と妻が驚いている本当の理由は、ゴード先生にわかるはずがないのだが。
 
「多分同じころだと思いますが、医師会の診療所で誤診による医療事故がありましたよね。」
 
「その件については公表されておる。確かに同じ時期だが、新薬の開発の件については、一般には公表されなかったはずだ。」
 
「公表はされなかった、でも、医療事故の件で頻繁に医師会に出入りしていた患者達の家族は、その話を小耳に挟むこともあったと思いますよ。」
 
「あの時亡くなった患者の家族を知っておるのか?」
 
「私の母の伯父があの時亡くなっています。私はもちろん顔も知りませんが。伯父の母親、つまり私の祖母が、息子の死に納得が出来ずに何度も医師会に足を運んでいたそうですよ。そのときに、同じころ新薬開発の話が頓挫したことと、それがどうやら治療術師からの圧力らしいと、小耳に挟んだようですね。私も母からの又聞きですから、詳しいことまで知っているわけではありません。」
 
「なるほどな・・・。人の口に戸は立てられぬと言うことか・・・。」
 
 ドゥルーガー会長は大きくため息をついた。
 
「そのとき開発を中止した新薬がなんだったのか、そこまで知っていたわけではありませんが、治療術師達が圧力を掛けてまで開発をやめさせたかったほどの薬と言えば、容易に想像はつきます。それが麻酔薬ではないのかと思い至るまでに時間はかかりませんでしたよ。もちろんそれは、医師会に入ってから気づいたことですけどね。」
 
「そうか・・・。それで君はよけいにクロービス先生に対してあまりよくない感情を持っていたと言うことか・・・。」
 
 ハインツ先生がため息と共に言った。
 
「・・・否定はしません。麻酔薬の開発が一度は医師会で始められたというのに、なんで今さら辺境の島に住む医師などにその手柄を掠われたのかと、悔しくてたまりませんでしたよ。ですが・・・今は納得しています。麻酔薬の開発を指揮していた当時の研究員はどうやら医師会から追い出されてしまったようですし、その後誰1人としてもう一度麻酔薬の開発をと言い出す者がいなかったと言うことは、今の医師会にあれだけの薬を生み出すことが出来る研究者はいなかったのだとね。」
 
 納得しているというわりに、ゴード先生は悔しそうだ。気持ちがわからないわけじゃない。医師会に入る誰もが、この場所には最高の医療技術があると信じている。なのに多くの人々を救うことが出来る薬の開発がその場所で出来ないなんて、悔しくて仕方ないだろうと思う。
 
「・・・まあそんなわけで、麻酔薬についてはこれはもう仕方ないとしか言いようがないと、私は思ってます。ただ、今回のことはまた別の話です。王立医師会たる組織が、外部からの圧力で研究の内容を決められるなど、とんでもない話ではありませんか。」
 
 ゴード先生は、『追い出された研究者』が私の父親であることまでは知らないらしい。言う必要はない、いや、おそらくそれは、口にしてはいけないことなのだ。その研究者が麻酔薬の完成のためにその後も研究していた、それだけならばまだしも、未完の麻酔薬がどういうものであったのか、そしてそれがどういうことに使われたのか、それはおそらくそのことを知っている者すべてが墓の中まで持っていかなければならない秘密だ。
 
「・・・つまり、君はそういった医師会内部の声を押さえ込むために、クロービス先生の腕を見せつけたいと、こういうことか?」
 
 ハインツ先生の問いに、ゴード先生がうなずいた。
 
「そういうことです。言い方は悪いが、クロービス先生を利用させていただきたいんですよ。だから私はクリフの手術をクロービス先生が執刀することに反対はしませんし、出来る限りの協力をさせていただきます。」
 
 これで話は決まった。クリフの両親への報告と連絡は翌日にすることにして、今日のうちにある程度手術の日程を決めるために、ハインツ先生とゴード先生には今までの治療記録のまとめを頼んでおいた。あの父親の態度から察するに、あと一ヶ月先などと言っても納得しないだろう。とは言ってもクリフの体調次第だ。焦っていいことは何もない。
 
「クロービス殿、明日は剣士団長殿にも同行してもらいたいのだが、どうかね。」
 
 ドゥルーガー会長が言った。
 
「これから団長室に顔を出す予定でいましたから、伝えておきましょうか。」
 
「明日は私も同行させていただきますよ。今日の夕方にでも、もう一度こちらに顔だけでも出していただけませんか。そのころにはある程度手術の日程をつめることが出来ていると思います。」
 
 ハインツ先生がそう言ってくれたので、今日の夕方ここに顔を出しますと言っておいた。夜はフロリア様とのお茶会と言うことになっている。本当に楽しいお茶会になるのなら、リーザもオシニスさんも、レイナック殿にも同席してほしいところだが、今日だけはそういうわけには行かないだろうと思う。まずはフロリア様につらい記憶を吐き出してもらおう。
 
 
 妻と二人で医師会をあとにした。今日の午前中は会議だとオシニスさんが言っていたが、終わっただろうか。剣士団宿舎のロビーにはあまり人がいない。クリフのことをオシニスさんと話したいが、さてどこで話したものか・・・。
 
 
 考えながら歩いているうちに、剣士団長室についてしまった。ノックすると、扉を開けてくれたのはライラだった。
 
「あ、先生、こんにちは。」
 
「会議は終わったのかい?オシニスさんはいるのかな。」
 
「クロービスか。入れよ。」
 
 ライラの背後から声がして、私達は剣士団長室に入った。ライラは笑顔だった。昨日イルサに手伝ってもらったと言う資料探しはだいぶ順調だったようだが、おそらく今日の会議での発表もうまくいったのだろう。対するオシニスさんは・・・。
 
「どうしたんですか、なんだか冴えない顔ですね。」
 
 オシニスさんは剣士団長室の机に座って書類に目を通していたのだが、なんというか・・・苦しいとか悲しいという言葉はまったく当てはまらない、でもうれしいとも楽しいともとても思えない、『冴えない』という以外の表現が見つからない、本当に冴えない顔をしている。
 
「・・・お前もか・・・。朝からこれで何人目だろうな、そう言われるのは。」
 
「・・・すみません、僕も言いました。」
 
 ライラがすまなそうに言った。
 
「ああ、お前のほかに、ランドにも言われたし、セルーネさんとローランド卿にも言われたし・・・・ふんっ、あのくそじじいまで言いやがった。まったく・・・。」
 

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