小説TOPへ 第71章〜第80章のページへ 次ページへ→


第75章 陰謀か、偶然か

 
 一息ついた。そんなに長く話したわけではないが、やはり疲れる。話が少しずつ『あの時のこと』に近づいていくからなおさらかも知れない。
 
「オシニスさん、今日はこのくらいにしておきます。」
 
 返事がない。話を始めたときから、私はずっとオシニスさんのマッサージをしていた。疲れたことの半分はこのマッサージのせいかもしれない。そう思うと少しだけ気が楽になったような気がする。
 
(気のせいなんだろうけどな・・・。)
 
「ん・・・ああ、そうだな・・・。」
 
 少ししてオシニスさんが体を起こした。
 
「すみません、眠っていたんですか?」
 
「いや、寝てはいないさ。寝ちまったからあとでもう一回話せってわけにも行かないだろうしな。お前のマッサージがあんまりうまいもんだから、気分がよくて、すぐに返事をする気にならなかったのさ。」
 
 なんとなく、それが本当の答でないという気がしたが、ここは素直に乗ることにした。
 
「それはよかったです。余計に疲れたなんて言われたらどうしようかと思ってましたよ。」
 
「バカ言うな。お前の患者達が羨ましいよ。こんな気持ちいいマッサージをいつでも受けられるんだからな。」
 
「本当はウィローのほうが上手なんですけどね。」
 
「・・・ウィローの腕は、クリフのために使ってもらうさ。それであいつが少しでも楽になるならな・・・。」
 
「夜眠れるようになったようですから、効果はあったようですよ。」
 
「そうか・・・。」
 
 自分では何もしてやれない、オシニスさんの悔しさが伝わってくる。
 
「お前だって充分うまいよ。城下町でこれだけのマッサージを受けられる医者なんてほとんどないぞ。はぁ・・・いやぁ、気持がよかった。」
 
 オシニスさんはベッドに腰掛けたまま大きく伸びをした。
 
「これなら、どうしようもなくつまらない書類仕事もはかどるってもんだ。」
 
 書類に目を通してサインをしたり、時には自分で命令書を作ったり、剣士団長というのは、実は椅子に座って仕事をすることのほうが多いらしい。聞いているだけで肩が凝りそうな話だ。
 
「で、今の話のあと、お前達はついにサクリフィアの神殿に足を踏み入れることになるってわけか・・・。」
 
「そうなんですが、なかなか一筋縄ではいきませんでしたよ。」
 
「ま、それは仕方ないだろう。巫女姫が神殿まで行っていたころならともかく、100年もの間ガーディアン達が野放しになっていたってことなんだろうからな。」
 
「そうですね。今はどうなっているのかわかりませんが・・・。」
 
「今はそれほどでもないみたいだな。」
 
「わかるんですか?」
 
「ああ、サクリフィアは村という位置づけのまま変わってないが、エルバール王国とは、ほとんど国対国としてのつきあい方をしている。昔はせいぜい交易船の行き来があった程度だが、今ではあちらの村長とフロリア様との間で時折親書も交わされているんだ。もちろんこちらの官僚と向こうの運営会議の議員達との交流もある。あちらの大陸の様子は、ある程度こちらでも把握出来ているぞ。」
 
「今では国王の末裔とか、巫女姫の伝統とかはないんですか?」
 
「特にこだわらないと言うことにはなっているが、やっぱり今の村長は国王の末裔だそうだ。ただ、巫女姫という位置づけはどうなんだろうなあ。」
 
「巫女という存在はあるんですか?」
 
「ああ。いるにはいる。どの程度の力を持っているのかまではわからないがな。出来れば知りたいところなんだが、サクリフィアはあくまでも独立した国のようなものだ。あんまり根掘り葉掘り聞くわけにもいかないらしくて、じいさんが唸っていたことがあったっけな。」
 
「そうですか・・・。レイナック殿としては把握しておきたいところなんでしょうけどね。」
 
「そりゃわが国としては極端な話、サクリフィアのすべてを把握しておきたいところだろう。だがあんまりしつこく聞くと、エルバール王国ではサクリフィアを属国にする気かなんて勘ぐられたりしても困るから、強くは言えないというのが現状さ。」
 
 国対国の付き合いというのは、なかなかに難しそうだ。そういった政治的な駆け引きにも、剣士団長は否応なしに関わっていかなければならない。オシニスさんにとっては、頭の痛い問題ばかりのようだ。
 
 
「なあクロービス。」
 
 たった今までの会話とは明らかに違う、とても遠慮がちなオシニスさんの声・・・。
 
「はい。」
 
「お前達と旅していた間、カインは普通だったか?」
 
「・・・・?普通でしたよ。もっとも、相当イライラしていたようですけどね。原生林ではなかなかクロンファンラにたどり着けなかったし、やっとサクリフィアに着いたと思ったのに錫杖のことを何度もはぐらかされたりしてましたから、無理もないんですけどね。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんが黙り込んだ。
 
「・・・オシニスさん?」
 
「いや、普通だったならいいんだが・・・。」
 
「何か気になることがあるんですね。」
 
「・・・・・・。」
 
 私は思いきって、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
 
「そう言えばオシニスさん、私達が海鳴りの祠を出る前に、カインと話をしてましたよね?」
 
「・・・ああ、そうだな・・・。」
 
 オシニスさんの声が心なしか沈んだような気がした。私の推測は当たっていたらしい。
 
『カインが普通だったかどうか』
 
 あの時話していたことが、カインが平静を失うようなことかも知れないと、オシニスさんは多分ずっと気にしていたのだ・・・
 
「何を話していたのか、教えてもらうことは出来ませんか?」
 
「・・・それもお前が昔話を聞かせてくれるための条件に追加されるのか?」
 
「いいえ、あとから追加するのはずるいですから、そんなことは言いませんよ。ただ、息子が家に帰ってきたときに海鳴りの祠を出るまでのことを話してやったんですが、その時に思い出したんです。だから、何を話していたのかなあと。」
 
「話すのはかまわんが・・・お前が聞いても楽しい話はないぞ。」
 
「カインと話したあとで私と話したじゃないですか。あの時の話だって全然楽しい話じゃありませんでしたからね。そのくらいの覚悟は出来てますよ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんがまた黙りこんだ。あの時、絶対にカインから目を離すなと言われたのに、結局カインを1人で行かせてしまった。そして死なせて・・・いや、殺してしまった・・・私が・・・。
 
「でも無理にとは言いません。今思い出したって言うだけですし。」
 
 聞きたいような、でも聞きたくないような気がする。そして今さら聞いてみたところで、確かに何も出来るわけではない。かえって、『今ならこういう方法もあったかも知れないのに』なんて後悔の念が強くなるだけかも知れない。でもあの時、2人がたくさんの薪を抱えて戻ってきたことで、何を話していたのかを尋ねるきっかけを失ってしまった。本当なら、そのあとオシニスさんと話をしているときに聞きたかったのだけど・・・あの時はあの時で、カインを1人にするなと何度も念を押され、そしてオシニスさんの悲壮なまでの決意を改めて聞いて・・・何も言えなくなってしまった・・・。でも、あの時私はまだそのことをそれほど重大なことだとは考えていなかった。これからまた3人での旅が始まる。その間にきっといくらでも話す機会はあるだろうと、気楽に考えていた部分があったことは、否定出来ない。カインはずっと私と一緒だと思っていたから。ウィローと結婚したとしても、カインとのコンビを解消するなんてことはあり得ないから。あの時の私は、そう信じて疑わなかった・・・。
 
「いや・・・話すさ。もう20年も過ぎたんだ。今話したって今さら何がどうなるってわけでもないしな・・・。」
 
「つまり、20年前なら何かがどうにかなってたかも知れないってことですか?」
 
「そうだな・・・どうにかなっていたかも知れないし、なっていなかったかも知れないし・・・。いや・・・もしかしたら、もうとっくにどうにかなっちまっているのかも知れないがな・・・。」
 
 この人もまた、未だにカインの死を引き摺っているのだ・・・。
 
「では教えてください。聞いてなかったから知りませんですませたくないんです。」
 
「わかったよ・・・。なんだか腹が減ったような気がするが、今何時だ?」
 
 剣士団長室には立派な時計がおかれている。見るともうそろそろお昼になる時間だ。それほど長い話をしたつもりはなかったのだが、流暢にしゃべることが出来るような内容ではないせいか、ずいぶんと時間が経っていたらしい。
 
「もうお昼ですね。腹が減って当たり前ですよ。」
 
「ははは、そうか。お前は?メシはどうするんだ?」
 
「そうですね・・・。特に決めてないんですが、まずはウィローのほうの様子を見て来ようと思ってます。うまく区切りがつくようなら、宿に戻るか、セーラズカフェにでも行こうかなと思って。オシニスさんはここで食べられるんでしょう?」
 
「いつもはな。」
 
「今日は違うんですか?」
 
「予定のない日はメシがここに届くことになってるんだが、今日はお前の話がどうなるかわからないからと思って、ここに人を近づけないようにしたのさ。」
 
「それなら一緒に行きませんか?セーラズカフェにご案内しますよ。行ったことはないんでしょう?」
 
「ないな。外は何度か見回りの時に通ってるんだが、店に入って何か食べるなんて、仕事中だとなかなか出来ないからな。」
 
「それじゃ一息ついてからクリフのところに行ってみませんか?どう言う状況なのかも気になりますしね。」
 
 あんまり頻繁に顔を出すのも気がひけるが、クリフの容態の変化は気になるところだ。妻のマッサージは島の人達には好評で、あなたのおかげで安らかに死ねると、患者達から涙を流して感謝されたこともたびたびあった。その妻の腕は、あれほどまでに弱ってしまったクリフにも通用したのだろうか。昨日は眠れていたようだが、毎日そううまく事が運ぶとは限らない。
 
「セーラズカフェか・・・。」
 
 オシニスさんが独り言のように呟いた。
 
「よし、行ってみるか。ライラの件ではお前に任せきりになっちまったからな。そのマスター夫婦を俺も一度よく見ておいたほうが良さそうだ。」
 
「いきなり鋭い目つきで中を見渡したりはしないでくださいね。あの店のマスターはそう言う視線に敏感ですから。」
 
 もっとも視線の鋭さで言うなら、あのマスターだってオシニスさんにひけをとらない。この二人の身睨み合いの場などに居合わせたくはないものだが、そんなことにはならないだろう。あのマスターは、笑っている限りはそれほどすごみを感じさせることはない。
 
「ははは、お前と話がついてるんだから、俺が目をつり上げてあたりを警戒する必要はないだろう。」
 
「そうですね。行く前にお茶をいれましょうか。実を言うと、長話をして喉が渇いているんですよ。」
 
「ああ、そのあたりにあるものは好きに使ってくれ。」
 
 私は団長室に置かれている紅茶を使ってお茶をいれた。ふわりといい香りが立ちのぼる。
 
「あれ?ここのお茶の葉はこんな香りでしたっけ?」
 
 前に飲んだときは普通のお茶だったような気がするのだが・・・。
 
「ああ、それは今朝方レンディール家から届いたお茶の葉さ。フロリア様のところに、昨日のお詫びとしてお茶菓子と一緒に届けられたものだが、俺にも持って行けとくだされたんだ。」
 
「なるほど、こんなにいい香りがするところを見ると、かなり上質のお茶の葉ですね。」
 
「おそらく採れたのはセルーネさんのところの領地だろう。レンディール家の領地は寒い場所ばかりだからな。お茶の葉は育たないんだ。」
 
「昨日の話はもう発表されたんですか。」
 
「今朝のうちにな。スサーナとシェリンは今日から3日間休暇をとらせた。」
 
「休暇?」
 
「ああ。本当なら、今日からもう仕事に戻ってもらおうかとも思ってたんだがな・・・。あの2人は戦力として充分あてに出来る。特に今は祭りの休暇をとってる連中が多くて警備のローテーションもかなり厳しいんだ。だがフロリア様が、2人とも何事もなかったように振る舞うのにも時間がほしいだろうからって仰せられてな・・・。」
 
 2人の行動が自分に対する恋心から来ていることを知っている身としては、なるほどそう言われると反論はしにくいかもしれない。
 
「スサーナとシェリンの中庭での話を聞いていた奴はたくさんいるからな。それに、お前とイルサが全速力で廊下を走っているところも、何人もの剣士達に目撃されている。それで、昨日じいさんが言ったような内容で本人達には言い含めたわけなんだが・・・常日頃の2人の行動からは、いささか逸脱している。2人とも普段は仲がいいし、何かあればいつだって2人で相談して一番いいと思う行動をとるのに、自分ひとりの考えであそこまで突っ走ったなんておかしいんじゃないかって思う連中もいるだろう。だから、2人とも連日の疲れがたまって冷静な判断が出来なかったのだろう、しばらく休んでのんびりして、また仕事を頑張ってくれと、まあそういうことさ。」
 
「なるほど、でもスサーナのご両親は真実をご存じなんですね。そのことに対するお詫びということですか。」
 
「二人の家族には大体のことは話してある。今朝あたりあの2人が出て来ていれば、みんなに質問攻めにあっていたかも知れないから、フロリア様のご提案は実に的を射ていたってことだな。」
 
「そのわりにうれしくなさそうですね。」
 
「ふん、そんなことくらい俺が気づいてやらなければならなかったはずだからな。」
 
「オシニスさんには無理だと思いますよ。」
 
「・・・いやにはっきり言うじゃないか。」
 
「女性心理は女性のほうがよくわかるんです。男が口を出すのは野暮と言うものですよ。」
 
「ちぇっ、お前も言うようになったもんだ。」
 
「この年になれば多少は大人になりますからね。」
 
「ふん・・・まあ、確かにな・・・。だが、フロリア様にそこまでご心配をおかけしてしまったのはやっぱり俺の思慮不足だ。はぁ・・・ハリーの奴、そろそろ戻ってこないかなあ・・・。あいつはいい加減に見えるが、キャラハンと2人でしゃべっているうちに、けっこういろんな案を思いついてくれるんだよな。」
 
「南地方に行ってるそうですが、西側でしたよね?」
 
「ああ、そうだ。そろそろ戻ってきてもいいんだが、戻ってくればあいつらは休暇に入る。あの2人のことだから、ここに来れば休みなんだから、城壁の外の芝居小屋にでも入ってのんびりしようなんて考えてそうなんだよなあ。」
 
「ハリーさん達らしいですね。2人とも結婚はしたんですか?」
 
 昔、私達が海鳴りの祠を出る前に、カインに早く彼女を作れとせっついていたっけ。そうしてくれないと自分達に女の子がまわってこないとか、そんな話をして笑っていた。
 
「ああ、2人とも結婚した。結婚出来てよかったって大騒ぎだったぞ。今じゃハリーの家は3人、キャラハンの家は2人の子供がいる。確かそろそろ学校を卒業するころだから、進路を決めなくちゃならないとか言ってたなあ。」
 
「へぇ、それは頭の痛いところですね。」
 
 子供が大きくなればみんなその先を考えなければならない。そう言えばシンスはどうしているんだろう。演劇学校の案内書を送ったあと、また親子げんかになっていなければいいのだが・・・。
 
「ま、あいつらのことは顔を合わせてからのお楽しみってことにして、そろそろ行くか。」
 
 オシニスさんはいつの間にか着替えをして、地味なマントを羽織っている。
 
「制服は着ないんですか?」
 
「あの制服を着ていたら、一目で俺だとわかっちまうじゃないか。せっかく勤務時間中に外に出るんだから、仕事中の奴らを脅かしてやるのも悪くないかと思ってな。」
 
 オシニスさんは笑ったが、なんだか不安げに見えた。クリフの部屋を訪ねるのは、きっと気が重いんだろうと思う。昨日も『マッサージ程度でどうにかなるものか・・・』と、半信半疑の様子だった。一度クリフの様子を見てもらって、その目で見て判断してもらうのが一番いい。
 
 
 病棟の廊下は静かだった。クリフの部屋をノックして扉を開けると、ゴード先生がいず、妻がハインツ先生に挨拶をしているところだった。
 
「あら、これからそっちに行こうと思ってたのよ。」
 
「クリフの様子を見せてもらえないかと思ってきたんだよ。ハインツ先生、いかがですか?」
 
 ハインツ先生は微笑んで、
 
「ほら、今日も成果はあったようですよ。」
 
 そう言ってクリフのベッドを目で指し示した。クリフは眠っているようだ。寝顔がとても穏やかだ。
 
「・・・・・?」
 
 中に入ろうとして、振り向いた。誰もいない。妻もハインツ先生も、私にしか挨拶していないのでおかしいと思ったのだ。廊下を見るとオシニスさんがいかにも入りにくそうに立っている。
 
「どうしたんですか?クリフなら眠っていますから、入ったらいかがです?」
 
「誰かいるの?」
 
 背後で妻の声がした。
 
「オシニスさんだよ。クリフの様子を見に来たんだけど、入ってこないんだ。」
 
「おや、剣士団長殿がいらっしゃったのですか。それはぜひ入っていただかなくては。」
 
 ハインツ先生は廊下に出て行き、『さあさあ、どうぞお入りください』と言いながら、オシニスさんの背中を押すようにして中に入れた。
 
「ははは・・・ここまで来たらなんだか入りにくくなっちまった・・・。」
 
 押されるように中に入り、誰にともなくそう言ったオシニスさんの顔はさっきよりももっと不安で一杯だ。
 
「クリフはだいぶ楽になってきたようですよ。まあ、まだそんなに長い時間眠っていられるほど状況が好転したわけではないですが、一定の成果が上がっていると思って間違いないと思います。」
 
 ハインツ先生が説明してくれた。オシニスさんはこわごわとクリフの顔を覗いて、ほっとして微笑んだ。
 
「・・・こんなに気持ちよく眠っている顔を見たのは・・・いつだったかもう思い出せないな・・・。」
 
 オシニスさんの頬を涙が一筋伝った。
 
「今日は朝もそれほど痛まなかったようですよ。このままマッサージを続けて、もう少し痛みが少なくなるようなら、食事も少し増やしてみようかと考えているところです。」
 
 ハインツ先生はうれしそうだ。一時は麻薬の投与まで考えたほど重篤な状態に陥っていた患者が、ここまで回復すれば誰だってうれしい。
 
「・・・苦しみながら無理して長生きすることが、こいつにとっていいことなのかどうか、俺はずっと考えていたんです。でも・・・こんなに穏やかに眠れるようになったなんてな・・・。」
 
 オシニスさんは袖で顔をゴシゴシとぬぐった。痛みに苦しみながら必死で生きようとする部下を、ただ見ていることしか出来ないのがどれほどつらかったかと思うと、胸が痛んだ。
 
「団長殿、すこしお話をしませんか。クロービス先生もこちらへ。」
 
 ぐっすりと眠っているらしいクリフを起こさないように、私達は部屋の隅に置かれているテーブルにみんなで座った。
 
「最初にマッサージのことを話した時、彼ははっきりと言いましたよ。『少しでも長く生きることが出来るなら、僕も頑張りますから』とね・・・。ラエルが頑張っているんだから、自分だけ楽になって死ぬわけにはいかないとも言ってました。」
 
「こいつ・・・そんなことまで・・・。」
 
「正直なところ、そう言う返事が返ってきて私もうれしかったですよ。いくら患者が望んだとしても、使えば命を縮めるとわかっている薬を使うのは、やはり気がひけますからな。」
 
「でも手がかかることは確かじゃないですか。それでもクリフの望みを聞いてくれて、感謝します。」
 
 オシニスさんがハインツ先生に頭を下げた。
 
「礼ならクロービス先生と、実際にマッサージを担当してくださっている奥さんに言ってください。今後医師会でも、本格的にマッサージや整体の技術を取り入れていこうと言うことになりましたが、それもみんな、クロービス先生の整体の腕と、奥さんのマッサージの腕に触発されたようなものです。毎日医師と看護婦達何人かに見学をさせていくことになっていますが、正しい技術を伝えるために、もう少し組織的な動きが必要になってくるでしょうね。」
 
 組織的な動きとはおそらく、医師会として技術習得の場を立ち上げることかもしれない。ドゥルーガー会長が以前、私に医師会で整体の師になってくれと頼んできたことの、具体的な話だろう。
 
「でも、取り入れようと決めたのは医師会ですよ。そんなもの、と無視されてしまう可能性だって全くなかったわけではないでしょうからね。」
 
 誰も彼もがこの件に賛成したとは考えにくい。ましてや医学博士の称号を蹴るような偏屈で変わり者の田舎医者のすることなど、インチキだの怪しい術だのと誹謗中傷される可能性のほうが高かったように思う。ハインツ先生は小さくため息をついた。
 
「おっしゃるとおり、今の医師会はお世辞にも一枚岩とは言い難い。麻酔薬には頼りっぱなしのくせに、あなたのことを平気で悪し様に言う医師がいることも否定はしません。情けない話ですが、医師会の中では、医療技術よりも出世にばかり興味を持つ連中が常に権謀術数を巡らせていますからね。今回のことは、ドゥルーガー会長のご英断です。しかし、あの頭のカタい会長がここまで変わるとは、未だに私は自分の目を疑いっぱなしですよ。」
 
 ハインツ先生が笑った。
 
「ところで団長殿、クロービス先生、午後から少し時間はありませんか?」
 
「俺は大丈夫ですけど、クロービス、お前らはどうだ?」
 
「私も何もありませんよ。私達は旅行者なんですから、せいぜいお祭り見物に行くかどうかくらいのものですよ。」
 
「・・・まあそれもそうか。ハインツ先生、俺達のほうは大丈夫ですが、何かあったんですか?わざわざ俺にまで話があるなんて。」
 
「実は少しご相談がありましてね。午後から、クリフの両親が来ることになってるんですよ。お二人とも、団長殿の幼なじみだそうですね。」
 
「ああ、そうですね・・・。そう言えば最近顔を合わせてないな・・・。ははは、会うなり薄情者、なんて言われそうだ。」
 
「内容は、クリフの容態についてです。このマッサージの効果でもう少し回復するようなら、もう一度手術を受けてみたいという話なんですがね・・・。」
 
「・・・手術?」
 
「ええ、今までは体力がないのでこれ以上の手術は無理だという話になっていたんですがね。マッサージで希望が見えてくるなら、ぜひというわけですよ。」
 
「・・・でももう何度やっても同じことだと、確か前に聞いた気がするんですが、違うんですか?病気と手術のいたちごっこだとか・・・。」
 
 オシニスさんの不安そうな問いに、ハインツ先生はうなずいた。
 
「確かにそうです。そのことはご両親もご存じのはずなので、なぜそんなことを言い出されたのか、今日はもう少し詳しい話を聞かせていただこうと思ってるんですよ。」
 
「その話が出たのはいつなんですか?」
 
「昨日の朝ですよ。一昨日の夜、先生達が帰られたあとクリフの今後の治療についてマッサージの件を伝えるためにメッセンジャーを送ったんですが、次の朝には返事が来ていて、そういう話になっていたんです。」
 
「うーん・・・マッサージというのは、あくまでも希望を繋ぐための一つの手段です・・・。これで病気が治ると言うものではありません。あまり期待が大きすぎると、あとの失望が大きい気がするんですが・・・。」
 
 そもそもマッサージについてだって、クリフの両親がどこまで理解しているかわからない。なのにいきなりそこまで話を進めようとするなんて、一体どう言うことなんだろう。
 
「私も今日これから会って聞く話ですからよくはわかりません。でも、愛する我が子がただ死に逝くのを黙って見ていたい親はいないでしょうから、わらにもすがる思いでいらっしゃるんだとは思うんですがね・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 親として、我が子には元気で長生きしてほしい。誰だってそう思う。それが叶わないという事実を受け入れるだけでも、クリフの両親は大変だったに違いない。
 
「それで、クリフのご両親がここに来たときに、私達にも同席してほしいと、そう言うことですか?」
 
「そうしていただけるとありがたいですね。私としても、なんでいきなりそんな話が出たのかさっぱりなんです。団長殿は古くからのお友達だし、いろいろと話を聞けるかと期待してるんですよ。」
 
「ゴード先生は同席されないんですか?」
 
「ゴードは午後からアスランのリハビリです。やる気を出したと思ったらちょっと張り切りすぎているようですので、順調とは言っても目が離せませんよ。訓練士達もまだ経験が浅いことですしね。」
 
 病気を治す間、例え数日でもベッドに寝たきりだと、なかなか以前と同じように動けるようにはならないものだ。医師会にもそう言う人達のリハビリを行う訓練士はいる。だが、そう言った患者はある程度は自分で動けるし、何かにつかまれば歩くことも出来る人がほとんどだ。アスランのように一度機能を停止した体を再び動かすような、ほぼゼロからのリハビリなど、体験したことのある訓練士は皆無だと、アスランのリハビリが始まる前にハインツ先生が話してくれた。
 
 
 
 病棟を出て、私達はセーラズカフェへ向かおうと王宮のロビーに出た。そこに、図書館のあるほうの廊下から、ライラとイルサが歩いてきた。
 
「あら先生、おばさん!」
 
「団長さんもごいっしょですか。何かあったんですか?」
 
 二人とも私達がオシニスさんと一緒にいることで驚いている。
 
「ははは、別に何もないよ。今日はお前が絶賛しているという店のコーヒーを、俺も飲んでみようかと思ったのさ。」
 
 オシニスさんはいつもの笑顔をライラ達に向けた。
 
「それじゃセーラズカフェに行くんですね。ご案内します!」
 
 ライラがパッと笑顔になった。イルサも笑顔でいるところを見ると、ライラの資料探しは順調のようだ。オシニスさんが自分の一押しの店に足を運ぶと聞いて、ライラはすっかり張り切っている。
 
 
 セーラズカフェに入ると、そろそろ混んで来たところだったが、まだいくつかのテーブルが空いている。
 
「ちょうどよかったわよ。もう少し遅かったら入れなくなるところだったわ。」
 
 笑顔で迎えてくれたセーラさんは、オシニスさんに目を留めておや、と言う顔をした。
 
「あらまあ、今日は渋い男前がご一緒なのね。また新しいお客さんを連れてきてくれたのかしら?」
 
「おいセーラ、お前はこの人の顔を知らんのか?」
 
 マスターがいささか複雑な顔でセーラさんに言った。
 
「知ってたらこんなこと言わないわよ。うちに来てくれたことがあった?」
 
 セーラさんの基準は、あくまでも『店に来たことがある客かどうか』らしい。
 
「いや、初めてだよ。このあたりは警備で歩いたことがあるだけで、入ったことはなかったんだ。」
 
「あら?それじゃ王国剣士さんなの?」
 
 二人のやりとりを聞きながら、ずっと複雑な顔を崩さなかったマスターがため息と共に口を挟んだ。
 
「20年ほど前に有名になった、疾風迅雷の片割れだな。今じゃこの国の防衛を一手に担う、剣士団長殿だ。」
 
「俺の顔を覚えてくれているようなのはうれしいが、ずいぶんと懐かしい呼び名で呼んでくれたもんだな。」
 
「誤解のないように言っておくが、俺はあんたの名前を恐れなきゃならないようなことはしちゃいないぜ。ま、この顔ぶれでここに来たということは、俺達の経歴はとっくに掴んでるんだろうがな。」
 
 娼館の用心棒というのも、言わば裏世界の人間だ。オシニスさん達のいわゆる『二つ名』を知っていたとしてもおかしくはない。そしてオシニスさんの相方のことも当然知っているはずだ。だからずっと複雑な顔をしていたのか・・・。このマスターにとって、どうやらライザーさんのことはとても印象に残っているらしい。
 
『ライラの親父は、俺のことを恨んでいるのかねぇ・・・』
 
 用心棒として、おそらくは非情に徹して仕事をこなしていたのだろうに、それでもなお、強烈に記憶に残るほどに・・・。
 
 その息子が自分達の店に足繁く通っているならなおさらだ。思いもかけず自分の過去と向き合わされることになって、やりきれない気持でいるのかも知れない。
 
「今さらその名前で呼ばれたところで、あんたの経歴を疑ったりしないさ。今日はライラご推薦のうまいメシとコーヒーをあてにしてきたんだが、それは期待していいのかい?」
 
「なるほど、そういうことなら大歓迎だ。失望させないことを約束するぜ。」
 
「そりゃありがたい。」
 
「あらまあ、この間からいろんな方がいらっしゃるわねえ。これからもどうぞごひいきに。」
 
 セーラさんは『剣士団長』と言う言葉にも動じる気配はなく、かえって『新規の客』が増えることを歓迎しているらしい。今日は『いつも最後まで埋まらない』大きなテーブルではなく、少し小ぶりのテーブルに案内された。5人だとちょうどいい大きさだ。
 
「こんな通りの奥にあるのに、けっこう繁盛してるんだな。」
 
 オシニスさんは店の中をぐるっと見渡してそう言った。注文のほうは、ライラがさっさとみんなの分の『おすすめ』を頼んでしまった。『せっかく団長さんを案内してきたんだから、一番おいしいところを食べてもらわなきゃ』ということらしい。コーヒーについては何も言わなくていいのかと聞いたところ『ザハムさんはいつだって一番おいしいコーヒーを淹れてくれるからね』ということだった。ライラはここのマスター夫婦に全幅の信頼を寄せているようだ。
 
「私も最初に来たときはそう思いましたよ。セルーネさんもそんな話をしてましたから、ほとんどの人は同じような印象を持つみたいですね。」
 
「しかし、渋い男前ってのは初めて言われたな。さすがにこの歳になると、小僧っ子と間違われることはないだろうが。」
 
 オシニスさんが自分の頬を手で擦りながら言った言葉に、妻とイルサが笑い出した。
 
「渋いというのは褒め言葉ですもの。いいじゃありませんか。でも、年よりはだいぶ若く思われてるかも知れませんよ。私だって最初に会ったときに驚いたんです。クロービスからはお二人は同い年のコンビだって聞いていたのに、全然そう見えないんだもの。私の聞き違いかと思ったくらいですから。」
 
「私も。父から同い年だって聞いてたんです。でもなんだかすごく若く見えて。」
 
「へぇ、君は父さんから団長さんと父さんが同い年だって聞いてたのか。」
 
「あら、ライラは聞いてなかったの?」
 
「僕が団長さんの事を聞いたときは、2人とも散々怒鳴りあいをした後だったからね。父さんの相方だったってことと、名前だけだよ。だから団長さんに初めてお会いしたときには、まさか父さんと同じ歳だとは思わなかったんだ。」
 
「まったく、みんなしてそう言うんだよな。ライザーの奴が老けて見えるのさ。あいつは最初に会ったときから、妙に落ち着いていやがったからな。まあ・・・確かに、俺は多少若く見えるらしいんだがな・・・。」
 
「ま、やんちゃ坊主ですからね。」
 
「そんなことは覚えてるんだな、お前は。」
 
「先生、なにそれ?」
 
 ライラとイルサはきょとんとしている。
 
「そのうち教えてあげるよ。」
 
「そんな話教えるなよ情けない。」
 
 オシニスさんは渋い顔をして見せたが、目が笑っている。
 
「ご心配なく。教えるときはもう一つの話も一緒に教えますから。」
 
「もう一つ・・・?あ、あれか!?」
 
 オシニスさんは今度は笑い出した。
 
「それはいいな。俺の話ばかり聞かれるんじゃ不公平だ。ライザーの奴にも恥をかいてもらうか。」
 
 オシニスさんはライザーさんの話になるととても楽しそうだ。そんなオシニスさんの姿を見ていたライラが、とても遠慮がちに尋ねた。
 
「団長さんは・・・父と仲がよかったんですよね・・・?」
 
 オシニスさんはくすりと笑って、ライラとイルサを優しい目で見つめた。
 
「ああ、あいつと俺は親友なんだ。例えどんなに遠く離れていても、それだけは変わらんぞ。」
 
 きっぱりと言い切る。
 
「でも・・・それじゃどうして今まで一度も・・・」
 
 ライラが唇を噛み締めて黙り込んだ。イルサも不安げにライラを見ている。
 
「あいつは小さいころからこの街に住んでいたんだ。せっかく久しぶりに出て来たんだから、知り合いに挨拶回りをしたり、祭りの見物に忙しいんじゃないのか?俺なんて、どうせ一番あとでもいいだろうくらいに思ってるのさ。俺がどこにも行かずにいるってわかってるからな。そのうちひょっこり顔を出して、遅いって文句を言うと多分こう言うんだぜ。『君はここにいるんだからいつだっていいじゃないか』とかな。」
 
 ライザーさんの口調をまねてオシニスさんが言った。そのしゃべり方があまりにもライザーさんそっくりだったので、ライラとイルサは2人とも吹き出してしまった。
 
 不安そうだったライラとイルサは、今のオシニスさんの説明でひとまずは納得出来たらしい。あんなに上手に父親の口調をまね出来るほど、剣士団長と父親は本当に仲がよかったのだと思ったのだろう。オシニスさんがどんなに切ない思いで今の話をしていたかなど、私にだけわかっていればいいことだ。

次ページへ→

小説TOPへ 第71章〜第80章のページへ