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「書記官殿、そろそろ失礼します。」
 
「そうですか。私はもう少しここにおります。こんなのんびりした時間など、なかなか持てませんからね。ではごきげんよう。」
 
−−これだけは信じてください。私は、ただ先生にお会いしたかった。こうして話をして、先生がどんな方なのか、知りたかった、ただそれだけなのです・・・。−−
 
−−それだけのことならば、こんな大それたことをなさらなくてもよかったでしょうに。−−
 
−−しかたありません・・・本気だと認めていただけなければ・・・でなければ私は・・・−−
 
 『声』が途中でとぎれた。書記官は本に目を向けているが、なぜかその表情が泣いているように見えた。
 
−−・・・失礼します・・・。−−
 
 私は図書室を出た。彼はどうしてあんなに私に会いたがったのか、そしてなぜ私が信じてくれないからと泣き出しそうな顔をしていたのか、さっぱりわからない。それでも、彼が嘘をついてないことだけがわかって、何だかとても複雑な気持ちだった。
 
 
 さてこのことをどうやってオシニスさんに伝えるか・・・。普通に伝えるしかないのだろうが、それでスサーナとシェリンを救うことが出来るだろうか・・・・。
 
 
 剣士団長室に行ってみたが、誰もいない。どうやら医師会の診療所のようだ。入院施設の受付に声をかけて、病室を聞いてみた。教えられたその場所は、アスランの病室の近くだ。彼のところにもあとで顔を出してみようか。
 
「失礼します。」
 
 病室に入ると、いたのはスサーナとオシニスさんだけだ。イルサとライラは取りあえず宿泊所に戻ったらしい。あそこならば警備も厳重だ。もっとも、2人ともこれだけ自分達の周囲が騒がしければ注意深くもなるだろうし、もしも敵の指揮系統がクイント書記官1人ならば、当面あの2人の身の安全は確保できるだろう。『あのお方』が騒ぎ出したりしさえしなければ・・・。
 
「首尾はどうだ?」
 
「まあなんとかなるかと思います。事情聴取は終わったのですか?」
 
「ああ、あとはこいつが目覚めてくれないと、続きが聞けん。」
 
「なるほど。」
 
 おそらくシェリンは何も覚えてないだろうが・・・・。
 
「カインの奴は仕事に戻ったよ。今日は東翼の警備に入ってもらうことにした。」
 
「そうですか・・・。」
 
 気の重い取り調べに立ち会って、気持ちも沈んでいるのではないだろうか。
 
「失礼するぞ。」
 
 声と共に病室の扉が開き、セルーネさんが入ってきた。
 
「おばさま・・・。」
 
 スサーナの顔がこわばった。
 
「・・・姉上のかわりに、お前を引き取りに来た。しばらくは家で謹慎だ。」
 
「・・・はい・・・あ、あの、お母様は・・・?」
 
「すっかり沈んでるよ。義兄上がそばについているから、私がかわりに来たというわけさ。」
 
「そうですか・・・。」
 
 スサーナが流れ出た涙を拭った。
 
「オシニス、取り調べはいいのか?」
 
 セルーネさんがオシニスさんに振り向いた。
 
「今日のところは終わりです。あとはこいつの取り調べが終わってからのことになりますね。」
 
 オシニスさんがベッドに寝ているシェリンを目で指し示す。
 
「そうか・・・。それでは私はこれで失礼する。迷惑をかけてすまなかったな。」
 
「セルーネさん、スサーナを責めないでくださいね。」
 
 ほんの少しだけ優しげな声で、オシニスさんが言った。
 
「わかってるさ。それに、今回のことを根掘り葉掘り聞いたりもしないよう、姉夫婦によく言っとくよ。」
 
「お願いします。」
 
 オシニスさんが神妙に頭を下げた。
 
 
 ぱたんと扉が閉まって、オシニスさんがため息をつきながら椅子に座った。
 
「・・・で、お前のほうはどうなんだ?」
 
「これからお話ししますよ。でもここではまずいでしょう。」
 
「そうだなぁ・・・。ここに警備を残しておけばよかったかな・・・。」
 
「ランドさんに頼んできましょうか?」
 
「・・・頼む・・・。」
 
 心なしか、オシニスさんの背中が小さく見えた。気持ちはわかる。今回の騒動は、そもそもスサーナとシェリンの心の中にあったオシニスさんへの思いを、クイント書記官が利用したことに寄るのだ。
 
 
 剣士団宿舎に向かい、ランドさんに人の手配をしてくれるように頼んだ。ランドさんも小さくため息をつきながら、『わかった』と言葉少なにうなずいていた。ランドさんは気づいていたのだろうか。スサーナのことは誰でも知っているとしても、シェリンのことまで・・・。
 
 その後シェリンの病室には護衛と言う名の監視がついた。自分達の仲間を見張らなければならないと言うつらい役目を引き受けた剣士達は、それでも口を引き結び、黙って任務に就いた。
 
 
「・・・世話をかけたな・・・。」
 
 剣士団長室に戻って、オシニスさんがぽつりと言った。
 
「大したことはしていませんよ。オシニスさんのほうこそ、だいぶお疲れなのではありませんか。」
 
「いろんな意味で疲れたな・・・。まったく・・・なんでこんなことに・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「やっぱり俺が悪いのかなあ・・・・。」
 
「そんなことではないでしょう。悪いのは、彼女達の気持ちを悪用した人間ですよ。」
 
「・・・証拠はつかめたのか?」
 
「言質は取れましたが、残念ながら証明は出来ませんね。」
 
「・・・なぜだ?」
 
「・・・あまり言いたくはないんですが・・・・・。」
 
 そう前置きした上で、私はクイント書記官との『会話』についてオシニスさんに話した。おそらくは彼が、自分だけは捕まらないようにいろいろと工作した上で、シェリンとスサーナの無実を証明する方法として『あの力』を使ったのであろうということまで・・・。
 
「つまり・・・他の利用者もいた図書室の中で話していたにもかかわらず、聞いていたのはお前一人というわけか・・・。」
 
「そういうことです。」
 
「ふん・・・・それでも、お前のことを知っているレイナックじいさんやフロリア様なら信じてくださると言うことか・・・。」
 
「そこまで考えていたでしょうね。でも万一、私のことまで信じていただけなかった場合は、あの2人の無実を証明することは出来ませんが。」
 
「・・・信じてもらえなかったらどうする?」
 
「あとはフロリア様とレイナック殿に、私が嘘をついていないということをわかっていただくしかないでしょうね。」
 
「・・・お前の心の中を覗かせてか?」
 
「・・・・・・・。」
 
 ここに来るまでにずっと考えていた。もしも、私自身が疑われることになったら・・・。もしもそんなことになったら、あとは本当に自分の心の中を覗いてもらう以外にない。口にしたことはないが、レイナック殿には当然ながら私と同じ能力があるはずなのだ。そしてもちろんフロリア様にも・・・。だが、普通は誰だってそんなことは嫌がる。覗かれる側はもちろん、覗く側にも気の重い話だ。
 
「しかし、お前にあいつらの無実を証明させるつもりがあって、お前しか聞いてないとは言え事の真相を話すくらいなら、なんでヤツはシェリン達を巻き込んだんだ?」
 
「さてそれは・・・」
 
 言いかけて、私はクイント書記官が最後に言っていた言葉を思い出した。
 
『本気だと認めてもらえなければ』
 
「ほぉ、つまり、こちらは本気でかかっているぞと言う脅しと言うことか?」
 
「言葉だけを聞けばそうとしか取れないのでしょうけど・・・・。」
 
 何となくだが、あの言葉はそう言う意味ではないような気がした。それならばもっと勝ち誇ってもいいのではないか。ラエルに続き、まんまと王国剣士を操り、犯罪一歩手前のことまでさせたのだ。もっとも、そんなことで勝ち誇るような人物が、わざわざ事の真相を話したりはしないのだろうけど・・・。
 
「あんな形でなければ、もう少し彼とはゆっくりと話をしてみたいものですね・・・。お互い、もっと相手を知る必要があるような気がしますよ・・・。」
 
「そうだな・・・。こんなことさえなければ、一度腹を割って話してみたい相手ではあると、俺も思うよ。普段のヤツの態度からは、俺達に対する敵意も何も感じられない。いつも穏やかな笑みを絶やさないし、話をするときの態度も誠実だ。嫌みな感じも受けないしな。」
 
「・・・つまりオシニスさんにとっても、あの書記官は実に感じのいい青年なわけですね。」
 
「ああ、そうだ。ま、エリスティ公の書記官と言うことを差し引いても、なかなかの好青年だと思うぞ。」
 
 エリスティ公を『殿下』と呼び、おそらくは公を王位に就けるために裏で策略を巡らす、野望に満ちた書記官のイメージからはほど遠い。果たしてどれが彼の本当の顔なのだろう。
 
「・・・だがな、いくら好青年でも何でも、やったことはやったことだ。なのに、俺にもお前にもそれをはっきりと証明できる手だてがない・・・。ふん!仕方ない、じいさんのところに行って、みんなでフロリア様に話しにいくしかなさそうだ。」
 
「レイナック殿やフロリア様はともかく、シェリンがスサーナを麻痺させたところを見ていた剣士達のことはどうします?」
 
「何かしらいいわけをつけて、納得してもらうしかないだろうな。」
 
「納得させられるだけのいいわけを、考えなければならないと言うことですね・・・。」
 
「そういうことだ。今から行けるか?」
 
「構いませんよ。でも・・・。」
 
「ん?用事があるなら別に急がなくても・・・。」
 
 私に気を使っていると言うより、オシニスさん自身があんまり行きたくなさそうだった。
 
「行きたくないわけではないですが、オシニスさんのほうはどうなんです?」
 
 私は素直に疑問をぶつけてみた。シェリンもスサーナも、自分への思い故に唆され、操られた。それを説明するのは気が重いのではないかと・・・。
 
「気は重いさ。重くて重くて、もうこのまま動きたくないくらいにな・・・。」
 
 細く長いため息・・・。疲れた横顔・・・。それはクイント書記官の企みを憂えているのか、フロリア様が自分に対してどう思うか、それが気になるのか、どっちなのだろうか・・・。
 
「だが、俺は剣士団長だ。行きたくないから行きません、と言うわけにはいかん。起きたことはきちんと説明する義務がある。自分が原因になっているならなおさらな。」
 
 そう言って、オシニスさんは勢いよく立ち上がった。
 
 
 
「・・・なるほど、話はわかりました。」
 
 フロリア様がうなずいた。フロリア様の執務室に着いて、私は一通りの説明を終えた。ここにいるのはフロリア様、レイナック殿、オシニスさん、それに私だけだ。リーザはフロリア様が用事を頼んで出掛けてもらった。この件についてだけは、リーザにも聞かせることは出来ない。おそらくリーザは気づいているだろう。私について何か秘密があると言うことを。だが何も言わなかった。いずれ話せるときが来たら、話しておくべきなのかも知れない。
 
「なるほどな・・・。そう言うことであれば、スサーナもシェリンも、処分というわけにもいくまい・・・。」
 
 レイナック殿が呟く。オシニスさんは黙ったままだ。
 
「クロービスよ、それでは、あの書記官は我らに害をなす意図は最初からなかったと言うことで間違いないのだな?」
 
「それははっきりとそう言ってましたが・・・。」
 
「が、なんだ?まだ不安要素でもあるのか。」
 
「そうではありません、しかしなぜ、私をお疑いにならないのです?」
 
 さっきから私の話を聞いていて、フロリア様もレイナック殿も、何一つ私の言葉を疑うそぶりを見せなかった。それはかえって不自然ではないのか。
 
「ふむ、お前の顔は、いかにも『納得出来ないぞ』と言うておるな。」
 
「それはそうではありませんか。普通ならばこんなばかげた話、誰も信じないでしょう。」
 
「うむ、たしかに、今お前の話を聞いただけならば、わしも疑っただろう。それこそ、黒幕がお前かも知れぬと、そこまで考えたかも知れぬ。」
 
「そう思われなかったのはなぜです?」
 
「お前が今言うたではないか。普通ならば疑って当たり前だと。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「お前にとってはあまり気分のいい話ではないのかも知れんが、はっきり言うておくべきだろうな。お前という人物は、その『普通』の範疇には入らんのだ。それは理解しておろう?」
 
「それは・・・・。」
 
「無論それだけではないぞ。そもそも、その気になればお前はいつでもこの国を手中に出来たではないか。だがお前は20年前もそれをしなかったし、今だってそんなことは考えていないだろう。」
 
「それはもちろんです。」
 
「ならばお前を疑う道理はない。だからフロリア様もわしもお前を信じるし、オシニスとて、クロービスを信じていなければ、ここに連れてきたりはしなかっただろう。そうではないのか?」
 
 レイナック殿がオシニスさんに振り向いた。
 
「当たり前だ。」
 
 何を今さら、とでも言うように、オシニスさんはレイナック殿を睨んだ。
 
「そういうことだ。だが、それはあくまでもここにいる我らの中でしか通用しない。そのためには、世間を納得させることの出来るシナリオが必要になる。」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
「先ほどのお前達の話を聞く限り、スサーナやシェリンの態度がおかしいことは、誰の目にも明らかだったようだ。しかも他の剣士達や、ロビーにいた人々にまで目撃されている可能性が高い。」
 
「だからって作り話でごまかされるほど、うちの剣士達はバカじゃないぞ。」
 
 オシニスさんが苛立たしげに言った。
 
「まあまあ、話は最後まで聞くものじゃて。わしは別に物語を作って聞かせようなどと言うておるのではない。基本的には真実を話すしかなかろう。スサーナがどこからどこにいったかも、シェリンがスサーナに対してどんな行動をとったかも、見ていた者はたくさんおる。だが、幸いなことに、団長室の前でシェリンとカインのやりとりを聞いていた者は、どうやらクロービス達だけのようだ。それならば、スサーナ達の行動について、それなりの理由付けをしてやればよい。違うか?」
 
「確かにそれはそうだが・・・。」
 
「そこでだ、スサーナについては、敵に唆されてと言うことではなく、敵の企みを知って、表向きは敵の誘いに乗った振りをして、実はイルサを助けるべくやって来たことにすればいい。そしてシェリンはその姿を勘違いして、スサーナのあとを追いかけてきて思わず麻痺の気功を使ってしまった、こんなところでどうだ?あの2人にもこの程度のことならば言い含めておくことは出来るだろう。そうすれば、クロービスがクイント書記官に聞いた話など、わざわざ発表せずともよいわけだ。」
 
 どんな事件が起きても、王宮は必ず事の次第を国民に知らせる。それは私が20年前に剣士団を去る少し前、御前会議で決定されたことだ。下手に隠し立てすれば、どこまでも疑われる。明らかな嘘が真実としてまかり通る、そんな事態だけは避けなければならない。
 
「なるほどな・・・。俺としても、王国剣士でもないのにここまで協力してくれているクロービスを、矢面に立たせるようなことはしたくない。それで行こうじゃないか。」
 
 言葉とは裏腹に、今ひとつ気乗りのしない表情でオシニスさんが言った。
 
「ところでオシニスよ。」
 
「なんだよ?」
 
「事件の公表についてはそれでいいとして、お前の気持ちはどうなのだ?」
 
「・・・別に変わらないさ。」
 
「本当だな?」
 
「当たり前だ!何が起きたって、それでそう簡単に態度を変えられるか!」
 
 大声を出してからハッと気づいたように、オシニスさんはフロリア様に向かって頭を下げた。
 
「フロリア様の御前でのご無礼、申し訳ありません・・・。」
 
 フロリア様はいたわるような目でオシニスさんを見ている。
 
「いいえ、いいのです。あなたが悪いのではありません。どうか気に病まないでくださいね。」
 
「・・・今回のことは、私の不徳の致すところです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
 
 オシニスさんはもう一度フロリア様に頭を下げて、執務室を出て行った。あとを追って出ようとしたが、思い直して私は立ち止まった。もう少しこのことについて、フロリア様とレイナック殿とは話し合っておくべきのような気がしたのだ。
 
「クロービス、座らんか。お前とはもう少し、話を詰めておかねばならぬようだ。」
 
「そのようですね・・・。」
 
 私はレイナック殿の向かい側の椅子に座った。
 
「お前の話を聞いて確信出来た。あのクイントという書記官には、我らと同じ能力がある、と言うことは、我らと同じ血が流れておると思って間違いないだろう。」
 
「・・・あまり認めたくはないのですが、その可能性はかなり高いようですね。しかしなぜ今になって・・・。」
 
「まったくだ。20年前ならともかく、今になって現れたところで・・・」
 
「でも20年前なら、あの書記官はまだ子供だったでしょう。今だからこそ現れたのかも知れません。」
 
 フロリア様がため息と共に言った。
 
「しかしフロリア様、今この国は安定しておりまする。もちろん、磐石とは言いかねるが、それにしても、こちらの隙を突けるほどのことは・・・・」
 
「隙を突くのが目的でしょうか?」
 
 フロリア様の思いがけない言葉に、私は思わず顔を上げた。たった今私が考えていたのもまさにそのことだ。
 
「しかしそれ以外に目的など、あろうはずもないのではありませぬか。でなければあの男は、真っ直ぐに我らの元に来たはずでは・・・。」
 
「でもいきなりやってこられたところで、わたくし達はクイントの言葉をすぐに信じたかどうかはわかりません。いいえ、信じない可能性のほうが高かったかも知れません。彼もそう考えたとすれば、もしかしたら彼の一連の行動は、自分の力をわたくし達に認めさせるための芝居だったと言うことも考えられます。まだ彼の目的はわからないのですから、あまり、先入観で見るべきではないでしょう。」
 
「は、はぁ・・・申し訳ござりませぬ。」
 
「いえ、あなたが謝る必要はありません。それよりも、彼のことについてわかっていることだけでも、クロービスに話しておいたほうがいいのではありませんか?」
 
「かしこまりましてございます。」
 
 レイナック殿は一礼をして、フロリア様の背後にある書棚へと向かった。そして棚から取り出された黒い箱を持って来て、私の前に置いた。
 
「・・・これは・・・・?」
 
「この中に、あの男について調べた記録が入っておる。ま、それほど詳しいことはわからなかったのだがな。」
 
「詳しいことがわからない・・・・?」
 
 妙な話だ。いかにエリスティ公の私的な書記官とは言え、王宮に出入りする者についてはかなり詳しく身元を調べられるはずではないのか。
 
「うむ・・・。だが、やつがどこから来たのかくらいはわかったぞ。あとは・・・そうだな、家族構成や・・・・」
 
 なぜかレイナック殿はそこで突然口を閉じた。
 
「どこからというのは出身地のことだと考えていいのですか?」
 
「うむ・・・。」
 
 レイナック殿の口調はなぜか歯切れが悪い。
 
「どうなさったのです?」
 
「・・・まあその、偶然なんだとは思うのだが・・・」
 
「何がです?」
 
「あの男の出身地は、北大陸の西側に広がる離島群の中にある。」
 
「というと、もしかしてセルーネさんの領地ですか?」
 
「そうだ。ベルスタイン公爵家の領地だ。」
 
「そうですか。しかしそれが何か・・・・?」
 
「あの男の産まれた島は、ずっと昔、一時的にエリスティ公が統治していたこともある、あの島なのだ。」
 
「・・・え?」
 
 ドキンと心臓が波打った。忘れていた痛みが胸の奥を叩く。
 
「わしがお前に言いにくいと思っている理由は、わかってくれたか?」
 
「はい・・・・。しかしそれは・・・!」
 
「まあ落ち着け。偶然だとは思うが・・・・」
 
「・・・・・・・・。」
 
 セルーネさんの家で統治している領地は、この国の中でも一番気候がよく、一年を通じていろいろな作物がとれる。領地が潤えば、当然ながらその土地を治める領主も潤うことになる。となればどこの貴族もその土地をほしがりそうなものだが、そこの領主がエルバール王国きっての名門公爵家とあっては、誰もそんなことを言い出せない。そう、たった一人を除いては・・・。
 
「偶然であればありがたいですね。」
 
 そう言うのがやっとだった。その土地がベルスタイン公爵家統治の土地だと知っていて、その土地をいくらかでも寄こせと堂々と言ってのけたのが、エリスティ公だ。
 
「まったくだ・・・。」
 
 レイナック殿の顔色も冴えない。
 
「でもあの時はそれしか方法がなかったのではありませんか、レイナック。」
 
 フロリア様が尋ねた。
 
「それは・・・。」
 
 レイナック殿が口ごもる。そもそも他の家で統治している領地を寄こせなど、普通ならばそれが誰でも口にすることさえ許されない。それをあえて口にさせるような事態となったのは、今を遡ること40年近く前のこと。前王ライネス様崩御のあと、フロリア様を推すケルナー卿、レイナック殿の一派と、エリスティ公を推す一派との王位争いが起きていたときのことだ。
 
「あの時、わたくしは確かにまだまだ小さな子供でした。王女様王女様と呼ばれ、誰もが笑顔を向けてくれるのが当たり前だと信じていました・・・。そんな年端もいかぬ子供を王位に就けるために、レイナックやケルナーがどれほど尽力してくれたのか、今のわたくしにはわかるつもりです。」
 
 エリスティ公の母君の出自まで持ち出して、何とか公を退けてフロリア様の即位まで漕ぎつけられそうだと言うときに、エリスティ公は最後のあがきのように「自分が身を引くための条件」を出してきた。一つは自分の王族としての身分を復活させ、王位継承権第一位の地位に就けること、そしてもうひとつが、なんとベルスタイン家の領地の一部を、自分の統治下に置かせろというものだったのだ。そして一つの島が選ばれ、ベルスタイン家からエリスティ公の領地となった。
 
「しかし・・・やはりあんなことはすべきではなかったと、今でも後悔しておりまする。何かもっと、他の方法があったのではないかと、いつもいつも考えておりました・・・。」
 
「そうかも知れません。でももう、起きてしまったことです。そして、あの時あなた達がわたくしを王として認めてくれて、即位させてくれたこと、本当に感謝しているのです。」
 
「フロリア様・・・。」
 
 フロリア様を見つめるレイナック殿の目には涙がにじんでいた。
 
「確かに・・・王位に就いたがためにつらいこともありました。いつもひとりぼっちで悲しいと思ったこともたくさんあります。でも、そのおかげで、わたくしは今、この国がどうしたら住みよい国になるか、どうしたら国民が安心して暮らせるか、考えたことを行動に移す機会が与えられています。わたくしが考えたことを実行して、それで国民の笑顔が見られたら、これは何物にも代え難い喜びです。」
 
 こういう言葉がでると言うことは、フロリア様は王としての自信を取り戻されたようだ。
 
「そうおっしゃっていただけるのはありがたいのでございますが・・・それでもやはり、もしかしたら他に方法があったのではないかと思うてしまいます。そのせいで・・・あ、いや・・・。」
 
 レイナック殿は慌てて言葉を切った。その次になんと言いたかったのか、私にはわかる。クイント書記官が生まれ育ったらしいその島で産まれた人を、私はもう一人知っている。晴れた空のような青い瞳、透き通るような金の髪の持ち主、そして類い希なる槍の使い手だった、ユノだ・・・。
 
「・・・・・・・・。」
 
 フロリア様が黙り込んだ。カインやパーシバルさんのことだけでなく、ユノのことでも、フロリア様は今でも傷ついたままなのだ。
 
「なるほど・・・つまりレイナック殿は、あの男が王室を恨みに思って、それでエリスティ公の後押しをしているとお考えなのですね?」
 
「可能性としては高いと思うぞ。無論、今までの一連の行動が、全てあの男一人の考えなのか、島の者が裏で操っているのかまでは判断出来んがな。」
 
 確かに・・・あの島で何が起きたかを考えれば、恨みに思う者がいたとしてもおかしくはないのだが・・・しかしあの書記官は確か30歳そこそこだ。あの島の騒動について知っていたとしても、実際にその場に居合わせたわけでもないだろうに・・・。
 
「わかりました。このことについては、しっかりと覚えておくことにいたしましょう。あの男がどんな行動にでたとしても、驚かずにすむように。」
 
 とは言え、一連の彼の行動を考え合わせれば、そうそう楽観視できないのも事実だ。
 
「・・・今のところ、それしか方法はありそうにないの。」
 
「そのようですね。では失礼します。オシニスさんも気落ちしているようですし、もう少し話を聞いておこうと思います。」
 
「うむ、頼むぞ。」
 
「クロービス、王国剣士でもないあなたにこのような負担を負わせることになってしまって、心苦しいと思っています。でも今は・・・あなたを頼る以外に何一つ方法がないのです。オシニスを・・・元気づけてあげてください。」
 
 フロリア様の声も悲しげだ。
 
「出来るだけのことはやってみます。」
 
 執務室を出た。たった今聞いた話が、心の奥に鉛のようにのしかかる。
 
「まさかあの男は本当にあの島の・・・。」
 
 さっき黒い箱の中に入っていた書類には、確かにそう書いてあった。レイナック殿が自分の密偵を使って調べさせたものだ。間違いはないのだろう。だが、だからといって、あの島に住む者全てが王室に対して陰謀を企てるとは、考えにくい話だ。そもそも、エリスティ公は王室と敵対していると言っても過言ではない。そして滅ぼされるべきなのは・・・・
 
「いや、そんなことを考えてはいけないな・・・。」
 
 思わず口にしていた。そうだ。どんなに悪い人間だったとしても、滅んでしまえばいいなどと願ってはいけない。それにしても、ますますあの書記官の目的がわからなくなってきた。なぜ彼はエリスティ公などに仕えているのだろう。あの島の者にとっては、彼こそが・・・。
 
「・・・少し落ち着いたほうが良さそうだな・・・。」
 
 先入観があると、どうしてもそちらの方向に考えを持って行こうという意識が働いてしまう。取りあえず、オシニスさんのところに戻ろう。これ以上誰かを疑いたくない。彼と話して、私自身も頭を冷やしたほうが良さそうだ・・・・。
 
 
 剣士団長室に戻ると、ライラとイルサが来ていた。一緒にいるのは東翼の宿泊所を警備していた王国剣士のようだ。
 
「お、来たな。よし、戻ってくれていいぞ。すまなかったな。」
 
 オシニスさんがその剣士に声をかけて、剣士は持ち場へと戻っていった。
 
「どうしたんです?」
 
「いや、こいつらがお前と俺に話があるってことなんだが、勝手に宿を出てくるわけにも行かないからと、さっきの奴に護衛を頼んだそうだ。」
 
「話?」
 
 ライラとイルサは神妙な面持ちで私を見ている。
 
「ああ。お前がなかなか戻ってこないから、今まで奴にも待っててもらったんだ。とにかく、2人の話を聞こうじゃないか。」
 
「わかりました。ライラ、イルサ、どうしたんだい?」
 
「うん、あのね・・・今までずいぶん先生にも団長さんにもお世話になったんだけど、そろそろ僕達の護衛もいいんじゃないかなって・・・。」
 
「・・・そうか・・・。さすがに、毎回先生に張りついていられては気が休まらなかったかな。」
 
 そうならないようにと気を配っていたつもりではあるが、やはり毎回一緒というのは、いくら昔から見知っている相手でも気詰まりに思うことがあるかも知れない。
 
「あ、ち、違うよ!そう言うことじゃないんだ!先生と一緒にいられたのは楽しかったよ。久しぶりに会えたし、これからも祭りに行くときには一緒に行きたいと思ってる。だけど、それが単に遊びに行くって言うのならいいけど、僕らの身辺警護をしながらでは先生達のほうが気が休まらないんじゃないかと思うんだ。それに・・・。」
 
「それに・・・?」
 
「さっきイルサとも話したんだけど、確かに守ってもらえていれば、僕らは安心できる。だけど、回りのみんなが僕らのために予定をやりくりしたり、何より危険にさらされることになるのを、これ以上黙って見ていたくないんだ。」
 
 さっき私が、カインの声を聞きながら扉を開けるのをためらったことが、きっとこの2人にとっては何よりの負担になってしまったのだろう・・・。
 
「なるほど。その気持ちはわかるぞ。で、お前達はどうしたいと思ってる?」
 
 オシニスさんの声は優しい。何だか我が子の成長に眼を細める父親のようだと、ふと思った。
 
「あの・・・これからは、僕達が自分自身を守るつもりでいたいと思うんです。ちゃんと武装して、何か起きてもすぐに対処できるようにしていれば、あんなことも起きなかったと思うし・・・。」
 
 「あんなこと」とは背後から騙し討ちのようにして掠われたことだろう。
 
「しかし、それではお前達の気が休まらないんじゃないのか?」
 
「いえ、ハース鉱山ではいつもそうしてました。坑道には、たまにけものが出たりすることもあります。普通ならこちらに関心を示すことはないんですが、手負いだったり子育て中のけものだったりすると、そうも行かないこともあるんです。そう言うとき、僕も王国剣士さん達と同じように、出来るだけ傷をつけないようにして追い払ってますから、そのつもりでいれば、自分の身くらいは自分で守れると思います。」
 
「・・・なるほどな・・・。だが、お前はそれでいいとして、イルサはどうするんだ?」
 
「あの・・・。私も、守ってもらってばかりなのはいやです。それに、父からちゃんと護身のための剣は教わっていますから、自分の身くらいは守れると思います。」
 
「そうか・・・。そこまで言われれば、俺としてもその気持ちを汲んでやりたいところだが、さて、ここにいる、その親父のかわりとでも言うべき診療所の先生は、どう考えているのかな。」
 
 オシニスさんがいたずらっぽい目で私を見た。この人のこんな表情を見るのは久しぶりだ。
 
「そうですね・・・。気持ちはわかります。私としては心配なことにかわりはないですが・・・そうだな、ライラ、イルサ、せめて外に出掛けるときには、オシニスさんかランドさんに声をかけていくようにしてくれるとありがたいな。」
 
「おお、そうだな。出掛ける用事が前もってわかるのなら、早いうちに声をかけてくれれば、外の警備の連中に注意を促すことも出来る。ま・・・デートとか言うなら、まあ無理に声をかけろとも言えないんだがな。」
 
「そ、そんな相手いませんよ!今の僕はそれどころじゃ・・・!」
 
 ライラが赤くなって必死で首を振った。それを見たオシニスさんがおかしそうに大声で笑った。
 
「ま、差し支えない範囲で、声をかけてくれ。変な遠慮はするな。そのほうがあとでよほど迷惑になることもあるんだからな。」
 
「わかりました。」
 
「何かあったら、遠慮なく先生にも声をかけてくれよ。」
 
「うん。せっかく護衛を引き受けてくれたのに、ごめんね。」
 
「ははは、そんなことは気にしなくていいさ。君達が無事に休みを過ごせる方が大事だよ。」
 
「それじゃ失礼します。」
 
 2人が部屋を出て行った。
 
 
「いやにあっさり認めましたね。」
 
 少し不思議に思って、オシニスさんに尋ねた。
 
「さっきお前の話を聞いたからな。おそらく、当面あの二人の身の安全は確保出来ただろう。」
 
「やはりそう思われますか。」
 
「ああ。もっとも、敵の指揮系統が奴一人ならの話だがな。」
 
「あのお方が口を挟んでくるとややこしくなりそうですね。」
 
「もしくは、勝手な行動に出るか、だ。」
 
「あのお方は、陰謀を巡らすのはお得意のようですが、細かい手順を考えるのは苦手なのではありませんか?」
 
 オシニスさんがぶっと吹き出した。
 
「うまいことを言うなあ。まさしくその通りさ。ろくでもないことはいくらでも思いつくが、それを自分で実行するほどの才覚はないんだよな。だからいろいろと配下を動かしているんだが、今回ばかりは、あの書記官のやり方がどうにもよくわからないと思うのは、俺達だけではないかも知れないぞ。」
 
「となると・・・近いうちに行動を起こす可能性もありそうですね。」
 
「そういうことだ。それが書記官の尻を叩いて動かすのか、自分が出張ってくるのかまでは、さすがに俺も想像がつかんがな。」
 
「そうですね・・・。」
 
 あの書記官がエリスティ公の怒りを買うようなことにならなければいいのだが・・・・。
 
(敵の心配などしなくてもいいんだけど、何だかほっとけないな・・・。)
 
 不思議なものだ。彼とはこちらに来てから知り合ったが、何というか憎めない人物だ。少なくとも、反国王派の筆頭とも言うべき人物に仕えて、常に策謀を巡らしているなどとはとても思えない。
 
「だが、それを暴くのは俺達の仕事だ。今回の件ではお前にずいぶんと世話になったが、護衛の件もなくなったことだし、診療所の手伝いに行くなら、こっちのことは気にしなくていいぞ。」
 
「そう行きたいところですが、その前に私はオシニスさんとの約束を果たさなければなりませんよ。」
 
「俺との・・・・?」
 
「ええ。昔、私達がここを出てから、何があったのかを話すと、約束しましたからね。」
 
「・・・・そうだな・・・。そんな約束をしたっけな・・・・。」
 
 不意にオシニスさんの顔が暗くなった。
 
「今さらなしにする気はありませんからね。」
 
「・・・いやにきっぱりとしてるな。」
 
「いろいろと、思うところがありましてね。」
 
「ふん・・・思うところってのは、さっき俺と一緒に執務室を出なかったことと関係がありそうだな。」
 
「ええ、あります。」
 
 もはや私は何一つオシニスさんに隠し立てをする気はなかった。私が隠せば、オシニスさんからも真実を聞き出すことが出来なくなる。私はさっきレイナック殿から聞いた話を、オシニスさんに話した。
 
「なるほど・・・ま、奴がお前やフロリア様達と関係があるかもしれないってことは、以前じいさんに聞いていたが、それにしても確かに妙な話だな・・・。」
 
「レイナック殿は、多少なりともあの島で起きた事件との関係を疑っているようです。」
 
「しかし、あの男は30そこそこじゃないのか?その事件の時なんて産まれてもいないじゃないか。」
 
「本当のところはわかりません。でも先入観を持って見るべきではないと思います。」
 
 思わず、フロリア様と同じ言葉を口にしていた。まったくその通りなのだ。彼の目的はまだわからない。そして私は心のどこかで、彼が悪いことを考えていないと思いたがっている。自分と同じ力がどうのと言うことではなく、こんなことさえなければ、本当に腹を割って話してみたいと思えるほどに、彼は感じの良い青年なのだ。
 
「確かに、そうだな・・・。」
 
「でもそれは、今私達が考えてもどうにもならない話です。今は出来ることをするしかない。そして私に出来ることは、オシニスさんにあの頃起きた出来事を話すことだけです。」
 
 オシニスさんはくすりと笑って、小さなため息をついた。
 
「・・・不思議なもんだな・・・。」
 
「なにがです?」
 
「俺は、お前達が海鳴りの祠を出てからのことをずっと知りたかった。」
 
「はい・・・。」
 
「この20年ずっと考えていた。お前がこっちに来ると聞いたときには、やっとこれでいろいろと聞くことが出来ると思っていたってのに・・・・いざこれからそれを聞かされると思うと、何となく恐いような気がする・・・ふふふ・・・情けない話だよな・・・。」
 
「私もですよ。ずっとずっと話そうと思っていたのに、いざこれから話すとなると、何となく恐いような気がします。」
 
「・・・恐いような話なのか?」
 
「さあ・・・それを判断するのはオシニスさんですよ。」
 
「ふん・・・うまく逃げたな・・・。まあいいさ。それでは早速話してもらいたいところだが、残念ながら今日は俺のほうの都合が悪いんだ。明日ではだめか?」
 
「構いませんよ。護衛の件がなくなっても、ウィローは多分明日も診療所でしょうから、どのみち王宮までは来なければなりませんからね。」
 
「そうか・・・。」
 
「それでは私はこれで失礼します。明日伺いますから、ちゃんと時間を作ってくださいね。」
 
「わかったよ。今日はご苦労だったな。」
 
「お役に立てたなら何よりです。では失礼します。」
 
 
 剣士団長室から、真っ直ぐに診療所へと向かう。最上階の廊下にも、そろそろ夕闇が漂い始めていた。クリフの部屋をノックした。返事があって開けてくれたのはハインツ先生だった。
 
「おや先生、ちょうどよかった。今日の治療が終わったところですよ。さあどうぞ。」
 
 部屋に入ると、ベッドの上ではクリフが眠っているようだった。妻が汗を拭きながら、出されたお茶を飲んでいる。ゴード先生がいなかった。
 
「あらクロービス、今終わったところよ。ライラとイルサのほうはもういいの?」
 
「ああ、あの2人の護衛は、当面しないことになったんだ。」
 
「あらどうして?」
 
 さすがに本当のことを話すわけにもいかないので、今のところ不穏な空気もないことだし、王宮内の警備も強化されているので、外に出るとき以外では護衛をつけないことにしたと、簡単に説明しておいた。
 
「そう・・・。確かに、このまま何事もなければ、それに越したことはないわよね。」
 
「うん。まあしばらくは気をつけておかなきゃならないだろうけど、あの2人なら本人の力だけでもある程度は何とかなるしね。」
 
「そうねぇ。」
 
「先日の剣士団長殿との立合は私も見せていただきましたが、正直なところすっかり驚いてしまいましたよ。あの穏やかな風貌であれほどの腕をお持ちとはね。クロービス先生と初めてお会いしたときと同じような衝撃でしたな。」
 
 ハインツ先生が笑いながら言った。
 
「はははは、確かに、ライラも私同様、とても剣を振り回しそうには見えないかもしれませんね。」
 
「なるほど、人を見た目で判断してはいけないと言うことですね。」
 
 
 
「失礼します。」
 
 声と共に扉が開いて、入ってきたのはゴード先生だ。
 
「おお、クロービス先生でしたか。奥様のお迎えですか?」
 
「ええ、そろそろ夕方なのでどうしたかなと思ってきてみたんですが・・・。」
 
「本日の一番の成果は、あれですよ。」
 
 最初に会った頃の、あの挑戦的な物腰は微塵も感じられない笑顔で、ゴード先生はクリフのベッドを目で指し示した。
 
「いつも痛みでよく眠れていなかったんです。あんなに穏やかな顔で眠っているのは本当に何日ぶりのことか・・・。」
 
「そうでしたか・・・。お役に立てたなら何よりです。」
 
「今日は本当にありがとうございました。奥さん、これからもしばらく、手を貸していただくことは出来ますか?」
 
「ええ、もちろんです。」
 
 妻はきっぱりと答えた。だがその言葉とは裏腹に、私の胸の奥深くにちくちくと棘が刺さるような痛みが感じられる。
 
「ではまた明日伺います。」
 
「はい、本当にありがとうございました。」
 

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