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 食事を終えて外に出たとき、先ほどの戦士達も一緒に出て来た。そして『あんたらが儲けたら、ぜひ一杯おごってくれよ』そう言って笑いながら行ってしまった。
 
「どうやら駆け出しのトレジャーハンターだと思われたみたいだね。感じは悪くなかったけど。」
 
「王国から来る奴なんてその程度って言われたときには、ちょっとムッとしたけどな。」
 
「悪気はなかったみたいだよ。もしかしたら、そう言う人達は今でもいるのかも知れないしね。」
 
「そうかもな。それじゃ、何かめずらしいものでも拾えたら、さっきの人達にお礼をするか。いろいろ教えてもらったし。」
 
「ははは、それじゃ神殿の裏側まで行かなきゃならないよ。」
 
「神殿の前にも、たまに落ちてるわよ。」
 
 いきなり後ろから声をかけられ、驚いて振り向くと、そこにはメイアラが立っていた。目のあたりが少し赤いところを見ると、泣いていたのだろう。だが今のメイアラは、最初に出会ったときと変わらず、凛とした雰囲気をまとった、まさしく『サクリフィアの巫女姫』だ。
 
「あのレジェンドストーンがですか?」
 
「そう。そもそもあれはそんなにそこいら中に落ちているようなものではないわ。見つけられるのは確かに運がいい証拠なんだけど、それに気を取られている間にモンスターに殺されたりすることもあるらしいから、見つけたことで運を使い果たすのかも知れないわね。」
 
「でもハース聖石は幸運をもたらす石です。この石のせいだなんてことがあるはずがないわ。」
 
 ウィローが思いがけず強い口調で言ったので、メイアラは少し驚いた顔をした。
 
「ところで、こんなところで何をしているんです?私達と会っていたりしたらあなたの立場が悪くなるんじゃないんですか?」
 
「あら気を使ってくれるのかしら。それとも、あなた達がずるしていると思われるのがいやなのかしら。」
 
 メイアラを包む『気』がゆらりと揺れた。なんだか動揺しているみたいだ。
 
「どちらにせよ、お互いにとって益のあることではないでしょう。何か用事があるなら聞きますけど、ここで立ち話をするのもよくないと思いますよ。」
 
 メイアラは少しだけ顔をこわばらせ、また元の表情に戻ったが、さっきより落ち着きがない。妙にそわそわしている。
 
「あなたおとなしそうだけど案外はっきりと言うのねぇ。剣に選ばれし者って言うのは、やっぱり違うのかしら。」
 
 メイアラがしゃべるたびに『気』がゆらゆらと揺れる。そしてメイアラの顔からは、先ほどまでの凛とした巫女姫の表情はすっかり消え、私達の前で何とか威厳を保ち、主導権をとりながら話を聞き出そうとしている、尊大なただの女性の顔になっていた。おそらくこの人がここで私達に声を掛けてきた理由は一つ。多分カフィールのことだろう。
 
「そんなことを言うためにわざわざここに来たんですか?」
 
「そんなんじゃないわよ。」
 
「それじゃなんです?私達もあなたの個人的な事情につきあうほど時間があるわけではないんです。明日に備えて早く休みたいので、そろそろ私達は戻ります。カイン、ウィロー、行こう。」
 
「あ、ああ、そうだな・・・。」
 
 カインは少しだけ意外そうに私を見た。私がここまでメイアラに厳しい態度をとるとは思わなかったらしい。私は構わずリーネの家に向かって歩き始めた。カインとウィローも私の後に続いて歩き出した。
 
「おい、いいのかほっといて。」
 
「あの調子じゃ、素直に本音を言ってくれそうにもないしね。おそらくはカフィールさん達のことを遠回しに聞いたりするつもりなんじゃないかと思うよ。」
 
「そうか・・・それなら話したところで意味がないしな。」
 
「でも神殿に行く前にもう少し話をしておいたほうがいいんじゃない?」
 
 ウィローが不安そうに言った。
 
「そう言う情報を教えてくれるならいいけどね。カフィールさん達のことと引き替えとか、そういう話になるのはいやじゃないか。だいたい私達だってカフィールさん達のことをそんなによく知ってるわけじゃないし、多分メイアラさんの望む答は返せないよ。」
 
 情報をエサにされて振り回されるなんてまっぴらだ。そもそも私達は、カフィールから村長以外の人のことなど一言も聞いていない。ましてやずっと昔に別れた恋人の話なんて、相手が例え親しい人だってそう簡単に口に出したりしたくないと思う。
 
「そうね・・・。」
 
 私達はそのままリーネの家に戻った。もしかしたら今日の夜メイアラが訪ねてくるかもしれない。リーネも一緒なら、メイアラも少しは素直になってくれると思うのだが・・・。
 
 
「あらお帰りなさい。お買い物は終わったの?お昼は?」
 
 リーネは笑顔で迎えてくれ、まだ陽の高いうちに戻った私達を少し不思議そうに見ながら尋ねた。私達は宿酒場で食べてきたことを伝え、明日の出発に備えて荷物の整理をしたいので早めに戻ったのだと説明した。
 
「あらそうだったの。それじゃガーディアンのことは何か聞けた?」
 
「うん、それがね・・・。」
 
 かなり腕の立ちそうな戦士が、薄気味悪いと言っていた話をすると、リーネは少し顔を曇らせた。
 
「そう・・・。おかしな話ね。普通は手強いとか、まあちょっと変わってる、なんて表現はしそうな気がするけど・・・。」
 
「まあ、得体が知れないってことだろうから、何が出て来てもいいように覚悟をしておくよ。」
 
 カインの言葉にリーネが少しほっとしたように微笑んだ。
 
「夕食まではまだあるから、ゆっくりしていてね。」
 
 リーネが部屋を出て行ったあと、3人で荷物をわけ、程なくして明日の準備は調った。あとはゆっくりと眠って、万全の体制で神殿に向かえばいい。
 
「もう一度地図を確認しておこう。」
 
 カインの提案で、地図を開いて場所の確認をすることにした。エルバール大陸側から見たあの水路の分岐点は覚えている。絵も描いておいたし、みんなでしっかりと辺りの景色を覚えたつもりだ。だが、今回は逆から向かうことになる。うっかり行き過ぎたり、逆に向こうから来るときは気にならなかった場所に万一小さな横道があった場合、間違えて進入したりして無駄な時間を過ごさないように、私達は入念に記憶を辿り、絵も確認しながら、どこからどう向かえばいいのかを何度も確認し合った。
 
「いよいよ明日か。道は何とかなるとしても、気になるのはガーディアンだな・・・。」
 
「薄気味悪いって言うのが気になるわね・・・。モンスターの表現でそんな言い方するのって、カナでエルドが魔界生物だって騒いでたときくらいよ。でもこの大陸でそんなモンスターはいないはずだし・・・。」
 
「そうだな・・・。カフィールさんが言ってたみたいに機械仕掛けのガチャガチャした奴ばっかりってわけでもなさそうだな。だいたい、そんなのが来たら誰だってすぐに逃げるよな。」
 
「まあそうだろうね。そんなのばかりだったら、ほんの数匹放っておけば事足りると思うよ。でもそう言うわけでもないってことだね。機械仕掛けって言うのも、カフィールさんの話だけだし、本当のところは、案外村長達もわからないんじゃないかなあ。それとも何かもっと隠していることがあるのか・・・。」
 
「・・・お前、なんかこの村に来てからえらく洞察力が上がったような気がするなあ・・・。」
 
「どうなのかなあ・・・。なんとなく私もまわりの感情に敏感になった気はするんだけどね。」
 
「その調子でガーディアンの気配なんかもわかればいいんだけどな。」
 
 カインが少し笑った。明日の神殿行きを控えて、カインに冗談を言う余裕があるというのはうれしい。
 
「私はやっぱりメイアラさんのことが気になるなあ・・・。」
 
 ウィローがため息をついた。
 
「でも俺達が気にしてもなあ・・・。」
 
 カインは困ったように首をかしげた。私だって気にならないわけではないが、果たして彼らのプライベートに首を突っ込むべきかどうか、なんとも判断のしようがない。
 
「そうなんだけど・・・あんな話聞かされちゃうとねぇ。気にしながら明日出掛けるのもいやだし、ここに来てくれたらもう少し落ち着いて話が出来るのにね。」
 
「そうだよな。さっきみたいに無理に取り繕ったふうじゃなくて、最初に会った時みたいに落ち着いていてくれたらいいんだが・・・。」
 
 カインもさっきのメイアラの状態に気づいていたらしい。
 
「でもまあ・・・来たとしても、多分俺達の旅の助けになるようなことは教えてくれないだろうな。」
 
「そんなことをしたら、さっきのグィドーさん達にずるしたなんて言われるよ。」
 
「そうだな・・・。ずるしたどころか、巫女姫をたぶらかす不届き者にされそうだよ。相当お前の剣を嫌っているみたいだからな。」
 
「多分、この剣の持ち主って言うのは、サクリフィアって言う国か、もしくはその国に住む人達とは敵対関係にあるってことだね。」
 
 武器屋の主人は『復讐』と言っていた。この剣を持つ誰かが、遠い昔にこの国に何らかの危害を加えられたと、そう言うことなんだろうか。でも剣自体は千年もの長い間忘れ去られていたというのに、サクリフィアの人々はそのことを忘れてはいないらしい。いったいどんな出来事があったんだろう・・・。
 
「そうなんだろうな・・・。でも変な話だよな。剣が意思を持って人を選び出すなんてまるで魔法の産物じゃないか。ものすごい魔法が使われていたと言われている古代のサクリフィアの人達なら、うまく制御出来そうな気がするんだけどな。」
 
「でもあの神話の作者の家から見つかったメモを見ると、この剣はサクリフィアの前にあった国で作られたみたいな話じゃない?」
 
「あ、そうか・・・。海鳴りの祠の管理人が言ってた、サクリフィア以前にあったと思われる国ってことなのかな。」
 
「何か文書としてあるものを手に入れられれば、あの管理人さんへの手土産になるのにね。」
 
「どうだろうなあ・・・。その国の話を出したときの、カフィールさん達の顔、見ただろ?」
 
 クラトもカフィールも、いきなり黙り込んだっけ・・・。
 
「多分この剣にまつわる核心部分なんだろうね。」
 
「俺もそう思う。確かにあの管理人はそれを言いふらしたりする気はなさそうだけど、調査のためくらいの理由で持ち出せるものは、ないんじゃないかなあ。村長達が許可するとは思えないよ。」
 
 エルバール王国で歴史の研究をしている学者達とはかなり違う方向を向いているように見えるあの管理人でさえ、こんな剣のことなんて何も言っていなかった。サクリフィアの興るずっと昔に作られて、千年もの長い間表舞台から姿を隠していた剣・・・。その中に秘められた力は、果たしてどんなものなのだろう。クラト達と戦ったときに見たあの恐ろしい光のような、あれがこの剣の力のすべてとは思えない・・・。
 
「あのぉ・・・」
 
 リーネが何となく遠慮がちに顔を出した。
 
「メイアラ姉様が来ているんだけど・・・あなた達と話がしたいって・・・」
 
「予想通りか。どうする?」
 
「ここにいるのに会わない理由はないんじゃないかな。別にケンカしたわけじゃないしね。」
 
 もう荷物の整理は終わっている。私達は地図を荷物にしまい、部屋をでた。
 
 
 ソファにはメイアラが座っていて、ランスおじいさんと何か話しているところだった。
 
「メイアラ姉様、連れてきたわよ!」
 
「ふぉっふぉっふぉっ。リーネ、そんな呼び方をすると、グィドーあたりが青筋立てて騒ぎ出すかもしれんぞ。」
 
 なんだかランスおじいさんは楽しそうだ。リーネをからかっているようにも見える。
 
「あら、グィドーじいさん達がいるときは、私黙ってるわよ。今ここにはいないんだから、いつもと同じでいいじゃない。」
 
 リーネが大きな声で笑い出した。
 
「はぁ・・・まったく、つまらないことにばかり文句を言うのよ、あのじいさん達は。」
 
 メイアラが大きな溜息をついて、ソファの背もたれに寄りかかった。
 
「ま、グィドー達は原理主義なところがあるからな。一時は昔のように村の出入りを掟で制限しろなどと騒いでおったこともあったほどだ。あやつももう少し柔軟になれば、村長になれたかもしれんのにのぉ。」
 
 ランスおじいさんはそう言って笑った。つまり、リーネはカフィールと同じようにメイアラのことも「姉様」と親しく呼んでいるが、巫女姫になった途端、気安く呼んではならんとでも言われたと言うことか。だから今朝、あの老人達のいる前では黙っていたらしい。対するメイアラが冴えない表情でいるところを見ると、ここに来る前、そのグィドー老人達に何か言われてきたのかも知れない。
 
(もしかしたら、さっき宿屋の前でしゃべっていたところを見られたのかな・・・。)
 
「あんな人が村長だったら、今頃カフィール姉様だって巫女姫にさせられてがんじがらめになっていたでしょうよ。」
 
「まあそうだろうなあ。おっとおしゃべりが過ぎたわい。メイアラよ。お前さんはこの客人方に用事があってきたのだろう。今度はちゃんと、素直に話したほうがいいぞ。」
 
 メイアラはばつの悪そうな顔をランスおじいさんに向けて、小さくため息をついた。
 
「ここまで来たんだからそのつもりよ。あなた達、さっきは悪かったわ。座ってくれない?」
 
 私達はソファに座ったが、何をしゃべっていいものか見当もつかない。落ち着かない思いで黙ったままでいると、リーネがメイアラの肩を叩いた。
 
「ほらほら姉様、黙っていても話が進まないわよ。皆さんが困っているわ。姉様からちゃんと話さなきゃ。」
 
「そ・・・そうね・・・。」
 
 メイアラは小さく深呼吸して、私達に向かって頭を下げた。
 
「さっきはごめんなさい。おかしな話を聞かせてしまったわ。」
 
「い、いや、びっくりしたのはしたけど、まあ別に俺達が困ったってだけだから・・・。」
 
 妙な言い方に、危うく吹き出すところだった。さすがにこの雰囲気の中ではひんしゅくを買ってしまう。
 
「変な言い方だね。」
 
 何とか笑わないよう気をつけながら言った。
 
「だってそうとしか言いようがないじゃないか。」
 
 カインが困ったように頭をかいた。確かに困ったのは困ったのだが、それで何か被害がでたわけでもなし、迷惑と言うほどのことでもないので、そうとしか言いようがないのも確かなのだが・・・。
 
「・・・バカみたいね・・・。何も知らずに1人で自分が一番つらいんだと思いこんでいたの・・・。」
 
「でも私も驚いたわ・・・カフィール姉様とアガレスさんがそんなことになっていたなんて・・・。」
 
 リーネもまた、カフィールと武器屋の主人がずっと恋人同士だと思っていたらしい。
 
「あなたも知らなかったのね。」
 
「私が知っていたら姉様にそれとなく話すぐらいはするわよ。」
 
「そうよね・・・。」
 
「で、姉様はどうするの?」
 
「どうって・・・。」
 
 メイアラは戸惑ったようにリーネに振り向いた。
 
「だって、何も知らないこの方達にまで話を聞かせて、なんとかバルディスさんの本当の気持ちを聞き出そうとしたんでしょ?そしてちゃんと聞けたんだから、姉様だって答を出さなきゃね。」
 
 あの武器屋の主人はバルディスさんと言うらしい。
 
「そうね・・・。」
 
 メイアラは何となく煮え切らない。
 
「ねえメイアラさん、あなたがあの武器屋のご主人から聞きたかった答は、もしかしたら『カフィールさんを追いかける』とか、『カフィールさんをいつまでも待ってる』とかそんな答だったんですか?」
 
 ウィローの指摘に、メイアラはぎょっとしたように顔を上げた。
 
「おどろいたわ・・・。あなたはファルシオンの使い手の恋人のようだけど、あなた自身は彼とは違うわよね。・・・でもその通りよ。私は・・・バルディスが姉様を今でも思っているという答を聞きたかっただけ。本当のことを聞きたいと言うより、自分が彼をあきらめるきっかけを探していただけよ。」
 
『あなたは彼とは違う』
 
 この言葉にウィローがいささか複雑な顔をした。だが、つまりこれは、ウィローが私の剣にまつわる因縁とは関係ないと言うことなんだと思う。少しだけホッとした。この先この剣に絡んでどんな災厄が降りかかるのか見当もつかないが、少なくとも、ウィローをそれに巻き込まずにすませることが出来るかもしれない。
 
「でもあなたはバルディスさんを好きなのでしょう?。そして、バルディスさんもあなたを愛してるって言っていたわ。」
 
「ふふふ、はっきり言うわね。あなたのその若さが羨ましいわ。・・・言ってほしかった言葉なのに、私はあの言葉を素直に聞けなかったの・・・。はあ・・・ほんと、バカみたいよ。だからもう悩むのはやめるわ。」
 
「あら姉様、ついに決心したってわけね。」
 
 会話だけを聞いていると、リーネのほうがよほど大人に見える。
 
「ええ。いつまでも過去に囚われていたのでは、ちっとも前に進めない・・・。だけど、これは私だけの問題ではないわ。」
 
「ほお、すると、お前さんの巫女姫としての立場にも関係してくると、そう言うことかね?」
 
 ずっと黙って聞いていたランスおじいさんが言った。
 
「そうよ。」
 
「ふむ、まあ、わしは反対はせんよ。たとえファルシオンが村に来ずとも、そろそろこの村もあり方を変えていかなければならない時期に来とるのかも知れんしな。」
 
「そうよ。この村も、巫女姫だ王家の末裔だなんてことにいつまでもこだわっていたら、村自体がなくなってしまうわよ。それでなくたって人口は少しずつ減ってきているのに。」
 
「でもずいぶん人はいたみたいだけどなあ。それに店の品揃えもいいし。」
 
 カインが首をかしげた。村の大通りにはたくさんの人がいたし、どの店もそこそこ繁盛していたように思うが、もしかして、実はこの村はもっと人が多かったのだろうか。
 
「そうね。今の村長もそうだけど、ランスじいさんを始めとしたここ何代かの村長達が尽力してくれたおかげで、この村はずいぶんと住みやすい場所になったの。でもね、その一方でグィドーじいさん達みたいな頭のカタい人達もいるわ。伝統を守ることも、サクリフィアの民としての誇りを失わないことも、とても大事なことよ。でも、人は伝統や誇りのために生きていくわけではないわ。人として、胸をはって生きていくための拠りどころとしてして伝統や誇りがあるんだと、私は思ってるの。」
 
「だがなぁ・・・グィドー達のように、若いときに締めつけられた世代は、なかなか考え方の切替は出来んもんじゃぞ?」
 
「それはわかっているわ。ランスじいさんも、それでずいぶん苦労したんだものね。」
 
「ああ。わしゃ元々うるさくいろいろ言われるのが嫌いな方だったからな。この村の中では異端児扱いだったわい。ところが時代の流れというものはまったく予測のつかないもんじゃ。その異端児が、王家の末裔でちょうどいい歳の人間が他にいないと言うだけの理由で、なんと村長になってしもうたんじゃからな。あの時のグィドー達の反発は並みのもんじゃなかったからのぉ。」
 
「ふふふ。カフィール姉様が言っていたのよ。グィドーじいさんじゃなくてよかったって。」
 
「グィドーもな、奴は悪い人間ではない。だがずっと、サクリフィアの民としてどうあるべきかなどと言う古い考えに縛られ、そこから抜け出すことが出来ずにいるのだよ。いや、もしかしたら、そこから出てしまうのが怖いんではないかと、そう思うこともある。」
 
「逃げているだけでは何も始まらないわ。この村を存続させていくためにも、これからの村のあり方をもう一度見つめ直す時期にきていると思うのよ。」
 
「それで、この客人方に賭けてみようと、そういうことか?」
 
「そうよ。」
 
「賭けるって・・・俺達に?」
 
 カインが聞き返し、メイアラが私達のほうに向き直った。
 
「あなた達が、ここに戻ってくると言うことに賭けるのよ。多分、そんなに難しいことじゃないはずよ。」
 
「俺達は絶対に戻ってきます。それは請け合えるけど、それって賭けるほどすごいことじゃ・・・。」
 
「ふん、グィドー達あたりは、お前さん方がサクリフィアの錫杖を持ち逃げするんじゃないかと疑うてるのさ。そうなってくれれば、この村をもう一度厳しい掟で守ろうというあやつらの主張にとって都合がいいからな。」
 
「なるほどねぇ・・・。まあ俺達がまったく信用されていないってことは、すごくよくわかったけどな。」
 
「お前さん方には嫌な思いをさせてしまうが、あやつらにとって、ファルシオンの使い手など疫病神でしかない。そのお仲間も同様だ。すまんがここはこらえてくれんか。」
 
「仕方ないでしょうね。でもそこまで信用されていない私達がサクリフィアの錫杖を持ってきても、果たしてどこまで気持を変えてもらえるかは・・・。ましてやこの村が変わっていけるかどうかまでは責任が持てませんよ。」
 
 あれほどまでに私を忌み嫌っているというのに、いくら村の宝とは言え、ぽんと渡されて『はい信じます』となるわけがない。
 
「それに、いいかげんな偽物を持ってきたなんて思われても困るしなあ。もちろん俺達は本物を手に入れてくるつもりだけど・・・。」
 
「あなた達にお願いしたいのは、サクリフィアの錫杖を持って必ずこの村に戻ってきてほしい、それだけよ。それから先は私と村長の仕事。村の命運まであなた達に背負わせるつもりはないわ。それに・・・自分のことは自分で決着をつけなきゃね。」
 
「つまり、私達がサクリフィアの錫杖を持って戻ってくるということを、きっかけにしたい、こう言うことですか?」
 
 ウィローが尋ねた。メイアラは小さくうなずいた。
 
「ファルシオンの使い手がこの村の宝でもあるサクリフィアの錫杖を取り戻してくれたら、これ以上のお膳立てはないわ。もちろんムシのいい話だと思われても仕方ない。でもね、この村はあまりにも長い間伝統やしきたりや、そんなものにばかり囚われてきたわ。そこから抜け出すためには何かしらきっかけが必要なのよ。それも、ある程度刺激の強いきっかけがね・・・。」
 
「何かを変えるためにはいろいろ大変だって言うのは、私達だってわかるつもりです。それじゃメイアラさん、あなたと武器屋のご主人のことも、私達が帰ってくれば決着をつけるつもりなんですね?」
 
 ずばりと尋ねたウィローに、メイアラは戸惑ったような視線を向けたが、小さなため息と共にうなずいた。
 
「そのつもりよ。」
 
「ねえメイアラ姉様、この方達に賭けるって言うなら、なにか神殿に行くのに有利な情報を教えてあげることは出来ないの?」
 
「有利な情報か・・・。そうねぇ・・・。正直なところ、神殿の状態がわからないから、あんまり大したことは言えないんだけど・・・。」
 
「それに、そんな話を事前に聞いていたなんてことが知れたら、俺達がグィドーさん達に認めてもらえなくなるんじゃないのかな。それでは俺達のほうが絶対に困るんだ。だから・・・」
 
「でもカイン、さっきの話は聞いてみようよ。あの薄気味悪いっていうやつ。」
 
「ああ、そうか。」
 
 私達は、宿酒場で聞いた『薄気味悪いモンスター』について何か知らないかと尋ねてみた。
 
「うーむ・・・もしかしたら、それは木霊のことかも知れんな・・・。」
 
 ランスおじいさんが厳しい顔で言った。
 
「木霊?」
 
「元を辿れば木の精霊じゃ。清らかで美しい心の持ち主で、遠い昔には人々との交流もあったと伝えられるほどじゃから、いい精霊のはずなんだがな。この大陸の中でも、結界の外には鬱蒼とした森が広がっておる。凶悪なモンスターが跋扈する森の中で、木霊のような美しいものが果たしてそのままでいられるものかどうか・・・。」
 
「精霊ですか・・・。」
 
「そうじゃ。木にも花にも、水にも火にも大地にも、そして吹きすぎる風にさえ、精霊はすべてのものに宿っておるが、それらの精霊がすべて人間の味方かどうか、さてそれはわしにもわからぬ。じゃが、その冒険家の言っていた薄気味悪いモンスターが本当に木霊のことだとしたら、これはいささか厄介かも知れん。」
 
「普通に剣では倒せないんですか?」
 
 カインが尋ねた。
 
「そもそも精霊というものは生身の肉体は持たぬ。ただ、自在に姿を変えられるので、必要に応じて生身の肉体があるように見せることも可能だと言う話じゃがな。」
 
「なるほどな、それであの時は・・・。」
 
 言いかけたカインが『しまった』と言った顔で口をつぐんだ。
 
「ほぉ?お前さん、精霊を見たことがあるのかね?」
 
 ランスおじいさんは好奇心一杯の表情でカインに尋ねた。
 
「カイン、いいよ。途中まで話したんだから。」
 
「あ、ああ・・・。実は・・・。」
 
 私達は南大陸の温泉の地下で火の精霊に遭遇したときのことを話した。ロコのことは伏せておいた。どうしてと聞かれて、納得してもらえなければ話すしかないのだが、ランスおじいさんもメイアラも、そしてリーネも、『なぜ』については追求しようとしなかった。もっとも、カインが今話しながら頭の中で考えていることを、もしかしたら3人とも多少なりとも感じ取ることが出来ているのかも知れない。
 
「ほぉ、しかもそれで力を得たのはお前さん方3人ともか。これは興味深い話だのぉ。」
 
「こいつが剣の使い手ってことなら、まあそんな不思議なことがあってもおかしくないのかも知れないけど、俺もウィローもそんな変わったことには縁がないですからね・・・。しかも、俺は呪文一つ使えないってのに・・・。」
 
「そのわりに、その力が嫌だというわけではなさそうじゃな。」
 
「おかしいとは思いましたよ。だけど、その力を得ることで今までよりモンスターに立ち向かえるとしたら、それだけ早く大地に平和をもたらすことが出来るかも知れないじゃないですか。そう思ったら、俺はいやだなんて言いません。」
 
『フロリア様を元に戻せるなら』
 
 カインは言外にそう言いたいようだった。強いモンスターに立ち向かえるだけの腕を身につければ、フロリア様を元に戻すための何かがどこにあろうとも迷わず出掛けていくことが出来る。カインの『強くなりたい』という思いは、すべてフロリア様に繋がっているのだ。
 
「なるほどのぉ。そしてそちらのお嬢さんは、蘇生の呪文か・・・。この村でも唱えられる者はそう多くはない。どうじゃね、お前さん、独身の間だけでもこの村の巫女にならんか?」
 
「え?」
 
「ランスじいさん、何言い出すのよまったくもう。」
 
 メイアラが呆れたように言った。
 
「いいじゃないか。どうせそのうち結婚するんじゃろうから、その間ほんのちょこっといてもらえばいいんじゃ。どうせならメイアラと2人でとか。」
 
 ランスおじいさんは笑っている。こうして見ていると、少なくともここにいる3人は、巫女姫という立場をそれほど重々しくとらえているわけではなさそうだ。こんな冗談が出るくらいなのだから。
 
「まったく悪い冗談ね。でも、その木霊らしいモンスターの話以外で、あなたたちに話してあげられることって・・・何かあるかしらねぇ。」
 
 メイアラが考え込んだ。
 
「ねえカイン、クロービス、あなた達も私も、サクリフィアの錫杖がどういう形をしているかわからないわよね。それがわかるようなものを見せてもらうっていうのはどう?確か村の文献に載っているって言う話だったわよね?」
 
 ウィローが言った。
 
「あ、そうか。それなら別にずるでもなんでもないよな。姿形がわからなきゃ、まるっきり見当違いの物を持ち出してしまう可能性だってあるわけだから。」
 
「確かにそうだな。そのくらいなら教えてもらってもいいよね。ウィローよく気がついたなあ。」
 
 カフィールから『小さな杖の形』『荷物におさまる程度』と聞いただけで、サクリフィアの錫杖というものが具体的にどんなものか、私達はまったくわからないのだ。
 
「そうね・・・。そのくらいなら、教えたって問題ないはずだわ。でも・・・」
 
「文献の写しならここにあるぞ。リーネ、持ってきて見せてやりなさい。」
 
 ランスおじいさんがそう言って、リーネは奥へと入っていった。
 
「何でここにあるのよ?」
 
 驚いたのはメイアラのほうだ。
 
「まあ一応ここは元村長の家じゃからな。だいぶ昔だが、写本を作っておいたことがあるんじゃ。だが、別にわしが書いたわけではなく、ちゃんと専門家に頼んで作らせたもんだから、中身は真っ当なもんだぞ。」
 
「助かったわ。村長の家に行けばあるだろうけど、万一グィドーじいさん達に出くわしたりしたら、また何をいわれるかわかったもんじゃないもの。」
 
「まあそうあやつらを毛嫌いせんでくれ。村を思う気持は同じなんだからな。」
 
「それはそうだけど・・・。」
 
 そこにリーネが本を抱えて戻ってきた。
 
「はいこれ。おじいちゃんが描いた絵じゃ芸術的すぎて、何が何だかわからないもんね〜。でもこれはきれいに描かれているわよ。ほら、ここ。」
 
 私達は本の中程のページを開いてみせられた。そこにはかなり精巧な絵で、美しい杖が描かれている。なるほど書かれている寸法からしても、かなり小さそうだ。杖自体の材質は木らしいが、おそらくは熟練の職人の手による精緻な彫刻が施され、杖の頭には大きな宝石がはめ込まれているらしい。
 
「この宝石は水晶よ。強力な破魔の力を秘めていると伝えられているわ。寸法も書かれているから、だいたいどの程度の大きさかはわかるわね?」
 
 私達は杖の寸法やだいたいの特徴をメモした。ウィローはいつも丁寧にメモをとってくれるのでとても助かる。
 
「これだけわかればいいですよ。神殿の情報は、かえって何も聞かないほうがいいのかもな。正確なところは誰も知らないみたいだし。」
 
「そうだね。場所がわかっていて、どうやら手強いガーディアンがいるって言うんだから、それで充分だよ。」
 
 私達3人ならば、どんな危機も乗り越えていける。もちろん、ウィローがモンスターと戦うことに、私は未だに慣れることが出来ないでいるが、それでも、あてに出来ることだけは間違いない。
 
 
 少しだけ笑顔になって、メイアラは帰って行った。その後ろ姿を見送るリーネが『やっと素直になってよかったわ』と、まるでメイアラよりもずっと年上のような口ぶりで呟いた。その後夕食をごちそうになり、私達は早めに部屋に戻ってきた。例によってウィローは、『しばらくは入れなくなるから』とリーネと一緒に風呂に行った。
 
「いよいよ明日か・・・。神殿のある大陸北側には多分半日程度でたどり着けるよな。」
 
「多分ね。運河は結界が張ってあるから体力は使わないし。」
 
「神殿のまわりってのは、元々はサクリフィアの城下町だったんだよな。聖戦で焼き払われたって言ってたけど、今はどうなっているんだろう・・・。」
 
「そう言えばそれは聞かなかったね。」
 
 焼き払われたと言ってもそれも200年も前の話だ。とっくに建物は壊れ、風化してほとんど跡形もなくなっているのだろうか。もっとも100年前までは神殿に巫女姫が詣でていたのだから、まるっきり荒れっぱなしになっているわけではないかも知れない。
 
 私達はリーネとウィローのあとに風呂に入らせてもらい、この日の夜は久しぶりにゆっくりと眠ることが出来る・・・はずだったが・・・。何日か前に満ち足りた月は少しずつ欠けてきて、既に姿を変えていた。それでもまだその輝きは、辺りを照らすには充分な明るさだった。
 
 なぜか・・・今夜は夢を見るような気がした。そしてその予想どおり私はうなされて、夜中にぼんやりと目を覚ますことになった。窓の外を見ると空はまだ暗い。毎晩の不寝番の時の癖ですっかり目が覚めてしまった私は、少し外に出てみることにした。小高い丘の上にあるこの家の裏手は、昼間なら見晴らしのいい場所だが、さすがにこの時間では何も見えない。村の中に視線を移すと、月明かりで村全体が、闇の中で銀色に浮き上がって見えるような気がした。その銀色の景色を背に、前方からこちらに歩いてくる人影が見える。家の中から出てきたのだろうか・・・。
 
「クロービス・・・?」
 
 それはウィローだった。
 
「どうしたの・・・?」
 
「何となく目が覚めて・・・そしたらあなたがいなかったから・・・。」
 
「そうか・・・。ごめん、心配かけて。夢見ちゃって・・・。不寝番の時の癖で目が覚めちゃったから、少し外の空気を吸おうかなと思って・・・。」
 
「そう・・・。またフロリア様の夢を見たのね・・・。」
 
「うん・・・。」
 
 何か言いかけたウィローが小さなくしゃみをした。
 
「寒い?」
 
「うん・・。ローブ持ってこなかったから・・・。」
 
 私は外に出てくる時にマントを羽織ってきていた。それを広げて、ウィローをすっぽりと包み込み、抱き寄せた。
 
「少しは違うかな・・・。」
 
「ありがとう。暖かいわ・・・。」
 
 ウィローが私の背中に腕を回す。
 
「いよいよ明日はここを出るのね・・・。」
 
「うん・・・。でも必ず戻ってこよう。」
 
「もちろんよ。私達の次の旅は、この村の人達の未来を切り開くものになるかも知れないんだもの。」
 
「ここは伝説の地だって言われていたけど、こんなにたくさんの人が暮らしているんだ。私達と何も変わらない・・・。」
 
 商魂たくましい店の人達、かわいいものが大好きな女の子達は賑やかなおしゃべりをしながら店を覗いていたし、メイアラさんやあの武器屋の主人のように、好きな人がいたり、うまく行かなかったり、私達と変わることなど何もない。
 
「だから、この村の人達の暮らしを守るためにも、私達は戻って来なきゃならないんだ。もちろん、サクリフィアの錫杖を持ってね。」
 
「そうよね。カフィールさんから聞いた話みたいに、10年もかかって戻ってきましたってわけには行かないわ。あんまり時間を掛けすぎると、私達が嘘をついたと思われてしまうもの。そんなことになるのだけは避けなきゃね。」
 
「うん・・・。北にある神殿て、どんなところなのかな。」
 
「昔は王宮だったそうだから、きっと美しい建物なんじゃない?エルバール王宮もきれいだったわ。昔はその建物のまわりに、城下町みたいに町が広がっていたのね。」
 
 聖戦でどれほどの人が亡くなったのか・・・。そしてどのくらいの人が今サクリフィアの村のあるこの場所まで逃げ切れたのだろう。
 
「故郷を焼かれて、命からがらここまで逃げてくるなんて、つらかったでしょうね・・・。」
 
 今は帰れないと言うだけで、ウィローにも私にもいずれは帰ることの出来る故郷がある。もちろんカインにも。サクリフィアの人々は、この地に立ってどんな思いで北の大地を見つめていたのだろう・・・。
 
「ねぇ、クロービス。」
 
「ん?」
 
「私ね・・・。あなた達と一緒にここまで来れて、本当によかったと思っているわ。あのままカナの村にいたら、いつまでも私には何も出来なかった。あの時あなた達がカナに来た時から、私の運命の輪が回り始めたのかも知れない・・・。あなたは運命なんて信じてないでしょうけど、私にはそう思えるの。怖い思いは何度もしたけど、つらいと思ったことは一度もないわ。いつだってあなたがそばにいてくれて、いつも私のことを気にかけていてくれた・・・。私ね・・・今とっても幸せよ・・・。」
 
 ウィローはそこまで言うと、微笑んで私を見上げた。ウィローへの愛しさがこみあげてくる。私はウィローをもう一度抱き寄せると、顔を近づけ、ウィローの唇に自分の唇を重ねた。静かな時間が流れていく。しばらくそうしていた後、ウィローは私の耳元に口を寄せ、
 
「大好きよ・・・。」
 
ちいさな声で囁くと、するりとマントからすり抜けて家の中に向って駆けていった。ほんの少しの間唇を重ねただけなのに、抱き合って至福の時を過ごしたような充実感で、私の心は満たされている。
 
(オシニスさんがこんな話聞いたら・・・きっと大笑いするだろうな・・・。)
 
 クロービスらしいなぁ、と、大声で笑うオシニスさんの姿を想像して、思わず笑みがこぼれた。でもこれでいいのかも知れない。無理に関係を進めることより、今一緒にいられるこの時間を大切にしたい。私は改めて空にかかる月を見上げた。この先・・・どんな運命が私を待ち受けているのか、それは解らない。でも・・・たとえどんなことが起ころうと、二度と自分からウィローを離すまいと心に決めた。ウィローが自分から私の元を去ろうとしない限りは・・・。
 
 
 翌朝、目覚めは爽快だった。こんなに気持ちよく目覚めることが出来たのが不思議なほどだ。
 
(昨夜のキスが効いたかな・・・。)
 
 ふとそんなことを考え、頬が熱くなる。浮かれている場合ではない。気を引き締めてかからなければいつ命を落とすかわからないほど危険な場所に、私達はこれから向かうのだ。
 
「村長は起きてるかな。挨拶くらいはしていかないとな。」
 
 まだ陽は昇っていない。外は薄暗く、ぼんやりと青い世界が広がっている。
 
「大丈夫だろう。奴ももういい加減年寄りの部類じゃからな。朝は早いじゃろうて。」
 
 ランスおじいさんが笑った。
 
 
 おじいさんとリーネに世話になった礼を言い、帰ってきたらまた世話になることを約束した。いつも明るいリーネだが、さすがに今日の朝は心配そうな顔をしている。村長の家まで来ると、外に誰かいるのが見えた。
 
「ほお、約束を守る気はあるのだな。」
 
 なんとそれはグィドー老人だった。相変わらずとげとげしい気をまき散らしているが、今は何も言うつもりはない。神殿から結果を持ち帰ることでしか、この老人を納得させることは出来ないと思っている。
 
「これを持っていけ。」
 
 グィドー老人が何かを差し出した。
 
「これは・・・。」
 
「これは干し肉だ。毒など入っておらんぞ。」
 
 かなり意外な展開だが、私達はありがたく受け取ることにした。私達の礼にもグィドー老人は仏頂面を隠そうともしないが、今は特に悪意や憎悪の念は感じられない。
 
「勘違いするでない。おぬしらを認めたわけではないが、わざと野垂れ死にするように仕向けたなどと言われたのでは、わしとしても寝覚めが悪いからな。しっぽを巻いて逃げ帰れる程度の食料ぐらいは持たせてやらなければならんだろう。」
 
 その言葉に、私は必ずサクリフィアの錫杖を持って戻ってくると返した。この人が認めてくれないのは仕方ないと思っているが、理由はどうあれ好意を示してくれていると考えた方が、気分もいいような気がする。
 
「おお?これはまた意外な組合わせだのぉ。グィドー老、どうなさったのだ。」
 
 村長の家の扉が開いて村長が顔を出し、私達を見て驚いた。後ろにメイアラもいる。
 
「どうもこうもない。わしの用事は済んだ。では失礼する。」
 
 グィドー老人は言うだけ言って帰ってしまった。ぽかんとしている村長とメイアラに、私は干し肉をもらったことを伝えた。
 
「へぇ、わざわざ毒は入ってないなんて、信用させるための嘘だったりしてね。」
 
 メイアラは私達の話を聞くと不機嫌になった。昨日村長の家で、自分が巫女姫として信用されていないも同然なことを言われたのが、未だに腹に据えかねているらしい。
 
「そこまではせんだろう。言ったとおりの理由なんだろうと思うぞ。」
 
 まだメイアラはそっぽを向いている。そんなメイアラを『やれやれ』といった風に見ながら、村長は私達に向き直った。
 
「準備はぬかりないかね。」
 
「だいじょうぶです。」
 
 カインが即座に答える。
 
「ふむ、もう長いこと旅をしておられることだし、旅支度には問題ないとしても、これから行く場所は、もしかしたらあんた方が今まで歩いてきた中で、一番厳しい場所となるかも知れん。」
 
「だとしても、俺達は行きます。しっぽを巻いて逃げ帰るわけには行かないんです。」
 
「気持はわかる。だが、無理をして死んでしまったら元も子もない。危ないと思ったら迷わず引くことだ。生きていればもう一度戦略を練り直してから挑戦することが出来る。焦っては行かんぞ。」
 
「お言葉、肝に銘じます。」
 
 ほんの一瞬言葉に詰まったカインの代わりに、私が答えた。カインの心はもう、まだ見ぬ北の神殿に飛んでいる。出掛けたらもう一目散に神殿目指して駆けだしていくつもりでいるんじゃないかという気さえする。ここで私がカインを押さえられなければ、村長の心配が現実になる可能性だってあるのだ。
 
「うむ、慎重に進むのだ。それから、あんた方にはもう一つ言っておくことがある。これから私が言うことをよく聞いてくれ。」
 
「なんでしょう?」
 
 村長の語気がさっきよりも強くなった。
 
「ここから運河を抜けるまでは結界が張ってある。そして神殿に通じる運河の分岐点に入ったところまでなら、結界の影響が及んでいるから安全だ。これから出発すれば、おそらく運河を抜けて分岐点に着いたあたりで暗くなるだろう。だから、多少早く進めても、今日の夜は運河に碇を降ろして休みなさい。何があっても暗くなってから上陸してはならぬ。これはあんた方のためだ。必ず私の言ったとおりにしてくれ。」
 
 強い口調で村長は言った。おそらく神殿のある場所はそれほどまでに危険な場所なのだ。私達は必ず村長の言うことを守りますと約束して、すぐに出発することにした。
 
「船着場まで見送りに行くわ。」
 
「わしも行こう。村の宝をとってきてもらうというのに、見送りもしないのは失礼だからな。」
 
 メイアラと村長が、船着場まで見送りに来てくれた。
 
「待っておるぞ。必ず無事に戻ってきてくれ。絶対に無理をしてはいかんぞ。人の命より重い宝などないのだ。それだけは絶対に忘れんでくれ。」
 
「村長の言う通りよ。あなた達は無事で戻ってこなければならないの。約束よ。」
 
「絶対に戻ってきます。それじゃまた!」
 
 笑顔で手を振り、私達は運河に向けて船出した。100年の昔から誰も足を踏み入れていない、サクリフィア神殿へと向かうために。

第75章へ続く

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