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「あの本てなんだよ?そんなすごいことが書かれていそうな本は図書館にはなかったぞ?」
 
 カインが尋ねた。
 
「ふん、別にすごいことが書かれているってわけじゃないよ。サクリフィアの神話を扱った本なんだが、最近の神話学者とはちょっと違った着眼点から書かれている本があるのさ。」
 
「神話・・・?」
 
 ウィローが顔を上げた。
 
「へぇ、それらしい本には行き当たったのか?」
 
 クラトの声はバカにしているように聞こえる。
 
「神話って言うと・・・おい、あんたの言う本て言うのは、もしかして『サクリフィア神話の研究』って言う本のことか?」
 
 カインの言葉に、クラトはヒューッと口笛を吹いて見せた。
 
「おやめなさいクラト!品のない。あなたは語り部ですよ。言葉遣いにもう少し気を配りなさい。」
 
 カフィールが眉をひそめた。
 
「島の人達は俺のことなんてとっくに知ってるよ。そして今は俺達の語りを聞きに来ている観光客もいないさ。それより、その本をあんた達が見つけたってことは、中身もちゃんと読んだんだろうな。」
 
「あんたらも読んだのか?」
 
 これには驚いた。シャーリーに続き、この2人もあの本を知っていたとは。
 
「読んだと言うより、知っていると言ったほうがいいかな。あの本を書いた奴はなかなかの奴だぜ。サクリフィアのことをよく調べてある。まだ掟の厳しかったサクリフィアまで行って、伝承をいろいろ集めたって話だからな。」
 
「書いた奴?あんた、あの本の作者を知っているのか!?」
 
「知ってるよ。ただし、もう死んじまっているがな。」
 
「そうか・・・。」
 
 カインが肩を落とした。確かにずいぶんと古い本だ。作者が亡くなってしまっていても仕方ない。
 
「あの本自体はずいぶんと古いものだぜ?作者が生きてる方がおかしいさ。だが、作者が住んでいた家ってのはまだ残っているんだ。そこに行ってみれば、何かわかることがあるかも知れないぞ。」
 
「そこまで言うからには、場所くらいは教えてくれるんだろうな。」
 
「そのくらいは教えるさ。あんたらに、俺達を殺す気がないってのがわかったからな。それにその作者の家以外でその本のことがわかりそうな場所って言うと、エルバール王国の文書館くらいのもんだ。そこに入る算段をするよりは、遙かに簡単だと思うがな。」
 
「も、文書館!?」
 
 カインが叫んだ。
 
「文書館って、確かエルバール王国建国の時にサクリフィアから持ち出されたと伝えられる本がたくさん収蔵されているって言う場所のことよね?」
 
「そうだよ。でも文書館になんて入れるわけがないよ。そもそもあの場所に入れるのは、フロリア様と王室が許可した人達だけなんだ。その許可だってめったに出ないって言うし。」
 
「そんなすごい場所に匹敵するような本がある場所っていうのが、その神話の本の作者の家なの?」
 
 ウィローがクラトに向かって尋ねた。
 
「ああそうだ。かなりすごい本がいろいろあるぜ。」
 
「つまりあんたは行ったことがあるみたいだな。」
 
「あるから場所がわかるのさ。その家を管理しているのはサクリフィアの村の連中だからな。」
 
「それじゃ、私達が入っても問題ないのかな。」
 
「鍵はあるから貸してやるよ。まあ返してくれるならの話だがな。」
 
「貸してくれるなら間違いなく返すよ。それより、さっきも言っていたその、私が君達を殺すって、それがどう言うことなのか教えてくれないかな。」
 
 神話の本の作者の家は気になるが、私が人を殺すようなことを言われている方がよほど気になる。しかもその話は、シャーリーが私の元に届けさせたあの手紙の中身に通じるものがあるのだ。私は思いきって、その封筒を取り出し、中を開いてカフィールに見せた。
 
「こんな文章を見たことはない?私も預かっただけだからよくわからないんだけど。」
 
 カフィールがぎょっとして目を見開いた。
 
「こ、これをどちらで手に入れられたのでございますか・・・!?」
 
「おいあんた、やっぱり何も知らないなんて嘘だな!?」
 
 クラトが怒りに満ちた目で私を見ながら立ち上がった。
 
「知らないから聞いてるんだよ。その紙だってわけもわからずに預かったものなんだ。この文の意味を知っていたなら、わざわざ聞いたりするもんか。」
 
「これは・・・サクリフィアに古代より伝わる伝承でございます。ファルシオンを持つ者には決して近づかぬようにと、サクリフィアの者達は代々教えられてきたと言うことでございますから・・・。」
 
「おい、あんたはさっきから何も知らないって言うが、こんな紙を持っている奴と知り合いだって言うなら、そいつから何かしらの話を聞いているはずだろう?」
 
「残念ながら、教えてもらえなかったんだよ。それを渡してくれたのも人づてにだしね。ただ、その紙を前に持っていたのは吟遊詩人で、100年ほど前にサクリフィアの村を出たって言う巫女姫の末裔だって言ってたよ。」
 
「・・・・・・・!?」
 
 2人が顔を見合わせた。100年前にサクリフィアを飛び出した巫女姫のことを、この2人が知らないはずがない。
 
「カフィールさん、さっきあなたはご自分の村のことを『100年前までは確かに国だって』って言ってましたね。同じ話を、その吟遊詩人からも聞いたんです。その人はサクリフィアのことについては知っていることをいろいろ教えてくれたけど、でもさっきあなた達から話を聞いて、食い違っていることもいくつかあったんです。それはもちろん外から見た人の話と、中に住んでいた人の話だから仕方ないかも知れないけどね。ただ、私の剣のことについては、どの程度知っていたかわからないし、私達が何を聞いても教えてくれなかった・・・。そして人を介して私にその紙を届けさせただけだ。だから、本当にその中に書かれている内容について、私は知らないんです。あなた達が知っていることがあるなら、教えてくれませんか?」
 
「・・・その吟遊詩人は、なぜ皆様方にその話をしなかったのでございましょう・・・。」
 
 カフィールの顔はこわばったままだ。シャーリーが私にその話をしなかった理由は、何か重大なことなのだろうか。
 
「多分だけど、俺達の旅についてくるつもりだったみたいだよ。それも俺達がその吟遊詩人に頭を下げる形でね。剣の情報はそのためのエサだったんだろうな。だが、俺達にはその意志はない。だからあんまりしつこく聞くことが出来なかったのさ。教えるから連れて行けなんて言われたって困るからな。」
 
 カインが言った。
 
「そんな理由か・・・。ふん、どんな奴だか知らないが、サクリフィアに入るために他人を利用しようって言う根性が気に入らないな。」
 
 クラトの言うとおりだと思う。変に策を弄されたことで、私達がシャーリーをどこまで信じていいのか、わからなくなったことも確かだ。
 
「そうでございますね・・・。100年前にサクリフィアを飛び出したと言われている巫女姫の末裔ならば、最近のサクリフィアの様子まではご存じないでしょうし、剣のことにしても、果たしてどの程度知っているものか・・・。」
 
「もしかして、シャーリーは俺達にはったりをかけたのかなあ。」
 
「でも剣以外のことで教えてくれた話は、そんなにおかしなことはなかったと思うけどな。」
 
「ファルシオンは、千年もの昔に歴史の表舞台から姿を消した剣でございます。サクリフィアにも『そういうものが存在する』という話は伝わっておりますが、それ以上のこととなるとわたくし達にもよくわからないのでございます。一度ファルシオンに認められた者は、死ぬまでその加護を受けることが出来ます。ですが、そのような素晴らしい剣なればこそ、死ぬ前に自分の子に託したいと考えるのが人の情というものでございましょう。ですが、果たして剣が誰を自分の主人と認めるのかなどわかりません。剣の前では血のつながりなど、何の意味も持たないのでございます。以前の使い手が、どんなに時間をかけて剣を託す者に果たすべき使命を話して聞かせたところで、単に財産として剣を受け継いだだけの者には理解出来ないと伝えられております。ですから、もしも剣に認められた場合、剣の持つ真の力と本当の使命については、自分の力で学ばなければならないと言われているのでございます。」
 
「そうか。たとえばクロービスの親父さんが剣の由来を知っていたとしても、自分が剣に選ばれていなければ使命なんてわからないし、仮に剣に認められて使命を知っていたとしても、クロービスの奴もその剣に認められるかどうかはわからない、だから自分の力で何とかするしかないってことか・・・。」
 
「理屈としてはわかるけど、何の手がかりもなしに全部自分で何とかしろなんて言われたって、死ぬまでに何か1つでもわかるかどうかってところじゃないのかなあ。手がかりは何にもないし、そもそも父さんだってこの剣がこんな剣だったなんて言う話、知っていたとは思えないんだよね・・・。」
 
「その剣は、剣士様のお父上のものだとのことでございますが・・・。受け継ぐときに何かお話などもなかったのでございますか?」
 
「父が亡くなってから、この剣を荷物の中に見つけたんです。だから由来も何もさっぱり。剣の名前だって、ここに彫ってあるから多分ファルシオンなんだろうなって、その程度のことしか知らないんですよ。」
 
「そうでございましたか・・・。」
 
「ねえカフィールさん、剣のことはともかく、100年前、サクリフィアで何があったのか、どうして巫女姫が国を出ることになったのか、そのあたりなら聞かせてもらうことは出来ない?もしかしたらあなた達の話の中に、剣に関する何かしらの手がかりが含まれているかも知れないわ。」
 
 ウィローが尋ねた。確かに、伝承として昔からその話を知っている彼らが気づかなくても、初めてその話を聞く私達が聞けば、また新しい手がかりに気づけるかも知れない。ウィローはその点に期待しているらしい。
 
「それとも・・・それも誰かに話してはいけないことなの?」
 
 カフィールがウィローに向かって微笑んだ。
 
「いいえ。何があったのか、そのことについて誰かに話していけないという決まりはございません。実際、その中の一部分を物語として、時折城下町で興行をしておりますから。」
 
「じゃあ、聞かせてくれるかな。俺達がその巫女の末裔から聞いた話だと、恋人と一緒に村を出たことと、現役の巫女姫がいきなりいなくなったってことで討伐隊が出たこと、えーとそれから・・・。」
 
「結局討伐隊は、2人の首を持ち帰ることが出来なかったことよね。そして、その巫女姫は南大陸の端っこの村に、恋人とは別の男性と現れて、その村で一生を終えた、私達が聞いたのはこんなところだと思うわ。」
 
 カフィールはカインとウィローの話に耳を傾けていたが
 
「そうでございましたか・・・。確かに、巫女姫側の目線で見れば、話せるのはそこまででございましょうね・・・。」
 
「つまり、あんた達は俺達が聞いた話の隙間を埋められるだけの情報を持っているってことだな。」
 
「そういうことになります。では、おかけくださいませ。果物がありますのでお茶でも飲みながら、歌ってお聞かせいたしましょう・・・。」
 
「この歌も久しぶりだな。姉さん、いつものでいいんだよな?」
 
 クラトが姉に向かって尋ねた。
 
「いいえ、今日は全部よ。」
 
「全部・・・?おい姉さん、本気で言ってるのか?」
 
「そうよ。最初から最後まで全部。今日ここにいらっしゃるのは、一般の観光客の方達とは違うわ。この話は、皆様方に全部聞いていただくから、全曲演奏する用意をしていてね。」
 
「演奏?へえ、あんたなんか楽器もやるのか?」
 
 カインがクラトに尋ねた。
 
「ああ、姉さんが歌を歌うときは俺が竪琴を担当するのさ。はぁ・・・まあ姉さんの決めたことだから、俺が文句を言う筋合いじゃないんだけどな・・・。」
 
 私達は椅子に座り直した。お茶が配られ、カフィールは私達の座っているテーブルの前に立った。クラトはぶつぶつと言いながらカフィールの後ろに立ち、竪琴を構えた。クラトの竪琴の音に乗って、カフィールの歌と語りが始まった。
 
「遠い昔の物語・・・。サクリフィアには巫女姫がおり、毎日神に祈りを捧げておりました。そんなある日のこと、1人の娘が生まれました。名をシャスティンと名付けられ、すくすくと成長した娘は強力な力を持っており、やがて新しい巫女姫として選ばれることになりました・・・。」
 
 
 シャスティンの家は代々多くの巫女を輩出している家系でございました。そのせいかシャスティンも幼い頃から力を発揮し始め、聖戦の折に巫女姫を務めておられたシャンティア様の再来を思わせるほどの逸材として大事に育てられました。そして正式に巫女姫として選ばれてからは、神に深く愛されて押しも押されもせぬ巫女姫としての地位を確立したのでございます。
 
 そんなある日、この国に一人の冒険者が迷い込んできました。いいえ、迷い込んできたのではないかも知れません。サクリフィア聖戦後、西の彼方に去った同胞達が建国したエルバール王国では、サクリフィアと言う国がここにあることも、聖戦のことすらも、もはや伝説として語られているだけで、本当に存在していることさえ知らない人々が増えているという話が流れてきておりましたから、その冒険者は伝説が本当かどうか確かめに来たのかも知れません。まだ若い青年で、名をセリムと言いました。サクリフィアの人々は、人の心には敏感でございます。セリムが穏やかで誠実な人柄だと言うことはすぐにわかりました。普段からあまり外の者と深く交流してはいけないことになってはおりましたが・・・国とは名ばかりの小さな集落の中で、それほど楽しみもなく暮らしている人々にとっては、遠い昔の同胞であるエルバールの者が、とてもまぶしく、羨ましく見えたのでございましょう・・・。人々はすぐにセリムと仲良くなり、セリムは友として歓待されました。そしてセリムがサクリフィアに来てから数日後、ちょうど神殿での努めを終え、巫女姫シャスティンが戻ってきたのでございます。もちろん、シャスティンは天蓋付きの輿に乗り、天蓋からは分厚いカーテンが降ろされておりましたから、誰もその中にいるシャスティンの顔を見ることなど出来ません。ところがその日は、この地方にしてはめずらしく風がとても強い日でございました。あまりの風の強さに輿は風に煽られ、輿の担ぎ手がよろめいて転んでしまいました。そのせいで輿はバランスを崩し、なんとシャスティンは輿から落ちてしまったのでございます。このようなことは、前代未聞の出来事でございました。巫女姫に怪我をさせたとあっては、輿の担ぎ手は処罰を免れません。ところが・・・
 
 そのシャスティンが地面に落ちる直前、しっかりとその体を抱き留めた者がおりました。それがセリムでございます。驚いたのは当のシャスティンと、巫女姫付きの侍女達、そして当時の国王陛下でございました。本来ならば、その姿を国民に見られることさえ禁じられている巫女姫が、あろうことか男性に抱き留められてしまったのでございますから・・・。
 
 セリムのおかげでシャスティンは怪我一つなくすみましたが、実はこの時、大変なことが起きていたのでございます。突然輿から落ちてきた美しい娘を抱き留めたセリムが、その娘の美しさに心を奪われしてまったこと、そしてセリムを一目見たシャスティンも、彼の虜となってしまっていたのでございます。セリムは冒険者故に体格もよく、力もありましたが、その体格に似合わぬほどに、美しい顔立ちをしていたと言うことでございます。ですが・・・サクリフィアの者は見た目に惑わされることはありません。強大な力を持つ巫女姫ならばなおのこと。シャスティンは、抱き留められたときにそうとは気づかないうちに彼の心の内を読みとり、その心に引き込まれてしまったのだそうでございます。もしもシャスティンが、もうしばらくの間巫女として研鑽を積んでおりましたならば、自分の心を制御する術も知っていたことでしょう。けれど、そうなる前に、二人は出会ってしまったのでございます・・・。
 
 国中が大騒ぎになりました。巫女姫が若い男に触れられたとは一大事でございます。聖戦を境にすっかり人が少なくなり、活気を失っていたとは言え、サクリフィアの人々は古代から続く自分達の国に誇りを持っておりました。その人々にとって巫女姫とは、神聖にして侵すべからざる存在でございます。当時の国王陛下は怒り、セリムを国外に追放せよと命じました。セリムの人柄をよく知るサクリフィアの人々は戸惑いましたが、国王陛下のご命令ではどうすることも出来ません。
 時の国王陛下は、セリムを一刻も早く国から出そうとしました。誰もがみな、セリムとの別れを惜しみましたが、セリムは自分を歓待してくれた国の人々に迷惑をかけてはいけないと、1人失意のうちにサクリフィアを出てゆきました。
 
 ところが・・・。
 
 彼が国を出た日の夜、巫女姫シャスティンが姿を消しました。この時のシャスティンにとって、巫女姫としての努めよりも何よりも、恋しい男性と離れたくないと、その思いだけで彼女はすべてを捨てて国を飛び出したのでございます。果たして、2人が示し合わせていたのか、シャスティンが1人でセリムを追いかけていったのか、それを知る者は誰もおりません。ですが、時の国王陛下は2人が手に手を取って国を出たと考えました。穏やかで誠実な客人であったセリムは、一転して巫女姫をさらったならず者として追われる身になってしまったのでございます。直ちに追手が放たれました。セリムは神の花嫁たる巫女姫をさらって神を冒涜した罪で、シャスティンは神の花嫁でありながら男と逃げた罪で、どちらにも抹殺命令が出されてしまったのでございます・・・。
 
 
 クラトのかき鳴らす竪琴の音が止んだ。私達は思わず拍手をしていた。
 
「前半はここまででございます。長い物語でございますので、何度か休憩を挟んで後半まで歌わせていただきますわ。少しだけ休憩させていただけますでしょうか。」
 
「もちろん。いやあ・・・すごい迫力だったなあ。シャーリーの歌は繊細な感じがしたけど、カフィールさんの歌は力強い感じだな。」
 
 物語の内容もさることながら、カフィールの歌にみんな引き込まれていた。
 
「でも不思議だわ。当時の国王陛下が、それほど強大な力を持っている巫女姫を簡単に殺そうとするなんて・・・。」
 
 ウィローが首をかしげた。
 
「そうでございますね・・・。シャスティンは巫女姫として、当時のサクリフィアのことだけでなく、聖戦より以前から受け継がれていたはずの国の秘密にまで精通していたということでございました。当時の国王陛下は、その秘密が外に漏れることを嫌って、口封じのために彼女を殺そうとしたと言われておりますが、それだけではございません。そのもう一つの理由については、物語の後半で見えてくることになるのでございます・・・。」
 
 カフィールは意味深に笑って、優雅にお辞儀をした。
 
「口封じって・・・。つまりそんな秘密があるってことなのか、サクリフィアって国には・・・。」
 
「実を申しますと、サクリフィアに住む者でさえ、母国のことについてそう多く知っている者はいないのでございます。特に国の成り立ちなど、サクリフィア黎明期の歴史についてはほとんど一般の国民に知られていることがありません。そこにも何かしらの秘密があるのではないかと思いますし、その後、どういう経緯があってサクリフィアがあれほど長く栄えてきたのか、そして、何故に突然聖戦という形で強引に滅ぼされることになったのか、そう言った様々な秘密を知っていたのは、当時の国王陛下、そしておそらくは巫女姫だけだったのではないかと、わたくしはそう考えております。」
 
「つまり、どうしてもそれが知りたければ、俺達がサクリフィアまでたどり着いて、村長からうまく話を聞き出すしかないってわけか・・・。」
 
「聞き出すも何も、村長があんたらみたいなよそ者に話をしてくれるとは思えないがな。もしかしたら、ファルシオンの使い手が来たってだけで、門を閉ざされることだってあるんじゃないか。」
 
 クラトの言うことももっともなのだ。私の剣は、どうやらサクリフィアの人々には相当忌み嫌われているものらしい。しかも私はその剣の力をすでに引き出しているとカフィールは言う。そんな者がサクリフィアに行ったところで、何一つわかることなんてないのじゃないんだろうか・・・。
 
「クラト、そんな脅かすようなことを言うものではありません。とはいえ・・・確かにその可能性が全くないとは言い切れませんから、もしもどうしてもサクリフィアまで行かれるというのなら、わたくしが紹介状を書いて差し上げます。そうすれば、いくら何でも門前払いとはならないでしょう。」
 
「私達はこの島に寄ったあと、サクリフィアを目指す予定だったんです。ただ、今のカフィールさんの歌やお二人の話を聞く限り、もう少しここで詳しい話を聞かせてもらってからのほうが良さそうだと思うんだけど、カイン、ウィロー、君達はどう思う?」
 
「そうだな・・・。カフィールさんの歌の後半も聞きたいし、俺達がサクリフィアに行く目的は別にお前の剣のことだけではないし、もう少し話を聞くってことには俺も賛成だな。」
 
「私もカフィールさんの歌の続きを聞きたいわ。サクリフィアに向かうにしても、いきなり行ってさあどうしようってわけにはいかないんだから、村のことだけでなく、周辺の状況とかについても、知っていることがあるなら教えてほしいの。ねえカフィールさん、どうかしら?」
 
 カフィールは微笑んでうなずいた。
 
「そうでございますね・・・。わたくしの歌のあと、サクリフィアについてもう少し詳しい話をして差し上げましょう。」
 
「おい、そっちの赤毛のあんた、今気になることを言ったよな?」
 
 クラトがカインに歩み寄り、少し威圧的な言い方で言った。
 
「ん?俺今なんかおかしなことを言ったか?」
 
 カインはぽかんとしている。
 
「あんたらがサクリフィアに行く目的さ。その剣のことだけじゃないって、あんた今そう言ったじゃないか。それなら何が目的だ?なあ姉さん、こいつらの目的をちゃんと聞いてからじゃないと、うっかりしたことは言えないぞ?」
 
「落ち着きなさい、クラト。皆様方が邪な思いをもってここにいらっしゃるわけではないことくらい、あなたにだってわかるでしょうに。」
 
「ああわかるさ!だが、邪だろうがそうじゃなかろうが、サクリフィアにとって都合の悪い話を持っていくというなら話は別だ。おいあんたら、いったいあんたらの本当の目的は何なんだ?俺達はサクリフィアの人間だ。さあ、村に行ったと思ってここでその話をしてみろよ!?」
 
「クラトさん、あなたは故郷が好きなんだね。」
 
「な、なんだよ急に?」
 
「さっきから話を聞いていると、自分の故郷に害が及ばないように、そのことを一番に考えているみたいだなって思ったんだよ。カイン、ここまで話を聞かせてもらったんだし、ちゃんと話をしてみようよ。」
 
 遠く離れていればこそ、故郷への思いはより強くなる。私にはクラトの思いが痛いほどにわかった。カインはしばらく考え込んでいたが・・・
 
「そうだな・・・。はっきり聞いてみるしかないか・・・。」
 
 覚悟を決めたようにうなずいた。
 
「ふん!やっぱり何かあったのか。」
 
「ああ、あったのさ。だが、別にサクリフィアに害をなそうって言うんじゃないよ。俺が知りたかったのは、サクリフィアには魔法が存在するのかってことさ。」
 
「・・・ま、魔法?」
 
「魔法・・・でございますか・・・。それはまたどうして・・・。」
 
 カインは、さっきクラトとの話で出た『サクリフィア神話の研究』という本の中に載っていた『悪魔に魅入られた王の話』について話した。そして、今のエルバール王国の状況がその神話とよく似た話であること、それが実際に起きた話であるとシャーリーが言っていたこと、突然のフロリア様の変貌に、魔法が関わっている可能性があるかも知れないと疑っていることまで・・・。
 
「なるほどな・・・。確かに、俺達を追放すると言う話だって唐突だった。それまでは何一つ咎め立てされたりしたことがないのにな。」
 
「でも、人の心を操って、まったく違う性格にしてしまうような魔法なんて・・・本当にあるのかしら・・・。あなたが時々使う神術のような、自分のまわりにいる人だけにほんのちょっと効果のあるようなものとはわけが違うわ・・・。」
 
「あんた達も魔法があるのかどうかまでははっきりとわからないんだな・・・。」
 
「はい・・・。先ほどクラトが使っていた神術というものは、気の流れの操り方が特殊であるだけで、普通の風水術の呪文と特に変わったところはございません。それに、その効果の及ぶ範囲はせいぜい・・・そうですね、この部屋程度の広さまででございましょう。人の心を豹変させるなどという魔法が本当にあったとしても、そんなに長い間ずっと同じ人物にかけ続けたりしたら、その人の精神がどうにかなってしまうような気がしますわ・・・。」
 
 今カフィールが言っている言葉は本心だ。でも、やはり魔法のことについては本当のことを言っていない気がする。話を聞く限り、クラトの操る『神術』と魔法との間にそれほど高い垣根はなさそうに思える。言い換えれば、神術と彼らが言っているものこそ、比較的容易に使うことの出来る『魔法』ではないのか。
 
「でも、実際にフロリア様は突然変わってしまわれた・・・。魔法にでもかかっているとしか考えようがないんだ!」
 
 カインは悔しげにテーブルを叩いた。
 
「魔法にかかってると思えばそう思えるし、違うと思えばまた違う仮説が出てくるんじゃないのか?」
 
 クラトが言った。
 
「・・・どういうことだ?」
 
「俺達だってフロリア様が突然追放するなんて言ってきた時は驚いたよ。だが、フロリア様が本当に自分の意志でそういうことをしていると言う可能性は、あんた考えなかったのか?」
 
「フロリア様がそんなことをなさるはずがないじゃないか!あんなに・・・あんなにお優しいフロリア様が・・・。」
 
 思わず大声で叫んだカインだが、ハッと気づいて「ごめん・・・。」と小さく言った。これがカインの本音なのだ。カインは今までに出されたフロリア様の非道なご命令を、フロリア様自身の考えで出されたなんてまったく思っていない。いや、思いたくないのだ。だから魔法にかけられているのだという仮説に早々と辿りついてしまって、そこから出ようとしない。だが、ここに来て本当に『魔法』が存在するという可能性が出てきた。いや、きっとサクリフィアに魔法は存在している。もちろん、その中に『人の心を操る』などという魔法があるのかどうかまではわからないが、もはや『そんなものは存在しない』と笑い飛ばすことは出来なくなっていた。
 
「・・・そろそろ休憩も終わりでございます。先ほどの歌の続きを、皆様方に聞いていただきましょうか。クラト、竪琴をよろしくね。」
 
「あ、ああ・・・。おい、取りあえず歌を聞けよ。あんたらの耳が確かなら、もしかしたらこの歌の中に何かしらの手がかりがあるかも知れないぜ。」
 
 意味深な言い方だが、それはこのあとの物語の中に、魔法が出てくると言うことだろうか。カフィールは私達にお茶を淹れ直してくれて、新しいお菓子も用意してくれた。今はとにかく歌を聞こう。カインも姿勢を正している。今のクラトの言葉が気になったのだろう。
 
「さて、シャスティンとセリムを抹殺するために討伐隊が結成されました。国とは言っても規模は小さく、国王陛下を守る軍隊の編成すら出来ないほどでございました。そこで、国の中でも若く体力がある屈強な男性が5人選ばれました。彼らは軍人でも戦士でもありませんでしたが、近隣のモンスターから身を守るために、それぞれが得意とする武器を持っておりました。急拵えの討伐隊は武器を携え、国王陛下の命の元、わずか一日の準備期間であわただしく村を出たのでございます。愛する妻や子供や、年老いた両親を残して・・・。」
 
 セリムとシャスティンに遅れること2日、討伐隊は夜を徹して歩き続け、およそ一ヶ月後、サクリフィア大陸の南の端で彼らを見つけたそうでございます。ですが・・・5人とも、シャスティンに刃を向けることなど出来ませんでした。彼らにとって、シャスティンは今でも敬愛すべき巫女姫、そして彼らも、初めて見たシャスティンの美貌に魅了されてしまっていたのでございます。彼らはシャスティン達を追いながら、幾度か話し合いをしておりました。そして、セリムを殺してシャスティンを連れ帰り、国王陛下に許しを請うのが一番ではないかと言う計画が出来上がっていたのでございます。二人の姿を見つけた時、偶然にも二人はあまり寄り添ってはいなかったということでございます。これ幸いと弓使いがセリムに向かって矢を放ち、それは彼の肩を貫きました。その一撃で倒れたセリムにシャスティンが駆け寄ろうとした時、他の追手達がセリムに飛びかかり、ほぼ無抵抗の彼に何度も斬りつけ・・・血の海の中でセリムは息絶えました。あまりにもうまくことが運び、討伐隊の者達はすっかり安堵しておりました。そしてセリムを抱きかかえて涙にくれるシャスティンが落ち着くのを待って、一緒にサクリフィアに帰るよう説得するつもりでいたのでございます。セリムがいなくなった今、シャスティンには国を出る理由がないだろう、国に帰って国王陛下に許しを請えば、万事うまくいくだろう、討伐隊の者達の心は、すでに国に残してきた家族の元に飛んでおりました。やっと帰れる、愛する家族の顔を再び見ることが出来る・・・と・・・。
 
 その時、シャスティンが顔を上げました。声をかけようとした討伐隊の者達が見たものは・・・憎しみと怒りに燃えたシャスティンの瞳でございました。巫女姫としての面影はどこにも見えず、その憎悪がすべて自分達に向けられていると気づいたとき・・・セリムの血を吸って真っ赤になったドレスを引きずるようにしてシャスティンが立ち上がり、討伐隊に向かって何か叫んだそうでございます。その途端凄まじい爆発音が響き渡り、追手5人のうち、3人までが体をバラバラにされて吹き飛ばされ、息絶えたということでございます。声をあげる暇もないほどに、素早く、そして凄まじい爆発であったと、伝えられております。他の二人も吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて動くことが出来ませんでした。彼らは何が起きたのかさえ、わからなかったということでございます。シャスティンは、なおも討伐隊の生き残り2人を睨みすえながらこう言い放ちました。
 
「この3人と同じ目に遭いたくなければ帰りなさい。そして国王陛下に私の言葉を伝えなさい。私はサクリフィアを許さない。私が心の底から求めたたった一人の人を、こんな形で奪ったあなた達を絶対に許さないと・・・。」
 
 泣き叫ぶより、怒鳴るより、その静かで冷たく澄んだ声は、凄まじい怒りに満ちていたということでございます。その言葉を聞きながら、討伐隊の生き残り達は気を失いました。それほどに凄まじい爆発でございました。そして気がついた時にはシャスティンの姿は消えておりました。テントも荷物もすべてなくなっていたそうでございます。ただひとつだけ変わっていたことは、彼らがいた場所に塚が一つ作られていたこと・・・。おそらくはセリムの墓でございましょう。残された2人は、死んだ3人の仲間の遺体を集められるだけ集め、彼らの墓を作りました。その場所からサクリフィアまで遺体を運ぶには、あまりにも遠くまで来すぎておりました。彼らは出来るだけ、セリムの墓から遠い場所を選んで墓を掘ったそうでございます。セリムの血を浴び、憎しみと怒りで真っ赤になった眼をしたシャスティンの姿・・・。あれほど恐ろしいものを見たのは、後にも先にもこの時一度きりだったということでございますから、さぞかし恐ろしい体験だったことでございましょう・・・。
 
 2人はサクリフィアに戻ろうと考えました。そして亡くなった仲間の家族に、彼らの死を伝えなければならなかったのでございますが・・・国王陛下からの使命は、あの二人を殺すこと。使命を果たせないまま帰ったところで、もう一度シャスティンを追うために討伐隊が編成されることでしょう。そして任務に失敗した自分達は殺されるかも知れない・・・。セリムの首は、塚を掘り返せば手に入ったことでしょう。ですが・・・彼らにはとてもその勇気はありませんでした。セリムの墓に近づく者に災いが降りかかるよう、シャスティンの呪いがかけられているように思えたのでございます。となれば、シャスティンを殺すか連れ帰るかしない限り、国には戻れません。女一人でそう遠くへは行けないだろう、そう思った彼らはシャスティンを追う旅を続けることにしたのでございます・・・。
 
 
「ちょ、ちょっと待った!!」
 
 カインが大声を出したので、歌が遮られた。
 
「なんだよあんた、吟遊詩人の歌の最中にそれを邪魔するなんて、礼儀を知らない奴だな!」
 
 竪琴を鳴らすのをやめて、クラトがムッとして文句を言った。
 
「わかってるよ!だけど、そのシャスティンが使ったって言うのは、それってつまり、その、ま、魔法じゃないのか!?」
 
 カインの声はうわずっている。まさしく『魔法』が物語の中に出てきたのだ。カインが興奮するのも無理はない。
 
「シャスティンは優れた力を持つ巫女姫として、神から様々な力を授かっていたことと思います。そのシャスティンが使う技を魔法と呼ぶのなら、サクリフィアには魔法というものが存在したと言うことでございましょう。」
 
「そうか・・・。魔法は・・・・存在するんだ・・・。」
 
 カインはうれしそうにそう呟いている。その笑顔を見ているうちに、私の心の中にはある不安が広がっていった。
 
「おい、魔法があったからって、さっき話に出てきたのは言うなれば攻撃魔法だぜ?一発で3人をまとめて葬り去れるほどのな。あんたの言うように、人の心を操れるような魔法があるのはどうかってのは、また別問題だと思うがな。」
 
「わかってるよ。カフィールさん、ごめん。続きを歌ってくれよ。」
 
 さっきとはうって変わって、カインの心がとても穏やかなのがわかった。だが、クラトの言うことの方が理にかなっている。人を傷つけるための魔法があるからって、人の心を操る魔法が存在するとは限らない。カインは本当に『わかっている』のだろうか・・・。
 
「では続けましょうか・・・。ここからは、討伐隊の生き残りの話はひとまず置いて、セリムを埋葬したあとの、シャスティンの行方について歌ってみましょう。」
 
「シャスティンの行方って・・・そんなのわかるの?それじゃ彼女は捕まってしまったの?」
 
 ウィローが不安げに尋ねた。
 
「ふふふ・・・お嬢さま、まあ続きをお聞きくださいませ・・・。」
 
 意味深な笑みを見せたカフィールはクラトに竪琴を促すと、また力強い歌声で朗々と歌い出した。
 
「愛する人を突然奪われ、絶望のどん底にあったシャスティンでしたが・・・自分がこのまま進み続ける以外に道がないことだけは、理解しておりました・・・。」
 
 
 テントと寝袋、それに少しの食料だけを持ち、シャスティンはセリムの墓をあとにしました。出来るならば一緒に死にたかった。けれど、もしもセリムの墓の前で自分が死ねば、2人の首はサクリフィアに持ち帰られることだろう。そして晒し者となっていつまでも語り継がれることになる・・・。自分のことはあきらめていたシャスティンでございました。自分が故郷とそこに住む人々、そして愛する家族に対していかに大きな罪を犯したか、それだけは理解しておりました。それでもセリムは守りたい。せめてセリムの体が死後冒涜されることのないように、自分は生き続けなければならない・・・。シャスティンはセリムが殺されたとき、心の底から討伐隊の者達を呪っておりました。本気で、神にまで祈って・・・。その祈りが聞き届けられたのか、シャスティンにはわかりませんでしたが、あの追っ手の生き残り達は、自分の言葉を思い出せばおそらくセリムの墓には手をつけないだろうと確信しておりました。そしてシャスティンは歩き出しました。ただ『生き続ける』ために・・・。
 
 あてもなく歩き続け、やがて日が暮れようとする頃、シャスティンは前方に小さな火を見つけました。こんなところに人家はないはず。恐る恐る近づくとそれは焚き火の火で、そこにいたのは1人の若者でした。鎧を身につけて、使いこまれた剣をすぐそばに置き、戦士のようではありましたが、顔立ちはとても優しく、剣を振るうような猛々しさは感じられませんでした。シャスティンが声をかける前に、若者がシャスティンに気づいたのですが、若者はシャスティンの姿に驚く風もなく、笑顔で声をかけてきました。
 
「ずいぶんとひどい格好だけど、何かあったのかい?」
 
 シャスティンのドレスはセリムの血で真っ赤に染まっておりましたが、時間が経つにつれて、血はどす黒く変色しておりました。
 
「人を・・・殺したの・・・。」
 
 シャスティンはそれだけ言い、そのままバッタリと倒れてしまったと言うことでございます。気がついたとき、シャスティンは暖かな火のそばに寝かされておりました。火の上にはいい匂いのする鍋が湯気を立てており、若者はシャスティンが気づくと、笑顔で食べ物を差し出したのでございます。
 
「腹が減ってると、人間てのはろくなことを考えないもんさ。これを食べてあったまってくれよ。あ、別に変なものは入ってないぜ。俺だってここで腹をこわしたくないからな。」
 
 若者の屈託ない笑顔につられるように、シャスティンは器を受け取り、中のシチューを一口飲みました。温かいシチュー・・・今日の朝も、セリムと2人でこんなシチューを作ていた・・・。野ウサギが捕れたから、これを入れよう、半分はシチューに入れて、半分は燻製にして保存しようか、長旅になりそうだからねと・・・そんなことを話していた。そう、それは今朝のことだったのに・・・。
 
 気づくと、シャスティンの目からは涙が後から後から流れ出ていました。そして自分に屈託ない笑顔を向けてくれる若者に、何もかも話してしまったのでございます・・・。
 
「だから、私は人殺しなの・・・。おそらく追手はまだ私を捜しているでしょう。私と一緒にいたら、あなたまでもが危険にさらされるわ。」
 
 温かなシチューの礼を言って立ち上がったシャスティンに、若者が言いました。どうせ行くところがないのなら、自分の故郷に一緒に行かないかと。シャスティンは驚きました。自分が一緒にいれば、この心優しい若者までも危険にさらすことになる。彼の故郷まで行けばその村ごと消えてなくなるかも知れない。シャスティンは知っていたのでございましょう。時の国王陛下が、我が意に染まぬ者を生かしておくことはないだろうと・・・。
 
 しかし、若者はのんきに笑い出したそうでございます。確かに、追ってこられれば危ないかも知れない、けれどこの大陸を出てしまえば、追手をまける可能性はあるのではないかと。確かに、サクリフィア大陸の隅々までも、国王陛下は熟知しておりましたことでしょう。ですがその外となると、さてどの程度把握していたものか。特に、遠い昔に袂を分かったエルバール王国の同胞を、国王陛下は快く思っておいでではございませんでした。彼らがサクリフィアを見捨てたから、だからこの国はこんなにも落ちぶれてしまったのだと、恨みに思っていたという説もございます。
 
 大陸を出ることが出来れば、あるいは追手をまけるかも知れない。それはシャスティンの心に差し込んだ一筋の希望であったことでしょう。出来ることならば愛するセリムの墓から離れたくなかったシャスティンでございましたが、今は生き延びることが先決・・・。そこに選択の余地はない、そう決心したシャスティンは、若者の申し出を受け入れ、当面ともに旅することになったのでございます。
 
 若者は名をウィレスと言い、エルバール王国の南大陸にある、小さな村の出身だと言いました。村の他の若者と同じように、冒険をしたくて村を飛び出したとのことでございましたが、サクリフィア大陸にはたどり着いたものの、モンスター達は手強く、結局南側を少し探検しただけで進むことを断念したのだとか。2人は追手を避けて、サクリフィア大陸の南側に生い茂る原生林の間を抜け、ウィレスが隠しておいた船のある場所へと向かいました。そしてとうとう、大陸から船で海へ出ることに成功したのでございます・・・。
 
 カフィールは一息ついて、額の汗を拭った。
 
「さて、ここまでがシャスティンの物語。運命の糸は絡まり合い、やがて追っ手達とシャスティンは再び相見えることになるのでございます・・・。」
 
 ウィローがフーッとため息をついた。カフィールの歌と語りに圧倒されていたらしい。
 
「そんなことがあったのね・・・。それでシャーリーさんは、巫女姫の恋人と夫が違う人だと言っていたんだわ。」
 
「でもそんな話が間にあったなんて、知らなくても無理はないね。」
 
「そうよねぇ・・・。恋人が目の前で殺されて、怒りのあまり本当ならば自分が守るべきサクリフィアの国民を殺してしまうなんて・・・。」
 
「先ほどからの皆様方のお話を聞く限り、巫女姫の子孫とはあの歌姫シャーリーだったようでございますね。」
 
「知ってるのか?」
 
「そりゃ知ってるさ。同業者だしな。それに歌姫シャーリーと言えば、繊細で美しい歌声もさることながら、物語を作り出す創作力もかなりのもんだって聞いてるぜ。一度聞いてみたいと思ってたんだが、シャーリーは城下町へはめったに来なかったからな。なかなか実現できずにいるってわけだ。」
 
「あんまり驚いてもいないんだな。」
 
 カインが不思議そうに尋ねた。
 
「ま、吟遊詩人や語り部なんて職に就くような奴は、たいてい何かしら人に言えないような過去や生い立ちを持ってるもんさ。」
 
「クラト、そうとは限らないでしょう。わたくし達だって吟遊詩人と語り部だけど、サクリフィアではごく普通の家に生まれたわ。」
 
「それはそうだけど、エルバール王国においては、サクリフィアから来たってだけで充分『人に言えない』状態じゃないか。」
 
「別に言えないというわけではないわ。ただ、変に注目を集めたくないだけよ。聖戦竜のことを邪悪ではないという歌を歌っているわたくし達がサクリフィア出身だなんて知られたら、それこそサクリフィアが陰謀を仕掛けているなんて言われかねないわ。サクリフィアは確かに忘れられた国だけど、エルバール王室では当然まだ小さいながらも村として存続していることは知っているでしょう。無用な争いのタネにはしたくないのよ。」
 
「ま、確かにそれはそうだな・・・。」
 
「でも、いずれシャーリーとは会ってみたいわね・・・。一度きちんと話をしておいたほうがいいのかもしれない。」
 
「何を話すんだ?私達は元を辿れば同じ村出身だから仲良くしましょうとでも言うつもりかい?」
 
「彼女が何の目的でこの方達に情報を隠したかが気になるからよ。サクリフィアに行きたいからだというなら、なぜ行きたいのか、それも気になるでしょう。」
 
「なるほどね。それに、先祖がサクリフィア出身だからと言っていいかげんな情報をばらまかれたりしても、それも厄介だしな。」
 
「ええ、そういうことよ。」
 
 2人の会話を聞いていたカインが私を突っついた。
 
(おい、シャーリーのことを一応話しておいたほうがいいと思うか?)
 
(もう少し様子をみようよ。話すとなればセントハースの話は避けて通れないし・・・。)
 
(それもそうか・・・。)
 
 どうもこの2人にシャーリーが誤解されているのはわかったのだが、彼女のことをきちんと話そうとするとクロンファンラでのセントハースとの戦闘まで話さなくてはならない。それを言うべきか言わざるべきか、私はまだ迷っていた。その時、扉を叩く音がして、「シャーリー、クラト、いるかい?」と言う声がした。
 
「あら、どなたかお客様だわ。すみません、ちょっと出て来ます。」
 
 シャーリーが出ていき、程なくして両手で抱えるほどのカゴに入った野菜や肉を抱えて戻ってきた。
 
「クラト、今日お願いしていた分が届いたわ。もう夕方だから、皆さんにはここに泊まっていっていただきましょうよ。」
 
「はぁ・・・姉さんはそう言うと思ったよ。ま、俺に異存はないぜ。まだ歌も全部聞かせてないしな。」
 
「い、いや、そこまで世話になるわけにはいかないよ。俺達は船で来たから、今夜はそっちに泊まってまた明日の朝来るから、その時にでも聞かせてくれれば・・・。」
 
 カインが慌てて立ち上がった。さすがにそこまで厄介になることは出来ない。だが、カフィールはすっかりその気らしく、クラトに2階の客室のベッドを使えるようにして来てくれと頼んでいる。クラトは姉には従順らしく、素直に2階に上がっていった。
 
「わたくしの歌は、ここからがクライマックスですわよ。それに、皆様方がサクリフィアに向かうのであれば、おそらくゆっくりと眠れるのは今夜だけとなりましょう。ご心配なく。この島は安全です。モンスターもいませんから。」
 
 カフィールが微笑んだ。よくない意図は感じられない。確かに、ここで一晩だけでもゆっくり眠れるのはありがたいことなのだ。私達はクロンファンラから馬の背に乗って駆け通しで、さっきはさっきで王国軍の兵士達と一戦交えていたのだから。
 
 そこにクラトが降りてきた。
 
「姉さん、2階の準備は出来たぜ。おいあんたら、先に2階に行って荷物を置いて来いよ。もっとも、どうしても俺達を信用出来ないって言うなら、船でもなんでも好きな場所に泊まってくれていいがな。まあこの島はモンスターもいないし、特に危険なことはないと思うが。」
 
「いや、世話になるよ。俺達はクロンファンラからずっと走り通しだったから、そう言ってくれるのは本当はありがたい。それに、ここまで話してもらって挙げ句に信用出来ないから船で寝るなんて、そんな失礼なことを言うほど、礼儀知らずじゃないつもりだぜ。なあクロービス、ウィロー、それでいいよな?」
 
 カインも同じことを考えていたらしい。そこでクラトの言うとおり、まずは2階に行って荷物を降ろし、着替えをすることにした。
 

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