小説TOPへ> 第71章〜第80章のページへ ←前ページへ



 
 クリフの父親は言いながらドンとテーブルを叩いた。そういうことか・・・。アスランの怪我や治療については、ある程度街の噂になっている。彼とイルサが襲われたことについては、本来ならば王宮として発表しなければならない類の事件ではある。ただ、その背景にナイト輝石の採掘再開が絡んでいると言うことと、その件で王宮への脅迫と言う事実がある以上、迂闊に発表できないことでもある。だが、確かにアスランについてはたくさんの医師がかかわってくれた。その部分だけを噂として聞いたクリフの父親にとっては、自分の息子が見捨てられたような気がしたのかもしれない。では、それでこの父親は、クリフの手術をしてくれと詰め寄っているのだろうか。自分の息子にもアスランのように大勢の医師が手をかけてくれれば、もしかしたら息子は助かるかもしれないと・・・。
 
「なるほど、わかりました。そのことについては、こちらにも説明不足のところがありますね。では説明させていただきましょう。」
 
「説明なんてしなくていい。とにかくクリフの手術をしてくれりゃいいんだ。またごまかされるのはごめんだからな!」
 
「ちょっとあんた!せっかく先生が説明してくれるって言うんだから、その話を聞いてからでもいいじゃないの。」
 
 さっきから心配そうに話を聞いていた、クリフの母親が言った。
 
「ふん、俺をたしなめて、ここでいいところを見せようってつもりか?」
 
「今はそんな話をしているときじゃないでしょう!?」
 
 この二人の会話は、なんとなくだが、クリフの話ではないと言う気がした。この夫婦の間でも何か問題があって、二人の仲がうまくいっていないらしい。そしてクリフの件でも、どうも父親と母親では考えが違うような気がする。
 
「いきなり手術をしてくれと言われても、こちらとしても準備があります。とにかく、先ほどおっしゃった怪我をした剣士のことについては、一度説明させてください。手術のことについてはそれからあらためてお話しましょう。」
 
「手術をしてくれるってんなら、話を聞いてやってもいいぜ。」
 
 にやにやとバカにしたような目をハインツ先生に向けるクリフの父親を見かねてか、オシニスさんが立ち上がり、テーブルをぐるっと回ってクリフの父親の後ろに立った。
 
「おいレグス。」
 
 怒ったときのあの低い声で、オシニスさんがクリフの父親に声を掛けた。
 
「なんだよ。今は話し中だぜ?」
 
 クリフの父親はオシニスさんと目を合わせようとせずに、答えた。
 
「こっちを向けよ!」
 
 オシニスさんは強引にクリフの父親の胸ぐらを掴んで立たせた。
 
「人の話を聞けって、剣術指南で散々言われたのを忘れたのか。何をいらいらしているのか知らんが、自分の息子のことなんだぞ!」
 
「い、痛てててて、わかった、わかったから離せよ!」
 
 これがもしもクリフの話をしているのでなかったら、オシニスさんはクリフの父親を殴っていただろう。クリフの父親は忌々しそうに舌打ちをして、椅子に座りなおした。オシニスさんは腕を組んで、そのままそこに立っている。もしもクリフの父親がまた何か言いだしたら、今度こそ殴るつもりでいるのかも知れない。
 
「では説明しましょう。まずこの話の大前提となることを申しあげておきます。怪我と病気は違う、これを忘れないでください。」
 
「は、それでうまくだましたつもりかね。」
 
 クリフの父親がそう言ったとたん、今度は隣にいた母親が夫に平手打ちを食らわせた。
 
「あんた、これ以上余計なことを言ったら、本気で怒るわよ!先生すみません。お話を聞かせてください。」
 
 クリフの母親がハインツ先生に向かって頭を下げた。どうにも妙だ。この父親は、最初からハインツ先生にけんかを売ろうとしているようにしか見えない。だが何のために?万一ハインツ先生が怒って、もう医師会でクリフの治療をしないなどと言ったらどうするのだろう。今のところは王国剣士としての身分があるから、ここで無料で治療が出来る。だが、もしもここを出てしまったら、いや、ここを出たところで、ここよりもいい治療が受けられる場所などありはしない。つまり、今よりよくない治療に高いお金を払わなければならなくなるのだ。お金はともかく、治療の質が落ちるとわかっていてそんなことをしようとするはずがない。
 
 さすがに今の平手打ちは効いたらしい。クリフの父親は、恨めしそうに妻をにらみ、黙り込んだ。
 
−−−ちくしょう!余計なことしやがって!やっぱりこいつはまだオシニスの野郎がいいのかよ!−−−
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 こんな時にさえ私の力は勝手に働いて、聞かなくてもいいことを聞かせてくれる。そういえば、この夫婦は二人ともオシニスさんの昔なじみだと言った。もしかしてこの母親が・・・。
 
(いや、それにしたってそんなことはずいぶん前の話だろうし・・・。)
 
 クリフが23歳だということは、当然それより前には結婚していたはずだ。若いときの恋なんて、いまさら持ち出すようなことでもないだろうに。もしかしたらけんかでもして、そのときの言葉のあやで、いまでも妻がオシニスさんを思っているのだと、この父親は思い込んでしまったのだろうか。
 
「では、続きを説明しましょう。」
 
 ハインツ先生は、アスランの怪我が相当ひどく、ほぼ仮死状態だったと説明した。そしてそこから命を取り戻すために、蘇生の呪文が使用されたことも。だが、その後治療の甲斐あってアスランは目を覚まし、今は普通の怪我人と同じように傷を治してリハビリに専念しているが、まだ普通どおりの生活をするまでには至っていない、怪我は傷さえ治れば元通り動くことが出来るが病気はそうは行かないのだと、とてもわかりやすく説明してくれた。
 
「・・・まあそういうわけなんですよ。怪我人と病人の治療の仕方は根本的に違います。怪我ならば目に見えますから、どの程度よくなっているかも把握しやすいし、思った程よくなっていなければ、また治療法を変えるということも出来ます。ですが、病気の場合はそう簡単にはいかないのですよ。クリフの病気が実際のところどうなっているのか、確実に把握しようと思ったら体を切り裂いて内臓を直接見るしかないんです。その上で治療方針を決めるといっても、切ったままにしておけません。ではいったん体を切り裂いて内臓を見てまた縫い合わせ、治療方針が決まったらまた切り開いて、なんてことをしていたら、無駄にクリフの体力を奪うことになるんですよ。それこそ、命を縮めることにもなりかねないのです。」
 
 最後のほうがかなり強い口調になっている。ハインツ先生もさすがに腹を立てたのだろう。まるでクリフのことよりも、ハインツ先生を怒らせようとしているかのようなこの父親の態度に対して。
 
「・・・じゃあいいよ。」
 
 不意にクリフの父親が言った。
 
「え?」
 
 ハインツ先生がきょとんとしてクリフの父親を見た。
 
「いいって言ったのさ。医師会には俺の息子を助けてくれる気はない。だったらここにおいておく意味もない。つれて帰るよ。明日の朝にでも引き取りに来る。」
 
「ちょっと待ってよあんた!そんなことをしたらクリフはどうなっちゃうのよ!あんたまさか・・・!?」
 
 クリフの母親が何か言いかけたが、父親が慌てたようにそれをさえぎった。
 
「うるせぇ!お前は母親のくせに、クリフがどうなってもいいってのか!」
 
「なってほしくないからここに頼んでるんじゃないの!あんたのほうこそまさかあんな・・・!」
 
「黙れ!」
 
 突然クリフの父親が母親の頬をたたいた。何だろう。今のクリフの父親からは、怒りというより焦りのようなものを感じる。今だって、別に怒ったからというより、クリフの母親が何か言いかけたことを言わせないために殴ったようにしか見えない。ハインツ先生が止めようとしたが、それより早くオシニスさんがクリフの父親の胸ぐらを掴み、引き摺るように立たせてその頬を殴った。クリフの父親はそのまま吹っ飛んで後ろに置かれていたテーブルにぶつかったが、それでもフンと鼻を鳴らし、尊大な態度を崩さない。でもなんとなくだが、今自分がしたことに対して自分が驚いているような、そこまでしなくてもよかったのにと後悔しているような、そんな風にも見える。
 
「・・・少し頭を冷やせ。」
 
 これでも、多分オシニスさんは相当力を加減しているはずだ。いくら昔は一緒に悪さをした仲とは言え、今では一般人と剣士団長だ。いつの間にか隔たってしまった昔なじみとの距離に、オシニスさん自身がもどかしさを感じているのではないかと思う。殴った拳が震えている・・・。
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 クリフの父親は黙ったまま立ち上がり、部屋を出ようとした。
 
「それからクリフの件だが、いかに親の申し出と言えども、勝手に退院させるわけにはいかん。」
 
「な、何でだよ!」
 
 クリフの父親が驚いて振り返った。
 
「あいつは今でも王国剣士なんだ。だから医療費の一切は剣士団が面倒を見ている。退院するならそれなりの手続きが必要なんだ。それに、クリフがいくつだと思ってるんだ。まずは本人の意思確認が先だろう。さっきの様子なら、充分冷静な判断が出来る状態だぞ。少なくとも、お前よりも遙かにな。」
 
「ならこれからしてくるさ。それで文句はないだろう。」
 
「いや、今日は帰れ。お前は当分出入り禁止だ。こんなところで暴れたんだから、暴行障害で一週間くらい牢獄にぶち込まれても文句は言えないんだ。それとも、話のタネに牢獄生活をしてみるか?」
 
「ふん、権力を振りかざして、ずいぶんとお偉くなったもんだな。」
 
「なに!?」
 
 どうにも妙だ。クリフの父親がイライラしているのは確かだ。だが・・・ここまで暴言を吐いているというのに、怒りの感情が感じられないのだ。そして焦りばかりが感じられる。それは何に対する焦りなのだろう。クリフの容態?いや、今すぐよくなる可能性なんてないのは、わかっているはずだ。マッサージで多少穏やかに眠れるようになったとは言え、この先回復する見込みは限りなく低い。ではこの父親は、何に対して焦り、苛立っているのだろう・・・。
 
「まあまあ、とにかく、いきなりそんな話になられても、医師会のほうとしても困りますから。今日はお引取り願えませんか?」
 
 ハインツ先生がとりなしてくれて、やっとクリフの両親は引き上げていった。胸をそらして尊大な態度を崩さない父親とは対照的に、一生懸命頭を下げる母親が印象的だった。部屋の扉が閉まる瞬間・・・
 
−−−くそ!こんなことをしてたら、先を越されちまう!−−−
 
(・・・・・・・・・・・。)
 
 
 
「・・・なんなんだよあいつは・・・!」
 
 オシニスさんがテーブルをバンと叩いた。
 
「どうしたんでしょうねぇ。あんな態度をされているのは初めてですよ。」
 
 ハインツ先生は怒っている風でもなく、きょとんとしている。オシニスさんも、どちらかというと怒っているというより驚いているようだ。
 
「普段はもっと感じのいい方なんですか?」
 
「あんなひどい態度をとられたのは初めてだ。奴は確かに喧嘩っ早いし、お世辞にも気が長いとはいえないが、今じゃ商売もやっているし、誰に対してもあんな態度をとることが自分にとって得にならないことくらい理解出来る奴だぞ。それに・・・俺にまであんな言い方をするとはな・・・。まったく、いったいどうしちまったんだよ、あいつは・・・。」
 
「なんだか最初から医師会にけんかを売りたいような感じでしたね。オシニスさんに同席されるのもいやだったようですし。」
 
「うーむ・・・アスランの事を聞いて、悔しい思いをされているのかなとも思ったんですが・・・。」
 
 ハインツ先生も心配そうだ。
 
「どちらかというと、怒っているというより焦っているといった印象でしたよ。」
 
「サラの奴が何か言いかけるたびに、言わせないようにしてたしな・・・。」
 
「クリフのおかあさんはサラさんというのですか。」
 
「ああ、レグスもサラも、昔はよく一緒に遊び歩いていたもんだ。だが・・・ずいぶんと変わっちまったもんだな・・・。」
 
 オシニスさんが寂しげに笑った。
 
「まさかと思いますけど、あの父親のほうは、ハインツ先生を怒らせてクリフを退院させるつもりだったんでしょうか。」
 
「ここを出てどこにいくって言うんだ?この国で医師会よりもいい治療を受けられる医者なんぞないと思うぞ?」
 
「そうよ。せっかくマッサージで効果が出たところなのに、むりやり退院させたりしたら、また悪くなってしまうわ。」
 
 妻が悔しそうに唇をかんだ。
 
「でもマッサージについては一言も言っていなかったじゃないか。」
 
「それがおかしいのよね・・・。私が医者じゃないって聞いてすごく不快そうな顔をしていたから、てっきりそんなもの役に立たないとかいろいろ言われることを覚悟していたんだけど・・・。」
 
 妻は妻で、肩すかしを食ったような顔で首をかしげている。
 
「しかし、困りましたね・・・。今のクリフの状態では、とても手術に耐えられるだけの体力はありません。どうしてもと言うならしばらくマッサージの効果を見ながら、食事や薬で体力をつけてからと言うことになりますから、最低でも一ヶ月はかかりますよ。」
 
 それも、クリフの容態がこのままよくなっていくならの話だ。まだ治療は始まったばかりだというのに、そんなに楽観的に考えることは出来ない。
 
「となると、あいつの目的はやっぱりクリフの退院か。ハインツ先生を怒らせて、『もう勝手にしろ』とでも言わせるつもりで挑発していたのかも知れないな・・・。」
 
「残念ですが、私はなんと言われようとあの状態の患者を退院させたりしませんよ。麻薬の投与よりももっと手が悪い。そんなことが出来るものですか。」
 
 いつもは穏やかなハインツ先生がこれほど怒るとは。この人は常に患者のことを一番に考えてくれる。だが、クリフの父親にはそれが伝わっていないようだ。
 
「でも、だとしたらクリフを退院させてどうするつもりなのかしら・・・。」
 
「その先に、もしかしたらサラが言いかけてた何かがあるのかもな。」
 
「うーむ・・・さてどうしたものか・・・。」
 
 ハインツ先生は考え込んでしまった。
 
「ハインツ先生、とにかく今はクリフの治療に専念しませんか?せっかくいい方向に向かっているのに、邪魔されるのでは困ります。親御さんにはなんとかわかっていただくしかないと思いますわ。」
 
 妻が断固とした口調で言った。かなり感情を抑えているが、相当怒っているのがわかる。
 
「そうですね。ではこのまま病室に行けますか?何か御用がおありならそちらを優先してくださって構いませんよ。」
 
「いいえ。大丈夫です。」
 
「ハインツ先生、妻の言うとおりです。それに、今が順調でも、この先も順調にいくとは限らないでしょう。今は目を離さない方がいいと思うのですが。」
 
「・・・そうですね。では行きましょうか。クロービス先生、また奥方をお借りしますよ。」
 
「わかりました。」
 
 ハインツ先生と妻がクリフの病室へ、オシニスさんと私は取りあえず剣士団長室に戻ろうと言うことになった。採用カウンターの前を通ろうとしたとき・・・
 
「お、やっと来たな。オシニス、お客さんだぞ。」
 
 ランドさんに声を掛けられた。
 
「客?誰だ?」
 
「妙齢の美女だ。」
 
「バカ言うな。美人が俺を訪ねてくるわけがないじゃないか。」
 
「ははは、冗談だよ。クリフのお袋さんだ。ロビーで待ってもらってるよ。」
 
「サラが?」
 
「ああ、なんだか心配事があるみたいだぞ。」
 
 宿舎のロビーでは、先ほど帰ったはずのクリフの母親が、不安そうに座っている。
 
「どうしたんだ?てっきり帰ったと思ってたのに。」
 
「さっきはごめんね。あの・・・あたしは出入り禁止じゃないわよね・・・?」
 
 クリフの母親は、上目遣いにオシニスさんを見た。
 
「まさか。さっきはレグスの奴の態度があんまり悪いんで、ちょっと脅かしたのさ。病人の家族を本当に出入り禁止になんてするわけに行かないからな。」
 
 クリフの母親はほっとしたように笑った。そしてさっきから彼女を取り巻いていた不安な『気』が少し薄らいだ。
 
「よかった・・・。ちょっと話があるんだけど、忙しい?」
 
「いや、別に何もないよ。それよりお前こそ、こんなところにいたらレグスがまた怒るんじゃないか。さっきはだいぶ険悪だったが、ケンカでもしてたのか?」
 
「毎日ケンカよ。それで、あんたに相談があるんだけど・・・。」
 
「私は席を外しましょうか?」
 
「いや、ちょっと待てよ。サラ、こいつはいない方がいいか?まあお前にとっちゃついさっき会ったばかりだから、込みいった話になるなら席を外してもらうが。」
 
「あ、あの、麻酔薬の先生なんですよね?」
 
 クリフの母親が慌てたように私に尋ねた。
 
「そうですけど・・・。」
 
 麻酔薬の開発と言っても、先ほどのクリフの話には特に関係なさそうだが・・・。
 
「あ、あ、あの・・・ぜひ、その・・・一緒に話を、聞いてほしいんだけど・・・。出来るだけ、その・・・目立つところで・・・。」
 
「なんだそりゃ?」
 
 オシニスさんが首をかしげた。
 
「理由は、あとで説明するわ。とにかく出来るだけ人目につく場所で、あんたとあたしが二人じゃないってことがわかるようにしたいの。」
 
「・・・そう言うことなら、そうだな、東翼の喫茶室にでも行くか。あそこなら一般の客も入るし、誰が見ているかわからない場所だぞ。」
 
「そこがいいわ。あの、先生・・・も・・・お願いします。一緒に・・・。」
 
「構いませんよ。行きましょうか。」
 
 3人で王宮本館のロビーを抜けて東翼の喫茶室へと向かった。歩いている間中、クリフの母親はずっときょろきょろしっぱなしだったのだが、それは誰かに見られていないかではなく、誰かが見ていてくれるかを気にしているようだった。私はどうやら、オシニスさんとクリフの母親が、『二人きりで会っていた訳ではない』ことの証人にされるらしい。なんとも妙な話だ。まったく今日はおかしなことばかりに出くわす。
 
 
「ごめんなさい。さっきは失礼なことばかりして・・・。」
 
 東翼の喫茶室について、クリフの母親は最初に私達に向かって頭を下げた。
 
「お前があやまる事じゃないさ。レグスの奴は最初からおかしかったしな。」
 
「おかしいのよ・・・。もうあたしにはどうしていいかわからない・・・。」
 
 クリフの母親の目から涙がこぼれ落ちた。
 
「前に会ってからもう何ヶ月も過ぎるからなあ・・・。いったい何があったのか、聞かせてくれよ。それに、クリフのことだっていきなりあんなことを言い出すからには、何かしら理由があるんだろう?」
 
 うなずいたクリフの母親がポツリポツリと話してくれたところをまとめると、こういうことらしい。クリフの病気について、二人とも納得はしていたというのだ。それに、助からないとは言われたが、それでも医師会は息子を見放しはしなかった。最後まで出来る限りの治療をすると約束してもらえた。だが・・・あっという間に悪くなってやせ細ったわが子を見て、二人はいたたまれない思いで、最後まで苦しまずにすむようにしてやりたいと、何か方法はないものかとハインツ先生に相談していたそうだ。私が麻薬の話を聞かされたとき、どうやらハインツ先生はその両親の希望に沿うべきかどうか、悩んでいたということらしい。
 
「ということは、その話をハインツ先生にしたのはつい最近のことなのか?」
 
 オシニスさんがクリフの母親に尋ねた。あの時の麻薬に関するハインツ先生との会話は、あのあとオシニスさんにも話してあるから、多分そのことを思い出したのだろう。
 
「そうでもないの。もう一ヶ月以上前よ。そのあとさっき話に出た怪我をした剣士さんの噂が広まって、それでうちの人は怒ってたのよ。うちの息子が後回しにされているって・・・。」
 
 なるほどそういうことか・・・。おそらくハインツ先生は、相談を受けてから相当悩んだのだ。そしてさまざまな治療法を考えて、最終的に麻薬投与による痛みの軽減しかないという結論に至った。だが・・・そのことを両親に告げようとして、なかなか言い出せずにいたのだと思う。たぶんそのころにアスランが運び込まれ、そのまま治療チームの一員になってしまった。結果としてクリフのことは後回しにしたことになってしまい、父親が痺れを切らして怒ったということなんじゃないだろうか。私はその話を二人にしてみた。もちろん麻薬などとは言えないので、『かなり強い薬』という表現にとどめ、その薬を使うことで強い副作用が出るから、結果として命を縮めることにもなりかねない、それでなかなか決断を下せずにいたのではないかと・・・。
 
「そういうことだったんですか・・・。」
 
 私はさらに、ハインツ先生が常に患者のことを一番に考え、今このときも全力でクリフの治療にあたっていること、そして、噂になっている王国剣士の怪我は一刻を争うものだったのでそちらを先に治療するかたちにはなったが、それは決して、命に優先順位をつけたものではないことを説明した。ここはなんとしてもわかってもらわなければならない。
 
「そうですよね・・・。なのにうちの亭主ったら・・・。」
 
 クリフの母親は疲れ切った様子で、運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。そしてまた大きなため息をついた。
 
「私の見当違いであれば大変申し訳ないのですが、先ほどから見ていた限りでは、ご主人は最初からハインツ先生を怒らせるつもりだったとしか思えないのですが、違いますか?」
 
「俺にもそう見えたよ。さすがにさっきは腹が立って思わず殴っちまったが、どうも妙なんだよな・・・。普段のあいつを知らないクロービスでさえおかしいと思うんだから、俺の目をごまかそうなんて甘いんだよまったく・・・。」
 
 オシニスさんは悔しそうだ。
 
「こちらの先生の言う通りよ。うちの人はハインツ先生を怒らせて、クリフを退院させようとしているの。」
 
「本気なのか?退院させてどうしようって言うんだ?ここよりいい治療が受けられるところなんて、王国中さがしたってないぞ。」
 
「あたしだってそう思うわよ。だけど・・・うちの人はそう考えていないわ。」
 
「・・・つまりさっきの態度は、何かしらのあてがあって言っていたことだって、そう言うことなのか?」
 
「そうよ。」
 
「で、そのあてって言うのは、どこの医者だよ?」
 
「医者じゃないわ。薬屋よ。」
 
「・・・薬屋・・・?」
 
 城下町にはセディンさんの店のように薬草を扱う雑貨屋とは別に、薬草の他に薬品も取り扱う薬専門の店が存在する。医師相手の卸問屋的な役割も果たすらしいが、医師たちは薬草の仲買人と直接契約している場合もあるので、一般の客も相手にするらしい。
 
「一ヶ月くらい前にね、その薬屋に薬草を買いに行ったのよ。なんでも店員がいい人だったとかでクリフのことをいろいろ話したらしいんだけど・・・医師会だけがすべてじゃない、家で薬を飲ませた方がいい場合もあるんじゃないかって・・・。」
 
「その店員に言われてその気になってるってことか・・・。」
 
「そうよ。でも最初はさすがに、そんなこととんでもないってうちの人も言っていたのよ。だけど、医師会からの連絡は来ないし、その間に怪我をした剣士さんの噂が耳に入ってきて、それで後回しにされてほっとかれている間に、クリフは苦しんでいるかも知れないからって、またその薬屋に行ったの。もう少し詳しい話を聞いてくるって。そしたら、いい薬があるから、悪くなる前に退院させて、家でその薬を飲ませればきっとよくなるって言われたらしくて・・・。なんだかあたしが見ても薄気味悪いくらい信じ込んでいるのよ。」
 
「なんの薬なのかはわからないのか?」
 
「知らないわよ。もし知ってたら今言ってるわ。それに、もしもそれが絶対に、本当に、クリフに効くんだったら、今あたしはここであんたに相談なんてしていないわよ。」
 
「それもそうか・・・。」
 
「なんだか焦っていたように見えたのはそのせいだったんでしょうか。」
 
「早くしないとなくなってしまうって言われてるのよ。とても希少な薬を特別に分けてやるとか言われて・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 特別な薬・・・。まるでシャロンの話と同じじゃないか。だが、あれは麻薬だった。それならば、医師会で処方される物でも同じことだ。ではその薬は、また違うものなのか・・・。だが、注意喚起くらいはしておいたほうがいいだろう。
 
「ところでサラさん、薬という物は、医師以外には絶対に扱えない薬という物があるんですが、そう言う類の物をうっかり買ってしまうとあとで厄介なことになりますよ。」
 
「厄介って・・・どういうこと?」
 
「薬には誰がどの薬を扱っていいかという決まりがあるんです。先ほど申し上げた、ハインツ先生が処方するかどうか悩んでいた強い薬のように、劇薬と言われる薬は、薬屋で一般のお客さんに売ったりすることは出来ないんです。仮に医師がそこにいて処方箋を書いたとしても、薬だけ渡すことは禁じられているんですよ。」
 
「そんな・・・!それじゃそんな薬を手に入れたら罰せられるとか・・・。」
 
 クリフの母親が泣き出しそうな顔になった。
 
「罰せられるのは、その薬を売った、あるいは処方して渡した側ですから、ご主人が罰せられるわけではありません。ただ、そこまで厳しい決まりを作るのには当然理由があります。そういった決まりで管理されている薬とは、医師の監督下以外で素人が使えば、命にもかかわる危険性があるものばかりなんですよ。」
 
「でも・・・でも、うちの人は何も教えてくれないんです。その薬屋の話が出たときに、あたしがそんなのあてにならないって言ったから、あたしには・・・何も言わずに話を進めているんだわ!」
 
「と言うことは、お前らのケンカの原因はそのことなのか?」
 
「そうよ。さっきから言ってるじゃない。あんた何を聞いてたのよ!?」
 
「ちゃんと聞いてるよ。俺が知りたいのは、さっき、お前が俺と2人で会ってたんじゃないとわかるようにって言っていたのは何なのかってことだ。」
 
「あ、そ、その、それは・・・。」
 
 突然クリフの母親の歯切れが悪くなった。
 
「そんな何十年も前のことを、なんで今頃になってあいつが持ち出したのかも知りたいもんだがな。」
 
「それは、その・・・ケンカの時にうっかり、あんたなんかと結婚しなきゃよかったって・・・。」
 
「言ったのか・・・。」
 
 オシニスさんは呆れ顔でクリフの母親を見た。
 
「だけど!だからってあんたのほうがよかったなんて一言も言ってないのよ!なのになんでだか、うちの人はあんたとのことを疑いだして・・・。」
 
「それも変な話だなあ・・・。」
 
 確かにいきなりそんな話になるのはおかしいが、クリフの父親本人にとっては何かしらのきっかけがあるはずだ。オシニスさんは昔なじみと自分の間がすっかり隔たってしまったことを嘆いていたが、それは相手のほうにも当てはまる感情なんじゃないだろうか。私はクリフの父親が今なんの仕事をしているのか聞いてみた。
 
「馬車の製造と修理よ。モンスターがおとなしくなってから、馬車はかなりいろいろと改良がされたわ。うちではね、その新型の馬車をいち早く売り出してから、けっこう繁盛しているのよ。うちの人は真面目でよく働くわ。仕事も丁寧だしお客さんの評判もいいの。だから今回のことで、あの人があんなに乱暴なことばかり言って、頑なになるなんてどうにもわからなくて・・・。」
 
 なるほど立派な仕事をしていて、本来は真面目な人物らしい。
 
「あくまでも推測でしかありませんが、昔なじみがこの国の防衛を一手に担うと言われている剣士団長になってしまったら、引け目を感じることもあるのかも知れませんよ。」
 
「・・・まさか。俺が剣士団長になったのはもう10年も前の話だぞ。今まであいつは、そんなそぶりは一度も・・・。」
 
「もちろん、普段はそんなことを考えもしなかったでしょう。ご自分だって立派な一国一城の主ですからね。でも、自分が我が子に何もしてやれない無力感を感じているときに、その事で奥さんとけんかをして自分と結婚しなゃよかったなどと言われたら、奥さんの元の恋人が今では大出世している、それじゃその男のほうかよかったって言うのかと、自分に自信が持てなくなることだってあるかも知れませんよ。」
 
 そして思いがけずに再会した昔なじみは、剣士団長の制服を着て、あの豪華なマントを羽織り、背筋を伸ばして堂々と立っていた。それでなくても自分に自信をなくしていただろうに、さっきオシニスさんを見て、やっぱり女房はこの男のほうがいいんだろうなと思い込んでしまったという気がする。
 
「やっぱりあたしが悪いのかしらねえ・・・。」
 
「誰が悪いとか、そういうことではないと思いますよ。たまたまめぐり合わせが悪かったんじゃないんですか。先ほど、オシニスさんはレグスさんとの間に距離を感じていたようですが、レグスさんのほうも、オシニスさんとの間に同じようなものを感じているんじゃないかという気がしたんですよ。権力を振りかざしているなんて言う言葉は、なんとなくですが、引っ込みがつかなくなって言いたくもない事を言ったような、そんな感じに見えましたけどね。」
 
「ふん・・・あいつと一緒になって遊んでいたのは、剣士団に入る前だからもう25年・・・26年・・・ははは、なんだかちゃんと数えないと思い出せないくらい昔のことなんだな・・・。」
 
「バカなことばっかりやってたよねぇ。でもあんたもうちの人も、弱い者いじめだけは絶対にしなかった。それどころかいじめられている子を助けようとしてケンカになって、何度王国剣士にゲンコツ食らったもんだか。」
 
 クリフの母親が懐かしそうに笑った。
 
「その俺が今じゃ王国剣士団の団長だ。世の中わからないもんだよ・・・。なあサラ、もしかしたら、レグスの奴はその薬屋で耳にいい話を吹き込まれて、それなら自分でも息子に何かしてやれるって、思いこんじまったのかな・・・。」
 
「かも知れないわ。だけど、それで本当にクリフがよくなるならいいけど、あたしにはどうしても信用出来ないの。ねえオシニス、何か調べる方法はない?」
 
「そうだなあ・・・。」
 
 オシニスさんは考え込んでしまった。さりげなく調べるにしても、王国剣士を派遣したりすれば大ごとになる。ましてや剣士団長たるオシニスさん自身が出向いたりしたら、それこそ飛んでもない騒ぎになりかねない。
 
「私が行ってみましょうか。私なら医者ですから、特に変に思われることもないと思いますよ。サラさん、その薬屋というのはどこなんですか?」
 
「商業地区の外れのほうよ。緑地帯のすぐ手前のあたりにぽつりと看板が出てるの。」
 
 薬屋の詳細な場所を聞いて、しっかりとメモをとった。クリフの母親は安心したように笑顔になって帰って行った。
 
「どうせならこれから行ってみます。早い方がいいですからね。」
 
「早いほうはいいが、まずは状況の整理だ。どうするかな・・・。」
 
 オシニスさんはしばらく考えていたが・・・・
 
「よし、まずはドゥルーガー会長に話を通しておこう。クロービス、一緒に来てくれ。お前に動いてもらうにしても、相手が薬屋となったら医師会との関係も考えなければならないからな。それなりに良好な関係を保っているなら、迂闊に突っ込んだ話をするわけにもいかん。」
 
 私達は医師会の会長室へと向かった。ドゥルーガー会長は部屋で、書類に何か書いているところだった。会長の机の上にも書類が山積みで、オシニスさんの机と似たようなものだ。組織のトップというものは、みんなこんな書類仕事ばかりなのかも知れない。
 
「おや、剣士団長殿に、クロービス殿ではないか。どうなされたのだ?」
 
 オシニスさんがドゥルーガー会長に、先ほどのクリフの両親との話し合いのことを伝え、サラさんから聞いた薬屋の話を尋ねた。
 
「その件か・・・。先ほどハインツもめずらしく怒った顔で来おったが・・・まったく厄介なことだ。薬屋と諍いなど起こしたくはないが、おかしなことを患者の家族に吹き込まれるのは困りものだな・・・。」
 
「会長はこの薬屋をご存じなんですか?」
 
「ふむ、その薬屋の名前には聞き覚えがあるな。おそらく最近開店したばかりだろう。団長殿の部屋にある記録に載っていると思うぞ。」
 
「そんなに最近なんですか?」
 
 オシニスさんが驚いて聞き返した。
 
「うむ・・・。届け出についてはおかしなところはなかったし、扱う薬の内容もごく普通の薬屋と同じ物だ。開店間もない頃にマレックが見に行ったそうなのだが、なんだかあまり売る気がないような店だったと、首をかしげて帰ってきたのだ。妙な店もあるものだと思っていたのだが・・・。」
 
 マレック先生に話を聞きたかったのだが、今日はローランに出かけているということだった。
 
「デンゼル老の様子を見てくると言っておったが、今頃はどやしつけられておるやも知れぬな。」
 
 ドゥルーガー会長はそういって笑ったが、オシニスさんが、私にその薬屋の様子を見に行ってもらうと言うと、とても心配そうな顔をした。
 
「クロービス殿、身分を迂闊に明かすでないぞ。貴公が思っているより、貴公の名は知れ渡っているのだ。薬屋ならばなおのこと良く知っておろう。相手の考えがわからないうちは慎重に話をして、様子を見る程度に留めておいてくれ。くれぐれも無理するでないぞ。」
 
 私はドゥルーガー会長の助言に感謝し、ひとまず剣士団長室でオシニスさんと打ち合わせをしてから行く予定だと伝えた。その薬屋が、もしかしたらシャロンを取り巻く陰謀に関わっているのだろうか。単に新装開店の薬屋の品揃えを見に行く程度のことで済めばいいのだが・・・。

第76章へ続く

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