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76章 偽りと真実

 
「俺の部屋に戻ろう。行くのはそれからでもいいだろう。」
 
 
 採用カウンターの前を通ると、ランドさんが声をかけてきた。
 
「クリフの母親の話はなんだったんだ?」
 
「ああ、実は・・・。」
 
 オシニスさんは、先ほどの話と、医師会での出来事をランドさんに伝え、クリフの父親がクリフを退院させるために何か言ってくるかもしれないことと、何を言われても応じないでくれと頼んだ。
 
「ふん、そんな胡散臭い話に乗っちまったのか・・・。わかった。何を言ってきても止めるよ。それに、今せっかく本人も前向きに病気と戦おうとしているんだからな。応援してやらないと。」
 
「頼むよ。」
 
 
 
 私達は剣士団長室に戻ってきた。
 
「はぁ・・・まったく、次から次へと、何でこうもいろいろ起きるんだろうなあ。スサーナとシェリンの事でも頭が痛いというのに・・・。」
 
 今度は昔なじみが何かに巻き込まれているかもしれない、オシニスさんの心配の種はつきそうにない。
 
「ではまず、今回の事を少し整理してみましょうか。」
 
「・・・お前にも世話ばかりかけるな・・・。遊びに来たはずなのにちっとも遊べていないんじゃないか?」
 
「もしかしたら違法な薬が出回っているかもしれないとなれば、ほっとくわけにはいきません。たぶん私もウィローも、どこに行っても仕事とは縁が切れないんだと思いますよ。」
 
「ははは、そうか・・・。そうだなあ・・・。しかし、まさかアスランのことでレグスがあんなに怒っていたとはな・・・。」
 
「アスランをつれて医師会を頼った私が言うのもなんですが、タイミングが悪かったとしか言いようがないですね。」
 
「そうなんだよな・・・。だが、あいつの気持ちもわかるし、とにかく今はその薬屋だな。ちょっと待ってくれ。」
 
 オシニスさんは団長室の一角にある書庫から、分厚い記録のファイルを持ってきて、めくり始めた。
 
「薬屋の開店記録までここにあるんですね。」
 
「町の中で起きた出来事や、新しく出来た店などの記録はみんな置いておくんだ。ただ、ここにあるのはここ1〜2年程度の分だがな。薬屋となれば同じ物が医師会の書庫にもあるだろう。あっちは何十年分も取っておくはずだ。ここの記録は確認程度にしか使わないから、古いものはどんどん文書館に運んでいる。・・・そう言えば最近ずっと行ってないな・・・。あの雑貨屋のおかみのことも調べてやるなんて言っておいて、クロービス、すまないな。もう少し待ってくれ。」
 
「仕方ないですよ。いろいろありましたし、それに、薬のほうの調査が進まない状況では、応対したのが誰かわかったところで、フローラに話してやれることはなさそうですし。」
 
 応対した人物が、もしも今でも王宮内にいるならば話を聞くことも出来るが、退職したり亡くなっていたりすれば、またそこで手詰まりになる・・・。
 
「そうだなあ・・・。お、あったあった。うーん・・・この薬屋は開業してから・・・3ヶ月くらいか・・・。ほんとに最近なんだな。記録にはおかしなところはないし、扱っている商品は・・・かなりの劇薬が含まれているな。ま、町の開業医相手の商売のようだから、それは当たり前だとして・・・」
 
「まあどんな店だって、自分の店は怪しいですよなんていう看板は出さないでしょうからねぇ。」
 
「そりゃそうだ。その店にレグスが行ったのが一ヶ月近く前か。しかしあいつは特にだまされやすいわけでもない。何でそんなに信じ込んじまったんだか・・・。」
 
「精神的に弱っている時って言うのは、人の言葉に左右されやすいですからね。それに、その薬屋がレグスさんをだましていると決まったわけではないでしょう。」
 
「それはそうだが、重病の患者を退院させて自分のところの薬を飲ませろなんていうのは、詐欺の可能性があるぞ。」
 
「確かに客の勧誘としては強引過ぎるとは思いますけどね。」
 
「それに、お前だって気づいたんだろう?特別な薬をエサにするなんて、まるであの雑貨屋の親父さんのところと同じ手口じゃないか。」
 
「そこが一番おかしいんですよ。手口だけなら確かによく似ています。でも、シャロンがそうとは知らず飲ませている薬は、クリフに投与するべきかどうかハインツ先生がずっと悩んでいた薬と同じ性質のものですよ。」
 
「だが、レグスの奴はそんな事は知るまい。病院で投与されていたはずのものだなんて知らずに、いい薬だと信じ込んで高い金を払う可能性もある。」
 
「それは確かに・・・。」
 
 ハインツ先生や私がクリフの両親に説明した『かなり強い薬』が、自分が『特別な薬』と信じて購入した薬と同じかどうかなんて、素人にはわからない。考えてみればそれが当たり前なのだ。そしてほとんどの患者は、提供者の言葉を信じていい薬だと思って飲み続ける。不安に思いながらも、もしかしたら大事な家族が元気になれるかもしれないとなれば、誰だってその薬を得るためには必死になるだろう。シャロンのように・・・。
 
「そういえば、さっきのデイランド先生のメモには、そんな怪しげな薬屋の話は書いてなかったんですか?」
 
「うーん・・・。」
 
 オシニスさんはポケットからメモを取り出して開いた。
 
「これはどちらかというと医師仲間からの聞き取りが中心なんだが、城下町の医師たちはもう仲買人との直接契約でずっと長い間薬を仕入れているから、その仲買人から送られてくる荷物の中身の話がほとんどだな。」
 
「ということは、その薬屋は医師相手とは言っても、それほど顧客を抱えているわけではないということですね。」
 
「まあそうだろうな。これから城下町の開業医と仲買人の商売に食い込むのは容易なことではないだろうから、まずは一般の客に名前を売り込んで食いつなぎ、医者相手にも営業活動をする、そんなところだろう。劇薬を扱うためには届出をするだけでもそれなりに金がかかるし、商品の管理だって普通の薬草よりしっかりと管理してもらわなけりゃならん。一般客しか相手に出来ないのでは元手が回収出来ないからな。」
 
「営業活動が実るのがいつとは言い切れないでしょうから、それまでにはある程度の一般客を顧客としてつかみ、店を軌道に乗せておきたい、そんなところでしょうか。」
 
「そうだな・・・。そのために多少強引な勧誘はしているだろうとは思うが・・・。」
 
「やはり、その薬屋を一度のぞいて、どんな状態なのかを見極めてきたほうがよさそうですね。」
 
「うーん・・・。それしかないか・・・。」
 
 オシニスさんはあまり気が進まないようだ。
 
「それじゃそろそろ出かけます。営業時間がよくわからないので、確実に開いている時間にたずねたほうがいいですからね。」
 
 私は鎧と剣をはずして、剣帯にはダガーをつけた。このダガーもドリスさん特製で、手によくなじむ。一般人の護身用としてはこのくらいがいいところだろう。町の中を歩くのに、ナイト輝石製の鎧と長剣を身につけている一般人などいやしない。コートで隠すという手もあるが、今日はとてもいい天気だ。こんな日にコートを着込んで前を合わせて歩くなんて、それこそ怪しいですよと言いながら歩くようなものだし、万一コートの中身が知られてしまうと王国剣士を呼ばれてしまう可能性もある。そんなことになれば。ばつの悪い思いをする上に正体がばれてしまう。
 
「鎧は着ていかないのか?」
 
「ナイト輝石製の鎧なんて、持っている人はそんなにいないんです。身分を隠していく以上、あんまりあからさまに怪しい格好では行けませんよ。それに、薬屋をのぞいてくるだけのことなら、武器も防具も必要ないと思いますよ。」
 
「それはそうなんだが・・・。」
 
 オシニスさんの不安はわかる。そう考えて安易に鎧をはずし、ラエルに刺されたのはこの私自身だ。
 
「・・・まあ、最初から周りを警戒していれば、心配は要らないんだろうと思うがな・・・。鎧と剣はここにおいて行っていいよ。お前をこれ以上騒ぎに巻き込みたくないんだが・・・。無理はするな。まずはさりげなく覗いてみるだけにしておいてくれよ。」
 
「わかってますよ。なんだか昔話どころではなくなってしまいましたね。」
 
「またあとで時間を作るよ。それより、お前はもう王国剣士じゃないんだからな。本当に無理するなよ。」
 
 オシニスさんはとても不安そうだ。部屋を出ようとして思い立ち、私はオシニスさんに振り返った。
 
「オシニスさん、弱気にならないでくださいね。」
 
「な、何だよ急に。」
 
「この薬屋のことはともかく、敵がオシニスさん達の結束にひびを入れようとしているのは明白ですから。利用されたラエルもシェリンもスサーナも、みんな心の弱みにつけ込まれているんです。今オシニスさんが弱気になっているところをあの男に知られたりしたら、次に利用されるのはオシニスさんかもしれませんよ。」
 
「そうか・・・。そうだな。確かに、俺が弱気になっていたらうまくいくものも行かなくなっちまう・・・。」
 
「出来れば怒っていてくださいよ。さっき怒鳴り声を久しぶりに聞きましたけど、ずいぶんとパワーアップしているようじゃないですか。」
 
 オシニスさんが笑い出した。
 
「そうだな。剣士団長が弱気になっていたら、この国の防御力が落ちる・・・。弱気になっている暇なんぞないか。ははは、まったくだ。」
 
「その意気ですよ。それじゃ行ってきます。」
 
「ああ、頼むよ。だが、ドゥルーガー会長の言ったとおり、身分は明かすな。それと、あんまり突っ込んだ話をするなよ。あくまでも様子見だからな。」
 
「わかりました。」
 
 剣士団長室を出て、採用カウンターの前を通りかかったとき、ランドさんに声をかけられた。
 
「オシニスの奴はどうだ?だいぶいろいろあって、参ってるんじゃないのか?」
 
 私は少し顔を寄せて、小さな声でこれから先ほどの話に出てきて薬屋の様子を見に行くことを伝えた。身分を隠していく以上、あまり多くの人に聞かれたくない。相手がただの薬屋なら何も問題はないが、そうでない危険性もかなり高いのだ。
 
「・・・そうか・・・。お前にばかり世話をかけるな。とにかく無理はするな。」
 
 様子を見てくるだけなので、危険なことはないだろうと言って、私はロビーへと向かった。
 
 
                                  
 
 
「薬屋が重病の患者の退院を勧めるなんて、どう考えてもおかしな話だよな・・・。」
 
 ロビーは相変わらず大勢の見学客が訪れている。玄関を出て通りを歩きながら思わず呟いた。確かに、病気の治療は薬がすべてではない。この世には治療術というものが存在し、力のある術者ならば簡単な病気くらいは治してしまう。それに、民間療法というものもある。薬に頼らず、或いは依存度をかなり低くして、生き甲斐を持つとか、おいしいものをたくさん食べてのんびり過ごすとか、どちらかというと体本来の治癒力に訴えかけるようなやり方が多い。それで症状が改善する場合もないわけではないので、そう言ったやり方のすべてを否定する気はないのだが、それにしても、なぜその薬屋の店員は、退院させてまで自分の店の薬を飲ませたがるのか。クリフの父親が愚痴混じりに店員に息子のことを話したと言うことは、おそらくその店員は、客の息子の容態がどの程度のものかわかっているはずだ。それでもなおそんな事を勧めると言うことは、もしや店の名を売るために、いい加減なことを言っているのだろうか。医師会に見放された瀕死の病気の患者が、店の開発した薬で治る・・・。うまく行けばこれ以上はないくらいの宣伝効果になるだろう。その一方で、医師会は評判を落とす。医師会が名誉挽回のために自分の店に商売の話を持ちかけてくるとか・・・。では失敗した場合は?下手をすれば客から訴えられかねない。
 
「店の宣伝のために危ない橋を渡るってのも妙だよな・・・。普通に考えれば、ばかばかしいんだけど・・・。」
 
 そんなとんでもない考えを、実行に移そうとする誰かがこの世に皆無だなんて言い切れるほど、私はこの世界のことをわかっているわけじゃない。そして、そんなばかばかしい手にこそ、かえって心の弱っている人達が引っかかりやすいのだ・・・。
 
 
「ここか・・・。」
 
 商業地区の東のはずれ、あと少し歩けば建物はなくなり、道沿いには城壁と町を隔てる緑地帯が続く。祭りの喧噪も遠くから聞こえてくるだけだ。多分普段から人通りなんてほとんどなさそうな、そんなさびしい場所にその店『ローハン薬局』は建っていた。どう見ても、新規開店してこれから顧客獲得しようという店がある場所としてはふさわしいと思えない。街中にだってもう少しいい物件はあるような気がするのだが、こんな場所に店を開いたそもそもの理由は何なんだろう。
 
(まあ・・・当然土地は安かっただろうけどな・・・。)
 
 『営業中』の札がかかっているところを見ると開いてはいるらしいが、ガラス戸越しに見える店内に客の姿は、いや、客どころか店の人間らしき人影も見当たらない。まずは入ってみるしかなさそうだ。
 
「こんにちは。」
 
 ガラス戸を開けて声を掛けた。
 
「うわ、これはすごいな。」
 
 それほど広くない店の壁という壁には棚が設えられ、そのすべてに薬草を入れてある籠が入っている。店の中は涼しく、さわやかだ。もしかしたら、この店の造りはカナのドーラさんの薬草庫のような造りなのだろうか。あの家の壁と同じような造りにするなら、この店がこんなはずれにあることも理解できるのだが・・・。
 
「でもあんまり人の出入りが激しくなると、中の空気が汚れるからなあ。同じ造りでも倉庫と同じようなわけには行かないかも知れないな・・・。」
 
 そこに、店の奥から私と同じくらいと思われる男性が出て来た。この店の店主だろうか。
 
「いらっしゃいませ。どんな薬をお探しですか。」
 
 感じは悪くない。よくない波動も感じない。見たところはごく普通の人物のようだが・・・。
 
(注意しておくに越したことはないな・・・。)
 
「ここは最近開店したみたいだね。」
 
「はい、もう3ヶ月ほどになりますか。こんな場所なものですから、なかなかお客様に気づいてもらえないんですよ。」
 
「あなたがご主人なんですか?」
 
「はい、私ですよ。お客さんは?どういった品物をお探しなんです?」
 
 少しだけ、店主の顔に探るような表情が宿った。私は、『夫婦で祭り見物に出てきたが、妻が熱を出したので手持ちの薬草を使ってしまった、だがまだしばらくはこっちにいるつもりなので、補充しておこうと思った』と言った。こんなときあまり口から出任せを言ってしまうと、後で話の辻褄が合わなくなって怪しまれる可能性が高い。だが、妻が熱を出したのは事実だし、今は治っているのも事実だ。違っていることといえば、宿の荷物の中には薬草がまだあることくらいだろうか。
 
「なるほど、しかし熱さましの薬草なら、町の雑貨屋でも取り扱っているのではありませんか?わざわざこんな辺鄙な場所までいらっしゃったのは、何か訳がおありなのでは?」
 
 自分の店に客が買い物に来た。客がほしいという品物は在庫がある。ならばそれを売ってお金をもらえばすむことだ。だが、ここの店主からは客に品物を売ろうという気持ちより、私を疑ってかかっている気持ちのほうが強いようだ。もしかしたらマレック先生も同じようなことを言われたのだろうか。
 
「他の店でも聞いて歩いたんだけどね。みんな高いんだよ。うちで昔買ったことのある薬草はもっと安かったんだけどな。」
 
 熱さまし用の薬草も、さいきんじわじわと値上がりしている薬草のひとつだ。こんな場所まで来る理由のひとつにはなるだろう。
 
「なるほど、確かに最近薬草の値段が上がっていますからねぇ。では、うちでもまずは値段の交渉ですかな。」
 
「そうだね・・・。でも正直言うといい加減疲れたから、ここで買ってしまおうかなと思ってるよ。」
 
 店主は笑い出した。
 
「確かに、男は買い物のために何軒も渡り歩くなんてのは苦手ですからな。」
 
「女の人って言うのは、何軒も渡り歩いて挙句に何も買わなくても平気らしいけどね。」
 
 これも本当のことだ。祭りのバザーに出かけたときも、妻とイルサは何軒ものテントを見て回っていたが、結局ほとんど買い物をしてこなかった。
 
「いやまったく。ではお待ちください。えーと、熱さましの薬草はと・・・。」
 
 店主は壁に並んだ籠から、熱覚さましの薬草の籠を探し始めた。
 
「すごい棚だね。それに、店の中はさわやかだし。」
 
「そうなんですよ。この店がこんな場所にあるのも、この薬草の保存棚を作るためでしてね。」
 
「ということは、何か仕掛けがあるんだね。」
 
「あ、これだこれだ。ええ、そうなんですよ。お客さんには品物をよく見ていただきたいですし、でも奥のほうに倉庫を作って入ってくださいと言っても警戒されるじゃないですか。買わないでは店を出られないなんて思われても困りますからね。それで、どうせなら店の中を薬草庫にしてしまおうと思いまして。」
 
 店主の顔からは私への探るような表情が消え、棚のことを良くぞ聞いてくれましたとばかりに、満面の笑顔で説明してくれた。やはり棚の奥の壁はドーラさんの店と同じような作りらしい。外と繋がっている分盗賊には細心の注意を払っているとも教えてくれた。
 
「はい、これがお探しの薬草だと思いますが、いかがですかな?」
 
 店主は出してきた籠の中を私に見せて、その中から束をひとつカウンターにおいた。値段を聞くと、なんとセディンさんの店と同じ値段だった。
 
「うん、間違いなくこれだよ。でもずいぶんと安いなあ。町で聞いた半分近くだよ。大丈夫なのかい、こんなに安く売って。」
 
「ご心配なく。当店ではこれが正規の値段なんですよ。町の薬屋が高すぎるんです。」
 
 もちろん値上がりする前ならばそれは確かにそうなのだが・・・。
 
「でも他の店では、仕入れ値が上がったとか仲買人の手数料が上がったとか、いろいろ言われたけどなあ。ここでの仕入れ値はそんなに安いのかい?」
 
「うちの仕入れ値はいつもと同じですよ。他の店がいい加減なことを言ってるんじゃありませんか?大体この薬草は、北のほうの離島でとれるありふれた薬草ですよ。そんなに値上がりする訳がないじゃないですか。」
 
 店主の口調はきっぱりとしていて、ためらう様子も見せずに一気に言い切った。が・・・口調とは裏腹に、店主を包む『気』がぴんと張り詰めた。もしかしたら、この言葉はあらかじめ用意されていた言葉なんだろうか。他の店で買うよりもずっと安い値段で売っていることがわかれば、誰だって疑問に思う。そんなときに怪しまれず、いかにも『街中の雑貨屋や薬屋が高い値段をつけているのであって、自分の店は良心的である』と、印象付けるために。ただ、それが悪意から来ているとは思えない。今ここでこうして向かい合っていても、私をだまそうとか、丸め込もうという意図が感じられないのだ。
 
「ということは、この店で仕入れをしている仲買人は、誠実な業者だってことなのかな。」
 
「まあそういうことになりますね。」
 
「その仲買人は他の薬屋にも卸しているのかな。」
 
「そこまでは私もわかりません。しかしお客さん、おかしなところに興味を持ちますね。」
 
 店主の顔に、また探るような表情が宿る。
 
「いや、だって何軒も回って仕入れ値が上がったの仲買人の手数料が上がったのと言われれば、ここは違うのかなあって思うじゃないか。そしたら仲買人にだって興味を持つよ。そりゃ私達は仲買人から直接買うなんてことはないけどね。」
 
 これも嘘じゃない。うちの診療所で購入している薬草は、島の中で取れるもの以外は全部医師会から直接送られてくる。と言っても、別に医師会と取引していると言うことではなく、本来なら『王宮から』送られてくる荷物なのだが、中身がみんな医療関係の薬品や包帯などの荷物なので、医師会の物品を管理している部門が必要な分だけまとめて送ってくれることになっているのだ。
 
「なるほど、確かにそうですな。では、どうなさいます?お買い上げということでよろしいでしょうか?」
 
「もちろん。助かったよ。ここまで来た甲斐があるね。でもこんなに安いなら、もっと宣伝したらいいのに。」
 
 少し変に思われたかもしれない。あまり突っ込んで聞くのはやめておこう。
 
「宣伝するにも金がかかるんですよ。その分を商品の代金に上乗せしたのでは、意味がないですからね。よろしければ、お知り合いの方にでも当店のことを話してくださるとありがたいですね。」
 
「なるほど、いい物を安く売って、客が宣伝してくれるのを待つってわけか。確かにそれなら、お金をかけずに宣伝できるね。」
 
 店主が笑いながら『そういうことですよ。』と言った。
 
「それで従業員も置かずに一人でやっているのかい?」
 
 さっきから、この店主のほかに人の気配がない。
 
「女房はいますがね、店の運営にはほとんどかかわっていないんです。あんまり体が丈夫じゃないものですから・・・。」
 
「そうなのか。それは大変だね。でも薬屋さんなら、いい薬を飲ませることも出来そうだけど?」
 
「売り物を使うわけにも行きませんし、そのあたりは大変なんですよ。」
 
 少しだけ、店主の顔が暗くなった。余計なことを聞いてしまったと思ったがしかたない。この店のことをもう少し詳しく聞いておきたい。町では値上がりしているはずの薬草の仕入れ値がセディンさんの店と同じと言うことは、この店にも何かしら裏があると思って間違いないということだからだ。
 
「この店はずいぶんいろんな薬草があるみたいだね。あれ?そっちの棚は何?見たこともないのがおいてあるみたいだけど。」
 
 壁に設えられた棚にはさまざまな薬草が並んでいる。その中の一角に、医者しか扱えないような薬草がまとまって置かれていた。その棚には『一般販売は出来ません』という札がかかっているのだが、本当なら、店に陳列しておくのもあまり勧められないのだ。万一置き場所を間違えたり、中身の補充のときに違うかごに入れてしまったりすると、劇薬を一般客に販売してしまうという事態にもなりかねない。どんなに気をつけても、うっかりというのは誰にだってあるので、うちの診療所ではこんな保管の仕方は絶対にしない。この店主はどう考えているのだろう。
 
「あ、これ・・・ですか・・・。」
 
 店主を包む『気』が、ゆらりと揺らめいた。戸惑っているような、あせっているような、不安な感情が彼を支配し始めている。
 
(少し突っ込みすぎたかな・・・。)
 
 でも見たことのない薬草に疑問を持つこと自体は、誰にだってあるはずだ。ここでいきなり質問を引っ込めたら、かえってその方が怪しく思われる。
 
「家で使えるような薬草は見たことがあるけど、そこにおかれているのは・・・あ、一般販売はしてないのか。それじゃ医者用なのかな。」
 
「え、ええ・・・医者用ですけど、何でお客さんそれを・・・。」
 
「いや、城下町の薬屋はみんな医者相手の商売もするって、雑貨屋で聞いたことがあるからさ。一般販売していないって言うなら、医者用なのかなと思って。」
 
 置かれているのは、間違いなく医者にしか扱えない薬草ばかりだ。中には劇薬もかなりある。どの薬草も、ここから見える分にはなかなか保存状態がよく、古くなっているわけでもないように見える。
 
「あ、ああ、そうですね。町の雑貨屋でも家庭用の薬草なら扱ってますけど、うちは薬屋ですからね。その棚のはみんな医者用ですよ。」
 
 店主は、私の説明で少しだけほっとしたような顔をした。私の言葉は信用してもらえているらしい。どうやらこの店主には、私のような力はないようだ。そう考えると私もほっとした。あのクイント書記官のような人物が後何人かいるなんて考えたくもない。でもこの質問はここまでにしておこう。これ以上しつこく聞くと、自分のほうがぼろを出してしまいかねない。
 
「お医者さんも、こんなに保存状態のいい薬草を買えるならいいんじゃないのかなあ。でも大変だね。新規開店してこれから町の医者に売り込みをかけるってのは。たった一人で店を切り盛りして、さらに営業となると、手が回らないんじゃないのかい?」
 
「まあそうですけどね、何とかがんばりますよ。せっかく店を出したんだしね。お客さん、うちを気に入ってくれたなら、ぜひ宣伝もお願いしますよ。」
 
「ははは、そうだね。協力するよ。これなら、あと何回か熱を出されても大丈夫だね。なくなったらまたここで買い物が出来るわけだし。」
 
「健康なのが一番ですよ。ところで、奥方が熱を出されたときに町の医者には見せなかったんですか?」
 
「見せようかとも思ったんだけどね。知ってる医者があるわけじゃないし、熱さましを飲ませて下がったらよくなったから、まあ風邪だろうなってことで終わってしまったよ。」
 
 これは実際によく聞く話だ。たいていの場合その判断は間違っていないのだが、稀に間違っていることがある。でもただの風邪か重い病気かなんて、素人に見分けをつけろというのが無理な話だ。だから出来れば、ただの風邪でも診療所に来てほしいところなのだが、誰だって自分が重い病気かも知れないなんて思いたくない。だから『きっと大丈夫』と自分に言い聞かせてしまい、病の発見が遅れることもある。それが一番厄介なのだが・・・。
 
「ふむ・・・まあその判断は、正しいかもしれませんな。」
 
 妙な言い方だ。たいていの薬屋は『薬屋にばかり頼らず、一度医者に行ってください』と言うものなのだが。クリフの父親に息子の退院を勧めたのは、やはりこの店主のようだ。他に店員がいないというのだから間違いないだろう。
 
「今はぴんぴんしてるしね。」
 
 ここは話を合わせておこう。妻がすでに元気になっているのは間違いない。
 
「ご一緒には来られなかったんですか?」
 
「こっちの知り合いと祭り見物だよ。薬はあなたがよろしくねって。」
 
「なるほど、しかしお優しいだんな様ですなあ。」
 
 店主が笑い出した。この話はあとで妻にもしておこう。この先何があるかわからない。話の辻褄だけは合わせておかなければならない。というより・・・勝手なことを言ったわねとあとで怒られたら困る。
 
「こう言うときは逆らわないのが一番だからね。それより薬屋さんがそんな言い方をするなんて、こっちの医者には何か問題でもあるのかい?」
 
 店主はしばらく迷っている風だったが・・・。
 
「医者なんてね、偉そうにしているけど、普通の人間ですよ。医者の見立てが絶対間違いないなんて、言い切れないと思いませんか?」
 
「まあそれは確かにそうだね・・・。」
 
 確かにそうなのだ。間違えましたですまされない仕事ではあるが、人間のすることに完璧がありえないこともまた確かなわけで・・・。
 
(他人事じゃないな・・・。)
 
 ちょっと複雑な気分だ。
 
「だったら、何も金をかけて医者にかかる必要はないじゃないですか。正しく処方した薬さえあれば、たいていの病気は治るもんです。」
 
「それは確かにそうだけど、でも切ったりしないとわからない病気もあるって言うじゃないか。そういうのは薬だけではなんともしょうがないと思うけどなあ。」
 
「切って、原因がわかって、それを取り除くことが出来れば、確かに問題ないですよ。でもきれいに取り除けなくてまた悪くなるなんてことだってありますからね。それに、もともと切らなくてもいいのに金が取れるからって手術ばっかりする医者ってのもいるじゃないですか。」
 
「そんな医者がいるのかい?それは怖いな・・・。」
 
 真偽のほどはともかく、そういう話をこの店主は信じているようだ。そんなにひどい医者に会ったことがあるのだろうか。
 
「まったくです。怖い話ですよ。私が薬屋になったのもその辺りに理由がありましてね・・・。」
 
「へぇ、そういえば奥さんの体が丈夫じゃないって言ってたけど、病気って言うわけではないのかい?」
 
 体の弱い妻を抱えた薬屋。長年の無理がたたって弱ってしまった父親を抱えた雑貨屋の娘。薬草の価格とともに、この店とセディンさんの店との共通点だ。
 
「女房は体が丈夫じゃないというだけですよ。でも病気じゃないから、逆にどうすればよくなるのかがなんともわからないんですけどね・・・。」
 
「でも、医者は信用出来ないから見せたくないってわけか・・・。」
 
 非常に気になる話だが、今ここで自分の身分を明かしてしまうことは出来ない。
 
「まあそういうことです。家で薬を飲ませていれば長生きできたものを、医者に見せたために命を縮められるなんてばかばかしいですからね。」
 
 あまりにきっぱりとした言い方に、少し違和感があった。
 
「いや、いくらなんでもそんなひどいことは・・・。」
 
「ま、そりゃ世界中の医者が全部そんなひどい医者だなんて思いませんよ。なんでも麻酔薬を開発した先生ってのは、ずいぶんの評判のいい医者だそうですからな。」
 
「へぇ、麻酔薬の開発をした人なんて、知ってるんだね。」
 
 いきなり自分の話が出てくるとは思わなかった。さりげなく返事をしたつもりだが、内心はどきどきしていた。
 
「まあ一般には知られていないですからな。まだ40代の始めらしいですが、穏やかでいい先生らしいですよ。」
 
 なんと歳まで知られている。ドゥルーガー会長の言ったとおり、どうやら私は、自分で思っている以上に有名人らしい。
 
「それじゃその先生に診てもらうとかは?」
 
「大陸の北の端っこまで出かけてですか?連れて行くだけで具合が悪くなっちまいますよ。」
 
「その麻酔薬の先生ってのは、そんなところに住んでいるのかい。」
 
 確かに、ここからローランまで行ってさらに船に乗って行かなければ、うちの島までたどり着くことはできない。つまりこの薬屋は、我が家のある場所まで知っているのだ。隠しているわけではないが、それにしても何でそこまで知っているのか、聞いてみたいところだが、今ここで実は本人だなんて言ったところで、詐欺師呼ばわりされるのが落ちだ。なんとも歯がゆい気持ちだが、ここはこらえて話を聞くしかないようだ。
 
「そうらしいですよ。こっちに出てきてくれればいいのにね。」
 
「でもこの町には医師会があるじゃないか。すごい先生がたくさんいそうだけどな。」
 
「医師会?」
 
 店主の眉がピクリと動いた。
 
「医師会なんてだめですよ。ろくな医者がいない。」
 
「へぇ、そうなのか。王立医師会っていうのは、フロリア様の病気を治すための組織だって言うから、すごい医者がたくさんいるのかと思っていたよ。」
 
 店主は大げさに溜息をついて、肩をすくめてみせた。
 
「フロリア様がお気の毒です。医師会なんて権力欲の塊みたいな連中ばかりじゃないですか。麻酔薬の先生だってね、そんなにすごい人なら、城下町にでんとでかい屋敷を構えて開業してくれれば、病気が治る人はたくさんいると思いますよ。」
 
「うーん・・・でも中にはそんなでかい屋敷に住みたくない人だっているんじゃないのかな。」
 
 最も我が家は建物全体の面積で言えば、下手な貴族の屋敷よりも大きいかもしれない。使ってない部屋はたくさんある。
 
「私としては、医師会の連中が邪魔をして、その先生を城下町に来させないようにしていると踏んでいるんですがね。」
 
「そんなことはない・・・と思うけどなあ。」
 
 危うく『そんなことはないよ』と断定してしまうところだった。あぶないあぶない。
 
「ま、医師会などと聞けば、誰だってすごい先生がたくさんいると思いますからね。でもね、すごいのは権力欲ばかり。腕だってどの程度のものかわかりませんよ。現にうちのじいさんはそんないい加減なやつらに殺されたんですからね。」
 
「・・・殺された?」
 
 穏やかでない話だ。いったいどういうことなのだろう。
 
「そう、殺されたんですよ。」
 
 店主が話してくれたことを聞いて驚いた。なんでも昔、医師会の医師による医療ミスがあって、それで何人もの患者が亡くなったというのだ。そんな話は初めて聞く。
 
「・・・私のじいさんて人がそのとき亡くなった患者の一人だったそうなんですよ。私が生まれたばかりのころの話らしいですから当然顔なんて知りませんが、親父にとっては自分の父親ですからね、かなり悔しい思いをしたと聞いてます。」
 
「何人もってのが怖いな・・・。」
 
「でしょう?だから私は薬屋になったんですよ。医者になんてかからずに、薬で病気を治せるようにね。」
 
「なるほどね・・・。あれ?でもそこにあるみたいな、医者にしか扱えない薬って言うのもあるじゃないか。そういう薬は?あ、そうか、ご主人が薬を扱える免許を持っているとか・・・。」
 
「まさか!私はそんな・・・!あ、いや・・・。」
 
 店主が急に言いよどんだ。薬屋などやっていれば、ある程度薬の知識は身につくものだが、本来処方出来ないはずの薬を勝手に処方して客に渡せばそれだけで違法になる。だからといってそのためだけに医師の免許を取るというのは、現実的な話ではない。ではそう言う薬を扱うときだけ医師に頭を下げて処方してもらっているのだろうか。医師を信用していないと公言するこの店主が、どんな場合でも医師に頭を下げているとは考えにくい。ではどうしているのか。
 
(そのあたりを調べたほうがよさそうだな・・・。)
 
「いけないいけない、まだやることがあるんだった。ちょっとおしゃべりがすぎました。それじゃお客さん、宣伝はよろしく。またどうぞおいでください。」
 
 店主はいきなり話を切り上げた。そして今度は早く帰れと言わんばかりだ。だがここでしつこく食い下がればますます怪しまれる。礼を言って外に出た。後は聞いた話を整理して、オシニスさんに報告するだけだ。
 
「このあたりはこれから発展する場所なのかなあ。」
 
 店の外の通りは相変わらずほとんど人通りがない。ただ、先ほどは遠くから聞こえてくるだけだった祭りのにぎやかな声や楽器の音が、近くなってきているようだ。1本隣の通りあたりで、何か催し物でもやっているのかも知れない。たぶん普段はもっと静かなのだろうと思う。このあたりも昔は城壁の外だった部分だ。城の増築をするときに城壁も広げて、緑地帯を作ったらしい。もっとも城の裏のほうに位置していたこの辺りには、城壁の外側だったころからモンスターなんてほとんどいなかった。つまりそれほど辺鄙な場所なのだ。
 
『モンスターがいないんだから、城壁をこのあたりまで広げられればもう少し町の中が広くなるんだけどな。』
 
 カインがそんなことを言っていたのを、ふと思い出した。20年後の今、それは実現したが、商業地区の隅っこでは辺鄙なことに変わりない。こんな場所に店舗を建てた目的のひとつに、薬草保存のための仕掛けがあったことは間違いない。店の裏は緑地帯で、この先家や店舗が建つことはないから、この木々の間を吹き抜けるさわやかで清浄な空気が汚れる心配もない。だが・・・どうにも引っかかる。
 
 奥さんは体が丈夫じゃないと言っていたが、あの調子ではおそらく医者に頼ることをせずに、自分の家で薬を飲ませているのだろう。だが自分の店で扱っている薬を使っているふうもなさそうだった。
 
(元々虚弱体質だとすると、出来ることって言うのは限られてくるよな・・・。)
 
 どこかが悪いということではなく、体全体の抵抗力が弱く、そのために病気にかかりやすいという体質の人はたくさんいるが、たいていの場合は滋養強壮に効くような一般的な薬草を煎じて、根気よく飲んで様子を見ることになる。でも店の運営に携わることが出来ないほど弱いのだとしたら、多少なりとも『治療』というべき薬を飲んだほうがいいような気がするのだが・・・。もしもそういった薬を飲んでいるとしたら、そこに医師が関わっていなければならないはずだ。さっきの話も、そのときだけは信頼できる医師に頼んでいるとでも言えば、特に不審にも思われずにすむというのに、あの店主はそこで言いよどんだ。医師会での医療ミスが原因で祖父を亡くしたというあの店主の話が本当なら、彼の父親は、おそらく息子に『父親を殺された』恨み辛みを話していただろうし、医師会についてもろくな話をしていないと思う。小さなころからそんな話を聞かされて育てば、医師会に対して最初からよくない印象を持ったとしてもおかしくはないし、場合によっては医師全般を嫌うようになることもあるかもしれない。そしてやがて薬屋になって人の命を救いたいと考えるようになった・・・。
 
「辻褄が合わないわけではないんだけど、それだけで重病人を無理にでも退院させろなんて言うかな・・・。」
 
 これがもし、自分をかわいがってくれた祖父が、とでも言うのなら納得できる話なのだが、あの店主ははっきりと、祖父の顔も覚えていないと言っていた。何が何でも医師を嫌うという姿勢を見せるわりには、そこまでの激しい憎悪を彼にまったく感じないのだ。もしかしたら、医師会での医療ミスの話というのは、医者嫌いをもっともらしく見せるための方便だろうか。第一そんなに医師を嫌っていて、それをあからさまに態度に出していたら、医師相手の商売など成り立たなくなってしまう。
 
「まあそれは、調べることができるか・・・。」
 
 医師会の医療ミスなど、嘘ならば大問題だ。だが本当のことなら、ドゥルーガー会長は言い渋るだろう。でもそれは話してもらうしかない。では、もしもあの店が今回の一連の陰謀に関わっているとしたら、あの店の役どころは何だろう。それがわからないことには、敵の尻尾も捕まえられないわけなのだが・・・。
 
(とりあえず、あとをつけられていては王宮に戻れないな・・・。)
 
 店を出た直後から、背後に気配を感じていた。それも複数。明らかに私に注意を注いでいて、よくない感情も感じられる。このまま道なりに歩いて行けば、王宮の前へと続く道に出る。通りには今日も人が溢れ、みんな祭りを楽しんでいる。その道をそのまま横断すれば住宅地区。人ごみで剣を振りかざして襲うようなばかな真似はしないだろうが、ひっそりとダガーを刺し込まれるのもごめんだ。ということは、このまま進むのはやめたほうがいいと言うことか。私はわざとらしく立ち止まって大きく伸びをし、『安い薬草を探して歩き疲れた田舎者』をもうしばらく演じてみることにした。
 
「さてと、疲れたなあ。この辺で休むか。」
 
 わざと大きな声で言い、緑地帯の中へと入った。涼しい風が吹き抜けていくこの緑地帯は、城壁に囲まれたこの町に涼しいさわやかな風を提供してくれる。昔は商業地区も住宅地区も、城壁ぎりぎりまで家や店が建ち並んでいたのだが、狭苦しさを解消するための方法として、ここ数年の間にあちこちに作られるようになったらしい。どうせなら城壁も取り払ってしまえばよかったのかも知れないが、町では城壁なんてもういらないという声がある一方、『ここに壁がないと落ち着かない』という意見も多数あることから、壁をなくすわけにはいかないらしかった。
 
「へえ、ベンチまであるんだ。」
 
 木立の中にはベンチもいくつか置かれている。その1つに腰を下ろした。さわやかな風が頬を撫でて、木々の間からこぼれ落ちる陽射しも心地よい。こんな気持ちのいい場所にいるというのに、私をつけている気配は相変わらずすぐ近くにあって、こちらを伺っている。
 

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