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「そう言えばさっきザハムさんが言ってたけど、疾風迅雷って・・・団長さんが昔そう呼ばれてたんですか?」
 
 ライラが不思議そうに尋ねた。
 
「ちぇっ、聞いてたのか。」
 
 オシニスさんが照れくさそうな、困ったような顔で頭をかいた。
 
「オシニスさんは迅雷のほうだよ。」
 
「おいクロービス・・・。」
 
「いいじゃありませんか、もう昔の話ですよ。」
 
「ふん、まあな・・・。今頃くしゃみしてるかも知れないな。」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「団長さんが迅雷・・・?それじゃ疾風って言うのは・・・。」
 
「君達の父さんだよ。」
 
「・・・・え・・・?」
 
 ライラもイルサもぽかんとしたまま、私の顔とオシニスさんの顔を交互に見ている。そんな2人の顔を見ていた妻が笑い出した。
 
「2人ともなんて顔をしているの。あなた達のお父さんの素早さは、すごかったのよ。ね、クロービス?」
 
「そうそう。先生はね、君達の父さんからフットワークを教えてもらったんだよ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 2人とも、あとの言葉が出てこないらしく、ぽかんとしたままだ。王国剣士だった頃の話を、ライザーさんは家族に話して聞かせたことなどないはずだ。オシニスさんとコンビを組んでいたというのも、子供達が王国に出て行くときになってそれだけは話してくれたと、それはライラもイルサも同じように言っていた。『現在の団長になるほどの剣士とコンビを組めるだけの腕』が自分達の父親にあったのだと、実際に剣を教わった2人には理解出来ているとしても、まさか王国剣士時代に、そんな二つ名で呼ばれるほどの活躍をしていたとは、まったく知らなかったのだろう。そして私達も、本人が口に出そうとしないのに、その子供達に昔のことをべらべらしゃべるというわけに行かなかった。剣士団の中でも、私が知っている年代の人達は、ライザーさんとオシニスさんの活躍をみんな知っている。でもみんなライザーさんの気持を思いやって、子供達には『いい奴だ』とか、せいぜい『オシニスさんとは仲がよかった』程度の事しか話をしなかったのだと思う。だが、もう昔のことだ。もういいんじゃないか、私はそんな気持になっていた。そう、いつまでも心の傷として抱え込んでいては、いつまでたっても前に進めない。フロリア様のように、オシニスさんのように、そして・・・私のように・・・・。
 
「ライラ、君だって父さんにフットワークを教わったんだろう?それなら、君の父さんがどれほど素早いか、わかってると思うけどな。」
 
「いや、そ、そりゃ・・・そうなんだけど・・・。」
 
 そのあと食事が運ばれてくるまでの間、私はオシニスさんとライザーさんの昔話を子供達に話して聞かせた。もちろん話せることだけだが、オシニスさんは時に渋い顔で、時に笑って、この昔話につきあってくれた。子供達はすっかり驚き、もうずっとぽかんとした顔のままだったが、先に話の出た『やんちゃ坊主』に対してライザーさんが『ナヨナヨしたやさおとこ』と言われた話をしたときには、2人とも腹を抱えて笑っていた。いつの間にか店の中は満員で、セーラさんが食事を運んできてくれたが、すぐにカウンターに戻ってまた次の皿を運んでいく。他に従業員のいないこの店では、この時間帯はいつもこうらしい。なんとなくだが、セーラさんは話に加わりたいんじゃないかという気がした。でも忙しくてそれどころではないから、ちょっと残念そうだ。
 
「お、うまい。これは食堂のメシとはまた違ったうまさがあるな。」
 
「たまには外での食事もいいんじゃないですか?今町の中がどうなっているのかを知ることも、大事なことだと思いますが。」
 
「まったくだ。毎日毎日書類に埋もれて頭を抱えていると、いま食ってるメシが昼なんだか夜なんだかわからなくなってくるからな。食事時くらい、外に出るってのも悪くはないか・・・。頭の切り替えも出来るし、見回りも兼ねられるしな。」
 
 上機嫌で食べるオシニスさんを見て、ライラはうれしかったらしい。さっきの戸惑ったようなぽかんとした顔から、いつもの笑顔になっていた。
 
「でも毎回私服に着替えるってわけにも行かないでしょうね。」
 
「そうなんだよなぁ・・・。今日はお前と一緒だからと思って目立たないように私服にしたが、さすがに仕事中に勝手に服を着替えるわけにもいかないし。ただ、あれを着てると目立つんだよな。」
 
「それじゃマントだけでも今日着てきたものを身につけるとか?そのくらいは問題ないですよね。」
 
「そうだな。出仕の時のマントは正装だから外では目立ち過ぎるし、第一マントとしての機能はいまひとつなんだ。そうするか。」
 
 王国剣士の制服の色は上着が水色でズボンが茶色だが、団長と副団長の制服はそれぞれ少しずつ違う色をしているので、その制服を着て外を歩けばすぐに身分がまわりに知れてしまう。
 
「どんなに目立つ出で立ちで来られても、うちはいつでも歓迎いたしますわよ。」
 
 セーラさんがコーヒーを運んできてくれて、オシニスさんに笑顔を向けた。
 
「俺があの格好でここに来たりしたら、他の客が寄りつかなくなるかも知れないぞ。」
 
「ふふふ、心配ありませんわ。うちの店の食事とコーヒーは、どんなお姿にも負けませんから。」
 
 オシニスさんが笑い出した。
 
「まあ目立つ格好で来るかどうかはともかく、いずれまた寄らせてもらうよ。」
 
「ありがとうございます。これからもごひいきに。」
 
 
 すっかり満腹になって、おいしいコーヒーを飲んで、私達は満足して外に出た。
 
「なんだかピンと来ないなあ・・・。」
 
 ライラはさっきから首をかしげている。イルサも『そうよねぇ。』と相づちを打ちながらやっぱり首をかしげている。
 
「確かに父さんの素早さは並みじゃないし、すごいっていつも思ってるけど・・・うーん・・・。」
 
 ライラもフットワークはライザーさんから教わっていたはずだ。たぶん父親の素早さもフットワークのすばらしさも疑ったことはないだろう。だが、素早さが身上の盗賊達に疾風の名を冠されるほど、その名が知れ渡っていたとは考えてみたこともなかったと思う。うんうん唸りながら首をかしげる2人が、なんだかおかしかった。
 
「ま、オヤジに会ったらいろいろ聞いてみるといいぞ。昔話ってのもボケ防止にはいいそうだから、話してくれるんじゃないか。」
 
「だけど、今まで話してくれたことがないんです。」
 
 ライラが少し寂しげに言った。昔話はともかく、こっちに来てからたくさんの王国剣士達が、自分の父親のことを懐かしそうに話してくれたと以前言っていた。なのに、その当の父親だけが、子供達に何も語ろうとしない。ライラにとってもイルサにとっても、大好きな父親であることに変わりはないというのに、その父のことを他人から聞かされるなんて、きっと悔しいのだと思う。
 
「今まではともかく、これからはわからんじゃないか。ま、言い渋るようなら、俺がお前達に話してやれと言っていたとでも言えばいいさ。それであいつが怒ったら、ここまで殴りに来いとでも言っておいてくれ。」
 
 ライラとイルサが笑い出した。
 
「会えたら言ってみます。でも本当に殴りに来たらどうするんですか?」
 
「当然殴って返すさ。」
 
 オシニスさんも笑い出した。
 
 
 王宮のロビーでライラとイルサと別れた。2人は午後からまた資料探しをするのだという。
 
「明日までに間に合いそうか?」
 
 オシニスさんがライラに尋ねた。
 
「全体的な報告書はほとんど出来ているので大丈夫です。いい資料が揃いそうなので、今後の見通しについて予定していたより具体的に説明が出来ると思います。」
 
「明日何かあるんですか?」
 
「ああ、明日の午前中は会議があるんだ。そこでライラから、試験採掘後の見通しについて、ある程度の計画を提出してもらうことになってるのさ。」
 
「僕としても頭の中にあると言うだけでは説得できないから、とにかく言葉にして、わかりやすく説明できるようにと考えているんだ。未だにナイト輝石と聞いていい顔をしない人達はまだまだいるからね。」
 
「なるほどね。あまり気負いすぎないようにね。」
 
「うん、ありがとう、先生。」
 
 そして私達には、午後からいささか気の重い仕事が待っている。
 
「まっすぐ行きますか?」
 
 あまり気のすすまなそうなオシニスさんの横顔を見かねて、言ってみた。オシニスさんは立ち止まり、しばらく考えていたが・・・
 
「服だけでも着替えないとな・・・。」
 
 ぽつりと言って、剣士団長室へと向きを変えた。妻は、先に行ってるわと、一人診療所へと向かった。オシニスさんが私にだけ何か話たいことがあるかもしれないと、察してくれたのだろう。そして、自分がいない場所で私と誰かが交わした会話は、必ず後で聞かせてくれると、妻は私を信じてくれているのだ。
 
 
 
「・・・しかし、レグスの奴なんだってまた・・・。」
 
 剣士団長室へと戻り、着替えをしながら、オシニスさんが独り言のように呟いた。
 
「クリフのお父さんですか?」
 
「ああ、俺の悪友さ。小さいころから何となくうまが合って、遊びに行くのも悪さをするのもいつも一緒だったから、城下町の剣術指南に放り込まれたときにも一緒だったんだ。ただあいつは、そんなに真剣にやってたわけじゃなかったがな。」
 
「ハインツ先生の言うように、わらにもすがる思いなんでしょうけどね・・・。」
 
「そうだな・・・。息子が剣士団に入った時は、本当に喜んでいたんだ。そしてやっと3年が過ぎて、警備場所も広がったし、そろそろ南大陸まで行けるようになるかって時にクリフが倒れて・・・それからあっという間に悪くなっちまった・・・。南大陸に行けるようになったら、お祝いにどこかでうまいメシでも食う予定だって言ってたんだ。なのに・・・。」
 
 またオシニスさんがため息をついた。ハインツ先生の話を聞いてから、いったい何回のため息をついたかと思うほどだ。
 
「なあクロービス。」
 
「はい。」
 
「クリフの病気にとって、手術ってのは、もうまったく意味がないのか?」
 
「・・・まったくというのはいささか語弊がありますが・・・。」
 
「ではどう言う意味があるんだ?」
 
「多少なりとも余命をのばせるかも知れない、と言う程度ですね。」
 
「多少か・・・。完治までは行かなくても、薬で抑えながら普通の生活が出来るようにまでは・・・ならないもんなのかな・・・。奴は優秀だ。王国剣士としては無理でも、普通の生活さえ出来るようになれば、どんな仕事に就いたって十分やっていけるんだがな・・・。」
 
「確率としては限りなく低いですが、まったくゼロというわけでもないんですよ。ただそれは、99%くらいまで病巣を取り除いて、なおかつ他の内臓に病巣が転移しなければの話です。でもそれにしたって確実に可能だと言い切ることは出来ません。確実性もないのに、そんな期待を持たせるようなことを言うわけにはいかないですね。」
 
 100%、きれいさっぱり病巣を取り除くことができるとしたら、その確実性は飛躍的に高まる。だが、今の外科手術の技術では、なかなかそこまで完全に取り去ることが出来ない。そもそも病巣がすべて肉眼でとらえられるとは限らないのだ。結局は医学の進歩を待つしかないのだが、今病気で苦しんでいる患者たちは、今すぐに助けがほしいのだ。その期待に応えられないことは、医師としてどうしようもなくつらい。
 
「ハインツ先生だって、そんな話はしないだろうしな・・・。」
 
「私もそう思います。もしかしたら、誰かから何か聞いたのかも知れませんね。」
 
「うーん・・・マッサージなんていいかげんなものに頼る気はない、なんて思ってるのかもな・・・。」
 
「オシニスさんだって半信半疑だったでしょう?」
 
「・・・まあな・・・。」
 
 少しだけばつの悪そうな顔で、オシニスさんはうなずいた。
 
「仕方ありませんよ。医師会にマッサージや整体の専門研究機関がないってことは、城下町の人達だってそう言う技術を『医療技術』としてとらえる機会も少ないでしょうしね・・・。」
 
 マッサージも整体も、医師でなければ出来ないというものではない。薬は使うが塗り薬だけだし、劇薬も必要ない。そしてもちろん、体を切ったり縫い合わせたりするわけでもない。だから技術さえ習得すれば、誰だって整体師やマッサージの看板は掲げられる。それがかえって、整体やマッサージを医療技術として認めさせるための足かせになっているのだ。もちろん優秀な術者はいるが、当たり外れも大きいと、以前島に来た観光客が診療所で愚痴っていたのを聞いたことがある。
 
「ま、レグスの話を聞いてみてからだな。それに、ウィローのマッサージでクリフが多少なりともまとまった時間眠れるようになったことは確かなんだろう?」
 
「それは間違いないですよ。もちろん、だからってこれからもう心配しなくていいなどという無責任なことは言えませんが。」
 
「そりゃしょうがないさ。だが、あれだけ穏やかに眠れるようになってるんだから、一定の効果が出ていることは理解してもらうさ。」
 
「そうですね・・・。」
 
 ハインツ先生は、痛みを和らげるための手段として『かなり強い薬』を用いるところを、違う方法で何とかしたい、そう手紙に書いたそうだ。その手段としてマッサージを提案し、薬の投与ほど効き目は大きくないかも知れないが、それでも多少痛みを和らげて、穏やかに最期の時を迎えることは出来るだろう、書いたのはそれだけだと言う。にもかかわらず、危険と大きな痛みを伴い、なおかつお金もかかる手術をもう一度してほしいと言う意図は、いったいどこにあるのか。無責任な噂を吹き込まれて、それで息子が助かると思いこんでいるのだとしたら、その誤解はなんとしても解かねばならない。
 
 オシニスさんは着替えを終えて、いつもの制服と、あの豪華なマントをまとっている。医師会の診療所に行き、待ち合わせをしていた会議室の扉をノックした。中からはハインツ先生の声が聞こえた。クリフの両親はもう来ているのだろうか。
 
「おお、クロービス先生、団長殿、お待ちしていましたよ。」
 
「レグスはまだ来ていないんですね。」
 
「ええ、まだのようですね。まあしばらく待ちましょう。」
 
 私達は椅子に座り、待つことにした。
 
「なんだか緊張してきちゃったわ。」
 
 妻が肩をすくめた。
 
「君が緊張するなんて珍しいな。」
 
「ほんとねぇ、自分でもびっくりよ。」
 
 マッサージ自体について否定的なことを言われる可能性は充分にある。緊張しているのは私も同じだ。そこに扉がノックされた。ハインツ先生が返事をして、扉が開いた。が・・・
 
「おや、どうしたんだ。こんな時間に。」
 
 ハインツ先生が驚いて立ち上がったので私も扉を見た。そこにいたのは・・・。
 
「受付で聞いたらここだと言われたので・・・おお、クロービス先生ではありませんか!ご無沙汰しております!!」
 
 ものすごい大きな声で挨拶をしてくれたのは、城下町に診療所を構えるデイランド医師だった。
 
「そんな大きい声を出さないでくれ。まったくお前は相変わらずだなあ。どうしたんだ?まだ診療の時間だろう?」
 
 ハインツ先生が呆れたように言った。
 
「いや、ちょっと兄さんに相談事があったんだよ。ほら、このあいだのことさ。」
 
「ああ・・・そうか・・・。うーん・・・これから患者の家族がここに来ることになっているんだ。」
 
「ハインツ先生、まずはクリフの病室で、クリフがどんな状態にあるか見てもらった方がいいのではありませんか?」
 
 そう言ったのは妻だ。
 
「そうですねぇ・・・。確かにそれはいいんですが・・・。」
 
「それなら、私がここの扉の前でクリフのご両親を待っています。いらっしゃったらすぐに病室にお連れしますから。」
 
「そうですか。では申し訳ありませんが・・・。」
 
 妻は『外にいるね』と言って部屋を出ていった。デイランド医師の用事がセディンさんの薬の件であることは間違いない。今ここにオシニスさんもいてくれる。ここで話すのが一番いいのだが、一般人に聞かれたりしたら大変なことになる内容だけに、気を利かせてくれた妻に感謝したい気持だった。
 
「こちらの方は・・・。」
 
 不思議そうにオシニスさんを見たデイランド医師に、ハインツ先生が『剣士団長殿だぞ。お前はこの方のお顔も知らんのか。』と言ったとたん、デイランド医師は例によって大きな声で挨拶しようとしたのだが、ハインツ先生があわてて押しとどめた。
 
「もう少し静かにしてくれ!」
 
 
 その後やっと始まったデイランド医師の話は、まずセディンさんの今の容態からだった。フローラがもらっていった薬を飲ませて、どうやら以前より多少よくなってきたらしい。ただ、薬の時間のたびにシャロンを外に出掛けさせるというのは容易ではなく、なかなか毎回というわけには行かないとのことだった。
 
「なるほど・・・。すると、セディンさんのほうはこのまましばらく様子を見るしかないと言うことですね。」
 
「そういうことになります。」
 
 デイランド医師は神妙な顔でうなずいた。それでもよくはなってきているらしい。多少なりとも光明が見えてきたのだろうか。だが、まだ油断は出来ない。何も知らないシャロンが不審に思えば、また振り出しに戻ってしまう可能性もある。
 
「薬のほうについては何かわかったんですか?」
 
 オシニスさんが尋ねた。この話についてはオシニスさんが一番気にしている。
 
「それなんですがね・・・。」
 
 デイランド医師が医師仲間にさりげなく話を聞いてみたところ、数ヶ月前から、薬草の注文数に対して納品が足りないことがあるという医師が何人かいたというのだ。それが麻薬だけならある程度産地も限られてくる。仲買人や輸送を請け負う荷馬車の持ち主が怪しいということになるのだが、それもまた、薬草価格高騰の時と同じように、産地も場所もばらばらに、少しずつ足りないことがある、その程度らしい。
 
「しかし・・・王国中という規模で考えれば、一件ずつは少しでも、まとまればかなりの額が消えていることになります。そのあたりは剣士団で調べていただいた方がいいのではと思うのですが・・・。」
 
「しかし、頼んだ分が入っていなければ、お金の問題が出てくるでしょう。そういった揉め事はないのですか?」
 
「はい、もちろん届いてない品物に金を払えるほど裕福な医師はいませんから、仲買人との間で揉め事はあるようなんです。ところがほとんどの場合仲買人が折れて『その分のお金は要りません』で決着がつくそうなのです。しかし、中には一度ならず二度三度と中身が消えている場合もあって、おかしな話だとみんな首をかしげていましたよ。」
 
「しかしそうなると仲買人は丸損じゃないですか。それで納得するってのが、奇妙といえば奇妙だな・・・。」
 
 オシニスさんが考え込んだ。しかも今の話を聞く限りでは、仲買人はそれほど『うちは間違いない』と抵抗する様子も見せないらしい。
 
「まったくです。それでですね、私が聞いてぴんと来ないようなことでも、専門的に調べてもらえれば何かわかるかもしれないと思いまして、仲間との会話を、出来るだけメモしてきました。」
 
「おお、お前もなかなか気が利くな。」
 
 ハインツ先生が言った、その時
 
「はい、ハインツ先生はあとから来られますので、まずは病室に行きましょうか。」
 
 廊下で妻の声がした。クリフの両親が来たらしい。
 
「・・・いえ、少し用事があって遅れるとのことですから・・・」
 
「はい、はい、ですから、まずはクリフの容態をご覧になってください。」
 
 ややあって何か返事が聞こえて、足音が遠ざかっていった。
 
「ウィローは初めて見る顔だから、警戒されたのかな。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「あとで奥さんに伺いましょう。団長殿、メモのほうの確認をお願いします。」
 
 ハインツ先生が少しだけ首をかしげた。クリフの両親が何を言っていたのかまでは、扉越しではよく聞こえなかったが、あとから医師が来るのだからまずは病室にと言う妻の説明には特におかしいところなどないはずだ。妻の返事からして、ハインツ先生の居場所をしつこく聞かれたとしか思えないのだが、何か文句を言いたいことでもあるんだろうか。
 
(ここではそんな治療の仕方はしていないはずだけどなあ・・・。)
 
 妙に気にかかる。
 
「うん、ここまで丁寧に書いてもらえれば、こちらのほうでも調べやすいです。助かります。」
 
 オシニスさんがデイランド医師に頭を下げた。
 
「いやいやとんでもない。私としても、仲間におかしなことを考えている奴がいないとわかったのがうれしかったですよ。まあ・・・全部調べたわけではないんで、これからも何かわかればまたお知らせに来ます。」
 
「無理はしないでください。町の方を巻き込むのは心苦しいんです。」
 
「ここにはあまり長居しない方がいい。もう行ったらいいんじゃないか?無理はしないようにな。」
 
 ハインツ先生は心配そうだ。
 
「わかってるよ。俺だってまだまだ街の人達に必要とされているんだから、長生きしたいしな。」
 
「先生、セディンさんのこと、よろしくお願いします。」
 
「お任せください。フローラも頑張ってますよ。」
 
 デイランド医師は笑顔で帰って行った。
 
「ここからは俺の仕事です。ハインツ先生もありがとうございました。」
 
 デイランド医師が置いていったメモを懐にしまいながら、オシニスさんがハインツ先生に頭を下げた。
 
「いやいや、元々はクロービス先生が私を信じてこの薬の話をしてくださったことが始まりですよ。さて、こちらの用事も済んだことですし、そろそろ病室に向かいましょう。クリフの両親の様子が妙におかしかった気がするので、気になりますからね。」
 
 やはりハインツ先生も同じことを考えていたようだ。
 
 
 病室では、ちょうどクリフが起きて薬を飲んでいるところだった。両親がベッドの傍らに立ち、心配そうに見ている。
 
「そんなに見られていたら気になるじゃないか。」
 
 クリフが笑った。最初に会ったときの弱々しい声よりも、ずいぶんと聞き取りやすくなった。となると、クリフの体力の低下の何%かは、睡眠不足による疲労の蓄積か・・・。病気自体の影響がどこまで出ているかはなんとも言えないが、うまく行けば、クリフの余命は思っているより伸びるかも知れない。
 
「いいじゃないか。お前が薬を飲みながら笑ってるなんて、何ヶ月ぶりかで見たんだ。」
 
 父親が袖で顔をゴシゴシ擦っている。隣では母親がハンカチで目頭を押さえ、鼻をすすっていた。
 
「お待たせしました。ちょっと来客があったものですから、すみませんでしたね。」
 
 ハインツ先生はいつもと同じ口調でそう言ったが、クリフの父親はなぜか鋭い目でハインツ先生に振り返った。
 
「こっちは時間を作ってきてるんだ。それなのに待たせるってのはどういう了見なんだよ!」
 
 怒鳴ってからオシニスさんに気づき、
 
「オ、オシニスじゃねぇか・・・なんだってお前がここにいるんだよ!?」
 
 なぜか相当驚いているようだ。
 
「お前が来るって聞いたから、久しぶりに顔を見ようかと思って来たのさ。病室で騒ぐなよ。お前何をイライラしてるんだ?」
 
「そうだよ父さん、何を怒ってるんだ?ここは病室なんだよ。」
 
 クリフにたしなめられ、父親は少しだけばつの悪そうな顔になった。
 
「団長、すみません。騒がしくて・・・。」
 
 クリフが頭を下げた。
 
「お前が気にすることじゃないさ。お前の今の仕事は病気と闘うことだ。ずいぶんと顔色がよくなったみたいだし、ウィローのマッサージの効果は出てるみたいだな。」
 
「ウィロー?あ、マッサージをしてくださっている先生は、団長のお知り合いなんですか?」
 
「ああ、古い知り合いさ。あとで教えてやるよ。お前はゆっくり寝ていろ。」
 
「はい。ありがとうございます。」
 
 クリフは律儀に頭を下げて、ベッドに横になった。そこに妻が
 
「クリフ、痛いところはない?」
 
「はい、背中が少し・・・。」
 
「今薬を飲んだばかりだから、軽めにマッサージしてあげるわ。」
 
 ウィローはそう言って、クリフをうつぶせにすると背中のあたりをさすり始めた。ウィローの手元を、クリフの両親が見つめている。
 
「はい、今はここまでにしておきましょう。」
 
「ありがとうございます。さっきより楽になりました。」
 
「そう。それじゃあとは安静にしていて。薬も効いてくるだろうし、眠くなったらちゃんと寝ておくのよ。」
 
「はい。」
 
 クリフは笑顔で答えたのだが・・・・
 
 妻とクリフのやりとりを見ていたクリフの父親が、忌々しそうに舌打ちをしたのを、わたしの耳は聞き逃さなかった。この父親は、やはり『マッサージなどでどうにかなるはずがない』と思っているのだろうか・・・。
 
「ちょっと、何1人でイライラしてんのよ。ハインツ先生、すみません。ここじゃなくてどこか別な場所でお話ししたいんですけど・・・。」
 
 母親のほうが慌てて頭を下げ、夫の後ろ頭をバシッと叩いた。
 
「いてぇじゃねぇか!」
 
「叩かれたくなかったら、もう少しおとなしくしていてよ!まったく・・・オシニスにだって久しぶりに会ったって言うのに、何なのその態度は!」
 
「ふん・・・まあお前ならそう言うんだろうな。」
 
「その話はここでしないで。息子に恥を聞かせるつもり?」
 
 この言葉に、目を閉じていたクリフがこちらを向いた。
 
「まあまあ、お話はこれからお聞きしますから、先ほどの部屋に行きませんか。」
 
 ハインツ先生は取りなすようにそう言って、病室にいた看護婦と医師に次の指示を伝えて病室を出た。どうしたのだろう。クリフの父親は怒っていると言うより、相当イライラしている。オシニスさんも少し驚いたような顔で2人を見ている。どちらもオシニスさんの昔なじみだそうだが、なんだか和やかな再会にはなっていないようだ。
 
 
 
「では、改めてお話をお伺いする前に、今日はこちらの皆さんに同席していただくつもりでいますが、よろしいですか?」
 
 私達は先ほどの会議室に戻り、テーブルを挟んで椅子に座った。
 
「オシニスは知っているが、他の人達はなんなんです?」
 
 クリフの父親は私とウィローを胡散臭そうに眺めている。彼から発せられる『気』を感じ取れば私達が信用されていないのはわかるが、それにしても、なんだか敵意を感じるのはどうしてなんだろう。対する母親のほうは、私達を不思議そうに見ているだけだが、どうやら自分の夫の態度に対して心を痛めているようだ。
 
「先ほどクリフにマッサージを施してくださっていた方が、今回のクリフの治療法で実地指導にあたられます、ウィローさんです。」
 
「医者じゃないのか?」
 
 クリフの父親はあからさまに不快そうな顔で、妻を見た。いや、見たというより、睨んだといったほうが正しいかもしれない。
 
「医師という肩書きはお持ちではありませんが、マッサージの腕で言うなら、医師会の誰にもひけをとらないと思いますよ。私達もこれからこの方にマッサージを教わろうというのですからね。」
 
 クリフの父親がまた忌々しそうに舌打ちをした。彼を包み込んでいるとげとげしい『気』は、やはりシェリンやラエルを包み込んでいたものと同じ種類のものだ。だが、この父親の場合はあれほどひどくはないし、誰かの手で意識的に増幅されたりしているわけでもない。つまりこの父親の態度は、彼自身の意志によるものだと言うことだ。ではなぜ彼はこれほどまでにイライラしているのだろうか。息子が治らない病気だと、もう死を待つ以外にないのだと、この国最高の医療技術を誇るはずの医師会から告げられた絶望感は、察するにあまりある。それを『はいそうですか』と受け入れられなくて、それで苛立っているということなら、理解出来る。だが、その話が出たのはもう数ヶ月も前のことらしい。しかも今日は、もう一度手術をしてくれと医師会に頼みに来たはずなのに、なぜ彼はこれほどまでに態度を硬化させているのか・・・。
 
「で、そっちのあんたは何もんだ?」
 
「ちょっとあんた!何なのその言い方は!」
 
「うるせぇ!今日は息子の話をしに来てるんだ!わけのわからねぇ奴に同席される筋合いはねぇんだよ!」
 
 クリフの母親にたしなめられても、父親のほうは引こうとしない。
 
「落ち着けレグス!」
 
 オシニスさんの怒鳴り声に部屋の空気がビリッと震えた。レグスの父親はびくっと体を震わせて、さすがに顔をこわばらせた。
 
(相変わらず・・・というより、だいぶ威力が上がった気がするなあ・・・。)
 
 オシニスさんの怒鳴り声を聞くと、カインも私も思わず縮み上がったものだ。この勢いで怒鳴られたら、我が息子などひとたまりもないんじゃないだろうか。
 
「まったく・・・酒でもはいってんのか?ここは診療所だ。こんなところで虚勢を張って怒鳴り散らすほど、お前はバカじゃないと思っていたんだがな。」
 
−−−ちっくしょう!なんでこいつがここにいるんだよ!−−−
 
「・・・・・・・・。」
 
 今聞こえたのはこの父親の声か・・・。オシニスさんが同席しているのをあまりよく思っていないのは見ただけでもわかるが、その心の声が私に届くほど、オシニスさんが同席されるのがいやなのか・・・。それも妙な話だ。
 
「とにかくレグスさん、まずは紹介をさせてください。ここにいらっしゃるのは、クロービス先生です。この方はお医者様ですよ。」
 
「医師会の医者なのか?」
 
「いいえ。医師会の方ではありません。この方は麻酔薬の開発をされた方です。今回たまたまこちらに出てこられたので、ぜひお力をお借りしたいと思いまして、同席していただくことにしたんです。」
 
「ま・・・麻酔薬の!?」
 
 ハインツ先生の紹介に、クリフの父親はぎょっとしてわたしを見た。
 
「そうです。」
 
「それならあんたがマッサージしてくれよ。医者ならもっとうまいんだろう?」
 
「マッサージについては、私より妻の方が上です。私が得意とするのはどちらかというと整体のほうなんですよ。」
 
「な・・・なんだよ、こっちの人はあんたの奥さんか・・・。」
 
 クリフの父親はさすがに気まずそうな視線を私に向けた。彼を包む『気』は先ほどより穏やかになってきた。少しは落ち着いてくれただろうか。冷静になってくれれば、こちらとしてももう少し話しやすくなるのだが・・・。
 
 その時、ハインツ先生が咳払いをした。
 
「さて・・・レグスさん、今日はクリフの手術のことでおいでになったと言うことですが、どう言うことなのかお聞かせ願えませんか。」
 
「手紙に書いたはずなんだがな。クリフにもう一度手術をしてくれって。」
 
「それはお伺いしていますが・・・以前も手術については説明をさせていただいてますね。そのことについてはご理解いただけてると思ってましたけど・・・。」
 
 クリフの父親は、ふん、と、忌々しそうに鼻を鳴らした。
 
「ああ、俺だってあの時は納得したさ。医師会の技術をもってしても手の施しようがない。これ以上体を切り刻むようなことをするよりは、せめて出来る限りの治療を施して、苦しまずに最後のときを迎えられるようにってな。」
 
「あの時は、とおっしゃいますと、何かその後事情が変わったとか、そういうことですか?」
 
「事情だと?よく言うぜ。何が医師会の技術だ。うちの息子には出し惜しみしやがって!」
 
 クリフの父親はギロリとハインツ先生を睨んだ。
 
「どういうことです?」
 
 ハインツ先生が怪訝そうにクリフの父親に尋ねた。
 
「最近、死にそうになっていた王国剣士が助かったっていうじゃないか。しかもあっという間によくなって、後は歩けるようになるのを待つばかりだってな。そいつにはずいぶんと手厚い治療が施されたそうだが、うちの息子は死ぬのを待つばかりか。俺の息子には何もしてくれないのか?え?医師会の先生様方は、人によって治療の出し惜しみをするのか!」

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