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(まいったな・・・。これじゃ身動きが取れないや・・・。)
 
 ここから大通りに出るまでの間は建物らしい建物がない。隠れる場所がなければ尻尾をつかめるかもしれないが、つけて来ている連中がどの程度の腕前なのかがわからない。最悪、イルサとアスランを襲ったのと同じ様な手練れである可能性もある。鎧なしのダガー一本でそんな連中と渡り合いたくはない。当分ここに居座ろうかとあきらめたとき、ガヤガヤとたくさんの人々の声が聞こえ始めた。楽器の音や歌声も聞こえる。
 
「あれ?もしかしてパレードかな?」
 
 確か祭りの間に何回か、町の中を練り歩く仮装パレードがあると聞いた。隣の通りから聞こえていたのはこの音か。やがて声も音もどんどん大きくなり、パレードの先頭らしい輿が、馬に引かれてやってきた。そのまわりを仮装した人々が取り囲み、歌ったり踊ったりしながら歩いてくる。この騒ぎの中では、近くにいる誰かの気配を感じ取ることが難しい。つまり、つけてきている誰かも、私の位置を把握するのが難しくなると言うことだ。私は立ち上がり、道に出てパレードを眺め始めた。これだけの賑わいだ。このほうが自然だろう。そして行列の中程を進む馬車が目の前に来たとき、そのまわりではしゃぐ人達に混じって歩き始めた。人混みに紛れて襲われる危険性がないわけではないが、このパレードに参加している客が、すべてあの店の仲間だとは考えにくい。それにパレードの周りには何人かの王国剣士が一緒に歩いている。万一ここで攻撃を受けても、助けを求めることが出来るだろう。
 
「だんな!せっかくの祭りだぜ!さあさあ踊って踊って!!」
 
 隣を歩いていた道化師姿の男性が叫んだ。
 
「い、いや、踊りはへたくそなんだ。」
 
「じゃあ歌はどうだ?」
 
「すごい音痴だよ。祭りをぶちこわしてしまうから、手拍子で勘弁してくれないか。」
 
 道化師は笑いだし『しょうがないな』と歩きながら歌い、踊り出した。この道化師は大道芸人かも知れない。道化師の衣装があまりにも馴染んでいる。
 
「おじちゃん、はい、お菓子。」
 
 前を歩いていた、魔女の姿をした女の子が、提げていた籠から取り出した焼き菓子を差し出した。隣で母親らしい女性が『お祭りですから、どうぞ』と言ってくれたので、ありがたく受け取った。そんな思いがけない交流があり、なかなか楽しい。さてさっきの連中はまだ私をつけてきているだろうか。来ているとすれば、多分パレードの最後尾あたりにいるのだろう。もうすぐ王宮へ向かう道との分岐点に着く。人混みに紛れてパレードを抜けよう。この喧噪の中で敵がどこまで私を捕捉出来ているかはわからないが、今ここで私を襲えば、王国剣士達に難なく取り押さえられてしまうだろう。敵がそんな危険を冒すとは思えない。
 
 
                                  
 
 
「はぁ・・・やっと人心地がついた・・・。」
 
 仮装パレードとそれに続く人の波にもみくちゃにされながら、やっとのことで私は王宮の門にたどり着いた。思ったよりも時間が過ぎてしまった。オシニスさんが心配しているかも知れない。パレードから抜けた後にしばらくあたりをうかがってみたが、先ほどの気配はもう感じられなかった。あまり心配しすぎても仕方ない。
 
「お、クロービス、遅かったな。」
 
 採用カウンターの前でランドさんが声をかけてきた。
 
「仮装パレードに出くわしてしまいましたよ。おかげでまっすぐここまでたどり着けなくて。」
 
 ランドさんが笑い出した。
 
「なるほど、あれに巻き込まれると、行きたくもない方向に連れて行かれちまうんだよな。」
 
「オシニスさんは部屋ですか?」
 
「ああ、いると思うぞ。お前がなかなか戻ってこないから、心配していたみたいだな。」
 
 私は礼を言って剣士団長室へと向かった。
 
 
「遅かったな。」
 
 私を迎えてくれたオシニスさんは、また少し不安そうな顔をしていた。本当に心配してくれていたらしい。私はランドさんのところで話したように、まずは『パレードに巻き込まれた』ことを話し、そこに至るまでの経緯、つまりローハン薬局に入ったところから店を出てパレードがやってくるまでの話を、出来る限り思い出しながらすべて話した。
 
「ふん・・・限りなく胡散臭いが、しょっ引けるほどの確たる証拠はない。そんなところだな。」
 
「そうですね。あとをつけてきた連中にしても、果たしてあの店の手先なのか、たまたま間抜けな旅人を見つけて襲う算段でもしていたのか、判断がつきませんし。」
 
「ははは、お前が間抜けに見えたとしたら、そいつらのほうがよほどの間抜けだがな。だが、手がかりはつかめたようだ。助かったよ。ありがとう。」
 
「たいしたことはしていませんよ。手がかりというのは、その仲買人の話ですね。」
 
「ああ、そうだ。それと、その医療ミスとか言う話もな。」
 
「ドゥルーガー会長に直接聞くんですか?」
 
「もろんだ。だいたいもしこれが嘘だったとしたら飛んでもない話だ。だが、真実なら話してもらうさ。その薬屋がそのことを理由にして医師を嫌い、そのせいでレグスが惑わされているなら、なんとかしなきゃならんだろう。」
 
 オシニスさんは部屋の奥にある書庫から、また先ほどの資料を持ってきてめくり始めた。そしてしばらく眺めていたが・・・。
 
「うーん・・・、やっぱりここにある資料には細かいことが書いてないなあ。仲買人の居所や取引の見込みとかは医師会に行かないとだめか・・・。」
 
「医師会?この薬屋は王宮の出入り業者なんですか?」
 
「いや?・・・ああ、そうか。この間の雑貨屋の話だな?」
 
 
 思いもかけない形でセルーネさんと再会したとき、剣士団長室で私は薬草の価格高騰について尋ねた。その時セルーネさんはセディンさんの店について、こんなことを言っていた。
 
『あの店は剣士団の出入り業者だ。おいオシニス、出入り業者は収支報告書と取引先の一覧を王宮に提出することになっているはずだな?』
 
 それに対してオシニスさんはこう答えた。
 
『なっていますけど、1年に1回ですよ。前回は半年ほど前でしたから、そのあと取引先が変わったからと届け出れば特に問題は起きませんからね。』
 
 
「日用品を扱う店にはそんな厳しい届け出義務はないよ。出入り業者にでもならない限りはな。そんなことをしていたら誰も店なんぞやりたがらなくなっちまう。だがこの店は薬屋だ。劇薬も多数扱う。こういう業者は、剣士団や王宮に出入りするしないにかかわらず、開店するときに店の規模や取り扱う商品の種類、それに仕入先の一覧を届出する義務があるのさ。もちろん、届出だけじゃない。行政局のほうで受付した後に、提出された資料の裏付けをとる調査もする。仲買人の住所や名前、それまでの商取引履歴もな。そう言った細かい記録は、全部医師会の書庫なんだ。」
 
「なるほど。つまり医師会の記録を見れば、あの店に安く薬を卸しているはずの仲買人を、特定することが出来るということですね。」
 
「そういうことだ。もしも届け出をしていない仲買人から仕入れているとしたら、それは違法になる。」
 
「つまり、しょっ引く理由ができると、そういうことですか。」
 
「そういうことだ。そりゃこっちとしてもそこまではしたくないから、最初は任意で事情聴取と言うことになるだろうがな。それと、その医療ミスの話も医師会で一緒に聞いてみよう。それがもし本当の話なら、当然記録が残っているはずだ。ま、こんな話はたぶん言い渋るだろうがなあ・・・。」
 
「それは仕方ないですよ。誰だって身内の失敗を公にしたくはないでしょうし。」
 
「まあそれはそうなんだが・・・。」
 
「なんだか気が進まなそうですね。」
 
「なんというか、捜査をするにはどれも決め手にかけるんだよ・・・。怪しいのは怪しいんだが・・・。」
 
「うーん・・・確かに・・・。」
 
 あの薬屋の言ってることの辻褄は一応合ってる。もしも私がなんの予備知識もなしにあの店にふらりと入ったとしたら、店主の説明に納得して帰ってきたことだろう。おかしいと思う根拠があるとすれば、あの薬屋の置かれている状況がセディンさんの店と酷似していると言うこと、あからさまに医師を嫌う姿勢を見せているわりにはそれほど激しい憎悪を感じないこと、そしてそんな大嫌いな『医師用』として確保されている劇薬の数々。でもやはり一番気になるのは、店を出たあとに背後に感じたあの奇妙な気配だ。
 
「セディンさんの店が巻き込まれているらしい陰謀に、あの店が関わっているのかどうかはなんとも言えませんが、あとをつけてきていた連中のことは気になりますね。」
 
「確かにな。パレードが通ってくれたおかげでなんとか戻って来れたんだろう?でなきゃ今もまだ緑地帯のベンチで根比べする羽目になっていたかもな。」
 
「そうならなくてよかったですよ。パレードに感謝です。」
 
「ははは・・・まあそいつらのことは、あとで調べてみるさ。」
 
「そう言えばオシニスさんは密偵をお持ちではないんですか?」
 
「俺は最初から持ってないよ。だいたいあれは、それぞれ個人的に雇うもんだ。ただその地位に合わせて予算が出るから、雇う金には困らないという程度さ。ある程度の地位に就いた時に、みんな今までに培った人脈を駆使して、優秀な密偵を捜し出すんだ。残念ながら俺はコソコソするのが大っ嫌いでね。いい人材がいないなら面倒みるとじいさんが言ってくれたが、断ったのさ。」
 
「そう言うことだったんですか。密偵として働く人材が確保されているわけではなかったんですね。」
 
「あまり大きな声では言えんが、ほとんどが表通りを歩けないような後ろ暗いところのある連中だ。そう言う奴の弱みを握って働かせるようなものだから、どうにも俺には気がひけてなあ。」
 
「オシニスさんらしいですね。でも、表だって出来ないような調査はどうしてるんです?レイナック殿に頼んでいるんですか?」
 
「いや、そう言う調査は、ちゃんと然るべき調査機関に頼んでいるよ。」
 
「然るべき調査機関?」
 
 そう言えば、ガリーレ商会のジャラクス氏が、町の調査機関に依頼して私のことを調べさせたと言っていた。そう言う組織はたくさんあるのだろうか。
 
「前にお前に接触してきたガリーレ商会の調査も、おそらくそこに頼んだんだろう。城下町には今までにも浮気調査みたいな探偵事務所はあったが、仕事絡みの調査を頼めるようなきちんとした組織を持った調査会社は以前はなかったからな。」
 
「ということは、最近出来た会社なんですか?」
 
「うーん・・・そうだなあ。出来てから15・・・いや、16年くらいになるかな。明日の午後にでもその会社に調査を依頼しに行くつもりでいるんだが、一緒に行くか?紹介するぞ?」
 
「でも調査会社なんて縁があるとは思えませんよ。」
 
「縁があるかどうかはわからんさ。この先何が起きるかだって、誰にもわからないんだからな。」
 
「それはまあそうなんですが・・・。」
 
 祭り見物で城下町に出て来て、まさかいきなりアスランとイルサを助けることになるなんて、船で島を出たときには思いもしなかった・・・。だが、オシニスさんがどう言う意図を持ってその調査会社に誘ってくれたかは、翌日の午後、その会社で知ることになる。
 
「では依頼するときに、あの店主の奥さんのことも調べてもらうことは出来ませんか。どの程度悪いのかどうにも気になるんです。」
 
「それならなおさら一緒に行ったほうがいいだろう。俺はその店主にも会ってないんだから、直接話を聞いたお前が説明してくれるなら、話は早い。」
 
「そうですね。それならお供しますよ。」
 
「で、診てやるのか?」
 
「うーん・・・気にはなるので機会があれば何とかしてあげたいところですが、そのあたりはあの店主に私が何者か正直に言うかどうかと、医師会の考えによってですね。」
 
 旅行者としてこの町に来たのに、勝手に診療するわけには行かない。それに、この町にだって優秀な医師はいる。そういう診療所を紹介することだって出来る。もっともそれも、あの店主が医師嫌いの看板を外してくれればの話だ。
 
「それもそうか。確かに調べるだけでもしておけば、診る診ないはあとからでも検討出来るだろうしな。」
 
「そういうことです。ただ、私が直接と言うことではなくても、何とかしてあげたいなとは思うんですよ。」
 
「麻酔薬の開発者はいい先生だと、言い切られたからか?」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「そう言うわけではないですよ。ただ、誰かが具合が悪いなんて聞いたら、仕事柄放っておけませんよ。」
 
「お前の場合は、仕事柄と言うより性分じゃないのか?」
 
「ははは、そうかも知れませんね。」
 
「ま、お前の家の場所や歳まで知っているとは、ドゥルーガー会長の言うとおり、お前の名前はお前が思っているより知られているってことだ。迂闊に身分を明かすわけには行かないだろうが、確かに命の危険があるかも知れないなら、放置しておくべきではないと、俺も思うよ。そのためにも、まずは情報を整理しよう。今の時点でわかっていることはきちんと確認しておかないとな。」
 
「調査会社に頼むにも、何をどう調べればいいのかくらいは、はっきりさせておかなきゃならないでしょうしね。」
 
「そういうことだ。ではまず、あの雑貨屋との共通点だが、安い仕入れ値の薬と、病気の家族、この2点だと思う。」
 
「奥さんにはすでにあの薬が処方されている可能性もありますね。」
 
「そうだ。しかも医者嫌いでは、雑貨屋の親父さんのように別な薬が毒素を打ち消してくれる可能性はない。本当に同じ薬だとしたら、あまりのんびり構えてもいられないかもしれないな。」
 
「そうですね・・・。」
 
 だが、それもあくまで推測でしかない。あの店が今回の一連の陰謀に関わっていたとしたら、その役割はいったい何なのか、それがわからない事には、これ以上動きようがない。私は、オシニスさんにその疑問をぶつけてみた。
 
「そうだな・・・。俺はお前の話を聞いて、それは倉庫じゃないかと思ったが、どうだ?」
 
「倉庫・・・ですか?」
 
「ああそうだ。さっきお前は、一般の客に売るのと同じ場所に、いくらひとまとめとは言っても劇薬を置いておくなんて考えられないと言っただろう?」
 
「そりゃそうですよ。あんな場所に置いて、万一間違えでもしたら・・・」
 
「まあ落ち着けよ。お前は医者だからな。置かれていた薬の性質については、俺よりも遙かによく知っているだろう。だからまずは置く場所を何とかしろ、と言う方向に考えが行っちまったようだが、よーく考えてみろ。その薬屋だってそれなりの知識はあるはずだろう?なのに、あえてそんな場所に置く理由はなんだと思う?」
 
「あえて・・・ですか・・・。」
 
「そうだ。さっきお前が言っていたじゃないか。カウンター越しとは言え、見る限りでは薬草の保存状態はすこぶるよく、古い商品には見えなかったとな。」
 
「・・・あ・・・そうか・・・。」
 
 そうだ、私は見ていたじゃないか。あそこに置かれていた『医師用』の薬草は、どれも保存状態がよかった。古くなっていそうなものはなかったはずだ。私はそれを単純に『この店の中が保存に適しているから』だと思いこんでいた。カナのドーラさんの薬草庫にしても、医師会の薬草庫にしても、壁の作りを工夫することでうまく湿気を調節している。すべてそのおかげなのだと・・・。
 
「医師会の薬草庫の壁に使われている建材は、わざわざ南大陸から取り寄せたものだそうだ。その薬屋が同じ作りだとすれば、確かに薬草の痛みは比較的少ないだろうが、開店してから3ヶ月も置きっぱなしだとしたら、多少なりとも古くはなるだろう。」
 
「確かに・・・。あの薬草は、誰かに販売されて、或いは渡されて、どんどん補充されているから保存状態のいい新しい物が置かれていたということも、考えられるわけですね・・・。」
 
「俺はそう思ったよ。その店主が相手のやっていることを理解しているかどうかは別にして、その薬屋はどうやらその怪しい仲買人の裏仕事の倉庫にされているんじゃないかとな。」
 
 もしこれが雑貨屋ならとても出来ないことだろうけど、薬屋の店先に『医師用』の薬があっても、その薬があること自体をとがめられる心配はない。
 
「他の場所に隠しておいたりしたら、見つかったときに大事になる、でも薬屋の店先にある分には誰も怪しまない、そういうことですね・・・。」
 
「おそらくは、だがな。いい考えが浮かんだときほど慎重に考えを進めなければならない。これだと思いこんでしまうと、別の可能性を無意識に排除してしまうこともある。」
 
「さっきの私がまさにその状態でしたよ。一般の薬草と医師用の劇薬を同じ場所に置いておくなんてとんでもないって、そっちにばかり考えがいってましたからね。」
 
 まったくもって迂闊だった。もしかしたら、その考えに囚われてしまったために、あの店の中の重要なことを見逃してしまったりしていないだろうか。
 
「ま、仕方ないさ。お前は医者だからな。おそらくあの店の店主は、自分の店をその仲買人の倉庫にする代わりに、見返りとして安い仕入れ値の商品と、女房の体を健康にするための薬を手に入れた、ということになるんじゃないか。そしてその女房だが、今どういう状態なのかはわからんが、お前が見た店主の様子からして、まだそれほど切羽詰まった状況にはなっていないようだな。」
 
「確かに今のところはそうなのかもしれませんが・・・。その奥さんが、すでに町医者から薬をもらっているかどうかですね。町医者との接点が多少なりともあるのか、全くないのか、そのあたりがはっきりわかれば、もう少し考えを絞り込めるんですが・・・。」
 
「そして町医者との接点が何もない場合、それなりの処方の薬を渡されている可能性もあると思うぞ。すくなくとも、薬屋なんぞやっていればその手の劇薬をまったく知らないってことはないだろう。一種類だけだとしたらなんの薬かくらいすぐわかるだろうし、自分の女房にそんな危ない薬を飲ませたりはしないと思うんだよな。だが、何種類も混ぜて粉にでもしてしまえば、その中にどんな薬が含まれているかなんてわからなくなりそうだが、どうだ?」
 
「確かにそうですね。劇薬というものは概ね独特の匂いを持つものですが、他に匂いの強い薬草を混ぜてしまうと、よくわからなくなったりすることもありますし・・・。でもこれ以上は本当に推測と仮説の積み重ねになってしまいますよ。一旦頭を切り換えて、今わかっていることの確認をするためにも、医師会に顔を出してみませんか。」
 
「そうだな・・・。よし、これから行ってみるか。薬屋の詳しい情報も調べたいし、さっきのドゥルーガー会長の様子からして、お前が戻ってきて報告してくれるのを待っているだろうからな。」
 
 
 二人で医師会まで来た。オシニスさんの言ったとおり、ドゥルーガー会長はとても心配そうにして私達を待っていてくれた。最初のころこそ私達の話を冷静に聞いていた会長だったが、話が医療ミスのことに及ぶと、青ざめて唇をかみ締めた。
 
「・・・そういうわけなんですが、会長、あの薬屋の記録を見せてもらうことは出来ますか?俺の部屋の記録にはそこまで詳しい内容は載ってないんですよ。こちらにあるものなら、行政局での調査結果まで載っているはずなんですが。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ドゥルーガー会長は黙ったままだ。
 
「・・・会長?」
 
「あ、ああ・・・そ、そうだな・・・。待っておれ。その記録を持ってこよう。」
 
 会長は上の空のような返事をして立ち上がった。その背中に向かってオシニスさんが声をかけた。
 
「それと、その医療ミスについてなんですが、会長のほうで心当たりはありますか?」
 
 ドゥルーガー会長は振り向かないまま答えた。
 
「あるにはある。仕方あるまい。その記録も持ってこよう。」
 
 そう言って、奥の部屋へと入っていった。
 
「ま、誰だってそんな昔の話、ほじくり出されるのはいやだろうな・・・・。」
 
 肩を落としたドゥルーガー会長の背中を見て、オシニスさんが気の毒そうにつぶやいた。確かに、医師会の医師による医療ミスとなれば、世間への影響も大きい。医師会の中で箝口令を敷いてみたところで、巻き込まれた患者の家族は納得しない。ことあるごとに言うだろう。『うちの家族は医師会に殺された』と。その一人があの店主ということになる。
 
 しばらくして、ドゥルーガー会長は、分厚い記録を何冊も持ってきた。
 
「こちらが、その薬屋の取引先の調査書が綴られている記録だ。それと・・・こちらが、その医療ミスの・・・・。」
 
 ドゥルーガー会長の顔色が悪い。それほどまでに大変な間違いがあったのだろうか。
 
「クロービス殿。」
 
「・・・はい?」
 
「正直言うと貴公にはこの記録は見せたくなかった。」
 
「・・・私に・・・ですか・・・。それはどうして・・・。」
 
「なぜかは、見てみればわかる。これもまた巡り合わせというものだろう。その流れを止めることなど、私には出来ぬようだ。」
 
 そう言って、ドゥルーガー会長は私にその記録を差し出した。
 
「このページだ。その薬屋の店主は医療ミスと言っておったようだが、言うなれば誤診だ。だが、間違いであることを認めようとせずに治療を続けたことで、死ななくていい人々が何人も亡くなった。その罪はやはり許されるべきではないと私は思う。思うが・・・。」
 
 私は記録を読み始めた。
 
「・・・という、伝染性の強い病を、風邪と診断。症状は酷似してはいたが、風邪としては奇妙な点がいくつか上げられた。だが、主任医師であるブロム医師は・・・・?!」
 
 ぎょっとして声が詰まった。思わず顔を上げてドゥルーガー会長を見ると、会長はこわばった顔のまま私を見つめている。
 
「・・・か・・・風邪・・・という診断を変えず、風邪の薬のみを処方しつづけたため・・・結果として、12名の命が失われ、助かった患者の中にも重い・・・障害が、残った・・・もの・・が・・・・」
 
 声が震える。私はとても最後まで読むことが出来なかった。 
 
「・・・私が貴公にそれを見せたくなかった理由はわかってもらえると思う。あのころ、ブロムは若く、自分の腕と知識には絶対の自信を持っていた。だがあの時は、それがかえってやつの目を眩ませることになった。風邪との小さな相違点に気づきながらも、最初に下した判断を間違いと認める勇気を持てず、それが死者を出すという最悪の事態につながったのだ。」
 
 ブロムおじさんがなぜ医師会を辞めたのか、私に話してくれたことはない。話したくないわけだ・・。こんなことがあったなんて・・・。
 
「むろん、その診断を下すにあたって、複数の医師がかかわっていた。どんなに優秀でも、そのころはまだまだ若手の中の一人でしかなかったブロム一人が悪いなどということがあるはずがない。だがあの時、世間の目を恐れた当時の会長が、すべての咎をブロム一人に負わせて、追い出すような形で強引に決着を図ったのだ。『若くして主任医師になった医師の独断と暴走』というシナリオを作ってな・・・。われらは反発した。世間の目を気にして、真相の究明もせずにそんないい加減なことをしてはいけないと思った。だが・・・最終的には黙らざるを得なかった。実際に死者が出ている、その責任の所在をあいまいには出来ないと言われたが・・・つまるところ、力がなかったのだ。当時の会長の無謀とも思える強引なやり方に、異を唱えられるほどの力がな・・・。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
「ブロムが医師会を去る日、私のところに挨拶に来た。そして、もう二度と医師としての仕事はしないだろうと、亡くなった人達のためにも、自分は一生かけて償わなければならないと、そう言っておった・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「私は何も言ってやれなかった。あの男の持つ技術と知識が埋もれてしまうことを誰よりも残念に思っていたのに、私は、去っていくブロムの背中に『元気でな』と、ただそれだけしか・・・言ってやれなかったのだ・・・。」
 
 ドゥルーガー会長は呆然としたままの私の手から資料を取り、オシニスさんに差し出した。
 
「この中に、死者の名前が書かれておろう。それを見れば、その薬屋の店主の言葉を裏付けることが出来るだろう。」
 
「わかりました。確認します。」
 
 オシニスさんがいたわるような目をちらりと私に向けた。
 
「それと、クロービス殿、貴公にはこちらも見てもらおう。これは薬屋の話とは関係がないことだが、これも見てもらったほうがよいかと、持ってきた。」
 
 そう言って、ドゥルーガー会長はもう一冊の分厚い記録をめくって、中ほどのページを開いて見せてくれた。
 
 
『除名者の記録』
 
 そう書かれた資料には・・・・
 
 
「な・・・!!こ、これは・・・どういうことです!?」
 
 思わず叫んだ。まるで犯罪者のように書かれたその内容を、私には到底納得することなど出来なかった。
 
「・・・貴公の父上は、麻酔薬の開発に着手しておった。それは、もう何十年も前のことだ。だが、当時の医学は今よりもはるかに治療術という呪文に依存しておった。麻酔薬が完成して外科手術などが容易になるということは、自分達の存在を脅かすものになるかも知れぬと、当時の治療術師たちは考えた。そこで医師会に圧力をかけ、研究の指揮を執っていた主任研究員のサミル殿を、追放してしまった・・・。」
 
「そんな・・・!」
 
「その理由もでっち上げだ。確かに麻酔薬を発案したのはサミル殿だったが、開発はあくまでも医師会として始めたものだ。だがサミル殿を追放した後、二度とそのような薬を開発しないと、当時の会長が治療術師たちに約束させられ、残っていた記録はすべて焼き捨てられた。今では当時の記録は何一つここにはない。」
 
 父さんが・・・・まさか、そんな陰謀に巻き込まれていたなんて・・・。
 
「でも・・・父はずっと研究を続けていたんです・・・。」
 
 悔しさのあまり声が震える。治療術師たちが自分の利益を守るため、そのためだけに、父は濡れ衣を着せられて医師会から追放されたのか・・・。
 
「・・・やがて時代の流れも変わってきた。麻酔薬の開発は頓挫したまま忘れられていったが、そのほかの薬はどんどん進歩を遂げていった。当時なら治療術師に頼らざるを得なかった病気や怪我も、今では薬で治るものがたくさんある。やがて会長が何度か交代し、相次ぐ新薬の開発によって医師会に対する治療術師たちの影響力が弱まってきた。そのときにもたらされた麻酔薬の完成の報告を、私が、そして当時力がないばかりに黙って目をそらすことしか出来なかった医師たちが、どれほど喜んだか・・・。」
 
 ドゥルーガー会長が、ごしごしと目をこすった。
 
「ブロムとサミル殿が知り合いだったとは知らなんだが、二人とも追い出されるような形で医師会を離れたから、何かしら相通ずるものがあったのかも知れぬ。そのころ、研究室で助手をしていた女性が退職した。風のうわさで、その女性がサミル殿と結婚したと知った。それがおそらく貴公の母上だろう。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 言葉もなかった。そして、自分のわがままだけで20年もの間医師会と関わり合おうとしなかった自分が、いかに子供じみた情けないものであったかを思い知らされた。
 
 父が医師会に籍を置いていたことを聞いたのは、私が島に戻ってからのことだ。父が生きていた頃は、そんな話はまったく聞いたことがなかった。二人にとっては、思い出すのも嫌な場所だったのではないかと思う。
 
 それでも、ブロムおじさんは私のために、二度と戻らないと心に決めたはずの医療の道へと戻ることを決意した。そして医師会と連絡を取り、さまざまな医学書を用意してくれた。そんなことも知らずに、医師会からの誘いも連絡も何一つ聞こうともせずに断り続けて、何もかもおじさんが教えてくれるからと安心しきっていた自分がいかに愚かだったことか・・・。医師会の地位になど興味はない、最初からそれは私の心の中で決まっていたことだ。ならば・・・ならばなぜもう少し柔軟に対応しようとしなかったのか、せめて情報交換程度の交流でもしていれば、もう少しいろいろとわかったことがあったかもしれないのに・・・。そうしたらもっと早く、父を、おじさんを、もう少し理解出来たかもしれないのに・・・。
 
 後悔ばかりが胸をさす。この町に来てから、今まで自分がどれほど、あの島の温かい人達に囲まれてぬくぬくと生きてきたのか、思い知らされるばかりだ。
 
「ひとつだけ言うておこう。今の話を貴公が聞けば、衝撃を受けるであろうことは容易に想像がついた。だから話したくはなかったし、こんな記録も見せたくはなかった。だが、貴公がこの町に来たときから、こうなる巡り合わせだったのだろう。それを悔やんでも始まらぬ。いいかね、クロービス殿、もう過ぎたことだ。サミル殿はこの世になく、ブロムは貴公の故郷の島で、おそらくは平穏に毎日を過ごしていることだろう。だから、過去に惑わされないでほしい。貴公には貴公の行く道がある。その道を、見失うてはいかんぞ。」
 
「わかりました・・・。いろいろと教えてくださって、ありがとうございました。」
 
 私はドゥルーガー会長に、深く頭を下げた。なんとか平静を保とうとしたが、膝の上に置いた両手が震えるのを止めることは出来なかった。
 
「それじゃ会長、俺のほうの調査は終わりです。」
 
 オシニスさんがそう言って資料を閉じた。
 
「あったかね。」
 
「ええ、ありましたよ。苗字が同じだから、身内だと思います。詳しいことは行政局にも問い合わせしてみます。」
 
「それがよいな。もうすこし詳しい話も聞けるだろう。」
 
「そうですね。ところでその薬屋なんですが、医師会に取引の話などは来たことがないんですか?」
 
「いや、さっき話を聞いてから記録を調べてみたが、こちらに話が来たことはないようだな。もっとも、売り込まれたところではいそうですかと取引をすることは出来ぬ。医師会の取引先は年に一度見直しをするが、見直しするための候補になるだけでも、かなり厳しい審査がある。これは開店のときの調査よりもずっと厳しいのだ。」
 
「ということは、医師会とその薬屋との接点は、いまのところ店主のじいさんのことだけってことですね。」
 
「そういうことになるな。」
 
「わかりました。ありがとうございました。」
 
 オシニスさんはドゥルーガー会長に頭を下げ、私達は会長室を出た。
 
「どれ、俺の部屋に戻ろう。今聞いた話を整理しないとな。」
 
「私は・・・ちょっとウィローのところに行ってみます。」
 
「それはあとにしろ。」
 
「いや、でも様子を見に・・・。」
 
 オシニスさんは私を見て、困ったような顔で溜息をついた。
 
「そんな顔で病室に行くつもりか?クリフやハインツ先生達にまで『私は心配事があります』と宣言しに行くようなもんだぞ。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 様子を見になんて口実だ。ただ、今はウィローの顔を見たかった。でも、オシニスさんの言うことが正しい。今この時も、ウィローはクリフの治療にあたっている。少しでも痛みを改善してクリフが穏やかに最期の時を迎えられるように必死で頑張っているというのに、今私は自分のことしか考えていなかった。
 
「すみません。」
 
「俺に謝る必要はないさ。だが、とにかく今は俺の部屋に来てくれ。中に入るまではせめて普通の顔をしていてくれよ。」
 
「わかりました・・・。」
 
 私としてはなんとか普通の顔にしたつもりだったが、採用カウンターの前を通ったときにランドさんに驚かれた。
 
「なんて顔してんだよ。一体どんな話を聞いてきたんだ?」
 
「なかなか興味深いことがわかったのさ。それより、クリフの両親はここに来たか?」
 
「いや、来ていないな。今来ないんだから、あとは来るとすればおそらく明日あたりだろう。まさか夜中に押し入ってきたりはしないだろうからな。」
 
「ふん、出入り禁止だとは言っておいたが、本当に禁止するわけにも行かないからな。」
 
「ここに来てくれれば止められるが、問題は医師会のほうだな。ドゥルーガー会長が手を回してくれていたとしても、力ずくで突破されると厄介なんだがなあ。」
 
「さすがにレグスを止めるためだけに警備を増やすわけにも行かないしなあ。何か考えるさ。」
 
 
 団長室に着いた。オシニスさんは扉をぴたりと閉めて、私を一番奥の部屋まで連れてきた。そこは剣士団長の寝室で、さっきまでオシニスさんが寝ていたベッドが置かれている。
 
「しばらくここにいろ。そんな顔のまま、あちこち歩かないほうがいいからな。」
 
「すみません・・・。」
 
 こらえようとしているのに、涙がにじむ。オシニスさんは私の肩を叩き、
 
「泣きたいときは泣く方がいいのさ。ここならいくら大声を出しても外には聞こえないから、そこに寝っ転がって、わーわー泣いてもいいぞ。」
 
「・・・・・・。」
 
 冗談に笑おうとしたのに、溢れる涙に視界はぼやけ、もう言葉も発することが出来なかった。ついさっき聞いた話が、頭の中をグルグルと回る。父の顔、おじさんの顔、私を見る優しい目、笑顔・・・・。もう体を起こしているのもつらくなって、私は本当にベッドの上に倒れ込み、背中を丸めて泣いた。





「始めたのは確かにサミルさんだ。だが引き継いで完成させたのはお前だ。それに、私がこの研究に本格的に関わったのは、お前が帰ってきてからだ。サミルさんはもういない。開発者はお前だ。」
 
 麻酔薬の完成のとき、父の名前を開発者として申請したいと言った私に、ブロムおじさんは頑ななまでに反対した。そして自分の名前を表に出すことにも、断固として承諾してくれなかった。
 
「でも父さんの発案で始めたことじゃないか。おじさんはずっと父さんの助手だったんだし・・・。おじさんがどうしてもだめだって言うなら、せめて父さんの名前だけでも・・・。」
 
「クロービス、お前がこの薬を心から世に出して広めたいと思っているのなら、開発者はお前の名前にしておけ。サミルさんの名前も、私の名前も、一切出さないほうがいいんだ。」
 
「なんで?!なんでそこまで?!」
 
「まず、その薬が未完成のうちにどんなことに使われたか、王宮の中にも知っている者がいるからだ!」
 
「まず・・・?それじゃ他にもあるの?」
 
「あ、いや・・・」
 
 おじさんは狼狽し、『まずいことを言った』という顔をした。
 
「・・・言葉のあやだ。お前だってその薬が引き起こしたことを知っているだろう。そしてそのためにどれほどつらい思いをすることになったか、それを私に話してくれたのはお前じゃなかったのか?」
 
「それは・・・。」
 
 あの時、いつもは大声なんて出さないおじさんが、声を荒げてまでも父の名前やおじさんの名前を出すことに反対した。それでも納得がいかず黙り込む私に
 
「お前の名前で、直接フロリア様に届けるようにするんだ・。そうすれば・・・大丈夫だろう。」
 
「そうしなかったらどう大丈夫じゃないの?」
 
「そうしなかったら大丈夫じゃないということではなく、フロリア様はお前のことを応援してくださっている。お前の名前で報告書を送れば、しっかりと吟味してくださるだろうということだ。」
 
 しつこく突っかかった私に、おじさんはそう言った。その表情がとても苦しげに見えたことに気づいていながら、あのときの私は頭に血が上っていて、それがなぜなのかを考えようともしなかった。今、やっとわかった。自分達の名前が表に出ることで、報告書そのものが闇に葬られてしまうことを恐れていたのだ。追放された研究者と追放された医師。その二人が結託して何かたくらんでいると思われたら、せっかく完成させた薬の有用性までも否定されかねない。時の医師会長がドゥルーガー会長であることは、もちろん知っていただろう。だが、会長の力がどの程度強いかなんてわからない。昔のよしみなんて何の意味も持たないだろうと、おじさんは考えたのだ・・・。





 どれくらい過ぎたのだろう。やがて涙は止り、目の前が見えるようになってきた。私は体を起こして大きな溜息をついた。
 

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